2018年10月27日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」67

 ●自主憲法制定と日米地位協定(4)
 憲法が国家の基本法なら、歴史や伝統、文化などの民族の遺産が反映されていなければならない。
 それを国体というなら、本来、憲法は、国体の体現であるべきなのである。
 ところが、現行憲法からは、国体がすっぽり抜け落ちている。
 国家も消え失せ、国民主権という、実体のないがらんどうがあるだけである。
 国家主権も国家防衛も、国家緊急法もない、巨大な暗渠が、憲法という冠をかぶっている。
 それが日本の憲法で、そこには、国民主権とアメリカ民主主義という怪物がうごめいているだけである。
 国民主権は、国民の総体がもつもので、権力者がこれをあずかる。
 占領中、GHQが国民主権をあずかったが、1951年、GHQが日本から去ったあと、アメリカ民主主義が、GHQに取って代わった。
 それが、日本国憲法に仕掛けられた巧妙なマジックで、憲法至上主義というのは、アメリカ民主主義至上主義のことなのである。
 安倍首相は、憲法改正にご執心だが、アメリカ民主主義のマニュアルにすぎない憲法をどういじったところで、でてくるのは金太郎飴で、抜本的改正などできっこない。
 天皇元首論や9条加憲は、憲法改正ではなく、明らかに改悪である。
 憲法を改悪するくらいなら、手をつけないほうがよい。
 法は、時間の経過にともなって、無意識化されてゆく。
 習慣や常識、現実主義が、条文にすぎないものを淘汰してゆくのである。
 その究極が、コモンロー(不文法・習慣法)で、コモンローの国イギリスは成文法をもたない。
 日本国憲法も、コモンロー化されつつあって、世界第6位の軍事力と軍隊や交戦権を否定する憲法9条が両立しているのは、憲法が、無視されているからである。
 国民主権といいながら、じぶんが主権をもっていると自覚している日本人がどれほどいるだろう?
 憲法の国民主権などだれも信用していないのである。
 基本的人権も、憲法ではなく、国家から与えられていると、大方の日本人は知っている。
 たとえば、他国に領土を侵略占領されて、人権がまもられるであろうか。
 人権や人間の尊厳をまもるのが自国の軍隊で、法など紙切れにすぎない。

 紙切れにすぎない法が大きな力をもつのは、法が神話となるからである。
 神話というのは、万人が共有する共同幻想≠ナある。
 コモンローも神話で、人々は、神話を共有する共同幻想のなかで、価値観や共通感覚を分かち合う。
 国体も神話で、憲法が、国体の体現というのは、憲法こそ国民の共同幻想でなければならないからである。
 習慣や常識、現実主義が、イギリスでは、コモンローをつくりあげ、日本では、国体をつくりあげた。
 イギリスでは、コモンローが国家基本法を代行している。
 ところが、日本では、国体が、憲法に反映されていない。
 日本国憲法から見えてくるのは、どんな国家像か。
 空想的な共和制国家で、国民主権とアメリカ民主主義という空疎があるだけである。
 そんなものに国体をあずけられるものだろうか。
 憲法第二条にこうある。
「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」
 世襲は、かならずしも、男子相続(万世一系)を意味しない。
 皇室典範は国会議決(多数決)に左右される。
 これでは、皇位は風前の灯で、皇室の自然消滅をはかったGHQの思う壺である。
 帝国憲法の第一条には「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とある。
 井上毅の草案では「天皇之ヲ治ス所ナリ」とあって、こっちのほうが実際に即している。
 治(シラ)スというのは、ヨーロッパ的な統治とはちがい、存在することによって、自然に国が一つにまとまるという意味合いで、出典は日本書紀である。
 国体を活かすなら、憲法に「万世一系ノ天皇之ヲ治ス所ナリ」という意味の語句をいれなければならない。
 現行憲法にこれをうけいれる余地などあるだろうか。
 日本国憲法は、習慣や常識、現実主義を裏切る空想であって、いかに理屈をつけてみたところで、新しい憲法概念はうまれてこないのである。
 そこに、左翼やリベラル、日本共産党がこの憲法を支持する理由がある。
 国家主権や国体概念、習慣や常識、現実主義を断ち切ったこの憲法は、かれらの革命綱領にぴったりの代物なのである。
 次回は、自民党改憲案「天皇元首論」を批判しよう。
posted by office YM at 17:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする