2018年11月17日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」70

 ●天皇と憲法(3)
 権力は性悪説に立っている。
 法も同様で、憲法は、集団や組織、国家の悪までを監視している。
 一方、権威=天皇は善でである
 だからこそ国民は天皇を慕うのである。
 日本人の善良さや正直、親切が、現在、世界から称えられている。
 日本人は性善説なのである。
 性善説の根源をたどれば、天皇の善にゆきつく。
 天皇は、被災地におもむき、被災者の前でひざまずき、心から同情される。
 国民は、そのおすがたを見て、心にあたたかいものをおぼえる。
 天皇の善が、日本人の善の根源といってよい。
 悪と善が天下を分け合って、いわば、棲み分けている。
 日本では、権力や法、政治の性悪説と、天皇の善の二元論なのである。
 権力や法、政治という悪の概念(=性悪説)についてはよく知られる。
 権力は暴力、法は拘束力、政治は支配をともなうので、悪なのである。
 その極限が戦争で、戦争ほど罪深い権力悪はない。
 一方、天皇の善については、これといった定説も学説もない。
 天皇の善が、日本人のなかで、無意識化されているのである。
 それが国体というもので、歴史や伝統、民族性、文化などは、血肉化されていて、意識できないのである。。
 日本が、世界最古の伝統国家で、2千年以上にわたって、国体が維持されてきた最大の理由は、天皇の善性にあったといえよう。
 仁徳天皇(第16代)は、人家の竈から炊煙が立ち上っていないことに気がつき、租税を3年間免除し、その間、宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったという。
 天皇が善なのは、権力者ではないからである。
 その地位は世襲(万世一系)で、神話につながっている。
 民族は、共通の神話をもつことで、善を共有する同胞となるのである。
 一方、ヨーロッパの王は覇者で、権力の系譜にある。
 権力は悪なので、奪い、殺し、破壊する。
 それが、ヨーロッパの戦争で、第一次世界大戦では、戦死者が第二次大戦をこえる1600万人、戦傷者2000万人にたっした。
 第一次世界大戦には、とりたてて、これといった原因がなかった。
 ハンガリーの青年がオーストリアの皇太子を暗殺した事件によって、各国間の同盟網が一気に発動され、数週間のあいだで、主要列強すべてが世界大戦に参戦する体制が整った。
 権力は性悪説なので、殺し合いの連鎖にブレーキがきかないのである。
 かくして、20世紀の初旬、世界中の国家が、不毛な戦争へ突入していった。
 日本でも同じようなことがあった。
 15世紀の戦国時代である。
 応仁の乱から織田信長が天下統一に乗り出すまでの100年間、戦国武将が群雄割拠して、いつはてるとも知れない戦いに明け暮れた。
 終止符を打ったのが天皇だった。
 第106代正親町天皇が信長を立て、第107代後陽成天皇が秀吉を太閤に叙し、家康を征夷大将軍に任じて、戦国時代に終止符がうたれた。
 これが、権威と権力の二元論である。
 日本では、摂関政治から院政、武家政治にいたるまで、天皇の権威と政権の権力がバランスをとりあってきた。
 これを善と悪の二元論といいかえてもよい。
 天皇の権威が善で、政体の権力が悪である。
 政体というのは、国体の対義語で、政治や制度、法つまり権力である。
 権力は、権力抗争の覇者ではあるが、民を治める能力をそなえていない。
 いくさに勝ったというだけの武力集団に、民は、したがわないのである。
 一揆がそうで、信長は、長島や越前の一向一揆で、根切りという大量虐殺をおこなっている。
 それが権力の本質で、善などはかけらほどもないのである。
 その権力が幕府として、民を統治できるのは、天皇の認可をえるからである。
 権力は、天皇から官位(征夷大将軍)をさずかって、統治者(幕府)としての正統性をえる。
 悪である権力が、善である天皇の親任をえて、幕府になるのである。
 民が幕府にしたがい、徴税に応じるのは、背後に天皇がいるからである。
 権威(天皇)と権力(幕府)の二元論によって、国家は安定する。
 権威と権力の二元論が崩れたのが「承久の乱」や「建武の中興」だった。
 近代では「明治維新」があげられる。
 天皇が権力をもとめると、善が消滅して、悪になる。
 それが乱の構造≠ナ、権力悪が暴れだすのである。
「承久の乱」によって武士が台頭してきた百余年後、「建武の新政」がおこる。
 建武の新政の失敗後、南北朝の動乱や応仁の乱、戦国時代など乱の時代≠ェ数百年にわたってくりひろげられた。
 天皇の善が不在だったからである。
 次回は、権力が天皇を担いだ明治以降から昭和の軍国主義をみていこう。
posted by office YM at 11:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする