2019年07月31日

タテマエ政治から脱却せよB

 ●韓国は近くてもっとも遠い国
 和田春樹東京大学名誉教授ら、日本の知識人77人が、韓国にたいする輸出規制措置の中止をうったえて、署名運動を開始した。
 左翼反日の知識人グループが、安倍政権を攻撃するためにとびついたものであろうが、レベルが低くて、話にならない。
 声明に「韓国は敵なのか」とあって、みずからを「昨今の日韓関係の悪化を憂慮する有志」と名乗っている。
 そして、「日本の市民(国民ではない)に賛同をもとめる」とうったえている。
「韓国は敵なのか」という呼びかけについては、敵と断言するほかない。
 この期におよんでも、まだ、韓国を敵とみなすことができないのが、愚かな日本の平和ボケ、左翼反日インテリなのである。
 韓国の防衛費は、この十数年で急伸して43、2兆ウォン(約4兆1840億円)にたっした。
 3倍ほどあった日韓の軍事支出差は、いまや1・2倍で、GDPで比較すると、韓国2・6%、日本0・9%と逆に日本を圧倒している。
 韓国人の30%が原爆保有支持で、南北統一後、統一朝鮮が9番目の核保有国になることをかれらは心待ちにしているのである。
 南北の融和がすすみ、北朝鮮と韓国が戦火を交える可能性はなくなった。
 米軍が駐留している以上、韓国が軍事費を加速度的にふやす理由はない。
 にもかかわらず、韓国がハイペースで軍事予算をふやしているのは、唯一つ日本に対抗するためである。
 韓国海軍レーダー照射問題は、韓国の対日敵視政策を反映したもので、友好国であれば、日本EEZ(排他的経済水域)内で、射撃予告とうけとめられるレーザーの照射などするはずはない。
 和田春樹ら韓国を善意の隣国のようにいう知識人77人は、この署名運動でも、得意の論法をもちだす。
「日本と韓国の場合は、慎重な配慮が必要になります。かつて日本がこの国を侵略し、植民地支配をした歴史があるからです」というのである。
 ばかも休み休みいうもので、知識人を自称しながら、和田らは「乙巳五賊(いっしごぞく)」や「庚戌国賊(こうじゅつこくぞく)」という韓国の歴史用語を勉強していないのか。
 乙巳五賊は、日本による韓国の保護国化を定めた第二次日韓協約(1905年)に賛同した大韓帝国5名の閣僚で、庚戌国賊は、日韓併合条約締結(1910年)をすすめた8人の閣僚のことである。
 李完用(大韓帝国内閣総理大臣)ら12人の愛国的な政治家は、韓国の人名事典に李朝末期の売国奴としか書かれていないが、すぐれた政治家だったことは、日韓併合が、世界の最貧国だった朝鮮を、現在の韓国に発展させる原動力になったことからも明らかだろう。
 日韓併合が侵略だったのなら、韓国は被害者で、したがって、五賊も国賊も存在するはずはない。
 日韓併合が、国会議決をもって、韓国の閣僚が申請したものだったからこそ五賊だの国賊だのといって、騒ぐのではないか。
 日韓併合が日本の侵略だったというなら、まっさきに、五賊・国賊の名誉が回復されるべきだろう。
 そして、民族一体となって、わるいのは、侵略してきた日本で、われわれは被害者だったのだと主張すればよいのである。

 テレビで、しばしば、日韓併合の違法論や無効論が取りざたされる。
 村山談話や菅談話をひっぱりだしてきて、謝罪や賠償までいいだす輩もいる。
「乙巳五賊」「庚戌国賊」に並ぶ用語に「丁未七賊(ていびしちぞく)」という用語がある。
 ハーグ密使事件(1907年)の後、高宗(李氏朝鮮第26代国王)の退位に関与した七人の閣僚のことで、かれらが親日派・知日派(チニルパ)だったことから、韓国では、いまだに憎悪の対象となっている。
 ハーグ密使事件は、1907年、高宗がオランダのハーグで開催されていた万国平和会議に3人の密使を送って、大日本帝国に奪われていた外交権回復をうったえようとした事件である。
 だが、会議に出席していた列強は、大韓帝国の外交権が大日本帝国にあるとして、3人の密使の会議出席を拒絶した。
 当時は、帝国主義の時代で、世界の秩序は、国力によって定められていた。
 列強は、韓国が自主外交の能力を有していない負け犬の国と見限られていたのである。
 日本の軍艦が朝鮮半島の江華島で砲撃されて応戦した江華島事件(1875年)を契機にむすんだ江華島条約において、朝鮮が、清朝の冊封から独立した独立国であることが宣言された。
 日清戦争(1895年)の勝利による下関条約においても、第一条で、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることと明記された。
 日本にとって、朝鮮国の独立が、悲願だったのである。
 ところが、朝鮮国は、独立国家をつくる気などなどなかった。
 清国になびき、日清戦争後はロシアに接近して、ロシアは朝鮮半島に食指をうごかす始末だった。
 朝鮮国の独立をあきらめた日本は、日露戦争に勝利したのち、ソウルに統監府置き、李完用らの請願にもとづいて、韓国を併合した。
 植民地化する以外、韓国を再建して、極東の安全をまもる方法がなかったのである。
 これをみて、アメリカは、日本にフィリピン支配の許諾をもとめてきた。
 日本の韓国支配を容認する代わりに、アメリカのフィリピン支配をみとめろというもので、これが「桂・タフト協定」である。
 ロシアも日露戦争後のポーツマス条約によって、日本による韓国保護国化をみとめざるをえなかった。
 そもそも、1907年の万国平和会議では、主要47か国が韓国のうったえを退けている。
 当時、世界を支配していたのは、日英同盟・日露協約・英露協商・日仏協約など帝国主義列強による世界分割協定で、アフリカもアジアも、列強の支配にのみこまれていた。
 帝国主義という大局観・歴史観に立たなければ、当時の世界秩序を理解することはできないのである。
posted by office YM at 20:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする