2020年01月24日

伝統主義と民主主義C

四捨五入≠フ民主主義と弱者救済≠フ君民一体A
 ●ヨーロッパは家系純血、日本は皇統混血
 日本とヨーロッパでは、血統にたいする考えかたが異なる。
 日本は嫡子(長男)相続で、ヨーロッパは外戚(女系)をふくむ家系相続である。
 正嫡(正妻の子)以外の家督相続がみとめられなかったキリスト教国家では、女系をみとめなければ、家系が断絶してしまうのである。
 ヨーロッパでは、国家ができる前に、家系や門閥、閨閥でつながった家があって、各国王室も、国家ではなく、家や血縁でつながっている。
 女系をみとめるヨーロッパの王室は、家単位(国をまたいで)王位継承順位をきめなければ、血統の正統性をまもれないのである。
 女系も血筋が重んじられる家系相続では、社会的地位や財産をまもるため、近い血統同士の婚姻がくり返される。
 その結果、子孫が虚弱化して、一族が滅びてしまった例に神聖ローマ帝国のハプスブルク家がある。
 一方、男子が皇位を継ぐ日本の皇統混血型では、母系の家系は問われない。
 皇后は、皇族や五摂家の出身でも、男児を産むのは側室ばかりで、近親婚による天皇は、古代を別にして、歴史上、一人もおられない。
 過去400年間で、側室の子ではなかった天皇は、109代明正天皇、124代昭和天皇、上皇(125代明仁)、今上(126代徳仁)天皇の4方だけである。
 皇位継承は、神武天皇という大樹から宮家という枝が出て、どの枝も皇統である。
 それが、万世一系で、日本が2000年以上、国体を維持することができたのは男系の皇統承継だったからである。
 天皇の権威は、皇統男系のもとで、直系と傍系、親等の遠近にかかわりなく世襲される。
 一方、女系相続をみとめるヨーロッパの王権は、直系にして親等の近い順に相続される。
 天皇が、歴史的地位なのにたいして、王権は血縁的地位なのである。
 一部の日本人は、万世一系を女性差別と批判するが、一般女性が天皇の母親になられる日本は、女性差別ではなく、男性差別で、権力者は、道鏡や足利義満らの例外を除いて、権威に近づくことができなかった。
 ●伝統を根絶やしにした革命の時代
 権威のささえをもたないヨーロッパ王室が、神を後ろ盾にして、みずからを神格化したのが「王権神授説」だった。
 そして、王権神授説をふりまわす絶対王政(絶対主義)が、徐々に無軌道になってゆき、それが、市民革命の伏線になってゆく。
17世紀のイギリス革命(清教徒革命・名誉革命)や18世紀末のアメリカ独立革命、フランス革命に産業革命がむすびついて、民主主義をベースとする近代市民社会ができあがる。
 そして、その一方、エジプトや中国、インドからエチオピア、ギリシャ、イランにいたるまで、紀元前にうまれた国は、日本を除いて、すべて、革命の洗礼をうけて消えてしまう。
 歴史の古い国を順に挙げてゆくと、エジプト(紀元前3100年)を筆頭に中国(紀元前2000年)、インド(紀元前1500年)エチオピア(紀元前980年)、ギリシャ(紀元前800年)イラン(紀元前550年)となる。
 エジプトは、古代エジプト以後、ローマ帝国やイスラム王国、オスマン帝国の支配下におかれた世界最古の国だが、1919年のエジプト革命で保護国のイギリスから独立して、現在のエジプトとなった。
 民主主義の発祥地で、ヨーロッパ文明のルーツというべきギリシャも、古代ギリシャから、ローマ帝国やビザンチン帝国、オスマン帝国の支配下にあったのち、1821年のギリシャ革命で、現在のギリシャへうまれかわった。
 易姓革命の国、中国では、万里の長城をこえて、しばしば、周縁国や異民族(遼・金・元・清)の支配をうけたのち、辛亥革命で清朝を滅ぼしたのが1911年で、中華人民共和国の成立が1949年である。
 インドの独立は、その2年前の1947年で、それまで、イギリスの植民地支配にあえいでいた。
 エチオピアは、1974年、皇帝を廃位して、社会主義へと転換した。
 かつてのペルシャと呼ばれたイランも、建国は、1979年のイラン革命によるものだった。
 ●民主主義と君民一体
 伝統国家と革命国家のちがいは、権威が否定されたか否か、である。
 人々を力ずくで、屈服させようとするのが権力である。
 一方、人々が、敬意をもって、従おうとするのが権威である。
 ヨーロッパの王政が権力で、日本の皇室が権威だったのは、みてきたとおりだが、その対比を端的にしめしているのが、民主主義と君民一体である。
 民主主義は、軍事力と並ぶ権力で、君民一体は、文化にもとづく権威である。
 ルソーが古代ギリシャの民主主義(衆愚政治)をもちだしたのは、たかだか250年前のことである。
 人類は、それまで、数千年にわたって、延々と、文化・文明の歴史を築き上げてきた。
 その歴史を断ち切ったのが革命で、そのスローガンとなったのが、ルソーの民主主義だった。
 そのルソーが君民一体を称えている。
「君民共治がこの世に存在するはずもないので、わたしは、やむをえず、民主主義をえらぶ」(『社会契約論』)
 ルソーは、日本の君民一体(共治)を知らなかったのである。
 日本は、先進国のなかで、唯一、革命を経験していない伝統国家である。
 その歴史を忘れて、無批判的に、民主主義にとびついたのが現在の日本である。
 次回は、憲法における民主主義と国民主権をみてゆこう。


posted by office YM at 10:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする