2020年03月30日

右翼とはなにか、左翼とはなにかA

 ●政体をまもる反共右翼、国体をまもる伝統右翼
 かつて、森喜朗の「神の国」発言が世間を騒がせた。
「神の国」が現人神$_話を連想させたのであろう。
 2000年5月、森喜朗首相の「日本は天皇が中心の神の国」という発言に共産党や社民党、民主党ばかりか、与党の公明党までが猛反発して、森内閣は、解散に追いこまれた。
 このとき、朝日・毎日を筆頭に産経をふくめた新聞マスコミが「国民主権や政教分離に違反する」「戦前の軍国主義を思いおこさせる」と大キャンペーンを張った。
 森首相は記者会見で「(天皇中心の神の国は)日本の悠久の歴史と伝統文化という意味で申し上げており、戦後の主権在民となんら矛盾しない」と弁明した。
 だが、その記者会見で「神は天照大神でも日蓮でも、お釈迦さまでもキリストでもよい。じぶんが信じる神仏でよい」と口を滑らせて、馬脚をあらわした。
 このとき、森が「神々の国」といっていれば、大きな騒ぎにはならなかった。
 神々の国なら、多神教で、日本の国情に合致するからである。
 ところが、森のいう神は、お釈迦さまでもキリストでもよいという一神教の神で、日本古来の八百万の神々ではなかった。
 明治憲法下、政府や軍部は、天皇を現人神≠ノまつりあげて、帝国主義と戦争政策のシンボルとした。
 現人神は、明治政府がつくりあげた一神教的な偶像で、日本本来の多神教の神格ではなかった。
 天皇ファシズムは、軍部による天皇の政治利用で、これに国民も騙された。
 神の国発言に世論が拒絶反応をしめしたのは、天皇の政治利用という歴史的悪夢を忘れていなかったからであろう。

 日本文明と西洋文明のちがいは、一神教か多神教かのちがいである。
 一神教の西洋は、正しいものが一つしかない不寛容な一元論である。
 正しいものが一つしかないので、そこから、抗争の論理がうまれる。
 それが権力で、右翼と左翼は、どちらかが滅びるまで争う。
 ヨーロッパの近代は、革命と戦争の時代で、その結果、伝統国家が、すべて消えてしまった。
 革命と戦争の時代が終わって、民主主義の時代がやってきた。
 そして、自由主義国家と全体主義国家がにらみあう構造がうまれた。
 自由主義が資本主義で、全体主義が共産主義なのはいうまでもない。
 右翼と左翼にわかれた権力構造が、2つの体制をつくったのである。
 西側陣営が自由民主主義、東側陣営が人民民主主義で、ルーツは、いずれもルソーが古代ギリシャからパクッた民主主義である。
 民主主義は、ただの政治手法で、秩序や法則、徳性をしめすものではない。
 もともと、武力の代替で、物事を、大勢の人間が死ぬ武力衝突ではなく、死人がでない多数決できめようというのである。
 その多数決を議会にゆだねるのが自由民主主義で、独裁者が人民からこれをあずかるのが、人民民主主義である。
 このとき、民主主義を巡って争いがうまれるのは、右翼と左翼は、宿命的な立関係にあるからで、その典型が米ソ冷戦構造だった。
 そこから派生したのが左翼(共産主義)と右翼(資本主義)の抗争である。
 右翼=保守が、反共主義を掲げたのは、共産革命を防ぐためだった。
 それが反共右翼で、大川周明や北一輝らの国家社会主義も反共・尊皇だった。
 かつて、右翼は、反共の尖兵として、権力に利用されてきた。
 60年安保が、その代表的ケースで、暴力団まで、右翼陣営にくわわった。
 だが、ソ連邦の崩壊などで、革命の危機が去って、反共という旗印が効力を失った。
 反共は、政治イデオロギーで、もともと、歴史や民族、文化から切り離されている。
 権力も反共右翼をまもる気などさらさらなかった。
 すがたを消したのは、反共右翼だけではなかった。
 暴力革命をめざした極左も消滅した。
 権力をもとめたからで、極左どころか、日本共産党さえ、国家権力からマークされる存在なのである。

 多神教の日本は、すべてが共存できる寛容の多元論である。
 一元的な権力は左翼と右翼に分裂して、いがみあう。
 ところが、二元論の権威と権力は互いに補完しあう。
 戦後の日本人は、民主主義をあたりまえと思っているが、民主主義は権力の体系で、有徳性や文化性のないただの多数決である。
 日本は、多数決万能の革命国家ではなく、伝統国家である。
 したがって、多数決より、秩序や道徳、習慣やしきたりを重くみる。
 これを保守主義というならば、右翼は、生粋の保守思想家で、国体や文化の防衛者、天皇の防人なのである。
 室町から戦国時代にかかて、権力(戦国大名)が覇権を争ったのは、権威(朝廷)が不在だったからだった。
 戦国時代に幕が下りたのは、織田信長が正親町天皇とむすんで、朝廷の権威を復活させたからである。
 日本の右翼は、反共や国家社会主義だけではない。
 国体護持という別の系統があって、むしろ、こっちのほうが本流である。
 楠木正成や北畠親房、あるいは、西郷隆盛や頭山満、内田良平らが心をむけたのは、皇道思想や伝統主義、日本主義という別の系譜である。
 次回は、国体の守護者としての伝統右翼をみていこう。
posted by office YM at 11:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする