2020年04月12日

右翼とはなにか、左翼とはなにかC

 ●一元論の罠に落ちた日本人
 個と全体は矛盾する。
 国権と人権、国家理性と国民感情、国家と国民の利害も、一致しない。
 そもそも、共同体の国と単体の個人は、折り合いがよくないのである。
 ゴミ処理場をつくれといいながら、近隣につくるのは絶対反対という。
 政治問題とは、結局、社会全体に噴き出した個と全体の矛盾だったのである。
 したがって、政治は、二元論に立って、個と全体、国民と国家双方の利害を調整する手法や哲学でなければならない。
 大昔から、個と全体の矛盾を解消しようと、人類は、苦労を重ねてきた。
 だが、絶対王政も共和制も、独裁も共産主義もうまくいかなかった。
 アナーキズム(無政府主義)もユートピア思想も実現しなかった。
 自由や平等、人権は、国家が請け負うもので、ジャングルで、一人、自由や平等、人権を叫んでも、飢えて死ぬか、獣に食われるだけである。
 だが、日本国憲法には、自由や平等、人権が、天からあたえられたかのように書いてある。
 護憲派は夢でもみているようなユートピアン(平和バカ)だったのである。
 大戦後、大統領制(米)と共産主義(ソ)、議会民主主義(英・仏)が正義となった。
 しかし、冷戦後、ソ連邦と東欧共産圏が体制崩壊をおこした。
 そして、現在、奇跡的にも、伝統国家の日本が復活して、民主主義国家と肩を並べている。
 日本の君民一体が、民主主義以上にすぐれた体制だったからである。
 第二次世界大戦は、全体主義と民主主義の戦争だったといわれる。
 けれども、戦争になれば、民主主義国家も全体主義へと変貌する。
 個人主義に立った自由や平等、人権は、民主主義といわれる。
 その一方、全体主義の人民独裁や共産主義も、民主主義である。
 独裁者が、民主主義(国民主権)をあずかるのが人民独裁で、中国は中華人民共和国、北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国を名乗っている。
 民主主義というのは、個と全体、全体主義と個人主義、弱者と強者を二股にかけたヌエのような存在なのである。

 国民主権を謳った憲法の第1条に「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意にもとづく」とあって、憲法の民主主義の精神が、一転して、全体主義になっている。
 それが、民主主義の正体で、ヒトラーもスターリンも、多数派原理を最大限に利用した。
 日本人は、民主主義が人類最高の英知であるかのようにいうが、文化も哲学もないただの多数決で、いつ全体主義に変容するか、わかったものではない。
 大事なのは、民主主義ではなく、個と全体を調整する二元論のほうである。
 民主主義が最終的に勝利した(フランシス・フクヤマ「 歴史の終わり」)のは、まがりなりにも、民主主義が個(国民)と全体(国家)の両方へ目配りができていたからである。
 だが、日本の民主主義崇拝者は、個と全体のうち個のほうだけしか見ない。
 そして、全体である国家や政府を否定、攻撃して、民主主義の擁護者のような顔をしている。
 民主主義が、個と全体の両方を見据えていることを忘れているのである。
 民主主義が「個と全体の二元論」と喝破したのが政治学の藤原弘達だった。
 ちなみに、藤原先生には、わたしが主催した国民討論会などをとおしてご指導をいただき、それがのちに自著(「池田創価学会の政権掠奪を斬る」(日新報道)に反映された。
(ブログ/悲天/わが青春譜Fに詳細)

 わが国の政治、とりわけ野党政治がいつまでも成熟しないのは、民主主義の幻想にとりつかれているからで、60年安保は「民主主義をまもれ」「岸を倒せ」そして、今世紀最大の国難「新型コロナウイルス禍」でも、挙国一致体制どころか、野党からマスコミ、論者まで、政府批判に血眼になっている。
 安倍政権は、108兆円の緊急経済対策予算と1世帯あたり30万円の現金給付などを盛り込んだ緊急国民救済策を打ち出した。
 それが、国家の仕事で、全体を見据えて、マクロ的な政策をうちだす。
 これにたいして舛添要一(元東京都知事)や東国原英夫(元宮崎県知事)らTVタレント化している元政治家や論客顔のキャスターや芸能人が口を極めて政府を罵倒する。
「庶民の気持ちが分かっていない」というのだが、これみよがしに政府攻撃をくりひろげ、庶民の不安を煽って、じぶんの人気を上げようという魂胆がみえみえである。
 コロナ禍を心配するなら、医療崩壊が一番の懸念材料だが、TV出演者らは「PCR検査をサボっている日本は世界の恥」などと言い募り、調査と称して官費で「出会い系バー」に入り浸っていた前川喜平前文科次官(加計学園問題を巡る「総理のご意向文書」)などは「実際は公表の100倍」といいふらしている。
 PCR検査をむやみにおこなうと、8割以上が自然治癒するコロナウイルスの患者が病院に殺到して、重症患者を選別的に治療している現在の医療体制が崩壊して、イタリアの二の舞になる。
 だが、かれらは、個を見て全体をみないので、そんなこと意に介さない。
 個や国民の側から全体や国家の側を見れば、不条理の塊のようにみえる。
 それが、一元論で、万人が完全な自由や平等をもとめると、アナーキズム(無政府主義)となって、社会は、崩壊する。
 日本人は、民主主義だから公正というが、民主主義も、勝者が一つで、他はすべて切り捨てられる一元論である。
 左翼やマスコミ人は、いざしらず、大方の日本人は、個と全体、国民と国家の両方へ目配りができる善良な二元論、多元論者である。
 それが、歴史や伝統、文化や良識をたずさえた伝統国家の民族性である。
 一方的な立場から、不平や不満、怒りを煽って、点数稼ぎをするマスコミ文化人の尻馬にのって、日本を滅ぼしてはならない。
 次回から「新型コロナウイルス禍」にどうたちむかってゆくか論じよう。


posted by office YM at 15:05| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする