2020年08月07日

 コロナ後の世界展望と民主主義B

 ●民主主義を国家精神≠ノしてしまった戦後日本
 今回の世界的なコロナ禍で、改めて問われたのは、民主主義の真価だった。
 民主主義の先進国であるアメリカやヨーロッパなどでパンデミック(大規模流行)が発生したのにたいして、中国や台湾、韓国やベトナムなど国家権力がつよい国では、ある程度、コロナウイルスがおさえこまれた。
 コロナ防衛は、民主主義と全体主義のたたかいでもあって三密≠フ回避やマスク着用、ソーシャルディスタンスは、民主主義や個人主義と折り合わない全体主義にもとづいた政策であった。
 したがって、欧米では、外出禁止令などにたいする反対デモが頻発した。
 全体主義は、当然、強制をともなうので、中国や韓国、台湾の罰則のきびしさは、語り草になったほどだった。
 欧米で、全体主義が反発を買うのは、民主主義ではなく、個人主義の風潮がつよいからで、パンデミックに突入しても、マスク着用は半数にみたなかった。
 日本で、マスク着用やハンドウオッシュが徹底したのは、清潔好きの国民性のたまものであろうが、一方、国内からも海外からも不評だったのが、政治的な指導力の欠如である。
 日本政府が強権を発動しないのは、発動すれば、野党やマスコミから非民主的と叩かれる可能性があったからで、事実、60年安保では、全野党・全マスコミが「反安保」ではなく「民主主義をまもれ」と叫んだものである。
 だが、政府・自民党が、コロナ対策に強権をうちださない理由は、それだけではない。
 民主主義を善≠ニとらえ、強制力をともなう全体主義を悪≠ニ見立てる価値観に立っているからである。
 したがって、国家主権や国家理性をふまえた命令″痩ニ的な決断力を下せないのである。

 コロナ後の世界展望において、民主主義を最良の政治手段としてきた時代は終わりを告げたとみてよい。
 コロナ以後、多数決で物事をきめるような情勢ではなくなる。
 今後、世界は、強力なリーダーシップの下で、全体主義的な方向をたどってゆくはずである。
 さて、政治とは、個(個人)と全体(国家)の矛盾を調整する手段である。
「個と全体の矛盾」は、プラトンの大昔から、人々が頭を悩ましてきた大きな問題だった。
 プラトンは、聡明な、たとえば哲学者による独裁を考えたが、全体の利益に奉仕する思想家も権力者も、ついに、あらわれなかった。
 人間が愚かというより、個と全体の矛盾は、こえられない壁として、人類の前に立ちはだかってきたのである。
 そして、近代になって、民主主義が、「独裁よりマシ(チャーチル)」という理由から、政治手段や人民支配の便法としてもちいられることになった。
 日本人には、戦後、GHQがもちこんだ「アメリカ民主主義」の印象がつよいだろう。
 当時、日教組やマスコミ、インテリらは、喜々として、「日本は民主主義の国にうまれかわりました」と叫んだものである。
 だが、かれらは、民主主義が全体主義であることには気づかなかった。
 多数派独裁が、全体主義であることは、すこし考えればわかるだろう。
 49パーセントの少数派を断ち切って、どうして、民主になるのか。
 左翼の宣伝屋は、民主主義は個を大事にするというが、ウソである。
 左翼が大事にするのは、多数派で、レーニンが率いたボリシェビキ党のボリシェビキは、多数派という意味である。
 ヒトラーは、民主主義を利用して独裁体制を打ち立て、人民を虫けらのようにあつかう北朝鮮は、国名に民主主義を謳っている。
 啓蒙思想の一つであるルソーの民主主義は、古代ギリシャの衆愚政治を揶揄したことばで、それがフランス革命の精神になったのは、革命も、衆愚政治の一つだったからである。

 そのルソーも、民主主義が個人のものなどとは、一言もいっていない。
 国民総体の意志(一般意志)が、最高にして絶対の権力(人民主権)となるという内容が革命権とうけとめられただけである。
 ルソーの国民は、一般化された国民で、日本人一億まとめて国民である。
 憲法の国民主権も、国民一般の主権で、一人ひとりの日本人に主権があるといっているわけではない。
 ところが、大方の日本人は、ひとり一人の日本人が主権をもっているように思っている。
 主権は、ソブリンティ(君主権/国権)のことである。
 ソブリンティには、徴兵して戦争をおこす権利、国民を逮捕して、処刑する権利までがふくまれる。
 国民ひとり一人がそんな主権をもっているはずはない。
 もっているというなら、個人が交戦権をもち、他人を処刑する権利をもっているというようなもので、これでは、ホッブスの「万人の戦争」どころの話ではない。
 保守系をふくめて、多くの政治家が、民主主義がなにかりっぱな思想であるかのような錯覚に陥っている。
 そして、民主を優先させて、国益をないがしろにする。
 国民にマスクを支給するのが、民主主義的な政治家のように思っているようだが、国民が首相に望んでいるのは、マスクなどではなく、コロナ防衛という国益に立ったつよいリーダーシップである。
 旅行業界のドン、二階幹事長は「GO-TOキャンペーン」を強引にすすめて受託業者から4200万円以上の献金をうけている。
 国家や国益という大道から外れると、結局、私利私欲の罠に落ちるのである。
 二階は、女系天皇容認の弁に「民主主義、男女同権の世の中に」と口走った。
 民主主義を語る者には、国家や国体、歴史や伝統、国益や国家理性の認識がぽっかりと欠落しているのである。
posted by office YM at 12:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする