2020年10月26日

 反官僚の菅政権に期待するE

 ●安倍からひきついだ「戦後レジームからの脱却」
 日本学術会議の任命拒否問題で、野党やマスコミら、日本中の左翼が一斉に菅首相かみついたが、ネットを中心に、日本学術会議批判が沸騰して、これを第二の森友、加計問題にしようともくろんだ左翼陣営の思惑はもののみごとに外れた。
 防衛庁には協力しないが、中国科学技術協会とは手をむすぶという日本学術会議の売国奴ぶりが日本人の逆鱗にふれたわけだが、任命拒否が学問の自由を奪うという言いがかりには、多くの国民が呆れはてた。
 昭和天皇の肖像を燃やしてふみつける行為を表現の自由とする「あいちトリエンナーレ」騒動で、主催者の大村秀章愛知県知事にたいしてリコール運動がおきているように、ネット時代になって「表現の自由」「学問の自由」といえばなんでもとおった古き啓蒙主義はすがたを消しつつある。
 菅政権は、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」もひきついでいる。
 これは「YP体制」やGHQ占領下でつくられた戦後体制からの脱却だけを意味しない。
アメリカ民主主義≠わがものとして、戦後日本に君臨してきた左翼やマスコミ、上級国民(高学歴者・高級官僚)のやりたい放題にくさびをうちこもうというのである。
 日本学術会議の任命拒否は、そののろしで、菅首相は、はじめから同会議をつぶすハラだったである。
 戦後のGHQ革命によって、日本の国是が、歴史や文化、民族性にもとづく習慣や習俗、常識や社会通念、日本特有の道理や人情などから、アメリカ民主主義へきりかわった。
 そして、民主主義や自由平等、基本的人権、平和主義が、戦後日本の唯一のルールとなった。

 民主主義と、一概にいっても、イギリス(議会民主主義)とアメリカ(国家民主主義)、フランス(人権民主主義)、ロシア(人民民主主義)では、内容がそれぞれ異なる。
 1688年のイギリス名誉革命は、ホッブズの社会契約説にもとづいたもので、自然状態では「万人の戦争」がおきるため、強固な国家をつくりあげるとする考え方である。
 ところが、その百年後、詭弁家ルソーは「自然に還れ」とホッブズと反対の社会契約説を唱えた。自然状態こそが自由と平等、平和が約束された理想的状態というのである。
 こうして、古代ギリシャでうまれ、衆愚政治として捨てられた民主主義がゾンビのようによみがえってきて、フランス革命(1789年)の根本思想となった。
 その10年以上前にアメリカ革命(独立宣言/1776年)がおきている。
 アメリカ革命の思想的支柱は、革命権をそなえたロックの社会契約説である。
 マルクス主義も、一種の社会契約説なので、革命国家は、すべて、社会契約説と民主主義をとったことになる。
 一方、伝統国家は、国体(権威=文化)と政体(権力)の二元論である。
 歴史や天皇、文化など権威の体系が国体で、統治や外交、防衛などの権力の体系が政体である。
 社会契約説が、国体にあたるもので、いわば、国家の原理である。
 そして、伝統国家においても、民主主義が、政治手法として政体にとりいれられてきた。

 ところが、戦後日本では、左翼が、政治手法にすぎない民主主義を、国体と政体の両方にもちこんで、日本の政治をマヒ状態に陥れてきた。
 天皇を憲法上の存在とするのは、権威と権力の混同で、国体を危機に陥れる。
 万世一系の皇位継承に男女平等≠もちこむのは、天皇の否定につながる。
 伝統のうえになりたっている国体が、憲法と民主主義によって危うくされているのである。
 一方、政体は、国家や国民のために、国家権力を行使する機関だが、野党やマスコミら左翼は、民主主義を立てて、これを妨害してきた。
 野党やマスコミは、この数年、民主主義の根幹にかかわる重要な問題をはらむとして、森友、加計、桜を見る会の説明責任をもとめつづけ、政府になにも仕事をさせてこなかった。
 そして、政府をマヒ状態に追いこむのも野党の重要な仕事とうそぶいた。
 長年、政権をささえてきた菅首相は、左翼のそのいやらしさをいやといほど知っている。
 菅首相が「戦後レジームからの脱却」の標的においているのは、日本という国家をさんざん食い物にして、害ってきたマスコミと反日左翼であろう。
 日本学術会議の任命拒否は、その宣戦布告で、菅首相はやる気なのである。
 日本には、主権国家としてあるべき重大なものを3つ欠いている。
 国家主権と国家機密、そして、国家防衛である。
 いずれも、マスコミや野党、左翼が民主主義を立てて、反対・妨害してきた重大な政治案件である。
 次回以降、菅政権がとりくむべき政策を一つひとつ検証してゆく。
posted by office YM at 10:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする