2021年02月15日

 天皇と民主主義 その4

 ●西洋「500年の抵抗史」と民主主義 
「二重革命」なることばがある。フランス革命とイギリスの産業革命を一連の動きとしてとらえたもので、これにアメリカ革命をくわえて「大西洋革命」という呼び方もある。
 この大西洋革命に連動したのが日本の明治維新である。以下、時系列を示す。

 1775〜1783年/アメリカ革命(アメリカ独立宣言)
 1789〜1794年/フランス革命(フランス人権宣言)
 1807年/フルトン(アメリカ)が蒸気船を発明
 1830年/スティーヴンソン(イギリス)が蒸気機関車を実用化
 1853年/ペリー来航
 1858年/大政奉還・日米修好通商条約の締結
 1867年/パリ万国博覧会に日本が参加(参加国42国)
 1868年/戊辰戦争・五箇条の御誓文
 1872年/日本で鉄道敷設(1890年までに線路の総延長2250km)
 1880年/日本の主要都市で電信連絡網完成
 1889年/大日本帝国憲法公布


 フランス革命から明治維新までちょうど百年で、このかんに市民革命と産業革命、そして、極東日本の明治維新と近代化が同時進行した。
 蒸気船ができて50年もたたないうちに、ペリーが、その蒸気船(黒船)を率いて浦賀に来航。西洋で蒸気機関車が実用化された60年後、日本で鉄道の敷設総距離が2250kmにたっした。 
 日本は、開国後、半世紀おくれて、ヨーロッパの産業革命をとりいれたことになるが、これは、絶好のタイミングだったといえる。
 というのは、産業革命以前のヨーロッパから学ぶべきものはなにもなかったからで、文明や文化、民度のいずれも、日本のほうが上だった。
 一方、産業革命のあとでは、近代化した欧米から武力侵略をうける可能性があった。
 げんに、日英同盟(1902年)の直後、モロッコ事件など、ヨーロッパ列強による市場争奪戦がひきがねになって、第一次世界大戦(1914年)がおきている。

 西洋の近代は、フランス革命から一世紀もさかのぼるイギリスの清教徒革命(1642年)と名誉革命(1688年)にはじまる。
 フランス革命では、ルイ16世が王妃のマリ=アントワネットとともに処刑されたが、イギリスのピューリタン革命でもチャールズ1世が処刑されている。
 英仏とも王政復古して、イギリスは立憲君主制、フランスは共和政へ移ったが、ともに、歴史の連続性を断ち切った革命国家だったことは、否定できない。
 ここで、英仏と日本のさかさまの構図≠ェうきあがってくる。
 英仏が、絶対王政を倒して、民主主義をとったのにたいして、日本は、幕藩体制を捨てて、絶対天皇をとったのである。
 権力の政治利用だったにしろ、権威だった天皇が、突如、統治権を総攬して統帥権をもつ権力者として登場してきた。
 絶対王政やキリスト教会の強権を打破して、個人や自由、平等という価値を手に入れたヨーロッパにたいして、日本は「君民共治」という理想的な政治を捨てて、天皇制ファシズムという全体主義へむかったのである。

 戦後、左翼やリベラルは、民主主義を、人類が最後にたどりついた理想的な政治形態、文化様式であるかのように吹聴してきた。
 そして「日本人は民主主義をわかっていない」とこきおろしてきた。
 だが、西洋人も、民主主義を「ファシズムよりはマシ」(チャーチル)ほどの認識しかもっていない。
 それでは、なぜ、西洋人は、民主主義を必死にまもろうとするのであろうか。
 それには、ルネサンスから宗教改革、啓蒙時代へいたるヨーロッパ500年の歴史に目をむけなければならない。
 絶対王政とローマ教皇庁の強権下にあった「暗黒の中世」において、家畜のようなあつかいをうけていた民衆が、人間としての生き方や自由をもとめたのが、14〜16世紀のルネサンスだった。
 これに宗教改革がからんで、当時、多くの人命が失われた。「30年戦争」の犠牲者は、ドイツだけでも800万人にもおよび、ペストの流行とあいまってヨーロッパの人口は減少へむかったほどだった。
 17〜18世紀の啓蒙時代は、聖書や神学から、ヒューマニズムや理性へとむかう近代の入口であったが、ここでも、宗教の迷妄から逃れようとする多くの先進的な人々が異端裁判によって虐殺された。
 そして、500年にもわたる抵抗の末に、市民革命がおきて、ヨーロッパの人々は、権力の奴隷や神のしもべから、ようやく、人間となった。
 その象徴が、革命のスローガンとなった民主主義だった。

 民主主義は、多数決の原理と「普通選挙法」以外のなにものでもない。
 そう問うと、西洋人は「われわれが500年をかけてもとめてきたのは民衆(デモス)の力(クラトス)だった」と答えるだろう。
 民衆の暴力(デモス クラトス)が民主主義(デモクラシー)の語源である。
 民主主義の思想がすぐれていたのではなく、絶対権力を倒すには民衆の暴力≠ノ頼るほかなかったのである。
 クラトスという暴力が多数決へにおきかえられて、王を処刑するクラトスが実行に移された。
 クラトスは、正義ではなく、強さや力、勝利や暴力をさすことばである。
 日本人は、民主主義が唯一の希望となるような暗黒の歴史をもっていない。
 それでいながら、民主主義をもちあげるのは、公正や正義という意味を嗅ぎとっているのであろう。
 だが、民主主義に、そんな意味合いはまったくない。
 左翼は、日本が戦争に負けて、戦後、アメリカから民主主義がはいってのである。
 次回は、左翼リベラルと民主主義の関係についてさらに考えてみよう。


posted by office YM at 07:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする