2021年03月08日

 天皇と民主主義 その7

 ●岩倉具視の謀略と公武合体論
 左翼は、明治維新が西洋の市民革命にあたるというが、当のイギリスやフランス、ロシアやアメリカで、はたして、その市民革命がおきたのだろうか?
 イギリス革命は、国王チャールズ1世を処刑した後、クロムウェルの独裁となって、王政復古後、ジェームズ2世を追放して、オランダから王妃と新王を迎えいれた。
 フランス革命は、国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネット、その子らを処刑したロベスピエールの恐怖政治をへて、ナポレオンの軍事政権へ移っていった。
 ロシア革命は、ロマノフ王朝一族を処刑したのち、レーニンとスターリンの専制となって、粛清政治がおこなわれた。
 アメリカ革命は、ヨーロッパとりわけフランスの支援をえて、米大陸の13植民地が英国軍を破った事実上の全欧州による反英戦争にすぎなかった。
 これら政変の、どこで、市民が政治権力をにぎったろう?
 あったのは、権力の移動だけで、王権神授説にもとづいた君主権を否定した新しい権力が、人民代表を自称したにすぎない。
 革命政権が名乗ったのが民主主義≠ナ、伝統に代えて、人民の支持を権力の正統性としたのである。
 とりわけ、王政復古や独裁政治がなかったアメリカでは、民主主義を唯一の国家の背骨にすえなければならなかった。
 イギリスは議会、フランスは人権、ロシアはボリシェビキ(多数派)独裁を王権神授説に代わる政治の原理としたように、アメリカは、民主主義を国家の根幹としたのである。
 日本が憲法の国民主権を筆頭に、民主主義一辺倒なのは、戦後、アメリカの被占領国となったからで、右陣営の一部でさえ、憲法や民主主義を、第二の国体と心得ている者もいる。

 明治維新は、市民革命どころが、薩長土肥によるクーデターだった。
 暗躍したのが身分の低い公家ながら、孝明天皇の侍従に出世した岩倉具視と薩摩藩主島津久光の側近で、公武合体策をすすめた大久保利通だった。
 明治維新の核心は、岩倉と大久保がすすめた「大政奉還」と「王政復古」にあったのはいうまでもない。戊辰戦争以下、西南の役に至るまで、薩長の暴走もしくは怨恨で、維新の精神とは無縁の政争でしかなかった。
 明治維新のプランナーは、岩倉具視で、それにのせられたのが大久保や西郷隆盛だった。西郷は、西南の役で自刃する前に、徳川慶喜にすまぬことをしたと呟いたという。
 大久保や西郷が奔走したのは、薩摩藩の藩士として、藩主の島津斉彬の尊王攘夷や島津久光の公武合体論をささえる立場にあったからだった。
 尊王攘夷の尊王は、天皇を敬い、攘夷は、開国をもとめる外国を撃退しようとする思想である。
 ところが、その急先鋒だった薩摩と長州は、薩英戦争や下関戦争で外国船とたたかうものの、大砲の威力にちがいで圧倒される。
 すると、薩長は、あろうことか、尊王攘夷を捨てて、開国・倒幕へと方針を転換させる。
 だが、徳川は、すでに、大政奉還をきめていて、内乱の要素などなかった。
 このとき、岩倉は、徳川慶喜に大政奉還させ、しかるのちに、薩長に官軍を名乗らせて、幕藩体制をつぶそうという悪知恵をはたらかせる。
「公武合体」の立場をとっていた岩倉は、和宮親子内親王(孝明天皇の妹君)の14代将軍徳川家茂への降嫁を取り仕切って、これが、大政奉還の下敷きとなった。

 公武合体論は、欧米議会をモデルに、諸侯や有能な藩士を議員とする議会を中心とする画期的な国家構想で、坂本龍馬の「船中八策」や西周の「議題草案」津田真道の「日本国総制度」などもこれをとりいれ、当時、もっとも具体的な政権構想であった。
 徳川慶喜が大政奉還したのは、この新体制の「大君」の位置につけるという見通しがあったからで、大政奉還したその日に、岩倉具視が、薩長に「倒幕の密勅」を送りつけるとは夢にも思っていなかった。
 ところが、岩倉は、慶喜を騙したあと、公武合体論を返上して、戊辰戦争を工作する。そして、ヨーロッパの王権神授説を借りてきて、現人神による独裁国家を画策する。
 日本は、ゆたかな歴史や文化、伝統をもった武士の国から、国民皆兵の天皇の国となって、第二次大戦が終わるまで、この体制が維持される。
 岩倉具視の罪状を列挙すると以下である。
 
 1、大政奉還の工作と「倒幕の密勅」を偽造
 2、公武合体論の廃棄と討幕謀略
 3、「官軍」と」「錦の御旗」の偽造
 4、江戸城攻撃と戊辰戦争の工作
 5、天皇を国家元首とする国体の破壊
 6、辞官納地や秩禄処分などで不平士族の乱を招いた


 イギリス革命にはクロムウェル、フランス革命にはロベスピエール、ロシア革命にはレーニンやスターリンという悪役が登場したが、明治維新で登場したのは岩倉具視という悪で、岩倉には、孝明天皇や坂本龍馬の暗殺という容疑もかかっている。
 明治維新がブルジョア革命だったという左翼の言い分はとんでもない戯言だったのである。
posted by office YM at 11:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする