●国防意識と危機管理
日本には、もともと、保守主義という思想も、右翼という政治勢力も、存在しなかった。
クニをまもることが政治だったからで、日本では、クニの象徴である天皇の権威が2000年の長きにわたってまもられてきた。
その意味で、日本の政治は、保守思想そのもので、とりたてて、保守主義とあげつらうまでもないのである。
日本に、古くから、国をまもるという概念があったのは、建国神話(大国主神の国譲りや天孫降臨)によって、国体観念ができていたからである。
インドなど列強の侵略をうけたアジアは、王族や領主らが領有する地域でしかなく、国家の体裁をととのえていなかったばかりか、国家という概念すらできていなかった。
白村江の戦い(663年)で、日本・百済軍は、唐・新羅に敗れた。
唐・新羅軍による日本侵攻の危機感を深めた天智天皇は、対馬や九州北部の大宰府、瀬戸内海沿いの西日本の各地に防衛網を構築して、防人(防衛軍)を配備した。さらに、四年後、天智天皇は、都を難波から内陸の近江京へ移して防衛体制を完成させた。
二度におよんだ蒙古襲来では、鎌倉幕府の執権、北条時宗が武士団を率いて蒙古軍と激戦をくりひろげ、内陸への侵攻をくいとめた(文永の役1274年/弘安の役1281年)。
二度の蒙古襲来を撃退した時宗は、心労が重なって32歳の若さで死亡するが、博多湾岸にいまに残る石塁を構築するなど、国防を強化して、鎌倉幕府の支配権を拡大、挙国体制をつくりあげる大きな功績を残した。
国家防衛は、最大級の危機管理で、日本の危機管理能力の高さは、天智天皇や北条時宗の歴史上の事跡からも十分うかがえるのである。
ところが、現在、日本は、国家防衛が悪となるような平和主義の下で、危機管理能力をはなはだしく劣化させている。
世界が、民主主義と国家主義を両立させているのにたいして、日本は、国家を、民主主義と敵対するものととらえているのである。
新型コロナウイルスの世界的大流行によって、その民主主義神話≠ェゆらぎはじめている。
民主主義の国、アメリカや欧州各国で、パンディミックがおきる一方、欧米型の民主主義がとりいれられていない中国が、唯一、新型コロナの封じ込めに成功したからである。
だからといって、民主主義にたいして、悲観的になる必要はすこしもない。近代において、民主主義は、絶対的だからで、欧米でも、マスク着用やロックダウンに反対するデモはあっても、政府の対応が手ぬるいという批判はほとんど聞かれない。イギリスでは、サッカー欧州選手権の応援で、6000人以上の観客が感染したが、イギリス政府には打つ手がなかった。
民主主義や「個人の自由」は、近代の前提条件で、他のものと代替えがきかないのである。
世界の国々は、個人の自由を侵害することなく、国民を、新型コロナウイルスから防衛するという困難な戦略を迫られている。
それには、通常の医療体制を、危機管理型にきりかえなければならない。
危機管理型というのは、戦時態勢のことで、コロナ防衛は戦争なのである。
中国が、新型コロナウイルスの制圧に成功したのは、コロナウイルスを目に見えない敵と見立てて、臨戦体制を敷いたからで、中国の武漢で、わずか数週間で、続々と巨大な入院治療施設を完成させたことはよく知られている。
日本と比較して、感染者数が30倍も多いアメリカで、医療崩壊がおきていないのも、軍事態勢を敷いているからである。
野戦病院をふくめて、新しい病棟が続々と建設されて、軍医のほか、医療の免許や資格がなくとも医療行為ができる衛生兵らも動員されている。指揮をとっているのも軍人で、感染症の危機管理を担う「疾病対策予防センター(CDC)」でも、軍人が中心的な役割をはたしている。
アメリカ統合参謀本部(JCS)は、国益を確保する要因として4つの柱を掲げている。外交と情報、軍事、経済の四分野だが、新型コロナウイルス対策は、そのなかの軍事にふくまれる。
感染症危機管理は、未知なる敵(病原体)との遭遇で、戦争なのである。
政治学者のクラウセヴィッツは、戦争の本質は、不確実性にあるとした。
不測の事態をかかえる不確実性を克服するには、戦場に身をおいて、的確な情報のもとで、変動する事態に臨機応変に対応しなければならない。
厚労省が国民や自治体にお願いをして回るのは、感染症「対策」というただの行政手続きであって、軍事オペレーションの「危機管理」とは程遠い。
新型コロナウイルス対策には、戦時体制の統合本部が必要で、指揮をとるのは、役人や政治家ではなく、危機管理の専門家でなければならない。
ところが、日本は、危機管理にともなう国権の行使を民権の侵害とうけとめる傾きがつよく、臨戦体制を敷くことができず、政府主導の事態対処行動すらつくることができない。
マスコミ労組(日本マスコミ文化情報労組会議)や日本弁護士連合会は、コロナ特措法が憲法違反だと声明をだした。「集会の自由や報道の自由、国民の知る権利を脅かし、基本的人権の侵害につながりかねない」というのである。
国家あげての新型コロナウイルス対策が、民主主義や人権の侵害にあたるとするマスコミが、自民党政権を叩きに叩いて菅政権の支持率が低下、五大都市の一つである横浜市長の椅子がとうとう共産党に奪われた。
日本共産党は、五輪反対以外、新型コロナウイルスにたいする対策をなに一つもっていない。
マスコミや日本医師会らは、医療崩壊の危機を煽るが、政府は、新たな病院をつくろうとも、人的な医療体制を増強しようともしない。
医療体制は、厚労省の許認可の範囲にあるので、手が出せないのである。
臨戦態勢を敷けない日本は、国家理性も危機管理能力も失って、コロナ禍の国際社会を漂流するばかりなのである。