2021年09月26日

 天皇と保守主義6

 ●民主主義と自由主義の相克2
 民主主義という制度はあるが、民主主義という思想はない。
 自由主義という思想はあるが、自由主義という制度はない。
 民主主義は、多数決と普通選挙法のことで、国家の制度である。
 一方、自由主義は、自由に最大の価値をおく個人の思想である。
 制度である民主主義と、個人の思想である自由主義が補完しあって、現在の自由民主主義(リベラル・デモクラシー)ができあがっている。
 ところが、現在、多くの日本人は、民主主義が、唯一にして絶対的な価値と思いこんでいる。
 民主主義が、多数決と普通選挙法以外のどんな意味も価値ももっていないと思い到っていないのである。
 政体としての民主主義は、立憲民主主義や議会民主主義、社会民主主義から立憲君主制や連邦共和制、大統領制まで多岐多様におよぶが、多数決の原則と普通選挙法がとられているかぎり、すべて、民主主義国家である。
 天皇と民主主義は折り合わないという意見もあるが、民主主義は、政体上の制度で、一方、天皇は、国家の象徴という文化の系列で、国体である。
 政体と国体は二元論で、両者が折り合う必要は、つゆほどもない。

 民主主義と自由主義が相容れないようにみえるのは、両者が「個と全体」という絶対矛盾の上に成立しているからである。
 人類は、古来、個と全体の矛盾と一神教の「闘争の論理」に苦しんできた。
 個人と国家の利害は、かならず、対立する。そして、正しいものが一つしかない一神教=一元論では、永遠の闘争がくりひろげられる。
 この解決不能なテーゼに、多数決の大衆政治(デモクラシー)と自由の精神(リバティ)をもってたちむかったのがヨーロッパの近代だった。
 ちなみに、日本にこの二つの混乱がなかったのは「個と全体」の矛盾を融和する国体および多神教=多元論という歴史・文化構造があったからで、その要(かなめ)となったのが天皇だった。

 ヨーロッパは、自由を手に入れるまで、14世紀のルネサンスから宗教戦争をへて啓蒙時代、近代の市民革命まで、500年以上の年月をかけてきた。
 そして、革命をとおして、ようやく、自由に手がとどきかけた。
 民主主義という新しい体制が自由と平等を謳っていたからだった。
 だが、その民主主義は野蛮な「大衆の反逆(オルテガ)」でしかなかった。
 事実、フランス革命は、ロベスピエールの恐怖政治から、ナポレオン独裁へとひきつがれた。
 民主政治は、独裁の一手法にすぎず、自由は、他人の自由を奪う自由でしかなかった。そして、自由と平等のフランス革命の「人権宣言」から女性と奴隷が除外されていた。
 民主主義は、人民による権力の奪取だが、権力を握ったのは、人民ではなく新たに登場してきた独裁者だった。
 多数決の民主主義は、旧ソ連のボリシェヴィキ(多数派)や中国、北朝鮮の一党独裁、あるいは、ヒトラーをうんだワイマール憲法をみればわかるように多数派の政治的暴力で、大きな制度欠陥をかかえていた。
 この欠陥だらけの民主主義に対抗したのが、自由主義だった。
 民主主義は、個人の自由や尊厳を侵さずにいないというのである。
 ヨーロッパには、ホッブズやオルテガ、チェスタトンら、自由主義の伝統があって、衆愚政治やポピュリズム、独裁へと陥る民主主義を批判してきた。
 このとき、自由主義者によって、もちだされたのが保守思想だった。
 人間の頭のなかでひねくりまわした進歩主義(革新)よりも、歴史の試練をくぐってきた保守のほうに価値があるとしたのである。

 ヨーロッパ人は、みずからの歴史と血で、自由と平等、そして、民主主義をかちとってきた。民主主義(デモクラシー)に限界があることを最初に知ったのもヨーロッパ人で、かれらは、自由主義(リベラル)を立てて、中庸をもとめた。
 ちなみに、左翼がリベラルを騙るようになったのは、旧ソ連崩壊後、共産主義や社会主義を名乗りにくくなったからで、詐称である。
 本来の自由主義は、民主主義の独断専行を防ぐためで、もともと、多数決の民主主義は、全体主義なのである。
 一方、自由主義は、民主主義の制限をうけて、個人の放埓さにブレーキをかける。
 民主主義と自由主義は、相互的にはたらいて「個と全体」の矛盾をみずから中和しようとするのである。

 自由と民主主義の兼ね合いをずたずたにしたのがルソーだった。
 曰く「人間は自由なものとして生まれた。しかし、いたるところで鎖につながれている」という名調子で、革命分子を扇動した。人間が不自由で不平等なのは私有財産をもったせいだ、自然に帰れ」と。そして、ホッブズの「万人による万人の戦争」をこう批判した。人間は本性に《憐憫の情》をそなえているので、人々は、助け合って、仲よく暮らす。したがって、戦争にはならない。
 なんというふざけた楽観論であろうか! 
 さらにアジテーターのルソーはこう煽った。「人々が不自由、不平等になったのは、私有財産をもったせいである。人間が完全なる自由や平等を手に入れるには、人民が主権を有する人民政府をつくらなければならない」
 フランス革命を批判したのが、西洋における保守の鑑とされるエドモンド・バークだった。そして、ルソー主義を批判したのが人間は社会的な動物≠ニ喝破した近代科学の祖、オーギュスト・コントだった。
 コントは、愛を原理に、秩序を基礎に、進歩を目的にする「人類教」を説いた。これは、ルソーの「市民宗教(『社会契約論』)」に対抗したものだった。
 コントがもとめたのは、人間の頭でこねくりまわした理屈ではなく、モラルだった。
 このモラルは日本の国体にあたる。善と徳性、家族愛的結束が、日本という国家の繫栄や安定、文化興隆の源泉となっている。
 ところが、多くの日本人は、日本が、歴史的遺産を継承する伝統国家であることの自覚にとぼしい。
 そして、戦後、アメリカ民主主義にとびついて、モラルを破壊してきた。
 アメリカ製の日本国憲法には、自由や平等、人権が天からあたえられたかのように書かれている。わずか9日で、日本国憲法をつくったGHQの若きニューディーラーは、左翼というより、ルソー主義者だったのである。
 そして、戦後、日本人は、世界に類のないルソー教の信者となった。
 日本人は、自由を好き放題にふり回すが、表現の自由には、表現の自由から身をまもる自由もあることを忘れている。アメリカの自由は、じぶんの生命はじぶんでまもる自由の銃℃ミ会で、南米は、リッチになるには手段をえらばないギャング社会である。
 モラルなき自由や平等、民主主義が、いかに危険でおろかなものか、ルソー熱にうかれた日本人には永遠にわからないのである。
posted by office YM at 11:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする