●生産と分配、所得のバランスをとるGDP経済
岸田文雄首相が新自由主義からの決別(「新しい日本型資本主義」)を宣すると、日本有数のIT企業である楽天グループの三木谷浩史会長が「新しい社会主義にしか聞こえない」と嚙みついた。
新自由主義は資本の論理≠ノ任せっきりにしたほうが資本主義は発展するという経済のリバタリアニズム(完全自由主義)で、当時、アメリカが新自由主義をとったのは、IT経済(=コンピュータ社会)の黎明期にあったからである。
それが、アメリカの金持ちビッグ4のアマゾン(ジェフ・ベゾス)やマイクロソフト(ビル・ゲイツ)、ハサウェイ(ウォーレン・バフェット)、フェイスブック(ザッカーバーグ)そして、アップルを創設した故スティーブ・ジョブズ財団(夫人)らの巨財をうんだ。
アメリカの新自由主義は、金持ちトップ50(2兆ドル)が全米資産の半分を所有するリバタリアニズム経済で、それが、奴隷制や海賊、海外侵略、帝国主義をとってきた西洋資本主義の最終局面といえよう。
これに比べると、日本資本主義は、社会主義的で、士農工商という職業身分があったことが自体、西洋の資本主義と様相を異にしている。
西洋の身分は、貴族と聖職者、自由市民と奴隷に分かたれて、身分によって法的差別がおこなわれる階級社会を形成していた。
日本の士農工商は、身分の区別ではなく、職業区分だったが、マルクス学者がこれを階級(階級闘争)としてとりあげて、領主が農民から作物を搾取する唯物史観や斬り捨て御免などのデマを流した。
領主は、庄屋(名主/村の首長)をとおして年貢を徴収するので、農民とは接触がなく、武士が町人を斬殺した事件(加害者は死罪)はあったが、これを容認した歴史的事実は一件もなかった。
さらに、学者は、士農工商にエタや非人をくわえ、身分差別があったとした。
屠殺や食肉が禁止だった江戸時代まで、食肉業や皮革業は、職業としてみとめられていなかった。したがって、業者みずから非人を名乗って規制を免れたが、職業の相続権もあって、大半が家伝だった。
屎尿やゴミの処理業者、墓守(隠亡)や遊郭下男、大道芸人など士農工商にくくられない業者も、すべて穢多(穢れの多い仕事)や非人と自称、あるいはそう呼ばれたが、これらの職業についている人々の数はきわめて多く、かれらがいなければ、社会生活が成り立たなかったのはいうまでもない。
戦後、穢多や非人、部落民は、差別用語として、糾弾をうけることになったが、咎められるべきは、これらのことばの使用ではなく、差別意識だったのはいうまでもない。
日本が、かつて、階級闘争の市民革命を体験することなく、現在も、海賊的資本主義の荒廃から免れている理由は、仁徳天皇の「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」に象徴されるように、国民経済に重きがおかれてきたからで、日本は、江戸時代まで、農業比率が85%の農本主義の国だった。
現在、アフリカや中南米などで貧困と犯罪、ハイパーインフレ(品不足)が蔓延しているのは、職業が不足しているからである。国民に十分な職業があたえられなければ、経済どころか、国家が破綻してしまうのある。
好例が1929年のアメリカの大恐慌だった。オートメーション普及による失業と過剰生産がひきおこした生産と分配、支出のアンバランスによって、マクロ経済が破綻したのである。
海賊経済のアメリカが現在も好況なのは、IT経済への切り替えがはやかったため失業率が上がらなかったからだが、ニューヨーク市のレストランのランチ代が数千円という高額で、アメリカ経済は、すでに、金持ちのためのものになってしまっている。
戦後、日本経済が復興したのは、昭和25年の朝鮮戦争を契機とする「特需景気」によって雇用が急速に拡大したからだった。政治の時代から経済の時代へ突入した昭和35年、安保闘争で倒れた岸内閣の後をひきついだ池田内閣は「所得倍増計画」をうちだして、10%をこえる経済成長率を10年間以上もたもちつづけて、経済大国の基盤をつくった。
岸田首相の経済政策は、池田勇人の所得倍増計画や「プラザ合意」の竹下登蔵相(中曽根康弘首相/澄田日銀総裁)を「シロートはこわいね」と批判した宮沢喜一の経済をひきついだもので、基本的には、生産と分配(所得)、所得の三者のバランスをとりながら拡大させるGDP(GNP)経済である。
日本経済は、もともと、石田梅岩の「商は義」や二宮尊徳の「商は徳」あるいは近江商人の「三方(売り手、買い手、世間)よし」の「商道」にもとづくもので、これをひきついだのが、渋沢栄一や豊田佐吉、松下幸之助、土光敏夫らの一流経済人で、かれらは、貪欲な資本家ではなく、すぐれた経営者にして思想家だった。
資本家と経営者のちがいは、前者が個人の利益をもとめ、後者が社会の利益をもとめるところにある。新自由主義によって生じる格差社会について小泉首相は、当時の流行歌になぞらえて「人生いろいろ」といってのけた。そして、竹中平蔵は、郵政民営化による社会の社会的・国家的損失について、記者会見場で「儲けがでている」「儲かっている」とくり返しただけだった。
二人とも、経済のなんたるかを知らないただの改革主義者だったのである。
経済は「三方よし」の「商道」あるいは、生産や分配(所得)、支出がGDPと同じ値になるマクロ経済学上の原則にしたがうことにあって、一部金満家や巨大企業が預金や内部留保を貯めこんで、貧困層や弱者がふえてゆけば、資本主義そのものが崩壊してゆくことになる。
これまで「貯蓄=投資」という経済公式があって、貯蓄が富の一部と数えられてきたが、実体経済をみると、貯蓄は結果として、経済の縮小をもたらしただけだった。
かつて、フィリピンのマルコス大統領が、着服した輸入ガソリン税を海外にもちだして、国家経済を害したが、貯蓄や内部留保も、需要創造や就業機会を奪うという意味において、これと同じことである。
ちなみに、ラモス(元大統領)やエンリレ(元国防相)とともに反マルコスのクーデターをおこしたグレゴリオ・ホナサン(元上院議員)は、わたしの旧い友人で、いまもなお、交流がある。
宏池会経済は、大蔵省経済という別名があったように、株主や投資家だけが大儲けする新自由主義経済と反対の方向をむいている。宮沢を尊敬する岸田が宏池会経済を踏襲するのは明らかで、総裁選の段階から「新自由主義的政策がもてる者ともたざる者の格差と分断をうんだ」として所得の再分配を経済政策の中核にすえている。 政策パンフレットでも「下請いじめゼロ」「住居費・教育費支援」「公的価格の抜本的見直し」「単年度主義の弊害是正」という4つの方針のほか、看護師や介護士などの年収アップなどの「公的価格の抜本的見直し」などの文字も見える。
近年、経済の貧困化が急ピッチですすんでいる。一億総中流どころか、貧困層がふえ、国内消費が減退しているのである。経済格差の拡大が経済成長のブレーキになるのはいうまでもない。したがって、ある程度、強制的に所得を再分配する必要があるだろうが、当然ながら、所得を減らされる側から反対意見が出る。
それを、社会主義的というのなら、人間の欲望のままにまかせる新自由主義の逆をむいている大蔵省のケインズ経済も社会主義的ということになる。
マルクス主義における社会主義は、生産や分配を計画的におこなうやり方をいうが、所得の再分配は、資本主義・自由主義社会においても、ケインズ経済として、数多く実施されてきた。
それどころか、保守層の多くが「官民が一体となって半導体産業を育成せよ」「小型原発を国有化して国家が管理せよ」「研究開発費を国家が管理してもっと予算をふやせ」など公共性の高い財やサービス、インフラなどの投資には、国家が積極的にのりだせと主張している。
保守派が、マルクス主義や社会主義に傾いているのではない。新自由主義という海賊経済が、商道を土台に育成してきた日本型資本主義を根こそぎに破壊することに異を唱えているのである。
世界最大の半導体メーカーである台湾のTSMCがソニーグループと共同で国内(熊本県)に工場を建設(2024年末までに量産開始)する。基礎力が上の日本が、マーケッティング力にすぐれた台湾と組んで、欧米と中韓に立ちむかってゆく。
50年間、日本の一部だった、古き良き日本をよく知る台湾と、アメリカ新自由主義にカブれている日本の合弁は、皮肉だが、きわめて、痛快な出来事なのである。