●防衛観念≠ェ欠落している日本の平和主義
日本の平和主義が特殊なのは「憲法9条が戦後日本の平和をまもってきた」という迷信の上に立っているからである。
戦後日本の平和は、日米安保条約と国連憲章51条「個別的・集団的自衛の保有」および憲法9条の解釈改憲%I無視の3つによってまもられてきたといってよい。
自衛隊と在日米軍がいなければ「尖閣諸島」が中国に奪われていたであろうことは、自衛隊ができる2年前、政権についた韓国李承晩が、日本領の竹島を力ずくで奪った(1952年)ことからも容易に想像がつくはずである。
李承晩時代、韓国は、13年間で日本の漁船328隻を拿捕、漁師3929人を拘束、44人死傷(抑留死亡8人)させている。
ところが、日本は、謝罪をもとめるどころか、1965年の日韓基本条約にもとづく経済協力協定で、10年間にわたって無償3億ドルなどの経済協力をおこなって「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を支援してきた。
当時、海上・航空自衛隊が存在していれば李承晩ライン≠フ悲劇も竹島の占領もなかったであろうことはいうまでもない。
世界の国防は「平和を欲するなら戦の備えをせよ(ラテン語の警句)」という大原則にそったものだが、その一方、憲法で、平和主義を掲げている。日本の護憲主義者は「9条を世界に輸出すべき」というが、非戦反戦は、日本の専売特許ではない。イタリア(共和国憲法第11条)やドイツ(基本法第26条)にほか、フランスやブラジル、フィリピンやカンボジア、そして、軍事力で日本を超えたい韓国でさえ、憲法で、非戦反戦を謳っている。
諸外国の非戦反戦と、日本の憲法9条は、どこがちがうのか。
敵から侵略をうけた場合、これを撃退するのは、本能のようなもので、あえて、自衛権などといわない。
侵略的戦争は、いまの時代、国連憲章違反になるので、できるはずはない。
現在は、核戦争をふくめて、国家間戦争も、事実上、不可能になっている。
それなら、はじめから、非戦反戦を謳ったほうが、国際的に聞こえがよい。
諸外国の非戦反戦、平和主義には、はじめから、正当防衛的な自衛権がふくまれていたのである。
ところが、日本の憲法9条は「陸海空軍の戦力を保持しない。国の交戦権を認めない(2項)」として、正当防衛さえみとめていない。1項で「国際紛争を解決する手段としては」と断っているにもかかわらず、である。
護憲・左翼陣営と左翼新聞(朝日)の主張と、内閣法制局の解釈によるもので、そのため、日本は、防衛本能の失った家畜のような国になってしまった。
「平和を愛する諸外国の公正と信義に信頼して(憲法前文)」というのが日本の平和主義だが、なんと、日本の平和主義は、諸外国の平和主義をアテにした平和主義だったのである。
平和主義を立てるなら、GHQの武装解除命令≠法令化した憲法九条を廃止して、新たに平和憲法をつくればよい。
GHQがつくった憲法九条を神格化した日本の平和主義は、政治や国民運動ではなく、宗教上の戒律とすこしもかわらない。
国が滅びても、憲法をまもれという日本弁護士連合会などは、もはや、オカルト集団というほかない。
内閣法制局は、左翼官僚の巣で、安倍晋三首相が、2013年、内閣法制局長官の首を阪田雅裕から小松一郎(元・駐仏大使)へすげかえて、ようやく、左翼の牙城を破った。
そして「現憲法の下で集団的自衛権を行使できる」と憲法解釈を変えさせたが、朝日新聞は、その坂田をひっぱりだして「憲法第九条から集団的自衛権の行使を解釈するのは無理」という論陣を張った。
日米安保条約下で、個別的自衛権と集団的自衛権を分けることは現実的ではない。国連憲章51条(自衛権)でも区別されていない。尖閣諸島防衛で後方支援の米軍が中共軍の攻撃をうけても援護しないという理屈は、国際的にとおる話ではないのである。
本来、自衛権は、予想される敵戦力に十分に抵抗しうる戦力で対抗するのが大原則である。
ところが、内閣法制局は、専守防衛を、侵略戦争をおこなわないという国際常識ではなく、敵弾が着弾してから防衛措置をとるという縛り≠ノもちいてきた。
アメリカとロシアに肉薄する軍事力をもつ中国は「2030年までに核弾頭1000発保有する見通し(国防総省)」で、9番目の核保有国となった北朝鮮はICBM級(射程1万キロ)も所有している。日本を最大の仮想敵国とする韓国も、現在2000発にたっしている長距離ミサイル(玄武)を盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代にすでに配備(ミサイル司令部)済みで、日本の原発すべてが標的になっている。
ミサイルが撃ち込まれたあとから防衛体制を敷くようでは防衛にならない。核を搭載したミサイル戦では、被弾した段階で勝負がついてしまうからである。
先制攻撃は、ミサイル戦を想定した防衛概念で、先制攻撃とミサイルの発射準備が見合い(相互抑止力)≠ノなっている。
中国や北朝鮮、韓国にたいする防衛戦略には、非核三原則核(「持たず、つくらず、持ち込ませず」)を撤廃して、核ミサイルを搭載した世界一の潜水艦軍団を日本近海に遊弋させてこれにあたるほかない。
日本の潜水艦の能力は、世界一で、静粛航行性(高性能リチウム蓄電池)と航行可能深度(500m)、ソナーなどの艦内装備と艦外の衛星・対潜哨戒機の情報をコンピュータで統合運用する敵探知能力、魚雷の攻撃力、海上発射ミサイルなどをもって、サイパンやパラオ、グアムまでをふくむ日本の絶対防衛線をまもっている。
核については、アメリカ貸与にしても自国製造にしても、日本が、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)とともにこれを用意すべきで、それ以外に有効な核抑止力はありえない。
韓国が北朝鮮につづいて世界で8番目のSLBM保有国になっている現況をふまえても、アジアの軍事バランスをたもつには、日本が核とSLBMの保有に名乗りを挙げるほかないのである。
「武器を捨てると平和になる」という憲法九条教≠ノ付き合っているヒマなどない。
次回は憲法九条教≠ニ真の平和思想、そして、憲法改正について語ろう。