2022年01月30日

 天皇と日本の民主主義3

 ●民主主義は普遍的な価値か?
 読売新聞の社説(ワールドビュー「中国式民主への不信」で吉田健一(中国総局長)という人物がこう語っている。
「日本や米欧に根付いた普遍的価値としての民主主義と中国がいう『民主』があまりにかけ離れている。日本で民主主義といえば<人民が権力を所有し行使するという政治原理。現代では、人間の自由や平等を尊重する立場をもしめす>(大辞林)」
 あまりのでたらめな物言いに苦笑を禁じ得ない。
 1普遍的価値としての民主主義≠ネどいったいどこにあるのか
 2人民が権力を所有し行使する政治原理≠ニは共産主義の人民独裁
 3人間の自由や平等を尊重する立場≠ヘ民主主義ではなくルソー主義
 吉田はこうつづける。
「中国は『民主は多様で、中国には中国式の民主がある』という立場だ。バイデン米大統領が主催した民主主義サミットにぶつける形で公表した中国政府の白書にはこうある」
<中国の民主と専政の有機的統一を堅持する>
<専政は、社会主義制度の破壊などの犯罪行為をくじき、国家と人民利益を守るものだ。民主と専政は矛盾しない>
 そこで吉田はこう断言する。
「中国語の『専政』は日本語で独裁とも訳される。『中国式民主』の根底にあるのは<人間の自由や平等への尊重>ではなく、建国の指導者・毛沢東も語った人びとを「敵」と「味方」に峻別する発想なのだ」
 そこで、吉田は、批判の矛先をとつぜん中国共産党へむける。
「そこから、共産党政権に異議を申し立てる民主活動家や人権派弁護士らへの弾圧を正当化する論理が導かれる。以前、権力の象徴ともいえる検事から人権派弁護士に転じた理由を尋ねた際、その人が悲しげに絞り出したことばを思う。『党の論理を突き詰めれば、人間への不信感に行き着く』」
 論旨がいま一つわからないが、検事から人権派弁護士に転じた女性というのは、皇室典範の男系男子相続を「まったく論理必然ではない」と批判した山尾志桜里のことであろうが、山尾のいう党の論理とは中国共産党のことか、それとも離党した立憲民主党や国民民主党のことか。
 いずれにしても、吉田は、この論文の最後をこう締めくくった。
「中国が『中国式民主』の独自性をどんなに誇ろうとも、民主の名に下に独裁を容認する国を『民主』と呼ぶわけにはいかない」

 ●民主主義ではなく「ルソー主義」
 吉田は、この世に、民主主義というすばらしい思想があると思っているようだが、マルクス青年が、共産主義をユートピアと夢見るようなもので、愚かな幻想というほかない。
 民主主義が誕生したのは、紀元前のギリシャで、これを批判したソクラテスが死罪になったのち弟子のプラトンが衆愚政治≠ニ批判して、民主主義は息が絶えた。
 民主主義を復活させたのが2000年後のルソーで「人間はうまれながらにして自由で平等」「私有財産が人間を不幸にした」「政治は国民が直接おこなうべき」「統治者は国民の一般意志の代表者」などのデマゴギーをふりまいて『自由論』のバーリンから「一般意志にもとづく全体主義を容認した人類の思想のなかでもっとも邪悪でおそろしい敵の一つ」と評された。
 日本人が民主主義と呼んでいるのは、このルソー主義のことである。
 もともと、民主主義(デモクラシー)は、大衆(デーモス)と権力(クラトス)の2つ単語を組み合わせた造語で、意味は、人民による権力である。
 人民は大勢いる。したがって、人民でなにかきめるには、多数決に拠らねばならない。
 多数決による多数派が一般意思である。これを代表者があずかって、政治権力がうまれる。ソクラテスは、これを戒めた。歴史の知恵や習慣、経験や知恵をおもんじるべきで、多数決による政治(デモクラシー)は愚者の政治になると。
 そして、大衆の怒りを買って、自身が戒めた多数決によって死刑になった。
 その愚かな大衆の代弁を、そっくり買って出たのが、ルソーだった。
 ルソー主義というのは、ソクラテスを死に追いやった、愚者の理屈だったのである。
 もっとも、デモクラシーをりっぱな思想のように思っているのは日本だけである。ヨーロッパでおもんじられているのは、制度としての民主主義ではなく思想としての自由主義である。
 バーリンの自由主義には、消極的自由(束縛からの自由)」と積極的自由は「自己実現の自由の二種類があって、欧米人は、2つの自由のはざまで、真の自由人たらんとして努力する。
 左翼陣営が得意になって使っているリベラリズムは「ニューディール・リベラリズム」という経済用語からの流用で、ルーズベルト流のアメリカ社会民主主義やケインズ主義、米民主党のテーゼをさす。むろん、自由主義とは関係がない。
 ちなみに欧米諸国は、自由陣営で、民主陣営とはいわない。

 ●デモクラシーの訳語は民本主義だった
 デモクラシーの訳語である民主主義は、もともと、民本主義だった。
 民主ではなかったのは、日本には主≠ェいなかったからである。
 明治憲法にも「元首ニシテ統治権ヲ総攬」とあるだけで、条文に天皇主権の文字も、天皇主権をさししめす具体的な記述もない。
 美濃部達吉の天皇機関説も、主権は、国家にあって、天皇は、議会の拘束をうける国家の「最高機関」とされている。天皇主権は、軍部がふり回した宣伝文句だったのである。
 天皇ですら議会の拘束をうける機関でしかないのに、民が主≠ノなるわけはなかった。
 そこで、デモクラシーの訳語は、国民本位という意味の民本主義となった。
 民本主義がめざしたのは、普通選挙法と政党政治の2点で、それは、大正デモクラシーで、一応、達成できた。1918年(大正7年)の原敬内閣の成立と1925年の普通選挙法制定である。
 それでは、いつ、民本主義が民主主義になったのか。
 これまで、だれも指摘してこなかったことだが、民主主義の命名者は、大正デモクラシーに共産主義をもちこんだ麻生久や棚橋小虎ら東京帝国大学出身のエリート・マルキストである。
 麻生や棚橋は、日本労働運動の源流である友愛会にもぐりこんで、友愛会を創立した鈴木文治や叩き上げの松岡駒吉や平澤計七(亀戸事件の被害者)らを追放して、大正デモクラシーおよび労働運動を「此の世を労働者階級の支配に帰せしめんとする」と宣して、左翼運動の牙城にしてしまったのである。※亀戸事件/亀戸署内で労働争議関係者10名が官憲に虐殺される
 これに、堺利彦や山川均らの社会主義者もくわわって、民本主義は、かぎりなくマルクス主義に接近して、このとき、呼称が、民本主義から民主主義へとかわった。
 
 ●意味不明な「国民主権=一般意志」
 マルキストが、民主ということばを使ったのは、ルソーが社会契約論のなかで使っている人民主権が、事実上、民主主義と理解されたからだった。
 マルクスの『資本論』は、ルソー主義とタルムード(ユダヤ聖典)の合体である。というのも、国民の一般意志を独裁者に委ねることによって、直接民主主義が完成するというルソー主義が、そっくり、レーニン主義(プロレタリア独裁)やスターリニズムにおきかえられたからである。
 民主主義は、とんでもない代物で、だから、西側諸国は、多数決の原理と普通選挙法だけをとって、民主主義から距離を保っているのである。
 バイデン大統領がいう民主主義は、国民が中心の政治という意味で、事実上の自由主義である。
 民主主義は、思想ではなく、制度なので、中国もロシアも、北朝鮮も平気で、民主主義を謳う。
 民主主義が、手がつけられないほど厄介なものなったのは、ルソーの「国民主権=一般意志」が意味不明だからである。
 国民主権は、ひとり一人のものなのか、それとも国民全体のものなのか。
 国民全体のものなら、日本人の国民主権は、一億分の一でしかないのか。
 国民は、ひとり一人が別々で、多数派と少数派にも分けられる。
 それを「国民の総意に基づく(憲法/天皇の地位)」と一括りにできるのか。
 ここにも個と全体≠フ矛盾律があらわれて、解決がつかない。
 そもそも、民主主義は、革命の用語なので、自由陣営や日本のような伝統国家には適応しないのである。
 読売新聞の吉田は、民主の名に下に独裁を容認する中国を民主と呼ぶわけにはいかないというが、ルソー主義を忠実に実現しているのは、むしろ、中国である。
 民主主義=ルソー主義は、独裁と全体主義を肯定する論理だからである。
 そんなことは、民主主義的なワイマール憲法からヒトラーがうまれたことを思えばすぐにわかるはずである。
 中国は、民の上に国家が、国家の上に党があって、党と民は断絶している。
 中国には、ルソー主義だけがあって、民主主義も自由主義もないのである。
 そこを衝かなければ「中国式民主」への不信などといってもなんの説得力もない。
 次回も、ルソー主義と民主主義の迷妄についてのべよう。
posted by office YM at 08:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする