●非核≠ニ非NATO″痩ニへの圧力
核兵器を搭載したロシアの軍用機(スホーイ24)がスウェーデンの領空を侵犯した。NATO加盟に舵を切るとみて、脅しをかけたのである。
かと思えば、フィンランドの調査機関が「国民の多くがNATO参加をもとめている」というアンケート結果を公表するや、NATOに加盟すれば深刻な軍事的、政治的影響をうけると警告を発した。
そして、デンマークにたいしては、NATOのミサイル防衛(MD)計画に参加すれば、ロシアの核ミサイルの標的になると恫喝をくわえた。
スウェーデンやフィンランド、デンマークなどの大国におどしをかけてくるようでは、ウクライナと隣接するモルドバ、ロシアとの国境線上に領土紛争をかかえるジョージアなどの弱小国の危機感はいかばかりであろうか。
スウェーデンやフィンランド、モルドバやジョージアが軍事的な危機にさらされているのは、ウクライナと同様、NATOに加盟していないからである。
一方、ロシアからの軍事侵攻が危ぶまれてきたバルト3国(リトアニア、ラトビア、エストニア)が、外交官追放という処分にとどまって、軍事的侵略を免れているのは、NATO加盟国だからである。
ロシアがNATOに手をだせないのは、NATO主要国の英仏が核をもっているほか、ニュークリア・シェアリング協定にもとづいて、アメリカが、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、トルコの5か国におよそ100個の戦術核(B61)を貸与しているからである。
●事後処理の「核報復」と事前装備の「核防衛」
核の傘≠ニ「ニュークリア・シェアリング」のちがいは決定的である。
ニュークリア・シェアリングが、事前の防衛≠ネのにたいして、核の傘は事後の報復≠ナ、そのときは、すでに、核の傘は破れているのである。
核の保持と運搬方法の確保ができている「ニュークリア・シェアリング」に防衛力がそなわるのは、たとえ、核作動の暗号コードをアメリカがもっていたとしても、たとえ、0・1%であっても、被爆国から核報復をうける可能性があるからで、そのリスクがあるかぎり核抑止力がはたらく。
ところが、事後にはたらく核の傘≠ノは、事前の防衛原則が機能しない。
そこが、事後と事前のちがいで「ニュークリア・シェアリング」は、核防衛に有効だが核の傘≠ヘ核防衛に無効なのである。
核の傘≠ヘ、核攻撃がおこなわれた事後の処理で、アメリカが日本のために核で報復してくれるだろうという期待にすぎない。
そんな夢想的なものを国家の安全保障の基盤において、はたして、日本は、一人前の国家といえるだろうか。
同盟は、戦術であって、運命共同体ではない。同盟に義理立てして、自国や自国民を危機にさらすような愚かな国家指導者がどこにいるだろう。
中国や北朝鮮が東京に原爆を撃ちこんで、アメリカが、ニューヨーク市民の生命を犠牲にして、北京や平城に報復核を撃ちこむ可能性はゼロである。
「非核三原則」や他国に核報復を期待する核の傘を、ただちに断ち切って、現実に目覚めなければならない。
●夢想的すぎる核の傘≠ノよる安全保障
松野博一官房長官は米国防総省の「核態勢の見直し」(NPR)に核抑止力と拡大抑止の維持がもりこまれたとして「盟国として強く支持する」と表明した。
本来なら、日本も、アメリカに「ニュークリア・シェアリング」をもとめるべきであったが、核抑止力のない核の傘≠ノ甘んじて、日本は平然としている。
木原誠二官房副長官も「ニュークリア・シェアリング」などのオプションをしっかり考えていくとのべたものの、核を自国内に受け入れるドイツのような対応は不可能(「なかなか難しい」)とまるで他人事である。
そして、岸田文雄首相は「国是として非核三原則を堅持する」「アメリカとの核共有は非核三原則とは相いれない」と国会でぺらぺらと喋っている。これでは、中国やロシア、北朝鮮に、核を撃ちこんでも、わが国は、核の報復能力をもちませんのでご安心を、といっているようなものである。
国会答弁では「国防上の機密なので答弁できない」とつっぱねておかなければならない。
もともと核の傘≠ヘ、日本が核攻撃をうけた事後処理で、最初の被害者は日本になる。
核の傘≠ヘ日本の被爆を前提にしたおそるべき思想だったのである。
核防衛するには、自前の核を保有して、日本を核攻撃すれば核報復をうけるという「倍返しの論理(佐藤正久/自民党外交部会長)」を打ち立てるほかない。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼やら核の傘≠竄逕核三原則やらという腰抜けの理屈を吐き散らすのはやめたほうがよいのである。
●ノーベル賞の日本は核の先進国≠セった
核が最大の防衛になるのは、核をこえる兵器が存在しないからである。
だが、攻撃には使えない兵器で、報復をうけると攻撃の利点が帳消しになるどころか、敵国にあたえたのと同等の甚大な被害をうけることになる。
それが核の相互確証破壊≠ナ、核保有国のあいだでは、抑止力がはたらいて、戦争がおきない。
だが、非核保有国が核保有国にたいして、いかに無力であったか、ロシアのウクライナ侵攻で、それが、白日の下にさらされた。
にもかかわらず、日本で核武装論がもちあがってこないのは、世界で唯一の被爆国という意識があるからだが、アメリカが、広島と長崎に原爆を落としたのは、アメリカはすべてをえて、なにも失わないからで、日本が、原子爆弾を完成させていたら、あの悲劇はおきなかった。
わたしが、加瀬英明氏から、直接、聞いた話だが、トルーマンが原爆投下をきめたホワイトハウスの会議に出席したジョン・マクロイ元陸軍長官が加瀬の質問に「日本が原爆を一発でももっていたら、原爆使用はありえなかった」と答えている。
日本が、終戦前に、原爆を完成させる寸前だったことは、ほとんど知られていない。原爆製造の中心的な人物は、ノーベル賞の朝永振一郎、南部陽一郎の師にして、湯川秀樹を指導した日本物理学会の雄、仁科芳雄である。原爆製造に王手をかけながら完成にいたらなかったのは、ウラン鉱石が手に入らなかったからで、中国山地の人形峠で、ウラン鉱床が発見される(1955年)のは、それから10年以上もあとのことだった。
ちなみに、湯川秀樹が熱心な平和運動家になったのは、破壊力が原爆の百倍にもなる中性子爆弾、その中性子の発見者だったからで、湯川は、だれよりも核戦争をおそれていた。
●自国の安全を度外視した「非核三原則」
佐藤栄作は「非核三原則」でノーベル平和賞をもらって、以後、日本はアメリカの核の傘≠ヨの依存(1972年10月9日閣議決定)国是としてきた。
ウクライナも核放棄にあたって、仲介にあたった中国の核の傘≠ノ入ったが、中国は、ウクライナを侵攻したロシアにたいする国連の非難決議で棄権にまわって、核の傘どころか、ウクライナを見殺しにした。
日本には、中国がロシアとウクライナの仲介に入るという甘い観測をのべる識者がいるが、尖閣諸島を奪い、台湾を併合して、沖縄にまで手をのばそうという中国が、ロシアのウクライナ侵略を諫める可能性があるとでも思っているのであろうか。
ウクライナも、1990年に「非核三原則」をうちだして、平和主義路線をつきすすんできた。それが裏目にでたのは、国際認識が甘かったからで、ヤヌコビッチ大統領時代、ロシア国籍の人物が国防大臣をつとめても、ウクライナ国民は不審をいだかなかった。
ウクライナが、1994年、核兵器(核弾頭1240発/大陸間弾道ミサイル176発)を放棄していなかったら、ロシアのウクライナ侵攻はなかったであろうことはいまさらいうまでもない。
ウクライナの核放棄をおこなったのは、2013年、失脚してロシアに亡命したヤヌコーヴィチ元大統領だが、ヤヌコーヴィチは、10兆円の国費を私物化したような男で、核の放棄は、自国の安全を度外視して、ロシアへ迎合した売国行為以外のなにものでもなかった。
核の傘≠笏核三原則は、政治家個人の主義や思想、観念であって、国家の防衛や安全保障にはいささかの益もないことは、これをいくら強調しても強調しすぎることはない。