●「核保有」「核の傘」「核シェアリング」
ロシアのウクライナ侵攻と、プーチンが核使用をちらつかせたことによって、日本の防衛世論が急激に変化した。
防衛費増強派が80%、防衛費GDP2%派が6割にもたっしたのである。
TVタレントや評論家が「日本が平和なのは憲法9条があるから」といいふらしていたウクライナ戦争以前の情勢とは、隔世の感がある。
そこへ浮上してきたのが「核武装論」である。世界第3位の核保有国だったウクライナが、現在、ロシアの攻撃にさらされているのは、94年の核拡散防止条約(NPT)の加盟に際して、核兵器をロシアに移管したからというのである。
核は、核にたいする最大の防御で、アメリカも北朝鮮に手が出せない。
だが、使えない兵器で、使えば核の連鎖≠ノよって世界は破滅する。
したがって、核の使用をいいだしたプーチンは、狂人ということになる。
ミサイル狂の金正恩も、核弾頭1000発の習近平も狂人で、日本は、中ロ朝という狂人が最高権力を握る3つの帝国主義国家に囲まれている。
原爆を投下したアメリカも狂人だが、日本は、そのアメリカの核の傘≠ノまもられながら、非核三原則(もたず、つくらず、もちこませず)を謳歌している。
核を悪の権化にしながら核の傘≠ノ安住する日本も狂っているのである。
「気狂いに刃物」というが、核という刃物をめぐって、狂気が、右往左往しているのが、核をめぐる目下の世界情勢なのである。
●ありえないアメリカによる核の報復
多くの日本人が核の傘≠誤解している。
日本に原爆が撃ちこまれたら、アメリカが核で報復してくれると思っているのである。
アメリカは、東京に原爆(第1弾)が投下されても、ニューヨークやロスの市民が犠牲になる第3弾を覚悟して、北京やモスクワ、平壌へ報復弾(第2弾)を撃ちこむことはない。
核の傘≠煌jシェアリングも、核の「報復装置」ではないからである。
だからといって核の傘≠ヘなんの役にも立たないということではない。
「核の傘」や核シェアリングがあるかぎり、敵は、核の攻撃をためらう。
敵に核攻撃を躊躇させることが「核の抑止力」で、それ以上でも以下でもない。
したがって、敵が報復核≠撃ちこまれる可能性がないとみて、第一弾を撃ってきたらお終いで、核の抑止力は、そこで消滅する。
第2弾、第3弾と報復核が連鎖すれば、米ロには合わせて一万発以上の核があるので、世界の破滅まで数日で十分である。
●核の傘や核共有と「核拡散防止条約」の矛盾
核の抑止力も相互確証破壊も「事故を未然に防ぐ論理」で、赤信号のようなものである。
赤信号で車が止まるのは、事故を未然に防ぐためで、だれでも事故がこわいので、赤信号は、永遠のルールとなる。
一方、核の傘や核シェアリングは、交通事故にたいする「報復の論理」で、事故がおきたあとの処理である。他者(核保有国)の力を借りで、違反車や暴走車へ報復してもらおうというのだが、そのときは、こちらも深手を負っている。
しかも、他者が報復してくれるというのは、勝手な希望的観測でしかない。
バイデン米大統領が一般教書演説でプーチンの核恫喝≠ノふれなかったのは、核抑止力は、核報復ではないからである。
報復なら、核抑止力がきかなかった後始末だったことになる。
したがって、あとに残るのは、第三次世界大戦の回避だけである。
核抑止力は、あくまで、抑止で、核を抑止するためだけにある。
それには、核を使えば同等以上の被害をうけるという恐怖心をあたえなければならない。
しかし、核の「相互確証破壊」は、核国保有国同士の論理で、非核保有国や同盟には通用しない。相討ち≠フメカニズムがはたらかないからで、同盟は運命共同体ではないのである。
核の傘や核シェアリングは、核拡散防止条約(NPT)違反なので、契約の文書は存在しない。
そもそも、NPTは、核の傘や核シェアリングを隠蔽してむすばれた条約である。
したがって、核シェアリングは、日本政府が、アメリカ側につよく要請しなければけっして実現しない話なのである。
●欧州の核シェアリングと日本の非核三原則
西ドイツが、アメリカと核シェアリングをむすんだのは欧州連合の父≠ニいわれるアデナウアー首相のらつ腕によるもので、敗戦国ドイツを英仏に並ぶ強国にするため、核シェアリングという巧妙な方法を案出した。
第2次世界大戦が終結して、英米仏が軍隊の動員を解除したが、ソ連は欧州全土に数百個師団を残したまま、赤軍の大量動員を解かなかった。
トルーマンが西ドイツに核兵器の核持ち込みを要請すると、アデナウアーは、即決でOKをだしたが、一つ条件をつけた。
それが、核兵器の使用権をアメリカと折半する核シェアリングだった。
これがNATO核の起源で、アデナウアーは、アメリカの核をドイツのほかイタリア、オランダ、ベルギー、トルコなどに配備して、相互互助関係にあるNATOが、核抑止力をもつ核の準保有国となった。
これと逆のコースをたどったのが日本だった。
アデナウアーが、事前協議なしの核持ち込みとひきかえに核シェアリングを実現させたのにたいして、日本は「沖縄返還(核抜き・本土並み)」の佐藤栄作が「非核三原則」をうちだして、ノーベル平和賞をうけた。
アデナウアーの核シェアリングはソ連にダメージをあたえたが、佐藤栄作の「非核三原則」は、むしろ、ソ連をよろこばせた。
非核三原則は、同盟国への核攻撃にたいして核報復を事前宣言する「核の傘理論」を空洞化させるものだったからである。
当時から日本では、憲法9条があるから戦争はおきない、非核3原則があるから核攻撃をうけない、核廃絶は被爆国の悲願などの夢想的な平和主義が大手をふって、リアリティのある防衛議論や、核抑止という現実的な問題についてなんの議論もされてこなかった。
アメリカが日本の核拒絶反応≠ノ理解を示したのは、原爆を投下した贖罪意識があったからであろう。
だが、日本の左翼や労組、マスコミは、反原爆を反体制運動に利用した。
核持ち込みの「秘密協定」があった、なかったという騒ぎがそれだった。
核がもちこまれたのなら日本をまもるためで、アデナウアーなら大歓迎したろうが、当時、日本では、これが政府攻撃の材料にされた。
ロシアのウクライナ侵略と核恫喝が世界を震撼させている現在、防衛観念と核武装について、日本は、根本的に考え直すべき時期にきているのである。