2022年09月25日

「うたのこころ」と日本人C

 ●国葬問題からひきおこされた分裂国家≠フ危機
 安倍晋三元首相の国葬問題で、日本の国論がまっぷたつに割れている。
 世論が分裂しているのではない。同じ日本人が右と左、伝統と革新、権威と権力、民族派や国際派などへ二分されて、水と油の関係になっているのである。
 出席拒否をしるした国葬招待状をSNSに投稿して嘲る人々と、国家に尽くした指導者に哀惜の意をもって手を合わせる人々のちがいは、思想や信条ではなく、感性や価値観、人間性のちがいなので、永遠にわかりあうことはできない。
 日本は、単一民族の伝統国家ではあるが、かならずしも、心一つというわけではない。じじつ、戦後、日本は、左右両陣営にわかれて、熾烈な闘争をくりひろげてきた。
 そもそも、日本は、明治維新後、文化的に独立した独自の伝統国家ではなくなっている。明治維新は、国家改造クーデターで、薩長の下級武士がめざしたのは、西洋の専制国家で、大日本帝国憲法のモデルも、君主権が強かったプロイセン憲法だった。
 ヨーロッパ化と帝国主義化によって、日本は、国際連盟体制において、世界五大強国の一つにのしあがった。
 その一方、歴史や伝統にもとづいた日本独自の国体や文化や精神、習俗などが変質、形骸化、あるいは廃止された。
 それが、ヨーロッパを真似た天皇の王制化や華族制度、武士階級廃止などの鹿鳴館文化で、当時、浮世絵の版木や刀剣、美術品などの伝統的な文化をただ同然で外国人に売り払うという自己否定的、自虐的風潮がはびこった。
 第二次世界大戦の敗戦後も、同じことがおきた。日本は、皇国史観や神道をかなぐり捨て、アメリカ民主主義やGHQ憲法、ソ連共産主義を崇めたばかりか、敵性条項を掲げる「国際連合(戦勝国連合)」を政治の中心におこうという流れさえ生じた。

 ●日本の共産化を防いだ多元論的なあいまいさ
 戦後、日本の国家構造は、左翼と中道右派という対立する二つの勢力にささえられてきた。
 左翼は、ルソーやマルクス、ロックらの崇拝者で、かれらがもとめていたのは、革命のイデオロギーと共和制という人工国家だった。
 共和制は、人民が国家を支配する政体で、直接民主主義の体制である。
 ところが、共和制では、人民がつくったその政府が人民の上に君臨する。
 国民主権をあずかった為政者が、国民主権の名目の下で国民を奴隷のようにあつかうからで、プーチンのロシアや習近平の中国を見れば、共和制がどんな体制かわかるだろう。
 右派というのは、君主制の自由保守主義で、中道右派のことである。
 政治手法として間接民主主義を採用する体制で、政党として、自由民主党のほか日本維新の会や国民民主党もふくまれる。
 ちなみに、戦前の右翼が国家を構成する勢力にならなかったのは、GHQや左翼陣営の圧力によって、皇国史観や国家神道とともに潰されてしまったからだった。
 それでも、日本が共産化しなかったのは、国体が護持されたからで、日本の歴史や伝統、政治体制は、天皇によってまもられたといってよい。
 もともと、日本は、多元論の国で、あらゆるものに精霊をみいだすアニミズム的な心根をもっている。自然崇拝や八百万の神々への信仰、多様性と奥深さが日本人の心性で、それが和歌や俳句に反映されている。
 それが日本特有のあいまい≠ウで、これが未定、未確定とうけとめられるのは、西洋の価値観が一神教的、一元論的だからである。
 イデオロギーも、一元論で、元をただせば、一神教のキリスト教である。
 一元論は正しいものが一つしかないので、革命と独裁の構図がうまれる。
 左翼の根本思想は、暴力革命で、一元論である。かつての中核・核マル、赤軍や全共闘のような過激派から日本共産党、立憲民主党や社会民主党まで、憎悪をむきだしにするのは、敵を倒すことしか念頭にない闘争主義だからである。
 じじつ、野党連合を志向する日本共産党は、昭和30年の六全協で武装闘争路線を放棄するまでは、殺人や放火をふくむ武装闘争路線をとっていた。

 ●愛国心というモラルからなりたっている政治
 革命も民主主義も、政治理念ではなく、あくまで、方法論で、それがどんな政治的効果や意味、展望をもつか、一顧だにされない。
 60年安保闘争の際、全メディアが、改正安保条約の内容には一言もふれることなく、連日、民主主義をまもれと叫んだのがその好例だろう。
 中曽根康弘元首相は「政治家は歴史という法廷の被告人である」と明言を吐いたが、マスコミや世論は、その場かぎりの利害やスキャンダルを追うばかりで、政治家の歴史的な真価を問おうとしない。
 安倍元首相の真価を問うならば、戦後、日本を独立国としてリードした最初の首相ということができるだろう。
 その政治姿勢をしめしたことばが「戦後レジュームからの脱却」で、アメリカ依存から独立国日本へのたしかな足取りが「安保法制」「TPP」「自由で開かれたインド太平洋構想」だった。
 安保法制は、独立国家としての体制を整えた独立宣言で、インド太平洋構想にまっ先にとびついたトランプ大統領が「二度とあらわれない指導者」と敬意を表したゆえんである。
 TPPも、アメリカが離脱後、アメリカに右へ倣いの関係を破って、日本が主導権を握ったもので、現在では、中国までがTPPに歩み寄っている。
 最大の功績が安倍元首相が提唱した「インド太平洋構想」で、日本が中心となった世界戦略にアメリカやオセアニア、インドなど13か国が参加したほか、イギリスなどヨーロッパの国々も高い関心を寄せて、日本の国際的地位を劇的に高めた。
 多くの日本人が安倍の首相を不慮の死を悼むのは、日本を対米従属から脱却させ、日本を世界に誇れる国にしてくれた以上に、すぐれた愛国者だったからである。
 国葬に反対している人々の共通点は、日本人としての心情や愛国心をもっていないことである。
 左翼の目的は、国家転覆で、その武器は、国を愛する心ではなく、国家への憎悪である。
 したがって、安倍元首相の愛国心や功績は、そのまま、憎悪の対象となる。
 左翼反日にとって、安倍首相ほど憎悪を掻き立てる存在はないのである。
 国家の指導者に必要なのは、国家や民族、同胞への憎悪ではなく、愛や情であることを、一人でも多くの多くの日本人に知ってもらいたいのである。


posted by office YM at 20:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする