●自由をもとめた西洋、もともと自由だった日本
ロシアのウクライナ侵攻を契機に、景気後退とインフレが同時におきるスタグフレーションが世界的に蔓延して、イギリスでは経済政策の失敗をめぐってトラス首相の辞任騒ぎにまで発展した。
すさまじい物価高に苦しんでいるのはアメリカも同様で、FRBは打開策として、利上げに踏み切ったが、これが、低金利で好況が保たれているアメリカ経済の暗礁となるのではないかと懸念されている。
日本経済が、コロナやウクライナ戦争、円安という大きな障害にもめげずに小康状態をたもっているのは、多元論的で、相対的な価値観をもっているからである。
社会に多様性と奥行きがあるため、衝撃が分散、緩和されるのである。
一方、西洋は、一元論的で、絶対的な価値観に立っているので、ショックが大きいばかりか、それが増幅されて、しばしば、パニックをひきおこす。
西洋が一元的、絶対的なのは、一神教だからで、かれらが崇める神ヤハウェは絶対神である。
日本が多元的、相対的なのは、多神教だからで、日本人が信仰しているのは万物に精霊が宿っているとするアニミズムや自然崇拝、神話信仰などのおだやかな神々である。
正義や真理、唯一の価値を追求して、不正や偽りをきびしく断罪する西洋にたいして、日本人が、あいまいさや中間色、中庸の精神をもって事にあたるのは、絶対神や絶対的な価値が存在しないからである。
そこに日本と西洋の最大のギャップがあって、このギャップが文化や習俗のみならず政治や経済に分野にまでおよんでいる。
両者のこのちがいは、詰まるところ、宗教観のちがいにあるが、そのことにどれだけのヒトが気づいているだろう。
西洋が自由をもとめたのは、一神教や絶対神の世界には自由がなかったからだった。したがって、中世ヨーロッパでは、ルネサンスから啓蒙時代、宗教戦争をへて市民革命にいたるまで、自由をもとめる壮絶なたたかいがくりひろげられたのである。
●自由の先進国から後進国へ転落した戦後日本
日本でも、自由のためのたたかいがなかったわけではない。
一向一揆や天草・島原の乱がそれにあたるが、西洋のように、それが革命に至らなかったのは、天皇がいたからである。天皇は、赤子である民が権力から虐げられるのを防いで、農本主義や平民文化、庶民による商工経済を背後からささえていた。
日本の経済は、経済学の父アダム・スミス(1723〜1790年)以前の楽市楽座(1549年)から大坂・堂島の米相場(1730〜年)、江戸時代の商道≠ノいたるまで、自由主義を経済の根幹においてきた。
世界一ゆたかで文化的だった日本の中世・近世は、権力が民を縛り、民から搾取しなかった恩恵で、教会と権力の両方から搾取されて、貧困に喘いでいたヨーロッパの平民とは大ちがいである。
戦後の日本人は、なにをするのも勝手というのが自由主義と思っているようだが、自由をえるために、5百年以上にわたって血みどろのたたかいをくり広げてきたヨーロッパでは、事情がまったく異なる。
西洋の自由は、国家や宗教、他者から個人の自由を奪われないことに自由の根幹があって、戦後の日本のように、他人にいくら心的苦痛や不快感をあたえてもかまわないという「表現の自由」や「言論の自由」とはまったくの別物である。
かつて日本にあって、近代以降、自由主義とよばれる西洋のリバティ(自由)の根底にあるのが他者との関係である。
自由は、他者の自由を奪わないことが大前提で、自由主義がモラルの原型となった理由がそこにある。
日本にも「相身互い」「分相応」「折り合い」などの自由主義に立った格言があるが、戦後のアメリカ民主主義とルソーの国民主権、孤独な個人主義、マルクスの唯物論の前で、この日本的なモラルはすっかり影が薄くなった。
自由には、ジョン・スチュアート・ミルの「消極的自由=〜からの自由」とアイザイア・バーリンの「積極的自由=〜への自由」があって、西洋人はこれを使い分ける。
国家や他者から束縛をうけないのが消極的自由である。積極的自由というのは、国家も他者も、じぶんがなりたいじぶんになることを妨害できないというもので、この両者が組み合わさって、自由の概念ができあがっている。
これが、日本人が大事にしてきた自由、西洋のモラルでもある自由主義で、自由とは、自由の制限と限界を示すものであって、手放しの自由讃歌ではなかったのである。
●4本の柱からできている世界の政治と経済
現代の世界政治も世界経済も、4つの原理に分類することができる。
政治は「ホッブズの国家主権」と「ルソーの国民主権」である。
経済は「国家介入型のケインズ」と「放任型のハイエク」である。
ケインズを純化すればマルクスに、ハイエクを煮詰めるとアダム・スミスをとおりこして新自由主義にゆきつく。
アメリカが新自由主義なら、中国やロシアは、ルソーからマルクス、スターリン主義へ移行した独裁国家で、ヨーロッパやインド、ブラジル、アジア諸国もこの4パターンの中間型あるいは変形である。
特異なのは日本で、ホッブズやルソー、ケインズ、ハイエクの4つのパターンにあてはまらない。
市民革命からうまれた民主主義やリベラルにも日本には馴染まない。
日本は「天皇の国」で、西洋のどんな歴史パターンや価値観にもあてはまらないのである。
ところが、戦後日本は、伝統的な価値をかなぐり捨ててアメリカ化に走った。
明治維新で、江戸文化を捨てて、西洋化に走ったのと同じパターンだった。
日本国憲法は、市民革命の精神で、日本の伝統的な価値観は盛られていない。
国民主権と民主主義、人権思想と個人主義によって、戦後の日本人は、歴史や国体、民族や集団性を失って、孤独で心貧しい市民になった。
経済でも、日本は、国際化、西洋化の大波に呑まれた。
田中角栄をロッキード事件で葬ったアメリカは、プラザ合意からバブル経済を誘導、バブル崩壊を仕込んで日本の富を奪い、俗にいう「20年の空白」を工作した。
このとき、日本は、アメリカから「総量規制」を強要されて国家経済を破壊するという愚を犯した。そして「談合」や「護送船団方式」などをアメリカからつよく非難されて、日本的商習慣をすべて破棄したばかりか、法を改悪して、伝統的商習慣をすべて犯罪にしてしまった。
この流れをひきついだのが小泉純一郎の「聖域なき構造改革」で、ブッシュ大統領にひっかけられて新自由主義という海賊経済にのりかえて、雇用と設備投資、賃上げをベースとする自民党の自由主義経済をことばどおりにぶっつぶした。
そして、できたのが、格差社会と低賃金経済という情けないすがただった。
アメリカ経済は、50人のリッチマンが国富の半分を握る狂った資本主義の様相をていして、中国やロシアは、国家があるかぎり、いくら紙幣を刷っても国家はつぶれないというMMT理論にのって、戦争をおこない、軍備を拡張している。
次回以降、この狂った世界のなかで、日本は、いかに正気をたもっていけるのかについて考えていこう。