●知恵と知識の区別がつかない日本人
「人間は考える葦である」といったパスカルは「知恵は知識にまさる」という名言を残してもいる。
「進化論」のダーウィンや発明王のエジソン、相対性理論のアインシュタインは子ども時代、勉強ができなかったが、大発見や大発明、科学の分野で大功績をあげて、歴史に名を残した。
アインシュタインは「学校は知識をおしつけて、じぶんで考える知恵を害った」といって学校有害論を唱え、小学校を退校させられたエジソンは、無学な母親を家庭教師として、創造力という知恵を鍛え上げた。
アインシュタインは勉強が役に立たない理由を問われて「答えが用意されているから」と答えたが、多くの日本人は、アインシュタインの真意を理解できない。
アインシュタインは、答えを知ることも答えを暗記することも、死んでいる知識でしかない。答えのない問いにとりくんでこそ創造的な生きた知恵をえることができるといったのである。
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というエジソンのことばも曲解されている。小学校をやめさせられたエジソンの家庭教師となった母親のナンシーは、当時、まだ20歳代で、質問魔のエジソンになにも教えることができなかった。「じぶんでお考えなさい」というのがナンシーの口癖で、エジソンはナンシーのもとで、自由に考え、そして、ついに天才となった。
エジソンの努力は、発汗(パースピレーション)で、机にむかって勉強する努力とはほとんど反対の意味である。
●ユーラシア大陸の東端でうまれた独自の日本文明
日本人が、努力や勉強、知識をありがたがって、いまなお、東大神話を奉るのは、日本が極東の島国で、ユーラシア文化(シルクロード)の終着点だったからである。
日本人にとって、海をこえて、西からやってきた文物を受容することが文明文化だったのである。
だが、一万年前の縄文時代から、日本人は、独自の文化圏を形成した独自の民族で、ユーラシア大陸にとりこまれることがなく、移入したユーラシア文化を土台に国風&カ化をあみだしてきた。
仮名文字や宗派仏教、絵画や建築など、日本文化の原点は、たとえ、中国にあったとしても、それを取捨選択して、日本人は、巧みに独自の文化へつくりかえてきたのである。
その代表的な人物が聖徳太子で、律令体制や仏教を移入しながら中華思想や冊封制度を拒絶する一方、中国の皇帝に独立宣言を送りつけた。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
中国に隷属したのが、小中華思想のもとにあった朝鮮で、孔子の儒教を国家理念としたほか、政治制度も中国の制度をとって、科挙(官吏の採用試験)や宦官(官吏の去勢)の悪弊を導入したほか貢女(中国王朝に美女を献上)までおこなってへつらった。
中国や朝鮮、西洋の悪弊が日本に入ってこなかったのは、天皇がいたからである。
ハンチントン(『文明の衝突』)は、日本文明を世界八大文明の一つにくわえた理由の一つに、古墳時代の独自の国家形成をあげている。
●明治維新のヨーロッパ化と敗戦後のアメリカ化
日本が、文明の衝突によって、一大転機を迎えるのは、鎖国をやめて、国をひらいたあとである。
それが、明治維新のヨーロッパ化と第二次大戦敗戦後のアメリカ化である。
明治維新で、権威の座から権力の座に移された天皇は、昭和軍国主義で神格化されたが、敗戦後、占領軍によって、憲法という人為法(実定法・人定法)の下におかれた。
日本文明の基礎となる天皇が、有史以来、はじめて、ユーラシア文明である人為法に屈したのである。
絶対的な権威の下にあった伝統国家が、相対的な権力の下にある民主国家へ変容するのが革命である。
国連常任理事国の米英仏ロ中のほか、先進国のほとんどが革命国家で、伝統国家は天皇の国日本だけである。
明治維新の「文明開化」は西洋化で、欧米から学ぶことが大きな文化的価値となったが、第二次大戦敗戦後も同じことがおきた。GHQの神道指令や民主化、軍国主義や皇国史観の廃止、公職追放で勢いをえた左翼が、マルクス主義や民主主義、啓蒙主義などの西洋思想をもちこみ、これを最高の文化的規範としたのである。
外来思想は、すべて、相対的な価値で、みずからつちかったものではない。
したがって、学ばなければならないが、学ぶは真似ぶで、コピーすることでしかない。
大学の世界ランキングで、東大や京大が、トップのオックスフォードやケンブリッジ、ハーバードから大きく引き離されているのは、日本の学問は勉強で、西洋からマネぶことだったからである。
天皇が絶対というのは、歴史や民族、伝統文化の結晶だからである、
学歴主義が有害なのは、教師から学ぶ相対主義だからで、官吏登用のための科挙がいかに社会の発展を妨げてきたか、中国や朝鮮をみるまでもない。
科挙制度が国の発展を妨げたのは、学問が立身出世の手段となって、社会や国に貢献しなかったからである。
学力主義やテストなどの競争は、究極の個人主義で、個人を超越する天皇の資質として、もっとも不必要で、いまわしいものである。
●学歴主義を材料にした皇室への冒瀆記事
現在、日本は、偏差値やIQ神話、東大ブームで、テレビも、日夜、東大王やインテリ軍団と大騒ぎである。
テレビの視聴者が受験ママ≠ニかぶさっているからだが、これに週刊誌やネットがのって、学歴主義を材料にした皇室への冒瀆記事が出回っている。
▼「悠仁さま」初の「東大天皇」悲願の「紀子さま」が焦燥赤点危機≠ナ赤門赤信号?超進学校の授業に戸惑い 追い詰められ背伸びの*魔フ「学業」懸念(『週刊新潮』)
▼悠仁さま 名門・筑附で囁かれる成績不振…紀子さまの「学校選び」が裏目に(『女性自身』)
週刊誌のほか、匿名の上から目線≠フネットでは【悲報】悠仁、アホすぎて現国で赤点(5ちゃんねる)といった書き込みが沸騰しているが、その原因となったのが、秋篠宮さまが選択された筑波大附属高校への進学で、視野に東大推薦入学があるいわれる。
だが、学歴社会の象徴たる受験戦争の勝者になって、はたして、天皇の権威がまもられるであろうか。
悠仁親王のご教育については、皇室問題にとりくんできた小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授の指摘が的を射ている。「いまの悠仁さまにもとめられるのは立派な学歴ではなく、立派な人格を身につけ、将来の天皇のご自覚をおもちになることです。悠仁さまが歩まれている学歴のレールは、受験戦争のなかでも最も激しい場所へむかっている。競争社会の只中における受験校での生活においてこれからの時代に相応しい帝王学を学ばれ、将来のお立場についてお考えになるゆとりがあるか、心配でなりません」(週刊新潮)
次回以降、日本中がうかれている学歴主義が、かつて、日本を危機に陥れた近現代史についてもふれよう。