2023年01月04日

「全体主義」と「民主主義」の相克と調和2

 ●犯罪と麻薬、貧困がもたらす無政府状態
「世界の住みやすい国ランキング」の上位には、国土が小さく、人口が少ない先進国が多く、スイス、デンマーク、オランダ、フィンランド、オーストリアがトップ5を占めている。
 主要国では、ドイツ(8位)、アメリカ(15位)、日本(17位)、イギリス(21位)、フランス(28位)がランキング入りしているが、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ(ブリックス5国)は30位の圏外におかれた。(NUMBEO/世界最大のデータベース)
 それどころか、中国以外、国家の機能が十分にはたらいていない無政府状態とみなされている。
 国家の仕組みや権力構造に問題があるのではない。
 国家が国家たるべき諸条件をみたしていないのである。
 現在、数十か国が内戦状態にあって、軍事衝突や反政府テロがくり返されているが、他に多くの国々も麻薬密売や武装ギャング、犯罪グループのバッコに苦しめられている。
 ブラジルやインド、フィリピンやインドネシアなどでは、一般住宅街と隣接する巨大なスラム街を根城に、犯罪集団や麻薬組織がヤミの経済圏を形成して、警察と抗争をくり広げている。
 世界の多くの国は、内乱やテロ、麻薬組織やギャングによる凶悪犯罪(殺人)の危機にさらされているばかりか、失業や貧困、スラム街(貧民窟)や難民問題をかかえて国家機能を失いかけている。
 世界には、犯罪と麻薬、貧困による無政府状態≠ニいう体制が存在していたのである。

 ●独裁国家よりも少なかった民主主義国家
 スウェーデンの独立研究機関が、世界の政治体制を4つの類型に分けた。
 ▽閉鎖型独裁/中国や北朝鮮、ミャンマーなどで、選挙における立候補の自由がない
 ▽選挙による独裁/ロシアやトルコ、インドなどで、選挙における立候補に制限がある
 ▽選挙による民主主義/ブラジルやインドネシア、モンゴルなどで、選挙における自由や権利が保障されている
 ▽自由民主主義/欧米や日本や韓国などで、普通選挙法のほか個人の権利や自由、法の下の平等、立法と裁判所による権力の制約などが約束されている
 そして、同機関は、民主主義国家の人口が23億人対55・6億人の比率で独裁国家よりも少なかったと報じて世界に大きなショックをあたえた。
 英オックスフォード大の国際統計サイト(「OWID」)も199か国を4つに分類して「自由民主主義(34か国)」と「選挙による民主主義(56か国)」の合計90か国にたいして「選挙による独裁(63か国)」と「閉鎖型独裁(46かカ国)」が合わせて109か国で、民主主義国家よりも独裁国家(権威主義的国家)な国の方の人口が多かったと報告している。
 民主主義の劣勢は、別の方面からも上がっている。米シンクタンク「ピュー・リサーチセンター」の調査(2020年)によると、民主主義34か国の国民52%が「自国における民主主義の機能の仕方に不満がある」と回答し、満足と応えたのは過半数にみたない44%にとどまっている。
 国際社会を「民主主義」と「独裁」の対比で見た場合、人口比も国民の支持も独裁側にあって、民主主義が人類最高の統治システムという結果にはなっていなかったのである。
 
 ●権威不在の民主主義と自由のない全体主義
 民主主義は、中ソの共産主義と英米の自由主義へと分かたれて、共産主義は滅びた。自由主義も、新自由主義とリバタリアニズム(自由至上主義)、修正資本主義へと移行して、普遍的な影響力を失っている。
 天安門広場に毛沢東の肖像を掲げる中国では、習近平政権がすでに3期目を迎え、プーチンのロシアは、スターリンの29年(1924〜1953年)につぐ独裁政権を維持、北朝鮮の金正恩と並んで、世界三大王朝政権を形成している。
 ルソーのいったように、国民主権は、直接民主主義から共産主義をへて、ついに独裁体制になったのである。
 アメリカも、間接民主主義の議会は無力で、公選制の大統領が大きな権力をもつ疑似独裁である。
 国民主権と民主主義は、結局、独裁者が権力を掌握するための方法論でしかなかったのである。
 民主主義が、世界中で、独裁に圧されているのは、民主主義が無力だったからである。
 中国に、反政府軍やギャング団、麻薬組織やスラム街も存在しないのは、強権で叩きつぶしてしまうからで、世界の指導者が中国や北朝鮮、ミャンマーなどの「閉鎖型独裁」あるいはロシアやトルコ、インドなどの「選挙による独裁」を志向するのは当然だった。
 どの国も、ギャング団や麻薬組織、貧困やスラム街はいらないのである。
 民主主義が無力なのは、権威が不在だからで、権威がないところでは暴力や反乱、略奪や犯罪がおおっぴらになる。
 かつて、日本が、道徳国家だったのは、天皇の権威の国だったからだった。
 
 ●第三勢力を交えて混沌とする体制問題
 独裁国家は、権威主義的国家でもあって、民主主義と権威主義は相容れない。
 民主主義国家は、権威主義を暴力革命で倒して成立した国家だからである。
 じじつ、第二次世界大戦は、権威主義(日独)と民主主義(米ソ英仏)が覇権をあらそった戦争だった。
 このとき、民主主義のルーズベルトと共産主義のスターリンが手をむすんだのは、共産主義と民主主義は、一卵性双生児だからで、共産主義や民主主義が独裁となるのは、ルソーがいったように、国民主権をあずかった為政者が主権者として全権を奮えるからである。
 全権者は、大日本帝国憲法においては、天皇だったが、戦後の日本国憲法では国民となった。多くの日本人は、日本国民に主権があるというが、日本国民全員にあたえられた権利を個人が行使することはできない。明治憲法下、主権者だった天皇は一度も主権を行使しなかった。国家にそなわっている主権を天皇陛下という個人の資格で行使できなかったのである。
 第二次大戦後、伝統(全体主義)と革命(民主主義)の思想戦が展開されたが、舞台となったのは、戦闘がおこなわれた中国や朝鮮半島、東欧やベトナムではなく、銃弾が一発もとびかうことがなかった日本だった。
 日本の左翼は、資本主義や自由主義の恩恵をむさぼる一方、ルソーやマルクスを、思想や学問の祖として奉って、反国家と反伝統、国民主権、民主主義を叫んだ。
 その結果、日本は、国をまもる気概をもった国民が10%(世界平均約70%)にみたない情けない国になってしまった。
 じじつ、世界の国々では、政治家になる理由のトップが愛国心だが、日本の場合、国家や国民ではなく、民主主義をまもるために政治家になるという。
 次回以降、第三勢力(AA会議/旧植民地)を視野に入れて、民主主義と全体主義の動向に目をむけていこう。
posted by office YM at 10:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする