2023年06月04日

 グローバルサウスと大東亜共栄思想3

 ●私的感情だけで殺人に走る恐怖のじぶん主義
 私的な財産問題で逆恨みして安倍晋三元首相を射殺した山上徹也、じぶんが選挙に出られないのは選挙制度が悪いからという私的憤懣から岸田文雄首相を爆弾で殺そうとした木村隆二、悪口をいわれたという思いこみから4人を銃殺した青木政憲ら、一昔前まで、考えられもしなかった幼稚で自己中心的な殺人者や凶悪犯が続々とでてきた。
 これらの事件に共通しているのが、じぶんのことしか考えることができない幼児性と極端な自己中心的な精神で、心理学で、自我肥大と呼ばれる。
 人間は、成熟すると、他者や社会、国家など個や私をこえた存在に気づいて謙虚になる。尊敬心や名誉心、愛国心や公徳心など全体性の価値観に目覚めるのである。そうなると、おのずと自我が小さくなって、その一方、他者への愛や礼節、義理や道徳などの社会性がそなわってくる。
 ところが、現在、世の中は、他者や社会、国家など、個や私をこえた価値や基準を否定する方向にうごいている。
 同性婚が好例で、マスコミや左翼、法曹界は、同性婚の法制化に不熱心な与党を非難して、世界に遅れているという。世界に遅れているという論法がなりたつのなら、日本が、1919年、パリ講和会議で、世界に先駆けて人種差別撤廃を提案して、英米から拒絶されたことも、日本が世界に遅れていたことになってしまう。
 西洋が性的マイノリティーや同性婚に寛容なのは、国家は個人の領域へ立ち入らないという不文律があるからで、どうぞお勝手にという意味である。
 ところが、日本では、偏見をもつか差別反対と騒ぐかどちらかである。
 常識や習慣、良識にしたがうのではなく、個や私をもちだして、じぶんの気持ちを最優先させるのが現代の風潮で、わたしはこれを自由主義や個人主義、民主主義と区別してじぶん主義≠ニ呼ぶことにしている。
 背景にあるのが、消費者や有権者、主権者たる国民を神様とするマスコミのコマーシャリズムや国政選挙、世論における民主主義への盲信で、現在、日本では、社会通念や歴史の知恵よりも、あなたのマネー、あなたの一票、あなたの意見、あなたの主権、あなたの気持ちが大事にされる。
 そこからかもしだされるのが、じぶんの気持ちや考えを絶対とする幼児的なじぶん中心主義で、他者や社会、全体へ目がむかない反面、過剰に自我が表にでてくる。

 ●発狂しつつある日本と橋下徹イズムや瀬戸内寂聴ブーム
 本屋には橋下徹の本ばかり並んでいるが、橋下人気やかつての瀬戸内寂聴ブームと狂いつつある現在の日本を切り離して考えることができない。
 橋下徹は、ウクライナ4000万国民は、ロシアに歯向かわず、国家を捨てて難民となって、十年後、帰ってきて、国家を再建すればいいと堂々といってのけた。
 じぶんの気持ちやじぶんの都合、じぶん(個人)のイノチがいちばん大事で、国家や他人、モラルや常識、伝統的な価値観は二の次というのが橋下イズムで、それが現代の日本の風潮である。
 同じ潮流にあったのが瀬戸内寂聴のイノチ主義で、寂聴が最大の敵としたのが国家だった。したがって、国家の繁栄と防衛に一身を捧げた安倍晋三元首相が寂聴の憎むべき天敵となった。
 その寂聴をもちあげる一方、安倍元首相を国民の敵として叩きまくったのがマスコミ左翼で、当時、悪いことはすべて安倍が原因という風潮で、野党からマスコミ、検察にいたるまで、桜を見る会問題と森友学園問題、加計学園問題(「モリカケサクラ」)に狂奔して、新聞テレビで、安倍元首相の政治的、外交的功績が報道されることはついぞなかった。
 瀬戸内晴美(寂聴)は、夫と3歳の子を捨てて新しい男の元へ走ったふしだらな女で、そんなじぶんを正当化するために迎合的な小説を書いて人気作家になった。さらに、法悦という快をもとめて仏道に入ったという身勝手な女だが、現在、寂聴は、日本でもっとも尊敬される偉人で、文化勲章というおまけまでついている。
 なぜか。寂聴の私小説的な自己中心的な身勝手や法匪橋下のエゴイズムが、現代の日本で、自由の象徴となっているからである。
 ウクライナ4000万もの国民が難民になる苦しみや3歳のわが子の悲しみよりも、じぶんの気持ちや快楽のほうが大事だったのが橋下イズムや瀬戸内ブームで、日本人は、そっくりこの自己中心主義にはまりこみ、これを個人主義や自由主義、民主主義と思いこんでいる。

 ●ガキの精神≠ェ犯罪にまで転落した反日左翼
 岸田首相が襲撃された前日、作家で法政大学の島田雅彦教授が『安倍三代』(朝日文庫)の著者でジャーナリストの青木理やマルキストで京都精華大准教授の白井聡らと共演するインターネット番組で「(安倍元首相)の暗殺が成功してよかった」などと発言して物議をかもしたが、メディアの取材に応じた島田は、抗弁するどころか、よいチャンスとばかりに自著『パンとサーカス』の宣伝につとめる狡猾漢ぶりだった。
 ちなみに、同席していた白井聡は著書(『主権者のいない国』)で「憲法で国民主権が明確に謳われているのにその効力は生かされているのだろうか」とのべている。ばかも休み休みいうもので、国民主権は、個人にあたえられたものではない。辞典に「主権者=統治権をもっている人」とあることから生じた誤解だろうが、主権者(ソブリンティ)は、王権あるいは統治権をのことであって、個人や私人をさしているわけではない。
 人気評論家で東京都立大学教授の宮台真司がキャンパス内で、刃物をもった暴漢に襲われて重傷を負い、容疑者が自殺する事件があったが、宮台は、犯人の動機が分からないとコメントした。これは、トボケで、宮台が襲われた原因は、安倍元首相を撃った山上徹也をモデルとした映画(「REVOLUTION+1」)の旗振り役を演じたからである。メガホンを執った足立正生監督が「事件と映画に関係があるかないかいえばあるでしょう。それは本人(宮台)も知っている」とのべている。
 足立正生は、レバノンで服役(3年間)したこともある日本赤軍の元メンバーだが、宮台や島田、青木や白井、そして、橋下や寂聴らのあいだに大きな共通点がある。
 それは、一人よがりのわたしの気持ち≠オかもっていないガキの精神で、成熟したおとなの知恵がそなわっていない点である。
 安倍元首相の国葬に、マスコミがネガティブキャンペーンを張って、全国で国葬反対のデモが吹き荒れた。大きな問題点は、主催側が参加者に鉦や太鼓、タンバリンの持参をもとめたことである。黙祷に騒音を立てて、妨害しようという魂胆だが、これは犯罪(不敬と礼拝妨害/刑法188条2項)で、懲役刑が科せられる。
 日本では、反日左翼のガキの精神が犯罪のレベルにまで転落しているのである。
posted by office YM at 22:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする