2023年06月26日

 グローバルサウスと大東亜共栄思想5

 ●個と全体の利害を調整するのが政治
 有史以来、人類を悩ませてきて、いまだに解決されない難問に個と全体の矛盾≠ェある。
 個の利益だけをもとめると、全体の利益が害われる。
 全体の利益をもとめると、個人の利益が侵害される。
 この二律背反を人類はどうしてものりこえることができなかった。
 個と全体の両方の利益をもとめるのが政治だが、その政治の原理はいまだに確立されていない。
 政治は、集団や共同体、国家の安全や繁栄もとめる全体の論理である。
 一方、心の安らぎや魂の救済をもとめる宗教や人生観や価値観にもとづいた道徳、タブーの体系である法律は、個の論理あるいは私的な感情である。
 政治という全体を重んじると個が軽視され、宗教や道徳、法という個を重んじると全体がないがしろにされる。
 政治という全体の論理と、宗教や道徳、法という個の論理が両立しないのは構造矛盾(「個と全体の利害は対立する」)にとりこまれているからである。
 西洋では、紀元前のギリシア哲学以来、個と全体のこの矛盾を解消しようと賢人たちが知恵を絞ってきたが、ついに妙案はでてこなかった。
 もっとも、西洋の一神教や一元論から個と全体の矛盾≠解消する知恵が出てくるはずはなかった。
 なぜなら、個と全体の矛盾は、一神教や一元論からでてきたものだったからで、キリスト以前、神話と多神教だった古代のギリシァやローマに個と全体の矛盾などなかった。
 
 ●西洋の一元論の欠陥を克服した天皇の二元論
 個と全体の矛盾という大問題を解消したのは、西洋ではなく、その西洋から遠く隔たったアジアの島国日本で、日本が、個と全体の矛盾という一元論的な迷妄から自由だったのは、天皇の国だったからである。
 古代縄文文化の国、日本は、アニミズムの自然崇拝と多神教の国である。
 神話と天皇の国日本は、二元論の国でもあって、権威と権力、国体と政体の二元論の下で「君民共治」「君臣一体」という一神教、一元論の西洋では考えられもしない柔軟な政治体制がとられてきた。
 西洋で絶対矛盾がでてきたのは、一神教や一元論が、正しいものや絶対的な価値は一つしかないとしたからだった。
 ところが、日本に根づいたのは、硬直した一神教や一元論ではなく、柔軟な多神教や二元論だった。そこから、多様性や奥行き、変化にとんだ両面価値(アンビバレンス)やあいまいさ、中庸の徳といった中間色の文化が生まれた。
 個と全体の矛盾を克服できていない西洋の文化は、極彩色の一元論である。
 自由や平等、権利や民主主義は、革命をとおして民衆が権力から奪ったもので、あとに残ったのは、永遠の「闘争の論理」で、左翼は、いまなお、自由や平等、権利や民主主義を権力から奪えとこぶしをふりあげる。
 国家や歴史、文化に拠って立つ政治と、宗教や道徳、法に拠って立つ個人が引き裂かれた結果、民と国家が融合することなく、険しく対立する革命史観がうまれた。
 そのケースの一つにあげられるのがオウム真理教事件で、法悦やカルト(宗教的狂気)という個人の宗教を絶対視して、社会や国家、公共性が否定された結果、サリン事件のような凶悪犯罪がおきた。
 神の恩恵や法悦、救済という個人の自己満足のためなら社会や国家は否定されてもよいというのが宗教の独善で、その独善によって、西洋では、宗教戦争や異端審判、魔女狩りのような惨劇がひきおこされた。

 ●自由や平等、権利や民主主義は信仰ではなく社会制度
 自由や平等、権利や民主主義を奉って他人や国家も眼中にないという日本の風潮も、ほとんど、宗教の感覚で、自由や平等、権利や民主主義が、モーゼの十戒のような有り難い預言になっている。
 犯罪者にも人権があるといって騒ぐヒトがいるが、人権も民主主義も、自由も平等もすべてフィクションで、うまれながらにして個人にそなわっているものなど、なに一つない。
 自由や平等、権利や民主主義は、国家が保証してくれる社会制度で、それらの制度が国民に分有されて、はじめて、個人のものになる。
 交通安全は、交通法規があるからではなく、交通インフラが整備されているから実現されるのである。
 日本の安全がまもられているのも、憲法九条があるからではない。
 日本が世界7位の防衛力をもち、一方、日米安保という軍事同盟があるからで、憲法九条があるから日本は平和なのだというのは、宗教というより、カルト思想である。
 日本の自由や平等、権利や民主主義は、宗教のカテゴリーに入っている。
 したがって、いかに運用すべきかではなく、どれほど深く信仰しているかが問われる。
 だが、自由や平等、権利や民主主義は、個人の信仰対象ではなく、社会の制度である。
 したがって、個人の特権ではなく、社会的な制限や規制としてはたらく。
 分有される自由や平等、権利や民主主義は、じぶんだけのものではないからで、他人や社会に無益にして有害な自由や平等、権利や民主主義は、悪の思想なのである。
 個人の宗教的な価値観と、全体の社会制度を二元論でつないだ日本の文化や思想が、もういちど見直されてよいだろう。
posted by office YM at 10:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする