●フランクフルト学派に呪われた戦後の日本
全学連や全共闘、赤軍派が荒れ狂った1960〜70年代にかけて、フランクフルト学派という過激な思想が日本ばかりか世界中を暴れ回った。
フランクフルト学派は、1923年、ドイツでうまれたマルクス主義の亜流で、階級闘争=暴力革命が実現しないのは、人間の精神が資本主義に毒されているからというのが主たる主張だった。
フランクフルト学派の第一世代に属するルカーチは、こう宣言した。
「資本主義下でつくられた精神を破壊しなければ革命は実現できない。人間を破壊せよ。文明や文化を破壊せよ。体制の破壊者であるならどんな犯罪者でもあってもりっぱな革命の兵士である」
この思想の核心は、人間を、資本主義に毒された、あるいは、資本主義から疎外された被害者ととらえるところにある。
したがって、革命をおこすには、その毒された精神を破壊しなければならない。
人間の精神をつくりあげてきたのは歴史である。
革命をおこすには、最初に歴史を破壊しなければならないというのがフランクフルト学派の理屈である。
造反有理というのは、謀反や反乱に正義があるという原理で、謀反や反乱は資本主義から疎外された犠牲者、あるいは、体制から虐げられた被害者意識のあらわれである。
毛沢東の文化大革命からポルポトのカンボジア大虐殺、アメリカの9・11同時多発テロもこの悪魔の思想の影響をうけているが、テロリズムを容認する造反有理の根本にあるのが、ロックの革命権やルソーの国民主権である。
神があたえた自由や平等、天賦の権利および生命の安全や幸福追求の欲望を実現するための政府がその目的を達成できない場合、旧体制を倒して、新たな政府を設立できるというのがロックの革命権である。
一方、国家の主権を、国民がもつという迷妄がルソー主義で、ルソー主義がフランス革命にスローガンになったように、ロック主義がアメリカ革命(独立戦争)のイデオロギーになった。
●平和な家庭や正常な男女関係は革命の大敵
ナチに追われてアメリカに移ったルカーチの共産主義運動が、戦後、世界に爆発的に広がっていったのは、権力に虐げられた弱者=人民の抵抗というマルクス主義の戦略が広くうけいれられたからだった。
このときもちいられたのが疎外≠ニいう概念だった。
人間が不幸なのは、文化や文明、家庭や社会、共同体や国家から疎外されているからだとする論理で、これが『批判理論』として、ホルクハイマー、アドルノ、ハーバーマスらによって、左翼理論の中軸にすえられてきた。
権威や家族、道徳や伝統、性的節度、忠誠心、愛国心、国家主義、民族中心主義、習慣など人間社会を形成している徳目をすべて批判して、改革をすすめようとするのが批判理論である。一方、野蛮からの解放だったはずの啓蒙の理念が次第に道具化して人間を疎外してゆくとしたのが『啓蒙の弁証法』で、この書は、日本のインテリ左翼から熱烈に歓迎された。
この論理にアクセルをかけたのが反ナチス運動と反戦平和思想で、フランクフルト学派は、ナチスや軍国主義、侵略戦争をゆるしたのは、近代人の最大の欠陥だったとして、反ナチス運動をまきこんで、歴史や体制、文化を否定する論理をくりだして、体制の内部崩壊をひきだそうとする。
有名なことばがアドルノの《アウシュビィッツのあとで詩を書くのは野蛮である》で、このことばによって、ナチやファシズムを生んだ中産階級はみな悪に仕立てあげられた。
エンゲルスは『家族、私有財産及び国家の起源』で、女性差別の根源は家父長制にあると論じたが、フランクフルト学派も、性差(ジェンダー)やフェミニズムは西洋文化からうまれたとして、アドルノは、家父長制はファシズムのゆりかごであるとのべた。
共産主義=暴力革命にとって、平和な家庭や男女の円満な関係は大敵だったのである。
●女性解放を謳うマルクス主義フェミニズムの魔性
アドルノは、母親と父親の役割を交換することを提唱して女性の社会進出と父親の権威否定に実行に移したが、その結果、ソ連では、人口の停滞や家庭の崩壊という現象を招いた。
フランクフルト学派が人口の大半を占める中産階級をターゲットにするのは革命の担い手が労働者からプチ・ブルに移ったからで、かれらを革命の戦士に仕立てるには、マスコミなどで、不満を煽りに煽って、不満分子にしなくてはならない。
このとき、もちだされるのがテロリズムの思想である。
他人の自由を侵害する自由や規制のない民主主義、個人化された主権などが横行すれば、社会は崩壊するが、その崩壊を見越して、それでも自由や民主を叫ぶのはテロリズムで、破壊衝動である。
アメリカ9・11テロにひそかに喝采を送って、各地で頻繁におこるテロに共感するインテリ左翼の思想をささえているのがこの破壊衝動で、反戦運動やフェミニズム、ジェンダーなどの反差別も、すべて、この学派からうまれた破壊衝動である。
フランクフルト学派の中心的存在だったルカーチは、ハンガリー革命を指導して、失敗してソ連に亡命した。
なぜ革命に失敗したのかとルカーチは考え、一つの結論をえた。
革命の妨害になっていたのは、父権や母権の社会的分担や役割、家族という価値観、男女の性のモラルで、人間社会の保守性をささえていたのは、ジェンダー(性差)だった。このジェンダーの垣根さえとりはらってしまえば、革命は、はるかに、実現しやすくなる。
マルクス主義フェミニズムは、性差を社会的役割や人間の根源的なありようとはみとめない。女性は、家事や育児に縛られた抑圧された労働者で、母親や男性の恋人、夫に尽くす妻という女性の社会的役割は、封建体制や資本主義の悪しき因習というのである。
●1%のジェンダー障害者を黙認してきた日本
「LGBT理解増進」が自民・公明両党と日本維新の会、国民民主党の4党による与党案の修正案が成立した。
LGBTは、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字からとったことばである。レズビアンが女性の同性愛で、ゲイが男性の同性愛、バイセクシュアルは両刀使い、トランスジェンダーは性の同一性障害だが、いずれにしても、一種の性癖である。
統合失調症も100人に1人の割合で発症する(厚生労働省)が、すべてのひとが治療をうけているわけではない。
LGBTも、100人に1人の割合ででてくるが、日本では、これを法的に取り締まったり、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教などのように宗教的異端としてみたりすることはない。
アフリカでは大半の国(38か国)が同性愛は違法で、モーリタニア、ナイジェリアでは死刑、ウガンダ、スーダン、タンザニアでは終身刑が課せられる。
日本は、個人の性癖にはじつにおおらかなのだが、それでも、ジェンダーに不寛容だとマスコミが煽る。
その好例が「ジェンダーギャップ報告書」で、日本は男女平等の達成度合いが146か国のうち125位で、マスコミは、世界にたいして恥ずかしいという。
内訳は、政治と経済、教育と健康の4部門で、日本は、教育と健康については世界のトップだが、政治と経済はふるわない。
日本の女性は、家庭や家族を大事にするからで、政治や経済などは男にやらせておけばよいと考えるのはきわめてまっとうな態度でいえよう。
フランクフルト学派の革命戦術に被害者意識を煽るという方法がある。
LGBTの法制化をもとめるヒトがテレビカメラにむかってこういった。
「わたしたちをどこまで追い詰めると気がすむのですか!」
だれも追い詰めてなどいない。ただ、日陰に存在するものを、表にひっぱりだして騒ぐのはよくないといっているだけである。
100万人の統合失調症の人々を、法律をつくってまもるより、陰において適切な治療をおこなうほうがよほど賢明なのである。