●フランクフルト学派に汚染された戦後の思想
フランクフルト学派は、個の欲望を最大限に拡大して、それがうけいれられない場合、社会がわるいからだとして、これを革命のエネルギーに転化させるマルクス主義の戦略的思考である。
原点にあるのは自然に帰れ≠フルソーで、国家を必要悪とするホッブズにたいして、ルソーは、国家を悪とした。
ルソーやマルクス、フランクフルト学派が個の利益のみを見て全体の利益を見ないのは、個の利益が社会にうけいれられない場合、暴力でその社会を変えてしまおうという立場に立つからで、全体の利益をみとめると、革命のエネルギーそのものがしぼんでしまう。
左翼が個人の自由や権利、個人の民主主義ばかりをもとめ、全体的な秩序や多様性、差異などの文化に目をむけないのは、全体性の価値をみとめるところに革命のエネルギーはないからである。
個の領域を狭めて、全体の利益を重んじるのが保守主義だが、左翼はこれに反対する。個の領域を拡大させて、不満をつのらせなければ、革命のエネルギーはわいてこないからである。
そこで、大衆の不満をかきたてて、社会不安を煽るのが左翼の仕事になって、福島瑞穂や辻元清美、蓮舫らが、連日、保守党攻撃をして、マスコミがこれを追うというパターンが定着している。
テレ朝・玉川徹が「羽鳥慎一モーニングショー」で「将来に希望がもたない絶望感がテロにむかうのは仕方がない」とテロを擁護すれば、高千穂大学教授の五野井郁夫も「テロは絶望の果ての犯行で、政治への怨嗟を放置しておけばテロがくり返される。テロをおこした責任は権力の側にある」といってテロリストの片をもった。
これがマルクス・レーニン主義における「二段階革命(永続革命)」の要諦である。
個(個人)をもちあげて、全体(体制)を否定したのち、個人を国民主権におきかえて、人民政府(一党独裁)をつくろうという理論である。
ところが、その個人は、革命が成立すると、一顧だにされない。
国民主権は、国民全体が一つの単位で、個人は、計算外だからである。
革命をおこす前まで革命の道具だった個人の意志(特殊意志)も人民革命が成立した後では全体意志(一般意志)となって、個人は虫けら同然となる。
価値があるのは全体だけで、共産主義は、個には目もくれないのである。
●GHQ民政局を仕切っていたフランクフルト学派
マッカーシーの赤狩り≠ノよって、アメリカ政府の深くもぐりこんでいたフランクフルト学派の実態が暴かれた。
それと同時にSS戦略情報局(CIA)の指令を受けていたGHQ民政局もフランクフルト学派に汚染されていたことが露見した。
事実、GHQにもぐりこんだ隠れ共産主義者=ニューディーラーは、多くがフランクフルト学派の影響をうけたマルクス主義者だった。
GHQ民政局がつくったのが日本国憲法で、権利という文字が条文に28回もでてくるが、義務は3つ(教育・勤労・納税)しかない。
このことからも、GHQニューディーラーが、フランクフルト学派の影響をうけていたことは明らかで、OSS戦略情報局(CIA)でマルクーゼ、ホルクハイマー、E・フロムというフランクフルト学派が幅をきかせていた。
元来、憲法は、習慣法で十分なのだが、それを契約法にして、国家と歴史を切断しようとしたのは、社会主義革命のための布石で、フランクフルト学派はやり方が周到なのである。
フランクフルト学派が、戦後、日本中に蔓延したのは、日本の民主化をすすめたGHQ民政局がフランクフルト学派の巣窟だったOSSの支配下にあったからで、GHQ民政局の公職追放によって、日本の教育界や学会、マスコミ界は、そっくりマルキストにいれかわった。
日本人的な教師12万人が教壇を追われて、それまで、刑務所いるか地下にもぐっていたマルキストが小中高の教師なって、大学や学会、マスコミもマルキスト一色となった。
日本は、大戦で、すでに、230万人の甲種合格の日本人を失っている。
そして、公職追放で20数万の要人が職場や地位を追われて、日本人の魂をもった教員約12万人が公立学校から追放された。
戦後の教育界やマスコミはもはや日本ではなかったのである。
戦後、日本の主人となったマルキストは旧体制の指導者にこう言い放った。
「革命がおきたらおまえらはみなギロチンだ」
朝日新聞は、東条英機ら日本の戦争指導者7人に死刑が執行された日、紙面にこう書いてGHQをねぎらった。
「お役目ご苦労さまでした」
共産主義者から教育関係、官僚や法曹、学術、マスコミは、すべてGHQに媚びて延命をはかった前歴があって、渡部昇一は、かれらを「敗戦利得者」と呼んだ。
●文化革命の紅衛兵≠ニなった日本のインテリ階級
GHQ民政局次長ケーディスの右腕として活動、戦後、スパイ容疑をかけられて自殺したハーバート・ノーマンの周りには一ツ橋大学名誉教授だった都留重人ら日本人のマルキスト学者が群れていた。
憲法の権威、東大法学部憲法学者の宮沢俊義もフランクフルト学派に一人で宮沢の「八月革命説」は、フランクフルト学派がいう「二段階革命説」の前期革命(ブルジョワ革命)にあたる。
ちなみに後期革命は共産主義革命である。
フランクフルト学派のハーバーマスのことばに「憲法愛国主義」がある。
「民主主義国家において、国民は、祖国愛や愛国心ではなく、憲法の規範価値のもとに統合されるべき」という考え方で、これが、日本弁護士連合会のスローガンになった。
ドイツ統一の際、ドイツ民族が前面に出てきたが、これを完全否定したのが「憲法愛国主義」で、そのため、統一ドイツからドイツ色が一掃されることになった。
改憲論議でも、自民一部や公明党は「日本人(民族)にふさわしい憲法」という観点を欠いた法治主義に陥っているが、聖徳太子の「十七条憲法」をみてわかるように、憲法は文化で、条約や法律、命令や処分は、ただの法文である。
GHQのニューディーラーは、日本の国家体制を、西洋諸国が400年前に捨てた封建社会にあると思いこんでいた。
フランクフルト学派からの入れ知恵で、GHQは、日本を、ブルジョワ社会にたっしていない中世的社会と認識していた。
そして、天皇を、未開社会の酋長のような存在とうけとめていた。
フランクフルト学派は、二段階革命論にもとづいて、封建体制の文化構造を破壊して、日本を共産主義へ導くために、神道から神社、家族制度、権威、性的節度、伝統、愛国心、国家、民族、尊敬心などの徳や価値を封建体制の悪弊として否定してかかった。
このとき、フランクフルト学派が標的にしたのは、インテリ層で、とりわけ、教育界やメディア関係がターゲットになった。
フランクフルト学派がもとめたのは文化革命だったからで、文化を担うのはインテリと若者である。文化革命→政体革命が二段階革命の要諦で、それには精神を破壊して、人間をぶっ壊す文化大革命が先行されなくてはならなかった。
日本に共産主義革命をおこそうとしたのは、OSS戦略情報局(CIA)にもぐりこんだフランクフルト学派で、日本共産党以下、日本のマルクス主義者や反体制派は、外国勢力に追従して、革命を実現させようとする敗戦革命主義者でしかなかった。
だが、GHQが逆コース≠とったため、日本の左翼は、梯子を外された形になった。
ところが、日本の原型は、GHQが破壊してくれていたので、日本は、すでに左翼の国になっていた。
次回以降、日本が、いかにして、フランクフルト学派型の左翼国家になっていったかふり返ってみよう。