●シルクロード文明の終着駅だった日本
日本が、伝統や習俗、習慣や常識をかなぐり捨てて、海のむこうから入ってくる新奇なものにとびつく習性は、昨日や今日、はじまったことではない。
日本人の多くは、明治維新の廃藩置県や秩禄処分(武士階級の廃止)あるいは鹿鳴館文明(西洋かぶれ)を、案外、平気でうけいれて散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする≠ネどとのんきに都々逸をうなっていたのである。
日本人が海のむこうのものをやたらに有難がるのは、日本がシルクロードの終着点だったからで、アジア東端の島国だった日本にとって、海のむこうのものはすべてが物珍しく、有益なものだった。
日本は、ユーラシア文明を移入、あるいはこれを国風文化に変えて、独自の文化をつくりだしてきた(ハンチントン『文明の衝突』)が、その一方で、しばしば、鹿鳴館文明のようなかぶれ現象≠ひきおこしてきた。
近代になってそれがおきたのが、明治維新の文明開化や大正デモクラシーのリベラル・デモクラシー、敗戦後のコミュニズム・デモクラシーで、かぶれるのは、もともと、土着にはなかった異文明が移入される際に生じる過反応である。
明治維新以降、日本は、わずか20数年で、鉄道や電話、郵便などのインフラを整備して、綿糸や生糸の大量生産・大量輸出を開始している。
日本が短期間で産業革命を実現できたのは、江戸時代に高度な技術力を培っていたからだった。
アメリカのペリー提督は、日米和親条約を結んだ際、日本にアメリカの武器や電信機、蒸気機関車の模型を贈ったが、その数年後、佐賀藩や伊予宇和島藩は、独力で蒸気機関車を建造している。
そのうえ、佐賀藩は、イギリスが試作に成功したものの実戦化にてまどっていたアームストロング砲をさっさと建造してイギリスの度肝を抜いたが、これはさして驚くほどのことではなかった。
●戦国末期、日本は、世界一の火器保有国だった
日本に鉄砲が伝来したのは、1543年だが、関が原の戦い(1600年)で使用された鉄砲は、約二万五千丁で、当時、日本には、五、六万丁の鉄砲があったといわれる。
ちなみに、当時、全ヨーロッパにあった鉄砲は、約三万丁で、火砲が中心となる西洋との戦争で、日本は、襲ってくる敵を集中砲火でつぶす火力をもっていたのである。
これがハンチントンのいう日本文明のユニークさで、アヘン戦争では中国が英海軍の火砲に歯が立たなかったが、日本では、薩英戦争で、イギリス艦隊を徹底的にやっつけている。
イギリス艦隊の損害は、大破1隻・中破2隻の他、死傷者は63人(旗艦の艦長と副長を含む死者20人)におよんだが、日本の被害は流れ弾に当たった戦死一人のほか艦砲射撃で市街地の一部失っただけだった。
日本は、シルクロード文明を吸収して、国風文化を磨き、世界大国になっていったが、一方、日本には、西洋コンプレックスがつよい連中が権力をにぎる傾向があって、明治維新以降、日本を西洋の下位に置いて、西洋崇拝者であるじぶんを売り出すやからが幅をきかせてきた。
卑屈に西洋にはいつくばって、その西洋と気脈がつうじていることを武器にじぶんを売りだそうというわけだが、そういう連中がもちいるのが反日侮日と西洋崇拝の宣伝(プロパガンダ)だった。
日本には、数万の格言やことわざがあって、そのどれも、自由や平等、権利などの啓蒙思想と人間社会のルール、生活感情をあわせた生きた人生教訓で、これにくらべると、杓子定規な西洋の思想など幼稚すぎて、お話にならない。
ことわざには「情けは人の為ならず」や「武士は相身互い」など民主主義の本質をつくものが数限りなくあるが、西洋にあるのは、デモクラシーとリベラル、コミュニズムだけで、その土台に自由と平等、権利などの啓蒙主義があるだけである。
せいぜい10個ほどの観念をふりまわしているのが西洋だが、日本の学者連中はこれを延々とこねくりまわして、西洋通の知識人としてふんぞり返っている。
●「日本弁護士連合会」は日本で最悪の反日集団
インテリバカがふんぞり返っているなかでとりわけ悪質な害毒を垂れ流しているのが日本弁護士連合会で、犯罪者の片棒を担ぐのが身上の弁護士が、反国家の先兵となって、言論テロをくりひろげている。
その代表が小林節という狂信的なアジテーターで、弁護士というより特殊なイデオロギーをもった極左扇動家である。
左翼はマルクス主義者だが、法律家は法理主義者で、マルクス主義者は革命をとおして、一方、法理主義者はその法理をとおして、国家を倒そうとする。
国家は、歴史や習俗、文化や権力などの多様性からできている複合的にして壮大な生きものということができるが、法律屋は、国家を法理という一局面からしかみることができない。
弁護士で、大阪府知事、大阪市長をつとめた橋本徹は『実行力』『交渉力』『決断力』などのベストセラーを連発しているが、そのどれも、法理を土台にした机上論で、人間の心が宿っていない。
橋本は、ロシアのウクライナ侵攻にかんして、4000万のウクライナ人は、生命をまもるために祖国を捨てて難民になるべきとのべて、世界から呆れられたが、それでも、日本では、橋下イズムが圧倒的な支持をえている。
そこで、気がつくのが、日本では、すでに、人間の心や正気が失われているという事実である。
西洋バカに学者バカ、偏差値バカ、法律バカ、さらにここにLGBTバカがくわわって、日本では、一般的な社会通念や常識、人情などの歴史的価値観が崩壊した知的ゾンビの国になっている。
●じぶんの頭でモノを考えられない現代の日本人
それが文化革命の恐怖で、昨日まで善だったものを一夜で悪にかえて、その価値の逆転をもって、大勢の罪なき無垢の人々をみな殺しにする。
貴族4万人の首をハネたフランス革命、ロマノフ王朝の残党125万を酷寒のバイカル湖に沈めたロシア革命、犠牲者数が6500万人にものぼる毛沢東の文化大革命(ステファン・クルトワ『共産主義黒書』)、200万人の父母を殺したポルポトのカンボジア革命と、革命は血も凍るふるまいだが、日本でも、12人の仲間をリンチ殺人した連合赤軍や死者が100人をこえる中核・核マルの内ゲバ事件などがある。
テロ事件では、オウム真理教がサリンをつかって14人を殺害(負傷者6300人)したが、日本では「民主主義と国民の人権を侵害する(「日本弁護士連合会」)という理由からオウム真理教への破防法適用が見送られて、オウム真理教の後継3団体(アフレなど)の約2000人の信者が息をひそめて次のテロ機会をうかがっている。
このことからも、弁護士会は国民の敵≠ニわかるはずだが、高学歴者が社会の中枢を握っている日本では、医者や弁護士、高級官僚、大学教授らが上級国民のセンセー様で、テレビでも、視聴者である一般国民がかれらの高説をうかがうという構成になっている。
デヴィ夫人は、昨今のジャニー喜多川£@きに辟易して「ジャニーズ系のタレントが恩人であるジャニー喜多川を批判することはジャニー氏の慰霊への冒瀆」「ジャン・コクトーがジャン・マレーを愛したような特別な世界、関係性というものはある」とツイッターに投稿したところLGBT賛歌でわき返っているネット・マスコミからすさまじい反発があった。
「権力者男性に媚び売る恥知らず」といったものが大半だが、なかでも、英国BBCや国連、アメリカ大使が問題にしていることをとりあげて、世界に恥ずかしいとおそれいる声も多かったという。
魔女裁判で200万人の無垢な女性を火刑にした悪魔のような国に、生類憐みの令の情け深い国がなぜ恥じなければならないのか。
西洋や西洋人に媚びるのもいい加減にすべきである。
長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』(ABCテレビ)に男性カップル(フランス人と日本人)が登場して、視聴者から「おめでとう」の声が殺到して、ひげ面同士の抱擁に眉をひそめるふつうの日本人が時代遅れと罵倒された。
その一方、レバノンやウエートなど中東では、世界的に大ヒットしている映画「バービー」が「同性愛を助長する内容がふくまれている」として上映禁止になった。
ジェンダーフリーとはなんだったのか、日本人は、じぶんの頭でもういちど考えてみるべきだろう。
じぶんの頭でモノを考えることができるようになったとき、日本人は、ようやく、正気をとりもどすことができるのである。