2023年09月19日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和20

 ●「大東亜共栄圏」と「皇国史観」への拒絶反応
「大東亜共栄思想」と「皇国史観」にたいするマスコミとインテリ集団(日本弁護士連合会・学術団体・教員組合など)の拒絶反応には、すさまじいものがある。
 朝毎読は、親の仇にでも出遭ったかのように憎悪むきだしだが、産経新聞も社説で「皇国史観などもってのほかだが…」と書いて平然としている。
 大東亜共栄思想や皇国史観にたいする攻撃は、大手新聞よりもNHKのほうが、過激にして執拗で、大東亜共栄思想は日本のアジア侵略の口実だったという偏向番組をつくって、戦後から現在にいたるまで、延々と流しつづけている。
 GHQには対日工作の部局が三つあって、諜報活動の元締め「参謀第二部」と日本のFBIといわれた「民間諜報局」そして日本民主化の中枢「民政局」である。
 そして、日本政府やマスコミ、インテリ集団は、戦後から1951年のサンフランシスコ講和条約までの6年間、ひたすら、GHQにひれ伏してきた。
 講和条約締結によって、GHQが日本から引き揚げて、マスコミがGHQの諜報や保安、検閲などから自由になったとするのは早計である。プレスコード(日本新聞紙法)と公職追放が相まって、左翼の巣窟と化していた日本のマスコミは、GHQの「日本弱体化戦略(「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」)を踏襲して、GHQよりも過激な自主規制と反日報道をくり広げるのである。
 左翼革命をおこすには、暴力で国家を転覆させるよりも、反日教育で国民を洗脳して、国家を貶め、侮蔑させ、嫌悪させるほうが得策だからで、たとえ、革命が実現できなくとも、そのかん、マスコミは、反体制のヒーローとして、世間の耳目を集めることができる。
 それがマスコミ左翼の正体で、かれらは、GHQの謀略にのって国を売ってきたのである。
 
 ●大東亜共栄思想になぜ罪意識をもつのか
 左翼インテリや野党、リベラルは、日本はアジアに謝罪すべきと声を揃えるが、当のアジアに、日本にたいする怨恨などない。
 ビルマ外相ウ・ヌー「高い理想と目的の高潔さをつらぬいた唯一の国がある。その国は、アジアの独立と民衆の開放に命と資産のすべてを犠牲にした日本という極東の島国だ」
 ビルマ首相バー・モウ「われわれを白人支配から救い出してくれたのは日本だった。われわれは大戦の終盤に日本を見限ったが、その恩を忘れない。日本ほどアジアに貢献した国はない」
 ビルマ独立の父オン・サン「日本の軍事訓練はきびしすぎた。しかし、ラングーンが落ちたとき、われわれは、日本にしたがってきたことがまちがいではなかったことを知った」
 タイ副首相T・クーマン「日本の指導から、戦後、アジアで新しい独立国が不死鳥のようにあらわれました。だれに感謝をささげるべきか、あまりにも明白です」
 タイ首相プラモート「日本というお母さんは、母体を壊して、アジア諸国という子を産んでくれました。今日、アジア諸国が欧米と対等に話ができるのはだれのおかげか、みずからを殺して生んでくれた日本というお母さんがいたからです」
 インド首相ネルー「日本はわれわれに謝罪しなければならないことをなにもしていない。それゆえインドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない」
 インド弁護士会会長グラバイ・デサイ「インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩は忘れてはならない」
 スリランカ大統領ジャヤ・ワルデオ「アジア諸国が日本の復興を望む理由はアジアにとって日本が唯一、信頼できる国だからだ」
 元インド軍大尉ヤダブ「インパールの戦争で、6万の日本兵士がわれわれのために犠牲となってくれた。われわれインド人は子々孫々まで日本軍の献身的行為を忘れてはならない。そして感謝しなければなりません」
 日英激戦地マニプール州2026高地(インド)の現住民「日本兵はわたしたちを戦場から逃がして戦ってくれました。いまこうしてわたしたちが生きていられるのは、みんな、日本の兵隊さんのおかげです」
 インパール作戦慰霊碑のある村の村長「日本の兵隊さんたちは、飢餓のなか勇敢に戦い、死んでいきました。絶望的な状態にあって、勇敢さを忘れなかった日本兵の魂がインド独立の糧となりました。この慰霊碑は、独立インドの象徴でもあるのです」
 フィリピン大統領ホセ・ラウレル「日本はかならず立ち直る。日本民族とともに歩め(戦後、収監されていた巣鴨に面会に来た三男のサルバドールに)」
 マレーシア外相シェフェー「なぜ日本が謝るのでしょうか。あの大戦でマレーシア人と同じ小さな体の日本人が大きな体のイギリス人を追い払ってくれたのです。日本が払った尊い犠牲を否定することは、アジアの今日の繁栄を否定することです」
 マレーシア元首相マハティール「日本の責任を問うならば非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の責任はどうなるのだ」
 シンガポール首相ゴーチョクトン「日本の統治は過酷だった。しかし、日本軍によって、戦後、アジアの植民地はすべて独立することができた。アジアに不屈の精神を植えつけた日本統治がアジアに自信をもたらして、欧米のアジア支配を粉砕したのだ」

 ●日本悪玉論をリードしてきた朝日毎日とNHK
 NHK(アーカイブス)は現在でもこんな放送を流している。
 太平洋戦争で東南アジアを武力で占領した日本は「大東亜共栄圏」の建設を掲げました。大東亜は、東アジアから東南アジアにかけて資源が豊富な一帯をさします。東條英機総理大臣は、欧米に占領されて、経済や文化が遅れているこの地域に、日本を中心とした道義にもとづいた共存共栄の秩序を確立すると約束しました(1943年「大東亜会議」)
 しかし、日本が東南アジアに侵攻したのは、石油や鉱物などの資源の獲得が目的だったのです。日本軍は現地住民を「土民」と呼び、独立に時期も日本が判断することが前提となっていました。
 イギリス、アメリカ、オランダ、フランスとの交易で経済圏が成立していた植民地に日本軍が侵入してきたため、住民は食料や生活物資の不足に苦しんだばかりか、多くの人々が鉄道や道路建設などの場所で働かされて、過酷な労働や食料不足のために亡くなりました。
 インドネシアのある住民は、当時をふり返ってこういます。「日本人はバゲロー(馬鹿野郎)と言って頭を叩くのです。インドネシア人にとって頭は神聖で敬うべきものなのです」
 憲兵隊に捕まって拘禁された男性もこう述懐しています。「憲兵隊は、乱暴で残酷でした。日本人はどうしてこんなことをするのか本当に理解に苦しみました」
 ビルマ独立軍のアウンサンについてかつてNHK(アーカイブ/1991年10月9日)はこういうナレーションと映像を流した。
「ビルマ独立軍にとって思いがけないできごとがおきます。ラングーン近くのモールメンを攻略した日本軍が、突如、軍政を敷いたのです。アウンサンは激怒しました。日本軍はビルマ独立の約束を反故にするのではないかと」
 NHKは、アウンサンを純情青年のように描くが、アウンサンは、24歳の若さでビルマ共産党の初代書記長に就任した天才的政治家で、イギリスのアトリー首相やマウントバッテン司令官までが手玉に取られている。アウンサンは日本軍がアジア独立よりも「援蔣ルート(ビルマライン)」の破壊を優先させていたことは百も承知で、日本を裏切ってイギリス側についたのは、インパール作戦で日本がイギリスに負けたからである。
 日本軍と共に戦って、1942年3月にラングーンを陥落させ、同年7月にビルマからイギリス軍を駆逐することに成功したビルマ独立軍のアウンサンは1943年、日本に招かれて弱冠28歳の若さで旭日章を受章、同年、バー・モウを首相とするビルマの国防相になっている。
 だが、海南島で、独立のため日本軍から苛酷な軍事訓練をうけたアウンサン(日本名面田紋次)にとって、日本は、ビルマ独立のために利用すべき道具でしかなかった。そのアウンサンも、1947年7月19日には、ビルマ独立を見ることなく6人の閣僚とともに暗殺されている。
 次回以降、旧大東亜共栄圏の旧主宰者だった日本がグローバルサウスなどとどう提携して、ロシア・ウクライナ戦争や台湾危機などの火種をかかえた世界とどうむきあってゆくべきかについて考えたい。
posted by office YM at 09:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする