2023年10月15日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和25

 ●日本への原爆投下と都市空襲を謝罪した次期大統領候補
 ケネディ元大統領の甥(ロバート・ケネディ・ジュニア)も出馬が予定されている2024年の米大統領選に元イリノイ大学教授で、東アジア研究家として名高いエマニュエル・パストリッチも参戦する。
 そのエマニュエル博士のネット配信(ユーチューブ動画/日本語)が、現在、日米で物議をかもしている。
 話題になったのは、荻生徂徠の翻訳者として知られる同博士がアメリカ人として、広島・長崎への原爆投下と、日本の都市への空襲について謝罪しているからで、発言中、深々と頭を下げる博士の目には涙さえうかんでいるように見える。同博士は同配信でこうのべる。
「(日本に)勝利したアメリカは、永遠の戦争への道にのりだしました。朝鮮やベトナム、イラン・イラク、アフガニスタン、シリア、そして、ウクライナとアメリカはこれまで必要のない戦争をくり返してきました。現在も、アメリカ国防総省は、ロシアや中国との核戦争の準備をしています。その伝統は、戦時中のマンハッタン計画=核兵器を開発からはじまりました」
「広島と長崎への原爆投下は、必要のない実験的で残酷な犯罪でした。原爆の投下だけでなく、アメリカは、戦争の後半の3年半に2000回以上の空爆をおこないました。そして、日本の木造家屋を燃やすために開発したナパーム弾(焼夷弾)を2040万発も使って、300万人以上の日本の民間人を殺しました。日本の皆様、誠に申し訳ございませんでした」
「これまでアメリカは『戦争を早期に終結させるため』『アメリカ人兵士の命をまもるため』といった口実のもとに原爆投下や都市空襲を正当化してきましたが、すべて、ウソです。いかなる理由も厳然たる事実の前では無効です。事実というのは、数百万人におよぶ無辜の人々の命を奪ったことです。ウソというのは、その事実にたいする理由づけや合理化、言い訳のすべてです」
「アメリカが永遠の戦争≠ニいう連鎖から逃れるには、いかなる釈明も捨てて、日本と日本人に、原爆投下と都市空襲を謝罪しなければなりません」

 ●反ウクライナ、反イスラエルを叫ぶ橋下徹の幼稚な「因果論」
 自民党と太いパイプをもつ政治評論家の加藤清隆とコメンテータの橋下徹のイスラエル・ハマス戦争をめぐるネット上のバトルがちょっとした話題になっている。
 結果を重視する現実主義の加藤にたいして、動機や因果を重く見る理念主義の橋下が食ってかかる、いわば、結果論と動機論の衝突だが、法律家や官僚、左翼には、橋下のような理念主義がじつに多い。
 橋下は「ウクライナ人は祖国のために戦っている。祖国のために命をかけることは尊いと言っている者は、パレスチナ人が命をかけて祖国をまもる行為を尊いとは言わない」とのべた。ロシアのウクライナ侵攻にたいして、4000万人ウクライナ人は、国を捨てて難民になれといった論理の延長で、親ロシア・親パレスチナの感情がほとばしりでたものであろう。
 これにたいして、加藤は「ハマスは、野外音楽会を急襲し、250人以上を殺害し、100人以上を拉致した。母親や乳幼児もふくめて50人以上が惨殺されたキブツもある。これが『祖国をまもる尊い行為』なのか」とやり返した。
 激高した橋下は「イスラエルがパレスチナにやってきたことをすこし調べてから言え」「徹底報復の権利を主張できるのは、じぶんに徹底報復を受けるだけの非がない者だけや。そんなことも分からんのか」と食ってかかった。
 橋下の理屈は、中学生レベルの因果論で、原爆投下や都市空襲を正当化するアメリカと同一の論理である。
 加藤は、ジェノサイドや原爆投下のような残虐行為は、理由の如何を問わずノーという絶対論である。
 一方、残虐行為にも動機や因果があるので、よく勉強してからモノをいえというのは相対論で、橋下は、政治や経済から社会一般、ジャニーズ問題にまでくちばしをつっこんで舌先で相手を丸めこむ相対論者である。
 弁護士は、強盗殺人や強姦殺人でも、カネさえもらえば、無罪や執行猶予をもとめる職業とあって、常識や一般的な価値観、人間的な感覚がまったく通用しない。

 ●現実から目をそらせて永遠の平和を唱える日本の平和主義
 ノーベル文学賞をもらって、日本の文化勲章を拒否した大江健三郎は「真珠湾を攻撃した日本には原爆を投下されても文句を言う資格などない」といってのけた。
 一方、東京裁判で判事を務めたインドのパール判事は広島慰霊碑銘の「安らかに眠って下さい 過ちはくり返しませぬから」いう文言について怒った。原爆投下という過ちを犯したのはアメリカではないか。それなのに、なぜ、日本人は過ちをくり返しませんから≠ニいって謝るのかというのである。
 大江健三郎も橋下徹も、原爆慰霊碑銘を書いた雑賀忠義(広島大英文学教授)も、結果と原因をむすびつけて考える因果論者、相対論者である。
 因果論や相対論というのは、キリスト教の神学や原罪論、仏教の因果応報のことである。
 戦争は、人類共同の罪なので、原爆を落としたほうにも落とされたほうにも罪があるというのは高邁な理想論だが、これは、現実や事実よりも理念や思想を重んじる法律家や官僚、左翼の独特の思考法である。
 戦後日本は、吉田茂以来、霞が関(官僚)主導の政治がおこなわれてきた。
 その結果、日本の政治から現実主義や絶対論が抜け落ちて、理念主義や相対論ばかりになって、日本人も、頭がお花畑の平和主義者ばかりになった。
「基地のない沖縄を実現」「憲法9条で平和な日本を」「原発ゼロの会(発起人河野太郎ら)」などと喧しいが、沖縄は、地政学的に基地の宿命を逃れることができず、日米軍がでてゆけば、代わりに中国が基地をつくるだけである。
 中国やロシアや北朝鮮などの軍事大国に囲まれて、憲法9条の軍事力放棄をいうのも、イランを後ろ盾にしたハマスのイスラエル奇襲攻撃を見て危機感を抱かないのも、平和主義ではなく、危機感喪失の痴呆状態で、平和ボケの度が過ぎているだけである。

 ●官僚に依存してきた日本が陥った政治的不能
 日本の政治は、霞が関にべったり依存してきた。外交は、外務省の米中二元主義(アメリカンスクール/チャイナスクール)で、政治はマスコミの顔色をうかがってばかりのポピュリズム、経済は、財務省・日銀のいいなりとあって、日本の政治は、議員を養う公的機関にすぎなくなっていた。
 岸田政権の支持率が下がったのは、国民に不人気のLGBT法案をとおして統一教会の解散命令にもたついたからで、マスコミ世論に媚びて、官僚主導とリベラルに傾いた宏池会の政治的非力が丸出しになったともいえよう。
 とくに大きな問題は、宏池会が苦手の外交と防衛で、イスラエルとハマスの戦争拡大で、日本は、エネルギーと防衛の二面において窮地に追いやられる。
 日本は、ハマスを支援しているイランから原油を輸入していないが、中東への依存度は92%で、イスラエルとハマスの戦争がペルシャ湾危機に拡大した場合、石油輸入がピンチに陥りかねない。
 だが、中東一辺倒の外務省に策はない。埋蔵量が世界一のベネズエラの石油(オリノコタール)は、米系海外資本が撤退後、ほとんど採掘されていないのは、精製に必要な技術がないからだが、日本が本腰をいれればベネズエラの石油が日本のエネルギー事業の救世主になりうる。
 日本とベネズエラの資源外交の突破口を開いたのが安倍晋三元総理大臣だったが、外務省にも政界にも、安倍の路線を継ぐ者はいない。
 宏池会が政治に弱いのは、池田勇人の下、前尾繁三郎や大平正芳、鈴木善幸や宮澤喜一ら官僚出身者が主流を固めたからで、官僚を使うハラの座った政治家は一人もいなかった。
 日本の税収は3年連続で70兆円をこえて、岸田首相が2〜30兆円規模の減税(消費・所得)と給付金を打ち出せば、いつ解散しても、現議席は保てるが、宏池会で宮沢の子分だった岸田はきりだせない。
 日銀はインフレ、財務省は減税の恐怖症だからで、岸田には日銀や財務省につめよるハラはない。
 次回以降、イスラエルとハマスの戦争と複雑きわまりない中東情勢、米軍が中東へシフトしたのち、単独で、ロシアと北朝鮮、中国と対峙しなければならなくなる日本の立ち位置についてものべよう。
posted by office YM at 20:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする