2023年11月19日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和30

  ●原爆投下は本土決戦のためのものだった
 敗戦によって、日本でも革命がおきたという学説があって、その代表が丸山眞男や宮沢俊義の「八月革命論」である。
 レーニンの敗戦革命論を下敷きにしたもので、具体的には、ポツダム宣言の受諾によって、天皇主権から国民主権に移って、それが革命だったというのである。
 GHQの神道指令や公職追放、容共主義、軍国主義や封建的制度破棄、労働組合強化などによって、たしかに、革命的事態が進行していたが、レーニンの敗戦革命論と決定的にちがうのは、政府が転覆していなかったことである。
 マスコミ左翼や学会、知識階級が無条件降伏≠主張するのは、敗戦革命論の前提が国家転覆だったからで、日本が無条件降伏していなければ、革命がおきたことにはならない。
 とはいえ、当時、日本は、革命前夜というべき政治的状況で、天皇の廃位や立法・行政・司法の停止が実行に移されていれば、革命がおきていた可能性はきわめて高かった。
 大戦末期、日本政府はポツダム宣言を受諾するに際して、天皇大権を害する項目がふくまれるか否かについて連合国にたいして回答をもとめている。
 この照会にたいして、連合国側は、明確な返答しなかった。
 天皇を処罰しないと返答して、日本が降伏すれば、日本を軍事支配するために必要だった原爆投下の機会が永久に失われてしまうからだった。
 バーンズ(国務長官)回答には「日本の最終的な政治形態は日本国民の自由意思によって確立される」となっていた。
 日本政府は、日本国民の自由意思に天皇の大権維持がふくまれると解釈して1945年8月14日、ポツダム宣言の受諾を通告した。
 ポツダム宣言の受諾が、8月6日(広島)、8月9日(長崎)のあとになったのは、原爆投下は本土決戦のためのものだったからで、トルーマンはポツダム宣言の前のすでに原爆投下の命令書に署名していた。
 日本が本土決戦という選択肢をもっているかぎり、無条件降伏は、論理的に成り立たない。進駐軍30万人の生命は、本土守備隊(陸軍315万人、海軍150万人)と十隻の軍艦、5000機の戦闘機、1000両以上の戦車車隊(5個機甲師団)の前ではひとたまりもなかったからで、しかも、本土守備隊にはカミカゼ攻撃≠フ訓示が下されていた。
 硫黄島と沖縄の戦闘で、2万人の兵士を失ったアメリカは、進駐米軍の全滅を防ぐため、日本本土に原爆を投下して、日本人のタマシイを骨抜きにしなければならなかったのである。

 ●平和主義と命乞い≠フ区別がつかなくなった
 原爆によって50万人の非戦闘員を虐殺されるという世界史上、最悪のジェノサイドによって、日本人は完全に肝っ玉を抜かれた。
 広島の原爆慰霊碑に「安らかに眠って下さい 過ちはくり返しませぬから」とあるのを読んでインドのパール判事は激怒したが、敗戦トラーマと戦争恐怖症に陥っていた日本人は、平和と命乞いの区別がつかなくなっていたのである。
 かつて野坂昭如は「戦争がおきたら白旗をあげるべき」といったが、これをひきついだのが瀬戸内寂聴や橋下徹らの生命唯物論≠ナ、日本の平和主義は命乞い主義といってよい。
「世界価値観調査(WVS/電通総研)」がおこなった「もし戦争が起こったら国のために戦うか」というアンケートで「たたかう」と答えたのは、日本ではわずか13・2%で、調査対象国79か国中ダントツの最下位だった。
 ちなみに、下から2番目の78位は、独ソ不可侵条約(1939年)による西方侵攻でソ連の属国となったリトアニア(32・8%)だが、それでも国をまもろうとする若者の数は日本の倍以上である。
 日本人のタマシイが抜かれた証しは憲法で、国のかたちを定める国家軌範が日本人の生命保証書≠ノなって、日教組は、日本人の生命をまもるために憲法がつくられたと生徒に教えている。
 日本の憲法は、占領中につくられたので、国家主権がうたわれていない。
 したがって、世界の国々がもっている緊急事態条項が日本国憲法にはない。
 緊急事態条項とは、政府の通常の運用では対処することがむずかしい事態が発生した場合、権力分立や人権を制限できるとした国家法で、国権は、私権にすぎない人権の上位にあるとした国家主権の宣言である。
 GHQ憲法で、緊急事態条項が謳われなかったのは、日本という国家の主権者がGHQだったからで、このGUQ体制のなかで、戦後、最初に宰相になったのが、英米派の吉田茂だった。
 国家として、緊急事態条項をもたないのは異常だが、吉田は平気だった。
「アメリカがまもってくれるならこれにこしたことはない」といって、吉田は憲法改正や国家防衛にはまったく無関心で、ひそかに、護憲派の旧社会党を応援した。

 ●なぜ日本の政治はかくも貧しくなったのか
 そこに戦後日本の保守政治の貧しさの根源がひそんでいる。
 生命が大事というのは、宗教であって、政治ではない。
 カネや物質的ゆたかさ、個人の欲望ばかりをもとめて、国家や国体、全体的な視野を失って、どうして、国家の政治が成熟するだろう。
 日本の戦後政治の貧しさは、安倍晋三以外、政治的なポリシーをもった政治家が登場してこなかったことで、保守政治では、池田勇人(「宏池会」)や佐藤栄作(「周山会」)ら吉田学校と呼ばれた官僚出身者が多数を占めてきた。
 官僚から首相になった政治家は、外務省の吉田茂を筆頭に岸信介(商工省)や池田勇人(大蔵省)、佐藤栄作(鉄道省)、福田赳夫(大蔵省)、大平正芳(大蔵省)、宮澤喜一(大蔵省)、中曽根康弘(内務省)らがいるが、政治家としての気骨をもっていたのは岸信介だけだった。
 宏池会は、創立者の池田勇人以来、大平正芳と鈴木善幸、宮澤喜一、現在の岸田文雄と5人の総理大臣を輩出したほか河野洋平と谷垣禎一の2人の総裁をだしているが、政治的には見るべきものはなかった。
 岸田首相は「核兵器ない世界へ機運を高めたい」などと語っているが、平和主義とリベラリズム(市民革命思想)が宏池会の唯一最大の主張で、それでは宗教・思想団体となにもかわらない。
 岸田の最大の失敗は、支持率低下の原因ともなった「オカマ法案(「LGBT平等法」)をとおしたことで、LGBTは、政治からもっとも遠くにある究極の個人主義だった。
 日本は昔から国家が性の問題≠ノふれない社会風潮だったが、これに火をつけたのがリベラリズム(市民革命志向)で、政治や経済ではなく、性という究極の個人主義をもって、国家(全体)や国体(天皇)を否定、転覆させようというのである。

 ●政治の矛盾に目をつむって夢想的平和を語る宏池会
 最高裁が、性別変更にかんして、生殖能力をなくす手術を必要とした現行の「性同一性障害特例法」は差別的とする弁論をおこない、いよいよ、特例法を違憲と判断する可能性が濃厚となってきた。
 よろこんだのが朝日や毎日、中日や日経で、第81条にしたがって特例法の改正を急ぐようもとめた。
 すでに、LGBT理解増進法が成立しているが、女性を自称する男性が女性専用のスペースに立ち入るなどの女性にたいする加害行為がふえていることには知らぬ存ぜぬである。表現の自由が被害者への配慮を欠いているのと同じ話で、LGBT理解法も表現の自由も、しょせん片手落ちなのである。
 憲法81条に「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを決定する終審審である』とあるのは、三権分立の否定にほかならない。
 国会で成立させた法律を、15人の裁判官が否定して、無効にできるという制度は民主主義や国家主権を否定する司法ファッショで、この司法改正にとりくんでいたのが安倍晋三元首相だった。
 だが、安倍さんは、マザコンの元海上自衛隊員の銃撃に斃れた。
 日本の保守政治にとってこれ以上の悲劇は考えられもしないが、岸田はその間隙をぬってLGBT理解法とおして、一方、核兵器ない世界へなどの空語を発している。
 この政治的な不毛が原爆を落とされた国の精神的外傷で、日本は、いつまでたっても、政治の現実を直視できず、空想の世界をさまよっているのである。
posted by office YM at 21:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする