●北方領土は領土ドロボー、それをゆるす2島返還論
北方領土問題は、ソ連による領土掠奪、不法占拠から生じた国家犯罪である。
その責任の一端を負うのが、サンフランシスコ条約で日本に千島列島返還を命じたアメリカである。
「島は還らない(ジミー・カーターヘの手紙)」という本を出版して、アメリカにでかけて、民主党大会でカーター大統領に会ってきた。
アメリカは、北方四島にどれほどの歴史的な認識をもっているのか、それを知りたかったからである。
大会で、上院議員2人を紹介されたが、かれらは、北方領土についてなにも知らなかった。
終戦後、ソ連政府は、軍隊にクリルアイランドに進駐すべしと指令をだした。
占守島では、いちどは武器を捨てた日本軍がソ連軍と戦って、優位に立ったが、結局、武装解除に応じた。
このとき、ソ連軍は中千島まできて、ひきあげている。
日本の北方領土4島に、米軍がいると思ったのである。
択捉・国後・色丹・歯舞の北方4島は 歴史上、いちども他国の領土になったことはない
1855年の日魯通好条約で、日本とロシアとの境界線が、クリル列島の最南端 ウルップ島と北方4島最北端 択捉島とのあいだにひかれた。
この条約で、北四島、中千島の18島はソ連に、南千島の4島は日本に帰属することが国際法的に確定した。
この南千島4島が、択捉島、国後島、色丹島、歯舞の北方領土である。
1875年の「樺太千島交換条約」で、日本は、ソ連から千島列島18島を譲り受けた。その代わりにソ連と共有していたカラフト全島の権利を放棄してソ連にゆずった。
日本は北千島、中千島18島を戦争で奪ったわけではない。条約という外交手段をとおして手に入れたのである。
その意味で、日本共産党が 北方4島にくわえて、千島列島全体18島が日本領土というのは正論である
鈴木宗男の北方2島返還論は、歴史的根拠のない迎合論でしかない。
鈴木宗男 中川一郎の秘書だった。わたしは、中川一郎が主催していた「国民討論会」をひきついだ。したがって、多少、縁があることになるが、鈴木の2島論は断じてがえんじられない。
二島返還は、1956年の「日ソ共同宣言」におけるソ連側の主張で、日本側がいいだしたことではない。
これにたいする警告が「ダレスの恫喝」だった。
日本がソ連の二島返還に応じたら、アメリカは沖縄を返還しないというのである。
4島返還は 歴史的な根拠にもとづく正当な権利だが、2島返還は、ソ連への迎合論であって、日本の国是に反する。
日本が返還をもとめてきた北方領土は、エリツィンと橋本首相の「東京宣言」も、プーチンと森首相の「日露共通の認識」も、すべて、4島一括だった。
日本が「ポツダム宣言」を受諾したのが1945年8月14日で、重光外相が降伏文書に調印したのが1945年9月2日である。
ソ連軍は、日本が「ポツダム宣言」を受諾したのちの8月28日から、降伏文書に調印したあとになる9月5日までのわずか一週間で北方4島の占領している。北方領土が、戦争の成果というのは歴史の歪曲で、ソ連のやったことは火事場ドロボーでしかない。
わたしは「島は還らない」という本を書いて、みんなが返せ、返せといっているのに還らないというのはケシカランじゃないかと菊池芳郎議員から叱られた。
だが、5年、10年かかっても、北方領土返還はむずかしい。
たとえ、百年かかってもいい。
4島返還という原則をつらぬきとおすのが国是である。