●ヨーロッパの極右は権力をもとめる政治勢力〜日本の右翼は国体=天皇の権威をまもる文化的存在
ヨーロッパでは 極右が政権にくわわっている。日本では 考えられないことである。イタリアで極右のメロニーが首相になったとき 政権がこんなに長つづきして 全ヨーロッパに大きな影響力をもつと思わなかった。
日本の右翼をひきあいにして 右翼が国会議員になれるのか。右翼が首相になれるのかと 大方の日本人は首をひねる。
ヨーロッパの右翼や左翼は フランス革命のあと 議会の右側に王政派が議会の左側に 革命派が陣取ったことに由来する。
ヨーロッパでは 右翼も左翼も はじめから政治的存在で、右翼が選挙にでて 当選して 議員になっている。
日本の新聞は 右翼が当選した 議員になったと 驚いて報じる。
右翼と聞いて 日本人は ヒトラーやムッソリーニら 独裁者を連想するのである。
ところが ヨーロッパの右翼は はじめから政治的存在で、保守派が右翼 改革派が左翼というのは 政治的ポジションだったのである。
日本の右翼はどうなのか。西郷隆盛が右翼の祖であるとか、楠木正成が右翼のはじまりであるといわれるが、それも一つの認識であろう。
大正デモクラシーとりわけロシア革命以後、日本に 自由平等という概念が入ってきて 右翼や左翼という政治的な対立が生じた。
日本の右翼は 革命の対立概念で 政治思想ではなかった。
右翼は政治結社を名乗っているが 選挙に出て 議員になって 議会で政策を議論する政治家になろうというではない。
鎌倉時代の昔から 日本の政治は 権威と権力 国体と政体の二つに分かれていた。権威が天皇 権力が幕府の二元論である。現在も 総理大臣も 皇居で天皇の認証をうけなければ その地位につけない。
権力には権威が必要なのである。権力は 本来 野蛮なものである。その権力を国家国民のために使ってくださいという天皇の願いが権威の源泉である。
権威をあたえられて 権力は正統性をおびる。
その二元論の構造をまもろうとするのが日本の右翼である。
政体のお先棒を担ぐ存在ではなく 歴史や伝統、文化をからできあがっている国のかたちをもろうとする。
国体の中心は天皇である。右翼は その国体をまもる思想家である。
右翼は国体思想の防人であって 政治運動家ではない。
したがって、右翼運動をやって 政治家になろうという発想はない。
権力をもとめるヨーロッパの極右は 政体に組みこまれた存在である。
日本の右翼は政治性をもっていない 自民党の飼い犬でも番犬でもない。
憲法は政治の軌範で 皇室典範は歴史伝統、文化の集積である。
春には天皇が田植えをして 収穫祭の秋には 皇居でも祭祀がおこなわれる。
天皇は国民と一体になった存在なのである。
日本の右翼は 歴史伝統、文化の集積である国体=天皇をまもる防人である。
右翼には 議員活動をするために選挙にうってでるという歴史も経験もない。
日本の右翼は 民主主義が興ったヨーロッパの極右とは異なった存在だったのである。
ヨーロッパの極右は政治性をもっているが、日本の右翼は政治性をもたない。
それでは 右翼の存在価値はなにか。
日本の伝統文化 国体をまもる防人にして 国体思想をうけつぐ思想家なのである。
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