テロ事件がおきるとマスコミ識者は民主主義にたいする挑戦と非難の声をあげるが、民主主義だからテロがおきるのである
テレビでトランプが銃撃される映像を見て ふと思ったのは 昭和52年 アメリカ民主党のアジア太平洋大会に出席させてもらったときのことである。
パーティ会場で カータ―大統領と握手する機会があって わたしは手を差し出した。
このとき 5〜6人のボディーガードにとりかこまれたが かれらは わたしの手しか見ていなかった。
手に拳銃をもっていないかチェックしたのである。
アメリカが銃社会≠ニ思い知らされた瞬間だった。
テロがおきると マスコミ文化人や知識人は 民主主義なのにおかしい 民主主義だからテロはゆるせないという言説をふりまわす。
だが 民主主義社会は もともと テロがおきやすい社会なのである。
したがって 民主主義社会では 気を配って 注意深く生きていかなければならない。
中国やロシアをみてわかるとおり 権力は 危険分子とみれば 事前拘束してしまう。
監視社会 密告社会では 不穏なうごきを事前にチェックできる。
そして 不審者は 別件逮捕して 強制収容所に送ってしまう。
したがって 秘密警察や強制収容所のある全体主義国家では テロがおきにくい。
プーチンの盟友だったプルゴジンも プーチンに逆らって 航空事故で死んだ。反プーチン派の大物も刑務所で変死している。反プーチンの有力者も ヨーロッパに亡命中 毒殺されている。
全体主義社会では 反体制派や危険分子は 権力によって排除される。
監視社会では うかつにモノをいえば 密告されて抹殺されることになる。
こういう社会はこわいが たしかに 全体主義国家では テロはおきにくい。
民主主義社会では 人権やあらゆる自由 権利が担保されている。
銃刀法違反や凶器準備集合罪は 検挙の対象ではあるが 物的根拠がなければ 逮捕されることはない。
民主主義社会は 監視や密告がなく 人権がまもられて 自由な社会だが その反面 危険な側面をもっている。
テロの危険性を排除できないのである。それが安倍元首相の暗殺事件で その危険性が現実のものとなった。
犯人は銃マニアで テロ予備軍の危険分子だった。あの犯人を危険分子として 事前にマークしていれば 暗殺事件は防げたはずである。
だが 民主主義社会では 危険分子というだけでは 検挙できない。
学者は 民主主義が絶対的な善≠ナあるかのようにいうが 民主主義社会こそ みなが注意深く 慎重にふるまわなければならない悪≠フ社会なのである。
したがって ルールや法 節度をまもって生きなければならない。
民主主義国家のほうが 全体主義国家よりも危険なのは 事前拘束ができない 秘密警察がない 不審者を収容する刑務所もないからである。
アメリカはじぶんまもるために 銃の所持がゆるされている社会である。
民主主義だから テロはゆるされないというが 民主主義だからテロがおきる。
民主主義は そういう危うい構造をもっている。
識者は 民主主義が安全な社会のようにいうが 民主主義ほど危険な体制はない。
なぜそんなことがわからないのか。
自由な民主主義ほど危険な体制なのである。
だからこそ 規制や制限、節度がもとめられる。
民主主義社会において 規制の上に安全がある。
アメリカも 銃を規制していればトランプ狙撃事件はおこらなかった。
それがわからければダメなのです。
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