2024年12月12日

 山本峯章チャンネル 苦言直言 第56回

 企業献金の代わりに政党助成金をうけることをきめた30年前の政治改革の約束を忘れたか?
 企業献金 カネと政治の問題はいまにはじまったことではない。
 55年体制がスタートして以来 自民党は企業献金をうけてきた。
 30年前の細川内閣で佐川急便事件がおきた。
 キラ星のごとく 自民党を打ち破って登場してきた細川がわずか10か月で退陣を余儀なくされた。 
 羽田内閣も二か月足らずで退陣した。
 少数与党では法案がとおらない とおすだけの議席もない。
 国会運営ができなくなって政権を放り出したのである。
 世にも不思議な物語で 55年体制のなかで対立してきて 社会主義国家をつくるか 自由民主主義をまもるかというたたかいをくりひろげてきた社会党と自民党が連合政権をつくった。
 権力をもとめての野合だったのはいくまでもない。
 このとき 政治改革で 企業献金はやめようという話になった。
 当時の自民党総裁は河野洋平だった、
 5年後までに企業献金をやめて 政党交付金を制度化するというもので その場合 国民一人当たりの負担が250円程度 合計で300億円になる。
 その代わり 企業の団体献金はやめるというのである。
 ところがいつのまにか 企業の団体献金が すこしだけ形を変えて 生き残っていた。
 政党本部と政党支部 個人のうち個人だけ切って 政党本部と支部はもらってもよいというのである。
 政治家が勝手に法律を変えて 国民には知らせなかった。
 いま国会で論じられているのは 企業献金の性格についてである。
 企業にも政治に参加する資格があるというのである。
 だからといって 企業献金を蒸し返してよいという話にはならない。
 企業献金をやめて その代わりに 国民から政党交付金をだしてもらう。
 それとひきかえに企業献金をやめるという約束で 政党に渡る政党交付金は合計で300億円になる。
 企業献金が足りないから政党助成金で補うという話ではない。
 企業献金の代わりに政党助成金を制度化したのである。
 企業献金の性格がどうのこうのとやっているが 問題はそんなところにあるのではない。
 企業献金と政党助成金の両方をうけとると両取りになってしまう。
 ところが このテーマについて国会議員はだれも追及しようとしない。
 個人への献金はやめたというが 政党支部は政治家個人がつとめているのでやめたことにはならない。
 カネは党本部に入って 支部に流れてゆく。支部の決済は 支部長がおこなうが 支部長は政治家個人である。個人を切ったというのは 手続き上のゴマカシだったのである。
 ロッキード事件のあとにおきたのがグラマン事件だった。
 この事件は わたしが海部メモを国会にだして表面化した。島田常務が自殺 海部副社長が懲役という大きな事件だったが政治家は全員時効で罪を逃れた。
 日韓疑惑もわたしが表に出した大蔵省メモが発端になった。このときも政治家は時効で罪をまぬがれている。
 企業献金はまた復活してもよい。復活してもよいが やめるといったのだからやめるべきなのだ。
 企業献金をやめて 政党助成金をもらうことになった。
 したがって 両方をとるのは約束違反で 道義上の問題もある。
 30年前 企業献金をやめるといって 以後政党助成金の提供をうけている。
 れいわ新選組だって5億円くらいもらっている
 それで十分に選挙活動ができる。
 かれらが企業献金をやめろというのは 政党交付金で政治活動ができるからである。
 政党助成金が足りないなら 政党交付金の負担をふやしてもよい。
 国民の負担が250円から300円になるだけである。
 だが、政治改革で政治献金をやめるときめた以上 いったんやめるのがケジメである。
 国会で「カネと政治」の問題で空転していては国益が害されるばかりである。

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posted by office YM at 13:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする