自民党の保守派は党を割って出て 保守系の野党と連立政権を組め
戦後の対米従属の風潮をつくったのは吉田茂だった。
安保条約は原文も読まずに黙って判をおした。
議会にすらかけなかった。いいじゃないか アメリカが日本をまもってくれるのだからという理屈だった。
その吉田茂に対抗したのが鳩山一郎や岸信介だった。
自立自尊 独立自尊に立って 憲法を変えなくてはならない。自衛隊も国軍にしなければならない。鳩山や岸は 主権国家として 日本は独立しなければならないと考えた。
そんなことはいいじゃないか 大事なのは経済だと 経済一本でやってきたのが吉田だった。
その吉田と鳩山の流れが 自民党のなかでいっしょになって 自民党のなかに 二つの流れが生じた。
それが自民党の左派と右派で 鳩山 岸が右派 吉田が左派である。
対米従属の吉田は経済一辺倒で 国をまもる国防観念は念頭になかった。
吉田がきめた安保条約は 日本の国どこにでも基地がつくることができる不平等条約だった。
安保条約の条文に日本の国をまもるという項目もなかった。
50年安保は片務性のつよい条約だったのである。
これに反発したのが岸らで 安保条約を結び直さなければならないとした。
それが大騒乱となった60年安保だった。
やがて イデオロギー闘争から政策論争へと時代は変遷してゆく。
思想やイデオロギーから 政策中心の政治になっていったのである。
その典型が 国民民主党 玉木の「103万円の壁」という政策だった。
国民民主党の支持率が立憲民主党の支持率を抜いた。
手取りをふやすという政策が直接肌身にかんじられたからであろう。
国民は思想より具体的な政策をもとめていたのである。
もちろん国家は 外交や防衛などの重要な課題をかかえている。
だが 国民がもとめているのは 自民党の復権でも 政権交代でもなかった。
国民が望んでいるのは 身近な政治=政界再編であろう。
中核になるのは 国民民主党のような中道的な政党ではないか。
わたしは保守派なので そこに与するものではないが 時代の流れは確実に政界再編にむかっている。
自公政権下でLGBT法案が国会でとおった。
このとき 石破内閣に入閣したある議員から連絡があった。
「党議拘束がかかったのでどうしようもなかった」
「反対なら反対の意思表示をすればよいではないか。それが自由民主党の持ち味ではなかったのか」そしてわたしはたたみかけた。「同性婚の決議にも党議拘束がかかったら賛成するのか」「自民党はじぶんの政治信条をとおせないような政党になったのか」
55年体制が終わっている。ということは 権力が欲しくて集まった党派性がこわれたということである。自民党のなかには左翼的な議員もいる。自民党が権力政党だから寄ってきただけである。
権力政党でなくなったのならこの原則は崩れ去る。
左派と右派 鳩山派と吉田派が党内で同居する必要がなくなるのである。
自民党は 保守とリベラルが分かれた方が 国民にはわかりよい。
多党政治の時代になって すでに 二大政党体制は終わりを告げている。
政権だけが欲しいだけで 与党にくっつくというのは じつにくだらないことだ。
大事なのは じぶんが政治家として なにをしたいのかを明確にすることである。
権力は 政策を実現させるためには たしかに必要であろう。
国民民主党も それはよくわかっているはずである。
自民党が少数与党になったから 国民民主党の意見がとおるようになった。
103万円の壁その他 政策をとおすために権力は必要であろうが じぶんの思想や信念を曲げてまで迎合する必要はない。
なにをしたくて政治家になったのかと問いたい。
55体制が終焉して 党内の疑似政権交代の可能性も消えた。
自民党の保守は 党を割って 新しい政党をつくるべきではないか。
岸田首相はLGBT法案をとおすとき 世の中は進歩して多様化してゆくといった。
それなら政治や政党も多様性 多価値性をもってもよいではないか。
権力を維持するために55年体制をまもるという必要はなくなっている。
じぶんの意見がとおらないような自民党なら しがみついている必要もないだろう。多党化してゆくのが時代の風潮で ヨーロッパがよい例である。日本もそういう流れになってよいだろう。
議会制民主主義のなかで過半数をとれる政党がなくなったのなら それに近い保守思想をもった政党が集まって 連立政権をつくってそれでよいのである。
いろいろな政党が集まって政権をつくる場合 大事なのはイデオロギーではなく 政策となるのは当然である。
そのあらわれの一つが国民民主党の政治ではなかったとわたしは思う。
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