2007年08月27日

なぜ「保守」が「親米」へすりかわったのか(2)

 かつて、自民党には「保守本流」というグループがあった。
 吉田学校の流れを汲み、田中角栄の派閥にはじまる平成研究会、および、池田勇人を源とする宏池会の派閥議員がこれに属した。
 これにたいして、保守傍流と呼ばれたのが、福田赳夫を源流とする旧三塚派で、これを森派(森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三)がひきついで、現在、自民党の主流派になっている。
 保守が、大きく、親米へ傾いたのは、<新保守主義>とよばれるこのグループが台頭してきて以来である。
 巨大な経済力・国力・軍事力(とくに核)をもつアメリカの弟分として、アメリカの戦略にしたがっていこうというのが、かれらの基本的な信条で、親米こそが、日本の国益に合致するというのである。
 保守本流は、田中角栄の「列島改造論」や「資源外交」、池田勇人の「所得倍増計画」を挙げるまでもなく、親米の姿勢をとりつつも、独自の経済・外交政策を立てて、ときには、アメリカと摩擦をおこした。
 ところが、保守本流にとってかわった新保守主義は、アメリカの戦略につきあうのが国益にかなっているという立場から、独自の政策をもたない、対米迎合一本ヤリの、植民地主義へ傾いている。
 グローバリゼーションや米国の金融・外資攻勢にも無抵抗で、毎年、ホワイトハウスから送られてくる「年次改革要望書」を忠実に実行している。日米同盟(日米安保条約)なしに、中国・北朝鮮と渡り合っていくことができないと、独自の外交方針すらも放棄して、小泉政権以降、日本は、アメリカの衛星国のようなありさまになっている。
 親米保守は、先の敗戦によるGHQの進駐によって、政・官・財界を支配するようになった、戦前・戦中の親英米派の流れを汲む政治家・官僚で、アメリカを「日本を軍国主義から救った解放軍」とする歴史観をもっている。
 かれらが、東京裁判史観をうけいれ、国家よりも個人を重んじて、アメリカ民主主義を信奉するのは、そのためだ。
 左翼は、ありもしなかった南京虐殺事件や慰安婦の軍関与、あるいは、首相の靖国神社参拝を非難するが、親米保守のスタンスも、これと大差がない。親米保守が左翼に近いのではなく、アメリカも同じようなことをいっているので、対米従属であるかぎり、結果として、左翼と足並みが揃ってしまうのである。
 親米保守は、アメリカにつきしたがっていれば、国益をまもれるという。
 だが、このケースをみてわかるように、アメリカべったりだからといって、日本の国益をまもれるわけではない。
 東京裁判史観は、もともと、アメリカが日本におしつけた歴史観で、現在のアメリカの政策についても、外交から金融にいたるまで、その多くが、日本の国益とは、一致しない。
 親米保守は、アメリカの新自由主義・市場原理主義・グローバル資本主義を追従して、アメリカ企業の日本進出、あるいは、日本の証券取引所に上場している外資系企業の献金をみとめる「政治資金規正法改正案」にまで賛成している。
 自民党が左傾化しているように見えるのは、アメリカと左翼(反日主義者)には多くの共通点があり、アメリカに追従するほど、左翼の主張に近づいてゆくからである。
 かれらの政治センスは、民主主義・個人主義の偏重で、国家主権にたいする認識や覚悟が乏しい。
 これは、新保守主義にかぎらず、YKKの加藤紘一(旧宏池会系)や山崎拓(旧中曽根派から分離)も同様で、自民党の左傾化は、アメリカ民主主義と東京裁判史観への過剰な思い入れにもとづいている。
 次回は、このテーマにからめて、国家と民主主義について、のべよう。
posted by office YM at 14:10 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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