2022年01月17日

 天皇と日本の民主主義1

 ●絶対主義≠フ西洋と相対主義≠フ日本
 西洋では、何事も「YES」と「NO」の一元論で割り切ろうとする。
 それが民主主義の原型で、戦場の剣に代わりに、議会による多数決で決着をつけようというのである。
 一方、日本では、衝突を避けて、話し合いによって、折り合いをもとめる。
 話し合いというのは、文化で、そこには、祭祀やしきたり、習慣などの伝統的方法のほかに、委任や受託などの政治的な手法もふくまれる。
 西洋の黒白を争う一元論的な「闘争の論理」にたいして、日本は、多元論的にしてあいまいな「談合の精神」なのである。
 これは、文明や文化以前に、宗教のちがいでもある。西洋の思想は、原点にキリスト教やユダヤ教、イスラム教などの一神教があって、一神教においては正しいものが、一つしかない。
 そこからうまれたのが絶対主義だった。絶対主義には、絶対君主制のほかにローマ教皇庁による宗教支配もあって、七度にわたった十字軍の遠征から宗教戦争、異端審問や酸鼻をきわめる魔女狩りまでがふくまれる。
 絶対王政とキリスト教の宗教支配を倒したのが、啓蒙思想と市民革命、唯物論の共産主義革命だったが、これも、前体制の全否定、ギロチンと粛清という絶対主義で、結局、同じ穴のムジナだった。
 反革命のファシズムや独裁にいたっては、絶対主義の暗黒政治で、とりわけヒトラーのユダヤ人ジェノサイト(アウシュビッツ)やトルーマンの原爆投下は、敵を悪魔とみなす一神教の狂信性以外のないものでもなかった。
 敵は悪魔なので、いくら殺しても悪ではないどころか、神から祝福されるというのがキリスト教の狂信性で、自然や生きものも、人間の糧として神が与えたものなので、生殺与奪が思いのままという理屈である。
 自然そのものが神である日本と、自然が、神からあたえられた糧とする西洋では、自然観や宗教観、価値観に天と地のちがいがある。ユーラシア大陸では近代までに森林の大半が消えたが、日本の森林率が70%で、フィンランドに次いで世界第2位である。日本では、森は、糧ではなく、神々が宿る杜(鎮守のやしろ)だったからである。
 ちなみに、日本では、幕末まで、焼き畑農業と屠殺が禁止されていた。
 ●「君臣一体」と「君民共治」
 日本に絶対主義が存在しなかったことは、天皇が「君臣一体」「君民共治」の中心であって、絶対権力者ではなかったことからも明らかである。
 践祚に際して天皇は先帝から三種の神器(八咫鏡・草薙剣・八尺瓊勾玉)をうけつぐ。
 これが「君臣一体」のあかしだったことを多くの日本人は知らない。
 君臣というのは、天孫降臨の際、ニニギノミコトに随従した五人の臣(五部神)とその一族である。これら五人の神は、天岩戸神話に揃って登場するほか「三種の神器」の制作者にして守護神としても知られる。
「五部神」とは、中臣(藤原)氏の祖神である天児屋命、忌部氏の祖神である神天太玉命のほか、天照大神が天の岩屋戸に隠れたとき踊りを披露した天鈿女命や八咫鏡をつくった石凝姥命、八尺瓊勾玉をつくった玉祖命ら五人の神々である。
 そのほかに、天の岩屋戸に隠れた天照大神を誘い出す知恵をだした思兼神やアマテラスを岩戸からひきだした天手力男神らがいて、これらの神話のスターたちの末裔がニニギノミコトの4代末裔である神武天皇のとりまきとなって「君臣一体」という日本固有の支配体制ができあがった。
 三種の神器は、天孫降臨以来、天皇をまもってきた随従者の象徴で、践祚に際して、天皇が三種の神器を必要とするのは、天皇は、臣(おみ)らとともに天皇という地位に就いたという表明なのである。
 現在の歴史家は「三種の神器」について、おまじないかなにかのようにいうが、江戸時代まで「君臣一体」の象徴とだれもが知っていた。天皇は神輿であって、祭祀の道具である神輿を担ぐのが臣や連、あるいは武家で、それが政(まつりごと/祭り事・祀り事)だったのである。
 ところが、明治維新と昭和軍国主義において、天皇=現人神神話を捏造するために「君臣一体」を形骸化して、天皇が大昔から国家の権力者だったように教えこみ、国民に、歴代天皇の名を暗記させるなどした。
 だが、祭祀王で、軍隊をもたない天皇が独裁者であるわけはなかった。
 権力をもっていたのは、臣(おみ)や連(むらじ)、地方豪族ら兵をもつ有力者だった。
 有力な臣には、天児屋命を祖神とする中臣氏のほか、饒速日命を祖神とする物部氏、天忍日命(道臣命)を祖神とする大伴氏らがいるが、ほかに、五人の天皇(景行・成務・仲哀・応神・仁徳)に仕えた武内宿禰を祖とする蘇我氏や葛城氏、紀氏や巨勢氏、平群氏のほか春日氏など多くの臣や連が中央で勢力をもった。
 地方豪族には、近江の息長氏(継体天皇の家系)、岡山の吉備氏(ヤマトタケルの母系)、摂津国の安倍氏、群馬の上毛野氏、名古屋の尾張氏、河内の多治比氏、島根の出雲氏、九州の安曇氏らがいて、これらの臣や連、豪族らによって、自然発生的に、大和連合国が形成されていった。
 日本には、もともと、神話にもとづく神的な秩序が存在していたからだった。
 ●前方後円墳と大和朝廷
 前方後円墳に、争わずにして、大和朝廷ができあがった根本原理がある。
 日本の歴史は、初代天皇の神武(紀元前660)から15代応神天皇(西暦270年)までを神話時代、16代仁徳天皇(313年)から32代崇峻天皇(582年)までを古墳時代として、33代推古天皇と聖徳太子の飛鳥時代から切り離される。
 神話と実史が渾然としていた古墳時代は前方後円墳体制≠ニも呼ばれる。
 争わずに、大和朝廷が統一されていった理由は、その前方後円墳にあった。
 前方後円墳は、前が方形(四角形)で、後ろが円形の連結構造になっている。
 前方の方形が、この世の中つ国で、後方の円形が、天空にある高天原である。
 死者が葬られているのは、円形の場所で、高天原を意味する天である。
 祭壇を築くのは、方形の場所で、人々が生を営む葦原の中つ国である。
 前方後円墳は、ミコトが中つ国から高天原に帰ってゆく、天孫降臨の神話を再現したモニュメントだったのである。
 有力者が、高天原と中つ国を組み合わせた前方後円墳を共通の墳墓としたのは、かれらが、始祖の代から、ニニギノミコトの子孫である神武天皇の臣下であることを運命づけられていたミコトの末裔だったからである。
 前方後円墳が、全国で5000基以上にのぼるのは、日本が祭祀国家だったことのあかしで、大和朝廷のモニュメントである前方後円墳は「君臣一体」のシンボルだったのである。
 大きないくさがないまま大和朝廷が統一されてゆく原理を、日本の歴史学会が解明できなかったのは、日本の歴史に、西洋史の絶対主義や唯物史観をあてはめたからである。
 絶対主義に立った西洋の価値観や史観で「君臣一体」という日本固有の文化構造を理解できるわけはない。
 古墳時代は、祭祀国家の形成期であったが、日本の歴史学者は、皇国史観としてこれを排除した。くわえて、中国(晋)の歴史書に倭国の記述がなかった(266〜413年)ことから、古墳という遺跡があるにもかかわらず「空白の4世紀」として、古墳時代の歴史解明に幕を引いてしまった。
 次回以降は「君臣一体」から「君民共治」へ筆をすすめて、世界が騙されているルソーの国民主権や民主主義についてものべよう。
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2022年01月04日

 なぜ日本は中道政治≠実現できないのか10

 ●ようやく「防衛後進国」から脱却した日本
 岸田文雄首相は、所信表明演説で、2022年末までに「国家安全保障戦略」「防衛大綱」「中期防衛力整備計画」の改定を実現させるとのべたが、このとき「敵基地攻撃能力をふくめたあらゆる選択肢を排除せず現実的に検討する」と明言した。
 2015年の「日米防衛協力ガイドライン」の改定および安全保障関連法の改定後、日本の防衛体制は、各方面で、着々と成果をあげている。
 海自空母4隻体制の構築と潜水艦に国産長距離巡航ミサイル(1000キロ射程)の搭載決定、南西諸島(奄美大島/沖縄本島/宮古島/石垣島)へ陸自ミサイル配備そして岸田首相による「敵基地攻撃能力」の保有宣言と、第二次安倍政権発足以降、日本は、憲法9条に縛られた防衛後進国からようやく普通の国に立ち返りつつある。
 背景にあるのが、アジア・太平洋における日米共同防衛構想である。
 アメリカ第七艦隊が南シナ海を、ひゅうがといせ、いずもとかがの4隻体制となった海自空母打撃群が東シナ海をまもって、アジア・太平洋防衛には日米印豪にくわえて、英仏独蘭加の海軍がくわわる。
 中国海軍が遼寧と山東のほか三隻目の空母をもったところで、米中を中心とする自由主義陣営が結束すれば、海軍力の軍事バランスは、そうかんたんには崩れない。
 海軍戦力では、航空戦力を擁する空母艦隊と並び立つのが、海中から魚雷やミサイルを発射できる潜水艦隊である。
 現在、海上自衛隊は、潜水艦22隻体制(そうりゅう型12隻/おやしお型9隻/たいげい型1隻)で日本近海をまもっている。
 日本の潜水艦が世界一といわれるのは「非大気依存推進(AIP)機関」に高性能のリチウムイオン畜電池(GSユアサ製)を使用しているからである。
 AIPシステムは、エンジン駆動で蓄えた電気で航行できるため、ほとんど音を発しない。戦闘時には、気づかれずに対象へ接近して、監視や偵察、情報収集をおこなう。隠密行動を主任務とする潜水艦にAIPシステムと高性能の電動力は欠かせない機能なのである。
 通常航行する場合は、ディーゼル機関を用いるが、警戒態勢にはいるとエンジンが切られて、AIPシステムがはたらきだす。ところが、原子力潜水艦はエンジンを切ることができないので、敵のソナーにキャッチされる。
 尖閣諸島沖の海域に進入した中国の原子力潜水艦が、海上自衛隊の潜水艦に探知されて、2日間にわたって追跡されたあげく、公海上で、中国国旗の五星紅旗を帆柱に立てて浮上するという事件がおきている(2018年)。
 日本潜水艦の探知能力は、酸素ボンベを使った潜水者の呼吸音まで認識する能力をもち、レーダーは潜水艦配備と衛星・対潜哨戒機の双方の監視をコンピューターで統合運用する。
 日本潜水艦のソナー能力は、エンジン音から潜水艦の艦名までが識別できるといわれるほどで、日本の周囲をうごきまわっている外国籍の潜水艦はすべて日本の潜水艦隊に把握されているといってよい。
 潜水艦の航行深度は500メートルが限界とされる。米原潜を除けば世界のほとんどの潜水艦が水深400メートルを航行下限とするが、日本の潜水艦はその数百メートル下を航行する。
 船体に「NS110鋼材」という水深1000mに耐えられる特殊な素材を使用しているからで、海上自衛隊の潜水艦が搭載する深海救難艇は、深度1000メートルの救助活動も可能だという。
 世界最強といわれる日本の潜水艦だが、さらに政府は、海自潜水艦に国産の長射程巡航ミサイルを搭載するという。射程は1000キロで、地上の目標を正確に攻撃できる。
 2022年以内に装備するというが、実現すれば、最強の敵基地攻撃能力である。発見されにくい潜水艦からの反撃能力を備えることによって、日本本土への攻撃を思いとどまらせる抑止力が、飛躍的に強化されることになる。

 日本は、2026年までに「極超音速ミサイル」を開発して沖縄に配備するという。日本が実戦配備すれば、アメリカ、ロシア、中国に次ぐ4番目の極超音速ミサイル保有国になる。専守防衛の縛りから、目下、射程を500キロにおさえているが、沖縄から尖閣諸島まで(420キロ)なら十分である。
 現在、マッハ5超の極超音速飛行体≠フ開発研究が急ピッチですすめられている。2017年度に採択された「極超音速飛行に向けた流体・燃焼の基盤的研究」は、小惑星探査機はやぶさを打ち上げた「JAXA」が担当しているが、岡山大学や東海大学などの研究機関も分担している。
 極超音速飛行体というのは、ロケットや高性能ミサイルのことである。
 日本は、現在、マッハ2〜3で射程距離が100〜200km程度の「迎撃ミサイル」を保有しているが、飛来してきたミサイルをたんに迎撃するだけの機能で、この射程距離では北朝鮮にも届かない。
 ロシアや中国は、すでにマッハ6以上の極超音速ミサイルを保有・配備しており、北朝鮮も極超音速ミサイルの試射に成功している。極超音速ミサイルの迎撃は、現在の技術では困難で、日米が、宇宙工学とロケット技術の粋を結集して、新たなミサイル防衛網を構築するほかない。

 政府が研究開発をすすめている新型の対艦誘導弾の射程が2000キロにもおよぶという。同誘導弾の配備が実現すれば、自衛隊が保有するミサイルでは最長の射程となる。
 これとは別に、陸上自衛隊が運用する12式地対艦誘導弾の射程も将来的に1500キロにたっする。「国産トマホーク」ともいえる長射程ミサイルの射程が1500から2000キロにまでのびると、日本からの地上発射でも中国や北朝鮮が射程に入る。
 レーダーからの被探知性を低減させるステルス能力や、複雑な動きで迎撃を防ぐAI機能を高めるほか、地上以外、艦船や航空機からも発射も可能になれば、12式地対艦誘導弾の戦争抑止力は数段と向上するはずである。

 日本は、現在、4種類(F4、F2、F15、F35)の戦闘機を運用している。このうち、F4(26機)は2020年度中に退役を迎え、F2(91機)は2035年をメドに退役する。
 F15(201機)と、F35(17機)については、F15の能力向上とF35の新規調達(147機)を軸に精鋭化を図る。
 そのなかに空母いずもに艦載される短距離離陸・垂直着陸能力をもつF35B型がふくまれるが、いずれにしろ、147機の合計で、6兆6000億円という目の玉がとびでる買い物である。
 整理される戦闘機のランナップのなかで、空位となるのが、エンジン1基のF2である。ここに、代替えに国産のステルス戦闘機があてられる。
「心神」の呼称で呼ばれた先進技術実証用の実験用航空機「X‐2」である。
 三菱重工が設計を担当、IHIがエンジン、主翼と尾翼は富士重工業、SUBARUが機体、制御機器はナブテスコ、東芝と富士通がレーダーを製造する純国産で、ステルスの心臓部、電波吸収剤は宇部興産が担当する。
 複雑に屈曲させたエンジンの吸気ダクトなどもあいまってステルス性は数十キロ先のカブトムシ程度とされる。
 搭載エンジンは実証エンジンXF5‐1である。特長は、噴射口にとりつけられた3枚の推力偏向パドルで、通常の戦闘機では制御不可能となる失速領域においても機動制御を維持し、かつ高運動性を確保することができる。
 他機と同様以上のジェット推力(10t)をもちながらやや小型で、尾翼が大きく、3枚の推力偏向パドルをそなえているので、かつてのゼロ戦のように抜群の運動性をもっている。
空の支配者≠ニいう異名をもつアメリカの第5世代機のF‐22のアクロバット飛行は有名だが、日本の「X‐2」の運動性はそれ以上である。
 日本は、開発費や生産費をふくめて、約5兆円を投じて、現在のF‐2に代えて、日本の「X‐2」を実戦配備(90機)するという。
 陸海空の万全のまもりにくわえて、ミサイルの極超音速化と敵基地攻撃能力の保有によって、日本は、ようやく、先進国と肩を並べる普通の国になれるのである。

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2021年12月27日

 なぜ日本は中道政治≠実現できないのか9

 ●戦争シミュレーション≠ニ軍拡競争
 核は、防衛には最強だが、使えない武器で、使えば、世界の破滅である。
 戦争がおきるとしたら、通常兵器による局地戦だが、それも、実際におきる可能性はきわめて小さい。
 それでは、なぜ、世界の国々が軍拡競争に血眼になるのか。
 軍事力をベースにした戦争シミュレーションによって、たたかう前に勝敗が決するからである。といっても、ただのゲームではない。シミュレーションによる軍拡競争に負けると、実戦で負けたと同じような結末がもたらされる。
 インド太平洋軍のデービッドソン司令官が上院軍事委員会の公聴会で「通常戦力による米国の抑止力が崩壊しつつある」と警告して注目を浴びた。現在のペースでは、中国が6年後に台湾を解放して、20年後にはアメリカから世界覇権を奪うというのである。
 これも、戦争シミュレーションの結果で、アメリカが、将来、中国に負ける可能性があることを正式にみとめたのである。
 尖閣列島も、戦争シミュレーションで日米が中国に負ければ奪われることになる。その場合も、実戦なしで、コンピューターにデータをインプットすれば99・9%の確率で勝敗が判明する。
 増強される中国軍に対抗して、アメリカがシミュレーション戦争に勝利するべく、着々と手を打っているのは、いうまでもない。
 局地戦の主戦場になると思われる海洋では、アメリカ軍は、地上から中国の艦艇を攻撃する「地対艦」攻撃部隊を創設して、南西諸島やフィリピンなどに配備する。
 地対艦ミサイル攻撃には、海軍海兵隊だけではなく、陸軍もくわわる。海と陸の両方で、東シナ海と南シナ海に展開する中国海軍を無力化しようというのである。米空軍も、規模を縮小したグアム島の空軍基地にBー52H爆撃機の爆撃機部隊を復帰させて、中国ににらみをきかせる。
 さらに、日米豪印(クアッド)が結束する太平洋・インド洋では、イギリス(空母クイーン・エリザベス)をはじめオランダ(艦艇)、フランス(強襲揚陸艦)やドイツ(フリゲート艦)が日米海軍と共同訓練をおこなっている。
 日米豪印に英仏独蘭加をくわえた海洋国家群で、中国とロシアなどの内陸型国家連合を封じこめようというのである。

 中国海軍は、旧ソ連製の船体を改修した「遼寧」と国産初の「山東」の二隻の空母をもち、アメリカは、保有する空母11隻のうち、最強のロナルド・レーガンを第七艦隊(横須賀基地)に配備している。
 空母打撃群は、航空母艦を中心にミサイル巡洋艦やミサイル駆逐艦、攻撃型潜水艦、補給艦などによって構成されるので、一つの空母打撃群が一国の海軍力に相当するといわれる。
 アメリカ最強の第七艦隊のロナルド・レーガンが、南シナ海で、中国海軍の遼寧や山東に対抗しているが、中国海軍が三隻目の空母をもつと、米中の軍事バランスが崩れかねない。
 総合力はアメリカが上でも、局地戦では、投入できる戦力に限界がある。
 しかも、地の利もはたらくので、極東の米中軍事バランスが逆転する可能性はおおいにあるのである。
 そのとき、大きな役割をはたすのが、日本の空母打撃群である。
 日本の空母艦隊は「ひゅうが」「いせ」「いずも」「かが」の4隻体制である。
「ひゅうが」と「いせ」は対潜水艦用の航空母艦として、世界の最新鋭である。
 一方、ステルス戦闘機を艦載する「いずも」と「かが」は、航空母艦として本格的な機能をそなえている。艦載するFー35Bステルス戦闘機は、短距離離陸・垂直着陸できる世界の最新鋭機で、英国の空母クイーン・エリザベスも採用している。
 日本の空母打撃群は、空母の前後左右に、迎撃ミサイルを備えたイージス艦や駆逐艦、ミサイル巡洋艦、上陸用舟艇や補給艦を配置して、攻撃型潜水艦や対潜哨戒機が海と空から目を光らせる。
 日本の空母艦隊は、対潜水艦用のタイプとステルス戦闘機を艦載したタイプの組み合わせがベストで、このダブルの航空母艦が日本海や東シナ海の制海権を握れば、竹島を不法占拠する韓国や尖閣諸島に干渉してくる中国を牽制することができる。

 戦争シミュレーションのなかで大きな要素となるのが「敵基地攻撃能力」の保有である。ミサイル戦になる現代の戦争において、専守防衛(攻撃をうけたら報復する)という論理は通用しない。 被弾すれば、その時点で勝負がついてしまうからである。
 したがって、敵ミサイルが発射される前に先制攻撃≠ナきる体制ができていなければ、戦争シミュレーションの上で、互角の戦力をもっていることにならない。
 日本政府が、これまで、敵から攻撃を受けるまで武力の行使をおこなわないとしてきたのは、国家の自衛権や自然権、習慣法や国際法(国連憲章51条)を放棄したからでも、憲法九条に縛られているからでもない。
 国家防衛を核の傘≠ニいう名目のもとで、国家防衛をアメリカにゆだねる悪弊をひきずってきたからで、このなれあいを断ち切ったのが安倍晋三元首相だった。
 核の傘も自衛権の委託も、前時代的な迷妄で、そんなものは存在しない。
 安倍政権は14年、憲法解釈の変更を閣議決定して、集団的自衛権の行使を容認すると、翌15年、日米防衛協力ガイドラインの改正と安全保障関連法を成立させた。
 菅義偉前首相が安倍の安全保障路線を踏襲すると、岸田文雄首相が所信表明演説で「防衛には、敵基地攻撃能力もふくめてあらゆる選択肢を排除しない」と表明して、戦後レジームからの脱却がいよいよ明確になった。
 ちなみに、安倍路線を目の敵にするのが法曹界と左翼である。
 法律家と左翼は、ともに、教条主義者である。前者が条文主義者なら後者がマルクス主義者で、かれらにとって、法律の文章やマルクスのことばが唯一の真実である。
 法が「刑罰に裏付けられた主権者による命令(ジョン・オースティン)」ならマルクス主義は「暴力に裏付けられた主権者による政治」である。そのいずれも、人間の頭がひねりだした浅知恵で、国体や国家、文化や習俗という歴史がつちかってきた叡智とは比べるべくもない。
 しかも、ここでいう主権者は、国家ではなく、人民の権利(=国民主権)をあずかって、国家を倒そうとする、啓蒙思想という怪物である。
 啓蒙思想というのは、個人の自由や平等、権利を、天からさずかったものとして、それらをまもっている国家を、逆に、奪うものとして逆恨みする錯綜でルソー主義≠フことである。
 ルソー主義を信奉するのが、労組やマスコミ、日本弁護士会や検察庁である。
 外交や国家防衛で大きな成果をあげた安倍首相を「戦争が大好きな右翼」と罵倒しつづけ、検察庁にいたっては「桜を見る会」で秘書が小銭をごまかしたとして、いまだに、安倍逮捕に執念を燃やしている。
 法律家が、反日・反国家に走るのは、東大法学部の三巨頭、丸山眞男、大塚久雄、川島武宜が、ともに、啓蒙主義を代表する論者で、戦後民主主義のオピニオンリーダーだったことを思えばうなずけよう。
 閑話休題で、次回は、日本防衛の要となる極超音速ミサイルと世界一の潜水艦、現代のゼロ戦となる可能性をひめた国産ステルス戦闘機について語ることにしよう。
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2021年12月20日

 なぜ日本は中道政治≠実現できないのか8

 ●無防備ほど平和にとって有害なものはない
 日本学術会議の任命を拒否された6人の学者は「秘密保護法」や「安全保障関連法」、「共謀罪法」に反対してきたいわゆる平和勢力≠ナ、反日や反国家なのはともかく、これまで、日本の軍事研究や兵器開発、軍需産業にたいして、一貫して、非協力の姿勢をつらぬいてきた。
 第二次安倍政権(2012年)以前、自民党政府は、大手マスコミから護憲派、日本弁護士会や日本学術会議などの平和勢力の前で小さくなって、ろくに防衛論議もできないありさまだった。
 軍備や交戦権、軍事力(自衛隊)どころか、国防意識そのものを憲法違反とする日本平和教≠ェ、国家防衛の前に立ちはだかって、世界の軍事的均衡の一翼を担っている日本の足をひっぱってきたのである。
 ソ連崩壊やアラブの春、イギリスのEU離脱などを予測した世界的に高名なフランスの歴史学者エマニュエル・トッドはこういう。「戦争になるのは軍事的均衡が破綻したときです。無防備ほど平和にとって有害なものはない」
 こうともいう。「核は自国のためだけに使うものです。ドイツをまもるためにフランスが核を使うことがないように、アメリカも、日本をまもるために核を使うことはない。アメリカの核の傘≠ニいうのはジョークでしかない」
 日本は自前の核をもつべきという論拠は「核の傘無効論」だったのである。
 日本が核をもつなら、インドやパキスタン、北朝鮮のように、核拡散防止条約(NPT)を破棄しなければならない。
 アメリカの反対や国際社会からの反発が予想されるが、その場合、NATO(北大西洋条約機構)のニュークリア・シェアリング(核兵器共有)方式という選択肢が浮上してくる。
 ドイツ・イタリア・ベルギー・オランダなどの参加国は、アメリカから核の貸与をうける一方、核兵器を搭載できる軍用機やミサイルなどの技術・装備をもち、自国領土内で核を管理するほか、使用権限も握る。
 といっても、核兵器の暗号コードは、アメリカがもち、それが参加国の手に移るのは、核攻撃をうけて、報復する場合に限られる。核戦争はおこらないという前提に立っているので、核の貸与は、核を誇示する敵のブラフ(脅し)に対抗する形式的なもので、実際に、核兵器の暗号コードが参加国に移るかどうか、細部にわたるとりきめはない。

 核は、使用できない武器である。万が一、インドとパキスタンが互いに核を撃ち合ったら数億人の犠牲者が出るばかりか、世界の経済や流通、システムが崩壊して、食糧危機がおき、被爆死に倍する死者(餓死者など)がでることになる。
 まして、核保有国(米・中・ロ・英・仏・イスラエル)が核を使えば世界は破滅へむかい、5000年前の四大文明や日本の縄文文化からはじまった人類の歴史に終止符が打たれることになる。
 二国間の「相互確証破壊(=共倒れ)」の論理で、終局的には、地球の破滅へつながる核と、世界各国の自制とルール、安全を担保する軍事バランスは切り離されていなければならない。
 バランスオブパワーをつくりあげているのは、通常兵器による陸・海・空の軍拡競争である。米中摩擦や台湾問題、尖閣列島が大きな紛争へ発展しないのは、米・中・ロ・日・韓およびアセアン・印・豪のあいだで軍事的な均衡がたもたれているからである。

 このバランスオブパワーを政治的眼目においたのが、安倍政権で、それまでの日本政治のパラダイムをがらりと変えた。とりわけ第二次安倍政権と菅義偉政権では、外交・防衛上に大きな前進がみられた。
 羅列してみよう。
 第一次安倍政権以後のうごき
 2006年 
 第一次安倍政権発足
 安倍内閣の基本的な外交方針として「価値観外交―自由と繁栄の弧」がうちだされた。
 第二次安倍政権以後のうごき
 2012年 
 第二次安倍政権発足
 2013年 
 日英防衛装備品・技術転移協定署名。米国以外との国との初の武器共同開発協力
 特定秘密保護法成立
 2014年 
 武器輸出三原則を撤廃。新たに防衛装備移転三原則を閣議決定
 憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使容認の閣議決定
 英国とミサイル共同開発を決定。自衛隊にミサイルを納入する三菱電機の参画を認可
 2015年 
 日米防衛協力ガイドラインを改定
 安全保障関連法(いわゆる戦争法)成立
 防衛装備庁が発足。安全保障技術研究推進制度の発足
 2016年 
 安倍首相が「自由で開かれたインド太平洋戦略」(アフリカ開発会議)をうちだす
 2017年 
 自衛隊の中古装備品を他国に無償あるいは低価格で譲渡できる改定自衛隊法が成立
 共謀罪成立
 2018年 
 フィリピンに海上自衛隊の練習機TC90を無償譲渡
 日英の武器共同開発が本格化。英国の軍需企業が開発した空対空ミサイルに三菱電機の高性能レーダーを組み込む
 安倍晋三元首相が「いずも」と「かが」の空母への改造を閣議決定
 2019年 
 ノルウェーの軍需企業と巡航ミサイル買い付けの契約締結
 ノルウェーの軍需企業がF35戦闘機に搭載可能な巡航ミサイルの後続契約を日本政府と締結。53億円
 2020年 
 防衛省が「三菱電機製のレーダーをフィリピンに輸出する契約が成立」と発表。日本製の完成品の輸出は初めて。
 安倍首相が「ミサイル阻止(=敵基地攻撃能力の保有)年内に方針と」と談話
 防衛庁が5兆4898億円(2021年度)の概算要求
 防衛装備庁が国内軍需商社(丸紅エアロスペース、伊藤忠アビエーション)とアジア4か国へ武器輸出を本格化させる契約
 2020年 
 菅政権発足 日本学術会議の任命から6人の学者を拒否
 イージス艦2隻新造と敵の射程圏外から攻撃できるスタンドオフ・ミサイル(長距離巡航ミサイル)の国産開発の方針を閣議決定。

 日本防衛戦略の基本が「航空母艦」「戦闘機」「ミサイル」「潜水艦」の四つの戦力の能力と装備、配置にあるのはいうまでもない。
 この4分野の戦力を世界レベルから検証してみよう。
 日本の空母艦隊が「ひゅうが」「いせ」「いずも」「かが」の4隻体制をとったのは、ひゅうが(「いせ」をふくむ)といずも(「かが」をふくむ)の戦闘任務と守備範囲が異なるからである。
「ひゅうが」型は、接近してくる敵潜水艦にたいする攻撃で、短魚雷発射管やアスロック対潜ミサイルなどを格納する16セルの垂直発射装置(VLS)を装備する。重兵装だが、対潜水艦用の航空母艦として、世界の最新鋭である。
 一方、潜水艦を攻撃する装備をもたない「いずも」型は、本格的な航空母艦としての機能をそなえ、短距離離陸・垂直着陸できるF−35Bステルス戦闘機を艦載する。米海兵隊F35Bが「いずも」からの短距離離陸・垂直着陸をおこなった(ネットで映像公開)のち、海上自衛隊も、日夜、訓練を重ねている。
 潜水艦と駆逐艦、空中戦力にまもられる空母船団のなかで、ひときわ威力を発揮するのが空中戦力である、垂直離着陸ステルス戦闘機F35は、F22に次ぐ世界第2位の能力をもつ戦闘機とあって、日本の空母が、東シナ海で中国海軍の空母とにらみ合っても一歩もひけをとらない。
 ちなみに、F22はアメリカ空軍のエースで、門外不出にしたため、日本は同等以上の性能をもつ戦闘機(心神)を開発したが、それは後述しよう。
 日本の空母打撃群には、航空母艦を中心に、駆逐艦やミサイル巡洋艦、攻撃型潜水艦や対潜哨戒機、上陸用舟艇や補給艦、これに、軍事衛星とむすばれたレーダー網とアメリカと共有する情報ネットワークがくわわる。
 実戦では、空母の前後左右に、空対艦ミサイルに備えた迎撃ミサイル体制を整えたイージス艦を配置してさらに万全を期す。
 現在、海軍力が世界1位の米、2位の日、3位の英に、仏・蘭・豪・加らをくわえた自由諸国海軍連合の軍事訓練が、太平洋インド海域中心に、精力的におこなわれている。
 この軍事的均衡のなかで、中国海軍が尖閣列島を奪える情勢はでてこない。
 次回は、日本の「戦闘機」「ミサイル」「潜水艦」が世界と比較してどのレベルにあるかを検証してみよう。
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2021年12月12日

 なぜ日本は中道政治≠実現できないのか7

 ●高まるアジアの軍事的緊張と「憲法九条」の不均衡
 韓国の国防費が、いまのペースでは、6年後には、日本の現在の防衛予算を上回る。
 文在寅政権が、GDPの2・2%だった国防予算を2・5%へと上昇させたからで、このままでは、2020年の段階で50兆1527億ウォン(約4兆7000億円)だった国防費が、6年後には5兆4000億円を超える計算になる。
 ちなみに、2020年の日本の防衛予算は5兆3222億円だった。
 韓国が、国防費の増強にやっきになっているのは、北朝鮮との戦争に備えてのことではない。韓国は、現在、空母の建造を計画しているが、陸上戦となる北朝鮮との戦争に空母など必要ない。
 近い将来、韓国が空母を保有するであろう理由は、竹島(韓国名・独島)の占有を恒久化させるためである。韓国の有力紙・中央日報はこう報じる。
「日本は、韓国の領土である独島を自国の土地だと執拗に主張している。そんな日本が空母戦団を独島沖に布陣させ、武力示威をおこなえば、韓国も、空母戦団で対処しなければならない。空母戦団がなければ無防備状態で日本の武力示威を許してしまうことになる」
 韓国が危機感を強めたのは、2018年、安倍晋三元首相が「いずも」と「かが」を空母に改造することを閣議決定したからである。
 現在、日本は、1万9000トン級のヘリコプター母艦「ひゅうが」と「いせ」を運用している。これにくわえて、2023年までに、2万7000トン級多目的駆逐艦「いずも」と「かが」の2隻を、F35Bを艦載機とする空母に改造しようというのである。さらに、将来的には5万トン級空母(仮称「ほうしょう」)も建造するという。
 指揮塔が船の右舷中央にあって、滑走路用の甲板を大きくとってある日本のヘリコプター搭載艦や多目的駆逐艦は、設計時点から垂直離着陸ステルス戦闘機F35Bを搭載する航空母艦に改造することを念頭に建造されている。

 日本の空母を警戒しているのは、韓国だけではない。南シナ海でアメリカとしのぎを削っている中国にとって、日本の空母は、大きな脅威になる。
 2020年、中国は、渤海で2日間にわたって、空母「山東」の実戦配備となる訓練を実施したが、これは、日米の「インド太平洋戦略」への牽制だったのはいうまでもない。
 日本の空母打撃群には、航空母艦を中心に、駆逐艦やミサイル巡洋艦、攻撃型潜水艦や対潜哨戒機、上陸用舟艇や補給艦、さらに、軍事衛星とむすばれたレーダー網とアメリカと共有する情報ネットワークがくわわる。
 南シナ海で、アメリカの空母打撃群(空母「ロナルド・レーガン」)とにらみあった中国海軍が、こんどは、東シナ海で日本の空母艦隊と張りあわなければならなくなる。
 中国が今回の訓練に動員した山東は、ウクライナから買った未完成の船体を完成させた「遼寧」につづく2隻目の空母だが、3隻目となる国産空母の完成も間近という。
 韓国が空母の建設を急ぐのは、独島防衛のためだが、一方、中国は、尖閣諸島の領有と同海域の制海権確保が目的である。
 竹島は、日本と朝鮮半島のほぼ中間にあって、対馬海峡から日本海へいたる入口である。竹島から朝鮮半島までは200キロ強で、ここに、日本が強力なレーダーを建てたら、日本海と朝鮮半島を一部が日本の監視下におかれる。
 尖閣列島は、中国本土と台湾、沖縄本島のほぼ中央にあって、中国大陸から太平洋にでる上海ルート(東シナ海)の最大の妨害になる。北京から太平洋にでるもう一つが香港ルート(南シナ海)だが、北京から2000キロも離れているばかりか、その場合、艦船は、台湾近海を南下しなければならない。
 日本人は、竹島や尖閣列島について、ちっぽけな島と思っているが、両方ともきわめて重大な軍事的要衝である。そのテーマに、マスコミや評論家がふれないのは、憲法九条ばかりに気をとられて、世界の防衛感覚に疎くなっているからであろう。
 自衛隊ができる2年前、韓国は、島根県の一部だった竹島を李承晩ラインの内側にとりこんで略奪し、このとき、韓国は、竹島周辺で漁をしていた日本の漁船328隻を拿捕、漁師3929人を拘束して、44人死傷(抑留死亡8人)させている。
 軍事力がなければ、当時、北朝鮮よりも国力が低かった韓国からさえこんな酷い扱いをうける。それが国家防衛をめぐる世界の現実で、国民は、軍事力によってまもられるのである。

 日本の軍事力は、アメリカ、ロシア、中国、インドに次ぐ世界5位(アメリカの軍事情報サイト/グローバル・ファイヤーパワー2021年版)である。
 以下韓国、フランス、イギリスとつづくが、インドは、自前で兵器をつくることができないので、日本が、事実上、第4位ということになる。
 中国と比較して、人口で9%、国土で5%以下の日本が軍事力でその中国に次いで4位になっているのは、アメリカがアジア防衛の義務を日本に負わせているからで、日米安保条約とNATO(北大西洋条約機構)が自由世界の安全と安定をまもっている。
 ちなみに、軍事力1位のアメリカの軍事費は、2〜10位の軍事費の合計をこえる。NATOや日米安保条約、クアッド(日米豪印戦略対話)およびファイブ・アイズ協定(米英加豪ニュージーランド)は、アメリカの軍事的優位を基礎としたもので、世界最強の安全保障である。
 新型兵器開発も、アメリカがリードして、ロシアや中国が後を追う。
 現在、この米・ロ・中が熾烈に開発競争をすすめているのが次世代の兵器のエースといわれる「極超音速ミサイル」である。発射後、高高度で分離されたのちマッハ10〜20の速度で飛行して目標を攻撃する。飛行経路も変えられるため、THAADなど既存のミサイル防衛システムでは迎撃できない。
「極超音速ミサイル」の登場によって、旧来のミサイル防衛システムが役立たずになってしまったのである。
 日本は、2026年までに「極超音速ミサイル」を開発して沖縄に配備する計画である。専守防衛の縛りから射程500キロにおさえているが、沖縄から尖閣諸島まで(420キロ)なら十分である。日本が実戦配備すれば、世界で4番目の極超音速ミサイル保有国になる。
 日本が導入を検討したJASSM(ロッキード社)は戦闘機から発射される空対地ミサイルで、位置情報を入力すれば低空飛行で900キロメートル先の目標物を精密打撃することができる。
 だが、費用をめぐって日米間協議が難航するなどして、岸信夫防衛相が打ち切りをきめた。
 JASSMは幻となったが、実情は、日本が独自の技術で空対地「極超音速ミサイル」を開発できる見通しが立ったからであろう。
 日本は、直系1000メートルに満たない小惑星から岩石をもちかえる宇宙工学(小惑星探査機はやぶさ)と高度なロケット技術をもち、これまで7基の軍事偵察衛星を打ち上げてきた。
 この国産ロケット(イプシロン)は大陸間弾道ミサイル(ICBM)に転用できる。
 中国が実力で尖閣列島を奪えないのも、軍事費をいくら増やしても、韓国が日本を圧迫できないのも、日本の軍事テクノロジーが、世界最高の水準にあるからである。
 次回は、核保有をふくめた日本の安全保障の今後を展望してみよう。
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2021年12月06日

 なぜ日本は中道政治≠実現できないのか6

 ●敵と味方の区別がつかない日本の平和主義
「政治とは敵と味方の峻別である」とドイツの政治学者シュミットは断じた。
 一神教は、神と悪魔がたたかう一元論なので、このような考え方がでてくるのであろう。
 こうもいった。「敵と味方の峻別ができなければ、政治的主体としての国家も国民も消滅する」
 敵と味方の峻別が、国家や国民を外敵からまもってきたというのである。
 中国から朝鮮を征服して、中東から欧州までをおびやかしたモンゴル帝国が日本侵略に二度、失敗したのも、アジアを植民地化した列強が日本だけに手をだせなかったのも、日本には、敵と味方を峻別する意識(攘夷)がつよかったからである。
 敵・味方意識の乏しさから国家を危うくしたのが、かつての朝鮮だった。
 日韓併合条約は、巨額の外債に苦しむ世界最貧国の朝鮮が、皇帝(純宗)と内閣(李完用)、議会を立てて申し入れてきたもので、日本は朝鮮の巨額外債を代弁して、朝鮮国家を近代国家に立て直すべく国家予算並みの資金をつぎこんだ。
 韓国併合(1910年)の15年前、日本は、下関条約(日清講和条約)の第一条で、清国に朝鮮の独立を約束させたが、その2年後、李氏朝鮮王の高宗がロシア公使館で公務をとるなどして、みずから独立を放棄している。
 朝鮮の独立は、清国やロシアにたいする防衛上、日本にとって、欠くべからざるもので、朝鮮の事大主義が日露戦争(1904年)の原因となったのは周知のことである。
 日韓併合は、アジアの安定と日本の安全にとって、最善の策であったことは英米をはじめ列強がみとめるところで、たとえ、日本が朝鮮の主権を侵犯していたとしても、当時の国際法慣行からみて、なんら違法性はなかった。
 韓国が、敵と味方の区別がつかないのはいまも同じで、韓国の次期大統領の有力候補、李在明は「日本が植民地支配にたいして痛切な反省と謝罪の姿勢をもつなら韓日関係に未来はある」などと堂々と公言している。
 体制が異なる中国や北朝鮮に無警戒な一方、日本を仮想敵国にして軍事費を増やしつづけているすがたは異様というほかない。

 戦後日本の平和勢力≠焉A敵と味方の区別がつかない政治的無能者である。
 代表格が、作家の大江健三郎と故瀬戸内寂聴で、憲法九条の熱烈な信奉者である。大江が「九条の会」の発起人なら寂聴は「9条が日本の平和をまもっている」と半世紀にわたって主張しつづけて、若い芸能人や作家、タレントらに大きな影響をあたえてきた。
 憲法9条は、戦勝国の占領政策である武装解除指令(GHQ指令第一号/陸海軍解体)を法令化したもので「ハーグ陸戦条約43条(国の権力が占領者の手に移ったとき、占領者は占領地の現行法律を尊重する)」の条文にも反する。
 日本の平和主義者が、旧敵がつくって、国際法にも違法の疑いがある9条を奉っているのは異常で、憲法で反戦・平和を謳うなら、占領軍がつくった屈辱的な9条を破棄して、自主憲法で、堂々と平和主義を謳えばよいのである。
 だが、そうなると、国連憲章や国際法、自然法や習慣法、日米安保条約との整合性がもとめられて、ノーテンキな日本の平和主義は空中分解する。それを避けるために、かれらは、ことさらに9条をもちあげて、これをまもろうとするのである。
「9条主義者」もまた敵と味方の区別のつかない政治オンチで、国民をまもる国家を敵とみなして、反日・反国家を叫ぶ。国家は悪、個人は善という数百年も昔の市民革命のセンスに立って、ひたすら、国家を呪うのである。
 大江が、わたしは、日本人ではなく国際人なので、文化勲章を拒否してノーベル章をもらったと豪語すれば、瀬戸内は、9条が国家を縛って、戦後平和がまもられてきたとうったえてきた。
 国家も防衛も念頭にないのは、人間は、生まれながらにして、自由と平等をあたえられているというルソー主義に立っているからである。自然状態において、万人が幸せに生きる権利をもっているにもかかわらず、人々が不幸なのは、国家や社会制度、私有財産制のせいとルソーはいう。
 ルソーの「自然に帰れ」が、敵と味方の区別がつかない錯綜で、自然状態におかれたら人間は3日も生きていないだろう。自然状態こそが敵で、ルソーが異を唱えたホッブズをあげるまでもなく「万人の戦争」を防ぎ、国民の生命や生活、安全をまもってきたのは、人々を野蛮な自然状態から救いだした文化や文明、国家だった。

 日本の平和主義者は、大江や寂聴の追従者ばかりで、反日・反国家と反歴史を叫び、ひたすら、人間主義を賛美する。
 そして、市民を名乗る。日本国民ではなく、地球市民だというのである。
「人類みな兄弟」や「武器を捨てると平和になる」というのは、平和主義ではなく、ユートピアニズム(空想主義)やコスモポリタリズム(世界市民主義)で、これらに欠けているのが、道徳や品性、人格などのモラルである。
 国家や社会制度の恩恵に与っておきながら、その国家を罵り、足蹴にするのは、恩知らずにして、モラルが低いからで、平和主義とはなんの関係もない。
 モラルの原義は、モーレスで、外にあらわれた社会的な規範のことである。
 ここから、精神面のモラール(士気)やモラル(徳性)が派生したという。
 モラルは、宗教とのむすびつきがつよく、外国人は、無宗教の日本人が高いモラルをもっていることに首をひねる。
 一神教(創唱宗教)の外国人には、多神教(自然宗教)の日本人が無神論にみえるのである。
 日本は、自然や国土、歴史を神格として、天皇が最高神官に、国民が氏子となる祭祀国家である。
 日本人のモラルの高さは、自然や国土、歴史など、国体との一体感からくるもので、絶対神と信仰契約する西洋の個人主義的な宗教とは、宗教観が異なる。
 日本人のモラルの高さも、宗教や文化、歴史にもとづいていたのである。
 反日・反国家をふりまわす平和主義者がインチキなのは、じぶんをまもっているものに牙をむき、警戒すべき敵に媚びを売るからである。
 日本の平和勢力・護憲派は、敵と味方の区別がつかない政治的未熟者だったのである。
 ちなみに、政治的円熟というのは、自己防衛の能力が高いことをいう。
 次回は、国家防衛という国民的テーマについて考えてみよう。
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2021年11月26日

 なぜ日本は中道政治≠実現できないのかD

 ●防衛観念≠ェ欠落している日本の平和主義
 日本の平和主義が特殊なのは「憲法9条が戦後日本の平和をまもってきた」という迷信の上に立っているからである。
 戦後日本の平和は、日米安保条約と国連憲章51条「個別的・集団的自衛の保有」および憲法9条の解釈改憲%I無視の3つによってまもられてきたといってよい。
 自衛隊と在日米軍がいなければ「尖閣諸島」が中国に奪われていたであろうことは、自衛隊ができる2年前、政権についた韓国李承晩が、日本領の竹島を力ずくで奪った(1952年)ことからも容易に想像がつくはずである。
 李承晩時代、韓国は、13年間で日本の漁船328隻を拿捕、漁師3929人を拘束、44人死傷(抑留死亡8人)させている。
 ところが、日本は、謝罪をもとめるどころか、1965年の日韓基本条約にもとづく経済協力協定で、10年間にわたって無償3億ドルなどの経済協力をおこなって「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を支援してきた。
 当時、海上・航空自衛隊が存在していれば李承晩ライン≠フ悲劇も竹島の占領もなかったであろうことはいうまでもない。

 世界の国防は「平和を欲するなら戦の備えをせよ(ラテン語の警句)」という大原則にそったものだが、その一方、憲法で、平和主義を掲げている。日本の護憲主義者は「9条を世界に輸出すべき」というが、非戦反戦は、日本の専売特許ではない。イタリア(共和国憲法第11条)やドイツ(基本法第26条)にほか、フランスやブラジル、フィリピンやカンボジア、そして、軍事力で日本を超えたい韓国でさえ、憲法で、非戦反戦を謳っている。
 諸外国の非戦反戦と、日本の憲法9条は、どこがちがうのか。
 敵から侵略をうけた場合、これを撃退するのは、本能のようなもので、あえて、自衛権などといわない。
 侵略的戦争は、いまの時代、国連憲章違反になるので、できるはずはない。
 現在は、核戦争をふくめて、国家間戦争も、事実上、不可能になっている。
 それなら、はじめから、非戦反戦を謳ったほうが、国際的に聞こえがよい。
 諸外国の非戦反戦、平和主義には、はじめから、正当防衛的な自衛権がふくまれていたのである。
 ところが、日本の憲法9条は「陸海空軍の戦力を保持しない。国の交戦権を認めない(2項)」として、正当防衛さえみとめていない。1項で「国際紛争を解決する手段としては」と断っているにもかかわらず、である。
 護憲・左翼陣営と左翼新聞(朝日)の主張と、内閣法制局の解釈によるもので、そのため、日本は、防衛本能の失った家畜のような国になってしまった。
「平和を愛する諸外国の公正と信義に信頼して(憲法前文)」というのが日本の平和主義だが、なんと、日本の平和主義は、諸外国の平和主義をアテにした平和主義だったのである。
 平和主義を立てるなら、GHQの武装解除命令≠法令化した憲法九条を廃止して、新たに平和憲法をつくればよい。
 GHQがつくった憲法九条を神格化した日本の平和主義は、政治や国民運動ではなく、宗教上の戒律とすこしもかわらない。
 国が滅びても、憲法をまもれという日本弁護士連合会などは、もはや、オカルト集団というほかない。

 内閣法制局は、左翼官僚の巣で、安倍晋三首相が、2013年、内閣法制局長官の首を阪田雅裕から小松一郎(元・駐仏大使)へすげかえて、ようやく、左翼の牙城を破った。
 そして「現憲法の下で集団的自衛権を行使できる」と憲法解釈を変えさせたが、朝日新聞は、その坂田をひっぱりだして「憲法第九条から集団的自衛権の行使を解釈するのは無理」という論陣を張った。
 日米安保条約下で、個別的自衛権と集団的自衛権を分けることは現実的ではない。国連憲章51条(自衛権)でも区別されていない。尖閣諸島防衛で後方支援の米軍が中共軍の攻撃をうけても援護しないという理屈は、国際的にとおる話ではないのである。
 本来、自衛権は、予想される敵戦力に十分に抵抗しうる戦力で対抗するのが大原則である。
 ところが、内閣法制局は、専守防衛を、侵略戦争をおこなわないという国際常識ではなく、敵弾が着弾してから防衛措置をとるという縛り≠ノもちいてきた。
 アメリカとロシアに肉薄する軍事力をもつ中国は「2030年までに核弾頭1000発保有する見通し(国防総省)」で、9番目の核保有国となった北朝鮮はICBM級(射程1万キロ)も所有している。日本を最大の仮想敵国とする韓国も、現在2000発にたっしている長距離ミサイル(玄武)を盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代にすでに配備(ミサイル司令部)済みで、日本の原発すべてが標的になっている。
 ミサイルが撃ち込まれたあとから防衛体制を敷くようでは防衛にならない。核を搭載したミサイル戦では、被弾した段階で勝負がついてしまうからである。
 先制攻撃は、ミサイル戦を想定した防衛概念で、先制攻撃とミサイルの発射準備が見合い(相互抑止力)≠ノなっている。
 中国や北朝鮮、韓国にたいする防衛戦略には、非核三原則核(「持たず、つくらず、持ち込ませず」)を撤廃して、核ミサイルを搭載した世界一の潜水艦軍団を日本近海に遊弋させてこれにあたるほかない。
 日本の潜水艦の能力は、世界一で、静粛航行性(高性能リチウム蓄電池)と航行可能深度(500m)、ソナーなどの艦内装備と艦外の衛星・対潜哨戒機の情報をコンピュータで統合運用する敵探知能力、魚雷の攻撃力、海上発射ミサイルなどをもって、サイパンやパラオ、グアムまでをふくむ日本の絶対防衛線をまもっている。
 核については、アメリカ貸与にしても自国製造にしても、日本が、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)とともにこれを用意すべきで、それ以外に有効な核抑止力はありえない。
 韓国が北朝鮮につづいて世界で8番目のSLBM保有国になっている現況をふまえても、アジアの軍事バランスをたもつには、日本が核とSLBMの保有に名乗りを挙げるほかないのである。
「武器を捨てると平和になる」という憲法九条教≠ノ付き合っているヒマなどない。
 次回は憲法九条教≠ニ真の平和思想、そして、憲法改正について語ろう。
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2021年11月11日

 なぜ日本は中道政治≠実現できないのかC

 ●生産と分配、所得のバランスをとるGDP経済
 岸田文雄首相が新自由主義からの決別(「新しい日本型資本主義」)を宣すると、日本有数のIT企業である楽天グループの三木谷浩史会長が「新しい社会主義にしか聞こえない」と嚙みついた。
 新自由主義は資本の論理≠ノ任せっきりにしたほうが資本主義は発展するという経済のリバタリアニズム(完全自由主義)で、当時、アメリカが新自由主義をとったのは、IT経済(=コンピュータ社会)の黎明期にあったからである。
 それが、アメリカの金持ちビッグ4のアマゾン(ジェフ・ベゾス)やマイクロソフト(ビル・ゲイツ)、ハサウェイ(ウォーレン・バフェット)、フェイスブック(ザッカーバーグ)そして、アップルを創設した故スティーブ・ジョブズ財団(夫人)らの巨財をうんだ。
 アメリカの新自由主義は、金持ちトップ50(2兆ドル)が全米資産の半分を所有するリバタリアニズム経済で、それが、奴隷制や海賊、海外侵略、帝国主義をとってきた西洋資本主義の最終局面といえよう。
 これに比べると、日本資本主義は、社会主義的で、士農工商という職業身分があったことが自体、西洋の資本主義と様相を異にしている。
 西洋の身分は、貴族と聖職者、自由市民と奴隷に分かたれて、身分によって法的差別がおこなわれる階級社会を形成していた。
 日本の士農工商は、身分の区別ではなく、職業区分だったが、マルクス学者がこれを階級(階級闘争)としてとりあげて、領主が農民から作物を搾取する唯物史観や斬り捨て御免などのデマを流した。
 領主は、庄屋(名主/村の首長)をとおして年貢を徴収するので、農民とは接触がなく、武士が町人を斬殺した事件(加害者は死罪)はあったが、これを容認した歴史的事実は一件もなかった。
 さらに、学者は、士農工商にエタや非人をくわえ、身分差別があったとした。
 屠殺や食肉が禁止だった江戸時代まで、食肉業や皮革業は、職業としてみとめられていなかった。したがって、業者みずから非人を名乗って規制を免れたが、職業の相続権もあって、大半が家伝だった。
 屎尿やゴミの処理業者、墓守(隠亡)や遊郭下男、大道芸人など士農工商にくくられない業者も、すべて穢多(穢れの多い仕事)や非人と自称、あるいはそう呼ばれたが、これらの職業についている人々の数はきわめて多く、かれらがいなければ、社会生活が成り立たなかったのはいうまでもない。
 戦後、穢多や非人、部落民は、差別用語として、糾弾をうけることになったが、咎められるべきは、これらのことばの使用ではなく、差別意識だったのはいうまでもない。

 日本が、かつて、階級闘争の市民革命を体験することなく、現在も、海賊的資本主義の荒廃から免れている理由は、仁徳天皇の「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」に象徴されるように、国民経済に重きがおかれてきたからで、日本は、江戸時代まで、農業比率が85%の農本主義の国だった。
 現在、アフリカや中南米などで貧困と犯罪、ハイパーインフレ(品不足)が蔓延しているのは、職業が不足しているからである。国民に十分な職業があたえられなければ、経済どころか、国家が破綻してしまうのある。
 好例が1929年のアメリカの大恐慌だった。オートメーション普及による失業と過剰生産がひきおこした生産と分配、支出のアンバランスによって、マクロ経済が破綻したのである。
 海賊経済のアメリカが現在も好況なのは、IT経済への切り替えがはやかったため失業率が上がらなかったからだが、ニューヨーク市のレストランのランチ代が数千円という高額で、アメリカ経済は、すでに、金持ちのためのものになってしまっている。

 戦後、日本経済が復興したのは、昭和25年の朝鮮戦争を契機とする「特需景気」によって雇用が急速に拡大したからだった。政治の時代から経済の時代へ突入した昭和35年、安保闘争で倒れた岸内閣の後をひきついだ池田内閣は「所得倍増計画」をうちだして、10%をこえる経済成長率を10年間以上もたもちつづけて、経済大国の基盤をつくった。
 岸田首相の経済政策は、池田勇人の所得倍増計画や「プラザ合意」の竹下登蔵相(中曽根康弘首相/澄田日銀総裁)を「シロートはこわいね」と批判した宮沢喜一の経済をひきついだもので、基本的には、生産と分配(所得)、所得の三者のバランスをとりながら拡大させるGDP(GNP)経済である。
 日本経済は、もともと、石田梅岩の「商は義」や二宮尊徳の「商は徳」あるいは近江商人の「三方(売り手、買い手、世間)よし」の「商道」にもとづくもので、これをひきついだのが、渋沢栄一や豊田佐吉、松下幸之助、土光敏夫らの一流経済人で、かれらは、貪欲な資本家ではなく、すぐれた経営者にして思想家だった。
 資本家と経営者のちがいは、前者が個人の利益をもとめ、後者が社会の利益をもとめるところにある。新自由主義によって生じる格差社会について小泉首相は、当時の流行歌になぞらえて「人生いろいろ」といってのけた。そして、竹中平蔵は、郵政民営化による社会の社会的・国家的損失について、記者会見場で「儲けがでている」「儲かっている」とくり返しただけだった。
 二人とも、経済のなんたるかを知らないただの改革主義者だったのである。

 経済は「三方よし」の「商道」あるいは、生産や分配(所得)、支出がGDPと同じ値になるマクロ経済学上の原則にしたがうことにあって、一部金満家や巨大企業が預金や内部留保を貯めこんで、貧困層や弱者がふえてゆけば、資本主義そのものが崩壊してゆくことになる。
 これまで「貯蓄=投資」という経済公式があって、貯蓄が富の一部と数えられてきたが、実体経済をみると、貯蓄は結果として、経済の縮小をもたらしただけだった。
 かつて、フィリピンのマルコス大統領が、着服した輸入ガソリン税を海外にもちだして、国家経済を害したが、貯蓄や内部留保も、需要創造や就業機会を奪うという意味において、これと同じことである。
 ちなみに、ラモス(元大統領)やエンリレ(元国防相)とともに反マルコスのクーデターをおこしたグレゴリオ・ホナサン(元上院議員)は、わたしの旧い友人で、いまもなお、交流がある。

 宏池会経済は、大蔵省経済という別名があったように、株主や投資家だけが大儲けする新自由主義経済と反対の方向をむいている。宮沢を尊敬する岸田が宏池会経済を踏襲するのは明らかで、総裁選の段階から「新自由主義的政策がもてる者ともたざる者の格差と分断をうんだ」として所得の再分配を経済政策の中核にすえている。 政策パンフレットでも「下請いじめゼロ」「住居費・教育費支援」「公的価格の抜本的見直し」「単年度主義の弊害是正」という4つの方針のほか、看護師や介護士などの年収アップなどの「公的価格の抜本的見直し」などの文字も見える。
 近年、経済の貧困化が急ピッチですすんでいる。一億総中流どころか、貧困層がふえ、国内消費が減退しているのである。経済格差の拡大が経済成長のブレーキになるのはいうまでもない。したがって、ある程度、強制的に所得を再分配する必要があるだろうが、当然ながら、所得を減らされる側から反対意見が出る。
 それを、社会主義的というのなら、人間の欲望のままにまかせる新自由主義の逆をむいている大蔵省のケインズ経済も社会主義的ということになる。
 マルクス主義における社会主義は、生産や分配を計画的におこなうやり方をいうが、所得の再分配は、資本主義・自由主義社会においても、ケインズ経済として、数多く実施されてきた。
 それどころか、保守層の多くが「官民が一体となって半導体産業を育成せよ」「小型原発を国有化して国家が管理せよ」「研究開発費を国家が管理してもっと予算をふやせ」など公共性の高い財やサービス、インフラなどの投資には、国家が積極的にのりだせと主張している。
 保守派が、マルクス主義や社会主義に傾いているのではない。新自由主義という海賊経済が、商道を土台に育成してきた日本型資本主義を根こそぎに破壊することに異を唱えているのである。
 世界最大の半導体メーカーである台湾のTSMCがソニーグループと共同で国内(熊本県)に工場を建設(2024年末までに量産開始)する。基礎力が上の日本が、マーケッティング力にすぐれた台湾と組んで、欧米と中韓に立ちむかってゆく。
 50年間、日本の一部だった、古き良き日本をよく知る台湾と、アメリカ新自由主義にカブれている日本の合弁は、皮肉だが、きわめて、痛快な出来事なのである。
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2021年11月07日

 なぜ日本は中道政治≠実現できないのかB

 ●新自由主義経済を「宏池会」経済で是正できるか?
 アメリカでもっともリッチな3人といえば、ジェフ・ベゾス(アマゾン)とビル・ゲイツ(マイクロソフト)、そして、ウォーレン・バフェット(ハサウェイ)のことで、いずれも、世界的IT企業の大成者である。
 この3人の資産額約30兆円が、下位50%のアメリカ人(約1億6000万人)の合計資産額を超える。
 世界の金持ち26人が、世界の低所得者の半数にあたる38億人の総資産と同額の富をもち、世界の最富裕層2153人が、世界人口の60%以上になる貧困層46億人の全財産をこえる富をもっている。そして、世界の1%の裕福層が低所得者数69億人の2倍以上の資産を保有する。
 このことからも「神の見えざる手(アダム・スミス)」によって需要と供給のバランスがとれて、資本主義(市場経済)がうまくゆくという話が幻想だったことは明らかだろう。
 アメリカのみならず世界を席巻した新自由主義は、アダム・スミスの「国富論」を加速度的に発展させたもので、自由放任的な資本主義である。
 だが、18世紀の経済は、労働集約型で、21世紀の経済は、コンピュータ集約型である。人間の労働や消費、市場には、限界があるが、コンピュータには限界がない。経済をコンピュータまかせにして、資本主義が怪物化して、人間や社会が疎外されないわけはなかった。
 新自由主義は、神ではなく、悪魔の見えざる手だったかもしれない。
 その手にあたるのが「IT(インターネットを中心とする情報技術)」「AI(人工知能/ロボット工学)で、アメリカ第4位の金持ちマーク・ザッカーバーグ(フェイスブック)は、創業当時、大学生で、22歳のただのパソコン・オタクだった。

 小泉純一郎や竹中平蔵が、新自由主義にとびついたのは、この新自由主義と並走していた新保守主義が、政府の干渉を排する強固な自由放任主義をとっていたからだった。
 アメリカの新保守主義は、自由競争や自由市場の原則に立った小さな政府をめざすもので、政策的には、減税と社会福祉の見直し、規制緩和の徹底などをあげていた。
 改革が大スキな小泉とマクロ経済とミクロ経済の区別がつかない竹中がこれにとびついた。新たな自由主義経済の出現とでも思ったのであろう。
 だが、アメリカの新自由主義と新保守主義には、壮大な背景があった。
 ブッシュの前任クリントン大統領・ゴア副大統領が構築したシリコンバレーにソフトを集約した「情報スーパーハイウェイ構想」である。
 ブッシュ時代は、同時多発テロとイラク戦争にふりまわされたが、その一方で、デジタル革命は着々とすすみ、経済の中心は、金融や製造業から半導体や「IT」「AI」のソフトへ移り変わっていった。
 1989年(平成元年)の世界時価総額ランキング50で、日本企業は50位中32社がランク入りしていたが、2000年では、NTTとドコモ、トヨタ、ソニー、ソフトバンクの5社にとどまり、2020年では、トヨタ一社になった。
 日本企業が衰退したというよりも、IT企業が急成長して、時価総額(株価×発行済株式数)が二桁単位で膨張したためだが、ザッカーバーグ(フェイスブック)の個人資産がトヨタ自動車の時価総額をこえたところで、実体経済にさほど影響はない。
 問題なのは、世界の資金がIT企業へ集中して、ビジネスモデルがインターネットにきりかわった2000年代に入ってからも、日本がパソコンの導入を渋ったことである。
 デジタル化によって先進国・新興国ともにGDPが急成長するなか、日本のGDPが停滞したのは、パソコンの普及が遅れたからである。
 日本企業のデジタル化は中国や韓国の足元にもおよばない。韓国が「すでに日本を追いこした」と豪語するのは、デジタル部門で日本に完勝しているからである。
 海外メディアは、2019年、厚生労働省と自治体がPCR検査のデータをファックスでやりとりしている実態を「信じがたい事実」とトップニュースで報じたが、韓国の『中央日報』は、パソコンを使ったことがない元建設省キャリア官僚の竹本直一がサイバーセキュリティ戦略本部担当相に就任したことをもって「IT(情報技術)後進国」と断じた。
 2007年、5000万件もの年金記録が不明になった「消えた年金」問題で、民主党とマスコミから責任を追及された自民党が政権を失った。長妻昭(当時民主党)は、国会で年金問題における自民党の責任を論じたが、犯人は、自民党ではなかった。
 年金記録が不明になったのは、民主党(立憲民主党)の支持団体である自治労が社会保険庁と覚書を交わして、職場からパソコンを追放してしまったからだった。「パソコンの導入は労働強化にあたる」というのである。労組や官僚がパソコンをきらうのは、インターネットの世界には、学歴や圧力団体の権力が通用しないからである。

 自治労のバックアップをうけた小川淳也(東大・自治省)が、2021年衆院選の選挙区で「サイバーセキュリティ基本法」を議員立法した平井卓也デジタル大臣(初代)を破って当選した。「なぜ君は総理になれないのか」という、立憲民主党の政治家が首相になれないのは、日本人が愚かだからというキャンペーン映画をヒットさせてのことだった。
 東大(法)をでたからには総理大臣になって当然という論理で、テレビでも東大王やインテリ軍団と東大を手放しでもてはやす。マスコミ界が学歴エリートの巣になっているからである。
 だが、東大生でも、アジアの高校生が学んでいるコンピュータ・プログラムに手も足もでない。
 日本の企業が「時価総額世界ランキング」から脱落したのは、大企業が学歴エリートばかり集めたからで、高学歴者は、難しい理屈は知っていても、半導体マーケットや金融商品、コンピュータ・ソフトなどインターネットがらみのことはなにも知らない。
 日本経済が凋落したのは、大手の製造業や電器メーカー、金融機関が、高学歴神話にとりつかれて、社員が高学歴バカばかりになったからである。
 ちなみに、日本企業が生き残っているのは、99・7%が、叩き上げや高卒が多い中小企業だからである。
 岸田文雄政権が「新しい日本型資本主義」を打ち出して、新自由主義からの決別を宣言した。これにたいして、楽天グループの三木谷浩史会長が「新社会主義にしか聞こえない」と批判したが、楽天グループは日本有数のIT企業とあって、弱者のことなど知ったことではないのだろう。
 だが、貧困層や弱者がふえることによって、資本主義そのものが崩壊してゆく。
 宏池会の経済は、池田勇人の「所得倍増計画」をあげるまでもなく、GDP経済で、生産と分配(所得)、所得の三者のバランスをとりながら拡大させるというものである。
、GDP経済というのは「生産」「分配」「所得」の三面等価に目をむけたもので、株主や投資家だけが大儲けする新自由主義経済とは反対の方向をむいている。
 次回は、岸田政権の経済政策をじっくり検証してみよう。
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2021年11月01日

 なぜ日本は中道政治≠実現できないのかA

 ●「上の句」だけで「下の句」がない日本の政治
 政治は、結果論の世界である。結果がすべてで、結果責任だけを問われる。
 思うのは勝手で、なにを思っても構わないが、行動に移すと責任が生じる。
 その一方、結果論では、理由や根拠、経緯について、なにも問われない。
 問うたところで、仕方ないからで、現実は、すべて、結果論の世界である。
 インカ・アステカを滅ぼしたスペインや黒人狩りをおこなったポルトガルやイギリスなどの奴隷商人、先住民族のインディアンやアボロジニを全滅させた欧米やオーストラリアらが、これまで謝罪してこなかったのは、歴史の結果を否定できないからである。
 いかなる経緯があろうとも、あるのは、結果だけで、その結果の上に人類が生存している。現在こそが、結果論で、だれもがこの結果論をうけいれざるをえないのである。
 西洋の蛮行に比較して、大韓帝国の皇帝(純宗)と内閣(李完用)、議会からの依頼にもとづいておこなわれた日韓併合条約(「韓国併合ニ関スル条約」)はりっぱなもので、文句をいわれる筋合いはどこにもない。巨額の外債に苦しむ世界最貧国の朝鮮が日本にすがったのは、それまで頼ってきた清国やロシアが戦争で日本に負けたからで、日韓併合は、韓国がもとめてやまないものだった。
 韓国も台湾も、日本に占領されていた時代に、経済政策や国家運営の技術を学んで、戦後、独立して世界的な大国へ発展した。とりわけ、韓国や北朝鮮の経済インフラの中心となったのは、日本が半島に残してきた世界一の水豊ダムなど産業・工業施設だった。さらに日本は、戦後、韓国にたいして3億ドルの無償提供や25年もわたる円借款をおこなって「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国経済の発展をささえてきた。
 それでも、韓国は、日本にたいして、侵略の反省が足りないとつっかかってくる。
 それが結果論というもので、いくら恩恵をうけても、手柄はぜんぶじぶんのもので、援助や善意については、そっちが勝手にやったことだろうという話にされる。
 したがって、韓国から感謝されようと謝罪をもとめられようと、応じるべきではない。結果論では、動機や原因、理由や経緯には三文の値打ちもないからである。
 現在の韓国が、日本統治35年を土台にしているのは、歴史的事実で、いうまでもないが、それをいわないのが大人の態度なのである。

 1986年、中曽根康弘首相が「日韓併合には朝鮮側にも責任があった」と発言した藤尾正行文部大臣を解任したのは、大きな誤りで、大臣の罷免という結果が新たな政治情勢をつくりだした。日韓併合を肯定的に評価する政治家は責任をとらされるという前例をつくってしまったのである
 1982年、宮沢喜一官房長官が「近隣諸国条項(中国・韓国などに日本の歴史観をあてはめない)という主権放棄を宣言して土下座外交≠フ下敷きをつくった。
 中曽根、宮沢とも、中・韓との当座の外交をうまくやりたいという動機論にもとづくものだったが、それがどれほど大きなダメージなって、ふりかかってくるかという結果論については、まったく、配慮がなかった。
 結果論で回転するのが現実で、動機を問われないのが歴史の真実である。
 動機論が上の句なら、結果論が下の句で、世界は下の句から成っている。
 旧日本海軍の永野修身(軍令部総長)は御前会議で天皇に「座して死ぬよりも断じて打ってでるべし。屈しても亡国、たたかっても亡国、どっちみち国が滅びるなら最後の一兵までたたかって負けるべし、日本精神さえ残れば、子孫は、再起、三起するであろうと」と奏上している。
 それが上の句の動機論で、一方、海軍には「真珠湾攻撃後の世界戦略」という下の句の結果論がなかった。
 海軍は、一か八かの博打のような真珠湾攻撃の後、連戦連敗で、日本を存亡の危機に追いやって、大都市空襲と原爆投下という人類最大の悲劇までまねいた。
 日米戦争の開戦責任と第二次世界大戦の敗戦責任は、結果論をもたなかった旧日本海軍にあったといってよい。
 ところが、戦後、海軍の人気は上々で、山本五十六は、いまなお、国民的なヒーローである。動機よければすべてよしという「上の句」論が日本人の気質で、四十七士が切腹させられただけの仇討ち劇(忠臣蔵)がいまでも大人気である。
 戦後、アメリカは、対日臨戦態勢(=軍産複合体)とナチスから逃避してきたヨーロッパ資本(=ユダヤ系7財閥)によって、戦勝国連合(国連)を礎石とする超大国になったが、アメリカ以上に得をしたのが中国共産党だった。
 旧日本軍が置いてきた武器を使って革命を成功させ、蒋介石を台湾へ追放して満州利権をひきつぐと、拒否権をもつ国連の常任理事国となって、いまや、アメリカに次ぐ世界ナンバー2の大国である。
 世界の強国は、すべて、結果よければすべてよしという「下の句」論に立っているのである。

 小泉純一郎の「自民党をぶっつぶす」が大うけにうけて、自民党は、本当にぶっつぶれてしまった。反改革派への刺客″戦で派閥が崩壊して、国会は小泉チルドレンがバッコするところとなったが、小泉には、ぶっつぶした自民党の代わりにどんな政党をつくるか、どんな政治をおこなうかというプランがなかった。
 ブッシュと竹中平蔵にのせられた郵政民営化が天下の失政、愚策だったことは、だれの目にも明らかだが、政界引退後、こんどは「原発をぶっつぶす」といいだした。原発は12兆円以上の国富を節約できる上、CO2を排出しない準国産のエネルギー源である。原油価格高騰が恒常化しつつあるなか、原発を撤廃すれば、日本経済も国民生活もたちゆかない。
 小泉改革の「皇室をぶっつぶす(女系天皇容認)」は、悠仁親王の誕生で沙汰やみになったが「日本資本主義をぶっつぶす」のほうは実現して、雇用や設備投資、規制や秩序によってまもられていた日本型の資本主義を、株主や投資家が富を独占するアメリカ型の資本主義(新自由主義=格差社会)へと変えてしまった。
 小泉の「ぶっつぶす」も、マスコミも「政治を変えよう」も、受け皿がない上の句の論理で、破壊してなにをつくるか、政治をどのように変えるかという下の句のグランドプランがない。
 日本は1945年以降の左右対決(55年体制)と60年の政治動乱(安保とテロ)以降、池田勇人の「所得倍増計画」に代表される経済中心の宏池会が、保守本流を自任してきた。
 宏池会系の岸田文雄新首相が「新自由主義的政策が持てる者と持たざる者の格差と分断を生んだ」として、所得再分配を経済政策の中核にすえる考え方をしめしたのは、当然であろう。
 宏池会を創設した池田勇人や岸田が政治の師と仰ぐ宮沢喜一は、大蔵省出身の官僚経済で、もともと、新自由主義経済とは反対の方向をむいている。
 岸田首相+河野太郎(広報本部長)のコンビが、今後、経済におけるグランドプランをつくりあげる可能性は十分にある。
 そこで、楽天グループの三木谷浩史会長から、岸田経済は社会主義的という批判をうけたが、所得再分配がイコール社会主義的ということにもなるまい。
 次回は、岸田首相の経済政策を世界経済と比較しながら検討してみよう。
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2021年10月24日

 なぜ日本は中道政治≠実現できないのか@

 ●自由主義と保守主義は唯心論
 政治は「国家と個人」あるいは「政治と経済」という異質なものを調整する能力で、二元論である。
 民主主義と自由主義も二元論である。デモクラシーが、民主政という国家の体制なら、リベラルは、自由をもとめる個人の信条で、ここでも、全体と個が対立している。
 ところが、日本では、この構図が逆転して、民主主義が個人の信条になっている。
 そして、共産と立民、社民をリベラル派と呼ぶように、本来、個人のものであるはずのリベラルが、共産主義・社民主義的体制の代名詞となっている。
 自由主義や保守主義は、個人の信条なので唯心論≠ナある。
 一方、民主主義や社民主義は、体制の問題なので唯物論≠ナある。
 政治とは「唯心論」と「唯物論」の調整でもあったのである。
 個人の自由と権利をもとめるのがリベラルである以上、個人よりも、憲法や多数派支配を尊重する立憲民主党や、個人よりも党を重んずる共産党をリベラルと呼ぶことはできない。
 二元論に、保守と革新を挙げるひともいるが、これは、論外である。
 保守は、古来、政治の王道で、人類は、数千年にわたって、古きにならって政治をおこなってきた。政治は、もともと、保守なのである。
 一方、革新は、18世紀の市民革命からうまれた価値で、たかだか数百年の歴史しかない。しかも、革新(革命)は、左翼の一党独裁で、人類の普遍的な価値である自由(リベラル)のかけらさえない。
 保守と革新を同列に並べることがすでにナンセンスなのである。

 リベラルなのは、むしろ自民党(リベラル・デモクラシー)で、自民党ほど自由裁量がみとめられた政党は、世界でもまれである。
 1955年、護憲と反安保を掲げて、左右社会党が統一されると、危機感をもった財界からの要請で、日本民主党と自由党が保守合同して、自由民主党が誕生した。
 一応、二大政党の体裁をなしたが、労組(総評など)をバックにする社会党には、財界を後ろ盾にする自民党をひっくり返せる力はなく、労使協和の政策協定をむすぶにとどまって、やがて、労働運動に衰退にともなって、しぼんでゆく。
 社会党の左右統一という事情と財界の危機感に応じて、急きょ、つくられた自由民主党に、統一的なビジョンなどあるはずはなかった。
 だが、それが、むしろさいわいして、自民党は、リベラル・デモクラシーの名にふさわしい多様性と奥行きのある政党として地歩を固めていくことになる。
 自民党は、吉田茂=旧自由党系の経済重視と鳩山一郎=旧民主党系の政治の優先という二本立てで、1955年から1993年、細川内閣が成立するまでの38年間、政権与党の座についてきた。
 その土台となったのが、自民党が候補者を二人立てることができた中選挙区制と、派閥の領袖が企業から政治献金を集めて、子分に分配する政治資金制度だったのはいうまでもない。
 自民党の単独政権というのは、皮相的な見解で、自民党旧自由党系と旧民主党系のあいだで、事実上の政権交代がおこなわれてきた。
 そして、振り子のように、日本の政治を、政治主体と経済主体、自由主義と民主主義へとふりわけて、振幅や奥行きをつくってきた。
 ちなみに、日本の野党は、社民主義やマルクス主義の影響下にあって、理想論をのべたてるのは得意だが、現実的な政権担当能力をもちあわせていない。
 旧自由党系は、池田勇人の宏池会が、大平正芳や宮沢喜一らから岸田文雄にひきつがれて、現在、政権を担っている。対抗するのが佐藤栄作の木曜研究会で、田中角栄から竹下登へ継承されて、小渕恵三や橋本龍太郎ら宰相をうんできた。佐藤栄作は、沖縄返還や日韓基本条約で知られる外交派だが、旧自由党系の大御所吉田茂が、もともと、経済派で、防衛や憲法改正には不熱心だった。
 これにたいして、旧民主党系の鳩山一郎は、憲法改正や防衛に熱心な政治派で、鳩山の路線をひきついだのが、戦前、東條内閣に商工大臣として入閣した経歴をもつ岸信介だった。
 岸派をひきついだのが福田赳夫の「清和政策研究会」で、森喜朗や小泉純一郎、安倍晋三ら3人の首相をうみ、現在、自民党最大の派閥となっている。

 そこで、あらためて、問題になるのが、自民党の統一的なビジョンである。
 自民党は、保守党といわれているが、保守である前に、自由でなくてはならない。歴史や伝統、国を愛するのは、個人の自由という唯心論だからで、保守主義者は、イデオロギーに縛られない自由主義者でもある。
 共産や立憲民主、社民らリベラルを名乗る政党にあるのは、イデオロギーと権力志向だけで、自由主義がない。自由主義のない政党がリベラルを名乗るのは異様というほかない。
 といっても、自民党も、保守主義や自由主義が根づいているとは言い難い。
 吉田茂の旧自由党系宏池会(岸田派)や平成研究会(竹下派)、志公会(麻生派)などは、経済中心の現実路線で政治に疎い。しかも、小沢一郎や羽田孜をはじめ、鳩山由紀夫、岡田克也らの造反者をだしている。
 一方の旧民主党系には「60年安保」の岸信介から福田赳夫にひきつがれた清和政策研究会のほか、河野一郎から中曽根康弘、渡辺美智雄をへて亀井静香や二階俊博、石原伸晃へ流れる系統があるが、ここにも、保守主義者や自由主義者はいない。
 清和会から「自民党をぶっつぶす」と宣言して三期総理大臣に就任した小泉純一郎は、ブレーンの竹中平蔵とともに新自由主義に走って、雇用や設備投資などの社会貢献を担っていた日本型資本主義を、株主や投資家に奉仕するアメリカ資本主義にかえて、先進諸国のなかで勤労者所得が最低の格差社会をつくりだした。
 清和会の大元である岸は、戦前、満州で計画経済を構想して、対立した小林一三(阪急電鉄創始者)から「あれはアカ(共産主義者)だ」と批判されている。岸ですら、保守主義者、自由主義者たりえなかったのである。
 まして、小泉の新自由主義は、自由主義どころか、資本の論理への屈服で、マルクス主義と同様、人間疎外以外のなにものでもない。
 自民党のビジョンに、保守主義と自由主義が見えてこないのは、この二つは心的な価値で、ビジョンとして明文化できる性格のものではないからである。
 保守主義と自由主義は心の問題で、ヨーロッパでは、モラルの範疇にくくられる。日本では、聖徳太子の17条憲法とりわけ「和を以って貴しとなす」がこれをよく表している。
 自民党が国民的な政党になるには、高いモラルをみずからしめさなければならないのである。
 次回は、岸田新政権が打ち出した「新しい日本型資本主義」に検討をくわえることにしよう。
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2021年10月12日

 天皇と保守主義8

 ●改革≠ヘ不毛な相対主義
 立憲民主党の枝野幸男が自民党の総裁選にからんで「自民党は変わらない。変われない。新総裁(岸田文雄)になって、安倍、菅内閣となにが変わったのか説明いただく」と息巻き、これがネットでも増幅された。
 マスコミも、自民党は変わらない、日本の政治は変わらないと言い立てた。
 保守を諸悪の根源のようにいうのは、変化や進歩、革命を善≠ニとらえる強迫観念にとらわれているからである。
 じじつ、体制の変化を望まない自民党は悪≠フ根源とされている。
 ヨーロッパでは、最大の美徳が保守で、革新は軽薄の代名詞である。
 ところが、日本では、保守が頑迷な守旧派で、革新は先進的な進歩派となる。
 知識人の95%が啓蒙主義者やマルキストの日本では、インテリが、西洋の思想家や西洋の用語を借りてきて、文化文明論をくり広げる。
 かれらが、日本論の根幹である国体や天皇にふれないのは、海外の文献には国体も天皇もないからである。
 歴史的な文化蓄積が大きく、すぐれた土着文化をもつ一方、平安後期のかな文字などの国風文化を培ってきた日本が、西洋の感化をうけるようになったのは、明治維新がヨーロッパ化で、多分に、自己否定のおもむきをもっていたからである。
 明治政府に招聘されたドイツ人医師ベルツは、政府の若い役人が「われわれに歴史はありません。われわれの歴史はこれからはじまるのです」と口を揃えたことに深く失望した(『ベルツの日記』)という。
 薩長の明治政府は、武士という誇り高き文化階級を捨てて、一神教的な神権国家や帝国主義に走った末に、鹿鳴館や貴族制度など西洋の物マネにうつつを抜かした。
 江戸幕府によって近代化がおこなわれていれば、日本は、現在とはちがった国になっていたはずである。

「自民党をぶっつぶす」と叫んで政権をとったのが、改革主義者の小泉純一郎(「清話会」)だった。ブッシュにそそのかされ、竹中平蔵の口車にのった郵政民営化が天下の失政、愚策だったことは、だれの目にも明らかだが、政界引退後は、12兆円の国富を節約できるうえ、CO2を排出しない準国産のエネルギー資源である原発の撤廃運動に血眼になっている。
 竹中とともに新自由主義という経済リバタリアニズム(無差別的自由主義)に走って、雇用や設備投資、規制や制限によってまもられていた日本型の資本主義を、株主や資本家、投資家が富を独占するアメリカ型の資本主義に変えてしまった。
 それが改革の正体で、変えることに目的があって、変えた後のことなどどうでもよいのである。
 旧日本海軍は、御前会議で「数か月は暴れてみせます」といって真珠湾攻撃を強行したが、真珠湾攻撃後の世界戦略がなかったため、国家を存亡の危機に追いやって、原爆投下という人類最大の悲劇までまねいた。
 ところが、戦後、海軍の人気は上々で、山本五十六は、いまなお、国民的なヒーローである。
 日本人は、ヴィジョンがなくても、その場かぎりのスタンドプレーに喝采を送る国民性をもっている。

 野党やマスコミは、変われというが、かれらは、代わった後のヴィジョンをもっているのだろうか?
 改革や進歩、変化をもとめるかれらの目的は、伝統や文化、体制を破壊して革命前夜の混沌とした状況をつくることにある。
 国体維持や国家建設プランなどちゃんちゃらおかしいのである。
 これは「二段階革命論」である。すべてに反対して、現体制を破壊したのちに、共産主義革命をめざすというもので、これが、六全協以降の日本共産党の基本戦略である。
 第一段階が啓蒙思想にもとづくブルジョア革命で、イギリス革命(清教徒革命/名誉革命)やアメリカ独立革命、フランス革命がこれにあたる。
 第二段階がマルクス・レーニン主義のプロレタリア革命ということになるが、この二段階革命論は、民主主義を共産主義へと移行させることができず、結局、失敗に終わった。
 二段階革命論に対立するのが一般革命論(永続革命論/トロッキズム)である。五全協までの日本共産党やかつての新左翼、過激派は、暴力革命をおこして権力を奪取せよと叫んだものである。
 二段階革命論に立っているのが、現在の日本の日本の左翼である。
 西洋が民主主義の実現をもって革命の終了≠ニしたのにたいして、日本の左翼は、現体制を革命の経過≠ニしか見ない。
 したがって、自民党政権を倒せ、政治を変えようというだけで、民主主義が実現されている現体制をまもろうとは、口が裂けてもいわない。
 民主主義に価値があるのは、多数決と普通選挙法という普遍性をもっているからである。
 それがモラル≠ナ、議会では、多数決というモラルにしたがって、粛々と議事がすすめられる。
 日本が、聖徳太子の昔から、戦争以外の方法で、意志決定をすすめてきたのは、委任や談合、調整やなどのモラル(基準)がはたらいたからで「和の心」もその一つである。
 ところが、左翼は、歴史や伝統、文化を破壊することが民主主義と思いこんでいる。民主主義を、共産主義や社会主義へ至る革命の手段と考えているのである。
 共産党と共闘しようという立憲民主党が、リベラル・デモクラシーの政党に変われ≠ニ迫って、マスコミがこれをバックアップするという異様な事態にさらされているのが日本の民主主義なのである。

 世界のマネをして、日本は変わるべきという強迫観念から抜けでたのが、安倍外交で、それを踏襲したのが高市早苗だった。
 自民党の総裁選で、高市(議員票114票)が下馬評をくつがえして、河野太郎(議員票86票)をおさえたのは、具体的な政策を掲げて、相対論から抜けでたからである。
 安倍首相が、憲法改正からインド太平洋構想、アメリカ抜きのTPPなどにむかったのは、国益にそって、レジームを再構築するためだった。
 安倍路線を踏んで、高市は、抑止力のあるミサイル配備から原発容認、靖国参拝、経済成長投資などをうったえ、リベラル派の「女系天皇容認論」「夫婦別姓」「脱炭素」「日中友好」を退けた。
 改革という相対論を卒業して、国家指針という絶対論を掲げたのである。
 マスコミは、岸田内閣でなにが変わったのか、麻生・安倍内閣のコピーではないか気勢を上げた。
 岸田内閣のどこが、麻生・安倍内閣のコピーなのか。
 岸田文雄が政治の師と仰ぐのが宮沢喜一である。宏池会を率いて、91年に首相に就任したが「近隣諸国条項(1982年/内閣官房長官談話)」で、中韓への土下座外交の端緒をひらいて、保守派から批判された。
 岸田首相も、徴用工訴訟に応じる気はないとするものの、徴用工の強制性については、安倍首相の「なかった」とはニュアンスの異なった論をのべたこともある。
 初の記者会見で、韓国への言及はなかったが、中韓への不要なへりくだりが「宏池会」の伝統で、経済にはつよいが、政治的には熟練度が高くない。それが池田勇人から宮沢、岸田へつながる旧自由党系の体質で、創始者の吉田茂は憲法改正にまったく不熱心だった。
 宏池会は、絶対的な価値観をもたない相対主義で、これまで日本は、改革に最大の価値があるという不毛な相対論に惑わされてきた。
 相対主義を捨てわが道を行く≠ニいう絶対主義に立たないかぎり、岸田自民党も日本の未来も、ひられてこないのである。
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2021年10月04日

 天皇と保守主義7

 ●政治は相対≠ニ絶対≠フ兼ね合い
 かつて、左翼は「革命がおきたらハンドーは、みな、ギロチンだ」と叫んだものである。
 ハンドーは保守反動のことで、保守は、革命という先進的な流れに逆行しているというのである。
 だが、日本で、革命はおきなかった。革命は、進歩ではなかったのである。
 革命がおきなかった日本では、アンシャン・レジームが維持されて、いまもなお、天皇は、国家と国民の象徴でありつづけている。
 アンシャン・レジームは、フランス革命における旧体制のことである。
 革命の成功後、封建的体制が崩壊して、自由と平等、博愛と「人権宣言」を謳った新たな体制が発足した。
 だが、その新体制は、ロベスピエールの恐怖政治をへて、ナポレオンの軍事独裁政権に移り変わっただけで、基本的なレジームにかわりはなかった。
 レジームとは、政体のことで、一方、破壊された歴史と伝統、文化にあたるのが国体である。
 フランス革命は、歴史と伝統、文化を破壊して、自由と平等、博愛と人権という18世紀の啓蒙思想を借用した文化革命だった。革命は、政体たるレジームを転覆させる一方、国体たる文化構造までを破壊する歴史的蛮行だったのである。

 米・ロ・仏・英・中の常任理事国5か国を筆頭に革命国家が国体をもたないのは、伝統的価値を、すべて、自由や平等、民主主義などの啓蒙思想的価値ととりかえてしまったからである。
 日本にも、GHQ憲法やアメリカ民主主義、対米従属構造、日米安保体制を新たな国体≠ニ見立てる短絡的な思考がある。
 国体と政体の区別がつかない愚論で「八月革命論」の亜流である。
 国体と政体の区別がつかないのであれば、歴史や文化、伝統という絶対的な価値と、進歩と保守、革新と守旧、先進と反動などの相対的な価値との区別もつくはずはない。
 相対論は、右や左、上や下、新旧や強弱のように、変化や程度、状態などを比較することで、それ自体はなにも語っていない。右である、上であるといわれても、実体がないので、なんのことやら見当もつかない。
 だが、わたしのうまれた国、富士山、東京タワー、わたしのパスポートなどという具体的なモノやコトなら、明瞭にイメージできる。
 これが絶対論で、歴史や文化、伝統、天皇は、絶対的で、疑うべくもない。
 疑うことも、相対化することもできないのが国体で、国家は、絶対的国体と相対的政体の両方から成っている。

 国体と政体は、二元論で、デカルトの「心身二元論」のようなものである。
 別々にはたらくが、人間も国家も、その両面をもって、一人前になる。
 民主主義という制度と、歴史や文化、伝統という文化や価値があって、はじめて、ヒトは安心して生きていける。
 もっとも、民主主義は、多数決と普通選挙法のことで、制度である。
 ところが、多くの日本人は、民主主義を、思想や文化と思っている。
 国民主権と同義にとらえているからで、憲法にも民主主義の文字はない。
 国民主権の国民は、国民全体の総称で、個人をさしているわけではない。
 主権も、国家主権のサブリンティで、個人にあたえられるものではない。
 サブリンティは、自然や神がもつ絶大にして超越的、絶対的な能力である。
 ひとり一人がそんな魔王的な権力をもっていたら収拾がつかないことになる。
 これを国家にあてはめたのは、国家には、戦争権があって、武力で相手国を滅ぼす権利さえ有するからである。
 前述したように、国民ひとり一人がこの主権をもっていると主張する論者がいる。白井聡(国体論/永続敗戦論/主権者のいない国)とそのシンパである。
 かれらの頭のなかで、国体と政体、文化と制度、現実と空想、絶対的なモノと相対的なモノが、区別なく、ごちゃ混ぜになっている。

 政治には、これまで、先人が挑んできて、不可能だったものが二つある。
 一つは「個と全体」の矛盾を克服、あるいは、調整である。
 もう一つは、一神教、一元論の宗教戦争に終止符を打つことである。
 個と全体の利害の調整は、デモクラシーとリベラルの兼ね合いで、多数決に従いつつ、個人の価値をもとめるのが、現段階で、個と全体の矛盾を解消する唯一の方法である。
 それには、民主主義の規則性と、自由主義の柔軟性を両立させなければならない。
 全体の秩序をまもりながら、個人の自由をもとめることが、人類に残された最後の手段で、それが、自由民主主義(リベラル・デモクラシー)である。
 ところが日本では、他人の自由を奪う好き勝手な自由、リバタリアニズムが大手をふっている。
 リバタリアニズムの先にあるのが、アナキズムや反日・反国家、そして、言論テロや破壊行為、犯罪である。
 民主主義と自由主義、絶対主義と相対主義は、互いに、歩み寄って、中庸の精神がえられる。
 日本が、革命を体験することなく、君民共治の事実上の自由民主主義を実現できたのは、国体と政体、権威と権力、天皇と幕府の二元論体制ができていたからである。
 一神教=一元論は、他の存在をゆるさないので、永遠の抗争がうまれる。
 だが、二元論では、共存の原理がはたらく。二元論は、同一性のあるものがなれ合うのではなく、異質なものが和することで、それが「和の精神」である。
 個と全体、民主と自由、絶対と相対は、二元論をもって、融合するのである。
 次回は。現実政治を見ながら、民主主義と自由主義の二元論をについてのべよう。
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2021年09月26日

 天皇と保守主義6

 ●民主主義と自由主義の相克2
 民主主義という制度はあるが、民主主義という思想はない。
 自由主義という思想はあるが、自由主義という制度はない。
 民主主義は、多数決と普通選挙法のことで、国家の制度である。
 一方、自由主義は、自由に最大の価値をおく個人の思想である。
 制度である民主主義と、個人の思想である自由主義が補完しあって、現在の自由民主主義(リベラル・デモクラシー)ができあがっている。
 ところが、現在、多くの日本人は、民主主義が、唯一にして絶対的な価値と思いこんでいる。
 民主主義が、多数決と普通選挙法以外のどんな意味も価値ももっていないと思い到っていないのである。
 政体としての民主主義は、立憲民主主義や議会民主主義、社会民主主義から立憲君主制や連邦共和制、大統領制まで多岐多様におよぶが、多数決の原則と普通選挙法がとられているかぎり、すべて、民主主義国家である。
 天皇と民主主義は折り合わないという意見もあるが、民主主義は、政体上の制度で、一方、天皇は、国家の象徴という文化の系列で、国体である。
 政体と国体は二元論で、両者が折り合う必要は、つゆほどもない。

 民主主義と自由主義が相容れないようにみえるのは、両者が「個と全体」という絶対矛盾の上に成立しているからである。
 人類は、古来、個と全体の矛盾と一神教の「闘争の論理」に苦しんできた。
 個人と国家の利害は、かならず、対立する。そして、正しいものが一つしかない一神教=一元論では、永遠の闘争がくりひろげられる。
 この解決不能なテーゼに、多数決の大衆政治(デモクラシー)と自由の精神(リバティ)をもってたちむかったのがヨーロッパの近代だった。
 ちなみに、日本にこの二つの混乱がなかったのは「個と全体」の矛盾を融和する国体および多神教=多元論という歴史・文化構造があったからで、その要(かなめ)となったのが天皇だった。

 ヨーロッパは、自由を手に入れるまで、14世紀のルネサンスから宗教戦争をへて啓蒙時代、近代の市民革命まで、500年以上の年月をかけてきた。
 そして、革命をとおして、ようやく、自由に手がとどきかけた。
 民主主義という新しい体制が自由と平等を謳っていたからだった。
 だが、その民主主義は野蛮な「大衆の反逆(オルテガ)」でしかなかった。
 事実、フランス革命は、ロベスピエールの恐怖政治から、ナポレオン独裁へとひきつがれた。
 民主政治は、独裁の一手法にすぎず、自由は、他人の自由を奪う自由でしかなかった。そして、自由と平等のフランス革命の「人権宣言」から女性と奴隷が除外されていた。
 民主主義は、人民による権力の奪取だが、権力を握ったのは、人民ではなく新たに登場してきた独裁者だった。
 多数決の民主主義は、旧ソ連のボリシェヴィキ(多数派)や中国、北朝鮮の一党独裁、あるいは、ヒトラーをうんだワイマール憲法をみればわかるように多数派の政治的暴力で、大きな制度欠陥をかかえていた。
 この欠陥だらけの民主主義に対抗したのが、自由主義だった。
 民主主義は、個人の自由や尊厳を侵さずにいないというのである。
 ヨーロッパには、ホッブズやオルテガ、チェスタトンら、自由主義の伝統があって、衆愚政治やポピュリズム、独裁へと陥る民主主義を批判してきた。
 このとき、自由主義者によって、もちだされたのが保守思想だった。
 人間の頭のなかでひねくりまわした進歩主義(革新)よりも、歴史の試練をくぐってきた保守のほうに価値があるとしたのである。

 ヨーロッパ人は、みずからの歴史と血で、自由と平等、そして、民主主義をかちとってきた。民主主義(デモクラシー)に限界があることを最初に知ったのもヨーロッパ人で、かれらは、自由主義(リベラル)を立てて、中庸をもとめた。
 ちなみに、左翼がリベラルを騙るようになったのは、旧ソ連崩壊後、共産主義や社会主義を名乗りにくくなったからで、詐称である。
 本来の自由主義は、民主主義の独断専行を防ぐためで、もともと、多数決の民主主義は、全体主義なのである。
 一方、自由主義は、民主主義の制限をうけて、個人の放埓さにブレーキをかける。
 民主主義と自由主義は、相互的にはたらいて「個と全体」の矛盾をみずから中和しようとするのである。

 自由と民主主義の兼ね合いをずたずたにしたのがルソーだった。
 曰く「人間は自由なものとして生まれた。しかし、いたるところで鎖につながれている」という名調子で、革命分子を扇動した。人間が不自由で不平等なのは私有財産をもったせいだ、自然に帰れ」と。そして、ホッブズの「万人による万人の戦争」をこう批判した。人間は本性に《憐憫の情》をそなえているので、人々は、助け合って、仲よく暮らす。したがって、戦争にはならない。
 なんというふざけた楽観論であろうか! 
 さらにアジテーターのルソーはこう煽った。「人々が不自由、不平等になったのは、私有財産をもったせいである。人間が完全なる自由や平等を手に入れるには、人民が主権を有する人民政府をつくらなければならない」
 フランス革命を批判したのが、西洋における保守の鑑とされるエドモンド・バークだった。そして、ルソー主義を批判したのが人間は社会的な動物≠ニ喝破した近代科学の祖、オーギュスト・コントだった。
 コントは、愛を原理に、秩序を基礎に、進歩を目的にする「人類教」を説いた。これは、ルソーの「市民宗教(『社会契約論』)」に対抗したものだった。
 コントがもとめたのは、人間の頭でこねくりまわした理屈ではなく、モラルだった。
 このモラルは日本の国体にあたる。善と徳性、家族愛的結束が、日本という国家の繫栄や安定、文化興隆の源泉となっている。
 ところが、多くの日本人は、日本が、歴史的遺産を継承する伝統国家であることの自覚にとぼしい。
 そして、戦後、アメリカ民主主義にとびついて、モラルを破壊してきた。
 アメリカ製の日本国憲法には、自由や平等、人権が天からあたえられたかのように書かれている。わずか9日で、日本国憲法をつくったGHQの若きニューディーラーは、左翼というより、ルソー主義者だったのである。
 そして、戦後、日本人は、世界に類のないルソー教の信者となった。
 日本人は、自由を好き放題にふり回すが、表現の自由には、表現の自由から身をまもる自由もあることを忘れている。アメリカの自由は、じぶんの生命はじぶんでまもる自由の銃℃ミ会で、南米は、リッチになるには手段をえらばないギャング社会である。
 モラルなき自由や平等、民主主義が、いかに危険でおろかなものか、ルソー熱にうかれた日本人には永遠にわからないのである。
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2021年09月19日

 天皇と保守主義5

 ●民主主義と自由主義の相克
 自民総裁選で、河野太郎が石破茂に支援をもとめ、くわえて、小泉進次郎が河野支持にまわったことから、一部マスコミはリベラル政権誕生か≠ニいう耳目をひくキャッチフレーズを立てた。
 女系天皇容認の河野が首相で、安倍・麻生の天敵、石破が幹事長、脱原発の進次郎が官房長官では、なるほど、リベラル政権である。
 細川連立政権の「政治改革関連4法案」に賛成して離党、西岡武夫らと共に改革の会を結成した(1993年)石破や、敵基地攻撃能力の保有に否定的な河野、国家の利益より人類の理想が大事な進次郎らがもっていないのは、国体観や国体観、歴史観だけではない。
 保守という、自民党員にとって、もっとも大事な資質を欠いている。
 総裁選で、河野の対抗馬とされる岸田文雄は、民主主義の政治をすすめると宣言する一方で、保守主義について、寛容の精神をあげた。
 だが、保守は、歴史を継承することであって、それ以外のなにものでもない。
 人間の理性は、有限なばかりかまちがうのが常である。したがって、歴史の叡智を重く見て、改革は、慎重に、漸進的にすすめられるべきである。歴史を継承することは、温故知新なので、新たに学ばなければならないのである。
 岸田が「寛容の精神」を強調したのは、大衆の民主主義に、個人のリベラリズムを対比させてのことと思われる。
 大衆化して、劣化する民主主義にたいして、良識やよき習慣、歴史の叡智に立って対抗するのがリベラリズムである。
 それが「多数派が少数派をみとめる寛容性と多様性」(オルテガ)で、民主主義という大衆の反逆が、個人の自由というリベラリズムによって、中和されるというのである。
 このことからも、民主主義が政治の論理で、自由主義が個人の信条とわかる。

 だが、旧ソ連崩壊後、自由主義は、左翼の隠れ蓑になった観がある。
 歴史の叡智や寛容の精神どころか、日本の左翼は、リベラル(自由主義)をカサに着た反国家と反伝統のリバタリアン(暴走する自由主義者)となった。
 アメリカが、大恐慌(1930年)から立ち直ったのは、第二次世界大戦とルーズベルトの社会主義的なニューディール政策のおかげだった。
 共和党マッカーシーの赤(共産党)狩り≠ニ冷戦がなかったら、アメリカは、旧ソ連の陰気な共産主義にたいして、陽気な共産主義国家になっていた可能性もあった。
 民主党ルーズベルトが、スターリンの盟友で容共主義者(ほぼ共産主義者)だったことは広く知られている。それだけではない。民主党には、産業別労組(CIO)や「反戦・反ファシズム連盟」の影響下にある人々や1950年に非合法化されたアメリカ共産党の元党員らも大挙してくわわっている。
 アメリカには、戦争を好む保守的な共和党は悪≠ナ、反戦平和のリベラルな民主党は善≠ニいう国民的な思いこみが根強い。若者を戦場に送らないと公約したウソつきルーズベルトの人気は上々で、四選(1933〜45年)をはたしたほどである。

 日本の左翼が、リベラルを名乗るのは、左翼色の濃い「アメリカ民主党」を真似てのことである。
 だが、欧米のリベラルと、日本のリベラルは、まったくの別物である。
 欧米のリベラリズムは、考える自由で、なにをやってもよいという自由ではない。個人の心は、国家から自由というほどの意味合いで、この個人の自由は「万人の戦争(ホッブズ)」をひきおこさずにいない。他者もまた自由をもっているからである。
 このとき、要請されるのが、万人の利害を調整する国家で、国家を運営するのが政治である。現在、民主主義に代わる有効な政治手法はない。民主主義は多数決である。政治の世界を生きるヒトは、したがって、民主主義の枠組みを生きるほかない。
 民主主義では、多数派が少数派が切り捨てる数の暴力が横行する。
 だが、実際は、議論の段階で、双方が歩み寄って、利害を調整しあう。
 オルテガが、寛容の精神といったのは、多数派が少数派を許容するリベラリズムをさしてのことだったのである。
 欧米では、個人のリベラル(自由主義)と国家のデモクラシー(民主主義)が明確に区別されている。
 自由主義は、個人のもので、投票するのは、個人の自由である。
 だが、民主主義は、国家のもので、選挙の多数派から国家理性がうまれる。
 鈴木宗男が北方領土問題にからめて「ロシアも民主主義国家」とのべたものだが、ロシアや香港に、民主主義の前提となる自由主義があるだろうか。

 一方、日本には、リベラルだけがあって、民主主義がない。
 二言目には「民主主義は人類の最高英知」といいながら、日本人には、民主主義をまもる気がさらさらない。民主主義は多数決のことである。民主主義をまもるというなら、議会の評決を重んじなければならない。1952年、戦犯という用語は、戦勝国の呼び方だとして、国会決議で正式に撤回された。だが、マスコミは、いまも戦犯ということばを連発している。
 新コロナウイルス対策で、世界各国がきびしい規制を敷いたのは、政治的な判断で、国会決議にもとづいている。
 一方、反対デモは、自由主義で、それを許容するのがリベラルの寛容の精神である。
 欧米では、このように、国家の民主主義と個人の自由主義が、二元論的に、別々にうごく。
 ところが、日本では、マスコミ労連(MIC)や弁護士連合会がコロナ特措法を憲法違反と騒ぐ。国会決議にもとづくコロナ特措法が、憲法の保障する「集会の自由」「報道の自由」「表現の自由」「国民・市民の知る権利」を侵害するというのである。
 そして、憲法上、政府に、ロックダウンをおこなう権能がゆるされていないと主張する。
 憲法上の自由概念をもって、国家運営の基本概念である民主主義を縛ろうというのは、赤ん坊が親を養育しようというようなものである。この錯綜の根本にあるのがルソー主義で、人間は、うまれながらにして自由で平等などというウソをばらまいてきた。
 日本は、民主主義の国ではなく、左翼によって、民主主義が殺された国だったのである。

 日本のリベラルが、国体や国家、歴史に否定的なのは、保守すべき絶対的な価値をみとめないからである。
 それどころか、伝統的な価値を、個人の自由を奪う、支配的な権威主義(パターナリズム)とみる。
 明治以来、日本人は「個人の自由」という概念をとりちがえてきた。
 本来の自由は、身体や行為にかかる自由で、拘束や捕縛、禁止や制限がないかぎり自由で、リバティの語源も解放である。
 ところが、福沢諭吉がリバティを自由と訳して「自らをもって由となす」としたため、自由が「自らの意思にもとづいてふるまう」と曲解されて、身体と行為に限定されていた自由が、心の自由にまで拡張された。
 心の自由をまもろうとするのは、身体的・物理的自由のリバティではなく、精神的・制度的自由のリベラリズムだが、意味があまりにも多岐にわたって、いまや、だれも、リベラルの意味を定義できないほどになった。
 リベラリズムのなかで、怪物化したのが、リバタリアニズムである。
 明石家さんまの『ホンマでっかTV』で人気の池田清彦(早稲田大学名誉教授)は、過激なリバタリアン(完全自由主義者)として知られる。自民党には罵詈雑言を浴びせかけて、勝手きままな自由をもちあげ、選挙では、共産党以外、投票の選択肢はないと言い切る。
 それが、日本の思想を混乱させている元凶で、リバティにもとづく個人とデモクラシーにもとづく国家の区別を、大学教授たるものがつけられないのである。
 ちなみに、リバタリアンは、子どもとの性行為や児童買春、児童ポルノ禁止までを自由の侵害とみる。マスコミ労連や弁護士連合会が、国民の健康と生命をまもるコロナ特措法を自由の侵害(憲法違反)とみるのも、同じ図式で、日本のリベラルは、じつは、リバタリアンだったのである。
 次回も、総裁選にからめて保守と革新≠ィよび自由主義と民主主義≠ノついて、議論を深めていこう。
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2021年09月10日

 天皇と保守主義4

 ●儒教は革命思想、日本精神はうたごころ
 日本の思想には、二つの流れがあって、一つは外来文明、もう一つは、土着文化と国風文化である。
 たとえていえば、漢字とひらかなである。この二つの流れが二元論を形成して、多様性と奥行きをもった日本という国のかたちがうまれた。
 国体と政体、権威と権力、文化と文明も二元論である。
 それだけではない。多神教と一神教が共存してきた日本では、宗教も、二元論、多元論的な構造になっている。
 なにしろ、縄文以来のアニミズム(自然崇拝)や神道と、外来の儒教や仏教が、聖徳太子の時代から現在に到るまで、明治の廃仏棄釈を例外として、争うことなく、棲み分けてきたのである。
 ここでいう多神教は、八百万の神々の神道で、一神教というのは、創始者が存在する創唱宗教のことである。
 釈迦による仏教、孔子による儒教、キリストによるキリスト教、マホメットによるイスラム教が創唱宗教で、このなかに、理神論もくわえられる。
 理神論というのは、啓蒙主義や合理主義のもとづく信仰で、奇跡や啓示、預言などは信じないが、絶対神の存在は信じる。
 神が、科学や合理主義にとって代わっただけで、結局、これも、一神教の一元論である。
 自由や平等、民主主義も理神論という宗教で、教祖様は、ルソーである。

 日本のアニミズムと自然崇拝、神話や神道は、一神教の一元論とは、根本的に異なる。
 経典、偶像や戒律がないというのは、枝葉末節のちがいで、決定的にちがうのは、一神教は観念で、一方、多神教はうたごころという点である。
 日本のうたは、最古の万葉集(20巻4500首)から勅撰の古今和歌集や新古今和歌集(二十一代集)まで多くにわたるが、すべて、自然崇拝と人間のまごころ(あはれやをかし)をうたっている。
 それが、自然崇拝や神道の神髄で、心という価値は、うたでしかいいあらわすことができない。
 それが和歌だが、季語をもつ俳句も、自然が主語となっている、世界に類がない自然崇拝の詩歌である。
 中江兆民は、日本に哲学者はいないといったが、西洋に、柿本人麻呂や山部赤人、山上憶良、大伴家持、在原業平、紀貫之に匹敵する歌人はいない。
 しかも、日本には、天皇から遊女、読み人しらずまで、おびただしい歌人がすぐれたうた(小倉百人一首など)をのこしている。
 日本に、自然崇拝という、大宗教があったからなのである。

 だが、中世以降、日本で有力になったのは、うたではなく、儒教の一学派である朱子学だった。
 俸禄や所領でうごく武士を、神道的な秩序や天皇の権威だけでおさえつけることができなくなったからだった。
 朱子学は、中国が異民族に支配された征服王朝(遼・金/10〜13世紀)の産物で、絶対的な主従関係や君臣の堅固なむすびつきを理屈だけでつくりあげたイデオロギーだった。
 他民族に支配されていた当時、中国では、強烈な観念論をとおして、忠孝の精神や身分秩序、礼節などを叩きこまなければならなかったのである。
 藤原惺窩や林羅山、新井白石らによって体系化された朱子学が、徳川幕府によって官学化(寛政異学の禁)されたのは、体制の維持にこれほど都合のよい思想はなかったからである。
 ちなみに、明治天皇や水戸光圀の崇敬が篤く、吉田松陰や坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛らの精神的拠り所となった楠木正成も、朱子学の信奉者だった。
 河内の一豪族ながら、観心寺で仏典や朱子学を学び、主君に弓を引く下剋上を否定して、のちの江戸時代に花ひらく「義」という考え方を立てた。
 楠木の菩提寺である観心寺の金堂の外陣造営を命じたのが「建武の新政」の後醍醐天皇で、正成が「七度生まれ変わって朝敵を倒す(「七生報国」)」と誓った主君であった。

 だが、江戸の儒学は、朱子学一辺倒ではなく、荻生徂徠が朱子学を虚妄の説としたのをはじめとして、山崎闇斎は垂加神道を、貝原益軒は人間学(養生訓)を立てた。
 朱子学批判は、さらに、山鹿素行の「聖学」、伊藤仁斎の「性即理」とつづき、中江藤樹にいたっては、知行合一の「陽明学」に転じて朱子学をひっくり返した。
 幕末、陽明学者の大塩平八郎は、乱をおこして、幕府に反逆した。陽明学に理解が深かった吉田松陰や渡辺崋山、佐久間象山、横井小楠らも、体制改革にのりだして、獄死や自殺、暗殺という悲劇に遭っている。
 儒教を中心に国学や史学、神道などを動員して独自の国家観をつくりあげたのが水戸学だった。原点は『大日本史』編纂の水戸藩徳川光圀で、水戸学から藤田東湖や会沢正志斎ら多くの尊皇思想家がでている。正志斎に心酔したのが吉田松陰で、松下村塾の長州から高杉晋作ら多くの尊王攘夷の志士が巣立っていった。
 だが、水戸学は一種の狂信であった。「薩摩藩邸焼討」のきっかけとなった薩摩藩による江戸市中の火つけ強盗殺人、長州藩が天皇拉致をはかった「禁門の変」、百人余が斬首刑となった水戸藩の天狗党事件など、薩摩や長州、水戸がテロリスト集団と化したのは、儒教=水戸学が革命思想だったからである。
 楠木正成が、テロリズムの偶像になったのは「七生報国」の天皇崇拝主義者だったからで、正成が、戦前まで、天皇崇拝のヒーローだった一方、足利尊氏は悪役の逆賊とされてきた。

 徳川光圀が大きな影響をうけたのが北畠親房の『神皇正統記』だった。
 親房は、南北朝時代の南朝公卿で、天地開闢から神武天皇即位までの神話と神武天皇から当代の後村上天皇に至る各天皇の事績を綴って、南朝の正統性を説いた。
 特徴的なのは、南朝の正統性を説く一方で「徳がない君主の皇統は断絶して皇統の正統性が別の系統に移る」という易姓革命説をとっていることである。
『神皇正統記』に並ぶ日本の二大歴史書に慈円の『愚管抄』がある。
 愚管抄においても、神武天皇から順徳天皇にいたる歴史をのべながら儒教の「五常」の一つ、智にもとづく道理論や世直し論、易姓革命的な終末論「百王説」にふれている。「神武天皇の御後、百王ときこゆる、すでにのこりすくなく八十四代にも成りにける」
 百王説は、中国の六朝時代、梁の宝誌和尚の「野馬台詩」にもとづいている。
 当時「百王説」や易姓革命説が流行したのは、天皇の権威によって正統性をあたえられる権力という、鎌倉幕府以来の「権力構造」が崩壊しはじめたからである。
 それが、後醍醐天皇の「建武の新政」から南北朝時代、尊氏や義満らの足利時代、そして、応仁の乱と戦国時代へとつづく暗黒の中世である。
 加茂真淵がうた(万葉集)のなかに日本人の心があるとして、本居宣長が外来思想たる漢意(からごころ)をとりのぞいたところに大和心があるとしたのが、江戸の中後期だった。
 理屈で白黒をつけるのではなく、わからないものは、わからないままにしておくと、やがて、わかるようになる。賢(さかし)ら決着を急ぐからまちがうのだと宣長はいう。
 うたは、絶対的にして、永遠である。
 だが、理屈は、ああいえばこういう相対論で、一過性のものでしかない。
 儒教や一神教的な価値観がまちがえをくり返してきたのは、なんでも理屈で片をつけようという理神論に立ってきたからである。
 人々がうたで心をかよわせ、祈りで国を治めてきた祭祀国家の日本は、縄文の自然崇拝や多神論を現在に継承する、世界で唯一の伝統国家といえる。
 民主主義がすべてという日本人は、じぶんの国の成り立ちをもっとよく知るべきなのである。
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2021年09月05日

 天皇と保守主義3

 ●儒教は革命思想、日本精神は保守思想
 日本的精神というと、多くの人が「武士道」や忠孝の精神、義理人情などを思いうかべるはずである。
 だが、日本精神の原点は、古事記や万葉集、源氏物語にあって、儒教という外来思想、異文化にもとづいた忠孝の精神や「武士道」にあるのではない。
 武士道は「義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義」の七つといわれる。
 すべて儒教の価値観で、神話(古事記)や詩歌(万葉集)など、古代日本の文化に、そんな観念は見当たらない。
 日本にあるのは、こころであって、観念ではないのである。
 日本のこころを掘りおこしたのが江戸時代に興った国学である。賀茂真淵と本居宣長の名が知られる。賀茂真淵は、万葉集の研究家で、万葉集の男性的でおおらかな歌風「ますらおぶり」をたたえた。
 ちなみに「たおやめぶり」は、古今集以後の女性的な歌風をさす。
 本居宣長は、真淵の弟子で、師のすすめで「古事記伝」44巻を完成させたほか源氏物語を研究して「もののあはれ」という日本人の感性を明らかにした。
 日本人の精神は「ますらおぶり」や「たおやめぶり」など人間の心が素直にあらわれた詩歌や文学にあって、そこに、ものふれてこころがうごく「もののあはれ」や「大和魂」があるという。
 ちなみに宣長の弟子を自称する「平田神道」の平田篤胤は、宣長とは面識がなく、宗教観もかけ離れている。宣長が多神教的なのにたいして、平田は一神教とりわけプロテスタント的で、平田神道は、狂気の廃仏毀釈の理論的根拠となった。

 宣長は、天命論や善悪論をふり回す漢意(からごころ)≠きらった。
 漢意というのは、儒教のことで、儒教は、理屈や観念、形式ばかりで、人間らしい真心(まごころ)≠ニいう正直さに欠けるという。
 ところが、日本精神を担ったのは、賀茂や宣長のまごころではなかった。
 大陸からつたわったからごころのほうで、日本は、中世から、まごころの感性よりも、からごころの観念論が大手をふる国になって、それが、現在もつづいている。
 昔は、忠義忠君や滅私奉公、現在は、民主主義や平和憲法と、相変わらず、観念論のトリコになっているのである。
 国学(まごころ)よりも、儒教(からごころ)が幅をきかせたのは、政治に利用しやすかったからである。
 忠孝の精神や身分秩序、礼節を重んじた朱子学(大義名分論)は江戸時代の封建体制をささえ、幕末には、尊王論になった。そして、昭和の軍国主義では現人神信仰≠ヨ転じて、第二次大戦の敗戦と国体の危機をまねいた。

 宣長の「敷島の大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」は、政治ではなく、文化である。
 日本人は、うたをうたう民族で、日本ほど、古典の歌集が残っている国はない。
 かつて日本が、うたや文化、神話的秩序で国家を治めることができたのは、祭祀国家だったからである。
 祭祀国家においては、豪族が握っていた権力が、祭祀王である天皇の権威の下におかれる。
 その象徴が古墳文化である。自虐史観の日本の歴史家は、無視するが、世界の歴史家は、世界史に例のない数千の古墳群(前方後円墳)を、日本が祭祀国家であったことのシンボルと見る。
 それが、弥生末期から古墳時代、飛鳥時代、710年の平城京遷都の長きにわたる大和時代だが、日本の歴史家は、大和朝廷や大和時代という名称を教科書から削ってしまった。
 儒教が日本に入ってきたのは5世紀頃(古事記)で、仏教よりも古い。
 聖徳太子は、仏教を宗教、神道を政治、儒教を道徳の規範と定めて、国家の安定をもとめた。それが「和の精神」で、その精神が十七条の憲法にみごとにあらわされている。
 天皇中心の政治は、大和朝廷の豪族政治から律令体制、摂関政治、院政(上皇政治)をへて平清盛(太政大臣)までつづき、政治体制は、神道・神話的な秩序の下におかれてきた。
 驚くべきは、国内においては、磐井の乱やこの乱を治めた物部氏が蘇我氏に討たれた丁未の乱のほか、大きな権力闘争がなかったことである。
 ところが、保元の乱・平治の乱以後、武士が権力を握ると、神話的な秩序に代わる強烈な支配イデオロギーがもとめられるようになってきた。
 天皇という歴史的、宗教的権威だけでは、武士による権力構造が維持できなくなってきたのである。

 このとき、もちだされたのが、儒教とりわけ後世に興った朱子学だった。
 ヨーロッパが、王権神授説を立てて、国家を樹立したようなもので、朱子学を立てて、武家中心の国家体制をつくろうとしたのである。
 だが、儒教は、天命(理と気)に適わない王なら別の王を立てるという革命思想(易姓革命)で、神話的秩序と歴史の連続性に拠って立つ天皇とは、原理も思想も異なる。
 しかも、朱子学は、中国が異民族に支配された征服王朝(遼・金時代/10〜13世紀)の産物で、侵略者であろうと、強者にはへりくだらなければならないという自虐的なものだった。
 朱子学は、他民族による支配下では、君臣の堅固なむすびつきや主従関係がうまれないので、理屈をとおして、忠孝の精神や身分秩序、礼節などをおしつけようというイデオロギーである。
 そうでもしなければ、異民族による権力構造を維持できなかったのである。
 ちなみに、忠孝のうち、日本が忠を、朝鮮が孝を重視するのは、朝鮮が母系社会で、日本が父系社会だったからである。
 事大主義も、朱子学で「事大は君臣の分、時勢にかかわらず誠をつくすのみ(春秋)」とあるように、強国によりかかることで、それが、儒教朝鮮の民族性となった。
 儒教は政治哲学とあって、革命の論理にも体制維持のイデオロギーにもなる。
 易姓革命を唱えるのが理と気の儒教で、体制を維持しようとするのが「理気二元論」の朱子学、そして、体制に反逆するのが「理気同一」の陽明学である。
 日本で、儒教的価値が、過去、政治的混乱をひきおこしてきたのは、儒教が革命思想だったからである。
 したがって、神話的世界観と歴史の連続性の上に立っている日本精神=天皇と摩擦をひきおこさないわけはなかった。
 日本で、二大史書といわれる『愚管抄』と『神皇正統記』の儒教的な価値観が、中世から近世、近代にいたるまで、日本の政治に多大な影響をおよぼしてきた。
 次回は、そこに焦点を絞って、日本の政治史をふりかえってみよう。

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2021年08月29日

 天皇と保守主義2

 ●保守は歴史主義、革新は理性主義
 保守と革新、右翼と左翼は、相対論である。
 保守や右翼は、革新や左翼のあとからうまれたからである。
 近代になってからのことで、日本に左翼が登場したのは、ロシア革命5年後の大正11年で、コミンテルンの日本支部として、日本共産党が設立されたのが最初だった。
 コミンテルンは、レーニンがつくった共産党の国際組織で、大正デモクラシーは、国家主義にたいする反発と、共産主義へのあこがれがないまぜになった大衆運動だった。
 国家主義との対比でいうなら、保守は歴史主義で、革新は、理性主義ということができる。
 保守といえば、林房雄や福田恒存、林健太郎、会田雄二ら諸先達の名が思いうかぶ。
 いずれも、歴史主義者で、理性主義にたいするきびしい批判者であった。
 西洋で保守主義者といえば、だれもが、エドマンド・バークの名を挙げる。
 革命批判の書(『フランス革命の省察』)が保守主義の聖典とされているので保守主義者とされている。
 ところが、政治家としては、イギリス下院で、長年、保守党と対立する自由党(ホイッグ党)の幹部をつとめた自由主義者だった。
 バークの主張は、文化や習俗、制度の基礎は、歴史にあって、時間の試練に耐えてきた伝統的な精神や慣習だけが普遍性をもつという歴史主義である。
 歴史は、絶対的で、相対化されない。バークの考えが保守主義と呼ばれるのは、歴史=絶対主義に立っているからである。

 歴史や国家、国体や天皇は、絶対的な存在で、相対化できない。
 ちなみに、右翼の草分けといわれる頭山満(玄洋社)とその弟子の内田良平(黒龍会)が立っていたところも、大アジア主義に立つ国家主義者で、欧米の植民地主義からアジアの人民をまもるには国家が盤石でならなければならないとする絶対主義である。
 絶対というのは、比較するものがないことである。そして、相対は、比較の上に成り立つ価値で、都合や条件によって、変動する。
 犬養毅や広田弘毅らの政治家から中江兆民や吉野作造、大杉栄らの思想家と親交があった頭山は、朝鮮の金玉均や中国の孫文、インドのビハリ・ボースやベトナムのファン・チャウらアジアの独立運動家を支援した。
 犬養から、しばしば、入閣をもとめられたが、応じなかっただけではなく、大アジア主義の立場から、満州事変に反対を唱えた。
 頭山にとって、政治は、相対的な価値でしかなく、一方、運動は、絶対的な価値だったのである。
 黒龍会の内田良平は、朝鮮独立運動やフィリピン独立軍の支援、中国革命の孫文への援助、ロシア偵察の「シベリア横断」などの行動力が内外に聞こえていた。
 頭山や内田を、保守や革新、左翼や右翼のカテゴリーで括ることはできないのは、条件によって立場を変える相対論者ではなく、つよい信念をもった絶対主義者だったからである。
 天皇も、歴史に根をもった絶対で、神武天皇が即位された紀元前660年を紀元節(日本書紀)としたのも、イギリスがイギリス革命(ピューリタン革命や名誉革命)をふくめて、自国の歴史や伝統を完全肯定するのも、絶対主義である。
 中国が、天安門広場に毛沢東の肖像が掲げるのも、絶対主義に立ってのことで、中華人民共和国を建国(1949年)した毛沢東は、中国の歴史において絶対的な存在なのである。
 
 一方、理性主義は、知識や学習、頭のなかでこねくり回した想念だけが真実とする思いこみで、自由や平等が比較論で、民主主義にいたっては、多数決という究極の相対論にすぎないことに気がついていない。
 啓蒙主義や進歩主義、近代主義や人間中心主義は、理性にたいする根拠なき信頼で、歴史による試練および全体性にたいする謙虚さを欠いている。
 理性は、矮小で、多くの欠陥を抱えている。そして、理性の動物である人間は、エゴをふり回して、際限なくまちがいをくり返す。理性や進歩、自由や平等にたいする懐疑という赤信号、交通ルールという規制、自重というガードレールがなければ、民主主義は、暴走して、愚民化と野蛮化へむかうのである。
 伝統国家では、社会の矛盾や不条理、対立は、歴史の知恵や経験則、徳性によって調和され、克服される。
 保守主義は、理性や原理、イデオロギーではなく、習慣や習俗、日常性などの時間的な積み重ねであって、文化は、歴史の内部に蓄積される。
 日本は、伝統国家で、自由や平等、人権、民主主義などの啓蒙主義の洗礼をうけていない。
 にもかかわらず、欧米と肩を並べることができたのは、民主主義という共通項があったからである。じじつ、欧米の立憲君主制や議会民主主義と天皇の君民共治は、明治維新(1853年)から日英同盟(1902〜1922年)にいたるまで破綻なく共存していた。
 
 日本人は、民主主義が西洋人の最高英知で、日本には、民主主義に匹敵する文化や政治哲学がなかったと思いこんでいる。
 おおまちがいで、個人の自由や権利、民主主義は、暗黒の中世ヨーロッパにおいて、人類の理想をもとめたものなどではなく、権力と宗教の二重支配から抜け出すための唯一の手段だった。
 そのために、おびただしい血が流されてきたのは、世界史にしるされたとおりである。キリスト教と絶対王政のもとで、虫けらのようにあつかわれていた人民が、人間として復活するには、ルネサンスから宗教戦争、啓蒙主義、市民革命にいたる千年の歴史が必要だったのである。
 一方、日本で、民が虐げられなかったのは、民の代表たる天皇が、権力者に権力の正統性を授ける「君民共治」の国だったからである。
 ヨーロッパでは、民が、ローマ教皇庁と王権の二重支配に苦しんだ。
 ところが日本では、権力が天皇の権威の下にあったため、民の活動が権力によって、妨げられることはなかった。
 ヨーロッパでは、文化は、王族や貴族のためのもので、民や奴隷は奉仕する一方だったが、日本では、衣食住の文化は、すべて、民からうまれた。富んでいたのも商人や豪農で、支配階級の武士の多くは平民から借金を負っていた。
 日本は、啓蒙主義を体験しなくても、しつけや伝習、修身や徳などの教養によって、自由や平等、人権、民主主義以上の知恵をえることができた。
 ヨーロッパの政治が、旧体制(アンシャン・レジーム)の破壊と革命をめざしたのにたいして、日本の政治がまもることだったのは、日本は、国家の前に国体という文化的な器をもっていたからだったのである。
 この国体を、民主主義や憲法におきかえようとするのが左翼で、政治手法にすぎない民主主義、法にすぎない憲法を、文化であるようなデマゴギーをふりまわしている。
 次回は、日本史をふり返って、天皇と保守思想のかかわりをもっと深くみてゆこう。
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2021年08月23日

 天皇と保守主義1

 ●国防意識と危機管理
 日本には、もともと、保守主義という思想も、右翼という政治勢力も、存在しなかった。
 クニをまもることが政治だったからで、日本では、クニの象徴である天皇の権威が2000年の長きにわたってまもられてきた。
 その意味で、日本の政治は、保守思想そのもので、とりたてて、保守主義とあげつらうまでもないのである。
 日本に、古くから、国をまもるという概念があったのは、建国神話(大国主神の国譲りや天孫降臨)によって、国体観念ができていたからである。
 インドなど列強の侵略をうけたアジアは、王族や領主らが領有する地域でしかなく、国家の体裁をととのえていなかったばかりか、国家という概念すらできていなかった。
 白村江の戦い(663年)で、日本・百済軍は、唐・新羅に敗れた。
 唐・新羅軍による日本侵攻の危機感を深めた天智天皇は、対馬や九州北部の大宰府、瀬戸内海沿いの西日本の各地に防衛網を構築して、防人(防衛軍)を配備した。さらに、四年後、天智天皇は、都を難波から内陸の近江京へ移して防衛体制を完成させた。
 二度におよんだ蒙古襲来では、鎌倉幕府の執権、北条時宗が武士団を率いて蒙古軍と激戦をくりひろげ、内陸への侵攻をくいとめた(文永の役1274年/弘安の役1281年)。
 二度の蒙古襲来を撃退した時宗は、心労が重なって32歳の若さで死亡するが、博多湾岸にいまに残る石塁を構築するなど、国防を強化して、鎌倉幕府の支配権を拡大、挙国体制をつくりあげる大きな功績を残した。
 国家防衛は、最大級の危機管理で、日本の危機管理能力の高さは、天智天皇や北条時宗の歴史上の事跡からも十分うかがえるのである。

 ところが、現在、日本は、国家防衛が悪となるような平和主義の下で、危機管理能力をはなはだしく劣化させている。
 世界が、民主主義と国家主義を両立させているのにたいして、日本は、国家を、民主主義と敵対するものととらえているのである。
 新型コロナウイルスの世界的大流行によって、その民主主義神話≠ェゆらぎはじめている。
 民主主義の国、アメリカや欧州各国で、パンディミックがおきる一方、欧米型の民主主義がとりいれられていない中国が、唯一、新型コロナの封じ込めに成功したからである。
 だからといって、民主主義にたいして、悲観的になる必要はすこしもない。近代において、民主主義は、絶対的だからで、欧米でも、マスク着用やロックダウンに反対するデモはあっても、政府の対応が手ぬるいという批判はほとんど聞かれない。イギリスでは、サッカー欧州選手権の応援で、6000人以上の観客が感染したが、イギリス政府には打つ手がなかった。
 民主主義や「個人の自由」は、近代の前提条件で、他のものと代替えがきかないのである。
 世界の国々は、個人の自由を侵害することなく、国民を、新型コロナウイルスから防衛するという困難な戦略を迫られている。
 それには、通常の医療体制を、危機管理型にきりかえなければならない。
 危機管理型というのは、戦時態勢のことで、コロナ防衛は戦争なのである。
 中国が、新型コロナウイルスの制圧に成功したのは、コロナウイルスを目に見えない敵と見立てて、臨戦体制を敷いたからで、中国の武漢で、わずか数週間で、続々と巨大な入院治療施設を完成させたことはよく知られている。
 日本と比較して、感染者数が30倍も多いアメリカで、医療崩壊がおきていないのも、軍事態勢を敷いているからである。
 野戦病院をふくめて、新しい病棟が続々と建設されて、軍医のほか、医療の免許や資格がなくとも医療行為ができる衛生兵らも動員されている。指揮をとっているのも軍人で、感染症の危機管理を担う「疾病対策予防センター(CDC)」でも、軍人が中心的な役割をはたしている。
 アメリカ統合参謀本部(JCS)は、国益を確保する要因として4つの柱を掲げている。外交と情報、軍事、経済の四分野だが、新型コロナウイルス対策は、そのなかの軍事にふくまれる。

 感染症危機管理は、未知なる敵(病原体)との遭遇で、戦争なのである。
 政治学者のクラウセヴィッツは、戦争の本質は、不確実性にあるとした。
 不測の事態をかかえる不確実性を克服するには、戦場に身をおいて、的確な情報のもとで、変動する事態に臨機応変に対応しなければならない。
 厚労省が国民や自治体にお願いをして回るのは、感染症「対策」というただの行政手続きであって、軍事オペレーションの「危機管理」とは程遠い。
 新型コロナウイルス対策には、戦時体制の統合本部が必要で、指揮をとるのは、役人や政治家ではなく、危機管理の専門家でなければならない。
 ところが、日本は、危機管理にともなう国権の行使を民権の侵害とうけとめる傾きがつよく、臨戦体制を敷くことができず、政府主導の事態対処行動すらつくることができない。
 マスコミ労組(日本マスコミ文化情報労組会議)や日本弁護士連合会は、コロナ特措法が憲法違反だと声明をだした。「集会の自由や報道の自由、国民の知る権利を脅かし、基本的人権の侵害につながりかねない」というのである。
 国家あげての新型コロナウイルス対策が、民主主義や人権の侵害にあたるとするマスコミが、自民党政権を叩きに叩いて菅政権の支持率が低下、五大都市の一つである横浜市長の椅子がとうとう共産党に奪われた。
 日本共産党は、五輪反対以外、新型コロナウイルスにたいする対策をなに一つもっていない。
 マスコミや日本医師会らは、医療崩壊の危機を煽るが、政府は、新たな病院をつくろうとも、人的な医療体制を増強しようともしない。
 医療体制は、厚労省の許認可の範囲にあるので、手が出せないのである。
 臨戦態勢を敷けない日本は、国家理性も危機管理能力も失って、コロナ禍の国際社会を漂流するばかりなのである。

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2021年08月08日

 天皇と民主主義 その28

 ●世界戦略が不在だった昭和軍国主義
 明治時代の初期、日本にまだ正気がたもたれていたのは、江戸時代の人材や文化が残っていたからで、名誉と清廉で自己を律する武士、経済と倫理を兼ね備えた商人や豪農・自作農、あらゆる職種で腕をみがきあげた職人など江戸の遺産の上に明治という時代がのっていた。
 例外が政治で、明治政府は、文明開化という名目の下で、伝統文化から西洋文明への乗り換えをはかった。日本の道義や礼節、伝統を捨て、西洋の合理や物質主義、功利へ走ったのである。
 その結果、日本は、国家的なプランを失ったガリガリ亡者の国となった。
 天皇が国の弥栄を祈る祭祀国家ではなく、天皇が軍服を着て軍馬にまたがる帝国主義国家に変貌したのである。
 明治維新が、帝国主義へ変質していった最大の要因は、天皇に統治権と統帥権を付与した大日本帝国憲法にあった。
 第一条(「大日本帝国ハ天皇之ヲ統治ス」)および第四条(「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」)で統治権をゆだね、そして第一一条(「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」)で、陸海軍の統帥権をあずけた。
 日清・日露戦争には、列強による帝国主義や植民地主義という時代背景があって、戊辰戦争が長期的な内乱へ拡大していたら、英仏や米ロの軍事介入をまねいて、日本は、インドや南アジア、清国の二の舞を踏む可能性もあった。
 だが、それも、日本が西洋の帝国主義を真似たからで、みずから招いた災いだった。
 といっても、日本が帝国主義化・軍国主義化していったのは、天皇が、統治権や統帥権をふりまわしたからではない。
 天皇大権を借りた軍部が、天皇を政治利用して、国家に君臨したのである。
 薩長が天皇を利用して、明治維新を実現させたのは、是非を別にして、1つの政治手法であった。
 したがって、維新がなったのち、天皇を本来の地位へおもどしておくべきであった。
 そして「五か条の御誓文」にそった政治をおこなっていれば、江戸の文化と西洋の文明、君民共治と民主主義が溶け合った世界一の開明的な国家になっていたと思われる。
 五か条の御誓文には「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」から「盛ニ経綸ヲ行フヘシ」「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ」「旧来ノ陋習ヲ破リ」「智識ヲ世界ニ求メ」まであって、日本が近代化を完了させた欧米と足並みを揃えてやってゆける条件や素地は十分にあった。

 1931年(昭和6年)満州事変がおきた。日露戦争に勝って、南満州鉄道の沿線に進出した日本軍(関東軍)が、突如、中国東北部に進出して、すでに滅亡していた清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)を元首に立てて、1932年にあらたに満州国を建設したのである。
 これにたいして、調査団を派遣した国際連盟が日本側に不利な報告書(リットン)を採決(42対2)すると、日本は、一か月後、国際連盟から脱退する(1933年)。
 翌年の1934年、ワシントン軍縮条約を破棄した日本は、ロンドン軍縮会議からも脱退(1936年)して、国際的孤児への道をつきすすむ。
 英米が、日本の海軍力を世界第3位に釘付しようとしたのに反発してのことで、主力艦(戦艦)を対象にしたワシントン条約では、英米が5、仏伊が1・67なのにたいして、日本が3の割り当てだった。
 明治維新で、西洋化と文明開化をめざした日本が、半世紀後、世界第3位の格付けに不満を鳴らして、英米の二大強国に喧嘩を売るほど傲慢な国になったのはなぜであろうか。
 日清・日露戦争と第一次世界大戦(対独戦)の勝利によってのぼせあがったという見方もできるが、実際は、天皇を大元帥に戴いた日本軍が勝手放題にふるまった結果である。
 陸軍省や参謀本部命令、大元帥の許可がなくおこなわれた満州事変は、死刑に処される軍規違反だったが、首謀者達は処罰されるどころかみな出世した。
 満州事変をおこした関東軍は、大日本帝国陸軍の一部だが、陸軍省や参謀本部の命令系統から外れた「総軍」で、独自の判断で、軍事行動をおこすことができた。
 総軍は、関東軍のほかに支那派遣軍や南方軍、方面軍など六つあって、それぞれが独自の軍事行動をおこして、第二次世界大戦を泥沼化させていった。

 日本軍が国家戦略から離れて、勝手に行動したのは、統帥権をもった天皇に直結して、天皇の軍隊を名乗ったからで、日本軍には、陸軍と海軍、六総軍を統合する作戦本部が存在しなかった。
 天皇の統治権の下に、内閣総理大臣、閣僚、陸軍大臣・海軍大臣がおかれる一方、天皇の統帥権の下に大本営が設けられて、トップに参謀総長(陸軍)と軍令部総長(海軍)が就いた。
 天皇陛下は、大元帥でもあって、陸・海軍の最高位にまつりあげられた天皇は、軍部による政治利用の標的となった。
天皇のお気持ちを推察する≠ニいう論法によって、あるいは、統帥権の尊重という論理によって、軍人による天皇の政治利用が堂々とまかりとおったのである。
 天皇が臨席する大本営会議には、参謀総長や軍令部総長以下、軍人が参加したが、統帥権の独立によって、総理大臣以下、政府側の文官が参加できなかったばかりか、閣僚でもあった陸軍・海軍大臣は、会議に出席できても、発言権がなかった。
 大本営会議は、御前会議でもあって、陸・海軍や六総軍は、共同作戦を練るどころか、自軍の秘密がもれるのをおそれて、タテマエ論や虚言をもてあそんで、互いに騙しあった。そればかりか、ウソの発表(大本営発表)で、国民を騙しつづけた。
 統帥権という天皇大権の下で、旧日本軍は、無人の野をゆくように、自在にふるまってきたのである。

 陸・海軍や六総軍が、そっぽをむきあって、いがみ合ったのは、予算を奪い合ったからである。
 日本の国家予算に占める軍事費の割合は、1880年代から太平洋戦争終結まで、平均で5割を超え、最高時には8割にまでたっした。大蔵省が編纂した『昭和財政史臨時軍事費(1955年)』によると、国家予算に占める戦時期の軍事費の割合は、日清戦争(1894年)時に70%。日露戦争(1905年)時に82%。太平洋戦争末期(1944年)には85%にハネ上がった。
 軍部は、中国戦線の拡大(支那派遣軍)から南洋作戦(南方軍)、ノモンハン事件(関東軍)など無意味な消耗戦を展開したが、すべて、予算を分捕るための演出で、当時、戦線が縮小すると予算を削られたのである。
 海軍の真珠湾攻撃も、中国戦線拡大によって、陸軍に傾いた予算をとり返すためのもので、長野修身軍令部総長も山本五十六連合艦隊司令官も、長期的には、アメリカに勝てないと知っていた。
 だが、アメリカに一泡吹かせることはできると天皇を説得して、南太平洋に出撃していった。
 そして、原爆を落とされ、日本中の都市を焼け野原されて、300万人もの同胞を犠牲にしたのである。
 自民党憲法改正草案では、天皇が、元首に据えられている。
 日本において、天皇は、古来、象徴であって、元首にまつりあげられたのは明治憲法においてのみである。
 昭和軍国主義の悲劇が、天皇元首にあったことへの反省がない自民党の憲法改正推進本部は、あまりにも、不勉強なのである。
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