2020年02月17日

日本主義の復活と近代主義の終焉@

 ●明治維新と百年の動乱
 令和元年10月22日、皇居において、天皇陛下の御即位を日本の国内外に宣明する「即位礼正殿の儀」が執りおこなわれた。
 このとき、前夜からの激しい雨が、突如、あがって、即位礼がおこなわれた約9分間、雲間からのぞいた青空の下、皇居をつつみこむようにみごとな虹がかかった。
 天の浮橋(虹)を渡って下界に降りて来られたイザナギとイザナミの神話を思わせる出来事で、イギリスBBCなどの海外メディアも奇跡と報じた。
 だが、奇跡はこれだけではないだろう。
 江戸幕府の大政奉還から明治、大正、昭和、平成、令和にいたる143年をへて、第126代徳仁天皇陛下が、何事もなかったように、即位されたことが一つの奇跡のように思われる。
 敗戦による国体の危機や60年安保は、いったい、なんだったのか。
 西南の役や戊辰戦争、日清・日露と大東亜戦争、敗戦とアメリカ民主主義の移入と共産主義の蔓延、全学連や右翼が衝突した安保闘争など、日本を動乱へ巻きこんだ根本原因が、いま一つ、明らかになっていない。
 日本の近現代史は、日本主義と近代主義がぶつかりあって新しい時代精神をつくりだしてゆく、いわば、産みの苦しみの百年ではなかったろうか。
 そうであれば、その根本原因が明治維新にあったことは明らかである。
 薩長の倒幕は、軍事クーデターで、これが成功したのは、天皇を担いだからである。
 さらに、薩長政府は、1890年(明治23年)、大日本帝国憲法を公布して天皇を元首(「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リテ之ヲ行フ」明治憲法4条)にまつりあげた。
 これで、国体(権威)と政体(権力)の二元論から成っていたわが国2000年の国のかたちが壊れて、ヨーロッパ型の一元論的、王権神授説的な国家へ移り変わっていった。
 そして、まっしぐらに帝国主義と世界戦争の道へつきすすんでいった。
 日本の近代(欧化)化は、天皇の政治利用によって実現したのである。
 薩長が天皇を担いだのは、江戸300藩をまとめる力がなかったからである。
 天皇の政治利用という妙案が的を射て、諸藩の版籍奉還と岩倉具視の「王政復古の大号令」によって、徳川幕府は息の根を断たれる。
 明治維新の立役者は、天皇のお側(孝明天皇侍従/明治天皇の側近)として仕えながら、維新の三傑(薩摩の西郷隆盛と大久保利通、長州の木戸孝允)を操った岩倉具視で、明治政府の欧化主義も、岩倉使節団の影響だった。
 改憲論に、明治憲法に還るべしという声もあるが、明治憲法も、プロイセン(ドイツ)憲法が手本で、外国思想の移入という点において、民主主義や国民主権を盛りこんだGHQ憲法と変わるところがない。
 日本主義と近代主義の分岐点はそこにあるだろう。
 日本主義が、イギリスのコモン・ローにつうじる言挙げをしないあいまいな文化なのにたいして、18世紀の啓蒙主義に端を発する近代主義は、反伝統の進歩主義で、合理や科学、自由や平等、民主主義や唯物論を基調としている。
 封建社会を民主社会へおしすすめたのが近代主義で、その究極の形が革命である。
 明治維新の欧化主義と明治憲法、帝国主義、大正デモクラシー、昭和の軍国主義、戦後のGHQ憲法から共産主義運動までが、近代主義という一本の線でつながっている。
 そしてそれが、日本の現近代百年の混乱の底流となっているのである。

 戦前右翼の大物といえば、北一輝と大川周明、玄洋社の頭山満であろう。
 北一輝は、直接的関与がないにもかかわらず、二・二六事件をおこした若手将校らに影響をあたえたとして、銃殺刑に処された。
 憲兵隊に虐殺された大杉栄らと同様、官憲テロで、社会主義者とみなされていた北の「日本改造法案大綱」は、現在の日本国憲法と非常に似ている。
 大川周明は、キリスト教からマルクス、ダンテ、ヘーゲル、日本精神、インド哲学を渡り歩いた思想の天才だが、革命家で、5・15事件や陸軍革新派のクーデター計画(三月事件、十月事件)に連座して投獄されている。
 陸軍のクーデター計画をすすめた桜会がのちに合流したのが統制派である。
 合法的に軍部独裁政権を樹立しようとした統制派にたいして、武装蜂起して天皇親政をもとめたのが皇道派である。
 だが、2・26事件で天皇の怒りを買って、北をふくめた首謀者19人全員が銃殺刑に処される。
 皇道派の壊滅後、統制派の天下となって、大東亜戦争へつきすすんでいったのは、歴史書にあるとおりである。
 北一輝と大川周明が寄って立ったところが近代主義だった。
 一方、アジア主義の頭山満は、理屈をいわない実践家で、日本主義の支柱としたのが西郷隆盛だった。
 西郷隆盛が、右翼の源流とされるのは、頭山満が敬ったからである。
 西郷が大久保利通の新政府と決裂したのは、廃藩置県や徴兵令、秩禄処分や廃刀令などによって、武士階級が廃絶されたからで、明治政府は、徴兵令をすすめた山縣有朋やのちに総理大臣になる伊藤博文ら、足軽以下の中間という低い身分の者たちにささえられていた。
 不平士族の乱は、武士の魂を失った明治政府にたいする反乱で、維新十傑に数えられる江藤新平の「佐賀の乱」につづき、廃刀令や断髪令に反対した太田黒伴雄の「神風連の乱」、秋月藩士宮崎車之助らの「秋月の乱」、徴兵令に反対した前原一誠の「萩の乱」、そして、旧薩摩藩の士族が西郷隆盛を大将に担いだ「西南戦争」とたて続けに反乱が勃発するが、いずれも、激戦の末、鎮圧される。
 そして、大久保利通も、西南戦争の翌年、馬車で皇居へ向かう途中、紀尾井坂付近の清水谷で、不平士族6人に斬殺された。
 西郷と大久保が斃れて、明治維新は、一応の決着を見る。
 だが、その後も、日本主義と近代主義は、激しくぶつかりあう。
 そして、日清・日露戦争、大正デモクラシー、昭和軍国主義、大東亜戦争の敗戦をへて、1945年の国体の危機に直面するのである。


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2020年01月31日

伝統主義と民主主義D

四捨五入≠フ民主主義と弱者救済≠フ君民一体B
 ●民主主義は四捨五入≠フ論理
 伝統国家と革命国家のちがいは、歴史が否定されたか否か、である。
 日本は、伝統国家で、歴史が否定されることなく、国体として残っている。
 歴史にもとづく秩序の体系が権威で、人々は、権威に敬意をもって従う。
 権威は天皇で、権力は、天皇の親任のもとで、治世にあたる。
 西洋のデモクラシーにあたるのが日本の「君民一体」で、少数や弱者が尊重されるのは、民は天子(天皇)の赤子(せきし)だからで、君民一体は、政治制度であること以上に、歴史や伝統、文化やモラルの反映でもあった。
 一方、歴史を否定した秩序の体系が権力で、人々は、恐怖や力ずくで権力に従わせられる。
 この力ずくは、軍事力のことで、かつて、絶対王権や専制政治、共産主義やファシズムをささえた。
 現在は、軍事力が多数決にかわって、これが、民主主義と呼ばれている。
 日本人は、民主主義を、人類が最後にたどりついた最高の政体と思いこんでいる。
 だが、民主主義も、軍事力が投票に代わっただけの全体主義である。
 民主主義は、そもそも、革命の産物で、中国の国名が「中華人民共和国」で北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」である。
 民主では、国がもたない中国では、民主主義の代わりに人民として、人民の代表が人民政府(中国共産党)ということにしてある。
 民主主義が全体主義というのは力の支配(軍事力)≠ェ数の支配(多数決・少数派切捨て)≠ノ代わっただけだからである。
 力や数による国家統一は、歴史や伝統をふまえないヒトラーやスターリンのやり方で、かれらは、民主主義の信奉者だった。
 軍事力による支配も、民主主義による支配も、ただの政治手法で、フランス革命のギロチン政治、ロシア革命の粛清、文化大革命の大殺戮と、民主の名のもとで、すさまじい恐怖政治がおこなわれた。
 わたしが多数決に立つ民主主義を四捨五入≠フ論理と呼ぶのは、多数派を全体の意志として、少数派をバッサリと切り捨てるからである。
 民主主義が多数決という「数の論理」なら、君民一体は、調整や談合などの「文化の論理」で、君民一体には、善やモラル、分相応や相身互い、和の精神や惻隠の情などがふくまれる。
 しかも、少数派や弱者へやさしいまなざしがむけられている。
 奈良時代、病人や孤児の保護や治療、施薬などをおこなう施薬院や悲田院を建てられたのは、光明皇后(第45代聖武天皇后)で、天皇の弱者救済思想の一つのあらわれであったろう。

 主権や国民についても、数々の誤解や誤認がある。
 憲法前文では、主権にかんして、二通りの使われ方がされている。
 一つは「主権が国民に存することを宣言――」でもう一つは「自国の主権を維持――」である。
 これでは、主権が国民にあるのか、国家にあるのか、わからない。
 しかも、国民が、国民一人ひとりをさしているのか、国民総体をさしているのかが不明である。
 日本の書籍や論文で、国民が単数(一人)なのか複数(総体)なのか明らかにしたものは一つもない。
 理由は、当のルソーがあいまいにしているからである。
 ルソーは、希代の詭弁家にしてパクリ屋というのが世界的評価で、詐話師のマルクスと並んで評判がわるい。
 ところが、日本では、GHQの公職追放で、大学を追われた良心的日本人に代わってはいりこんだ左翼・共産主義の教授が、マルクス主義やルソー主義をふりまわして、日本人を洗脳した。
 欧米のインテリに保守が多いのにたいして、日本のインテリに左翼が多いのはそのせいである。
 ちなみに、ルソーの詭弁にユダヤの経典(タルムード)をかけあわせたのがマルクスの資本論である。
 ルソーがパクリ屋というのは、民主主義はソクラテスの古代ギリシャ、社会契約説はホッブズ、一般意志は「自然法」や「神の意志」からのパクリだったからで、しかも、すべて、真意をねじまげている。
 ソクラテスは、民主主義は衆愚政治で、多数派の独裁だと批判して、権力と民衆の怒りを買い、死刑判決をうけて自殺した。
 民主主義をたたえたことはいちどもなかった。
 ホッブズは、自然状態を悪としたが、ルソーはこれを善として、自然に帰れと叫んだ。
 一般意志は、神の意志を、政治の意志にすりかえたものだが、「人類の思想のなかでもっとも邪悪でおそろしいのは一般意志への服従」(バーリン)と痛烈な批判を浴びた。
 事実、フランス革命期、恐怖政治によって反対者を大量に処刑したジャコバン派のロベスピエールは「ルソーの血塗られた手」と呼ばれる。
 ルソーを手放しで礼賛するのは日本の新聞記者やインテリだけである。
 ヒトラーやスターリンら独裁者に利用されてきた「一般意志」が反映されているのがフランスの革命憲法(1791年)である。
 第3条で人民主権を謳い、第6条で「一般意志」が宣言されている。
 そして、それらがそっくりコピーされたのが日本国憲法である。
 GHQのニューディーラーが、わずか9日間で、日本の憲法をつくることができたのは、フランスの1791年憲法をコピーしただけだったからである。
 日本人は、ルソーがでっちあげた民主主義や国民主権、一般意志の騙しから目を覚まして、伝統国家の自覚を深くしなければならないのである。

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2020年01月24日

伝統主義と民主主義C

四捨五入≠フ民主主義と弱者救済≠フ君民一体A
 ●ヨーロッパは家系純血、日本は皇統混血
 日本とヨーロッパでは、血統にたいする考えかたが異なる。
 日本は嫡子(長男)相続で、ヨーロッパは外戚(女系)をふくむ家系相続である。
 正嫡(正妻の子)以外の家督相続がみとめられなかったキリスト教国家では、女系をみとめなければ、家系が断絶してしまうのである。
 ヨーロッパでは、国家ができる前に、家系や門閥、閨閥でつながった家があって、各国王室も、国家ではなく、家や血縁でつながっている。
 女系をみとめるヨーロッパの王室は、家単位(国をまたいで)王位継承順位をきめなければ、血統の正統性をまもれないのである。
 女系も血筋が重んじられる家系相続では、社会的地位や財産をまもるため、近い血統同士の婚姻がくり返される。
 その結果、子孫が虚弱化して、一族が滅びてしまった例に神聖ローマ帝国のハプスブルク家がある。
 一方、男子が皇位を継ぐ日本の皇統混血型では、母系の家系は問われない。
 皇后は、皇族や五摂家の出身でも、男児を産むのは側室ばかりで、近親婚による天皇は、古代を別にして、歴史上、一人もおられない。
 過去400年間で、側室の子ではなかった天皇は、109代明正天皇、124代昭和天皇、上皇(125代明仁)、今上(126代徳仁)天皇の4方だけである。
 皇位継承は、神武天皇という大樹から宮家という枝が出て、どの枝も皇統である。
 それが、万世一系で、日本が2000年以上、国体を維持することができたのは男系の皇統承継だったからである。
 天皇の権威は、皇統男系のもとで、直系と傍系、親等の遠近にかかわりなく世襲される。
 一方、女系相続をみとめるヨーロッパの王権は、直系にして親等の近い順に相続される。
 天皇が、歴史的地位なのにたいして、王権は血縁的地位なのである。
 一部の日本人は、万世一系を女性差別と批判するが、一般女性が天皇の母親になられる日本は、女性差別ではなく、男性差別で、権力者は、道鏡や足利義満らの例外を除いて、権威に近づくことができなかった。
 ●伝統を根絶やしにした革命の時代
 権威のささえをもたないヨーロッパ王室が、神を後ろ盾にして、みずからを神格化したのが「王権神授説」だった。
 そして、王権神授説をふりまわす絶対王政(絶対主義)が、徐々に無軌道になってゆき、それが、市民革命の伏線になってゆく。
17世紀のイギリス革命(清教徒革命・名誉革命)や18世紀末のアメリカ独立革命、フランス革命に産業革命がむすびついて、民主主義をベースとする近代市民社会ができあがる。
 そして、その一方、エジプトや中国、インドからエチオピア、ギリシャ、イランにいたるまで、紀元前にうまれた国は、日本を除いて、すべて、革命の洗礼をうけて消えてしまう。
 歴史の古い国を順に挙げてゆくと、エジプト(紀元前3100年)を筆頭に中国(紀元前2000年)、インド(紀元前1500年)エチオピア(紀元前980年)、ギリシャ(紀元前800年)イラン(紀元前550年)となる。
 エジプトは、古代エジプト以後、ローマ帝国やイスラム王国、オスマン帝国の支配下におかれた世界最古の国だが、1919年のエジプト革命で保護国のイギリスから独立して、現在のエジプトとなった。
 民主主義の発祥地で、ヨーロッパ文明のルーツというべきギリシャも、古代ギリシャから、ローマ帝国やビザンチン帝国、オスマン帝国の支配下にあったのち、1821年のギリシャ革命で、現在のギリシャへうまれかわった。
 易姓革命の国、中国では、万里の長城をこえて、しばしば、周縁国や異民族(遼・金・元・清)の支配をうけたのち、辛亥革命で清朝を滅ぼしたのが1911年で、中華人民共和国の成立が1949年である。
 インドの独立は、その2年前の1947年で、それまで、イギリスの植民地支配にあえいでいた。
 エチオピアは、1974年、皇帝を廃位して、社会主義へと転換した。
 かつてのペルシャと呼ばれたイランも、建国は、1979年のイラン革命によるものだった。
 ●民主主義と君民一体
 伝統国家と革命国家のちがいは、権威が否定されたか否か、である。
 人々を力ずくで、屈服させようとするのが権力である。
 一方、人々が、敬意をもって、従おうとするのが権威である。
 ヨーロッパの王政が権力で、日本の皇室が権威だったのは、みてきたとおりだが、その対比を端的にしめしているのが、民主主義と君民一体である。
 民主主義は、軍事力と並ぶ権力で、君民一体は、文化にもとづく権威である。
 ルソーが古代ギリシャの民主主義(衆愚政治)をもちだしたのは、たかだか250年前のことである。
 人類は、それまで、数千年にわたって、延々と、文化・文明の歴史を築き上げてきた。
 その歴史を断ち切ったのが革命で、そのスローガンとなったのが、ルソーの民主主義だった。
 そのルソーが君民一体を称えている。
「君民共治がこの世に存在するはずもないので、わたしは、やむをえず、民主主義をえらぶ」(『社会契約論』)
 ルソーは、日本の君民一体(共治)を知らなかったのである。
 日本は、先進国のなかで、唯一、革命を経験していない伝統国家である。
 その歴史を忘れて、無批判的に、民主主義にとびついたのが現在の日本である。
 次回は、憲法における民主主義と国民主権をみてゆこう。


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2020年01月17日

伝統主義と民主主義B

四捨五入≠フ民主主義と弱者救済≠フ君民一体
 ●日本の国造り、ヨーロッパの家門争い
 日本では、神話の段階で、すでに、国という概念ができあがっていた。
 イザナキとイザナミの「国産み」神話やニニギノミコトが天照大神の神勅をうけて高千穂峰へ天降った天孫降臨、そして、天津神が国津神から葦原中国をもらいうける国譲り神話などがそれである。
 日本は3世紀の古墳時代に統一国家(大和朝廷)の誕生させている。
 神話と天皇、民族と言語、習俗という伝統の上に国家がうまれたのである。
 そのころ、ヨーロッパはローマ帝国の退潮期で、封建制から絶対王政をへて主権国家がうまれるのは、それから千年も先の話である。
 民主主義を掲げる近代国家の誕生にいたっては、啓蒙時代や市民革命という嵐をかいくぐったわずか数百年前の話である。
 それまで、ヨーロッパにあったのは、家系や民族、土侯や領主など血と地の争いだけだった。
 ドイツを中心とする神聖ローマ帝国やイギリス王国群、フランク王国などの中世ヨーロッパの国王は、封建領主で、国土を政治的に支配していたわけではなく、国境もはっきりしていなかった。
 その端的なケースが、イギリスのプランタジネット家とフランスのヴァロワ家が王位を争った百年戦争(14〜15世紀)である。
 ジャンヌ‐ダルクによってフランスに劇的な勝利がもたらさなければ、この戦争で、フランスは消滅していたかもしれなかった。
 といっても、百年戦争は、英仏の国家間戦争ではなかった。
 フランスに領地をもっていたプランタジネット家がヴァロワ家を乗っ取りにかかったのである。
 百年戦争の後、イギリスの王位継承をめぐる内戦で、ランカスター家とヨーク家が30年間争い、ヴァロワ朝(フランス)とハプスブルク家(神聖ローマ帝国)もまたイタリアを戦場に50年以上にわたってたたかった(15〜16世紀)。
 すべて、家門と血族、土侯、領主の争いで、国と国がたたかったいくさではなかった。
 何十年という長期間の戦争によって、やがて、封建領主が没落してゆく。
 封建時代が終わりを告げると、国家主権(君主権)と強力な軍事力をもった絶対王政が登場してくる。
 ●権威失墜と暗黒の中世
 16世紀は宗教改革の時代でもあって、国家の統合や国家間の争いに、同一民族の内戦(プロテスタントとカトリック)がくわわって、中世ヨーロッパにさらなる戦火がひろがってゆく。
 なかでも、悲惨だったのはドイツ三十年戦争で、この内戦によってドイツの人口は1600万から約3分の1の600万まで減少したといわれる。
 この時代、日本では、細川勝元と山名宗全がたたかって、京都を焼け野原にした応仁の乱がおきている。
 そして、その後、戦国時代へ、日本も暗黒の中世へつきすすんでゆく。
 応仁の乱のさなか、将軍足利義政は、義尚に将軍職を譲って東山の銀閣寺で豪奢風雅の趣味三昧にふける一方、朝廷は、御所で崩御された後土御門天皇の葬儀もおこなえず、遺体が40日間放置されるという貧困のなかにあった。
 この権威の失墜が戦国という乱の時代を招いたといってよい。
 ヨーロッパでも事情は同じだった。
 宗教改革は、ローマ・カトリック教会へのプロテスタントの反抗だった。
 したがって、ローマ教皇は、宗教戦争をおさえる権威たりえなかった。
 宗教戦争が、略奪や虐殺、領土拡張と無軌道になったのは、服すべき権威が存在しなかったからだった。
 時代は上るが、古墳時代、大和朝廷に服する豪族らが、競って前方後円墳をつくって、その数5000基(大型126基)に上ったが、この時代、内乱はほとんどおきていない。
 国家形成と秩序、和平は、権威の下ですすめられるのである。
 ●聖なる権威/俗なる権力
 日本の皇室は、宗教(神話)的権威で、ヨーロッパの王室は、世俗的権力である。
 聖なる権威にはみずから従い、俗なる権力にはムリやり従わされる。
 権威は、心象の唯心論、権力は、モノ・コトの唯物論である。
 唯物論と唯心論は、けっして交わらない。
 戦争も革命も、独裁も民主主義(多数決)も、権力行為で、力や数がものをいう。
 権力や冨、領地は、力ずくでこれを奪うことができる。
 だが、権威や伝統、文化や習俗など、心のなかの価値を力ずくで奪うことはできない。
 そこに、天皇が男系継承(万世一系)となった理由がある。
 父系の一本筋で皇祖にゆきつく万世一系では、女系(女性天皇の子)や入り婿、非皇籍の養子は、永遠に、皇祖につらなる皇統に入ることができない。
 皇統という価値は、力でも数でも、冒すことができない聖域なのである。
 したがって、日本の権力者(摂政や太政官、武家)は、天皇をたてて、その権威の下で、政治の実権を握るみちをえらんだ。
 これが権威と権力の二元論で、わが国は、その二元論の下で、国体と政体がささえあっている。
 天皇と万世一系、君民一体(共治)と権威と権力の二元論が、わが国の国体である。
 権威とは、世俗を超越した聖なるもので、聖なるものに合理性はない。
 キリスト教におけるマリアの処女懐妊、キリストの復活、海を割ってイスラエルの民をエジプト軍から救ったモーゼの奇跡(旧約聖書)など、聖なるものに合理性はないが、人間の社会は、合理と不合理、モノと心の両面からできている。
 山尾志桜里(立憲民主党)にように「論理必然ではない」として万世一系を否定するのは、海が割れるはずはないとモーゼ神話に食ってかかるようなものなのである。
 次回も、日本の皇室とヨーロッパの王室を対比しながら、伝統主義と民主主義の比較論をすすめていこう。
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2020年01月06日

伝統主義と民主主義A

 ●天皇は権威、ヨーロッパ王政は権力
 日本は、先進国のなかで、唯一、革命を経験していない伝統国家である。
 しかも、現存する国家(196か国)のなかでは、建国の歴史が2680年ともっとも古い。
 国史(古事記や日本書紀)にもとづく国家の起源は紀元前660年である。
 初代統治者は神武天皇で、神武の男系血統(万世一系)をうけつがれる今上天皇、徳仁(なるひと)陛下は、神武天皇の126代末裔にあたる。
 比較して、エリザベス女王が42代で、イギリス王室950年は、第2位のデンマーク王室1000年に次いで第3位である。
 ところが、日本人は、世界一の伝統国家であることの自覚や誇りをもっていない。
 そして、戦後、アメリカからはいってきた民主主義を人類最大の英知であるかのようにいう。
「君民共治がこの世に存在するはずはないので、やむをえず、民主主義をえらぶ」(『社会契約論』)といったのは、ジャン・J・ルソーだった。
 アメリカの建国は、わずか244年前の1776年だが、この建国の陰には、先住民(インディアン)1000万人のジェノサイド(民族殺戮)と500万人アフリカ人奴隷があったことを忘れるべきではないだろう。
 天皇と建国2680年の歴史、君民一体(共治)がわが国の国体である。
 国体は、権力ではなく、権威で、伝統国家は、権威の体系である。
 したがって、ヨーロッパやアメリカなどの革命国家と同列に語ることはできない。
 ちなみに、ヨーロッパの王室が女系相続をみとめるのは、世俗的権力だからである。
 権力からできあがっているヨーロッパでは、権威は「王権神授説」によってあとからつけたしたものでしかなかった。
 上部構造をもたない権力が、神を後ろ盾にして、みずからを絶対化したのである。
 日本の皇室が、万世一系なのは、宗教(神話)的権威だからである。
 権威をささえるのは、皇祖に連なる皇統(男系)でなければならない。
 一方、権威を教皇や神にあずけたヨーロッパで、権力を握ったのは、家系や門閥、閨閥などの血族(女系)で、国家ができる前に、血族がつながった家があった。
 ヨーロッパの王室は、国家ではなく、家や血縁でつながっているのである。

 ヨーロッパの国々のルーツがローマ帝国なのはいうまでもない。
 共和政ローマがカルタゴを滅ぼして、地中海の覇権を握ったのが、紀元前2世紀前後だった。
 帝政に移って、繁栄したが、ゲルマン人などの侵入があって、395年には東西に分裂した。
 西ローマ滅亡後、ギリシャ化がすすんでビザンツ帝国と呼ばれることになる東ローマ帝国は、イスラム帝国によって領土の大半を失うも、オスマン帝国に滅ぼされる1453年まで千年余、存続する。
 西ローマが滅亡した476年の段階で、まだ、ヨーロッパに国家はうまれていない。
 そのころ、日本は古墳時代の中期で、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とともに世界の三大墳墓の一つに数えられる仁徳天皇陵がつくられている。
 ヨーロッパで国家が生まれるのは、5世紀後半にゲルマン系のフランク人によって建てられたフランク王国が、カール大帝の時代(8〜9世紀)にイギリス諸島とイベリア半島を除く西ヨーロッパのほぼ全域を掌握したのちのことである。
 カール大帝の死後、ヴェルダン条約(843年)で、フランク王国は三つに分割されて、これが、イタリア・ドイツ・フランスの基礎となった。
 イギリスは、中世の初期にイギリス諸島に侵入したアングロ・サクソン人がつくった王国群(七王国)が土台である。
 10世紀には統合がすすみ、1066年のノルマン朝以後、テューダー朝、ハノーヴァー朝、ウィンザー朝(エリザベス女王)とイギリス王室の基盤が固まった。
 8世紀から15世紀まで、イスラム(ウマイヤ朝)の支配下にあったイベリア半島をイスラムから奪回したのがレコンキスタ(国土回復運動)である。
 その過程でうまれたのがポルトガルとスペインだった。
 これで、15世紀には、ヨーロッパの国々は、ほぼ出揃ったことになる。
 そのなかで、特異な存在だったのが、962年、ドイツ王のオットー1世がローマ教皇から皇帝の冠を授けられて以来、神聖ローマ帝国を名乗ったドイツである。
 神聖ローマ帝国には、ドイツのほか、オランダやベルギー、オーストリアやチェコ、スイス、フランス西部、さらにはイタリア北部までふくまれる。
 そして、700年にわたって、神聖ローマ帝国の帝位を独占したのがハプスブルク家だった。
 イギリスのステュアート家、フランスのブルボン家、イタリアのメディチ家をよせつけない権勢で、イギリスも、ステュアート朝の断絶を受けて、ハプスブルク帝国(神聖ローマ帝国)の系列にあったハノーヴァー家から、ドイツ人で英語を話せないジョージ1世を国王に迎え入れて、ハノーヴァー朝を成立させている。
 ヨーロッパでは、国家の前に家系や門閥、閨閥があって、その系列にそって国家および国家権力がつくりあげられた。
 国家主権のソブリンティは、君主権という意味で、国民主権なら、国民君主権というおかしなことになってしまう。
 君主権を神で補強したのが王権神授説だった。
 それこそが神聖ローマ帝国で、その帝位を独占したのが、ハプスブルク家という閨閥一族だった。
 いうまでもないが、家系や門閥、閨閥は、男系に限定されない。
 政略結婚をとおして王権をとりこみ、その王権を奪うには、女系でなければならないのである。
 娘を天皇に嫁がせ、閨閥を形成して、摂政の権勢をふるった蘇我氏や藤原氏と、政略結婚をとおして王政権力を握ったハプスブルク家には多くの共通点がある。
 相違点は、ハプスブルク家が王権を奪ったのにたいして、蘇我氏や藤原氏が天皇の地位に手をださなかったことである。
 ヨーロッパの王制は権力で、日本の皇室が権威だったからである。
 権力は、戦争も革命も、独裁も民主主義(多数決)も、力や数の論理でしかない。
 したがって、力尽くで奪うことができる。
 だが、伝統や文化、習俗や歴史的な価値を奪うことはできない。
 そこに、天皇が男系継承(万世一系)となった理由がある。
 女系継承では、歴史と伝統にもとづく価値観が転覆してしまいかねないのである。
 父系の一本筋で皇祖にゆきつく男系継承では、女系(女性天皇の子)や入り婿、非皇籍の養子は、永遠に、皇統に入ることができない。
 ちなみに、皇位簒奪をはかったのは、奈良時代の弓削道鏡だけである。
 したがって、日本の権力者(摂政や太政官、武家)は、天皇を立てて、その権威の下で、政治の実権を握るみちをえらんだ。
 一方、権威が不在だったヨーロッパでは、絶対王政(絶対主義)の嵐が吹き荒れて、それが、市民革命の伏線になってゆく。
 次回以降、日・欧・米の比較論を交えて、伝統と民主主義について、さらに論をすすめよう。

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2019年12月25日

伝統主義と民主主義@

 ●民主主義は人類至高の法典か
 戦後、アメリカから民主主義がはいってくると、日本人は、手を打ってよろこんだ。
 いまも、日本人の多くは、民主主義が、人類史上、最良の政治制度と信じている。
 それどころか、民主主義を一つの文化として、ありがたく、これをおしいただいているありさまである。
 そして、君民一体や「和の精神」、権威と権力の二元論などわが国の伝統的な政体や価値観にはまったく疎いのである。
 宗教による支配や絶対王政、奴隷制度がなかった日本で、なぜ、民主主義がこうももてはやされるのか。
 理由は、GHQによる共産党・左翼の解放とWGIP(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)である。
 GHQには、民生局のケーディスに代表されるニューディーラー(社会民主主義者)が多く、民主主義は、共産主義(=人民民主主義)と双生児の関係にあった。
 GHQの公職追放令によって、日本国内で指導的な立場にあった21万人の愛国的・保守的な人々が、政官界や大学、マスコミから追われると、それまで、刑務所に送り込まれるなど不遇だった左翼・共産党員らが、大挙して、日本の中枢機関にはいりこんだ。
 そして、マスコミを中心に、民主主義の大宣伝をはじめた。
 アメリカ製民主主義もソ連製人民民主義も、当時の日本には、金ぴかに輝いて見えていた。
 国体(天皇)がなかったら、日本にも、共産主義革命の危機が迫っていたであろう。
 日本人は、民主主義がヨーロッパの伝統的な思想と思っているフシがある。
 ところが、ヨーロッパで民主主義が萌芽するのは、近代になってからである。
 アメリカ民主主義にいたっては奴隷解放後で、1919年のパリ講和会議の「人種的差別撤廃提案」(日本提案)では、議長をつとめたアメリカのウィルソン大統領は、急きょ、全員一致をもちだして、可決寸前の同案を否決している。
 奴隷制度や植民地主義、帝国主義の欧米に、民主主義を育む風土などなかったのである。

 ヨーロッパの中世がはじまるのは、イベリア半島をイスラム教徒から奪回するレコンキスタ(711年〜1492年)以後である。
 そのとき成立したポルトガル・スペインが、アフリカやアジア、南米などで殺戮や略奪の限りをつくしたのが大航海時代(15世紀半〜17世紀半ば)である。
 7回におよんだ十字軍遠征(11世紀末〜13世紀)と大航海時代、法王と王権を分離した王権神授説と、当時、ヨーロッパにあったのは、権力と宗教による血の支配だけだった。
 ヨーロッパが、宗教の重圧と絶対専制のくびきを断つきっかけとなったのがルネサンス(14〜16世紀)と宗教改革だった。
 だが、ルネサンスにはさしたる成果はなく、プロテスタントとカトリックがたたかった17世紀の「三十年戦争」では、なにもうむものはなかったばかりか、主戦場となったドイツの人口が1600万人から600万人まで減少する惨劇を招いた。
 ヨーロッパに民主主義のきざしがあらわれるのが、17世紀のイギリス革命(清教徒革命・名誉革命)から18世紀末のアメリカ独立革命、フランス革命にいたる市民革命の時代にはいってからで、これに、産業革命がむすびついて、ようやく、近代市民社会の骨格ができあがった。
 ヨーロッパにおける民主主義の土台になったのは、17世紀のホッブス(「万人の戦争」)以降、ルソー(フランス革命)、ロック(アメリカ独立戦争)、マルクス(ロシア革命)ら4人の社会契約説である。
 マルクスの資本論は、ルソーとタルムード(ユダヤ経典)を合体させた奇書というべきもので、ロックは人民の革命権(アメリカ憲法)を唱えた。
 民主主義の民主は、国家にたいする国民一般(全体)という意味で、これを個人主義的な民主と解しているのは日本だけである。
 ルソーやマルクスにおける民主主義の民は、民総体のことで、民主的な手続きにもとづいて、国家が国民の主権を預かって、政府をつくるのは、人民独裁の名目を借りた独裁にほかならず、個人としての民主はみじんもふくまれていない。
 17世紀の世界を見回して、民主主義がおこなわれていたのは、日本だけである。
 当時、人口は、江戸が130万人、大坂も京都も40万人をこえている。
 ロンドンが70万人、パリ50万人、ウィーン25万人である。
 都市機能を維持するのは、食糧確保や衛生管理、都市整備の面からきわめて困難で、ヨーロッパでは、下水道の不完備とネズミの発生からペストの流行に見舞われて、何度も、都市機能を喪失している。
 錦絵などに残っている当時の日本の町並みの美しさは、ヨーロッパとは比較にならないもので、ヨーロッパでは、宮殿にしかなかった額縁絵画や花瓶が庶民の家に飾られていた。
 個人が、宗教や権力から自由だったのは、君民一体という民主主義があったからである。
 それが、伝統国家というもので、権威から切り離されていた権力は、天皇の赤子たる民に手出しができなかったのである。
 次回以降、伝統主義と民主主義議論をさらに深めていこう。

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2019年12月09日

米・中の新時代と日本の役割F

 ●日本はアジアで指導的立場に立てC
 1990年のバブル崩壊から2000年代の新自由主義の導入、2010年代のデフレ不況と、日本経済は、30年の長きにわたって低迷してきた。
 理由は、付加価値をうみだすことができなかったからである。
 この30年間の日本の経済成長率は平均0・7%(実質)で、先進35か国(OECD)の平均2%の3分の1、名目経済成長率にいたっては、OECDの平均4%にたいして0・1%という低さだった。
 そのころ、アメリカ経済も、変調をきたしていた。
 1990年代、グローバル化の名のもとで、国際資本が猛威をふるうようになると、アメリカ国内で、製造業が空洞化しはじめた。
 アメリカ人は、モノをつくるのをやめて、マクドナルドの売り子になったといわれたものだが、そのマクドナルド的な消費スタイルが世界規模で拡大していったのがグローバリゼーション=アメリカ化だった。
 つくらざる経済は、対外的には、ヘッジファンド型の国際金融へ、国内むけには、情報技術革命へとむかった。
 日本と中国に製造業の市場を引き渡して、このとき、アメリカが手に入れたのが、製造業中心のオールド・エコノミーに代わるIT産業中心のニュー・エコノミーだった。
 IT産業は、情報・通信技術のハードウェアからソフトウェア、インフラやサービスなどをふくむ巨大な企業群で、アメリカは、パイの大きさがきまっている製造業を捨てて、将来的な付加価値の大きいニュー・エコノミーをとったのである。
 IT産業の象徴的な存在がシリコンバレーで、現在、アップルやインテル、グーグルやヤフー、フェイスブックなどのソフトウェアやインターネット関連企業、IT企業の一大拠点となっている。

 日本も、1990年代まで、半導体などのエレクトロニクス分野で世界のトップを走っていた。
 そして、90年代後半以降、官民あげてIT革命をおしすすめ、インターネットを中心とする情報化投資もおこなわれた。
 任天堂やセガ、ソニーなどのゲーム機やゲームソフトは世界を席巻した。
 だが、インターネットのソフトウェアでは大きく立ち遅れた。
 スマートフォンやパソコンのソフト(OS)をつくるマイクロソフトやアップルのようなソフト系大企業がでてこなかったのである。
 それまで、日本は、デジカメ、薄型TV、DVDレコーダーなどの単品開発に力を注いできた。
 だが、時代がむかったのは、ハードとソフトの結合という思いもしなかった方向だった。
 デジカメというハードと、撮った写真でコミュニケーションしあうフェイスブックやインスタグラムというソフトがジョイントして、ハード=単品をはるかに上回る売上を上げる。
 それが、第4次産業革命である。
 その付加価値の延長線上にあるのが、AI(人工知能)や5G(次世代通信技術)、そして、あらゆるモノがインターネットに接続されるIoT(モノのインターネット)である。
 IT産業革命で、日本が負けたのは、ハード(機体)とソフト(サービス)をむすびつける新分野を開拓できなかったからだった。
 人工知能が2045年に人間脳をこえる(シンギュラリティ)といわれているなか「日本のデジタル活用は世界から3周遅れている(経済同友会小林喜光)」「日本のデジタル化は中国の足元にもおよばない(藤井保文)」などの悲観論が聞こえてくる。

 人工知能や5Gの技術開発に日・米・欧の協力が必要なのはいうまでもない。
 それ以上にもとめられるのは、中国に太刀打ちできる研究開発費と人材育成の意欲だが、いたずらに悲観的になることもない。
 付加価値の大きいITやデジタルは、経済成長の実弾だが、それが経済のすべてではむろんない。
 人工頭脳やインターネットの上にかかったクラウドは、なくてもそれほど不自由でもなく、社会が崩壊するわけでもない。
 生きてゆくために必要なのは、消費財と生産財であって、情報財ではない。
 高齢化と市場縮小にむかう日本は、今後、アセアン10国とインドを相手に経済活動をすすめてゆくことになるが、人口6億2千万人のアセアンと人口13億人をこえるインドと共存共栄をはかるのに、AIや5Gをもちだしたところでなんの意味もない。
 必要なのは、生産と消費、そして、雇用である。
 それには、なによりも、日本の経済力と伝統的な共栄圏思想がもとめられる。
 中国の「一帯一路」は、高利でカネを貸し付け、設計から労働力、資材までもちこみ、挙げ句に、返済できない貸付金のカタに、プロジェクトを根こそぎ略奪するギャング式である。
 パキスタン(グワーダル港)やスリランカ(ハンバントタ港)から、ミヤンマー、ラオス、モルディブからヨーロッパのモンテネグロ、アフリカのシブチまでが被害に遭っている。
 中国のこんなやり方(『債務のワナ』)が長続きするはずがなく、アジアばかりか、アフリカでも、日本方式を望む声が高まっている。
 日本の経済協力は、戦後賠償に端を発するODA(政府開発援助)を土台にしたもので、1970年以降、経済インフラ資金の95%がアンタイドである。
 アセアンとインドにたいする経済協力は、現地経済の振興と雇用拡大に重点をおかなければならない。
 目的が富裕化にあるからで、貧困と失業、犯罪を防ぐには、中国のAI監視システムを導入するのではなく、国と国民をゆたかにしなければならない。
 ものづくり大国、日本が、アセアンとインドの工業・産業の振興にはたす役割はけっして小さくない。
 日立金属やトヨタ自動車、小松製作所など、日本を代表する大メーカーと肩を並べるのが精密機器と工作機械で、この3分野は、日本が世界をリードしている。
 CNC装置(コンピュータ数値制御)付工作機械では、ファナック(山梨県)が国内シェア7割、世界シェア5割を占め、産業用ロボットでも、世界シェア2割である。
 これにつづく安川電機、ABBグループ(スイス)、クーカ(ドイツ)の4社で世界の産業用ロボット市場の8割をおさえている。
 小型切削加工機や超精密ナノ加工機でも、アイフォーンの部品(筐体)をつくるファナック以下、日本企業が目白押しで、この優位はかんたんにはゆるがない。
 モノづくり経済では、アセアン・インドとむすび、AIや5G、インターネット・ソフトウェアでは欧州とも協力しあう。
 アメリカべったり(アメリカ・スクール)、中国べったり(チャイナ・スクール)の外務省感覚では、新しい時代をのりきれないのである。
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2019年12月02日

米・中の新時代と日本の役割E

 ●日本はアジアで指導的立場に立てB
 日本経済は、この30年間、横ばいで、GDPも5兆ドル弱ラインをうろうろしている。
 GDPランキングは、一応、3位だが、ドイツやイギリス、フランスやインド、イタリア、ブラジル、カナダが、射程圏内で、後を追ってきている。
 アメリカの1位(20兆ドル弱)は、デジタル革命の覇者にしてインターネットインフラをつくりあげた国として、うなずける。
 驚くべきは、2009年まで3位だった中国が、わずか10年で、2位だった日本を追いこして、日本の3倍(12兆ドル強)までGDPをのばしてきたことである。
 スマートフォン(5G/通信システム)や人工頭脳(AI)の分野で、長足の進歩をとげた結果である。
 一方、日本のGDPが30年間も停滞した理由は、スマートフォンというハードとこれに関連する5GやAIというソフトの開発を怠ったからである。
 東芝やシャープ、ソニー、パナソニック、NEC、日立、富士通、三菱電機など、かつて、世界のトップ企業だった日本の電機大手が壊滅状態になったのは、スマートフォンをつくらなかった、否、つくれなかったからで、その理由は後段でのべよう。
 日本の電機大手が、通話やパソコン、デジカメ、オーディオ、ビデオなどの多機能がすっぽりおさまるスマートフォンをつくらなかったのは、登山にたとえるなら、九合目まで登って、頂上をきわめなかったようなものである。
 逆に、中国は、九合目まで日本企業の肩に乗って、そこから頂上まで単独で登攀して、現在、スマートフォンの世界市場をアップルやサムソンと分け合っている。
 需要創造が経済の原動力で、新製品の開発なくして、市場拡大や経済成長が実現するわけはない。
 事実、日本の高度経済成長や所得倍増計画、一億総中流意識は、三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)に代表される需要創造にささえられていた。
 ところが、日本経済が足踏みした1990年〜2020年までの「失われた30年」には、国民の需要を喚起するスマホのようなハード(新製品)がなに一つでてこなかった。
 このかん、GDPが停滞したのは、日本経済に新製品をつくる力がなかったのか、新製品をつくらなかったから日本経済が停滞したのか、おそらく、その両方だったろう。

 それでも、精密部品や工作機械の分野で、日本は、依然として、世界ナンバーワンで、村田製作所やTDKらの中堅企業、町工場クラスの中小企業がスマートフォンの部品などの精密機械を世界に送りだしている。
 ところが、スマートフォンというハードがなければ、5GやAIなどのソフトの開発も軌道にのらない。
 日本が、第四次産業革命に乗り遅れたのは、すべてがインターネットにつながったクラウドの形成に失敗したからだった。
 第四次産業革命の主軸をなすのは、AIや5Gの他、モノのインターネット(IoT)など日常化されたコンピュータのネットワークサービスで、これをクラウドと呼ぶのは、雲のように地上を覆っているが、正体がさっぱりつかめないからである。
 5GやAI、IoTは、スマートフォンというハードとインターネット上のソフトの結合で、両者が一体化しなければ、クラウドを形成することはできない。
 その役割を担うべきだったのは、日本の電機産業と電話ネットワークの上に君臨する東京電力とNTT(日本電信電話公社)でなければならなかった。
 ところが、東京電力もNTTも、既得権の上に成立している国家的企業で、この二社が手をむすんで、クラウド形成にうごくことがなかったのは、渋沢栄一のような先見の明をもった指導者がいなかったからだった。
 アメリカで、大企業間のハードとソフトが融合したのは、半導体やコンピュータ、ソフトやハイテクのエンジニアが集結したシリコンバレーがあったからで、デジタル革命や第四産業革命の波は、シリコンバレーから世界へおよんでいった。

 現在、第四次産業革命は、一企業、一業態、さらに、一国をこえ、国境横断的に発展、相互の連携をつよめている。
 日本にもとめられるには、欧米とのタイアップを強化して、ソフトの充実をはかる一方、国産スマホの開発と製造を急ぐことに尽きる。
 第四革命をのりきるには、国家支援のもと、採算や効率を度外視して思い切った手を打たなければ、日本は、5年以内のGDPランキング10位圏外へ放り出されることになる。
 ファーウェイやシャオミなど中国のスマートフォン大手は、総額20兆円の5G投資を背景に、フィンランドのノキア、スウェーデンのエリクソン、アメリカのクアルコムやインテルなど欧米企業と協力関係をむすんで、世界市場へのりだしている。
 NTTドコモも、NECや富士通など国内の通信機器メーカー8社とともに5Gの技術開発にとりくみ、インテルやクアルコムなどとも共同研究をおこなっている。
 だが、NTTドコモとKDDIの研究開発費は、ファーウェイの18年度の研究開発費1・7兆円にたいして、5年間で1兆円程度と桁違いに少ない。
 2018年のAIの開発予算も、アメリカの7兆5000億円、中国の1兆500億円にたいして、日本は6770億円で、政府予算にいたっては、米中の15%というお粗末さである。
 AIの監視技術でも、50か国に売り込んだ中国(ファーウェイ)がトップで、11か国のアメリカ(IBM)が後を追っているが、日本は、実績ゼロとあって、番外である。
 日本には、そもそも、AIや5G、IoTの研究・開発分野が存在しない。
 日本中の大学や研究所などから、第四次産業革命をリードする精鋭を集めて世界に恥じないシンクタンクをつくるべき時期を、日本は、迎えているのである。
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2019年11月25日

米・中の新時代と日本の役割D

 ●日本はアジアで指導的立場に立てA
 米・中の新時代もしくは5極(米・中・日・欧・ロ)時代、これにカナダやオセアニア、ブラジル、インド、アフリカ、中東などをくわえた多極化時代になっても、日本にもとめられるのは、国家の独自性であって、マスコミ知識人がバカの一つ覚えのように吹聴する国際化ではない。
 かつて、日本では、学識者やマスコミ知識人の言説に踊らされて、国際化を善としてきたが、それがまちがいだったことは、いまや、だれの目にも明らかだろう。
 国際主義が破綻してうまれたのが、米中対立や5極体制、多極化である。
 目下の国際情勢は、冷戦以前、大戦以前に近く、国家戦争がないのは、核の分散と主要国の軍事力強化で恐怖の均衡≠ェゆきわたって、どの国も戦争ができなくなってしまったという皮肉な作用の結果である。
 大事なのは、国際性や協調性ではなく、存在感(プレゼンス)で、無防備と侮りを買うふるまいほど平和を脅かすものはない。
 その論でいうと、日本の憲法第九条が平和を脅かす潜在的要因になっているのだが、日本人は、だれもそのことに気づいていない。
 国際派は、マルクス主義から社民主義、アメリカ主義、中華主義まで多様にわたるが、共通しているのは、反日と反伝統で、日本は、明治維新の西洋化と第二次大戦後のアメリカ化を筆頭に国際派が大手をふってきた。
 戦後、GHQの公職追放令の恩恵で、大学や公官庁にもぐりこんだマルクス主義者、渡部昇一が指摘した敗戦利得者もこのなかにふくまれる。
 かれらの言い分は、終始一貫、自己否定で、改革主義もここにふくまれる。
 改革主義の旗手が小泉純一郎元首相で、悠仁親王ご生誕によって万世一系を否定する皇室典範改悪(2005年)の危機はかろうじて免れた。
 だが、日本の資本主義を否定する新自由主義の導入は阻止できなかった。
 新自由主義が日本経済にあたえたデ・メリットを三つあげることができる。
 1、株主の利益を優先して、生産と消費の振興、市場と雇用の拡大、国富や国民のゆたかさを犠牲にした
 2、株主配当と株価の高値維持のため内部留保を優先して積極経営を捨てた
 3、企業を株主の利得構造として、研究開発費や設備投資を怠った
 その結果が、日本資本主義の停滞で、日本は、三つの段階をへて、沈没していった。
 それが空白の30年で、最初の10年がバブル崩壊、2つ目がデフレ不況だった。
 そして、最期の10年が新自由主義導入による沈滞で、バブル経済崩壊後の日本経済は、延々と30年もダメージをひきずってきたのだった。

 30年前、世界の企業の時価総額ランキングで、NTTやメガバンク、東京電力などの日本の企業がトップ20のほとんど占めていた。
 ところが、現在の世界の時価総額ランキングでは、アマゾンやマイクロソフト、フェイスブックなどのIT企業が上位を占め、日本企業は、42位にようやくトヨタがくいこんだだけというていたらくである。
 ものづくり中心の日本企業が、アメリカがつくったインターネットインフラの上に構築された世界マーケットから放逐されてしまったのである。
 日本経済が休眠状態にあったこの30年間で、世界でおきていたのが、AI(人工知能)や5G(次世代通信技術)の実用化などの新しい潮流だった。
 AIは、モノ同士がインターネットでつながる(IOT)システムの頭脳部で、一時、凋落したマイクロソフトが復活したのが、クラウドと呼ばれるAI開発だった。
 5G(第五世代移動通信システム)は、インターネット時代の中心的な技術で、AIとも深いかかわりがある。
 中国とアメリカ、欧州の企業は、AIや5Gをめぐって、激しい開発競争をくりひろげ、とりわけ、中国は、10年以上前から、ITやAI、5Gなどの分野で優秀な人材をヘッドハンティングして、国家ぐるみで育ててきた。
 5G関連の特許保有数で、中国が日米に大きく水をあけているのはその成果である。
 IT産業革命で負けた日本は、あらゆるモノがインターネットに接続される第4次産業革命に勝てる見込みが薄い。
 5Gの技術開発に、日米欧の協力が必要なのはいうまでもないが、それ以上に、日本という国家にもとめられているのは、米中に太刀打ちできるだけの研究費と人材育成の意欲であろう。
 2018年のAIの開発予算は、アメリカが7兆5000億円、中国が1兆500億円なのにたいして、日本は6770億円で、政府予算にいたっては米中の15%というお粗末さである。
 一方、日本企業の内部留保は460兆円で、それが、大企業に集中している。
 これは、未来という材木を捨てて、目先の木っ端を拾っているにひとしい愚行である。
 日本の企業の99・7%が中小企業(小企業が87%)で、製造業付加価値の半数を占める大企業は0・3%にすぎない。
 日本企業のつよさは、工作機械や部品、ロボットや設備をつくっている中小企業にあって、AIや5Gの時代にあっても、その地位はゆるがず、世界的なシェアも落ちていない
 日本経済が弱体化したのは、大企業が、内部留保に精を出して、研究開発や設備などの未来投資を怠ったからで、これこそが、株主資本主義といわれる新自由主義の最大欠点といえる。
 米・中・欧・ロなどの強国がつぎつぎと国家資本主義的な政策をくりだしてくるなか、日本がとるべき国家戦略は、次の2つであろう。
 1、AIやIOT(モノのインターネット)、5Gに特化した技術省庁の新設
 2、大企業の内部留保をターゲットにした法人特殊税の新設
 国家資本主義は、資本主義が、資本の論理だけではたちゆきならなくなった世界的な情勢を背景にしている。
 次回は、国家経済と国際協調、安全保障のかねあいについても考えてみたい。

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2019年11月11日

米・中の新時代と日本の役割C

 ●日本はアジアで指導的立場に立て@
 ソ連邦崩壊(1991年)から、10年以上もつづいてきたアメリカの一極支配体制が、2001年の同時多発テロ事件以後、ゆらぎはじめ、現在、五極体制のもとで、世界版図の再編がすすんでいる。
 五極といっても、アメリカの軍事予算は、中国とロシアを合わせた3倍近く(6028億ドル)あって、アメリカ海軍が、地球を6つに区割りした海域に最新鋭の大艦隊を送りこんでいる。
 五極の他の四つは、日本と中国、欧州とロシアである。
 これに、カナダやオセアニア、ブラジル、インド、アフリカ、中東をくわえると多極体制となるが、いずれも、一強プラスαの構造である。
 アメリカの一極支配体制がゆらいできたのは、中国の躍進と、中国式の国家資本主義が台頭してきたからで、国家が経済・社会に干渉して、強力に政策をすすめる中国モデルが、アジアやアフリカから中南米にまでおよんでいる。
 国家資本主義と「AI(人工知能)監視システム」を組み合わせたのが中国モデルで、コストのかかる民主主義や摩擦の大きい人権を避けて、全体主義で資本主義のゆたかさを手に入れようというのである。
 フランシス・フクヤマが『歴史の終わり』で、民主主義と自由経済の勝利を宣言した1989年からわずか20年後、共産主義国家の中国が日本を抜いてGDP世界第2位に踊りでて、さらに、その20年後(2030年)にはアメリカを追い抜こうというのである。
 そうはさせまいというのがアメリカで、現在の五極体制は、米中二極の覇権争いの下で展開されているのである。
 ロシアも、ソ連崩壊後の混迷を脱して、軍事と資源を両輪に国家資本主義の路線をつきすすんでいる。
 2014年のウクライナ派兵(クリミア危機)の制裁で、ロシアは、G7の招待を取り消されたが、習近平は、その1か月後にひらかれた新興国首脳会議(BRICS/ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)にプーチンを招待している。
 このBRICSが国家資本主義を志向している国家群だが、イデオロギーや国家体制はそれぞれ異なっている。
 イデオロギーよりも安全保障や経済を重視したブロック化に安倍晋三首相が提案した「インド太平洋構想」がある。
 日本とアメリカ、オーストラリア、インドの4つの海洋国家が、インド洋と太平洋におけるシーラインをまもろうというのだが、中国の東シナ海、南シナ海への進出を抑止する狙いもある。
 尖閣の防衛や中東シーレーンの安全確保、さらに、「自由と繁栄の弧」という国家戦略の起点として、インド洋と太平洋は、日本にとっても、きわめて重要である。
 トランプ大統領も、2017年の東アジア訪問で、中国の一方的な海洋進出や「一帯一路」念頭に、安倍首相の提唱する「自由で開かれたインド太平洋」が新たなアジア太平洋戦略となったという認識をしめした。

 アメリカのペンス副大統領が、中国の途上国にたいする「債務漬け外交」をきびしく批判したのは、中国の巨大経済圏構想「一帯一路」構想と、国際金融機関「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」にたいする警戒感からだった。
 習近平が「人類運命共同体」と称する一帯一路は、実利をとおして途上国をとりこむ戦略で、巨額融資の代償が開発物権の譲渡(永久貸与)という、高利貸しさながらのやり方だった。
 スリランカのハンバントタ港は、2010年、中国から約13億ドル(約1421億円)の融資をうけて、建設がはじまったが、年6・3%という金利の返済ができず、株式の80%を中国国営企業に譲渡(99年間貸与)せざるをえなかった。
 中国のグワーダル港(パキスタン)開発や「中パ経済回廊」の建設に脅威をかんじていたインドにとって、日米の「インド太平洋構想」は歓迎すべきことで、モディ首相は、これを外交戦略トップ(「アクト・イースト」)に掲げた。
 AIIBがうごきだす以前、世銀や日・米が主導権をもつアジア開発銀行がアジア諸国へ融資をおこなっていたが、そのポリシーに、人道・道義的考慮のほか、相互依存、環境の保全、自助努力の四つの理念(「ODA大綱」)が立てられた。
 安倍首相も、習主席から「一帯一路」とAIIBへの協力をもとめられた際、条件として、この四つの理念を挙げている。
 戦後賠償からはじまった日本のODAは、60〜70年代に拡大、80〜90年代には、供与額世界1位となった。
 日本政府は、ODAを国際貢献の柱の1つとして、タイドローンのほとんどをアンタイドローンにきりかえて、アジア経済に貢献してきた。
 アジアの日本にたいする信頼の根拠は、そこにあって、中国の侵略的援助とはまったく異質である。
 相互発展をめざす日本経済は、マレーシアのマハテヒール首相が「ルック・イースト」といったように、アジア経済のモデルで、近くに日本がいたらわれわれも、中国や韓国のように経済成長できたはずとのべる指導者もいる。
 中国の所得倍増計画(2012年/胡錦濤)は、池田勇人首相の所得倍増論の焼き直しで、高度経済成長もバブル処理(失敗例)も日本から学んだものである。
 習近平は、「旧ソ連の崩壊後、中国崩壊論が絶えたことはない。だが、中国は崩壊しないどころか、人民の生活水準は高まるばかりではないか」と豪語する。
 中国経済がバブルをのりこえてのびてきたのは、単純な話で、債務を国家が買い取ってしまうからで、これは、最近、話題になっている現代貨幣理論(MMT)につうじる。
 次回は、日本経済の共栄という本質、MMTと実体経済の関連についてのべよう。

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2019年11月05日

米・中の新時代と日本の役割B

 ●日本主義にもとづくグランドプラン
 米・中の新時代――といっても、米・中が手を取り合って新しい時代を切り拓いてゆくという話ではない。
 世界覇権の話で、近い将来、中国がアメリカを超えて世界一ゆたかでつよい国になるか、それとも、アメリカが、中国をおさえて、超大国の地位をまもることができるか、という未来展望である。
 米中の貿易戦争は、その一つのあらわれである。
 アメリカにとって、貿易の不均衡も、はねかえしておかねばならない中国の圧力なのである。
 といっても、中国の現在の経済発展をささえてきたのはアメリカと日本だった。
 とりわけ、アメリカは、ニクソン・キッシンジャーが訪中して、中国を資本主義の国際舞台へ迎えいれている。
 日本も「日中平和友好条約」(1978年)をむすんで、改革解放をすすめるケ小平を日本へ招いて、経済・貿易・技術における官民一体の協力を惜しんでいない。
 ニクソン・ショックには2つあって、一つは、ニクソン・キッシンジャーによる米中の接近(1971年7月発表/1972年2月訪中)である。
 そして、もう一つは、ドル・ショック(1771年8月)だった。
 ドル・ショックは、金とドルの交換停止で、これによって戦後の世界経済を支えてきたブレトンウッズ体制が崩壊した。
 ブレトンウッズ体制は、ドルを金とならぶ国際通貨とする金・ドル本位制のことで、国際通貨基金(IMF)や世界銀行、WTO(世界貿易機関)やGATT(「関税と貿易に関する一般協定」)がこの体制の下にあった。
 ブレトンウッズ体制が崩壊して、変動相場制へ移るが、以後も、ドルが基軸通貨の地位をたもってきたのは、アメリカの国力が、それだけ、つよかったからである。
 中国は、強国アメリカの後押しによって、自由主義経済の世界舞台へデビューしたわけで、ニクソン・キッシンジャーがはたした歴史的役割はじつに大きなものだった。
 それにしても、ニクソンは、中国が、半世紀後、アメリカをおびやかすほどの経済大国になっているとは想像もしなかったろう。
 ニクソンは、晩年、「われわれは(中国という)フランケンシュタインをつくってしまったかもしれない」と漏らしたが、中国を熱愛する95歳のキッシンジャーは、かくしゃくとしたもので、今年また、習近平と会って、米中摩擦の解消にとりくんでいる。
 キッシンジャーが日本を嫌ったのは、ナチスと組んでアメリカに歯向かったからで、かれは、大戦中、アメリカに帰化したドイツ系ユダヤ人だった。
 キッシンジャーは、1971年の周恩来首相との会談で、有名な「瓶の蓋」論を展開している。
「アメリカが日本から撤退すれば、日本は、核装備をすすめるでしょう。日本が軍事大国になったとき、中国とアメリカの伝統的な関係(第二次大戦時の同盟関係)が復活します」
 2008年、NHK出身の外交評論家日高義樹の「ワシントン・レポート」(テレビ東京)に登場したキッシンジャーは「日本はどういう進路をえらぶべきでしょう?」ともみ手でたずねた日高に「そんなことはじぶんで考えろ」と突き放している。
 日米関係にかぎらず、外交は、友情や運命共同体意識などの感情論にのっているわけではない。
 だが、日本では、親米や反米、親中や反中、親韓と嫌韓と、外交を感情論で論じる風潮で、冷静な外交議論がなりたたない。

 本稿のタイトルは、米・中の新時代と日本の役割と銘打ったが、外国の要人に、国家の外交について教えを請うような情けないことでは、日本は、外交上のどんな使命も責務もはたせそうにない。
 イデオロギーの時代が終わって、現代は、国家と国家が資本主義のありようをめぐって摩擦をひきおこし、対立し、争う時代となった。
 資本主義の構造や価値観、成熟度が問われているのである、
 日本では、15世紀半ばの楽市・楽座の時代から、商道のほか、技術立国の礎となる職人文化や衣食住の大衆化がゆきわたって、17世紀には「米相場(米の先物相場)」がはじまっている。
 ある意味で、日本は、資本主義発祥の国といえるのである。
 ヨーロッパには、産業革命がおこった18世紀後半まで、資本主義といえるような経済形態は存在せず、9歳以下の労働の禁止と16歳以下の労働時間を12時間に制限した工場法ができたのが1819年である。
 アメリカ経済が発展したのは、第一次世界大戦後、疲憊したヨーロッパから資金や技術、人材が流入してきた以後で、1920年代のアメリカは、軍需にもとづく重工業や自動車産業の振興、輸出増加などによって「永遠の繁栄」と呼ばれる経済的好況のなかにあった。
 そして、おきたのが、株式市場の大暴落を契機としておこった1929年の大恐慌だった。
 オートメーションによる大量生産と労働者の大量解雇が、生産と消費の両面からなりたっている資本主義の構造を破壊したのである。
 これは、株主の利益だけを追求した新自由主義が、経済を縮小させて、格差社会をつくりだしたのと同じメカニズムである。
 ブッシュ大統領から新自由主義を吹きこまれた小泉純一郎は、格差社会への批判に「人生いろいろ」といってのけたものだが、日本の資本主義を破壊したのは、かつて、その小泉の右腕だった竹中平蔵である。
 竹中は、郵政民営化にからめて、資本主義の本質は、企業が利益をだすことと応えている。
 士農工商が支えた江戸の資本主義は、生産と消費、雇用や文化が一体となった社会制度で、金主(資本家)だけが儲かればよいという薄っぺらなものではなかった。
 日本が、米・中の新時代のなかで、プレゼンスを発揮してゆくには、江戸の資本主義から、明治のアジア主義(玄洋社・黒龍会)、大正の民族平等(パリ講和会議)、昭和の共存共栄(大東亜会議)に至る日本固有の思想を立てなければならない。
 ところが、日本では、明治維新の近代化と戦後のアメリカ化によって、国際派がハバを利かせるようになって、マスコミや論壇などから日本固有の思想や価値観が否定され、排除されてきた。
 国際派の筆頭がマルキストで、つぎが、前回、列挙した左翼インテリ女性に代表される反日グループである。
 反日は、自国を足蹴にして、西洋に憧れる性癖の持ち主で、反日派が世論をリードすると、国際社会で、指導的な役割をはたすどころか、自虐史観や日本悪玉論の前に沈没してしまいかねない。
 次回は、反日を排除して、日本主義にもとづくグランドプランをどう立てるか考えていこう。
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2019年10月28日

日・米・中・韓の新時代と日本の役割A

 ●GHQがつくった反日の構造≠ゥらどう脱却するか
 日本の大学やマスコミ、学会や論壇、公官庁などに、左翼・反日が巣食っているのは、戦後、本土を占領したGHQによって、21万人ものまともな日本人が、大学から教育、政・官界などの公職、いわゆる知識階級から追放されたからである。
 空いた席へとびこんできたのが、共産主義者で、当時、かれらは、愛国者を公職から追い出して、職場をあたえてくれたGHQを救世主や解放者と呼んだものである。
 1950年の朝鮮戦争や52年のサンフランシスコ講和によって、公職追放は、神道指令とともに消滅したが、人間は、そのまま、そっくり残った。
 日本の大学や学会、言論界や官界に、マルクス主義者が異常に多いのはそのせいで、自虐史観の歴史学会から人権一辺倒の法曹界、反国家の教育界、男女平等雇用法の公官庁にいたるまで、日本の中枢は、いまもなお、反日・左翼の手に握られている。
 左翼・反日が、今日、大勢力となったのは、1946年の公職追放令でのしあがってきたマルクス主義者の二代目、三代目が爆発的に自己増殖したせいである。
 左翼・反日は、一般国民の何倍も声が大きく、何十倍も自己主張がつよいので、マスコミや市民運動などを利用して、たちまち、オピニオン・リーダーとして躍り出てくる。
 日本破壊を企図したGHQの政策は、公職追放令だけではなかった。
 占領基本法だった戦後憲法もそっくり残って、共産主義者やリベラル、反日主義者のバイブルとなった。
 ケーディスやホイットニーらGHQ左翼が目論んだとおりで、謀略で日本を戦争にひきこんだルーズベルト大統領の子分の(ニューディーラー)の多くはスターリンを尊敬する共産主義者だったのである。
 1991年のソ連崩壊以降、マルクス主義者の多くは、反日主義へと転じたが、これが、左翼よりも、もっと始末がわるいものだった。
 目的が、政権奪取ではなく、日本という国の否定とあって、収拾のつかないアナーキズムが、毒ガスのように日本中を覆いつくすのである。
 なにしろ、国家の否定や国威の毀損、伝統破壊だけが目的なので、獅子身中の虫どころか、まるで、全身にまわったウイルスか猛毒である。
 従軍慰安婦問題は、日本の左翼・反日がつくって、韓国に伝染させたウイルスのようなもので、左翼反日には、祖国の尊厳や名誉、誇りを地に堕とすことが快感なのである。
 日本破壊というGHQの目的にそって、じぶんの国を貶めるほど、じぶんの立場がよくなる敗戦国特有のねじまがった現象を、渡部昇一は敗戦利得構造と称した。
 左翼・反日は、革命をもとめる情熱などではなく、わが身かわいさのあまり祖国を売る売国奴の思想≠セったのである。
 日本の歴史や文化、尊厳などの国体をまもってきたのは、敗戦利得者である日本のエリートではなく、一般の善良な国民だった。
 日本は、戦後から今日まで、60年安保をふくめて、敗戦利得者層と一般国民が、国体と国益、国家の安全保障をめぐって、水面下で、しのぎを削ってきたといってよい。
 優位に立ったのは、知的権威たる大学や論壇、教育や法曹、マスコミ報道を掌握する反日エリートで、言挙げしない一般国民は、終始、劣勢に立たされてきた。
 
 その反日エリートの一群に、インテリ女性の系譜があって、源流をたどると連合赤軍の永田洋子につきあたる。
 榛名山など山岳アジトで仲間12人を殺害した永田と、反日インテリ女性を同列に扱うのは短絡とみえようが、善や徳、文化を涵養する国家の伝統を悪の権化とするところは同根で、しかも、気ままで幼稚、自己中心的という大きな共通点がある。
 戦後、監獄から解放されて、日教組代表となったマルクス主義者の羽仁五郎は、反日主義の権化で「革命がおきたら反動はみなギロチンだ」などの過激な発言で、マスコミの寵児となった。
 その羽仁が、1972年の「あさま山荘事件」について「人民を追い込んだ全責任は権力にある」と連合赤軍を擁護した。
 この論理の上に立っているのが、反日の女性エリートで、反権力・反伝統を最大の善としている。
「生理的にイヤ、ああいうシステム、ああいう一族、ものすごく気持ち悪い」と皇室を侮蔑した辻本清美やNHKと組んで「女性国際戦犯法廷」なるものをでっち上げて、昭和天皇に有罪判決(「強姦と性奴隷制にたいする責任」)を下した松井やより(元朝日新聞編集委員)、「まったく論理必然ではない」と皇位の男系相続を否定した山尾志桜里(元検察官・衆院議員)らにあったのは、歴史や伝統、権威にたいする不遜さと道徳的なふしだらさだった。
 それが、むきだしになったのが、ありもしなかった従軍慰安婦を、あったといって騒ぎまわった慰安婦騒動である。
 従軍慰安婦問題で、福島瑞穂(社民党元党首)や田嶋陽子(元法政大学教授)は、韓国で、血眼で証拠や証言を集めたが、すべて、ガセだった。
 円より子(参議院財政金融委員長)は日本政府に謝罪をもとめ、岡崎トミ子(国家公安委員会委員長)は、韓国で慰安婦の反日デモに参加した。
 反日のデパートのような弁護士の千葉景子(元法務大臣)や東大教授で戦闘的フェミニストの上野千鶴子、原発推進派を「心の病気」と断じる精神分析の香山リカ(立教大学教授)、反安倍の最右翼で、一ドル50の円高を主張する国際経済学者の浜矩子ら、反日女性に共通するのは、未熟さと、それとは裏腹の傲慢さである。
 それが、左翼が変形した反日の特性で、本人は、インテリで頭がよいつもりであろうが、幼稚で、性格がわるいだけである。
 反日女性エリートのシンボル的存在となっているのが、奥平康弘東大教授が呼びかけ人となった「九条の会(大江健三郎ら9人)」である。
 世話人をつとめているのが、東大教授で、9・11テロを神風特攻隊になぞらえた小森陽一である。
 小森の盟友高橋哲哉(東大教授)は、松井やよりの「女性国際戦犯法廷」を高く評価する一方、辻元清美のピースボートの水先案内人をつとめた愚か者である。
 東大3ばか教授の一人、姜尚中は「横田めぐみの拉致をいうなら在日同胞も日本に拉致された。めぐみさんの両親の横田滋や横田早紀江が目の前にいても同じことをいう」といってのけた大ばか者である。
 次回以降、反日の構造をもっとつぶさにみていこう。
 反日という迷妄を払えば、日・米・中・韓の新時代と、日本の役割がもっとはっきり見えてくるはずである。
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2019年10月21日

日・米・中・韓の新時代と日本の役割@

 ●日本が種付けして、育成した中国資本主義
 日本の開国は、地政学的にも時代背景的にも、奇跡といってよいほどの立地条件に恵まれていた。
 地政学的には、中国大陸と朝鮮半島を海洋で封じて、アメリカとは、太平洋の西と東でむきあっている。
 イギリスと並ぶ堂々たる海洋国家の立ち位置で、海岸線の長さはアメリカを抜いて世界第六位、中国の約二倍である。
 日本が開国した1868年も絶妙のタイミングで、産業革命やアメリカ独立戦争、フランス革命から百年もたっていない。
 産業革命以前のヨーロッパからえるものはなにもなく、それ以後(19世紀末〜20世紀)であれば、帝国主義から世界戦争へむかう英仏独らの欧州列強や米ロにのみこまれていた可能性もあった。
 17世紀の江戸時代、日本は、世界に冠たる都市国家を成立させ、明治維新後の近代化のちからをたくわえていた。
 シルクロード文明の最終地点たるユーラシア大陸東岸の島国に、中華文明と異なる日本文明(『文明の衝突』ハンティントン)ができあがったのは、はやくから、単一民族による単一国家が成立していたからで、大和朝廷が成立したのは、中国で律令体制が完成した隋や唐の数百年前である。
 日本を独立国家たらしめた立地条件は、かつて、黄金の国ジパング(『東方見聞録』マルコ・ポーロ)呼ばれた金銀ではなく、四季と温暖な気候、四大海流などの天然資源だった。
 日本は、長い海岸線と河川、森林がつくりあげた良好な近海漁場と、広大な沖積平野がつくりあげたゆたかな穀倉地帯の上に、なにものも依存しない独立国家を建立したのである。
 中国や朝鮮との距離は絶妙で、交流や交易には近隣でも、遠征侵略には遠隔とあって、大陸から日本への侵攻は二度の元寇だけだった。
 日本は、海洋で、中国や朝鮮を封じる要塞国家でもあって、その象徴がかつて中・韓を苦しめた倭寇である。
 中・韓が日本を侵略国家とみるのは、倭寇が中国や朝鮮半島の沿岸を荒らしまわった遺伝子的記憶のせいで、朝鮮の高麗と中国の明が衰退したのは、倭寇の侵犯をうけたからだった。
 近代以降、日本は、日清・日露の両戦に勝って、朝鮮半島や台湾を支配下におき、蒋介石の中華民国とたたかった。
 第二次大戦に負けて、日本は、戦前の権益をすべて失ったが、戦後、短時日で復興して、ふたたび、大国の立場を回復した。
 大陸や半島には、日本帝国時代の有形無形の資産がそっくり残って、それが中国(満州)や韓国、北朝鮮のインフラの基礎となった。
 日本は、中国大陸を侵略、朝鮮半島を併合したが、帝国主義や戦争の時代において、軍事力にモノをいわせるのが国家正義で、侵略をうけるのは、国家をまもることができない負け犬でしかなかった。
 現在、中国や韓国、北朝鮮が戦勝国のようにふるまい、日本が卑屈になっているのは、WGIP(ウオー・ギルド・インフォメーション・プログラム)と憲法(前文・9条)の毒薬が利きすぎたのと、政治家が愚かだったせいである。
 日本が堂々とふるまっていれば、中・韓とも、いまほど増徴することはなかったのである。

 中国経済は、日本を抜き、世界第2位となって、目下、アメリカと貿易戦争をひきおこしている。
 その中国経済に種をつけたのは日本で、文化大革命を終えたばかりの当時の中国には、資本主義のシの字もなかった。
 毛沢東の死後、華国鋒政権の下で、1977年、劉少奇主席に次ぐ走資派として冷遇されていたケ小平が復権した。
 そして、78年に華国鋒を追い落として、資本主義を導入する改革開放路線をすすめた。
 ケ小平が資本主義のモデルにしたのが日本だった。
 1978年に「日中平和友好条約」を締結した直後、ケ小平は、中国の指導者としては戦後初となる日本への正式訪日をおこない、新日鉄・日産・松下の3社を見学した。
 新日鉄の君津製鉄所を見学したケ小平は、工場の設備や技術について詳しくたずね、日本の生産技術を中国に移入するための具体的な方法まで聞き出している。
 それが、新日鉄の支援で創業された上海宝鋼、のちの中国最大手の宝山鋼鉄である。
 ケ小平氏の訪日後、中国で「日本ブーム」がわきおこって、多くの視察団が日本にやってきて、日本人の専門家や研究者、技術者が中国に招かれた。
 政府のメンバーによる会議もさかんにおこなわれ、経済・貿易・技術における官民一体の協力体制は、当時、緊密なものだった。
 現在、中国で稼動している大工場の多くが、日本人が関与したものである。
 ケ小平の成功例が「経済特区」の創設で、これは、市場経済への移行するための踏み切り盤だった。
 外国資本や技術の導入、人民公社解体にともなう管理能力の育成を眼目に、広東省の深センや珠海、汕頭、福建省の厦門が指定されて、それぞれ高い実績をあげて、それが、全国へひろがっていた。
 そして、いまや、中国経済は、世界第2位となって、アメリカと貿易摩擦をひきおこしている。
 中国経済が、ここまでのびたことによって、自由と民主主義が勝利宣言した「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ)に疑問符が投げかけられたほどである。
 中国資本主義は、現在もなお、日本をモデルにしている。
 日本の1960年代の高度経済成長とバブル経済、バブル崩壊から不良債権処理、そして、デフレ脱却まで、日本経済の歩みが、そのまま、中国経済のテキストになっているのである。
 それにしても、中国経済は、なぜ、ここまでのびたのか。
 その謎解きとなるのが、最近、話題になっている現代貨幣理論(MMT)である。
 MMTのもっとも顕著な成功例が日本という指摘もある。
 次回、国家資本主義の台頭に重なりあうMMTについても言及しよう。
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2019年10月15日

一国主義に立つ世界と後れをとった日韓C

 ●ノーベル賞の日本の技術に依存して反日≠フちぐはぐ
 同じ反日でも、民族的反日の韓国よりも、政策的反日の中国のほうが、はるかに冷静で、中国人は、日本の製造業が世界一のレベルにあることや、中国経済が、その日本経済をモデルに成長してきたことも、内心で承知している。
 中国メディア(『今日頭条』)は、中国が日本に歯が立たない製造業の分野に「半導体材料」「スマホ材料・部品」「専門的生産技術」「ハイテク素材」「工業ロボット」「宇宙開発」次の6つをあげた。
 半導体材料は、中国や台湾でも生産できるが、精度や性能の面で、日本には遠くおよばない。
 この分野で、日本が市場を独占しているのは、市場は最高の品質をもとめるからで、二番手、三番手は、ほとんど、市場競争力をもたない。
 韓国政府は、半導体材料の国産化に、毎年1兆ウォンの予算をあてる構想を発表したが、付け焼刃で、製造業王国の日本に追いつけたら苦労はない。
 スマホについていえば、韓国のサムソンも中国のファーウェイも、材料や部品の大部分は、日本製で、韓国や中国は、組み立てて、商品化しているだけである。
 中国は「日本製の部品を排除したらスマホを生産できない」とみとめているが、韓国は、その事実に目をむけない。
 そして、半導体素材の輸出管理強化(ホワイト国から除外)に反発して、ビールやラーメン、化粧品、ユニクロなどの日本製品の不買運動や日本の旅行中止をもって、日本に一泡ふかしたと思いこんでいる。
 不買運動をやるなら、対日貿易赤字が240億ドルにたっする素材や部品の不買運動をやったらどうか。
 半導体製品が主力の韓国の製造業では、日本から輸入した素材・部品を完成品に組み立てて世界に輸出するという日韓の分業体制が確立していて、それが韓国経済を世界10位の経済大国におしあげてきた。
 東南アジアの国々が、日本を隣国にもつ韓国の立地条件をうらやむのはそのせいで、保守派も、韓国経済が日本に依存している事実を十分にわきまえている。
 だが、文在寅政権やマスコミ、親北派や民主労総傘下の労組は、反日有理の一辺倒で、国民の多くは、反日を煽る新聞に踊らされている。
 日本経済は、消費財ではなく、生産財(材料・部品)や資本財(道具や機械)の経済で、中国や韓国ばかりか、成長いちじるしいアジアの経済もその恩恵をうけている。
 ボーイング787の翼や機体の素材をつくっているのは日本企業で、世界の一流工場で稼動しているのも、多くは日本の工業ロボットや工作機械である。
 日本の科学技術力の高さを証明したのが、小惑星「イトカワ」から帰還した「はやぶさ」や、地球から2億8千万kmの小惑星「リュウグウ」に着陸して岩石標本を採取した探査機軌道「はやぶさ2」で、NASA(アメリカ航空宇宙局)でさえなしえなかった科学の一つの頂点である。

 日本経済が科学や技術の経済であることを証明したのが、吉野彰のノーベル化学賞受賞である。
 吉野彰ら3人のノーベル賞学者が開発したリチウムイオン電池は、世界的なインフラをつくりあげて、2026年には、約12兆億円の市場規模になると予想されている。
 リチウムイオン電池は、1991年に商用化されて以来、携帯電話やノートPC、デジタルカメラからEV(電気自動車)に使用されて、電子機器時代の申し子となった。
 リチウムイオン電池の原理を開発したのが、米テキサス大学のグッドイナフ教授(97)とニューヨーク州立大学のウィッティンガム教授(77)、そしてリチウムイオン電池を商品化したのが名城大学教授の吉野彰(71)である。
 欧米が基礎研究、日本が応用研究というパタンのもとで、特許数がほとんど同じというのがこの世界の熾烈さだが、この戦場に、中国や韓国は参戦していない。
 技術やソフトを盗用して、経済規模を拡大させてきただけだが、そんなやりかたでは、かならず、壁にぶつかる。
 技術革新は、基礎・応用研究の上に開花するもので、日米欧の企業がつねに新技術をつくりだしてゆくのにたいして、その技術をみようみまねで盗むだけの中・韓に、どんな展望もひらかれない。
 ローテクならそれで間に合っても、ハイテク、スーパーハイテクになったらそうはいかなくなる。
 中国から東南アジア、インド、アフリカ、中東、欧州へとつらなる習近平の「一帯一路」は、インフラ整備やカネ、軍事力による他国の領地化で、基礎となっているのはハードとローテクである。
 一方、日本の「自由と繁栄の弧(価値観外交)」は、地域こそ「一帯一路」と重なるものの、軸になっているのは、自由と民主主義、基本的人権と法の支配、市場経済というソフトと、科学や技術のハイテクで、一帯一路とは、思想も構造も異なる。
 今後、世界は、飢餓や戦争、貧困という負の因子と、文明や科学、豊かさという正の因子へ二極化して、経済や交易、安全保障も、そのなかでゆれうごくことになる。
 日・米・欧・豪のグループと、中・ロ・韓・印とアジア、アフリカ、南米のグループが共存する世界のなかで、キーとなるのは、科学と技術であろう。
 韓国のネットには、日本で、科学分野でのノーベル賞受賞が24人目となることを挙げ、「不買運動で日本をうちのめしても、韓国経済が日本の基礎科学や技術に依存している現実をみなければ、韓国に明日はない」「日本のビールなどを標的にした不買運動をするなら、リチウムイオン電池を使ったスマホやノートパソコンなどを捨てるべきではないか」などの書き込みがあったという。
 日本を仮想敵に仕立て、南北統一をめざしてきた韓国の親北派にも、そろそろ、ほころびがみえてきたのである。

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2019年10月04日

一国主義に立つ世界と後れをとった日韓B

 ●左右対決に代わる民主主義と全体主義の対決
 朝鮮半島の動揺が、日・米・中の関係国ばかりか、ロ・印・豪などの辺縁国をまきこみ、さらに、中東やアフリカ、ヨーロッパにまで影響をおよぼそうとしている。
 韓国が、経済・軍事とも、世界のトップ10に入る強国なら、北朝鮮も核をもつ軍事大国(総兵力120万人/韓国軍66万人)である。
 その両国が、核保有や南北統一、米中関係などをめぐって揺れ動いて、その余波が、アジアのみならず世界におよばないわけはない。
 さらに、日韓緊張という吹き出物もあって、朝鮮半島は、東アジアのトラブルメーカーにして、世界の火薬庫なのである。
 朝鮮半島の動向が、大きなインパクトをもつのは、世界版図を二分するパクス・アメリカーナと中国モデルの境界線が、朝鮮半島のド真ん中(38度線)をとおっているからである。
 この境界線(新アチソンライン)と連動しているのが第七艦隊で、同艦隊の母港が、アメリカ最大の海外基地である横須賀である。
 横須賀の第七艦隊と横田の第5空軍、沖縄の第3海兵遠征軍と自衛隊の編成軍が日米安保軍で、NATO(北大西洋条約機構)と並ぶアメリカ主導の世界集団防衛体制である。
 日米安保を拡張した防衛戦略が「インド太平洋構想(日本・アメリカ・インド・オーストラリア)」である。
 同構想が実現すれば、これまで、国内に限定されていた自衛隊の活動範囲が太平洋からインド洋にまでひろがる。
 安全保障と足並みを揃えて、第一次安倍内閣(麻生太郎外相)の産物だった経済圏構想(「自由と繁栄の弧(インド・中東・中央アジア・ヨーロッパ)」がふたたびうごきだした。
 かつて、日本は、「自由と繁栄の弧」が、中国包囲網とうけとられかねないとして、福田康夫内閣や民主党内閣がこれを封印するというばかな真似をした。
 親中派や親韓派がのさばっていた時代の話だが、逆に、中国や韓国から反日という冷や水を浴びせかけられて、第二次安倍内閣以降、すっかりおとなしくなった。
 安倍首相は、ベルギーのブリュッセルでひらかれたEUの関連会合で、基調講演をおこない、EUと積極的に経済協力をすすめる考えを明らかにした。
 具体的には、EUと協力して、東欧やアフリカでインフラ整備をすすめるというもので、これによって、自由や民主主義、人権や法の支配、市場経済などの普遍的な価値を共有する「自由と繁栄の弧」が最終ゴールに到達したことになる。
 EUとのタイアップによって、価値観外交(「自由と繁栄の弧」)が、中国の経済圏構想「一帯一路」と対抗する決定的な存在となった。
 日本とEUが、アフリカから東欧、イタリアにまで手をのばしてきた中国の経済覇権を阻止しようというのである。
 中国の「一帯一路」が他国の領土化≠セったことは「中国パキスタン経済回廊」にもとづくパキスタンのグワダル港開発をみれば明らかで、巨額借金のカタに港湾を奪われて、将来、同港が中国の軍港になるのは目に見えている。
 受けた援助が、巨額の借金に化けて、建設中のインフラ設備をまるごと奪われる――それが「一帯一路」の借金漬け領地略奪法で、典型的なケースがスリランカのハンバントタ港だろう。
 2010年、ハンバントタ港建設に際して、スリランカが中国から借入した13億ドル(約1421億円)は、年6・3%という高利で、インフラ整備によって、多少、生産性が上がっても、容易に返済できる金額ではない。
 中国の資金源になっているのがアジアインフラ投資銀行(AIIB)である。
 アジアには、1966年に設立されて以来、融資やグラント(無償支援)のほか、アジア地域の経済・技術協力、貧困の対策などに取り組んできたアジア開発銀行(ADB)があって、日本が主導してきた。
 これにたいして、中国の習近平主席の肝いりでうまれたのが、アジアインフラ投資銀行(AIIB)で、これに、アジア諸国を中心に50か国がとびついたが、そのなかに、イギリス、フランス、ドイツがふくまれていた。
 これは、英仏独の誤りで、中国の「一帯一路」は、金融やインフラ整備などをとおして、地政学的なメリットをもとめる戦略であって、日・米・欧の技術型・科学型経済戦略とは、相容れない。
 日本の価値観外交には、自由や民主主義、基本的人権や法の支配、市場経済のほかに、技術や科学という要素がもりこまれている。
 日・米・欧は、技術と科学で、世界をリードする立場にあって、地下資源や安い労働力、旺盛な消費力に代わって、知力を経済の原動力にしている。
 かつて、共産主義と自由主義が牙を剥き合ったが、現在は、民主主義と全体主義の対立へと様相を変えた。
 パクス・アメリカーナと中国モデルが、世界版図を二分しているというのはその意味合いにおいてで、両者を分けているのが、技術力と科学力なのである。
 中国のメディア(『今日頭条』)は、日本の製造業を他の国と比較した記事を掲載して、そのなかで、「中国が日本にかなわない理由」を4つ上げている。
 日本は「生産効率」「高品質」「工作機械」「素材」の4分野で、米国を抜いて世界一だという。
 経済と軍事力、技術・科学が大国の条件になっていることは、この3分野で、アメリカが断トツの第一位であることからもわかろう。
 ■ノーベル賞受賞者数の国別ランキングトップ10
 1位アメリカ339/2位イギリス110/3位ドイツ82/4位フランス58/5位スウェーデン32/6位スイス27/7位日本22/8位ロシア(旧ソ連)20/9位オランダ16/10位カナダ14/10位イタリア14
 科学系の受賞者は、中国とインドが1、韓国は0で、欧米の合計678とは比較にならない。
 ところが、経済や軍事力では、中国やインド、韓国が上位にのぼってくる。
 ■軍事力の国別ランキングトップ15
 1位アメリカ/2位ロシア/3位中国/4位インド/5位フランス/6位日本/7位韓国/8位イギリス/9位トルコ/10位ドイツ/11位イタリア/12位エジプト/13位ブラジル/14位イラン/15位パキスタン
 以下インドネシア、イスラエル、北朝鮮、オーストラリア、スペイン、カナダ、台湾、ベトナム、ポーランド、サウジアラビア、タイとつづく。
 ■GDPのランキングベスト20
 1位アメリカ/2位中国/3位日本/4位ドイツ/5位イギリス/6位インド/7位フランス/8位ブラジル/9位イタリア/10位カナダ/11位ロシア/12位韓国/13位オーストラリア/14位スペイン/15位メキシコ/16位インドネシア/17位トルコ/18位オランダ/19位サウジアラビア/20位スイス
 今後、世界は、ハードウエア型の中国や韓国、ロシアと、ソフトウエア型のアメリカと日本、ヨーロッパがしのぎを削ってゆくことになる。
 次回以降、経済や技術、安全保障について、世界スケールで考えていこう。
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2019年09月27日

一国主義に立つ世界と後れをとった日韓A

 ●反国家に立つ韓国の反日種族主義と日本のリベラル紙
 現在の険悪な日韓関係を象徴しているのが文在寅大統領の盗人猛々しい(「賊反荷杖」)≠ニいうことばだろう。
 ホワイト国から除外された腹いせからだけではない。
 歴史認識として、韓国人は、かつて、朝鮮半島を植民地支配した日本をドロボーと見ているである。
 スイスの国連人権理事会で、「徴用工の強制連行や奴隷労働はなかった、賃金の民族的差別はなかった」と講演した李宇衍は、韓国で、歴史を歪曲してきた人々を反日種族主義者≠ニ呼んだ。
「日本は絶対悪、韓国は絶対善」とする反日教育の申し子で、今回、日本製品不買運動に走った人々もそのなかにふくまれるが、なんといっても代表は反日を煽る韓国の新聞マスコミだろう。
 李宇衍らが共同執筆した「反日種族主義」が、目下、ベストセラーになっているのは意外だが、韓国世論は、もともと、保守と左翼、中間派で三分されていて、マスコミがつたえるように、左翼・反日一色ではない。
 もっとも、反日が正義にして良心の韓国にあって、保守派も反日の例外ではない。
 かれらが、表立って反日を叫ばないのは、現在の韓国が、いわゆる、日帝36年を土台にしている歴史や、日本から素材や部品、技術が入ってこなければ経済が成り立たない事情を知っているからである。
「日本製品不買運動」や徴用工・慰安婦問題の「反日デモ」ばかり報道されるが、文在寅打倒のデモや集会も頻繁で、「光復節集会」では、左派(左派従北集会)を圧倒する20万人動員(「太極旗連合集会」)で気勢をあげた。
 右派勢力のなかには、文在寅を「與敵罪(死刑)」で告発するグループがあるほか、北朝鮮を仮想敵にしてきた韓国軍の一部の退役軍人会派にはクーデターやテロの可能性までささやかれている。

 韓国の国論を分けている分水嶺が、国家と民主主義である。
 国家を念頭におくのが保守主義で、財界や経営者らに支持されている。
 一方、民主主義をささえるのは、反国家の立場に立つ組合や新聞マスコミで、保守がつくった国家を悪とみる人々である。
 民主主義は、革命理論で、国家と民主主義は、もともと、敵対関係にある。
 民主主義が、人類が最後にゆきついた最高哲学であるかのようにいうひとがいるが、革命によって、伝統や文化、習俗を失って、残ったのが多数決のみというのが民主主義の実態である。
 したがって、民主主義の信奉者は、例外なく、国家を否定する。
 国家観や歴史観をもちあわせないのが、文在寅と反日種族主義者である。
 それがかつて、事大主義や両班の退廃をうみだし、現在、南北統一=革命を夢想する朝鮮半島の土着的精神で、国家を忘れた韓国儒教の後遺症といえる。
 李宇衍は、慰安婦問題も徴用問題も、日本の良心的知識人からはじまったと指摘した。
 李のいう良心的知識人というのは、朝日・毎日、岩波書店のことである。
 歴史歪曲と国家侮辱、歴史冒涜をもって、かれらは、日本の良心的知識人を自認してきた。
 文在寅と反日種族主義者、日本の朝毎ら左翼マスコミの三者に共通しているのが、国家観念と国家にたいする現実感覚の欠落である。
 平和主義と民主主義さえあればよい左翼にとって、国家も主権も、軍備も防衛も、夢うつつの観念論で、現実の問題ではない。
 文在寅が提唱する大国参与型のユートピア的安全保障や、憲法9条が戦後の平和をまもってきたとする夢想的平和主義がそれで、防衛や安全保障が切実な世界との落差はいかばかりか。
 現在、世界情勢は、空想どころか、あざとい現実主義が、緊迫の度をましている。
 国家資本主義(ステートキャピタリズム)や中国モデルの世界浸透、パクス・アメリカーナと中国覇権主義の対決が、世界版図を大幅に書きかえようとしているのである。
 かつて、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』によって、自由民主主義にもとづく欧米型資本主義が、いったんは、完全に勝利したかにみえた。
 だが、自由民主主義を否定する中国資本主義が、日本を抜いて世界第二位の経済に躍り出るや、中国モデルが世界中にひろがって、欧米型資本主義は後退を余儀なくされている。
 国家資本主義は、ロシアや中国からインドやブラジルへ、ヨーロッパでもハンガリーやポーランドへひろがって、世界を自由主義や民主主義だけで語ることができなくなりつつある。
 国家資本主義が台頭してくると、自由主義や民主主義などのイデオロギーや文化的価値観にかわって、経済が、国家運営や外交戦略の要となってくるだろう。
 国家資本と、資本の国際化のハザマのなかで、貿易摩擦から防衛問題までが大きな問題として浮上してくるはずだが、歴史が教えるところでは、経済問題は、戦争で決着をつけるしかない。
 今後、世界情勢は、中国覇権主義とパクス・アメリカーナの対決という構図のなかで、熾烈さをましてゆくはずである。
 次回以降、朝鮮半島を視野の一角にいれて、日・米・中の国家戦略を展望していこう。
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2019年09月20日

一国主義に立つ世界と後れをとった日韓@

 ●「反日」とリベラルという日韓に吹く左翼風
 韓国の文在寅大統領が、不透明な資産運用など数々の疑惑の渦中あった側近のチョ・グクを法相に任命して、日本のテレビも、一時、その話題でもちきりだった。
 といっても、スキャンダルの扱いで、通称タマネギ男≠フ身辺をさぐっておもしろがっただけだった。
 これはメディアの重大なミスリードで、日本を敵性国家にすえ、南北統一と国家の社会主義化をめざす文政権の脅威も、文在寅の後継者で、文に勝るとも劣らない反日主義者チョ・グクの正体をつたえることもなかった。
 文政権が革命政権であることは、前政権がむすんだ条約や外交上の約束事を平然とふみにじるところにあらわれているが、さらに際立っているのが、文が希代の空想家という点である。
 マルクス主義が、かつて、空想的社会主義と呼ばれたように、左翼の根本にあるのが空想で、文在寅が、非現実的で支離滅裂、虚言家なのは、根っからの左翼だからである。
 文は、保守派と親日派がつくったものだとして、現在の韓国をみとめない。
 8月15日の光復節には、2つの意味があって、一つは、植民地支配からの解放(1945年)で、もう一つは、大韓民国の建国(1948年)である。
 歴代大統領は、この日、式典で、民族解放と国家建国の両方を祝賀してきたが、文在寅は、今年の光復節で、大韓民国建国に一言も触れなかった。
 韓国には国家としての正統性はなく、北朝鮮こそが朝鮮民族の真の国家だとする歴史観に立っているからで、この現実離れが、文政権の本質である。
 なぜ、韓国人は、文のような風変わりな夢想家を支持するのか。
 韓国国民の3割が左派で、3割が保守、3割が浮動票といわれる。
 そのなかで、文政権を支持しているのは3分の1以下で、与野党の差も拮抗している。
 それでも、文の支持率が40%台を維持しているのは、民労総がメディアの個別労組をうごかして、報道や世論調査を操作しているからという。
 くわえて、韓国では、日本悪玉論が国民的常識および良心で、政権が反日を叫ぶほど支持率が上がる独特の風土にある。
 日本人は、大統領制を民主主義政体と思っているが、実際は、議会や憲法をこえる権力をもつ独裁体制である。
 とくに、李承晩がつくった韓国の大統領制は、ヒトラーをうみだしたナチス独裁とかわるところがない。
 韓国大統領は国家元首で、三軍(陸・海・空)の統帥権をもつほか、三権の長や長官・大臣の任命権を有し、立法や司法にたいしても憲法で一定の権限をみとめられている。
 韓国の大統領独裁は、北朝鮮の金正恩の地位に似てなくもなく、文が政府の中枢をすべて腹心で固めたら、北の金王朝に対抗する南の文王朝ができあがる。
 文は、保守派・親日派の粛清と企業の国有化という大手術を施して、韓国を社会主義化したのち、北との統一を実現しようというのであろうが、夢想的というしかない。
 げんに、現実主義者の金正恩は、トランプだけに顔をむけて、文には罵倒を浴びせた。
 そのトランプは、中長距離弾道ミサイルさえ放棄すれば米朝間に問題はないとして、強硬派のボルトン補佐官を解任して、金に大甘なところをみせた。
 混沌としているのは、南北問題やアジアの安全保障、米中貿易摩擦だけではない。
 冷戦構造崩壊後、米ロ中から欧州までが一国主義に走って、集団安保や相互防衛、バランス・オブ・パワーから核の傘(相互確証破壊)の論理に至るまでがかつての有効性を失いつつある。
 そして、数十億ドルを費やした最新鋭の防空システムをくぐって、おもちゃのような小型無人機(ドローン)が、サウジアラビアの巨大な石油産業施設を壊滅的に破壊する事件がおきた。
 地殻変動がおきているのは、防衛や安全保障、国際関係だけではない。
 中国やロシア、インド、ブラジルなど、資本主義と国家主義が合体した国家資本主義の台頭が著しく、米ソ貿易摩擦は、欧米型資本主義と国家資本主義のたたかいということもできる。
 中国経済は約600兆元(約9700兆円)の負債をかかえ、若者は平均で年収の1・5倍の借金(消費者金融)を負っている。
 金融バブルだが、中国政府が人民元を刷りまくって、帳尻を合わせている。
 アメリカ経済も、国家が救済しなければ、リーマンショックをひきおこしたサブプライムローンのような問題がいつおきるかわかったものではない。
 世界の動向は、安全保障も経済も、一国主義へむかいつつあって、日米安保も、けっして、磐石ということはできない。
 ところが日本では、武器を捨てると平和になる、憲法9条が平和をまもってきたという夢想的平和主義がまかりとおって、世界を覆っている一国主義のリアリズムから遠く隔たっている。
 どこかの国と似ていないだろうか?
 反日を叫ぶ新聞世論に引きずられて、左傾化へとむかう韓国と、平和を叫ぶリベラル派にひきずられて、憲法9条の廃棄や核ミサイル配備をふくめた自主防衛の議論ができない日本は、じつは、似た者同士なのである。
 韓国は反日主義に、日本は平和主義に足をひっぱられて、それぞれ、現実を見失っている。
 防衛や経済などの分野で、世界が直面しているリアリズムと、日本や韓国が浸っている空想論とのちがいはいかばかりか。
 次回から、世界へ目を転じて、反日へ走る日本と韓国の空想的左翼の病根をさぐってゆこう。

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2019年09月09日

恨(ハン)と反日をうんだ朝鮮半島の地政学的悲劇C

 ●反日をバネに南北統一をめざす文在寅の野望
 韓国の反日は、複合的な民族感情で、一筋縄ではゆかない。
 小中華思想にもとづく対日蔑視、中国の属国だった事大主義と恨(ハン)という情念、儒教の後進性と李王朝の腐敗と貧困、日本の属国になった負い目が重なって、反日という日本憎しの民族感情がうまれた。
 その反日感情を政策化したのが、戦後の初代大統領、李承晩だった。
 当時、日本から分断された韓国は、世界の最貧国へと没落して、日本時代を懐かしむ声が国中にあふれていた。
 独裁者として、最高権力を握った李承晩は、この声を封殺すべく、新聞社や教育機関を総動員して、日本時代が地獄だったとするデマゴギーをふりまいた。
 韓国の三大紙が、いまなお反日の宣伝塔となっているのは、その名残である。
 李承晩は、李承晩ラインを敷いて、日本の漁民3929人を抑留、29人を殺して、さらに、竹島を奪っている。
 李承晩は、民間人6万人余を虐殺した済州島「四・三事件」(1948年)の責任者で、1960年の退陣要求デモでは、警官隊に発砲を命じて186人の命を奪った。
 史上最悪の大統領、李承晩の反日は、独裁から目を逸らさせ、自国民の大量虐殺という惨事を隠蔽するためだった。
 この政策的反日を再現したのが、李承晩失脚から43年後、李承晩とは正反対の左翼政権だった。
 盧武鉉大統領と文在寅大統領秘書室長コンビによる「反日法」(親日派財産を没収する特別法)の公布と日本の原発を標的とした巡航ミサイル「玄武3」の配備がそれである。
 中央日報によると、盧武鉉は米韓安保協議会(SCM)で日本を米韓共通の仮想敵国にするように提案して、当時のラムズフェルド国防長官に深い不信感を抱かせている。
 日韓GSOMIAの破棄につづく竹島での軍事演習、日本を仮想敵国とする軍事予算の拡大(4兆円/日本5兆円)は、盧武鉉から文在寅へひきつがれた反日戦略の一環で、この段階で、日本は、韓国の仮想敵ではなく、正敵と位置づけられた。
 その先にあるのは、自由主義陣営からの離反で、文在寅は、保守派と親日勢力の一掃と大企業の国営化という社会主義化の方向へ舵を切ったのである。
 韓国経済を牽引してきたサムスングループの李在鎔副会長を逮捕起訴したのは、国有化の布石で、サムソンは、すでに、生産拠点をベトナムへ移し、他の有力企業も、いくつか、本社機能の移転を検討している。
 とくに、親日派企業は、反日法や司法につよい影響力をもつ国民情緒(法)によって、いつ、権力から摘発されてもおかしくない危機にさらされている。

 国家元首と行政府の首班を兼ねる韓国の大統領は、警察・検察・司法をふくめたすべての国家権力機関の長を任命できる絶大な権限をもっている。
 それが、李承晩がつくった青瓦台(大統領府)の独裁体制である。
 文在寅は、すでに、政府や官僚組織、軍隊にまで手をのばして、要職を左翼陣営で固めた。
 その仕上げが、゙国(チョ・グク)元大統領府首席秘書官の法務大臣起用である。
 文在寅は、゙国を使って、韓国で圧倒的な力をもつ検察を掌握、その゙国を次期大統領に据えるはらづもりである。
 検察をふくめたすべての権力を掌握して、文在寅後も、゙国を次期大統領にすえて、じっくりと韓国の社会主義化をすすめようというのである。
 
 盧武鉉から文在寅、゙国ら韓国左翼は、朝鮮半島の国家の正統性を北におく特有の歴史観、価値観の上に立っている。
 本来、北の社会主義者とともに、祖国統一をめざさなければならなかったのに、保守派が親日派と手を握ったために、分裂国家になってしまったというのである。
 したがって、国家を分断した親日派・保守派を真っ先に清算しなければならない。
 韓国左翼にとって、朴正煕の「漢江の奇跡」も日本の経済援助も、南北統一の妨害でしかなかったのである。
 文政権(青瓦台)の周辺には、共産主義者や北朝鮮の主体思想にカブれた極左や「日本は絶対悪、韓国は絶対善」を信奉する反日原理主義がごろごろしている。
 文大統領は、「光復節」で「2045年までに南北統一を実現させ、8千万人の単一市場と日本をおいこす平和経済を構築する」と謳いあげた。
 かつて、金日成が提案した高麗連邦構想の二番煎じだが、妄想である。
 韓国と北朝鮮の体制上のちがいは、資本主義と共産主義だけにとどまらない。。
 決定的なのは、近代国家と前近代社会のちがいで、北朝鮮は、金正恩の私物国家である。
 金正恩は、民主主義も自由主義も、人権も法の下の平等も、議会などの近代的制度もうけいれない。
 最大の問題は、独裁と普通選挙法の相違で、これは永遠に解決がつかない。
 現体制のまま、南北統一すれば、粛清によって、南の保守系が皆殺しになるか、それとも、金正恩以下、金一族が刑務所に送りこまれるかどちらかになる。
 そもそも、原爆やミサイルの共同管理がかんたんにゆくわけはない。
 米韓軍事訓練をきっかけに、突如、金正恩が、文在寅を罵倒しはじめた理由がそこにある。
 南北統一は、金正恩にとって、原爆を使って、南を屈服させることで、民主化でも自由化でも、まして、金王朝を否定する高麗連邦共和国でもなかったのである。
 金正恩が生きているかぎり、南北統一は100%実現しないと断言できる。
 それより可能性が高いのは、韓国の中国化で、文在寅の社会主義化がすすんでゆけば、韓国は、中国の一部となる可能性がでてくる。
 統一新羅から高麗、李王朝にいたるまで、朝鮮は、みずからすすんで中国の属国となってきた千年の歴史があり、小中華思想は、韓民族の誇りでもある。
 韓国が中国の一部なれば、朝鮮半島は、二国二体制で、南北が共存できる。
 文在寅が、金正恩から罵倒されても、韓国の社会主義化という方針にぶれがなかったのは、中国の一部になるという小中華へのノスタルジーがはたらいていたせいだったろう。
 韓国の「反日・離米」がつづけば、トランプの公約どおり、近い将来、アメリカは半島から撤退する。
 すると、東アジアの勢力版図は、劇的に、ダイナミックに変化してゆく。
 1950年にアチソン米国務長官が「共産主義を封じ込める」ために、宗谷海峡から日本海、対馬海峡、台湾東部、フィリピンへ抜けるアチソンラインという防衛線を設定した。
 北朝鮮が南朝鮮へ攻め入ったのは、当初、朝鮮半島がアチソンラインの外側にあったからで、北は、アメリカが朝鮮半島に介入しないと読みちがえたのである。
 アチソンラインがふたたび朝鮮半島の外側に引かれると、東アジアは、日清戦争以前の混沌とした状態になる。
 そうなると、日本は、赤化朝鮮や共産党独裁の中国と、直接、対峙しなければならなくなる。
 日米同盟の強化が望まれるが、中国と朝鮮半島、ロシアの3国に対抗するには、それだけでは、不十分である。
 安倍首相が提唱して、トランプ大統領やマンモハン・シン印首相が賛同する日米印同盟(インド太平洋構想)がその対抗軸として浮上してくる。
 太古の昔から日本を悩ませてきた半島問題には、大きな視野をもってあたらねばならないのである。
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2019年09月04日

恨(ハン)と反日をうんだ朝鮮半島の地政学的悲劇B

 ●事大主義と小中華思想に回帰する文在寅
 韓国の反日には、2つの要素が重ね合わさっている。
 一つは、歴史や宗教、民族性など、両国の文化的差異である。
 海洋国家と内陸国家、神道と儒教、単一民族と複合民族など、両国には多くのちがいがあるが、なかでも、とりわけ、韓国が、日本と異なるのは、周囲を中国や北方民族、ロシアら強国にとりまかれている地政学的な特殊性である。
 そこから、小中華主義や事大主義、そして、恨(ハン)という文化が生じた。
 朝鮮半島の恨(ハン)文化は、恩や感謝、和などの日本人の価値観の対極にあって、水に流す文化と恨み500年では、とうてい、わかりあえない。
 反日や嫌韓の前に、日韓には、そもそも、相互理解の土壌がなかったのである。
 それならば、条約や法、外交手続きだけのクールな付き合いしかないということになる。
 ところが、韓国は、時別扱い(ホワイト国)をやめると激昂、国をあげての反日運動に走って、謝罪は永遠にくり返せ、外交上の合意はいつでもひっくり返せる(文在寅大統領)などといいだす始末で、手に負えない。
 二つ目が、文大統領の個人的野心で、来年の国政選挙で勝ち、2021年の大統領選挙で後継者に政権をゆずるまで、現在の左翼政権をまもろうというのである。
 保守つぶしと北の金王朝への接近をはかる文政権が、切々とうったえているのが、反日で、反日教育が徹底している韓国では、反日をうったえるだけで、南朝鮮(韓国)の北朝鮮化にドライブがかかる。
 識者の多くは、日韓併合が反日の原因というが、韓国の反日は、朝鮮民族の遺伝子というべき恨(ハン)からにじみでてくるもので、根っこにあるものはもっと深い。
 韓国人は、日本人を劣等民族として蔑視する特有の世界観をもっている。
 それが、小中華思想で、日本人は、かれらにとって、夷狄や禽獣(東夷)のたぐいで、蔑視の対象だった。
 反日の根拠は、そこにあって、東夷として蔑んできた日本に支配され、援助をうけてきたコンプレックスがねじれ曲がって、日本憎しの感情を増幅させている。
 これは、朝鮮が、夷狄とする清の属国となったのと同じ構造で、朝鮮王の仁祖は、清の太宗の足下で「三跪九叩頭(額を地面に9回も打ちつける)の礼」をもって、屈辱の服従をしいられている。
 朝鮮は、紀元前3世紀、衛氏朝鮮が冊封されて以来、日清戦争で日本が清を破って、朝鮮を独立させる(下関条約)まで、中国の属国だった。
 七世紀、日本と百済、高句麗が接近すると、新羅は、唐と同盟関係をむすんで、朝鮮半島の大部分を奪い取る。
 その最後の決戦が、白村江の戦い(663年)で、日本・百済遺民の連合軍が、唐・新羅連合軍に破れた6年後、高句麗も滅ぼされる。
 統一新羅から高麗へ政権が移っても、属国関係はつづき、モンゴル帝国(元朝)の支配下にあった高麗は、二度にわたって日本侵攻(元寇)にくわわっている。
 高麗王位を簒奪した李成桂は、1392年、李氏朝鮮の初代国王に即位して明の洪武帝から朝鮮という国号と権知朝鮮国事(明の属国)の称号を授かった。
 属国関係は、清の時代へひきつがれて、結局、朝鮮は、660年の唐・新羅の同盟から、1910年の日韓併合まで1250年にわたって、中国の属国だったことになる。
 小国が大国に事(つか)える事大主義が、強大国にとりかこまれた弱小国が生きのびる方策の一つだったとはいえ、朝鮮半島は、そのために大きなツケを払わなければならなかった。
 それが、モラルの崩壊で、事大主義は卑屈と依存心を、小中華思想が傲慢と独善を、かつて、儒教は、両班の身分主義や勤労蔑視をうみだした。
 裏切りやウソ、恩知らずなど、精神文化が荒廃したなかで、決定的だったのが独立心の欠落だった。
 ソウル市にある「独立門」は、日本が日清戦争に勝って、韓国を独立させたことを記念する建物だが、文大統領は、これを韓国独立のモニュメントとカン違いして、2018年、独立門でおこなわれた式典に参列して万歳している。
 韓国が独立したのは、米軍統治下にあった1948年で、以後、朝鮮戦争とベトナム戦争において、韓国軍は米軍(国連軍)や米韓連合司令部の指揮下にあって、いまなお、韓国の戦時作戦統制権は米軍が握っている。
 これが「日・米・韓」と「中・朝」が、38度線を挟んでたもってきた軍事バランスで、その象徴がGSOMIA(軍事情報包括保護協定)だった。
 文大統領が、GSOMIAを破棄したのは、「日・米・韓」の枠組みを勝手に破った裏切りで、韓国は、アメリカにも牙をむいたのである。
 アジア安全保障は、ヨーロッパにおけるNATOのような多国間の集団安全保障体制ではなく、アメリカを軸とした二国間同盟の連結体で、アメリカは、アジア安保に中心(ハブ)的な役割をはたしてきた。
 それが、日米安全保障条約や米韓相互防衛条約、米比相互防衛条約、米豪の太平洋安全保障条約、台湾の防衛義務を定めた台湾関係法などで、アメリカを抜き去ると、アジアは、安保にかんして、無条約地帯になってしまう。
 よろこぶのは、核を保有する中国と北朝鮮で、アメリカという背骨を失った韓国は、中・朝の餌食になるだけである。
 ちなみに、日韓には、同盟関係はなく、PKO活動でも、日韓共同の作戦は韓国が拒絶するので、友軍関係にもない。
 文大統領がめざしているのは、南北統一と中国への属国化で、そのためなら日米を敵に回してでもよいというハラである。
 これは、小中華思想や事大主義への回帰で、恨(ハン)の思想が転化して、反日になったといえよう。
 次回は、文大統領の野望と反日で燃えたぎる韓国の行く末、東アジアの軍事バランスを検証してみよう。

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2019年08月30日

恨(ハン)と反日をつくりだした地政学的悲劇A

 ●なぜ韓国はモラルなき国家になったのか
 現在の韓国の繁栄が、日韓併合36年の延長線上にあるのは、世界史的事実である。
 そして、戦後、韓国は、日本の経済援助によって「漢江の奇跡」といわれる経済発展をとげ、ついに、世界の十指に入る経済大国になった。
 ところが、今年、小学校の教科書から、「漢江の奇跡」という文言が消えた。
 日韓併合が、悪らつな日帝の侵略だったとして、歴史から消されたのにつづく歴史の改ざんで、世界の最貧国だった李朝が、百年かけて、独力で、近代化と経済発展をなしとげたといっているのである。
 恨(ハン)はあるが、恩を知らないのが韓国で、その好例が、日本の資金と技術でつくられたソウル地下鉄(1974年)だろう。
 開通日を日本の終戦記念日(8月15日)に設定して、工事完成を急がせたが、開通式に一人の日本人も招待せず、式典で、日本への謝辞もなかった。
 駅建物から車両、運行システム、整備、運営方法まで、日本の指導をうけたにもかかわらず、である。
 歴史を失った民族は滅びるといわれるが、韓国にとって、歴史は、記憶するものではなく、ねつ造するものなのである。
 李朝末期の朝鮮は、国家的破産状態にあって、防衛や政治などの国家機能も失われて、民衆は、極度の貧困と飢餓、不潔と疫病、無秩序に苦しんでいた。
 そして、労働を蔑視する貴族や官吏、両班(ヤンバン)の搾取に喘いでいた。
 当時、朝鮮にいたイギリス人旅行家、イザベラ・バードはこう書いている。
「朝鮮には、盗む側(王族・両班)と盗まれる側(平民・奴隷)の二つの階級しか存在しない」
 日本が韓国を併合したのは、そのタイミングで、まっさきに、両班の廃止と奴隷の解放をおこなったのは、それが、朝鮮の近代化を阻んでいる元凶だったからだった。
 日本が、巨額の予算と多くの人材を投入して、朝鮮を近代化したのは、朝鮮半島の安定が、日本の安全保障に必要だったからだが、韓国に窮状に同情した伊藤博文らの建国の熱意があったことも否定できない。
 だが、その同情や朝鮮半島を立て直そうとする熱意は、報われなかった。
 それどころか、日韓併合から徴用工、慰安婦から福島原発に至るまで日本に文句をつけまくって、一方、ソウル地下鉄にように、えられた利益にたいする謝辞は一言もないのである。

 韓国では、乙巳五賊や丁未七賊、庚戌国賊などと称して、李完用ら親日的政治家を売国奴リストにのせる墓あばき≠笂韓併合時代の財産を子孫から没収する反日法、そして、文政権下では、日韓併合を賞賛すると2年の懲役刑が科せられる「歴史歪曲禁止法」までが発議される事態になっている。
 過日、「従軍慰安婦は本人にその意志があった」と発言した大学教授が免職の上、懲役6か月の実刑判決をうけたというが、現在、韓国では、親日的発言にたいするリンチ的な刑罰が堂々とまかりとおっている。
 反日法は事後法で、時効や人格権が無視されたが、反日どころか、日本敵視が政策化、法制化されている現在の韓国では、言論の自由や基本的人権、民主主義や法治主義などの近代主義が後退して、一〇〇〇年前からひきずってきたの恨(ハン)という怨念だけがうごめいている。
 恨(ハン)の文化は、内陸を中国や北方民族、ロシアに包囲されて、外洋を日本に封じられた朝鮮半島特有の地政学的、歴史的所産で、そこから生じたのが、小中華思想や事大主義などの特殊な民族性だった。
 小中華思想は、明が清に滅ぼされた(1644年)後、朝鮮が、中華思想を継承したとするもので、清は夷狄で、日本は倭夷、西洋は洋夷とされた。
 清を夷狄としながら、みずからすすんで、清の属国になるのは矛盾だろう。
 ところが、韓国には、へつらう、ウソをいう、裏切る、約束を破る、などの反道徳的な悪をゆるす民族的な感情論がある。
 仕方がなかったといえば、なんでもとおる自己弁護で、これも恨(ハン)の文化である。
 韓国の『中央日報』がこれを国民情緒法と呼んで、論陣(「憲法の上に国民情緒法がある」2002年 2月2日付社説)を張ったが、韓国では、大衆世論が、法律や条例、条約、大韓民国憲法さえも超越する。
 法の支配や時効や法の不遡及などの近代法の原則すら無視されるのは、そのためで、文大統領は、一回の謝罪や合意が、永遠につづくと思うのはおおまちがいだといってのけた。
 国民情緒法は、究極の大衆迎合だが、下級の地方法院から高等法院、大法院(最高裁)にいたるまで、判決の多くが、法よりも情緒、感情論というありさまで、韓国司法のモラル崩壊はとどまるところを知らない。
 モラルの崩壊が、恨(ハン)の文化の一つの側面でもあって、恥や美意識、体裁という観念が払底している。
 それが、世界の都市で問題になっている韓国の売春である。
 これは、朝鮮が中国にたいしておこなった「貢女(コンニョ)」の因習で、当時、朝鮮には、貢女を選別する役所のほか、早期の婚姻を禁止する制度まであった。
 貢女は、奴隷ではなく、エリートで、彼女たちは、身一つで、極貧の朝鮮から中国の上流階級へのしあがっていった。
 韓国で、売春が蔑視されるというのはウソで、最近まで、妓生 (キーセン)制度が残っていたように、韓国では、売春が、おおっぴらにおこなわれてきた公的取引だったのである。
 次回も、恨(ハン)の文化を詳しくみていこう
posted by office YM at 12:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする