2017年08月11日

神道と世界最古の文明「縄文文化」F

 ●日本の神話とギリシャ神話
 神道では、死ぬと魂が身体を離れて、モノ(鎮守の森など/祖神)やコト(祭事など/氏神)になり、あるいは、高天原へ帰ってゆく。
 神社の教えに、命は先祖からもらった宝なので、先祖に感謝すべきというのがあるが、これは神仏儒習合の思想であって、神道は、元来、無念無想である。
 神は、物思うという人間のちっぽけな思惟を超えた存在だからである。
「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」(柿本人麻呂)とあるように言挙げしないのが神道の本質で、それが仏教(経)や儒教(観念)、キリスト教(ロゴス)と決定的に異なるところである。
 言語化されるのは万物の表層や一部であって、モノ・コトの大半は非言語のなかをただよっている。
 言挙げすることによって、非言語の領域にあるものが見失われる。
 神道は直観の世界でもあって、ことばや理屈(観念)は不在でも、すべてを直観でみとおす。
 わかるものとわからないものがあるのは当然で、本居宣長は、わかることもつきつめてゆくと奇異にぶつかるので、結局、すべてが奇異なのだというふうにいっている。
 古事記を解読した宣長は、昔の人が理解したように理解するのが正しい読み方で、不合理だの辻褄が合わないとケチをつけては、本当に読んだことにならないともいっている。

 神道が仏教や儒教と際立って異なるのが死生観であろう。
 仏教にとって死は輪廻転生の結節点で、儒教にとって死は招魂再生の開始である。
 仏教とって、遺骸はかつての魂の入れ物で、死ねば用がなくなる。
 一方、儒教にとって、遺骸は魂の依りどころ(依り代/魄)で、墓を立ててこれをまもる。
 墓や位牌を大事にする日本の仏教は、インド仏教(小乗)ではなく、儒教と習合した中国仏教(大乗)なのである。
 神道は魂の宗教なので、墓も位牌もないが、仏教のように単体として輪廻をくり返すわけでもない。
 神道にとって、死は生の次のステップで「祀り上げ」によって、神になる。
 ひとは死して神になるが、それには、「祀り上げ」という神的行事が必要なのである。
 それが祭祀やお祭りで、マツリが十分でなければ、霊が悪霊となって災いをもたらす。
 日本の三大怨霊とされる菅原道真は天満宮、平将門は神田明神、崇徳天皇は白峯神宮にマツられて、神になったが、霊を粗末に扱っていたときには様々な災いが襲ってきたという。
 神道の死生観において、死が不浄とされたのは、古墳時代以降で、それまで死者は、神や司祭者と考えられており、冥界も陰惨な世界ではなかった。
 これには、神武天皇と崇神天皇を含めた欠史8代のなかに百歳以上が7人もいることとも関連がある。
 初代神武(127歳)、5代孝昭(114歳)、6代孝安(137歳)、7代孝霊(128歳)、8代孝元(116歳)、9代開化(115歳)、10代崇神(120歳)。
 天皇が司祭者だった場合、崩御されても、司祭者でありつづけることができるので、祭祀体制さえ整っていれば、死せる天皇が生者のごとく扱われる。
 7人の天皇は、死後も、祭祀主でありつづけたのである。
 神道において、死と死体は別物で、死によって魂は肉体から離れるが、肉体は地に還る。
 魂は祀られて神になり、肉体は地に還って、地の滋養となるのである。
 ただそれだけのことだが、記紀では、死が黄泉の国のイザナギ・イザナミのおどろおどろした話につくりかえられている。

 日本の神話とギリシャ神話には多くの共通点がある。
「古事記」は元明天皇(持統天皇の異母妹)の詔により太安万侶が稗田阿礼の誦するところを筆録した(712年)ものである。
 稗田阿礼についって、何の記録も残っていない。
 太安万侶は、正五位上太朝臣安万侶だが、阿礼には姓や官位がない。
 聡明な記憶力を買われて、天武天皇の舎人として仕えるようになったというが、平安初期に編纂された氏族名鑑「新撰姓氏録」に稗田という氏族は載っていない。
 二十八歳にして国史編纂という大事業の主役に抜擢されたとされる稗田阿礼はペンネームで、記紀の編纂にあたったインテリ集団の一人か、責任者だった藤原不比等だった可能性もある。
 唐の成立によってシルクロードが栄え、当時、シルクロードの終着駅である奈良へもキリスト教文明やギリシャ風様式が及んだ。(正倉院・法隆寺)
 萩原朔太郎(『日本への回帰』)は法隆寺に、堀辰雄(『大和路・信濃路』)は唐招提寺にギリシャの影響を見たが、なにより、正倉院にはギリシャやローマ、ペルシャなど異国の宝物が収められている。
 記紀の編纂にあたったインテリ集団がギリシャ神話を知っていてむしろ当然だったろう。
 イザナミを追って黄泉国に入ったイザナギは、振り返ってはならないというイザナミとの約束を破ったため、妻を連れ帰ることに失敗する。
 これは、妻エウリュディケを冥界から連れ帰ろうとしたオルペウスが、振り返ってはならないという約束を破ったため、妻を連れ帰ることに失敗するギリシャ神話(琴座神話)と瓜二つである。
 第12代景行天皇の皇子、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、父の命を受けて九州で熊襲(くまそ)を平定、東国で蝦夷(えみし)などの敵対勢力を平定した帰路、病に倒れて葬られたのち、白鳥になって大和へ飛び立ってゆく。
 これも、恋人レーダーに会うために白鳥に姿を変えた全知全能のゼウス神を思わせる(白鳥座神話)。
 因幡の白兎がとびこえたワニ(和邇)の背中はサメではなく、日本にいないワニで、鰐の背中をとびこえる民話は世界中にある。
 イザナギ・イザナミの黄泉の国の話は、儒教や仏教、ギリシャ神話の知識をもった8世紀の知識人の創作で、かならずしも、古代日本の習俗を語ったものではなかったのである。
 次回以降、祀りと並ぶ神道の特質、禊についてふれよう。

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2017年08月09日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」E

 ●宗教的宇宙観が異なる儒教と仏教、神道
 儒教の背後にある観念論を漢意(からごころ)≠ニして徹底的に批判したのが本居宣長である。
「中国には仁や義、礼など立派な教えがあるが、人々は憎みあい、戦争ばかりしているではないか」というのである。
「物の理(ことわり)は、仕舞いにみな不可思議なところに落ちこんでいくもので、陰陽も太極無極も阿字真如も、なんの役にも立たないただのお喋りにすぎない」
 儒教は、壮大なる観念論で、物事の善悪や是非、物の道理(原理・原則)をとうとうとのべ立てるが、現実や身体、日常性からは大きくかけ離れている。
 宣長は、その空理空論を漢意と称して、排除したのである。
 儒教の世界では、中国が父(大中華)で、朝鮮が兄(小中華)、そして日本は中華思想の外にある夷狄で、侮蔑の対象となる。
 韓国が日本に侮蔑と敵愾心をむきだしにするのは儒教国家だからで、日本にたいして、弟分のくせにという小中華の思い上がりが隠れている。
 韓国の未熟さ、後進性は、儒教の自己中心性によってもたらされたといってよい。
 儒教は、道徳と宗教が背中合わせの構造になっている。
 五常(仁・義・礼・智・信)にたいする五倫(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)がそれである。
 儒教の父子関係は、祖先から末代に連続する生命の一つの局面で、一つの生命が親から子、長から幼、君から臣などの関係へひろがって、社会全体が硬直した年功階層におしこめられる。
 それもまた中華思想で、その頂点が入れ替わるのが易姓革命である。
 父子や君臣、長幼の絶対秩序によって争いがなくなるというのは、空想的な観念論で、中国は、孔子がうまれた覇権主義の春秋時代からやがて群雄割拠の戦国時代へと突入してゆく。

 儒教の生命観は魂魄≠ノつきるだろう。
 死は「魂は天へ昇って魄は地へ帰る」現象だが、儒教には、天国や地獄という考え方も輪廻転生という思想もない。
 いったん天に昇った魂は、空に漂ったあと、地にある魄(白骨/墓)へ舞い戻ってくる。
 それが招魂で、墓を参ることによって、先祖と子、孫が再会する。
 生命は先祖から末代まで直線的につながっているので、墓は、生者と死者の面会所なのである。
 仏教は、輪廻転生なので、生命が連続するという思想も、死者の墓をつくる習俗も、むろん、先祖の墓に参るなどの習慣もない。
 日本の入ってきた仏教は、仏儒習合したのちの中国仏教なので、本尊のほかの先祖霊を祀る。
 それが墓や仏壇で、仏壇のなかでは本尊と父母の位牌が並んでいる。

 儒教と仏教、神道では、死生観や宗教的宇宙観がそれぞれ異なる。
 儒教は天上と地上、地下が一体となった一元的世界で、あるのは時間の連続性だけである。
 仏教は輪廻転生がおこる多元的世界で、六道(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)のほか、六道を超越した浄土までが用意されている。
 神道は高天原と葦原中国、黄泉国の三次元、海の向こうの常世国を入れると四次元のように思えるが、実際には、高天原と中つ国(葦原中国)の二次元である。
 中つ国は高天原の反映で、高天原のようにあれかしというのが神道の理想である。
 これは、プラトンのイデア論に似ている。
 この世のことは、すべて、本質にたいする影のようなもので、見えないところに現象(影)をつくりだす大元があるというのがイデア論である。
 高天原のあるのが、実体なのかイメージなのか、それともエネルギーなのかわからないが、高天原の運動によって、中つ国(この世)でさまざまな出来事がおきる。
 天照大御神は、この世を高天原のようなところにしようと思って、ニニギノミコトを天降らせた(天孫降臨)が、実際にはそうならなかった。
 地上には、大国主命らの国つ神や災いをひきおこす荒魂、祟りなどの悪霊が跋扈していたからである。
 神道で、荒魂や悪霊(祟り)を畏れるのは、いかに神さまでも手に負えないからで、それが、神道が仏教を受容した理由の一つである。

 鎮護国家に蕃神(ばんしん/となりのくにのかみ)を借りてきたのである。
 東大寺大仏がその代表だが、8世紀後半には、こんどは、寺院が神を鎮守や守護神にするようになった。
 興福寺における春日大社がそれで、東大寺も宇佐八幡神を勧請して鎮守(手向山八幡宮)とした。
 ちなみに、七福神も蕃神で、最古の仏教説話集『日本霊異記』では、蕃神が「隣国の客神」とされている。
 神が仏(蕃神)の助けを借りたのが神仏習合で、互いにささえあっている。
 神道には絶対神がいない反面、太陽(天照大御神)はすべてを平等に照らし出すので、異神(蕃神)を寛容にうけいれる。
 仏教には荒魂(天災)や悪霊(祟り)という概念がなく、浄土は完成された世界なので、神は仏に、疫病や天災、飢饉などの災いから逃れるための法力をたのんだのである。
 ちなみに、日本では、儒教の宗教性は仏教に吸収されて、鎌倉時代以降、観念だけが支配階級にうけいれられてゆく。
 大義名分論(名称にもとづく秩序)や朱子学(天の思想や理の自己純化)、陽明学(知行合一)などがそれだが、それがやがて、武士道から尊皇攘夷思想へつながってゆく。
 次回以降、神道と仏教、儒教それぞれの発展過程をみていこう。

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2017年08月07日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」D

 ●日本独自の歴史観をつくれない悲劇
 三内丸山遺跡は、縄文都市で、縄文人は太平洋を股にかける海洋国際人でもあった。
 毛皮を身にまとい、森で小動物を追いまわしていたとする縄文人観は一日もはやく払拭したほうがよい。
「縄文時代」以前を「石器時代」、縄文時代以後を「弥生時代」と呼ぶのは旧い常識だが、三内丸山遺跡は、この常識をも覆した。
 縄文時代は、たんなる時代区分ではなく、世界四大文明を凌駕する人類最古の文明だったのである。
 ところが、膨大な予算と組織をもつ文化審議会(文化財分科会)は、縄文文化が世界四大文明に先駆ける古代文明のであることをみとめようとしない。
 世界文化遺産登録をめざす「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、4年連続で国内推薦を見送られたのはそのせいで、縄文人を原始人とみなす文化審議会の石頭が引退しないかぎり、三内丸山遺跡の世界文化遺産登録は、関係者のかなわぬ夢で終わるだろう。
 さて、その縄文人はどこからきたのか。
 歴史教科書は、日本が大陸と陸続きだった時代、大陸からやってきた人々が日本人の祖先になったと説明する。
 そして、中国が父で、朝鮮が兄、日本が末子という固定観念を捨てることができない日本の歴史家は、文明が、中国から朝鮮半島を経て日本へつたわったという自虐史観をふりまわす。
 日本独自の歴史観がうまれてこないのは、韓国や中国の歴史観とすりあわせるのに懸命で、日本の縄文文明の核心を見ようとしないからである。
 それどころか、韓国や中国の歴史ねつ造につきあい、あっちこちで辻褄の合わないことになって、貝のように沈黙するだけである。

 日本の歴史学者は、稲作が、弥生時代、朝鮮半島からつたわったと主張してきたが、実際は、その逆だったことは、本ブログBですでに指摘した。
 そして、こんどは任那の存在について、韓国と日本の歴史家の大嘘がバレた。
 戦前の日本の歴史教科書には、朝鮮半島南部の地域が任那と記され、日本が半島の一部を支配していたという歴史観が明治時代から60年間つづいてきた。
 ところが、この記述は、韓国側からのクレームで見直されて、任那があった伽耶地方は「小さな国に分かれていた」という意味不明な表記に変更された。
 むろん日本の支配下にあったなど一言も触れられていない。
 日本が朝鮮半島を支配した事実を否定する韓国の歴史ねつ造に日本が従ったのである。
 1990年以降、朝鮮半島の南部で13の前方後円墳が発見されている。
 韓国の歴史学会やマスコミは、一時、日本の前方後円墳のオリジナルは朝鮮半島にあったと大騒ぎしたが、これらの古墳が、五世紀末から6世紀につくられたものとわかって、調査を中断、なかには古墳を破壊してしまったケースもあったという。
 日本に4800基ある前方後円墳は、3世紀からはじまって、6世紀末にはつくられていない。
 大和朝廷の全国統一が完了したからである。
 このことから、前方後円墳が、大和朝廷の勢力範囲を示すモニュメント的な建造物だったとわかる。
 大和朝廷に服する意思表示として、あるいは、大和朝廷の一員であることを内外に示す証として、大和朝廷の高官や豪族、支配権を与った首長などが判で押したように前方後円墳をつくったのである。
 韓国南部で前方後円墳がみつかったのは、日本府があった任那で、この地に前方後円墳があったということは、大和朝廷の勢力範囲が半島南部(伽耶)の全域におよんでいた何よりの証拠である。
 日本の歴史学者はこれを何と説明するおつもりか。
 日本が、伽耶地方の任那に日本府をおき、百済と同盟関係をむすんだ理由の一つに中国南朝 (宋・斉・梁・陳)とその後の隋との関係をあげることができる。
 日本と南朝、隋との外交関係に欠かせなかったのが、海洋経路の途中にある伽耶と百済だった。
 当時、南朝や隋、百済は、大国で軍事国家だった高句麗の脅威にさらされており、日本も高句麗と戦火を交えている。

 聖徳太子が隋の煬帝に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」(607年)という国書を小野妹子にもたせ、怒りを買った(帝覧之不悦)といわれるが、卑屈な憶測にすぎない。
 隋にとって日本は、ともに高句麗を敵とする同盟国であって、そんなことに腹を立てる余裕などなかったはずで、事実、隋は、10年後、唐に滅ぼされて(618年)いる。
 唐・新羅連合軍は白村江の戦いで百済復興を目指す百済遺民と日本の連合軍を破る(663年)と668年には高句麗を滅ぼしている。
 日本が朝鮮半島に領土をもっていなければ、国境を破って、新羅の朝貢国にしたり、高句麗と戦ったりできるはずはないが、日本の歴史家は、伽耶地方の日本統治や任那の日本府をいまなお否定しいる。
 韓国側から「申し入れがあったから」というのだが、そこに、本ブログの第二のテーマである「神道・仏教・儒教」の葛藤がある。
 中国を父、朝鮮を兄としてみる日本の卑屈な態度の根底にあるのが儒教である。
 次回以降、「神道・仏教・儒教」の葛藤へと論旨をふりかえていこう。

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2017年08月02日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」C

 ●日本文明の土台は縄文文化
 縄文文化を代表する遺跡が三内丸山遺跡(青森県青森市)である。
 全国に縄文遺跡は数多くあるが、三内丸山ほど大規模で、人々の生活形態が浮き彫りになっている遺跡は他に例がない(2000年特別史跡に指定)。
 大規模な竪穴住居や掘立柱建物の建設には、労働力や団結力、指導力のほか高い技術力が必要となる。
 縄文人は、ことばのほか、抽象的な観念ももっていたのである。
 縄文時代前期から中期(約5,500年〜4,000年前)にかけて、これほどハイレベルな文明があったことに、縄文人=原始人と思いこんでいた考古学・歴史学会は大きな衝撃をうけたはずである。
 計画的な集落設計、舗装(アスファルト)道路と墓列などの大規模な造成のほか、高床式倉庫跡や貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場などもみつかっていることから、三内丸山遺跡にいまや「縄文都市」という冠辞がつけられている。
 縄文土器(鉢類や皿)、石器(やじり、槍、磨製斧)、木器(掘棒や朱漆)のほか袋状編み物(ポシェット)、編布、土偶、石や木製の装身具、骨角牙貝製器(針、釣り針、刺突具)などが次々に出土して、当時の人々の暮らしが徐々に明らかになりつつあるが、驚くべきは、堅果類(クリ・クルミ・トチなど)のほか、一年草のエゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメまでを栽培していたことである。
 縄文人は、毛皮を身につけて森で獣を追っていたとする日本の考古学会との乖離は甚だしいものがあるが、文化審議会などの学者グループは、三内円山遺跡の世界遺産への推薦を頑強に拒みつづけている。
 西洋の古代観を裏切る日本の高度な縄文文化を意地でもみとめたくないのである。

 縄文人が方向・計数感覚にすぐれた海洋民族だったこともわかってきた。
 三内丸山遺跡のシンボルである3層の掘立柱建物は、6本の巨大木柱を組み合わせた三階建ての建造物で、柱穴の間隔が4.2mに統一されている。
 4.2mは35p(縄文尺)の12倍で、4.2mを3尺、4尺、5尺で折り返せば直角三角形(ピタゴラス三角形)ができ、直角(90度)がえられる。
 三内丸山遺跡の6本の木柱は正長方形に配置されていることから、かれらがピタゴラス三角形を知っていたと考えるほかない。
 かれらが数学力をもっていたのは、海洋民族だったからで、航海には星座を読む幾何学のほか、方位や暦の知識ももとめられる。
 3層の掘立柱建物の使用目的はわかっていないが、これが灯台か、漁業用の物見やぐらだったことは、立地条件から明らかだろう。
 当時、三内丸山は海岸線に隣接しており、体長1mのマダイやマグロ、ブリなどの骨のほか、釣り針やモリ(骨器)、1mのオールも出土していることから沖合で大型魚を捕獲していたことがうかがわれる。
 船は、丸太の双胴船かアウトリガー(舷外浮材)付きの丸太船で、それなら波の荒い外洋航海に耐えられる。
 太平洋諸島の先住民は、アジア南部からアウトリガー付き丸太船を使って移動してきたと考えられているが、南太平洋では、現在もアウトリガーの付きカヌーを見ることができる。
 縄文人が外洋航海を得意としていたことは、糸魚川でしか産出されない翡翠や産地(長野・静岡・神奈川・伊豆七島)が限定されている黒曜石が出土していることから明らかである。

 縄文人は海洋民族でもあって、文化の伝播も、陸路ではなく、海路だった。
 世界最古の日本の縄文土器は、朝鮮半島をはじめ日本列島から6000Kmも離れた南太平洋のバヌアツ共和国(エファテ島/1996年/太平洋考古学の篠籐喜彦博士)、中米エクアドル(1965年/バルディビア遺跡/クリフォード・エヴァンス、ベティー・メガーズ博士夫妻博士夫妻)にまでひろがっていたという。
 篠籐博士が発見したバヌアツ共和国の縄文土器は、成分分析の結果、5000年前に青森県で焼かれた円筒下層式土器である事が証明された。
 縄文土器はおよそ1万4000年前にうまれ、簡単なものから徐々に複雑な模様に変化していったが、エクアドルで出土した土器は、発展過程がなく、とつぜん複雑な縄文式土器が出現している。
 このことから、エヴァンスとメガーズ博士夫妻は、縄文人が土器文化を携えて太平洋を渡って移住してきた可能性が高いと発表している。
 縄文人の太平洋横断を可能にしたのは海流である。
 日本付近から黒潮にのると約2か月でアメリカ西海岸に到達する。
 サンフランシスコ沖からカリフォルニア海流にのって南下、赤道反流に乗り移ると、次にぶつかるのが、バルディビア土器が発見されたエクアドルあたりである。
 海流速度や風力、手漕ぎのスピードを計算すると、アウトリガー式の丸木舟で、日本からエクアドルまで約6か月で到着できるという。
 食糧は船陰に集まってくる魚で、水は10日に1度の割合で降る雨を貯める土器が役に立ったはずである。
 寒冷化による飢饉、噴火や大地震による縄文人の難民となって、命からがら外洋に出て、その一部が南米や南太平洋へたどりついた可能性を否定することはできない。
 縄文人は、海を生活圏とする海洋民族で、すぐれた航海技術をもち、太平洋を股にかけて海洋交易をおこない、地球の反対側にまで文明をつたえていたのである。
 日本人は、日本文明の土台が縄文文化にあったことに一日も早く気づくべきだろう。

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2017年07月31日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」B

 ●世界四大文明をしのぐ日本の縄文文明
 子ども時代、教科書などで、毛皮を身につけた原始人がマンモスを追い回す絵柄を見たことがあるはずである。
 それが戦後日本人の抱く原始時代のイメージで、紀元前7世紀もその延長線上におかれている。
 戦前の歴史教科書には、金の鵄(とび)を従えた神武天皇の画像(月岡芳年)が載り、そこに「日向高千穂から出立し瀬戸内海を経て大和に入り、橿原宮で即位した初代神武天皇」というキャプションが付いていた。
 画像の神武天皇は、紅白の衣類をまとい、左手に弓、右手に指揮棒を掲げて丘陵の上に立っている。
 7世紀といえば、ギリシャでスパルタが覇権を握ってイスタンブールが建設され、エジプトでも王朝の栄枯盛衰がくりひろげられていた時代である。
 ところが、日本では、当時の様子をうかがえる研究が何一つなされていない。
 縄文人が毛皮を身につけて森で動物を追っていたとするだけである
 縄文末期の衣服にかんしてすぐれた研究(尾関清子)があって、当時、手のこんだ衣服が着用されていたことは、土器の縄文模様や土偶などからわかっているが、歴史学会は「縄文人は毛皮を着用していたことになっている」としてこれを退け、布や衣服の縄文文化を国際学会にも発表できない始末である。
 毛皮を着て、獣を追い回していたのは、肉食で植物が乏しかったヨーロッパの古代観で、アジアとりわけ日本に通用する話ではない。
 ところが、ヨーロッパの歴史(考古学)を学んだ学者たちは、記紀の記述や学会に属さない人々の研究にはまったく目をむけようとしない。
 共同体や生活形態などの社会分野についても同じで、当時の日本人がどんな制度や宗教、習慣をもっていたかなどには無関心で、知ろうともしない。
 日本の古代は、したがって、深い闇につつまれたままなのである。

 日本文明を世界八代文明の一つに数えたハンチントンでさえ、2〜5世紀に中華文明から派生した文明圏とするなど、日本文明を、西洋史観からながめている。
 日本の歴史学会はもっと劣悪で、日本文明を中華文明や半島(朝鮮)文明の亜流とみなし、日本を、父である中華、兄である朝鮮を侵略した粗暴で野蛮な国家ときめつける。
「日本軍が慰安婦の強制連行に深く関与し、実行したことは揺るぎない事実」(2014年)という声明を出した歴史学研究会の綱領に「国家的、民族的な古い偏見をうち破り、民主主義的、世界史的な立場を主張する」とある。
 かれらがマルキスト集団で、反皇国史観の輩であることが明らかだが、新聞論調や歴史教科書などに大きな影響力をもつ歴史の専門家集団が歴史破壊者であることが日本の悲劇でなくてなんだろう。

 日本文明の根幹は縄文文化(紀元前130〜4世紀頃)にある。
 世界的に見ると中〜新石器時代にあたるが、土器のほうは、かつては農業の起源地とされていた中近東や北アフリカをはじめヨーロッパには、一万年前をしめす遺跡が存在しない。
 中国南部(湖南省玉蟾岩遺跡)から世界最古とされる約1万8000年前の土器が発見されたというが、信憑性はともかく、場所が限られている。
 世界最古の土器の一つに青森県大平山元遺跡から出土した1万6500年前のものがあるが、1万4500年前ごろにはほぼ同型の土器が全国に広がっている。
 これが縄文文化圏で、土器は、火と石器とともに、人類の文明化に多大なる恩恵をもたらした。
 土器によって、貯水や煮炊きが可能になって、米食文化がうまれた。
 稲作は、弥生時代に大陸から朝鮮半島を経由して日本にもたらされたとされてきたが、炭素14年代測定法によって、稲作開始が朝鮮半島より日本の方がかなり早かったことが判明している。
 日本の稲作開始は、陸稲栽培で6700年前、水稲栽培で3200年前まで遡ることができるが、朝鮮半島の水稲栽培(無去洞玉?遺跡)はせいぜい2800年程度前までしか遡ることができず、遺伝子学的にも日本の古代米と満州米の交雑種なので、水稲は日本から朝鮮半島へ、陸稲は満州経由で朝鮮半島へつたわったとわかる。

 縄文文明は土器のみならず、稲作や共同体の形成など衣食住≠ノかかわる文化のすべてにおよんでいる。
 縄文文化と世界四大文明を比較するとおもしろいことに気づく。
 メソポタミア文明:紀元前3500年頃〜
 エジプト文明  :紀元前3000年頃〜
 インダス文明  :紀元前7000年頃〜
 黄河文明    :紀元前7000年頃〜5000年頃
 縄文文明    :紀元前14000年頃〜4000年頃
 日本の縄文文化は、四大文明をはるかにしのぐ古さとスケールをもっていたのである。
 中華文明には、黄河文明のほか長江文明がある。
 長江文明    :紀元前14000年〜1000年頃
 日本の縄文文明と長江文明はほぼ同時期に興っており、日本の米種(ジャポニカ)は長江から移入されたこともわかっている。
 長江文明と日本の縄文文化には接点があったのである。
 黄河文明との闘争に敗れて、中国史から抹殺された長江文明は、縄文文化と合流することによって、日本で生きのびたといってよい。
 日本への移入ルートは海路で、動力のない筏でも、長江(揚子江)河口から黒潮(対馬海流)にのれば、3日から10日ほどで九州に至る(840km)。
 長江流域・北部沿岸には、紀元前三世紀以前、筏を改良した沙船という大型の船があったことから、移民目的で、はるか昔から長江の人々が日本に渡って来た可能性はおおいにある。
 縄文文明と長江文明が合流すれば四大文明を超える大文明がうまれてなんの不思議もない。
 縄文人と長江人の共通点に「海洋民族」をあげることができる。
 次回以降、海洋民族だった縄文人が日本人の祖先という検証をすすめていこう。

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2017年07月27日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」A

 ●どこにもなかった邪馬台国
 邪馬台国論争は意外なところからボロをだす。
 宮内庁から、第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されている纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の箸墓古墳(大市墓)が卑弥呼の墓である可能性が高まってきたのだ。
 邪馬台国(卑弥呼)と大和朝廷(纒向/大和盆地)が地理的に一致したのである。
 古墳時代にはいって、次々と大きな古墳が築造された三輪山山麓(大和)は初期の大和朝廷が存在した地と考えられている。
 箸墓古墳は、行灯山古墳(第10代崇神天皇)、渋谷向山古墳(第12代景行天皇)と数キロ離れた山麓に並び立っている。
 放射性炭素年代測定法によると、箸墓古墳の築造年代は240〜260年だが、これは「魏志倭人伝」に記載された卑弥呼の死亡年247年頃と一致するばかりか、墓(円墳)と大きさ(径百余歩)も魏志倭人伝の記述と一致する。
 時間的にも形状も、百襲姫命の墓に治定されている箸墓古墳が卑弥呼の墓と断定しうるのである。
 崇神の治世は、中国の文献に記載されている邪馬台国の時代の後半と重なるため、中国の文献にある邪馬台国が大和(倭)国であることは当初から明らかで、「崇神は卑弥呼の男弟」(西川寿勝/大阪教育委員会文化財保護課)「崇神は卑弥呼の後継女王台与の摂政」(水野正好/元・奈良大学学長)など邪馬台国と大和朝廷が同一という前提に立つ考古学者も少なくない。
 ちなみに、纒向遺跡の勝山古墳は卑弥呼の父の墓ではないかという説もあるが、卑弥呼が百襲姫命なら、勝山古墳は孝霊天皇の墓ということになる。
 纒向遺跡からは、同時期の建物としては国内最大級(南北19.2m・東西12.4m、床面積は約238u)の大型建物跡もみつかっている。
 3世紀前半(弥生時代末〜古墳時代初め)は卑弥呼が君臨した時期にあたることから、神殿(祭祀施設)の可能性が高い。

 邪馬台国が大和国であることは、中国の文献(旧唐書)からも明らかだ。
「日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名」
 というのがそれで、「日本国は倭国の別種なり。その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた」と書かれている。
 そして、日本がどういう国かという記述がこのあとにつづく。
「其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限、山外即毛人之國」
 東西南北に各数千里、西と南の外れは大海で、東と北には山脈があり、その山の向こうは、毛人(蝦夷/アイヌ)の国というのである。
 どうみても近畿で、四方を海に囲まれた島国で、四方の海には多数の小島があるとされている九州ではない。
 一方、倭国について「隋書」にこういう記載がある。
「有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行?祭」
 倭国には「阿蘇山」があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、俗人はこれを異として祭祀を執りおこなっているというのである。
 明らかに九州である。
 すると、「倭国」「倭奴国」と表記された九州国とは別に、遥か東方の大和に「日本国」が興ったということになる。
 記紀に描かれた「神武東征」でも、九州に在った神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト)が東へと向かい、大和の地を都と定めて、神武天皇を名乗ったとある。
 かといって、邪馬台国が九州にあったことにはならない。
 卑弥呼(百襲姫命)は三輪山麓にあった大和朝廷の巫女で、神武から下って10代目の崇神天皇を援けている。
 西(九州)は倭国、東(三輪山麓)は大和国で、邪馬台国などどこにもでてこない。
 邪馬台国論争は、京都帝国大学の内藤湖南が唱えた畿内説に東京帝国大学の白鳥庫吉が猛反発して「邪馬台国九州説」を主張したのが発端だが、もともとこれは、魏志倭人伝の邪馬台(ヤマト)国をヤマタイコク≠ニ誤読したことからはじまった漫画のような話なのである。

 それでは、なぜ、カムヤマトイワレヒコノミコトは遥か東方を目指したのか。
 中国大陸からの圧力が増大したせいではないか。
 当時、中国は覇者の時代≠ナ、斉や晋、楚らが相次いで覇権を立て、やがて、群雄割拠の戦国時代へ突入してゆく。
 後漢書東夷傳に「建武中元二年(西暦57年) 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」という記述がある。
「倭奴国が貢を奉じて朝賀したので、光武帝が印綬を以て賜う」とあり、このときに下された印鑑が江戸時代天明年間に発見され、昭和6年に国法となった「漢委奴国王印」である。
 このことから、九州にあった倭国は、1世紀には国際交易をおこなうだけの力をもっていたとわかる。
 隋書に「新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來」とある。
 新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、これを敬仰して常に通使が往来しているというのである。
 通使には朝貢という意味合いもあるので、隋は、倭国が百済や新羅の上位にある国とみとめていたことになる。
 事実、百済も新羅も、後継ぎとなる国王の長男の王子を倭国へ人質に出している。

 ところが、初期(崇神天皇以前)の大和朝廷には中国大陸の影響がほとんど見えない。
『日本書紀』に「任那」の文字があらわれるのは崇神天皇以後で、三韓征伐を指揮した神功皇后は、第14代仲哀天皇の后である。
 百済・日本連合と唐・新羅連合がたたかった白村江の戦いにいたっては38代天智天皇の時代である。
 中国と最初にかかわりをもったのは、第33代推古天皇の摂政で、遣隋使の派遣を開始した聖徳太子である。
 聖徳太子は、隋の皇帝煬帝に「日出処天子至書日没処天子無恙(日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや)」という国書を送っている。
 歴史書には煬帝が激怒したとあるが、小野妹子が、隋からの使者・裴世清をともなって帰国していることから、煬帝激怒云々は自虐史観的な創作で、もともと、日本は隋と対等の関係にあったのである。
 カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)が東を目指したのは、宗教観や文化の相が異なる大陸の影響下にある九州を見限ったからではないか。
 そして、大和(三輪山麓)の地に神道世界を樹ち立て、祭祀国家をつくったのではないか。
 紀元前660年は、歴史学者によると、毛皮をまとって、獣を追っていたとされるが、紀元前30世紀から20世紀にかけて、東北中心に「縄文都市」というべき文明(三内丸山縄文遺跡)が存在していた。
 このことから、紀元前7世紀に遷都の発想があってもなんら不思議はない。
 次回以降、紀元前7世紀がどんな時代だったか検証していこう。
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2017年07月26日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」@

 ●実在した欠史8代の天皇
 皇紀元年は紀元前660年である。
 神武天皇はこの年に橿原宮(かしはらのみや)で即位している。
 ところが、日本の歴史家(学会)は、神武天皇が想像上の人物にすぎないとして、その存在を否定、歴史教科書からも削除してしまった。
 実在を確証できるのが、崇神天皇(10代)以降として、欠史8代の天皇の存在すらもみとめようとしない。
 それなら、崇神天皇以前の日本はだれが治め、どんな政治体制にあったのか。
 日本の歴史家は、その素朴な疑問にいっさい答えようとしない。
 かれらは、皇国史観を否定するために歴史家になった左翼なので、古事記や日本書紀を否定すれば事足りるとして、紀元前660年については、ただ縄文後期と記して平気の平左なのである。
 紀元前が空白なのは、当時、日本は、国家形成などおぼつかない野蛮な原始時代だったというわけで、その一方、中国の春秋時代(紀元前6世紀)や伝説上の国家にすぎない箕子朝鮮(紀元前3世紀)にはそれなりの記述がある。
 中国の書物に日本という国号がでてくるのは『旧唐書』(10世紀)が最初で、そこには「小国だった日本が倭国を併合した」と書かれている。
『旧唐書』のあとに書かれた『新唐書』にこういう記述がある。
「日本、古倭奴也。去京師萬四千里、直新羅東南、在海中、島而居(中略)彦瀲子神武立、更以「天皇」為號、徙治大和州。次曰綏靖、次安寧、次懿コ、次孝昭、次天安、次孝靈、次孝元、次開化、次崇神、次垂仁、次景行、次成務、次仲哀」
「日本は、いにしえの倭奴国なり。唐の都から一万四千里、新羅の東南にあたり、海中に在る島である」につづいて「彦瀲(ひこなぎさ)の子の神武が立ち、天皇を号して、大和州に移って統治した。次は綏靖、次は安寧、次は懿コ、次は孝昭、次は天安、次は孝靈、次は孝元、次は開化、次は崇神、次は垂仁、次は景行、次は成務、次は仲哀」と欠史8代をふくめて、13人の天皇の名前が列記されている。
 彦瀲(ひこなぎさ)は、記紀によると、山幸彦(彦火火出見尊)と豊玉姫の子で、神武天皇の父親にあたるミコト(神)である。
 神話と実史が入り混じるのは、どの建国史もそうで、古代ローマ史も、伝説と伝承、実史が渾然一体となっている。

 紀元前7世紀の日本について一言も触れない日本の歴史学会が血道を上げてきたのが「邪馬台国論争」である。
『魏志倭人伝』に記載された邪馬台国がどこにあるかという、愚にもつかない問題を大々的に論じてきたわけだが、邪馬台国も卑弥呼も蔑称で、そんなものが実在するわけはなく、記紀には一言も載っていない。
 邪馬台の台(タイ)≠ヘ日本語読み(訓)で、中国語の音はトである。
『隋書』は「邪靡堆」、『魏志』は「邪馬臺」、『後漢書』は「邪摩堆」で、読み(音)いずれもヤマトである。
 ちなみに卑弥呼の次の女王「台与」の読みも「とよ」である。
 なぜ、魏志倭人伝にかぎって「台」を「タイ」と読むのか。
 卑弥呼も、女王の位にあるものがみずから卑≠ニいう文字を使用するわけはなく、倭国の倭(背の低い・曲がった)≠ニ同様、語呂合わせの蔑称である。
 卑弥呼は日女命(ひめのみこと)のことで、正式には「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)である。
 孝霊天皇の皇女で、大和朝廷の御神体である三輪山の祭神・大物主のお告げをつたえ(鬼道)、崇神天皇をしばしば援けた。
 歴史学会が魏志倭人伝の記述を盲信して、表記どおりだと海上に出てしまう道のりを辿って邪馬台国の場所をもとめたのは、冗談でなければ、大和朝廷の存在を否定するためで、邪馬台国が実際にあったとすれば、紀元前660年の皇紀元年が消えてしまう。
 邪馬台国論争は、大和朝廷(歴史学会はヤマト政権)の存在を打ち消すためのめくらましで、日本の歴史学者は、皇国史観を否定できればなんでもいいのである。
 げんに、歴史研究者は、神武天皇の東征をお伽噺として片付け、史料として一顧だにしない。

 古事記や日本書紀に載っている「東征」は、壮大なる叙事詩で、文芸性のみならず歴史性もきわめて高い。
 しかも、そこには、邪馬台国論争を超える大きな真実が隠されている。
 一つは、出自が南九州の日向国(宮崎県)というところにある。
 フィクションならはじめから大和の地(奈良県)に中央政権があったとしたほうが都合よかったはずである。
 日向を立って、強敵とたたかう苦難の果て、大和の三輪山麓に朝廷を立てたということは、九州やその他の地域に大勢力があって、大和朝廷は、そのなかの一つにすぎなかったとみずから告白しているにひとしい。
 これは史実で、天皇の権威が確立するまで、各地で権力抗争がくり返されていたはずである。
 もう一つは、三輪山麓に拠点を設けた大和朝廷が徐々に力をつけてゆく背景に、神話もしくは宗教的な感情がはたらいていたと思われることである。
 紀元前7世紀末の神武から9代開化天皇、さらに、全国規模の政権になった崇神天皇(10代)までの一〇〇〇年近いあいだ、記紀にはいくさにかんする記述がほとんどない。
 武力衝突なくして、長期の政権を維持できたのは、神話的・宗教的な結束があったからと考えるほかない。
 欠史8代の天皇が異常に長寿なのも、そのことと無縁ではないだろう。
 天皇の崩御を隠蔽して、為政者が、その後も体制を維持したのである。
 天皇が不在でも体制を維持できたのは、天皇が祭祀王だったからで、当時の政治体制は、天皇の宗教的権威の下で、権力者による集団指導がおこなわれていたと考えられる。
 天皇が日本国全体の統治にのりだしたのは、10代崇神天皇以降である。
 崇神朝の四道将軍(北陸・東海・西海・丹波に崇神の4皇子を派遣)や景行天皇(12代)の皇子「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の九州・出雲・東国の平定などがそれで、以後、天皇は、政治の表舞台にでてこない祭祀王から政(マツリゴト)の陣頭指揮をとる覇者へとすがたを変えるのである。


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2017年07月11日

 万世一系と「女系天皇・女性宮家」D

 ●伝統主義と祭祀国家
 女性・女系天皇問題に「男女平等」をもちだすのは憲法違反でもある。
 現憲法では、第2条で、皇位の世襲が謳われているからである。
 そして、皇位の継承については、皇室典範の定めるところによるとしている。
 皇室典範の第1条には、皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承すると明記されている。
 憲法が男女不平等≠宣しているのである。
 憲法14条(法の前の平等)には「国民は、人種、信条、性別、社会的身分または門地によって差別されない」とある。
 すると、2条と14条は矛盾していることになる。
 近代法である現憲法のなかで、天皇条項だけが、伝統という非合理性の上に立っているのである。
 これは、重大なポイントで、わが国では、伝統が、憲法において担保されている。
 民主主義の使徒、マッカーサーですら、天皇という伝統的存在を合理性から切り離さざるをえなかったのである。
 自民党の二階幹事長が「現代は女性尊重の時代で、天皇陛下だけはそうならないというのはおかしい」というのは、憲法に謳われている二重規範をみない浅はかな考えで、アメリカ人のマッカーサーに及ばない短慮である。
 憲法に伝統が謳われていることに大方の日本人は無関心で、皇統の男系相続には「合理的根拠がない」(山尾志桜里議員)などの愚論がまかりとおっている。
 伝統が不合理なのはあたりまえで、その代表が神話や祭祀である。

 沖ノ島の古代祭祀が世界遺産に登録された。
 沖ノ島で国家的な祭祀が始まったのは大和朝廷の初期の4世紀である。
 その古代祭祀が廃れたのは、宮中祭祀が確立され、伊勢神宮、全国の神社が整備されたからであろう。
 古代祭祀は、その一部が宮中祭祀にひきつがれて、現在に残る。
 世界遺産委員会が沖ノ島(沖津宮)のほか、内地の宗像大社中津宮・宗像大社辺津宮、新原・奴山古墳群など八つの構成資産のすべてを世界遺産にみとめたのは、宮中祭祀にひきつがれた古代祭祀の歴史的連続性を評価したからである。
 沖津宮と中津宮、辺津宮の3女神を生んだのが天照大御神で、皇室の始祖であり、日本人の総氏神である。
 天照大御神が女性神だったことから、古代日本に男尊女卑の思想がなかったことがわかる。
 男女を比較するのは、人間という近代的観念が生じたあとのことである。
 日本の神話にも、人間や人間という考え方はでてこない。
 天地開闢には「造化の三神」やニ柱の「別天津神」が登場するが、すがたをみることはできず、むろん、性別もない。
 そのあとうまれるのが国之常立神と豊雲野神、そして五組の男性神と女性神の「神世七代」である。
 神世七代の最後にあらわれるのが伊邪那岐神(イザナギノカミ)と伊邪那美神(イザナミノカミ)である。
 国産み・神産みでは、イザナギとイザナミとの間に日本本土となる大八洲の島々や山・海・川・石・木・海・水・風・火など森羅万象の神々がうまれる。
 このときイザナミとイザナギは「成り成りて成り合はざる処一処在り」「成り成りて成り余れる処一処在り」といい交わしている。
 天照大御神をうみだした(イザナキからの左目から生まれた)日本開闢の始祖であるイザナギとイザナミが男神と女神だったことは象徴的である。
 日本の神代にいたのは、男神と女神で、人間神ではなかったのである。

 男女差別の土台となっているのがヒューマニズム(人間主義)である。
 人間という考え方は、ルネッサンスの啓蒙思想で、神や教会に対抗できるのが、男と女をひっくるめた人間という存在だった。
 だが、人間主義は、宗教的観念にすぎず、生きているのは、あくまで、男と女である。
 女性は母性でもあって、子を産み、育てる母親と、金銭や組織のために外で働く男は別々の存在で、したがって、男と女を比べるという発想もなかった。
 フランス革命の人権宣言でも、男女平等は謳われておらず、これに抗議したのが、フェミニズム運動のはじまりである。
 男女同権という考え方がでてくるのは、第3回国際連合総会(1948年)の世界人権宣言「基本的人権、人間の尊厳および価値並びに男女の同権」(前文)以降のことで、それも、フェミニズム運動の成果としてとりいれられたにすぎない。
 世界経済フォーラムの報告によると『世界男女格差レポート』で日本は世界145カ国中101位という。
 日本に、女性の政治家や官僚、企業の重役、勤労所得や労働参加人口が少ないのは、短期就業のOLや専業主婦が多いからである。
 一方、国連開発計画 (UNDP) の「人間開発報告書」のデータでは、日本の男女間の不平等格差(平均寿命、1人あたりGDP、就学率など)は187カ国中の17位で、非就業の日本女性が、英米仏の女性よりも恵まれた環境ですごしているのである。
 戦後、伝統を旧弊として退ける風潮がはびこってきた。
 そして、近代合理主義や唯物論を善とする改革主義が猛威をふるってきた。
 だが、真に価値あるものは、歴史的連続性の上に立った普遍性こそにある。
 そのことは、伝統国家である日本が、その伝統をまもることによって、世界の大国たりえていることからも明らかなのである。
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2017年07月06日

万世一系と「女系天皇・女性宮家」C

 ●皇統の男系をまもった八人の女性天皇
 天皇政治が確立される6世紀頃まで、蘇我氏や物部氏、中臣氏、大伴氏らの豪族が天皇をしのぐほどの大きな力をもっていた。
 皇統は男系でも、のちに摂政(源平籐橘)へひきつがれる豪族政治は、女系(天皇の外戚)で、初期の大和朝廷は、女系が男系を圧倒していた時代ということができる。
 豪族たちは、競うように子女を天皇に嫁がせ、天皇家と外戚関係(女系)をむすんで勢力を拡大していったのである。
 欽明天皇(29代)の子のうち、天皇になったのは、敏達天皇(30代)と用明天皇(31代)、崇峻天皇(32代)、推古天皇(33代)の四人である。
 そのうち、敏達天皇以外、母親は、蘇我稲目の子女である。
 ちなみに、推古天皇が、敏達天皇の皇后薨去にともなって、後添えとなったのは近親婚(異母兄妹)で、敏達天皇のあいだに竹田皇子をもうけている。
 天皇との外戚関係を固め、政治の実権を握ってのしあがってきたのが、仏教戦争(丁未の乱)で物部氏を討った蘇我氏で、4代(稲目・馬子・蝦夷・入鹿)にわたって、権勢をほしいままにする。
 蘇我氏は天皇にとっても最大の難敵で、穴穂部皇子(欽明天皇の子)の殺害や崇峻天皇の暗殺、山背大兄王(聖徳太子の子)の討滅と、天皇家の生殺与奪の権を握っているかのような勢いだった。

 敏達天皇と用明天皇が相次いで疱瘡で崩御したのち、崇峻天皇が蘇我馬子のさしむけた刺客に暗殺されるという事件がおきて、欽明天皇の第三女、額田部皇女がわが国初めての女帝、推古天皇となる。
 額田部皇女が稲目の孫にあたることから、蘇我氏の後押しもあっただろう。
 だが、推古天皇は、蘇我氏の傀儡になることなく、用明天皇の子、厩戸皇子(聖徳太子)を摂政に立て「冠位十二階」や「憲法十七条」などの律令的な政策を打ち出し、天皇政治の基礎を固める。
 推古天皇は、わが身を矢面に立たせて、聖徳太子に自由に政治をやらせたのである。
 そのせいか、聖徳太子の子、山背大兄王は、蘇我入鹿に攻め滅ぼされて、子孫が絶えている。
 推古天皇を継いだのは、押坂彦人大兄皇子をへて、敏達天皇の直系の男孫にあたる舒明天皇(34代)である。
 皇統は、推古天皇を中継ぎとして、男系のまま継承されたのである。

 聖徳太子がめざした天皇中心の政治の完成には「大化の改新」まで待たねばならない。
 統治、政治の実権を握っていたのは蘇我蝦夷・入鹿親子で、依然として、蘇我氏の天下がつづいている。
 蘇我氏に推挙された舒明天皇が崩御した後、皇后が史上二番目の女帝として皇位につく。
 皇極天皇(35代)である。
 敏達天皇から押坂彦人大兄皇子、茅渟王と下った三代目で、孝徳天皇(36代)は弟にあたる。
 天智天皇(38代)・天武天皇(40代)の母でもあって、中大兄皇子と中臣鎌足らによる蘇我入鹿の暗殺、翌日の蝦夷の自殺(乙巳の変)は、皇極天皇の目の前でおきた事件である。
 蘇我氏4代の繁栄は、乙巳の変によって、一夜にして崩壊する。
 中大兄皇子はのちの天智天皇である。
 乙巳の変の直後、皇極天皇は退位し、弟が孝徳天皇、中大兄皇子が皇太子になる。

 ここで異変がおきる。
 孝徳天皇が、中大兄皇子と不和となって、翌年、憤死するのである。
 皇極天皇が重祚して斉明天皇(37代)となったのは、中大兄皇子が即位に応じなかったからである。
 中大兄皇子が即位するのは、白村江の戦い(日本・百済対唐・新羅)に大敗した後のことで、大宰府(北九州)防衛に奔走した天智天皇は、全精力を使い果たしたかのように没する。
 ここでふたたび紛争(壬申の乱)がもちあがる。
 天智天皇の弟(大海人皇子)が、天智天皇の子(大友皇子)に反旗を翻すである。
 大友皇子が後の弘文天皇(39代)で、大海人皇子が後の天武天皇(40代)である。
 反乱者である大海人皇子が勝利して、天武天皇の時代が到来する。
 ここが古代史のターニングポイントで、天武・持統朝から現在の日本の原型がつくりあげられてゆく。

 天武天皇と持統天皇(41代)、文武天皇(42代)、二人の女帝、元明天皇(43代)元正天皇(44代)の時代は、聖徳太子が掲げた天皇中心の政治を完成させた時代であった。
 持統天皇が皇位を継承した理由は、実子の草壁皇子と異母兄弟の大津皇子の政争を避けるためである。
 ところが、大津皇子に謀反の疑いがかかって、逮捕・処刑されるという事件がおきる。
 そして、大津皇子の処刑後、草壁皇子も病死する。
 持統天皇が退位しなかったのは、草壁皇子の長男が即位できる歳まで待ったのである。
 それが14歳の若さで即位した文武天皇(42代)である
 持統天皇は、天武天皇から草壁皇子、文武天皇へ男系相続を引き継ぐための中継ぎを果たしたのである。
 ところが文武天皇は短命で、長男の首皇子が幼かったため、文武天皇の母である元明天皇(43代)、姉である元正天皇(44代)が相次いで即位する。
 元明・元正の両女帝を経た後、皇統は、文武天皇の直系である首皇子のちの聖武天皇(45代)へと継承される。

 
 聖武天皇の系列が絶えると孝謙天皇(46代)と称徳天皇(48代)という女性天皇を挟み、天武天皇の系列から淳仁天皇(47代)、そして、天智天皇の系列から光仁天皇(49代)が即位して、桓武天皇(50代)にひきつがれる。
 孝謙天皇・称徳天皇は同一人物(重祚)で、天武天皇から舎人皇子、淳仁天皇へ、天智天皇から志貴皇子、光仁天皇へと皇統をうけわたす役割をはたしていたのである。
 徳川幕府の皇室封じ込め政策に反発して退位した後水尾天皇(108代)の後、皇位についたのが後水尾天皇の皇女、明正天皇(109代)で、異母弟の後光明天皇(110代)への中継ぎ役をはたしている。
 後桜町天皇(117代)もまた、桜町天皇(115代)の内親王で、後桃園天皇(118代)への中継ぎだった。
 かつて、日本に存在した女性天皇は、皇統の男系相続をまもるためで、皇統以外の男性遺伝子(Y染色体)をもった子を産み、男女を問わず、その子を天皇にしようという女系天皇とは考え方がまったく逆である。
 女性天皇は、皇統の男系継承の補佐であって、女性天皇から女系天皇という道筋はありえないのである。

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2017年06月29日

 万世一系と「女系天皇・女性宮家」B

●混乱している「皇統」と「家系」
 歴史学者ですら「皇統」と「家系」の区別がつかない者が少なくない。
 嫡子がいなかった武烈天皇(25代)のあとを継いだ継体天皇(26代)が、応神天皇(15代)の5代末裔であることをもって、王朝交替があったなどというのがそれである。
 同一王朝なら、桓武天皇(50代)から5代末裔の平将門が天皇になるようなもので、ありえない話というのである。
「皇統」と「家系」を混同して、代を重ねるごとに血統の純粋性が失われると思っているのであろう。
 便宜上、X染色体とY染色体を例にとって話をすすめよう。
 男性の染色体がYXで、女性がXXである。
 Y染色体を継承するのが皇統で、X染色体をひきつぐのが家系である。
 Y染色体は男性だけに継承されるので、父方をさかのぼっていけば、祖先の男性にゆきつく。
 ところが、X染色体の母方をさかのぼっていっても、無限数の女性の祖先があらわれるだけで、祖を特定することはできない。
 男性も女性もX染色体をもっているからで、代をかさねるごとに男女両方のX染色体が累々と混交して、いわゆる「血が薄くなる」という現象がおきる。
 Y染色体がいくら代をかさねても、他のY染色体と混交しないのは、女性がY染色体をもっていないからである。
 神武天皇のY染色体は、継体天皇にも平将門にも、純粋な形でひきつがれていたのである。

 応神天皇から継体天皇までは、若野毛二派皇子〜意富富等王〜乎非王〜彦主人王とすべて男性だが、桓武天皇と平将門の5代のあいだに女系(入り婿)が混じっていれば、将門には皇位の継承権がなかったことになる。
 神武天皇のY染色体が入り婿のY染色体にすりかわってしまったからである。

 皇統は一本の樹木にたとえることができる。
 傍系が枝で、どの枝(系列)も、神武天皇のY染色体を継承している。
 今上天皇の系列は、光格から仁孝、孝明、明治、大正、昭和の各天皇へつらなる閑院宮家(東山天皇の第六皇子閑院宮直仁親王が創設)という枝である。
 この枝は、後桃園天皇(118代)に直系男子がいなかったため、閑院宮家二代目典仁親王の皇子が光格天皇として即位したのがはじまりである。
 閑院宮家の創設(1710年)にうごいたのが、皇統存続に危機感を抱いた新井白石で、傍系が皇籍離脱(出家)するしきたりを枉げ、皇位継承ができる世襲親王家(伏見宮・桂宮・有栖川宮)に閑院宮をくわえた。
 閑院宮家という枝を折っていたら、皇統が絶えかねなかったところに皇室の危うさがあり、徳川家も、家康直系の尾張と紀州、水戸の御三家があったために、七代将軍家継が8歳で死去して本家が断絶しても、紀州の徳川吉宗が八代将軍に立って、血統がまもられた。
 メディチ家やハプスブルク家など名家・名門から成るヨーロッパの王位継承順位が、他国の王室までまきこんで、驚くほどの数にのぼっているのは、内乱や戦乱が多かった名残で、血統をまもるため幾重にも保険をかけたのである。
 世襲による血統の維持、とりわけ男系相続はきわめて困難で、男子が生まれなければ、日本の皇室の場合、たちまち、皇統断絶の危機にさらされる。

 戦後の日本統治に天皇を利用したGHQが、皇室の将来的な廃絶を意図していたことは、11宮家の臣籍離脱を強要し、皇室の財産を没収したことからも明らかであろう。
 象徴天皇は、天皇を憲法上の存在へ変質させ、皇室典範を憲法に組み込むことだったのである。
 11宮家が廃止となって、51人が皇籍を離脱したのち、皇統維持に必要な皇族は、昭和天皇の直宮3宮家(秩父宮・高松宮・三笠宮)だけとなった。
 重臣会議の席上、鈴木貫太郎首相が「皇統が絶える懸念はないか」たずねると、加藤宮内次官は「国民がみとめるなら、かつての皇族のなかにふさわしいかたがおられる」「(旧皇族には)皇位を継ぐべきときがくるかもしれないとの自覚のもとで身をお慎みになっていただきたい』と返答している。
 また、赤坂離宮でのお別れ晩餐会では、昭和天皇から「身分は変わるようになったけれども、わたしは今までとまったく同じ気持ちをもっている」というおことばがあった。
 皇室と11宮家の交流は、菊栄親睦会をつうじていまもつづき、ェ仁親王は「わたしのなかには皇族と元皇族の垣根はありません」と語ってもおられる。

 皇室典範第二条(「皇位は左の順序により皇族にこれを伝える」)のなかに「前項各号の皇族がないときは、皇位は、最近親の系統の皇族にこれを伝える」とある。
 この文章を「皇族もしくは旧皇族」と書き換えることで、皇統の継嗣問題は一挙に解決する。
 臣籍降下した11宮家を皇統維持の枠から除外している条項はこの一行だけある。
 女性天皇などもちださずとももしくは旧皇族≠フ7文字をくわえるだけで皇統の男系男子はまもられるのである。
 旧皇族の皇籍復帰が望ましいが、それには野党やマスコミ(日本マスコミ文化情報労組会議)が猛烈に反対するであろうし、保守系のなかにも、一般人になったひとが天皇になることには違和感があるという意見が少なくない。
 そこから、天皇の内親王が天皇になる「女性天皇」論が浮上してくる。
 女性天皇から、その皇子が新たな天皇になる女系天皇へは一本道である。
 そのとき、神武天皇の血統が絶え、天皇の祖先が別の樹木に移る易姓革命がおきる。
 神武天皇の男系直系である旧皇族の皇籍復帰には違和感があって、Y染色体をひきつがない女性、女性宮家の入り婿になった一般人男性が天皇になるのに違和感がないというのはとおる話ではない。
 次回は、女性天皇を中継ぎにしながら男系相続がまもられてきた歴史を振り返ってみよう。
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2017年06月26日

 万世一系と「女系天皇・女性宮家」A

 ●易姓革命を防いだ聖俗%元体制
 皇位や皇統は神事で、世俗の政治や制度と同列に語ることができない。
 皇統の男系相続も、神事のしきたりで、俗説をもって、聖域を論じることができないのは、神を合理で語ることができないのと同じ話である。
 東大法卒でハーバード大学留学、検察官だった民進党の山尾志桜里が皇統の男系男子を「合理的な根拠がない」とのべたのは、俗論以下の暴言というしかない。
 秘書に暴言を浴びせかけ、暴力をふるい、自民党を離党した豊田真由子議員も、東大法卒でハーバード大学留学、厚労省高級官僚という同じような経歴をもっている。
 このことから、合理が俗説や暴論の範疇にあることが容易にみてとれる。
 合理の結晶が革命で、共産主義が虐殺と腐敗、圧政などの暗黒性しかもたらさなかったことはだれもが知っている。
 科学も合理だが、現代文明をつくりあげたのは、数学や技術の数千年におよぶ歴史的蓄積で、同じ合理でも、歴史を破壊した上に成り立つ革命とは、むいている方向が逆である。
 合理と伝統は、裏と表の関係で、おおよそ物事は、合理で説明のつくものとつかないものが渾然一体となって成り立っている。
 ところが、東大卒やハーバード留学などのインテリ馬鹿は、すべて、合理で説明がつくと思っている。
 天皇や皇統をめぐる議論は、歴史的価値を尊重する人々と合理しか見えない者たちたちの争いで、世界最古の木造建築である法隆寺を壊して、近代建築に建て替えろという合理主義者にたいして、伝統や歴史の価値を説いたところでラチが明かない。
 男系相続という、合理を超えた伝統的価値を理解することができないからである。

 共同体(国家)も、科学と同様、伝統という合理を超えた土台をもっている。
 それが祭祀で、宗教的結束からできあがった祭祀国家の形態を維持しているのが伝統国家である。
 祭祀を司る天皇の下で、摂政や関白、征夷大将軍、幕府、政府と権力構造が移ろってきたのがわが国の歴史で、日本は、世界最古の宗教国家でもある。
 戦後、キリスト教などの一神教のみを宗教として、日本を無宗教国家、日本人を無神論者ときめつける風潮がはびこったが、とんでもない話である。
 人口にたいする宗教施設(神社や仏閣)は世界一で、初詣や七五三、供養や法事など国民生活に密着する宗教的行事の多さも比類がない。
 キリスト教などの一神教は啓示宗教で、神話やアニミズム、汎神論にもとづく神道は自然宗教(崇拝)である。
 そして、神道と習合した大乗仏教は、集団宗教である神道にたいして、個人宗教で、釈迦の死生観は、西洋哲学に大きな影響をあたえた。
 日本人の素朴な信仰心にもとづく国体の上に、政体という権力構造がのっているのが、伝統国家・日本の国の形である。
 日本を無神論国家という強弁は、祭祀(国体)を無視して、権力構造(政体)だけに目をむけさせようという魂胆で、国体の破壊をもくろむ左翼の論法である。
 政体をひっくり返すのが革命で、中国の易姓革命も西洋の市民革命も、そのたびに、王や皇帝ともども、一族や前政権をささえた人々が皆殺しにされた。
 日本が祭祀国家の形態をとって、国体と政体を切り離したのは、易姓革命を避けるためで、日本で政変がおきても、権力構造が代わるだけで、祭祀国家の頂点にいる天皇になんの動揺もなかった。

 そこに、皇統が男系相続となった最大の理由がある。
 男系相続であれば、父から父へたどる系図が一本道なので、争いがおきない。
 ところが、母から母へたどる系図では、入り婿という形で、権力者が入ってくる可能性がある。
 女系相続では、女帝の孝謙天皇(重祚して称徳天皇)に仕えた道鏡や次男の義嗣を天皇にして治天の君(上皇)になろうとした足利義満のような野心家を、皇統の純血性から排除できないのである。
 古代から皇統の男系相続を貫いてきたのは、天皇の血統に他の男系の血統を入れないためで、その智恵が、結果として、神武天皇のY遺伝子が純粋な形で今上天皇まで引き継がれた。
 女系相続では父親由来のY遺伝子、男系相続では母親由来のミトコンドリアが、それぞれ途切れる。
 ミトコンドリアにそって、女系遺伝をたどっていけば人類の始祖というべき一人の女性(「ミトコンドリア・イブ」)にゆきつくという仮説に科学的根拠があたえられたのが2000年(ネイチャー・ジェネティクス誌)である。
 同じ論理で、Y遺伝子にそって、男系遺伝をたどっていけば、天皇の始祖である神武天皇にゆきつく。
 といっても、二六七七年の伝統国家をささえてきたのは、皇統維持に男系を選択して、その原則をまもりとおしてきた日本人の叡智と宗教的信念で、科学的な根拠は、現代人があとから付けた理屈にすぎない。
「皇位の男系男子継承は女性差別である(小林よしのり)」や「女性尊重の時代に天皇陛下だけ例外というのはおかしい(二階俊博幹事長)」というのは、現在の価値観をもって歴史をながめる態度で、ノーテンキもはなはだしい。
 現在は過去の積み重ねで、過去の出来事や価値観も現在にひきつがれている。
 平安時代に成立した能(能楽)が古いからといって、現代風なジャズをとりいれるのは、改革ではなく、ただの伝統破壊である。
 次回は、皇統や男系の血統に歴史的実証性や科学的根拠がないという愚論を批判しよう。
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2017年06月20日

 万世一系と「女系天皇・女性宮家」@

 ●「左翼・反日」「新自由主義」「フェミニズム」の三大害悪
 自民党の船田元は衆院憲法審査会で「天皇の職務の助けになる」「女性天皇の道を開く」の二点を挙げて女性宮家の創設に賛意を示し、女系天皇についても肯定的な意見をのべた。
 自民党幹部は、議事録の残る審査会の場で皇室の伝統に否定的な意見をのべた船田に衝撃をうけたというが、今回の発言に伏線がなかったわけではない。
 船田は、2015年6月の衆院憲法審査会(安全保障関連法)の参考人質疑で、内定していた保守系の憲法学者・百地章を「色が付きすぎている」という理由で退け、集団的自衛権の行使に批判的な「国民安保法制懇」の長谷部恭男早稲田大教授を推薦するチョンボを犯して、憲法改正推進本部長をクビになっている。
 自民党側の参考人が安倍政権のすすめる安保法制に反対意見をのべる「オウンゴール」となったからだった。
 学校教材に「教育勅語」の使用を認めた政府答弁にも批判的で、憲法改正にいたっては、野党の意見を尊重すべしと公言して、自民党の改憲案を否定する始末である。

 船田は、かつて、閣僚をつとめる宮澤内閣に不信任決議案をつきつけて自民党をとびだし、新生党や新進党などで小沢一郎の側近をつとめたあと自民党に復党した男だが、言動が注目されてきたわりには政治家としての信条が見えてこない。
 一点だけはっきりしているのは、不倫関係から再婚した畑恵(元参院議員)と同様、フェミニズムの推進者ということで、夫婦別姓にも賛成している。
 このことから「女系天皇・女性宮家」ついての発言が男女同権(無差別)にもとづいているとかんたんに底が割れる。
 同審査会では、自民党の鬼木誠が「女系で継承すればちがう王朝になる」と反論し、旧宮家の皇籍復帰を主張したが、船田は意に介するふうもなかった。
 フェミニズムは、社会的・文化的性差(男性原理・女性原理)までも否定するからで、船田の頭のなかには女系も男系もないのである。

 国家防衛や国体護持、伝統や誇りなどが男性原理で、経済原理や原発などの国家的インフラ、愛国心などが女性原理である。
 国家は問答無用≠フこの二つの原理から成り立っている。
 その両方を否定するのがフェミニズム(ジェンダーフリー)で、その根拠となるのが合理主義(唯物論)≠ナある。
 合理主義とは、ことばで説明をつけることだが、世界をつくりあげているのは、ことばで説明がつかない不思議や奇異であって、ことばで説明がつくものは、共産主義と同様、インチキと相場がきまっている。
 民進党の北神圭朗は「世の中には合理性だけで割り切れないものがある。女系になれば皇統が歪められる。旧宮家復活などの可能性を探るべき」と正論を吐き、この日の衆院憲法審査会は、船田と北神のどちらが保守なのかわからない展開となった。
 同審査会では、民進党の山尾志桜里(しおり)が皇統の男系男子相続について「歴史的経緯のほかに合理的な根拠は聞こえてこない」とクレームをつけている。
 山尾は、待機児童問題で「保育園落ちた日本死ね」というブログのタイトルを国会で取り上げて「流行語大賞」の年間大賞(トップ10)を受賞した反日政治家で、千葉景子や岡崎トミ子、福島みずほ、辻元清美らと肩を並べるフェミニストである。
 フェミニズムが、護憲や原発反対に走るのは、国を護る男性原理と女性原理の両方に反対だからである。

 男でも女でもないものは化け物であろう。
 それが反伝統・反自然のフェミニズムの正体で、拠って立つところが合理主義(唯物論)である。
 フェミニズムも二項対立を煽って体制転覆をはかる革命思想だからで、マルクスが考案した資本家と労働者の階級闘争理論を、男と女の性差闘争におきかえたのがフェミニズムである。
 福島みずほらの女性マルキストが夫婦同姓を「家父長制度の名残」「妻は夫に搾取される家事奴隷」と主張する根拠もそこにある。
 フェミニズムが「シングル・マザー」を女性の理想のように称え、男女共同参画社会を支持するのは、マルクス主義が「家族解体」と「働かざる者食うべからず(「スターリン憲法第12条」)の原理に立つからである。
 国民が国家の家畜となる共産主義にあるのは合理主義だけで、宗教や伝統という唯心論的価値は抹殺される。
 その唯物論から「歴史的経緯のほかに合理的な根拠がない」として、男系男子を否定する山尾(東大法卒・元検事)のような主張がでてくる。

 ルーツはジェンダーフリー(雌雄同体)という悪魔の思想で、そこからでてきたのが男女共同参画社会や「皇統の男系相続は女性差別(国連女子差別撤廃委員会)」という俗論である。
「男女共同参画社会基本法(1999年)」などの悪質な法をつくったのは権力内に巣食っている東大左翼で、男女共同参画会議(議長)の大沢真理東大教授はホモやレズを賛美する性差否定者(性錯覚者)である。
 男女共同参画局(内閣府)の主婦にたいする啓発活動(再チャレンジ)では賃金労働への復帰が謳われているが、これは、育児や家事、夫にたいする妻の役割放棄を謳ったスターリン憲法のコピーである。
 これに社民党や共産党、民進党、公明党、自民党左派、マスコミや左翼学会がのって、深くしずかに体制破壊の策謀がすすめられている。
 
 フェミニズムが厄介なのは、左翼・反日、アメリカ主義(民主主義・新自由主義)と手をむすんで、伝統破壊にむかうところにある。
 三者の共通の標的が伝統で、それが、皇統の男系相続(万世一系)である。
 アメリカも伝統をもたない革命国家で、共産主義の代わりに民主主義をとっただけである。
 ちなみに船田元は、左翼ではなく、新自由主義者で、新進党時代、YKKと「首相公選制と首相の資質を考える会」)を結成している。
 かれらの戦略は三つあるだろう。
 @国体(権威・歴史・文化・習俗)の破壊
 A価値観の転換(唯心論から唯物論、「和の心」から民主主義・共産主義へ)
 B権威に代わるカリスマの構築(大統領や国家主席など個人崇拝の対象新設)
 これを受けて立つのは、政体(国家や政治機構)ではなく、国民である。
 次回から「女系天皇・女性宮家」をとおして国体や皇室、権威の破壊しようとする勢力に国民はどう立ち向かってゆくべきかについて議論をすすめたい。

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2017年06月16日

 中国・北朝鮮発「アジア・中東危機」B

 ●世界を戦場化≠ウせる北朝鮮のミサイルと核
 前世紀まで、米大陸を射程に入れた北朝鮮の核ミサイルが世界を震撼させるなどとだれが想像できたろうか。
 北朝鮮のような小国がアメリカと渡りあえるのは、核やミサイルが空間的に移動が可能な唯物論的文明だからで、近い将来、アルカイダやイスラム国が核ミサイルを保有する可能性も否定できない。
 一方、歴史や習俗、宗教などの唯心論的文化は、移動することも他国と共有することもできない。
 そこに現在の「危機の構造」がある。
 民族や国家、価値観や宗教の対立をひきずったまま、北朝鮮のような小さな独裁国家までが核やミサイルをもつことができ、しかも、米ソ冷戦構造崩壊や米一極支配の終焉にともなって、文化や宗教、利害が異なる国や地域、集団の対立が先鋭化しているのである。
 ハンティントンのいう文明圏(西欧文明/中華文明/インド文明/ユダヤ文明/イスラム文明/日本文明/ロシア文明/ラテンアメリカ文明/アフリカ文明)は、衝突の可能性をひめた文化の壁≠ナ、しかも、同じ文明圏であっても、イスラムのシーア派とスンニ派、北朝鮮と韓国のように一触即発の危機をはらんでいる。
 文化・宗教的に対立する多くの国や民族、集団がいっせいに文明の象徴たるミサイルや核兵器をもてば、核戦争の危機が一挙に拡大される。

「危機の構造」を招いた二つ目の原因に大国の凋落があげられる。
 米ソ冷戦構造の時代、国や地域、集団の紛争は、米ソの代理戦争におきかえられて多くが泥沼化したものの相互確証破壊≠フ論理がはたらき、核戦争にブレーキがかかった。
 この構造があやしくなったのは、アフガニスタン紛争以降である。
 1979年、旧ソ連がアフガニスタン人民民主党政権の安定をはかって軍事介入すると、アフガニスタンの共産化を阻止したいアメリカが、のちに最大の敵となるイスラム原理主義の「アルカイダ(オサマ・ビン・ラディン)」や「ムジャーヒディーン(イスラム戦士・民兵組織)」に武器や資金を援助してソ連に対抗した。
 アフガニスタン紛争への介入がソ連邦崩壊を招き、9・11同時多発テロの原因となったが、それ以上に大きな失点は、アフガン紛争に勝利できなかったことで、以後、米ソ(ロ)は、大国としての指導力を失い、イスラム過激派は武闘(テロ)路線を突っ走ることになる。
 アフガン介入から湾岸戦争(1991年)からアフガン空爆(2001年)イラク戦争(2003年)へ突進したアメリカにあったのは、軍事国家の驕りと国家エゴだけで、世界和平への努力はないにひとしかった。

 ソ連崩壊後、アメリカの一極支配が約20年間つづくが、「9・11同時多発テロ」以降、アメリカのプレゼンスに翳りがでてくると、復活の兆しがみえてきたロシアと台頭が著しい中国がくわわって、パックス・アメリカーナ(一極支配)から米・ロ・中の三極支配へとパラダイムが変わっていった。
 一極支配も多極支配も、結局、大国主義で、核を保有する国連常任理事国5か国(米・英・仏・ロ・中)による世界支配の構造である。
 五大強国のうち、米・中の二国が覇権国家である。
 そのなかで、覇権主義をひときわ露骨にしているのが中国である。
 経済力と軍事力で周囲の弱小国をねじふせる中国の覇権主義は、チベットやウイグル、南シナ海などで成功をおさめ真珠の首飾り≠竍一帯一路$略でも一応の成果をあげたが、ここにきて、足元がぐらつきはじめた。
 北朝鮮の離反と覇権主義にたいする南アジア諸国の抵抗である。
 覇権主義の失敗は、アフガニスタンで、米ロが経験済みである。
 力の論理は、真の勝利や和平をえられないばかりか、軍事主義の分散を招いて、周辺や状況を戦場化≠オてしまうのである。
 アメリカのアフガン攻撃は、タリバンの勢力圏を拡大したにすぎず、イラク戦争はIS(イスラム国)というテロ国家をつくりだしただけだった。
 北朝鮮もテロ国家で、アメリカを敵視するのは、南朝鮮(北は韓国を国家とみとめていない)の宗主国だからである。
 北朝鮮にとって、米軍は、アフガン紛争へ二度介入した異教徒の軍隊だったのである。
 金正恩は、国内に従軍慰安婦像を建てることを禁止し、戦争記念館(中央階級教養館)に予定されていた反日的な宣伝物の展示を不許可とした。
 韓国が「独立記念館」に反日的な展示物を並べているのとは対照的である。
 北朝鮮にとって、朝鮮戦争に関与していない日本は敵ではないので、韓国の反日教育と日本の嫌韓感情はむしろ望ましい。
 中国や韓国が対日敵対政策をつよめると「敵の敵は味方」「味方の敵は敵」という論理がはたらくのである。

 北朝鮮が中国から距離をおいているのは、中国の覇権主義と韓国への接近を警戒してのことで、北にとって敵と味方のボーダーラインは、覇権的か否かと親韓的か嫌韓的かの二点である。
 中国がアメリカや韓国に接近して北朝鮮をしめつけると、ますますロシアへ傾斜してゆく。
 トランプから要請されても、中国が北朝鮮に強硬な措置をとれないのはそのせいで、一方、アメリカは、中国からOKがでなければ、西太平洋に展開中の三隻の空母「カール・ビンソン」「ロナルド・レーガン」「ニミッツ」から一機の攻撃機も出撃させることができない。
 プーチンとの電話会談後、トランプが腰砕けになった理由もそこにある。

 北朝鮮がミサイル発射実験をくり返している理由は二つあるだろう。
 一つは、アメリカと韓国、日本、中国にたいする警告で、ロシアは対象外である。
 事実、ロシア(国防省)はミサイルが領海近くに落ちても「危険はない」と平然としたものである。
 もう一つの理由は、商売のためである。
 北朝鮮が高度2千キロ(ロフテッド軌道)を超える高性能ミサイルの発射を成功(2017年5月)させたが、これは、北朝鮮の軍事的脅威という問題にとどまらない。
 商談がまとまれば、イスラム圏や第三世界が、迎撃不能な高性能ミサイルを北朝鮮から入手できることになって、先進国の都市圏は一挙に危機にさらされる。
 秘密裏におこなわれるミサイルの国際取引は、無原則で、中国製(東風21)がサウジアラビアへ、北朝鮮製がイラン、パキスタン、エジプト、リビア、シリア、イエメンからミャンマーにまで渡っている。
 北朝鮮のミサイルの輸出額は、わかっているだけで、年15億ドル(約1440億円/2009年/ロイター通信)にたっするが、国連制裁がなかったら、取引の総額は、この数倍以上になるだろう。
 インドの核保有に対抗するパキスタンの核が、中国から供給されたのは疑えないが、北朝鮮も、イランやミャンマー(軍事政権)の核開発に関与してきた形跡がある。
 オーストラリア紙(シドニー・モーニング・ヘラルド)によると、ミャンマー軍事政権が北朝鮮の協力の下で北部山岳地帯の地下に原子炉とプルトニウム抽出施設を建設、5年以内の核爆弾開発を目指していた(亡命者2人の証言)という。
 韓国誌の週刊誌(「週刊朝鮮」)も、亡命ミャンマー人の証言として、北朝鮮が2003年から技術者を派遣して、巨大な地下施設(700前後)の建設を支援してきたと報じている。
 イランが核協議の「最終合意(イランと米欧6か国/2016年)」をむすんでも、核弾頭やミサイルの輸入をとめることはできない。
 ということは、核開発をおこなわなくても、北朝鮮から輸入すれば、いつでも核装備をもてるわけで、その結果、イスラエルの核が無力化され、サウジアラビアの核装備が正当化される。
 スンニ派の盟主サウジアラビアは、シーア派の大国イランが核をもてば核装備をおこなうと明言しており、そうなれば、中東情勢が一挙に緊迫化する。
 米・中・ロなどの大国が「世界の安定」という選択肢を捨て、力による支配と覇権主義に走った結果、世界の戦場化≠ニいう最悪のシナリオが書かれてしまったのである。
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2017年06月06日

 中国・北朝鮮発「アジア・中東危機」A

 ●世界経済を破壊する中国の一帯一路$略
 中国の真珠の首飾り≠ェ「マラッカ・ジレンマ」から脱却するための海洋戦略なら、陸上戦略が一帯一路≠ニ呼ばれる経済・外交圏構想である。
 マラッカ・ジレンマというのは、中東からの原油が通過するマラッカ海峡の安全保障を米軍に依存している弱点のことで、有事の際、米軍によって海峡を封鎖されると中国は海外からの補給ルートの80%が断たれることになる。
 マラッカ海峡を封鎖されても、原油を中国に運ぶ拠点港を確保しようというのが真珠の首飾り$略で、その4大拠点が、前項でのべたとおり、インド洋に面したパキスタン、スリランカ、バングラデシュ、ミャンマーである。
 とりわけ重要なのはパキスタンで、現在、同国のグワダル港から新疆ウイグル自治区(カシュガル)まで横断する鉄道や高速道路、石油・天然ガスパイプラインなどが建設中で、習近平とシャリフ首相とのあいだでは、輸送インフラのほか発電所建設、港湾開発などに450億ドル(約5兆4千億円)の投融資が合意されている。
 グワダル港が起点となる「中パ経済回廊」の構築もその一環で、イランへの経済制裁が解除されるとグワダル港に隣接するイランからの原油陸送が可能になる。
一帯一路≠ヘ、中国の経済・外交政策構想のことで、2013年に習近平が提唱して以来、中国の基本的な国家戦略になっている。
 目的は三つある。
 @国内の過剰生産能力を解消して内需不足を補う
 Aインフラ投資や経済援助をとおして中国経済圏を確立する
 B関連諸国との連携をとおして、安全保障と安定的な資源輸入をはかる
 中国からアジア、中東、アフリカなどをとおって欧州まで陸と海のルートでつなぐ現代版シルクロード≠フ影響をうける国はおよそ65カ国、世界人口の6割にもおよぶが、大半が発展途上国なので、中国は高い戦略的経済効果を上げることができる。
 インフラ投資で釣って、過剰生産で国内に余った資材を売りつけ、見返りにから資源を吸い上げるという植民地政策が、発展途上国相手では、中国の思惑どおりにうまく運ぶのである。
 懸念されるのが関係国の経済破壊で、中国から身の丈に合わないスケールの資金や物資がもちこまれることによって、伝統的な経済・産業構造がダメージをうけるばかりか、巨額の債務と金利で、財政が破綻してしまうことになる。

 一見、順風満帆とみえた中国の現代版シルクロード≠セが、目下、三つの難問に直面している。
 一つは、経済侵略にたいする発展途上国の抵抗で、二つ目が中国の仮想敵国とするインドの巻き返し、そして三つ目が日本の世界戦略(「自由と繁栄の弧」)である。
 中国マネーが猛威をふるう南太平洋のトンガ王国では、住宅・商業ビルから総理官邸、航空機にいたるまで、中国が建造したものばかりで、移住してくる中国人が急増していることからも、国が丸ごと中国に乗っ取られた観がある。
 ミャンマーやラオスなどアジアの発展途上国も同様で、中国マネーと中国の物資、中国人が土地や資源、富を収奪する中国化′サ象がすすんでいる。
 スリランカでは、親中派ラジャパクサ前政権が中国から高金利の巨額融資をうけて債務漬けになる始末で、結局、港の株式の80%を中国に譲渡、99年間の長期貸与を余儀なくされた。
 これに現地人が反発して、ミャンマー(合弁銅鉱山)やスリランカ(ハンバントタ港)では、抗議デモが警察と衝突、多数の負傷者や逮捕者が出る事態となった。
 中国の帝国主義的なやり方に関係国の首脳も危機感をかんじはじめている。
 英紙が「ミャンマーを失った傲慢な中国」と報じたように、中国の従属していたミャンマーは、2015年に民政(アウンサンスーチー政権)が誕生して以降、脱中国の方向へうごきだした。
 スリランカでも、大統領がシリセナに代わって、風向きが変わってきた。
 前政権の港湾プロジェクトは継続されるものの、中国べったりの外交姿勢が転換されて、現在、インドとの関係が修復されつつある。
 これまで中国に依存してきたバングラディッシュも、中国が開発を支援する予定だった深海港建設プロジェクト(ソナディア)を中止して、日本の支援でマタバリ港の開発にあたるほか、6000億円にのぼる日本の経済援助などをうけいれて、ベンガル湾産業地帯構想をすすめる。
 インドも、バングラデシュが提案した鉄道、道路建設、発電所など9部門のプロジェクト(20億ドル/2238億円)をうけいれると発表した。

 中国の植民地政策(真珠の首飾り/一帯一路)にたいするインドや日米欧の巻き返しの背後にあるのが、安倍内閣の「自由と繁栄の弧」戦略である。
「価値観外交」と呼ばれる世界戦略の対象は、東南アジアからインド、中東、コーカサス、中央アジア、バルト諸国から北欧へ至る広大な地域で、大東亜共栄圏の拡大版といってよい。
 共栄圏思想は、植民地政策にたいするアンチテーゼで、強国による支配構造を破って、発展途上国の独立自営を援助する。
 収奪を目的とする中国の一帯一路≠ノたいして、日本は、ODAを中心とした経済支援である。
 中国は、アジアインフラ投資銀行(AIIB)をとおしてバングラデシュに発電所建設など20項目以上、約240億ドル(約2兆5000億円)の経済協力を申し入れたが、バングラデシュは日本のODAをえらび、インドとの共同プロジェクトにものりだした。
 価値観外交の特質は「モラル」と「共栄思想」である。
 中国が北朝鮮を暴走させ、韓国の不安定を招いているのも、覇権主義の中国には、この二つの要因が欠落しているからである。
 中国のエゴイズムと反モラルが東南アジアや中東に飛び火すれば、新たな「危機の構造」をつくりだされる。
 予断をゆるさないのが半島情勢で、北朝鮮の核・ミサイルが世界的な脅威になっているにもかかわらず、韓国は反日の度合いをつよめ、一方、反米の北朝鮮は、中国の手に負えない存在となりつつある。
 特ア(中国・韓国・北朝鮮)の反モラルとウソが底なしの混迷を招いているのである。
 次回以降、日本の世界戦略(「自由と繁栄の弧」)の安全保障面に目をむけてみよう。
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2017年06月01日

 中国・北朝鮮発「アジア・中東危機」@

 ●世界の安全保障を脅かす中国の真珠の首飾り
 中国による「アジア・アフリカの植民地化」が着々と進行している。
 やりくちは巧妙で、世界から融資トラップ(罠)≠ニ呼ばれるほどである。
 6〜7%の金利で巨額融資と巨大プロジェクトをもちかけ、中国側が工事を丸ごと請け負い、のちに施設全体を乗っ取るというもので、当事国が高利貸し並みの巨額債務を返済できなくなるのは、完成した施設が、現地の産業や雇用になんら貢献しない代物ばかりだからである。
 返済に窮すると、施設株式の80%譲渡や長期(99年)貸与を求め、やむなく応じると、施設を事前の計画どおり、軍港やレーダー基地に転用するのである。
 標的になったのは、インド洋のスリランカやモルディブ、アフリカ北東部のジブチから南大西洋のナミビアまでの国々で、ナミビアの新聞は、中国政府の非公式文書を引用して、中国が18の海洋国家に海軍の拠点(基地)を設ける計画と報じた。
 18か国のなかには、パキスタン、スリランカ、ミャンマー、ジブチ、イエメン、オマーン、ケニア、タンザニア、モザンビーク、セイシェル、マダガスカルがふくまれている。
 中国は、これらの18カ国のすべてで、港湾や空港、道路、鉄道、鉱山などの建設・開発に大規模な投資をおこなっている。
 その見返りとして、これらの施設を中国が軍事的に利用できるからくりになっているのはいうまでもない。

 中国はこの戦略を真珠の首飾り≠ニ称している。
 アラビア海からベンガル湾に至るインド洋海域にいつでも寄港できる外港を用意しておこうという戦略で、宿敵インドを封じ込め、制海権をもつ米海軍を牽制して、南シナ海への唯一のルートであるマラッカ海峡(マレーシアとインドネシア国境)が封鎖されても、原油を中国に運ぶ拠点港を確保しようというのである。
真珠の首飾り≠フ4大港湾が、@グワダル(パキスタン)、Aハンバントタ(スリランカ)、Bチッタゴン(バングラデシュ)、Cシットウェ(ミャンマー)である。
 @パキスタンのグワダルを外港化できれば、中国は、インド洋を航海することなく、パキスタン国内の鉄道や道路、パイプラインを使って、中国の内陸部に原油を輸送できる。
 Aスリランカのハンバントタ港は、タンカー航行が困難なポーク海峡を避けるシーラインの要衝で、ハンバントタを外港化できれば、中国軍はアラビア海とベンガル湾の両方ににらみがきかせることができる。
 Bバングラデシュの第二の都市チッタゴンの周辺に外港を確保できれば、中国は、マラッカ海峡を経由することなく、ミャンマーのマンダレー経由で中東やアフリカからの資源を内陸部に輸送することができる。
 Cミャンマーのシットウェ港は、軍事政権の時代から、武器輸出などで中国とつながりが深く、なかでも、1994年から借りている大ココ、小ココという2つの島には高性能の偵察・電子情報施設をもち、7つの海軍基地は、ミャンマーが持っていない大型艦艇が入港できるように整備されている。

真珠の首飾り≠フ手法は、徹底したマネー作戦で、ワイロから当事国の経済破壊まで、援助や経済協力とは遠くかけ離れた経済侵略、植民地化にほかならない。
 中国マネーによって、世界の最貧国から一変したのがエチオピアである。
 中国政府が工費をすべて負担した国内最大のアフリカ連合本部ビルを筆頭に中国資本による建築ラッシュがおき、首都・アジスアベバを走る新型の電車も中国の国有企業によって造られたものである。
 といっても、エチオピアの国力が増したのではない。
 中国資本といっしょにはいってきた中国人が、エチオピアを乗っ取ったのである。
 きっかけは、中国が、アデン湾(ソマリア沖)と紅海に接するジブチ共和国ですすめている海軍基地(武器庫や艦艇・ヘリの整備施設、海軍陸戦隊や特殊部隊の拠点)建設だった。
 米軍は、ジブチにレモニエ基地と港湾のオボック基地の2つを持っている。
 ところが、親米だったはずのゲレ大統領が、突如、米軍をオボック基地から追い出し、代わりに中国軍の駐留をみとめたのである。
 米軍はジブチに4千5百人が駐屯し、基地使用料として年間6300万ドルを支払っている。
 一方、中国軍は、1万人を駐屯させ、ジブチ政府に1億ドルの基地使用料を払うほか、ジブチの港湾改良事業に4億ドルを投資するという。
 ジブチは、古くから強国で、隣接する内陸のエチオピアに物資を運ぶ港湾として機能してきた。
 中国は、ジブチとエチオピアをむすぶ鉄道を高速化する事業に30億ドルを投資する予定で、エチオピアの繁栄はその恩恵だったのである。
 ジブチの米軍基地はアフリカ最大の反テロ戦争の拠点で、アルカイダや過激派組織ISの情報収集のほか、テロの拠点となっているイエメンやソマリアに無人偵察機飛ばしている基地である。
 アメリカは、やむなく、基地使用料を倍額にするというが、中国の真珠の首飾り$略は、世界の安全保障を破壊しながらやむことなく拡張しつづけている。
 次回以降、中国の暴走と身勝手が、北朝鮮やイラン、サウジアラビアやミャンマー、パキスタンをまきこんだアジア・中東危機へ発展しかねない危惧についてのべよう。
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2017年05月29日

 なぜ日本の政治は劣化したのかB

 ●三大ダメ政治家≠フアイドルだった小池百合子
 日本の政治をダメにした政治家を上げるなら、細川護熙(日本新党)と小沢一郎(新進党)、そして、小泉純一郎(第87・88・89代内閣総理大臣)の三人に尽きるだろう。
 細川内閣(8党派連立)の「小選挙区制」「政党助成金制度」は、政党と政治家を堕落させただけだったが、くわえて、細川は、日本の首相として初めて戦争謝罪≠おこなって、謝罪外交のレールを敷いた。
 小沢一郎は、自民党幹事長時代、アメリカにいわれるまま8年間に430兆円の赤字国債(公共投資)をだして日本の財政を悪化させ、自民党をとびだすと次々に新党を創設、政党助成金をすべて着服するという乱脈ぶりだった。
 媚中・親韓・反日に転じたのは、反日マスコミや左翼(労組・日教組・官公庁・言論界など)をとりこむためで、小沢一郎ほど狡猾にして無節操、悪辣な政治家は他に例が思い浮かばない。
 小泉純一郎は、加藤紘一や山崎拓らとともにYKKと呼ばれた自民党左派の一人で、改革主義者というよりもむしろ反伝統主義者だった。
 300兆円郵貯を自由化する郵政民営化に執着したのもアメリカ資本主義といべき新自由主義にのめりこんだのも、日本的制度や日本の伝統文化を嫌悪するアメリカかぶれだったからで、小泉の改革は、アメリカ化だったのである。
 皇室典範改悪は、秋篠宮妃・紀子さまのご懐妊によって、土壇場で先送りになったものの、悠仁さま誕生という神風が吹かなかったら、数千年間つづいてきた万世一系の伝統は、小泉の息のかかった有識者会議やらによって、紙くずのように捨てられていたはずである。

 小池百合子は、この三大ダメ政治家のアイドル的な存在で、日本新党の細川から新進党・自由党の小沢、自民党の小泉と権力の中枢を渡り歩き、小沢には側近として仕え、小泉の秘蔵っ子となるや郵政民営化法案に反対の小林興起の当選を阻止する刺客(2005年衆議院議員総選挙)≠ニなって東京10区に選挙区替えするありさまだった。
 小池の政治的信条は不明瞭で、たとえば外国人参政権問題では、「(税金を払っている)在日の方々が参政権という形で意見をのべるのは当然(という意見もある)」「在日の皆さまと同時に日本を考える上で大きなモメンタム(時流)である」と肯定的な意見をのべたかと思えば、2016年東京都知事選挙では、風向きを見たのか、外国人地方参政権反対を表明した。
 一方、女性を「子どもを産む機械」にたとえた厚生労働大臣柳澤伯夫の発言(2007年)にたいしては「日本の男性の女性にたいする見方はイスラムの国よりも遅れている」という的外れな極論を吐いている。
 日本の男性が女性に弱く、甘いのは、みずからの体験から十分承知しているはずである。
 テレビキャスター出身の小池は、機を見て敏な臭覚だけで、政治が視聴率と同じレベルにある。
 本質論はどうでもよく、政治という舞台で、刺激的なことばを吐いて視聴率≠稼ぐことができればそれで大成功なのである。
 2009年の衆議院議員総選挙では、公明党の推薦をうける一方、幸福実現党に選挙協力をもとめ、同党の候補擁立(東京10区)を取り下げさせ、その構図が都知事選までひきつがれた。
 公明党はハト派で、幸福実現党はタカ派だが、無節操な小池には、そんなことはどうでもよく、宗教団体もギブアンドテークの集票マシーンでしかない。

 小池ほど政治をなめきった政治家は、政治史上、稀有で、事実、減らず口と女のカンだけで、防衛大臣(第1次安倍内閣/2007年)から東京都知事にまで登りつめた。
 メディアを動員して政治をコントロールする小泉型の劇場政治≠ヘ、大衆迎合の衆愚政治にほかならないが、この政治手法にもとめられるのは、テレビキャスターのセンスで、効果的に大衆の耳目を集めたほうが勝者となる。
 横山ノックや青島幸雄、美濃部美亮吉によって、都政や府政が十年の遅れをとったのは、タレント知事の人気取りのバラマキによって、巨額の財政赤字をつみあげたからだった。
 小池が大臣時代にやったのは、小泉首相から提案されたクール・ビズ(ノーネクタイ・ノージャケット)運動のキャンペーンガール役(環境大臣)と守屋武昌防衛省次官の電撃的解任だけで、守屋解任では、閣議人事検討会議を無視して一部の新聞(毎日)にリークするという非常識な手法をとっている。
 当時、一部から、小池が検察から「空自の次期輸送機CXの搭載エンジンの納入利権をめぐって東京地検特捜部が守屋次官を逮捕を視野にマーク」という情報を得ていたからとささやかれた。
 そうでなければ、就任早々、しかも、その二か月後、理由もなく防衛大臣を辞任する小池が、守屋の後任に警察庁出身の西川官房長をあてる人事を単独で決断できる根拠も必然性もなかったというのである。
 小池が、万が一、検察・警察の情報や助言をもとに防衛省人事をおこなっていたとすれば、政治家失格どころか、国家的犯罪である。
 小池知事は、都発注の入札不正疑惑について、伊豆大島(大島町)の4件の工事で、最大約560万円の積算ミスがあったとして、徹底調査を指示したという(5月11日産経新聞)が、同件を報じているのは同紙だけで、リークが あったのは疑いえない。
 都発注の入札不正疑惑が暴かれれば、都の旧執行部が大きなダメージをうけることになるが、それが、都知事選前なら、小池新党にとって絶好の追い風になるだろう。
 小池が、側近をつとめた小沢一郎から、狡猾さと無節操、悪辣さを学んだのか、それとも、カイロ大学を卒業、中東の狂犬カダフィ大佐と懇意(「日本リビア友好協会会長」)だった小池の独特の政治感覚なのか、いずれにしろ、日本には存在しなかった危険でしたたかな政治家なのである。

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2017年05月25日

 なぜ日本の政治は劣化したのかA

 ●反日マスコミと手をむすぶ日本の野党
 日本には、自民党以外、政党と呼べるような政党が存在しない。
 野党の源流は、もともと、日本共産党にあって、旧社会党は、日本共産党を除名された連中の溜り場だった。
 社会・共産が育てた労組や日教組をバックにしているのが旧民主党で、注目されている反自民の「民共共闘」は、戦術ではなく、共産党への先祖返り≠ネのである。
「自衛隊は人殺し集団」「防衛費は人を殺すための予算」(日本共産党)
「自衛隊は暴力装置」(旧民主党官房長官/仙石由人)
「自衛隊の装備を一部中国から調達したほうが低コスト」(民進党代表/蓮舫)
 などの発言の裏にあるのは、日本の武装解除で、日本共産党も、中国共産党と仲直りをした不破体制(1998年〜)以降、いまなお、連日、宣伝カーで「憲法9条をまもろう」と訴えている。
 日本の野党は、日本の国家防衛ではなく、中国がもとめてやまない防衛力の放棄を党是≠ニしているのである。
 これは、日本の野党が親中派であることの宣言にほかならない。
 親中派のきわめつきは民主党の小沢訪中団(2009年)だろう。
 民主党議員143名を率いた小沢一郎名誉団長(民主党幹事長)は、民主党を人民解放軍になぞらえて、胡錦濤国家主席に「日本では解放の戦いは済んでいない。わたし(小沢一郎)は(人民解放軍の)軍司令官として頑張っている」とへりくだり、「一人ひとりに握手までしていただいて」と胡主席にペコペコと頭を下げた。
 この朝貢外交によって、民主党は、以後、自壊へとつきすすんでいった。
 売国奴に政権をあたえつづけるほど日本人は愚かではなかったのである。

 野党の源流である日本共産党は、北方領土返還に全千島列島をふくめていることからもわかるように、ナショナリズムをそなえたマルクス主義政党で、宮本顕治体制(1958〜1997年)時代には、ソ連や中国、北朝鮮の工作員がすべて追放された。
 それが社会党のほか、過激派(反代々木系)や左翼・反日市民団体へ流れていったのが六全協(1955年)以降で、追放組の共通点は、中・ソ・朝の工作員政党(グループ)という点にある。
 共産党の国防政策が「非同盟中立」だったのにたいして、社会党が「非武装中立」を立てたのは、ソ連や中国の侵略に抵抗しないという意思表示で、日本の絶対平和主義は、工作員政党の隠れ蓑だったのである。
 ところが、ソ連が崩壊にむかった1980年代の末頃、日本共産党が護憲へ立場を変えた。
 いまでこそ日本共産党は「憲法9条は世界の宝」としているが、昭和21年の衆議院本会議で「戦力不保持・交戦権の否認」を謳った憲法9条に最後まで反対したのが日本共産党(野坂参三・徳田球一)だった。
 日本共産党の重鎮上田耕一郎も著書(『民主連合政府で日本はこうなる』1974年)で、憲法改正と軍隊(人民軍)の保持を明確に謳っている。
 共産党が9条護持に回ったのは、ソ連が消滅して、中国がまだ非力だった当時、駐留米軍+自衛隊が共産主義革命の最大の妨害になるからで、仙石ふうにいうなら「自衛隊は(反革命の)暴力装置」だったのである。
 共産党にとって、人民防衛軍は必要だが、自衛隊では都合がわるく、中国の属国になって、飼い犬の平和を享受しようという民進党や護憲派にとって、有事に中共軍と戦うことになる自衛隊がジャマなのである。

 日本の野党には、反日という工作員の思想≠ェ宿っている。
 そんな政党や集団が、日本の政治をうごかすことができたのは、マスコミと二人三脚を組んできたからである。
 権力批判のマスコミと野党が手をむすべば、そのパワーが二倍にも三倍にもなる。
 その仕組みを拝借したのが、今夏の都知事選で大勝を予想される小池百合子の「都民ファーストの会」だが、そのテーマは、次回にのべるとして、野党とマスコミの癒着構造について、もうすこしみていこう。
 衆愚政治の主役となるマスコミが、政変に加担したケースが、民主党政権の誕生や「自民党をぶっつぶす」の小泉改革だった。
 民主党政権の誕生前夜、マスコミ総がかりによる反自民キャンペーン≠ヘ凄まじいものがあり、麻生首相の漢字読み違え(未曾有)が、連日、テレビで延々と報じられた。
 小泉改革は、日本のアメリカ化で、新自由主義の導入から皇室典範の改悪まで、マスコミは無批判的に小泉流をPRしつづけた。
 マスコミの大衆操作には絶大なものがあり、かつて、朝日新聞は、ポーツマス講和条約に不満な民衆を煽って、日比谷焼打事件までひきおこしている。
「北朝鮮は天国」の記事に騙されて北朝鮮へ渡った10万人の人々が、極貧と差別、奴隷労働と強制収容所に苦しみ、日本への帰国が許されなかった悲劇はいまも語り草になっているが、教科書問題や従軍慰安婦、南京大虐殺の誤報も、朝日新聞が展開した革命運動の一つで、60年安保騒動では、安保反対のアジテーターとなった。
 都議選を前に、失言問題や森友学園を執拗に追求して、安倍首相や自民党の足をひっぱるマスコミの小池百合子礼賛には目に余るものがある。
 だが、その小池ブームに翳りがみえないでもない。
 マスコミに踊らされる一方だった国民(都民)がマスコミ報道に疑いの目をむけはじめたのである。
 都議選は、マスコミとタッグを組んだ小池新党と、地道に都政を築き上げてきた都連自民党の一騎打ちとなるのである。
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2017年05月22日

 なぜ日本の政治は劣化したのか@

 ●日本の政界から大人物が消えた悲劇
 昨今、政治家の劣化がいちじるしい。
 中川俊直衆院議員が愛人とトラブルの末、警察のストーカー・リストに登録されるなどの不祥事をひきおこして、経済産業大臣政務官を辞任した。
 同議員は、妻子がいながら同愛人と重婚ウエディング≠ワでやってのけたハレンチな男で、こんな人物が政務官の肩書きをひっさげて日本の経済産業の行政責任を担っていたこと自体、心胆を寒からしめるのに十分なものがある。
 中川と同じ二回当選の宮崎謙介前衆院議員も、昨年、妻(金子恵美衆院議員/自民)の出産直前に不倫をスクープされ、議員を辞職している。
 議員2回生のスキャンダルはそれだけではない。
 豪雨被害視察のため訪れた岩手県で、おんぶされて水たまりを渡り、批判をうけると長靴業界の宣伝になった≠ニ軽口を叩いて復興大臣政務官の要職を棒にふった務台俊介衆院議員、公開株の購入を持ちかけて金銭トラブルをひきおこして離党した武藤貴也衆院議員ら2回生議員には、政治家の資格が疑われる者が目白押しなのだ。
 自民党の衆院2回生は107人で、党全体の3分の1以上を占める。
 民主党崩壊の余波にのって当選してきただけに、次期選挙では、民進+共産統一候補の前に三分の一が当選おぼつかないという。
 政治家の資質を問われているのは新人ばかりではない。
 復興大臣だった今村雅弘衆院議員が「原発事故の避難者が帰郷できないのは本人の責任」と発言して被災者の怒りを買った3週間後、こんどは、東日本大地震が東北だったからよかった≠ニ口走って、安倍首相が陳謝、これが事実上の罷免となった。

 政治が劣化した原因は、自民党にかんしていえば、3つあるだろう。
 一つは、政治改革(1994年)で、二つ目が公明党との選挙協力、三つめが議員の人間的な未熟さである。
 小沢が主導した政治改革の目玉は「小選挙区(比例代表並立制)」への移行と政党交付金の新設で、この二つの改革によって自民党の派閥政治がほぼ完全に崩壊した。
 日本の保守政治家は、自民党の派閥が育ててきたといってよい。
 中選挙区制時代の自民党は、派閥組織で、選挙区において競合する自民党の候補者は、それぞれ派閥の領袖から支援を受けてきた。
 自民党の公認候補は、中選挙区制では最大で5人になるが、候補者は、5大派閥(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)に属して、選挙をたたかった。
 一方、派閥の領袖は、自派候補者の公認を獲得して、選挙資金や役職の世話をする代わりに総裁選挙の支持をもとめた。
 同一選挙区で複数が競合する中選挙区では、自民党候補者は、選挙区でライバルとの戦いに勝たねばならず、議員になっても、一頭地を抜いて、領袖から信頼をえなければ大臣などの要職につくことができなかった。
 派閥は、親分子分の関係だが、この仕組みが議員の力量や人格を鍛えるのに役立っていたのである。
 ところが、政治改革によって導入された小選挙区比例代表並立制や政治資金規正法の改正、政党助成法の導入によって、自由民主党の組織や行動様式ががらりと変わった。
 1選挙区から3〜5人の議員を選出する中選挙区制度では、候補者の調整から選挙資金の調達まで、派閥が大きな役割をはたした。
 だが、党員同士の競合がない小選挙区や各党が得票に応じて議席を得る比例代表制では、選挙の中心が政治資金を集配する党本部や総裁に移って、派閥が形骸化してゆく。
 中選挙区制においては、党の公認が得られなかった保守系の無所属候補者でも、当選すれば、自民党に入ることを許された。
 ところが、小選挙区制では、公認を得ずに出馬すること自体が不可能になる。
 公認をえずに立候補することが党にたいする裏切り行為で、また、公認がなければ1人区での当選がおぼつかない。
 これを最大限に利用したのが小泉劇場≠セった。
 小泉は郵政国会で、郵政民営化法案を成立させると公言し、法案不成立の場合、衆議院を解散して総選挙をおこなうと明言した。
 それが現実のものとなったのが、自由・公明が圧勝した郵政選挙(2005年)だった。
 このとき、小泉は、郵政民営化法案に反対した自民党の衆院議員を自民党として公認せず、郵政民営化賛成派候補を擁立した。
 犠牲となった一人が郵政民営化に反対の小林興起で、小泉は、選挙区(東京10区)に自民党公認候補として小池百合子を刺客≠ニしてさしむけて小林を葬った。
 この郵政選挙で、自民党は大勝利を収め、党の公認から外された多くの有力議員が議席を失い、アマチュアの代議士が大挙して国会の赤絨毯をふんだ。
 これが選挙の大勝にともなってうまれるチルドレン議員≠フはじまりである。
 小泉チルドレンにつづいて出現したのが小沢チルドレン、前出の不祥事連発の安倍チルドレン、そして、7月2日投開票の都議選では「都民ファーストの会」の小池チルドレンの大躍進が予想されている。
 もっとも、小池百合子自身が勝ち馬にのったチルドレン議員の優等生ということができる。
 細川護熙(日本新党)や小沢一郎(新進党)に擦り寄り、小泉潤一郎の信頼をえて初入閣(環境大臣)し、谷垣総裁の下では、女性が初となる党三役(総務会長)に就任、第1次安倍内閣では内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)に任命された。
 そして、都知事選では、小池ブームを演出して、自民党候補を一蹴した。
 小池は、夏の都議選で「小池新党」の候補を大量擁立して都議会のドン≠アと内田茂都議率いる都議会自民党を壊滅状態に追い込む決意だ。
 次回は権力操作だけでのしあがってきた小池パフォーマンスの危うさにふれよう

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2017年05月10日

 北朝鮮危機と米中の新時代C

 ●ビッグ4(日・米・中・ロ)の新時代が幕開け
 かつて、日本は、米・中・ロを相手に大東亜戦争をたたかった。
 このときの欧米とりわけアメリカの日本にたいする敵愾心は尋常なものではなかった。
 人類史上、最悪の大量虐殺である原爆投下が、ルーズベルト、トルーマンという二人の大統領によって計画され、実行に移されたことからも、アメリカの日本にたいする憎悪の深さが測れよう。
 その理由の一つに、アジアの東端、太平洋の西端に位置する日本の地政学的な特殊性をあげることができる。
 アメリカにとって、日本は、太平洋の権益を争うライバルで、中国進出への最大の妨害者だった。
 ロシアや中国にとっても、日本列島は、太平洋進出を妨げる障害である。
 一方、海洋国家である日本は、海を隔てて隣接する中・朝や海路をとおして東南アジアや西太平洋に大きな影響力をもちうる。
 それが大東亜・日米戦争の原因で、日本は、第一次大戦後、西太平洋を支配下におさめ、満州国を建国後、支那で主導権を握り、東南アジアからインドにまで手をのばしつつあった。
 これに猛烈な嫉妬心を燃やしたのがルーズベルトで、石油の禁輸を軸とする「ABCD包囲網」をつくりあげ、蒋介石やスターリンに接近して、日本壊滅戦争を画策する。
 真珠湾攻撃以前に中国から日本への都市を空襲しようとした「フライイングタイガー作戦」や日本から開戦以外の選択肢を奪った「ハルノート」はルーズベルトの謀略で、米議会は、戦後まで、この事実を知らされていなかった。

 日本は、中国を侵略したされるが、辛亥革命(1911年)で清朝を倒した孫文や後を継いだ袁世凱の死後、支那は、軍閥内戦、国民党内戦、国共内戦が熾烈をきわめる内乱状態にあった。
 北洋軍閥(北京政府)や南方革命派(広東政府)の攻防のほか各省で軍閥や匪賊が争うなか、台頭してきたのがコミンテルンの支援をうけた毛沢東らの共産勢力で、これが現在の北京政府にひきつがれた。
 日本は、孫文の二人の後継者のうち、親米派の蒋介石(重慶政府)ではなく親日派の汪兆銘(南京政府)を支援して、軍事介入する。
 その背景にあったのが、列強を排して、アジアの独立自営をめざす大東亜共栄思想だった。
 日本が石油の禁輸に苦しむのも、アジア全域の貧困も、列強の掠奪や圧力によるものだが、アジアには、日本をふくめて、アジア全体を豊かにする資源や生産能力、文明がそなわっている。
 この考え方がアジア主義で、のちのアジア独立運動につながっていく。
 植民地解放や独立には、武力闘争以外に方法がないが、武士の国だった日本には、アジア解放を実現できるゼロ戦や戦艦大和の技術力と神風特攻隊の戦意があった。
 東南アジアの人々は、日本人の勇気と智恵に学んで、独立を勝ち取ったのである。

 現在も、当時の地政学的、文明的な条件は、当時と変わってはいない。
 変わったのは、日・米・中・ロの力関係だけで、中国の躍進に貢献したアメリカが、中国革命と米ソ冷戦、朝鮮戦争ののち、手の平を返して、日本と同盟関係(日米安保条約)をむすんだ。
 この軍事同盟は、日米のみならず、アジアの安定にも有効で、日米安保がなかったら、アメリカは米ソ冷戦に勝つことができず、中国の覇権主義に歯止めをかけることができなかったろう。
 日本の地政学的ポジションと国家的なプレゼンスは、敵に回すと脅威である一方、味方にすれば大きな戦力になる性質のもので、日米安保は、アメリカにとって世界戦略の重要な要になっている。
 かといって、日米関係が、米英関係のような強固な盟友関係になりうるかといえば、かならずしもそうではない。
 ニクソン大統領の訪中準備のために訪中したキッシンジャー大統領特別補佐官は、中国の周恩来首相(1971年)との極秘会談で、「日米安保条約は日本の軍事大国化を防ぐためのものという瓶のふた論≠展開した。
 このときキッシンジャーは「日本が再軍備拡張計画をすすめるなら伝統的な米中関係が再びものをいうだろう」とも発言している。
 この発言の意味するところは、日米安保条約は便宜上のもので、アメリカにとって、中国こそがアジアの盟友だという宣言で、それが伝統というのである。
 公開されたキッシンジャーの発言は、日本に衝撃をあたえたが、大きな示唆をふくんでもいる。
 それは、アメリカを敵に回してはならないということである。
 中国やロシアにたいしても同様で、日本が戦争にふみきれば、米・ロ・中が一丸となって襲いかかってくる。
 日本を属国化することのメリットがはかりしれないからで、日米安保条約が失効したら、尖閣列島・沖縄海域の南シナ海化≠ェ目に見えている。
 日本にとって、アメリカを盟友にしてロシア・中国を牽制するのがもっともすぐれた戦略で、他の選択肢はない。
 安倍首相が、1項と2項を残したまま、憲法9条に自衛隊の存在を明記する提案(3項)をおこなったという。
「戦力不保持」「交戦権の否定」(二項)は自衛隊明記との整合性を欠き、国家主権の否定につながるので論外だが、「戦争放棄」(一項)については、残したままでよい。
 その代わりに「日本国政府は国民の生命と領土をまもる無制限の権利をもつ」という一項(4項で)を追加すべきだろう。
 無制限のなかに核報復≠ェふくまれるのはいうまでもない。
 日本には戦争という選択肢はないが、報復までを放棄したわけではない。
 戦争を放棄するが、報復戦力に制限がないとすれば、、平和主義と戦力保持のあいだに矛盾が生じない。
 日本が核をもったとき、ビッグ4(日・米・中・ロ)の新時代が幕開けするのである。

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2017年05月08日

 北朝鮮危機と米中関係B

 ●歴史が教える「朝鮮半島は疫病神」
 原子力空母カール・ビンソン率いる米海軍の攻撃空母群が朝鮮半島海域から離れるのがいまや時間の問題になりつつある。
 理由は三つある。
 一つは、北朝鮮攻撃に中国の同意がえられなかったことで、アメリカ主導で金正恩の打倒と朝鮮半島の再編という事態になれば、決定的に国益をそこねる中国が、米攻撃空母群出撃に待ったをかけたのである。
 二つ目は、ソウルを中心に数百万に被害が及ぶと予想される北朝鮮の反撃に韓国側が耐えられそうにないことで、従軍慰安婦問題を蒸し返すことしか頭にない韓国政府には、北朝鮮と事を構える士気も準備もそなわっていない。
 三つ目はロシアの圧力で、プーチンと電話会談したのち、トランプの口から威勢のよいことばが聞かれなくなった。
 トランプは、プーチンとの電話会談の直前、安倍首相と綿密な打ち合わせをおこなっている。安倍首相とプーチンは意志の疎通ができている。シリア攻撃で溝ができたトランプとプーチンのあいだに安倍首相が入って落としどころをさぐったというのが事実に近いだろう。
 習近平もジレンマに陥っている。
 中朝関係は、中国寄りだった北朝鮮の張成沢(国防委員会副委員長)の処刑以来、急速に悪化、習近平・トランプ会談以降、無煙炭の輸入や石油の輸出が制限されたほか、現在、経済支援が完全にストップしている。
 北朝鮮の国営メディアは、これまで数回、中国を名指しで批判している。
 これにたいして、人民日報系のメディアも「中国が(北朝鮮のために)戦う必要はない(王洪光/元南京軍区の副司令官)」と報じるなど、中国と北朝鮮の同盟関係は、いまや、崩壊の危機にある。

 中国は、北朝鮮という同盟国の造反と朝鮮半島へのアメリカの介入、北朝鮮へのロシアの接近という三つの難問に直面している。
 いちばん頭を悩ませているのはロシアの北朝鮮への接近だろう。
 ロ朝間では、すでに総事業費約250億ドル(約2兆9000億円)規模の鉄道整備・改修計画が合意済みで、ウラジオストクと羅先(北朝鮮北東部)をむすぶ定期航路も開設された。
 北朝鮮は、国内の金やレアメタル(希少金属)などの開発権益をロシア側に提供して、これを工事代金に充てるという。
 その先にあるのは租借地(港)の獲得と国家の死命を制する石油をもちいたロシアの飼い殺し外交≠ナ、羅先港は、租借化を視野に入れたロシアが建設したようなものである。
 朝鮮は、昔から支那にくっつきロシアにくっついて生きのびてきた事大主義の国で、日本が日清戦争で清国から独立させても、こんどはロシアになびいて日露戦争の原因をつくるという厄介きわまりない国である。
 併合して、アジアの最貧国から日本並みに豊かにしてやると「侵略された」「怨み千年」などとたわ言を並べ、米韓従軍慰安婦やベトナム戦争の組織的な強姦略奪を棚に上げ、日本へのいやがらせのため、従軍慰安婦像を建てまくるというクレージーな民族でもある。
 ロシアもそのクレージーさに手を焼いて一時疎遠になったが、最近、距離を縮めたのは、米・中接近にくさびを打ちこみ、地政学的な得点をえようという腹積もりからである。

 北朝鮮が原爆の小型化と大陸間弾道弾(ICBM)を完成させると米大陸のほか、北京やモスクワまでが射程内にはいって、一存で世界を震え上がらせてみせるという金正恩の妄想が実現することになる。
 米・中・ロが小競り合いをしている北朝鮮情勢のなかで、カギを握っているのがロシアである。
 中国が石油をとめても、ロシアがタンカーを羅先港に送り込めば、北朝鮮はかんたんに寝返る。
 事大主義の朝鮮人は、国家的権益や租借地の提供に抵抗をかんじない民族なので、北朝鮮がロシアの手の内に落ちるのは、時間の問題だろう。
 中国とロシアは蜜月関係にあるかのように見える。
 ところが、国境問題は例外で、かつてのダマンスキー島事件や新疆ウイグル自治区の軍事衝突(1969年)は、一時、全面戦争の危機に発展した。
 そして、現在は、中央アジアが火種で、最近、中国が提案した中央アジアの「反テロ協調体制」から外されたロシアの反発には根深いものがある。
 米・ロ・中が朝鮮半島情勢をめぐってそれぞれ微妙な立場に立っているわけだが、かつての宗主国日本は、静観の構えである。
 朝鮮民族の狂気を知っているからで、巨大な空母で威嚇すれば震え上がると読んだトランプは単細胞すぎたのである。
 懸念されるのは、中ロ紛争で、原因となりうる一つに北朝鮮がロシアに譲渡した鉱産資源の開発権益がある。
 北朝鮮には、中国との国境付近に、埋蔵量が東アジア最大級の茂山鉄鉱山や世界一のタングステン鉱脈のほか、亜鉛や銅、金鉱山までがうなっている。
 これまで中国は、電力や食料などの経済援助の見返りに同地帯の鉱産資源の権益を一手に握ってきた。
 北朝鮮がこの鉱産権益をロシアに譲渡すれば、どういう事態になるか。
 ロシア軍と中国軍が国境付近で悶着をおこす可能性すら生じかねない。
 朝鮮半島に首をつっこむとろくなことにならないのである。

posted by office YM at 10:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする