2019年01月18日

「天皇の地位」D

 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」D
 古来、天皇の地位は、神域にあった。
 神域は、世俗をこえた領域にあるもので、神道の中心的な概念である。
 注連縄や拍手、紙垂や榊は、俗世と神域を隔てる象徴で、この象徴の向こう側が神域で、こちら側が俗世である。
 神道の用語では、現世(うつしよ)と常世(とこよ)である。
 現世と常世の二元論が日本神話や神道の世界観で、この世は、生活の場面である現世と現実や日常、現在性をこえた常世からできている。
 常世は、隠世・幽世(かくりよ)ともいって、神性をおびた無意識の領域である。
 一方、現世は意識界で、祭祀をとおして、現世をとびこえ、常世へ接近する。
 大嘗祭では、新天皇が天神地祇に新穀を供え、常世の皇祖皇宗と一体化して歴史上の存在となられる。
 御身は現世にあっても、皇統は常世のもので、万世一系のご身分が、歴史のなかに用意された玉座にお座りになって、神格をそなえた存在となられるのである。
 現世の事々は、祭祀をとおして、常世=永遠のものとなる。
 日本人が、天皇を「神のようなひと」と見るのは、元々、現世と常世という二つの視点をもっているからで、それが、日本の伝統宗教である神道の本質といえよう。
 祭ることによって、物事が神性をおびるのは、物事は、元々、聖俗二面性をもっているからで、そのきりかえが、神道の祈り=浄めである。
 神道では、常世と現世は、隣り合っているが、かんたんにのりこえることはできない。
 現世と常世は、表裏の関係にあるからで、のりこえるには、じぶんを常世になげだして、いわば、無の存在にならなければならない。
 それが神道の祈り=祭祀で、祭祀では、なにかを願ってはならない。
 神道では、すでに、願いが発せられているからである。
 それが、高天原信仰であり、天照大神と豊受大神がこの世の繁栄を約束した「幽契(かくれたるちぎり)」である。
 高天原も神域で、この世は、その高天原と「不老不死」や「神仙境」「穀霊」から「黄泉国」までをふくむ常世に重層的にささえられているのである。

 神道には、教義や経典、戒律もない。
 神道は、生活そのもので、存在するのは、生命や身体、日々の糧などの物質的にして即物的なものだけである。
 生きているのは、神とともにあるということで、それが神道の宗教観である。
 カミという絶対的な存在にたいしてできるのは、浄めと自然崇拝だけである。
 その浄めの頂点にあるのが祭祀で、人格神の下にある創唱宗教ではない神道には、神のことばを借りて、ひとを惑わす言挙げなどしない。
 神道は、多神教で、アニミズム(万物霊)やシャーマニズム(神霊交流)という縄文の遺伝子をひきついでいる。
 したがって、言語や論理、価値基準などから切り離されている。
 日本に善悪や正邪の基準や仁義礼智の教えがないのは、人格神がいなかったからである。
 いたら、理屈やこじつけ、ウソがまかりとおって、日本神話にみえる正直さはなかったろう。
 日本の神話には、神さまらしくない神さまが大勢登場してくる。
 性的にも奔放で「汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて国土を生み成さむ」というイザナギ、イザナミの国づくり神話のほか、古事記には、性的な表現がすくなくない。
 現実は、身体や生命が活動する「生活の場」であって、観念や精神をとおしてあらわれる空想ではない。
 神道には、精神がなく、あるのは生活だけである。
 その生活が、裏と表のように、常世や現世に分かれている。
 神道以外の他の宗教には、常世や現世という考え方はない。
 あるのは、天国や涅槃、死後という観念の世界だけである。
 一神教の人々は、精神界を生きるので、現実も、観念的なものになる。
 そこに苦悩の源泉があるのだが、一神教は、だからこそ、神の救済が必要という。
 精神や観念は、ことばや意味、論理の世界で、一元論である。
 一方、日本は、多元論の国で、中江兆民が、詩歌や文学にはすぐれたものがあるのに、哲学や論理にみるべきものがないと嘆いたものである。
 神道に観念論がないのは、元々、自然崇拝だったからで、自然界に精神などというものは存在しない。
 存在するのは、八百万の神々だけで、唯一神も存在しない。
 唯一神は一元論で、ことばも、神のたまわりものなので、一元論である。
 言挙げしない神道は、多元論で、一元的な価値や意味、法則をもたない。
 われわれは、一元論に狎れているので、観念をとおして、世界をながめがちである。
 その世界も、先入観を捨てて、無心で見直すと、ちがった風景へ反転する。
 それが常世で、なにかを無心で見直すことが、祈り=祭祀である。
 挨拶からことば遣い、習慣や習俗、考え方にいたるまで、これらを祖先からうけついできた日本人は、だれもが神道的な心根をもっている。
 聖徳太子の「和の心」も神道的多元論で、聖徳太子は、同時に10人の話を聞いたという。
 多元論は、なにか一つをつきつめて考える一元論からみると、無や空という別天地につうじる。
 神道に死や苦悩、悲嘆がないのは、多元論だからで、悪しきことは、すべて考えという一元論から生じる。
 日本人は、太古の昔から、祈りをとおして、一元論の現世から多元論の常世へ移って、心を浄めてきたのである。
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2019年01月11日

「天皇の地位」C

 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」C
 われわれは、唯心論と唯物論の二つの世界を生きている。
 唯物論は目に映る物質の世界で、唯心論は、目に見えない心の世界である。
 物心二元論といってもよいが、この両眼性が、日本人の国家観といえる。
 国家を、実体としての政体、属性としての国体に分けて、両眼でながめるのである。
 といっても、属性としての国体が、モノとして、どこかに存在するわけではない。
 国家が物的な存在なら、国体は心的な存在で、日本人は、歴史や伝統、文化や習俗などの文化概念をもって、これを国体とする。
 それが伝統国家の国民性で、日本人は、天皇を神として敬う唯心論と天皇を一人の人間としてみる唯物論の両方の視点を併せもっているのである。
 政体と国体と同様、権威と権力も二元論で、二元論に立たなければ、国家や権力構造の本当のすがたをとらえることはできない。
 二元論において、世界は、物中心の唯物論と心中心の唯心論から成り立っている。
 したがって、二元論をわきまえなければ、物事の表層しか見えない。
 われわれが、国家や権力の本質を見失うのは、一元論的にみるからである。
 戦前の国体は敗戦で消え、戦後、天皇に代わって、アメリカが新しい国体になったという論説や、古くは、天皇なきナショナリズムや憲法を新しい国体とする新保守主義がもちあげられた。
 これらの言説が的外れなのは、一元論に立っているからである。
 一元論は唯物論で、マルクス主義を挙げるまでもない
 唯物論に立つと、物質や現象、利害以外のものが見えなくなる。
 天皇や国体は、唯物論的なモノやかたちではなく、かたちのない唯心論である。
 したがって、目で見ることはできない。
 唯物論では、天皇や国体の本質は、見えてこないのである。
 天皇は唯心論の存在で、日本人の神道的世界観は、唯心論に拠って立つ。
 多神教や自然崇拝が唯心論で、心にもっとも深く根を下ろしている日本人の宗教心は、高天原信仰=神道といえるだろう。
 天皇主権が、戦後、アメリカ主権におきかえられたように見えるのは、一元論=唯物論に立つからである。
 しかし、天皇をささえてきたのは、神話や歴史、民族性にもとづく唯心論であって、制度や仕組み、機関のような一元論的な唯物論ではなかった。

 キリスト教やイスラム教などの一神教も唯物論である。
 かつて、ヨーロッパも多神教で、ギリシャ神話と日本の神話には、類似性が少なくない。
 ところが、一神教=キリスト教によって、唯心論がヨーロッパから一掃された。
 宗教だから唯心論と思うのは錯覚で、一元論である一神教は唯物論の原型となった。
 神の代わりに合理主義や科学、ことばがおかれて、それらが絶対化されたのである。
 それがロゴス主義で、世界の神的な秩序には、合理主義や科学からことばや理性、真理や論理、王権までがふくまれる。
 王権神授説も、キリスト教的な一元論で、キリスト教によって、唯心論的な宗教が失われて、神までが唯物的になった。
 神が科学や合理主義に入れ替わって、ロゴス主義から、ついに、革命国家がうまれて、西洋は、丸ごと、唯物論となった。
 西洋をとおして日本をみても、わからないのは、西洋の革命国家が唯物論に立っているからである。
 歴史や伝統、文化などの唯心論を断ち切ったからで、革命国家が信奉するのは、合理主義と科学、論理(イデオロギー)だけである。
 アメリカやロシア、中国は、革命国家で、そこで、資本主義がさかえているのは、資本主義もまた革命をうみだした唯物論だったからである。
 一神教が唯物論となるのは、キリスト教は、神との契約だからである。
 祈るのも、神との契約を確認することで、モーゼの十戒も、1から4までは神との契約である。
 一神教の西洋の祈りが契約となるのは、祈る対象が人格神だからである。
 これは、日本人の宗教観にはないもので、日本人の拝む対象は、人格をもたない自然神である。
 しかも、多神教で、アニミズム(万物霊)やシャーマニズム(神霊交流)という縄文の遺伝子をひきついでいる。
 宗教といっても、西洋と日本では、性格が百八十度ちがうのである。
 西洋の神は唯物論的なフィクションだが、日本の神は、唯心論的に実在する。
 神話や至高の理想としての高天原は、日本人にとって、心のなかに実在するもので、そこに、天皇の地位の問題がかかわっている。
 次回は、天皇の地位が、いかに、日本人の宗教観や歴史観、国体観に深く根ざしているかをみていこう。
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2019年01月04日

「天皇の地位」B

 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」B
 秋篠宮殿下のご発言が、3つの意味合いで、大きな波紋を呼んだ。
 1つは、皇位継承にともなう大嘗祭の公費支出について疑問を示されたことである。
「宗教色のつよいもので、国費で賄うことが適当かどうか」「わたしはやはり内廷会計でおこなうべきだと思っています」「身の丈にあった儀式にすれば」などの一連のご発言がそれである。
 秋篠宮殿下のご発言が皇室を敬愛する多くの日本人とりわけ保守系の心胆を寒からしめたのは、大嘗祭などの宮中祭祀を矮小化して、天皇家の私事としたからである。
 宮中祭祀は、天皇家の私事ではなく、国民国家とりわけ国体に付属するもので、平成の大嘗祭にも、公費(宮廷費)が充てられて、憲法上の疑義を生じることはなかった。
 新天皇が五穀豊穣を祈る大嘗祭は、農耕民族である日本人にとって、重大な儀式で、伝統国家の国家的祭祀として、すでに、国民的合意をえている。
 宮中祭祀を皇室の私事とするのは、独善で、杓子定規な憲法解釈にもとづくものだろう。
 昭和22年、GHQの神道指令によって、皇室祭祀令が廃止された。
 神道指令は、52年講和条約発効とともに失効したが、これが日本国憲法にひきつがれて、現在に残っている。
 左翼や憲法学者が宮中祭祀を「天皇の私的儀式」と解釈するようになったのは、GHQが日本に滞在した7年間のあいだにおきた出来事で、これを数千年の神道祭祀の伝統に比することはできない。
 もともと、大嘗祭は、古来、皇位継承に伴う大切な伝統的儀式であり続けてきたという揺るぎない事実がある。
 戦後、新憲法下のもとで、宮中祭祀が天皇家の私事としておこなわれるようになったが、宮中祭祀は、かつての皇室祭祀令にもとづいておこなわれ、予算も皇室の内廷費によって処理されている。
 数千年の歴史は継承されているのである。
 政府は、憲法それ自体が皇位の世襲継承を要請しているかぎり、その継承にともなう伝統儀式の執行には公的責任を負うという判断に立つ。
 その立場から前回も公費を支出し、今回もそれを踏襲しようというのである。
 秋篠宮殿下の公費支出にかかるご異議には疑問が残るのである。

 もう一つの問題発言は、「身の丈にあった儀式」という表現である。
 宮中祭祀を憲法に規定された天皇家の私的な行事としたのが、身の丈という表現で、宮中祭祀が、日本古来の伝統ではなく、憲法に規定された法的行為になっているのである。
「身の丈にあった」という表現では、今上天皇の大嘗祭が「身の丈を越えた」ものであったかのような印象をあたえかねず、不穏当に響く。
 秋篠宮が、大嘗祭の費用は、国家ではなく、皇室が負担すべきものだと主張するのは、憲法原理主義に立っているからと思われる。
 そもそも、憲法が規定する戦後の民主化改革(神道指令)は、天皇や皇族を神道の神官とする国家神道の解体で、国家祭祀を天皇家の私的行事にすることにあった。
 しかし、これまで、この憲法の規定は、歴史的解釈によって、曖昧にされたまま、宗教性が明らかな大嘗祭でさえ、公的性格をもつとして、国費によって賄われてきた。
 秋篠宮殿下が指摘したのは、この矛盾で、殿下は、伝統よりも、戦後憲法を重んじられたのである。

 3つ目は、公人と私人の区別で、秋篠宮殿下は、今回、私人としての人格をあらわにされた。
 大嘗祭の在り方について、「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、聞く耳を持たなかった」などの発言をくり返された。
 宮内庁の山本信一郎長官にたいして「聞く耳を持たなかった」と非難されたのは、公人の品位を捨てた個人もしくは私人のもので、殿下の品位のためには望ましいことではなかった。
 宮内庁長官は大嘗祭費用の出どころを決定するような国政事項に関与すべき立場にはなく、政府の一員として、その方針に従っているに過ぎない。
 秋篠宮殿下は、大嘗祭を「内廷会計(内廷費)」で賄うべきだともおっしゃられた。
 だが、内廷費は、皇室経済法施行法で規定された定額が毎年、国庫から支出されており、その額はわずか3億2400万円に過ぎない。 
 この金額のどこから大嘗祭の費用を工面できるとお考えなのであろうか。
 秋篠宮殿下のご発言には乱脈がみられる。
 帝王学においては、私心をおさえることを第一義とする。
 私心をだすと敵をつくるからで、権威は、敵をつくらないことからうまれる。
 皇室には、今上天皇の皇太子(明仁親王)時代、帝王学を説いた小泉信三のような教育者が不在で、皇族をとりまいているのは、天下り官僚ばかりである。
 皇室は宮内庁の人材払底という内なる危機にもさらされているのである。

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2018年12月27日

「天皇の地位」A

 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」A
 前大戦で、日本は、連合国に降伏して、敗戦国になった。
 たちまち、国体が危機に瀕した。
 国体は、国家を建造物とするなら、設計図のようなものである。
 歴史や伝統、文化などが国体で、国家は、国体の上に成り立っている。
 したがって、国体という設計図が失われると国家という建造物が瓦解する。
 葦津珍彦は、国体を体質といった。
 国家が実体のある身体なら、国体は、目に見えない体質というのである。
 国体も体質も、目に見えなくても、根底で、国家や身体性をささえている。
 国体の危機というのは、国家という実体ではなく、設計図がおびやかされることで、戦後、伝統的な価値観や国民的信条、歴史観が、GHQの思想改造にさらされた。
 なかでも、衝撃的だったのが、天皇の人間宣言であった。
 1946年1月1日の詔勅のなかで、天皇は、みずからの神格を否定された。
 この詔書は、国家神道を廃止した神道指令につづいて、天皇にたいする思想改革をはかったもので、GHQの民間情報教育局が中心となって、宮内省関係者や幣原首相らが関与、天皇の発意で、五箇条の誓文がくわえられた。
 天皇の人間宣言によって、日本人は、大きなショックをうけたであろうか。
 否で、日本人は、天皇が人間宣言されても、動揺することがなかった。
 国民は、明治維新が捏造した現人神など信じていなかったのである。
 それでは、日本人は、なにをもって、天皇への敬意と敬愛の根拠としたのであろうか。
 私心を有さない天皇の公的な存在にたいしてである。
 日本では、私心をもたないことが、尊敬の対象で、権威となる。
 GHQ民間情報教育局は、天皇が現人神ではないことを日本人に教えるために、ダーウインの進化論をテキストにしようとしたという。
 だが、日本人は、天皇が神であるなどと思っていなかった。
 人間であると知っていて、それでもなお、天皇の神性を信じた。
 天皇は、無私の存在で、天皇の宗教である神道も、天皇の祈りである祭祀も無私という神聖なる地平にある。
 日本の精神風土において、無私は、神域にあって、たとえば、偉人は死して祀られて神になる。
 死ぬことによって、私心が消滅して、神的な存在となるという神道的な哲学なのである。

 無私ということは、公ということで、日本では、私的なものと公的なものがはっきりと区別される。
 区別されるのは、公と私だけではない。
 国体と国家、設計図と建造物、抽象と具体も表裏の関係で、二元論である。
 天皇の神性はこの二元論からでてくる。
 かつて昭和天皇は、大元帥として、軍服を召されて、軍馬に跨れた。
 だが、それは、世俗的権力を有する天皇陛下であって、歴史上の存在である天皇ではなかった。
 天皇陛下は個人でもあって、2・26事件では「朕自ら近衛師団を率い、これが鎮定に当たらん」(本庄繁侍従武官長日記)とのべられた。
 考えや感情をもち、いわゆる御聖断も、天皇陛下のお考えにもとづくものであった。
 国民は、天皇陛下のお考えやふるまい、お人柄などに畏敬の念を抱いているのではない。
 国民が畏敬しているのは、御心をおもちの天皇陛下ではなく、私心をおもちにならない天皇のほうで、天皇の神性はそこにある。
 天皇は、基本的人権や選挙権、憲法が保障する国民的諸権利や自由をもっておられない。
 天皇が世俗におられないからで、天皇がおられるのは、国家という世俗ではなく、国体という聖域である。
 そこは、歴史や文化、国体という抽象の世界で、目に見える具体的世界ではない。
 憲法第1条に「天皇は、日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意にもとづく」とある。
 憲法前文および1条では国民主権が謳われている。
 国民統合や国民主権は、抽象観念で、しかも、矛盾にみちている。
 民主主義において、国民統合は不可能で、国民主権は、実体を有さない。
 ところが、天皇が、国民統合や国民主権という目に見えないものをみずから象徴することによって、国民統合や国民主権が正統性をおびる。
 目に見えない抽象的な観念が、天皇という目に見えるおすがたに象徴される。
 それが、世俗や私、個からの超越している天皇の神性なのである。
 次回は、秋篠宮さまの 大嘗祭「異例発言」についてのべよう。

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2018年12月20日

「天皇の地位」@

 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」@
 歴史上、天皇が神だったことはなかった。
 天武・持統朝から奈良前期の皇親政治において天皇は絶大な権力を誇った。
 天皇が神格化されもした。
 だが、神ではなかった。
 神格化と神であることは分けて考えておかなくてはならない。
 神のような存在と神とは別物なのである。
 現人神思想は、古代や中世にはなかった。
 天皇が神そのものになったのは、近世の明治維新においてで、歴史の例外といってよい。
 それまで、天皇は、祭祀王で、政治権力をもっていなかった。
 それどころか、江戸時代は、公家諸法度にがんじがらめに縛られていた。
 ところが、維新後、近代天皇制のもとで、政治大権、軍事大権、祭祀大権を一手に掌握する現人神となった。
 この天皇大権は、大日本帝国憲法下において、国務大臣らが輔弼責任をもつので、天皇の絶対権力が、権力者によって、恒常的に、政治利用されることになった。
 現人神が天皇大権をもつことによって、明治維新という怪物的な時代背景ができあがったのである。
 現人神という観念は、記紀や万葉集などの現神や現御神(あきつかみ)とは異なるもので、祭祀王という古代、縄文時代からの宗教観や伝統的な価値観をひきついだものではない。
 そもそも、日本には、シャーマンとしての巫女や宗教儀礼を主催する祭祀王はいても、宗教的な絶対者はいなかった。
 ヨーロッパの王のような政治的絶対者もいなかった。
 王政復古というが、日本には、本格的な王政の時代があったわけではない。
 天皇の絶対権力には、歴史的な必然性がなかったのである。

 それでは、この天皇大権は、どこからきたものであろうか。
 大日本帝国憲法が、ドイツ(プロイセン)憲法を手本にしたことはよく知られている。
 フリードリヒ大王以来、君主権がつよかったプロイセン憲法はヨーロッパの絶対王政をひきついでいる。
 帝国憲法は、第1条で天皇主権を定めたほか、統帥大権や外交大権、非常大権などの広範な天皇の大権を謳っている。
 プロイセン憲法と帝国憲法は双生児なのである。
 ヨーロッパの絶対王政は、王権神授説で、一神教である。
 一神教では、一元論の原理がはたらくので、かならず、闘争になる。
 イギリス革命(ピューリタン革命・名誉革命)では、プロテスタントとカトリックなどが衝突して、国王チャールズ1世が処刑された。
 イギリス革命は、王政復古したものの、市民革命で、いちど歴史が断絶しているのである。
 明治維新もまた、西洋化という革命で、このとき、日本の歴史が断ち切られた。
 西郷隆盛が西南戦争で叛旗を翻したのは、日本の伝統をまもろうとしたのである。
 旧武士階級が明治政府にたいしておこした「士族の反乱」も、国体をまもる戦いだった。
 われわれは、明治維新が近代化を実現した歴史の扉のように思っている。
 だが、それは誤解で、開国や近代化は、徳川幕府のもとでおこなわれるべきだったかもしれない。
 それが、日本の国体に合ったすがたで、倒幕から大政奉還、王政復古そして戊辰戦争、鹿鳴館へとつづくみちは、西洋の革命の道筋であった。
 幕末の騒乱から開国、維新まで、日本は、ヒステリー状態にあった。
 尊皇攘夷が西洋化へ180度転換したのもそのためで、日本は、国体という国家の土台を見失っていた。
 江戸城桜田門外の変で、大老井伊直弼が暗殺された。
 井伊が勅許をえずに日米修好通商条約に調印したことにたいして、尊王攘夷派の水戸・薩摩の脱藩浪士らが反発したものだが、条約交渉は万全で、井伊の判断が正しかった可能性が高い。
 だが、勢いにのる討幕派の前に、幕臣側に勝ち目はなかった。
 会津戦争に際して、会津藩が組織した白虎隊の悲劇も、幕府軍の残虐非道な行状も、和を重んじる日本民族の本来のものではなかった。
 当時、吹き荒れていたのは、革命思想で、国体は、忘れられていた。
 西洋化と帝国主義が明治維新の成果で、日清・日露戦争と大陸進攻が国是となって、日本は、世界の強国へのしあがった。
 その帰結が、前大戦の敗戦と国体の危機だった。
 次回以降も、国体と神道、祭祀をめぐる議論を展開していこう。
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2018年12月16日

 なぜ日本は2島返還≠ノ呪縛されてきたのかC

 【緊急問題提起/北方領土】
 ●旧ソ連の不法占領から河野密約説まで(4)
 1956年7月。重光葵外相を主席全権、松本を全権として、日ソ平和条約交渉がモスクワで開始された。
 重光は、四島返還を主張したが、ソ連の態度が硬いと見て、歯舞・色丹二島返還へと方針を変更するべく、このとき、本国へ請訓電を発している。
 しかし、保守合同によって発足した自由民主党が、四島返還を党議決定したこともあって、重光の提案は拒否された。
 秘書官・吉岡羽一によると、松葉杖で身体を支えてクレムリンの長い廊下を歩いてきた重光は、このとき、腹の底から絞り出すような声でこういったという。
「畜生め、やはりそうだったか」
 重光の呪詛はだれにむかって吐かれたのか。
「日ソ共同宣言」に5か月先立つ1956年5月9日。
 クレムリンでおこなわれた日ソ漁業交渉で、河野一郎農相は、随行していた外務省の新関欽哉参事官を部屋から閉め出し、ソ連側通訳をとおして、ブルガーニン首相にこうもちかけた。
「北洋水域のサケ・マス漁業を認めてくれれば、北方領土の国後・択捉の返還要求は取り下げてもいい」
 サケ・マスなどの漁獲量・操業水域・漁期などをとりきめる漁業協定がまとまらなければ出漁できない。
 水産業界からは「北方領土は国交回復の後に交渉しろ」という声が高まっていた。
 日ソ漁業交渉をまとめた河野一郎農相は、1956年5月26日、羽田空港で、日の丸の旗をかざし、のぼりを立てた漁業関係者の大歓迎団に迎えられている。
 日ソ共同宣言の重光全権団のモスクワ入りが1956年7月だった。
 2か月先行した河野一郎は、重光の知らぬまま、ソ連側と密約をむすんでいたのである。

 1956年10月、鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相は、モスクワで「日ソ共同宣言」に署名した。
 日ソ共同宣言には、平和条約締結後、歯舞と色丹が日本に引き渡されることが明記されている。
 しかし、国後・択捉の文字はなかった。
 河野一郎が漁業交渉とひきかえに、国後・択捉の放棄をブルガーニン首相と約束したからだった。
 河野・ブルガーニンの密約によって、ソ連は、領土問題で強硬姿勢に転じる。
 国後、択捉の返還を拒否しても日本側は譲歩すると判断したのである。
 歯舞・色丹の二島返還による平和条約の締結という共同宣言の原則は、このときできたといってよい。
 鳩山は、平和条約締結をあきらめ、領土問題を継続協議にして、共同宣言で国交回復をめざす。
 訪ソ直前になって、政権与党の自由民主党は、国交回復の条件として「歯舞と色丹の返還、国後・択捉の継続協議」を党議決定していた。
 鳩山らは、歯舞・色丹の「譲渡」と国後・択捉の「継続協議」を共同宣言に盛り込むよう主張した。
 だが、フルシチョフは、歯舞・色丹2島返還だけで、領土問題の打ち切りをはかった。
 そして、河野に、国後・択捉の継続協議を意味する「領土問題をふくむ」の字句の削除をもとめた。
 河野は、いったんもちかえり、結局、これもうけいれる。
 日ソ漁業交渉はうまくいったが、領土交渉は、日本側の敗北だった。

 重光葵や吉田茂の秘書官を務めたことがある自民党の北沢直吉は、日ソ共同宣言調印後の批准国会(外務委員会)で、河野農相と激しくやりあっている。
「河野・ブルガーニン会談で、クナシリ、エトロフはあきらめるから漁業権のほうはヨロシクたのむ、といったのではないか」
 河野はシラを切った。
「天地神明に誓ってそのようなことはない」。
 重光は秘書官の吉岡羽一秘書にこういっている。
「河野にしてやられた。シェピーロフ(外相)からすべて聞いた」
 重光はシェピーロフにこうたずねたという。
「貴下は、モスクワ会談の際、領土問題について、一貫して、解決済みであるとのべられたが、いかにして解決済みと考えるのか、その内容について説明がなされなかった。この機会に率直に真意を聞きたい」
 シェピーロフはこう答えた。
「モスクワで漁業交渉中の河野大臣は、交渉打開のため、ブルガーニン首相とクレムリンで会談した。その席で、河野大臣は、ソ連がエトロフ、クナシリを返還しない場合でも、日本は、平和条約を締結すると約束した」
 河野はこうともいったという。
「私は日本政界の実力者の一人で、将来、さらに高い地位につくであろう」
 そのとき、ブルガーニンは得たりとばかりにたたみかけた。
「帰国後、ただちに、全権団をモスクワに送ることができるか」
 河野はできると答えている。
 それが、1956年7月の重光全権団、9月の松本全権団、そして10月に訪ソした鳩山首相を団長とする全権団だった。
 日ソ共同宣言における2島返還は、ソ連共産党の既成路線ではなかった。
 河野・ブルガーニン密約で、急きょ、きまったのである。
 安倍首相は、歯舞・色丹の引き渡しを明記した日ソ共同宣言を基礎にプーチン大統領と平和条約の交渉をすすめるという。
 4島返還という本筋が忘れられているなか、2島返還論の旗を振っているのが鈴木宗男と佐藤優である。
 安倍首相の意向をうけて、国民を洗脳しているとしか思えない。
 鈴木は、サンフランシスコ条約で、日本が国後・択捉を放棄したという。
 だが、実際は、日ソ間の政治取引だった。
 4島返還という従来の基本方針を下ろすのも、二島返還で決着をつけたのちに国後・択捉の経済協力という方法をとるのも一つの政治選択であろう。
 だが、北方4島が日本固有の領土で、ロシアがこの4島を不法占拠したという歴史的事実を忘れてはならない。
 領土問題における安易な妥協は、かならず将来、大きな禍根を残すことになるのである。
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2018年12月09日

 なぜ日本は2島返還≠ノ呪縛されてきたのかB

 【緊急問題提起/北方領土】
 ●旧ソ連の不法占領から河野密約説まで(3)
 サンフランシスコ平和条約で、日本は、千島列島を放棄した。
 この千島列島のなかに北方4島はふくまれない。
 ロシア(旧ソ連)は、終戦直後、千島列島に北方4島がふくまれないことを知りながらこれを不法占領した。
 外務省発行の『われらの北方領土』には「択捉島以南の四島の占領は、計画のみで中止された北海道北部と同様、日本固有の領土であることを承知の上でおこなわれた」とある。
 そして、その不法占拠が、今日にいたるまでつづいている。
 そもそも、ロシアは、北方4島どころか、戦後、日本が放棄した千島列島を占有する法的な根拠をもっていない。
 サンフランシスコ条約に署名していないからで、あるのは、実効支配という戦争状態の継続だけである。
 北方領土を画定するには、二国間の平和条約締結が必要となる。
 日本は、1954年以降、ソ連との国交回復をめざした鳩山一郎内閣のもとで、平和条約を結ぶべく、ソ連との折衝がはじまったを開始した。
 日本の国連加盟の支持や抑留日本人の送還、戦時賠償の相互放棄、漁業条約の締結など日ソ間の懸案事項がすくなくなかった。
 1956年10月、鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相は、モスクワで「日ソ共同宣言」に署名した。
 戦争状態の終結と国交回復が宣言された瞬間だった。
 当初は「平和宣言」の締結を目指していた。
 だが、交渉が折り合わず、結局は「共同宣言」という形をとった。
 交渉が折り合わなかった理由は北方領土だった。
 日本側は「4島返還」をもとめたが、ソ連は、歯舞・色丹の「2島返還」をゆずらなかった。
「共同宣言」には、ソ連が歯舞・色丹の2島の日本への引き渡しに同意すると書かれている。
 ただし、2島返還は、平和条約が締結されたのちと明記された。
 同宣言は両国で批准された。
 だが、歯舞・色丹の日本への引き渡しは実現しなかった。
 平和条約締結にいたらなかったからである。

 以後、長らく、日ソ交渉が停滞する。
 1960年、日米安保条約が改定延長されると、ソ連が、歯舞・色丹の引き渡し条件に「外国軍隊の日本からの撤退)をもちだしてきた。
 1961年、フルシチョフは、一方的に「領土問題は解決済み」との声明を出して、日ソ共同宣言の内容を後退させる。
 米ソ冷戦構造が北方領土に影をおとしていたのである。
 日ロ間で、領土問題がうごきだすのは、30年後のソ連崩壊(1991年)以後である。
 それまでは、田中角栄とブレジネフのあいだで北方4島返還をめぐる応酬があっただけである。
 1973年、田中首相は、モスクワで、ブレジネフ書記長との会談に臨んだ。
 折しも、検討されている日ソ共同声明のなかに「第二次世界大戦時から未解決の諸問題」という文言があった。
 外務省東欧第一課長として会談に同席していた新井弘一によれば、このとき角栄は、4本の指を突き立てて、「未解決の諸問題に北方四島の返還問題はふくまれるのか?」とブレジネフに迫ったという。
 ブレジネフは、「ヤー、ズナーユ(私は知っている)」と曖昧な答えで逃げを打った。
 角栄は「イエスかノーか?」と机を叩いて迫った。
 ブレジネフはついに「ダー(イエス)」と応じた。
 ブレジネフが、第二次世界大戦時からの未解決な諸問題の一つに北方四島の返還問題があるとみとめたのである。
 1991年、ゴルバチョフ書記長が来日して、海部俊樹首相と6回にわたる首脳会談をおこない、北方四島が平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが初めて文書の形で確認された。
 ゴルバチョフは「解決済み」としていたソ連側の見解を転換したのである。
 以後、日ロの首脳会議では、歯舞・色丹・国後・択捉の帰属問題と平和条約がワンセットとして考えられてきた。
 ■1993年/東京宣言(細川護熙首相とエリツィン大統領)
 ■1997年/クラスノヤルスク合意(橋本龍太郎首相とエリツィン大統領)○1998年/川奈提案(橋本龍太郎首相とエリツィン大統領)
 ■1998年/モスクワ宣言(小渕恵三首相とエリツィン大統領)
 ■2000年/日ロ共同声明(森喜朗首相とプーチン大統領)
 ■2001年/イルクーツク声明(森喜朗首相とプーチン大統領)とロシアの〇2003年/日ロ共同声明(小泉純一郎首相、プーチン大統領)
 橋本、小渕、森までは、2島(歯舞・色丹)先行で、国後・択捉については段階的に考えるというものだった。
 いずれも、基本ラインは4島返還で、方法論がちがうだけだった。
 ところが、今回の安倍・プーチン会談では、国後・択捉が捨てられた。
 歯舞・色丹のみを引渡すとした1956年の日ソ共同宣言へ逆戻りである。
 どうして、そんなことになってしまったのか。
 かつて、日本は、漁業交渉とのかけひきで、国後・択捉を放棄した。
 そのつけがまわってきたのである。
 次回はその経緯にふれよう。
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2018年12月02日

なぜ日本は2島返還≠ノ呪縛されてきたのかA

  緊急問題提起/北方領土】
 ●旧ソ連の不法占領から河野密約説まで(2)
 サンフランシスコ講和条約で、日本が、国後・択捉を放棄したという意見がある。
「南サハリン(樺太)と千島列島にかんしては、サンフランシスコ講和条約の締結にあたって、日本が放棄しました」(池上彰/週刊文春)というのである。
 池上のいう千島列島のなかには国後と択捉が入っている。
 鈴木宗男や佐藤優も同じ見解で、2島(歯舞・色丹)返還論者である
 西村熊雄条約局長が、1951年、衆院特別委員会で、「南千島(国後・択捉)は千島にふくまれる」と答弁している。
 だが、この答弁は、1956年、衆議院外務委員会で、森下國雄外務政務次官によって、正式に否定された。
 日本政府は、国後・択捉は、サンフランシスコ条約で日本が放棄した千島にふくまれないとしたのである。 
 その後、国後・択捉を指す「南千島」という用語も使われなくなった。
 もともと、北方4島は、日本固有の国土である。
 国後・択捉は、日本人の手で開拓された島で、根室や函館とのあいだに航路があって、定住者も多かった。
 歯舞・色丹にいたっては、北海道の一部である。
 かつて、『島は還らない』(昭和52年)という本を上梓した。
 そこに、北方領土の概略や歴史、ソ連の領土侵略について記した。
 そこから引用しよう。
 北方領土の画定は、1855年、下田条約(日露和親条約)にはじまる。
 江戸幕府とロシア帝国のあいだでむすばれた日魯通好条約(日露和親条約)によって、択捉島とウルップ島のあいだに境界線が引かれた。
 この境界線によって、択捉島以南の4島は日本の領土となった。
 4島とは、歯舞・色丹・国後・択捉である。
 一方、ウルップ島以北のクリル諸島(千島)18島がロシア領となった。
 日本政府は、この日魯通好条約を根拠に、「歯舞・色丹・国後・択捉」4島を北方領土としてきたのである。
 1875年(明治8年)、日本は、ロシアと樺太千島交換条約を締結する。
 日本は、樺太(サハリン)の領有権を放棄する代わりに、ロシアからクリル諸島(千島列島)を譲り受けた。
 シュムシュ島からウルップ島にいたる18島である。
 サンフランシスコ講和条約で日本が放棄した千島列島は、そのときロシアと交換したクリル諸島18島のことである。
 18島のなかに北方四島(歯舞・色丹・国後・択捉)はふくまれていない。
 引用した『島は還らない』には副題がついている。
「歴史・条約上の根拠とカーター大統領への手紙」と銘打った。
 わたしは、日本が放棄した18島のなかに北方4島がふくまれていないことを確認するために、カーター大統領へ手紙を書き、実際に会いにもいった。
 もっとも、カーター大統領との対面は、民主党のアジア太平洋民主党大会の会場で握手をしただけではあったが。

 サンフランシスコ講和条約の締結時、日本が放棄した千島列島に北方領土がふくまれていなかった。
 それだけではなかった。
 サンフランシスコ講和条約にくわわっていないロシア(旧ソ連)には、そもそも、南樺太・千島列島・色丹島・歯舞群島の領有権がゆるされていなかったのである。
 サンフランシスコ条約第二十五条によると、同条約に調印・批准していない国へは、いかなる権利や権原、利益もあたえられないとある。
 もともと、北方4島は、火事場泥棒的な略奪であって、ロシアのいう戦利品ではない。
 背景にあったのが、南樺太と千島列島のソ連領有を承諾したヤルタ秘密協定だった。
 スターリンは、ヤルタ会談で、ルーズベルトから「ソ連の対日参戦の代償として『千島列島』(ウルップ島以北)を譲り受ける約束をした。
 これは、秘密協定で、領土の譲渡は、領土不拡大を宣した「カイロ宣言」や終戦後も攻撃と占領をつづけた「ポツダム宣言」違反である。
 しかも、ソ連は、日ソ中立条約を一方的に破棄して、領土を奪った。
 広島に原爆が投下されてから2日後の1945年8月8日、ソ連は、当時まだ有効だった日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告した。
 8月15日、日本は「ポツダム宣言」を受諾して、連合国に降伏した。
 しかし、ソ連軍は、その後も千島列島を南下し、9月5日までに「北方領土(歯舞・色丹・国後・択捉)」を占領した。
 8月16日、スターリンはトルーマン大統領に秘密電報を打っている。
 千島列島と北海道の北半分をソ連の占領地とすることをもとめたのである。
 トルーマンは、千島列島をソ連領とすることには同意したが、北海道北部の占領については拒否した。
 かつて著した『レポ船の裏側』(昭和57年/日新報道)で、千島占領作戦の経緯を書いた。
 通訳としてソ連軍に同行した水津満・北千島守備軍作戦参謀の体験談である。
 引用しよう。
「8月27日、中千島南端、得撫(ウルップ)島の沖合に着く。結局、ソ連軍は得撫島に上陸することなく、北に向かって引き返した。南千島の武装解除に立ち会うことを想定していた水津はウォルフ参謀に理由をたずねた。これより先はアメリカの担任だからソ連は手をだせないのだ、という返事だった」
 ソ連軍は、8月18日から千島列島の占領を開始し、27日には、北方領土の北端である択捉島の手前まで来て、一旦引き返した。
 この時点で、ソ連は、千島列島に北方領土がふくまれないと認識していたのである。
 ところが、ソ連は、北方領土に米軍がいないと知って、方針を一転させた。
 8月28日、ソ連軍は、南千島へ侵攻を開始して、9月3日までのあいだに歯舞・色丹・国後・択捉の四島を占拠する。
 ソ連軍が北方四島を略奪したのは、米軍が不在だったからだったのである
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2018年11月25日

なぜ日本は2島返還≠ノ呪縛されてきたのか@

 【緊急問題提起/北方領土】
 ●旧ソ連の不法占領から河野密約説まで(1)
 安倍首相が北方領土返還「2島+α」へ舵を切ったようだ。
 1956年の「日ソ共同宣言」へもどって、歯舞と色丹の2島返還を条件に平和条約をむすぼうというのである。
 従来の4島一括返済からの後退で、これでは、この60年余つみあげてきた努力が水の泡である
 これまで政府は「4島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」ことを基本方針に掲げてきた。
 したがって、4島返還に応じる気がないロシアとの協議に進展がなかった。
 日ソ共同宣言にもとづいた交渉もすすんでこなかった。
 4島返還と平和条約が見合いになって、身動きならなかったのである。
 そこで、安倍首相は、方針を転換した。
 2島返還を「基礎」として、平和条約を急ごうというのである。
 今年の9月、プーチン大統領が、ロシア極東ウラジオストクで開かれていた東方経済フォーラムで、突如、「前提条件なしの平和条約締結」を提案した。
 前提条件なしとは、ふざけた話である。
 領土問題抜きで、平和条約を締結できるはずはない。
 ところが、安倍首相は、プーチンの発言に反発するどころか、これを前向きに受け止めた。
 そして、日ロ交渉を一気に進展させる大きなチャンスととらえ、首脳会談に臨んだ。
 安倍首相は、外遊先のシンガポールで、ロシアのプーチン大統領と会談したあと次のようにのべた。
「領土問題を解決して平和条約を締結する。1956年共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させることでプーチン大統領と合意した」
 拙速もいいとこで、平和条約が先走って、肝心な領土問題が大きく後退している。
 そもそも、北方領土は、旧ソ連の不法占領で、法的にも、歴史的にも根拠はない。
 戦利品というが、樺太南部と千島列島をソ連に引き渡すとされたヤルタ協定に、歯舞・色丹・国後・択捉ははいっていない。
 アメリカもみとめていない。
 それが「ダレスの恫喝」で、ダレス国務長官は、日ソ交渉に臨んでいる重光葵外相に「二島返還(歯舞・色丹)で、日ソ交渉をむすんだ場合、アメリカは沖縄を返還しない」という圧力をかけている。
 ソ連が4島を奪ったのは、どさくさまぎれで、当時、4島に米軍が進駐していなかったからだった。

 安倍首相は、1956年共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させるとのべた。
 なぜ、62年も遡って、北方領土問題の振り出しにもどるのか。
 1956年の日ソ共同宣言には、平和条約締結後、歯舞と色丹を引き渡すとあるだけである。
 国後・択捉には一言もふれていない。
 なぜ、そんなことになってしまったのか。
 日本が漁業交渉とのかけひきで、国後・択捉を放棄したからである。
 むろんこれは、裏取引で、表立って、あらわれたものではない。
 だが、これがネックとなって、日本は、日ソ交渉において、つねに、不利な立場に追い込まれてきた。
 日ソ交渉に臨んだ全権重光葵は、日本政府へこんな請訓電を発している。
「涙をのんで国家百年のため、妥結すべきと思う。この期を逸すれば、将来、歯舞・色丹さえ失うことあるべし…」
 秘書官・吉岡羽一によると、松葉杖で身体を支えてクレムリンの長い廊下を歩いてきた重光は、このとき、腹の底から絞り出すような声でこういったという。
「畜生め、やはりそうだったか」
 河野一郎の日ソ漁業交渉は、1956年5月である。
 日ソ共同宣言の重光全権団のモスクワ入りが1956年7月だった。
 わずかに先行した河野一郎は、重光の知らぬまま、ソ連側と密約をむすんでいたのである。
 ソ連が、領土問題は解決済みで、平和条約締結後、2島(歯舞・色丹)だけを引き渡すとする根拠もそこにある。
 このあたりの細部については、次回以降、のべよう。
 2島返還を現実的とみるムキもある。
 色丹、歯舞は四島の面積のうち7%でも、えられる200カイリの排他的経済水域は大きいというのである。
 だが、ロシアは、歯舞・色丹の主権を返すとまではいっていない。
 日本の主権を認める返還ではなく、2島を利用できるだけの引き渡しなのであれば、日本が期待している歯舞・色丹の排他的経済水域は望むべくもない。
 日本は、あくまで、4島返還をもとめるべきである。
 根拠は、ロシアの不法占拠で、北方四島は、戦利品ではなく、カイロ宣言で禁じた領土拡大に該当する略奪にあたる。
 当時、日本は、ポツダム宣言を受諾して、連合国と戦争状態にはなかった。
 戦争状態になかったのに、なぜ、領土略奪が戦利品なのか。
 次回以降、北方4島の概略や日ソ交渉の経緯をみていこう。
 そうすれば、2島返還論が河野・ブルガーニン密約説≠ふくめて、いかにでたらめな経緯をたどったかがわかるのである。
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2018年11月17日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」70

 ●天皇と憲法(3)
 権力は性悪説に立っている。
 法も同様で、憲法は、集団や組織、国家の悪までを監視している。
 一方、権威=天皇は善でである
 だからこそ国民は天皇を慕うのである。
 日本人の善良さや正直、親切が、現在、世界から称えられている。
 日本人は性善説なのである。
 性善説の根源をたどれば、天皇の善にゆきつく。
 天皇は、被災地におもむき、被災者の前でひざまずき、心から同情される。
 国民は、そのおすがたを見て、心にあたたかいものをおぼえる。
 天皇の善が、日本人の善の根源といってよい。
 悪と善が天下を分け合って、いわば、棲み分けている。
 日本では、権力や法、政治の性悪説と、天皇の善の二元論なのである。
 権力や法、政治という悪の概念(=性悪説)についてはよく知られる。
 権力は暴力、法は拘束力、政治は支配をともなうので、悪なのである。
 その極限が戦争で、戦争ほど罪深い権力悪はない。
 一方、天皇の善については、これといった定説も学説もない。
 天皇の善が、日本人のなかで、無意識化されているのである。
 それが国体というもので、歴史や伝統、民族性、文化などは、血肉化されていて、意識できないのである。。
 日本が、世界最古の伝統国家で、2千年以上にわたって、国体が維持されてきた最大の理由は、天皇の善性にあったといえよう。
 仁徳天皇(第16代)は、人家の竈から炊煙が立ち上っていないことに気がつき、租税を3年間免除し、その間、宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったという。
 天皇が善なのは、権力者ではないからである。
 その地位は世襲(万世一系)で、神話につながっている。
 民族は、共通の神話をもつことで、善を共有する同胞となるのである。
 一方、ヨーロッパの王は覇者で、権力の系譜にある。
 権力は悪なので、奪い、殺し、破壊する。
 それが、ヨーロッパの戦争で、第一次世界大戦では、戦死者が第二次大戦をこえる1600万人、戦傷者2000万人にたっした。
 第一次世界大戦には、とりたてて、これといった原因がなかった。
 ハンガリーの青年がオーストリアの皇太子を暗殺した事件によって、各国間の同盟網が一気に発動され、数週間のあいだで、主要列強すべてが世界大戦に参戦する体制が整った。
 権力は性悪説なので、殺し合いの連鎖にブレーキがきかないのである。
 かくして、20世紀の初旬、世界中の国家が、不毛な戦争へ突入していった。
 日本でも同じようなことがあった。
 15世紀の戦国時代である。
 応仁の乱から織田信長が天下統一に乗り出すまでの100年間、戦国武将が群雄割拠して、いつはてるとも知れない戦いに明け暮れた。
 終止符を打ったのが天皇だった。
 第106代正親町天皇が信長を立て、第107代後陽成天皇が秀吉を太閤に叙し、家康を征夷大将軍に任じて、戦国時代に終止符がうたれた。
 これが、権威と権力の二元論である。
 日本では、摂関政治から院政、武家政治にいたるまで、天皇の権威と政権の権力がバランスをとりあってきた。
 これを善と悪の二元論といいかえてもよい。
 天皇の権威が善で、政体の権力が悪である。
 政体というのは、国体の対義語で、政治や制度、法つまり権力である。
 権力は、権力抗争の覇者ではあるが、民を治める能力をそなえていない。
 いくさに勝ったというだけの武力集団に、民は、したがわないのである。
 一揆がそうで、信長は、長島や越前の一向一揆で、根切りという大量虐殺をおこなっている。
 それが権力の本質で、善などはかけらほどもないのである。
 その権力が幕府として、民を統治できるのは、天皇の認可をえるからである。
 権力は、天皇から官位(征夷大将軍)をさずかって、統治者(幕府)としての正統性をえる。
 悪である権力が、善である天皇の親任をえて、幕府になるのである。
 民が幕府にしたがい、徴税に応じるのは、背後に天皇がいるからである。
 権威(天皇)と権力(幕府)の二元論によって、国家は安定する。
 権威と権力の二元論が崩れたのが「承久の乱」や「建武の中興」だった。
 近代では「明治維新」があげられる。
 天皇が権力をもとめると、善が消滅して、悪になる。
 それが乱の構造≠ナ、権力悪が暴れだすのである。
「承久の乱」によって武士が台頭してきた百余年後、「建武の新政」がおこる。
 建武の新政の失敗後、南北朝の動乱や応仁の乱、戦国時代など乱の時代≠ェ数百年にわたってくりひろげられた。
 天皇の善が不在だったからである。
 次回は、権力が天皇を担いだ明治以降から昭和の軍国主義をみていこう。
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2018年11月10日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」69

 ●天皇と憲法(2)
 天皇が憲法上の存在であるかのような言説がまかりとおっている。
 憲法を新しい国体と考えるリベラリストも存在するほどである。
 国体は、そのはじまりを大和朝廷黎明期とみて、2千年になる。
 天皇の歴史は、皇紀でいえば、神武天皇即位以来、2678年にもおよぶ。
 天皇の由来は国体で、国体には、歴史や伝統、文化や習俗がふくまれる。
 したがって、天皇は、憲法において、国体の体現者であらねばならない。
 それが自主憲法の精神で、必要なのは、国体という文化概念である。
 ところが、現行憲法にあるのは、理想主義とアメリカ民主主義だけで、文化概念としての国体が欠落している。
 日本の憲法は、フィリピン憲法に似ているといわれる。
 日本の憲法が占領基本法なら、フィリピン憲法は植民地憲法で、ともに戦争放棄(主権放棄)を謳っている。
 国家主権が憲法の軸になっていないのである。
 憲法は、できてからたかだか70年しかたっていない。
 70年前、日本は、GHQから、民主主義国家へと国家を改造された。
 GHQの民主化政策(財閥・農地・選挙・憲法・教育)がそれである。
 だが、それは、政体や制度の改革で、国体に変更があったわけではない。
 国体は文化概念だからで、文化や伝統、民族の習俗には、歴史的な連続性がそなわっている。
 とりわけ、天皇は、国体の体現者で、文化的・歴史的存在である。
 GHQが天皇の存在をみとめたのは、日本統治に好都合だったからだった。
 戦後すぐにおこなわれた新聞社のアンケート調査で、90パーセント以上の国民が天皇を支持した。
 天皇が政治的存在(権力)ではなく、文化的存在(権威)だったからである。
 日本人は、天皇を戦争指導者ではなく、国体の体現者とみていたのである。
 天皇を処罰すれば、日本人が反米闘争に走って、内乱状態になっていたろう。
 そこで、GHQは、天皇を憲法にとりこみ、日本統治に利用することにした。

 憲法の第1条にこうある。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
「天皇は日本国の象徴である」というところまではわかる。
 摂政や院政、武家政治においても、天皇は、権威であり象徴だった。
 ところが、そのあとの「日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」というところから意味が不明になる。
 国民統合の象徴は、統合されるべき国民の象徴と解釈しておこう。
 問題なのは、主権の存する日本国民の総意に基く、という箇所である。
 そもそも、天皇の地位を謳う第1条に、なぜ、国民主権がでてくるのか。
 憲法に主権ということばは3回しか使われていない。
 前文に2回、第1条で1回である。
 前文では、国民主権と国家主権が使い分けられている。
「主権が国民に存する」と「自国の主権を維持」である。
 これでは、主権が国民をさすのか、国家をさすのかわからない。
 第1条では「主権の存する日本国民」とふたたび国民主権が謳われる。
 日本国憲法が、国民主権を宣しているのは、一条のこの付帯的文章だけである。
 そして、そのあと「日本国民の総意に基く」とつづく。
 多数決が原則である民主主義において、国民の総意などというものはありえない。
 そこに、日本国憲法に隠された革命性がある。
 国民主権も日本国民の総意も、国民総体のもので、個人のものではない。
 国民主権の国民は、国民すべてをひっくるめた総称である。
 そして、国民総体の権利は、そっくり、為政者(=GHQ)に譲渡される。
 それがルソー主義で、近代国家は、すべて、その論法で成立してきた。
 すると、天皇の地位を謳う第1条は、こう解釈できる。
 天皇の地位は、為政者(=主権の存する日本国民の総意)に基く。
「主権の存する日本国民の総意」は、権力に還元されるからである。
 天皇の地位は、国民の代表たる政府によって、改廃できるというのである。
 自主憲法においては、憲法第一条は、削除されなければならない。
 第一条は、こうあるべきである。
「天皇は、日本国の象徴であって、国体の体現者である」
 国体は、歴史から文化全般に亘る総合的概念で、国民もふくまれる。
 国家と国体が並立して、はじめて、文化概念をそなえた天皇になるのである。
 憲法第2条(皇位の継承)も変えなければならない。
「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」
 世襲には男系女系の区別がない。
 男系が謳われているのは皇室典範である。
「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」(皇室典範第1条)
 皇室典範は、小泉首相の「皇室典範に関する有識者会議」(平成17年)の例でわかるように、国会議決でかんたんにひっくり返る。
 男系継承(万世一系)を憲法に組みこむのが賢明である。
 帝国憲法の第一条にこうある
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
 第二条は、万世一系を宣した帝国憲法の第一条の精神を踏襲すべきだろう。
「皇位は、男系相続たる万世一系のものであって、皇室典範の定めるところにより、これを継承する」
 万世一系を憲法に組みこめば、女系天皇という歴史破壊を免れることができる。
 自主憲法制定の目的は、GHQが仕込んだ国体破壊という仕掛けを打ち破ることにあって、改憲では、それができない。
 自主憲法制定は、文化防衛でもあったのである。
 次回は天皇(権威)と権力の関係をみてゆこう。

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2018年11月04日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」68

 ●天皇と憲法(1)
 自民党の改憲案に天皇元首論がある。
 危険な思想で、文化概念である天皇を政体概念である憲法で規定すれば、ヨーロッパ的な王政(キングダム)になってしまい、歴史の権威としての地位が失われる。
 現在、天皇がエリザベス女王をしのぐ権威を有するのは、皇室が2千年以上の歴史をもっているからである。  
 歴史や伝統、文化が人々の畏敬の対象となるのは、永遠性にもとづいているからである。
 一方、法や権力、政治は、一過性の産物にすぎない。
 一過性の産物に権威がそなわるわけはない。
 ヨーロッパで「王権神授説」がとられたのは、永遠なる神をもちださなければ、王位に権威がそなわらなかったからだった。
 日本の場合、天皇は、神格をもった存在で、法や政治を超越していた。
 天皇が法制上の存在であったら、その地位が、政変によってゆらいだろう。
 日本は、権力者による時代の変遷を幾たびも重ねてきた。
 だが、関が原の合戦で、豊臣方から徳川家康に政権が移っても、天皇の地位は磐石で、正親町天皇から後陽成天皇まで、泰然と、幕府をささえつづけた。
 天皇が法や政治、制度に縛られないところにおられたからである。

 世界における天皇の位置づけは元首である。
 国内においても、天皇は、事実上の元首である。
 天皇の国事行為(内閣総理大臣の任命や法律の公布、国会の召集など)には元首として十分の重みがある。
 だからといって、憲法で、天皇元首を謳うべきかといえば、それは否である。
 憲法で天皇元首を謳うと、天皇の権威が、法の下のものとなってしまうからである。
 世界は、法や政治に下にあるものを、権威とみとめない。
 法や政治に下にあるものは、権威ではなく、権力なのである。
 権力者は、投票によって、一夜にして、誕生するだろう。
 ところが、権威は、千年の年月を必要とする。
 諸外国が、天皇を元首とみるのは、歴史上の権威だからで、歴史は、政体をこえた文化の範疇にある。
 それが国体で、政治や法は、歴史や伝統、民族の習俗や個人の領域に立ち入ることができない。
 その政治や法、政体の頂点にあるのが憲法である。
 政治家は、政体における権力なので、憲法に縛られる。
 一般法も憲法下にある。
 一般法に縛られる国民も、憲法から自由たりえない。
 一般論として、国家も憲法の下にあるという議論がある。
 政体としての国家は、たしかにそのとおりで、国会や政府、行政や公的機関は、憲法の下にある。
 だが、歴史や伝統、文化は、国体という文化概念のなかにあるので、憲法の干渉をうけない。
 その最たる存在が天皇で、国体たる天皇は、歴史的概念にして文化的存在である。
 天皇は、憲法からも権力からも切り離されている。
 政体から切り離されているからこそ、政治にまつわる天皇の国事行為が権威をもつのであって、天皇が政体の一部であったら、権威が権力に正統性をさずける国事行為は成立しない。

 明治憲法下において、天皇は、元首にまつりあげられた。
 明治政府は、国民の敬慕が篤い天皇を元首に立て、強大な権力をつくろうとしたのである。
 明治憲法のモデルはドイツ帝国憲法である。
 ビスマルク首相の強いリーダーシップによってフランスとの戦争(普仏戦争)に勝利したプロイセン王国は、ドイツ帝国の栄光であった。
 国家統一に必要なのは、鉄(兵器)と血(兵士)というビスマルクの鉄血演説に強い感銘を受けたのが、大久保利通や木戸孝允、伊藤博文だった。
 岩倉具視からドイツ帝国憲法の調査を命じられたのがその伊藤博文である。
 大久保が着目したのは、フランスの民権思想でも、イギリスの議会主義でもなく、ドイツの王権主義だった。
 プロイセンの絶対王政とビスマルクの富国強兵を合体させれば、強力な帝国主義国家が誕生する。
 明治政府が、憲法制定後、軍事国家をめざしたのは、ドイツ帝国を範にしていたからだった。
 このとき、日本は、国体と文化を喪った。
 それが帝国主義と近代化(ヨーロッパ化)だった。
 富国強兵と日清・日露戦争の勝利は、日本を世界の4大強国の一つにもちあげたが、1945年の敗戦によって、日本は、一転して、国体の危機に瀕することとなった。
 天皇は、マッカーサーと会見して、みずから戦争責任を宣し、国民の救済をもとめた。
 マッカーサーは感銘をうけた。
 そして、国体がまもられた。
 神風が吹いたのである。
 天皇は、戦後、権力の座から文化の座へお還りになったのである。
 次回以降も天皇と憲法について論をすすめよう。
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2018年10月27日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」67

 ●自主憲法制定と日米地位協定(4)
 憲法が国家の基本法なら、歴史や伝統、文化などの民族の遺産が反映されていなければならない。
 それを国体というなら、本来、憲法は、国体の体現であるべきなのである。
 ところが、現行憲法からは、国体がすっぽり抜け落ちている。
 国家も消え失せ、国民主権という、実体のないがらんどうがあるだけである。
 国家主権も国家防衛も、国家緊急法もない、巨大な暗渠が、憲法という冠をかぶっている。
 それが日本の憲法で、そこには、国民主権とアメリカ民主主義という怪物がうごめいているだけである。
 国民主権は、国民の総体がもつもので、権力者がこれをあずかる。
 占領中、GHQが国民主権をあずかったが、1951年、GHQが日本から去ったあと、アメリカ民主主義が、GHQに取って代わった。
 それが、日本国憲法に仕掛けられた巧妙なマジックで、憲法至上主義というのは、アメリカ民主主義至上主義のことなのである。
 安倍首相は、憲法改正にご執心だが、アメリカ民主主義のマニュアルにすぎない憲法をどういじったところで、でてくるのは金太郎飴で、抜本的改正などできっこない。
 天皇元首論や9条加憲は、憲法改正ではなく、明らかに改悪である。
 憲法を改悪するくらいなら、手をつけないほうがよい。
 法は、時間の経過にともなって、無意識化されてゆく。
 習慣や常識、現実主義が、条文にすぎないものを淘汰してゆくのである。
 その究極が、コモンロー(不文法・習慣法)で、コモンローの国イギリスは成文法をもたない。
 日本国憲法も、コモンロー化されつつあって、世界第6位の軍事力と軍隊や交戦権を否定する憲法9条が両立しているのは、憲法が、無視されているからである。
 国民主権といいながら、じぶんが主権をもっていると自覚している日本人がどれほどいるだろう?
 憲法の国民主権などだれも信用していないのである。
 基本的人権も、憲法ではなく、国家から与えられていると、大方の日本人は知っている。
 たとえば、他国に領土を侵略占領されて、人権がまもられるであろうか。
 人権や人間の尊厳をまもるのが自国の軍隊で、法など紙切れにすぎない。

 紙切れにすぎない法が大きな力をもつのは、法が神話となるからである。
 神話というのは、万人が共有する共同幻想≠ナある。
 コモンローも神話で、人々は、神話を共有する共同幻想のなかで、価値観や共通感覚を分かち合う。
 国体も神話で、憲法が、国体の体現というのは、憲法こそ国民の共同幻想でなければならないからである。
 習慣や常識、現実主義が、イギリスでは、コモンローをつくりあげ、日本では、国体をつくりあげた。
 イギリスでは、コモンローが国家基本法を代行している。
 ところが、日本では、国体が、憲法に反映されていない。
 日本国憲法から見えてくるのは、どんな国家像か。
 空想的な共和制国家で、国民主権とアメリカ民主主義という空疎があるだけである。
 そんなものに国体をあずけられるものだろうか。
 憲法第二条にこうある。
「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」
 世襲は、かならずしも、男子相続(万世一系)を意味しない。
 皇室典範は国会議決(多数決)に左右される。
 これでは、皇位は風前の灯で、皇室の自然消滅をはかったGHQの思う壺である。
 帝国憲法の第一条には「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とある。
 井上毅の草案では「天皇之ヲ治ス所ナリ」とあって、こっちのほうが実際に即している。
 治(シラ)スというのは、ヨーロッパ的な統治とはちがい、存在することによって、自然に国が一つにまとまるという意味合いで、出典は日本書紀である。
 国体を活かすなら、憲法に「万世一系ノ天皇之ヲ治ス所ナリ」という意味の語句をいれなければならない。
 現行憲法にこれをうけいれる余地などあるだろうか。
 日本国憲法は、習慣や常識、現実主義を裏切る空想であって、いかに理屈をつけてみたところで、新しい憲法概念はうまれてこないのである。
 そこに、左翼やリベラル、日本共産党がこの憲法を支持する理由がある。
 国家主権や国体概念、習慣や常識、現実主義を断ち切ったこの憲法は、かれらの革命綱領にぴったりの代物なのである。
 次回は、自民党改憲案「天皇元首論」を批判しよう。
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2018年10月21日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」66

 ●自主憲法制定と日米地位協定(3)
 天皇条項を中心に、自主憲法制定の基本ラインをのべておこう。
 といっても、これは、憲法改正案でも、自主憲法案でもない。
 あるべき憲法のすがたをのべただけのもので、わたしなりの憲法論である。
 憲法とはなにか、はたしてそれは必要なのか、必要ならどんな形が望ましいのか。
 大所高所に立って、憲法をながめて、思うところをのべてみよう。
 日本国憲法が虚構≠ナあることにだれも気がついていないように思える。
 第一条にこうある。
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
 この文章が、合理的でも民主主義的でもないことは、冷静に一読すればすぐわかる。
 天皇が日本国の象徴であるという部分はそのとおりである。
 これは、憲法の枠内の話ではなく、摂関政治や院政、武家政治において天皇は、歴史上、象徴であって、権力ににらみをきかせる権威であった。
 GHQがウェストミンスター憲章(1931年)から借りてくるはるか以前から、日本では、天皇が、国家の象徴だったのである。
 その第一条も、「日本国民統合の象徴」というあたりから話があやしくなってくる。
 国民統合というのは、政治や制度、法の成果であって、直接、天皇にむすびつくものではない。
 そして、同条は、天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく、とむすばれる。
 総意にもとづくというのは、民主主義の原理に反する。
 民主主義の原則は多数決で、多数派が、一つの政治意志としてあつかわれはするものの、多数決もとらず、一概に、総意というのでは、全体主義である。
 主権の存する日本国民というのも、ありうる話ではない。
 主権(君主権/ソブリンティ)は、なにものも侵すことのできない絶対的な権力だが、法に縛られている一国民がそんな大きな権力をもてるはずはない。
 国民主権というのは壮大なるまやかしだったのである。
 日本国民が、一人ひとりの国民をさすのか、国民全体をさすのかも、不明である。
 一人ひとりの国民は、主権という絶対権力をもつことができない。
 したがって、ここでは、国民全体ということになるだろう。
 国民全体とは、どんな実体か。
 国民全体がもつ主権とはいったいなにか。
 まったくわからないが、それも当然で、日本国憲法は、ユダヤの思想家、社会契約論のジャン・J・ルソーが唱えた「主権委譲説」のコピーなのである。
 ルソーは、一人ひとりの国民を国民全体に一般化して、国家に与えられていた主権を、その国民全体にあずけた。
 こうして、国家にあった主権が、ルソーによって、国民の側へ移された。
 ここでいう国民は、一人ひとりの国民ではない、国家とわたりあう、総体としての国民である。
 国民の総体は、国民が一億人いれば一億人全員なので、数が多すぎて、統一的な主権を行使することができない。
 そこで、代理人(為政者)がその主権をあずかって、その権利を行使する。
 これが、ルソーの革命理論で、フランス革命もロシア革命も、その方法がとられた。

 日本国憲法第一条は、ルソーをかじったニューディーラーが、革命家気取りで書き上げたものである。
 だが、国民主権をひきうける肝心な為政者がだれなのか、書かれていない。
 日本国かGHQか、そのいずれかでならなくてはならない。
 国民主権をあずかる為政者が、日本国ではなく、GHQだったことは、日本に主権(国家防衛権や国家緊急法)がなく、その一方、98条(「憲法の最高法規性」)および99条(「天皇・摂政・公務員の憲法尊重擁護義務」)の宣告者がGHQであることからも明らかである。
 日本国憲法は、占領基本法で、主人は、GHQ(アメリカ)だったのである。
 日本国憲法の条文は、主語(主格)が巧妙に隠されている。
 第11条(「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」)
 だれが国民に基本的人権をあたえるのか?
 憲法の条文というならオカルトだが、そうでなければ、日本国という国家でなければならない。
 当初、GHQであったろうが、GHQは67年前、日本から撤退している。
 国民の基本的人権をまもってきたのが、日本という国家でないというのなら、日本は、これまで67年間、主人のいない憲法をまもってきたことになる。
 主人が不在の憲法というのは、条文そのものが主人となるような憲法である。
 憲法11条を読み直してみると、なるほど、預言かオカルトで、条文にすぎないものが、国民を組み従えている。
 国民に基本的人権を与えるのは、国家であって、憲法の条文が、国民の基本的人権をまもるわけではない。
 ところが、現行憲法では、主権者が日本国であると一言も書かれていない。
 日本国憲法から日本という国家が脱落しているのである。
 その結果、神の預言のように、条文そのものが、国民の主人になりおおせている。
 新憲法制定の必要があるのは、現行憲法がオカルトに堕しているからで、新憲法においては、国家主権と、主権にともなう責任と義務が、明確に謳われていなければならない。
 次回は、憲法の神話性へと話を転じよう。
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2018年10月15日

神道と世界最古の文明「縄文文化」65

 ●自主憲法制定と日米地位協定(2)
 親米保守というのは、ありえないスタンスで、親米なら革新でなければならない。
 なぜなら、アメリカは革命国家で、独立宣言以前の歴史や伝統をひきついでいないからである。
 スペイン人がマヤ文明やアステカ文明を滅ぼしたように、アメリカ人はインディアンを絶滅させ、数億頭いたバッファロー(野牛)をすべて撃ち殺した。
 ヨーロッパのプロテスタンティズムや産業革命をうけついでいるが、これは歴史の連続性をひきついだわけではなく、移民文化であって、そこが新興国家アメリカのスタート地点となった。
 親米保守の保守は、もともと、反共という意味合いで、1950年代のマッカーシズム以降、アメリカは、反共に転じたが、前大戦では、共産党国家ソ連と同盟関係にあった。
 日本の親米保守は、したがって、親米反共という意味になるが、反共ということばは、すでに死語である。
 すると、保守も反共もふっとんで、吉田茂以来の親米云々は、親米従属なるただの対米コンプレックスだったことになる。
 吉田ドクトリンは、安全保障をアメリカに依存して、経済復興と経済発展を最優先させる軽武装・経済外交型の国家戦略のことで、これと相補的な関係にあったのが、陸海空戦力と交戦権の放棄を謳った憲法9条だった。
 吉田ドクトリンは、憲法9条をテコに、日本の防衛をアメリカにおしつけるもので、このいびつな日米関係が、サンフランシスコ講和条約以降、日本の対米依存の基本構造となった。
 いびつというのは、9条というモラトリアム(責任免除)法が、対等であるべき二国間関係を阻害しているからで、アメリカにしてみれば、国家防衛(核の傘を含む)を依存しておいて、対等な国家関係をもとめるのは虫がよすぎるという理屈になる。
 もっとも、このいびつな関係は、アメリカにとって好都合でもあって、日本防衛を口実に極東に軍事拠点をもてるばかりか、自衛隊を極東米軍の支援部隊とすることができる。

 いずれにしても、憲法9条というモラトリアム法があるかぎり、アメリカは対日関係において、優位に立つことができる。
 それが如実にあらわれているのが日米地位協定と駐留米軍経費負担である。
 日独伊の駐留米軍経費負担率は次のとおり(2002年)である。
 日本   負担率74・5% 44億1134万ドル
 ドイツ  負担率32・6% 15億6392万ドル
 イタリア 負担率41・0%  3億6655万ドル
 日本の駐留米軍経費負担率は独伊の2倍余、金額にして3〜15倍の開きがある。
 さらに大きな差があるのは、地位協定で、米独、米伊関係が対等なのにたいして、日米関係だけが不平等になっている。
 たとえば、駐留米軍への適用法規だが、独・伊では、国内法が適用されるのにたいして、日本では、国内法が適用されない。
 米軍基地への立ち入り権についても、独・伊とも無条件に可だが、日本は不可である。
 訓練演習に対しては、独・伊の場合、事前通告と承認が必要となるが、日本の場合、通告も承認も必要がない。
 事故の調査権でも、独・伊が独自で調査できるのにたいして、日本は米軍の同意が必要となる。
 さらに差別的なのは、一般犯罪の捜査で、容疑者の米国兵士が基地内にいる場合、日本の捜査権・逮捕権・裁判権がおよばないばかりか、米軍が容疑者を除隊帰国させてしまうケースもあって、お手上げ状態である。

 日本がアメリカに譲歩的なのは、自国防衛をアメリカにゆだねているからである。
 現実はどうあれ、法の上では、日本は無防備で、交戦権をもたない。
 交戦権をもたないということは、国家主権を放棄するということで、国家としてこれほど恥ずべき醜態はないが、戦後のゆるみきった世相において、その反省はないにひとしく、かつて、誇り高かった日本人の名誉は完全に失われている。
 現在、日本は、解釈改憲で、世界第六位の軍事力を有している。
 だが、現実に、日本の軍事力を担保しているのは、日米安保条約である。
 対米関係がなければ、日本は、法文(条約)上、丸腰で、領土を奪われても攻め込まれても、抵抗もできない弱虫国家ということになる。
 国家主権の放棄――これを平和主義というのは、日本共産党とそのシンパの悪質なデマゴギーで、自国を防衛できない国は、平和どころか、紛争当事国となるのが、歴史の教訓である。
 独立国家の気概や尊厳を捨て去って、アメリカや中国、ロシアなどの大国と張り合うのはできない相談で、それどころか、日本は、韓国や北朝鮮からもばかにされている。
 憲法改正あるいは、自主憲法を制定すれば国家国民の誇りを取り戻すことができるだろうか。
 否である。
 自民党の改憲案にして、9条温存など、解釈改憲から大幅に後退している。
 これに公明党の環境権や社民主義的な人権法や福祉法、国家主権の制限法がくわわって、新憲法が現在のものより左翼的になるのは火を見るよりも明らかである。
 というのも、改憲議論になれば、朝日・毎日・中日を中心に新聞左翼がキャンペーンを張るはずだからで、民主主義に批判的な保守の論旨より民主主義に追従する革新・左翼の論調のほうが大衆受けするのである。
 次回以降は、天皇条項を中心に、自主憲法制定の基本ラインをのべよう。

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2018年10月08日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」64

 ●自主憲法制定と日米地位協定(1)
 風さゆる 冬は過ぎて まちにまちし 八重桜咲く 春となりけり
 これは、昭和二十七年四月二十八日、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が独立を回復した折に天皇陛下が詠まれた和歌である。
 日本はそれまで旧連合国、現在の国連常任理事国の占領下にあって、言論は統制され、日本の伝統や国体、民族文化が破壊されかねない危機にさらされていた。
 日本が主権を回復したとき、陛下は、明治神宮と靖国神社に参拝された。
 独立回復をよろこび、明治天皇と戦没者にこれをご報告されたのである。
 日本に神風が吹いたというのは、結果として、国体が護持されたからである。
 この時点で、GHQ憲法は無効となっていたはずである。
 イギリスの植民地だったアメリカ、ナチスに屈したフランス、日本との合併下にあった朝鮮が、独立戦争や解放戦争、日本の敗戦によって、それまで隷属的だった法体系から開放されたのは当然で、日本も、そのとき、吉田茂首相が独立宣言をおこなって、憲法廃棄を宣言していれば、現在にまで尾を引く憲法問題は存在しなかっただろう。
 ところが、GHQ憲法を残し、日本をアメリカの庇護下におこうとした吉田茂は、社会党とつうじて、憲法の破棄ではなく、改正という方法論をえらんだ。
 吉田が目をつけたのが、各議院の総議員の三分の二以上、国民の過半数の賛成票を必要とする九十六条の改正条項だった。
 吉田はこのとき、社会党が、憲法改正の拒否できる三分の一票を獲得できるように裏工作をおこない、その社会党に改憲反対をけしかけた。
 以後、憲法議論は、閣議決定や多数決で可能な破棄ではなく、総議員の三分の二以上が必要な改正へふりかえられて現在に到っている。
 渡部昇一や石原慎太郎ら多くの保守論客が憲法破棄論を訴えたが、マスコミは完全無視して、憲法論議を、事実上、実現不可能な改正論へと固定化させた。
 自主憲法制定が党是だった自民党も改憲へと軌道修正した。
 そして、日本共産党が、党勢拡大のために9条護持を謳うにいたって、憲法議論は不毛なデッドロックにのりあげてしまった。
 改憲・自主憲法制定論者を「好戦主義者」とする共産党一流のデマゴギーが世論の一角を占めるにいたって、まともな憲法論議が成り立たなくなってしまったのである。
 
 日本は、現憲法下で世界6位の軍事力をもち、イージス艦6隻、空中給油機6機、準空母2隻を保有するほか、900キロ級の巡航ミサイルの導入までをきめている。
 これを現憲法に照らすと9条2項(「陸海空軍戦力を保持しない」)に抵触するのは子どもでもわかる。
 日本は、憲法を改正せずとも、否、憲法を改正しないほうが、日本は適正な軍事力をもてるのである。
 むろんこれは、アメリカの都合で、トランプが過日、日本が日米貿易摩擦を緩和するに足るほどの米製武器を購入すると上機嫌だったことから、日本の防衛費は、今後、増えつづけると予想される。
 軍事超大国アメリカにとって、日本は、同盟国であるよりも、武器を買ってくれる大のお得意であって、それ以上ではない。
 ナチスに屈服したフランス・ヴィシー政権の法を戦後、撤廃したのはドゴールだったが、ドゴールは「同盟国とは共にたたかうが、運命は共にしない」と名言を吐いてもいる。
 ところが、日本は、アメリカの同盟国であるよりも運命共同体たらんとしている。
 サンフランシスコ講和条約によって、主権返還とGHQの撤退が実現して、日米安保条約発効したが、憲法にリライトされた占領基本法と日米地位協定は旧態依然のまま残った。
 これが対米属国の元凶で、日本国憲法および日米地位協定の主体者はアメリカである。
 憲法と日米地位協定があるかぎり、日本は、アメリカの属国でありつづけなければならないのである。
 安倍首相の9条加憲は、9条二項で「陸海空軍を保持しない」と謳いながら自衛隊を合法化するというもので、これは、精神分裂症的な大矛盾だが、日米の特殊な関係をみればうなずける。
 
 アメリカは日本に最新の武器を売りまくるが、その武器が、対米緊張にむけられたら目もあてられない。
 日本の軍事力が脅威になった場合、アメリカは、日本にたいして、軍隊が存在せず、交戦権ももたないという九条の原則をまもるようにもとめる。
 九条があれば、日米摩擦が生じたとき、時の政権を9条違反でゆさぶることができるのである。 
 アメリカは、ロッキード事件を仕掛けて、田中角栄を抹殺した実績をもっている。
 日本の首相が、武器輸出にからんで賄賂を取ったというスキャンダルを朝日新聞や日本共産党に流せば、まちがいなく、反米政権はつぶれて、親米政権が誕生する。
 日本の政治家を収賄罪でひっかけるにも、9条違反が格好のフックになる。
 アメリカは、超軍事大国であると同時に大謀略国家である。
 CIAがそのくらいのシナリオを書き上げるのは朝飯前だろう。
 しかも、アメリカは、敗戦が決定的だった国に二発の原爆を落として、殺傷能力テストをおこなった有色人種蔑視の国家でもある。
 アメリカにとって、憲法と日米地位協定は、日本を支配下に置くための悪魔の切り札だったのである。
 次回は、テーマを、対米関係から憲法、日米地位協定、防衛、いわゆるA級戦犯、天皇の靖国神社参拝までひろげていこう。
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2018年09月28日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」63

 ●民主主義と権力主義(6)
 日本では、時折、邪道が正道をおしのけて、常軌を逸した事象が平然と姿をあらわす。
 とりわけ、伝統と革新がせめぎ合うシーンで、それは、よくみられる。
 伝統をまもることはむずかしく、革新が時代の潮流に乗りやすいのは、歴史が示すとおりだが、日本ではそれが、時代の節目にヒステリックな形であらわれてくる。
 ロッキード事件がおきたのは、対米従属一辺倒だった日米関係が、田中角栄によって転換されつつあったさなかだった。
 当時、角栄有罪を叫んだマスコミの狂奔がヒステリーでなくてなんだったろう。
「9条加憲」も、野党が弱体化して、自公あるいは自民党(保守陣営)単独で改憲に必要な三分の二議席を確保できそうな情勢下でおきた。
 9条加憲は、自衛隊を自衛ための必要最小限度の実力組織とした上で、同条の1項、2項を、自衛隊設置を妨げるものと解釈しないというものである。
 具体的には「第3項」で自衛隊設置を謳い、「前2項は自衛隊を設けることを妨げない」と但し書きを入れるというのだが、姑息すぎる。
 なぜ、「第2項」の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を削除して、自衛隊を国軍とする、としないのか。
 共産党や社民党、旧民主党の一部が騒いでも、しょせん少数派で、多数決でおしきれるではないか。
 国益や国家理性、伝統に照らして、正当と思われることがなんの注釈もなくひっくり返される。
 元号問題も然りで、今上天皇のご譲位の時期において、次期元号の事前公表という前代未聞の不祥事が、政府の手によって、着々と準備されている。

 政令が定める元号は、内閣が政令を閣議決定して、天皇が公布する。
 政府は、付帯決議を根拠に、地方自治体や企業の意見も聞いた上で、今年5月、皇位継承1か月前の公表を想定して、各省庁のシステム改修などの準備をすすめるという。
 これにたいして、神社本庁の機関紙「神社新報」は、新元号が天皇の御世であることをふまえ、新天皇が御聴許の上、政令としてこれを公布し、公表するべきとする主張を展開した。
 安倍首相をささえてきた神社本庁が、元号の事前公表はノーといっているのである。
 超党派議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」の会合でも、出席者から「元号の権威や伝統がどうまもられてのか」などの意見が相次ぎ、会長の古屋圭司衆院議院運営委員長が菅義偉官房長官に「新元号は新天皇から公布されるべき」と申し入れた。
 新天皇の践祚および即位の一か月前に新元号を事前公表をすることは、今上陛下の御代(平成)に次の天皇の時代の元号を謳うことになって、神事として成り立たない。
 新天皇の践祚前に新元号を公表すると一世二元となってしまうからである。
 御代替わりにあたって、宮中では、幾つもの重大な儀式が催される。
 これは国家的神事で、政府機関がおこなう御代替わりの式典は、この神の業(わざ)をうけるものにすぎない。
 践祚および即位は、国体の儀式であって、断じて、政体の行事ではないのだ。
 不都合だからといって、一世二元となる元号の事前公表をおこなえば、新元号発布が神事に則らないご都合主義となって、はなはだ、不穏当である。

 これと類似した問題に元号の開始月日がある。
 政府は、2019年5月1日に新元号を切り替える前提で、同年4月1日の公表を想定して準備をすすめると発表している。
 新元号が5月1日施行なのはなぜなのか。
 官邸は当初、「2018年末に新天皇が即位、2019年元日に改元する」という案を考えていたという。
 これに、天皇陛下の「ご意向」を重視する宮内庁が難色を示した。
 年末年始は皇室の重要行事が相次ぐ上、昭和天皇崩御から30年となる節目でもあって、「陛下ご自身が儀式をとりおこないたいお考え」を主張したといわれる。
 官邸は、次善の策として、年度替わりとなる「19年4月1日即位」の案を提出したところ、「年度替わりは転勤や入学などで慌ただしい」「中央官庁の人事異動と重なる」「3〜4月は統一地方選で政治家が多忙」といった異論が噴出して、結局、第3案の「5月1日即位」にゆきついたという。
 5月1日はメーデーである。
 保守主義者なら反射的に避ける月日で、忌避すべき理由やデメリットを挙げてゆけばきりがない。
 寿ぐべき元号の初日を、アメリカでは「ゼネスト記念日」としても知られるメーデーをあてたことをふくめて、親米主義者である安倍首相の政治姿勢には疑問をかんじざるをえない。
 ちなみに、私は、この件について、友人(福田富昭/国際レスリング連盟副会長/2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員/文部科学省五輪対策チーム実行委員長)を介して、神社本庁に申し入れをおこなった。

 親米保守である安倍首相は、親米だけを取って、保守を捨てた売国政治家に変貌しつつあるのではないかと疑問を抱かざるをえない。
 今上天皇の譲位のご意志を、憲法4条の解釈にからめて政治決定としたのみならず、神事ともからむ元号決定を政治問題(政令)にして、天皇を除外したのは、改憲主義者とは思えない憲法原理主義≠フふるまいで、国民感情とも遊離している。
 安倍首相は、アメリカ人の感覚をもって、日本の政治をおこなっているのではないか。
 9条1項、2項の遵守は、日本を潜在的仮想敵国と位置づけるアメリカの思惑に合致しており、皇室の無力化は、GHQ以来、アメリカの既定方針である。
 安倍首相から、日本独自の、国益や誇り、固有文化を訴える迫力がまったくかんじられないのは、かれは、愛国者でも民族主義者でもなく、根っからのアメリカンボーイだったからではなかったか。
 トランプ大統領は、貿易摩擦を回避するため、日本が、アメリカ製の武器を大量に購入する予定と嬉々として記者会見している。
 安倍首相の政治ウエイトは、日本よりもアメリカにかかっている。
 このままでは、安倍政治は、アメリカのための憲法改正、アメリカのための外交、アメリカのための経済政策に転落してしまう危険性がある。
 現在、日本国憲法は、9条をもちながら、世界第六位の軍事力をもっていることからわかるように半ば死に体≠ノなっている。
 半分、死んでいる憲法を改正する必要などどこにあるだろう。
 下手に改憲すると、自主憲法どころか、むしろ、現在のものよりもっとリベラルな革命憲法ができあがってしまう可能性が大である。
 それより必要なのが、対米従属のマニュアルになっている「日米地位協定」の抜本的改革である。
 次回以降、論旨を対米関係へと移していこう。
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2018年09月25日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」62

 ●民主主義と権力主義(5)
 元号についての議論で気にかかるのが、便宜性から伝統を語ろうとする見当違いと外国にたいするへつらいである。
 元号を文化と見て、一刀両断的にいうなら、日本固有に文化なので、これを問答無用にうけいれなくてはならない。
 便宜性に問題がある、外国人にわかりにくいなど、そんなものはとるに足らない問題で、まともにとりあうほうがどうかしている。
 元号問題は、哲学で言うなら与件、絶対前提で、うごかすことにできない第一原因である。
 その絶対前提にあたるのが天皇の存在で、いみじくも、元号は、天皇の御世の尊号である。
 元号は、世界に類のない国宝級の伝統で、日本人たるものこれに誇りをもって世界に宣してよい。
 ところが、警察庁は、改元にあたって、運転免許証の元号表記を西暦に変更する改定案を発表した。
 理由は「元号が外国人にわかりにくい」「マイナンバー制度に西暦がもちいられている」の2点だが、警察庁の意識や知的レベルの低さには開いた口が塞がらない。
 運転免許所有者のうち外国人が何パーセントか知らないが、わずかな外国人が元号の不便性をうったえたとして、それがなんなのだ。
 外国人の元号へのクレームは、免許をあたえてくれた他国への無礼、文化侵害であって、警察庁がふるえあがって恐縮することではないのだ。
 マイナンバー制度の西暦は、有効期限表示で、十年後、元号が変わっている可能性があるので、便宜上、西暦だが、生年月日は元号である。

 元号と西暦の併記は、伝統と国際慣例の並立で、キリスト教国家ではないわが国は、元号法は整備されているが、西暦が法制化された事実はなく、明治5年以降、グレゴリオ暦(西暦/太陽暦)が国際慣例としてもちいられてきたにすぎない。
 警察庁はテロ防止キャンペーンに女性タレントを使って「私はテロをゆるさない」なるポスターをべたべた貼り出して自己満足にふけっている。
 頭のレベルがその程度なら元号など文化の根源に触れる問題には近づかないほうがよいのである。
 これに先立って、政府は、各省庁がコンピュータ・システムでやりとりする日付データについて、和暦(元号)と西暦で混在している現状を改め、今後、数年かけて日付データを西暦に一本化する考えだという。
 呆れた暴挙で、日本国の正式な年号(元号)を放逐して、便宜上の暦(キリスト暦)を国家の年号にしようというのである。
 理由は、便宜性と合理性、事務の簡便化だけである。
 便宜性や簡便化が理由だとしても、行政文書での元号使用を強制しなければよいだけの話で、それが、どうして、元号廃止の理由になるのか。

 元号廃止の背後にあるのは、一切の伝統を廃止する革命思想である。
 これは、広義の民主主義革命で、伝統・権威・制度が否定されると、社会が崩壊の危機にさらされる。
 この民主主義革命は、左翼暴力革命が血みどろの闘争であるのにたいして、一見、平和的で、そもそも、革命などという物騒なムードすらかもしださない。
 議会内革命・国民投票・大衆迎合がキーワードで、その三つを呑みこんでいるのが民主主義という大舟である。
 多数決や国民投票、大衆的討議の果てになにがあるかといえば、国民的堕落というふしだらさである。
 ゴミの処分場をつくれ、だが、自宅の近隣は絶対反対というのが大衆的ふしだらさである。
 政治的決定は、さまざまの条件や選択肢、価値観、信条などが検討されてでてくる高度な判断で、偉人や英傑、哲人らが人々から尊敬されるのは、かれらの決断がすぐれていたからにほかならない。
 ところが、現在、もてはやされているのは、衆愚のきわみである国民投票で、どの政治家も二言目には国民投票を口にする。
 国民投票は、英知や知性、知恵や知識、テーマにかんする情報や付帯条件をあたえられないか、それが、不十分なまま、感情や好悪、目先の利益や気分任せに投じる政治決定で、これがこれまで、最悪の結果を招いてきたケースは枚挙にいとまがない。。
 向上には、努力や忍耐が必要だが、国民投票ではいちばんイージーな政策が選択されるので、国民投票の結果、国家は、まっしぐらに衆愚政治へ転落してゆく。
 元号を国民投票にかけると「面倒」「西暦のほうが便利」などという理由から廃止になる可能性がきわめて大きい。
 文化的異義や伝統的価値を重んじる知的レベルの高いひとは、いつの世でも、少数派だからである。
 民主主義とは、圧倒的多数の愚論が少数派の賢者の論を踏み潰してゆくプロセスで、伝統(元号)には一円の価値もない叫ぶ亡者がふり回す亡国の斧だったのである。
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2018年09月21日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」61

 ●民主主義と権力主義(4)
 昭和54年、旧大東塾の影山正治は「一死似て元号法制化の実現を熱祷しまつる」とする遺書を残して割腹後、散弾銃により自決した。
 元号法が可決されたのはその直後(第87回国会)のことだった。
 日本において、元号は、かくのごとく思い意味をもっている。
 一人の天皇について一つの元号に限る「一世一元」によって、天皇と元号が一体化して、天皇への親近感と日本特有のアイデンティティ(文化)がつくりだされる。
 西暦645年の「大化」から西暦1989年の「平成」まで延べ1344年間、247の元号が重ねられてきたが、そのかん、元号にまつわる混乱は皆無だった。
 それだけ、元号は、日本人に深くなじんできたといえる。
 元号は天皇がおきめになるもので、明治憲法下でも、元号は、勅定=天皇の決定事項と明記されていた。
 その公表は、法的効力を持つ詔書で、明治憲法下における改元は、元首たる天皇の権威を示す一大イベントだった。
 ところが安倍政権は、元号の政府決定どころか、元号の事前公表までを計画している。
 さらに、パスポートや運転免許証、公的文書などへの西暦表記を関係省庁へ通達したという。
 戦後、GHQ命令によって、天皇の法的効力(勅定・詔書)は失われた。
 元号も法的根拠を失ったが、政府は歴史的慣習としてこれを存続させてきた。
 そして、昭和54年の元号法成立で、元号は、よみがえった。
 ところが、同法では「元号は、政令で定める」とされている。
 政令は、内閣による命令なので、元号を決めるのは天皇ではなく、内閣総理大臣ということになる。
 日本は独立国なので、天皇の法的効力(勅定・詔書)を復活させてよかったはずだが、どういう力がはたらいたのか、GHQ意向がそのまま残った。
 天皇ではなく、首相が元号をきめるのなら、元号の決定が天皇の権威を示すイベントとなりえないのではないか。
 元号制度をとる国は、世界で日本が唯一で、天皇の権威を示すものとなっている以上、新元号は、新天皇(皇太子)におきめいただく配慮がはたらいてしかるべきではなかったか。

 1979年(昭和54年)に元号法が成立してから40年近くが過ぎた。
 いまにいたって、元号を廃止する理由も根拠も見当たらない。
 にもかかわらず、安倍首相は、なぜ、パスポートや運転免許証、公的文書などへの西暦表記を関係省庁へ通達したのか。
 その謎を解くカギは、じつは、安倍首相の「9条加憲」にある。
 自衛隊を憲法で明文化する安倍首相の「9条加憲」は、護憲派ばかりか改憲派や中道、無党派層のいずれの層からもそっぽをむかれている。
 憲法9条の1項、2項をそのままにして、3項を追加して、そこに自衛隊の合憲化を書き込むというアイデアは、果たして可能であろうか。
 賛成反対以前に、論理的矛盾につきあたって、だれだって、お手上げである。
 このアイデアを名案として歓迎するムキが一つだけある。
 アメリカである。
「われわれ(アメリカ)がつくった憲法をまもって、わが国(アメリカ)との集団的自衛権を保持せよ」とアメリカから迫られた場合、日本は、論理的矛盾はさておき、9条に3項をくわえて、自衛隊の合憲を謳うしかない。
 これが、安倍首相の「9条加憲」の深層構造だったのである。
 アメリカは、9条の改正を望んではいない。
 事実、日米構造協議や年次改革要望書で、あれほど、露骨な内政干渉をしておきながら、アメリカは、集団的自衛権の妨害となっている憲法9条の改正にいちども言及したことがない。
 アメリカ人の大雑把な思考なら、1項、2項をそのままにして、3項で自衛隊を合憲化する論理的矛盾を意に介さない。
 どっちみち、日本を植民地のような国と思っている国なので、9条がどんな矛盾をひきおこそうが知ったこっちゃないのである。
 日本は、GHQが撤退して70年近くたっているのに、いまもって、憲法も天皇条項もそのGHQの金縛りになっているような国である。
 独立国家としての誇りや自主性をまったくもちあわせていないのである。
 国家としての誇りが元号で、これを新天皇の勅定とすることで、アメリカの呪縛をきっぱり断つことができるが、安倍首相にその気はさらさらない。
 安倍首相が、国家の誇りをもたない、アメリカべったりの拝米主義者だったのなら「9条加憲」から、パスポートや運転免許証、公的文書などの西暦表記や元号の政府決定・事前公表がうなずける。
 安倍首相は、日本の政治を、アメリカの視点に立って、おこなっているのである。
 アメリカにとって、元号はなんの意味もないどころか、西暦との二重表記はわずらわしいだけである。
 日本人のなかにもにも、西暦と元号の併記は面倒というひとがいるが、西暦(キリスト教暦)の使用は、あくまで、国際的な便宜のためで、西暦に660を足すと皇紀(2678年)になる。
 さらに問題なのは、安倍首相が、新元号を事前に公表しようとしていることである。
 今上天皇に元号を冠して(おくりな/諡・諡号)お呼びするのが非礼であるように、次期天皇の元号を前もって、宣するすることはゆるされない。
 ところが、安倍首相は、新元号発足の数カ月前に新元号を公表する腹づもりで、そうなれば、今上天皇による新元号の勅定という、儀礼上、辻褄のあわないことになる。
 安倍首相は、不便性を口にするが、それでは、伝統をもたない軽薄なヤンキーとかわるところがない。
 安倍首相が、伝統国家日本の首相ではなく、革命国家アメリカの使い走りというなら、われわれは、ちがう観点から、安倍首相を批判しなくてはならなくなるだろう。
 次回は、このテーマについて、議論を深めよう。
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2018年09月17日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」60

 ●民主主義と権力主義(3)
「神道政治連盟」は安倍政権と密接な関係の「日本会議」より先鋭的な思想をもつといわれる。
 思想が文化にかかわるものなら、多彩でも先鋭的でもいっこうにかまわないが、政治や権力にかかわるものならそうはいかない。
 政治的先鋭は、大抵の場合、権力の暴走を意味するからだ。
 一般的に、政治あるいは権力という場合、権力抗争であって、国家や国民の安全やゆたかさ念頭におくまつりごと(政)とは別物である。
 政治がまつりごとにおかれる場合、おおむね、よい政治で、権力抗争や政権構想におかれる場合、劣悪な政治といわねばならない。
 長友学園や加計学園は、権力抗争のネタで、まつりごととなんの関係もない。
 出会い系バーに入り浸っていた元文部事務次官が持ち込んだ文書など「だからなんだ」というレベルで、それよりも、50年以上も獣医学部をつくらせなかったことによる日本の獣医学のレベルダウンのほうがまつりごとにとってよほど大きな問題だろう。
 テレビや新聞は、連日連夜、森友学園や加計学園問題に集中砲火を浴びせたが、これは、野党とマスコミ労連提携による反安倍闘争≠ナあって、国民の利益ということはまつりごとを度外視した権力闘争であった。
 石破氏の党総裁選スローガン「正直、公正」は、野党とマスコミ労連の反安倍≠フ論法をそっくり頂戴したもので、次期首相候補者たるものが、野党の権力闘争の論法を借りてきてどうするといいたい。
 党総裁選に大きな波乱はないだろうが、かといって、安倍首相の政治姿勢に問題なしとはしない。
 というより、本来、権威の側に立つべき神社本庁(「神道政治連盟」)が権力(安倍政権)べったりというのは由々しき事態で、これでは、権威が権力からおびやかされた場合、手の打ちようがない。
 小泉純一郎の「皇室典範に関する有識者会議」が万世一系を否定したときに真っ先に異義を唱えるべきは神社本庁だったが、権力になびいて、沈黙した。
 これでは、国体がまもれない。
 万が一、共産党が天皇制の廃棄を謳ったら、神社本庁が共産党打倒の戦いを挑むというのが、伝統をまもる権威=神社本庁のあり方だが、権力べったりの現状では、旧民主党系・共産党政権ができた場合、自民党と心中で、とうてい、権力とはたたかえない。
 政権から距離をおくから、政権を監視できるのであって、政権の太鼓持ちを演じて、国体をまもることなどできない相談なのである。

 神社本庁の前身は戦前の内務省神社局(後の神祇院)で国家機関だった。
「国家神道」の推進者で、廃仏毀釈を実行した神官の集団でもあった。
 権力の走狗となったのは、権威としての自覚がなかったからである。
 権威は聖で、権力は世俗のものである。
 その認識こそが権威と権力を分かつ分水嶺で、そのみきわめがつかなければ権威は権力をもとめて俗に堕ち、権力は権威をもとめて汚れた手で聖を冒す。
 それが、明国皇帝から「日本国王」に冊封された義満で、わが子足利義嗣を皇位に据えて「太上天皇」の尊号を手する寸前、急死する。
 朝廷は義満に「太上天皇」を宣下したが、幕府(4代将軍足利義持/管領斯波義将)はこれを返上した。
 権力の座にあるものが権威となると、却って、権力の座が危うくなると知っていたのである。
 権威が空位になると、権威から授かる権力の正統性が不全となるのである。
 ところが、安倍首相には、足利義持や斯波義将の知恵がそなわっていなかった。
 神社とアメリカお両方を味方につけて、無人の野を往く風情なのである。
 神社本庁は、戦後、宗教法人となって、国家機関ではなくなった。
 だが、地方機関である都道府県の神社庁をつうじて、全国約8万社の神社を包括している。
 宮司など神職約2万人、信者約8千万人を擁する圧倒的なスケールで、全国各地の祭り(神事)を担う氏子総代会や保存会の潜在的パワーは、他の宗教教団を寄せつけるものではない。
 安倍内閣の閣僚20人中、19人がメンバーにくわわっている神道政治連盟(神政連)の中核は、神社本庁の神職たちで、各県の神社庁ごとに地方組織が置かれ、地方議員連盟も組織されている。
 神政連は、保守陣営の理論的中核で大票田でもあるが、政治家は、この神政連から一定の距離をおかなければならない。
 神政連を、権力という俗物性で汚してはならないからだ。

 その兆しはすでにあって、神政連(神社本庁)は、安倍内閣が、天皇のご退位、新天皇のご即位、改元日を5月1日にきめたことに一言もなかった。
 5月1日はメーデー(労働者の日)で、アメリカでは、5人が死刑になったゼネストの記念日として知られている。
 日本では、1952年、暴力革命を叫ぶ一部左翼団体が暴徒化して、警察官側に740人、デモ隊側に200人の負傷者(死者1人)がでたが、この人民闘争は、労働界・左翼革命勢力のなかで、いまなお、高く評価されている。
 新天皇の船出、新元号発足の当日がメーデーとかさなると、メーデー行進のデモ隊が「元号反対」や「天皇制反対」のスローガンをもちださないともかぎらず、そうなれば、新生日本国の門出にも、治安上にも、大きな問題を残す。
 安倍首相はなにを考えているのか。
 また安倍政権は、パスポートや運転免許証などの西暦表記、政府による元号決定と事前公表(今上天皇による新元号の勅令)などという不埒な計画を着々とすすめている。
 次回はこのあたりのデテールについてじっくりのべよう。
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