●左翼とマスコミ、法曹界はLGBTの大応援団
ロシアで「性別変更」を禁止する法案が成立して、今後、性別を変えた人の婚姻が禁止される。主に性別適合手術を受けた人や性別変更の医薬品を使っている人が対象だが、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)らの婚姻申請もはねつけられる。
ロシアメディアによると、アメリカで性別適合手術が10年間で50倍にもふえていることにたいして同法案を提出した下院議会のボロジン議長は「同性結婚が国家の退化とモラルの崩壊を招く」ときびしい警告を発している。
同法律によると、今後、ロシアでは、パスポートの性別欄の変更が不可能になるほか、性別を変えた場合、婚姻が取り消されて、養親、後見人、親権者になることもできなくなる。
一方、日本のマスコミは、同性愛者の告白を「勇気ある発言」とほめちぎる一方、日本は、同性結婚の法制化に消極的とけなしまくる。
そんな日本のマスコミ論調に慣れてしまうと、ロシアの法律が世界の趨勢に逆行しているように思えるが、一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)の世界において、同性愛はタブーで、アフリカでは、最悪の場合、死刑になる。
世界がLGBTに寛容で、理解があるように思えるのは、個人の性の問題は一般論で処理できないからで、性癖には、LGBTの他に、マゾヒズムやサディズムなどの刑事罰に抵触しかねないものまである。
個人の性癖にはつきあっておられないというのが先進国の態度だが、例外がアメリカである。伝統という文化のないアメリカには、うまれついた性までをじぶんできめられるという人工国家の特有の特殊なメンタリティをもっている。
終戦後、日本を占領したGHQが、日本人がダーウインの進化論を知らないのは、文盲だからと思いこんだようなもので、危ういところで、日本は、漢字廃止とローマ字導入というとんでもない国語変更をさせられるところだった。
当時、日本には、GHQの追従者が多く、国語変更に賛成した学者や識者がすくなくなかったからである。
国語変更が中止になったのは、アメリカの学者が日本人の識字率が世界一であることをつたえて、GHQの過ちを正したからだった。
●日本文化を知らないエマニュエル大使の妄想
アメリカのエマニュエル駐日大使が、日本は、先進7か国で唯一、LGBT差別禁止を定めた法律がなく、同性婚をみとめていないことに注文をつけたのは内政干渉だが、それ以前に、この男の日本文化にたいする無知さかげんにはあきれるほかない。
日本は、伝統芸能の歌舞伎の女形や男衆をあげるまでもなく、LGBT大国で、これがこれまでなんら問題にならなかったのは、陰陽における陰の文化として、まもられてきたからである。
レズビアンやゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーなどの少数派が日本で差別されることはなかったのは、性の問題には立ち入らないのが日本流だからである。
織田信長の愛人、森蘭丸は、本能寺の変で、信長をまもろうとして槍を握ったまま討たれたが、その凛々しい美少年のすがたは、戦前、小学校の教科書にまでのった。
エマニュエルは、森蘭丸の変態者としての人権をまもれと言っているようなものだが、これこそ、アメリカ人の無知のきわみで、エマニュエルは「政界のランボー」の異名をもつ無教養な人物である。
ところが、現在、日本の文化人や左翼、マスコミは、一斉にエマニュエルの尻にくっついて、日本がLGBT後進国で、世界に恥ずべき国家であることをふれまわっている。
「LGBT理解増進法」は、超党派議連が提案した内容に、自民党内の保守派や日本維新の会、国民民主党との修正協議を経て、成立したが、この折、超党派議連でおこなわれた自民党・岩屋毅会長のスピーチはまったく意味不明だった。
「大事なことは、この多様性を包摂しうるダイバーシファイドされた、インクルーシブな、そういう社会を日本につくっていくということです」
「LGBT理解増進法」の正式な法律名が「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律(令和5年法律第68号)とあるが、日本の法律に横文字をつかうべきではない。
ジェンダーアイデンティティには、性自認や性差自覚という日本語がある。
超党派議連には、自民・公明・日本維新の会・国民民主の議員がつめていたはずだが、ダイバーシファイド(多様化)やインクルーシブ(包摂的)などという英語が理解できた政治家が何人いたろう。
エマニュエルに煽られて、日本がLGBTの人々を虐待しているかのような錯覚に陥っているので、ダイバーシファイド、インクルーシブなどという英語を使えば、世界からみとめられるだろうという愚かな鹿鳴館的な錯覚に陥ってしまったのであろう。
●LGBTを好機到来と狂喜する法曹界
LGBT問題は、元首相秘書官の荒井勝喜が、同性愛者を「見るのもイヤ」と発言して、これをマスコミが猛批判して、議論が社会的にひろがった。
そして、一般人と同じように税金を払って社会生活を営んでいる同性カップルが、犯罪者でもないのに結婚という法的保護を得られない現状は、法の下の平等に反し、個人の尊厳を毀損しているという議論になって、5地裁の判決においてこれがすべて「違憲」「違憲状態」となった。
日本弁護士連合会にとって、LGBTは、離婚や浮気、相続問題に次ぐドル箱で、これほど稼ぎになるフィールドはない。
日本弁護士連合会は、2019年7月18日「同性婚姻に関する意見書」を取りまとめて、内閣総理大臣や法務大臣らに提出している。
同性婚をみとめないのは、婚姻の自由を侵害するもので、法の下の平等にも反するという理屈で、憲法13条(個人の尊重)と14条(法の前の平等)に照らして、国は、すみやかな同性婚の法制化をおこなうべきというのである。
だが、憲法24条1項に「婚姻は両性の合意のみにもとづいて成立し夫婦が同等の権利を有する」とあるように、両性は男女(夫婦)であって、同性のペアではない。
2項に家族とあるのは夫婦にさずかった子どものことで、同性婚に子どもはさずからない。
日本弁護士連合会は、両性の合意とは、婚姻が当事者の自由かつ平等な意思決定に委ねられているという意味で、同性婚法制化を禁止するものではないと強弁するが、詭弁というよりウソである。
婚姻は、子をさずかることが前提で、出生した子には新たな戸籍があたえられる。子ができる可能性がないのであれば、婚姻は成立せず、同棲というほかないものになる。
外国では「シビルオニオン」や「ドメスティック・パートナー」、「PACS(連帯市民契約/フランス)」などの呼び名があるが、婚姻とはなく、同棲という意味である。
弁護士連合会(小林元治会長)が、国にたいして強腰なのは、弁護士稼業にとって、LGBT差別撤廃と同性婚法制化が、離婚や相続、殺人や強盗、詐欺罪と同様、たいせつなメシのタネになるからである。
次回は、なぜ、左翼がLGBTにとびついたかについてふれる。
2023年07月30日
2023年07月18日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和13
●フランクフルト学派に汚染された戦後の思想
フランクフルト学派は、個の欲望を最大限に拡大して、それがうけいれられない場合、社会がわるいからだとして、これを革命のエネルギーに転化させるマルクス主義の戦略的思考である。
原点にあるのは自然に帰れ≠フルソーで、国家を必要悪とするホッブズにたいして、ルソーは、国家を悪とした。
ルソーやマルクス、フランクフルト学派が個の利益のみを見て全体の利益を見ないのは、個の利益が社会にうけいれられない場合、暴力でその社会を変えてしまおうという立場に立つからで、全体の利益をみとめると、革命のエネルギーそのものがしぼんでしまう。
左翼が個人の自由や権利、個人の民主主義ばかりをもとめ、全体的な秩序や多様性、差異などの文化に目をむけないのは、全体性の価値をみとめるところに革命のエネルギーはないからである。
個の領域を狭めて、全体の利益を重んじるのが保守主義だが、左翼はこれに反対する。個の領域を拡大させて、不満をつのらせなければ、革命のエネルギーはわいてこないからである。
そこで、大衆の不満をかきたてて、社会不安を煽るのが左翼の仕事になって、福島瑞穂や辻元清美、蓮舫らが、連日、保守党攻撃をして、マスコミがこれを追うというパターンが定着している。
テレ朝・玉川徹が「羽鳥慎一モーニングショー」で「将来に希望がもたない絶望感がテロにむかうのは仕方がない」とテロを擁護すれば、高千穂大学教授の五野井郁夫も「テロは絶望の果ての犯行で、政治への怨嗟を放置しておけばテロがくり返される。テロをおこした責任は権力の側にある」といってテロリストの片をもった。
これがマルクス・レーニン主義における「二段階革命(永続革命)」の要諦である。
個(個人)をもちあげて、全体(体制)を否定したのち、個人を国民主権におきかえて、人民政府(一党独裁)をつくろうという理論である。
ところが、その個人は、革命が成立すると、一顧だにされない。
国民主権は、国民全体が一つの単位で、個人は、計算外だからである。
革命をおこす前まで革命の道具だった個人の意志(特殊意志)も人民革命が成立した後では全体意志(一般意志)となって、個人は虫けら同然となる。
価値があるのは全体だけで、共産主義は、個には目もくれないのである。
●GHQ民政局を仕切っていたフランクフルト学派
マッカーシーの赤狩り≠ノよって、アメリカ政府の深くもぐりこんでいたフランクフルト学派の実態が暴かれた。
それと同時にSS戦略情報局(CIA)の指令を受けていたGHQ民政局もフランクフルト学派に汚染されていたことが露見した。
事実、GHQにもぐりこんだ隠れ共産主義者=ニューディーラーは、多くがフランクフルト学派の影響をうけたマルクス主義者だった。
GHQ民政局がつくったのが日本国憲法で、権利という文字が条文に28回もでてくるが、義務は3つ(教育・勤労・納税)しかない。
このことからも、GHQニューディーラーが、フランクフルト学派の影響をうけていたことは明らかで、OSS戦略情報局(CIA)でマルクーゼ、ホルクハイマー、E・フロムというフランクフルト学派が幅をきかせていた。
元来、憲法は、習慣法で十分なのだが、それを契約法にして、国家と歴史を切断しようとしたのは、社会主義革命のための布石で、フランクフルト学派はやり方が周到なのである。
フランクフルト学派が、戦後、日本中に蔓延したのは、日本の民主化をすすめたGHQ民政局がフランクフルト学派の巣窟だったOSSの支配下にあったからで、GHQ民政局の公職追放によって、日本の教育界や学会、マスコミ界は、そっくりマルキストにいれかわった。
日本人的な教師12万人が教壇を追われて、それまで、刑務所いるか地下にもぐっていたマルキストが小中高の教師なって、大学や学会、マスコミもマルキスト一色となった。
日本は、大戦で、すでに、230万人の甲種合格の日本人を失っている。
そして、公職追放で20数万の要人が職場や地位を追われて、日本人の魂をもった教員約12万人が公立学校から追放された。
戦後の教育界やマスコミはもはや日本ではなかったのである。
戦後、日本の主人となったマルキストは旧体制の指導者にこう言い放った。
「革命がおきたらおまえらはみなギロチンだ」
朝日新聞は、東条英機ら日本の戦争指導者7人に死刑が執行された日、紙面にこう書いてGHQをねぎらった。
「お役目ご苦労さまでした」
共産主義者から教育関係、官僚や法曹、学術、マスコミは、すべてGHQに媚びて延命をはかった前歴があって、渡部昇一は、かれらを「敗戦利得者」と呼んだ。
●文化革命の紅衛兵≠ニなった日本のインテリ階級
GHQ民政局次長ケーディスの右腕として活動、戦後、スパイ容疑をかけられて自殺したハーバート・ノーマンの周りには一ツ橋大学名誉教授だった都留重人ら日本人のマルキスト学者が群れていた。
憲法の権威、東大法学部憲法学者の宮沢俊義もフランクフルト学派に一人で宮沢の「八月革命説」は、フランクフルト学派がいう「二段階革命説」の前期革命(ブルジョワ革命)にあたる。
ちなみに後期革命は共産主義革命である。
フランクフルト学派のハーバーマスのことばに「憲法愛国主義」がある。
「民主主義国家において、国民は、祖国愛や愛国心ではなく、憲法の規範価値のもとに統合されるべき」という考え方で、これが、日本弁護士連合会のスローガンになった。
ドイツ統一の際、ドイツ民族が前面に出てきたが、これを完全否定したのが「憲法愛国主義」で、そのため、統一ドイツからドイツ色が一掃されることになった。
改憲論議でも、自民一部や公明党は「日本人(民族)にふさわしい憲法」という観点を欠いた法治主義に陥っているが、聖徳太子の「十七条憲法」をみてわかるように、憲法は文化で、条約や法律、命令や処分は、ただの法文である。
GHQのニューディーラーは、日本の国家体制を、西洋諸国が400年前に捨てた封建社会にあると思いこんでいた。
フランクフルト学派からの入れ知恵で、GHQは、日本を、ブルジョワ社会にたっしていない中世的社会と認識していた。
そして、天皇を、未開社会の酋長のような存在とうけとめていた。
フランクフルト学派は、二段階革命論にもとづいて、封建体制の文化構造を破壊して、日本を共産主義へ導くために、神道から神社、家族制度、権威、性的節度、伝統、愛国心、国家、民族、尊敬心などの徳や価値を封建体制の悪弊として否定してかかった。
このとき、フランクフルト学派が標的にしたのは、インテリ層で、とりわけ、教育界やメディア関係がターゲットになった。
フランクフルト学派がもとめたのは文化革命だったからで、文化を担うのはインテリと若者である。文化革命→政体革命が二段階革命の要諦で、それには精神を破壊して、人間をぶっ壊す文化大革命が先行されなくてはならなかった。
日本に共産主義革命をおこそうとしたのは、OSS戦略情報局(CIA)にもぐりこんだフランクフルト学派で、日本共産党以下、日本のマルクス主義者や反体制派は、外国勢力に追従して、革命を実現させようとする敗戦革命主義者でしかなかった。
だが、GHQが逆コース≠とったため、日本の左翼は、梯子を外された形になった。
ところが、日本の原型は、GHQが破壊してくれていたので、日本は、すでに左翼の国になっていた。
次回以降、日本が、いかにして、フランクフルト学派型の左翼国家になっていったかふり返ってみよう。
フランクフルト学派は、個の欲望を最大限に拡大して、それがうけいれられない場合、社会がわるいからだとして、これを革命のエネルギーに転化させるマルクス主義の戦略的思考である。
原点にあるのは自然に帰れ≠フルソーで、国家を必要悪とするホッブズにたいして、ルソーは、国家を悪とした。
ルソーやマルクス、フランクフルト学派が個の利益のみを見て全体の利益を見ないのは、個の利益が社会にうけいれられない場合、暴力でその社会を変えてしまおうという立場に立つからで、全体の利益をみとめると、革命のエネルギーそのものがしぼんでしまう。
左翼が個人の自由や権利、個人の民主主義ばかりをもとめ、全体的な秩序や多様性、差異などの文化に目をむけないのは、全体性の価値をみとめるところに革命のエネルギーはないからである。
個の領域を狭めて、全体の利益を重んじるのが保守主義だが、左翼はこれに反対する。個の領域を拡大させて、不満をつのらせなければ、革命のエネルギーはわいてこないからである。
そこで、大衆の不満をかきたてて、社会不安を煽るのが左翼の仕事になって、福島瑞穂や辻元清美、蓮舫らが、連日、保守党攻撃をして、マスコミがこれを追うというパターンが定着している。
テレ朝・玉川徹が「羽鳥慎一モーニングショー」で「将来に希望がもたない絶望感がテロにむかうのは仕方がない」とテロを擁護すれば、高千穂大学教授の五野井郁夫も「テロは絶望の果ての犯行で、政治への怨嗟を放置しておけばテロがくり返される。テロをおこした責任は権力の側にある」といってテロリストの片をもった。
これがマルクス・レーニン主義における「二段階革命(永続革命)」の要諦である。
個(個人)をもちあげて、全体(体制)を否定したのち、個人を国民主権におきかえて、人民政府(一党独裁)をつくろうという理論である。
ところが、その個人は、革命が成立すると、一顧だにされない。
国民主権は、国民全体が一つの単位で、個人は、計算外だからである。
革命をおこす前まで革命の道具だった個人の意志(特殊意志)も人民革命が成立した後では全体意志(一般意志)となって、個人は虫けら同然となる。
価値があるのは全体だけで、共産主義は、個には目もくれないのである。
●GHQ民政局を仕切っていたフランクフルト学派
マッカーシーの赤狩り≠ノよって、アメリカ政府の深くもぐりこんでいたフランクフルト学派の実態が暴かれた。
それと同時にSS戦略情報局(CIA)の指令を受けていたGHQ民政局もフランクフルト学派に汚染されていたことが露見した。
事実、GHQにもぐりこんだ隠れ共産主義者=ニューディーラーは、多くがフランクフルト学派の影響をうけたマルクス主義者だった。
GHQ民政局がつくったのが日本国憲法で、権利という文字が条文に28回もでてくるが、義務は3つ(教育・勤労・納税)しかない。
このことからも、GHQニューディーラーが、フランクフルト学派の影響をうけていたことは明らかで、OSS戦略情報局(CIA)でマルクーゼ、ホルクハイマー、E・フロムというフランクフルト学派が幅をきかせていた。
元来、憲法は、習慣法で十分なのだが、それを契約法にして、国家と歴史を切断しようとしたのは、社会主義革命のための布石で、フランクフルト学派はやり方が周到なのである。
フランクフルト学派が、戦後、日本中に蔓延したのは、日本の民主化をすすめたGHQ民政局がフランクフルト学派の巣窟だったOSSの支配下にあったからで、GHQ民政局の公職追放によって、日本の教育界や学会、マスコミ界は、そっくりマルキストにいれかわった。
日本人的な教師12万人が教壇を追われて、それまで、刑務所いるか地下にもぐっていたマルキストが小中高の教師なって、大学や学会、マスコミもマルキスト一色となった。
日本は、大戦で、すでに、230万人の甲種合格の日本人を失っている。
そして、公職追放で20数万の要人が職場や地位を追われて、日本人の魂をもった教員約12万人が公立学校から追放された。
戦後の教育界やマスコミはもはや日本ではなかったのである。
戦後、日本の主人となったマルキストは旧体制の指導者にこう言い放った。
「革命がおきたらおまえらはみなギロチンだ」
朝日新聞は、東条英機ら日本の戦争指導者7人に死刑が執行された日、紙面にこう書いてGHQをねぎらった。
「お役目ご苦労さまでした」
共産主義者から教育関係、官僚や法曹、学術、マスコミは、すべてGHQに媚びて延命をはかった前歴があって、渡部昇一は、かれらを「敗戦利得者」と呼んだ。
●文化革命の紅衛兵≠ニなった日本のインテリ階級
GHQ民政局次長ケーディスの右腕として活動、戦後、スパイ容疑をかけられて自殺したハーバート・ノーマンの周りには一ツ橋大学名誉教授だった都留重人ら日本人のマルキスト学者が群れていた。
憲法の権威、東大法学部憲法学者の宮沢俊義もフランクフルト学派に一人で宮沢の「八月革命説」は、フランクフルト学派がいう「二段階革命説」の前期革命(ブルジョワ革命)にあたる。
ちなみに後期革命は共産主義革命である。
フランクフルト学派のハーバーマスのことばに「憲法愛国主義」がある。
「民主主義国家において、国民は、祖国愛や愛国心ではなく、憲法の規範価値のもとに統合されるべき」という考え方で、これが、日本弁護士連合会のスローガンになった。
ドイツ統一の際、ドイツ民族が前面に出てきたが、これを完全否定したのが「憲法愛国主義」で、そのため、統一ドイツからドイツ色が一掃されることになった。
改憲論議でも、自民一部や公明党は「日本人(民族)にふさわしい憲法」という観点を欠いた法治主義に陥っているが、聖徳太子の「十七条憲法」をみてわかるように、憲法は文化で、条約や法律、命令や処分は、ただの法文である。
GHQのニューディーラーは、日本の国家体制を、西洋諸国が400年前に捨てた封建社会にあると思いこんでいた。
フランクフルト学派からの入れ知恵で、GHQは、日本を、ブルジョワ社会にたっしていない中世的社会と認識していた。
そして、天皇を、未開社会の酋長のような存在とうけとめていた。
フランクフルト学派は、二段階革命論にもとづいて、封建体制の文化構造を破壊して、日本を共産主義へ導くために、神道から神社、家族制度、権威、性的節度、伝統、愛国心、国家、民族、尊敬心などの徳や価値を封建体制の悪弊として否定してかかった。
このとき、フランクフルト学派が標的にしたのは、インテリ層で、とりわけ、教育界やメディア関係がターゲットになった。
フランクフルト学派がもとめたのは文化革命だったからで、文化を担うのはインテリと若者である。文化革命→政体革命が二段階革命の要諦で、それには精神を破壊して、人間をぶっ壊す文化大革命が先行されなくてはならなかった。
日本に共産主義革命をおこそうとしたのは、OSS戦略情報局(CIA)にもぐりこんだフランクフルト学派で、日本共産党以下、日本のマルクス主義者や反体制派は、外国勢力に追従して、革命を実現させようとする敗戦革命主義者でしかなかった。
だが、GHQが逆コース≠とったため、日本の左翼は、梯子を外された形になった。
ところが、日本の原型は、GHQが破壊してくれていたので、日本は、すでに左翼の国になっていた。
次回以降、日本が、いかにして、フランクフルト学派型の左翼国家になっていったかふり返ってみよう。
2023年07月03日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和12
●フランクフルト学派に呪われた戦後の日本
全学連や全共闘、赤軍派が荒れ狂った1960〜70年代にかけて、フランクフルト学派という過激な思想が日本ばかりか世界中を暴れ回った。
フランクフルト学派は、1923年、ドイツでうまれたマルクス主義の亜流で、階級闘争=暴力革命が実現しないのは、人間の精神が資本主義に毒されているからというのが主たる主張だった。
フランクフルト学派の第一世代に属するルカーチは、こう宣言した。
「資本主義下でつくられた精神を破壊しなければ革命は実現できない。人間を破壊せよ。文明や文化を破壊せよ。体制の破壊者であるならどんな犯罪者でもあってもりっぱな革命の兵士である」
この思想の核心は、人間を、資本主義に毒された、あるいは、資本主義から疎外された被害者ととらえるところにある。
したがって、革命をおこすには、その毒された精神を破壊しなければならない。
人間の精神をつくりあげてきたのは歴史である。
革命をおこすには、最初に歴史を破壊しなければならないというのがフランクフルト学派の理屈である。
造反有理というのは、謀反や反乱に正義があるという原理で、謀反や反乱は資本主義から疎外された犠牲者、あるいは、体制から虐げられた被害者意識のあらわれである。
毛沢東の文化大革命からポルポトのカンボジア大虐殺、アメリカの9・11同時多発テロもこの悪魔の思想の影響をうけているが、テロリズムを容認する造反有理の根本にあるのが、ロックの革命権やルソーの国民主権である。
神があたえた自由や平等、天賦の権利および生命の安全や幸福追求の欲望を実現するための政府がその目的を達成できない場合、旧体制を倒して、新たな政府を設立できるというのがロックの革命権である。
一方、国家の主権を、国民がもつという迷妄がルソー主義で、ルソー主義がフランス革命にスローガンになったように、ロック主義がアメリカ革命(独立戦争)のイデオロギーになった。
●平和な家庭や正常な男女関係は革命の大敵
ナチに追われてアメリカに移ったルカーチの共産主義運動が、戦後、世界に爆発的に広がっていったのは、権力に虐げられた弱者=人民の抵抗というマルクス主義の戦略が広くうけいれられたからだった。
このときもちいられたのが疎外≠ニいう概念だった。
人間が不幸なのは、文化や文明、家庭や社会、共同体や国家から疎外されているからだとする論理で、これが『批判理論』として、ホルクハイマー、アドルノ、ハーバーマスらによって、左翼理論の中軸にすえられてきた。
権威や家族、道徳や伝統、性的節度、忠誠心、愛国心、国家主義、民族中心主義、習慣など人間社会を形成している徳目をすべて批判して、改革をすすめようとするのが批判理論である。一方、野蛮からの解放だったはずの啓蒙の理念が次第に道具化して人間を疎外してゆくとしたのが『啓蒙の弁証法』で、この書は、日本のインテリ左翼から熱烈に歓迎された。
この論理にアクセルをかけたのが反ナチス運動と反戦平和思想で、フランクフルト学派は、ナチスや軍国主義、侵略戦争をゆるしたのは、近代人の最大の欠陥だったとして、反ナチス運動をまきこんで、歴史や体制、文化を否定する論理をくりだして、体制の内部崩壊をひきだそうとする。
有名なことばがアドルノの《アウシュビィッツのあとで詩を書くのは野蛮である》で、このことばによって、ナチやファシズムを生んだ中産階級はみな悪に仕立てあげられた。
エンゲルスは『家族、私有財産及び国家の起源』で、女性差別の根源は家父長制にあると論じたが、フランクフルト学派も、性差(ジェンダー)やフェミニズムは西洋文化からうまれたとして、アドルノは、家父長制はファシズムのゆりかごであるとのべた。
共産主義=暴力革命にとって、平和な家庭や男女の円満な関係は大敵だったのである。
●女性解放を謳うマルクス主義フェミニズムの魔性
アドルノは、母親と父親の役割を交換することを提唱して女性の社会進出と父親の権威否定に実行に移したが、その結果、ソ連では、人口の停滞や家庭の崩壊という現象を招いた。
フランクフルト学派が人口の大半を占める中産階級をターゲットにするのは革命の担い手が労働者からプチ・ブルに移ったからで、かれらを革命の戦士に仕立てるには、マスコミなどで、不満を煽りに煽って、不満分子にしなくてはならない。
このとき、もちだされるのがテロリズムの思想である。
他人の自由を侵害する自由や規制のない民主主義、個人化された主権などが横行すれば、社会は崩壊するが、その崩壊を見越して、それでも自由や民主を叫ぶのはテロリズムで、破壊衝動である。
アメリカ9・11テロにひそかに喝采を送って、各地で頻繁におこるテロに共感するインテリ左翼の思想をささえているのがこの破壊衝動で、反戦運動やフェミニズム、ジェンダーなどの反差別も、すべて、この学派からうまれた破壊衝動である。
フランクフルト学派の中心的存在だったルカーチは、ハンガリー革命を指導して、失敗してソ連に亡命した。
なぜ革命に失敗したのかとルカーチは考え、一つの結論をえた。
革命の妨害になっていたのは、父権や母権の社会的分担や役割、家族という価値観、男女の性のモラルで、人間社会の保守性をささえていたのは、ジェンダー(性差)だった。このジェンダーの垣根さえとりはらってしまえば、革命は、はるかに、実現しやすくなる。
マルクス主義フェミニズムは、性差を社会的役割や人間の根源的なありようとはみとめない。女性は、家事や育児に縛られた抑圧された労働者で、母親や男性の恋人、夫に尽くす妻という女性の社会的役割は、封建体制や資本主義の悪しき因習というのである。
●1%のジェンダー障害者を黙認してきた日本
「LGBT理解増進」が自民・公明両党と日本維新の会、国民民主党の4党による与党案の修正案が成立した。
LGBTは、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字からとったことばである。レズビアンが女性の同性愛で、ゲイが男性の同性愛、バイセクシュアルは両刀使い、トランスジェンダーは性の同一性障害だが、いずれにしても、一種の性癖である。
統合失調症も100人に1人の割合で発症する(厚生労働省)が、すべてのひとが治療をうけているわけではない。
LGBTも、100人に1人の割合ででてくるが、日本では、これを法的に取り締まったり、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教などのように宗教的異端としてみたりすることはない。
アフリカでは大半の国(38か国)が同性愛は違法で、モーリタニア、ナイジェリアでは死刑、ウガンダ、スーダン、タンザニアでは終身刑が課せられる。
日本は、個人の性癖にはじつにおおらかなのだが、それでも、ジェンダーに不寛容だとマスコミが煽る。
その好例が「ジェンダーギャップ報告書」で、日本は男女平等の達成度合いが146か国のうち125位で、マスコミは、世界にたいして恥ずかしいという。
内訳は、政治と経済、教育と健康の4部門で、日本は、教育と健康については世界のトップだが、政治と経済はふるわない。
日本の女性は、家庭や家族を大事にするからで、政治や経済などは男にやらせておけばよいと考えるのはきわめてまっとうな態度でいえよう。
フランクフルト学派の革命戦術に被害者意識を煽るという方法がある。
LGBTの法制化をもとめるヒトがテレビカメラにむかってこういった。
「わたしたちをどこまで追い詰めると気がすむのですか!」
だれも追い詰めてなどいない。ただ、日陰に存在するものを、表にひっぱりだして騒ぐのはよくないといっているだけである。
100万人の統合失調症の人々を、法律をつくってまもるより、陰において適切な治療をおこなうほうがよほど賢明なのである。
全学連や全共闘、赤軍派が荒れ狂った1960〜70年代にかけて、フランクフルト学派という過激な思想が日本ばかりか世界中を暴れ回った。
フランクフルト学派は、1923年、ドイツでうまれたマルクス主義の亜流で、階級闘争=暴力革命が実現しないのは、人間の精神が資本主義に毒されているからというのが主たる主張だった。
フランクフルト学派の第一世代に属するルカーチは、こう宣言した。
「資本主義下でつくられた精神を破壊しなければ革命は実現できない。人間を破壊せよ。文明や文化を破壊せよ。体制の破壊者であるならどんな犯罪者でもあってもりっぱな革命の兵士である」
この思想の核心は、人間を、資本主義に毒された、あるいは、資本主義から疎外された被害者ととらえるところにある。
したがって、革命をおこすには、その毒された精神を破壊しなければならない。
人間の精神をつくりあげてきたのは歴史である。
革命をおこすには、最初に歴史を破壊しなければならないというのがフランクフルト学派の理屈である。
造反有理というのは、謀反や反乱に正義があるという原理で、謀反や反乱は資本主義から疎外された犠牲者、あるいは、体制から虐げられた被害者意識のあらわれである。
毛沢東の文化大革命からポルポトのカンボジア大虐殺、アメリカの9・11同時多発テロもこの悪魔の思想の影響をうけているが、テロリズムを容認する造反有理の根本にあるのが、ロックの革命権やルソーの国民主権である。
神があたえた自由や平等、天賦の権利および生命の安全や幸福追求の欲望を実現するための政府がその目的を達成できない場合、旧体制を倒して、新たな政府を設立できるというのがロックの革命権である。
一方、国家の主権を、国民がもつという迷妄がルソー主義で、ルソー主義がフランス革命にスローガンになったように、ロック主義がアメリカ革命(独立戦争)のイデオロギーになった。
●平和な家庭や正常な男女関係は革命の大敵
ナチに追われてアメリカに移ったルカーチの共産主義運動が、戦後、世界に爆発的に広がっていったのは、権力に虐げられた弱者=人民の抵抗というマルクス主義の戦略が広くうけいれられたからだった。
このときもちいられたのが疎外≠ニいう概念だった。
人間が不幸なのは、文化や文明、家庭や社会、共同体や国家から疎外されているからだとする論理で、これが『批判理論』として、ホルクハイマー、アドルノ、ハーバーマスらによって、左翼理論の中軸にすえられてきた。
権威や家族、道徳や伝統、性的節度、忠誠心、愛国心、国家主義、民族中心主義、習慣など人間社会を形成している徳目をすべて批判して、改革をすすめようとするのが批判理論である。一方、野蛮からの解放だったはずの啓蒙の理念が次第に道具化して人間を疎外してゆくとしたのが『啓蒙の弁証法』で、この書は、日本のインテリ左翼から熱烈に歓迎された。
この論理にアクセルをかけたのが反ナチス運動と反戦平和思想で、フランクフルト学派は、ナチスや軍国主義、侵略戦争をゆるしたのは、近代人の最大の欠陥だったとして、反ナチス運動をまきこんで、歴史や体制、文化を否定する論理をくりだして、体制の内部崩壊をひきだそうとする。
有名なことばがアドルノの《アウシュビィッツのあとで詩を書くのは野蛮である》で、このことばによって、ナチやファシズムを生んだ中産階級はみな悪に仕立てあげられた。
エンゲルスは『家族、私有財産及び国家の起源』で、女性差別の根源は家父長制にあると論じたが、フランクフルト学派も、性差(ジェンダー)やフェミニズムは西洋文化からうまれたとして、アドルノは、家父長制はファシズムのゆりかごであるとのべた。
共産主義=暴力革命にとって、平和な家庭や男女の円満な関係は大敵だったのである。
●女性解放を謳うマルクス主義フェミニズムの魔性
アドルノは、母親と父親の役割を交換することを提唱して女性の社会進出と父親の権威否定に実行に移したが、その結果、ソ連では、人口の停滞や家庭の崩壊という現象を招いた。
フランクフルト学派が人口の大半を占める中産階級をターゲットにするのは革命の担い手が労働者からプチ・ブルに移ったからで、かれらを革命の戦士に仕立てるには、マスコミなどで、不満を煽りに煽って、不満分子にしなくてはならない。
このとき、もちだされるのがテロリズムの思想である。
他人の自由を侵害する自由や規制のない民主主義、個人化された主権などが横行すれば、社会は崩壊するが、その崩壊を見越して、それでも自由や民主を叫ぶのはテロリズムで、破壊衝動である。
アメリカ9・11テロにひそかに喝采を送って、各地で頻繁におこるテロに共感するインテリ左翼の思想をささえているのがこの破壊衝動で、反戦運動やフェミニズム、ジェンダーなどの反差別も、すべて、この学派からうまれた破壊衝動である。
フランクフルト学派の中心的存在だったルカーチは、ハンガリー革命を指導して、失敗してソ連に亡命した。
なぜ革命に失敗したのかとルカーチは考え、一つの結論をえた。
革命の妨害になっていたのは、父権や母権の社会的分担や役割、家族という価値観、男女の性のモラルで、人間社会の保守性をささえていたのは、ジェンダー(性差)だった。このジェンダーの垣根さえとりはらってしまえば、革命は、はるかに、実現しやすくなる。
マルクス主義フェミニズムは、性差を社会的役割や人間の根源的なありようとはみとめない。女性は、家事や育児に縛られた抑圧された労働者で、母親や男性の恋人、夫に尽くす妻という女性の社会的役割は、封建体制や資本主義の悪しき因習というのである。
●1%のジェンダー障害者を黙認してきた日本
「LGBT理解増進」が自民・公明両党と日本維新の会、国民民主党の4党による与党案の修正案が成立した。
LGBTは、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字からとったことばである。レズビアンが女性の同性愛で、ゲイが男性の同性愛、バイセクシュアルは両刀使い、トランスジェンダーは性の同一性障害だが、いずれにしても、一種の性癖である。
統合失調症も100人に1人の割合で発症する(厚生労働省)が、すべてのひとが治療をうけているわけではない。
LGBTも、100人に1人の割合ででてくるが、日本では、これを法的に取り締まったり、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教などのように宗教的異端としてみたりすることはない。
アフリカでは大半の国(38か国)が同性愛は違法で、モーリタニア、ナイジェリアでは死刑、ウガンダ、スーダン、タンザニアでは終身刑が課せられる。
日本は、個人の性癖にはじつにおおらかなのだが、それでも、ジェンダーに不寛容だとマスコミが煽る。
その好例が「ジェンダーギャップ報告書」で、日本は男女平等の達成度合いが146か国のうち125位で、マスコミは、世界にたいして恥ずかしいという。
内訳は、政治と経済、教育と健康の4部門で、日本は、教育と健康については世界のトップだが、政治と経済はふるわない。
日本の女性は、家庭や家族を大事にするからで、政治や経済などは男にやらせておけばよいと考えるのはきわめてまっとうな態度でいえよう。
フランクフルト学派の革命戦術に被害者意識を煽るという方法がある。
LGBTの法制化をもとめるヒトがテレビカメラにむかってこういった。
「わたしたちをどこまで追い詰めると気がすむのですか!」
だれも追い詰めてなどいない。ただ、日陰に存在するものを、表にひっぱりだして騒ぐのはよくないといっているだけである。
100万人の統合失調症の人々を、法律をつくってまもるより、陰において適切な治療をおこなうほうがよほど賢明なのである。
2023年06月26日
グローバルサウスと大東亜共栄思想5
●個と全体の利害を調整するのが政治
有史以来、人類を悩ませてきて、いまだに解決されない難問に個と全体の矛盾≠ェある。
個の利益だけをもとめると、全体の利益が害われる。
全体の利益をもとめると、個人の利益が侵害される。
この二律背反を人類はどうしてものりこえることができなかった。
個と全体の両方の利益をもとめるのが政治だが、その政治の原理はいまだに確立されていない。
政治は、集団や共同体、国家の安全や繁栄もとめる全体の論理である。
一方、心の安らぎや魂の救済をもとめる宗教や人生観や価値観にもとづいた道徳、タブーの体系である法律は、個の論理あるいは私的な感情である。
政治という全体を重んじると個が軽視され、宗教や道徳、法という個を重んじると全体がないがしろにされる。
政治という全体の論理と、宗教や道徳、法という個の論理が両立しないのは構造矛盾(「個と全体の利害は対立する」)にとりこまれているからである。
西洋では、紀元前のギリシア哲学以来、個と全体のこの矛盾を解消しようと賢人たちが知恵を絞ってきたが、ついに妙案はでてこなかった。
もっとも、西洋の一神教や一元論から個と全体の矛盾≠解消する知恵が出てくるはずはなかった。
なぜなら、個と全体の矛盾は、一神教や一元論からでてきたものだったからで、キリスト以前、神話と多神教だった古代のギリシァやローマに個と全体の矛盾などなかった。
●西洋の一元論の欠陥を克服した天皇の二元論
個と全体の矛盾という大問題を解消したのは、西洋ではなく、その西洋から遠く隔たったアジアの島国日本で、日本が、個と全体の矛盾という一元論的な迷妄から自由だったのは、天皇の国だったからである。
古代縄文文化の国、日本は、アニミズムの自然崇拝と多神教の国である。
神話と天皇の国日本は、二元論の国でもあって、権威と権力、国体と政体の二元論の下で「君民共治」「君臣一体」という一神教、一元論の西洋では考えられもしない柔軟な政治体制がとられてきた。
西洋で絶対矛盾がでてきたのは、一神教や一元論が、正しいものや絶対的な価値は一つしかないとしたからだった。
ところが、日本に根づいたのは、硬直した一神教や一元論ではなく、柔軟な多神教や二元論だった。そこから、多様性や奥行き、変化にとんだ両面価値(アンビバレンス)やあいまいさ、中庸の徳といった中間色の文化が生まれた。
個と全体の矛盾を克服できていない西洋の文化は、極彩色の一元論である。
自由や平等、権利や民主主義は、革命をとおして民衆が権力から奪ったもので、あとに残ったのは、永遠の「闘争の論理」で、左翼は、いまなお、自由や平等、権利や民主主義を権力から奪えとこぶしをふりあげる。
国家や歴史、文化に拠って立つ政治と、宗教や道徳、法に拠って立つ個人が引き裂かれた結果、民と国家が融合することなく、険しく対立する革命史観がうまれた。
そのケースの一つにあげられるのがオウム真理教事件で、法悦やカルト(宗教的狂気)という個人の宗教を絶対視して、社会や国家、公共性が否定された結果、サリン事件のような凶悪犯罪がおきた。
神の恩恵や法悦、救済という個人の自己満足のためなら社会や国家は否定されてもよいというのが宗教の独善で、その独善によって、西洋では、宗教戦争や異端審判、魔女狩りのような惨劇がひきおこされた。
●自由や平等、権利や民主主義は信仰ではなく社会制度
自由や平等、権利や民主主義を奉って他人や国家も眼中にないという日本の風潮も、ほとんど、宗教の感覚で、自由や平等、権利や民主主義が、モーゼの十戒のような有り難い預言になっている。
犯罪者にも人権があるといって騒ぐヒトがいるが、人権も民主主義も、自由も平等もすべてフィクションで、うまれながらにして個人にそなわっているものなど、なに一つない。
自由や平等、権利や民主主義は、国家が保証してくれる社会制度で、それらの制度が国民に分有されて、はじめて、個人のものになる。
交通安全は、交通法規があるからではなく、交通インフラが整備されているから実現されるのである。
日本の安全がまもられているのも、憲法九条があるからではない。
日本が世界7位の防衛力をもち、一方、日米安保という軍事同盟があるからで、憲法九条があるから日本は平和なのだというのは、宗教というより、カルト思想である。
日本の自由や平等、権利や民主主義は、宗教のカテゴリーに入っている。
したがって、いかに運用すべきかではなく、どれほど深く信仰しているかが問われる。
だが、自由や平等、権利や民主主義は、個人の信仰対象ではなく、社会の制度である。
したがって、個人の特権ではなく、社会的な制限や規制としてはたらく。
分有される自由や平等、権利や民主主義は、じぶんだけのものではないからで、他人や社会に無益にして有害な自由や平等、権利や民主主義は、悪の思想なのである。
個人の宗教的な価値観と、全体の社会制度を二元論でつないだ日本の文化や思想が、もういちど見直されてよいだろう。
有史以来、人類を悩ませてきて、いまだに解決されない難問に個と全体の矛盾≠ェある。
個の利益だけをもとめると、全体の利益が害われる。
全体の利益をもとめると、個人の利益が侵害される。
この二律背反を人類はどうしてものりこえることができなかった。
個と全体の両方の利益をもとめるのが政治だが、その政治の原理はいまだに確立されていない。
政治は、集団や共同体、国家の安全や繁栄もとめる全体の論理である。
一方、心の安らぎや魂の救済をもとめる宗教や人生観や価値観にもとづいた道徳、タブーの体系である法律は、個の論理あるいは私的な感情である。
政治という全体を重んじると個が軽視され、宗教や道徳、法という個を重んじると全体がないがしろにされる。
政治という全体の論理と、宗教や道徳、法という個の論理が両立しないのは構造矛盾(「個と全体の利害は対立する」)にとりこまれているからである。
西洋では、紀元前のギリシア哲学以来、個と全体のこの矛盾を解消しようと賢人たちが知恵を絞ってきたが、ついに妙案はでてこなかった。
もっとも、西洋の一神教や一元論から個と全体の矛盾≠解消する知恵が出てくるはずはなかった。
なぜなら、個と全体の矛盾は、一神教や一元論からでてきたものだったからで、キリスト以前、神話と多神教だった古代のギリシァやローマに個と全体の矛盾などなかった。
●西洋の一元論の欠陥を克服した天皇の二元論
個と全体の矛盾という大問題を解消したのは、西洋ではなく、その西洋から遠く隔たったアジアの島国日本で、日本が、個と全体の矛盾という一元論的な迷妄から自由だったのは、天皇の国だったからである。
古代縄文文化の国、日本は、アニミズムの自然崇拝と多神教の国である。
神話と天皇の国日本は、二元論の国でもあって、権威と権力、国体と政体の二元論の下で「君民共治」「君臣一体」という一神教、一元論の西洋では考えられもしない柔軟な政治体制がとられてきた。
西洋で絶対矛盾がでてきたのは、一神教や一元論が、正しいものや絶対的な価値は一つしかないとしたからだった。
ところが、日本に根づいたのは、硬直した一神教や一元論ではなく、柔軟な多神教や二元論だった。そこから、多様性や奥行き、変化にとんだ両面価値(アンビバレンス)やあいまいさ、中庸の徳といった中間色の文化が生まれた。
個と全体の矛盾を克服できていない西洋の文化は、極彩色の一元論である。
自由や平等、権利や民主主義は、革命をとおして民衆が権力から奪ったもので、あとに残ったのは、永遠の「闘争の論理」で、左翼は、いまなお、自由や平等、権利や民主主義を権力から奪えとこぶしをふりあげる。
国家や歴史、文化に拠って立つ政治と、宗教や道徳、法に拠って立つ個人が引き裂かれた結果、民と国家が融合することなく、険しく対立する革命史観がうまれた。
そのケースの一つにあげられるのがオウム真理教事件で、法悦やカルト(宗教的狂気)という個人の宗教を絶対視して、社会や国家、公共性が否定された結果、サリン事件のような凶悪犯罪がおきた。
神の恩恵や法悦、救済という個人の自己満足のためなら社会や国家は否定されてもよいというのが宗教の独善で、その独善によって、西洋では、宗教戦争や異端審判、魔女狩りのような惨劇がひきおこされた。
●自由や平等、権利や民主主義は信仰ではなく社会制度
自由や平等、権利や民主主義を奉って他人や国家も眼中にないという日本の風潮も、ほとんど、宗教の感覚で、自由や平等、権利や民主主義が、モーゼの十戒のような有り難い預言になっている。
犯罪者にも人権があるといって騒ぐヒトがいるが、人権も民主主義も、自由も平等もすべてフィクションで、うまれながらにして個人にそなわっているものなど、なに一つない。
自由や平等、権利や民主主義は、国家が保証してくれる社会制度で、それらの制度が国民に分有されて、はじめて、個人のものになる。
交通安全は、交通法規があるからではなく、交通インフラが整備されているから実現されるのである。
日本の安全がまもられているのも、憲法九条があるからではない。
日本が世界7位の防衛力をもち、一方、日米安保という軍事同盟があるからで、憲法九条があるから日本は平和なのだというのは、宗教というより、カルト思想である。
日本の自由や平等、権利や民主主義は、宗教のカテゴリーに入っている。
したがって、いかに運用すべきかではなく、どれほど深く信仰しているかが問われる。
だが、自由や平等、権利や民主主義は、個人の信仰対象ではなく、社会の制度である。
したがって、個人の特権ではなく、社会的な制限や規制としてはたらく。
分有される自由や平等、権利や民主主義は、じぶんだけのものではないからで、他人や社会に無益にして有害な自由や平等、権利や民主主義は、悪の思想なのである。
個人の宗教的な価値観と、全体の社会制度を二元論でつないだ日本の文化や思想が、もういちど見直されてよいだろう。
2023年06月12日
グローバルサウスと大東亜共栄思想4
●自由や民主が個人の特権となっている日本
明治新以降、日本は、西洋の思想を有難がって、無条件にとりいれてきた。
だが、ほとんどが、誤解や曲解、歪曲で、真の意味をとりちがえている。
その傾向は、明治時代よりも、むしろ、大正や昭和になって高まった。
1917年のロシア革命後、吉野作造の「民本主義(君民共治)」が大正デモクラシーのもとでルソー的な「民主主義(国民主権)」になると、自由や平等にたいする考え方もルソー的、マルクス主義的なものへと変質してゆく。
西尾幹二はこういう。「自由はそれだけではおよそ何ものでもない。その自由が奪われたとき強烈な自由への欲求がわきだす」
自由や平等、人権などは、奪われたとき、ヒトは、これを渇望するのであって、奪われてもいない自由や平等、人権をもとめるのは、革命主義で、文句をつけて体制をひっくり返そうという魂胆があるからである。
西尾はこうともいう。「ヨーロッパ人の自他の厳格な区別立ては、そのなかに、熱病じみたアナーキーという闇を秘めている。一方、日本人の自他意識は不明確(あいまい)で、ヨーロッパ人とは一味も二味もちがったデリケートな性格をそなえている。原理や原則にとらわれることなく、変化に対応する柔軟さをもち、実際的である」(『自由の悲劇』)
西洋の自由や平等、民主や人権は、奪われることにたいする抵抗である。
したがって、他人の自由や平等、民主や人権を奪うことも、罪悪になる。
ところが、日本では、じぶんの自由や平等、民主や人権をまもるには他人のそれは意に介さないという風潮で、言論被害をかえりみない言論の自由、被害者の人権を無視する加害者の人権擁護がまかりとおっている。
●歴史や伝統、文化を否定する左翼と法匪
自由主義だからなにやってよいというのがリバタリアン(完全自由主義者)である。テレビの人気番組『ホンマでっかTV』のコメンテーター早稲田大学名誉教授の池田清彦は「他人に迷惑をかけないかぎりなにをやってもよい」と説くが、この男は、日本共産党の熱烈な支持者で同党の宣伝塔でもある。
リバタリアンが自由をみとめない共産主義を支持するという理屈は解せないが、完全自由主義者を公言する池田が共産主義者で、自由の真の意味を理解していなかったとすればうなずける。
池田は、絶対自由というイデオロギーに縛られて、自由を見失っているのである。
昭和天皇の肖像をガスバーナーで燃やしてふみつける映像などを展示した「表現の不自由(国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」)へ公的負担金(約1億3700万円)の残金(約3380万円)一部の支払いを拒否した名古屋市にたいして、名古屋高等裁判所は、残金の支払いを命じた。
「昭和天皇の肖像に火をつけてふみつける映像も表現の自由にふくまれる」という判断で、違約行為はなかったというのである。そして、高須クリニックの高須克弥院長や大阪府内在住の主婦3人らが「表現の不自由展」から精神的な苦痛をうけたとする訴えはあっさりと退けて、主催者の愛知県大村秀章知事や芸術監督の津田大介らにはいっさいおトガめなしだった。
政治は、国家や文化など歴史の知恵にもとづくが、法治は、人間が決めた法律のみを根拠にする。
法文のみを奉じて、善悪や社会通念、価値観ぬきで判断を下す裁判官が法匪といわれるゆえんで、法匪の匪は盗賊の賊と同じ意味である。
司法や検察、弁護士会が反国家的なのは、国家や歴史、文化ではなく法律や観念、イデオロギーに拠って立つからだが、これは、左翼が国体や歴史よりも西洋の思想家(マルクスやルソー)を重く見るのと同じ構造である。
●共同体が個≠竍私≠ヨ分解してゆく危うさ
自由主義は、自由の有り難さを万人で共有しようというもので、個人の特権ではない。
これを、個人的自由と分けて、あえて、社会的自由と呼ばれる。
ヨーロッパでうまれた自由の概念は、社会的自由で、そのテキストとなっているのがホブハウスの『自由主義―福祉国家への思想的転換』である。
そこにこうある。「いかなる時代でも、禁止なくして、社会的自由はありえない」
自由は、規制を必要として、その規制が社会の自由を約束するといっているのである。
福祉国家というのは「君民共治」のことで、万民の幸を公平に考える天皇の大御心(藤田東湖『弘道館記述義』)が、近代ヨーロッパの進歩的自由主義にきわめて近かったのである。
他人に迷惑かけないかぎりなにをやっても自由(リバタリアニズム)という思想やアナキズム(無政府主義)は、戦後日本の特異な思想で、こんなばかな考えが世界で通用するわけはない。
日本で、社会的自由と対立する個人的自由は、基本的人権と呼ばれる。
日本国憲法では、この基本的人権と、国民主権が二本柱になっている。
だが、日本以外の国では、自由も人権も、平等も民主主義も、個人にあたえられたものではなく、社会的な価値である。
そんなことは、ホッブズが17世紀に「万人による万人の戦争」という比喩をもちいて指摘して以来、常識になっていたはずである。
民主主義を個人的信条やイデオロギーとしてとらえると、個人だけに都合のよい身勝手な思想になる。
だが、国家や社会など全体のものとしてみると、民主主義は君民共治≠フ民本主義となって、望ましい体制となる。
民主主義や国民主権、自由や平等を個人のものとするから混乱がおきるのである。
そこに、保守主義や伝統的な精神、思想がもとめられる理由がある。
現在、日本では、個人が最大の特権をもって、他者や国家、歴史や伝統的な価値を否定する風潮がはびこって、社会摩擦をひきおこしている。
次回以降、同性結婚法制化などのような、国家や共同体が個≠竍私≠ヨ分解してゆく危険性についてのべよう。
明治新以降、日本は、西洋の思想を有難がって、無条件にとりいれてきた。
だが、ほとんどが、誤解や曲解、歪曲で、真の意味をとりちがえている。
その傾向は、明治時代よりも、むしろ、大正や昭和になって高まった。
1917年のロシア革命後、吉野作造の「民本主義(君民共治)」が大正デモクラシーのもとでルソー的な「民主主義(国民主権)」になると、自由や平等にたいする考え方もルソー的、マルクス主義的なものへと変質してゆく。
西尾幹二はこういう。「自由はそれだけではおよそ何ものでもない。その自由が奪われたとき強烈な自由への欲求がわきだす」
自由や平等、人権などは、奪われたとき、ヒトは、これを渇望するのであって、奪われてもいない自由や平等、人権をもとめるのは、革命主義で、文句をつけて体制をひっくり返そうという魂胆があるからである。
西尾はこうともいう。「ヨーロッパ人の自他の厳格な区別立ては、そのなかに、熱病じみたアナーキーという闇を秘めている。一方、日本人の自他意識は不明確(あいまい)で、ヨーロッパ人とは一味も二味もちがったデリケートな性格をそなえている。原理や原則にとらわれることなく、変化に対応する柔軟さをもち、実際的である」(『自由の悲劇』)
西洋の自由や平等、民主や人権は、奪われることにたいする抵抗である。
したがって、他人の自由や平等、民主や人権を奪うことも、罪悪になる。
ところが、日本では、じぶんの自由や平等、民主や人権をまもるには他人のそれは意に介さないという風潮で、言論被害をかえりみない言論の自由、被害者の人権を無視する加害者の人権擁護がまかりとおっている。
●歴史や伝統、文化を否定する左翼と法匪
自由主義だからなにやってよいというのがリバタリアン(完全自由主義者)である。テレビの人気番組『ホンマでっかTV』のコメンテーター早稲田大学名誉教授の池田清彦は「他人に迷惑をかけないかぎりなにをやってもよい」と説くが、この男は、日本共産党の熱烈な支持者で同党の宣伝塔でもある。
リバタリアンが自由をみとめない共産主義を支持するという理屈は解せないが、完全自由主義者を公言する池田が共産主義者で、自由の真の意味を理解していなかったとすればうなずける。
池田は、絶対自由というイデオロギーに縛られて、自由を見失っているのである。
昭和天皇の肖像をガスバーナーで燃やしてふみつける映像などを展示した「表現の不自由(国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」)へ公的負担金(約1億3700万円)の残金(約3380万円)一部の支払いを拒否した名古屋市にたいして、名古屋高等裁判所は、残金の支払いを命じた。
「昭和天皇の肖像に火をつけてふみつける映像も表現の自由にふくまれる」という判断で、違約行為はなかったというのである。そして、高須クリニックの高須克弥院長や大阪府内在住の主婦3人らが「表現の不自由展」から精神的な苦痛をうけたとする訴えはあっさりと退けて、主催者の愛知県大村秀章知事や芸術監督の津田大介らにはいっさいおトガめなしだった。
政治は、国家や文化など歴史の知恵にもとづくが、法治は、人間が決めた法律のみを根拠にする。
法文のみを奉じて、善悪や社会通念、価値観ぬきで判断を下す裁判官が法匪といわれるゆえんで、法匪の匪は盗賊の賊と同じ意味である。
司法や検察、弁護士会が反国家的なのは、国家や歴史、文化ではなく法律や観念、イデオロギーに拠って立つからだが、これは、左翼が国体や歴史よりも西洋の思想家(マルクスやルソー)を重く見るのと同じ構造である。
●共同体が個≠竍私≠ヨ分解してゆく危うさ
自由主義は、自由の有り難さを万人で共有しようというもので、個人の特権ではない。
これを、個人的自由と分けて、あえて、社会的自由と呼ばれる。
ヨーロッパでうまれた自由の概念は、社会的自由で、そのテキストとなっているのがホブハウスの『自由主義―福祉国家への思想的転換』である。
そこにこうある。「いかなる時代でも、禁止なくして、社会的自由はありえない」
自由は、規制を必要として、その規制が社会の自由を約束するといっているのである。
福祉国家というのは「君民共治」のことで、万民の幸を公平に考える天皇の大御心(藤田東湖『弘道館記述義』)が、近代ヨーロッパの進歩的自由主義にきわめて近かったのである。
他人に迷惑かけないかぎりなにをやっても自由(リバタリアニズム)という思想やアナキズム(無政府主義)は、戦後日本の特異な思想で、こんなばかな考えが世界で通用するわけはない。
日本で、社会的自由と対立する個人的自由は、基本的人権と呼ばれる。
日本国憲法では、この基本的人権と、国民主権が二本柱になっている。
だが、日本以外の国では、自由も人権も、平等も民主主義も、個人にあたえられたものではなく、社会的な価値である。
そんなことは、ホッブズが17世紀に「万人による万人の戦争」という比喩をもちいて指摘して以来、常識になっていたはずである。
民主主義を個人的信条やイデオロギーとしてとらえると、個人だけに都合のよい身勝手な思想になる。
だが、国家や社会など全体のものとしてみると、民主主義は君民共治≠フ民本主義となって、望ましい体制となる。
民主主義や国民主権、自由や平等を個人のものとするから混乱がおきるのである。
そこに、保守主義や伝統的な精神、思想がもとめられる理由がある。
現在、日本では、個人が最大の特権をもって、他者や国家、歴史や伝統的な価値を否定する風潮がはびこって、社会摩擦をひきおこしている。
次回以降、同性結婚法制化などのような、国家や共同体が個≠竍私≠ヨ分解してゆく危険性についてのべよう。
2023年06月04日
グローバルサウスと大東亜共栄思想3
●私的感情だけで殺人に走る恐怖のじぶん主義
私的な財産問題で逆恨みして安倍晋三元首相を射殺した山上徹也、じぶんが選挙に出られないのは選挙制度が悪いからという私的憤懣から岸田文雄首相を爆弾で殺そうとした木村隆二、悪口をいわれたという思いこみから4人を銃殺した青木政憲ら、一昔前まで、考えられもしなかった幼稚で自己中心的な殺人者や凶悪犯が続々とでてきた。
これらの事件に共通しているのが、じぶんのことしか考えることができない幼児性と極端な自己中心的な精神で、心理学で、自我肥大と呼ばれる。
人間は、成熟すると、他者や社会、国家など個や私をこえた存在に気づいて謙虚になる。尊敬心や名誉心、愛国心や公徳心など全体性の価値観に目覚めるのである。そうなると、おのずと自我が小さくなって、その一方、他者への愛や礼節、義理や道徳などの社会性がそなわってくる。
ところが、現在、世の中は、他者や社会、国家など、個や私をこえた価値や基準を否定する方向にうごいている。
同性婚が好例で、マスコミや左翼、法曹界は、同性婚の法制化に不熱心な与党を非難して、世界に遅れているという。世界に遅れているという論法がなりたつのなら、日本が、1919年、パリ講和会議で、世界に先駆けて人種差別撤廃を提案して、英米から拒絶されたことも、日本が世界に遅れていたことになってしまう。
西洋が性的マイノリティーや同性婚に寛容なのは、国家は個人の領域へ立ち入らないという不文律があるからで、どうぞお勝手にという意味である。
ところが、日本では、偏見をもつか差別反対と騒ぐかどちらかである。
常識や習慣、良識にしたがうのではなく、個や私をもちだして、じぶんの気持ちを最優先させるのが現代の風潮で、わたしはこれを自由主義や個人主義、民主主義と区別してじぶん主義≠ニ呼ぶことにしている。
背景にあるのが、消費者や有権者、主権者たる国民を神様とするマスコミのコマーシャリズムや国政選挙、世論における民主主義への盲信で、現在、日本では、社会通念や歴史の知恵よりも、あなたのマネー、あなたの一票、あなたの意見、あなたの主権、あなたの気持ちが大事にされる。
そこからかもしだされるのが、じぶんの気持ちや考えを絶対とする幼児的なじぶん中心主義で、他者や社会、全体へ目がむかない反面、過剰に自我が表にでてくる。
●発狂しつつある日本と橋下徹イズムや瀬戸内寂聴ブーム
本屋には橋下徹の本ばかり並んでいるが、橋下人気やかつての瀬戸内寂聴ブームと狂いつつある現在の日本を切り離して考えることができない。
橋下徹は、ウクライナ4000万国民は、ロシアに歯向かわず、国家を捨てて難民となって、十年後、帰ってきて、国家を再建すればいいと堂々といってのけた。
じぶんの気持ちやじぶんの都合、じぶん(個人)のイノチがいちばん大事で、国家や他人、モラルや常識、伝統的な価値観は二の次というのが橋下イズムで、それが現代の日本の風潮である。
同じ潮流にあったのが瀬戸内寂聴のイノチ主義で、寂聴が最大の敵としたのが国家だった。したがって、国家の繁栄と防衛に一身を捧げた安倍晋三元首相が寂聴の憎むべき天敵となった。
その寂聴をもちあげる一方、安倍元首相を国民の敵として叩きまくったのがマスコミ左翼で、当時、悪いことはすべて安倍が原因という風潮で、野党からマスコミ、検察にいたるまで、桜を見る会問題と森友学園問題、加計学園問題(「モリカケサクラ」)に狂奔して、新聞テレビで、安倍元首相の政治的、外交的功績が報道されることはついぞなかった。
瀬戸内晴美(寂聴)は、夫と3歳の子を捨てて新しい男の元へ走ったふしだらな女で、そんなじぶんを正当化するために迎合的な小説を書いて人気作家になった。さらに、法悦という快をもとめて仏道に入ったという身勝手な女だが、現在、寂聴は、日本でもっとも尊敬される偉人で、文化勲章というおまけまでついている。
なぜか。寂聴の私小説的な自己中心的な身勝手や法匪橋下のエゴイズムが、現代の日本で、自由の象徴となっているからである。
ウクライナ4000万もの国民が難民になる苦しみや3歳のわが子の悲しみよりも、じぶんの気持ちや快楽のほうが大事だったのが橋下イズムや瀬戸内ブームで、日本人は、そっくりこの自己中心主義にはまりこみ、これを個人主義や自由主義、民主主義と思いこんでいる。
●ガキの精神≠ェ犯罪にまで転落した反日左翼
岸田首相が襲撃された前日、作家で法政大学の島田雅彦教授が『安倍三代』(朝日文庫)の著者でジャーナリストの青木理やマルキストで京都精華大准教授の白井聡らと共演するインターネット番組で「(安倍元首相)の暗殺が成功してよかった」などと発言して物議をかもしたが、メディアの取材に応じた島田は、抗弁するどころか、よいチャンスとばかりに自著『パンとサーカス』の宣伝につとめる狡猾漢ぶりだった。
ちなみに、同席していた白井聡は著書(『主権者のいない国』)で「憲法で国民主権が明確に謳われているのにその効力は生かされているのだろうか」とのべている。ばかも休み休みいうもので、国民主権は、個人にあたえられたものではない。辞典に「主権者=統治権をもっている人」とあることから生じた誤解だろうが、主権者(ソブリンティ)は、王権あるいは統治権をのことであって、個人や私人をさしているわけではない。
人気評論家で東京都立大学教授の宮台真司がキャンパス内で、刃物をもった暴漢に襲われて重傷を負い、容疑者が自殺する事件があったが、宮台は、犯人の動機が分からないとコメントした。これは、トボケで、宮台が襲われた原因は、安倍元首相を撃った山上徹也をモデルとした映画(「REVOLUTION+1」)の旗振り役を演じたからである。メガホンを執った足立正生監督が「事件と映画に関係があるかないかいえばあるでしょう。それは本人(宮台)も知っている」とのべている。
足立正生は、レバノンで服役(3年間)したこともある日本赤軍の元メンバーだが、宮台や島田、青木や白井、そして、橋下や寂聴らのあいだに大きな共通点がある。
それは、一人よがりのわたしの気持ち≠オかもっていないガキの精神で、成熟したおとなの知恵がそなわっていない点である。
安倍元首相の国葬に、マスコミがネガティブキャンペーンを張って、全国で国葬反対のデモが吹き荒れた。大きな問題点は、主催側が参加者に鉦や太鼓、タンバリンの持参をもとめたことである。黙祷に騒音を立てて、妨害しようという魂胆だが、これは犯罪(不敬と礼拝妨害/刑法188条2項)で、懲役刑が科せられる。
日本では、反日左翼のガキの精神が犯罪のレベルにまで転落しているのである。
私的な財産問題で逆恨みして安倍晋三元首相を射殺した山上徹也、じぶんが選挙に出られないのは選挙制度が悪いからという私的憤懣から岸田文雄首相を爆弾で殺そうとした木村隆二、悪口をいわれたという思いこみから4人を銃殺した青木政憲ら、一昔前まで、考えられもしなかった幼稚で自己中心的な殺人者や凶悪犯が続々とでてきた。
これらの事件に共通しているのが、じぶんのことしか考えることができない幼児性と極端な自己中心的な精神で、心理学で、自我肥大と呼ばれる。
人間は、成熟すると、他者や社会、国家など個や私をこえた存在に気づいて謙虚になる。尊敬心や名誉心、愛国心や公徳心など全体性の価値観に目覚めるのである。そうなると、おのずと自我が小さくなって、その一方、他者への愛や礼節、義理や道徳などの社会性がそなわってくる。
ところが、現在、世の中は、他者や社会、国家など、個や私をこえた価値や基準を否定する方向にうごいている。
同性婚が好例で、マスコミや左翼、法曹界は、同性婚の法制化に不熱心な与党を非難して、世界に遅れているという。世界に遅れているという論法がなりたつのなら、日本が、1919年、パリ講和会議で、世界に先駆けて人種差別撤廃を提案して、英米から拒絶されたことも、日本が世界に遅れていたことになってしまう。
西洋が性的マイノリティーや同性婚に寛容なのは、国家は個人の領域へ立ち入らないという不文律があるからで、どうぞお勝手にという意味である。
ところが、日本では、偏見をもつか差別反対と騒ぐかどちらかである。
常識や習慣、良識にしたがうのではなく、個や私をもちだして、じぶんの気持ちを最優先させるのが現代の風潮で、わたしはこれを自由主義や個人主義、民主主義と区別してじぶん主義≠ニ呼ぶことにしている。
背景にあるのが、消費者や有権者、主権者たる国民を神様とするマスコミのコマーシャリズムや国政選挙、世論における民主主義への盲信で、現在、日本では、社会通念や歴史の知恵よりも、あなたのマネー、あなたの一票、あなたの意見、あなたの主権、あなたの気持ちが大事にされる。
そこからかもしだされるのが、じぶんの気持ちや考えを絶対とする幼児的なじぶん中心主義で、他者や社会、全体へ目がむかない反面、過剰に自我が表にでてくる。
●発狂しつつある日本と橋下徹イズムや瀬戸内寂聴ブーム
本屋には橋下徹の本ばかり並んでいるが、橋下人気やかつての瀬戸内寂聴ブームと狂いつつある現在の日本を切り離して考えることができない。
橋下徹は、ウクライナ4000万国民は、ロシアに歯向かわず、国家を捨てて難民となって、十年後、帰ってきて、国家を再建すればいいと堂々といってのけた。
じぶんの気持ちやじぶんの都合、じぶん(個人)のイノチがいちばん大事で、国家や他人、モラルや常識、伝統的な価値観は二の次というのが橋下イズムで、それが現代の日本の風潮である。
同じ潮流にあったのが瀬戸内寂聴のイノチ主義で、寂聴が最大の敵としたのが国家だった。したがって、国家の繁栄と防衛に一身を捧げた安倍晋三元首相が寂聴の憎むべき天敵となった。
その寂聴をもちあげる一方、安倍元首相を国民の敵として叩きまくったのがマスコミ左翼で、当時、悪いことはすべて安倍が原因という風潮で、野党からマスコミ、検察にいたるまで、桜を見る会問題と森友学園問題、加計学園問題(「モリカケサクラ」)に狂奔して、新聞テレビで、安倍元首相の政治的、外交的功績が報道されることはついぞなかった。
瀬戸内晴美(寂聴)は、夫と3歳の子を捨てて新しい男の元へ走ったふしだらな女で、そんなじぶんを正当化するために迎合的な小説を書いて人気作家になった。さらに、法悦という快をもとめて仏道に入ったという身勝手な女だが、現在、寂聴は、日本でもっとも尊敬される偉人で、文化勲章というおまけまでついている。
なぜか。寂聴の私小説的な自己中心的な身勝手や法匪橋下のエゴイズムが、現代の日本で、自由の象徴となっているからである。
ウクライナ4000万もの国民が難民になる苦しみや3歳のわが子の悲しみよりも、じぶんの気持ちや快楽のほうが大事だったのが橋下イズムや瀬戸内ブームで、日本人は、そっくりこの自己中心主義にはまりこみ、これを個人主義や自由主義、民主主義と思いこんでいる。
●ガキの精神≠ェ犯罪にまで転落した反日左翼
岸田首相が襲撃された前日、作家で法政大学の島田雅彦教授が『安倍三代』(朝日文庫)の著者でジャーナリストの青木理やマルキストで京都精華大准教授の白井聡らと共演するインターネット番組で「(安倍元首相)の暗殺が成功してよかった」などと発言して物議をかもしたが、メディアの取材に応じた島田は、抗弁するどころか、よいチャンスとばかりに自著『パンとサーカス』の宣伝につとめる狡猾漢ぶりだった。
ちなみに、同席していた白井聡は著書(『主権者のいない国』)で「憲法で国民主権が明確に謳われているのにその効力は生かされているのだろうか」とのべている。ばかも休み休みいうもので、国民主権は、個人にあたえられたものではない。辞典に「主権者=統治権をもっている人」とあることから生じた誤解だろうが、主権者(ソブリンティ)は、王権あるいは統治権をのことであって、個人や私人をさしているわけではない。
人気評論家で東京都立大学教授の宮台真司がキャンパス内で、刃物をもった暴漢に襲われて重傷を負い、容疑者が自殺する事件があったが、宮台は、犯人の動機が分からないとコメントした。これは、トボケで、宮台が襲われた原因は、安倍元首相を撃った山上徹也をモデルとした映画(「REVOLUTION+1」)の旗振り役を演じたからである。メガホンを執った足立正生監督が「事件と映画に関係があるかないかいえばあるでしょう。それは本人(宮台)も知っている」とのべている。
足立正生は、レバノンで服役(3年間)したこともある日本赤軍の元メンバーだが、宮台や島田、青木や白井、そして、橋下や寂聴らのあいだに大きな共通点がある。
それは、一人よがりのわたしの気持ち≠オかもっていないガキの精神で、成熟したおとなの知恵がそなわっていない点である。
安倍元首相の国葬に、マスコミがネガティブキャンペーンを張って、全国で国葬反対のデモが吹き荒れた。大きな問題点は、主催側が参加者に鉦や太鼓、タンバリンの持参をもとめたことである。黙祷に騒音を立てて、妨害しようという魂胆だが、これは犯罪(不敬と礼拝妨害/刑法188条2項)で、懲役刑が科せられる。
日本では、反日左翼のガキの精神が犯罪のレベルにまで転落しているのである。
2023年05月14日
グローバルサウスと大東亜共栄思想2
●家族国家の日本と敵・味方″痩ニ群の西洋
日本人はヨーロッパの「ジェノサイド(民族集団殺戮)」の歴史を知らない。
自民党副総裁の麻生太郎は「日本は、一つの国、一つの民族、一つの王朝が2000年にわたってつづいてきた国」(2005年)とのべたが、天皇を中心とする家族国家で、民族の集団殺戮などおきるはずもなく、そんな観念すらもなかった。
麻生発言に猛然に嚙みついたのが朝日新聞とその周辺の左翼学者で「日本は単一民族の国家ではない」というのである。
アイヌも在日も、帰化人も外国人もいるというのだが、厳密な意味での単一民族国家は世界のどこにも存在しない。同一民族の割合が人口の85%以上を占めていれば単一民族国家で、日本のほか、中国や韓国、北朝鮮、台湾、アルバニア、ポーランド、チェコ、ポルトガルなども単一民族国家である。
反日左翼は、日本という国の独自性までも否定しようとする。
「かつて日本は、中国の属国で、明治維新で西洋化に走ったが、戦後、憲法を新たな国体とするアメリカの属国になった。将来は、天皇を廃して、共産主義国家になる」というのである。
国際政治学者のハンチントン教授が「日本は、世界7大文明の一つで、中華文明の亜流ではない」(『文明の衝突』1996年)としたが、これにも、反日左翼学者が猛反発して「ハンチントンは二流学者」「中韓日は中華文明圏にふくまれる」と主張した。
ハンチントンの日本文明論は、日本の歴史が一万5千年前の縄文時代(世界4大文明は5000年前)からつづいてきたこと、独自の文化や文明をもっていること、中国大陸の2倍の海岸線をもつ海洋国家で、国土を他国に侵されたことがないこと、統一された単一の中央政府によって統治されてきた主権国家だったことなどをあげたが、これらの主張にたいして、他国から異議が唱えられたことはない。
●敵の殲滅≠最大の教義とする一神教の恐怖
日本にジェノサイトがなかった理由に、宗教観と歴史的習俗、自然環境など西洋との3つのちがいを挙げることができる。
筆頭が宗教観のちがいで、ヨーロッパで芽生えた一神教(ユダヤ教やキリスト教、イスラム教)は、神と悪魔がたたかう宗教で、教義の基本に悪魔退治がおかれる。
悪魔を倒すのが、一神教の神髄で、イスラム教のマホメット(ムハンマド)は、偶像(悪魔)征伐の戦争神だった。
ユダヤ教やキリスト教もその精神を引きついでいるので、宗教戦争は、凄惨きわまりないものになった。7回にわたった十字軍の遠征(1096〜1270年)では、略奪や破壊、皆殺しが横行、コルテスの「アステカ王国」征服やピサロの「インカ帝国」制圧でも、古代遺跡の破壊や略奪、民族の集団殺戮がくりひろげられた。
ジェノサイドの根拠は「キリスト教の恩恵に浴さない者は動物以下」という宗教的迷妄で、大航海時代のポルトガル人やスペイン人は、動物を殺すように見開国の罪なき老若男女を殺しまくった。
宗教戦争も激烈で、カトリックとプロテスタントが対立したドイツの「30年戦争では、ヨーロッパ20か国が参戦して、市街地や農村が主戦場となったドイツの人口は、戦前の3分の2にまで激減した(死者400万人)。
魔女狩り(異端審問)による女性の犠牲者は、ヨーロッパ全体で100万人以上になったが、見物者らは、火刑の犠牲者の泣き声や悲鳴を悪魔の断末魔の叫びとして聞いたという。
それがジェノサイドの原型で、敵対者や異教徒、放浪者、無国籍人の皆殺しは、ヨーロッパ一神教における神の行為だったのである。
「鉄砲と十字架」を手にした白人は、アフリカの奴隷狩りで数千万人の黒人を拉致して、アメリカ新大陸で1000万人のインディアンを殺戮した。そして、南アジアを侵略して200年間掠奪をつづけ、抵抗した日本に2発の原爆を投下した。
記者団から原爆投下を決断した経緯を聞かれたトルーマンは、指をパチンと鳴らしただけだったが、食糧を強奪して1000万人のウクライナ人を餓死させた(「モロドモール」)の命令書にサインしたスターリンは顔色一つかえなかったという。
ウクライナが、ロシア侵略に死の者狂いで抵抗するのは、90年前に人口の4分の1を餓死させられた仕打ちを忘れていないからである。
●スメルナ港のアルメニア人虐殺を救った日本の東慶丸
民族虐殺で忘れてならないのは、オスマン帝国の少数民族だったアルメニア人が、強制移住、虐殺などによって死亡した「アルメニア人虐殺(アルメニア人ジェノサイド)」で、犠牲者は100万から150万人にのぼる。
アルメニア人虐殺事件で引き合いにだされるのが、日本の商船がトルコ軍に追われたアルメニア難民800人を救出した「東慶丸事件」である。
第1次大戦後の1922年9月。ギリシャと交戦中のトルコ軍が港町スミルナ(現イズミル)に迫ると戦火に追われたアルメニア人が岸壁に殺到した。
このとき、アルメニア人らを保護したのが、スミルナに寄港していた日本の商船東慶丸だった。日本人船長は、追ってきたトルコ兵にたいして、難民に手を出せば日本への侮辱とみなすと告げ、積み荷を捨て、難民全員を上船させたという。
このとき、スミルナ港には、イギリスやフランス、イタリアなどヨーロッパ列強の船舶も多く停船していたが、難民を救出した船舶は、東慶丸以外、一隻もなかった。
東慶丸がアルメニア人を救ったのは、日本では、戦争に民をまきこむことが悪だったからで、戦火に追われた民を救うのは、日本人にとってあたりまえのことだった。
日本のいくさは、古来、農閑期におこなわれた。農作業のジャマにならないようにするためで、権力闘争である戦争と民の生命をささえる農業とのあいだには、一線が画されていて、戦争によって、作物や民の生命が犠牲になることは、道義上、あってはならないことだった。
●奴隷制度や人身売買、動物の屠殺を禁じた天皇令
日本の城下町には、敵の侵入を防ぐ城砦がない。いくさに民をまきこむ発想がなかったからで、たとえいくさでも、武士が無抵抗の民を殺せば末代の恥になった。
一方、西洋の城下は、市街地を城砦でとりかこみ、敵が侵入しにくい構造になっている。西洋の戦争は皆殺しなので、戦争になると兵士とともに民も犠牲になった。したがって、城下を丸ごと城砦で囲って、敵の侵入を防がなければならなかったのである。
奴隷の原型は、敗戦国の国の民を売買した奴隷市場で、これが15世紀からのアフリカ人を対象にした大西洋奴隷貿易へと発展した。
日本に奴隷制度がなかったのは、戦争で負けた側の民を殺害あるいは奴隷として売るという制度がなかったからで、徳川家康は、三河の一向一揆で、敵将だった本多正信を殺すどころか、戦後、重臣にとりたてて、終身、側近として仕えさせた。
反日左翼には、日本にも奴隷制度があったと主張する者がいるが、飢饉などによる人身売買はあったものの、制度としての奴隷制度はなかった。
ポルトガル人による日本人の人身売買が豊臣秀吉の怒りを買って、バテレン追放令につながった話はよく知られるが、わが国では、古来、奴隷制度や人身売買は、肉食と屠殺と同様、天皇(天武や聖武など)令として、国禁だった。
●職業区分だった「士農工商(穢多非人)」
身分制度とされる「士農工商(穢多非人)」は、実際は、中世以前からの職業区分で、当時の法規(『公事方御定書(町奉行所)』をみても、身分上の差別は存在しなかった。
穢多は、死んだ牛馬を解体して武具などに使う皮革類を生産する「斃牛馬取得権(旦那株)」のことで、この特権をめぐる訴状も残っていていることからも穢多が職業区別だったとわかる。
非人も前科者のことで、墓掘り(隠亡)や死体処理など常人がやらない仕事が前科者が生きてゆける唯一の職業だった。
奴隷という意味の「生口」や「奴婢」も中国側の呼び方(『後漢書』や『魏志倭人伝』)で、中国人が日本からの技能者や留学生を格下にみて「生口」や「奴婢」と呼んだのは「大和国の日巫女」を「邪馬台(ヤマト)国の卑弥呼」と侮蔑語で呼んだのと同様の発想である。
日本の史書に、当然、卑弥呼の蔑称はないが、日本の反日歴史学者は、卑弥呼の邪馬台国が正しく、大和朝廷は、後世のでっち上げだとして、中国の蔑称である倭(チビ)をとって、大和朝廷をヤマト(倭)国にしてしまった。
漁師や狩猟業、皮革業や食肉業が士農工商から外れたのは、日本は、屠殺や肉食が禁令の国だったからだが、穢多や非人は、ながいあいだ差別というイジメの対象にされてきた。
他人を差別するのは、東大神話と同様、昔も今もかわらぬ人間の性癖で、国家に差別的な身分制度が存在していたからではない。
次回以降、日本が人種差別撤廃から大東亜共栄思想に接近していった経緯についてのべていこう。
日本人はヨーロッパの「ジェノサイド(民族集団殺戮)」の歴史を知らない。
自民党副総裁の麻生太郎は「日本は、一つの国、一つの民族、一つの王朝が2000年にわたってつづいてきた国」(2005年)とのべたが、天皇を中心とする家族国家で、民族の集団殺戮などおきるはずもなく、そんな観念すらもなかった。
麻生発言に猛然に嚙みついたのが朝日新聞とその周辺の左翼学者で「日本は単一民族の国家ではない」というのである。
アイヌも在日も、帰化人も外国人もいるというのだが、厳密な意味での単一民族国家は世界のどこにも存在しない。同一民族の割合が人口の85%以上を占めていれば単一民族国家で、日本のほか、中国や韓国、北朝鮮、台湾、アルバニア、ポーランド、チェコ、ポルトガルなども単一民族国家である。
反日左翼は、日本という国の独自性までも否定しようとする。
「かつて日本は、中国の属国で、明治維新で西洋化に走ったが、戦後、憲法を新たな国体とするアメリカの属国になった。将来は、天皇を廃して、共産主義国家になる」というのである。
国際政治学者のハンチントン教授が「日本は、世界7大文明の一つで、中華文明の亜流ではない」(『文明の衝突』1996年)としたが、これにも、反日左翼学者が猛反発して「ハンチントンは二流学者」「中韓日は中華文明圏にふくまれる」と主張した。
ハンチントンの日本文明論は、日本の歴史が一万5千年前の縄文時代(世界4大文明は5000年前)からつづいてきたこと、独自の文化や文明をもっていること、中国大陸の2倍の海岸線をもつ海洋国家で、国土を他国に侵されたことがないこと、統一された単一の中央政府によって統治されてきた主権国家だったことなどをあげたが、これらの主張にたいして、他国から異議が唱えられたことはない。
●敵の殲滅≠最大の教義とする一神教の恐怖
日本にジェノサイトがなかった理由に、宗教観と歴史的習俗、自然環境など西洋との3つのちがいを挙げることができる。
筆頭が宗教観のちがいで、ヨーロッパで芽生えた一神教(ユダヤ教やキリスト教、イスラム教)は、神と悪魔がたたかう宗教で、教義の基本に悪魔退治がおかれる。
悪魔を倒すのが、一神教の神髄で、イスラム教のマホメット(ムハンマド)は、偶像(悪魔)征伐の戦争神だった。
ユダヤ教やキリスト教もその精神を引きついでいるので、宗教戦争は、凄惨きわまりないものになった。7回にわたった十字軍の遠征(1096〜1270年)では、略奪や破壊、皆殺しが横行、コルテスの「アステカ王国」征服やピサロの「インカ帝国」制圧でも、古代遺跡の破壊や略奪、民族の集団殺戮がくりひろげられた。
ジェノサイドの根拠は「キリスト教の恩恵に浴さない者は動物以下」という宗教的迷妄で、大航海時代のポルトガル人やスペイン人は、動物を殺すように見開国の罪なき老若男女を殺しまくった。
宗教戦争も激烈で、カトリックとプロテスタントが対立したドイツの「30年戦争では、ヨーロッパ20か国が参戦して、市街地や農村が主戦場となったドイツの人口は、戦前の3分の2にまで激減した(死者400万人)。
魔女狩り(異端審問)による女性の犠牲者は、ヨーロッパ全体で100万人以上になったが、見物者らは、火刑の犠牲者の泣き声や悲鳴を悪魔の断末魔の叫びとして聞いたという。
それがジェノサイドの原型で、敵対者や異教徒、放浪者、無国籍人の皆殺しは、ヨーロッパ一神教における神の行為だったのである。
「鉄砲と十字架」を手にした白人は、アフリカの奴隷狩りで数千万人の黒人を拉致して、アメリカ新大陸で1000万人のインディアンを殺戮した。そして、南アジアを侵略して200年間掠奪をつづけ、抵抗した日本に2発の原爆を投下した。
記者団から原爆投下を決断した経緯を聞かれたトルーマンは、指をパチンと鳴らしただけだったが、食糧を強奪して1000万人のウクライナ人を餓死させた(「モロドモール」)の命令書にサインしたスターリンは顔色一つかえなかったという。
ウクライナが、ロシア侵略に死の者狂いで抵抗するのは、90年前に人口の4分の1を餓死させられた仕打ちを忘れていないからである。
●スメルナ港のアルメニア人虐殺を救った日本の東慶丸
民族虐殺で忘れてならないのは、オスマン帝国の少数民族だったアルメニア人が、強制移住、虐殺などによって死亡した「アルメニア人虐殺(アルメニア人ジェノサイド)」で、犠牲者は100万から150万人にのぼる。
アルメニア人虐殺事件で引き合いにだされるのが、日本の商船がトルコ軍に追われたアルメニア難民800人を救出した「東慶丸事件」である。
第1次大戦後の1922年9月。ギリシャと交戦中のトルコ軍が港町スミルナ(現イズミル)に迫ると戦火に追われたアルメニア人が岸壁に殺到した。
このとき、アルメニア人らを保護したのが、スミルナに寄港していた日本の商船東慶丸だった。日本人船長は、追ってきたトルコ兵にたいして、難民に手を出せば日本への侮辱とみなすと告げ、積み荷を捨て、難民全員を上船させたという。
このとき、スミルナ港には、イギリスやフランス、イタリアなどヨーロッパ列強の船舶も多く停船していたが、難民を救出した船舶は、東慶丸以外、一隻もなかった。
東慶丸がアルメニア人を救ったのは、日本では、戦争に民をまきこむことが悪だったからで、戦火に追われた民を救うのは、日本人にとってあたりまえのことだった。
日本のいくさは、古来、農閑期におこなわれた。農作業のジャマにならないようにするためで、権力闘争である戦争と民の生命をささえる農業とのあいだには、一線が画されていて、戦争によって、作物や民の生命が犠牲になることは、道義上、あってはならないことだった。
●奴隷制度や人身売買、動物の屠殺を禁じた天皇令
日本の城下町には、敵の侵入を防ぐ城砦がない。いくさに民をまきこむ発想がなかったからで、たとえいくさでも、武士が無抵抗の民を殺せば末代の恥になった。
一方、西洋の城下は、市街地を城砦でとりかこみ、敵が侵入しにくい構造になっている。西洋の戦争は皆殺しなので、戦争になると兵士とともに民も犠牲になった。したがって、城下を丸ごと城砦で囲って、敵の侵入を防がなければならなかったのである。
奴隷の原型は、敗戦国の国の民を売買した奴隷市場で、これが15世紀からのアフリカ人を対象にした大西洋奴隷貿易へと発展した。
日本に奴隷制度がなかったのは、戦争で負けた側の民を殺害あるいは奴隷として売るという制度がなかったからで、徳川家康は、三河の一向一揆で、敵将だった本多正信を殺すどころか、戦後、重臣にとりたてて、終身、側近として仕えさせた。
反日左翼には、日本にも奴隷制度があったと主張する者がいるが、飢饉などによる人身売買はあったものの、制度としての奴隷制度はなかった。
ポルトガル人による日本人の人身売買が豊臣秀吉の怒りを買って、バテレン追放令につながった話はよく知られるが、わが国では、古来、奴隷制度や人身売買は、肉食と屠殺と同様、天皇(天武や聖武など)令として、国禁だった。
●職業区分だった「士農工商(穢多非人)」
身分制度とされる「士農工商(穢多非人)」は、実際は、中世以前からの職業区分で、当時の法規(『公事方御定書(町奉行所)』をみても、身分上の差別は存在しなかった。
穢多は、死んだ牛馬を解体して武具などに使う皮革類を生産する「斃牛馬取得権(旦那株)」のことで、この特権をめぐる訴状も残っていていることからも穢多が職業区別だったとわかる。
非人も前科者のことで、墓掘り(隠亡)や死体処理など常人がやらない仕事が前科者が生きてゆける唯一の職業だった。
奴隷という意味の「生口」や「奴婢」も中国側の呼び方(『後漢書』や『魏志倭人伝』)で、中国人が日本からの技能者や留学生を格下にみて「生口」や「奴婢」と呼んだのは「大和国の日巫女」を「邪馬台(ヤマト)国の卑弥呼」と侮蔑語で呼んだのと同様の発想である。
日本の史書に、当然、卑弥呼の蔑称はないが、日本の反日歴史学者は、卑弥呼の邪馬台国が正しく、大和朝廷は、後世のでっち上げだとして、中国の蔑称である倭(チビ)をとって、大和朝廷をヤマト(倭)国にしてしまった。
漁師や狩猟業、皮革業や食肉業が士農工商から外れたのは、日本は、屠殺や肉食が禁令の国だったからだが、穢多や非人は、ながいあいだ差別というイジメの対象にされてきた。
他人を差別するのは、東大神話と同様、昔も今もかわらぬ人間の性癖で、国家に差別的な身分制度が存在していたからではない。
次回以降、日本が人種差別撤廃から大東亜共栄思想に接近していった経緯についてのべていこう。
2023年05月01日
グローバルサウスと大東亜共栄思想1
●日本右翼の原点は大アジア主義
日本の右翼の原点が「アジア主義」にあったことに政治学者ですら気づいていないようだ。
右翼の語義についても錯誤がある。フランス革命期の国民公会で、議長席の左側を急進派(ジャコバン派)が占めたのにたいして右側を穏健派(ジロンド派)が占めたところに由来があるなどというのだが、日本やアジアの黎明期の政治とフランス革命とはなんのかかわりもない。
右翼は「右にでるものがいない」という謂いにあるとおり上位や正当という意味で、左翼(革命急進派)に対立する右翼(反動的守旧派)と理解するのは語義上の誤りである。
右翼は反共の砦という者もいる。だが、反共の呼称は、戦後の革命の危機に任侠までも動員した防共体制の名残で、1919年のコミンテルン(国際共産主義運動)の誕生や1922年の日本共産党(コミンテルン日本支部)の結党まで、日本には、反共という概念は存在しなかった。
右翼の根幹精神に西郷隆盛をおく右翼人が多い。葦津珍彦はこうのべた。
「岩倉(具視)や大久保(利通)、伊藤(博文)ら政府実権者は、日本の富強をはかるには、欧米列強への抵抗(攘夷)の精神を捨て、欧米の支援の下で国の発展を期さねばならぬと信ずるに至った。これにたいして、日本精神の権威を確保して、欧米の圧力に抵抗しつつ、日本国の強化をはからねばならぬとする西郷以下の勢力が対決した」
1877年の「西南の役」など士族の乱は、徹底的に鎮圧されて、明治日本は、西洋的な帝国主義に変容して、それが、1945年の大戦終戦まで68年間のながきにわたって継続される。
その象徴が天皇主権を謳った明治憲法と徴兵令で、明治維新によって武士と天皇の国(権威と権力の二元論)としての日本の国体は、完全に瓦解したといえる。
●アジア主義という理念に立った日本の右翼
武士の精神が消えた近代日本で、日本の右翼がもとめたのは、修好と開国をすすめる遣韓使節としてみずから朝鮮におもむこうという西郷隆盛の征韓論であった。
これがアジア主義の原点となったが、アジア主義へ最初の一歩をふみだしたのは、皮肉にも、征韓論で西郷と敵対した大久保利通だった。清国の李鴻章から「東洋の団結」をもちかけられた大久保は、米沢藩士の曽根俊虎に命じて「振亜会」を発足させ、みずから会則を起草する。
振亜会(1878年)は興亜会(1880年)へ、さらに亜細亜協会や東亜同文会(1900年)と名称を変えるが、日本と支那、朝鮮の親和性を深めていこうとする李鴻章の精神は、日清戦争(1894年)まで維持された。
これがアジア主義に立った日本の右翼の萌芽で、運動の主導権をにぎったのは、国家という枠組みをこえた振亜会の流れをくむ有志団体であった。
国家は、国益のためのみにうごくので、民間の活動はふりかえられない。
ヨーロッパの25か国が参戦した第一次世界大戦で、戦闘員および民間人の犠牲者約3700万人にもたっしたのは、国家は、敵対国の殲滅という一元論的な行動原理しかもちえないからである。
李鴻章は、日清講和条約をむすんだ清国全権で、日清講和条約では、清国が朝鮮の独立を承認したほか、日本に遼東半島と台湾・澎湖列島の割譲を約している。
開戦に反対だった李鴻章が日清開戦に踏み切らざるをえなかったのは、西太后周辺の積極派に押し切られたからで、個人の意志が国家理性に敗北するのが歴史のつねなのである。
日本で、アジア主義という政治観を打ち立てることができたのは、主導権をにぎったのが、国家ではなく、右翼という個人の思想や価値観か反映された有志団体だったからだった。
有志団体なら、国家の利害関係をこえた人類の理想にたちむかってゆける。
右翼が、国家や民族の独立やアジア同胞の連帯という大運動に挺身できたのは、国家という枠組みに縛られない自由人だったからで、頭山満や内田良平は民族独立や国家防衛には身をたぎらせたが帝国主義戦争には大反対だった。
●アジア独立の工作機関だった黒龍会
日本の右翼の先陣を切ったのが頭山満や平岡浩太郎らの玄洋社で、興亜会が発足した翌1881年、アジア主義の政治団体として、黒田藩内に設立された。
西南の役などの士族の反乱で死にそびれた武士たちが大挙して玄洋社にくわわったのは、秋月の乱をおこした秋月藩が黒田藩の支藩だったからで、黒田藩出身の頭山満にも尊敬する西郷隆盛とともに戦えなかった無念があった。
西南の役で、西郷とともに最後までたたかった平岡浩太郎は、黒龍会の内田良平の叔父で、良平の父、内田良五郎は玄洋社の幹部だった。
ちなみに、日露戦争中、レーニン工作などロシア国内の政情不安を工作して日本の勝利に貢献した明石元二郎も玄洋社の社員だった。明石の功績について陸軍参謀本部の長岡外史は「陸軍10個師団に相当する」と評したが、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世も「明石元二郎一人で満州の日本軍20万人に匹敵する戦果を上げた」と称えた。
明石の偉業の背景にあったのが、黒龍会の内田良平が決行したロシア偵察のシベリア横断(1897年)だった。
南洋植民や中国貿易からアジア主義へと発展した東邦協会(1891年)や犬養毅や平岡浩太郎、三宅雪嶺らが発起した東亜会(1897年)の後をうけて、4年後、玄洋社の海外工作を担当する内田良平の黒龍会(1901年)が設立されている。
玄洋社のスローガンに「大アジア主義」があるが、アジア全土で独立と解放の運動をおこなうには、国外で工作を担う専門部隊が必要だった。
それが内田良平の黒龍会で、良平は、フィリピン独立の指導者アギナルドや中国革命の孫文、インドの独立のラス・ビハリ・ボース、朝鮮開明派の金玉均や朴泳孝を援助したほか、日韓問題については、一進会の領袖李容九とともに日韓の対等合邦をめざして、日本政府にはたらきかけた。
●西郷隆盛の大東亜論と勝海舟の東亜同盟論
孫文の辛亥革命は、1911年に成立するが、中華民国の実権を奪ったのは孫文ではなく、袁世凱だった。袁が死ぬと分裂をくり返す北洋軍閥と毛沢東の革命派、蒋介石の国民軍による内戦がはじまって中国全土は群雄割拠の戦乱の時代に突入する。
日本が孫文の後継者とした汪兆銘の南京政府も全土掌握にはいたらず日本の敗戦後、解体されて、南京政府関係者の多くが反逆罪で処刑されている。
当時の右翼は、国政や軍事、官僚から一線を画した有志の団体で、頭山満の玄洋社は、満州義軍(馬賊)を編成、ロシア軍の後方をかく乱するゲリラ戦を展開、天佑侠を編成して、東学党を援けた黒龍会の内田良平も朝鮮やインド、フィリピンの独立運動に尽力したが、日本政府の手先になることはなかった。
盟友の犬養毅から大臣の椅子を約束されても政界入りを断った頭山満は、関東軍のよる満州建国や日韓併合とりわけ日華事変に大反対だった。大アジア主義に立っていたからで、当時、右翼人の思想や行動力をささえていたのは、西郷隆盛や叛乱士族らからうけつだ武士の精神であった。
玄洋社の三憲則に、皇室を敬戴すべし(第一条)、本国を愛重すべし(第二条)、人民の権利を固守すべし(第三条)とあるが、国政に尽くせとはない。
西郷や叛乱氏族の精神うけつぐ右翼にとって、ヨーロッパの模倣に走る明治政府は、理想からほど遠いもので、右翼が維新の根幹とみなしたのは、西郷隆盛の大東亜論であった。
西郷の大東亜論は、日本と中国、朝鮮が同盟を結んで西洋列強の東洋進出に対抗すべきとした勝海舟の東亜同盟論と同根で、江戸無血開城をもちだすまでもなく、西郷と勝は肝胆相照らす仲だった。
●右翼の公的使命感と大東亜共栄思想
大東亜共栄思想は、西郷の大東亜論や勝海舟の東亜同盟論の上に成り立ったもので、東条内閣の大東亜会議(1943年)は、日本の国策や軍略というより、アジア全土にみなぎっていた植民地解放と独立への地響きのような渇望の声であった。
戦後、左翼は、大東亜会議は、後づけで、日本の目的は帝国主義的な侵略にあったと主張するが、あたりまえである。日本が他国を独立させるために戦争するわけはなく、目的は、地下資源の入手と欧米列強の駆逐であったのはいうまでもない。
にもかかわらず、歴史学者のアーノルド・トインビーは英紙『オブザーバー(1956年)』にこう書いた。
「日本は、第二次世界大戦において、大東亜共栄圏の他の国々に思いがけない恵みをもたらした。それまでアジア・アフリカを200年のながきにわたって支配してきた西洋人は、無敵で、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は、実際にはそうではなかったことを、アジア人の面前で証明してみせた。これは、歴史的な偉業であった。日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人類差別に終止符を打つ偉業をなしとげたのである」
日清と日露戦争、太平洋戦争における日本兵の勇猛果敢さ、とりわけ玉砕や特攻など死を覚悟した闘争精神は世界を驚愕させた。
その思想的深淵はなんであったあろうか。
国家や国体、国民やアジア同胞をまもろうとする公的な使命感てあった。
私を捨て、公に一身を捧げるますらお(益荒男)の防人精神で、日本男子は、私情を捨て去ったもののふ(武士)だったのである。
やさしさや親切、おもてなしなどの日本人の社会的善が世界から賞賛をうけているが、これも、私をおさえた公(おおやけ)の心である。
次回以降、日本人の公の心と西洋の私の精神を比較しながら、世界の歴史をみていこう。
日本の右翼の原点が「アジア主義」にあったことに政治学者ですら気づいていないようだ。
右翼の語義についても錯誤がある。フランス革命期の国民公会で、議長席の左側を急進派(ジャコバン派)が占めたのにたいして右側を穏健派(ジロンド派)が占めたところに由来があるなどというのだが、日本やアジアの黎明期の政治とフランス革命とはなんのかかわりもない。
右翼は「右にでるものがいない」という謂いにあるとおり上位や正当という意味で、左翼(革命急進派)に対立する右翼(反動的守旧派)と理解するのは語義上の誤りである。
右翼は反共の砦という者もいる。だが、反共の呼称は、戦後の革命の危機に任侠までも動員した防共体制の名残で、1919年のコミンテルン(国際共産主義運動)の誕生や1922年の日本共産党(コミンテルン日本支部)の結党まで、日本には、反共という概念は存在しなかった。
右翼の根幹精神に西郷隆盛をおく右翼人が多い。葦津珍彦はこうのべた。
「岩倉(具視)や大久保(利通)、伊藤(博文)ら政府実権者は、日本の富強をはかるには、欧米列強への抵抗(攘夷)の精神を捨て、欧米の支援の下で国の発展を期さねばならぬと信ずるに至った。これにたいして、日本精神の権威を確保して、欧米の圧力に抵抗しつつ、日本国の強化をはからねばならぬとする西郷以下の勢力が対決した」
1877年の「西南の役」など士族の乱は、徹底的に鎮圧されて、明治日本は、西洋的な帝国主義に変容して、それが、1945年の大戦終戦まで68年間のながきにわたって継続される。
その象徴が天皇主権を謳った明治憲法と徴兵令で、明治維新によって武士と天皇の国(権威と権力の二元論)としての日本の国体は、完全に瓦解したといえる。
●アジア主義という理念に立った日本の右翼
武士の精神が消えた近代日本で、日本の右翼がもとめたのは、修好と開国をすすめる遣韓使節としてみずから朝鮮におもむこうという西郷隆盛の征韓論であった。
これがアジア主義の原点となったが、アジア主義へ最初の一歩をふみだしたのは、皮肉にも、征韓論で西郷と敵対した大久保利通だった。清国の李鴻章から「東洋の団結」をもちかけられた大久保は、米沢藩士の曽根俊虎に命じて「振亜会」を発足させ、みずから会則を起草する。
振亜会(1878年)は興亜会(1880年)へ、さらに亜細亜協会や東亜同文会(1900年)と名称を変えるが、日本と支那、朝鮮の親和性を深めていこうとする李鴻章の精神は、日清戦争(1894年)まで維持された。
これがアジア主義に立った日本の右翼の萌芽で、運動の主導権をにぎったのは、国家という枠組みをこえた振亜会の流れをくむ有志団体であった。
国家は、国益のためのみにうごくので、民間の活動はふりかえられない。
ヨーロッパの25か国が参戦した第一次世界大戦で、戦闘員および民間人の犠牲者約3700万人にもたっしたのは、国家は、敵対国の殲滅という一元論的な行動原理しかもちえないからである。
李鴻章は、日清講和条約をむすんだ清国全権で、日清講和条約では、清国が朝鮮の独立を承認したほか、日本に遼東半島と台湾・澎湖列島の割譲を約している。
開戦に反対だった李鴻章が日清開戦に踏み切らざるをえなかったのは、西太后周辺の積極派に押し切られたからで、個人の意志が国家理性に敗北するのが歴史のつねなのである。
日本で、アジア主義という政治観を打ち立てることができたのは、主導権をにぎったのが、国家ではなく、右翼という個人の思想や価値観か反映された有志団体だったからだった。
有志団体なら、国家の利害関係をこえた人類の理想にたちむかってゆける。
右翼が、国家や民族の独立やアジア同胞の連帯という大運動に挺身できたのは、国家という枠組みに縛られない自由人だったからで、頭山満や内田良平は民族独立や国家防衛には身をたぎらせたが帝国主義戦争には大反対だった。
●アジア独立の工作機関だった黒龍会
日本の右翼の先陣を切ったのが頭山満や平岡浩太郎らの玄洋社で、興亜会が発足した翌1881年、アジア主義の政治団体として、黒田藩内に設立された。
西南の役などの士族の反乱で死にそびれた武士たちが大挙して玄洋社にくわわったのは、秋月の乱をおこした秋月藩が黒田藩の支藩だったからで、黒田藩出身の頭山満にも尊敬する西郷隆盛とともに戦えなかった無念があった。
西南の役で、西郷とともに最後までたたかった平岡浩太郎は、黒龍会の内田良平の叔父で、良平の父、内田良五郎は玄洋社の幹部だった。
ちなみに、日露戦争中、レーニン工作などロシア国内の政情不安を工作して日本の勝利に貢献した明石元二郎も玄洋社の社員だった。明石の功績について陸軍参謀本部の長岡外史は「陸軍10個師団に相当する」と評したが、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世も「明石元二郎一人で満州の日本軍20万人に匹敵する戦果を上げた」と称えた。
明石の偉業の背景にあったのが、黒龍会の内田良平が決行したロシア偵察のシベリア横断(1897年)だった。
南洋植民や中国貿易からアジア主義へと発展した東邦協会(1891年)や犬養毅や平岡浩太郎、三宅雪嶺らが発起した東亜会(1897年)の後をうけて、4年後、玄洋社の海外工作を担当する内田良平の黒龍会(1901年)が設立されている。
玄洋社のスローガンに「大アジア主義」があるが、アジア全土で独立と解放の運動をおこなうには、国外で工作を担う専門部隊が必要だった。
それが内田良平の黒龍会で、良平は、フィリピン独立の指導者アギナルドや中国革命の孫文、インドの独立のラス・ビハリ・ボース、朝鮮開明派の金玉均や朴泳孝を援助したほか、日韓問題については、一進会の領袖李容九とともに日韓の対等合邦をめざして、日本政府にはたらきかけた。
●西郷隆盛の大東亜論と勝海舟の東亜同盟論
孫文の辛亥革命は、1911年に成立するが、中華民国の実権を奪ったのは孫文ではなく、袁世凱だった。袁が死ぬと分裂をくり返す北洋軍閥と毛沢東の革命派、蒋介石の国民軍による内戦がはじまって中国全土は群雄割拠の戦乱の時代に突入する。
日本が孫文の後継者とした汪兆銘の南京政府も全土掌握にはいたらず日本の敗戦後、解体されて、南京政府関係者の多くが反逆罪で処刑されている。
当時の右翼は、国政や軍事、官僚から一線を画した有志の団体で、頭山満の玄洋社は、満州義軍(馬賊)を編成、ロシア軍の後方をかく乱するゲリラ戦を展開、天佑侠を編成して、東学党を援けた黒龍会の内田良平も朝鮮やインド、フィリピンの独立運動に尽力したが、日本政府の手先になることはなかった。
盟友の犬養毅から大臣の椅子を約束されても政界入りを断った頭山満は、関東軍のよる満州建国や日韓併合とりわけ日華事変に大反対だった。大アジア主義に立っていたからで、当時、右翼人の思想や行動力をささえていたのは、西郷隆盛や叛乱士族らからうけつだ武士の精神であった。
玄洋社の三憲則に、皇室を敬戴すべし(第一条)、本国を愛重すべし(第二条)、人民の権利を固守すべし(第三条)とあるが、国政に尽くせとはない。
西郷や叛乱氏族の精神うけつぐ右翼にとって、ヨーロッパの模倣に走る明治政府は、理想からほど遠いもので、右翼が維新の根幹とみなしたのは、西郷隆盛の大東亜論であった。
西郷の大東亜論は、日本と中国、朝鮮が同盟を結んで西洋列強の東洋進出に対抗すべきとした勝海舟の東亜同盟論と同根で、江戸無血開城をもちだすまでもなく、西郷と勝は肝胆相照らす仲だった。
●右翼の公的使命感と大東亜共栄思想
大東亜共栄思想は、西郷の大東亜論や勝海舟の東亜同盟論の上に成り立ったもので、東条内閣の大東亜会議(1943年)は、日本の国策や軍略というより、アジア全土にみなぎっていた植民地解放と独立への地響きのような渇望の声であった。
戦後、左翼は、大東亜会議は、後づけで、日本の目的は帝国主義的な侵略にあったと主張するが、あたりまえである。日本が他国を独立させるために戦争するわけはなく、目的は、地下資源の入手と欧米列強の駆逐であったのはいうまでもない。
にもかかわらず、歴史学者のアーノルド・トインビーは英紙『オブザーバー(1956年)』にこう書いた。
「日本は、第二次世界大戦において、大東亜共栄圏の他の国々に思いがけない恵みをもたらした。それまでアジア・アフリカを200年のながきにわたって支配してきた西洋人は、無敵で、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は、実際にはそうではなかったことを、アジア人の面前で証明してみせた。これは、歴史的な偉業であった。日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人類差別に終止符を打つ偉業をなしとげたのである」
日清と日露戦争、太平洋戦争における日本兵の勇猛果敢さ、とりわけ玉砕や特攻など死を覚悟した闘争精神は世界を驚愕させた。
その思想的深淵はなんであったあろうか。
国家や国体、国民やアジア同胞をまもろうとする公的な使命感てあった。
私を捨て、公に一身を捧げるますらお(益荒男)の防人精神で、日本男子は、私情を捨て去ったもののふ(武士)だったのである。
やさしさや親切、おもてなしなどの日本人の社会的善が世界から賞賛をうけているが、これも、私をおさえた公(おおやけ)の心である。
次回以降、日本人の公の心と西洋の私の精神を比較しながら、世界の歴史をみていこう。
2023年04月17日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和11
●結果論でうごく政治のリアリズム
政治の世界が、なまぬるい動機論ではなく、血も涙もない結果論なのはいうまでもない。
「戦争は政治と異なる手段をもってする政治の継続」と喝破したのはドイツのクラウゼウィッツだったが、現在も、この大原則は生きている。
アメリカのイラク戦争や中国の一帯一路、ロシアのウクライナ侵略が問われたのは、結果がすべての結果論で、動機論をいくら語ったところで、すべて後の祭りである。
結果だけが問われる政治の現実にたいして、甘ったるい動機論をくり広げているのが日本の左翼で、こうあるべき、かくあるべき、と空理空論にうつつをぬかしている。
現実から離れて、空想の世界にあそぶのが日本の平和主義で、東大を頂点とするインテリ左翼は、戦後、日本で平和がまもられたのは憲法九条のおかげという寝ぼけたことをいって恥じる様子もない。
橋下徹は、ウクライナ国民4000万人は、生命をまもるため祖国を捨てて難民になり、十年後に帰国して国土を再建すべきと小学生のようなことをいったが、マスコミはこれを批判するどころか、個人を国家の上位におく橋下イズムをもちあげた。橋下から日本弁護士連合会まで、法律家が左翼的なのは、国家の根源を、国体や歴史ではなく、法におくからで、法治主義は、伝統や文化、習俗を人工の法に切り替えようとする革命運動でもあったのである。
戦争がおきた場合、国家のためにたたかうかという国際機関のアンケートにイエスとこたえた日本は13%で、世界79か国中、最下位だった。参加国の平均値が約70%、78位のリトアニアのイエスが33%だったことを思えば日本の13%がいかに異常な数字だったかがわかるだろう。
戦争がおきても、9割に近い国民がたたかわない異様な国、日本にあるのは、個人や私性だけで、国家や国体、歴史や文化にたいする尊敬心や帰属意識、全体に目を配る哲学や公的な精神が完全に脱落している。
●個人的感情の延長線上にある日本の民主主義
日本人は、民主主義や基本的人権、自由や平等は、個人にあたえられたものと思っている。
したがって、人類的な課題や国家的な使命、普遍的な目的が目に入らない。
個人的な損得や私的な感情、都合がすべてだからで、国家や歴史、共同体や全体性とは無関係に単独で生を営んでいる日本人は、孤独な個人つまり私人でしかない。
日本人は、生命が大事と口を揃えるが、国家や歴史、文化から断ち切られた生命になんの意味があるだろう。
安倍元首相を殺害した狙撃犯は、宗教問題にかかる個人的な恨みから犯行におよび、獄中から弁護団や全国の支援者らに感謝のメッセージを送っているという。
現在の日本人は、この行動の異様さに気がつかない。
個人や私人を生きているので、国連総会演説で世界の首脳を感動させた安倍晋三首相(一般討論演説)の精神と、家庭の財産トラブルから殺意をもった狙撃犯の狂気の区別がつかないのである。
否、個人や私人のレベルでは、人類の理想と狂人の妄念が同一のものとして並列される。
日本の自由主義は、なにをするのも個人の勝手だが、ヨーロッパの自由主義は、自由の制限である。個人主義も、個人が侵してはならないタブーの設定である。そこからヨーロッパ保守主義からモラルの思想がうまれて、自由や平等、権利が他者や社会をまもる、秩序の体系となった。
安倍晋三元首相を殺害したのは、元海上自衛隊員だったが、坂本雄一陸将ら幹部8人が同乗していた陸上自衛隊のヘリコプターが宮古島海域で墜落した事件では、内部犯行説がささやかれている。背景に自衛隊幹部の三菱電機への大量の天下り構造があるというというのだが、そういう噂が流れることじたいすでに重大な不祥事なのである。
日本では、皇族をまもるべき皇宮警察が、愛子さまを「クソガキ」と呼んでも問題にならず、自衛隊のなかで処遇などについて不穏な空気が渦巻いていようと、橋下徹がウクライナ4000万国民に命をまもるために国を捨てるようにうったえようと、異様とはうけとめられない。
日本という国家、日本人という人間の在り方に狂いが生じていると考えざるをえない。
●国家観や公的精神を失って個人や私人に転落した日本人
変調の元凶は、公的精神の欠如にあるのはいうまでもない。国家や社会、共同体への尊敬心や帰属心が、全体の一員たる日本人にそなわっていなければ、国家も国民もともに成り立たないのである。
人間や共同体は、それ自体、単独で存在しているわけではない。個と全体が二元論的にささえあって、国家と国民が成立している。これは、結果論でもあって、たとえ、動機論的には個人や集団でも、そこに政治イデオロギーがはたらけば、結果的に、国民と国家という政治的な存在になるのである。
左翼陣営から、かつての大東亜共栄思想は、侵略戦争の合理化という批判がなされる。
日本のアジア侵攻は、帝国主義政策で、むろん、アジア解放をめざしたものではなかった。
だが、第二次世界大戦後、イギリスやフランス、アメリカやオランダなどの植民地支配から独立したアジアとアフリカ、中東諸国が結集したバンドン会議(第1回アジア・アフリカ会議/1955年)で、日本は、招待されて大歓迎をうけた。
迎えたのは、戦後に独立したインドのネルー首相、インドネシアのスカルノ大統領、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領らだが、同会議の参加国は29か国で当時の世界人口の54%を占めていた。
会議には、高碕達之助や加瀬俊一(のちに国連大使)ら外務省関係者十数名が参加したが、加瀬は当時の熱狂的な歓迎ぶりをこう書き記している。
「各国代表から握手をもとめられた。かれらは、日本が、大東亜会議で宣言をだしてくれていなかったら、われわれは、列強の植民地のままであったろうと口をそろえた」
大東亜会議の参加者は、東條英機のほか中国南京政府の汪兆銘、満州の張景恵国務総理、インド国民軍のチャンドラ・ボース、ビルマのバー・モウ行政府長官、タイのワンワイタヤーコーン親王、フィリピンのラウレル大統領の7人で、終戦2年前の昭和18年の段階で、米英支配の打破が明確に打ち出された。
政治は、結果論なので、大東亜共栄思想は、第三世界の独立に大いなる貢献をおこなったといいうるのである。
●グローバルサウスにひきつがれた大東亜宣言とバンドン会議の精神
1964年に予定されていた「第2回会議バンドン会議」は中印国境紛争やナセルのアラブ連合形成の失敗、スカルノの失脚などによって開催が不可能となったが、50年後の2005年、インドネシアで「バンドン会議50周年を記念する首脳会議」がひらかれた。
このとき、AAおよび中南米から106カ国が参加して、欧米の帝国主義的なグローバリゼーションに対抗できるアジア・アフリカによる戦略的な連帯を宣言した。
2015年、ジャカルタで「バンドン会議60周年を記念する首脳会議」がおこなわれて、109か国の首脳・閣僚が参加したが、安倍晋三首相と中国の習近平主席がこのとき首脳会談をおこない、悪化していた関係改善の合意をむすんでいる。
バンドン会議の延長がグローバルサウスで、さらに原形をもとめると大東亜会議にゆきつく。大東亜会議にビルマの国家元首として出席したバー・モウは戦後の回想録のなかでこう指摘している。
「日本の大東亜会議は、十二年後、バンドン会議で結実した。バンドン会議の精神がアジア・アフリカの旧植民地勢力の躍進を約束してくれている」
バンドン会議六十周年の開会式の直後、安倍首相は元日本兵墓地(カリバタ英雄墓地)を訪れて献花をおこなった。首相は、演説で、バンドン会議と大東亜会議の関係にふれなかったが、関係諸国は、安倍首相の真意と歴史をわかっていた。
日本のメディアは「桜を見る会」の追及に忙しくてこれら一連の事実関係を報道しなかったが、同会議における安倍首相のスピーチは、未来志向に立った名演説として、いまなお、関係者の心に印象深く刻まれている。
次回以降、安倍元首相がふり返った大東亜共栄思想、バンドン会議、グローバルサウスの今後の可能性を展望していこう。
政治の世界が、なまぬるい動機論ではなく、血も涙もない結果論なのはいうまでもない。
「戦争は政治と異なる手段をもってする政治の継続」と喝破したのはドイツのクラウゼウィッツだったが、現在も、この大原則は生きている。
アメリカのイラク戦争や中国の一帯一路、ロシアのウクライナ侵略が問われたのは、結果がすべての結果論で、動機論をいくら語ったところで、すべて後の祭りである。
結果だけが問われる政治の現実にたいして、甘ったるい動機論をくり広げているのが日本の左翼で、こうあるべき、かくあるべき、と空理空論にうつつをぬかしている。
現実から離れて、空想の世界にあそぶのが日本の平和主義で、東大を頂点とするインテリ左翼は、戦後、日本で平和がまもられたのは憲法九条のおかげという寝ぼけたことをいって恥じる様子もない。
橋下徹は、ウクライナ国民4000万人は、生命をまもるため祖国を捨てて難民になり、十年後に帰国して国土を再建すべきと小学生のようなことをいったが、マスコミはこれを批判するどころか、個人を国家の上位におく橋下イズムをもちあげた。橋下から日本弁護士連合会まで、法律家が左翼的なのは、国家の根源を、国体や歴史ではなく、法におくからで、法治主義は、伝統や文化、習俗を人工の法に切り替えようとする革命運動でもあったのである。
戦争がおきた場合、国家のためにたたかうかという国際機関のアンケートにイエスとこたえた日本は13%で、世界79か国中、最下位だった。参加国の平均値が約70%、78位のリトアニアのイエスが33%だったことを思えば日本の13%がいかに異常な数字だったかがわかるだろう。
戦争がおきても、9割に近い国民がたたかわない異様な国、日本にあるのは、個人や私性だけで、国家や国体、歴史や文化にたいする尊敬心や帰属意識、全体に目を配る哲学や公的な精神が完全に脱落している。
●個人的感情の延長線上にある日本の民主主義
日本人は、民主主義や基本的人権、自由や平等は、個人にあたえられたものと思っている。
したがって、人類的な課題や国家的な使命、普遍的な目的が目に入らない。
個人的な損得や私的な感情、都合がすべてだからで、国家や歴史、共同体や全体性とは無関係に単独で生を営んでいる日本人は、孤独な個人つまり私人でしかない。
日本人は、生命が大事と口を揃えるが、国家や歴史、文化から断ち切られた生命になんの意味があるだろう。
安倍元首相を殺害した狙撃犯は、宗教問題にかかる個人的な恨みから犯行におよび、獄中から弁護団や全国の支援者らに感謝のメッセージを送っているという。
現在の日本人は、この行動の異様さに気がつかない。
個人や私人を生きているので、国連総会演説で世界の首脳を感動させた安倍晋三首相(一般討論演説)の精神と、家庭の財産トラブルから殺意をもった狙撃犯の狂気の区別がつかないのである。
否、個人や私人のレベルでは、人類の理想と狂人の妄念が同一のものとして並列される。
日本の自由主義は、なにをするのも個人の勝手だが、ヨーロッパの自由主義は、自由の制限である。個人主義も、個人が侵してはならないタブーの設定である。そこからヨーロッパ保守主義からモラルの思想がうまれて、自由や平等、権利が他者や社会をまもる、秩序の体系となった。
安倍晋三元首相を殺害したのは、元海上自衛隊員だったが、坂本雄一陸将ら幹部8人が同乗していた陸上自衛隊のヘリコプターが宮古島海域で墜落した事件では、内部犯行説がささやかれている。背景に自衛隊幹部の三菱電機への大量の天下り構造があるというというのだが、そういう噂が流れることじたいすでに重大な不祥事なのである。
日本では、皇族をまもるべき皇宮警察が、愛子さまを「クソガキ」と呼んでも問題にならず、自衛隊のなかで処遇などについて不穏な空気が渦巻いていようと、橋下徹がウクライナ4000万国民に命をまもるために国を捨てるようにうったえようと、異様とはうけとめられない。
日本という国家、日本人という人間の在り方に狂いが生じていると考えざるをえない。
●国家観や公的精神を失って個人や私人に転落した日本人
変調の元凶は、公的精神の欠如にあるのはいうまでもない。国家や社会、共同体への尊敬心や帰属心が、全体の一員たる日本人にそなわっていなければ、国家も国民もともに成り立たないのである。
人間や共同体は、それ自体、単独で存在しているわけではない。個と全体が二元論的にささえあって、国家と国民が成立している。これは、結果論でもあって、たとえ、動機論的には個人や集団でも、そこに政治イデオロギーがはたらけば、結果的に、国民と国家という政治的な存在になるのである。
左翼陣営から、かつての大東亜共栄思想は、侵略戦争の合理化という批判がなされる。
日本のアジア侵攻は、帝国主義政策で、むろん、アジア解放をめざしたものではなかった。
だが、第二次世界大戦後、イギリスやフランス、アメリカやオランダなどの植民地支配から独立したアジアとアフリカ、中東諸国が結集したバンドン会議(第1回アジア・アフリカ会議/1955年)で、日本は、招待されて大歓迎をうけた。
迎えたのは、戦後に独立したインドのネルー首相、インドネシアのスカルノ大統領、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領らだが、同会議の参加国は29か国で当時の世界人口の54%を占めていた。
会議には、高碕達之助や加瀬俊一(のちに国連大使)ら外務省関係者十数名が参加したが、加瀬は当時の熱狂的な歓迎ぶりをこう書き記している。
「各国代表から握手をもとめられた。かれらは、日本が、大東亜会議で宣言をだしてくれていなかったら、われわれは、列強の植民地のままであったろうと口をそろえた」
大東亜会議の参加者は、東條英機のほか中国南京政府の汪兆銘、満州の張景恵国務総理、インド国民軍のチャンドラ・ボース、ビルマのバー・モウ行政府長官、タイのワンワイタヤーコーン親王、フィリピンのラウレル大統領の7人で、終戦2年前の昭和18年の段階で、米英支配の打破が明確に打ち出された。
政治は、結果論なので、大東亜共栄思想は、第三世界の独立に大いなる貢献をおこなったといいうるのである。
●グローバルサウスにひきつがれた大東亜宣言とバンドン会議の精神
1964年に予定されていた「第2回会議バンドン会議」は中印国境紛争やナセルのアラブ連合形成の失敗、スカルノの失脚などによって開催が不可能となったが、50年後の2005年、インドネシアで「バンドン会議50周年を記念する首脳会議」がひらかれた。
このとき、AAおよび中南米から106カ国が参加して、欧米の帝国主義的なグローバリゼーションに対抗できるアジア・アフリカによる戦略的な連帯を宣言した。
2015年、ジャカルタで「バンドン会議60周年を記念する首脳会議」がおこなわれて、109か国の首脳・閣僚が参加したが、安倍晋三首相と中国の習近平主席がこのとき首脳会談をおこない、悪化していた関係改善の合意をむすんでいる。
バンドン会議の延長がグローバルサウスで、さらに原形をもとめると大東亜会議にゆきつく。大東亜会議にビルマの国家元首として出席したバー・モウは戦後の回想録のなかでこう指摘している。
「日本の大東亜会議は、十二年後、バンドン会議で結実した。バンドン会議の精神がアジア・アフリカの旧植民地勢力の躍進を約束してくれている」
バンドン会議六十周年の開会式の直後、安倍首相は元日本兵墓地(カリバタ英雄墓地)を訪れて献花をおこなった。首相は、演説で、バンドン会議と大東亜会議の関係にふれなかったが、関係諸国は、安倍首相の真意と歴史をわかっていた。
日本のメディアは「桜を見る会」の追及に忙しくてこれら一連の事実関係を報道しなかったが、同会議における安倍首相のスピーチは、未来志向に立った名演説として、いまなお、関係者の心に印象深く刻まれている。
次回以降、安倍元首相がふり返った大東亜共栄思想、バンドン会議、グローバルサウスの今後の可能性を展望していこう。
2023年04月02日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和10
●国家なくして国民がありうるか
過日、馬毛島問題(米軍機の訓練移転と自衛隊基地整備)の取材に来られた朝日新聞のF記者が「国家主義」ということばをもちいたので、多少、違和感をおぼえた。
10年ほど前、わたしは、馬毛島へ基地整備をすすめる政府・防衛省側と土地所有者の接触に多少かかわりをもったことがあった。
F記者の目的は、その取材だったのだが、馬毛島の整備に積極的な姿勢が国家主義、その文脈で、反対運動をくりひろげる一部住民の姿勢が国民主義的というニュアンスであった。
そうなら、あまりに戯画的な図式で、短絡的にすぎる。
戦後、日本は「天皇主権と国民主権」「国家主義と国民主義」「民主主義と自由主義」「個人主義と全体主義」「平等主義と封建主義」などの二項対立を一元論的、対立的にとらえてきた。
左翼は、戦前の日本は、天皇主権で、天皇制ファシズムの時代だったという。
当時の日本は、軍国主義で、軍部が天皇を利用したのは事実である。
しかし、天皇が主権を行使したことも、帝国憲法に天皇独裁を謳った文言もなく、政体は、立憲君主制であった。
日本の軍国主義は、天皇の権威を政治利用した軍部独裁であった。
その巧妙な仕組みは、学問的にも研究の余地が十分にあるように思える。
だが、日本の学者は、天皇主権としかいわない。そして、戦後、国民主権になって、日本はよい国になったとくり返すだけだった。
国民主権の国民も、個人をさすのか日本人全体なのかについても、口を濁してはっきりいったことがない。
●戦後日本は、民主主義とマルクス主義の混血児
国民主権も、コケおどしの論理で、東大を中心とする日本の学者は、日本共産党綱領(ドグマ)にそって、イデオロギーの宣伝をやってきただけだった。
その代表が憲法学の最高権威、東大の宮澤俊義で、宮沢の「八月革命説」によって、戦後、日本も革命国家の仲間入りをはたしたとした。
戦後日本の学界は、マルクス学者一色で、大内兵衛や向坂逸郎、羽仁五郎、都留重人、鶴見俊輔、丸山真男らが席巻して、竹山道雄や田中美知太郎、猪木正道、福田恆存、会田雄次ら日本主義者の影は薄かった。
朝日や毎日、岩波ら新聞・出版ジャーナリズムや大学、教育界、日教組らがマルクス主義なので、日本主義=保守主義の思想が大衆へなかなか届かないのである。
戦後日本を席巻したのはマルクス主義だけではなかった。
アメリカ民主主義というマルクス主義の兄弟分のような思想がアメリカから入ってきて、日本の思想界は、マルクス主義とアメリカ民主主義に分断されてしまうのである。
マルクス主義は、革命を実現させた独裁者が国民主権をあずかる一党独裁である。
そして、アメリカ民主主義は、民主選挙で選出された大統領が多数派国民の支持の下で強権を行使する多数派独裁である。
第二次大戦で、日本は、民主主義にアメリカとマルクス主義の旧ソ連の両国とたたかった。旧ソ連もアメリカも、伝統国家日本が敵とする革命国家だったからだった。
そして、終戦後、敗戦国の日本へ、戦勝国の米・ソのイデオロギーが怒濤のように流れこんできた。
その結晶が日本国憲法である。起草にあたったGHQ民政局のホイットニー局長以下25人は、ニューディーラと呼ばれる共産主義のシンパだったからである。
●一元論の「革命国家」と二元論の「伝統国家」
マルクス主義もアメリカ民主主義も、根本にあるのはルソー主義である。
ルソー主義の中心概念は、国家主権の国家を国民へとスゲかえた国民主権で、ルソーの造語である。
アメリカの民主主義も旧ソ連のマルクス主義も、一元論である。一つの価値しかみとめないのが一元論で、アメリカは民主主義を、旧ソ連は人民(一党)独裁以外の政体をみとめない。
戦後、日本では、天皇主権や国家主義、全体主義や封建主義などが徹底的に批判される一方で、国民主権や国民主義、民主主義や個人主義、自由や平等が絶対善としてもちあげられた。
それも一元論で、宮沢の「八月革命説」によると、敗戦革命がおきて、日本の二元論や多元論が、西洋の一元論へ転換された。
国民主権や民主主義、個人主義や人権思想、自由や平等からはずれた保守的な言動がマスコミ世論から袋叩きにされるのは、日本は、西洋的な一元論の国になったからだったのである。
日本の伝統的な価値観や日本主義、およびイギリスの保守主義は、二元論である。
事物を成り立たせているのは、唯一の真実ではなく、表と裏、陰と陽、受動と能動などの二元性であって、異質な二者が組み合わさって、二者を足したもの以上のものができあがる。
「君民共治」や「君臣一体」は、天皇という権威、幕府という権力、民という実体の三位一体のことで、それが国体、伝統国家日本の背骨である。
チャーチルが「民主主義は独裁よりマシなだけ」といったのも、保守主義の父といわれるバークが「制限のない自由は最悪」といったのも、王政復古したイギリスが、王権と議会の二元論へ立ち返ったからで、国王が議会へ出席する際、議会の重鎮を人質にさしだす習慣はいまも残っている。
●ルソーの狂気をいまにひきずる日本の左翼
日本人が西洋から輸入した崇高で有り難い思想と思いこんでいる民主主義や個人主義、自由主義は、世界のどこにもない珍奇な思想で、戦後、左翼がつくりだしたものである。
国民主権は、国家主権からのパクリだった。ルソーの民主主義は、その国民主権のことで、紀元前に捨てられた民主主義が18世紀になってよみがえったのは、主権を国家から国民≠ノスゲかえたルソーの悪知恵にあった。
自由主義は、バークがいったように、自由にたいする制限のことにほかならないが、ルソーは、人間はうまれながらにして自由で平等だと叫んだ。
ルソーは個人もみとめなかった。人間は、すべて一般化された抽象的な存在というのだが、だからこそ、国民は、国家と対等にわたりあえたともいえるだろう。
放浪と放蕩、虚言と裏切りのルソーの人生の末路は哀れなもので、精神異常と被害妄想の狂気の果て、他人の援助でほそぼそと余命をたもったが、尿毒症で死去する。スランス革命後、栄誉の殿堂パンテオンに合祀されたのがせめてもの救いだった。
フランス革命の「人権宣言(自由・平等・博愛)」の原形はルソーの「人間は生まれながらにして自由かつ平等である」だが、この人間は、むろん、個人ではなく、人間一般である。
ところが日本の左翼は、これを個人だとする。
わたし個人が国家権力にひとしい主権をもち、なにするのも勝手な万能的な自由権をもち、神的なパワーによって、基本的人権がまもられていると考えるのである。
クレージーというほかないが、左翼は本気で、日本人は、主権を行使せよと主張する。
次回以降も、日本人を愚かにしてきた左翼の罪を暴いていこう。
過日、馬毛島問題(米軍機の訓練移転と自衛隊基地整備)の取材に来られた朝日新聞のF記者が「国家主義」ということばをもちいたので、多少、違和感をおぼえた。
10年ほど前、わたしは、馬毛島へ基地整備をすすめる政府・防衛省側と土地所有者の接触に多少かかわりをもったことがあった。
F記者の目的は、その取材だったのだが、馬毛島の整備に積極的な姿勢が国家主義、その文脈で、反対運動をくりひろげる一部住民の姿勢が国民主義的というニュアンスであった。
そうなら、あまりに戯画的な図式で、短絡的にすぎる。
戦後、日本は「天皇主権と国民主権」「国家主義と国民主義」「民主主義と自由主義」「個人主義と全体主義」「平等主義と封建主義」などの二項対立を一元論的、対立的にとらえてきた。
左翼は、戦前の日本は、天皇主権で、天皇制ファシズムの時代だったという。
当時の日本は、軍国主義で、軍部が天皇を利用したのは事実である。
しかし、天皇が主権を行使したことも、帝国憲法に天皇独裁を謳った文言もなく、政体は、立憲君主制であった。
日本の軍国主義は、天皇の権威を政治利用した軍部独裁であった。
その巧妙な仕組みは、学問的にも研究の余地が十分にあるように思える。
だが、日本の学者は、天皇主権としかいわない。そして、戦後、国民主権になって、日本はよい国になったとくり返すだけだった。
国民主権の国民も、個人をさすのか日本人全体なのかについても、口を濁してはっきりいったことがない。
●戦後日本は、民主主義とマルクス主義の混血児
国民主権も、コケおどしの論理で、東大を中心とする日本の学者は、日本共産党綱領(ドグマ)にそって、イデオロギーの宣伝をやってきただけだった。
その代表が憲法学の最高権威、東大の宮澤俊義で、宮沢の「八月革命説」によって、戦後、日本も革命国家の仲間入りをはたしたとした。
戦後日本の学界は、マルクス学者一色で、大内兵衛や向坂逸郎、羽仁五郎、都留重人、鶴見俊輔、丸山真男らが席巻して、竹山道雄や田中美知太郎、猪木正道、福田恆存、会田雄次ら日本主義者の影は薄かった。
朝日や毎日、岩波ら新聞・出版ジャーナリズムや大学、教育界、日教組らがマルクス主義なので、日本主義=保守主義の思想が大衆へなかなか届かないのである。
戦後日本を席巻したのはマルクス主義だけではなかった。
アメリカ民主主義というマルクス主義の兄弟分のような思想がアメリカから入ってきて、日本の思想界は、マルクス主義とアメリカ民主主義に分断されてしまうのである。
マルクス主義は、革命を実現させた独裁者が国民主権をあずかる一党独裁である。
そして、アメリカ民主主義は、民主選挙で選出された大統領が多数派国民の支持の下で強権を行使する多数派独裁である。
第二次大戦で、日本は、民主主義にアメリカとマルクス主義の旧ソ連の両国とたたかった。旧ソ連もアメリカも、伝統国家日本が敵とする革命国家だったからだった。
そして、終戦後、敗戦国の日本へ、戦勝国の米・ソのイデオロギーが怒濤のように流れこんできた。
その結晶が日本国憲法である。起草にあたったGHQ民政局のホイットニー局長以下25人は、ニューディーラと呼ばれる共産主義のシンパだったからである。
●一元論の「革命国家」と二元論の「伝統国家」
マルクス主義もアメリカ民主主義も、根本にあるのはルソー主義である。
ルソー主義の中心概念は、国家主権の国家を国民へとスゲかえた国民主権で、ルソーの造語である。
アメリカの民主主義も旧ソ連のマルクス主義も、一元論である。一つの価値しかみとめないのが一元論で、アメリカは民主主義を、旧ソ連は人民(一党)独裁以外の政体をみとめない。
戦後、日本では、天皇主権や国家主義、全体主義や封建主義などが徹底的に批判される一方で、国民主権や国民主義、民主主義や個人主義、自由や平等が絶対善としてもちあげられた。
それも一元論で、宮沢の「八月革命説」によると、敗戦革命がおきて、日本の二元論や多元論が、西洋の一元論へ転換された。
国民主権や民主主義、個人主義や人権思想、自由や平等からはずれた保守的な言動がマスコミ世論から袋叩きにされるのは、日本は、西洋的な一元論の国になったからだったのである。
日本の伝統的な価値観や日本主義、およびイギリスの保守主義は、二元論である。
事物を成り立たせているのは、唯一の真実ではなく、表と裏、陰と陽、受動と能動などの二元性であって、異質な二者が組み合わさって、二者を足したもの以上のものができあがる。
「君民共治」や「君臣一体」は、天皇という権威、幕府という権力、民という実体の三位一体のことで、それが国体、伝統国家日本の背骨である。
チャーチルが「民主主義は独裁よりマシなだけ」といったのも、保守主義の父といわれるバークが「制限のない自由は最悪」といったのも、王政復古したイギリスが、王権と議会の二元論へ立ち返ったからで、国王が議会へ出席する際、議会の重鎮を人質にさしだす習慣はいまも残っている。
●ルソーの狂気をいまにひきずる日本の左翼
日本人が西洋から輸入した崇高で有り難い思想と思いこんでいる民主主義や個人主義、自由主義は、世界のどこにもない珍奇な思想で、戦後、左翼がつくりだしたものである。
国民主権は、国家主権からのパクリだった。ルソーの民主主義は、その国民主権のことで、紀元前に捨てられた民主主義が18世紀になってよみがえったのは、主権を国家から国民≠ノスゲかえたルソーの悪知恵にあった。
自由主義は、バークがいったように、自由にたいする制限のことにほかならないが、ルソーは、人間はうまれながらにして自由で平等だと叫んだ。
ルソーは個人もみとめなかった。人間は、すべて一般化された抽象的な存在というのだが、だからこそ、国民は、国家と対等にわたりあえたともいえるだろう。
放浪と放蕩、虚言と裏切りのルソーの人生の末路は哀れなもので、精神異常と被害妄想の狂気の果て、他人の援助でほそぼそと余命をたもったが、尿毒症で死去する。スランス革命後、栄誉の殿堂パンテオンに合祀されたのがせめてもの救いだった。
フランス革命の「人権宣言(自由・平等・博愛)」の原形はルソーの「人間は生まれながらにして自由かつ平等である」だが、この人間は、むろん、個人ではなく、人間一般である。
ところが日本の左翼は、これを個人だとする。
わたし個人が国家権力にひとしい主権をもち、なにするのも勝手な万能的な自由権をもち、神的なパワーによって、基本的人権がまもられていると考えるのである。
クレージーというほかないが、左翼は本気で、日本人は、主権を行使せよと主張する。
次回以降も、日本人を愚かにしてきた左翼の罪を暴いていこう。
2023年03月20日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和9
●国家よりも民主主義を愛する日本の政治家
政治家の絶対条件が愛国者であることは万国共通の大原則であろう。
例外が日本で、政治家になった理由のダントツの第一位が民主主義をまもるためという。
その象徴が「世界価値観調査(2021年)」の無惨なアンケート結果である。
世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループがおこなった「戦争がおきたら国のために戦うか」というアンケートで、日本は世界79カ国中、ダントツ最下位(79位/13%)で、旧ソ連の属国だった78位のリトアニア(33%)に20ポイントの大差をつけられる大醜態であった。
地球上に、戦争がおきても国をまもらない国が1か国あったわけで、それが日本だった。調査にあたった調査機関や大学は驚愕したが、それ以上に、世界に呆れられたのが、ウクライナ・ロシア戦争における橋本徹の発言だった。
橋下徹は、ウクライナ4000万人の国民は、母国を捨てて、難民になって世界を漂流した10年後、平和になったウクライナに帰ってくればいいというのだが、そのとき、ウクライナは全土がロシア化して、ウクライナ人が入れる余地は小路一本すら残っていない。
逃げてドブネズミのような扱いをうけるくらいなら誇りをもったまま祖国をまもって死ぬというウクライナ人の精神を、橋下徹や大方の日本人は想像することすらできない。
テレビで橋下は、死ぬのですよ、死んだら終わりですよと絶叫した。生命と民主主義、そして、憲法がいちばん大事という日教組教育とマスコミの洗脳に魂を抜かれた現代日本人のすがたがこれで、橋下は、日本の言論界ではヒーローかもしれないが、世界レベルからみたら幼稚園児かただの腰抜けである。
●領土と国家の誇り、民族の魂をまもるために戦って死ぬ
日本はかつて軍国主義で、国民は、軍部の横暴に苦しめられたという。
だが、日本人は、日露戦争の勝利や真珠湾攻撃、マレー半島の攻略を祝って提灯病列をおこなった。英米の兵糧攻めに打ち勝つために死に物狂いになって戦って、230万人もの戦死者をだし、原爆を投下されながらまだたたかおうとした。
林房雄はこういった。「国民をふくめて、日本全体が軍国主義で、当時、軍国主義以外の正義はなかった」
前大戦の戦死者がドイツ280万人、旧ソ連にいたってはその5倍の1450万人にもたっするが、兵士はダマされて死んだわけではない。国をまもろうとして、みずから戦い、死んでいった。
領土を奪われて、国家の誇り、民族の魂を汚されるくらいなら戦って死ぬというのが戦争の論理で、平和や反戦、生命の尊さは、国家の安全がまもられているかぎりにおいてのみ通用する俗言である。
戦後の日本は、民主主義のアメリカに戦争で負けて、よい国へうまれかわりましたというプロパガンダを思想的バックボーンとしてきた。音頭をとったのが左翼と日教組、インテリと官僚、マスコミらで、渡部昇一は、かれらを敗戦利得者≠ニ呼んだ。
戦争に負けて、戦勝国の威を借りてのしあがってきた勢力だからで、戦後日本は、すっぽりかれらの手に落ちた。
アメリカ民主主義や憲法、共産主義や個人主義は、日本の文化にはなかったものだが、それでは、日本は、アメリカやロシア、中国のコピーなのであろうか。
とんでもない。戦争がおきたら、国民こぞって国を捨てようなどという国は、日本以外、どこにも存在しない。
●人間原理の政治を否定する法治主義とイデオロギー
法治(ほうち)国家は、独裁国家や警察国家、あるいは、法整備が整備されていない野蛮な国家の対義語だが、それだけではない。
法治主義は、歴史や伝統、文化や道徳、善や常識を法の下位に置く法匪(ほうひ)思想でもあって、法の上っ面の解釈に固執して、人間原理に立つ政治を否定してかかる悪徳の一つでもあって、中国では、法律知識を悪用する悪漢という意味がある。
橋下徹から副島瑞穂らは弁護士だが、日本弁護士連合会(日弁連)が反日の牙城となっているのは、マルクス主義も法理主義も、人間性や常識、善や徳という唯心論と敵対する唯物論で、悪魔のイデオロギーだからである。
イデオロギーとは、思想を根底的に規定する観念のしめつけで、根底にあるのがルソーやマルクスらの特異な価値観である。
ルソーが自然に帰れなら、マルクスは他人のものはオレのもの、法理主義は法をまもるためなら国が滅びてもよいという唯物論で、いずれも、人間の心がかよっていない。
民主主義は、ソクラテスの紀元前から多数決のことだが、ルソーが国民主権にきりかえた。国民に国家の権利があるわけはないが、そこがイデオロギーのイデオロギーたるゆえんで、ルソー信者はこれを盲信してやまない。
日本では、国家は国民の主権を奪ったというルソー主義、資本家は労働者の富を奪ったとするマルクス主義、政治は法の下位にあるべしという法理主義の嵐がいまだ吹き荒れているのである。
●民主主義やイデオロギーは、権力闘争の道具にすぎない
戦後、日本人が失ったものは、人間の心で、それが端的にあらわれているのがイデオロギーにもとづく党派思想である。
いったん、イデオロギーに思考をあずけてしまえば、あとはイデオロギーがすべてきめてくれる。大量殺人のオウム真理教のマインドコントロールも連合赤軍の総括や内ゲバも、イデオロギーの暴走で、日本共産党や創価学会、日弁連や日本学術会議も、みずからの頭脳で考えて行動しているのではない。
党派性の魔術に憑りつかれて正気をうしなっているのである。
それが、神か崇高な思想か、ルソーかマルクスかは知らないが、思考能力を失っていることはたしかで、だいたい、日弁連が、従軍慰安婦問題で、こぞって国家に謝罪をもとめるなどとということがまっとうな精神でできるはずはない。
弁護士も心があれば、万人、一様ではないはずだが、イデオロギーがはたらくと日弁連という統一見解でそれができてしまう。
二つの大戦でおびただしい戦死者がでたが、スターリンと毛沢東、ポルポトの粛清や自己批判、虐殺だけで、それをはるかにこえる死者数がでている。
なぜ、そんなひどいことになってしまったのか。
イデオロギーによる党派主義は、血も涙もない権力闘争である以上に大量虐殺の思想だったからである。
●制限された自由主義の上に構築される新時代の国家観
民主主義も国民主権も、イデオロギーで、権力闘争の一形態である。
ちなみに、国民主権は、二つの意味合いで矛盾している。
一つは、国民が、軍隊という万能的権能をもつ国家主権をもてるはずはない。
もう一つは、個人はいても、国民はどこにも存在しないことである。
国民主権は、実現が不可能なので、個人と国家は、永遠にたたかわなければならない。
それが、暗殺されたスターリンの政敵、トロツキーが唱えた永久革命論だった。
狡猾なルソーは、実現が不可能な国民主権が、永遠の革命をくり返す悪魔の思想であることを知っていたのである。
イギリスはフランス革命の国民主権や民主主義をきらった。
イギリスがえらんだのは、エドマンド・バーク(『フランス革命の省察』)の自由主義だった。
バークは、人間は自由であるべきだといったのではない。
その逆で、真の自由は、制限された自由こそにあるといったのである。
「すべての害悪のなかで最悪なものは、智恵と美徳を欠いた自由である」
バークが「保守思想の父」と呼ばれるのは、じつにこの一言によってである。
日本ではなにをやろうとオレの勝手という完全自由主義(リバタリアニズム)がもてはやされ、どんな被害が生じてもかまわないという言論の自由が大手をふっている。
日本の知識人やマスコミは、世界から見れば幼稚園児にひとしい。
その精神の幼さを象徴しているのが、国をまもる日本人が13%にすぎなかった先のアンケートの愛国心の決定的な欠落なのである。
政治家の絶対条件が愛国者であることは万国共通の大原則であろう。
例外が日本で、政治家になった理由のダントツの第一位が民主主義をまもるためという。
その象徴が「世界価値観調査(2021年)」の無惨なアンケート結果である。
世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループがおこなった「戦争がおきたら国のために戦うか」というアンケートで、日本は世界79カ国中、ダントツ最下位(79位/13%)で、旧ソ連の属国だった78位のリトアニア(33%)に20ポイントの大差をつけられる大醜態であった。
地球上に、戦争がおきても国をまもらない国が1か国あったわけで、それが日本だった。調査にあたった調査機関や大学は驚愕したが、それ以上に、世界に呆れられたのが、ウクライナ・ロシア戦争における橋本徹の発言だった。
橋下徹は、ウクライナ4000万人の国民は、母国を捨てて、難民になって世界を漂流した10年後、平和になったウクライナに帰ってくればいいというのだが、そのとき、ウクライナは全土がロシア化して、ウクライナ人が入れる余地は小路一本すら残っていない。
逃げてドブネズミのような扱いをうけるくらいなら誇りをもったまま祖国をまもって死ぬというウクライナ人の精神を、橋下徹や大方の日本人は想像することすらできない。
テレビで橋下は、死ぬのですよ、死んだら終わりですよと絶叫した。生命と民主主義、そして、憲法がいちばん大事という日教組教育とマスコミの洗脳に魂を抜かれた現代日本人のすがたがこれで、橋下は、日本の言論界ではヒーローかもしれないが、世界レベルからみたら幼稚園児かただの腰抜けである。
●領土と国家の誇り、民族の魂をまもるために戦って死ぬ
日本はかつて軍国主義で、国民は、軍部の横暴に苦しめられたという。
だが、日本人は、日露戦争の勝利や真珠湾攻撃、マレー半島の攻略を祝って提灯病列をおこなった。英米の兵糧攻めに打ち勝つために死に物狂いになって戦って、230万人もの戦死者をだし、原爆を投下されながらまだたたかおうとした。
林房雄はこういった。「国民をふくめて、日本全体が軍国主義で、当時、軍国主義以外の正義はなかった」
前大戦の戦死者がドイツ280万人、旧ソ連にいたってはその5倍の1450万人にもたっするが、兵士はダマされて死んだわけではない。国をまもろうとして、みずから戦い、死んでいった。
領土を奪われて、国家の誇り、民族の魂を汚されるくらいなら戦って死ぬというのが戦争の論理で、平和や反戦、生命の尊さは、国家の安全がまもられているかぎりにおいてのみ通用する俗言である。
戦後の日本は、民主主義のアメリカに戦争で負けて、よい国へうまれかわりましたというプロパガンダを思想的バックボーンとしてきた。音頭をとったのが左翼と日教組、インテリと官僚、マスコミらで、渡部昇一は、かれらを敗戦利得者≠ニ呼んだ。
戦争に負けて、戦勝国の威を借りてのしあがってきた勢力だからで、戦後日本は、すっぽりかれらの手に落ちた。
アメリカ民主主義や憲法、共産主義や個人主義は、日本の文化にはなかったものだが、それでは、日本は、アメリカやロシア、中国のコピーなのであろうか。
とんでもない。戦争がおきたら、国民こぞって国を捨てようなどという国は、日本以外、どこにも存在しない。
●人間原理の政治を否定する法治主義とイデオロギー
法治(ほうち)国家は、独裁国家や警察国家、あるいは、法整備が整備されていない野蛮な国家の対義語だが、それだけではない。
法治主義は、歴史や伝統、文化や道徳、善や常識を法の下位に置く法匪(ほうひ)思想でもあって、法の上っ面の解釈に固執して、人間原理に立つ政治を否定してかかる悪徳の一つでもあって、中国では、法律知識を悪用する悪漢という意味がある。
橋下徹から副島瑞穂らは弁護士だが、日本弁護士連合会(日弁連)が反日の牙城となっているのは、マルクス主義も法理主義も、人間性や常識、善や徳という唯心論と敵対する唯物論で、悪魔のイデオロギーだからである。
イデオロギーとは、思想を根底的に規定する観念のしめつけで、根底にあるのがルソーやマルクスらの特異な価値観である。
ルソーが自然に帰れなら、マルクスは他人のものはオレのもの、法理主義は法をまもるためなら国が滅びてもよいという唯物論で、いずれも、人間の心がかよっていない。
民主主義は、ソクラテスの紀元前から多数決のことだが、ルソーが国民主権にきりかえた。国民に国家の権利があるわけはないが、そこがイデオロギーのイデオロギーたるゆえんで、ルソー信者はこれを盲信してやまない。
日本では、国家は国民の主権を奪ったというルソー主義、資本家は労働者の富を奪ったとするマルクス主義、政治は法の下位にあるべしという法理主義の嵐がいまだ吹き荒れているのである。
●民主主義やイデオロギーは、権力闘争の道具にすぎない
戦後、日本人が失ったものは、人間の心で、それが端的にあらわれているのがイデオロギーにもとづく党派思想である。
いったん、イデオロギーに思考をあずけてしまえば、あとはイデオロギーがすべてきめてくれる。大量殺人のオウム真理教のマインドコントロールも連合赤軍の総括や内ゲバも、イデオロギーの暴走で、日本共産党や創価学会、日弁連や日本学術会議も、みずからの頭脳で考えて行動しているのではない。
党派性の魔術に憑りつかれて正気をうしなっているのである。
それが、神か崇高な思想か、ルソーかマルクスかは知らないが、思考能力を失っていることはたしかで、だいたい、日弁連が、従軍慰安婦問題で、こぞって国家に謝罪をもとめるなどとということがまっとうな精神でできるはずはない。
弁護士も心があれば、万人、一様ではないはずだが、イデオロギーがはたらくと日弁連という統一見解でそれができてしまう。
二つの大戦でおびただしい戦死者がでたが、スターリンと毛沢東、ポルポトの粛清や自己批判、虐殺だけで、それをはるかにこえる死者数がでている。
なぜ、そんなひどいことになってしまったのか。
イデオロギーによる党派主義は、血も涙もない権力闘争である以上に大量虐殺の思想だったからである。
●制限された自由主義の上に構築される新時代の国家観
民主主義も国民主権も、イデオロギーで、権力闘争の一形態である。
ちなみに、国民主権は、二つの意味合いで矛盾している。
一つは、国民が、軍隊という万能的権能をもつ国家主権をもてるはずはない。
もう一つは、個人はいても、国民はどこにも存在しないことである。
国民主権は、実現が不可能なので、個人と国家は、永遠にたたかわなければならない。
それが、暗殺されたスターリンの政敵、トロツキーが唱えた永久革命論だった。
狡猾なルソーは、実現が不可能な国民主権が、永遠の革命をくり返す悪魔の思想であることを知っていたのである。
イギリスはフランス革命の国民主権や民主主義をきらった。
イギリスがえらんだのは、エドマンド・バーク(『フランス革命の省察』)の自由主義だった。
バークは、人間は自由であるべきだといったのではない。
その逆で、真の自由は、制限された自由こそにあるといったのである。
「すべての害悪のなかで最悪なものは、智恵と美徳を欠いた自由である」
バークが「保守思想の父」と呼ばれるのは、じつにこの一言によってである。
日本ではなにをやろうとオレの勝手という完全自由主義(リバタリアニズム)がもてはやされ、どんな被害が生じてもかまわないという言論の自由が大手をふっている。
日本の知識人やマスコミは、世界から見れば幼稚園児にひとしい。
その精神の幼さを象徴しているのが、国をまもる日本人が13%にすぎなかった先のアンケートの愛国心の決定的な欠落なのである。
2023年03月09日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和8
●東洋のペルシャ湾となるか東シナ海の資源
日本の陸地面積は世界の62番目だが、領海と排他的経済水域(EEZ)の合計面積は国土の約12倍、世界で6番目に大きい。
日本の地下資源は、この広大な海域にあるが、多くは1000級の深い海の底である。
1000メートルの深海は、ピンポン玉が破裂する水圧(100気圧)なので、資源採掘には想像を絶するほどの困難さがともなう。
これまで、日本が資源小国と呼ばれてきたのは、露天掘りの鉱脈がすくなく海底や地下深くにある資源を発掘する技術が完成していなかったからだった。
だが、新技術の開発が見込まれる2030年以降、日本は世界の十指に入る資源大国になる可能性がある。
日本のEEZにはペルシャ湾並みの地下資源が眠っているが、採掘できないのは、工法が未完成という技術的な問題があって、採掘しても経済的に採算がとれないという障壁あるからだが、この問題はいずれ解決される。
その好例がアメリカである。シェールガス埋蔵量がロシアに次いで世界2位だったが、地下2000メートルの採掘が困難なので、長いあいだ放置されてきた。たとえ、技術的に可能でも、採掘コストが採掘量の価格をこえるために経済的価値がなかったのである。
ところが10年ほど前、高圧破砕法という技術が開発されて、採掘コストと産出利益が逆転、アメリカはシェールガスの大生産国になった。
その逆のケースがベネゼラである。世界一の石油埋蔵量をもちながら国家が経済破綻したのである。オリノコタールと呼ばれる粘着状の原油を精製する技術をもっていなかったからで、技術提供をうけるべき欧米と断絶した結果、技術があれば国家的資産となったはずのタールの海に沈没してしまったのである。
●日本のEEZ海底資源を狙う韓国と日本
地下資源の宝庫で、東洋のペルシャ湾といわれる東シナ海の大部分は、日本の排他的経済水域で、ここに中国が領有権を主張する尖閣諸島や韓国が宣言する「第7鉱区」がある。
中国が領有を主張する尖閣諸島は石垣島の一部で、韓国のいう「第7鉱区」は、九州の南西沖、沖縄トラフの北側で日本の排他的経済水域というより日本近海である。
韓国はかつて李承晩ラインをひいて、島根県の一部だった竹島をその内側にとりこんで略奪した。このとき、竹島の周辺で漁をしていた日本の漁船328隻を拿捕、漁師3929人を拘束して、44人死傷(抑留死亡8人)させている。
自衛隊ができる前の出来事で、当時、戦勝国を名乗っていた韓国や北朝鮮は日本を敗戦国として差別的な外交を展開、日本の政治家や外務省も両国にたいして土下座外交に終始した。
竹島強奪も「第7鉱区」の設定も、その産物で、日本は「戦勝国が敗戦国に軍事的制裁を課すことができる」という国連の「敵国条項」に縛られて韓国の横暴にたいして経済援助停止を告げることくらいのことしかできなかった。
「第7鉱区」占有を宣言した朴正煕(パク・チョンヒ)大統領にたいして当時の佐藤栄作首相は、経済援助停止で対抗、ようやく、同鉱区を共同開発とする「日韓大陸棚協定(1978年)」にこぎつけた。
同協定が事実上の開発凍結となったのは、当時、海底資源を発掘する技術がなかったからで、その技術が完成するのは、それから50年後、来る2028年前後なのである。
その時点で「日韓大陸棚協定」が失効する。そもそも、大陸棚という概念(自然延長説)じたいが過去のもので、1985年の国際司法裁判の判決の判断(リビア・マルタ大陸棚事件)によって、海洋支配権の基準が大陸棚から等距離中間線に変わっている。
じじつ、2018年、オーストラリアと東ティモールの海底資源共同開発においても、国連が調整して、東ティモール側に開発権が移っている。
●海底資源採掘をリードする日本の潜水艦技術
茨城県五浦(いづら)沖の海底に石油や天然ガスが埋蔵されている可能性が高いという調査結果が注目されているが、採掘に成功すれば数百年分の消費をまかなえるという。
日本列島周辺のメタンハイドレート埋蔵量は世界有数で、日本は、渥美半島の80キロメートル沖、水深約1000メートルのメタンハイドレート層から天然ガスを取り出すことにも成功している。
メタンハイドレートは、低温高圧下で天然ガスの主成分であるメタンと水が結合したシャーベット状の燃える氷状の物質で、燃焼時に排出する炭酸ガスは石油の半分、エネルギー量はシェールガスの2倍以上にという理想的な燃料である。
メタンハイドレートの試掘に成功したのは、地球深部探査船「ちきゅう」と命名された掘削潜水艇だが、これは望ましいきざしである。
というのも、この深海工作艇が石油プラットフォーム建設の主役になるはずだからで、水深1000メートル(100気圧)のなかで1000メートルの掘削構造を建設するのは、ロケットを打ち上げて宇宙船を軌道にのせるよりもむずかしいといわれる。
日本は、この超高度な技術をクリアしなければ資源来国にはなれないが、日本の潜水艦技術は、世界一で、海上自衛隊の潜水艦は、潜航可能深度(400メートル)の100メートル下を潜航でき、深度1000メートルでも救助活動が可能な深海救難艇をもっている。
それでも、深海での土木作業には、なお技術改良が必要だが、数年以内には、1000メートル級の深海潜水艇に海底掘削ロボットを装備する計画もすすんでいる。
●幻想だった? 水素やメタンハイドレートのエネルギー化
石化資源を露天掘りできる時代が終わって、いまや、天然資源は、地下深くにもとめなければならない時代になった。この流れにともなって必要となったのが技術の先鋭化で、その好例が、高圧破砕という新工法で、シェールオイルの大量採掘に成功したアメリカだった。
日本には、シェールオイルはないが、メタンハイドレートの埋蔵量が多い。
だが、個体であるメタンハイドレートからメタンをとりだす新技術はいまだ確立されていない。
理論的に採掘が可能でも、採算性や経済性には問題が多く、試験採掘では杭井内に砂が詰まるトラブルによってなんども中止をやむなくされている。
現在、メタンハイドレードの堆積層にポンプでCO2を封入、水とメタンガスに分離させたのちメタンだけをとりだす減圧法がとられているが、実用化にはまだ時間がかかる。
日本周辺のメタンハイドレードや茨城県五浦沖の海底油田も、展望はゆたかでも、採掘がはじまったわけではない。次世代エネルギーといわれる水素エネルギーも、日本は、高い技術をもっているが、クリーンエネルギーやらカーボンニュートラルやらと、手放しでもちあげてよいものではない。
水素をつくるには、化石燃料を燃焼させる方法と、水を電気分解する二つの方法があるが、その二つとも、天然のエネルギーを必要とする。
「エネルギー保存の法則」からも、太陽エネルギー以外、エネルギーからもっと大きいエネルギーをつくりだすことは不可能で、水素エネルギーは幻想に終わる可能性もある。
●原発再稼働のコストが火力発電の十分の一
もっとも有望で、もっとも現実的なのは、唯一の国産エネルギー、原子力である。
2000年代の日本の電源構成は、原子力が30%台だったが、2011年の東日本大震災以降、電源シェアは数%にとどまっている。
原子力の発電コストは、原発が完成したあとでは、火力発電の約十分の一ですむ。政府試算では一キロワットあたりの燃料費が液化天然ガスの16円なのにたいして、原子力はわずか1・7円である。
その発電コストなら、水素エネルギーの製造エネルギーとして十分に使える。
水素エネルギーは、水素が空気中の酸素と反応してうまれる熱エネルギーで単位当たりの熱量もガソリンの3倍と高く、化石燃料と違って資源量に限りがなく,反応後にはまた水になるので、環境への負荷もない。
水は自然界に大量に存在し,石油に代わる人類究極のエネルギーとも言われているが、水素はそのままの形では自然界に存在しないため、水や石油などを分解して取り出さなければならない。
現在、水素を大量かつ安価に製造する技術がないため、エネルギー転換率がわるく、水素をつくるための燃料費や電気代と、水素の価格のあいだに差益のメリットがうまれないのである。
2022年、川崎重工業の液化水素運搬船「すいそふろんてぃあ」がオーストラリアから水素(褐炭から製造)をはこんできた。
原発を再稼働させ、安い電気代で、大量の水素をつくることができるようになれば、日本のエネルギー事情は大きく変わってくる。
技術の革新と向上によって、日本は、資源立国になれるのである。
日本の陸地面積は世界の62番目だが、領海と排他的経済水域(EEZ)の合計面積は国土の約12倍、世界で6番目に大きい。
日本の地下資源は、この広大な海域にあるが、多くは1000級の深い海の底である。
1000メートルの深海は、ピンポン玉が破裂する水圧(100気圧)なので、資源採掘には想像を絶するほどの困難さがともなう。
これまで、日本が資源小国と呼ばれてきたのは、露天掘りの鉱脈がすくなく海底や地下深くにある資源を発掘する技術が完成していなかったからだった。
だが、新技術の開発が見込まれる2030年以降、日本は世界の十指に入る資源大国になる可能性がある。
日本のEEZにはペルシャ湾並みの地下資源が眠っているが、採掘できないのは、工法が未完成という技術的な問題があって、採掘しても経済的に採算がとれないという障壁あるからだが、この問題はいずれ解決される。
その好例がアメリカである。シェールガス埋蔵量がロシアに次いで世界2位だったが、地下2000メートルの採掘が困難なので、長いあいだ放置されてきた。たとえ、技術的に可能でも、採掘コストが採掘量の価格をこえるために経済的価値がなかったのである。
ところが10年ほど前、高圧破砕法という技術が開発されて、採掘コストと産出利益が逆転、アメリカはシェールガスの大生産国になった。
その逆のケースがベネゼラである。世界一の石油埋蔵量をもちながら国家が経済破綻したのである。オリノコタールと呼ばれる粘着状の原油を精製する技術をもっていなかったからで、技術提供をうけるべき欧米と断絶した結果、技術があれば国家的資産となったはずのタールの海に沈没してしまったのである。
●日本のEEZ海底資源を狙う韓国と日本
地下資源の宝庫で、東洋のペルシャ湾といわれる東シナ海の大部分は、日本の排他的経済水域で、ここに中国が領有権を主張する尖閣諸島や韓国が宣言する「第7鉱区」がある。
中国が領有を主張する尖閣諸島は石垣島の一部で、韓国のいう「第7鉱区」は、九州の南西沖、沖縄トラフの北側で日本の排他的経済水域というより日本近海である。
韓国はかつて李承晩ラインをひいて、島根県の一部だった竹島をその内側にとりこんで略奪した。このとき、竹島の周辺で漁をしていた日本の漁船328隻を拿捕、漁師3929人を拘束して、44人死傷(抑留死亡8人)させている。
自衛隊ができる前の出来事で、当時、戦勝国を名乗っていた韓国や北朝鮮は日本を敗戦国として差別的な外交を展開、日本の政治家や外務省も両国にたいして土下座外交に終始した。
竹島強奪も「第7鉱区」の設定も、その産物で、日本は「戦勝国が敗戦国に軍事的制裁を課すことができる」という国連の「敵国条項」に縛られて韓国の横暴にたいして経済援助停止を告げることくらいのことしかできなかった。
「第7鉱区」占有を宣言した朴正煕(パク・チョンヒ)大統領にたいして当時の佐藤栄作首相は、経済援助停止で対抗、ようやく、同鉱区を共同開発とする「日韓大陸棚協定(1978年)」にこぎつけた。
同協定が事実上の開発凍結となったのは、当時、海底資源を発掘する技術がなかったからで、その技術が完成するのは、それから50年後、来る2028年前後なのである。
その時点で「日韓大陸棚協定」が失効する。そもそも、大陸棚という概念(自然延長説)じたいが過去のもので、1985年の国際司法裁判の判決の判断(リビア・マルタ大陸棚事件)によって、海洋支配権の基準が大陸棚から等距離中間線に変わっている。
じじつ、2018年、オーストラリアと東ティモールの海底資源共同開発においても、国連が調整して、東ティモール側に開発権が移っている。
●海底資源採掘をリードする日本の潜水艦技術
茨城県五浦(いづら)沖の海底に石油や天然ガスが埋蔵されている可能性が高いという調査結果が注目されているが、採掘に成功すれば数百年分の消費をまかなえるという。
日本列島周辺のメタンハイドレート埋蔵量は世界有数で、日本は、渥美半島の80キロメートル沖、水深約1000メートルのメタンハイドレート層から天然ガスを取り出すことにも成功している。
メタンハイドレートは、低温高圧下で天然ガスの主成分であるメタンと水が結合したシャーベット状の燃える氷状の物質で、燃焼時に排出する炭酸ガスは石油の半分、エネルギー量はシェールガスの2倍以上にという理想的な燃料である。
メタンハイドレートの試掘に成功したのは、地球深部探査船「ちきゅう」と命名された掘削潜水艇だが、これは望ましいきざしである。
というのも、この深海工作艇が石油プラットフォーム建設の主役になるはずだからで、水深1000メートル(100気圧)のなかで1000メートルの掘削構造を建設するのは、ロケットを打ち上げて宇宙船を軌道にのせるよりもむずかしいといわれる。
日本は、この超高度な技術をクリアしなければ資源来国にはなれないが、日本の潜水艦技術は、世界一で、海上自衛隊の潜水艦は、潜航可能深度(400メートル)の100メートル下を潜航でき、深度1000メートルでも救助活動が可能な深海救難艇をもっている。
それでも、深海での土木作業には、なお技術改良が必要だが、数年以内には、1000メートル級の深海潜水艇に海底掘削ロボットを装備する計画もすすんでいる。
●幻想だった? 水素やメタンハイドレートのエネルギー化
石化資源を露天掘りできる時代が終わって、いまや、天然資源は、地下深くにもとめなければならない時代になった。この流れにともなって必要となったのが技術の先鋭化で、その好例が、高圧破砕という新工法で、シェールオイルの大量採掘に成功したアメリカだった。
日本には、シェールオイルはないが、メタンハイドレートの埋蔵量が多い。
だが、個体であるメタンハイドレートからメタンをとりだす新技術はいまだ確立されていない。
理論的に採掘が可能でも、採算性や経済性には問題が多く、試験採掘では杭井内に砂が詰まるトラブルによってなんども中止をやむなくされている。
現在、メタンハイドレードの堆積層にポンプでCO2を封入、水とメタンガスに分離させたのちメタンだけをとりだす減圧法がとられているが、実用化にはまだ時間がかかる。
日本周辺のメタンハイドレードや茨城県五浦沖の海底油田も、展望はゆたかでも、採掘がはじまったわけではない。次世代エネルギーといわれる水素エネルギーも、日本は、高い技術をもっているが、クリーンエネルギーやらカーボンニュートラルやらと、手放しでもちあげてよいものではない。
水素をつくるには、化石燃料を燃焼させる方法と、水を電気分解する二つの方法があるが、その二つとも、天然のエネルギーを必要とする。
「エネルギー保存の法則」からも、太陽エネルギー以外、エネルギーからもっと大きいエネルギーをつくりだすことは不可能で、水素エネルギーは幻想に終わる可能性もある。
●原発再稼働のコストが火力発電の十分の一
もっとも有望で、もっとも現実的なのは、唯一の国産エネルギー、原子力である。
2000年代の日本の電源構成は、原子力が30%台だったが、2011年の東日本大震災以降、電源シェアは数%にとどまっている。
原子力の発電コストは、原発が完成したあとでは、火力発電の約十分の一ですむ。政府試算では一キロワットあたりの燃料費が液化天然ガスの16円なのにたいして、原子力はわずか1・7円である。
その発電コストなら、水素エネルギーの製造エネルギーとして十分に使える。
水素エネルギーは、水素が空気中の酸素と反応してうまれる熱エネルギーで単位当たりの熱量もガソリンの3倍と高く、化石燃料と違って資源量に限りがなく,反応後にはまた水になるので、環境への負荷もない。
水は自然界に大量に存在し,石油に代わる人類究極のエネルギーとも言われているが、水素はそのままの形では自然界に存在しないため、水や石油などを分解して取り出さなければならない。
現在、水素を大量かつ安価に製造する技術がないため、エネルギー転換率がわるく、水素をつくるための燃料費や電気代と、水素の価格のあいだに差益のメリットがうまれないのである。
2022年、川崎重工業の液化水素運搬船「すいそふろんてぃあ」がオーストラリアから水素(褐炭から製造)をはこんできた。
原発を再稼働させ、安い電気代で、大量の水素をつくることができるようになれば、日本のエネルギー事情は大きく変わってくる。
技術の革新と向上によって、日本は、資源立国になれるのである。
2023年02月23日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和7
●日本はデジタル部門の敗退者だったのか?
1989年度の「世界時価総額ランキング」のトップ50で、日本の企業は32社がランクインしたが、2018年では、わずか1社(トヨタ自動車)にとどまった。
ランクインしたのはIT企業やAI関連のほか、インターネット物流などの電子・デジタル部門ばかりで、製造業は、ITやAIにおされてほとんどがランク外にすがたを消してしまった。
日本が、ITやAIで後れをとった理由は、日本語の壁だった。
日本はパソコンなどのOS(オペレーション・システム)を独自で開発してアップル(時価総額世界1位)やマイクロソフト(2位)と競り合った。日本はスーパーコンピュータやゲーム機、工場ロボットの技術が世界一で、OSについても国産OS(トロン)はマイクロソフトよりも先進的だった。
ところが、OSのマーケットは世界なので、キーから用具の名称、プログラミングにいたるまですべて英語でなければならない。日本人が日本人のためにつくった和製OSが敗退したのは、日本語が国際語ではなかったからだったのである。
ところが、中国や韓国、台湾は、自国でなにも開発せず、アップルやマイクロソフトから技術をそっくり移入、あるいはコピーして、大量生産した。アジアのデジタル企業が大成功したのは、独創性を捨てて、コピーと組み立てという拡大再生産にむかったからだったのである。
部品を提供したのは日本で、世界中のスマホで日本の部品が使われていないものは一つもないといわれるほどだが、日本製のパソコンやスマホの世界シェアは驚くほど低い。
日本は、半導体で敗退したといわれているが、半導体の集積回路(IC)の基板(シリコンウエハー)の分野で、日本の世界シェアは、60%(信越化学工業/SUMCO)で断トツの一位である。
●いつまでも続かないデジタルという架空経済
世界GDPランキング3位の日本と12位の韓国ではやや差があるが、1人当たりGDPでは日本が28位、韓国30位と僅差である。韓国のマスコミは「韓国経済が日本に勝った」と嬉々として報じているが、あながち虚言というわけでもない。
国連経済社会局の調査によると、韓国は、デジタル技術力で8位(日本27位)、政府の電子化ランキングでは2位(日本14位)と、いまや日本をこえるデジタル先進国で、スマホの世界シェアでもトップはアップル(米)ではなく韓国のサムソンである。
ちなみに、日本の1人当たりGDPが世界28位(韓国30位)と低いのは物価や税金、医療費などが安いからで、アメリカの昼食代は日本の3倍以上も高く、低所得者は医者にもかかれない。
ITやAI、インターネットは、ソフト型の経済で、工業製品や資源などはハード型経済である。ハードというのは、地下資源や食品全般、工業製品などの実物経済のことで、これはGDP(国民総生産/付加価値)とかならずしも一致しない。
ウクライナ戦争で1日に2兆円の戦費がかかってもロシア経済が破産しないのは、ロシアは、ITやAI、インターネット分野には後進的でも、世界有数の資源国家にして穀物の大生産国、輸出国だからである。
ITやAI、インターネットが、国家経済を支えることはできないのは、情報や手段、道具でしかない架空経済だからで、みずから財をうむことがない。
いうまでもないが、国家や実物経済を支えるのは、無形の情報や通信、知識ではなく、有形のエネルギー資源や食糧、生産(工業)力などである。
ITやAI、インターネットなどの無形の経済は、一定のレベルにたっして一巡すると徐々に価値を失ってゆく。変わって台頭してくるのが、有形の実物経済、とりわけ、現在、注目されているのがエネルギー資源である。
●そこまで来ている「資源国家日本」の夜明け
日本の排他的経済水域は、中国よりもはるかに広く、韓国の約10倍である。この海域に、将来、採掘が可能な地下資源の質と量は、世界有数で、石油と天然ガスだけでも中東以上といわれている。
中国が尖閣列島を自国領と主張する一方、竹島を不法占拠する韓国が国連に九州南方沖まで自国領海(第7鉱区)と提訴したのは、海底に眠る地下資源を狙ってのことである。
中国が尖閣諸島の領有権を主張しはじめたのは、1969年、国連のアジア極東経済委員会(ECAFE)が石油埋蔵の可能性があるという沿岸鉱物資源調査報告を提出した以降で、それ以前、中国は、尖閣の領有を主張したことはいちどもない。
1951年のサンフランシスコ平和条約で、日本は、台湾と澎湖諸島の領有権を放棄したが、尖閣諸島は日本領として残された。このとき、中国は異議を唱えていない。1972年の日中国交正常化や1978年の日中平和友好条約の交渉でも尖閣は議題にのぼらなかった。
中国が尖閣の占有を主張するのは、台湾を侵略する際、尖閣が日本領だったら不都合だからで、日本が尖閣にミサイル基地をつくれば台湾周辺の制空権と制海権が日本の手に落ちる。
資源と軍事両面の必要性から、中国は、日本から尖閣諸島を奪おうというのである。
韓国の竹島不法占拠や大陸棚宣言も、資源と軍事両面の目的をもっている。
日本海の表記を東海とすべきとする韓国は、日本海にうかぶ島根県の竹島を不法占拠して領有権を主張しているが、2012年、東シナ海の九州南沖から沖縄にいたる広大な海域(第七鉱区)の大陸棚主権を宣言して、堂々と国連に申し入れている。
韓国のいう第7鉱区は、尖閣諸島から九州にむかう沖縄トラフ(海底盆地)の東部海域で、日本の排他的経済水域どころか、九州・沖縄の近海である。
中国も韓国も、日本海と東シナ海を日本と雌雄をあらそう決戦場ととらえて海軍・空軍の増強を強化している。核戦争と全面戦争が不可能な以上、区域を限定した制海権・制空権の確保が領地・領海の事実上の領有宣言となるからである。
●資源防衛≠ワでがふくまれる国家防衛
2022年現在、中国海軍は「遼寧」「山東」の2隻の空母を所有(三隻目を建造中)して、黄海と東シナ海の大半を配下におき、南シナ海の制海・制空権をつよめている。
日本とほぼ同額の軍事費をもつ韓国も、竹島防衛を口実に日本海の制海権を確立すべく、空母や原子力潜水艦の建造をすすめている。
これにたいして日本は、空母4隻体制と最新鋭のF35(104機)による機動部隊で対抗した。安倍晋三元首相の決断によるもので、機動部隊というのは空母中心の艦隊のことである。日本は、複数の機動部隊を設立して、日本海と東シナ海、南シナ海(オイルロード)の制海権・制空権を確立、日本の安全保障を万全としたのである。
核戦争以外の戦争において、攻めるよりまもるほうが有利なのは、地の利がはたらくからで、ベトナムでアメリカが、アフガニスタンで旧ソ連が負けたのも、そして、ウクライナ戦争でロシア圧勝の下馬評がひっくり返ったのはその原理がはたらいたからである。
ちなみに、ナチスに攻められて2000万人の戦死者をだしながら旧ソ連が負けなかったのは、戦地となったレニングラード、スターリングラードが自国領だったからである。
中国や韓国は、日本から制海権や制空権を奪わなければ、尖閣諸島あるいは韓国のいう「第6鉱区」「第7鉱区」に手をだすことができない。
攻めるのは困難でもまもるのはかんたんで、日本が排他的経済水域に艦隊(機動部隊)を送りだすだけで竹島は帰ってくる。竹島は日本の排他的経済水域にあるからである。韓国の海軍が日本艦隊を同海域(第6鉱区)から追いだしたら、その時点で韓国が竹島を実効支配したことになるが、現在の韓国海軍にその力はない。
日本が艦隊を竹島周辺へ配備しないのは、韓国の反発をおそれてのことである。
その論法で、ずるずる後退すれば、日本は韓国に第7鉱区までも奪われる。
第6鉱区(竹島海域)には、韓国の年間ガス使用量30年分のハイドレートガスが埋蔵されているといわれる。
韓国では、第6鉱区どころか、第7鉱区も韓国のものという「なんでもかんでもオレのもの」という例の論調か高まっているという。
次回以降、日本と中国、韓国がシノギをけずる地下資源の宝庫、東シナ海の動向についてのべよう。
1989年度の「世界時価総額ランキング」のトップ50で、日本の企業は32社がランクインしたが、2018年では、わずか1社(トヨタ自動車)にとどまった。
ランクインしたのはIT企業やAI関連のほか、インターネット物流などの電子・デジタル部門ばかりで、製造業は、ITやAIにおされてほとんどがランク外にすがたを消してしまった。
日本が、ITやAIで後れをとった理由は、日本語の壁だった。
日本はパソコンなどのOS(オペレーション・システム)を独自で開発してアップル(時価総額世界1位)やマイクロソフト(2位)と競り合った。日本はスーパーコンピュータやゲーム機、工場ロボットの技術が世界一で、OSについても国産OS(トロン)はマイクロソフトよりも先進的だった。
ところが、OSのマーケットは世界なので、キーから用具の名称、プログラミングにいたるまですべて英語でなければならない。日本人が日本人のためにつくった和製OSが敗退したのは、日本語が国際語ではなかったからだったのである。
ところが、中国や韓国、台湾は、自国でなにも開発せず、アップルやマイクロソフトから技術をそっくり移入、あるいはコピーして、大量生産した。アジアのデジタル企業が大成功したのは、独創性を捨てて、コピーと組み立てという拡大再生産にむかったからだったのである。
部品を提供したのは日本で、世界中のスマホで日本の部品が使われていないものは一つもないといわれるほどだが、日本製のパソコンやスマホの世界シェアは驚くほど低い。
日本は、半導体で敗退したといわれているが、半導体の集積回路(IC)の基板(シリコンウエハー)の分野で、日本の世界シェアは、60%(信越化学工業/SUMCO)で断トツの一位である。
●いつまでも続かないデジタルという架空経済
世界GDPランキング3位の日本と12位の韓国ではやや差があるが、1人当たりGDPでは日本が28位、韓国30位と僅差である。韓国のマスコミは「韓国経済が日本に勝った」と嬉々として報じているが、あながち虚言というわけでもない。
国連経済社会局の調査によると、韓国は、デジタル技術力で8位(日本27位)、政府の電子化ランキングでは2位(日本14位)と、いまや日本をこえるデジタル先進国で、スマホの世界シェアでもトップはアップル(米)ではなく韓国のサムソンである。
ちなみに、日本の1人当たりGDPが世界28位(韓国30位)と低いのは物価や税金、医療費などが安いからで、アメリカの昼食代は日本の3倍以上も高く、低所得者は医者にもかかれない。
ITやAI、インターネットは、ソフト型の経済で、工業製品や資源などはハード型経済である。ハードというのは、地下資源や食品全般、工業製品などの実物経済のことで、これはGDP(国民総生産/付加価値)とかならずしも一致しない。
ウクライナ戦争で1日に2兆円の戦費がかかってもロシア経済が破産しないのは、ロシアは、ITやAI、インターネット分野には後進的でも、世界有数の資源国家にして穀物の大生産国、輸出国だからである。
ITやAI、インターネットが、国家経済を支えることはできないのは、情報や手段、道具でしかない架空経済だからで、みずから財をうむことがない。
いうまでもないが、国家や実物経済を支えるのは、無形の情報や通信、知識ではなく、有形のエネルギー資源や食糧、生産(工業)力などである。
ITやAI、インターネットなどの無形の経済は、一定のレベルにたっして一巡すると徐々に価値を失ってゆく。変わって台頭してくるのが、有形の実物経済、とりわけ、現在、注目されているのがエネルギー資源である。
●そこまで来ている「資源国家日本」の夜明け
日本の排他的経済水域は、中国よりもはるかに広く、韓国の約10倍である。この海域に、将来、採掘が可能な地下資源の質と量は、世界有数で、石油と天然ガスだけでも中東以上といわれている。
中国が尖閣列島を自国領と主張する一方、竹島を不法占拠する韓国が国連に九州南方沖まで自国領海(第7鉱区)と提訴したのは、海底に眠る地下資源を狙ってのことである。
中国が尖閣諸島の領有権を主張しはじめたのは、1969年、国連のアジア極東経済委員会(ECAFE)が石油埋蔵の可能性があるという沿岸鉱物資源調査報告を提出した以降で、それ以前、中国は、尖閣の領有を主張したことはいちどもない。
1951年のサンフランシスコ平和条約で、日本は、台湾と澎湖諸島の領有権を放棄したが、尖閣諸島は日本領として残された。このとき、中国は異議を唱えていない。1972年の日中国交正常化や1978年の日中平和友好条約の交渉でも尖閣は議題にのぼらなかった。
中国が尖閣の占有を主張するのは、台湾を侵略する際、尖閣が日本領だったら不都合だからで、日本が尖閣にミサイル基地をつくれば台湾周辺の制空権と制海権が日本の手に落ちる。
資源と軍事両面の必要性から、中国は、日本から尖閣諸島を奪おうというのである。
韓国の竹島不法占拠や大陸棚宣言も、資源と軍事両面の目的をもっている。
日本海の表記を東海とすべきとする韓国は、日本海にうかぶ島根県の竹島を不法占拠して領有権を主張しているが、2012年、東シナ海の九州南沖から沖縄にいたる広大な海域(第七鉱区)の大陸棚主権を宣言して、堂々と国連に申し入れている。
韓国のいう第7鉱区は、尖閣諸島から九州にむかう沖縄トラフ(海底盆地)の東部海域で、日本の排他的経済水域どころか、九州・沖縄の近海である。
中国も韓国も、日本海と東シナ海を日本と雌雄をあらそう決戦場ととらえて海軍・空軍の増強を強化している。核戦争と全面戦争が不可能な以上、区域を限定した制海権・制空権の確保が領地・領海の事実上の領有宣言となるからである。
●資源防衛≠ワでがふくまれる国家防衛
2022年現在、中国海軍は「遼寧」「山東」の2隻の空母を所有(三隻目を建造中)して、黄海と東シナ海の大半を配下におき、南シナ海の制海・制空権をつよめている。
日本とほぼ同額の軍事費をもつ韓国も、竹島防衛を口実に日本海の制海権を確立すべく、空母や原子力潜水艦の建造をすすめている。
これにたいして日本は、空母4隻体制と最新鋭のF35(104機)による機動部隊で対抗した。安倍晋三元首相の決断によるもので、機動部隊というのは空母中心の艦隊のことである。日本は、複数の機動部隊を設立して、日本海と東シナ海、南シナ海(オイルロード)の制海権・制空権を確立、日本の安全保障を万全としたのである。
核戦争以外の戦争において、攻めるよりまもるほうが有利なのは、地の利がはたらくからで、ベトナムでアメリカが、アフガニスタンで旧ソ連が負けたのも、そして、ウクライナ戦争でロシア圧勝の下馬評がひっくり返ったのはその原理がはたらいたからである。
ちなみに、ナチスに攻められて2000万人の戦死者をだしながら旧ソ連が負けなかったのは、戦地となったレニングラード、スターリングラードが自国領だったからである。
中国や韓国は、日本から制海権や制空権を奪わなければ、尖閣諸島あるいは韓国のいう「第6鉱区」「第7鉱区」に手をだすことができない。
攻めるのは困難でもまもるのはかんたんで、日本が排他的経済水域に艦隊(機動部隊)を送りだすだけで竹島は帰ってくる。竹島は日本の排他的経済水域にあるからである。韓国の海軍が日本艦隊を同海域(第6鉱区)から追いだしたら、その時点で韓国が竹島を実効支配したことになるが、現在の韓国海軍にその力はない。
日本が艦隊を竹島周辺へ配備しないのは、韓国の反発をおそれてのことである。
その論法で、ずるずる後退すれば、日本は韓国に第7鉱区までも奪われる。
第6鉱区(竹島海域)には、韓国の年間ガス使用量30年分のハイドレートガスが埋蔵されているといわれる。
韓国では、第6鉱区どころか、第7鉱区も韓国のものという「なんでもかんでもオレのもの」という例の論調か高まっているという。
次回以降、日本と中国、韓国がシノギをけずる地下資源の宝庫、東シナ海の動向についてのべよう。
2023年02月14日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和6
●巨星墜つ≠フ感が深い森田実氏の訃報
政治評論家の森田実氏が亡くなられた。お会いするたびに笑顔で話しかけてこられた穏やかなお人柄で、講演にもなんどか足を運ばせてもらった。
小泉改革反対の急先鋒で、とりわけ、2005年の郵政解散には違憲論までもちだして異を唱えられた。参院で法案が否決された以上、憲法41条の精神に立って廃案にすべきで、7条を濫用して国会を解散させるのは、越権にして違憲、首相の権限を越えていると演壇で熱弁をふるわれた。
郵政選挙で自民党は296議席を獲得して大勝したが、当選者の多くはテレビでもてはやされた「小泉チルドレン」で、古参の自民党議員は涙を呑んだ。このときも、森田氏は、議論を捨てて、多数決にたのむのは民主主義ではないと断言して、衆愚論の口火を切った。
小沢一郎が、当時の細川護煕首相と自民党の河野洋平総裁のあいだに立って実現させた小選挙区制についても、森田氏は、多元的価値観と奥行きをもった自民党の持ち味を台なしにすると警告を発しつづけた。
まったく同感で、森田氏からは学ぶところがすくなくなかった。
保守論客として名指しで推薦していただいたこともあったが、自民党のリベラル派や宏池会に近く、公明党とも太いパイプをもつ平和主義者だった森田氏と天皇・国体論のわたしでは、あとでのべるように、根本的な部分で相違点が小さくなかった。
森田氏は、日本共産党の東大細胞の大ボスで、6全協(1955年)の武闘路線放棄の3年後、共産党員を殴って除名されたのち、島成郎(国立精神神経医療研究センター医師)を書記長に立てて全学連を結成、森田実氏は委員長をつとめた。
全学連委員長選挙で革共同に負けると、島は、北海道へ行って唐牛健太郎を説得、香山健一(元学習院大学教授)に次いで唐牛が委員長になって全学連はそのまま60年安保に突入する。
●激動の60年安保とマボロシだった全学連
そのときの全学連副委員長が西部邁氏だった。当時、全学連と対決していた民族系学生運動の活動家だったわたしは、20年ほど前、酒席で、西部氏からフィクサーとして知られていた西山幸喜氏の紹介をたのまれて一席設けた。
中曽根康弘批判などで意気投合しているように見えたが、のちに、中曽根元首相が西部氏の出版記念パーティの主催者になっていることに西山氏が不快感をいだき、仲立ちしたわたしと西部氏とのあいだにも距離間がうまれた。
森田氏と西部氏は、島成郎から香山健一、唐牛健太郎へとつづくブント全学連の師弟関係で、唐牛の面倒を見た田中清玄と同様、転向者だった。香山健一は保守の名著といわれる「日本の自殺(文春新書)」を著し、1990年には、天皇陛下御即位奉祝中央式典で祝辞(学界代表)を読んでいる。
唐牛健太郎はガンで亡くなる(1984年/享年47歳)まで徳洲会病院の徳田虎雄や日本精工の今里広記の支援をうけて、事業に情熱を傾けた。生きていれば大実業家になっていたかもしれなかった。
日本における右翼と左翼は、マルクス主義をめぐる経済論争で、封建制度や絶対主義の打破などの切実な政治目的にもとづくものではなかった。
多くの学生運動家が転向したのは、かれらの闘争が虐げられた人民の苦しみからうまれたものではなかったからで、かれらは、マルクスやルソー、毛沢東などの理論や合理的思考、イデオロギーに、一時期、心酔しただけだった。
社会に、一歩、出てみれば、世界や現実、人間は、不合理や不条理、矛盾にみちた不純なもので、学生時代に夢みた唯物論的にして一元論的な真実はどこにもなかった。
歴史や文化、国家や習俗などは、唯心論的な多元論で、合理主義では説明がつかないものが釣り合いをとりながら存在している。そのあいまいさが中庸の精神で、聖徳太子の十七条の憲法にも「和をもって貴し、さか(忤)うることなしを宗とせよ」とある。
さかうるというのは、異質なものがいがみ合うことで、たとえ、異質なものでも、互いに尊重しあって、いがみあってはならないと太子はいったのである。
●「国家」と「国民」を融合させる二元論
個と全体、主観と客観、中心と周辺、意識と直観、体験と知識などの矛盾は永久に解消できない。
聖徳太子は、この矛盾を二元論や多元論で解決しようとした。
神道は国家、仏教は個人、儒教は道徳と分けるのが多元論で、聖徳太子が一神教や一元論を立てていたら、日本は、西洋のように宗教戦争がおきて国家が分裂していたかもしれない。
日本という国が、世界で唯一、革命がおきなかった伝統国家たりえているのも「朝廷と幕府」「政体と国体」「権力と権威」という二元論に立っていたからで、大久保利通は、憲法の制定にあたって、君民共治を唱えている。
天皇を中心とした立憲政治は、君主政治でも民主政治でもなく、君民共治という日本古来の政治形態にあると大久保はみたのである。
森田氏も西部氏も、熱烈な反米主義だが、アメリカが孤立主義を選択して、日本から引き揚げたとき、日本は、じぶんの国をどうまもるかという明確な展望を掲げたことはなかった。
西部氏は、核保持をいうが、核の「相互確証破壊」は観念論で、核の使用も全面戦争もありえない。ありうるなら核シェルターの使用法以外、いっさいの防衛理論が不要となる。
なぜなら、世界が滅びつつあるなかで、戦争と平和について語っても、なんの意味がないからである。
国家防衛は、現実的には、地域が限定された制海権と制空権に依存している。
極東アジアは、アメリカ軍と中国軍、韓国軍と台湾軍、自衛隊とロシア軍の軍事バランスの上に立っていて、日本がアメリカを日本列島から追いだせば、前回、のべたように、南シナ海が中国の要塞と化したフィリピンの失敗の二の舞になる。
森田氏や西部氏、そして、わたしたち保守主義者も、これまで、国家と国民の二元論を問題にしてきた。
森田氏の平和主義は、国民に重きをおいて、国家が希薄だった。
西部氏の保守主義は、大衆蔑視で、国体や国家が見えなかった。
国体は、歴史や文化、権威の体系で、大元に天皇がいる。
政体は、国益や軍備、権力の体系で、国家の根本である。
近代の国家主権は、民の代表たる天皇を中心とした日本伝統の国家観だったのである。
森田氏や西部氏と十分に天皇論を語ることがなかったことがいまも心残りなのである。
政治評論家の森田実氏が亡くなられた。お会いするたびに笑顔で話しかけてこられた穏やかなお人柄で、講演にもなんどか足を運ばせてもらった。
小泉改革反対の急先鋒で、とりわけ、2005年の郵政解散には違憲論までもちだして異を唱えられた。参院で法案が否決された以上、憲法41条の精神に立って廃案にすべきで、7条を濫用して国会を解散させるのは、越権にして違憲、首相の権限を越えていると演壇で熱弁をふるわれた。
郵政選挙で自民党は296議席を獲得して大勝したが、当選者の多くはテレビでもてはやされた「小泉チルドレン」で、古参の自民党議員は涙を呑んだ。このときも、森田氏は、議論を捨てて、多数決にたのむのは民主主義ではないと断言して、衆愚論の口火を切った。
小沢一郎が、当時の細川護煕首相と自民党の河野洋平総裁のあいだに立って実現させた小選挙区制についても、森田氏は、多元的価値観と奥行きをもった自民党の持ち味を台なしにすると警告を発しつづけた。
まったく同感で、森田氏からは学ぶところがすくなくなかった。
保守論客として名指しで推薦していただいたこともあったが、自民党のリベラル派や宏池会に近く、公明党とも太いパイプをもつ平和主義者だった森田氏と天皇・国体論のわたしでは、あとでのべるように、根本的な部分で相違点が小さくなかった。
森田氏は、日本共産党の東大細胞の大ボスで、6全協(1955年)の武闘路線放棄の3年後、共産党員を殴って除名されたのち、島成郎(国立精神神経医療研究センター医師)を書記長に立てて全学連を結成、森田実氏は委員長をつとめた。
全学連委員長選挙で革共同に負けると、島は、北海道へ行って唐牛健太郎を説得、香山健一(元学習院大学教授)に次いで唐牛が委員長になって全学連はそのまま60年安保に突入する。
●激動の60年安保とマボロシだった全学連
そのときの全学連副委員長が西部邁氏だった。当時、全学連と対決していた民族系学生運動の活動家だったわたしは、20年ほど前、酒席で、西部氏からフィクサーとして知られていた西山幸喜氏の紹介をたのまれて一席設けた。
中曽根康弘批判などで意気投合しているように見えたが、のちに、中曽根元首相が西部氏の出版記念パーティの主催者になっていることに西山氏が不快感をいだき、仲立ちしたわたしと西部氏とのあいだにも距離間がうまれた。
森田氏と西部氏は、島成郎から香山健一、唐牛健太郎へとつづくブント全学連の師弟関係で、唐牛の面倒を見た田中清玄と同様、転向者だった。香山健一は保守の名著といわれる「日本の自殺(文春新書)」を著し、1990年には、天皇陛下御即位奉祝中央式典で祝辞(学界代表)を読んでいる。
唐牛健太郎はガンで亡くなる(1984年/享年47歳)まで徳洲会病院の徳田虎雄や日本精工の今里広記の支援をうけて、事業に情熱を傾けた。生きていれば大実業家になっていたかもしれなかった。
日本における右翼と左翼は、マルクス主義をめぐる経済論争で、封建制度や絶対主義の打破などの切実な政治目的にもとづくものではなかった。
多くの学生運動家が転向したのは、かれらの闘争が虐げられた人民の苦しみからうまれたものではなかったからで、かれらは、マルクスやルソー、毛沢東などの理論や合理的思考、イデオロギーに、一時期、心酔しただけだった。
社会に、一歩、出てみれば、世界や現実、人間は、不合理や不条理、矛盾にみちた不純なもので、学生時代に夢みた唯物論的にして一元論的な真実はどこにもなかった。
歴史や文化、国家や習俗などは、唯心論的な多元論で、合理主義では説明がつかないものが釣り合いをとりながら存在している。そのあいまいさが中庸の精神で、聖徳太子の十七条の憲法にも「和をもって貴し、さか(忤)うることなしを宗とせよ」とある。
さかうるというのは、異質なものがいがみ合うことで、たとえ、異質なものでも、互いに尊重しあって、いがみあってはならないと太子はいったのである。
●「国家」と「国民」を融合させる二元論
個と全体、主観と客観、中心と周辺、意識と直観、体験と知識などの矛盾は永久に解消できない。
聖徳太子は、この矛盾を二元論や多元論で解決しようとした。
神道は国家、仏教は個人、儒教は道徳と分けるのが多元論で、聖徳太子が一神教や一元論を立てていたら、日本は、西洋のように宗教戦争がおきて国家が分裂していたかもしれない。
日本という国が、世界で唯一、革命がおきなかった伝統国家たりえているのも「朝廷と幕府」「政体と国体」「権力と権威」という二元論に立っていたからで、大久保利通は、憲法の制定にあたって、君民共治を唱えている。
天皇を中心とした立憲政治は、君主政治でも民主政治でもなく、君民共治という日本古来の政治形態にあると大久保はみたのである。
森田氏も西部氏も、熱烈な反米主義だが、アメリカが孤立主義を選択して、日本から引き揚げたとき、日本は、じぶんの国をどうまもるかという明確な展望を掲げたことはなかった。
西部氏は、核保持をいうが、核の「相互確証破壊」は観念論で、核の使用も全面戦争もありえない。ありうるなら核シェルターの使用法以外、いっさいの防衛理論が不要となる。
なぜなら、世界が滅びつつあるなかで、戦争と平和について語っても、なんの意味がないからである。
国家防衛は、現実的には、地域が限定された制海権と制空権に依存している。
極東アジアは、アメリカ軍と中国軍、韓国軍と台湾軍、自衛隊とロシア軍の軍事バランスの上に立っていて、日本がアメリカを日本列島から追いだせば、前回、のべたように、南シナ海が中国の要塞と化したフィリピンの失敗の二の舞になる。
森田氏や西部氏、そして、わたしたち保守主義者も、これまで、国家と国民の二元論を問題にしてきた。
森田氏の平和主義は、国民に重きをおいて、国家が希薄だった。
西部氏の保守主義は、大衆蔑視で、国体や国家が見えなかった。
国体は、歴史や文化、権威の体系で、大元に天皇がいる。
政体は、国益や軍備、権力の体系で、国家の根本である。
近代の国家主権は、民の代表たる天皇を中心とした日本伝統の国家観だったのである。
森田氏や西部氏と十分に天皇論を語ることがなかったことがいまも心残りなのである。
2023年02月06日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和5
●NATO地位協定は平時法、日米地位協定は戦時法
日米地位協定とNATO地位協定(ドイツ、イタリア、イギリス、ベルギー)を比べて、日米間の協定が不平等だと煽る記事や書籍が出回っている。
裁判権にかんする規定では、日米地位協定もNATO地位協定も、ともに対米不平等をしいられている。米軍が「加害者は公務中だった」と主張すれば承諾せざるをえず、一次裁判権もアメリカがもっている。
それではなぜ、NATO地位協定にくらべて、日米地位協定が不平等といわれるのか。
NATO地位協定は、平時法で、国内法が優先される。
一方、日米地協定は、戦時法で、しばしば、米軍優先の戦時体制がとられるからである。
有事の際、日本もNATOも米軍に国内法を適用することはできない。
とりわけ、日本では、一般協定ではなく、非常事態や緊急事態のための戦時法(「合意議事録」)法が適用される。
国会で審議されなかったこの「日米地位協定合意議事録」は一般条文よりも重要である。
なぜなら、日米地位協定は、この合意議事録にしたがって運用されているからである。
●治外法権≠認めあっている地位協定
条文に「基地外の事件や事故の刑事裁判権は日本がもつ」とあって、戦時中となれば、一般条文は無視される。
「日米地位協定は不平等条約だ」と主張するひとが条約を読んでいないのは明らかである。
般条文には、具体的なことは、なに一つ記載されていないからである。
NATOの地位協定が、これまで、問題化しなかったのは、ウクライナ戦争を除いて、ヨーロッパは、戦時中ではなかったからである。
ところが、日米地位協定は、現在休戦中の朝鮮戦争をうけたものなので、戦時法の扱いになる。
合意議事録は、国会の審議を経ていない戦時法なので、日米両国の合意があれば廃止できる。
その場合、日本も、大使館や外交使節、元首や駐留軍人らの治外法権の放棄しなければならない。そのデメリットを負ってまで、在日米兵の犯罪人を、アメリカの国法で裁くのを拒む理由はない。したがって、左翼が騒ぐまで、だれも、日米地位協定を不平等条約と思っていなかったのである。
●日米安保、地位協定の背後にある朝鮮危機
日米地位協定や安保条約について語るには、それ以前のアヘン戦争から黒船来訪、日清・日露戦争、中国革命、朝鮮動乱、朝鮮戦争休戦へといたる歴史的文脈、地政学的背景を見なければならない。
とりわけ大きな意味をもつのは、朝鮮民主主義人民共和国(1948年)と中華人民共和国(1949年)の建国である。
第二次大戦後、日本とアメリカは、極東に、ソ連のほか中国と北朝鮮という軍事大国と対峙しなければならなくなった。
それが朝鮮動乱(戦争)だった。1950年6月25日、金日成の北朝鮮軍が38度線をこえて韓国に侵攻してきた。安保理決議(ソ連欠席)の下、トルーマンは、日本駐留の米軍に出動を命じた。ソウル陥落の寸前、マッカーサーは、北朝鮮軍の背後を突いて仁川上陸作戦を決行した。そして、ソウルを奪回したばかりか、勢いをえて38度線を反攻、平壌を陥落させた。
その形勢が逆転したのは、鴨緑江をこえて中国軍が参戦してきたからだった。北朝鮮軍・中国軍は、平壌を放棄したアメリカ軍を追ってソウルを制圧した。米軍は反撃してソウルを奪還した。だが、このとき、米軍は、ベトナム戦争の被害に肉薄する4万人近い戦死者をだしている。マッカーサーは、中国本土への空襲と原爆の投下を主張した。だが、トルーマンは拒否した。それどころか、マッカーサー司令官を解任、2年以上におよぶ休戦交渉に入るのである。
●横田基地にある10か国の朝鮮国連軍後方司令部
1953年、クラーク国連軍総司令官と北朝鮮の金日成、中国人民軍司令の彭徳懐のあいだで休戦協定が調印された。この休戦協定の署名に韓国はくわわっていない。国連軍の指揮下にあったからだが、それが日本の基地問題に大きな影響をあたえている。
現在、座間と横田、横須賀、佐世保、嘉手納、普天間、ホワイト・ビーチ地区の8か所に国連軍司令部後方基地がおかれている。横田基地の朝鮮国連軍後方司令部を構成しているのは、アメリカをはじめイギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイ、イタリア、カナダ、トルコの10か国で、それぞれ、駐在武官が朝鮮国連軍連絡将校として、在日大使館に常駐している。
日本は1954年に「国連軍地位協定」をむすんでいる。したがって、事実上、国連軍に一部あるいは同盟国となる。対岸の火事どころか、日本は、現在休戦中の朝鮮戦争の当事国だったのである。
●日本を革命の危機からまもった警察予備隊
革命的な状況は、中国大陸や朝鮮半島だけではなかった。日本は、ロシアと中国、北朝鮮らの外圧に圧迫されるほか、国内では、朝日や毎日、中日・東京などの左翼大新聞の攻勢にさらされていた。
しかも、公職追放令後、官公庁や朝鮮総連などの団体、教育機関やマスコミが左翼の牙城となって、大労組(総評など)は、ゼネストや暴力革命を煽っていた。
コミンテルン(ソ連)の日本支部だった日本共産党や親中・親ソ派でかためられた旧社会党が跋扈するなかで、デモ隊と警察予備隊(1950年創設)が衝突する「血のメーデー事件」がおき、千人近い重軽傷者(死者一名)をだす大騒乱がおきた。
事件は、GHQの占領が解除された3日後の1952年5月1日(第23回メーデー)におきた。重傷者の大半が警察予備隊員だったのは「再軍備反対」を叫ぶデモ隊の標的になったからである。事件は、左翼団体が暴力革命≠フ準備としておこなったもので、警察予備隊ができていなかったら8000人にふくらんだ暴徒は、皇居に侵入して「人民広場(皇居前広場)開放」の決議を実力行使していた可能性もあった。
ちなみに、急きょ、警察予備隊が創設されたのは、在日米軍が朝鮮戦争にかりだされて、日本の防衛や治安維持ができなくなったからだった。
●反日思想と革命を煽るプロパガンダとテロリズム
直接関係がないように思えるが、地位協定と治安維持は、国家主権でむすばれている。国家主権は、他国にまで及ぶ(「属人主義」)が、国家防衛の意思は、法をこえて、国民や民族性にまでおよぶのである。
過激な反(憎)日・反米で著名な宮台真司(東京都立大学教授)がテロリストに襲われて重傷を負った。警察は動機を不明とするが、大嘘である。宮台は安倍元首相銃撃事件の犯人をスター扱いした映画を称えて、監督(足立正生/元日本赤軍幹部)とともに上映イベントの舞台(国葬前日)に上って、こんなセリフを吐いている。
「国辱の恥さらしになっていることがうれしい。まさに落日、しょぼい日本が話題になっている。G7からだれ一人(国葬に)来ませんしね」
事件がテロだったことを警察が伏せているのは、若者やマスコミらに絶大な人気を誇る宮台をおもんばかったからではない。事件が思想的テロだったことふせておきたいからで、警察は、犯人(倉光実)が自殺した理由をひきこもりだったなどと説明する一方、マスコミはいっさい口をつぐんでいる。
事件の二週間後、倉光は、身辺整理をすませて自殺している。テロリズムにおける日本的な美意識で、逃げようとも生き永らえようともしなかったのである。
●国際地位協定と国家反逆罪に通底する国家主権
安保法制をなしとげた安倍元首相の殺害を賛美する映画をつくって、安倍元首相の国葬黙祷を妨害するため、数千人が、カネやタイコを打ち鳴らしてデモ行進する日本人のあさましいすがたをみて、倉光が、扇動者に殺意を抱いたところで、日本人として理解できない感情ではない。
平和ボケの日本で、なにをやっても、なにをいっても罪にならないと思っているひとたちがいる。
おおまちがいで、日本には、外国軍の侵略を誘った場合、有罪になれば死刑(それ以外の罰則がない)となる「外患誘致罪(刑法第81条)」がある。
日本人であるかぎり、外患誘致罪を免れないのは「属人主義」をとっているからである。そうでなければ、国家反逆者が敵国で英雄にまつりあげられるという皮肉な事態が生じる。南京大虐殺や従軍慰安婦で、反日デマを垂れ流した朝日新聞の本多勝一や植村隆らが中国や韓国で良心的日本人≠ニ称えられているのがその好例である。
地位協定も国家反逆罪も、国権は、国境をこえて延長されるとする思想からでてきたものである。
外国兵の個人的犯罪と、国家防衛や国家の主権を引きかえにする左翼の論理に乗るわけにはいかないのである。
日米地位協定とNATO地位協定(ドイツ、イタリア、イギリス、ベルギー)を比べて、日米間の協定が不平等だと煽る記事や書籍が出回っている。
裁判権にかんする規定では、日米地位協定もNATO地位協定も、ともに対米不平等をしいられている。米軍が「加害者は公務中だった」と主張すれば承諾せざるをえず、一次裁判権もアメリカがもっている。
それではなぜ、NATO地位協定にくらべて、日米地位協定が不平等といわれるのか。
NATO地位協定は、平時法で、国内法が優先される。
一方、日米地協定は、戦時法で、しばしば、米軍優先の戦時体制がとられるからである。
有事の際、日本もNATOも米軍に国内法を適用することはできない。
とりわけ、日本では、一般協定ではなく、非常事態や緊急事態のための戦時法(「合意議事録」)法が適用される。
国会で審議されなかったこの「日米地位協定合意議事録」は一般条文よりも重要である。
なぜなら、日米地位協定は、この合意議事録にしたがって運用されているからである。
●治外法権≠認めあっている地位協定
条文に「基地外の事件や事故の刑事裁判権は日本がもつ」とあって、戦時中となれば、一般条文は無視される。
「日米地位協定は不平等条約だ」と主張するひとが条約を読んでいないのは明らかである。
般条文には、具体的なことは、なに一つ記載されていないからである。
NATOの地位協定が、これまで、問題化しなかったのは、ウクライナ戦争を除いて、ヨーロッパは、戦時中ではなかったからである。
ところが、日米地位協定は、現在休戦中の朝鮮戦争をうけたものなので、戦時法の扱いになる。
合意議事録は、国会の審議を経ていない戦時法なので、日米両国の合意があれば廃止できる。
その場合、日本も、大使館や外交使節、元首や駐留軍人らの治外法権の放棄しなければならない。そのデメリットを負ってまで、在日米兵の犯罪人を、アメリカの国法で裁くのを拒む理由はない。したがって、左翼が騒ぐまで、だれも、日米地位協定を不平等条約と思っていなかったのである。
●日米安保、地位協定の背後にある朝鮮危機
日米地位協定や安保条約について語るには、それ以前のアヘン戦争から黒船来訪、日清・日露戦争、中国革命、朝鮮動乱、朝鮮戦争休戦へといたる歴史的文脈、地政学的背景を見なければならない。
とりわけ大きな意味をもつのは、朝鮮民主主義人民共和国(1948年)と中華人民共和国(1949年)の建国である。
第二次大戦後、日本とアメリカは、極東に、ソ連のほか中国と北朝鮮という軍事大国と対峙しなければならなくなった。
それが朝鮮動乱(戦争)だった。1950年6月25日、金日成の北朝鮮軍が38度線をこえて韓国に侵攻してきた。安保理決議(ソ連欠席)の下、トルーマンは、日本駐留の米軍に出動を命じた。ソウル陥落の寸前、マッカーサーは、北朝鮮軍の背後を突いて仁川上陸作戦を決行した。そして、ソウルを奪回したばかりか、勢いをえて38度線を反攻、平壌を陥落させた。
その形勢が逆転したのは、鴨緑江をこえて中国軍が参戦してきたからだった。北朝鮮軍・中国軍は、平壌を放棄したアメリカ軍を追ってソウルを制圧した。米軍は反撃してソウルを奪還した。だが、このとき、米軍は、ベトナム戦争の被害に肉薄する4万人近い戦死者をだしている。マッカーサーは、中国本土への空襲と原爆の投下を主張した。だが、トルーマンは拒否した。それどころか、マッカーサー司令官を解任、2年以上におよぶ休戦交渉に入るのである。
●横田基地にある10か国の朝鮮国連軍後方司令部
1953年、クラーク国連軍総司令官と北朝鮮の金日成、中国人民軍司令の彭徳懐のあいだで休戦協定が調印された。この休戦協定の署名に韓国はくわわっていない。国連軍の指揮下にあったからだが、それが日本の基地問題に大きな影響をあたえている。
現在、座間と横田、横須賀、佐世保、嘉手納、普天間、ホワイト・ビーチ地区の8か所に国連軍司令部後方基地がおかれている。横田基地の朝鮮国連軍後方司令部を構成しているのは、アメリカをはじめイギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイ、イタリア、カナダ、トルコの10か国で、それぞれ、駐在武官が朝鮮国連軍連絡将校として、在日大使館に常駐している。
日本は1954年に「国連軍地位協定」をむすんでいる。したがって、事実上、国連軍に一部あるいは同盟国となる。対岸の火事どころか、日本は、現在休戦中の朝鮮戦争の当事国だったのである。
●日本を革命の危機からまもった警察予備隊
革命的な状況は、中国大陸や朝鮮半島だけではなかった。日本は、ロシアと中国、北朝鮮らの外圧に圧迫されるほか、国内では、朝日や毎日、中日・東京などの左翼大新聞の攻勢にさらされていた。
しかも、公職追放令後、官公庁や朝鮮総連などの団体、教育機関やマスコミが左翼の牙城となって、大労組(総評など)は、ゼネストや暴力革命を煽っていた。
コミンテルン(ソ連)の日本支部だった日本共産党や親中・親ソ派でかためられた旧社会党が跋扈するなかで、デモ隊と警察予備隊(1950年創設)が衝突する「血のメーデー事件」がおき、千人近い重軽傷者(死者一名)をだす大騒乱がおきた。
事件は、GHQの占領が解除された3日後の1952年5月1日(第23回メーデー)におきた。重傷者の大半が警察予備隊員だったのは「再軍備反対」を叫ぶデモ隊の標的になったからである。事件は、左翼団体が暴力革命≠フ準備としておこなったもので、警察予備隊ができていなかったら8000人にふくらんだ暴徒は、皇居に侵入して「人民広場(皇居前広場)開放」の決議を実力行使していた可能性もあった。
ちなみに、急きょ、警察予備隊が創設されたのは、在日米軍が朝鮮戦争にかりだされて、日本の防衛や治安維持ができなくなったからだった。
●反日思想と革命を煽るプロパガンダとテロリズム
直接関係がないように思えるが、地位協定と治安維持は、国家主権でむすばれている。国家主権は、他国にまで及ぶ(「属人主義」)が、国家防衛の意思は、法をこえて、国民や民族性にまでおよぶのである。
過激な反(憎)日・反米で著名な宮台真司(東京都立大学教授)がテロリストに襲われて重傷を負った。警察は動機を不明とするが、大嘘である。宮台は安倍元首相銃撃事件の犯人をスター扱いした映画を称えて、監督(足立正生/元日本赤軍幹部)とともに上映イベントの舞台(国葬前日)に上って、こんなセリフを吐いている。
「国辱の恥さらしになっていることがうれしい。まさに落日、しょぼい日本が話題になっている。G7からだれ一人(国葬に)来ませんしね」
事件がテロだったことを警察が伏せているのは、若者やマスコミらに絶大な人気を誇る宮台をおもんばかったからではない。事件が思想的テロだったことふせておきたいからで、警察は、犯人(倉光実)が自殺した理由をひきこもりだったなどと説明する一方、マスコミはいっさい口をつぐんでいる。
事件の二週間後、倉光は、身辺整理をすませて自殺している。テロリズムにおける日本的な美意識で、逃げようとも生き永らえようともしなかったのである。
●国際地位協定と国家反逆罪に通底する国家主権
安保法制をなしとげた安倍元首相の殺害を賛美する映画をつくって、安倍元首相の国葬黙祷を妨害するため、数千人が、カネやタイコを打ち鳴らしてデモ行進する日本人のあさましいすがたをみて、倉光が、扇動者に殺意を抱いたところで、日本人として理解できない感情ではない。
平和ボケの日本で、なにをやっても、なにをいっても罪にならないと思っているひとたちがいる。
おおまちがいで、日本には、外国軍の侵略を誘った場合、有罪になれば死刑(それ以外の罰則がない)となる「外患誘致罪(刑法第81条)」がある。
日本人であるかぎり、外患誘致罪を免れないのは「属人主義」をとっているからである。そうでなければ、国家反逆者が敵国で英雄にまつりあげられるという皮肉な事態が生じる。南京大虐殺や従軍慰安婦で、反日デマを垂れ流した朝日新聞の本多勝一や植村隆らが中国や韓国で良心的日本人≠ニ称えられているのがその好例である。
地位協定も国家反逆罪も、国権は、国境をこえて延長されるとする思想からでてきたものである。
外国兵の個人的犯罪と、国家防衛や国家の主権を引きかえにする左翼の論理に乗るわけにはいかないのである。
2023年01月30日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和4
●「日米地位協定」をめぐる反日デマゴギー
「主権なき平和国家(集英社/伊勢崎賢治・布施祐仁)」という書籍が保守層にまで広くうけいれられて、文庫本化されている。
キャッチフレーズに「地位協定の国際比較からみる日本の姿」とあるので、本格的な読み物と思いきや「オスプレイ墜落や米兵婦女暴行事件にたいして日本はなぜなにもできないのか!」という煽り本だった。
デマゴギーと感情論のごった煮で、こういう宣伝文書を読まされて、日本の若者は反日戦士に仕立て上げられてゆくのかと、妙に納得させられた。
同書にこうある。「1960年の締結以来、日米地位協定を一度も改定しなかった日本の主権放棄≠ヤりは、アメリカと地位協定をむすんでいる他の国々と比較しても際立っている」
こうとものべる。「国内の一部領空には日本の航空機が通過できない空域(横田)があるなど、戦後から現在までアメリカの占領状態がつづいている。日本国憲法の上に日米地位協定が、国会の上に日米合同委員会があるような、アメリカに依存しきった主権なき平和を本当に平和と呼べるのか?」
ウソとゴマカシも、理屈をつらねてゆくと、真実に思えてくるのがことばのこわさで、この手のアジ演説≠ェ左翼メディアに乗ってひろがって世論が形成されてゆく。
その左翼メディアのスターの一人、寺島実郎はこうのべる。「日本はアメリカの属国で、アメリカも日本を保護領と見ている」(『問いかけとしての戦後日本と日米同盟』/岩波書店)。こうとものべる。「自国の空に他国の空域(横田)があるなど国際社会の常識ではありえない」「アメリカは占領を終えたら出ていく約束だった」「米軍基地の縮小、撤退が主権回復へのみち」「中国との対立は危険」「地位協定を改定せずに主権をとりもどすことはできない」
寺島の意見が正論に聞こえてくるのは、日本のマスコミ世論が、右(自由陣営=アメリカやイギリス)ではなく、左(共産陣営=中国やロシア、北朝鮮)に属しているからである。
右にとって、国家をまもる安保が、左には、中・ロ・韓・朝にたいする好戦性としか映らない。そこで、安保法制を固めた日本を、アメリカの番犬(ポチ)」と呼んで憎悪をあからさまにする。それが反保守と反米を軸とする現在のマスコミ世論のすがたである。
●横田空域は主権放棄と息巻く寺島らの虚言
寺島実郎は「自国の空に他国の空域(横田)があるなど国際社会の常識ではありえない」というが、北朝鮮と国連(韓国と米国)軍および米軍を駐在させている日本は、現在、戦争状態(現在は休戦)にあって、事実、北朝鮮は日本海にさかんにミサイルを撃ちこんでいる。
朝鮮半島が、歴史上、日本の安全保障の要衝だったことは、白村江の戦から蒙古襲来、日露戦争までの歴史が教えるとおりで、朝鮮半島の動乱は、つねに、日本の危機だった。
横田基地は、日本防衛の要で、横田基地から朝鮮半島や中国大陸にむかう戦闘機の航路を開けておくのは、日本防衛のためであって、アメリカが日本の空域を侵しているわけではない。
アメリカが横田空域を放棄すれば、日本の制空権は中国空軍におびやかされる。中国軍の尖閣列島や台湾への侵攻の最大のネックが制空権だが、アメリカが横田や岩国、那覇の空軍基地を失ったら、中国は空母打撃群(空母+戦闘機)を編成して、堂々と日本海や尖閣・沖縄周辺へのりだしてくるだろう。
それが、寺島のいう「中国との対立は危険」ということで、かれらは中国を友好国と見て、日本の同盟国であるアメリカを敵視する。
横田基地は、日本空域を侵す空の壁≠ナはない。旅客機の巡航高度は10000〜12500mだが、横田基地の空域高度は7000mまでなので障害にならない。横田空域をとばないのは、必要がないからで、千歳〜羽田航路は横田空域をとおらず、千歳〜那覇航路にいたっては海上ルートである。
羽田発の旅客機が房総沖の海上で旋回して高度を稼ぐ航法をとる理由は二つあって、一つは、富士山の乱気流を避けるためで、二つめは、市街地の上空を旋回すると騒音問題が生じるからで、安全性にも問題がある。
横田空域を使用する場合、米当局へ申し入れが必要だが、有視界の飛行なら自由に航行できる。事実、横田空域の調布飛行場から、連日、八丈島などへの定期便(有視界飛行)が飛んでいる。事前に申し入れれば、ジェット旅客機も横田空域を使用できるが、高度7000m以内を運行する大型旅客機など日本には存在しない。
●NATO地位協定は平時法、日米地位協定は戦時法
アメリカとNATOの地位協定には、平時法と戦時法の区別があって、日本の報道が引用してきたのは平時法である。ところが、日本の地位協定は、戦時法なのでNATOよりも米軍優先になる。
国家が自国内に他国の軍隊を受け入れる場合、NATOや日米、米韓も同様、一定のルールのもとでとりきめがおこなわれる。したがって、各国間で差異が生じることも不平等になることもありえない。日米地位協定も他国の条約を例にふまえて作成されているので、国際的慣行からみても均衡がとれている。
軍隊を派遣する国とうけいれる国の主権がぶつかる場合は、うけいれる国が譲歩するのが慣例で、うけいれる国が、駐留する国の主権をみとめないということになれば、そもそも、駐留の根拠自体が失われる。
アメリカ軍は、アメリカの国家主権を背負って日本に駐留している。日本の主権のもとで、軍事行動にあたっているわけではない。逮捕権や裁判権は、主権の問題なので、日本国内であっても、アメリカは、アメリカの法律をもって処分する。
アメリカ兵が罪を犯して、アメリカ軍施設のなかに逃げこんで罪を免れたという話はつくり話で、アメリカは、アメリカの法のもとで、罪を犯したアメリカ兵を罰する。
自衛隊が駐留しているジブチやクウェートでも、事情は同じで、自衛隊員は殺人を犯してもジブチやクウェートの法では裁かれない。逮捕して裁くのは、日本の警察や司法で、軍人には、現地の法がおよばないのである。
逮捕や裁判、刑罰は国家主権で、有罪になると死刑(刑法第81条)になる外患誘致罪(外国と通謀して日本国に武力を行使させる)では、身柄が外国にあっても免罪にはならない。
●日本に有利なジブチとクウェートの対日地位協定
ソマリア沖の海賊退治のために日本の自衛隊をうけいれているジブチで調印された日本ジブチ地位協定(2009年)は、自衛隊の過失犯が無罪になるほか、自衛隊基地が、事実上、ジブチ政府の治外法権とされるなど日本に圧倒的な有利な協定だが、これを問題にしているのは、一部の日本人だけで、ジブリでは問題になっていない。
イラク戦争後、日本は、イラクの国家復興支援活動として、イラクに陸上自衛隊を、クウェートに航空自衛隊を派遣している。その際にむすばれた「日本クウェート地位協定」は、自衛隊の公務中の犯罪がクウェートの刑法から免除されるという不平等条約だったが、ジブチ地位協定と同様、問題になることはなかった。
外国から派遣された兵士は、じぶんの国の法に縛られているので、駐留地の法で裁くことはできない。銃をもってたたかう兵士は、自国の主権を背負っているからで、これを「属人主義」と呼ぶ。一方、民間人は、生活している国の法令に保護されているので、罪を犯せば、その国の法によって裁かれる。これが「属地主義」で、軍人と民間では、画然たるちがいがあるのである。
罪を犯した公務中の米兵、あるいは米当局が身柄をおさえた被疑者を日本の法律で裁けというのは「属地主義」だが、ほとんどの先進国は「属人主義」をとっている。他国の「属人主義」をさして、主権を侵されたと騒ぐのは、国際常識を知らない錯誤か被害妄想である。全国で相次いだ強盗事件で、フィリピン当局は、主犯と見られる人物を入国管理局の収容施設に拘束して、日本当局に引き渡した。それが「属人主義」というもので、フィリピンが「属地主義」をとって、この犯人を野放しにしたら日本と「犯罪人引渡条約」をむすんでいないフィリピンは、日本人犯罪者の巣窟になってしまいかねない。
次回は安保条約と地位協定の関連をもうすこしつっこんで考えよう。
「主権なき平和国家(集英社/伊勢崎賢治・布施祐仁)」という書籍が保守層にまで広くうけいれられて、文庫本化されている。
キャッチフレーズに「地位協定の国際比較からみる日本の姿」とあるので、本格的な読み物と思いきや「オスプレイ墜落や米兵婦女暴行事件にたいして日本はなぜなにもできないのか!」という煽り本だった。
デマゴギーと感情論のごった煮で、こういう宣伝文書を読まされて、日本の若者は反日戦士に仕立て上げられてゆくのかと、妙に納得させられた。
同書にこうある。「1960年の締結以来、日米地位協定を一度も改定しなかった日本の主権放棄≠ヤりは、アメリカと地位協定をむすんでいる他の国々と比較しても際立っている」
こうとものべる。「国内の一部領空には日本の航空機が通過できない空域(横田)があるなど、戦後から現在までアメリカの占領状態がつづいている。日本国憲法の上に日米地位協定が、国会の上に日米合同委員会があるような、アメリカに依存しきった主権なき平和を本当に平和と呼べるのか?」
ウソとゴマカシも、理屈をつらねてゆくと、真実に思えてくるのがことばのこわさで、この手のアジ演説≠ェ左翼メディアに乗ってひろがって世論が形成されてゆく。
その左翼メディアのスターの一人、寺島実郎はこうのべる。「日本はアメリカの属国で、アメリカも日本を保護領と見ている」(『問いかけとしての戦後日本と日米同盟』/岩波書店)。こうとものべる。「自国の空に他国の空域(横田)があるなど国際社会の常識ではありえない」「アメリカは占領を終えたら出ていく約束だった」「米軍基地の縮小、撤退が主権回復へのみち」「中国との対立は危険」「地位協定を改定せずに主権をとりもどすことはできない」
寺島の意見が正論に聞こえてくるのは、日本のマスコミ世論が、右(自由陣営=アメリカやイギリス)ではなく、左(共産陣営=中国やロシア、北朝鮮)に属しているからである。
右にとって、国家をまもる安保が、左には、中・ロ・韓・朝にたいする好戦性としか映らない。そこで、安保法制を固めた日本を、アメリカの番犬(ポチ)」と呼んで憎悪をあからさまにする。それが反保守と反米を軸とする現在のマスコミ世論のすがたである。
●横田空域は主権放棄と息巻く寺島らの虚言
寺島実郎は「自国の空に他国の空域(横田)があるなど国際社会の常識ではありえない」というが、北朝鮮と国連(韓国と米国)軍および米軍を駐在させている日本は、現在、戦争状態(現在は休戦)にあって、事実、北朝鮮は日本海にさかんにミサイルを撃ちこんでいる。
朝鮮半島が、歴史上、日本の安全保障の要衝だったことは、白村江の戦から蒙古襲来、日露戦争までの歴史が教えるとおりで、朝鮮半島の動乱は、つねに、日本の危機だった。
横田基地は、日本防衛の要で、横田基地から朝鮮半島や中国大陸にむかう戦闘機の航路を開けておくのは、日本防衛のためであって、アメリカが日本の空域を侵しているわけではない。
アメリカが横田空域を放棄すれば、日本の制空権は中国空軍におびやかされる。中国軍の尖閣列島や台湾への侵攻の最大のネックが制空権だが、アメリカが横田や岩国、那覇の空軍基地を失ったら、中国は空母打撃群(空母+戦闘機)を編成して、堂々と日本海や尖閣・沖縄周辺へのりだしてくるだろう。
それが、寺島のいう「中国との対立は危険」ということで、かれらは中国を友好国と見て、日本の同盟国であるアメリカを敵視する。
横田基地は、日本空域を侵す空の壁≠ナはない。旅客機の巡航高度は10000〜12500mだが、横田基地の空域高度は7000mまでなので障害にならない。横田空域をとばないのは、必要がないからで、千歳〜羽田航路は横田空域をとおらず、千歳〜那覇航路にいたっては海上ルートである。
羽田発の旅客機が房総沖の海上で旋回して高度を稼ぐ航法をとる理由は二つあって、一つは、富士山の乱気流を避けるためで、二つめは、市街地の上空を旋回すると騒音問題が生じるからで、安全性にも問題がある。
横田空域を使用する場合、米当局へ申し入れが必要だが、有視界の飛行なら自由に航行できる。事実、横田空域の調布飛行場から、連日、八丈島などへの定期便(有視界飛行)が飛んでいる。事前に申し入れれば、ジェット旅客機も横田空域を使用できるが、高度7000m以内を運行する大型旅客機など日本には存在しない。
●NATO地位協定は平時法、日米地位協定は戦時法
アメリカとNATOの地位協定には、平時法と戦時法の区別があって、日本の報道が引用してきたのは平時法である。ところが、日本の地位協定は、戦時法なのでNATOよりも米軍優先になる。
国家が自国内に他国の軍隊を受け入れる場合、NATOや日米、米韓も同様、一定のルールのもとでとりきめがおこなわれる。したがって、各国間で差異が生じることも不平等になることもありえない。日米地位協定も他国の条約を例にふまえて作成されているので、国際的慣行からみても均衡がとれている。
軍隊を派遣する国とうけいれる国の主権がぶつかる場合は、うけいれる国が譲歩するのが慣例で、うけいれる国が、駐留する国の主権をみとめないということになれば、そもそも、駐留の根拠自体が失われる。
アメリカ軍は、アメリカの国家主権を背負って日本に駐留している。日本の主権のもとで、軍事行動にあたっているわけではない。逮捕権や裁判権は、主権の問題なので、日本国内であっても、アメリカは、アメリカの法律をもって処分する。
アメリカ兵が罪を犯して、アメリカ軍施設のなかに逃げこんで罪を免れたという話はつくり話で、アメリカは、アメリカの法のもとで、罪を犯したアメリカ兵を罰する。
自衛隊が駐留しているジブチやクウェートでも、事情は同じで、自衛隊員は殺人を犯してもジブチやクウェートの法では裁かれない。逮捕して裁くのは、日本の警察や司法で、軍人には、現地の法がおよばないのである。
逮捕や裁判、刑罰は国家主権で、有罪になると死刑(刑法第81条)になる外患誘致罪(外国と通謀して日本国に武力を行使させる)では、身柄が外国にあっても免罪にはならない。
●日本に有利なジブチとクウェートの対日地位協定
ソマリア沖の海賊退治のために日本の自衛隊をうけいれているジブチで調印された日本ジブチ地位協定(2009年)は、自衛隊の過失犯が無罪になるほか、自衛隊基地が、事実上、ジブチ政府の治外法権とされるなど日本に圧倒的な有利な協定だが、これを問題にしているのは、一部の日本人だけで、ジブリでは問題になっていない。
イラク戦争後、日本は、イラクの国家復興支援活動として、イラクに陸上自衛隊を、クウェートに航空自衛隊を派遣している。その際にむすばれた「日本クウェート地位協定」は、自衛隊の公務中の犯罪がクウェートの刑法から免除されるという不平等条約だったが、ジブチ地位協定と同様、問題になることはなかった。
外国から派遣された兵士は、じぶんの国の法に縛られているので、駐留地の法で裁くことはできない。銃をもってたたかう兵士は、自国の主権を背負っているからで、これを「属人主義」と呼ぶ。一方、民間人は、生活している国の法令に保護されているので、罪を犯せば、その国の法によって裁かれる。これが「属地主義」で、軍人と民間では、画然たるちがいがあるのである。
罪を犯した公務中の米兵、あるいは米当局が身柄をおさえた被疑者を日本の法律で裁けというのは「属地主義」だが、ほとんどの先進国は「属人主義」をとっている。他国の「属人主義」をさして、主権を侵されたと騒ぐのは、国際常識を知らない錯誤か被害妄想である。全国で相次いだ強盗事件で、フィリピン当局は、主犯と見られる人物を入国管理局の収容施設に拘束して、日本当局に引き渡した。それが「属人主義」というもので、フィリピンが「属地主義」をとって、この犯人を野放しにしたら日本と「犯罪人引渡条約」をむすんでいないフィリピンは、日本人犯罪者の巣窟になってしまいかねない。
次回は安保条約と地位協定の関連をもうすこしつっこんで考えよう。
2023年01月16日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和3
●集団主義というすぐれた気質をもつ日本人
「民主主義を正しく機能させるには、死者にも投票権をあたえなければならない(『正統とは何か』)」といったのはチェスタトンだった。
世界は、現在ここにあるものではなく、昔からここにあったもので、歴史の産物である。空間的な存在ではなく、時間的な存在なので、現在、生きている人々だけで物事をきめてはならないというのである。
現在を生きる人々がおこなう意思表示が民主主義で、その意思表示に死者をくわえるのが保守思想である。そして、かつて生きていた人々がきめたことをまもるのが伝統で、詩人エリオットは「変えることはかんたんだが、伝統を相続するには相当な努力を要する」といったものである。
かつて二階俊博(元自民党幹事長)は皇室の皇位継承問題にからめて「男女平等の現在、男系相続にこだわるのはいかがか」と発言している。
皇室や国体、文化は、現在のみにかかる問題ではない。過去から未来へつながる普遍的な問題で、保守主義は、守旧派ではなく、普遍的なテーマが時流に押し流されるのを、身をもって防がなければならない。
現在のみを生きる人間は、理想的な共同体や社会、国家をつくることができない。人間をうごかしているのが理性ではなく、目の前の欲望だからで、その欲望を反映させるものが自由主義や個人主義、民主主義である。
その啓蒙主義的なイデオロギーに価値があったのは、革命のエネルギーがもえたぎっていた18世紀の市民革命の時代までである。歴史上、価値があって、現在も価値があるのは、イデオロギーではなく、調和という文化である。その文化が集団主義で、聖徳太子の「和をもって貴し(たっとし)となす(十七条憲法)」が和の心≠フ神髄として、いまもなお、日本人のなかに生きている。日本中の町が清潔で、日本人に人情があって親切、善意にあふれているのは集団主義だからで、法で規制されなくとも、身勝手やエゴイズム、わがままを自省する気質が日本人にはおのずとそなわっているのである。
●無軌道な自由を制限する人格や人徳、モラル
日本人は集団主義的という反省や自己批判が根強くゆきわたっている。その反動かどうか、個性や個人性がことさらにもちあげられて、じぶんらしさなどという意味不明なことばも流通している。
『集団主義という錯覚〜日本人論の思いちがいとその由来(東京大学名誉教授高野陽太郎)』に「日本人は集団主義的という認識はつくりだされたもの」とあって、集団主義が、逆説的に、民族的な欠陥としてあつかわれているが、集団主義は、長所であって、短所や欠点ではない。
集団主義は、他者や世間と共存する文化で、個人の利益と集団の利益を同等、あるいは、個人より集団の利益を重視する傾向をもつ。一方、個人主義は、個人の目標達成や自己実現、自己完結性を重視する文化で、集団の利益よりも個人の利益をもとめる。
西洋人が個人主義的になったのは、神と個人が信仰契約する16世紀のプロテスタンティズム以降である。それまで、世界は神のもので、じぶんは、神のシモベでしかなかった。だが、聖書をとおして、神と信仰契約するプロテスタンティズムによって、神から見られている個人が出現して、それが個人主義の萌芽となった。
日本に個人主義がうまれなかったのは、多神教で、信仰契約がなかったからである。天神地祇と自然・人間・社会環境(ミクロコスモス)に囲まれて一家眷属が生きてゆくのに個人性などどこからも要請されない。
もともと、個人主義は、世界原理に反している。世界には、個人主義や自由を収容する十分なスペースがないからである。したがって、最大多数が生きてゆくには、個人主義が制限されなければならない。それが、人格や人徳、モラルで、人間の根本は、集団主義に立っている。
集団主義が、愛や利他心、礼儀や尊敬心を土台にしているのは、いうまでもない。法や掟、同調圧力や忖度、空気(ニューマ)読みも必要で、個人主義や自由主義を野放しにして、国家がなりたつわけはないのである。
●自由も平等も、民主主義も集団主義
「他人に迷惑をかけないかぎりなにをやってもよい」と説く学者(池田清彦/早稲田大学名誉教授/フジテレビ「ホンマでっか!?TV」)もいるが、自由は個人のものではなく、他者と共存するための相互主観性の問題で、集団のものである。自由が個人のものならなにをやってもよいのはあたりまえで、集団のものだからこそ、他人に迷惑をかけないというゆるがせにできない鉄則がでてくるのである。
自由も平等も、民主主義も基本的人権も、他者との関係を土台にしている。
人間が人間らしく生きられるのは、集団性や関係性が成立しているかぎりにおいてで、したがって、自由は、制限されなければ、自由たりえない。
改革や規制緩和は歓迎だが、規制には反対というヒトが多いが、法治国家の根本は、法という規制で、六法はそのためにある。規制というガードレールがなければ、自由によって自由が殺されるというパラドックスが生じるのは、子どもにもわかる理屈である。
ところが、ルソー主義を盲信する多くの日本人は、人間は、自由になるほどシアワセになると信じてやまない。
自然状態では「万人の万人よる戦争がおきる」といったホッブズにたいしてルソーは「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鎖につながれている」と反駁した。ルソーやマルクス、フロイトがすきな日本人はルソーをうけいれたが、人間がうまれながらに自由だったのなら、うまれてすぐに立ち上がって辺りをかけまわっていたはずである。人間が単独で生きてゆけるまで十年以上かかる。それでも、自由というにはほど遠く、人間は、一生、じぶんという不自由な牢獄につながれたままなのである。
●新自由主義に破壊された資本主義の精神
自由主義経済も、自由を制限しなければ、破滅へむかうことになる。
企業形態がIT・AI関連に集中している現在、中国をふくめた世界経済の行く末を楽観することはできない。資本主義が不景気や不況、高インフレやデフォルトをこえた構造矛盾につきあたって、たちゆかなくなる可能性があるからである。企業収益がIT・AI企業に集中して、経済の空洞化と偏向がすすんでいるのである。
資本主義は、企業による利益収奪機関ではなく、生産と消費、雇用と金融をとおして、社会全体に富がつみあげられてゆくシステムで、社会的な善≠ナある。
日本の商道がめざしたのも、近江商人の売り手と買い手、世間の「三方良し」から江戸商道の合理性や徳や義で、代表的な人物に「堅く奢侈を禁ず。厳に倹約を心掛けよ」とした三井高利(越後屋/三井財閥)がいた。
ところが、現在の経済は、竹中平蔵に代表される「儲かりゃいい」の新自由主義で、これが世界的に蔓延して、レーニンが『帝国主義論』でいったような侵略経済が進行しつつある。グローバル化した経済は米中の両帝国に握られていて、中国からおしつけられた巨額債務(債務のワナ)を返済できずに国家が経済破綻したスリランカのようなケースまででてきた。
国家や国民をうるおす公器だった経済が、世界征服の道具になって、米中の毒牙がおよんでいない地域は、いまや、アフリカの一部だけになって、中国「一帯一路」の参加国も172か国(2021年)にふえた。
経済が利益の収奪構造や他国侵略の武器になって、国民生活が疲弊しているのにくわえて、麻薬と貧困、凶悪犯罪がはびこって、多くの国々が窮地に追いこまれている。
次回以降、旧植民地勢力などの動向見ふまえて、世界情勢を再点検してみよう。
「民主主義を正しく機能させるには、死者にも投票権をあたえなければならない(『正統とは何か』)」といったのはチェスタトンだった。
世界は、現在ここにあるものではなく、昔からここにあったもので、歴史の産物である。空間的な存在ではなく、時間的な存在なので、現在、生きている人々だけで物事をきめてはならないというのである。
現在を生きる人々がおこなう意思表示が民主主義で、その意思表示に死者をくわえるのが保守思想である。そして、かつて生きていた人々がきめたことをまもるのが伝統で、詩人エリオットは「変えることはかんたんだが、伝統を相続するには相当な努力を要する」といったものである。
かつて二階俊博(元自民党幹事長)は皇室の皇位継承問題にからめて「男女平等の現在、男系相続にこだわるのはいかがか」と発言している。
皇室や国体、文化は、現在のみにかかる問題ではない。過去から未来へつながる普遍的な問題で、保守主義は、守旧派ではなく、普遍的なテーマが時流に押し流されるのを、身をもって防がなければならない。
現在のみを生きる人間は、理想的な共同体や社会、国家をつくることができない。人間をうごかしているのが理性ではなく、目の前の欲望だからで、その欲望を反映させるものが自由主義や個人主義、民主主義である。
その啓蒙主義的なイデオロギーに価値があったのは、革命のエネルギーがもえたぎっていた18世紀の市民革命の時代までである。歴史上、価値があって、現在も価値があるのは、イデオロギーではなく、調和という文化である。その文化が集団主義で、聖徳太子の「和をもって貴し(たっとし)となす(十七条憲法)」が和の心≠フ神髄として、いまもなお、日本人のなかに生きている。日本中の町が清潔で、日本人に人情があって親切、善意にあふれているのは集団主義だからで、法で規制されなくとも、身勝手やエゴイズム、わがままを自省する気質が日本人にはおのずとそなわっているのである。
●無軌道な自由を制限する人格や人徳、モラル
日本人は集団主義的という反省や自己批判が根強くゆきわたっている。その反動かどうか、個性や個人性がことさらにもちあげられて、じぶんらしさなどという意味不明なことばも流通している。
『集団主義という錯覚〜日本人論の思いちがいとその由来(東京大学名誉教授高野陽太郎)』に「日本人は集団主義的という認識はつくりだされたもの」とあって、集団主義が、逆説的に、民族的な欠陥としてあつかわれているが、集団主義は、長所であって、短所や欠点ではない。
集団主義は、他者や世間と共存する文化で、個人の利益と集団の利益を同等、あるいは、個人より集団の利益を重視する傾向をもつ。一方、個人主義は、個人の目標達成や自己実現、自己完結性を重視する文化で、集団の利益よりも個人の利益をもとめる。
西洋人が個人主義的になったのは、神と個人が信仰契約する16世紀のプロテスタンティズム以降である。それまで、世界は神のもので、じぶんは、神のシモベでしかなかった。だが、聖書をとおして、神と信仰契約するプロテスタンティズムによって、神から見られている個人が出現して、それが個人主義の萌芽となった。
日本に個人主義がうまれなかったのは、多神教で、信仰契約がなかったからである。天神地祇と自然・人間・社会環境(ミクロコスモス)に囲まれて一家眷属が生きてゆくのに個人性などどこからも要請されない。
もともと、個人主義は、世界原理に反している。世界には、個人主義や自由を収容する十分なスペースがないからである。したがって、最大多数が生きてゆくには、個人主義が制限されなければならない。それが、人格や人徳、モラルで、人間の根本は、集団主義に立っている。
集団主義が、愛や利他心、礼儀や尊敬心を土台にしているのは、いうまでもない。法や掟、同調圧力や忖度、空気(ニューマ)読みも必要で、個人主義や自由主義を野放しにして、国家がなりたつわけはないのである。
●自由も平等も、民主主義も集団主義
「他人に迷惑をかけないかぎりなにをやってもよい」と説く学者(池田清彦/早稲田大学名誉教授/フジテレビ「ホンマでっか!?TV」)もいるが、自由は個人のものではなく、他者と共存するための相互主観性の問題で、集団のものである。自由が個人のものならなにをやってもよいのはあたりまえで、集団のものだからこそ、他人に迷惑をかけないというゆるがせにできない鉄則がでてくるのである。
自由も平等も、民主主義も基本的人権も、他者との関係を土台にしている。
人間が人間らしく生きられるのは、集団性や関係性が成立しているかぎりにおいてで、したがって、自由は、制限されなければ、自由たりえない。
改革や規制緩和は歓迎だが、規制には反対というヒトが多いが、法治国家の根本は、法という規制で、六法はそのためにある。規制というガードレールがなければ、自由によって自由が殺されるというパラドックスが生じるのは、子どもにもわかる理屈である。
ところが、ルソー主義を盲信する多くの日本人は、人間は、自由になるほどシアワセになると信じてやまない。
自然状態では「万人の万人よる戦争がおきる」といったホッブズにたいしてルソーは「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鎖につながれている」と反駁した。ルソーやマルクス、フロイトがすきな日本人はルソーをうけいれたが、人間がうまれながらに自由だったのなら、うまれてすぐに立ち上がって辺りをかけまわっていたはずである。人間が単独で生きてゆけるまで十年以上かかる。それでも、自由というにはほど遠く、人間は、一生、じぶんという不自由な牢獄につながれたままなのである。
●新自由主義に破壊された資本主義の精神
自由主義経済も、自由を制限しなければ、破滅へむかうことになる。
企業形態がIT・AI関連に集中している現在、中国をふくめた世界経済の行く末を楽観することはできない。資本主義が不景気や不況、高インフレやデフォルトをこえた構造矛盾につきあたって、たちゆかなくなる可能性があるからである。企業収益がIT・AI企業に集中して、経済の空洞化と偏向がすすんでいるのである。
資本主義は、企業による利益収奪機関ではなく、生産と消費、雇用と金融をとおして、社会全体に富がつみあげられてゆくシステムで、社会的な善≠ナある。
日本の商道がめざしたのも、近江商人の売り手と買い手、世間の「三方良し」から江戸商道の合理性や徳や義で、代表的な人物に「堅く奢侈を禁ず。厳に倹約を心掛けよ」とした三井高利(越後屋/三井財閥)がいた。
ところが、現在の経済は、竹中平蔵に代表される「儲かりゃいい」の新自由主義で、これが世界的に蔓延して、レーニンが『帝国主義論』でいったような侵略経済が進行しつつある。グローバル化した経済は米中の両帝国に握られていて、中国からおしつけられた巨額債務(債務のワナ)を返済できずに国家が経済破綻したスリランカのようなケースまででてきた。
国家や国民をうるおす公器だった経済が、世界征服の道具になって、米中の毒牙がおよんでいない地域は、いまや、アフリカの一部だけになって、中国「一帯一路」の参加国も172か国(2021年)にふえた。
経済が利益の収奪構造や他国侵略の武器になって、国民生活が疲弊しているのにくわえて、麻薬と貧困、凶悪犯罪がはびこって、多くの国々が窮地に追いこまれている。
次回以降、旧植民地勢力などの動向見ふまえて、世界情勢を再点検してみよう。
2023年01月04日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和2
●犯罪と麻薬、貧困がもたらす無政府状態
「世界の住みやすい国ランキング」の上位には、国土が小さく、人口が少ない先進国が多く、スイス、デンマーク、オランダ、フィンランド、オーストリアがトップ5を占めている。
主要国では、ドイツ(8位)、アメリカ(15位)、日本(17位)、イギリス(21位)、フランス(28位)がランキング入りしているが、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ(ブリックス5国)は30位の圏外におかれた。(NUMBEO/世界最大のデータベース)
それどころか、中国以外、国家の機能が十分にはたらいていない無政府状態とみなされている。
国家の仕組みや権力構造に問題があるのではない。
国家が国家たるべき諸条件をみたしていないのである。
現在、数十か国が内戦状態にあって、軍事衝突や反政府テロがくり返されているが、他に多くの国々も麻薬密売や武装ギャング、犯罪グループのバッコに苦しめられている。
ブラジルやインド、フィリピンやインドネシアなどでは、一般住宅街と隣接する巨大なスラム街を根城に、犯罪集団や麻薬組織がヤミの経済圏を形成して、警察と抗争をくり広げている。
世界の多くの国は、内乱やテロ、麻薬組織やギャングによる凶悪犯罪(殺人)の危機にさらされているばかりか、失業や貧困、スラム街(貧民窟)や難民問題をかかえて国家機能を失いかけている。
世界には、犯罪と麻薬、貧困による無政府状態≠ニいう体制が存在していたのである。
●独裁国家よりも少なかった民主主義国家
スウェーデンの独立研究機関が、世界の政治体制を4つの類型に分けた。
▽閉鎖型独裁/中国や北朝鮮、ミャンマーなどで、選挙における立候補の自由がない
▽選挙による独裁/ロシアやトルコ、インドなどで、選挙における立候補に制限がある
▽選挙による民主主義/ブラジルやインドネシア、モンゴルなどで、選挙における自由や権利が保障されている
▽自由民主主義/欧米や日本や韓国などで、普通選挙法のほか個人の権利や自由、法の下の平等、立法と裁判所による権力の制約などが約束されている
そして、同機関は、民主主義国家の人口が23億人対55・6億人の比率で独裁国家よりも少なかったと報じて世界に大きなショックをあたえた。
英オックスフォード大の国際統計サイト(「OWID」)も199か国を4つに分類して「自由民主主義(34か国)」と「選挙による民主主義(56か国)」の合計90か国にたいして「選挙による独裁(63か国)」と「閉鎖型独裁(46かカ国)」が合わせて109か国で、民主主義国家よりも独裁国家(権威主義的国家)な国の方の人口が多かったと報告している。
民主主義の劣勢は、別の方面からも上がっている。米シンクタンク「ピュー・リサーチセンター」の調査(2020年)によると、民主主義34か国の国民52%が「自国における民主主義の機能の仕方に不満がある」と回答し、満足と応えたのは過半数にみたない44%にとどまっている。
国際社会を「民主主義」と「独裁」の対比で見た場合、人口比も国民の支持も独裁側にあって、民主主義が人類最高の統治システムという結果にはなっていなかったのである。
●権威不在の民主主義と自由のない全体主義
民主主義は、中ソの共産主義と英米の自由主義へと分かたれて、共産主義は滅びた。自由主義も、新自由主義とリバタリアニズム(自由至上主義)、修正資本主義へと移行して、普遍的な影響力を失っている。
天安門広場に毛沢東の肖像を掲げる中国では、習近平政権がすでに3期目を迎え、プーチンのロシアは、スターリンの29年(1924〜1953年)につぐ独裁政権を維持、北朝鮮の金正恩と並んで、世界三大王朝政権を形成している。
ルソーのいったように、国民主権は、直接民主主義から共産主義をへて、ついに独裁体制になったのである。
アメリカも、間接民主主義の議会は無力で、公選制の大統領が大きな権力をもつ疑似独裁である。
国民主権と民主主義は、結局、独裁者が権力を掌握するための方法論でしかなかったのである。
民主主義が、世界中で、独裁に圧されているのは、民主主義が無力だったからである。
中国に、反政府軍やギャング団、麻薬組織やスラム街も存在しないのは、強権で叩きつぶしてしまうからで、世界の指導者が中国や北朝鮮、ミャンマーなどの「閉鎖型独裁」あるいはロシアやトルコ、インドなどの「選挙による独裁」を志向するのは当然だった。
どの国も、ギャング団や麻薬組織、貧困やスラム街はいらないのである。
民主主義が無力なのは、権威が不在だからで、権威がないところでは暴力や反乱、略奪や犯罪がおおっぴらになる。
かつて、日本が、道徳国家だったのは、天皇の権威の国だったからだった。
●第三勢力を交えて混沌とする体制問題
独裁国家は、権威主義的国家でもあって、民主主義と権威主義は相容れない。
民主主義国家は、権威主義を暴力革命で倒して成立した国家だからである。
じじつ、第二次世界大戦は、権威主義(日独)と民主主義(米ソ英仏)が覇権をあらそった戦争だった。
このとき、民主主義のルーズベルトと共産主義のスターリンが手をむすんだのは、共産主義と民主主義は、一卵性双生児だからで、共産主義や民主主義が独裁となるのは、ルソーがいったように、国民主権をあずかった為政者が主権者として全権を奮えるからである。
全権者は、大日本帝国憲法においては、天皇だったが、戦後の日本国憲法では国民となった。多くの日本人は、日本国民に主権があるというが、日本国民全員にあたえられた権利を個人が行使することはできない。明治憲法下、主権者だった天皇は一度も主権を行使しなかった。国家にそなわっている主権を天皇陛下という個人の資格で行使できなかったのである。
第二次大戦後、伝統(全体主義)と革命(民主主義)の思想戦が展開されたが、舞台となったのは、戦闘がおこなわれた中国や朝鮮半島、東欧やベトナムではなく、銃弾が一発もとびかうことがなかった日本だった。
日本の左翼は、資本主義や自由主義の恩恵をむさぼる一方、ルソーやマルクスを、思想や学問の祖として奉って、反国家と反伝統、国民主権、民主主義を叫んだ。
その結果、日本は、国をまもる気概をもった国民が10%(世界平均約70%)にみたない情けない国になってしまった。
じじつ、世界の国々では、政治家になる理由のトップが愛国心だが、日本の場合、国家や国民ではなく、民主主義をまもるために政治家になるという。
次回以降、第三勢力(AA会議/旧植民地)を視野に入れて、民主主義と全体主義の動向に目をむけていこう。
「世界の住みやすい国ランキング」の上位には、国土が小さく、人口が少ない先進国が多く、スイス、デンマーク、オランダ、フィンランド、オーストリアがトップ5を占めている。
主要国では、ドイツ(8位)、アメリカ(15位)、日本(17位)、イギリス(21位)、フランス(28位)がランキング入りしているが、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ(ブリックス5国)は30位の圏外におかれた。(NUMBEO/世界最大のデータベース)
それどころか、中国以外、国家の機能が十分にはたらいていない無政府状態とみなされている。
国家の仕組みや権力構造に問題があるのではない。
国家が国家たるべき諸条件をみたしていないのである。
現在、数十か国が内戦状態にあって、軍事衝突や反政府テロがくり返されているが、他に多くの国々も麻薬密売や武装ギャング、犯罪グループのバッコに苦しめられている。
ブラジルやインド、フィリピンやインドネシアなどでは、一般住宅街と隣接する巨大なスラム街を根城に、犯罪集団や麻薬組織がヤミの経済圏を形成して、警察と抗争をくり広げている。
世界の多くの国は、内乱やテロ、麻薬組織やギャングによる凶悪犯罪(殺人)の危機にさらされているばかりか、失業や貧困、スラム街(貧民窟)や難民問題をかかえて国家機能を失いかけている。
世界には、犯罪と麻薬、貧困による無政府状態≠ニいう体制が存在していたのである。
●独裁国家よりも少なかった民主主義国家
スウェーデンの独立研究機関が、世界の政治体制を4つの類型に分けた。
▽閉鎖型独裁/中国や北朝鮮、ミャンマーなどで、選挙における立候補の自由がない
▽選挙による独裁/ロシアやトルコ、インドなどで、選挙における立候補に制限がある
▽選挙による民主主義/ブラジルやインドネシア、モンゴルなどで、選挙における自由や権利が保障されている
▽自由民主主義/欧米や日本や韓国などで、普通選挙法のほか個人の権利や自由、法の下の平等、立法と裁判所による権力の制約などが約束されている
そして、同機関は、民主主義国家の人口が23億人対55・6億人の比率で独裁国家よりも少なかったと報じて世界に大きなショックをあたえた。
英オックスフォード大の国際統計サイト(「OWID」)も199か国を4つに分類して「自由民主主義(34か国)」と「選挙による民主主義(56か国)」の合計90か国にたいして「選挙による独裁(63か国)」と「閉鎖型独裁(46かカ国)」が合わせて109か国で、民主主義国家よりも独裁国家(権威主義的国家)な国の方の人口が多かったと報告している。
民主主義の劣勢は、別の方面からも上がっている。米シンクタンク「ピュー・リサーチセンター」の調査(2020年)によると、民主主義34か国の国民52%が「自国における民主主義の機能の仕方に不満がある」と回答し、満足と応えたのは過半数にみたない44%にとどまっている。
国際社会を「民主主義」と「独裁」の対比で見た場合、人口比も国民の支持も独裁側にあって、民主主義が人類最高の統治システムという結果にはなっていなかったのである。
●権威不在の民主主義と自由のない全体主義
民主主義は、中ソの共産主義と英米の自由主義へと分かたれて、共産主義は滅びた。自由主義も、新自由主義とリバタリアニズム(自由至上主義)、修正資本主義へと移行して、普遍的な影響力を失っている。
天安門広場に毛沢東の肖像を掲げる中国では、習近平政権がすでに3期目を迎え、プーチンのロシアは、スターリンの29年(1924〜1953年)につぐ独裁政権を維持、北朝鮮の金正恩と並んで、世界三大王朝政権を形成している。
ルソーのいったように、国民主権は、直接民主主義から共産主義をへて、ついに独裁体制になったのである。
アメリカも、間接民主主義の議会は無力で、公選制の大統領が大きな権力をもつ疑似独裁である。
国民主権と民主主義は、結局、独裁者が権力を掌握するための方法論でしかなかったのである。
民主主義が、世界中で、独裁に圧されているのは、民主主義が無力だったからである。
中国に、反政府軍やギャング団、麻薬組織やスラム街も存在しないのは、強権で叩きつぶしてしまうからで、世界の指導者が中国や北朝鮮、ミャンマーなどの「閉鎖型独裁」あるいはロシアやトルコ、インドなどの「選挙による独裁」を志向するのは当然だった。
どの国も、ギャング団や麻薬組織、貧困やスラム街はいらないのである。
民主主義が無力なのは、権威が不在だからで、権威がないところでは暴力や反乱、略奪や犯罪がおおっぴらになる。
かつて、日本が、道徳国家だったのは、天皇の権威の国だったからだった。
●第三勢力を交えて混沌とする体制問題
独裁国家は、権威主義的国家でもあって、民主主義と権威主義は相容れない。
民主主義国家は、権威主義を暴力革命で倒して成立した国家だからである。
じじつ、第二次世界大戦は、権威主義(日独)と民主主義(米ソ英仏)が覇権をあらそった戦争だった。
このとき、民主主義のルーズベルトと共産主義のスターリンが手をむすんだのは、共産主義と民主主義は、一卵性双生児だからで、共産主義や民主主義が独裁となるのは、ルソーがいったように、国民主権をあずかった為政者が主権者として全権を奮えるからである。
全権者は、大日本帝国憲法においては、天皇だったが、戦後の日本国憲法では国民となった。多くの日本人は、日本国民に主権があるというが、日本国民全員にあたえられた権利を個人が行使することはできない。明治憲法下、主権者だった天皇は一度も主権を行使しなかった。国家にそなわっている主権を天皇陛下という個人の資格で行使できなかったのである。
第二次大戦後、伝統(全体主義)と革命(民主主義)の思想戦が展開されたが、舞台となったのは、戦闘がおこなわれた中国や朝鮮半島、東欧やベトナムではなく、銃弾が一発もとびかうことがなかった日本だった。
日本の左翼は、資本主義や自由主義の恩恵をむさぼる一方、ルソーやマルクスを、思想や学問の祖として奉って、反国家と反伝統、国民主権、民主主義を叫んだ。
その結果、日本は、国をまもる気概をもった国民が10%(世界平均約70%)にみたない情けない国になってしまった。
じじつ、世界の国々では、政治家になる理由のトップが愛国心だが、日本の場合、国家や国民ではなく、民主主義をまもるために政治家になるという。
次回以降、第三勢力(AA会議/旧植民地)を視野に入れて、民主主義と全体主義の動向に目をむけていこう。
2022年12月18日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和1
●全体主義と民主主義は敵対関係にある?
最近、全体主義と民主主義の本質をえぐりだす二冊の書籍に出遭った。
京都産業大学名誉教授ロマノ・ヴルピッタの『ムッソリーニ/イタリア人の物語』と『民主主義の内なる敵(ツヴェタン・トドロフ)』である。
精読する根気がないので、ざっと拾い読みしただけだが、大方、エッセンスは読みとれた。
これまで、全体主義と民主主義は、敵対的な関係にあると思われてきた。
ところが、この二冊は、そんな認識に変更を迫ってくる。
ロマノによると、ムッソリーニは、全体主義をとおして国民の利益をえようとしたすぐれた政治家だったという。チャーチルやルーズベルト、レーニンや反全体主義のガンジーまでが、その政治哲学に深く感服したほか、ヒトラーも死ぬまでムッソリーニを尊敬してやまなかった。
ムッソリーニの全体主義が、いまもなお、イタリアで高い評価をえているのも、かれの全体主義が国家や国民の利益を見すえたすぐれた思想だったからであろう。
国家と国民は、国家が利益を獲得すれば国民が恩恵をうけ、国民がゆたかになれば国家も富むという相関関係にある。すぐれた指導者の下にあって全体の利益が個に還元される全体主義は、個々が勝手に利をむさぼる民主主義よりもゆたかだった可能性が高い。
一方、トドロフは、こう警鐘を鳴らした。民主主義が、進歩と自由、人民の暴走によって、悪しき全体主義へ傾いてゆくと、自由が権利、進歩が、たとえ個人のものであっても、大衆迎合化(ポピュリズム)に煽られて、全体主義へつきすすんでゆくはずである。まして、大衆は、マスメディアを味方につけているだけに、その傾向がはなはだ著しい。
全体主義をつきつめると、民主主義的になって、完全な民主主義をもとめると、全体主義に近づいてゆく。
これは、逆説だが、中国やロシアが民主主義を平然と口にする一方、新自由主義に走ったアメリカが全体主義の色合いを濃くしている現実をみれば、その逆説が、目下、着々とすすんでいるとわかる。
●二元論で解消された「個と全体の矛盾」
政治には「個と全体は矛盾する」という重大なテーゼ(命題)がある。
国民が民主主義に、国家が全体主義に立つと、国民と国家は、抗争の構図にまきこまれるが、両者の相克には、折り合いのメドが立たない。
これまで、多くの哲学者や政治家らが「個と全体の矛盾」という難問に取り組んできた。だが、どこからも妙案やよい知恵はでてこなかった。個と全体の矛盾は、だれにも解くことができない難問として、人類につきつけられたままなのである。
一つだけ例外があった。日本の天皇である。古来、日本の政治体制は権力の外に権威を立てる二元論によって、数千年にわたって安定的にまもられてきた。
国体と政体、軍事と文化、伝統と進歩など、本来、矛盾するものが二元論によって並び立ち、個と全体の矛盾が解消されたばかりか、相補的作用によって一元論よりも大きな果実を獲得してきた。
ハンチントン(『文明の衝突』)が、日本文明を世界八大文明の一つにくわえた理由の一つに古墳時代の独自の国家形成がある。君が臣を任じて、臣が民を治める「君臣共治」や、君が民の立場にたつ「君民一体」が日本に固有の文化文明をはぐくんできたというのである。
西洋の一元論と、日本の二元論や多元論の背景に、宗教のちがいがあるのはいうまでもない。
西洋の宗教は、ユダヤ教とキリスト教、イスラム教とも、唯一神ヤハウェの下にある一神教で、異神や異教を立てると、死をもって贖わなければならない重罪である。
一方、日本の宗教は、万物に精霊が宿るアニミズムや自然崇拝、神話にもとづく多神教で、神仏習合では、天照大神(日輪)が仏教の最高神、大日如来に見立てられた。
日本で、個と全体の矛盾が表面化しなかったのは、宗教まで諸仏(如来)が太陽(日輪)の下におかれたおおらかな二元論だったからである。
●自然は神から人間にあたえられた糧という傲慢
西洋の一元論に拍車をかけたのがキリスト教の人間中心℃蜍`だった。
人間主義は、ヒューマニズムで、人文思想である。
一方、人間中心主義は、宗教観念で、自然や生き物は、神が人間ために用意してくれた糧なので、いくら破壊しても殺してもゆるされるというおそろしい思想である。
これが西洋人の肉食の思想≠ナ、旧約聖書(「創世記」)には「海の魚、空の鳥、地を這う生き物を奪いつくせ」とある。古代(7世紀の天武天皇)から屠殺と肉食が禁じられていた自然崇拝の日本と西洋では、精神風土が根本的に異なるのである。
ところが、明治以降、日本にユダヤ・キリスト教文明が入ってくると、肉食とともに、他の動物を殺し、自然を徹底的に支配する人間中心主義がはびこりだした。
ヨーロッパやアメリカで森林が消滅したのは、人間中心主義のせいだったが、日本でも、明治以降、自然崇拝が忘れられて鎮守の森が消え、工場排水で国中の河川がずたずたになった。
人間中心主義は、神と信仰契約をむすぶ代償として神から人間に授与された地上の最高支配者の位である。
ところが、非キリスト教の日本には、絶対神信仰や神との契約という西洋の宗教感覚が存在しない。
したがって、日本の人間中心主義は、神への信仰なくして、食肉や自然破壊という神の恩恵をうける一方という身勝手なものになった。西洋化が、日本でグロテスクなものになっていったのは、キリスト教文明の恩恵をうけながら、唯一神にたいする畏れ(祈りやタブー)が存在しなかったからである。
そして、人間中心主義を、憲法で保障された基本的人権や自由のようにうけとめて、人間はこの世の崇高な支配者だ、自由には際限がない(リバタリアニズム)と考えるひとまでがあらわれた。
●プロテスタンティズムからうまれた革命思想
専制政治も民主主義も一元論だが、根底に、一神教のキリスト教がある。
絶対王権をささえたのは「王権神授説」だったが、その専制政治を破壊した民主主義の土台も、プロテスタンティズムだった。
全知全能の神という絶対的存在の前では、身分や階級、歴史や伝統にはなんの価値もない。価値があるのは、神と信仰契約をむすぶ個人だけで、その個人が民主主義の精神となった。
西洋の思想は、すべて、キリスト教の焼き直しだったのである。
近代民主主義の出発点となったのが英国のピューリタン革命だった。絶対王権をふるう国王チャールズ1世に反発して、内乱がおきると、クロムウェルが率いた独立派が勝利をおさめて、ついに、チャールズ1世を処刑してしまう。
フランス革命では、ブルボン朝のルイ16世と妃のマリー・アントワネットが共に処刑されたが、ギロチンで首を落された貴族が1万6594人、その他の方法で殺された旧体制の人々は50〜100万人にものぼる。
絶対王政や専制政治、宗教戦争や革命では、大量殺人がおこなわれる。一元論においては、神と悪魔のたたかいになるからで「十字軍の遠征」から植民地侵略にいたるまで延々と虐殺がくり返されてきたのは、一元論が、神と悪魔が永遠に否定しあう殺戮の論理≠セったからである。
ところが、日本には、キリスト教的な価値観が存在しない。
神との契約という個人主義や人権思想、民主主義の土壌も用意されていない。
したがって、西洋の概念が、内実のない上っ面のことばとして入ってくる。
西洋の概念は、すべて、啓蒙主義や宗教改革、市民革命の産物である。
日本の左翼はぺらぺらと言論の自由などをのべたてるが、西洋人の自由への渇望は、血と骨、遺伝子に刻みこまれた苦しみの記憶、牢獄と多くの屍に埋もれた千年の歴史をひきずっている。
日本人は、革命を知らない。したがって、自由や平等、進歩や人権といった革命の叫びやスローガンが、辞典の文字以上の意味をもって迫ってくることがない。
全体主義と民主主義、そして、天皇は、それぞれ歴史背景が異なっている。
この三つの概念が拠って立つ宗教や歴史、文化を体験的に理解しているのでなければ、全体主義も民主主義、そして、天皇も、これを語ることはできない。
全体主義と民主主義、そして、天皇が調和した国家像をいかに構築するか。
それが、現在、日本人にとってもっとも大きな問題になっているのである。
最近、全体主義と民主主義の本質をえぐりだす二冊の書籍に出遭った。
京都産業大学名誉教授ロマノ・ヴルピッタの『ムッソリーニ/イタリア人の物語』と『民主主義の内なる敵(ツヴェタン・トドロフ)』である。
精読する根気がないので、ざっと拾い読みしただけだが、大方、エッセンスは読みとれた。
これまで、全体主義と民主主義は、敵対的な関係にあると思われてきた。
ところが、この二冊は、そんな認識に変更を迫ってくる。
ロマノによると、ムッソリーニは、全体主義をとおして国民の利益をえようとしたすぐれた政治家だったという。チャーチルやルーズベルト、レーニンや反全体主義のガンジーまでが、その政治哲学に深く感服したほか、ヒトラーも死ぬまでムッソリーニを尊敬してやまなかった。
ムッソリーニの全体主義が、いまもなお、イタリアで高い評価をえているのも、かれの全体主義が国家や国民の利益を見すえたすぐれた思想だったからであろう。
国家と国民は、国家が利益を獲得すれば国民が恩恵をうけ、国民がゆたかになれば国家も富むという相関関係にある。すぐれた指導者の下にあって全体の利益が個に還元される全体主義は、個々が勝手に利をむさぼる民主主義よりもゆたかだった可能性が高い。
一方、トドロフは、こう警鐘を鳴らした。民主主義が、進歩と自由、人民の暴走によって、悪しき全体主義へ傾いてゆくと、自由が権利、進歩が、たとえ個人のものであっても、大衆迎合化(ポピュリズム)に煽られて、全体主義へつきすすんでゆくはずである。まして、大衆は、マスメディアを味方につけているだけに、その傾向がはなはだ著しい。
全体主義をつきつめると、民主主義的になって、完全な民主主義をもとめると、全体主義に近づいてゆく。
これは、逆説だが、中国やロシアが民主主義を平然と口にする一方、新自由主義に走ったアメリカが全体主義の色合いを濃くしている現実をみれば、その逆説が、目下、着々とすすんでいるとわかる。
●二元論で解消された「個と全体の矛盾」
政治には「個と全体は矛盾する」という重大なテーゼ(命題)がある。
国民が民主主義に、国家が全体主義に立つと、国民と国家は、抗争の構図にまきこまれるが、両者の相克には、折り合いのメドが立たない。
これまで、多くの哲学者や政治家らが「個と全体の矛盾」という難問に取り組んできた。だが、どこからも妙案やよい知恵はでてこなかった。個と全体の矛盾は、だれにも解くことができない難問として、人類につきつけられたままなのである。
一つだけ例外があった。日本の天皇である。古来、日本の政治体制は権力の外に権威を立てる二元論によって、数千年にわたって安定的にまもられてきた。
国体と政体、軍事と文化、伝統と進歩など、本来、矛盾するものが二元論によって並び立ち、個と全体の矛盾が解消されたばかりか、相補的作用によって一元論よりも大きな果実を獲得してきた。
ハンチントン(『文明の衝突』)が、日本文明を世界八大文明の一つにくわえた理由の一つに古墳時代の独自の国家形成がある。君が臣を任じて、臣が民を治める「君臣共治」や、君が民の立場にたつ「君民一体」が日本に固有の文化文明をはぐくんできたというのである。
西洋の一元論と、日本の二元論や多元論の背景に、宗教のちがいがあるのはいうまでもない。
西洋の宗教は、ユダヤ教とキリスト教、イスラム教とも、唯一神ヤハウェの下にある一神教で、異神や異教を立てると、死をもって贖わなければならない重罪である。
一方、日本の宗教は、万物に精霊が宿るアニミズムや自然崇拝、神話にもとづく多神教で、神仏習合では、天照大神(日輪)が仏教の最高神、大日如来に見立てられた。
日本で、個と全体の矛盾が表面化しなかったのは、宗教まで諸仏(如来)が太陽(日輪)の下におかれたおおらかな二元論だったからである。
●自然は神から人間にあたえられた糧という傲慢
西洋の一元論に拍車をかけたのがキリスト教の人間中心℃蜍`だった。
人間主義は、ヒューマニズムで、人文思想である。
一方、人間中心主義は、宗教観念で、自然や生き物は、神が人間ために用意してくれた糧なので、いくら破壊しても殺してもゆるされるというおそろしい思想である。
これが西洋人の肉食の思想≠ナ、旧約聖書(「創世記」)には「海の魚、空の鳥、地を這う生き物を奪いつくせ」とある。古代(7世紀の天武天皇)から屠殺と肉食が禁じられていた自然崇拝の日本と西洋では、精神風土が根本的に異なるのである。
ところが、明治以降、日本にユダヤ・キリスト教文明が入ってくると、肉食とともに、他の動物を殺し、自然を徹底的に支配する人間中心主義がはびこりだした。
ヨーロッパやアメリカで森林が消滅したのは、人間中心主義のせいだったが、日本でも、明治以降、自然崇拝が忘れられて鎮守の森が消え、工場排水で国中の河川がずたずたになった。
人間中心主義は、神と信仰契約をむすぶ代償として神から人間に授与された地上の最高支配者の位である。
ところが、非キリスト教の日本には、絶対神信仰や神との契約という西洋の宗教感覚が存在しない。
したがって、日本の人間中心主義は、神への信仰なくして、食肉や自然破壊という神の恩恵をうける一方という身勝手なものになった。西洋化が、日本でグロテスクなものになっていったのは、キリスト教文明の恩恵をうけながら、唯一神にたいする畏れ(祈りやタブー)が存在しなかったからである。
そして、人間中心主義を、憲法で保障された基本的人権や自由のようにうけとめて、人間はこの世の崇高な支配者だ、自由には際限がない(リバタリアニズム)と考えるひとまでがあらわれた。
●プロテスタンティズムからうまれた革命思想
専制政治も民主主義も一元論だが、根底に、一神教のキリスト教がある。
絶対王権をささえたのは「王権神授説」だったが、その専制政治を破壊した民主主義の土台も、プロテスタンティズムだった。
全知全能の神という絶対的存在の前では、身分や階級、歴史や伝統にはなんの価値もない。価値があるのは、神と信仰契約をむすぶ個人だけで、その個人が民主主義の精神となった。
西洋の思想は、すべて、キリスト教の焼き直しだったのである。
近代民主主義の出発点となったのが英国のピューリタン革命だった。絶対王権をふるう国王チャールズ1世に反発して、内乱がおきると、クロムウェルが率いた独立派が勝利をおさめて、ついに、チャールズ1世を処刑してしまう。
フランス革命では、ブルボン朝のルイ16世と妃のマリー・アントワネットが共に処刑されたが、ギロチンで首を落された貴族が1万6594人、その他の方法で殺された旧体制の人々は50〜100万人にものぼる。
絶対王政や専制政治、宗教戦争や革命では、大量殺人がおこなわれる。一元論においては、神と悪魔のたたかいになるからで「十字軍の遠征」から植民地侵略にいたるまで延々と虐殺がくり返されてきたのは、一元論が、神と悪魔が永遠に否定しあう殺戮の論理≠セったからである。
ところが、日本には、キリスト教的な価値観が存在しない。
神との契約という個人主義や人権思想、民主主義の土壌も用意されていない。
したがって、西洋の概念が、内実のない上っ面のことばとして入ってくる。
西洋の概念は、すべて、啓蒙主義や宗教改革、市民革命の産物である。
日本の左翼はぺらぺらと言論の自由などをのべたてるが、西洋人の自由への渇望は、血と骨、遺伝子に刻みこまれた苦しみの記憶、牢獄と多くの屍に埋もれた千年の歴史をひきずっている。
日本人は、革命を知らない。したがって、自由や平等、進歩や人権といった革命の叫びやスローガンが、辞典の文字以上の意味をもって迫ってくることがない。
全体主義と民主主義、そして、天皇は、それぞれ歴史背景が異なっている。
この三つの概念が拠って立つ宗教や歴史、文化を体験的に理解しているのでなければ、全体主義も民主主義、そして、天皇も、これを語ることはできない。
全体主義と民主主義、そして、天皇が調和した国家像をいかに構築するか。
それが、現在、日本人にとってもっとも大きな問題になっているのである。
2022年12月04日
学歴≠ニいう相対主義と天皇の絶対性
●知恵と知識の区別がつかない日本人
「人間は考える葦である」といったパスカルは「知恵は知識にまさる」という名言を残してもいる。
「進化論」のダーウィンや発明王のエジソン、相対性理論のアインシュタインは子ども時代、勉強ができなかったが、大発見や大発明、科学の分野で大功績をあげて、歴史に名を残した。
アインシュタインは「学校は知識をおしつけて、じぶんで考える知恵を害った」といって学校有害論を唱え、小学校を退校させられたエジソンは、無学な母親を家庭教師として、創造力という知恵を鍛え上げた。
アインシュタインは勉強が役に立たない理由を問われて「答えが用意されているから」と答えたが、多くの日本人は、アインシュタインの真意を理解できない。
アインシュタインは、答えを知ることも答えを暗記することも、死んでいる知識でしかない。答えのない問いにとりくんでこそ創造的な生きた知恵をえることができるといったのである。
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というエジソンのことばも曲解されている。小学校をやめさせられたエジソンの家庭教師となった母親のナンシーは、当時、まだ20歳代で、質問魔のエジソンになにも教えることができなかった。「じぶんでお考えなさい」というのがナンシーの口癖で、エジソンはナンシーのもとで、自由に考え、そして、ついに天才となった。
エジソンの努力は、発汗(パースピレーション)で、机にむかって勉強する努力とはほとんど反対の意味である。
●ユーラシア大陸の東端でうまれた独自の日本文明
日本人が、努力や勉強、知識をありがたがって、いまなお、東大神話を奉るのは、日本が極東の島国で、ユーラシア文化(シルクロード)の終着点だったからである。
日本人にとって、海をこえて、西からやってきた文物を受容することが文明文化だったのである。
だが、一万年前の縄文時代から、日本人は、独自の文化圏を形成した独自の民族で、ユーラシア大陸にとりこまれることがなく、移入したユーラシア文化を土台に国風&カ化をあみだしてきた。
仮名文字や宗派仏教、絵画や建築など、日本文化の原点は、たとえ、中国にあったとしても、それを取捨選択して、日本人は、巧みに独自の文化へつくりかえてきたのである。
その代表的な人物が聖徳太子で、律令体制や仏教を移入しながら中華思想や冊封制度を拒絶する一方、中国の皇帝に独立宣言を送りつけた。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
中国に隷属したのが、小中華思想のもとにあった朝鮮で、孔子の儒教を国家理念としたほか、政治制度も中国の制度をとって、科挙(官吏の採用試験)や宦官(官吏の去勢)の悪弊を導入したほか貢女(中国王朝に美女を献上)までおこなってへつらった。
中国や朝鮮、西洋の悪弊が日本に入ってこなかったのは、天皇がいたからである。
ハンチントン(『文明の衝突』)は、日本文明を世界八大文明の一つにくわえた理由の一つに、古墳時代の独自の国家形成をあげている。
●明治維新のヨーロッパ化と敗戦後のアメリカ化
日本が、文明の衝突によって、一大転機を迎えるのは、鎖国をやめて、国をひらいたあとである。
それが、明治維新のヨーロッパ化と第二次大戦敗戦後のアメリカ化である。
明治維新で、権威の座から権力の座に移された天皇は、昭和軍国主義で神格化されたが、敗戦後、占領軍によって、憲法という人為法(実定法・人定法)の下におかれた。
日本文明の基礎となる天皇が、有史以来、はじめて、ユーラシア文明である人為法に屈したのである。
絶対的な権威の下にあった伝統国家が、相対的な権力の下にある民主国家へ変容するのが革命である。
国連常任理事国の米英仏ロ中のほか、先進国のほとんどが革命国家で、伝統国家は天皇の国日本だけである。
明治維新の「文明開化」は西洋化で、欧米から学ぶことが大きな文化的価値となったが、第二次大戦敗戦後も同じことがおきた。GHQの神道指令や民主化、軍国主義や皇国史観の廃止、公職追放で勢いをえた左翼が、マルクス主義や民主主義、啓蒙主義などの西洋思想をもちこみ、これを最高の文化的規範としたのである。
外来思想は、すべて、相対的な価値で、みずからつちかったものではない。
したがって、学ばなければならないが、学ぶは真似ぶで、コピーすることでしかない。
大学の世界ランキングで、東大や京大が、トップのオックスフォードやケンブリッジ、ハーバードから大きく引き離されているのは、日本の学問は勉強で、西洋からマネぶことだったからである。
天皇が絶対というのは、歴史や民族、伝統文化の結晶だからである、
学歴主義が有害なのは、教師から学ぶ相対主義だからで、官吏登用のための科挙がいかに社会の発展を妨げてきたか、中国や朝鮮をみるまでもない。
科挙制度が国の発展を妨げたのは、学問が立身出世の手段となって、社会や国に貢献しなかったからである。
学力主義やテストなどの競争は、究極の個人主義で、個人を超越する天皇の資質として、もっとも不必要で、いまわしいものである。
●学歴主義を材料にした皇室への冒瀆記事
現在、日本は、偏差値やIQ神話、東大ブームで、テレビも、日夜、東大王やインテリ軍団と大騒ぎである。
テレビの視聴者が受験ママ≠ニかぶさっているからだが、これに週刊誌やネットがのって、学歴主義を材料にした皇室への冒瀆記事が出回っている。
▼「悠仁さま」初の「東大天皇」悲願の「紀子さま」が焦燥赤点危機≠ナ赤門赤信号?超進学校の授業に戸惑い 追い詰められ背伸びの*魔フ「学業」懸念(『週刊新潮』)
▼悠仁さま 名門・筑附で囁かれる成績不振…紀子さまの「学校選び」が裏目に(『女性自身』)
週刊誌のほか、匿名の上から目線≠フネットでは【悲報】悠仁、アホすぎて現国で赤点(5ちゃんねる)といった書き込みが沸騰しているが、その原因となったのが、秋篠宮さまが選択された筑波大附属高校への進学で、視野に東大推薦入学があるいわれる。
だが、学歴社会の象徴たる受験戦争の勝者になって、はたして、天皇の権威がまもられるであろうか。
悠仁親王のご教育については、皇室問題にとりくんできた小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授の指摘が的を射ている。「いまの悠仁さまにもとめられるのは立派な学歴ではなく、立派な人格を身につけ、将来の天皇のご自覚をおもちになることです。悠仁さまが歩まれている学歴のレールは、受験戦争のなかでも最も激しい場所へむかっている。競争社会の只中における受験校での生活においてこれからの時代に相応しい帝王学を学ばれ、将来のお立場についてお考えになるゆとりがあるか、心配でなりません」(週刊新潮)
次回以降、日本中がうかれている学歴主義が、かつて、日本を危機に陥れた近現代史についてもふれよう。
「人間は考える葦である」といったパスカルは「知恵は知識にまさる」という名言を残してもいる。
「進化論」のダーウィンや発明王のエジソン、相対性理論のアインシュタインは子ども時代、勉強ができなかったが、大発見や大発明、科学の分野で大功績をあげて、歴史に名を残した。
アインシュタインは「学校は知識をおしつけて、じぶんで考える知恵を害った」といって学校有害論を唱え、小学校を退校させられたエジソンは、無学な母親を家庭教師として、創造力という知恵を鍛え上げた。
アインシュタインは勉強が役に立たない理由を問われて「答えが用意されているから」と答えたが、多くの日本人は、アインシュタインの真意を理解できない。
アインシュタインは、答えを知ることも答えを暗記することも、死んでいる知識でしかない。答えのない問いにとりくんでこそ創造的な生きた知恵をえることができるといったのである。
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というエジソンのことばも曲解されている。小学校をやめさせられたエジソンの家庭教師となった母親のナンシーは、当時、まだ20歳代で、質問魔のエジソンになにも教えることができなかった。「じぶんでお考えなさい」というのがナンシーの口癖で、エジソンはナンシーのもとで、自由に考え、そして、ついに天才となった。
エジソンの努力は、発汗(パースピレーション)で、机にむかって勉強する努力とはほとんど反対の意味である。
●ユーラシア大陸の東端でうまれた独自の日本文明
日本人が、努力や勉強、知識をありがたがって、いまなお、東大神話を奉るのは、日本が極東の島国で、ユーラシア文化(シルクロード)の終着点だったからである。
日本人にとって、海をこえて、西からやってきた文物を受容することが文明文化だったのである。
だが、一万年前の縄文時代から、日本人は、独自の文化圏を形成した独自の民族で、ユーラシア大陸にとりこまれることがなく、移入したユーラシア文化を土台に国風&カ化をあみだしてきた。
仮名文字や宗派仏教、絵画や建築など、日本文化の原点は、たとえ、中国にあったとしても、それを取捨選択して、日本人は、巧みに独自の文化へつくりかえてきたのである。
その代表的な人物が聖徳太子で、律令体制や仏教を移入しながら中華思想や冊封制度を拒絶する一方、中国の皇帝に独立宣言を送りつけた。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
中国に隷属したのが、小中華思想のもとにあった朝鮮で、孔子の儒教を国家理念としたほか、政治制度も中国の制度をとって、科挙(官吏の採用試験)や宦官(官吏の去勢)の悪弊を導入したほか貢女(中国王朝に美女を献上)までおこなってへつらった。
中国や朝鮮、西洋の悪弊が日本に入ってこなかったのは、天皇がいたからである。
ハンチントン(『文明の衝突』)は、日本文明を世界八大文明の一つにくわえた理由の一つに、古墳時代の独自の国家形成をあげている。
●明治維新のヨーロッパ化と敗戦後のアメリカ化
日本が、文明の衝突によって、一大転機を迎えるのは、鎖国をやめて、国をひらいたあとである。
それが、明治維新のヨーロッパ化と第二次大戦敗戦後のアメリカ化である。
明治維新で、権威の座から権力の座に移された天皇は、昭和軍国主義で神格化されたが、敗戦後、占領軍によって、憲法という人為法(実定法・人定法)の下におかれた。
日本文明の基礎となる天皇が、有史以来、はじめて、ユーラシア文明である人為法に屈したのである。
絶対的な権威の下にあった伝統国家が、相対的な権力の下にある民主国家へ変容するのが革命である。
国連常任理事国の米英仏ロ中のほか、先進国のほとんどが革命国家で、伝統国家は天皇の国日本だけである。
明治維新の「文明開化」は西洋化で、欧米から学ぶことが大きな文化的価値となったが、第二次大戦敗戦後も同じことがおきた。GHQの神道指令や民主化、軍国主義や皇国史観の廃止、公職追放で勢いをえた左翼が、マルクス主義や民主主義、啓蒙主義などの西洋思想をもちこみ、これを最高の文化的規範としたのである。
外来思想は、すべて、相対的な価値で、みずからつちかったものではない。
したがって、学ばなければならないが、学ぶは真似ぶで、コピーすることでしかない。
大学の世界ランキングで、東大や京大が、トップのオックスフォードやケンブリッジ、ハーバードから大きく引き離されているのは、日本の学問は勉強で、西洋からマネぶことだったからである。
天皇が絶対というのは、歴史や民族、伝統文化の結晶だからである、
学歴主義が有害なのは、教師から学ぶ相対主義だからで、官吏登用のための科挙がいかに社会の発展を妨げてきたか、中国や朝鮮をみるまでもない。
科挙制度が国の発展を妨げたのは、学問が立身出世の手段となって、社会や国に貢献しなかったからである。
学力主義やテストなどの競争は、究極の個人主義で、個人を超越する天皇の資質として、もっとも不必要で、いまわしいものである。
●学歴主義を材料にした皇室への冒瀆記事
現在、日本は、偏差値やIQ神話、東大ブームで、テレビも、日夜、東大王やインテリ軍団と大騒ぎである。
テレビの視聴者が受験ママ≠ニかぶさっているからだが、これに週刊誌やネットがのって、学歴主義を材料にした皇室への冒瀆記事が出回っている。
▼「悠仁さま」初の「東大天皇」悲願の「紀子さま」が焦燥赤点危機≠ナ赤門赤信号?超進学校の授業に戸惑い 追い詰められ背伸びの*魔フ「学業」懸念(『週刊新潮』)
▼悠仁さま 名門・筑附で囁かれる成績不振…紀子さまの「学校選び」が裏目に(『女性自身』)
週刊誌のほか、匿名の上から目線≠フネットでは【悲報】悠仁、アホすぎて現国で赤点(5ちゃんねる)といった書き込みが沸騰しているが、その原因となったのが、秋篠宮さまが選択された筑波大附属高校への進学で、視野に東大推薦入学があるいわれる。
だが、学歴社会の象徴たる受験戦争の勝者になって、はたして、天皇の権威がまもられるであろうか。
悠仁親王のご教育については、皇室問題にとりくんできた小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授の指摘が的を射ている。「いまの悠仁さまにもとめられるのは立派な学歴ではなく、立派な人格を身につけ、将来の天皇のご自覚をおもちになることです。悠仁さまが歩まれている学歴のレールは、受験戦争のなかでも最も激しい場所へむかっている。競争社会の只中における受験校での生活においてこれからの時代に相応しい帝王学を学ばれ、将来のお立場についてお考えになるゆとりがあるか、心配でなりません」(週刊新潮)
次回以降、日本中がうかれている学歴主義が、かつて、日本を危機に陥れた近現代史についてもふれよう。