2023年01月16日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和3

 ●集団主義というすぐれた気質をもつ日本人
「民主主義を正しく機能させるには、死者にも投票権をあたえなければならない(『正統とは何か』)」といったのはチェスタトンだった。
 世界は、現在ここにあるものではなく、昔からここにあったもので、歴史の産物である。空間的な存在ではなく、時間的な存在なので、現在、生きている人々だけで物事をきめてはならないというのである。
 現在を生きる人々がおこなう意思表示が民主主義で、その意思表示に死者をくわえるのが保守思想である。そして、かつて生きていた人々がきめたことをまもるのが伝統で、詩人エリオットは「変えることはかんたんだが、伝統を相続するには相当な努力を要する」といったものである。
 かつて二階俊博(元自民党幹事長)は皇室の皇位継承問題にからめて「男女平等の現在、男系相続にこだわるのはいかがか」と発言している。
 皇室や国体、文化は、現在のみにかかる問題ではない。過去から未来へつながる普遍的な問題で、保守主義は、守旧派ではなく、普遍的なテーマが時流に押し流されるのを、身をもって防がなければならない。
 現在のみを生きる人間は、理想的な共同体や社会、国家をつくることができない。人間をうごかしているのが理性ではなく、目の前の欲望だからで、その欲望を反映させるものが自由主義や個人主義、民主主義である。
 その啓蒙主義的なイデオロギーに価値があったのは、革命のエネルギーがもえたぎっていた18世紀の市民革命の時代までである。歴史上、価値があって、現在も価値があるのは、イデオロギーではなく、調和という文化である。その文化が集団主義で、聖徳太子の「和をもって貴し(たっとし)となす(十七条憲法)」が和の心≠フ神髄として、いまもなお、日本人のなかに生きている。日本中の町が清潔で、日本人に人情があって親切、善意にあふれているのは集団主義だからで、法で規制されなくとも、身勝手やエゴイズム、わがままを自省する気質が日本人にはおのずとそなわっているのである。

 ●無軌道な自由を制限する人格や人徳、モラル
 日本人は集団主義的という反省や自己批判が根強くゆきわたっている。その反動かどうか、個性や個人性がことさらにもちあげられて、じぶんらしさなどという意味不明なことばも流通している。
『集団主義という錯覚〜日本人論の思いちがいとその由来(東京大学名誉教授高野陽太郎)』に「日本人は集団主義的という認識はつくりだされたもの」とあって、集団主義が、逆説的に、民族的な欠陥としてあつかわれているが、集団主義は、長所であって、短所や欠点ではない。
 集団主義は、他者や世間と共存する文化で、個人の利益と集団の利益を同等、あるいは、個人より集団の利益を重視する傾向をもつ。一方、個人主義は、個人の目標達成や自己実現、自己完結性を重視する文化で、集団の利益よりも個人の利益をもとめる。
 西洋人が個人主義的になったのは、神と個人が信仰契約する16世紀のプロテスタンティズム以降である。それまで、世界は神のもので、じぶんは、神のシモベでしかなかった。だが、聖書をとおして、神と信仰契約するプロテスタンティズムによって、神から見られている個人が出現して、それが個人主義の萌芽となった。
 日本に個人主義がうまれなかったのは、多神教で、信仰契約がなかったからである。天神地祇と自然・人間・社会環境(ミクロコスモス)に囲まれて一家眷属が生きてゆくのに個人性などどこからも要請されない。
 もともと、個人主義は、世界原理に反している。世界には、個人主義や自由を収容する十分なスペースがないからである。したがって、最大多数が生きてゆくには、個人主義が制限されなければならない。それが、人格や人徳、モラルで、人間の根本は、集団主義に立っている。
 集団主義が、愛や利他心、礼儀や尊敬心を土台にしているのは、いうまでもない。法や掟、同調圧力や忖度、空気(ニューマ)読みも必要で、個人主義や自由主義を野放しにして、国家がなりたつわけはないのである。
 
 ●自由も平等も、民主主義も集団主義
「他人に迷惑をかけないかぎりなにをやってもよい」と説く学者(池田清彦/早稲田大学名誉教授/フジテレビ「ホンマでっか!?TV」)もいるが、自由は個人のものではなく、他者と共存するための相互主観性の問題で、集団のものである。自由が個人のものならなにをやってもよいのはあたりまえで、集団のものだからこそ、他人に迷惑をかけないというゆるがせにできない鉄則がでてくるのである。
 自由も平等も、民主主義も基本的人権も、他者との関係を土台にしている。
 人間が人間らしく生きられるのは、集団性や関係性が成立しているかぎりにおいてで、したがって、自由は、制限されなければ、自由たりえない。
 改革や規制緩和は歓迎だが、規制には反対というヒトが多いが、法治国家の根本は、法という規制で、六法はそのためにある。規制というガードレールがなければ、自由によって自由が殺されるというパラドックスが生じるのは、子どもにもわかる理屈である。
 ところが、ルソー主義を盲信する多くの日本人は、人間は、自由になるほどシアワセになると信じてやまない。
 自然状態では「万人の万人よる戦争がおきる」といったホッブズにたいしてルソーは「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鎖につながれている」と反駁した。ルソーやマルクス、フロイトがすきな日本人はルソーをうけいれたが、人間がうまれながらに自由だったのなら、うまれてすぐに立ち上がって辺りをかけまわっていたはずである。人間が単独で生きてゆけるまで十年以上かかる。それでも、自由というにはほど遠く、人間は、一生、じぶんという不自由な牢獄につながれたままなのである。

 ●新自由主義に破壊された資本主義の精神
 自由主義経済も、自由を制限しなければ、破滅へむかうことになる。
 企業形態がIT・AI関連に集中している現在、中国をふくめた世界経済の行く末を楽観することはできない。資本主義が不景気や不況、高インフレやデフォルトをこえた構造矛盾につきあたって、たちゆかなくなる可能性があるからである。企業収益がIT・AI企業に集中して、経済の空洞化と偏向がすすんでいるのである。
 資本主義は、企業による利益収奪機関ではなく、生産と消費、雇用と金融をとおして、社会全体に富がつみあげられてゆくシステムで、社会的な善≠ナある。
 日本の商道がめざしたのも、近江商人の売り手と買い手、世間の「三方良し」から江戸商道の合理性や徳や義で、代表的な人物に「堅く奢侈を禁ず。厳に倹約を心掛けよ」とした三井高利(越後屋/三井財閥)がいた。
 ところが、現在の経済は、竹中平蔵に代表される「儲かりゃいい」の新自由主義で、これが世界的に蔓延して、レーニンが『帝国主義論』でいったような侵略経済が進行しつつある。グローバル化した経済は米中の両帝国に握られていて、中国からおしつけられた巨額債務(債務のワナ)を返済できずに国家が経済破綻したスリランカのようなケースまででてきた。
 国家や国民をうるおす公器だった経済が、世界征服の道具になって、米中の毒牙がおよんでいない地域は、いまや、アフリカの一部だけになって、中国「一帯一路」の参加国も172か国(2021年)にふえた。
 経済が利益の収奪構造や他国侵略の武器になって、国民生活が疲弊しているのにくわえて、麻薬と貧困、凶悪犯罪がはびこって、多くの国々が窮地に追いこまれている。
 次回以降、旧植民地勢力などの動向見ふまえて、世界情勢を再点検してみよう。
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2023年01月04日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和2

 ●犯罪と麻薬、貧困がもたらす無政府状態
「世界の住みやすい国ランキング」の上位には、国土が小さく、人口が少ない先進国が多く、スイス、デンマーク、オランダ、フィンランド、オーストリアがトップ5を占めている。
 主要国では、ドイツ(8位)、アメリカ(15位)、日本(17位)、イギリス(21位)、フランス(28位)がランキング入りしているが、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ(ブリックス5国)は30位の圏外におかれた。(NUMBEO/世界最大のデータベース)
 それどころか、中国以外、国家の機能が十分にはたらいていない無政府状態とみなされている。
 国家の仕組みや権力構造に問題があるのではない。
 国家が国家たるべき諸条件をみたしていないのである。
 現在、数十か国が内戦状態にあって、軍事衝突や反政府テロがくり返されているが、他に多くの国々も麻薬密売や武装ギャング、犯罪グループのバッコに苦しめられている。
 ブラジルやインド、フィリピンやインドネシアなどでは、一般住宅街と隣接する巨大なスラム街を根城に、犯罪集団や麻薬組織がヤミの経済圏を形成して、警察と抗争をくり広げている。
 世界の多くの国は、内乱やテロ、麻薬組織やギャングによる凶悪犯罪(殺人)の危機にさらされているばかりか、失業や貧困、スラム街(貧民窟)や難民問題をかかえて国家機能を失いかけている。
 世界には、犯罪と麻薬、貧困による無政府状態≠ニいう体制が存在していたのである。

 ●独裁国家よりも少なかった民主主義国家
 スウェーデンの独立研究機関が、世界の政治体制を4つの類型に分けた。
 ▽閉鎖型独裁/中国や北朝鮮、ミャンマーなどで、選挙における立候補の自由がない
 ▽選挙による独裁/ロシアやトルコ、インドなどで、選挙における立候補に制限がある
 ▽選挙による民主主義/ブラジルやインドネシア、モンゴルなどで、選挙における自由や権利が保障されている
 ▽自由民主主義/欧米や日本や韓国などで、普通選挙法のほか個人の権利や自由、法の下の平等、立法と裁判所による権力の制約などが約束されている
 そして、同機関は、民主主義国家の人口が23億人対55・6億人の比率で独裁国家よりも少なかったと報じて世界に大きなショックをあたえた。
 英オックスフォード大の国際統計サイト(「OWID」)も199か国を4つに分類して「自由民主主義(34か国)」と「選挙による民主主義(56か国)」の合計90か国にたいして「選挙による独裁(63か国)」と「閉鎖型独裁(46かカ国)」が合わせて109か国で、民主主義国家よりも独裁国家(権威主義的国家)な国の方の人口が多かったと報告している。
 民主主義の劣勢は、別の方面からも上がっている。米シンクタンク「ピュー・リサーチセンター」の調査(2020年)によると、民主主義34か国の国民52%が「自国における民主主義の機能の仕方に不満がある」と回答し、満足と応えたのは過半数にみたない44%にとどまっている。
 国際社会を「民主主義」と「独裁」の対比で見た場合、人口比も国民の支持も独裁側にあって、民主主義が人類最高の統治システムという結果にはなっていなかったのである。
 
 ●権威不在の民主主義と自由のない全体主義
 民主主義は、中ソの共産主義と英米の自由主義へと分かたれて、共産主義は滅びた。自由主義も、新自由主義とリバタリアニズム(自由至上主義)、修正資本主義へと移行して、普遍的な影響力を失っている。
 天安門広場に毛沢東の肖像を掲げる中国では、習近平政権がすでに3期目を迎え、プーチンのロシアは、スターリンの29年(1924〜1953年)につぐ独裁政権を維持、北朝鮮の金正恩と並んで、世界三大王朝政権を形成している。
 ルソーのいったように、国民主権は、直接民主主義から共産主義をへて、ついに独裁体制になったのである。
 アメリカも、間接民主主義の議会は無力で、公選制の大統領が大きな権力をもつ疑似独裁である。
 国民主権と民主主義は、結局、独裁者が権力を掌握するための方法論でしかなかったのである。
 民主主義が、世界中で、独裁に圧されているのは、民主主義が無力だったからである。
 中国に、反政府軍やギャング団、麻薬組織やスラム街も存在しないのは、強権で叩きつぶしてしまうからで、世界の指導者が中国や北朝鮮、ミャンマーなどの「閉鎖型独裁」あるいはロシアやトルコ、インドなどの「選挙による独裁」を志向するのは当然だった。
 どの国も、ギャング団や麻薬組織、貧困やスラム街はいらないのである。
 民主主義が無力なのは、権威が不在だからで、権威がないところでは暴力や反乱、略奪や犯罪がおおっぴらになる。
 かつて、日本が、道徳国家だったのは、天皇の権威の国だったからだった。
 
 ●第三勢力を交えて混沌とする体制問題
 独裁国家は、権威主義的国家でもあって、民主主義と権威主義は相容れない。
 民主主義国家は、権威主義を暴力革命で倒して成立した国家だからである。
 じじつ、第二次世界大戦は、権威主義(日独)と民主主義(米ソ英仏)が覇権をあらそった戦争だった。
 このとき、民主主義のルーズベルトと共産主義のスターリンが手をむすんだのは、共産主義と民主主義は、一卵性双生児だからで、共産主義や民主主義が独裁となるのは、ルソーがいったように、国民主権をあずかった為政者が主権者として全権を奮えるからである。
 全権者は、大日本帝国憲法においては、天皇だったが、戦後の日本国憲法では国民となった。多くの日本人は、日本国民に主権があるというが、日本国民全員にあたえられた権利を個人が行使することはできない。明治憲法下、主権者だった天皇は一度も主権を行使しなかった。国家にそなわっている主権を天皇陛下という個人の資格で行使できなかったのである。
 第二次大戦後、伝統(全体主義)と革命(民主主義)の思想戦が展開されたが、舞台となったのは、戦闘がおこなわれた中国や朝鮮半島、東欧やベトナムではなく、銃弾が一発もとびかうことがなかった日本だった。
 日本の左翼は、資本主義や自由主義の恩恵をむさぼる一方、ルソーやマルクスを、思想や学問の祖として奉って、反国家と反伝統、国民主権、民主主義を叫んだ。
 その結果、日本は、国をまもる気概をもった国民が10%(世界平均約70%)にみたない情けない国になってしまった。
 じじつ、世界の国々では、政治家になる理由のトップが愛国心だが、日本の場合、国家や国民ではなく、民主主義をまもるために政治家になるという。
 次回以降、第三勢力(AA会議/旧植民地)を視野に入れて、民主主義と全体主義の動向に目をむけていこう。
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2022年12月18日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和1

 ●全体主義と民主主義は敵対関係にある?
 最近、全体主義と民主主義の本質をえぐりだす二冊の書籍に出遭った。
 京都産業大学名誉教授ロマノ・ヴルピッタの『ムッソリーニ/イタリア人の物語』と『民主主義の内なる敵(ツヴェタン・トドロフ)』である。
 精読する根気がないので、ざっと拾い読みしただけだが、大方、エッセンスは読みとれた。
 これまで、全体主義と民主主義は、敵対的な関係にあると思われてきた。
 ところが、この二冊は、そんな認識に変更を迫ってくる。
 ロマノによると、ムッソリーニは、全体主義をとおして国民の利益をえようとしたすぐれた政治家だったという。チャーチルやルーズベルト、レーニンや反全体主義のガンジーまでが、その政治哲学に深く感服したほか、ヒトラーも死ぬまでムッソリーニを尊敬してやまなかった。
 ムッソリーニの全体主義が、いまもなお、イタリアで高い評価をえているのも、かれの全体主義が国家や国民の利益を見すえたすぐれた思想だったからであろう。
 国家と国民は、国家が利益を獲得すれば国民が恩恵をうけ、国民がゆたかになれば国家も富むという相関関係にある。すぐれた指導者の下にあって全体の利益が個に還元される全体主義は、個々が勝手に利をむさぼる民主主義よりもゆたかだった可能性が高い。
 一方、トドロフは、こう警鐘を鳴らした。民主主義が、進歩と自由、人民の暴走によって、悪しき全体主義へ傾いてゆくと、自由が権利、進歩が、たとえ個人のものであっても、大衆迎合化(ポピュリズム)に煽られて、全体主義へつきすすんでゆくはずである。まして、大衆は、マスメディアを味方につけているだけに、その傾向がはなはだ著しい。
全体主義をつきつめると、民主主義的になって、完全な民主主義をもとめると、全体主義に近づいてゆく。
 これは、逆説だが、中国やロシアが民主主義を平然と口にする一方、新自由主義に走ったアメリカが全体主義の色合いを濃くしている現実をみれば、その逆説が、目下、着々とすすんでいるとわかる。

 ●二元論で解消された「個と全体の矛盾」
 政治には「個と全体は矛盾する」という重大なテーゼ(命題)がある。
 国民が民主主義に、国家が全体主義に立つと、国民と国家は、抗争の構図にまきこまれるが、両者の相克には、折り合いのメドが立たない。
 これまで、多くの哲学者や政治家らが「個と全体の矛盾」という難問に取り組んできた。だが、どこからも妙案やよい知恵はでてこなかった。個と全体の矛盾は、だれにも解くことができない難問として、人類につきつけられたままなのである。
 一つだけ例外があった。日本の天皇である。古来、日本の政治体制は権力の外に権威を立てる二元論によって、数千年にわたって安定的にまもられてきた。
 国体と政体、軍事と文化、伝統と進歩など、本来、矛盾するものが二元論によって並び立ち、個と全体の矛盾が解消されたばかりか、相補的作用によって一元論よりも大きな果実を獲得してきた。
 ハンチントン(『文明の衝突』)が、日本文明を世界八大文明の一つにくわえた理由の一つに古墳時代の独自の国家形成がある。君が臣を任じて、臣が民を治める「君臣共治」や、君が民の立場にたつ「君民一体」が日本に固有の文化文明をはぐくんできたというのである。
 西洋の一元論と、日本の二元論や多元論の背景に、宗教のちがいがあるのはいうまでもない。
 西洋の宗教は、ユダヤ教とキリスト教、イスラム教とも、唯一神ヤハウェの下にある一神教で、異神や異教を立てると、死をもって贖わなければならない重罪である。
 一方、日本の宗教は、万物に精霊が宿るアニミズムや自然崇拝、神話にもとづく多神教で、神仏習合では、天照大神(日輪)が仏教の最高神、大日如来に見立てられた。
 日本で、個と全体の矛盾が表面化しなかったのは、宗教まで諸仏(如来)が太陽(日輪)の下におかれたおおらかな二元論だったからである。

 ●自然は神から人間にあたえられた糧という傲慢
 西洋の一元論に拍車をかけたのがキリスト教の人間中心℃蜍`だった。
 人間主義は、ヒューマニズムで、人文思想である。
 一方、人間中心主義は、宗教観念で、自然や生き物は、神が人間ために用意してくれた糧なので、いくら破壊しても殺してもゆるされるというおそろしい思想である。
 これが西洋人の肉食の思想≠ナ、旧約聖書(「創世記」)には「海の魚、空の鳥、地を這う生き物を奪いつくせ」とある。古代(7世紀の天武天皇)から屠殺と肉食が禁じられていた自然崇拝の日本と西洋では、精神風土が根本的に異なるのである。
 ところが、明治以降、日本にユダヤ・キリスト教文明が入ってくると、肉食とともに、他の動物を殺し、自然を徹底的に支配する人間中心主義がはびこりだした。
 ヨーロッパやアメリカで森林が消滅したのは、人間中心主義のせいだったが、日本でも、明治以降、自然崇拝が忘れられて鎮守の森が消え、工場排水で国中の河川がずたずたになった。
 人間中心主義は、神と信仰契約をむすぶ代償として神から人間に授与された地上の最高支配者の位である。
 ところが、非キリスト教の日本には、絶対神信仰や神との契約という西洋の宗教感覚が存在しない。
 したがって、日本の人間中心主義は、神への信仰なくして、食肉や自然破壊という神の恩恵をうける一方という身勝手なものになった。西洋化が、日本でグロテスクなものになっていったのは、キリスト教文明の恩恵をうけながら、唯一神にたいする畏れ(祈りやタブー)が存在しなかったからである。
 そして、人間中心主義を、憲法で保障された基本的人権や自由のようにうけとめて、人間はこの世の崇高な支配者だ、自由には際限がない(リバタリアニズム)と考えるひとまでがあらわれた。

 ●プロテスタンティズムからうまれた革命思想
 専制政治も民主主義も一元論だが、根底に、一神教のキリスト教がある。
 絶対王権をささえたのは「王権神授説」だったが、その専制政治を破壊した民主主義の土台も、プロテスタンティズムだった。
 全知全能の神という絶対的存在の前では、身分や階級、歴史や伝統にはなんの価値もない。価値があるのは、神と信仰契約をむすぶ個人だけで、その個人が民主主義の精神となった。
 西洋の思想は、すべて、キリスト教の焼き直しだったのである。
 近代民主主義の出発点となったのが英国のピューリタン革命だった。絶対王権をふるう国王チャールズ1世に反発して、内乱がおきると、クロムウェルが率いた独立派が勝利をおさめて、ついに、チャールズ1世を処刑してしまう。
 フランス革命では、ブルボン朝のルイ16世と妃のマリー・アントワネットが共に処刑されたが、ギロチンで首を落された貴族が1万6594人、その他の方法で殺された旧体制の人々は50〜100万人にものぼる。
 絶対王政や専制政治、宗教戦争や革命では、大量殺人がおこなわれる。一元論においては、神と悪魔のたたかいになるからで「十字軍の遠征」から植民地侵略にいたるまで延々と虐殺がくり返されてきたのは、一元論が、神と悪魔が永遠に否定しあう殺戮の論理≠セったからである。
 ところが、日本には、キリスト教的な価値観が存在しない。
 神との契約という個人主義や人権思想、民主主義の土壌も用意されていない。
 したがって、西洋の概念が、内実のない上っ面のことばとして入ってくる。
 西洋の概念は、すべて、啓蒙主義や宗教改革、市民革命の産物である。
 日本の左翼はぺらぺらと言論の自由などをのべたてるが、西洋人の自由への渇望は、血と骨、遺伝子に刻みこまれた苦しみの記憶、牢獄と多くの屍に埋もれた千年の歴史をひきずっている。
 日本人は、革命を知らない。したがって、自由や平等、進歩や人権といった革命の叫びやスローガンが、辞典の文字以上の意味をもって迫ってくることがない。
 全体主義と民主主義、そして、天皇は、それぞれ歴史背景が異なっている。
 この三つの概念が拠って立つ宗教や歴史、文化を体験的に理解しているのでなければ、全体主義も民主主義、そして、天皇も、これを語ることはできない。
 全体主義と民主主義、そして、天皇が調和した国家像をいかに構築するか。
 それが、現在、日本人にとってもっとも大きな問題になっているのである。


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2022年12月04日

 学歴≠ニいう相対主義と天皇の絶対性

 ●知恵と知識の区別がつかない日本人
「人間は考える葦である」といったパスカルは「知恵は知識にまさる」という名言を残してもいる。
「進化論」のダーウィンや発明王のエジソン、相対性理論のアインシュタインは子ども時代、勉強ができなかったが、大発見や大発明、科学の分野で大功績をあげて、歴史に名を残した。
 アインシュタインは「学校は知識をおしつけて、じぶんで考える知恵を害った」といって学校有害論を唱え、小学校を退校させられたエジソンは、無学な母親を家庭教師として、創造力という知恵を鍛え上げた。
 アインシュタインは勉強が役に立たない理由を問われて「答えが用意されているから」と答えたが、多くの日本人は、アインシュタインの真意を理解できない。
 アインシュタインは、答えを知ることも答えを暗記することも、死んでいる知識でしかない。答えのない問いにとりくんでこそ創造的な生きた知恵をえることができるといったのである。
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というエジソンのことばも曲解されている。小学校をやめさせられたエジソンの家庭教師となった母親のナンシーは、当時、まだ20歳代で、質問魔のエジソンになにも教えることができなかった。「じぶんでお考えなさい」というのがナンシーの口癖で、エジソンはナンシーのもとで、自由に考え、そして、ついに天才となった。
 エジソンの努力は、発汗(パースピレーション)で、机にむかって勉強する努力とはほとんど反対の意味である。

 ●ユーラシア大陸の東端でうまれた独自の日本文明
 日本人が、努力や勉強、知識をありがたがって、いまなお、東大神話を奉るのは、日本が極東の島国で、ユーラシア文化(シルクロード)の終着点だったからである。
 日本人にとって、海をこえて、西からやってきた文物を受容することが文明文化だったのである。
 だが、一万年前の縄文時代から、日本人は、独自の文化圏を形成した独自の民族で、ユーラシア大陸にとりこまれることがなく、移入したユーラシア文化を土台に国風&カ化をあみだしてきた。
 仮名文字や宗派仏教、絵画や建築など、日本文化の原点は、たとえ、中国にあったとしても、それを取捨選択して、日本人は、巧みに独自の文化へつくりかえてきたのである。
 その代表的な人物が聖徳太子で、律令体制や仏教を移入しながら中華思想や冊封制度を拒絶する一方、中国の皇帝に独立宣言を送りつけた。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
 中国に隷属したのが、小中華思想のもとにあった朝鮮で、孔子の儒教を国家理念としたほか、政治制度も中国の制度をとって、科挙(官吏の採用試験)や宦官(官吏の去勢)の悪弊を導入したほか貢女(中国王朝に美女を献上)までおこなってへつらった。
 中国や朝鮮、西洋の悪弊が日本に入ってこなかったのは、天皇がいたからである。
 ハンチントン(『文明の衝突』)は、日本文明を世界八大文明の一つにくわえた理由の一つに、古墳時代の独自の国家形成をあげている。

 ●明治維新のヨーロッパ化と敗戦後のアメリカ化
 日本が、文明の衝突によって、一大転機を迎えるのは、鎖国をやめて、国をひらいたあとである。
 それが、明治維新のヨーロッパ化と第二次大戦敗戦後のアメリカ化である。
 明治維新で、権威の座から権力の座に移された天皇は、昭和軍国主義で神格化されたが、敗戦後、占領軍によって、憲法という人為法(実定法・人定法)の下におかれた。
 日本文明の基礎となる天皇が、有史以来、はじめて、ユーラシア文明である人為法に屈したのである。
 絶対的な権威の下にあった伝統国家が、相対的な権力の下にある民主国家へ変容するのが革命である。
 国連常任理事国の米英仏ロ中のほか、先進国のほとんどが革命国家で、伝統国家は天皇の国日本だけである。
 明治維新の「文明開化」は西洋化で、欧米から学ぶことが大きな文化的価値となったが、第二次大戦敗戦後も同じことがおきた。GHQの神道指令や民主化、軍国主義や皇国史観の廃止、公職追放で勢いをえた左翼が、マルクス主義や民主主義、啓蒙主義などの西洋思想をもちこみ、これを最高の文化的規範としたのである。
 外来思想は、すべて、相対的な価値で、みずからつちかったものではない。
 したがって、学ばなければならないが、学ぶは真似ぶで、コピーすることでしかない。
 大学の世界ランキングで、東大や京大が、トップのオックスフォードやケンブリッジ、ハーバードから大きく引き離されているのは、日本の学問は勉強で、西洋からマネぶことだったからである。
 天皇が絶対というのは、歴史や民族、伝統文化の結晶だからである、
 学歴主義が有害なのは、教師から学ぶ相対主義だからで、官吏登用のための科挙がいかに社会の発展を妨げてきたか、中国や朝鮮をみるまでもない。
 科挙制度が国の発展を妨げたのは、学問が立身出世の手段となって、社会や国に貢献しなかったからである。
 学力主義やテストなどの競争は、究極の個人主義で、個人を超越する天皇の資質として、もっとも不必要で、いまわしいものである。

 ●学歴主義を材料にした皇室への冒瀆記事
 現在、日本は、偏差値やIQ神話、東大ブームで、テレビも、日夜、東大王やインテリ軍団と大騒ぎである。
 テレビの視聴者が受験ママ≠ニかぶさっているからだが、これに週刊誌やネットがのって、学歴主義を材料にした皇室への冒瀆記事が出回っている。
 ▼「悠仁さま」初の「東大天皇」悲願の「紀子さま」が焦燥赤点危機≠ナ赤門赤信号?超進学校の授業に戸惑い 追い詰められ背伸びの*魔フ「学業」懸念(『週刊新潮』)
 ▼悠仁さま 名門・筑附で囁かれる成績不振…紀子さまの「学校選び」が裏目に(『女性自身』)
 週刊誌のほか、匿名の上から目線≠フネットでは【悲報】悠仁、アホすぎて現国で赤点(5ちゃんねる)といった書き込みが沸騰しているが、その原因となったのが、秋篠宮さまが選択された筑波大附属高校への進学で、視野に東大推薦入学があるいわれる。
 だが、学歴社会の象徴たる受験戦争の勝者になって、はたして、天皇の権威がまもられるであろうか。
 悠仁親王のご教育については、皇室問題にとりくんできた小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授の指摘が的を射ている。「いまの悠仁さまにもとめられるのは立派な学歴ではなく、立派な人格を身につけ、将来の天皇のご自覚をおもちになることです。悠仁さまが歩まれている学歴のレールは、受験戦争のなかでも最も激しい場所へむかっている。競争社会の只中における受験校での生活においてこれからの時代に相応しい帝王学を学ばれ、将来のお立場についてお考えになるゆとりがあるか、心配でなりません」(週刊新潮)
 次回以降、日本中がうかれている学歴主義が、かつて、日本を危機に陥れた近現代史についてもふれよう。
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2022年11月21日

 日本経済は「失われた30年」からどう立ち直るかA

 ●「半導体王国」から「IT後進国」へ転落した日本
「産業のコメ」と呼ばれる半導体の分野で、1990年前後、売上高の世界ランキングで上位を独占したのがNECや東芝、日立製作所などの日本企業だった。
 ところが、現在、日本の半導体メーカーは、10位以内に一社も入っていないどころか、シェアにいたっては、昨年の10%からさらに下がった6%で、5年後には、0%になる可能性もあるという。
 半導体の世界の売り上げのベスト3は、台湾(TSMC)と韓国(サムスン電子)、インテル(アメリカ)で、日本の半導体は、スマートフォン(スマホ)と同様、世界マーケットの末端にかろうじてひっかかっているだけである。
 ちなみにスマホの売り上げ世界ランキングは、韓国のサムスン電子が1位、2位はアメリカのアップル、3位〜6位が中国製で、日本製は、世界シェアの1%にもたっしていない。
 韓国は、数年以内に経済で日本を追い越すと宣言したが、デジタル部門ではすでに大きく日本をこえているのである。
 半導体やスマホにおける日本の技術は、けっして低くはなく、世界のスマホはすべて日本製といわれるほど日本の部品が多く使用されている。
 半導体も、部材や製造装置のほか、自動車は家電製品などにつかわれるパワー型や音響、画像処理センサーなどの汎用型分野では、日本製品は、いまなお高い国際競争力をもっている。
 部品や部材、製造装置で一定のシェアをもつ日本の半導体が、製品になると、自動車以外、全滅というのは、いったいどういうわけであろうか。
 原因の一つに、半導体などIT文明の足取りがはやすぎることがあげられるだろうが、台湾や韓国も、条件は同じで、日本だけがハンデをかかえているわけではない。
 あえていえば、官僚主導の日本の制度および経済体制が、デジタル革命のスピードについていけなかったのである。

 ●日本の「失われた30年」と世界の「デジタル30年」
 コンピュータやネットワークを使うIT(情報技術)や、ロボットや工場の自動化、監視カメラや映像レコーダーにもちいられるAI(人工知能)は「3年たてば中古になる」といわれるほど進歩のスピードがはやく、パソコンのOS(基本ソフト)もウインドウズ95から現在までの30年たらずのあいだに10代も様変わりしている。
 スマートフォンの普及と関係が深い「移動通信システム」も1980年代の第一世代(1G)から現在の第五世代(5G)までの40年間で大発展をとげて世の中がガラリと変わった。
 日本の「失われた30年」は、世界がデジタル革命≠のりこえてきた「実りある30年」でもあったわけで、日本と世界のあいだに大きな落差が生じたのは事実である。
 1990年代のアメリカ・シリコンバレーの「情報スーパーハイウェイ構想」からはじまったデジタル革命は、それまでの価値観や経済観を一変させる文化革命でもあって、このとき、社会構造や企業の仕組みまでが大きく変わった。
 トップダウンの「ツリー型(木)」だった従来の企業の仕組みがボトムアップの「リゾーム型(根茎)」になって、経営者と社員、技術者が一線に並ぶようになったのがその一つで、マイクロソフトなどアメリカの一流IT企業は、社長室や出勤簿を廃止して、社長と社員、リーダーがアイデアをメールで直接やりとりするまでになった。
 この仕組みを真似たのが韓国や台湾のIT企業で、マイクロソフト社やアップル社と手をむすんで、デジタル革命のレールに乗った。
 デジタル文明は、創造的な価値で、高学歴者や経営者が学んでえられるものではない。世界一のハッカーが13歳の少年だったように、デジタルの能力は学歴や年齢と関係がなく、若者の自由な発想からとびだしてくるのである。

 ●「デジタル革命」と無縁だったアナログな政・官・財界
 企業形態がリゾーム型になることによって、若者のアイデアや意見が経営に反映されるようになって、IT企業は特異の発展をとげた。
 一方、デジタル革命がおきなかった日本では、霞が関がのりだしてきて、利権と許認可の網をはって、IT分野に管轄下においた。
 高級官僚は、東大法卒で、過去の知識は豊富だが、ITやAI、デジタルやネットワークなどの新科学については未体験で、ほとんどないも知らない。
 ちなみにアメリカのIT企業成功者は、90%がじぶんでパソコンの本体やネットワークをつくりあげることができるデジタルおたくの高卒である。
 日本はアメリカとシリコンバレーでIT戦争をたたかって敗れた。
 ITやデジタルの専門家であるアメリカの経営者と大学で古い知識を学んできたインテリ役人や雇われ社長が、ITの土俵で争って、勝負になるわけはなかった。
 IT戦争の延長線上にあったのが半導体戦争だった。
 日本の経営者が、産業通産省の指導の下、大量生産ができて利益率の高いDRAM(半導体メモリ)の製造にハッパをかけたのは、生産性よりも効率性を重んじたたからで、日本製DRAMはピカ一だった。
 ところが、日本の高性能DRAMは、安価な韓国やマイクロン(アメリカ)に惨敗する。パソコン用のDRAMは、日本の4分の1の精度で十分だったからで、性能さえよければ勝てるという日本側の読みは完全に外れた。
 そこで、霞が関は、DRAMを捨てて、システムLSI(集積回路半導体)へ転向するように大号令をかけたが、これも大失敗だった。
 システムLSIは、企画や設計のほか、コンサルティングやリサーチ、マーケティングや販売を担当するファブレス企業と、生産機能だけをうけもつファウンドリ企業の二本立てになっていなければ成り立たない。
 だが、日本の役人(産業通産省)はその大原則に注意をたいして注意をはらわなかった。
 集積回路は、機能や目的が異なる回路を組み合わせたチップで、多種少数となるので、ハードウエアであるファウンドリ企業は、顧客を多くもたなければ経営が成り立たない。
 一方、企画と設計、販売をうけもつファブレス企業は、ソフトウエアだけに力を注ぎ、ファウンドリ企業から、設計どおりに完成させたシステムLSIを買いとるだけである。
 最近、中国が、半導体企業の誘致に、設計と製造のセッティングするように注文をつけてきたのは質の設計≠ニ量の製造≠ェかみあわなければシステムLSI生産を軌道にのせることができないからである。

 ●半導体で日本が世界ナンバーワンの返り咲く3つの戦略
 苦境にある日本の半導体だが、明るい展望が3つある。
 1つは、次世代半導体の設計・製造の拠点となる「ラピダス」が設立されたことである。
 ラピダス社は、AIやスパコンなどに使われる回路の線幅2ナノメートルの最先端の半導体の開発と製造をめざす。
 実現すれば、アメリカや台湾、韓国に先んじて2ナノレベルのチップ量産が可能になって、堂々と世界マーケットに斬りこんでゆける。
「ラピダス」の出資者はキオクシア(旧東芝メモリ)・ソニーグループ・ソフトバンク・デンソー・トヨタ自動車・NTT・NEC・三菱UFJ銀行など8社で政府も700億円の支援をおこなう。
 2つ目は、世界一の半導体ファウンドリ企業である台湾のTSMCがソニーセミコンダクタソリューションズとともに、熊本県に新工場を設立することである。
 日本政府の熱心な誘致が功を奏したともいえるが、TSMCも、日本からシリコンウエハー(半導体の材料基板)の供給がうけやすいという利点もあった。
 半導体の生産にはシリコンウエハーが不可欠だが、現在、この分野で世界のトップシェアに立っているのが日本で、信越化学とSUMCO(新日鐵系列)の2社だけで世界供給量の57%を占める。
 シリコンウエハーは、ほぼ100%のケイ素インゴットで、これがなければ半導体をつくれない。シリコンウエハーは、日本の他、台湾と韓国、ドイツが世界シェアを分けあっているが、ファウンドリ(半導体受託製造)で世界市場の5割を生産しているTSMCが必要とするシリコンウエハーは、自国の生産量をはるかにこえる。
 熊本工場で生産される半導体は、22〜28ナノメートルと数世代前の技術だが、半導体市場はITやAIから自動車や電化製品、各種機器まで幅が広く、集積度の高い半導体だけに需要があるわけではない。熊本工場の半導体は自動車立国の日本にとって大きな朗報なのである。
 3つ目は、キオクシア(旧東芝メモリ)とキヤノン、大日本印刷がすすめている「ナノインプリント」と呼ばれる半導体回路形成の新しい技術である。
 ハンコを押すような製造工程で、最小線幅2ナノメートル未満の加工が可能なこの技術が実用化されると、精度の高い半導体を多量に、効率よく生産できるようになって、日本の失地回復の大きな武器になるはずである。
 以上3つが明るい展望だが、懸念されるのは、政・官・民の官の癒着問題である。
 経済産業省がテコ入れして、日立製作所とNEC、のちに三菱電機が設立に参加した「エルピーダメモリ」が2012年に経営破綻したのは、国の支援や補助金に甘えた放漫経営の結末だった。
 DRAM事業を統合した「日の丸半導体メーカー」と呼ばれて思いあがったわけではあるまいが、品質がはるかに劣る韓国製に負けて、当時、戦後最大の約4480億円の赤字を背負い込んだ。
 マーケットがコンピュータからパソコンに移って、高品質より低価格がもとめられていることに気づかなかった凡ミスで、アニマルスピリットを欠いた官導型経営の大失態だった。
 半導体市場の特徴は、変化とスピード、多様性にあるが、役人や古いタイプの経営者は、この道筋が読めない。
 若者や女性を多用するシステムでも導入して新しい風を吹き込まなければ「エルピーダメモリ」の二の舞になる可能性も否定できないのである。
「失われた30年」と半導体の悲劇≠ゥら立ち直る機会がようやくめぐってきた。
 このチャンスをつぶすと、日本は「失われた40年」へふみいってしまうことになるのである。
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2022年11月07日

日本経済は「失われた30年」からどう立ち直るか@

 ●経済を「新自由主義」型から「信用創造」型へきりかえよ
 1955年以降の高度経済成長と池田勇人の所得倍増計画(1960年)によって、日本経済は、大躍進をとげた。
 だが、70年代のニクソンショックと石油ショック、85年のプラザ合意が契機となったバブル経済とその崩壊(91年)、新自由主義に立った小泉改革をへて、日本経済は「失われた30年」という長い沈滞期へ突入していった。
 1990年、大蔵省は、バブル経済を沈静化させると称して総量規制という禁じ手を使っている。
 その結果、地価や株価が暴落して、日本経済は、もののみごとに崩壊した。
 あたりまえである。1兆円が10兆円として機能している信用創造に制限をかければ、金融経済全体が縮小して、国家や国民が貧困化しないわけはない。
 総量規制は、真珠湾攻撃のようなもので、バブル沈静の特効薬になった。
 げんに、真珠湾攻撃に喝采を送るヒトがいるように、あのとき、総量規制が必然だったという経済学者や論者も少なくない。バブルはいつか崩壊するのではやく手を打ったほうが傷も浅いという理屈である。
 だが、オランダのチューリップバブルの崩壊は単品投機で、1930年代の世界不況については、いまだ原因がわかっていないが、原因の一つに生産力と購買力の構造的落差があるので、一過性のバブルやバブル崩壊と同列に論じることはできない。
「失われた30年」というダメージを負っておいて、総量規制が深手を避けるためのものだったといっても言い訳にもならない。
 1990年代前半に一人当たりGDP世界第一位を記録するなど世界有数の富裕国だった日本は、現在、アメリカ、中国に次ぐ世界第3位だが、実数では、アメリカの20%強、中国の28%にとどまって、4位のドイツとは僅差である。
 1人当たりGDPにいたっては世界27位で、ドイツなどヨーロッパ諸国に水をあけられているほか、国連の幸福度ランキングでは世界56位という後進国並みのレベルに転落している。

 ●日本の商道の「ヒト・モノ・カネ」の哲学
 経済は、需要と供給、資産と負債などの二元論で語ることができない。
 生きている人間とかかわる多元論で、その象徴が信用創造≠ナある。
 信用創造は、貨幣経済のことでもあって、西洋の初期の資本主義にも日本の商道にも、ヒトとモノ、カネにまつわる哲学があったのである。
 経済が生産、貨幣と資産の二元論なら、アメリカの好況や、勢いがとまらない中国経済、ウクライナ戦争で一日数兆円の戦費を使っているロシア経済が破産しない理由に説明がつかない。
 米中ロなどの大国の国家経済がつぶれないのは貨幣発行権という信用創造の能力を行使しているからで、評論家の木村太郎が「夏までにロシアは経済破綻をおこして消滅する」と誤った予言をおこなったのは、信用創造という局面が見えなかったからだった。
 この信用創造をぶち壊したのがバブル崩壊時の日本の総量規制(ハードランディング)だった。
 その一方、現在、中国でおきている行政区単位のバブル崩壊が表面化しないのは、権力がこれをおさえこんでいる(ソフトランディング)からである。
 中国も、日本のように総量規制をかけるとパニックがひろがって中国経済も危機に陥るはずである。1929〜36年のアメリカ発大恐慌は、ウォール街の株式が大暴落(「暗黒の木曜日」)からはじまったが、直接的には株価暴落にともなう取り付け騒ぎで銀行が破綻、融資をとめられた企業も倒産して失業者が町にあふれだしたからだった。
 当時の共和党がなに一つ対策を打ちだせなかったのは経済を知らなかったからで、フーバー大統領以下、政府首脳は、需要と供給が自動的にバランスをとりあうというアダム・スミスの「神の見えざる手」を素朴に信じているだけだった。

 ●所得倍増計画の「アニマルスピリット(生命力と創造力)」
 経済は、自由放任主義や市場原理、資本の論理にまかせてしまうと創造性やモラル、信用などの価値観を失って、破綻へむかう。
 恐慌や富の独占、戦争へむかうのが資本主義の負の局面で、経済は、政治と同じように、善や法、秩序など、全体の利益をもとめる国家という大きな枠でとらえなければならない。経済も、国民主権のルソー型と、国家主権のホッブズ型の2つのパターンに分けられるのである。
 浜矩子(同志社大学大学院教授)はMTT理論を批判して「国家に永続性はない」とのべた。
 浜らのマルキストがもとめるのは、ホッブズ的な国家ではなく、ルソー的な人民政府で、国家資本主義の発展をめざすホッブズ型経済(ケインズ主義)はかれらの敵なのである。
 池田勇人の所得倍増計画がケインズ主義の「アニマルスピリット(生命力と創造力)」にもとづくものだったことは、池田のブレーンだった大蔵官僚で経済学者だった下村治がケインジアンだったことからもわかる。
 ケインズ主義の対極にあるのが新自由主義で、市場の原理を「神の見えざる手」にたとえ、自由放任を主張したアダム・スミスの上をゆくリバタリアニズム(超自由主義)である。
 主唱したのは、シカゴ大学のフリードマン教授で、これを日本に移入したのが市場主義や規制緩和、民営化を主軸とする「聖域なき構造改革」をすすめた小泉純一郎と竹中平蔵だった。
「小泉改革」が失敗に終わったのは、経済停滞が構造の問題≠ナはなく、下村が指摘したように人間の問題≠セったからで、小泉・竹中が民営化をすすめた郵政は、アメリカの食い物にされただけだった。
 
 ●「効率化」の自由主義と「生産性」のケインズ主義
 日本は得意の「ものづくり」でも醜態をさらした。IBMの産業スパイ事件(1982年)で日本製パソコンにソフト上の縛りがかかって、IBMの拘束をうけないコンパック(米製)に敗退したほか、市場では自治労などの労組がパソコンの使用が労働強化にあたるとして敵対視したため、学校でのパソコン教育が大幅に遅れて、日本は世界で最悪のIT・パソコン後進国になってしまった。
 社会保険庁が約5000万件もの年金記録(年金番号)を紛失したのはパソコン業務を外注に回したからだった。
 パソコン作業の外注以外、これまで日本企業は「丸投げ」という外注思想によってみずからの首をしめてきた。
 マイクロソフトが開発してインターネット社会の牽引車となったウインドウズ95も、日本メーカーは、経済効率を考えてこれをサムスン電子に製造委託をおこなって、ITやパソコン部門、携帯電話で韓国におくれをとったばかりか、つくるものがなくなった日本の電器メーカーは軒並みに凋落した。
 効率だけを考えると製品リスク≠負わない部品製造のほうが、はるかに安全で、儲かるのである。
 原子力発電所の建設も、価格の安い韓国に依存して、東京電力などは韓国の原子力業界から感謝状をもらったほどだった。そのせいで、日本の原子力業界は衰弱の一途をたどって、東日本大震災のおける福島原発事故では、日本の原子力業界の非力は目に余った。部品がすべて韓国製なので、日本の技術者の手に負えなかったという話もささやかれた。
 日本経済や産業界、製造業がこれほど自信と誇り、能力を失ってしまったのは効率化≠ホかりに目をむけて生産性≠かえりみることがなかったからである。
 効率をいうなら新自由主義がチャンピオンだが、新自由主義が行き着く先は弱肉強食と格差、不平等と不公平のジャングルである。「自然に帰れ」のルソーはこれを自然状態としたが、ホッブズはこれを野蛮と見て、強力な国家を構想した。
 次回から「効率化」と「生産性向上」の比較論をとおして日本経済に将来を展望しよう。
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2022年10月23日

「うたのこころ」と日本人E

 ●自由をもとめた西洋、もともと自由だった日本
 ロシアのウクライナ侵攻を契機に、景気後退とインフレが同時におきるスタグフレーションが世界的に蔓延して、イギリスでは経済政策の失敗をめぐってトラス首相の辞任騒ぎにまで発展した。
 すさまじい物価高に苦しんでいるのはアメリカも同様で、FRBは打開策として、利上げに踏み切ったが、これが、低金利で好況が保たれているアメリカ経済の暗礁となるのではないかと懸念されている。
 日本経済が、コロナやウクライナ戦争、円安という大きな障害にもめげずに小康状態をたもっているのは、多元論的で、相対的な価値観をもっているからである。
 社会に多様性と奥行きがあるため、衝撃が分散、緩和されるのである。
 一方、西洋は、一元論的で、絶対的な価値観に立っているので、ショックが大きいばかりか、それが増幅されて、しばしば、パニックをひきおこす。
 西洋が一元的、絶対的なのは、一神教だからで、かれらが崇める神ヤハウェは絶対神である。
 日本が多元的、相対的なのは、多神教だからで、日本人が信仰しているのは万物に精霊が宿っているとするアニミズムや自然崇拝、神話信仰などのおだやかな神々である。
 正義や真理、唯一の価値を追求して、不正や偽りをきびしく断罪する西洋にたいして、日本人が、あいまいさや中間色、中庸の精神をもって事にあたるのは、絶対神や絶対的な価値が存在しないからである。
 そこに日本と西洋の最大のギャップがあって、このギャップが文化や習俗のみならず政治や経済に分野にまでおよんでいる。
 両者のこのちがいは、詰まるところ、宗教観のちがいにあるが、そのことにどれだけのヒトが気づいているだろう。
 西洋が自由をもとめたのは、一神教や絶対神の世界には自由がなかったからだった。したがって、中世ヨーロッパでは、ルネサンスから啓蒙時代、宗教戦争をへて市民革命にいたるまで、自由をもとめる壮絶なたたかいがくりひろげられたのである。

 ●自由の先進国から後進国へ転落した戦後日本
 日本でも、自由のためのたたかいがなかったわけではない。
 一向一揆や天草・島原の乱がそれにあたるが、西洋のように、それが革命に至らなかったのは、天皇がいたからである。天皇は、赤子である民が権力から虐げられるのを防いで、農本主義や平民文化、庶民による商工経済を背後からささえていた。
 日本の経済は、経済学の父アダム・スミス(1723〜1790年)以前の楽市楽座(1549年)から大坂・堂島の米相場(1730〜年)、江戸時代の商道≠ノいたるまで、自由主義を経済の根幹においてきた。
 世界一ゆたかで文化的だった日本の中世・近世は、権力が民を縛り、民から搾取しなかった恩恵で、教会と権力の両方から搾取されて、貧困に喘いでいたヨーロッパの平民とは大ちがいである。
 戦後の日本人は、なにをするのも勝手というのが自由主義と思っているようだが、自由をえるために、5百年以上にわたって血みどろのたたかいをくり広げてきたヨーロッパでは、事情がまったく異なる。
 西洋の自由は、国家や宗教、他者から個人の自由を奪われないことに自由の根幹があって、戦後の日本のように、他人にいくら心的苦痛や不快感をあたえてもかまわないという「表現の自由」や「言論の自由」とはまったくの別物である。
 かつて日本にあって、近代以降、自由主義とよばれる西洋のリバティ(自由)の根底にあるのが他者との関係である。
 自由は、他者の自由を奪わないことが大前提で、自由主義がモラルの原型となった理由がそこにある。
 日本にも「相身互い」「分相応」「折り合い」などの自由主義に立った格言があるが、戦後のアメリカ民主主義とルソーの国民主権、孤独な個人主義、マルクスの唯物論の前で、この日本的なモラルはすっかり影が薄くなった。
 自由には、ジョン・スチュアート・ミルの「消極的自由=〜からの自由」とアイザイア・バーリンの「積極的自由=〜への自由」があって、西洋人はこれを使い分ける。
 国家や他者から束縛をうけないのが消極的自由である。積極的自由というのは、国家も他者も、じぶんがなりたいじぶんになることを妨害できないというもので、この両者が組み合わさって、自由の概念ができあがっている。
 これが、日本人が大事にしてきた自由、西洋のモラルでもある自由主義で、自由とは、自由の制限と限界を示すものであって、手放しの自由讃歌ではなかったのである。

 ●4本の柱からできている世界の政治と経済
 現代の世界政治も世界経済も、4つの原理に分類することができる。
 政治は「ホッブズの国家主権」と「ルソーの国民主権」である。
 経済は「国家介入型のケインズ」と「放任型のハイエク」である。
 ケインズを純化すればマルクスに、ハイエクを煮詰めるとアダム・スミスをとおりこして新自由主義にゆきつく。
 アメリカが新自由主義なら、中国やロシアは、ルソーからマルクス、スターリン主義へ移行した独裁国家で、ヨーロッパやインド、ブラジル、アジア諸国もこの4パターンの中間型あるいは変形である。
 特異なのは日本で、ホッブズやルソー、ケインズ、ハイエクの4つのパターンにあてはまらない。
 市民革命からうまれた民主主義やリベラルにも日本には馴染まない。
 日本は「天皇の国」で、西洋のどんな歴史パターンや価値観にもあてはまらないのである。
 ところが、戦後日本は、伝統的な価値をかなぐり捨ててアメリカ化に走った。
 明治維新で、江戸文化を捨てて、西洋化に走ったのと同じパターンだった。
 日本国憲法は、市民革命の精神で、日本の伝統的な価値観は盛られていない。
 国民主権と民主主義、人権思想と個人主義によって、戦後の日本人は、歴史や国体、民族や集団性を失って、孤独で心貧しい市民になった。
 経済でも、日本は、国際化、西洋化の大波に呑まれた。
 田中角栄をロッキード事件で葬ったアメリカは、プラザ合意からバブル経済を誘導、バブル崩壊を仕込んで日本の富を奪い、俗にいう「20年の空白」を工作した。
 このとき、日本は、アメリカから「総量規制」を強要されて国家経済を破壊するという愚を犯した。そして「談合」や「護送船団方式」などをアメリカからつよく非難されて、日本的商習慣をすべて破棄したばかりか、法を改悪して、伝統的商習慣をすべて犯罪にしてしまった。
 この流れをひきついだのが小泉純一郎の「聖域なき構造改革」で、ブッシュ大統領にひっかけられて新自由主義という海賊経済にのりかえて、雇用と設備投資、賃上げをベースとする自民党の自由主義経済をことばどおりにぶっつぶした。
 そして、できたのが、格差社会と低賃金経済という情けないすがただった。
 アメリカ経済は、50人のリッチマンが国富の半分を握る狂った資本主義の様相をていして、中国やロシアは、国家があるかぎり、いくら紙幣を刷っても国家はつぶれないというMMT理論にのって、戦争をおこない、軍備を拡張している。
 次回以降、この狂った世界のなかで、日本は、いかに正気をたもっていけるのかについて考えていこう。
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2022年10月11日

「うたのこころ」と日本人D

 ●「人間主義」と「国家主義」へと二分された日本
「個と全体」の矛盾は、古今東西、長年にわたって問われつづけてきた永遠の難問である。
 中世ヨーロッパでは、これが、啓蒙主義とキリスト教のあらそいという形で噴出した。
 啓蒙主義が人間(=個)のめざめなら、キリスト教は国家(=全体)の根幹をなすもので、この二つの異質なるものが衝突しておきたのが宗教革命や政治革命だった。
 革命によって、神権神授説の神が唯物論や合理主義、科学におきかえられて近代的思想や文化文明、共和思想(社会主義・共産主義)がうまれたといってよい。
 3つ目の革命が産業革命で、近代の欧米世界は、宗教と政治、経済の3つの革命をへて完成したのだった。
 国連常任理事国の米・英・仏・ロ・中は、いずれも革命国家で、革命国家が採用したのが、民主主義と個人主義、合理主義と唯物論だった。
 だが、民主主義や合理主義、唯物論は「個と全体」を調整する機能をもっているわけではなかった。
 それどころか、神権神授説の代替えなので、ごりごりの一元論である。
「個と全体」の矛盾を革命という一元論で解消できるわけはなかった。
 そもそも、革命は一元論である。「個と全体」の矛盾を解消できるのは、あいまいさをゆるす多元論や唯心論、その両者の要素をかねそなえている自由主義でなければならなかった。
 西洋で、個人も大事だが、国家も大事というバランス感覚がはたらいているのは、民主主義と並んで、自由主義が尊重されているからである。
 自由主義というのは、日本の「和の精神」のようなもので、個人主義と国家主義、民主主義と伝統主義のバランスをとろうとする。
 ホッブズの「国家主権論」とルソーの「国民主権論」の中間にあるのがミル(ジョン・スチュアート・ミル)の「自由論」で、ヨーロッパが共産主義化をまぬがれたのは、ミルの自由主義が根を張っていたからだったのである。

 ●なぜ日本では「自由主義」が不毛なのか
 個人と国家の関係を語る最大の哲学がホッブズの社会契約説で「自然状態においては万人の万人による戦争がおこる」という警告は、国家の有用性を語ることばとして知らないヒトはいない。
 これにたいして、ホッブズの百年以上あとにうまれたルソーは「国家は人間の自由を奪った」として国家無用論=人民統治論を説いた。
 この人民統治論がフランス革命にとりいれられ、マルクスは、ルソー主義を共産党宣言にリライトして、これが、ロシア革命にむすびついた。
 日本には、マルクス主義やルソー主義者は、履いて捨てるほどいるが、保守主義のホッブズを語る者は少なく、ミルの自由主義にいたっては語る者がほとんど皆無である。
 日本人が、世界でもっとも重要な思想家であるミルを無視するのは、ミルの『自由論』が書かれたのが、明治維新の十年前だったからで、自由主義という考え方は、当時、西洋ですら新しい思潮だった。
 中江兆民は「民約論(社会契約論)」を約して、日本のルソーと呼ばれたものだが、日本にミルがあらわれなかったのは、明治維新に間に合わなかったからで、明治維新のヨーロッパ化をひきずっている日本の西洋主義者は、いまなお自由主義を知らないのである。
 戦後、ルソーの延長線上にあるマルクス学者が、洪水のようにあふれだして大学がその牙城となった。
 日本学術会議らの各種学会、学術団体をみればわかるように、自由主義という柔軟な心を失ったイデオロジストだったからである。
 ちなみに、日本の法曹界(司法・弁護士連合会)が左翼的なのは、法が西洋からの輸入品で、国体や「和の精神」などの日本精神と対立するからである。
 ミルの自由は、国家の有用性と個人の可能性を両立させるため国家と個人の自由を制限するというもので、その聡明さにおいて聖徳太子の「十七条の憲法」との類似点がすくなくない。
 世界は『社会契約説』のホッブズと『自由論』のミルをいまなお重要視しているが、ルソーやマルクスは見向きもされていない。
 いまなおルソーとマルクスを奉っている日本の左翼が思想界の化石≠ニ呼ばれるゆえんである。

 ●国家と国民を分裂させた明治維新の過ち
 かつて、日本が、世界一の国民文化をもっていたのは、民と権力のあいだに天皇という権威が介在したからで、権力から干渉をうけなかった民力はおおいに栄えた。
 天皇は、民の代表にして、権力の正統性を裏づける存在で、権力は、天皇のゆるしがなければ民を統治することができなかった。
 日本で庶民文化がはなひらいたのは、天皇が権力から民をまもっていたからだったのである。
 部屋に絵や書、生け花を飾る文化や百姓でも字が読める民度の高さ、宣教師が驚いた町の美しさや工芸や技術の高さは西洋以上で、ヨーロッパ人は日本の浮世絵や木造建築、刀剣の高度なレベルに最後まで追いつくことができなかった。
 庶民文化が衰退したのは、高税と徴兵制、軍国主義が国民を圧迫しはじめた明治時代からで、幕末以降、日本に新たな庶民文化はうまれなかった。
 日本が、国家主義と、人間(民権)主義に分裂したのも、明治維新からだった。明治維新が、国体を捨てた西洋の模倣だったからで、西洋の二面性(国家と国民)を見抜くことができなかった薩長政府は、列強の国家主義=帝国主義的な側面だけを真似して富国強兵を国家スローガンにした。
 日本は、いくつも大戦争ができたのは、税金の50〜90%が軍事費にむけられたばかりか、軍費の多くを外債に依存したからで、おかげで、国家財政は破産寸前だった。
 元禄振袖に代表される江戸文化の華麗さはすがたを消して、モンペにかすりという質素な衣服をまとった国民は「欲しがりません勝つまでは」という軍国スローガンを唱えさせられた。
 当時、東京の街は、町内のゴミ箱にハエがたかる不潔さで、美しかった江戸時代の面影はなかったが、軍国主義一色の国家が国民生活に目をむけることはなかった。
 これが、国家と国民の極端なアンバランスで、明治の富国強兵は、国家だけがあって国民が不在の時代だったのである。
 だが、第二次大戦後、その反動がきて、こんどは、個人をおもんじて国家を軽視する偏向がトレンドになった。
 国家主義を憎悪して、国民主義に憧れるという極端から極端への思想的ジャンプがおこなわれたのである。
 それが反日左翼・反国家主義で、かれらは、二言目には、国民や生命などと口にするが、それが、戦前の天皇ファシズムの裏返しということに気がついていない。
 国家に尽くした政治家の国葬の黙祷をジャマするため、数千人ものデモ隊が笛や太鼓を打ち鳴らすという蛮行は、個人主義や自由主義ではなく、死者への冒瀆という、人間性とモラル崩壊以外のなにものでもなかった。
 だが、反日左翼は、哀れにも、そんなことにすら気がつかなかったのである。
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2022年09月25日

「うたのこころ」と日本人C

 ●国葬問題からひきおこされた分裂国家≠フ危機
 安倍晋三元首相の国葬問題で、日本の国論がまっぷたつに割れている。
 世論が分裂しているのではない。同じ日本人が右と左、伝統と革新、権威と権力、民族派や国際派などへ二分されて、水と油の関係になっているのである。
 出席拒否をしるした国葬招待状をSNSに投稿して嘲る人々と、国家に尽くした指導者に哀惜の意をもって手を合わせる人々のちがいは、思想や信条ではなく、感性や価値観、人間性のちがいなので、永遠にわかりあうことはできない。
 日本は、単一民族の伝統国家ではあるが、かならずしも、心一つというわけではない。じじつ、戦後、日本は、左右両陣営にわかれて、熾烈な闘争をくりひろげてきた。
 そもそも、日本は、明治維新後、文化的に独立した独自の伝統国家ではなくなっている。明治維新は、国家改造クーデターで、薩長の下級武士がめざしたのは、西洋の専制国家で、大日本帝国憲法のモデルも、君主権が強かったプロイセン憲法だった。
 ヨーロッパ化と帝国主義化によって、日本は、国際連盟体制において、世界五大強国の一つにのしあがった。
 その一方、歴史や伝統にもとづいた日本独自の国体や文化や精神、習俗などが変質、形骸化、あるいは廃止された。
 それが、ヨーロッパを真似た天皇の王制化や華族制度、武士階級廃止などの鹿鳴館文化で、当時、浮世絵の版木や刀剣、美術品などの伝統的な文化をただ同然で外国人に売り払うという自己否定的、自虐的風潮がはびこった。
 第二次世界大戦の敗戦後も、同じことがおきた。日本は、皇国史観や神道をかなぐり捨て、アメリカ民主主義やGHQ憲法、ソ連共産主義を崇めたばかりか、敵性条項を掲げる「国際連合(戦勝国連合)」を政治の中心におこうという流れさえ生じた。

 ●日本の共産化を防いだ多元論的なあいまいさ
 戦後、日本の国家構造は、左翼と中道右派という対立する二つの勢力にささえられてきた。
 左翼は、ルソーやマルクス、ロックらの崇拝者で、かれらがもとめていたのは、革命のイデオロギーと共和制という人工国家だった。
 共和制は、人民が国家を支配する政体で、直接民主主義の体制である。
 ところが、共和制では、人民がつくったその政府が人民の上に君臨する。
 国民主権をあずかった為政者が、国民主権の名目の下で国民を奴隷のようにあつかうからで、プーチンのロシアや習近平の中国を見れば、共和制がどんな体制かわかるだろう。
 右派というのは、君主制の自由保守主義で、中道右派のことである。
 政治手法として間接民主主義を採用する体制で、政党として、自由民主党のほか日本維新の会や国民民主党もふくまれる。
 ちなみに、戦前の右翼が国家を構成する勢力にならなかったのは、GHQや左翼陣営の圧力によって、皇国史観や国家神道とともに潰されてしまったからだった。
 それでも、日本が共産化しなかったのは、国体が護持されたからで、日本の歴史や伝統、政治体制は、天皇によってまもられたといってよい。
 もともと、日本は、多元論の国で、あらゆるものに精霊をみいだすアニミズム的な心根をもっている。自然崇拝や八百万の神々への信仰、多様性と奥深さが日本人の心性で、それが和歌や俳句に反映されている。
 それが日本特有のあいまい≠ウで、これが未定、未確定とうけとめられるのは、西洋の価値観が一神教的、一元論的だからである。
 イデオロギーも、一元論で、元をただせば、一神教のキリスト教である。
 一元論は正しいものが一つしかないので、革命と独裁の構図がうまれる。
 左翼の根本思想は、暴力革命で、一元論である。かつての中核・核マル、赤軍や全共闘のような過激派から日本共産党、立憲民主党や社会民主党まで、憎悪をむきだしにするのは、敵を倒すことしか念頭にない闘争主義だからである。
 じじつ、野党連合を志向する日本共産党は、昭和30年の六全協で武装闘争路線を放棄するまでは、殺人や放火をふくむ武装闘争路線をとっていた。

 ●愛国心というモラルからなりたっている政治
 革命も民主主義も、政治理念ではなく、あくまで、方法論で、それがどんな政治的効果や意味、展望をもつか、一顧だにされない。
 60年安保闘争の際、全メディアが、改正安保条約の内容には一言もふれることなく、連日、民主主義をまもれと叫んだのがその好例だろう。
 中曽根康弘元首相は「政治家は歴史という法廷の被告人である」と明言を吐いたが、マスコミや世論は、その場かぎりの利害やスキャンダルを追うばかりで、政治家の歴史的な真価を問おうとしない。
 安倍元首相の真価を問うならば、戦後、日本を独立国としてリードした最初の首相ということができるだろう。
 その政治姿勢をしめしたことばが「戦後レジュームからの脱却」で、アメリカ依存から独立国日本へのたしかな足取りが「安保法制」「TPP」「自由で開かれたインド太平洋構想」だった。
 安保法制は、独立国家としての体制を整えた独立宣言で、インド太平洋構想にまっ先にとびついたトランプ大統領が「二度とあらわれない指導者」と敬意を表したゆえんである。
 TPPも、アメリカが離脱後、アメリカに右へ倣いの関係を破って、日本が主導権を握ったもので、現在では、中国までがTPPに歩み寄っている。
 最大の功績が安倍元首相が提唱した「インド太平洋構想」で、日本が中心となった世界戦略にアメリカやオセアニア、インドなど13か国が参加したほか、イギリスなどヨーロッパの国々も高い関心を寄せて、日本の国際的地位を劇的に高めた。
 多くの日本人が安倍の首相を不慮の死を悼むのは、日本を対米従属から脱却させ、日本を世界に誇れる国にしてくれた以上に、すぐれた愛国者だったからである。
 国葬に反対している人々の共通点は、日本人としての心情や愛国心をもっていないことである。
 左翼の目的は、国家転覆で、その武器は、国を愛する心ではなく、国家への憎悪である。
 したがって、安倍元首相の愛国心や功績は、そのまま、憎悪の対象となる。
 左翼反日にとって、安倍首相ほど憎悪を掻き立てる存在はないのである。
 国家の指導者に必要なのは、国家や民族、同胞への憎悪ではなく、愛や情であることを、一人でも多くの多くの日本人に知ってもらいたいのである。


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2022年09月12日

「うたのこころ」と日本人B

 ●名誉や誇り、分別や謙遜を否定する民主主義
 安倍晋三元首相の国葬に反対する国民が半数をこえた。
 反対理由の多くが「葬式を出せないヒトもいるのに16億円の国費を使って葬儀をおこなうのは不公平」「貧困に苦しむ子どもたちがいるのに税金をこんなことに使ってほしくない」などの個人的な感情論で、日本人の心が、ここまで貧しく、あさましくなってしまったのかと、驚きと悲嘆を禁じえなかった。
 立憲民主党の辻元清美と蓮舫がSNSで、国葬の案内状に「欠席します」と記入した画像を載せ、支持者の喝采を浴びたが、義理と人情、道義の日本人の品性も堕ちたものである。
 辻元も蓮舫も、戦後のアメリカ民主主義を最高価値と思いこんでいるファンダメンタリスト(原理主義者)で、歴史や伝統、習慣や常識、義理や人情に無関心などころか、そもそも、人間の心をもちあわせているのかどうかさえも疑わしい。
 大方の日本人も、民主主義を叫んでいるうち、辻元や蓮舫のように、名誉や誇り、分別や謙遜を忘れ果て、個人的な欲望や権利、我執につきうごかされるちっぽけな人間になってしまったように思われる。
「女子と小人は養い難し(論語)」ということばがある。女性差別とされて評判はわるいが、ちっぽけな人間というのは、女性ではなく、小人のことである。
 小人は、大人(たいじん)の対義語で、大人が名誉心や誇り、徳などの普遍的な価値をおもんじるのにたいして、小人は、生命や感情、目先の利益など個人的な価値にしか関心を寄せない。
 
 ●女性の生命感と男の使命感をむすぶうたのこころ
 小人とは「うたのこころ」を知らないことで、人間や人生、そして、世界の構造を直観できなければ、うたを詠むことはできない。
 女性が、個人的で個別的、私的な価値を大事にするのは、子を産む性として当然で、女性にとって、生命は、最大の価値である。
 一方、男が、集団的にして全体的、公的な価値を大事にするのは、家や共同体をまもる性として当然で、それが「命より名をとる」という武士道の精神につながっている。
 女性の生命感や個人主義的な感性と、男の名誉心や誇り、徳などの普遍的な価値観という異質なものを一つにむすびつけるのが、うたのこころで、日本の古人(いにしえびと)は、人生やこの世のこと、自然や恋愛を、すべてうたに託して、いわば、うたの世界を生きてきた。
 万葉集や二十一代におよんだ勅撰和歌集、宮中歌会始や庶民の歌集や句集をあげるまでもなく、日本人がうたを愛してきたのは、この世も人生も「うたのこころ」にみちているからで、根本にあるのが自然崇拝やアニムズム、神話や神道などの多神教的な世界観である。
 日本人が、他人にやさしく親切で、礼儀正しく人情に厚いのは、うたというゆたかな心性をもっているからで、日本人の心の機微や叡智、和の心の根っこに「うたのこころ」があることは、これまで、保田與重郎ら多くの文人歌人が指摘してきたとおりである。

 ●西洋はイデオロギー、日本は「うたのこころ」
 一方、一神教、一元論の西洋は、二元論や多元論を、神と悪魔、理性と獣性の対比のなかでとらえて、一方を徹底的に殲滅しようとする。
 それが十字軍の遠征から南米マヤ、アステカ、インカ帝国、アメリカインディアンにたいするジェノサイド(民族殲滅)で、一神教において、自然や他の生命は、絶対神ヤハウェが、神を信仰する人間にあたえ給うたただの生活材でしかなかった。
 だが、日本の自然崇拝やアニミズム、神話や神道という多神教的な世界観においては、万物はわけ隔てなく存在して、その一つひとつが、ヒトの心をとおしてたちあらわれる。
 それが、物と心、私と公、名と命をむすびつける唯心論で、うたは、矛盾や不条理にみちたこの世や人生を、二元論、多元論的に詠むのである。
 大伴家持は、天皇の命令によって任務につく東男の防人を讃え、家で無事を祈り待つ妻の気持ちを推し量ってこう詠んだ。
「鶏が鳴く 東男の 妻別れ 悲しくありけむ 年の緒長み(万葉集/防人の歌)」
 うたは、個人と集団、主観と客観、特殊と普遍などの「全体と個」の矛盾を詠むもので、防人と妻恋は、人生の宿命的矛盾である。
 国をまもることと妻と離れることは、個と全体の矛盾だが、うたうことによって、その矛盾が人情や国土愛、文化という普遍的なものに昇華してゆく。
 一方、西洋の一元論は、ロゴス主義で、モーゼの「十戒」に書かれているのは絶対神を絶対的に信仰せよ」とあるだけで、ほかは、刑法や民法の条文のようなものである。
 そこに、一片の詩情も例外もないので、キリスト信者は、すべて、ファンダメンタリストにならざるをえない。この一元的な論理にのっているのが、辻元や蓮舫を筆頭とする国葬反対派で、かれらの単純な頭では、防人のさだめや悲しさが、軍国主義ハンターイのイデオロギーでしかない。

 ●橋本徹の「いのちを惜しんで祖国を捨てるべき」という愚論
 ロシアのウクライナ侵攻に橋下徹はこういった。「4000万人国民は国家を捨てて難民になったほうが賢明である。そして、10年後、戦火のおさまったウクライナへ帰還運動を展開すればよいではないか」
 橋下のこの愚論に世界中が呆れ返って、論評の対象にさえならなかった。
 だがいのちと民主主義≠フ日本では、橋本の見解に賛同が集まった。
「世界価値観調査(WVS/電通総研)」がおこなった「もし戦争が起こったら国のために戦うか」というアンケートで「たたかう」と答えたのは、日本ではわずか13・2%で、調査対象国79か国中ダントツの最下位だった(下から2番目の78位=32・8%はたたかわずにソ連の属国となったリトアニア)。
 世界は呆れたが、日本人は「日本が平和なのは憲法9条のおかげ」とおつにすましている。
 国葬に反対するも同じ論理で、マスコミが国葬反対の音頭をとるのは、国葬によって、安倍神話ができると、安保法制が定着するからである。
 日本を一人前の国家に仕立てた安倍首相が、民主主義の信奉者の天敵となるのは、かれらにとって、国家は「いのちと民主主義」の敵対者だからである。
 それが橋本の「いのちを惜しんでウクライナ人は祖国を捨てるべき」という論理だが、いのちと民主主義を人質にとられると、人間は、名誉や誇り、愛や信義という社会性や普遍性を失った、仏教でいう餓鬼道の亡者になってしまう。
 それでも、命あっての物種というのが、令和日本の風潮で、国家の功労者にたいする敬意よりも、じぶんのいのちや民主主義のほうが大事とあって、国家に尽くした安部元首相の国葬に反対するのである。

 
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2022年09月01日

「うたのこころ」と日本人A

 ●「うたのこころ」からつくられた日本の国体
 万葉集や「勅撰和歌集(二十一代集)」には天皇や貴族から僧侶や防人、農民や遊女、読み人しらずまで、あらゆる階層の人々のおびただしい数のうたが載せられている。
 世界史的にも例のないことで、その特性は、大きく三つに集約される。
 一、天皇や貴族以下、各階層の人々のあいだに分け隔てがない
 二、天皇から平民までが文字を使いこなしているばかりか、高いうたの素養をもっている
 三、天皇や貴族が、武器をもっていくさをする代わりにうたを詠み、うたの選者となっている
 この三つの要素が日本という国家のいしずえ(国体)をつくりあげているのはいうまでもない。
 絶対王政がとられていた西洋では考えられないことで、かつて日本の政治が「君民共治」「君臣一体」であったことのあかしである。
 日本が祭祀国家であったことは、古代から室町時代中期にいたる千年以上にわたって、権力抗争はあったものの、体制を転覆させるような戦争がなかったことからも明らかで、そのかん天皇の地位がゆらぐことはなかった。
 古墳時代(250〜600年頃)ののちの飛鳥時代(592〜710年)と奈良時代(710年〜794年)にかけて万葉集が編纂されて、勅撰和歌集は、平安時代(「古今和歌集(905年)」にはじまって鎌倉時代、室町時代の初期「新続古今和歌集(1439年)まで延々と「二十一代集」にまでおよんだ。
「うたのこころ」が政治や権力をのりこえた稀有な例で、西洋のロゴスが神のことばで唯物論なら、日本のうた(和歌)は心のことばで、血がかよっている唯心論である。
 唯物論や合理主義などの一元論が破綻するのは、内部にふくんでいる矛盾や不条理を解消できないからである。
 ところが、人情や情緒をふくんでいるうたのこころは、矛盾や不条理をのみこんでしまう。
 高き屋に 登りて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり(『新古今集』)
 仁徳天皇のこの和歌が、ロゴス(理)ではなく、うたのこころ(情)だったからこそ、天皇がやまとの国をまとめる国父たりえたのである。

 ●人工的な権力は一元論、自然的な権威は多元論
 識字率や文化レベルの高さと政治形態、国のかたちには密接な関係がある。
 国民の識字率や文化の水準が高いのは、政治がすぐれているあかしである。
 国民をいたぶって搾取する権力的な体制なら、国民は、獣のような生き方をしいられる。
 うたをつくるどころか、生きることだけで精いっぱいだった中世ヨーロッパでは、庶民や貴族の多くが、読み書きどころか、じぶんの名前すらも書けない文盲だった。
 ところが「うたのこころ」で天皇と民がむすばれていた日本では、民が権力から虐げられることがなく、農民や遊女までが天皇と並んでうたを詠んだ。
 その背景にあったのが神話や自然崇拝、アニミズムで、それが「うたのこころ」に反映されて、江戸の俳句にまでひきつがれた。
 日本が、神話と伝統、文化の歴史的循環をくり返す自然国家なら、ヨーロッパは、人工国家で、その象徴が、キリスト教や啓蒙主義、市民革命だった。
 これらがすべて一元論なのは、人工的なものはすべて、一元論だからである。
 ちなみに、自然的なものは、すべて多元論で、日本の自然観や宗教観、そして「うたのこころ」は多元論である。
 絶対王政をうんだ「王権神授説」も人工的で、王権の正統性を神にもとめたヨーロッパの王室は、権力の系譜である。
 そもそも、権力は人工的で、いくさや多数決、軍事力や財力、そして家柄も一元論である。
 一方、権威は自然発生的で、権威の下ですべてが安定するのは、多元論的な自然はすべてを呑みこんで泰然としているからである。
 矛盾がふきだして、混乱がもたらされるのは、一元論だからである。
 一神教や啓蒙思想、改革や革命がことごとく失敗、あるいは決裂して争いがひきおこされるのは、矛盾や不条理をつつみこむふところの深さをもっていないからである。
 社会保障を厚くすれば、勤労意欲が失われて、社会が衰弱する。社会をよくしようという努力がすべて裏目にでるのは、一元論だからである。
 一方、自由な自然状態におかれると、社会が活気づく。
 自然状態が、不公平や不平等、矛盾や不条理をのみこんでしまうからである。
 この自然状態を語ることばが「うたごころ」で、たとえ、正義や真理はなくとも、自然状態には、忍耐や努力の報酬としてのよろこびや生の歓喜があるのである。

 ●「うたのこころ」が失われた日本の中世と近代
 この日本的秩序が崩れだしたのが後醍醐天皇による「建武の新政(1334年)」からだった。以後、金閣寺の足利義満の悪政(1378年)から南北朝の合一(1392年)、「応仁の乱(1467年)」そして戦国時代と、日本の暗黒の中世も250年の長きにわたる。
「建武の新政」から南北朝の時代精神は「うたのこころ」ではなく、儒教的な大義名分論と君臣論であった。足利尊氏は逆賊で、南朝の楠正成や新田義貞が忠臣となって、のちに水戸学の尊皇攘夷運動や昭和軍国主義に援用されたのは周知のとおりである。
 江戸時代は儒教(朱子学)一辺倒だったが「うたのこころ」をよみがえらせたのが賀茂真淵と本居宣長だった。
 国学は馬淵の「万葉集」研究から興って宣長の「古事記」研究と源氏物語のもののあはれ≠ナ本格化した。
 解読不能だった万葉集や古事記が現代人でも読めるようになったのは真淵や宣長の功績で、万葉集の賀茂真淵が「ますら(益荒男)をぶり」を、古事記や源氏物語の本居宣長が「たをやめ(手弱女)ぶり」を「うたのこころ」の神髄とした。
 さらに、本居宣長は「からごころ(外国の心)」を排して「やまとごころ」をもとめて多くのすぐれた和歌を残した。
 しきしまの 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花
 だが、真淵や宣長の「うたのこころ」は、明治維新の文明開化によって空中分解する。江戸文化も国学も、西洋化ブームの前には形無しで、脚光を浴びたのは自由民権運動の板垣退助や「民約論」の中江兆民、脱亜入欧の福沢諭吉らだった。
 17世紀、ケンペルの『日本誌』によってヨーロッパで日本ブームがおきたが、19世紀の日本は、鹿鳴館文化の西洋化一本やりで、天皇は、祭祀王でも勅撰和歌集の主宰者でもなく、ヨーロッパ的な君主となった。
 ケンペルが、権力の幕府にたいして、権威とした天皇がヨーロッパ的な絶対君主になって、それが、昭和軍国主義までひきずられてゆく。
 次回は血盟団事件の井上日召と決別した大東塾の景山正治が三浦義一とともに「うたのこころ」をとおして文化維新をもとめていった経緯をふり返りたい。

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2022年08月21日

「うたのこころ」と日本人@

 ●西洋のイデオロギーと日本の「うたのこころ」
 中江兆民は、ルソーの「社会契約論」を翻訳して、日本のルソーと呼ばれた。
 その兆民が、日本には、ルソーやカントのような哲学がないといって嘆いた。
 ところが、一方、西洋には、哲学はあっても、万葉集や古今和歌集のような歌集が存在しない。
 兆民は、日本人が浅薄なのは、哲学をもたないからだといったが、同じ論法をもちいて、西洋人が和の心や人情などの文化を解さないのは、うたのこころがないからともいえるのである。
 西洋の哲学と日本の「うたのこころ」は、精神文化において、東西の双璧をなしているのである。
 日本人は、西洋人のように、自我や権利、自由をふりまわさない。
 個人主義よりも、万葉のこころや風情、わびやさびという情緒、心の深さや多様性を大事にするのである。
 西洋と日本のギャップは、宗教観のちがいでもあるだろう。
 キリスト教は、絶対神との信仰契約で、個人主義的である。
 西洋が、一元論なのは、キリスト教やユダヤ教、イスラム教が、ヤハウェの一神教だからで、一神教から一元論がうまれるのは、自然のなりゆきである。
 一元論は、神と悪魔が敵対関係にあるように、善と悪、正と邪、良と否が分かって、互いにはげしく否定しあい、ときには、殺し合う。
 モーゼの十戒(旧約聖書)やキリスト教(新約聖書)がつたえるのがロゴス主義である。日本は言霊だが、西洋はロゴス主義で、ヤハウェとともにあったロゴス(ことば)は、世界を世界たらしめている唯一の原理で、神的存在でもある。
 ロゴス主義の西洋のどこからも、うたのこころはでてこない。
 ことばは、神のものだからで、神のことばを借りてできたのがイデオロギーである。
 一方、日本の信仰は、八百万の神々や神話、自然崇拝や祖神などの自然観をとおしてあらわれたもので、ことばは、神々のものではなく、みこと=人々のものだった。
 それがうた(和歌)で、自然や神々にたいするすなおな心根がうたわれる。

 ●天皇と民がうたでむすばれた二十一の「勅撰歌集」
 西洋のロゴスは、ぎすぎすした唯物論だが、日本のうた(和歌)は、ヒトの心をとおしてあらわれるうるおいのある唯心論である。
 自然を神からあたえられた材とする唯物論の西洋と、自然を神とする日本の唯心論は、けっして、折り合えるものではなく、それが、極端なかたちとしてあらわれたのが、皇国史観と共産主義の対決であったろう。
 明治維新は、天皇を元首に据えるという過ちを犯したが、天皇中心の歴史は、神話をひきついだ国史として、どの主権国家も採用している歴史観である。
 これが国体と呼ばれているのは、そこに、独自の自然観や宗教観、価値観や国家観が反映されているからである。
 国体の象徴が天皇で、天皇とは、歴史や文化、民族性そのものなのである。
 明治維新の過ちは、天皇を元首にして、天皇の権威を政治の道具にもちいたところにあって、天皇の個人崇拝を最大限に利用したのがあの愚かな昭和軍国主義だった。
 一元論の西洋とちがって、多元論の日本では、日本人のアイデンティティであるうた(和歌)を天皇が勅撰するという形で、国家の統一がはかられた。
 これは、世界史的に見ても、特筆されるべき稀有な事実である。
 神話の神々や天神地祇、自然神を祀る祭祀王である天皇は、うた(和歌)の主宰者でもあって、勅撰和歌集は「古今和歌集(905年)」から「新続古今和歌集(1439年)」まで21集(「二十一代集」)におよんだ。
 西洋がロゴス主義をもって、日本は「うたのこころ」をもって、国家という共同体を樹立したわけだが、江戸時代初期(1650年)の江戸(50万人)はロンドン(41万人)やパリ(45万人)をしのぐ大都市で、フロイスら宣教師たちは江戸の町の洗練性を絶賛している。
 ケンペルの『日本誌』が、ゲーテ、カント、ヴォルテール、モンテスキューら、ヨーロッパの一流人に愛読されて、19世紀のジャポニスムにつながっていったのは、日本の文化がそれだけすぐれていたからだった。
 一方、ドイツ人医師(明治天皇の主治医)の『ベルツ日記』によると薩長の出身者に占められた明治政府の役人らは「われわれに歴史はありません。われわれの歴史はこれからはじまるのです」とのべて、ベルツを嘆かせている。
 日本の欧米コンプレックスは、薩長の狭量からうまれたもので、西洋に追いつけ追い越せという風潮が、西洋のイデオロギーを尊重して、日本の「うたのこころ」を軽んじる風潮をうみだしたともいえる。

 ●戦後の最大右翼にして歌人の三浦義一との出会い
 わたしが「うたのこころ」にふれたのは偶然で、昭和39年以降、わたしは縁あって、右翼の大物で歌人だった三浦義一の杖もちのような役割をひきうけていた。
 昭和40年、わたしは、西山幸輝(日本政治文化研究所)に依頼されて日本新聞社から版権を譲り受けた「日本及日本人」の復刊、再刊にあたっていた。
 日本政治文化研究所は、近衛文麿が創設した昭和研究会を戦後、三浦義一が再建したもので、三浦の高弟であった関山義人の紹介から西山幸輝が理事長に就任していた。
「日本及日本人」は、明治40年、三宅雪嶺らを中心に発刊された国粋主義を唱える評論誌の復刊版で、林房雄(作家)や保田與重郎(文芸評論家)、御手洗辰雄(政治評論家)のほか村上兵衛(作家)、黛敏郎(音楽家)、鵜沢義行(日大教授)、山岩男(京大教授)、多田真鋤(慶大教授)らが執筆陣に名をつらねた。
 三島由紀夫にも、再三再四、執筆をお願いして、原稿を戴いた。
 当時、わたしは、三浦義一の経歴や思想、人脈などに無知で、血盟団事件の井上日召、大東塾の影山正治との間柄についてもほとんど知るところがなかった。
 ちょうどその頃、三浦義一は保田與重郎とともに滋賀県大津市「義仲寺」の再興にあたっていて、わたしもしばしば、義仲寺に同行した。
 義仲寺は、源義仲と義仲の愛妾だった巴御前巴の墓がある寺院で、松尾芭蕉も遺言によって此処に葬られた。「木曽殿と背中合わせの寒さかな」
 戦後、荒廃するのを見かねた保田與重郎が三浦義一を誘って、再興したもので、お二人の墓所もここにある。
 昭和42年、境内全域が国の史跡に指定されている。
 次回から、戦後最大の右翼にして歌人だった三浦義一の足跡を、そばで見ていたじぶんの目をとおしてふり返ってみたい。
 そして、西洋のイデオロギーにたいして、日本の「うたのこころ」がなんであったかをじっくり考えてみたい。
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2022年08月08日

 民主主義とテロリズムB

 ●政治を暗黒化させてきたテロリズム
「戦争は他の手段をもってする政治の一形態」といったのはクラウゼヴィッツ(『戦争論』)だった。
 事実、政治をうごかしてきたのは、話し合いや合意、多数決などの「政治の論理」ではなく、戦争や革命、クーデター、そして、テロリズムなどの「力の論理」だった。
 日本の近現代史も例外ではなかった。
「安政の大獄(1858年)」と「桜田門外の変(1860年)」によって火蓋が切って落とされた明治維新は「蛤御門の変(1864年)」や「新撰組による池田屋事件(同年)」から「坂本龍馬暗殺事件(1867年)」、「鳥羽・伏見の戦い/戊辰戦争/会津戦争(1868年)」にいたるまでテロの連鎖で、長州の会津にたいする憎悪と残虐非道な仕打ちは、歴史上、比類がなかった。
 昭和軍国主義も、原動力となったのは、軍事テロで、橋本欣五郎(陸軍)や大川周明らによるクーデター計画(「三月事件」「十月事件」/1931年)を皮切りに「5・15事件(1932年)」から「2・26事件(1936年)」へとつづいたテロリズムが昭和軍国主義の導火線となった。
 個人テロには、井上日召の「血盟団事件(1932年)」のほか、民間右翼による「神兵隊事件(1933年)」があげられるが、衝撃的だったのは、統制派リーダー、永田鉄山が皇道派に同情的だった相沢三郎に斬殺された「相沢事件(1935年)」で、これが翌年の「2・26事件」の伏線となった。
 永田は現実主義者で、中国大陸からの撤退と日本防衛(「漸減邀撃戦略」)を構想していた。だが、永田を敬っていた後釜の東条英機が、戦線維持を永田の遺志と錯覚して中国戦争に固執したばかりか、海軍の軍令部総長、永野修身の「真珠湾攻撃」になんの抵抗もできなかった。
 永田が生きていれば、蒋介石と和解のみちをひらく一方、海軍の南進作戦に徹底的に抵抗したはずで、そうなれば、日本の歴史は、大きくちがったものになっていたはずである。
 テロリズムの歴史が、日本を悪夢へひきずりこんだのである。
 
 ●「左翼暴力革命」と「右翼テロ」の対決
 テロやクーデターが政治をうごかすのは「政権は銃口からうまれる(毛沢東)」ものだからである。
 世界史上、話し合いや多数決で、新しい国家や政権がうまれたためしはない。
 イギリスやアメリカ、フランスやロシア、中国革命が、戦争や独裁、粛清をともなっていたのは、史実にあるとおりで、日本共産党も、極左軍事冒険主義を転換した「六全協」以前、火炎瓶闘争や山村工作隊、トラック部隊などの非合法テロ活動をくりひろげた。
 共産主義革命にたいする脅威は、大きなもので、羽仁五郎や都留重人、大内兵衛、向坂逸郎らマルクス学者がちやほやされて、当時、「革命がおきたら右翼反動はギロチンだ」という脅し文句がとびかった。
 総評や日教組、労働組合や学生運動が戦闘的になってくるなかで木村篤太郎法相が侠客、梅津勘兵衛に「反共抜刀隊」の結成を依頼、あるいは、60年の安保闘争時、橋本登美三郎が右翼の児玉誉士夫に協力をもとめた。
 日本の右翼が防共の最前線に立ったのは、政治が暴力革命の可能性をひめていたからで、そこからひきおこされたテロ事件が「米帝国主義は日中共同の敵」発言に反発した山口二矢による「浅沼稲次郎暗殺事件(1960年)」だった。
 この事件がとりわけ印象に深いのは、わたしはその日(10月12日)、その場所(日比谷公会堂)で、事件を一部始終、目撃していたからである。犯人の山口二矢(17歳)とは、新島ミサイル闘争(賛成派)でともに左翼と闘った関係にあった一方、浅沼氏は、わたしと同じ三宅島出身という因縁もあった。
 浅沼事件と並ぶ政治的テロとして、三島由紀夫が自衛隊に蜂起をうったえた「三島事件(1970年)」がある。
 ともに、日本の赤化(共産化)を防ぐためで、かつて、右翼は、共産主義と対決する最前線に立っていたのである。

 ●ホッブズの『社会契約説』とルソーの『社会契約論』
 自然状態において、人間は、つねに、飢えや自然的災難、外敵の襲撃などの危機にさらされる。
 したがって、生きながらえるためには、幸運のほかに、十分な生活資材や装備、政治的条件があたえられていなければならない。
 それが国家で、ホッブズが必要悪としての国家の存在を主張したのは、自然状態が野蛮で、つねに、万人による万人の戦争の危険性をはらんでいるからである。
 平和をまもるのも軍事力で、武器をもってまもらなければ、略奪と殺戮などがまかりとおるこの世の地獄となるのは、戦勝国に占領された敗戦国の惨状を見るまでもない。
「戦争は政治の一形態」や「政権は銃口からうまれる」という政治の残酷さを語ったことばは、ホッブズの国家観でもあって、現在、世界は、そのリアリズムに立っている。
 ところが、ホッブズの百数十年後、ルソーがこれに異をとなえた。
 人間は、生まれながらにして自由で、平和こそが自然状態というのである。
 このルソー主義がマルクス主義と合体して唯物論(共産主義)がうまれた。
 平和な自然状態にあった社会をねじまげたのは、国家権力と資本主義であるから、これを倒して、国民主権=人民政府をつくらなければならないというのである。
 人間はうまれながらにして自由だが、いたるところで鎖(国家や資本、法)につながれている」とするルソーの『社会契約論』では、そのあとにこうつづく。
「人民はみずからの権利を共同体全体に完全に譲渡した。しかし、人民自身は主権者であって、法の根源は主権者にある」
 このインチキな文章に騙されて、人々は、じぶんに主権があると思いこんだ。
 フランス革命のロベスピエールは、ルソー主義にもとづいて、人民の主権をあずかって恐怖政治を敷いた。
 ところが、主権者たる人民の主権には、見向きもしなかった。
 法の根源たる国民主権は、すでに、独裁者に譲渡されていたからである。
 日本人のノーテンキな平和主義はルソー主義だったのである。

 ●民主≠フヨコ軸と自由≠フ縦軸が交差した自由民主主義
 人民主権は、ひとり一人の人民にあたえられていたのではなかった。
 人民全体が一つの主権で、それを独裁者があずかるという話である。
 ルソーの人民(=国民)主権は、独裁の便法であって、これを悪用したのがヒトラーとスターリンだった。
 日本の左翼が民主主義や国民主権をもちあげるのは、これをまとめて預かる人民政府を夢想しているからだが、いずれも、ヒトラーやスターリンがやったいつか来た道≠ナ、自由や個人が抜け落ちた全体全体主義である。
 必要なのは、民主のヨコ軸と自由の縦軸が交差した自由民主主義で、それが「個と全体」の矛盾を解消できる最善の体制なのである。
 ルソーのインチキは、欧米では、とっくに暴かれて、だれも相手にしない。
 ところが、日本では、啓蒙思想家としてルソーが尊敬を集めている。
 ルソーがマルクス主義の前段階的地位にあるからで、日本のマルクス主義者はルソー主義者でもあるのである。
 そこからでてきたのが、日本人はもっと主権を主張すべき(『主権者のいない国(白井聡)』)という愚論である。
 日教組のルソー教育で育った日本人は、自然状態が平和で自由なユートピアで、国家がそのユートピアを破壊しないようにまもっているのが憲法と思っている。
 うまれながらにして自由なルソー的人間とって、国家は、敵となる。
 日本人がホッブズのいう、必要悪としての国家をみとめなければ、いつまでたってもノーテンキな平和ボケに埋もれたままなのである。
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2022年08月01日

 民主主義とテロリズムA

 ●革命とテロリズムは兄弟である
 西洋史はテロリズムの歴史といってよい。
 十字軍の遠征から宗教戦争、領土・領主戦争や農民の反乱、略奪者のバッコとあげてゆけばきりがないが、いずれも、殺害と略奪が目的のテロリズムで、兵士と兵士がたたかう戦争とは別物である。
 そのなかで、際立っているのが、フランス革命期のジャコバン派の恐怖支配(1793〜94年)である。革命派が反革命派1万6000人をギロチンで断首する恐怖政治をおこない、ここから「テロリズム(恐怖政治)」ということばがうまれた。
 これに次ぐのが、ユダヤ人900人以上が殺害され、2万6000人が強制収容所に送られた「水晶の夜事件(1938年11月9日)」で、この事件からナチスのユダヤ人大虐殺(ホロコースト犠牲者600万人)がはじまった。
 近代になっても、テロリズムの猛威はやむことがなく、スターリンの大粛清では1000万人、毛沢東の文化大革命では3000万人(推定)、ポル・ポト政権(カンボジア大虐殺)は人口の4分の1にあたる約200万人が私刑によって惨殺されている。
 ヨーロッパのテロリズムの頂点にあるのが「三十年戦争(最大の宗教戦争)」で、ドイツの人口の20%をふくむ800万人以上の死者を出している。百年戦争(英仏領土戦)やバラ戦争(英王族戦争)も、テロとその報復で、際限のない殺し合いのなかから市民革命という新たなテロリズムがうまれた。
 日本人は、フランス革命によって、人類は、自由や平等、人権を手に入れたと思いこんでいるが、とんでもない思いちがいである。
 フランス革命とナポレオン戦争による死者は約500万人で、ナポレオンがやったのは、王政復古と世界史上初となる帝国主義戦争だった。
 革命のスローガンとなった自由も平等も後付けで、フランス革命の代名詞である「人権宣言」には女性と奴隷がふくまれていなかった。
 フランス革命は、自由と平等のあけぼのではなく、テロリズムが大手をふりはじめる契機となる歴史的惨事だったのである。

 ●国民主権と人民独裁は「テロルの論理」
 日本人は、西洋を、自由や平等、人権や民主主義をつくりあげた理想国家のように思っている。
 だが、アメリカ・イギリス・ロシア・フランス・中国の5国連常任理事国を筆頭に、先進国の大半が革命国家で、君主制を捨て、多くが大統領制をとっている。
 革命は、テロリズムで、その手段に使われる民主主義や国民主権も、同類である。
 歴史や伝統、多様な文化や習俗をもった社会を、一夜にして単一的価値観の全体主義にきりかえ、反対者を抹殺する政治的変更がテロリズムでなくてなんだろう。
 革命において、テロリズム(暴力)が容認されるのは、革命派が国民主権をあずかるからで、テロルは、国民の名のもとでおこなわれる。
 国民主権や民主主義は、革命の道具でしかなかったのである。
 国民主権や民主主義にために革命がおきるのではない。
 革命のために、国民主権や民主主義が必要だったのである。
 国民主権の発明者ルソーは、多数決ではなく、全員一致の合意を主張した。
 多数決では少数派が切り捨てられるので、不完全というのである。
 全員一致の合意が、テロリズムなしにどうして実現されるだろう。
 フランス革命やロシア革命、中国革命で粛清の嵐が吹き荒れたのは、革命が「テロルの論理」に立っているからで、国民主権が丸ごと革命派もしくは為政者に委譲されるとする「人民独裁の論理」ほどめちゃくちゃな理屈はあったものではない。
 ルソーは「人間は生まれながらにして自由なのに、いたるところで鎖に繋がれている(社会契約論)」といった。ホッブズの「社会契約説(国家がなければ「万人の戦争がおきる」)への反論だが、夢想的な美辞麗句を並び立てただけの空論で、いまどき、こんなものを有難がっているのは、日本だけである。
 日本でルソーがもてはやされるのは、マルクスがルソー主義にユダヤの経典(タルムード)をくわえて『共産党宣言』を書きあげた(エンゲルス共著)からで、日本の左翼は世界がとっくに捨て去ったルソーとマルクスが大好きなのである。

 ●君主国家だけで機能する間接民主主義
 ルソーの自由がフランス革命のスローガンになったというが、革命を正当化するためにつくられたウソで、フランス革命時、吹き荒れていたのは、怨念と憎悪、恐怖だけで、自由などという抽象的な観念などどこにもなかった。
 まして、国民主権や民主主義など、意識のかけらさえ存在しなかった。
 もともと、ルソーの民主主義は、国民が直接、政治に参加する直接民主主義だった。
 だが、国民全員を収容できる議事堂があるはずはない。
 直接民主主義は、事実上、不可能な話だったのである。
 そこでルソーがもちだしたのは、国民主権を丸ごと独裁者にあずけてしまうというアイデアで、原型は、プラトンの哲人政治である。ルソーは、民主主義や国民主権をギリシャ哲学からひっぱりだしてきたのである。
 国民主権を為政者にあずけると、完全なる政治(=独裁)が可能になる。
 それがスターリン主義で、国民主権の名目で粛清もやりたい放題である。
 ルソーの民主主義と国民主権は、独裁政治の手法で、テロリズムだったのである。
 ロシアや中国、北朝鮮に多数決があったら、プーチンや習近平、金正恩らは独裁者になることはできなかった。
 かれらの絶対権力をささえているのは国民主権をあずかっている≠ニいうルソー主義で、ルソーの心酔者だったポル・ポトは「自然に帰れ」を妄信して近代的工場から郵便局まで破壊して、工場長や郵便局長まで死刑にした。
 アメリカもフランスも、ロシアも中国も、みずからの革命政権を正当化して「わが国こそ真の民主主義国家である」と叫ぶ。
 民主主義国家では、元首(大統領)が、国民主権をひきうけて権力をふるう。
 だが、日本やイギリス連邦王国、ヨーロッパの王室国家は、国民主権をあずかるのは、大統領ではなく、君主である。
 大統領が不在なので、首相は、粛々と、内閣や議会の運営につとめる。
 このとき、もちいられるのが多数決で、それが議会制民主主義である。
 多数決は、普通選挙法と並んで、間接民主主義の切り札で、立候補の自由がない中国やロシア、大統領の判断で戦争ができるアメリカなど共和制国家とは政治体制が異なるのである。

 ●民主主義はフランス革命のギロチン
 多くの日本人が「民主主義なのでテロはゆるされない」と口を揃える。
 民主主義とテロリズムが兄弟だったことを知らないのである。
 民主主義がテロリズムに抵抗できないのは、同じ穴のムジナだからである。
 歴史共同体である社会には、数千年にわたってまもってきた伝統、これからもまもっていかなくてはならない価値がある。
 伝統は、先祖からうけついで、子孫につたえていかなければならない文化であって、それが、死者をふくめた日本国民の暗黙の了解事項である。
 ところが、これを平然と破壊しようといううごきが自民党のなかにもある。
「民主主義の世の中で、皇統の万世一系(男系男子相続)はおかしい」というのである。
 伝統破壊は、テロリズムである。
 なぜなら、伝統はみずからをまもる手段を有さないからで、無防備なモノを一方的に破壊するのがテロでなくてなんだろう。
 独裁(=直接民主主義)でも多数決(=間接民主主義)でも、伝統や文化を破壊するのは、貴族をギロチンにかけたフランス革命の論理で、民主主義それ自体が、テロリズムの一形態だったのである。
 革命は、テロリズムで、近代をきりひらいた市民革命がテロの論理にのっていたのである。
 日本共産党は、多数決によって、一夜にして革命が成立するとして暴力革命路線を捨てた。
 民主主義は、フランス革命のギロチンのようなものだったのである。
 次回は、政治が、いかに「力の論理=テロリズム」の上に成立してきたかをみていこう。

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2022年07月17日

 民主主義とテロリズム@

 ●テロリズムにぜい弱なのが民主主義の最大の欠陥
 安倍晋三元首相が銃撃されて死亡するという大事件がおきて日本中が悲しみにつつまれた。
 葬儀の沿道には大勢の人々が詰めかけて、哀悼の悲痛な声をふり絞る光景がテレビ中継されて、多くの日本人が涙した。
 トランプ大統領から「二度とあらわれないすぐれた指導者を惜しむ」という悼辞が届き、岸田文雄首相は、吉田茂につぐ戦後二番目の国葬を正式に決定した。
 政党の党首や財界人らも哀悼のコメントを発表した。
 異様だったのは、テロへの怒りと並べて、全員がハンでついたように「民主主義の根幹をゆるがす蛮行」「民主主義への挑戦」と民主主義を金科玉条のようにもちあげたことである。
 小沢一郎などは哀悼の意も表さずに「長期政権のツケがまわった。民主主義をまもるために政権交代をめざす」と言い放った。

 ●元総理の銃撃事件をゆるした危機管理能力の低劣さ
 テロが民主主義をおびやかすのではなく、民主主義だからテロがおこりうるという、単純なことが日本人にはわからない。
 中国やロシア、北朝鮮で、テロがおきないのは、収容所国家で、予防拘束ができるからで、民主主義ほどテロにたいして無防備で、危機管理がむずかしい体制はない。
 今回の銃撃事件で、世界各国が指摘したのが警備の甘さで、演説中の安倍元首相の背後はがら空きだった。
 銃撃犯の発砲および現場からの逃走の様子が、一部始終、アマチュアのスマホに撮られるというだらしなさで、奈良県警や公安関係者、警備関係者の一部は休憩中だったともつたえられる。
平和ボケ日本≠ネらではの光景で、日本人は、安全や防衛を、水か空気のように思っている。
 尖閣諸島危機から、中国・ロシア艦隊の日本沿岸縦走作戦および領空・領海侵犯や北朝鮮の日本近海へのミサイル発射にたいしても、危機感ゼロで、日本人は、民主主義と平和主義、憲法9条の下で、戦争などおきるはずはないとタカをくくっているのである。

 ●「民主主義と国民主権」対「自由主義と個人主義」
 民主主義には2つの意味があって、1つは、多数決である。
 ソクラテスやプラトンの時代から多数決という数の論理が大手をふっていた。
 クラテスに死刑判決を下したのが、その多数決で、その衆愚政治を批判したプラトンが「哲人政治」を唱えたのは有名な話である。
 歴史上、民主主義は、衆愚政治の代名詞だったのである。
 2つ目が国民主権(主権在民)で、これはルソーが唱えた。
 国民主権は、王権(ソブリンティ)に対比されるもので、国民主権をあずかった者が、君主に代わって、主権をもつことができるとした。
 この場合、国民は、国民一人ひとりではなく、統治される階層という意味である。
 個人の意志(特殊意志)ではなく、全体の意志(一般意志)を、為政者が丸ごとあずかって、独裁的な政治をおこなう。
 個人が、国民全体に一般化されるので、これは「一般化理論」とも呼ばれる。
 そもそも、ルソーは、自由主義や個人主義に否定的で、議会主義をみとめていない。「国民全員を収容する議事堂は存在しないので、為政者が国民の主権をあずかる」というのが人民政府で、これは、共産主義のことである。

 ●戦後マルキストがつくりだした民主主義ブーム
 戦後、日本で民主主義ブームがおきたのは、GHQの公職追放でマスコミや大学教員らがそっくりマルクス主義者にいれかわったためで、民主主義や国民主権は、共産主義の代名詞だった。
 ところが、日本は、天皇の国なので、民主主義を人民独裁におきかえることはできなかった。
 共産党が勢いをえた時代もあったが、大方の日本人はアカ(共産主義)≠きらった。
 そこで、マスコミや学者や文化人ら左翼は、民主主義の大宣伝に打って出た。
 アメリカもフランスも、ソ連(ロシア)も中国も、革命国家で、フランスはルソー、アメリカは革命権を謳うロック、ソ連や中国はマルクスが国家のバックボーンである。 
 戦後、全体主義に抵抗したのが、ヒトラーに酷い目にあわされたイギリスとフランスだった。
 イギリスは保守主義(議会主義)を、フランスは、自由主義(個人主義)を立てて、共産主義や民主主義と一線を画した。
 これが「個と全体」のバランスで、国民と個人の区別、多数決と少数意見の尊重、自由にたいする制限、個人にたいする責任を、社会的規範(モラル)としたのである。

 ●自由と好き勝手≠フ区別がつかない日本人
 日本人は個人の自由≠ニいうとなんでもありの好き放題(リバタリアニズム)を思いうかべる。
 だが、自由主義や個人主義には、制限と責任という付帯事項があって、社会秩序は「自由の制限」と「個人の責任」によってまもられている。
 日本人は、この2つの付帯事項の欠落に、気がついていない。
 日本では、なにをやるのも個人の自由≠ェ善とされるが、欧米では、悪である。
 その悪の代表がテロリズムで、欧米ほどテロに苦しんでいる国はない。
 名古屋の「表現の不自由展(2019年あいちトリエンナーレ)」では、天皇の写真を燃やして、踏みつけて、それを表現の自由とした。
 このイベントに、国が補助金を出したほか、愛知県大村秀章知事ら賛同者が少なくなかった。
 これが、マスコミの「表現の自由」の原点で、表現の自由を奪われることへの抵抗ではなく、モラルをまもろうとしている人々にたいするテロ攻撃である。
 表現の自由には、被害者がでるので、おのずと、制限がかけられる。
 ところが、日本では、その制限にたいして、逆制限をかける。
 2019年の参院選で、安倍首相(当時)の演説を妨害した男女が会場から排除されたが、この男女がおこした裁判で、広瀬孝裁判長(札幌地裁)は、表現の自由を侵したとして、北海道警察に慰謝料の支払いを命じた。
 日本は、司法までが、悪の代表であるテロリズムの味方なのである。

 ●マスコミの言いたい放題≠ヘ言論テロ
 歯止めのきかないテロリズムに支配されているのがマスコミである。
 銃撃されて安倍元総理の血にまみれた姿がNHKを中心にくり返しテレビでオンエアされて、視聴者から悲鳴があがった。
 マスコミは、紙を売り、テレビの前に視聴者を釘付けにすることだけが目的の商売人で、商売のためなら、人権や名誉、誇りの侵害を意に介さない。
 気に食わなかったら徹底的な叩くというテロリズムの発想は、現在、日本中に蔓延しているが、元凶はマスコミである。
 とりわけ安倍叩き≠ノ狂奔した夕刊紙やスポーツ紙は、連日、テロを煽るような過激な見出しを掲げつづけている。
 このテロリズムがマスコミの本性で「やりたい放題をやってなにがわるいのか」という現代の日本人の気質を助長してきた。

 ●「国民の知る権利」の国民はだれのことか
 責任と義務は、国防問題にも深くかかわっている。
 安倍元総理が、憲法に自衛隊合憲を謳おうとしたのは、国をまもる自衛隊を税金ドロボー≠ニののしる日本人が少なくないからである。
 自由主義には制限、個人主義には義務と責任がついてまわるが、日本の民主主義は無制限で、いっさい縛りがかからない。
 日本は「主権在民」の国で、国民には主権があるので、なにをやってよいと思いこんでいるのである。
 だが、一人ひとりの国民に主権などない。
 国民主権をいうなら個人(特殊)が国民(一般)の代表である証明が必要である。
 マスコミは「国民の知る権利」という。その国民はだれか。そのなかに知る権利をふりまわすことに反対する人々はふくまれないのか。
 マスコミは、商行為の手段である。そのマスコミが売らんかなの精神で、虚栄や嫉妬、不満や怒り、不安や恐怖を煽って、言論の自由を喧伝する。
 そして、惨事がおきると特ダネ≠ニしてセンセーショナルに報じて国民の知る権利を主張する。
 民主主義は、暴力テロにも言論テロにも、まったく、無防備だったのである。
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2022年06月27日

 よみがえってきた「帝国主義」の亡霊F

 ●核の脅威を消滅させたウクライナのEU加盟
 ウクライナが、6月23日、モルドバとともに欧州連合(EU)の加盟候補国に承認されて、ゼレンスキー大統領は「この日を待っていた。歴史的な瞬間だ」とこぶしをつきあげてよろこびをあらわした。
 プーチンは「EUは軍事同盟ではない」として反対表明はおこなわなかったが、ロシアと交戦中のウクライナにとって、EU加盟候補国承認は大きな恩恵となった。
 ロシアがウクライナ戦争で核兵器を使用する可能性が劇的に低下したからである。
 ロシアが世界核戦争を望まないかぎりにおいて、EU加盟(申請承認)国にたいする核使用は、ヨーロッパへの核攻撃となるので、ありえないとはいえないが、考えにくい。
 ウクライナ戦争の焦点は、当初から、核使用とどれだけの国がウクライナを支援するかの2点に絞られていた。
 核の使用の危機は、ウクライナのEU加盟承認によって、一応、のりこえられた。
 もう一つの焦点だったウクライナの支援国家のほうは、月に一度のペースでひらかれている国防大臣レベルの関係国会合で、ウクライナに軍事支援を約束する国が47にもたっした。
 提供される兵器は、デンマークの対艦ミサイル「ハープーン」やイギリスの空対地ミサイル「ブリムストーン」、オーストラリアとカナダの榴弾砲「M777」、ノルウェーの対艦用NSMミサイルなどだが、アメリカも、射程がロシア領にたっしない範囲で使用できる多連装ロケットシステム(MLRS/HIMARS)の供与を検討している。

 ●中国の極超音速ミサイルに日本の技術
 これらの武器がすべてウクライナ軍にいきわたれば、膠着状態にある戦況が一変する可能性もあるが、ロシアも、米原子力空母を一発で沈める威力をもつ極超音速ミサイル「ツィルコン(マッハ9)」を実戦配備するという。
 核戦争を回避できたしても、つぎは、防御不能な極超音速ミサイルというのでは、軍事力によるウクライナ防衛どころか、軍事力による自国防衛すらなりたたなくなる。
 極超音速ミサイルをもっているのはロシアと中国、北朝鮮で、日米は後塵を拝しているが、高市早苗総務大臣が衝撃的な告発をおこなった。
「スクラムジェットエンジンや流体力学、耐熱材料の技術などの日本の技術が中国の極超音速兵器の開発に使われている」というのである。
 日本人の学者は、カネで買われて、じぶんの国にむけられるであろう中国の極超音速ミサイルの研究にとりくんでいるのである。
 もっと深刻なのが「軍事研究の禁止」を主張している日本学術会議によって日本の大学や研究機関から精密誘導機器や耐熱・強度素材の研究が放逐されてしまったことだろう。
 精密誘導機器は、巡航ミサイルなどに搭載される全地球測位システム(GPS)のレーダーで、現在、中国と台湾の独擅場である。日本の技術が先行したが、中国と台湾が逆転して、多くの日本人研究者が中国の「国防7校」などに招かれて、極超音速ミサイルの研究にとりくんでいる。
 日本の「危機の構造」は、核や極超音速ミサイルよりも、国をまもる精神の欠如にあったのである。

 ●国をまもる気がない日本では成立しない核の議論
「戦争がおきたら国のために戦うか」というアンケートで「たたかう」と答えたひとが13%しかいない日本で、アメリカに「核の共有(ニュークリア・シェアリング)」を強硬に申し入れることなど、できるはずがない。
 ちなみに、同アンケートは「世界価値観調査(WVS/電通総研)」という権威があるもので、13%という数字は、調査対象国79か国中ダントツの最下位(78位はリトアニア43%)だった。
 核シェアリングは、西ドイツのアデナウアーの熱意がアメリカをうごかして、ようやく実現したもので、アメリカには、敗戦国のドイツと日本に独自の核をもたせる気などさらさらなかった。
 日独が核の攻撃をうけても、核で報復する気もない。
 だが、反ソ連(ロシア)の同盟国なので、核シェアリングや核の傘の「拡大抑止」というわけのわからないことをいってごまかしてきた。
 日本が核の傘∴ネ外の方法で核装備するなら、イスラエルと同様、潜水艦以外の選択肢はないだろう。
 イスラエルは、みずから公言しないが、核を、ドイツ製のドルフィン級通常型潜水艦に搭載している。
 爆撃機による出撃では、先制攻撃が不能で、核抑止力としても不十分である。
 弾道ミサイルも、地上の基地は、敵に攻撃目標をさしだすようなものである。
 結局、おちついたのが、敵から探知されにくく、攻撃を予知されない潜水艦だった。
 日本は、世界屈指の海軍大国で、潜水艦の製造や戦闘能力にかけては世界一である。その日本の潜水艦チームが日本近海で米原子力潜水艦との共同訓練を積み上げてゆけば、中国やロシア、北朝鮮は、日本の潜水艦が核装備していると想定する。
 それが抑止力で、イスラエル潜水艦の核も、想定されているだけで、実際に見た者はいない。
 岸田首相が国会でぺらぺらと非核三原則を口にするのは利敵行為で、国会で質問されたら、国防問題は、国家機密として、つっぱねておけばよいのである。

 ●ロシアの戦費は4か月で国家予算の10倍以上
 木村太郎が「6月いっぱいでロシアは消えてなくなる」といったのは4か月の戦費合計が360兆円(1日約3兆円)にもなるからで、ロシアの国家予算(35兆円)の10倍をこえる。
 ロシアが消えてなくならないのは、ルーブル紙幣を刷りまくっているからで、ロシアや中国、北朝鮮の経済が破綻しないのは、通貨発行を経済の原動力とする「MMT理論」をとっているからである。
 国家があるかぎり、通貨発行によって、経済力を維持できる。国家を借金のカタに入れたバクチのようなもので、国家には無限の担保力があるので、いくらでも紙幣を刷れるが、その分、借金は、ふえつづける。
 したがって、赤字が国家の担保力をこえると、極端な通貨安が生じて、経済が崩壊する。
 それが、資源国家ベネズエラの悲劇で、地下資源の輸出だけにたよってきた同国は、2015年以降、通貨価値が100分の1以下となって、国家崩壊の危機に瀕している。
 ロシアは、極超音速ミサイル「ツィルコン」を実戦配備する予定だが、このミサイルはきわめて高価で一基数百億円といわれる。
 ロシアがこれを大量に使えば、戦費はさらにはねあがって、ロシアは大量に発行した貨幣が極端な通貨安を招く経済縮小(「MMTのジレンマ」)へむかうことになる。
 中国がロシアの後ろ盾になっているのは、戦争で疲弊したロシアを事実上の属国にして、アメリカに対抗しようというもくろみで「中国と中央アジア5か国が外相会談」では、王毅外相が人民元による経済圏の構築≠うちあげている。
 世界は、ウクライナ戦争をめぐって、混沌の度をましている。
 だが、日本は、ただ呆然と手をこまねいているばかりである。

 ●公明と縁を切った自民党小野田紀美議員の心意気
 自民党が、核という「国家の存亡」を左右する大問題をアメリカにゆだねて、核問題を真剣に考えようとしないのは、公明党と摩擦をおこしたくないからである。
 公明党の「核廃絶・核不拡散・非核三原則」は創価学会婦人平和部隊≠フスローガンでもあって、政治でも政策でもない、念仏のようなものである。
 したがって、公明党に迎合する自民党には、核問題を語る政治的見識や覚悟、信念や資格がなかったということになる。
 7月に予定されている参院選挙で、自民党現職の小野田紀美議員が公明党の推薦を拒絶して、公明党が推薦を取り消すという椿事がおきた。あわてたのが公明票で当選してきた自民党議員で「迷惑な話」「公明に詫びを入れるべき」と青くなったが、当の小野田議員は、推薦取り消しに「それで結構」と平然たるものだった。
 小野田紀美は、父親がアメリカ人のアメリカ育ちで、親台湾派である。中国にべったりの公明党や創価学会はうけいれがたいが、それよりも納得できないのが、アメリカ育ちらしく自公癒着≠ニいう日本的なご都合主義だった。
 自民党が防衛問題や憲法改正、皇室問題などで、迎合的なことしかいわなくなったのは、公明の反発をおそれているからで、天皇よりも池田大作が大事な公明党と足並みを揃えて、国体にそった保守政治をおこなえるわけはない。
 公明と手を切れば、いまや、公明の下駄の雪となった自民は、大幅に議席を減らして、維新の会とでも連立を組まなければ政権を維持できなくなるだろうが、そのとき、ようやく、国防や憲法など、本格的な政治議論ができるようになるのである。
 ウクライナ戦争というきびしい世界情勢のなか、非核三原則の念仏を唱えている公明党、その公明党と手拍子を合わせている自民党に政治をまかせておくのはじつに心もとない話なのである。

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2022年06月13日

 よみがえってきた「帝国主義」の亡霊E

 ●「核保有」「核の傘」「核シェアリング」
 ロシアのウクライナ侵攻と、プーチンが核使用をちらつかせたことによって、日本の防衛世論が急激に変化した。
 防衛費増強派が80%、防衛費GDP2%派が6割にもたっしたのである。
 TVタレントや評論家が「日本が平和なのは憲法9条があるから」といいふらしていたウクライナ戦争以前の情勢とは、隔世の感がある。
 そこへ浮上してきたのが「核武装論」である。世界第3位の核保有国だったウクライナが、現在、ロシアの攻撃にさらされているのは、94年の核拡散防止条約(NPT)の加盟に際して、核兵器をロシアに移管したからというのである。
 核は、核にたいする最大の防御で、アメリカも北朝鮮に手が出せない。
 だが、使えない兵器で、使えば核の連鎖≠ノよって世界は破滅する。
 したがって、核の使用をいいだしたプーチンは、狂人ということになる。
 ミサイル狂の金正恩も、核弾頭1000発の習近平も狂人で、日本は、中ロ朝という狂人が最高権力を握る3つの帝国主義国家に囲まれている。
 原爆を投下したアメリカも狂人だが、日本は、そのアメリカの核の傘≠ノまもられながら、非核三原則(もたず、つくらず、もちこませず)を謳歌している。
 核を悪の権化にしながら核の傘≠ノ安住する日本も狂っているのである。
「気狂いに刃物」というが、核という刃物をめぐって、狂気が、右往左往しているのが、核をめぐる目下の世界情勢なのである。

 ●ありえないアメリカによる核の報復
 多くの日本人が核の傘≠誤解している。
 日本に原爆が撃ちこまれたら、アメリカが核で報復してくれると思っているのである。
 アメリカは、東京に原爆(第1弾)が投下されても、ニューヨークやロスの市民が犠牲になる第3弾を覚悟して、北京やモスクワ、平壌へ報復弾(第2弾)を撃ちこむことはない。
核の傘≠煌jシェアリングも、核の「報復装置」ではないからである。
 だからといって核の傘≠ヘなんの役にも立たないということではない。
「核の傘」や核シェアリングがあるかぎり、敵は、核の攻撃をためらう。
 敵に核攻撃を躊躇させることが「核の抑止力」で、それ以上でも以下でもない。
 したがって、敵が報復核≠撃ちこまれる可能性がないとみて、第一弾を撃ってきたらお終いで、核の抑止力は、そこで消滅する。
 第2弾、第3弾と報復核が連鎖すれば、米ロには合わせて一万発以上の核があるので、世界の破滅まで数日で十分である。

 ●核の傘や核共有と「核拡散防止条約」の矛盾
 核の抑止力も相互確証破壊も「事故を未然に防ぐ論理」で、赤信号のようなものである。
 赤信号で車が止まるのは、事故を未然に防ぐためで、だれでも事故がこわいので、赤信号は、永遠のルールとなる。
 一方、核の傘や核シェアリングは、交通事故にたいする「報復の論理」で、事故がおきたあとの処理である。他者(核保有国)の力を借りで、違反車や暴走車へ報復してもらおうというのだが、そのときは、こちらも深手を負っている。
 しかも、他者が報復してくれるというのは、勝手な希望的観測でしかない。
 バイデン米大統領が一般教書演説でプーチンの核恫喝≠ノふれなかったのは、核抑止力は、核報復ではないからである。
 報復なら、核抑止力がきかなかった後始末だったことになる。
 したがって、あとに残るのは、第三次世界大戦の回避だけである。
 核抑止力は、あくまで、抑止で、核を抑止するためだけにある。
 それには、核を使えば同等以上の被害をうけるという恐怖心をあたえなければならない。
 しかし、核の「相互確証破壊」は、核国保有国同士の論理で、非核保有国や同盟には通用しない。相討ち≠フメカニズムがはたらかないからで、同盟は運命共同体ではないのである。
 核の傘や核シェアリングは、核拡散防止条約(NPT)違反なので、契約の文書は存在しない。
 そもそも、NPTは、核の傘や核シェアリングを隠蔽してむすばれた条約である。
 したがって、核シェアリングは、日本政府が、アメリカ側につよく要請しなければけっして実現しない話なのである。

 ●欧州の核シェアリングと日本の非核三原則
 西ドイツが、アメリカと核シェアリングをむすんだのは欧州連合の父≠ニいわれるアデナウアー首相のらつ腕によるもので、敗戦国ドイツを英仏に並ぶ強国にするため、核シェアリングという巧妙な方法を案出した。
 第2次世界大戦が終結して、英米仏が軍隊の動員を解除したが、ソ連は欧州全土に数百個師団を残したまま、赤軍の大量動員を解かなかった。
 トルーマンが西ドイツに核兵器の核持ち込みを要請すると、アデナウアーは、即決でOKをだしたが、一つ条件をつけた。
 それが、核兵器の使用権をアメリカと折半する核シェアリングだった。
 これがNATO核の起源で、アデナウアーは、アメリカの核をドイツのほかイタリア、オランダ、ベルギー、トルコなどに配備して、相互互助関係にあるNATOが、核抑止力をもつ核の準保有国となった。
 これと逆のコースをたどったのが日本だった。
 アデナウアーが、事前協議なしの核持ち込みとひきかえに核シェアリングを実現させたのにたいして、日本は「沖縄返還(核抜き・本土並み)」の佐藤栄作が「非核三原則」をうちだして、ノーベル平和賞をうけた。
 アデナウアーの核シェアリングはソ連にダメージをあたえたが、佐藤栄作の「非核三原則」は、むしろ、ソ連をよろこばせた。
 非核三原則は、同盟国への核攻撃にたいして核報復を事前宣言する「核の傘理論」を空洞化させるものだったからである。
 当時から日本では、憲法9条があるから戦争はおきない、非核3原則があるから核攻撃をうけない、核廃絶は被爆国の悲願などの夢想的な平和主義が大手をふって、リアリティのある防衛議論や、核抑止という現実的な問題についてなんの議論もされてこなかった。
 アメリカが日本の核拒絶反応≠ノ理解を示したのは、原爆を投下した贖罪意識があったからであろう。
 だが、日本の左翼や労組、マスコミは、反原爆を反体制運動に利用した。
 核持ち込みの「秘密協定」があった、なかったという騒ぎがそれだった。
 核がもちこまれたのなら日本をまもるためで、アデナウアーなら大歓迎したろうが、当時、日本では、これが政府攻撃の材料にされた。
 ロシアのウクライナ侵略と核恫喝が世界を震撼させている現在、防衛観念と核武装について、日本は、根本的に考え直すべき時期にきているのである。
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2022年05月29日

 よみがえってきた「帝国主義」の亡霊D

 ●国力がチェチェンの60倍以上のウクライナに勝てるか
 ロシアには勝てっこないので、ウクライナ4500万人国民は、降参するか祖国を捨てるべきだ。そして、10年経ったら帰ってきて、祖国を再建すればよいではないかなどいうノーテンキなことをいってのけたのが橋下徹(弁護士/元大阪市長)だった。
 寺島実郎(多摩大学学長)は『サンデーモーニング(TBS)』で、ロシアのウクライナ侵攻について「ウクライナは一方的な被害者ではない」とロシアに理解をしめしたばかりか「ゼレンスキー大統領はコメディアンだったヒトですよ」と売りにしているインテリ風をふかせた。
 杉山太蔵にいたっては「ロシアだけを悪者にして民主主義といえるか」などとわけのわからないことを口走っていたが、ウクライナ戦争の本質は、中国がロシア側に立ったように、最終的には、中国の台湾侵攻につうじる帝国主義の暴力性(=力の論理/軍事力・政治力・資金力)にある。
 中国のチベット、ウイグル、内モンゴルの征服や弾圧、香港の中国化あるいは「一帯一路」における経済支配(インフラ回廊)がその力の論理で、中心にあるのが、ロシアの大ロシア主義と同様、大中華思想である。
 橋下や寺島、杉山らの理屈では、敵が攻めてきたら白旗を掲げるべしということになるが現状変更≠ヘ、革命でもある。したがって、前体制の支配者は死刑台へ送られるばかりか、歴史や伝統、文化が根こそぎ破壊される。
 チェチェンの国土も人口も、ウクライナの2・5%の小さな国だが、民族の自由と誇りのために、40万もの人命を犠牲にして、15年も戦い抜いた。
 チェチェンの人口は、現在、80万人だが、内乱で、40万人が虐殺されている。殺されたのは、すべて独立派のチェチェン人だった。現在、プーチンの子分、カディロフが全土を掌握しているが、チェチェン人は、中国支配下のチベット人、ウイグル人以下の扱いをうけている。
 ロシアがアフガニスタン戦争で負けたのは、チェチェンの60倍以上の国土を掌握できなかったからだった。アフガニスタンを軍事支配するなら、戦争に勝って、武装解除したのち、なお、100万の常備兵が必要となる。
 そんなことができるわけはなく、旧ソ連は、10年間のアフガン戦争で国力を使いはたして、ついに、ソ連邦解体という墓穴を掘ったのだった。
 日本のマスコミ論者たちは、なぜ、ロシアが、アフガニスタン以上の国土や人口、経済力をもったウクライナを、数日間で、降参させられると思ったのであろうか。

 ●敵が攻めてきたら白旗を掲げるのが「9条」の精神
 チェチェン人がたたかったのは、あるいは、ウクライナ人がたたかっているのは、民族自決や自由、歴史や文化をまもるため、いわば反革命≠フためである。
 ところが「多数決(民主主義)は絶対に正しい」や「武器を捨てると平和になる(憲法9条)」なるという教育をうけて育った平和ボケの日本人は、民族の独立や自由のためにたたかうという意味も価値もわからない。
「イノチがいちばん大事、戦争反対の声をあげましょう」というのが日本人の戦争にたいする感性で「戦争がおこったら国のためにたたかうか」というアンケート(「世界価値観調査」)にたいして、日本は、世界79か国中、最下位の13・2%だった。
 ちなみに、台湾は、韓国の67・4%を上回る76・9%だった。
 台湾の防衛意識が高いのは、中国本土とは異なるアイデンティティをもっているからで、対中接近をはかった馬英九(中国国民党総裁)が学生や若者らの「ひまわり学生運動」によって倒されると、2016年、民主進歩党の蔡英文総統が台湾主義を打ち出して政権を握った。
 現在も、蔡英文女史の民主進歩党が、若者中心に高い支持率を維持しているが、キーワードは、台湾アイデンティティで、北京語の廃止と台湾語の普及も急速にすすんでいる。
 対中警戒感を決定的にしたのが、2019年の「香港の大規模抗議行動」を鎮圧した中国政府の「香港国家安全維持法」だった。自由都市香港が、一夜にして、中国共産党の強権主義にのみこまれたのを見て、それまで、台湾独立を言いだせなかった蔡英文が堂々と「台湾の香港化を避ける」と公言するようになった。

 ●永遠につづく「攻める戦争」と「守る戦争」
 これにたいして習近平政権は、馬英九時代の「平和的統一」路線を放棄して「軍事的統一」に切り替えた。台湾海峡や台湾東部沖の太平洋で、中国海軍の空母「遼寧」を中心に戦艦や戦闘機の軍事演習をおこない、ミサイル攻撃まで予告するという強硬ぶりだった。
 これにたいして、台湾海軍は、地上および艦艇、戦闘機による対艦ミサイル(「雄風2」)の発射訓練を実施して、命中率が98%だったことを公表した。
 そこにとびだしたのが、バイデン米大統領の電撃的発言だった。
 日米首脳会談後、岸田首相との共同記者会見で、台湾有事の際にはアメリカが軍事介入すると明言したのである。女性記者から「台湾防衛のために軍事的に関与するのか?」と質問されて「イエスそれが、われわれのコミットメント(約束)だ」応えたのである。
 台湾外交部(外務省)は、同日、歓迎と感謝の意を表明するとともに、日米と協力して「インド太平洋地域の平和と安定をまもっていく」とした。
 インド太平洋地域というのは「日米豪印4か国戦略対話(クアッド)」のことである。自由陣営には、現在、クアッドのほかファイブ・アイズ(英米加豪ニュージーランド)とオーカス(英米豪)という3つの枠組みがあるが、有力なのが、クアッドで、安倍政権がすすめた「自由で開かれたインド太平洋」構想がいつのまにか中国包囲網の中心になっていた。
 中国がいちばんおそれているのが、クアッドのNATO化である。
 5月24日、総理官邸で開かれた「クアッド」首脳会合における共同声明が発表された。戦争による現状の変更をみとめず、地域の緊張を高める軍事的な行動につよく反対するとしたほか、4か国の首脳が自由で開かれたインド太平洋の安全と繁栄をもとめたこの声明は、中国を念頭においたもので、バイデンの電撃的な発言も、日米首脳会議という舞台でなければでてこなかったろう。
 アメリカは、ゼレンスキー大統領が熱望してやまなかった「長距離・多連装ロケットシステム(MLRS)」や「高機動ロケット砲システム(HIMARS)の提供を決定したという。
 この高性能ミサイルによって、膠着状態にあるウクライナの戦況は一変するとみられているが、アメリカは「台湾関係法」にもとづいて台湾にたいしても武器を提供できる。
 ウクライナ戦争によって、習近平は、戦争が目的遂行の有効な手段ではないと知ったはずで、中台戦争は、常識的にも、理論的におこりえない。
 おこるのは、軍拡競争と高性能武器の供与あるいは売買だけである。
 帝国主義が戦争にゆきつくのは、戦争が最大の消費と生産≠もたらす経済活動だったからなのである。
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2022年05月16日

 よみがえってきた「帝国主義」の亡霊C

 ●ウクライナ戦争は「自由主義」と「帝国主義」の衝突
 自由陣営30数か国が熱烈にウクライナを支援して、現在、ロシアが守勢に立たされている。
 ウクライナへの自由陣営諸国からの武器支援が、ロシアの自給能力をこえているからである。
 自由陣営諸国がウクライナを熱烈に支援しているのは、ウクライナが自由のためにたたかっているからで、西側諸国にとって、自由は、命をかけてまもるべき価値なのである。
 プーチンが、民族の独立をもとめるチェチェン内乱を鎮圧するために要した年数は15年で、2万の兵を失った。チェチェンの人口は、現在、80万人だが、内乱で40万人が虐殺される以前、120万人だった。チェチェンの国土も人口も、ウクライナの2・5%の小さな国だが、自由をもとめて、40万もの人命を犠牲にして、15年も戦い抜いた。
 アフガニスタン戦争では、旧ソ連は、10年間で1・5万の兵を失って、戦争に負けただけではなく、ソ連邦解体という大きな痛手をうけた。
 ウクライナ戦争では、ロシアは、戦争開始後、わずか2か月で、すでに1・5万の兵を失った。損害は、戦車635台、装甲戦闘車342台、自走砲106台、多連装ロケット砲62台、地対空ミサイル58基、戦闘機26機、ヘリコプター41機、艦艇(旗艦モスクワなど10艦)とウクライナの損害をはるかにしのぐ。
 戦線も、兵站線がのびきって、停滞あるいは退却の一方で、戦死者の送還すらできずに兵士の死体が野ざらしになっている。
 チェチェン内乱では、プーチンの子分、カディロフが残虐の限りを尽くして全土を掌握したが、国土や人口がともチェチェンの60倍以上のウクライナをどうしてロシアが占領支配できるだろう。

 ●勇敢だった日本人の精神を蝕んだ憲法9条
 ミサイル攻撃をうけているさなか、ウクライナ人は、民間人までが「領土を奪われ、奴隷になるよりも戦争で死ぬほうをえらぶ」といって、英米などから支給された武器をもってロシア軍の戦車の前にたちはだかった。
 ウクライナ外務省が公式ツイッターで、アメリカ、イギリス、ドイツなど約30の国に国名をあげて謝辞(動画)を公開したが、日本の名はなかった。
 自由をもとめて、敵の戦車に立ち向かってゆく自由陣営の勇気と精神の高さを日本は理解できなかったからで、ウクライナ戦争勃発の折、日本では多くの識者が「ロシアを怒らせたウクライナにも責任がある」「国家より人命が大事。さっさと降参すべき」「ロシアに勝てるはずがない」と言いつのった。
 かつて、アメリカ、ロシアと死に物狂いで戦った日本の精神性が、戦後、戦勝国に洗脳されて「イノチ以上に大事なものはない、国を捨てて逃げるべきだ(橋本徹)」というレベルにまで劣化していたのである。
「憲法9条」は、ルソーのパロディである。「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところ(国家やルール、経済)で鎖につながれている。自然に帰れ」というルソー主義が「人間は平和なものとしてうまれたが、いたるところで戦争がおこなわれている。武器を捨てよ」の憲法9条になったのである。
 ルソー主義が世界でいちばんさかんなのが日本で、ルソー的な平和なお花畑≠生きている。したがって、ホッブズが「自然状態では、万人の万人のための闘争がおきる」といった警句が耳にはいってこない。
 ルソーの民主主義は「歴史経験」と「人間感性」のバランスの上に成り立っているとするホッブズの国家を否定するための理屈で、国家そのものを否定する。
 日本は、平和が天から与えられた自然状態とする、ノーテンキなルソー主義ずっぽり漬かった、危機的な精神の貧困に瀕しているのである。

 ●自由主義と「権力の集中」をもとめる民主主義
 国連加盟193か国のなかで、自由主義陣営にふくまれる国は、82か国で過半数にみたない。
 残りの109国は、自由が制限された全体主義国家で、かつて、社会・共産主義をとった国もすくなくない。
 社会・共産主義は、ルソーの民主主義を土台にしている。
 そのルソー主義と、ユダヤの経典(タルムード)の合体させたのがマルクス主義で、唯物論ともいわれる。
 したがって、中国でさえ、堂々と、民主主義国家を名乗るのである。
 中国やロシアなどのイデオロギー国家には、民主があっても、自由はない。
 近代は、その自由にたいしる目覚めと渇望からはじまったといえるだろう。
 それまで、タミ(民)は、権力の奴隷にして、神のシモベでしかなかった。
 14〜16世紀のルネサンス、16世紀の宗教改革、17〜18世紀の啓蒙時代を体験して、自由に目覚めた民が、市民革命と産業革命をおこして近代がはじまったのである。
 そして、近現代にいたって、ソ連や中国などの共産主義国家が誕生した。
 共産主義がめざしたのは「自由」ではなく「権力の集中」だった。
 その手段となったのが、民主主義で、多数決で物事をきめる数の論理≠ェ全体主義や衆愚政治に陥ることは、ソクラテスの紀元前から予言されていた。
 共産主義は、自由よりも権力の集中を志向する体制で、多くが帝国主義的な政策をとった。
 その帝国主義をいまもなおひきずっているのがロシアと中国で、ウクライナ戦争は自由≠最大の価値とする自由陣営と権力の集中≠もとめる帝国主義国家群の衝突だったともいえるのである。
 帝国主義国家群というのは、そのなかに、台湾制圧をもくろむ中国もふくまれる。
 そして、国連加盟国の半数以上が、自由より権力や経済を重視する親中派である。
 ウクライナ戦争におけるロシアの敗北は、台湾征服を国家目標とする中国にとっても大きなダメージとなった。
 今後、世界の安全保障は「核の使用可能性」と「専守防衛の限界」という二点に絞られるはずである。
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2022年05月01日

 よみがえってきた「帝国主義」の亡霊B

 ●国をまもる気がない憲法9条の日本
「世界価値観調査(WVS/電通総研)」がおこなった「もし戦争が起こったら国のために戦うか」というアンケートで「たたかう」と答えたのは、日本ではわずか13・2%で、調査対象国79か国中ダントツの最下位だった。
 ちなみに、下から2番目の78位は、独ソ不可侵条約(1939年)による西方侵攻であっけなくソ連の属国となったリトアニア(32・8%)で、このとき徹底抗戦して属国を免れたフィンランドでは大多数(74・8%)がたたかうと答えている。
 アンケート対象国の平均は、約75%、先進国では65%だった。先進国のなかでトップは5位の中国(88.6%)で、対象国全体の1位(96・4)はアメリカに戦争(ベトナム戦争)で勝ったベトナムだった。
 アメリカの属国となった日本(最下位)と、ソ連の属国となったリトアニア(下から二番目)が国のためにたたかわないと答えたのは、事大意識がつよいからで、リトアニアが独立まで50年(1939年〜1990年)かかったが、日本は、戦後から現在まで75年間、対米従属のままである。
 それが「戦争がおきてもたたかわない」「ウクライナはさっさと降伏しろ」という国民の意識で、戦後の平和教育、9条教育がいかに日本人の性根を腐らせてきたかがよくわかる。
「国民(4500万人)が国外脱出して、プーチンが死んだ10年後に帰ってくればいいだけの話じゃないですか」という橋本徹にウクライナ人の国際政治学者で本居宣長の研究者として知られるアンドリー・グレンコはこう反論する。
「家族を愛し、ウクライナの同胞を愛し、国を愛しているからそれらをまもるためにロシアとたたかっている。あたりまえのことです。アメリカやロシアとあれほど勇敢にたたかった日本人がなぜそんなあたりまえのことがわからなくなったのですか」

 ●日米戦争で殺された百万人以上の非戦闘員
 日本が戦後、国連中心と対米従属、憲法9条路線を歩んできたのは、敗戦によって、主権国家としての誇りと自信を失ったからである。
 その後遺症によって、日本は、いまだ自主憲法をつくれずにいる。
「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して」と戦勝国にへつらった前文と「武装解除命令(9条)」)からできた属国憲法を原爆を落としたアメリカからあたえられて、それを平和憲法などとふれまわっている。
 今回のロシアのウクライナ侵略に、橋下徹らが「勝ち目がない戦争で国民の生命を犠牲にしてはならない」とプーチンの代弁をくりだすかと思えば「ウクライナはとっとと降伏しろ」と発信するユーチューバ(呂布カルマ)が若者の人気を博している。
 戦後の日本人が、国家をまもることを悪と思っているのは「武器を捨てると平和になる」という憲法9条教育をうけてきたからで、武器を捨てて皆殺しになった世界の歴史には目をむけない。
 ウクライナでは、スターリンの圧政下で数百万人が餓死に追いやられた(ホロドモール)が、日本も、武器を捨てた57万5千人の日本兵がソ連によって厳冬のシベリアへ送られて、5万8千人が死亡している。
 東京裁判では被告28人のうち7人が死刑になったが、外地では5700人が裁かれて、確認されただけでも、934人が現地で処刑されている。
 サイパンや硫黄島など21の戦場で日本兵が玉砕、沖縄をふくめて死亡した日本兵は百万人をこえる。
 民間人では、広島・長崎の二発の原爆で50万人、都市大空襲で60万人がジェノサイドの犠牲になった。
 日本では合戦(いくさ)だが、西洋では、第一次世界大戦の死傷者3600万人と、戦争は、皆殺しの論理なのである。

 ●無条件降伏なら4分割統治で日本消滅
「独ソ不可侵条約」後のロシアの西方侵略≠ノたいして、リトアニアは戦うことなく50年の属国となったが、フィンランドは、二度にわたって徹底的に戦ってロシア軍を追い返した。
 それは、かつての日本の選択でもあって、日本は、上陸占領をはかる連合軍にたいして、徹底抗戦の構えをとった。
 多くの日本人は日本が連合国に無条件降伏したと思っている。
 無条件降伏しても、国が亡びるわけではない。命をたいせつにした方がいいという橋本徹らは、抵抗をやめて、白旗を掲げると、敵が、頭をなでてほめてくれると思っているからである。
 1795年、ポーランドは、隣接していたロシア、プロシア、オーストリアの3国に国土を分割されて、第一次世界大戦が終了する1918年に独立するまでの123年間、世界地図からすがたを消した。
 日本も、無条件降伏していたらペンタゴンの「統合戦争計画委員会(JWPC)」による4分割統治によって、世界地図から消えるところだった。
 分割統治案の内容は、アメリカが本州中央、イギリスが西日本と九州、中華民国が四国、ソ連が北海道と東北地方を分有するという案で、最近、ロシアが「北海道はロシアの領地」といいだした根拠がこれである。
 ちなみに、北海道まで自国領といいだしたロシアが北方4島を返還するわけはない。
 トルーマン大統領が無条件降伏を撤廃して「国体護持」の条件付き降伏まで譲歩したのは、サイパンや硫黄島、沖縄などにおける日本軍の死をおそれぬ戦い方を見て、条件付きでなければ日本は降伏しないと判断したからだった。

 ●徹底抗戦派がかちとった「条件付き降伏」
 本土上陸作戦を決行した場合、アメリカ将兵の30%以上が死傷するという試算があった。げんに、硫黄島の戦闘では、日本の死傷者が2万1000人だったのにたいしてアメリカの死傷者は2万8686人と日本軍を上回った。
 日本国内には、戦車や飛行機、弾薬大砲が大量に残されている。20万人のアメリカ兵が上陸を強行すれば、徹底抗戦派の反撃をうけて、10万人規模の死傷者がでる可能性があった。
 トルーマンが条件付き降伏案をとったもう一つの理由は、ソ連の参戦だった。
 スターリンとトルーマンは、ソ連の参戦日を1945年8月15日と約束していた。だが、ソ連は、原爆投下をみて、8月9日に参戦、満洲と樺太、千島列島にむけて総兵力147万人、戦車・自走砲5250輌、航空機5170機という総攻撃をかけてきた。
 トルーマンが極東委員会(FEC)をうごかして、JWPCの4分割統治案を白紙撤回させたのは、共同統治では日本に「国体護持」を約束した「ポツダム宣言」が消滅して、日本本土で、日本の徹底抗戦派とアメリカ、ソ連の三つ巴の大規模な内乱が生じる可能性が高かったからだった。
 トルーマンもマッカーサーも、北海道の東半分をよこせというスターリンの欲求をはねつけたが、ロシアは、不法に占拠した北方領土4島をふくめた千島列島を実効支配したままである。
 ウクライナはロシアに歯が立つわけはない、さっさと降参していのちをまもれという一部の日本人の見解に反して、ウクライナは善戦して、戦艦モスクワの撃沈など、ロシア側に大きな被害をあたえている。
 無条件降伏していたら、ウクライナは、国民の多くが殺されて、半数がシベリアへ送られていたろう。
 日本も、4分割統治が実現していたら、世界地図から消え、日本人の半分は、シベリアへ送られていたことだろう。
 忘れてならないのは、日本兵の死に物狂いの戦いが、現在の日本を、現在の日本たらしめたということである。
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