2019年08月06日

タテマエ政治から脱却せよC

 ●韓国の恨(ハン)はどこからくるのか
 儒教の教えといえば「仁」と「礼」である。
 仁は、ヒトの道で、礼は、社会規範である。
 その2つがかみ合って、はじめて、儒教が理想とする世界ができあがる。
 ところが、そうかんたんに理想社会は実現しない。
 ヒトの道(仁)と社会規範(礼)は、昔も今も、折り合いがよくない。
 個と全体の利害は矛盾するからである。
 儒教では、儒教5常「仁・義・礼・智・信」をめぐって、数千年にわたって喧々諤々と議論がかさねられてきた。
 百家争鳴というのは、古代の中国で、儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派が議論をたたかわしたことをさすが、百家争鳴が、なにかをうんだという話はついぞ聞かない。
 賀茂真淵や本居宣長は、空語を並び立てただけの空しい学問として、儒教を退けた。
 やがて、朱子学があらわれて、これが中国で主流になって、朝鮮半島や日本にもつたわった。
 この朱子学が曲者で、朝鮮半島に勤労蔑視や両班特権、事大主義、恨(ハン)などの退廃をもたらしたのは、この朱子学だった。
 儒教は、なにもうまなかっただけではなく、観念論という害毒を垂れ流したのである。
 日帝36年の韓民族支配が恨(ハン)をうんだなどという言説がまかりとおっている。
 それが、韓国の反日の根拠だというのである。
 日本は、安全保障上、朝鮮に能う限りの予算と人材をつぎこんで、朝鮮を日本並みの国にしただけである。
 教育やハングル普及、衛生や文化、産業や産業インフラ、農業や植林などに力を注いで、結果、人口は960万人から2500万人へ、平均寿命は二十四歳から四十八歳(日本並み)にのび、小学校が百校から5千数百校になって、両班や奴婢の身分制度も廃止された。
 町の景観や人々の暮らしもガラリと変わって、朝鮮人は、だれもが、本物の日本人になりたがった。
 ところが、日本が戦争に負けると、手のひらを返して、ロシアや中国、アメリカにすがりついて、血を血で洗う朝鮮戦争になだれこんでいった。
 日帝36年の恨などといわれるくらいなら、半島を軍事基地化して、朝鮮を世界最貧国のままにしておけばよかったのである。

 朝鮮半島の堕落は、日帝36年の韓民族支配となんの関係もない。
 朝鮮半島が退廃したのは、中国から、科挙や宦官、朱子学をうけいれたからである。
 朝鮮半島に多大な害毒を垂れ流した朱子学は、宇宙万物の形成を、理と気の一致とみる世界観である。
 この理気二元論が、科挙試験に採用されたことから、一挙に、学問的発展をとげた。
 人間は、理において、善であるが、気において、善にも悪にもなる。
 そこで、「居敬(平常心)」をたもち、読書や「静坐(瞑想)」や「格物(心の陶冶)」などによって、本来の理に立ちもどらなければならないとする。
 この陳腐な精神主義と合体したのが小中華思想だった。
 朝鮮半島の中華思想は、みずからを小中華と位置づけて、漢民族の優越性を継承しただけではなかった。
 韓国特有の風水的迷信に立って、周辺諸民族を夷狄(野蛮人)や禽獣(畜生)と蔑んだ。
 韓国の国旗は風水の護符をデザインしたもので、韓国では、巷間「日帝風水謀略説」がささやかれた時期がある。
 中国王朝は、歴史上、四度、征服王朝(遼・金・元・清)に支配されている。
 ところが、朝鮮半島は、四夷と呼ばれる異民族の支配に入ったことがない。
 例外が、日韓併合で、韓国人は、これを民族の屈辱として、いまもなお、恨み骨髄なのである。
 韓国人のプライドは、日本人の目から見て、常軌を逸したものである。
 韓国人が日本にたいして、傲岸不遜で、礼儀知らずなのはそのせいである。
 あろうことか、東夷しかも海のむこうの夷(蛮族)が、小中華である韓国にたいして、かつて、支配的な立場に立ち、現在、対等の立場に立とうとしている。
 それだけで、かれらには、我慢ならないことなのである。
 人種差別の意識がつよい朝鮮民族は、いまもなお、四夷や夷狄を劣等民族とみなす優越感に浸っている。
 それがひっくり返されると、民族的コンプレックスという集団ヒステリーに陥るのは、火病という民族の病で、利害も合理もない。
 かれらは、ひたすら、日本を恨むが、これを責めても仕方がないだろう。
 日本人は、恩や公という心をもち、水に流す文化をもっている。
 韓国人は、恩や公という心を知らず、水に流す文化ではなく、恨(ハン)の文化しかもっていない。
 日韓のあいだには、日本海以上、遠く深い溝があるのである。
 悲劇的だったのは、中国から、科挙や宦官がはいってきたことだった。
 これに、勤労蔑視や両班特権、事大主義、恨(ハン)の精神がからんで、朝鮮半島は、物の怪がバッコするような不気味な国になった
 くわえて、16世紀の李氏朝鮮では、李退渓と李栗谷の二大家があらわれて理気二元論の花盛りとなった。
 朱子学では「聖人学んで至るべし」とあるように、学問の究極的な目標は「理」を体得し「聖人」となることとされた。
 李氏朝鮮は、こうして、中国以上の儒教国家となった。
 ちなみに、韓国の国旗(太極旗)は、朱子学の世界観を図解化したものである。
 朱子学と同時に興ったのが、知行合一の陽明学だった。
 朝鮮半島で、陽明学が異端視されたのは、朱子学が礼(秩序)なら陽明学が仁(人道)だったからだった。
 朱子学が観念主義の守旧主義なら、陽明学は知行合一の革命主義である。
 幕末の維新運動は、多分に、陽明学の影響を受けている。
 陽明学の信奉者には、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山、古くは、大塩平八郎がいる。
 明治維新で、江戸300藩は、薩長土肥に歯向かうことができなかった。
 幕府の官学が朱子学だったからである。
 朱子学は、仁(人道)をおさえこんで礼(秩序)を重んじる。
 理屈をのべたてるが、結局、行動にうつすことができない。
 幕府は、その穏便さを見越して、朱子学を官学としたのだった。
 それでは、朝鮮の事大主義はどこからでてきたのか。
 それには、三国時代(百済・新羅・高句麗)から歴史を紐解かなければならない。
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2019年07月31日

タテマエ政治から脱却せよB

 ●韓国は近くてもっとも遠い国
 和田春樹東京大学名誉教授ら、日本の知識人77人が、韓国にたいする輸出規制措置の中止をうったえて、署名運動を開始した。
 左翼反日の知識人グループが、安倍政権を攻撃するためにとびついたものであろうが、レベルが低くて、話にならない。
 声明に「韓国は敵なのか」とあって、みずからを「昨今の日韓関係の悪化を憂慮する有志」と名乗っている。
 そして、「日本の市民(国民ではない)に賛同をもとめる」とうったえている。
「韓国は敵なのか」という呼びかけについては、敵と断言するほかない。
 この期におよんでも、まだ、韓国を敵とみなすことができないのが、愚かな日本の平和ボケ、左翼反日インテリなのである。
 韓国の防衛費は、この十数年で急伸して43、2兆ウォン(約4兆1840億円)にたっした。
 3倍ほどあった日韓の軍事支出差は、いまや1・2倍で、GDPで比較すると、韓国2・6%、日本0・9%と逆に日本を圧倒している。
 韓国人の30%が原爆保有支持で、南北統一後、統一朝鮮が9番目の核保有国になることをかれらは心待ちにしているのである。
 南北の融和がすすみ、北朝鮮と韓国が戦火を交える可能性はなくなった。
 米軍が駐留している以上、韓国が軍事費を加速度的にふやす理由はない。
 にもかかわらず、韓国がハイペースで軍事予算をふやしているのは、唯一つ日本に対抗するためである。
 韓国海軍レーダー照射問題は、韓国の対日敵視政策を反映したもので、友好国であれば、日本EEZ(排他的経済水域)内で、射撃予告とうけとめられるレーザーの照射などするはずはない。
 和田春樹ら韓国を善意の隣国のようにいう知識人77人は、この署名運動でも、得意の論法をもちだす。
「日本と韓国の場合は、慎重な配慮が必要になります。かつて日本がこの国を侵略し、植民地支配をした歴史があるからです」というのである。
 ばかも休み休みいうもので、知識人を自称しながら、和田らは「乙巳五賊(いっしごぞく)」や「庚戌国賊(こうじゅつこくぞく)」という韓国の歴史用語を勉強していないのか。
 乙巳五賊は、日本による韓国の保護国化を定めた第二次日韓協約(1905年)に賛同した大韓帝国5名の閣僚で、庚戌国賊は、日韓併合条約締結(1910年)をすすめた8人の閣僚のことである。
 李完用(大韓帝国内閣総理大臣)ら12人の愛国的な政治家は、韓国の人名事典に李朝末期の売国奴としか書かれていないが、すぐれた政治家だったことは、日韓併合が、世界の最貧国だった朝鮮を、現在の韓国に発展させる原動力になったことからも明らかだろう。
 日韓併合が侵略だったのなら、韓国は被害者で、したがって、五賊も国賊も存在するはずはない。
 日韓併合が、国会議決をもって、韓国の閣僚が申請したものだったからこそ五賊だの国賊だのといって、騒ぐのではないか。
 日韓併合が日本の侵略だったというなら、まっさきに、五賊・国賊の名誉が回復されるべきだろう。
 そして、民族一体となって、わるいのは、侵略してきた日本で、われわれは被害者だったのだと主張すればよいのである。

 テレビで、しばしば、日韓併合の違法論や無効論が取りざたされる。
 村山談話や菅談話をひっぱりだしてきて、謝罪や賠償までいいだす輩もいる。
「乙巳五賊」「庚戌国賊」に並ぶ用語に「丁未七賊(ていびしちぞく)」という用語がある。
 ハーグ密使事件(1907年)の後、高宗(李氏朝鮮第26代国王)の退位に関与した七人の閣僚のことで、かれらが親日派・知日派(チニルパ)だったことから、韓国では、いまだに憎悪の対象となっている。
 ハーグ密使事件は、1907年、高宗がオランダのハーグで開催されていた万国平和会議に3人の密使を送って、大日本帝国に奪われていた外交権回復をうったえようとした事件である。
 だが、会議に出席していた列強は、大韓帝国の外交権が大日本帝国にあるとして、3人の密使の会議出席を拒絶した。
 当時は、帝国主義の時代で、世界の秩序は、国力によって定められていた。
 列強は、韓国が自主外交の能力を有していない負け犬の国と見限られていたのである。
 日本の軍艦が朝鮮半島の江華島で砲撃されて応戦した江華島事件(1875年)を契機にむすんだ江華島条約において、朝鮮が、清朝の冊封から独立した独立国であることが宣言された。
 日清戦争(1895年)の勝利による下関条約においても、第一条で、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることと明記された。
 日本にとって、朝鮮国の独立が、悲願だったのである。
 ところが、朝鮮国は、独立国家をつくる気などなどなかった。
 清国になびき、日清戦争後はロシアに接近して、ロシアは朝鮮半島に食指をうごかす始末だった。
 朝鮮国の独立をあきらめた日本は、日露戦争に勝利したのち、ソウルに統監府置き、李完用らの請願にもとづいて、韓国を併合した。
 植民地化する以外、韓国を再建して、極東の安全をまもる方法がなかったのである。
 これをみて、アメリカは、日本にフィリピン支配の許諾をもとめてきた。
 日本の韓国支配を容認する代わりに、アメリカのフィリピン支配をみとめろというもので、これが「桂・タフト協定」である。
 ロシアも日露戦争後のポーツマス条約によって、日本による韓国保護国化をみとめざるをえなかった。
 そもそも、1907年の万国平和会議では、主要47か国が韓国のうったえを退けている。
 当時、世界を支配していたのは、日英同盟・日露協約・英露協商・日仏協約など帝国主義列強による世界分割協定で、アフリカもアジアも、列強の支配にのみこまれていた。
 帝国主義という大局観・歴史観に立たなければ、当時の世界秩序を理解することはできないのである。
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2019年07月26日

タテマエ政治から脱却せよA

 ●危険水域に近づきつつある日韓外交
 日本は、中国には一目置くが、朝鮮にたいしては、対等もしくは弟分とみるところがある。
 中国は、漢字文明やシルクロードの要衝で、隋や唐との交流もあった。
 一方、朝鮮は、中国の属国で、中国ほどの存在感はない。
 百済や高句麗、新羅ら古代朝鮮との連続性も明らかではなく、近代の開国にあたって、朝鮮は、日本にたいして、かならずしも、友好的ではなかった。
 朝鮮問題が、最終的に、日清・日露戦争および日韓併合という歴史的事件に発展したのは、日本列島に近すぎるという地政学的な事情にあって、かならずしも、朝鮮という国家の存在感にあったわけではなかった。
 二度にわたる元寇では、元(中国)と元の属国だった高麗(朝鮮)が対馬の住人を虐殺、日本本土に上陸して、肥前や松浦、鷹島などで鎌倉武士と壮絶にたたかった。
 神風によって、元と高麗の5千艘の船が沈没して、日本は侵略を免れた。
 だが、元寇は、歴史上、明治維新や敗戦と並ぶ大事件で、7世紀の白村江の戦い以後、朝鮮半島は、日本の鬼門として、たちはだかっている。
 朝鮮半島も中国と同様、大陸国家で、海洋国家たる日本とは、元々、反りがあわない。
 近代化以降、日本の悲願が朝鮮半島の安定にあったのは、朝鮮半島が中国やロシアの手に落ちたら、日本の安全保障は、風前の灯となるからだった。
 西郷隆盛の征韓論は、朝鮮半島と日本の共同安全保障で、近代化に後れをとった弟分の朝鮮を援けて、東アジアの安定を図ろうというものだった。
 もっとも、これは、日本の一人相撲で、日本を下位にみている朝鮮にそんな気はなかった。
 根拠は、中華思想だが、これは、日本人にぜんぜん馴染みがない。
 だが、中華思想を理解しておかなければ、韓国人や朝鮮人が永遠にわからない。
 中華思想は、世界の中心は中国、という思想である。
 朝鮮半島は中国でも中国の一部でもないが、韓国人や朝鮮人は、じぶんたちこそ本物の中華という自負をもっている。
 中国は、歴史上、四度、征服王朝(遼・金・元・清)に支配されている。
 ところが、朝鮮半島は、四夷と呼ばれる異民族の支配に入ったことがない。
 四夷というのは――
 東夷(とうい/日本などの東方諸国)
 西戎(せいじゅう/西域諸国)
 北狄(ほくてき/契丹・韃靼・蒙古などの北方諸国)
 南蛮(なんばん/ベトナムなど東南アジア諸国や西洋人)
 のことで、中華世界において、四夷は、野蛮な劣等民族なのである。
 朝鮮半島が小中華といわれるのは、本家の中国より、四夷や夷狄を侮蔑する意識がつよいからである。
 夷狄から支配をうけたことがなく、人種差別の意識がつよい朝鮮民族は、いまもなお、四夷や夷狄を劣等民族とみなして優越感に浸っている。
 それが、韓国人や朝鮮人の世界観で、かれらの傲慢さの根拠である。
 ちなみに、日本は、東夷で、朝鮮よりはるかに地位が低い。
 韓国が日本に激高するのは、東夷のくせになまいきというわけである。
 これに、両班意識、事大主義、儒教の三つがからみあって、「恨(ハン)」という異様きわまりない気質がつくりあげられた。
 韓国には、高麗王朝の忠臣たちがモンゴルの李成柱(朝鮮王朝始祖)を恨む「恨五百年」という民謡があって、朴槿恵前大統領も、日韓併合をあてつけて「加害者と被害者の歴史的な立場は1000年たってもかわらない」とのべたものである。
 これが恨(ハン)文化だが、これまで、恨文化の実体が明らかにされたことはなかった。
 恨の思想に、両班意識と事大主義、勤労を害悪視するエリート意識があったことを見逃すことはできない。
 高麗や李氏朝鮮の官僚階級だった両班(ヤンパン)は、特権階級で、給料がない代わりに、民からの略奪や搾取をゆるされて、それで懐を潤した。
 朝鮮半島で、民が働かないのは、いくら働いても、すべて、両班に奪われるからだった。
 一方、国は、さらってきた美女や奪った地方の産物を中国に朝貢して褒美をもらい、宮廷を維持した。
 こうして、朝鮮半島に、極端に生産性の低い国家ができあがった。
 儒教的観念論や迷信、風水の一つが四夷思想で、東夷・西戎・北狄・南蛮をばかにして、人々は、地べたに座り込んで、一日、無為に過ごす。
 経済原理や合理的精神が死に、朝鮮半島は退廃のきわみにたっして、打つ手がなくなった。
 それが、日韓併合直前の朝鮮半島で、世界一の最貧国家だったのは、生産や繁殖、創造が停止したからだった。
 朝鮮半島の恨は、痛恨や悲哀、無常観で、なんの見返りもないまま呪うだけだった。
恨≠フ対義語が恩≠ナある。
 朝鮮半島と同じように日本の支配をうけた台湾が、恨ではなく、日本に恩をかんじた理由は、台湾には、生産や繁殖、創造の手段があったからである。
 ところが、朝鮮半島にあったのは、両班意識と事大主義、儒教と四夷意識の観念だけだった。
 生産や繁殖、創造性が決定的に欠けて、それが、朝鮮半島に危機を致命的なもたらした。
 これが象徴的と思われるのは、現在、日韓のあいだで、問題になっているのが、半導体製造に欠かせないフッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素の3品目だったからである。
 半導体の世界的トップメーカーである韓国が、この3品目を製造する能力をもっていなかった。
 であれば、日本と友好的な関係をつくって、日本からの補給が絶えないように配慮すべきだろう。
 ところが、韓国は、それができない。
 なぜなら、日本は、仮想敵国だからである。
 自国産業の血液というべき資本財の輸入元の国を仮想敵国にして、牙を剥く。
 それが韓国のわけのわからないところだが、以上、縷々述べてきた事情から深層構造にすこし察しがついたはずである。
 次回以降、歴史的経緯や貿易摩擦を視野にいれながら、さらに、日韓関係を検証していこう。

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2019年07月18日

タテマエ政治から脱却せよ@

 ●丸山議員問題と日韓外交危機
 北方領土返還で「戦争」に言及した丸山穂高衆院議員をめぐって、ドタバタ劇がくりひろげられた。
 日本維新の会の除名から国会の「糾弾決議」、自民・公明の「譴責決議案」、野党6党派の「辞職勧告決議案」に至るまで、丸山議員叩きは、すべてタテマエ論で、ホンネの現実感覚ゼロという空虚さであった。
 テレビ朝日コメンテーターの玉川徹は「羽鳥慎一モーニングショー」でこう叫んだ。
「戦争しないっていうのは国是なんです。日本は戦争をしないと決めた国なんですよ。『戦争という手段しかないんじゃないですか』というような発言をする人間には国会議員の資格はないと思います」
 日本が戦争をしないと決めた国なら、他国が日本の領土を奪おうと、日本人をいくら殺そうと、遠慮はいらないということになる。
 国家には自衛権があって、それはゆるさないというのなら、二枚舌で、そうなら、日本は戦争をしない国などというタテマエはいわぬがよい。
 丸山議員は「北方領土を不法占拠しているロシアに糾弾決議を出すなら分かるが、わたしに出すというのは遺憾だ。任期をまっとうしていきたい」とのべた。
 除名、糾弾、譴責、辞職勧告でつるし上げられた丸山のホンネのほうがよほど正気ではないか。
 丸山発言は、ロシアの「北方領土は戦争でとった」にたいする売りことばの買いことばで、丸山が悪いというのなら、ロシアの言い分、ロシアの言い分を垂れ流してきたメディアに落ち度はないのか。
 ロシア外務省のザハロワ情報局長が丸山議員をさして「言語道断だ。一人の政治家の極端な意見なのか、日本のエリート(丸山は東大卒)の感覚を反映したものかどうか調べる」と恫喝した。
 この脅しを耳にしたのかどうか、維新の会がソ連大使館へのこのこと謝罪にでかけた。
 百田尚樹は怒り心頭に発してこうのべる。
「旧ソ連が(北方領土を)強盗したのだ。被害者が強盗に『すいませんでした』って言うのはおかしいだろ」
 ネットはもっと過激で、「言語道断は、お前らロシアだ! お前らが、大東亜戦争終結後、日ソ中立条約を一方的に破って、火事場泥棒で日本の北方領土を占領、略奪、強姦、殺人のかぎりをつくし、極寒のシベリアに60万人の日本人を抑留して殺した。ふざけるな! 」という調子である。
 ネットウヨが悪評紛々なのは、タテマエを忘れて、このようにホンネを吐くからである。
 ちなみに、「丸山穂高議員の議員辞職は必要ですか?」という質問には90パーセント近くがノーと答えている。
 投票総数6053票/議員辞職の必要ない88%/議員辞職するべき12%
 頭に血がのぼった日本の政界・マスコミ・TVタレントの対応にたいして、ウクライナ気鋭の政治学者アンドリー・グレンコの観察は冷静なもので、日本の「二島返還」に反対論を展開しただけのことはある。
「丸山議員の発言は、戦争が不可能なら返還も不可能、というロシアにとって有利な論理をひきだした。失敗だ。ロシア経済には好材料がない。日ロ交渉のタイミングは、将来、日本とロシアの立場が逆転して、ロシアが日本に援助をもとめてきたときだ」
 これまで日本には、現実的なスタンスに立って、ストレートにホンネを吐くグレンコのような識者は皆無だった。
 もって回った口ぶりで、きれいごとのタテマエを並び立て、ホンネを隠すのがこれまでの日本人のやりかただった。
 その悪癖によって、日本は、いままで、どれほど、損をしてきたことか。
 大義名分やタテマエを立て、前大戦では、世界を敵に回して、原爆まで落とされた。
 日本人は、タテマエとホンネの両方を使い分けているつもりでも、外国人にとっては、ただの嘘か二枚舌でしかない。
 タテマエには、世界から理解をえる真実も普遍性もないのである。
 アメリカは、韓国抜きで北朝鮮と交渉でき、中国とは四つに組んで、貿易摩擦という相撲をとっている。
 韓国も日韓同盟も、いまや無用というわけで、これが、アメリカのホンネである。
 ちなみに、ロシアの「北方領土は戦利品」というのもホンネである。
 日本人は嘘つきといった外国人外交官がいたというが、タテマエは、ウソよりも罪が深い。
 ウソは個人の出来心だが、タテマエは、全体主義で、中国や北朝鮮は、タテマエだけでできている国である。
 ファシズムも民主主義も、全体主義も官僚主義も、儒教とりわけ朱子学の大義名分論も国家スローガンも、赤信号みなで渡ればこわくないジョークも戦争放棄も、すべて、タテマエである。
 日本が、外交で失策をかさねてきた原因が、このタテマエ主義だった。
 タテマエを捨てて、ホンネをずけずけいう政治家が丸山議員である。
 レーザー照射問題では岩屋防衛相にこう注文をつけている。
「うそでも百回言っていったらこれが正しいみたいなことになりかねませんので、しっかりこれは主張していただきたい」
 北方領土問題では、河野太郎外相への質問をこうしめくくっている。
「領土が戦争や武力以外で返ってきたというのは稀なケースと思います。その稀なケースに挑戦しなければなりません。外相や総理の手腕にも期待しております」
 そのほか、国会議員の「国籍条項」や生活保護法の「国民条項」など、これまで、馴れ合いですまされてきた問題についても鋭いつっこみをいれている。
 一連の丸山バッシングにのっかったタレントにもホンネをぶつけた。
「上西小百合氏の末期症状に酷似」と丸山議員を批判した東国原英夫にたいしては、「『おまゆう(おまえがいうか)』に思わず大爆笑」「暴行容疑の現行犯で逮捕、傷害容疑で書類送検、淫行関係で事情聴取されたことのある芸人にえらそーに言われてもねぇ」と一蹴。
 フジTVバイキングへの出演を誘った坂上忍には「飲酒運転で器物破損逃亡劇の件をやるなら検討しますけど、残念」とこばかにした風情。
 顔も見たくないと丸山を批判した和田アキ子にたいしても「わたしも和田さんが出たらチャンネル変えます。一緒で光栄です。最近はテレビで姿を見ません。紅白すら出てないようですね」と揶揄している。
 それだけではない。フジテレビには、人気番組「志村けんのバカ殿様」を「肉布団番組(水着の女性たちが布団代わり)」と批判した上で、「そのほか、持ち株会社の税金無駄遣いクールジャパン機構出資とか放送法上の問題にからめて言うべきことが数多くある」とフジテレビ上層部にゆさぶりをかけた。
 日本人は、頭でっかちに、意味や価値、原理などの抽象論ばかりいって、現実的なモノやコト、具体的な事象には目をむけてこなかった。
 それがタテマエ主義で、タテマエが横行すると、現実機能や現実にたいする適応力が害われる。
 観念論的なタテマエ主義から脱するには、丸山議員のような実在論的個人主義者の登場が必要なのである。
 次回以降、タテマエ外交で、泥沼化した日韓関係をふりかえってみよう。

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2019年07月05日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つF

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つF
 ●愛子さまが天皇になられない理由C
 女性天皇論者は、愛子さまが天皇になられないのはおかわいそうという。
 皇位の男系相続にたいして、女性差別や男尊女卑、悪しき因習という反発が国民レベルにまで高まっているのである。
 日本は、かつて、8人10代の女性天皇をいただいた。
 それが、男女平等で、因習に縛られない美風だったというつもりであろうか。
 8人の女帝には、すべて、未亡人か、生涯独身だった。
 子をもうけて、その子が天皇になると、皇統が絶えてしまうからである。
 皇統とは、神武天皇の男系の血統で、それが、2700年つづいてきた神武王朝である。
 女性天皇が結婚して、子をもうけると、権力とともに皇室の血統が夫側へ移ってしまう。
 天命ではなく、血統による易姓革命がおきてしまうのである。
 それを避けるために、8人の女帝は一代限りの皇位をまもって、その皇位を神武天皇の血をひく男系天皇にひき継いできた。
 女帝は、権力抗争の渦にまきこまれて、女性として、きびしく、不幸な生き方をしいられてきたといってよい。
 天皇になれない愛子さまがおかわいそう、という感情論で語ってよい話ではないのである。
 未亡人で、再婚されなかった女帝は、推古、皇極(後の斉明天皇)、持統、元明の四方である。
 そして、生涯、独身をとおされたのが、元正、孝謙(後の称徳天皇)、明正、後桜町の四方である。
 最初の女帝・推古天皇は、欽明天皇の皇女で、敏達天皇の皇后だった。
 推古天皇が天皇に即位した経緯には、悲劇的な要素が大きい。
 夫の敏達天皇とその弟の用明天皇が相次いで崩御すると、その後に即位した末弟の崇峻天皇も、蘇我馬子が放った刺客(東漢直駒)に暗殺される。
 用明天皇の皇子で、推古天皇の摂政だった聖徳太子も、没後、子の山背大兄王が、蝦夷入鹿の襲撃を受けて、斑鳩宮で一族もろとも自害、上宮王家が断絶するという悲劇に見舞われる。
 山背大兄王が、田村皇子(舒明天皇)との皇位争いに敗れた末のことだったが、山背大兄王を倒したその入鹿にも、悲劇がまちうけていると、入鹿は知る由もない。
 推古天皇を介して、欽明から敏達、用明、舒明へとつながれた男系も、そののち、けっして、安泰ではなかった。
 舒明天皇とのあいだに天智天皇、天武天皇らをもうけた2番目の女帝、皇極天皇が49歳で即位したのは、継嗣となる皇子が定まらなかったからだった。
 その皇極天皇の目の前で、中大兄皇子と中臣の鎌足が、蘇我入鹿を暗殺するという前代未聞のクーデターを起こす。
 この乙巳の変(大化の改新)の翌日、皇極天皇は同母弟の軽皇子(後の孝徳天皇)に皇位を譲った。
 政治の実権は皇太子の中大兄皇子がもっていたが、皇位にはつかなかった。
 中大兄皇子が天智天皇として即位して、同母弟の大海人皇子(のちの天武天皇)を皇太弟とするのが、それから20数年後のことである。
 のちに、第1皇子・大友皇子(のちの弘文天皇)を太政大臣とし、辞退した大海人皇子の代わりに大友皇子を皇太子とするのだが、それが、古代史上、最大となる乱の前触れだった。
 天智天皇の没後に、大友皇子と大海人皇子とのあいだで争い(壬申の乱)がおき、敗れた大友皇子は自害する。
 勝った大海人皇子は、即位して、天武天皇となった。
 三番目の女帝となった持統天皇は、天武天皇の妻だが、事情が前例とはやや異なる。
 天武天皇の政治をひきついで、飛鳥浄御原令の施行など、律令政治の基礎を固める一方、子の草壁皇子を即位させるため腹ちがいの子大津皇子を処刑するなど、持統天皇は、鬼子母神的な女帝でもあった。
 草壁皇子が若くして亡くなると、持統天皇が即位して、皇子の子の珂瑠皇子(文武天皇)の成長を待つ。
 四番目の女帝、元明天皇(草壁皇子の妃)も事情は似ている。
 即位したのは、子の文武天皇が25歳の若さで崩御し、遺児・首皇子(聖武天皇)がわずか7歳だったからである。
 持統天皇同様、皇位をあずかって、孫の成長をまったのである。
 五番目の女帝、元正天皇は、草壁皇子と元明天皇の皇女で、母の元明天皇の遺志をうけついだ聖武天皇へのつなぎ役であった。
 六番目の女帝、孝謙・称徳天皇は、女性天皇・女系天皇を考えるのに示唆的な特異な天皇だった。
 父は聖武天皇、母は藤原氏出身で、史上初めて、人臣から皇后となった光明皇后(光明子)である。
 第46代孝謙天皇は、第47代淳仁天皇に譲位するまでは、つなぎ役の女性天皇にすぎなかった。
 ところが、孝謙上皇となって、道鏡を寵愛して淳仁天皇と不和となり、淳仁天皇を廃して、皇統に危機が襲ってくる。
 重祚して第48代称徳天皇となって、太政大臣禅師、法王へとのぼり詰めた道鏡は、ついに、皇位を望む。
「道鏡を天皇にせよ」という宇佐八幡神からのお告げは、和気清麻呂によって退けられるが、道鏡の怒りを買った清麻呂も大隅に流罪になる。
 称徳天皇が没して、道鏡の失脚後、天智天皇の孫である第49代光仁天皇が即位、このとき、皇位は、天武系から天智の系統へと移っている。
 道鏡を下野に流して、綱紀や政教を立てなおした光仁天皇は、和気清麻呂を召還するが、皇統の危機を救った和気清麻呂は、桓武天皇からも厚く迎えられ、平安遷都に尽力する。
 七番目の女帝・明正天皇は、幕府と対立した後水尾天皇の対抗策で、7歳の内親王を即位させて幕府をケムにまき、本人は、もっぱら、院政を敷いた。
 最後の女帝となった八番目の後桜町天皇は、若くして崩じた弟の桃園天皇の皇子(後桃園)の成長を待ったもので、そのために、一生を捧げた。
 女性天皇が、はたして、天皇になれない愛子さまがおかわいそうという甘い地位だったろうか。
 女性天皇論者は、愛子天皇を望むが、愛子さまが天皇になる可能性は、万に一つもない。
 愛子さまが、皇祖皇宗が2700年間まもってきた皇統の男系継承の伝統を破って、称徳天皇と道鏡ができなかった万世一系を否定するだろうか。
 あえて、神武天皇に反逆して、みずから、歴史の永遠の汚名を着るだろうか。
 明仁上皇、上皇后美智子も、女性天皇をお望みではなかった。
 百二十五代にわたって男系継承であったものが、ご自身の御代においてその原理が変更されては、皇祖皇宗に申し訳が立たないからである。
 ェ仁親王の長女、彬子女王も「男系継承の伝統を大事にするべき」とのべておられるとおり、皇室内には、宮内庁を別にして、女性天皇をみとめる空気はない。
 皇統は神武天皇以来、男系で継承されてきた血筋のことで、直系に該当者がおられない場合は、つねに、傍系から皇胤を得てきた。
 今日、この傍系に当たるのは、戦後まもなく皇籍を離脱された旧十一宮家で、そこには、かなりの人数の男系男子がおられる。
 その方々のなかから、何人かが皇籍に復帰できる方法を考え、男系の宮家の数を増やす。
 皇室をまもるには、それが、だれが考えても、いちばんあたりまえの方法だろう。
 必要なのは、歴史上、前例のない女性宮家ではなく、前例のある男性宮家なのである。
 旧皇族が「皇統に属する皇族」にもどることができず、二千年間、けっして「皇統に属する皇族」になれなかった一般男性の子どもが皇統に属することができるという女系天皇論者の理屈はいったいどこからくるのだろう。

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2019年06月28日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つE

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つE
 ●愛子さまが天皇になられない理由B
 日本共産党は反天皇の綱領をもっている。
 その綱領に「一つの家族が国民統合の象徴となる天皇制は民主主義と人間の平等の原則に反する」とある。
「一つの家系が日本を象徴する制度が未来永劫つづくのは不合理(日本共産党小池晃書記局長)」というのである。
 天皇の地位が、親から子への直系相続にあると思っているのは、共産党や女系天皇論者だけではない。
 一般国民も、多くが、民法的な感覚で、直系長子相続が自然と考えている。
 そこから、女性宮家の創設や女性天皇という考え方がでてくる。
 天皇が男子に恵まれなかったら、女子が新天皇になってもよいではないかというのである。
 皇位の継承を男系男子に限っている「皇室典範第1条」を改定するうごきもある。
 すでになんどものべてきたように、女系では、先祖の血筋を継承できない。
 男性のY染色体は、世代を重ねても、純粋な形で男子に継承される。
 ところが、女性X染色体は、世代がかわるたび、交叉して、系統が変化する。
 女系男子が皇位を継承した場合、新天皇は、神武天皇ではなく、母方の夫側の染色体をひきついでしまうのである。
 家族や家系なら、直系長子相続でよいだろう。
 だが、天皇は、一系の王朝であって、家族でも家系でもない。
 直系長子相続では、神武王朝ではなく、天皇一家の家系になってしまう。
 現在、日本では、天皇が王朝であることが、まったく理解されていない。
 日本が世界から一目おかれる伝統国家で、それが日本の国際的地位を高めているのは、天皇が数千年の歴史を有する王朝だからで、天皇が、憲法によって国民統合の象徴とされているからではない。

 日本が数千年にわたってまもってきたのは、天皇一家ではなく、万世一系の神武王朝だった。
 それを象徴するのが、神武天皇の血統を大幹とする系統樹である。
 神武天皇の血統という幹から男系宮家という枝が四方へのびている。
 その一本の枝が第119代光格天皇から今上天皇(第126代徳仁)へつらなる閑院宮家で、8代にわたって、皇統として、神武王朝を継承してきた。
 第118代後桃園天皇が22歳で急逝して、直系の皇族に男子がいなかったため、1780年、光格上皇が、傍系の閑院宮家から9歳で即位した。
 光格天皇と先代の後桃園天皇とは8親等の隔たりがあって、直系長子相続の感覚からいえば、限りなく他人に近い遠い親戚だった。
 閑院宮家は、光格上皇から6代さかのぼった東山天皇の第6皇子が創設した宮家で、皇統の断絶を危惧した新井白石が将軍徳川家宣に建言して設けられた男系宮家である。
 一つの家系や家族あるいは直系では、皇統をまもることはできない。
 皇統が、神武天皇の血統をひく男系宮家という枝によって、まもられてきたのは、今上天皇が閑院宮家系だったことからも明らかだろう。
 かつて、皇位の傍系相続が三度おこなわれた。
(1)第25代武烈天皇から第26代継体天皇(9親等の隔たり)
(2)101代称光天皇から第102代後花園天皇(9親等の隔たり)
(3)第118代後桃園天皇から第119代・光格天皇(8親等の隔たり)
 親等は、直系長子相続を基準とする家族や家系の遠近の度合いをしめす。
 だが、祖先の系統をまもる王朝では、親族の遠近をしめす親等は問題にならない。
 問題になるのは男系宮家という枝で、王朝は、直系長子相続ではなく、男性宮家の世襲によって維持されてきた。
 王朝が男系相続となったのは、女系相続では、閨閥政治や政権抗争、独裁をうみ、内紛や政争、摩擦を避けられなかったからである。
 日本で、一つの王朝(皇統)が2000年以上、維持されてきたのは、古代国家の大連・大臣から律令体制における二官八省、摂関政治や院政、武家政治にいたるまで、天皇と権力の二元論が成立したからだった。
 権力が天皇を立てて、その下で、自律的に権力を操作したのである。
 社会も人間も、物と心、合理と不合理、聖と俗の両面をもっている。
 権威と権力、国体と政体、文化と軍事の二元論は、そういった二元的、多元的な世界に対応するもので、神武王朝=日本国家は、天皇と将軍の二人がおられたことによって、2700年の長きにわたって、体制を維持できたのである。
 ヨーロッパや中国、中東やアジアにおいて、権力や宗教は、一元的だった。
 その結果、圧政や恐怖政治、宗教弾圧、奴隷制度などが横行して、人々は塗炭の苦しみをなめた。
 民主主義や人権は、数千年におよぶ暗黒時代の反動で、チャーチルではないが、ファシズムよりはましという代物にすぎない。
 神武王朝は、古事記や日本書紀がつくりだしたフィクションだったかもしれない。
 だが、日本は、そのフィクションにどっかり腰をすえて、天皇と近代国家を運営してきた。
 日本は、民主主義や平等が人類の理想であるような不幸で貧しい歴史をもっていないのである。

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2019年06月21日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つD

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つD
 ●愛子さまが天皇になられない理由A
 BSフジの「プライムニュース(2019年5月21日)」で、衛藤晟一参院議員が、皇統問題にからめて、Y染色体の話をもちだすと、京都産業大の所功名誉教授は「生物学レベルまで下げて議論してはいけない」とたしなめた。
 皇統の男系相続は歴史の叡智と伝統で、たしかに、生物学レベルで語られるべきではないかもしれない。
 だが、歴史や伝統を破壊して、女系天皇を実現しようとしているのは、所ら女系天皇論者で、その根拠が、大衆迎合の男女平等や民主主義である。
 皇統問題を、ついこのあいだうまれたばかりの近代主義のレベルまで下げて議論してはいけない、といいたいいたくなる。
 皇統にかかるY染色体の議論は、あくまで、結果論である。
 そして、動機論が、皇統をまもる男系相続だったのは、いうまでもない。
 女系相続では、皇統をたもつことができない。
 皇位を簒奪しようという、道鏡や足利義満のような野心家がでてくるからである。
 女系天皇の夫になって子種をもうければ、子が天皇に、夫が上皇になれる。
 それが、X染色体の弱点で、代がかわるたび、男系の祖先が入れ替わる。
 神武天皇の血統をまもるために、女性天皇は、夫をもたず、子をもうけず、皇胤を男系に限定した。
 Y染色体は、男系の祖先から一系となるので、世襲によって、血統がまもられる。
 経験則にのっとった歴史の叡智というしかない。

 人類進化の学説としてよく知られているものに「ミトコンドリア・イブ」がある。
 人類の母系祖先をさかのぼっていくと、16万年前にアフリカにいた一人の女性にたどりつくとする説である。
 素人にはわからないが、母親から女の子どもに受け継がれるミトコンドリアDNAの塩基配列の解析結果という。
 遺伝にかかわる因子に、X染色体とY染色体、ミトコンドリアDNAの三つがある。
 X染色体を2本もつ女性の場合は、母親から受け継いだX染色体と父親から受け継いだX染色体のあいだで交叉と遺伝子の乗り換えがおこる。
 したがって、先祖を特定できず、血統の正統性がたもてない。
 一方、男性のY染色体と女性のミトコンドリアDNAは、交叉がおきないので、どこまでも、先祖をたどってゆける。
 女性のミトコンドリアDNAは、16万年前までさかのぼった。
 男性のY染色体は、日本の場合、途中で、神話に継ぎかえられた。
 神武天皇以前が神話で、神武天皇以降が実史である。
 皇紀2600年は、遺伝子のレベルで、検証が可能だったのである。

 衛藤議員のY染色体説を一蹴した所功は、一方で、こんな珍説をのべる。
「皇祖神として天照大神という女神を仰いでいるという事実を考えれば、男系や女系、男子や女子よりも、皇室の御祖先が大事」
 天照大神が女神なので、女性天皇でもよいというのは、田中卓や小林よしのりと同じ見解である。
 黄泉の国からもどった男神のイザナギが禊をおこなって、左目から生まれたのが天照大神で、このとき、右目から須佐之男命(スサノオノミコト)、鼻から月読命(ツクヨミノミコト)がうまれた。
 男であるイザナギの左の目から生まれた天照大神が、どうして女系なのか。
 そもそも、天照大神が女性という根拠はきわめて薄い。
 天照大神とスサノオによる誓約(うけひ/占い)によってうまれたのがアメノオシホミミ(天忍穂耳命)で、高天原から日向の高千穂峰へ天降ったニニギ(瓊瓊杵尊)の父である。
 ここまでが神話だが、どこに女系の根拠があるのか。
 男系女系がでてくるのは、木花開耶姫を娶ったニニギからである。
 火遠理命(山幸彦)と豊玉姫、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)と玉依姫、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコノミコト=神武天皇)と吾平津姫と、ニニギ以後、神武まで、4代に亘って、男神が姫を娶っている。
 女系というのは、たとえば、木花開耶姫や豊玉姫、玉依姫、吾平津姫が天皇になるにとどまらず、女天皇の産んだ子が天皇(皇胤)になることである。
 そんなばかなことはおきていない。
 皇祖神の天照大神が女神だから、天皇が女系でいいというのはとんでもない暴論で、日本人が、天皇の男系相続をもって、権威と権力の二元論を発明した歴史的功績を忘れている。
 男系を世襲にすることによって、天皇の権威が磐石になった。
 その権威から、正統性をさずかって、権力に節度と施政力がそなわった。
 天皇の男系相続には、日本という国家ができあがった原理が隠されていたのである。
 ところが、戦後、日本の歴史学者は、皇国史観や古事記・日本書紀の否定に血眼になるばかりで、古代日本の国家や権力構造を明らかにする勉強や研究を怠ってきた。
 そして、記紀に書かれていない邪馬台国が大和国、卑弥呼が日巫女の蔑称であったことを棚上げして、記紀の編者が全員嘘つきだったと言い張ってきた。
 所功や田中卓らの暴論は、日本の歴史学者の愚かさを象徴していたのである。

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2019年06月14日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つC

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つC
 ●愛子さまが天皇になられない理由@
 京都産業大の所功名誉教授はこうのべる。
「男系男子を重んずる風習は軽視できないが、それに固執してはなりません。皇室典範第9条『養子の禁止』と同第12条『皇族女子の結婚による皇籍離脱』を改正すれば、減少傾向にある皇族を維持し、さらに永続できる可能性がでてきます」
 そして、こう駄目を押す。
「史上に実例のある男系の女性天皇を例外的にみとめておくことです」
 男系の女性天皇以後をどうするのか。
 令和元年、共同通信の緊急世論調査では、女性天皇の賛成が79.6%で、反対の13.3%を大きく上回った。
 愛子天皇が誕生すれば、直系への皇位継承が100%に近くなるだろう。
 所はそれを見込んでいるのである。
 だが、それは、万世一系と神武王朝の終焉である。
 皇統は、その時点で、愛子天皇の夫側の祖先へ移る。
 祖先は、10代も遡れば、大抵、不明になってしまう。
 それでは、日本の皇室は、皇祖が不明ということになる。
 それで、はたして、天皇の権威や国体の永遠性、国家の背骨、国民のアイデンティティはまもられるか。
 皇室典範で、皇嗣は、悠仁親王殿下ときまっている。
 それなのになぜ、くり返し、女性天皇論がでてくるのか。
 悠仁親王殿下と愛子内親王殿下の対立を煽っているのである。
 BSフジ【プライムニュース】(2019年5月21日)で、衛藤晟一参院議員が所功に「悠仁さまが世継ぎではないか」と問うと、所はこう応えた。
「皇室典範3条で直系にもどせます」
 これは問題発言である。第三条にこうある。
「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる」
 悠仁親王殿下と愛子内親王の皇位継承順序を変えるにあたって、皇嗣の不治の重患や重大な事故を想定する第三条をもちだすのは、不敬にして不謹慎きわまりない。
 皇室ジャーナリストによると愛子天皇§_が浮上してくるのは、令和3年という。
 令和3年の12月には、愛子さまが20歳の成年になられて、公務の活動をおはじめになるからである。
「成年を迎えたあとは、一般参賀のお手ふりや公務に参加するようになります」(宮内庁関係者)
 所は、皇室典範を変えて、愛子天皇の道を開けという。
 悠仁親王殿下がおられるのにそんなことができるわけはない。
 万が一、愛子天皇が実現しても、愛子さまのお子は天皇になれない。
 過去、8人の女帝は、全員、生涯独身か未亡人で、子をもうけていない。
 女帝の配偶者に権力を握らせないためで、父系が入れ替わる女系天皇は、歴史上、一人もいなかった。
 愛子さまのお子に皇位が継承されるのは、愛子さまが、旧宮家の男子と結婚されて、男子を主産された場合にかぎられる。
 それなら、悠仁天皇が男子に恵まれなかった場合、皇位を継ぐことができるばかりか、皇位の継承者がふえる。
 旧皇族の竹田恒泰(慶応大講師)が、皇位継承問題について、旧皇族20人以上と意見交換した結果を月刊誌(「正論」)に発表した。
 終戦後、皇籍離脱した旧皇族の多くが、皇籍復帰を要請された場合「一族として要望に応える覚悟を決めておかなければならない」と考えているというのである。
 主に現在の宮家と養子縁組することで、男系を継承することを想定しているといい、大多数が、男系の皇統は維持されるべきだと考えていて、女性・女系天皇を容認するひとは一人もいなかった。
 旧宮家をはじめとする男系男子の血統をもつ人々の皇籍復帰や養子縁組案については従来、「長年民間で暮らしていることから国民の理解は得られない」という指摘が有識者や政府、マスコミらから出ていた。
 ところが、国民の意識はそうではなかった。
 産経新聞・FNN合同世論調査結で、「男系男子の皇族を増やすため、戦後に皇籍離脱した旧宮家の復帰をみとめてもよいか」との質問にたいして「みとめてもよい」(42・3%)が「みとめない方がよい」(39・6%)を上回った。
 所功や小林よしのり、園部逸男、田中卓、高森明勅ら女系天皇論者は、愛子内親王が、悠仁親王を退けて、皇位につくべきと主張する。
 そんなことができるわけはない。
 万世一系が皇室の原理で、民間の男性は、完全に排除される。
 仮に愛子内親王殿下が民間人の男性とご結婚されたとしよう。
 その民間人が皇族、そして天皇になれば道鏡そのものである。
 愛子さまが、男系相続を否定して、孝謙上皇(後の称徳天皇)の道鏡スキャンダルの二の舞を演じるであろうか。
 皇祖皇宗の大御心を裏切って、2600年の万世一系を破った女帝として、歴史に永遠の汚名を残す役割を、愛子さまがひきうけるだろうか。
 愛子内親王は、一生、独身をまもるのは、100%まちがいない。
 女帝は生涯独身か未亡人の不文法が、踏襲されるのである。
 そうなれば、皇統に、真の危機が襲いかかる。
 寛仁親王殿下の長女、彬子さまが毎日新聞のインタビューで、女性宮家創設だけが議論される現状に違和感を表明された。
「男系でつづいている旧皇族におもどりいただくとか、現在ある宮家をご養子として継承していただくとか、他に選択肢もあるのではないかと思います」ときっぱりご発言されたのである。
 女系天皇論者は、役人や左翼、反日と結託している。
 旧宮家の皇籍復帰運動をもっと積極的にすすめるべきだろう。
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2019年06月07日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つB

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つB
 ●女系天皇論者が知らない歴史の叡智
 女系天皇論者の主張には3つの共通点がある。
 @天皇の地位や皇統の根拠を憲法にもとめる
 A男女平等などの近代主義に立って、伝統を無視する
 B旧皇族の皇籍復帰に反対する
 天皇は、憲法に規定された存在で、近代主義の下にある。
 したがって、血統にもとづく旧皇族の皇籍復帰には、断固、反対する。
 それが、所功(京都産業大学名誉教授)や小林よしのり、池上彰ら女系天皇論者の主張である。
 憲法条文や近代用語を丸暗記して、先生から頭をなでなでされる中学生並みの知的レベルで、伝統的価値や歴史の叡智、合理性の懐疑などの大人の知恵には遠くおよばない。
 終戦直後、GHQの最大の関心事は、国体の破壊で、そのための政策が神道指令や皇室の財産没収、臣籍降下だった。
 昭和天皇は、政治利用するとしても、GHQにとって、皇室は、帝国主義の土台となった頑迷固陋なる旧体制でしかなかった。
 皇室は、自然消滅すべきもので、GHQには、皇室をまもる気などさらさらなかった。
 女系天皇論者がのっているのは、その論理で、GHQの目をとおして日本の伝統や歴史、民族をながめている。
 かれらが、アメリカ民主主義にとびついたのは、70数年前、日本で、敗戦革命がおきたからだった。
 左翼憲法学の重鎮、宮沢俊義らは、これを八月革命と呼んだ。
 この革命から、渡部昇一や小堀桂一郎らがいう敗戦利得が生じた。
 戦後、GHQの反日政策に加担した左翼・反日勢力は、公職追放令で空席になった社会的地位を独占して、日本が独立を回復したのちもそこに居座った。
 そして、憲法擁護や民主主義、国民主権や人権を叫んだ。
 かれらが反日なのは、宗主たるGHQの政策が反日だったからである。
 受け皿となったのが、大学やマスコミ、官公庁や労組だった。
 いまなお、この四つが、反日の牙城になっている。
 その一派が、女系天皇論者で、みな、敗戦革命に洗脳された人々である。
 そうでなければ、2600年の伝統を捨てて、たかだか、130年前の明治憲法、わずか、70年前のGHQ憲法をとるなどの愚かな真似ができるはずはない。

 かれらは、科学や合理主義をもちだして、万世一系を否定する。
 2000年もたてば、神武天皇の遺伝子も変質している、染色体の遺伝性は科学的に証明されていないというのである。
 だが、問題は、そんなところにあるのではない。
 人々が、長年、そう信じてきた事実が大事で、それが、歴史である。
 歴史は、過去がどうあったかではなく、人々がどう信じてきたかであって、だれも、過去を見たことがない。
 武烈天皇が、506年、後嗣を定めずに崩御したのち、大伴金村や物部麁鹿火、巨勢男人ら有力豪族が、越前にいた応神天皇の5世孫にあたる男大迹王を継体天皇として迎えた。
 その根拠が万世一系で、血統は、大伴金村らのつよい信念であって、血液検査の結果ではなかった。
 特攻隊の遺書にこうある。
「日本の国体は美しいものです。神代の有無よりも、私は、それを信じてきた祖先の純真そのものの歴史の姿を愛します。美しいと思います。国体とは祖先の一番美しかったものの蓄積です。実在では、わが国民の最善至高なるものが皇室だと信じます。私はその美しく尊いものを、身をもって守ることを光栄としなければなりません」(ベルナール・ミロー/神風)。
 本居宣長も、古人が理解したように、古事記を理解すべしといった。
 歴史は、人々が信じてきたフィクションで、伝統の価値や歴史の叡智は、そのフィクションのなかにある。
 テレビの討論番組で、首相補佐官で自民党参議院議員の衛藤晟一が染色体の話をもちだすと、所功は「生物学の問題ではない」と一蹴した。
 衛藤は、このとき、昔のひとが、Y遺伝子の存在を知っていたかのようだといったのだが、これには、すこし、説明が必要だろう。
 古代の日本人が男系相続をえらんだのは、Y遺伝子の存在を知っていたからではなく、女系相続では、権力抗争がおきるからだった。
 男系は世襲で、女系は閨閥である。
 しかも、閨閥では、権力の正統性となる祖先が定まらない。
 したがって、つねに、覇権を争っていなければ、権力を維持できない。
 このとき、日本人は、男系を立てて、これを世襲とする権力構造を発明した。
 女系においては、武力で覇権を握ることができるが、男系には、血統の壁があるので、手も足もでない。
 そこで、男系を権威として、その下で、権力を系列化することにした。
 すると、戦争がやみ、体制が安定した。
 これが、権威(国体)と権力(政体・幕府)の二元論である。
 女系閨閥を捨て、男系世襲をとった結果論がY染色体だった。
 昔のひとがY染色体を知っていたのではなく、男系の世襲がY染色体の相続経路と一致していたのである。
 これは、大発明で、男系による権威の世襲によって、日本は、たたかうことなく、弥生時代の末期から古墳時代、飛鳥時代の1000年余をかけて、のちに大和朝廷となる統一国家を築きあげる。
 圧巻なのが、3〜7世紀の古墳時代で、日本全土で、4000基以上の前方後円墳がつくられた。
 争うことなく、大和朝廷のモニュメントだった前方後円墳を、日本全土から朝鮮半島南部にまでひろげたのである。
 女性天皇論者は、伝統的精神や神道、神話を否定する。
 ところが、所功や小林よしのりらは、天照大神をもちだしてくる。
 天照大神が皇祖神なので、女系天皇に正統性があるというのである。
 次回は、話を神話へ転じて、女性天皇論を論じよう。
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2019年05月31日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つA

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つA
 ●池上彰が説く「女系宮家」のゴマカシ論法A
 現在、皇統をめぐって、日本の世論は、男系男子派と女系女性派の真二つに分かれて、水面下で、はげしく、争っている。
 男系男子派の学者は、小堀桂一郎(東京大学名誉教授)、新田均(皇學館大学教授)、百地章(法学者/日本大学名誉教授)、八木秀次(法学者/麗澤大学経済学部教授)、大原康男(國學院大学教授)、竹田恒泰(明治天皇の玄孫/慶応大学院講師)、松浦光修(皇學館大学教授)らで、論客として、谷田川惣や八幡和郎らがいる。
 女系女性派の学者は、田中卓(皇學館大学元学長)、所功(京都産業大学名誉教授)、高森明勅(神道学者)、西修(駒澤大学名誉教授)、園部逸夫(元最高裁判所判事)らで、論客として、高橋紘、橋本明、山下晋司らがいる。
 女系女性派が優勢なのは、マスコミや官僚、有識者会議につらなる学識者がついているからで、漫画家の小林よしのりやニュース解説の池上彰のほか、テレビの人気者や女性タレントも、メディアで、男女平等を挙げて、女系女性を支持している。
 その効果はてきめんで、世論調査で、目下、愛子天皇待望論というべき状況がうまれている。
「女系・女性天皇に賛成7割」(時事通信)
「女性天皇『容認』76%」(朝日新聞)
 現在、皇位継承順位第2位に悠仁親王殿下がおられる。
 男系男子が皇位を継承すると定めた皇室典範にもとづく皇位継承順位は――
【1】秋篠宮文仁皇嗣殿下【2】悠仁親王【3】常陸宮正仁殿下
 である。
 女性天皇が容認されると、皇位継承順位はこう変わる。
【1】愛子内親王【2】秋篠宮文仁皇嗣殿下【3】眞子内親王【4】佳子内親王【5】悠仁親王【6】常陸宮正仁殿下【7】彬子女王【8】瑶子女王【9】承子女王
 女性天皇が容認されると、皇位継承順位第2位の悠仁親王が5位に下がる。
 この場合、皇位が、愛子天皇から悠仁親王もしくはその男性嗣子に継がれるという確たるルールができていなければ、歴史上、推古天皇など8人の前例がある女性天皇は、そのまま、前例のない女系天皇へ移ってゆくことになる。
 皇胤の男子相続者がおられる現在でさえ、愛子天皇待望論が沸騰している。
 これを思えば、将来、愛子天皇の直系への譲位が世論の大勢となるのは目に見えている。
 皇統は世論に左右されてはならないが、天皇の地位が憲法に規定されているかのような風潮のなか、世論に抗うことはむずかしい。

 愛子天皇の子が皇位を継承した場合、たとえ、その子が男性であっても、女系天皇となって、2700年にわたって、男系男子で貫いてきた万世一系の伝統に終止符が打たれる。
 愛子天皇の長男が天皇に即位した瞬間、民間人である夫側の家系図に天皇が出現して、一方、神武以来の天皇家の皇統が断たれるのである。
 池上彰はこういう。
 女性天皇をみとめるように法を改正すれば、愛子さま、眞子さま、佳子さまも、皇位継承権をもつことができます。
 それからこう畳みかける。
 女性天皇をみとめても、愛子さま、眞子さま、佳子さまのお子さまは女系になるため、皇位継承権はありません。
 そして、こうしめくくる。
 将来、「女系天皇」をみとめるかどうか、という議論をしなければならないでしょう。
 問題を先送りして、遠くない将来、女系天皇がうまれることに期待を寄せるのである。
 これは、ごまかしとすりかえの論理で、万世一系を残す方法があるのに、民間人の天皇をもとめるのは、魂胆があるのである。
 その魂胆というのが、女性天皇から女系天皇へのなしくずしの移行で、万世一系をひっくり返そうというのである。
 伝統を破壊すれば、日本は、民主主義共和国になるほかない。
 池上は、万世一系の牙城たる旧宮家の皇籍復帰の可能性を否定する。
 女性天皇、女系天皇の容認や女性宮家の創設以外の方法として、旧宮家の皇籍復帰を唱える論者もいますが、旧宮家は戦後皇籍から離脱していますから、あらためて皇籍に復帰することは、現実的には難しいのではないでしょうか。
 世論調査でも、旧宮家の皇籍復帰にたいしては、7割前後が反対しています。
 女性天皇とは違って、国民感情としても、認めがたいのが現実です。
 ウソである。
 産経・FNN合同世論調査(2019年5月)によると、男系男子の皇族を増やすため、戦後に皇籍離脱した旧宮家の復帰を認めてもよいかという質問にたいして、「認めてもよい」(42・3%/自民支持50・7%)が「認めない方がよい」(39・6%/自民支持31・3%)を上回った。
 旧宮家の皇籍復帰や男系男子の血統を持つ人々養子縁組案については、これまで、有識者や政府、マスコミなどは「長年、民間で暮らしていることから国民の理解は得られない」といいつづけてぃた。
 ところが、とんだ思いちがいで、国民は、戦後、臣籍降下させられた11宮家にたいして、敬意と愛着をもっていたのである。
「女系・女性天皇に賛成7割」(時事通信)「過半数が女性天皇と女系天皇の違いを理解せず」「11宮家の皇籍復帰賛成派が反対派をこえる」(産経・FNN)とアンケート調査の結果はまちまちである。
 マスコミや政府・権力の一部が世論を操作してきた結果、バラツキが生じたのである。
 皇統をめぐる男系男子派と女系女性派の衝突は、日本人の魂とマスコミ世論のたたかいといえる。
 そのたたかいは、はじまったばかりなのである。
posted by office YM at 12:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする