2019年05月24日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つ@

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つ
 ●池上彰が説く「女系宮家」のゴマカシ論法@
 天皇問題から憲法、北方領土から移民問題にいたるまで、マスコミとりわけテレビが世論をリードしている。
 それがマスコミ世論というもので、本来、別々だったマスコミと世論が一体化した衆愚政治である。
 テレビで売れっ子のコメンテーターが、短絡した意見を吐いて、それが世論に反映されて、国家の羅針盤が狂いはじめる。
 それが、ほぼ、定着したのが、昨今の日本の情勢である。
 テレビが視聴率の上になりたっているのは、周知の事実で、ニュースも報道番組も、時事解説もバラエティも、事情はかわらない。
 それらの情報が、すべて、視聴率という秤にはかられて、視聴者の耳や目に届くときには、別物になっている。
 迎合的な内容に加工されて、本質がゆがめられるのである。
 バラエティならヤラセや過剰演出ですむだろう。
 だが、ニュースや時事問題ではそうはいかない。
 誤った世論が形成されて、国家が、舵を誤ってしまいかねないのである。
 とくに、民主主義と国民主権が大手をふるわが国では、マスコミ世論がかつての元老院や枢密院のような権威となって、国論や国政を左右する。
 それが、小泉純一郎内閣の「皇室典範に関する有識者会議」だった。
「皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが適当」とする報告書(2005年)を提出した吉川弘之座長はこのとき「歴史観や国家観にもとづいて案をつくったのではない」「皇族や政治家の意見を聞くつもりはない」といってのけた。
 歴史と伝統にもとづく皇室の世継ぎ問題を、民主主義と憲法だけで切りさばこうというのが、戦後文化人で、要は、伝統をアメリカ民主主義にきりかえてGHQ革命にのった敗戦利得者である。

 現在、世論形成のリードオフマンといえば、池上彰で、テレビはでずっぱりで、ベストセラーの上位独占という怪物である。
 NHK出身で、報道記者をへて、10年以上、『週刊こどもニュース』のキャスターをつとめたせいか「だよね」という子どもに語りかける口調で主婦層を中心に圧倒的な支持をえている。
 その池上が、万世一系を否定する「女系宮家」の創設をうったえている。
 その論法が、例の短絡のゴマカシで、天皇が憲法上の存在であるかのような設定で話をすすめる。
 古代より連綿とつづいてきた天皇は、わが国の伝統文化の総家元というべき存在で、たかだか、130年前の明治憲法、わずか、70年前のGHQ憲法に定められた薄っぺらなものではない。
 有識者ならば、天皇が歴史のもとづく伝統的な存在で、憲法上の存在でないことを国民につたえる立場にある。
 生活に忙しい国民は、真実を知る機会がなく、正しい知識をもちえない。
 有識者にあたえられた任務は、無知な国民を正しい知識をあたえて、目覚めさせることである。
 ところが、池上は、こういってのける。
 憲法の第1条には、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とあり、第2条には「皇位は、世襲のもの」とあります。
 この2点に着目すれば、皇室典範を改正して、女性天皇や女系天皇を認めることは、憲法上、何ら問題はありません。
 池上は、戦後の日本人が陥った、天皇を憲法上の存在とする錯綜をそのままひきついで、堂々と万世一系を否定するのである。
 池上は天皇退位特例法案にもりこまれた「女性宮家検討」の付帯決議≠もちだして、こんどは「女性宮家」創設を主張する。
 憲法の次は政治判断で、池上流に付き合っていると、天皇が、法律や政治の飾り物にすぎないように思えてくる。
 昨今の人気タレント識者は、判で押したように、伝統を否定する。
 伝統の否定が、マスコミで生き残る条件にでもなっているのであろうか。
 次回も人気タレント識者批判をつづけよう。
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2019年05月17日

神道とはなにかD

 神道とはなにかD 
 ●日本精神をつくりあげた神道
 現在、神道的な価値観が、世界的に見直されている。
 その一つが、自然にたいする考え方である。
 自然を征服する西洋にたいして、日本は、自然との共生で、地球にやさしくというキーワードは日本から発せられた。
 もともと、神道は、自然崇拝の宗教である。
 西洋には自然崇拝という考え方がない。
 自然は神が創造したものだからである。
 神が創造して、糧として、ヒトにあたえたものなので、煮て食おうが焼いて食おうが人間の勝手というのである。
 西洋の神は、創造主にして唯一神、絶対神で、絶対的存在である。
 西洋が神を中心とする世界観のもとで回転してきたのは、神が圧倒的な力をもって、人々を支配してきたからだった。
 紀元後からルネサンスまで、ヒトは、人権どころか、人格や個性さえみとめられない神のしもべだった。
 そして、宗教戦争では、神の私兵となって、多くが命を落とし、ドイツ農民戦争では、人口が半分になってしまったほどだった。
 キリスト対イスラム、カソリック対プロテスタントの一神教の内紛がいまもなおつづいているのは、一神教の世界では、神が人間の心に占めるウエイトが日本人の想像がおよばないほど大きいからである。
 西洋では、ことば(=ロゴス)までが神からあたえられた。
 一神教における信仰は、神との契約で、ヒトは、ことばをとおして、神と約束をかわす。
 西洋人の自我がつよいのは、直接、神とむきあうからである。
 神という絶対的な後ろ盾をえて、かれらは、絶対的な自信を獲得する。
 それが、オーマイゴットの精神で、キリスト者にとって、神の祝福や神との出会いがなによりも大事なのである、

 日本には絶対神がいない。
 縄文時代から多神教のアニミズムで、八百万の神々は、自然や人々とともに、世界からうまれた。
 日本の神々は、世界を創造したのではなく、世界からうまれおちたのである。
 八百万の神々やミコト、ヒトが、大自然のなかで共存する日本では、単独で存在するものなどない。
 絶対神がいなかったので、自我も個人主義もうまれなかったのである。
 かつて、ヒトは、主客未分離の境地で、血族や部族、共同体中心の集団的な生を営んでいた。
 それが神道の淵源で、多神教の下では、集団的な生が栄える。
 それがさいわいだったのは、そこでは、信頼や善意、情や利他心などの集団の心というべきよい心がはたらくからである。
 神道は無意識の宗教ともいわれる。
 すべて、直観やなりゆきにまかせきるからで、それが惟神(かんながら)の道である。
 惟神というのは、神の摂理にあずけきってしまうことで、人間の考えほど浅はかなものはない。
 このとき、意識が捨てられる。
 集団に宿るのは、意識ではなく、無意識である。
 無意識の神道は、自然崇拝の宗教でもあって、自然界には、意識もことばもない。
 意識やことばは非自然物なので、自然崇拝(=自然と同一化)すると消えてしまうのである。
 生きてゆくのに必要なのは、習慣やきまりごと、日常的なふるまいで、ほとんど無意識である。
 集団は、意識をもつことも、モノを考えることもできない。
 モノを考えるのは、かならず、個人であって、一人ひとり考えがちがう。
 集団が個になって、無意識が意識に転じた。
 ヨーロッパで、意識がうまれたのは、絶対神に出遭って、個に目覚めたのちのことである。
 神から、汝はだれぞと尋ねられて、ヒトは、個のじぶんに出遭った。
 キリスト教によって、ヒトは、無意識だった集団の一部から、意識をもった個人になったのである。
 神が、個人をつくって、意識をさずけたのは、信仰を迫るためだった。
 救ってやるが、その前に、たっぷり、孤独と死の恐怖、絶望を味わえというのである。
 それが悲劇の誕生で、そこから、人類の苦しみや悲しみがはじまった。
 神道は、その逆で、意識を捨てて、無意識をとれという。
 キリスト教では、神を発見した意識は開明的で、一方、無意識は、神を見ることができない未開状態ということにされている。
 西洋では、意識やことばが光で、無意識は、無神論の闇なのである。
 日本は、その逆で、無や空は、悟りの境地である。
 そして、意識は、しばしば、苦の原因とされる。
 虚栄や嫉妬、不安や憎悪、絶望などの悪意やわるい感情も意識から生じる。
 西洋が意識のなかに絶対神をもとめたように、日本人は、無意識のなかに無や空をもとめた。
 それが神道の無意識で、集団の心である。
 聖徳太子の和の心は、日本の伝統的な精神だったのである。
 そして、その日本精神が、神道につちかわれたものだったことはいうまでもない。

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2019年05月09日

神道とはなにかC

 神道とはなにかC
 ●集団主義の神道と個人主義の一神教
 現代人は、じぶんが個人であることをあたりまえと思っている。
 だが、個人があらわれたのは、たかだか数千年前のことである。
 それまで、人々は、主客未分離の境地で、血族や部族、共同体中心の集団的な生を営んでいた。
 それが神道の淵源で、多神教の下では、個人という考え方はうまれない。
 400万年前に猿人から分化して以来、人類は、集団生活者だった。
 集団は、個が集まって、できあがったのではない。
 血族や部族、共同体などの集団が先にあって、ヒトは、その一部分だった。
 集団から個を一つとりだしたところで、単独の一人にはならない。
 切り分けられた集団の一部は、たとえ一人でも、集団なのである。
 単独では、子孫を残せない以上、ヒトは、人間ではなく、人類として集団を生きるほかなかった。
 信頼や善意、情や利他心などは、集団の心である。
 ヒトは、集団の一部であるとき、心ゆたかに生きることができるのである。
 一方、西洋は、個人主義で、その根本にあるのがキリスト教だった。
 同じキリスト教でも、カトリックとプロテスタントでは、神との接触方法が異なる。
 カトリックでは、信者は、神父を介して神と接触する。
 ところが、プロテスタントでは、個人が神とむきあう。
 個人が、直接、神と接触して、信仰を契約するのである。
 プロテスタンティズムによって、コミュニティや集団が解体されて、個人が台頭してきた。
 そこからうまれてきたのが「社会契約論」である。
 個人と神が契約するプロテスタンティズムを「個人と社会との契約」に移しかえて「社会契約論」がうまれた。
 ホッブスやルソー、ロックの思想的ルーツはキリスト教にあったのである。
 西洋における個人は、神の下に平等であって、精神の帰属先も、神である。
 キリスト教は、人々の帰属意識を共同体から切り離して、神にむかわせた。
 キリスト教的伝統の下でうまれた個人主義は、国家と対立する概念だったのである。
 そこから、抗争や革命、戦争がうまれた。
 結局、個人主義は、宗教という迷妄以外のなにものでもなかったのである。
 
 ●一神教がうんだ一元論
 キリスト教も西洋合理主義も、科学も民主主義も、一元論である。
 正しいものが一つしかない一元論の世界では、内ゲバがはじまる。
 キリスト教とイスラム教、カトリックとプロテスタントの宗教戦争が凄惨なものになったのは、唯一神ヤハウェやキリストをめぐる一元論の戦争だったからである。
 キリスト教もイスラム教も、仏教や儒教も、人間の頭によって考えだされた創唱宗教で、ことば(ロゴス)は、神からあたえられる。
 一神教は、意識と観念、ことばの宗教だったのである。
 一方、神道は、自然宗教である。
 自然界には、精神もことばも、観念も感情もない。
 神道は、自然をはじめ、無心にすべてをうけいれて、心安らかに生を営もうという宗教である。
 すべてうけいれるのは、多神教=多元論だからである。
 一神教=一元論では、排除の思想がはたらく。
 日本では、神道が仏教をうけいれたが、西洋では、宗教戦争がおきた。
 宗教戦争の本質は、「神の前に万人は平等」という個人(プロテスタント)と全体(カトリック=教会)の階級闘争でもあって、ドイツ30年戦争では、人々が殺しあって、人口が半分以下に減ってしまった。
 そのキリスト教がもちだしたのが愛だった。
 神道では、集団主義のなかに愛=情や利他心がふくまれている。
 だが、個人主義のキリスト教では、愛をもちださなければ、他者との良好な関係がつくれなかった。
 その愛の関係が、契約で、西洋は、いまでも、契約社会である。
 神と契約を交わす個人主義が、中世のルネサンスから近世の啓蒙思想や社会契約説をへて、近代のフランス革命やアメリカ革命(独立戦争)に至った。
 そして、個人主義が、人権と平等、民主主義とともに人類の普遍的な価値になった。
 個人主義が市民革命につながったのは、歴史や伝統、国体(文化形態としての国家)よりも、個人が大事とするプロテスタンティズムがはたらいたためである。
 個人主義と権利意識、ヒューマニズムの三位一体を掲げるのが、アメリカやイギリスなどの白人プロテスタント系だが、フランスやロシアなどの革命国家も、基本構造は、個人を全体に優先させるプロテスタンティズムである。
 近代は、その個人主義の上に成り立っている。
 だが、その個人主義にほころびが見えてきた。
 キリスト教にもとづく個人主義や人間主義、合理主義や科学主義が、馬脚をあらわしはじめたのである。
 集団的価値を否定する個人主義は、結局、孤独やエゴイズム、憎悪をうんだだけだった。
 自然破壊と人心の荒廃、犯罪や戦争、テロの恐怖もさることながら、人類は地球を何十回も破壊できる核兵器をもち、二度の大戦で、おびただしい人命を犠牲にした。
 一神教は、神と個人の契約なので、神に、加護や救済、利益を依願する。
 それが、個人主義やエゴイズムなのは、いうまでもない。
 そこから、万人の戦争がはじまるのは、人間は、エゴイストだからである。
 神道は、なにごとも願わない。
 惟神の道(かんながらのみち)にまかせて、安心する。
 神道の神々の予定調和は、すべてのひとの幸で、個人主義とは逆の考え方である。
 共感や共鳴、共通感覚によって、ひととひとがむすばれる。
 神道が理想とする世界観は、地域や共同体、国家とヒトの一体感である。
 キリスト教にもとづく個人主義を捨てなければ、人類は、犯罪や戦争などの暗黒性から永遠に自由になれない。
 今日的な問題でいえば、外国からの移民がふえてくると、自己の利益のみを追求する個人主義がひろく蔓延して、やがて、共同体の精神が崩壊する。
 そのとき、神道共同体としての日本は、大きな危機を迎えるだろう。
 次回は、日本人の心と神道について、あらためて、考えてみよう。
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2019年05月03日

神道とはなにかB

 神道とはなにかB
 ●現実主義に立った神道
 日本人にとって、カミは、偉大な創造主でも、人間の心を支配する超越的な絶対神でもなかった。
 彼岸から人々を見下ろす魔王ではなく、此岸にあって、あるときは、人々に恩恵をあたえる和魂(にぎたま)で、またあるときは、天変地異をひきおこす荒魂(あらたま)でもあった。
 恵みでも禍でもある畏れ多いカミにたいして、人々ができることは、機嫌をそこねないように、お供えをして、丁寧に祭ることだけで、神道の祈りの多くが、荒魂の鎮魂(たましずめ)だった。
 この世には、生と死、恵みと害い、禍と福が交互にあらわれる。
 そこで、カミ、ミコト、ヒトが、お互いにささえあって生きる。
 それが、絶対神がいない神道の世界である。
 神道が仏教をうけいれたのは、カミが、ホトケに救いをもとめたからである。
 神道の最高神官である天皇が、つきつぎ、仏教に帰依した。
 天皇や貴族は、仏閣や仏像、仏画や経典、仏具にふれて、国家鎮護の霊験が大きいと見込んで、大仏までつくった。
 神道は、国の外からやってきた仏陀まで、八百万の神々のうちの一柱にしてしまったのである。  
 すべてが太陽の下にあるという世界観では、天照大神にかなうものはない。
 これは、歴史が培った日本人の伝統的精神で、日本人の宗教心の原点が太陽=自然崇拝にあったのはいうまでもない。
 これは現実主義で、自然崇拝の自然は、まぎれもない現実である。
 日本人は、宗教への関心が薄いといわれる。
 宗教団体に帰属せず、唯一神への帰依、絶対神への信仰がないというのである。
 だが、それだけで、日本人を無神論者ときめつけることはできない。
 日本人の心は、西洋人の心ががキリスト教的である以上に、神道的である。
 ことばから所作、習慣や習俗、精神構造にいたるまで、神道の影響をうけていない日本人がいないのは、神道が、縄文・弥生の大昔から、根っこで、日本精神をささえてきたからである。
 正直や素直、親切や善意などの日本人の民族的美点も、遺伝子のなかにひそむ「神道的なるもの」のはたらきといえるだろう。

 神道と仏教・キリスト教のちがいは、生と死である。
 神道が生の宗教≠ナ、仏教・キリスト教が死の宗教≠ナある。
 ユダヤ教も、神道と同様、死後の世界がないので、生の宗教といえる。
 ユダヤ教の聖書ともいわれるタルムードは、生きる知恵集で、きわめつきの現実主義である。
 神道は、縄文弥生の大昔、主客未分離・神人合一の境地からうまれた。
 一種の神秘主義だが、これは、自然に奇異をみる態度で、現代人にとっても自然は不思議なのである。
 自然が現実主義だったのはいうまでもない。
 ところが、仏教やキリスト教は、死後という空想の世界を説く。
 これは、オカルティズムで、昔の人がこれを信じたのは、信心深かったからである。
 人々が、死について考えるのは、一神教がやってきたあとのことである。
 仏教やキリスト教は、生や現実を否定して、死後にこそ、安らぎとしあわせがあると主張した。
 これは、空想的観念論で、神道の現実主義と相容れない。
 観念論は死をもてあそぶが、現実主義は、あくまで、生を相手にしようとする。
 仏教やキリスト教は死をつかみだし、これをつきつけて、信仰を迫った。
 神は、信仰と死の恐怖を取り引きして、牧歌的だった多神教の世界を暗黒の一神教世界へぬりかえてしまった。
 そして、人々は、死の虜となって、魂の救済や成仏、天国往生をもとめた。
 一神教の根本にあるのが、意識やことばで、キリスト教のバイブルやイスラム教のコーラン、仏教の経典、儒教の五経は、いずれも、観念論である。
 神道に経典がなく、言挙げしないのは、観念論というブラックホールにはまりこんでいなかったからだった。
 日本に、善悪や正邪、仁義礼智などの儒教的な教えがなかったのも、説教を垂れる人格神がいなかったからで、いたら、理屈やこじつけ、ウソがまかりとおって、神道の清澄と元気、正直はなかったろう。
 一神教の信仰をもたない代わりに、日本人の生活には、神道や仏教の教えや価値観が溶けこんでいる。
「無我」や「縁起」は仏教由来で、俳句の季語は、自然崇拝の感性である。
 日本人の精神の帰属先は、観念としての神ではなく、血縁や地縁、共同体や国家などの具体的な実体である。
 日本は、八百万の神々という多様性をもって、外来の神(仏教の仏)をうけいれ、神道と仏教という異質な二つの神を共存させてきた。
 聖徳太子は、仏教や儒教を公的機関から遠ざけて、神道を政(祭政一致)にあてた。
 人間の心や共同体、国家が、観念にのみこまれるのをきらったのである。
 わが国が、建国以来万世一系の皇統をまもりつづけ、神話と実史がむすんだ世界でも稀有な伝統国家を維持できたのは、多神論的な現実主義を立てたからで、一神教的な観念論を立てていたら、内部崩壊をおこして、とっくに滅びていたろう。
 神道は、原始宗教どころか、覚めた精神だったのである。
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2019年04月21日

神道とはなにかA

 神道とはなにかA
 ●スタートは原始神道
 仏教と接触して、宗教の形態をとる以前の神道は、原始神道で、記紀由来の復古神道や古(神)道と区別される。
 高床式の神社社殿ができるのも、仏教と接触以後で、神明造(伊勢神宮)や大社造(出雲大社)、住吉造(住吉大社)などの建築法が確立されるのはさらに後世になってからである。
 社殿がつくられる以前、神が宿るは、岩(磐座/いわくら)や山(磐境/いわさか)、森(神奈備/かんなび)あるいは現世と常世の境界(神籬/ひもろぎ)などの自然物だった。
 聖徳太子の仏教奨励策のあと、仏教寺院が本格的に造営された。
 これにならったのが、神道で、神籬・磐境での祭祀が、社殿でおこなわれるようになった。
 中国の影響で、天神地祇も区別されて、神祇制度も整えられてきた。
 ちなみに、菅原道真公のたたりで知られる御霊信仰は、漢神信仰で、これも神仏・神儒習合の一つである。
 神祇制度が本格的に整備されたのは天武天皇の時代である。
 全国神社の整備がすすんで、伊勢神宮の式年遷宮が設定されたほか、未婚の内親王が巫女として奉仕する斎王も復活して、天皇と神社とりわけ伊勢神宮のつながりがいっそう深くなった。
『日本書紀』や『古事記』の撰修がはじまったのも、このころで、神話伝承が日本人のアイデンティティ形成に大きな役割をはたすことになる。
 日本人の精神や生活にむすびついているのは、無意識化されている原始神道で、初詣や結婚式は神道、葬式や法事は仏教といった宗教心も、原始神道というスピリッツの上に成立している。
 日本人は、神棚や位牌、仏壇をうけいれ、儒教や道教の道徳を重んじ、クリスマスやハロウィンを祝う。
 それらは、いずれも、行事で、信仰しているわけではない。
 根っこにあるのが原始神道で、そこに、原始神道のふところの広さがある。
 日本人は、神や仏、一神教の開祖を八百万の神々の一つ、太陽=天照大神の下にあるものとみているのである。
 現代においても、日本人のメンタリティは、原始神道の上に中国大陸文化と西洋文化をのせた三層構造になっていて、日本人ほど、心に世界的な奥行きや柔軟性をもっている民族はみあたらない。

 ●血肉化された神道のスピリッツ 
 アニミズム(万物霊)やシャーマニズム(神霊交流)という縄文の遺伝子をひきついだ原始神道が、最初に迎えた転換が、のちに、新嘗祭や大嘗祭にひきつがれる収穫祭であった。
 春の祈年祭と秋の収穫祭が、集落形成や祭政一致の大きな要素となって、儀式としての神道が確立される。
 そして、農業祭礼の祭祀王が、豪族らに担がれて、大王のちの天皇になってゆく。
 二つ目のステップボードが、仏教との接触と、神仏習合である。
 神道は、日本人の心性の根底をなす原始神道と、政(まつりごと)や祭祀をおこなう習合神道に分かれて、それが、幕末までつづく。
 聖徳太子が、仏教を宗教、儒教を道徳、神道を政治に仕分けた体制が延々と千年以上も維持されてきたのである。
 戦国時代のあと、織田信長と豊臣秀吉、徳川家康は、皇室の保護と神社の復興にあたった。
 以後、幕末・明治維新まで、神道が歴史の表舞台から消えたように見える。
 だが、それは、神道が、日本人の精神に血肉化されたからであった。
 その象徴が、伊勢参り(おかげ参り)で、江戸時代中期以降、ええじゃないかとねり歩いた参拝者は年間数百万人にのぼった。
 そして、大政奉還、王政復古ののち、明治新政府は、政治理念を復古神道にもとめて、祭政一致の政治をめざした。
 それが、国家神道だが、のべてきたとおり、一神教的な宗教観で、多神教の原始神道とは無縁の代物だった。
 宗教を語るにあたって、避けてとおることができないのが、死である。
 死や死の観念、死の恐怖、死後の世界、死からの救済という考え方を謳ったのが、キリスト教やイスラム教、仏教や儒教などの一神教だった。
 一神教は、天国や地獄、輪廻を発明して、世界の絶対的な支配者になった。
 神は、死という恐怖や絶望、苦しみをたっぷりあたえた上で、その苦しみを解こうというマッチポンプの商売上手で、キリスト教の信仰は、個人と神との契約である。
人々は宗教の奴隷となって、一方、教会や教団は、強大な権力と大きな富をえた。
 ヨーロッパでは、教会が、死と神を商売の道具にして、大衆から権力までをとりこんでしまったのである。
 日本では、神も信仰も、ひとの魂を抜き去るようなことはしなかった。
 神道は、無意識の宗教で、死に触れなかったのは、死は不浄だからである。
 死は、絶望なので、直視することも、考えることもできない。
 一神教では、死や死後を考えさせ、神が、人々をその絶望から救う。
 死について考えるから、このトリックにひっかかってしまうのである。
 だから、神道は、ことさらに、死を不浄として、遠ざけた。
 死ではなく、死について考えることが、絶望的なのである。
 ヤマトタケルは、死後、白鳥になってどこかへとんでゆくが、どこへ行ったのかわからない。
 それが、神道の死生観で、死後、魂はどこかへとんでゆき、死体も消える。
 死体があるのは、黄泉の国だが、イザナギが大石で黄泉の国へつうじる黄泉比良坂を塞いでしまったため、神話では、行き来ができた黄泉の国へいけなくなった。
 神道に、死や死後の世界、天国や地獄がないのは、死のことなど考えなくてもよいからである。
 仏教や禅が、無や空をもとめるのは、死につうじる意識を捨てるためである。
 意識は、一神教のもので、一元論である。
 一方、無意識は、多神教のもので、多元論である。
「考える」のが一元論で「かんじる」のが多元論といえる。
 意識は、一つのことしか考えられないが、無意識は、同時に、多くのことをかんじとる。
 それが、生きるということで、神道が、生の宗教といわれる所以である。
 次回以降も、神道と一神教の比較宗教論を展開してゆこう。

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2019年04月15日

神道とはなにか@

 神道とはなにか@
 ●国家神道と復古神道
 神道と聞いて、国家神道を思いうかべるひとがいるかもしれない。
 国家神道は、国家と天皇をむすびつけて、神道の国教化をはかったイデオロギーで、縄文時代に始原をもつ神道ほんらいのすがたから、大きくかけ離れている。
 思想家で、神道家でもあった葦津珍彦は、国家神道について、「神道的神霊を無視するもので、神社と神道の信仰をふみにじった」と慨嘆した。
 国家の保護によって、却って、神道本来の宗教的霊性が失われてしまったというのである。
 いずれにせよ、国家神道が、日本人の宗教観からみて、異様なものだったのは疑いがない。
 明治政府の神道分離令、太政官制における神祇官の設置、大教宣布の詔から廃仏毀釈へつきすすんだ国家神道の源流を遡れば、平田篤胤の「復古神道」にたどりつく。
 平田がうけついだのが、江戸時代中後期、儒教や仏教を退けて、日本固有の精神を研究した国学だった。
 その四大家が、契沖(けいちゅう)と荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵、本居宣長である。
 万葉・記紀研究の基礎をつくった契沖と荷田春満の跡をついだのが、日本の古代精神「いにしえごころ」「ますらおぶり」を謳った賀茂真淵だった。
 賀茂の門人にあたるのが、源氏物語の「もののあはれ」の本居宣長で、宣長は、30余年をかけて「古事記」を解読した。
 本居宣長没後、門人を自称したのが平田篤胤で、平田の復古神道が、幕末の尊王攘夷運動につながったのは、平田は、当時のベストセラー作家でもあったからだった。
 平田の神道観は、宣長のそれとはまるっきり異なっている。
 本居宣長の神道が「何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云なり」とカミを日本的な感性でとらえたのにたいして、平田は、キリスト教の「最後の審判」の影響をうけた幽明審判思想を唱えた。
 さらに、その門人らが、天之御中主神を創造神とする一神教的な宗教理論を展開するにいたって、宣長の古道(古神道)精神は、根こそぎ書きかえられてしまった。
 国家神道が、日本の伝統的な精神である神道の異端児だったことは、明らかだが、さりとて、神道について、明確な定義があるわけではない。
 神道には多くの分派諸派があって、それぞれ、独自の主張をおこなっている。
 神道は、仏教との接触、神仏習合、神話や皇室神道、神社神道、伊勢神道や吉田神道などの教義的発展と、これまで、大きな節目をいくつもこえてきた。

 ●日本人的思考の根底にある神道
 だが、神道のもともとの形は、自然崇拝である。
 万物に精霊が宿っているとするアニミズム、シャーマンが霊的存在と交信するシャーマニズム、神と自然が同一であるとするパンセイズム(汎神論)が、神人合一の空間をつくりあげ、それが、現代にまで、つづいている。
 正月の初詣、初宮詣、七五三、建築関係では地鎮祭、上棟祭、人生の転機におこなわれる厄払い、合格祈願に至るまで、日本人の生活のなかに神社への参詣がそっくりとけこんでいるのである。
 神道と民俗・風習が、分かちがたく接している。
 神道という宗教があるというより、生命や生活の活動が、そのまま、神道という信仰空間になっているのである。
 神道は、自然や日本の風土にもとづいた原始信仰で、無意識なのは、キリスト教や仏教のような人格神がいないからである。
 それが、「神ながら言挙げせぬ国」ということである。
 縄文時代から弥生時代、古墳時代にかけて、原型がつくられた神道は、日本人の生活や日本文化、日本人的思考の根底にあるもので、宗教であって、文化的・精神的な基盤でもあった。
 ところが、一神教は、神道のカミが、自然崇拝や庶物崇拝、祖先崇拝などの古代宗教に属するとして、劣等自然教とみなそうとする。
 多神教から一神教、自然神から人格神、精霊的な神から理性的な神、集団の神から個人の神へと、宗教が発達してきたとする進歩史観をもちだすのである。
 クリスチャンにとって、自然は神からあたえられた生活材である。
 自然合一などかれらにとって、なんの意味もなかったろう。
 一神教的な価値観に慣れた現代人は、合理や理性、論理に走る。
 だが、ヒトが、宗教へむかうのは、超越性や神秘性、卓絶したものをもとめるからである。
 すぐれた芸や作品から、人間の領域をこえたものをみると、ひとは、宗教的な感動をおぼえる。
 偉人は、祭られて、カミになるが、生きていても、神になる。
 国民栄誉賞や人間国宝がそれで、長嶋茂雄は野球の神さま≠ニ呼ばれた。
 日本では、超越的な力をもったひとは神さまなのである。
 次回以降、神道と一神教の比較信仰論を展開してゆこう。
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2019年04月04日

天皇と神道E

「日本の原光景」
 天皇と神道E
 万世一系は、皇統(天皇の血筋)が永久に続くことである。
 岩倉具視は「王政復古議」に「皇家は連綿として万世一系礼学征伐朝廷より出で候」と記した。
 これが「万世一系」の語の初出(慶応3年/1867年)といわれる。
 伊藤博文は『(旧)皇室典範』の制定(明治22年/1889年)にあたって以下の3項目を挙げた。
 第一 皇祚を践(ふ)むは皇胤に限る
 第二 皇祚を践(ふ)むは男系に限る
 第三 皇祚は一系にして分裂すべからず
 大日本帝国憲法の第一條には次のように記されている。
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
 万世一系は、血筋の連続性で、原始社会から現代にいたるまで、世襲という血統の相続によって、地位、氏族、家名、家格、家業、家柄などがまもられてきた。
 血統や世襲が時間軸的な連続性なら、八百万の神々が空間的な延長で、その広大な時空が神道の世界観である。
 神話や血筋、家系などに宿る祖霊と、地祇や産土、鎮守などの土地の神々が交差しているのが多神教の世界で、日本においては、家族から共同体、国家にいたるまで、神人合一の境地なのである。
 近代国家日本に憧れてやってきたアジアの留学生は、狐を祭ったお稲荷様を見て、驚くという。
 近代化は、古い因習や迷信を捨て、近代合理主義に近づくことと思っているかれらは、先進国家の日本に、動物神を祭った神社があることが理解できないのである。
 近代合理主義は、16世紀のルネサンス、17世紀のデカルト、18世紀の産業革命からうみだされたもので、伝統とは相容れない。
 近代合理主義は、革命や自然破壊、社会の荒廃をもたらした。
 経済や物質、競争ばかりを優先させてきたからである。
 近代合理主義がうみだしたのが、民主主義や男女平等で、皇位継承を男子に限定する万世一系は、男女平等に照らして疑問という声が、マスコミで、しばしば、とりあげられてきた。
 民進党の前政調会長で、女系天皇容認論者の山尾志桜里も「男系男子は論理必然ではない。新しい工夫や知恵が必要だ」とのべるが、千年の伝統を、昨日今日の思いつきでふみにじるのが合理主義というものである。

 万世一系は、戦前、国粋主義や皇国史観とむすびつけられた。
 そして、天皇の神格化や共産主義革命を否定する根拠とされた。
 といっても、万世一系は、明治維新のイデオロギーではない。
 万世一系は、歴史概念で、古来、神武天皇以来の男系男子の「血の系譜」と信じられてきた。
 その血の系譜が、第26代継体天皇で、継体系列は、神武天皇の男系血統という大樹からのびた一つの分枝ということができる。
 第25代武烈天皇が後嗣を定めずに崩御したのち、大伴金村らの有力豪族が新しい天皇に担ぎ上げたのは、男大迹王のちの継体天皇で、第15代応神天皇の5世の子孫だった。
 それがわかっていたのは、当時、神武天皇の男系血統にたいする意識が高かったからで、武烈系統も応神系統も、神武という大樹からにびた枝なのである。
『万葉集』を編纂した大伴家持は「君の御代御代敷きませる」と天皇の歴史の古さを謳い、聖徳太子は『日本書紀』にしたがって、神武天皇が即位した年を王朝の起点とした。
 万世一系と天皇の歴史の古さを受け入れたのは、意外にも、中世のヨーロッパ人だった。
 建国の日付を西暦に計算しなおして、紀元前660年としたのもヨーロッパ人で、スペインの『ドン・ロドリゴ日本見聞録』にこうある。
「神武天皇という最初の国王が誕生したのは、主キリストの生誕に先立つこと六六三年、ローマ創建の八九年後で、日本は、ほぼ二二六〇年のあいだ、同じ王家の血統を引く者一〇八世代にもわたってあとを継いできた」
 16世紀末から約20年間、長崎に在住したスペインの貿易商ヒロンも同じようなことを書き残している。
「神武天皇が治世を始めたのは二二七〇年以上も昔で、建国は紀元前660年であった」(『日本王国記』)
 ドイツ人医師ケンペルの『日本誌』に以下のような記述がある。
「ジンム王朝は、キリスト以前の六六〇年がそのはじまりで、以後、キリスト紀元一六九三年にいたるあいだ、すべて同じ一族に属する一一四人の皇帝たちがあいついで帝位についた。かれらは、日本人の国のもっとも神聖な創建者である「テンショウダイシン」(天照大神)の一族の最古の分枝で、直系の子孫であることを誇りに思っている。
 戦後の日本人は、皇国史観や国家神道を否定する余り、合理主義や唯物史観へ走ってしまいがちである。
 だが、日本の歴史は、日本人の血が流れる民族の魂で、天皇も国体も、日本文化も日本文明も、その根本は、歴史のなかに息づいているのである。
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2019年03月29日

天皇と神道D

 日本の原光景
 天皇と神道D
 人類は、紀元前10世紀頃まで、意識をもっていなかったという。
 古代人は、神人合一の境地で、神の声を聞きながら、無意識に生きていたのである。
 自我や個人主義など、あろうはずもなく、信仰心も、現代人が思うものとはずいぶんちがっていたろう。
 ヨーロッパでヒューマニズムがうまれるのは、15世紀頃のルネサンス以降である。
 それまで、人間には、自由や平等、個性すらなく、神(教会)や絶対王政の奴隷だった。
 ところが、歴史家は、現代人の目で、古代をながめて、古代人が、現代人のように、合理的精神や理性をもっていたかのようにいう。
 そして、古代人が、聞いていた「神の声」や「野生の呼び声」を無視する。
 人類が意識やことばをもったのは、人類史的いえば、最近のことである。
『神々の沈黙』のジュリアン・ジェインズによれば、直立歩行をはじめた人類は、脳の右半分で「神々からの声」を聞き、その声にしたがって生きていたという。
 神々が支配する自然現象や自然法則のなかで、無意識に生きていた古代人にとって、神々がすべてで、意識やことばは、あくまで、二義的なものだった。
 意識や言語が未発達だった5000年前、古代文明やピラミッド、三内円山縄文文化がさかえたのは、神々からの声を聞いていたからであろう。
 神々からの声は、今流にいえば、インスピレーションや直観である。
 アインシュタインは、発明や発見の99パーセントはインスピレーションといったが、神の声は、意識やことばをこえるスーパーパワーをもっていたのである。
 2000年、当時の森喜朗首相が「日本は神の国」と発言して日本共産党ら野党や朝日・毎日新聞などのマスコミから「国民主権や政教分離に反する」と袋叩きにされた。
 左翼系市民団体も、「日本は神の国ではない、民の国だ」と気勢を挙げた。
 日本にかぎらず、古代は、神人未分離の混沌たる世界で、そこへ、現代人の価値観をあてはめて、国民主権や政教分離、民の国などといいだしたところで仕方がない。

 神の国といえば、一神教で、現人神を連想させる。
 神々の国といっておけば、問題にならなかったはずである。
 日本は、八百万の神々の国だからで、それが、神道である。
 神道が日本文明の本質といわれるのは、自然崇拝と多神教という一神教とは異なる文化的要素をもっているからで、これが、天皇および国体につながっている。
 神道は、縄文の遺伝子というべきアニミズムやシャーマニズムをひきついだ土着信仰で、日本は、古代からかわることなく、同一の宗教観の下で、国体と天皇をまもってきたのである。
 神道に教義や経典がないのは、意識やことばがなかった悠久の太古に生じた信仰だからで、人々は、自然の営みのなかに神々の声を聞く神人合一の世界を生きていた。
 したがって、信仰の中心となるのが、神々との交流である祭祀だった。
 一神教の祈りと神道の祭祀は、まったく異なるので、ふれておこう。
 神道の祭祀は、みずからを浄めて無になることで、個や私、自我が滅却されている。
 それが、神道の世界観で、神話から祖霊につらなる悠久の時間軸と八百万の神々があそぶ宇宙的な空間軸のなかで、われの存在はかぎりなく小さく、つつましいものだった。
 そして、人々は、祈りをとおして、自然や高天原の声に耳を傾けた。
 一方、一神教の祈りは、モーゼの十戒に「汝はわれのほかを神としてはならない」とあるように、神との契約である。
 多神教を滅ぼした一神教は、自我が強烈で、排他的、権力的にできている。
 それを反映したのが、ヨーロッパの王政で、王権神授説をもとに絶対王政を敷いた。
 仏教やキリスト教、イスラム教は、比較的、新しい宗教で、仏教がキリストの500年前、マホメットがキリストの500年後である。
 この3大宗教は、創唱者がいるので、創唱宗教といわれる。
 そのどれも、個人主義で、魂の救済や成仏、天国往生をもとめる。
 一方、神道は、集団主義で、民族や氏族、共同体の繁栄をねがう。
 そこに、天皇の権威の根拠がある。
 個の利益をもとめるのが権力で、集団の利益をもとめるのが権威である。
 個の利益をもとめるとき、抗争が生じて、あたたかい感情はわかない。
 敵意や恐怖、憎悪が渦巻き、暴力や強権も横行するだろう。
 ところが、集団の利益をもとめるとき、そこに、権威がうまれる。
 尊敬や敬意、慈愛というあたたかい感情がはたらくからである。
 権力には、しぶしぶ従うが、権威には、よろこんでしたがう。
 そこに、歴代の権力者が権威をもとめた理由がある。
 権力は、権威から正統性をあたえられて、はじめて、施政権を手にできる。
 天皇を倒せば、権力も、一夜にして、崩壊するのである。
 次回以降、歴史上、天皇の権威がどうまもられてきたかをふり返ろう。

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2019年03月21日

天皇と神道C

 日本の原光景」
 天皇と神道C
 天皇は、心情や血縁、地縁でつながった共同体における権威である。
 この心的共同体が国体で、歴史的・文化的な基盤の上に立っている。
 一方、ヨーロッパの王は、力にもとづく共同体の権力者である。
 この共同体が政体で、拠って立つところが、武力や権力である。
 そこが、日本の天皇とヨーロッパの王政が決定的に異なるところである。
 天皇の権威にたいして、ヨーロッパの王制は、あくまで、権力なのである。
 歴史的に見て、国家は、国体と政体の二面から成り立ってきたといえる。
 国体が文化、政体が力で、国家のゆたかさは、軍事力によってまもられる。
 それが、18世紀までの国家観で、歴史や伝統的な価値が継承されてきた。
 ところが、18世紀以降、革命の嵐が吹き荒れて、そんな国家観がふきとんだ。
 米・英・仏・ロ・中の常任理事国が国体をもたないのは、革命国家だからである。
 歴史を断ち切って、民主主義と自由主義を最大の価値としたのである。
 先進国のなかで、国体をもつ伝統国家は、日本だけである。
 その日本が、百年近くも昔、米・英・仏・ロらの革命国家とたたかったのが第二次世界大戦だった。
 日本は、負けて、民主主義をうけいれたが、もともと、日本は、君民一体の民主主義国家だったので、さしたる抵抗はなかった。
 米・英・仏・ロ・中の五大強国は、革命後、政体がそのまま国家となった。
 したがって、民主主義一辺倒である。
 ところが、日本は、国体が残っているので、伝統の力がはたらく。
 革命国家とは、国柄が異なるのである。
 革命国家では、民主主義の下で、なんでもがゆるされる。
 国家体制や国法の変更も、戦争をするかしないかも、多数決できめられる。
 ところが、伝統国家では、民主主義万能ではない。
 形式的といえども、天皇が裁可して、論理的には、不裁可もありうる。
 天皇は、憲法四条によって、国政への関与が禁じられている。
 だが、憲法など法律の公布や国会の召集、衆議院の解散、国務大臣の任免の認証、栄典の授与など、内閣の助言と承認をともなう国事行為に天皇の裁可が必要である。
 しかも、不裁可の場合の対処法が、法的に想定されていない。
 いくら、民主主義が優先されるといっても、天皇の裁可がなければ、国政がマヒ状態に陥る仕組みに、日本は、なっているのである。

 天皇の権威は、血統や伝統、歴史などの超越性にもとづいている。
 万世一系という皇統、太古からの神道祭祀という伝統、天皇という歴史上の玉座は、世俗を超越している。
 この超越性があって、はじめて、権威は、権威たりうる。
 何人といえども、権威に手を触れることがゆるされない。
 権威が、手の届かないところにあるので、権威は、権威たりえるのである。
 権威がその威力を失えば、権力も、また、不安定になる。
 権力は、権威から権力の正統性を授かって、はじめて、安定する。
 政体という権力構造は、国体=天皇という文化構造にささえられていたのである。
 ヨーロッパの王制は、まったく、事情が異なる。
 日本の共同体は権威にささえられているが、ヨーロッパの共同体をささえているのは、権力である。
 力による共同体は、個人主義で、キリスト教は、個人と神の契約といわれる。
 ヨーロッパの王権神授説も、一種の契約で、王と神が取り引きしたのである。
 キリスト教以降、ヨーロッパの王制が、覇者の系譜となった。
 力による共同体の支配原理は、恐怖や強制、暴力である。
 そこからうまれたのが絶対王政だった。
 ヨーロッパで革命の嵐が吹き荒れたのは、絶対王政を倒すためだった。
 その絶対王政が、革命後、無力化されて、象徴となった。
 象徴という概念は、英連邦のウェストミンスター憲章へひきつがれた。
 第二次大戦後、GHQが、英連邦のウェストミンスター憲章から借りてきた象徴という概念を憲法にとってつけた。
 天皇を象徴というのは、GHQの傑作で、日本は、昔から、天皇は象徴的な存在だった。
 天皇は、豪族の連合政権だった大和朝廷から律令体制、摂政や院政、武家政治にいたるまで、象徴的な存在で、皇親政治をとった天武朝以外、権力をもたなかった。
 権威が、宗教性にもとづいているのは、世界史的な事実といってよい。
 天皇の地位も、神道的な価値のなかにもとめられる。
 天皇の権威をささえてきたのは、歴史や伝統、神道という精神文化だった。
 日本人にとってもっとも普遍的なのが、神道的な価値観で、自然にたいする畏怖や八百万の神々への信仰が、天皇への敬愛心につながっている。
 次回は、天皇の権威を歴史からふり返ってみよう。

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2019年03月15日

天皇と神道B

日本の原光景」
 天皇と神道B
 一神教では、創造主がこの世をつくって、唯一神がこれを支配する。
 それが、西洋文明の本質で、根っこにあるのは、一元論である。
 一元論は、すべてを一つの原理で説明しようという考え方である。
 キリスト教から唯物論、科学や合理主義にいたるまで、一元論が西洋をつらぬく精神、価値観である。
 一元論は、一元論以外の価値や存在をみとめない。
 キリスト教は、十字軍遠征で、奪い、殺し、インカやマヤ、アステカ文明を滅ぼした。
 同様に、ヨーロッパの多神教を徹底的に壊滅させた。
 ローマ帝国も、4世紀には、キリスト教を帝国の国教として、以後、ヨーロッパ王制は、王権神授説など、キリスト教の影響下におかれる。
 キリスト教によって、ヨーロッパは、多神教の牧歌的世界から、一神教の宗教世界へ暗転した。
 キリスト教は、民に死や地獄をつきつけて、神の奴隷にしたのである。
 そして、権力者は、創造主や唯一神の代理人を名乗って、民を支配した。
 それが、ヨーロッパの暗黒の中世で、教会の権力と絶対王政をささえていたのは、キリスト教やユダヤ教、イスラム教に共通する唯一神ヤハウェへの絶対信仰だった。
 西洋は、一神教世界で、多神教の日本とは根本的に相容れない。
 とはいえ、キリスト教以前、ヨーロッパは、多神教社会だった。
 創造主も唯一神もいない多神教のもとでは、神話的世界がつくりだされる。
 その象徴がギリシャ神話で、オリュンポス十二神の王座にあった全知全能の神ゼウスといえども、創造主で はなかった。
 神話的世界で、王権をささえたのは、権威と世襲、祭祀権の三つだった。
 日本の天皇と似ている。
 多神教の神道には、経典も教義もないが、神話がある。
 その神話からうまれたのが天皇で、天皇を中心に、豪族たちがつくりあげたのが、のちに大和朝廷となる古代連合国家だった。

 多神教の時代、なぜ、権力をもたない天皇や王が、国を治める力をもちえたのか。
 民は、権力にしぶしぶ従うが、権威にはみずからすすんで従おうとする。
 権威には、集団を引率して、一つにまとめあげる能力がそなわっている。
 親子や家族や村落など、地縁や血縁、精神的な連帯などによって、共同体がつくられる。
 それが、心でつながった共同体である。
 心的な共同社会において、民をうごかすのは、権力ではなく、権威である。
 権威は、尊敬や敬愛の対象で、情緒である。
 天皇と臣民、王と領民が、情緒によってむすばれた社会では、権威が一つの支配原理となるのである。
 心的共同体の核となっているのが、日本の場合、神道である。
 神道は、集団の宗教といわれる。
 神道が、天皇や国体をささえるのは、個や私を超越した集団の精神だからである。
 そこに、天皇が、祭政一致にもとづいて、祭祀権をあずかった根拠がある。
 日本人は、皇祖神にして日本国民の総氏神である天照大神を敬っている。
 神話を共有することによって、日本人は、同胞となった。
 自然崇拝からアニミズム、シャーマニズム、神話をへて、神道は、民族の精神となったのである。
 日本では、縄文時代と弥生時代の端境期となる紀元前10世紀頃には、農耕儀礼を中心とする原始神道がめばえていたと思われる。
 原始農耕社会において、天皇は、氏族の長を従えた神道の最高神官だった。
 神道の元型は「イネの祭り(予祝際・収穫祭)」のような集団祭祀だった。
 生産を支配する大地や水、太陽や風、月の神格化と穀霊崇拝が、皇室神道にいたって、五穀豊穣や国民安寧を祈る宮中祭祀となった。
 天皇の宗教的権威は、イネの祭り(新嘗祭など)にもとめられる。
 新嘗祭は、古代から現在にいたるまで、天皇の祭祀の中心で、天皇の即位にさいしては、新嘗祭の大祭である大嘗祭が、一代一度の祭典として挙行される。
 それが、天皇の権威の源泉で、神道は、集団の指導原理にもとづいている。
 権威をまもるのは血統で、皇位は、世襲でなければならない。
 世俗の権力は、武力や政治、多数派工作などで手に入れることができる。
 ところが、権威は、血筋と伝統によって、おのずとそなわるもので、人為的にえようとすれば、却って、地に落ちる。
 世襲ほど安全に権威を相続する方法はないのである。
 天皇におなりになることは、万世一系の血筋を継がれる皇族が、祭祀をとおして、歴史に用意された皇祖皇宗につらなる玉座にお就きになることである。
 権威は、その祭祀をとおして生じるもので、皇族個人にそなわったものではない。
 それが、象徴性で、天皇は、伝統という歴史的権威の象徴なのである。
 権威とは、象徴であって、それが、君臨すれども統治せずということである。
 次回は、天皇の象徴性について、ふみこんで、考えてみよう。


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