2023年11月27日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和31

 ●文化大革命のこわさを知らない日本人
 革命と聞くと、だれもが「市民(ブルジョア)革命」や「共産主義革命」を思いうかべる。
 レーニンは、ブルジョア革命がプロレタリアート(労働者階級)革命へ発展する二段階革命論≠唱えたが、実際には、革命軍と反革命軍(保守派)による権力闘争であって、歴史上、労働者階級の蜂起による革命(階級闘争)がおきたためしはいちどもない。
 政治や経済は、制度や社会現象で、これだけを変更しても、人生まで左右されることはない。
 人生は、社会活動であって、そこに精神性や人間性の文化が深くかかわっているからである。
 政治や経済は、社会活動の一部であって、人生は、歴史や習俗、真善美などの価値観、ことばやコミュニケーションなど政治や経済以外のものにささえられている。
 これらの精神性を総じて文化といい、その意味で、人間は、文化的な動物ということができる。
 市民革命も共産主義革命も、政治と経済における革命で、フランス革命では王政が、ロシア革命では王政と経済の仕組みが、アメリカ革命では、宗主国と従属国の権威的なつながりが否定された。
 フランス革命やロシア革命、アメリカ革命とまったく異なるのが、毛沢東の文化大革命とポルポトのクメール・ルージュ(赤いクメール)革命である。
 毛沢東とポルポトが標的にしたのは、政治や経済ではなく、精神や価値観という文化で、そのために、革命者は、文化の担い手である精神性の高い人間を抹殺するというとんでもない悪魔的なふるまいにでた。
 文化大革命では2000万人以上、ポルポト革命では、人口の四分の一にもたっする200万人が虐殺された(キリングフィールド)が、文化大革命ではそのほかに数千万人もの餓死者がでている。
 歴史や伝統、習俗を否定すれば、人間が死に、社会が滅びるのは、共同体が文化に依存しているからで、だからこそ、未来にとって有益なのは、改革でもなく革命でもなく、歴史や文化をまもる保守主義なのである。

 ●一神教=一元論の世界がなぜ地獄になるのか
 田島洋子(元法政大学教授・参院議員)は「変えようよ!この国を」といいつづけて、リベラル派や改革を訴える保守政治家から「日本維新の会」までがこれを真似するようになったが、改革主義の原点が毛沢東やポルポトにあったことをだれも知らない。
 いうまでもないが、国家や共同体、歴史やモラル、よき習慣や人間の品性をまもっているのは保守主義である。
 ヨーロッパの保守主義は、フランス革命への反省から生まれたといってよい。
 バークは「最大の悪徳は智恵や美徳を欠いた自由だ」といい、エリオットは「伝統を相続する努力を払わぬ者が革命をもとめる」といったが、ホッブズは「自然状態において、人間は利己的で、自己利益のために互いに闘争する」ととっくの昔に喝破していた。
 毛沢東は、人間の本性のなかに、悪なる非合理的なものがあるとした。その根拠としたのが歴史と伝統だった。歴史や伝統、習俗に培われた悪弊が革命の進行を妨げているというのである。
 毛沢東主義を極端化したのがポルポト主義で、社会的、歴史的存在としての人間そのものを否定した。
 ポルポトは、通貨や教育制度、文化的習俗や家族までを廃止して、親と子が一緒に住むことすら禁止した。医者や教師、学歴者を皆殺しにしたのは過去の有害なものをひきずっている「資本主義の手先」という理由からだった。
 すべての国民を農村部に追いやって農業に従事させ、ポルポト革命に従順でないものは即刻逮捕されて、その日の内につるし首か拷問による刑死となった。
 毛沢東とポルポトのスローガンが「変えよう!この国を」だった。
 中世ヨーロッパで「異端審問」で数百万人もの異教徒や悪魔(魔女)狩りがおこなわれたのも、純正たるキリスト教国家へ「変えようよこの国を」という運動で、マルクス主義(毛沢東やポルポト)やキリスト教がこのような極端なふるまいにでるのは一神教=一元論の世界観に立っているからである。

 ●正統と異端≠フ一元論がうんだ革命思想
 一神教世界では、並立や共立、共存という考え方はなりたたない。
 神が唯一の存在の一元論だからで、正統は神だけで、異端は悪魔である。
 異端裁判で有罪になれば、悪魔の判定をうけたことになって火刑である。
 一神教の国では、唯一神、絶対神に収斂されて、一元化されるので、すべてが正統と異端に分別される。
 中世ヨーロッパを支配していたのは、古典復興のルネサンスからキリスト教の呪縛を解いた宗教革命、人間解放の啓蒙思想や合理主義の近代まで一神教を土台とした一元論で、モダニズム(近代主義)も、キリスト教が唯物論や科学主義にきりかわっただけの一元論である。
 その一元論の頂点が革命思想で、正統と異端の思想がゆきついたヨーロッパ精神の終着点である。
 したがって、すべて、YESとNOで決着がつける二進法で、中間色やあいまいの価値や文化がない。
 一方、日本のような多神教世界では、正しいものはいくつもあるので共存共栄≠フ論理がはたらく。
 人間の社会は、一元論や二進法、正統と異端の論理で片がつくほど単純でも割り切りやすくもないからで、むしろ、複雑に錯綜していて、とうてい、一筋縄ではいかない。
 日本は、多神教、アニミズムの国なので正統と異端≠ニいう一元論の論理は通用しない。
 多くのものがそれぞれの持ち味を生かして、バランスをとって共存しているのが多元論の文化で、千差万別、すべてがばらばらになっているように見えても、それが多神教世界の多様性と多次元性、奥行きというものある。

 ●政治や経済ではなく、文化を破壊して、国家の解体をはかる
 現在、日本が直面しているのが日本的な文化構造の危機で、西洋の一元論の毒された人々が、日本の伝統的な価値観の破壊をもくろんで、文化革命をおしすすめている。
 この文化革命の争点は、西洋の一元論と日本の多元論で、それが端的にあらわれているのが、人間観で、西洋の個人主義にたいして、日本は、集団主義である。
 個人主義が誕生したのは、啓蒙時代以降、近代になってからで、その歴史は浅く、アメリカ民主主義が定着する20世紀まで、個人主義は、身勝手という悪い意味しかなかった。
 個人主義がアメリカに根をおろしたのは、聖書をとおして神と信仰契約するプロテスタンティズムにとって、個人が基礎単位となるからで、親子や家族の関係、集団主義や地縁は、没個性として、排除される。
 日本で、輪廻転生の小乗仏教がうけいれられず、すべてのひとびとの救済をめざす大乗仏教が定着したのは、一人で輪廻転生をくり返して、解脱する個人主義が日本人の性に合わなかったからで、日本人は、アメリカ人とは異なった人間観をもっているのである。
 その人間観や歴史観、価値観を破壊しようというのが、現在すすめられている文化革命で、男と女からできている人間の世界の最大の関心事であるセックスの価値観を転換させて、伝統的な世界を転覆させようというのである。
 かつて、革命運動は、労使紛争や政治問題にかぎられていた。
 だが、現在は、男女雇用機会均等法から夫婦別姓、LGBT(性的少数者)問題や性同一性障害特例法、同性婚など個人の領域が革命の道具立てにされている。
 日本では、個人は、単独で存在するものではなく、社会的存在で、共同体や親子、家族の一員である。
 したがって、その集団的人格が、性差すら否定された個体になってしまえば社会がばらばらに分解してしまうことになる。
 それが文化革命の真の狙いで、性という文化の破壊が政治や経済にあたえるダメージよりもはるかに大きい。
 革命者の狙いが最終的に男系相続の皇位継承にあるのは疑いえない。
 次回は、このセックス革命のさらなる恐怖についてのべよう。
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2023年11月19日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和30

  ●原爆投下は本土決戦のためのものだった
 敗戦によって、日本でも革命がおきたという学説があって、その代表が丸山眞男や宮沢俊義の「八月革命論」である。
 レーニンの敗戦革命論を下敷きにしたもので、具体的には、ポツダム宣言の受諾によって、天皇主権から国民主権に移って、それが革命だったというのである。
 GHQの神道指令や公職追放、容共主義、軍国主義や封建的制度破棄、労働組合強化などによって、たしかに、革命的事態が進行していたが、レーニンの敗戦革命論と決定的にちがうのは、政府が転覆していなかったことである。
 マスコミ左翼や学会、知識階級が無条件降伏≠主張するのは、敗戦革命論の前提が国家転覆だったからで、日本が無条件降伏していなければ、革命がおきたことにはならない。
 とはいえ、当時、日本は、革命前夜というべき政治的状況で、天皇の廃位や立法・行政・司法の停止が実行に移されていれば、革命がおきていた可能性はきわめて高かった。
 大戦末期、日本政府はポツダム宣言を受諾するに際して、天皇大権を害する項目がふくまれるか否かについて連合国にたいして回答をもとめている。
 この照会にたいして、連合国側は、明確な返答しなかった。
 天皇を処罰しないと返答して、日本が降伏すれば、日本を軍事支配するために必要だった原爆投下の機会が永久に失われてしまうからだった。
 バーンズ(国務長官)回答には「日本の最終的な政治形態は日本国民の自由意思によって確立される」となっていた。
 日本政府は、日本国民の自由意思に天皇の大権維持がふくまれると解釈して1945年8月14日、ポツダム宣言の受諾を通告した。
 ポツダム宣言の受諾が、8月6日(広島)、8月9日(長崎)のあとになったのは、原爆投下は本土決戦のためのものだったからで、トルーマンはポツダム宣言の前のすでに原爆投下の命令書に署名していた。
 日本が本土決戦という選択肢をもっているかぎり、無条件降伏は、論理的に成り立たない。進駐軍30万人の生命は、本土守備隊(陸軍315万人、海軍150万人)と十隻の軍艦、5000機の戦闘機、1000両以上の戦車車隊(5個機甲師団)の前ではひとたまりもなかったからで、しかも、本土守備隊にはカミカゼ攻撃≠フ訓示が下されていた。
 硫黄島と沖縄の戦闘で、2万人の兵士を失ったアメリカは、進駐米軍の全滅を防ぐため、日本本土に原爆を投下して、日本人のタマシイを骨抜きにしなければならなかったのである。

 ●平和主義と命乞い≠フ区別がつかなくなった
 原爆によって50万人の非戦闘員を虐殺されるという世界史上、最悪のジェノサイドによって、日本人は完全に肝っ玉を抜かれた。
 広島の原爆慰霊碑に「安らかに眠って下さい 過ちはくり返しませぬから」とあるのを読んでインドのパール判事は激怒したが、敗戦トラーマと戦争恐怖症に陥っていた日本人は、平和と命乞いの区別がつかなくなっていたのである。
 かつて野坂昭如は「戦争がおきたら白旗をあげるべき」といったが、これをひきついだのが瀬戸内寂聴や橋下徹らの生命唯物論≠ナ、日本の平和主義は命乞い主義といってよい。
「世界価値観調査(WVS/電通総研)」がおこなった「もし戦争が起こったら国のために戦うか」というアンケートで「たたかう」と答えたのは、日本ではわずか13・2%で、調査対象国79か国中ダントツの最下位だった。
 ちなみに、下から2番目の78位は、独ソ不可侵条約(1939年)による西方侵攻でソ連の属国となったリトアニア(32・8%)だが、それでも国をまもろうとする若者の数は日本の倍以上である。
 日本人のタマシイが抜かれた証しは憲法で、国のかたちを定める国家軌範が日本人の生命保証書≠ノなって、日教組は、日本人の生命をまもるために憲法がつくられたと生徒に教えている。
 日本の憲法は、占領中につくられたので、国家主権がうたわれていない。
 したがって、世界の国々がもっている緊急事態条項が日本国憲法にはない。
 緊急事態条項とは、政府の通常の運用では対処することがむずかしい事態が発生した場合、権力分立や人権を制限できるとした国家法で、国権は、私権にすぎない人権の上位にあるとした国家主権の宣言である。
 GHQ憲法で、緊急事態条項が謳われなかったのは、日本という国家の主権者がGHQだったからで、このGUQ体制のなかで、戦後、最初に宰相になったのが、英米派の吉田茂だった。
 国家として、緊急事態条項をもたないのは異常だが、吉田は平気だった。
「アメリカがまもってくれるならこれにこしたことはない」といって、吉田は憲法改正や国家防衛にはまったく無関心で、ひそかに、護憲派の旧社会党を応援した。

 ●なぜ日本の政治はかくも貧しくなったのか
 そこに戦後日本の保守政治の貧しさの根源がひそんでいる。
 生命が大事というのは、宗教であって、政治ではない。
 カネや物質的ゆたかさ、個人の欲望ばかりをもとめて、国家や国体、全体的な視野を失って、どうして、国家の政治が成熟するだろう。
 日本の戦後政治の貧しさは、安倍晋三以外、政治的なポリシーをもった政治家が登場してこなかったことで、保守政治では、池田勇人(「宏池会」)や佐藤栄作(「周山会」)ら吉田学校と呼ばれた官僚出身者が多数を占めてきた。
 官僚から首相になった政治家は、外務省の吉田茂を筆頭に岸信介(商工省)や池田勇人(大蔵省)、佐藤栄作(鉄道省)、福田赳夫(大蔵省)、大平正芳(大蔵省)、宮澤喜一(大蔵省)、中曽根康弘(内務省)らがいるが、政治家としての気骨をもっていたのは岸信介だけだった。
 宏池会は、創立者の池田勇人以来、大平正芳と鈴木善幸、宮澤喜一、現在の岸田文雄と5人の総理大臣を輩出したほか河野洋平と谷垣禎一の2人の総裁をだしているが、政治的には見るべきものはなかった。
 岸田首相は「核兵器ない世界へ機運を高めたい」などと語っているが、平和主義とリベラリズム(市民革命思想)が宏池会の唯一最大の主張で、それでは宗教・思想団体となにもかわらない。
 岸田の最大の失敗は、支持率低下の原因ともなった「オカマ法案(「LGBT平等法」)をとおしたことで、LGBTは、政治からもっとも遠くにある究極の個人主義だった。
 日本は昔から国家が性の問題≠ノふれない社会風潮だったが、これに火をつけたのがリベラリズム(市民革命志向)で、政治や経済ではなく、性という究極の個人主義をもって、国家(全体)や国体(天皇)を否定、転覆させようというのである。

 ●政治の矛盾に目をつむって夢想的平和を語る宏池会
 最高裁が、性別変更にかんして、生殖能力をなくす手術を必要とした現行の「性同一性障害特例法」は差別的とする弁論をおこない、いよいよ、特例法を違憲と判断する可能性が濃厚となってきた。
 よろこんだのが朝日や毎日、中日や日経で、第81条にしたがって特例法の改正を急ぐようもとめた。
 すでに、LGBT理解増進法が成立しているが、女性を自称する男性が女性専用のスペースに立ち入るなどの女性にたいする加害行為がふえていることには知らぬ存ぜぬである。表現の自由が被害者への配慮を欠いているのと同じ話で、LGBT理解法も表現の自由も、しょせん片手落ちなのである。
 憲法81条に「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを決定する終審審である』とあるのは、三権分立の否定にほかならない。
 国会で成立させた法律を、15人の裁判官が否定して、無効にできるという制度は民主主義や国家主権を否定する司法ファッショで、この司法改正にとりくんでいたのが安倍晋三元首相だった。
 だが、安倍さんは、マザコンの元海上自衛隊員の銃撃に斃れた。
 日本の保守政治にとってこれ以上の悲劇は考えられもしないが、岸田はその間隙をぬってLGBT理解法とおして、一方、核兵器ない世界へなどの空語を発している。
 この政治的な不毛が原爆を落とされた国の精神的外傷で、日本は、いつまでたっても、政治の現実を直視できず、空想の世界をさまよっているのである。
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2023年11月12日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和29

 ●人類の歴史を転換させた18世紀の啓蒙思想
 かつて人類は伝統的な社会を生きていた。
 伝統というのは、習慣や習俗、風習やならわし、常識や不文律である。
 それが知恵で、知恵は、歴史という死者が残してくれた文化や文明の集積であって、現在を生きる者は、すべて、死者の恩恵をうけているといえる。
 この伝統を破壊したのが17世紀後半から18世紀にかけて生じた啓蒙思想で、代表的な人物が、ジョン・ロックとジャン=ジャック・ルソーである。
 人民は政府に自然権を託していると考えたトマス・ホッブズにたいしてその50年後、ロックは、主権者である人民に抵抗権や革命権があると唱え、さらにその80年後、ルソーは、人民の集合体である一般意志(人民主権)が国家に代わって共同体をつくるとした。
 ホッブズが伝統主義で、ロックやルソー、そのルソーを継承したマルクスが啓蒙主義だが、現在は、革新や左翼、リベラルなどとも呼ばれる。
 ロックはアメリカ革命(独立戦争)、ルソーはフランス革命、マルクスはロシア革命の思想的な母体となって、革命の嵐が吹き荒れた近代を経て、世界には伝統国家がほとんど残っていない。
 伝統国家が、知恵の国家だったとすれば、啓蒙国家(=革命国家)は知識の国家で、歴史の叡智と比べて、人間が頭で考えた知識は、すべて、浅知恵にすぎない。
 自由や平等、権利や主権などは、頭で考えた理屈で、自然界や生命の世界にそんなものはない。だが、18世紀の啓蒙時代以降、自由や平等、権利や主権などの人工物が産まれながらにそなわっている天賦のものという話になった。
 白井聡(『主権者のいない国』講談社)は「日本人が自由や平等、権利を行使しないのは主権意識が低いからだ」などとバカなことをいっているが、人類が自由や平等、権利を発明したのは、わずか250年前のことで、それが普遍的な価値とされたのは、第二次大戦後で、それからたかだか80年ほどしかたっていない。

 ●西部邁が喝破した「知識人革命」という文化革命
 かつて、権力は、軍属や政治家、財閥や地主、事業家のものだった。
 ところが、戦後、民主主義の世の中になって、権力は、知識人のものになった。
 30年近くも昔になるが、銀座などでご一緒したとき西部邁さんはなんどか「知識人革命」ということばを口にされた。『知識人の生態(PHP研究所)』を世に問う頃のことで、西部さんは、世界を変えるのは、政治や経済、法律や制度ではなく、それらの根幹にある知識そのものだというのである。
 文化概念としての天皇を論じた三島由紀夫の『文化防衛論』は文化大革命のさなかの著作だが、毛沢東の革命が、政治革命ではなく、文化革命だったことの根拠が西部さんのことばからもうかがえた。
 西部さんが副委員長をつとめた全学連の「60年安保」が終わると、時代は政治から経済へと地殻変動をおこして、70年代には、3C(クーラー・カー・カラーテレビ)の高度経済成長が実現して、労働者が団結して革命をおこすという政治風土がなくなった。
『文化防衛論』はそのころ書かれたもので「6全協」以前に軍事方針をとってきた日本共産党や全学連、過激派や赤軍が勢力を失ったとき、革命勢力が標的にしたのが文化だったことは、毛沢東の文化大革命をみるまでもなかった。
 戦後のアメリカ化と民主主義一辺倒、マルクス主義や唯物論などが蔓延するなかで、日本文化の根源を天皇にもとめた『文化防衛論』は秀逸で、左翼一色だった当時の論壇に旋風をまきおこした。
 三島のいう文化の根源は、男女のちがいで、モラルや道徳観念は、すべて、性差から生じたといっても過言ではない。
「LGBT理解増進法」をとりまとめた稲田朋美は、政調会長や防衛相などの大任をまかせた「安倍さんを裏切った」といわれるが、そんななまやさしいものではない。
 稲田は、夫婦別姓主義者どころか、伝統的家族思想の反対者で、いま流行りの自称保守主義≠フ左翼、アナーキスト、反天皇主義者である。

 ●国家の原型である『伝統的家族』を否定する稲田
 左翼評論家の青木理との対談で、稲田はこういっている。
 青木「夫婦別姓が導入されれば家制度や家父長制の破綻につながり、究極的には男系男子によって継承される天皇制をもゆるがしかねない」
 稲田「わたしは皇室について男系を維持すべきだと思いますが、家制度には全くこだわりがありません。家制度は憲法でも否定されていますし、民放でも否定されています。家督相続もなくなりました。『伝統的家族』というのもことばの魔力であって、つきつめていくと具体的に何を意味するかよくわかりません。むしろ、家族が多様化するなかで『伝統的家族』という形式をまもることが、それに合わない人々を排除する、たとえば、LGBTや未婚のひとり親が切り捨てられるなら、それに賛同することはできません」
 稲田の発言は、完全に左翼のもので、左翼が大事にするのが、イデオロギーと法だけである。
 かれらには、国家や国体、歴史も伝統などの文化のカテゴリーにあるものが目にはいらない。
 それが文化革命の要諦で、文化をすべて否定すると、残るのはイデオロギーと法だけになって、たちまち、暗黒社会が出現する。
 左翼や革新は、リベラル派を名乗るようになったが、最近、このリベラルの訳語を自由主義から平和主義や正義≠ヨ変えようという意見が出てきた。
 リベラルが伝統主義や守旧派の対義語として、マスコミなどで好意的にもちいられるようになったからで、野党ばかりか、自民党の一部までが、われこそはリベラルと世論にうったえている。
 愚の骨頂で、リベラルは、政治ではなく、反政治にあたる革命勢力である。
 本来、政治は伝統主義で、その伝統を破壊しようとするのが、左翼だった。
 右翼と左翼の由来は、議長席の右側に立憲君主派、左側にロベスピエールのジャコバン派が陣取ったフランス革命期の国民議会である。
 以来、革命勢力や革新派、マルクス主義者をさして左翼と呼ぶようになったが、日本では、社会主義や共産主義の聞こえがよくないので、個人の自由から社会的弱者の救済、戦争反対や平和主義、護憲から反核、LGBT保護法までをふくめて、リベラルと呼ぶようになった。

 ●男女格差指数が最悪の日本こそ世界一の女性尊重国家
 日米で共に進行しているのが「ポリコレ(政治的妥当性)」というリベラルな風潮で、これは人種や性別、国籍、宗教、肌の色や容貌、身体的な特徴などを根拠とした差別的な表現を正すという考え方である。
 日本では女性差別にあたるという理由から「看護婦」「保母」「スチュワーデス」などのことばが消えたが、このことば狩り≠フ延長線上にあるのがジェンダー(女らしさや男らしさという文化的・社会的につくられた意識)平等の思想である。
 ジェンダー平等は、女性蔑視の西洋の思想の裏返しで、中世ヨーロッパでは数百万人の女性(未亡人)が魔女狩りの犠牲になって、啓蒙思想家は、女性を人間としてみとめなかった。フランス革命の『人権宣言』から女性が除外されているのは、女性が奴隷と同じ身分だったからである。
 その負い目があって、西洋では、ことさらに女性をもちあげるが、日本では女性は女神(山の神/古事記や日本書紀のイザナミノミコトが原像)である。
 一神教の西洋の唯一神(ヤハウェ)は男性だが、多神教の日本では、八百万の神々を統べる天照大神は女性で、天皇の祖神である。
 日本には、女性を蔑視する思想や価値観はなく、女性をさす名称が女性蔑視にあたる(看護婦)というのは西洋流の解釈で、日本では、看護婦は「白衣の天使」だった。
 世界各国の男女格差を測るジェンダー・ギャップ指数(世界経済フォーラム)で、日本は、146か国中の116位だったと左翼マスコミは大騒ぎしているが、調査対象は「政治参加」「経済参加」「教育」「健康」だけで「文化」という項目がない。
 日本は「教育」「健康」とも世界一だが「経済参加」と「政治参加」が極端に低い。総合でアジアでも下位の116位になった理由は、日本では、世界的に認知されていない(辞書にすら載っていない)専業主婦が圧倒的に多いからである。
 日本の既婚女性は、家事や育児、手芸や趣味に専念して、経済や政治などの世俗には関与しない。
 そんな下らないものは男どもに任せて、家庭中心に生きるのが日本の女性(山の神)なのである。
 日本の女性の地位は、低いのではなく、圧倒的な高いのだが、西洋人や西洋かぶれの日本人にはそれがわからず、稲田のようなバカがジェンダーフリーの言説に惑わされて、LGBT法案などをつくって、ようやく西洋に追いついたなどといっている。
 次回は、日本の文化革命の契機となった「八月革命」から戦後の思想がどう変遷していったかみていこう。
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2023年11月05日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和28

 ●「ポツダム宣言」がもとめたのは条件つき降伏
 1945年8月14日、日本が「ポツダム宣言」をうけいれて、第二次世界大戦は終結した。ポツダム宣言は、イギリス、アメリカ、中華民国(蒋介石)の3国が日本にたいして武装解除を迫った全13か条の宣言で、正式な名称は「対日降伏要求の最終宣言」あるいは「米英支三国宣言」だが、のちにこれにソビエトがくわわって、事実上の「4国宣言」となった。
 ポツダム宣言は、アメリカとイギリス、中華民国ら連合国が、ドイツを完全に壊滅したように、日本にたいしても最後の一撃をくわえる体制が整っているという脅し文句からはじまる。そして、以下、縷々と甘言と脅迫的言辞を並び立てて、条件からの逸脱や代替、遅延はいっさいみとめないとする。
 内容の概要はこうである。
 日本の戦争遂行能力が壊滅するまで、連合国軍が日本本土を占領する。
 捕虜虐待をふくめてすべての戦争犯罪人にたいして厳重なる処罰をおこなう。
 日本の主権は本州、北海道、九州、四国および周辺小諸島に限定される。
 日本の軍隊は、武装解除されてのちに帰還して、平和で生産的な生活を営む機会があたえられる。
 言論、宗教、思想の自由および基本的人権の尊重は保証される。
 産業工業の維持を許される。そして、経済を持続してこれを戦争賠償の取り立てに充当する。
 産業目的の原材料の入手など、世界貿易取引関係への日本の事実上の参加を許容する。
 連合国占領軍は、平和的で責任ある政府が樹立される限りにおいて、直ちに日本より撤退する。
 そして、最後(13条)にいたってようやく「日本政府にたいして日本軍の無条件降伏の宣言を要求する」という文面がでてくる。そこでふたたび脅しがくりかえされる「もし拒否すれば、日本は即座にかつ徹底して撃滅される」
 戦後、日本は、ポツダム宣言を受諾して、アメリカに無条件降伏したという話がまかりとおってきた。
 だが、この13条の宣言を読むかぎり、完全なる条件つき降伏要求で、無条件降伏ということばは陸海軍にたいして使用されているだけである。

 ●本土決戦≠ナ勝ち目がなかった連合軍
 ポツダム宣言がもとめていたのは、日本政府が陸海軍の解体を命じることであって、陸海軍は無条件降伏したが、日本という国は、政府も国会も、役所も機能していた。
 日本政府が無条件に降伏していたら、政府は、陸海軍に解体を命じることはできない。
 GHQに日本の陸海軍を解体させる力などはなかった。
 米軍は、硫黄島で7000人もの戦死者をだしているが、沖縄戦にいたっては戦死者が1万2500人にもたっした。史上最大の作戦といわれるノルマンディー上陸作戦で、米軍が失った兵力は2000人前後だったことを考えると日本上陸作戦がいかに危険な作戦だったかアメリカは十分にわかっていた。
 終戦時、日本には、400万兵士と十分な弾薬、5000機の航空機、1000台の戦車、数千台の装甲車が残っており、沖縄戦とは比較にならないほど日本軍は優勢に立っていた。
 当時、アメリカは、宮崎海岸と鹿児島の志布志湾と吹上浜の3地点から上陸して、南九州に航空機の基地を確保するオリンピック作戦と千葉九十九里浜と神奈川相模湾から関東平野に上陸して、東京の制圧をめざすコロネット作戦の二本立てを考えていた。
 だが、それには大きな障害があることがわかった。南九州の港湾にも東京湾の外側地域にも接岸する艦船から積み荷を移し替える大型の港湾設備がすべて破壊されていることだった。
 おびただしい輸送船やタンカーは、港湾に接岸できなければただ洋上にうかんでいるだけでなんの役にも立たない。
 兵士の上陸も、輸送船ではなく、上陸用舟艇になるが、これは迎え撃つ方に圧倒的有利で、日本軍の陸兵がまちかまえて、上陸してくる米兵を狙撃すれば死体の山ができあがる。
 アメリカの航空戦力にも限界があった。日本のレーダーは万全で、高射砲の数量も十分だった。零戦や飛燕、疾風、屠龍らが撃墜したB‐29は485機にのぼって戦死者がゆうに3000人をこえて(USSBS/米国戦略爆撃調査団)いて、B‐29には空飛ぶ棺桶≠フ異名がつけられていた。
 5000機にのぼる日本の戦闘機はほぼ半数が、偵察機や練習機で戦闘力は低かったが、爆弾を積んで体当たり(カミカゼ)をすれば洋上の輸送船も上陸用舟艇も一網打尽にでき、たとえ、一部が上陸できても、本土防衛用に温存されていた5個機甲師団の1000両以上の戦車車隊が迎え撃つ。
 硫黄島や沖縄は離島だったので勝てたが、本土となれば、アメリカが勝てる確立はゼロに近いばかりか、米兵の死者が30万人にたっするおそれがあった。

 ●原爆投下とGHQの日本改造計画
 トルーマンとチャーチルが密議をかさねて二つの結論をえた。
 一つは、原爆を投下して、日本人のおよび日本軍人の士気を挫くこと。
 もう一つは、天皇を戦犯対象から外して、敗戦宣言(武装解除)させることであった。
 かかる理由から、ポツダム宣言をだす前に、トルーマンが原爆投下のサインに署名したのである。
 戦後、アメリカに洗脳された人々は、日本の武器は竹ヤリしかなかったとやら高射砲の高度がB29まで届かなかったとやら、アメリカは、足腰が立たなくなった日本に原爆を落としたとやら、ポツダムの返事が遅れたから原爆を落とされたとやらといいちらしてきたが、すべて、デタラメだった。
 そのデタラメの最大級が「日本はアメリカに無条件降伏した」というものでアメリカにとってこれほど都合のよいデマゴギーはなかったろう。
 アメリカには、本土決戦で、日本に勝つ自信も勝算もなかった。原爆投下と天皇の玉音放送(「大東亜戦争終結ノ詔書」)をもって、マッカーサーはやっと厚木飛行場に降り立つことができたのである。
 原爆投下の約20日後、玉音放送の15日後のことで、本土決戦の中心人物だった阿南惟幾陸軍大将が割腹して果てたのが、天皇から本土決戦を断念するようのさとされた翌未明、玉音放送の当日だった。
 陸軍の反対を押し切ってポツダム宣言を受諾して、大戦を終戦へ導いたのが鈴木貫太郎首相で、GHQ指令は、その後の東久邇宮稔彦や幣原喜重郎、吉田茂、片山哲内閣がうけた。
 陸海軍解体指令や公職追放令、戦犯容疑者逮捕、財閥解体、農地解放、教育基本法改正(教育勅語廃棄)、神道指令(皇国史観廃棄)のほか、治安法や特高廃止、政治犯釈放、労働組合結成奨励、共産党合法化は、GHQの指令にもとづいて日本国内閣がおこなったもので、GHQは、日本の立法司法行政および天皇の権威を利用して、戦後日本を治めたのである。
 これが、ポツダム宣言にもとづく条件つき降伏で、アメリカは、日本を直接支配したのではなかった。
 
 ●天皇の存在が日本の共産主義化を防いだ
 日本が無条件降伏して、ドイツのように国家が解体していたら、日本国憲法をつくったGHQケーディスがのちにのべたように、GHQは日本を統治することができなかったろう。
 無条件降伏したドイツは国家が解体して、アメリカとソ連に分割統治されたが、日本は、ポツダム宣言受諾後も、役所や郵便、病院、交通機関は機能していて、新聞や放送も活動していた。
 左翼は、ポツダム宣言を無条件に受諾したので、無条件降伏だという詭弁を弄するが、アメリカは、ポツダム宣言で約束したとおりに、日本から撤退したのち、日本を支援する友邦国家となった。
 左翼が無条件降伏と言い張るのは、レーニンの「敗戦革命論」にのっかっているからである。
 たしかに、敗戦は、革命の絶好の機会で、アメリカやソ連は革命国家だった。
 戦後、革命の機運がさかんになったのは、戦勝国アメリカの支配下にあったのみならず、ソ連が新時代の希望の星として、左翼の目には燦然と輝いていたからだった。
 事実として、戦後のGHQ改革で、革命は、実際におきており、日本は、すでにかつての日本ではなくなっていた。
 革命が現実のものとして、表面にあらわれなかったのは、天皇がおられたからで、万が一、天皇が廃位になっていれば、日本は、まちがいなく共産主義国家になっていた。
 アメリカが日本の憲法に植えつけた共産化(属国化)の仕掛けは3つある。
 一、天皇の地位を憲法で規定する(憲法改正で廃位が可能)
 二、占領基本法の武装解除条項を憲法に継承させる(九条)
 三、憲法で国家主権を謳わない(日本の主権はアメリカが代行)
 これにのったのが「無条件降伏論」と東大憲法の権威丸山眞男や宮沢俊義らの「八月革命説」で、土台にあるのがレーニンの「敗戦革命論」である。
「八月革命説」では、主権が天皇から国民に移ったことが根拠というが、それ以前に、GHQ憲法がすでに革命だった。英文の憲法原案で、国民(ナショナルやネーション)ではなく、人民(ピープル)ということばが使われていたのがその証左であろう。
 次回は戦後、日本はいかの共産化の危機を免れたかについてのべよう。

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2023年10月29日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和27

 ●左翼がもくろむ常識や習慣、社会通念の破壊
 2023年10月26日、最高裁は「戸籍上の性別を変更するには性転換手術が必要」とした特例法を違憲とする判決を下した。
 トランスジェンダー女性(じっさいは男性)がおこしていた裁判にたいする判決で、2004年に施行された「性同一性障害特例法」をひっくり返すものだった。
 生殖能力がない(生殖腺がないあるいは生殖腺の機能を永続的に欠く状態にある/第三条2)ことという特例法の条件が否定されたわけで、どういうことかといえば、勃起能力のあるおチンチンをもっていても本人が望めば、法的に女性とみとめられるというのである。
 女風呂で、おチンチンを勃起させて女体をながめても、じぶんは女性と主張すれば、これがゆるされる。女性の入浴客が騒いで、風呂屋がこの男性を追っ払っても、裁判に訴えられると、最高裁の判例にしたがって、この男性に慰謝料を支払わなくてはならなくなる。
 まるでマンガである。マンガは、現実や常識、習慣、社会通念から逸脱した不条理を笑うが、不条理があたりまえになってくると、笑い話というだけではすまなくなる。
「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由」展では、天皇の肖像を燃やして踏みつけることまで表現の自由≠ニされた。当然、反発があって、第三者の異議や抗議、訴えもあったが、すべて却下(名古屋地裁)された。法廷が関与した結果、表現の自由が、権威や他者の誇りや感情をいくら傷つけてもかまわないという暴力的なものに変質してしまったのである。
 マンガのようなバカな話でも、法律化されると、キバをむいて襲いかかってくる。
 これが社会的な狂気で、ニーチェは、狂気は個人においてまれでも、集団にあっては通例であると名言を残した。
 レズやゲイ、両刀づかいは、個人において、ただの性癖である。
 男女の性別や結婚、出産や育児、教育から成り立っている社会制度や文化にとって、LGBTは、例外的な少数派で、社会になにか生産的な意味や価値があるわけではない。
 だが、LGBT法として法案化されると、社会的な狂気となる。

 ●女性蔑視の西洋が女性尊敬の日本に男女平等をいうな
 好例が男女共同参画法で、男女差別は、必要な場合もあれば逆差別にあたる場合もあって、それぞれ、習慣や常識、社会通念によって使い分けされてきた。
 ところが法制化されると、性差の文化に代わって、機械的な制度が登場してきてエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』のような規範になってしまう。
 この書は、マルクスが、モーガンというアメリカの学者の『古代社会』から抜き書いたノートが土台で、マルクスは、古代の社会が男女平等だったことに驚いたという。
 西洋の歴史では、女性蔑視があたりまえで、フランス革命の「人権宣言」でさえ女性が除外されている。
 西洋が、近代になって、ことさらに男女平等をいうのは、女性蔑視の歴史をひきずってきたからで、中世では、魔女狩りにかこつけて、おびただしい数の未亡人が殺害されている。
 マルクス・エンゲルスの「男女平等論」は、西洋の女性観にもとづいたものだが、これを奉っているのが日本共産党委員長の志位和夫である。
 志位はこういう。「わたしたちは、資本主義から社会主義・共産主義社会へとすすんだときに、ジェンダー平等が全面的に実現する社会になるという展望をもっています」
 こうとものべている。「『家族・私有財産・国家の起源』のなかでエンゲルスが明らかにした女性解放の展望を4点にまとめることができます。第一は社会的な平等、第二は公的産業への復帰、第三は家事義務からの解放、第四は経済的基盤の男女平等です。わたしは、資本主義をのりこえた社会主義・共産主義の社会にすすんでこそ、両性の真の平等が実現するという大展望をもっています」
 現在、日本で、ジェンダー平等や女性解放の名を借りて、体制破壊がすすめられている。LGBT法から最高裁のトランスジェンダー(身体と心が別性)判決、同性結婚から夫婦別姓まで、左翼が狙っているのは、男女や家族、親と子、祖先や子孫という歴史的なつながりや観念を断ち切って、社会を根こそぎ崩壊させることである。
 これが左翼のすすめている性革命≠ナ、毛沢東並みの文化大革命である。

 ●折り合わない個人主義の一神教と多神教と集団主義
 西洋が個人主義的なのは、一神教だからで、ヒトは、死ねば、一人で天国へ行くか地獄に落ちる。
 ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、父なる神は、ヤハウェ(イスラムではアッラー)だけで、神と個人の信仰契約の一神教では、夫婦や親子、家族や祖先、同族や地縁のつながりが断たれている。
 小乗仏教も、生まれ変わりをくり返す輪廻転生で、ヒトは、すべて、孤独な個人である。
 神道(自然崇拝やアニミズム、大乗仏教)の日本と西洋では宗教的背景がまったく異なる。
 日本では、個人が祖先や親子、異性や地縁などでつながっている。
 したがって、神との信仰契約も輪廻転生も、天国も地獄もない。
 日本という国(国体)は、一神教と個人主義の西洋の国(領地)とちがって多神教と集団主義にささえられている。
 それが、祖先や親子、夫婦や地縁という関係で、その大元にいるのが天皇である。
 日本人が、親切で善良、町を汚さないのは、個人ではなく、集団として生きているからで、日本が西洋流の個人主義をとれば、夫婦や家族、地縁が空洞化して、国の骨組みが解体してゆく。
 LGBT法や生物学的性差の否定、同性婚や夫婦別姓は、西洋の宗教習俗であって、日本の文化構造とまっこうから対立する。
 ジェンダー平等は、日本共産党の志位委員長がいうとおり、革命がおきたら実現するだろうが、そのときは、日本は、日本ではなくなって、パレスチナのガザ地区のような生活区(人間部落)にすぎないものになっている。
 女性は、解放されているだろうか。とんでもない。男性と無差別化されて、子を産む労働力という社会的機能にすぎないものになっている。
 次回は、日本が、戦後、なぜ、歴史伝統を捨てて西洋化に走ったのか、その経緯をふり返ってみよう。

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2023年10月22日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和26

 ●殉教思想やテロリズムの本質を知らない日本人
 イスラエル・ハマス戦争について、マスコミやネット上で、マスコミ論者の言いたい放題が洪水のようあふれている。
 ガザ地区のパレスチナ側から見て、ハマス側の攻撃にも、一応、理があるという善悪論≠ェさかんで、たとえば、橋下徹はハマスの片をもち、重信メイ(重信房子の娘)に至っては、ハマスの代弁者となって、テレビ(TBS『報道1930』)で、4分間の大演説をぶちあげて、怒り心頭に発したイスラエルのギラッド・コーヘン駐日大使が、外国特派員協会で、TBSを非難する記者会見をおこなったほどだった。
 こういう偏向報道がまかりとおるのは、日本のマスコミは、左右対決という古い図式でしか世界を見られないからで、イスラエルとハマスの戦争に、日本人が得意とする善玉・悪玉論をもちこんでも話にならない。
 かつて、山本七平は、日本人と西欧人、ユダヤ人、アラブ人の思考の差異を峻別した(『比較文化論の試み(1982年)』が、そのなかで、正統と異端という考え方を示している。
 自然信仰の日本人は、物事を悪玉と善玉にわけるが、唯一神(ヤハウェ)を信仰するユダヤ教、キリスト教、イスラム教の世界では、善悪ではなく、正統と異端と分ける。
 そして、異端は、滅ぼされなければならないとする。善玉と悪玉が両立するのではなく、悪魔と天使を分けて、悪魔を滅ぼそうとするのである。
 中世ヨーロッパでは、十字軍の遠征から異端審判や魔女狩り、宗教戦争から近代のホロコーストにいたるまで、残虐な大殺戮がおこなわれて、ドイツ30年戦争では、人口が三分の二にまで減少した。
 善玉と悪玉なら、攻守所をかえることもあるが、正統と異端では、片一方が滅ぼされて、生き残ることはできない。
 これが、正統をまもるためなら殺戮や自死をえらぶ殉教文化≠ナ一神教の最大の特徴である。
 そのことがわからず、日本人が、世界を悪玉と善玉でとらえるのは、改革=善、守旧=悪とするマルクス主義にとらわれているからで、これは、思想的な幼児にひとしい。

 ●爆弾テロリストのシンパだったTBS報道部長
 TBS報道部は、過激派顔負けの極左報道をおこなってきて、数々の前科もある。
 役員の大半が全共闘世代で、現役のなかに、核マル・中核派の出身者もいるなど、TBS(毎日新聞系)報道部じたいが極左そのものなのである。
 日本の3大テロ事件は、乗客や駅員ら14人が死亡、負傷者数が約6300人にのぼったオウム真理教の地下鉄サリン事件、警察官2人と民間人1人が死亡、27人が負傷したほか12人がリンチで殺された連合赤軍のあさま山荘事件、8人が死亡、376人が怪我をした「東アジア反日武装戦線(大道寺将司)」の三菱重工業本社爆破事件であろう。
 TBS報道部長だった金平茂紀は、2017年、病死した大道寺将司を悼んで、東京拘置所まで足を運んで献花している。金平が大道寺につよいシンパシーを抱いたのは、三菱重工業の爆破に使われた高性能爆弾が天皇陛下のお召し列車を爆発するためにつくられたものだったからで、TBS報道部長の金平は反天皇テロリストのシンパだったのである。
 左翼TVキャスター5人衆(鳥越俊太郎、田原総一朗、金平茂紀、大谷昭宏、青木理)のなかで、金平はとりわけ極左だが、この5人に死亡した筑紫哲也や岸井成格らをくわえた朝日新聞(テレビ朝日)や毎日新聞(TBS)系の人脈が日本の世論をリードしてきた。
社会の公器≠ニいわれるマスコミが左翼の巣となったのは、スポンサー料と視聴率さえ獲得できればなにをやってもOKだからで、ジャニーズ問題からテロのハマス応援、反日工作までのやりたい放題である。
 かつて、TBSは、オウム真理教の「坂本弁護士一家殺害事件」の片棒を担いで日本中から非難を浴びたが、日本の左翼・反日マスコミは、テロと戦争の時代になって、ますます、危険水域に近づきつつある。

 ●劣勢の自由陣営に襲いかかる非民主国家群
 ガザ地区を支配するハマスが音楽フェスティバルの会場を襲って、数百人を虐殺、拉致したのは、音楽フェスティバルが、かれらにとって、悪魔(異教徒)の饗宴だったからで、いくら殺してもハマスは罪意識をかんじない。
 イラン革命によって、西洋的で開明的だったイランが闇黒のイスラム国家に変貌して、女性は、ミニスカートから、全身を黒い布で覆うチャド姿に着かえさせられた。
 そのイランで、マフラーを巻いて外出した女性が逮捕されて死亡した。これもジハード(=聖戦)というわけだろうが、コーランという男性中心の戒律によって殺されたのは、女性の人権や文化だけではない。
 イスラム原理主義が憎むのは、神の預言であるコーランにしたがわない西洋文明そのもので、この西洋文明のなかには、自由や平等、個人主義や民主主義のほか、性的な奔放から音楽、喜劇までがふくまれる。
 イランとパレスチナのハマス、レバノンのヒズボラがやろうとしているのは宗教戦争で、かれらの目的は、異教徒であるイスラエルの滅亡と、背後にいるアメリカへの決定的な打撃である。
 手段は、テロリズムで、スターリンの粛清やヒトラーのホロコースト、毛沢東の文化大革命、ポルポトの民族虐殺、アルカイダの「9・11事件」と同様の大ジェノサイドである。
 第三次世界大戦がおきるなら、集団的殺戮だけを目的とする大惨事となって数億人の犠牲がでるだろうが、これまで、共産主義やファシズム、戦争や民族紛争によって数億人がすでに生命を失っている。
 スウェーデンの研究所が「公正な選挙」「基本的人権の尊重」「言論の自由」「女性の社会進出」を基準に世界179か国を分類した結果、自由主義陣営に入った国は60にとどまる一方、非民主的な国がその2倍の119にのぼった。
 ロシアと中国、北朝鮮が、イランと連携して、ハマスやヒズボラ、イスラム国やタリバン、アルカイダのようなテロ組織を動員して、自由で民主主義的なアメリカやヨーロッパ、日本に攻撃を仕掛けてこないとはかぎらない。
 日本で、LGBT理解増進法をとおして、よろこんでいるが、こんな法律が通用しているのは、個人主義の北欧と、アメリカ文明の影響下にある国々だけである
 非民主主義の119か国は、同性婚をみとめていないどころか、同性愛が死刑になる国もあるが、自由主義陣営でも、半数以上は、同性婚をみとめていない。
 マスコミが、同性婚をみとめない日本は遅れていると騒いでいるうち、性的放埓さを神への冒涜とするイスラム過激派からロケット弾を撃ち込まれかねないのである。
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2023年10月15日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和25

 ●日本への原爆投下と都市空襲を謝罪した次期大統領候補
 ケネディ元大統領の甥(ロバート・ケネディ・ジュニア)も出馬が予定されている2024年の米大統領選に元イリノイ大学教授で、東アジア研究家として名高いエマニュエル・パストリッチも参戦する。
 そのエマニュエル博士のネット配信(ユーチューブ動画/日本語)が、現在、日米で物議をかもしている。
 話題になったのは、荻生徂徠の翻訳者として知られる同博士がアメリカ人として、広島・長崎への原爆投下と、日本の都市への空襲について謝罪しているからで、発言中、深々と頭を下げる博士の目には涙さえうかんでいるように見える。同博士は同配信でこうのべる。
「(日本に)勝利したアメリカは、永遠の戦争への道にのりだしました。朝鮮やベトナム、イラン・イラク、アフガニスタン、シリア、そして、ウクライナとアメリカはこれまで必要のない戦争をくり返してきました。現在も、アメリカ国防総省は、ロシアや中国との核戦争の準備をしています。その伝統は、戦時中のマンハッタン計画=核兵器を開発からはじまりました」
「広島と長崎への原爆投下は、必要のない実験的で残酷な犯罪でした。原爆の投下だけでなく、アメリカは、戦争の後半の3年半に2000回以上の空爆をおこないました。そして、日本の木造家屋を燃やすために開発したナパーム弾(焼夷弾)を2040万発も使って、300万人以上の日本の民間人を殺しました。日本の皆様、誠に申し訳ございませんでした」
「これまでアメリカは『戦争を早期に終結させるため』『アメリカ人兵士の命をまもるため』といった口実のもとに原爆投下や都市空襲を正当化してきましたが、すべて、ウソです。いかなる理由も厳然たる事実の前では無効です。事実というのは、数百万人におよぶ無辜の人々の命を奪ったことです。ウソというのは、その事実にたいする理由づけや合理化、言い訳のすべてです」
「アメリカが永遠の戦争≠ニいう連鎖から逃れるには、いかなる釈明も捨てて、日本と日本人に、原爆投下と都市空襲を謝罪しなければなりません」

 ●反ウクライナ、反イスラエルを叫ぶ橋下徹の幼稚な「因果論」
 自民党と太いパイプをもつ政治評論家の加藤清隆とコメンテータの橋下徹のイスラエル・ハマス戦争をめぐるネット上のバトルがちょっとした話題になっている。
 結果を重視する現実主義の加藤にたいして、動機や因果を重く見る理念主義の橋下が食ってかかる、いわば、結果論と動機論の衝突だが、法律家や官僚、左翼には、橋下のような理念主義がじつに多い。
 橋下は「ウクライナ人は祖国のために戦っている。祖国のために命をかけることは尊いと言っている者は、パレスチナ人が命をかけて祖国をまもる行為を尊いとは言わない」とのべた。ロシアのウクライナ侵攻にたいして、4000万人ウクライナ人は、国を捨てて難民になれといった論理の延長で、親ロシア・親パレスチナの感情がほとばしりでたものであろう。
 これにたいして、加藤は「ハマスは、野外音楽会を急襲し、250人以上を殺害し、100人以上を拉致した。母親や乳幼児もふくめて50人以上が惨殺されたキブツもある。これが『祖国をまもる尊い行為』なのか」とやり返した。
 激高した橋下は「イスラエルがパレスチナにやってきたことをすこし調べてから言え」「徹底報復の権利を主張できるのは、じぶんに徹底報復を受けるだけの非がない者だけや。そんなことも分からんのか」と食ってかかった。
 橋下の理屈は、中学生レベルの因果論で、原爆投下や都市空襲を正当化するアメリカと同一の論理である。
 加藤は、ジェノサイドや原爆投下のような残虐行為は、理由の如何を問わずノーという絶対論である。
 一方、残虐行為にも動機や因果があるので、よく勉強してからモノをいえというのは相対論で、橋下は、政治や経済から社会一般、ジャニーズ問題にまでくちばしをつっこんで舌先で相手を丸めこむ相対論者である。
 弁護士は、強盗殺人や強姦殺人でも、カネさえもらえば、無罪や執行猶予をもとめる職業とあって、常識や一般的な価値観、人間的な感覚がまったく通用しない。

 ●現実から目をそらせて永遠の平和を唱える日本の平和主義
 ノーベル文学賞をもらって、日本の文化勲章を拒否した大江健三郎は「真珠湾を攻撃した日本には原爆を投下されても文句を言う資格などない」といってのけた。
 一方、東京裁判で判事を務めたインドのパール判事は広島慰霊碑銘の「安らかに眠って下さい 過ちはくり返しませぬから」いう文言について怒った。原爆投下という過ちを犯したのはアメリカではないか。それなのに、なぜ、日本人は過ちをくり返しませんから≠ニいって謝るのかというのである。
 大江健三郎も橋下徹も、原爆慰霊碑銘を書いた雑賀忠義(広島大英文学教授)も、結果と原因をむすびつけて考える因果論者、相対論者である。
 因果論や相対論というのは、キリスト教の神学や原罪論、仏教の因果応報のことである。
 戦争は、人類共同の罪なので、原爆を落としたほうにも落とされたほうにも罪があるというのは高邁な理想論だが、これは、現実や事実よりも理念や思想を重んじる法律家や官僚、左翼の独特の思考法である。
 戦後日本は、吉田茂以来、霞が関(官僚)主導の政治がおこなわれてきた。
 その結果、日本の政治から現実主義や絶対論が抜け落ちて、理念主義や相対論ばかりになって、日本人も、頭がお花畑の平和主義者ばかりになった。
「基地のない沖縄を実現」「憲法9条で平和な日本を」「原発ゼロの会(発起人河野太郎ら)」などと喧しいが、沖縄は、地政学的に基地の宿命を逃れることができず、日米軍がでてゆけば、代わりに中国が基地をつくるだけである。
 中国やロシアや北朝鮮などの軍事大国に囲まれて、憲法9条の軍事力放棄をいうのも、イランを後ろ盾にしたハマスのイスラエル奇襲攻撃を見て危機感を抱かないのも、平和主義ではなく、危機感喪失の痴呆状態で、平和ボケの度が過ぎているだけである。

 ●官僚に依存してきた日本が陥った政治的不能
 日本の政治は、霞が関にべったり依存してきた。外交は、外務省の米中二元主義(アメリカンスクール/チャイナスクール)で、政治はマスコミの顔色をうかがってばかりのポピュリズム、経済は、財務省・日銀のいいなりとあって、日本の政治は、議員を養う公的機関にすぎなくなっていた。
 岸田政権の支持率が下がったのは、国民に不人気のLGBT法案をとおして統一教会の解散命令にもたついたからで、マスコミ世論に媚びて、官僚主導とリベラルに傾いた宏池会の政治的非力が丸出しになったともいえよう。
 とくに大きな問題は、宏池会が苦手の外交と防衛で、イスラエルとハマスの戦争拡大で、日本は、エネルギーと防衛の二面において窮地に追いやられる。
 日本は、ハマスを支援しているイランから原油を輸入していないが、中東への依存度は92%で、イスラエルとハマスの戦争がペルシャ湾危機に拡大した場合、石油輸入がピンチに陥りかねない。
 だが、中東一辺倒の外務省に策はない。埋蔵量が世界一のベネズエラの石油(オリノコタール)は、米系海外資本が撤退後、ほとんど採掘されていないのは、精製に必要な技術がないからだが、日本が本腰をいれればベネズエラの石油が日本のエネルギー事業の救世主になりうる。
 日本とベネズエラの資源外交の突破口を開いたのが安倍晋三元総理大臣だったが、外務省にも政界にも、安倍の路線を継ぐ者はいない。
 宏池会が政治に弱いのは、池田勇人の下、前尾繁三郎や大平正芳、鈴木善幸や宮澤喜一ら官僚出身者が主流を固めたからで、官僚を使うハラの座った政治家は一人もいなかった。
 日本の税収は3年連続で70兆円をこえて、岸田首相が2〜30兆円規模の減税(消費・所得)と給付金を打ち出せば、いつ解散しても、現議席は保てるが、宏池会で宮沢の子分だった岸田はきりだせない。
 日銀はインフレ、財務省は減税の恐怖症だからで、岸田には日銀や財務省につめよるハラはない。
 次回以降、イスラエルとハマスの戦争と複雑きわまりない中東情勢、米軍が中東へシフトしたのち、単独で、ロシアと北朝鮮、中国と対峙しなければならなくなる日本の立ち位置についてものべよう。
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2023年10月11日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和24

 ●領土感覚が狂っている鈴木宗男と玉城沖縄知事
 岸田文雄首相と鈴木宗男がとんでもないアホをやらかした。
 先に鈴木についてふれよう。鈴木がロシアにでかけて、ルデンコ外務次官に「100%ロシアが勝つ」と激励して「維新の会」から脱会させられるはめになったのは、ロシアにとりこまれた売国政治家のなれのはてだが、見逃しにできないもう一つ重大なチョンボがある。
「クリミア半島は住民投票をしてロシア派住民が過半数を占めたので、ロシアのもの」という発言である。
 この一言によって、鈴木は、政界から永久追放されてよい。
 国家の三要素が「領土」「国民」「主権」であることは中学生も知っている。
 しかもこの三つには「恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりすることができない」という大原則がある。「国民」の意思(住民投票など)によって「領土」や「主権」がかんたんに移動しないのが国際法のとりきめで、これがなかったら移民国家は、つねに国家転覆の危機にさらされる。
 沖縄の玉城デニー知事は、これまで終始一貫、沖縄の日本やアメリカからの独立を訴えてきた。
 その一方、中国にすりよる危険な政治家で、その玉城が、沖縄や尖閣ついてなんといっているか。
「琉球は明や清の時代に中国の属国だった」「琉球は日本に奪われた」「尖閣諸島も古来より中国の領土だった」という中国の主張にとことん同調しているのである。
 県議会で、中国からそういう指摘をうけた場合、どう返答するかという質問(自民党・大浜一郎県議)についても、玉城知事は「即答しないことも一つの対応」と返答、口が腐っても日本の領土とこたえる気はないというのである。
 げんに、河野洋平とともに中国を訪問した玉城沖縄知事は、中国ナンバー2の李強首相と面談した際、中国の度重なる尖閣諸島への領海侵犯に一言もふれなかった。
 鈴木宗男の論理でいえば、玉城沖縄県知事が、沖縄の日本からの独立を宣言して、国民投票で過半数をとれば、沖縄は日本ではなくなるということになる。
 したがって、自衛隊や米軍が沖縄から退却せざるをえなくなるが、そのとき中国海軍が尖閣と沖縄をふくむ南西諸島を丸ごと占領するだろう。
 そして、丸腰となった台湾を中国の陸・海・空軍があっさり奪うことになる。

 ●ハマスとイスラエルを同列にあつかう岸田のアホ
 ロシアべったりの鈴木宗男、中国べったりの玉城デニーにまして愚かだったのが、イスラム原理主義のテロ組織ハマスのイスラエル攻撃にたいして「すべての当事者に最大限の自制を求めます」という声明をだした岸田首相である。
 フランス、ドイツ、イタリア、英国、米国は、これとはまったく反対の共同声明を発表している。
「わたしたち、フランスのマクロン大統領、ドイツのショルツ首相、イタリアのメローニ首相、英国のスナク首相、米国のバイデン大統領は、イスラエルにたいして、断固とした支持を表明し、ハマスとその恐ろしいテロ行為を明確に非難する」
 ハマスとイスラエルにそれぞれ最大限の自制をもとめた岸田首相のとんちんかんな声明とはいかなるちがいか。
 しかも、岸田首相は「ハマス等パレスチナ武装勢力」とハマスをパレスチナ武装勢力と呼んだ。
 パレスチナ武装勢力などというものは存在しない。存在するのは、パレスチナ自治政府とこれに対立するテロ集団ハマスだけで、かつて、ハマスと連合を組んだ「ファタハ」も現在は消滅している。
 ハマスは、パレスチナを軍事支配しているテロ集団で、パレスチナ人の敵でもある。
「ハマス等パレスチナ武装勢力」というのはいったいどこをさしているのか。
 岸田声明を作成した外務省は、中東情勢の理解に乏しいのでなければ、テロ集団ハマスに親和感をもち、イスラエルにたいして敵愾心をもっているとしか考えられない。
「当事者に最大限の自制を求めます」とは何事か。イスラエルに国家の防衛をさしひかえろということなのか。なぜ、岸田首相は、一方的な殺戮をくりひろげるテロ集団ハマスの片をもつのか。

 ●イスラエル危機で激変した世界防衛版図
 たしかに、日本には、パレスチナ同情論が多いが、パレスチナとテロ集団をいっしょにしてはならない。5か国声明にこうある。
「わたしたちはみな、パレスチナ人の正当な願望を認識して、イスラエル人とパレスチナ人にたいする平等な正義と自由を支持します。しかし、誤解しないでください。ハマスはそうした願望を代表するものではなく、さらなる恐怖と流血以外、パレスチナ人になにもあたえません」
 外務省や岸田首相は、パレスチナとハマスの区別がつかないのか。あえて、ミスリードを誘っている可能性もあるが、ハナからわけがわかっていない可能性のほうが高い。
 こんなわけのわからないことをいっていて、日本は、動乱するこの世界をのりきってゆけるのか。
 現在、世界は、ロシアとウクライナ、そして、イスラエルとハマス(イスラム原理主義テロ集団)の二つの戦争をかかえることになって、世界の力関係が大きく揺らいでいる。
 イスラエルとアメリカは兄弟なので、アメリカはもうウクライナにかまってなどいられない。
 アメリカが抜けると、ウクライナを支援するのは、イギリスとドイツだけになってしまうが、ロシアも、親ハマスのイランなどからの支援が減って最大の援助国が北朝鮮だけになる。
 中東へシフトしはじめた米海軍を見込んで、中国は、さっそく、台湾侵攻の手ぐすねを引くだろう。
 韓国は北朝鮮の対応が精一杯で、したがって、台湾をまもるのは、日本だけということになる。
 そこで、マスコミ左翼が反戦平和と騒ぎに騒いで、自衛隊出兵を妨害する。
 したがって、中国は、なんの妨害もうけず台湾を手に入れることができる。
 おおわらいするのが、親中反米・反日左翼と沖縄の玉城デニー知事である。
 ハマスのイスラエル襲撃を画策したのはいったいどこの国だったのだろう?
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2023年10月08日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和23

 ●節度ある自由≠ェささえてきた先進国の経済
 かつてゆたかだったが、現在、極貧国となった10か国のリストがある。
 アンゴラやギリシャ、カンボジア、フィリピン、キューバ、イラク、ラトビア、ナウル、ベネズエラ、アルゼンチンの10国である。
 共通点は、資源国家か独裁国家、企業の国有化、あるいは、ポピュリズムに走った国で、このことからも、資本主義の発展には、自由と民主主義、節度の3つが必要だったとわかる。
 地下資源やコーヒーなどの産出でゆたかだったアンゴラは、企業の国有化と内戦で、国中に地雷が埋まった貧しい紛争国になり、シアヌーク殿下のもとでゆたかな生活を享受していたカンボジアはポルポト革命で2百万の善男善女が殺されて(キリングフィールド)極貧国に転落した。
 フィリピンやイラク、キューバは、独裁と非民主義化によって、資本主義が息絶えて貧困化したが、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の雄だったラトビアもソ連に呑みこまれてかつての栄華を失った。
 地上の楽園と呼ばれたナウルは、国家経済を支えていた世界一のリン鉱石が枯渇して貧困化したが、石油埋蔵量が世界一のベネズエラも、ポピュリズムによって、現在、国民の4分の3が食うか食わずの飢餓状態にある。
 ポピュリズムによって貧困化したのは、かつて高度成長を誇ったギリシャや南米最大の富める国アルゼンチンも同様で、経済の発展には、自由と民主主義にくわえて、大衆迎合を制御するモラル、規制が必要だったとわかる。
 資本には「資本の論理」というものがあって、これは、資本の自己増殖運動ということができる。
 資本主義とは、資本を投下し、そのうえで、投下資本以上の資本を回収するメカニズムで、その過程において、製品・商品の製造、雇用や設備投資、価格安定などが図られる。
 その全体のバランスをたもつのが近代経済学で、そこに、ケインズ経済学もふくまれる。
 これにたいして、マルクス経済学は、近代経済学における利潤を労働価値の収奪(ドロボー)と見て、そこから、人民から労働価値を盗むドロボー(資本家)を倒せという革命思想がうまれる。
 新自由主義や市場原理主義、小沢・小泉改革もマルクス主義の亜流で、これが失敗したのは、政治や経済の一局面しか見ないからで、その視野狭窄こそが唯物論=マルクス主義の一大欠陥である。

 ●均衡とバランスから成り立つ経済原理と保守主義
 政治も経済も均衡とバランスによって成り立っている。
 このバランスが保守主義で、このバランスを壊そうというのがマルクス主義に立つ左翼やリベラルである。かれらの革新や改革が不毛なのは、革新や改革が、保守という土台の上にあることに気がついていないからである。
 保守政治の根幹をゆさぶった30年前の小沢の政治改革や自民党をぶっつぶせ≠フ小泉改革、鳩山の民主党政権が壮大なる失敗だったことは「失われた30年」が如実に物語っている。
 この30年間、日本がとってきた政治経済はマルクス主義にのっとったもので、政治は、徹頭徹尾、改革主義、そして、経済はマルクス経済一辺倒だった。
 新聞マスコミは、円高になると円高によって日本はつぶれる、円安になると日本は破産すると騒ぎ、1200兆円の財政赤字によって、日本に未来がないと吹聴してまわる。
 これがバランス感覚を失ったマルクス経済の論法である。マルクス経済には為替レートも貸借対照表(バランスシート)も、マネタリーベース(資金供給量)も金利政策も、インフレやデフも、雇用と失業に関する知識さえろくにもちあわせない。
 あるのは、労働価値説と賃金論、独占資本論と帝国主義論だけで、これが革命のマルクス主義につながって、資本主義を倒せという理屈がうみだされる。
 日本の大学では、90%がマルクス経済なので、財務省や日銀に入った東大出身の高級官僚は、近代経済学に転向するのに3年以上かかるという。
 円高や円安によって日本はつぶれる、財政赤字によって日本に未来がないというのは、為替レートを知らないマルクス経済の言いぐさで、アメリカが金融の引き締めでドル高になれば、日米のマネタリーベースは、為替レートでバランスをとりあうため、円安にふれて、輸出が好調になって、好況になる。
 そんなかんたんな仕組みさえわからないのがマルクス経済学なのである。
 
 ●絶好調だった日本経済を潰したマルクス経済の霞が関
 この好況がつづいたのが30年前の日本経済で、当時、税法の不備で不動産高になった以外、経済状態はきわめて良好だった。
 これに腹を立てたのが、霞が関に巣食うマルクス主義者たちで、マルクスの予言どおりに経済破綻しないのは、なにかのまちがいだといって、総量規制という暴力的な金融引き締めに走って、日本経済をつぶした。
 そして、日銀・財務省は、その後、マルクス経済のデフレ政策をとりつづけて「失われた30年」をつくりあげた。
 円安になるとインフレになって、国富が失われるというのは、マルクス経済(帝国主義論)の最大の誤りで、為替レートによって、国がゆたかになったり貧しくなったりするはずなどない。まして、円安が高じてハイパーインフレになるなどというのは言語道断である。
 ハイパーインフレは、貨幣価値が下がることではなく、生産能力が壊滅して価格が高騰、金銭でモノが買えなくなることで、為替とはなんの関係もない。
 だが、日銀のマルクス主義者たちは、ハイパーインフレをおそれて、過剰なインフレ防衛(デフレ政策)をとりつづけて日本経済の息の根をとめた(「失われた30年」)。
 それまで、世界のトップに君臨していた半導体などを中心としたIT企業(NTT、NEC、日立、東芝、富士通、三菱電機、SONY、SHARP、京セラ、パナソニック、ソフトバンクなど)が凋落したのは円高(デフレ)で国際競争力を失ったからで、競争相手がいなかった半導体の材料(半導体製造装置/半導体ウェハー)の分野において、日本がいまだに世界のトップの座にあるのがその証左である。
 
 ●アベノミクスをささえた二人のノーベル経済学者
 巨額の財政赤字で、日本に未来がないというのもマルクス学者の無知によるもので、マルクス経済学には、貸借対照表の観念がないので、1200兆円の財政赤字で日本経済の首がまわらなくなったなどの俗説をふりまく。
 一般会計の複式簿記では「貸借平均の原理」がはたらくので、借方の合計と貸方の合計がつねに一致する(貸借対照表/損益計算書)。したがって、借方(資産+費用)=貸方(負債+資本+収益)となって、経済の規模が大きくなるほど、借方・貸方とも額が大きくなる。
 日本の場合、国と地方の借金(国債の発行残高)は1200兆円といわれるが、国債の引き受け手の45%は、政府の子会社である日銀である。日銀への金利はすべて国庫納付金(日本銀行法第53条)として返ってくるので、政府は腹が痛まない。
 残りの国債をもっているのも、保険・年金基金(35%)なので、売りとばされたり価格が暴落したりする懸念はない。
 国債を借金と考え、デフレ政策をとって「失われた30年」をつくったのがマルクス主義経済しか知らない霞が関の役人で、これを断ち切ったのがアベノミクスだった。
 だが、残念なことに、コロナと消費税で、アベノミクスにブレーキがかかってしまった。
 アベノミクスの根幹をつくったベン・バーナンキ(「デフレ退治」)とポール・クルーグマン(「インフレ目標理論)」は二人ともノーベル経済学賞を受賞しているが、高橋洋一以外、マルクス主義にこりかたまっている日本の経済学者と交流がない。
 現在、アベノミクスで脱デフレに成功した日本は、半導体の8社連合(トヨタ自動車、デンソー、ソニー、NTT、NEC、ソフトバンク、東芝系列キオクシア、三菱UFJ銀行)で世界に挑戦するが、もはや、円高という最大の壁はとりはらわれている。
 日本のマルクス経済学者らは「失われた30年」の原因が円高だったことをみとめないが、世界の近代経済学の学者は、多くが、円高(デフレ)から脱出しつつある日本の躍進を予言している。
 次回は、日本経済の展望と、マルクス主義に縛られたままの中国とロシアの経済の行く末をながめてみよう。
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2023年10月01日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和22

 ●ロシア苦戦を読めなかった日本の識者たち
 ロシアがウクライナへ侵攻した当時、多くの識者は、小国ウクライナは大国ロシアに歯が立つわけはないので、さっさと降参すべきと口を揃えた。
 ロシアとウクライナの国力差は、経済力で10〜15倍、軍事力で5〜10倍の較差があるので、ウクライナの首都キーウ(キエフ)を陥落させるには3日もあれば十分というプーチンのことばを多くの日本人は真にうけた。
 だが、実際は、1年半たっても戦線は膠着したままで、ロシアでは、多くの高級将校を失ったばかりか、侵攻した4州とクリミア半島で苦戦を強いられている。
 そのうえ、ウクライナは、アメリカの最強戦車「エイブラムス」やF16戦闘機(61機)、長距離地対地ミサイルATACMSを供給される予定なので、それでなくとも劣勢のロシアがさらに追いこまれる可能性が高い。
 日本人がロシア圧勝と読んだのは、総合力から判断したからで、日米戦争で日本に勝ち目がなかったというのと同じ発想である。日米戦争で日本が負けたのは、ミッドウエー海戦で大敗してサイパン島や硫黄島をとられたからで、それ以上の理由はない。
 日露戦争と日米戦争当時の両国の国力の差は、似たようなもので、ハワイやフィリピンをとられると、旅順をとられて降参したロシアのように、アメリカは、白旗をあげるしかなかった。はじめから日本に勝ち目がなかったというのは、勝ち馬にのった結果論で、ムードで語っているだけである。
 戦争は、すべて、局地戦なので、総合戦力が勝っていても戦争に勝てるとはかぎらない。局地戦でモノをいうのは、作戦にくわえて個人の戦闘力と武器の破壊力で、たとえ世界2位の軍事力をもっていても、6000発の核をもっていても、局地戦にはなんの役にも立たない。
 核を使えば勝負がつくというのは短絡で、核を使えば、地球共存者としての資格を失って、すべての国から国交を断たれる。世界は複雑な関係の上になりたっているので、交易から通貨、文化や人的な交流までの国際関係を断たれると、たとえ、戦争に勝っても、国家は亡びる。

 ●総合戦と局地戦の仕分けができない戦争評論家
 総論がすきな日本人は、中国は世界第2位の経済大国で、日本は世界第3位の経済大国といいたがる。
 だが、経済大国だからといって、経済戦争に勝てるわけではない。半導体やパソコン、スマホ、太陽電池といったデジタル分野の局地戦で、日本が韓国や中国、台湾に負けつづけてきたのは、技術で優先していながら、生産や資金の局面で後れをとったからである。
 GDPは人口と付加価値(儲け)を掛け算した総額で、決定的にモノをいうのは、人口である。
 したがって、人口の多い国のGDPが大きいのは当然である。
 世界の人口比を見てみよう。
 1位 中国 約14・4億人
 2位 インド 約14・1億人
 3位 アメリカ 約3・4億人
 4位 インドネシア 約2・8億人
 5位 パキスタン 約2・3億人
 6位 ナイジェリア 約2・2億万人
 7位 ブラジル 役2・2億万人
 8位 バングラデシュ 約1・7億人
 9位 ロシア 1・5億人
 10位 メキシコ1・3億人
 ちなみに日本は1・2億人で11位である。
 つぎに国別GDPに目をむけよう。
 1位 アメリカ 約25・5兆億ドル
 2位 中国 約18・1兆億ドル−
 3位 日本 約4・2兆億ドル
 4位 ドイツ 約4・1兆億ドル
 5位 インド 約3・4兆億ドル
 6位 イギリス 約3・1兆億ドル
 7位 フランス 約2・8兆億ドル
 8位 ロシア 約2・2兆億ドル
 9位 カナダ 約2・1兆億ドル
 10位 イタリア約2・0兆億ドル
 人口と国別GDPがほぼ一致しているのはアメリカと中国、日本だけである。
 人口の多い国にもかかわらずGDPが低いのは、民主化・自由化がすすんでいないからでそれを如実にあらわしているのが一人当たりGDPである。
 国別GDPで2位の中国と5位のインド、11位のロシアが一人当たりGDPでは50位にすら入っていない。ロシアが63位、中国が68位、インドにいたっては、国家破産したベネズエラやスリランカよりも低い147位である。
 たとえ、IT先進国であろうと、カースト制が足をひっぱって、資本主義の健全な発展を妨げているわけだが、イスラム教の大国も、宗教的戒律によって資本主義の水と空気≠ナある民主主義と自由が封じこまれている。

 ●人間の戦闘力と文明力が戦争の勝敗を決する
 日本の一人当たりGDPは30位で英独仏伊のやや下位である。
 日本のGDP3位は、一人当たり30位のGDPに世界11位の人口を掛けた数字で、いわば、幻の経済大国なのである。
 日本の新聞は、日本のGDPは世界3位と吹聴するが、国力は、人間の数Χ付加価値ではなく、人間の能力Χ付加価値である。そのことに気がつけば、GDP世界第3位などと威張っているわけにはいかなくなる。
 世界の一人当たりGDPのトップ30を見るとおもしろいことに気がつく。
 1位のルクセンブルクからノルウェー、アイルランド、スイス、カタール、シンガポール、アメリカ、アイスランド、デンマーク、オーストラリア、オランダ、スウェーデン、カナダ、イスラエル、オーストリア、アラブ首長国連邦、フィンランド、ベルギー、サンマリノ、香港まで、アメリカとカナダ、オーストラリアを除いて人口が少ない先進的な小国ばかりで、したがって一人当たりの所得は、当然、高い。
 このなかに中立国家(スイス・ベルギー・オーストリア)やタックス・ヘイブン(ルクセンブルク)がふくまれているのは、多国籍企業や富裕層が膨大な資金をもちこむからだが、これもまた国際資本主義の一側面である。
 20位以下は、ドイツからニュージーランド、イギリス、フランス、イタリア、日本、台湾、韓国などがつづく。
 これが正しいGDPで、国の大きさと経済力はかならずしも一致しない。
 軍事力も同様で、国が大きいからといって、戦争に勝つとはかぎらない。
 戦争が、核戦争以外、すべて局地戦で、勝敗を決するのは、人間の戦闘力と文明力である。
 そのことは、今回のウクライナ戦争によって、イヤというほど思い知らされたはずである。
 日本の評論家は、総合力から判断して、台湾は中国の比ではないというのだが、かれらは、ウクライナ戦争で犯した見とおしの甘さをふたたびくり返している。
 こういう識者にかぎって、日米安保や「核の傘」「核共有(ニュークリア・シェアリング)」などについて、不毛な議論をふっかけてくる。
 アメリカは、日本に代わって敵と戦ってくれないというのだが、当たり前である。
 アメリカはアテにならず、日本もみずから戦う気がさらさらない。中国に攻められて、かなうわけはなく、イノチも惜しいので中国の属国になる(玉城デニー沖縄知事)というのが総論(=結果論)というもので、これが橋下徹らを中心に日本中に蔓延する敗北主義である。

 ●すぐれていた安倍元首相のアジア防衛論
『自由で開かれたインド太平洋』の安倍晋三元首相が唱えた「戦後レジームからの脱却」は、日本がアジア安保の中心軸になるという構想で、アメリカ(2015年4月29日連邦議会演説)をはじめ欧豪印らからつよい支持をうけた反面、中国をはじめ日本の反日左翼、親中派、新聞マスコミから猛烈な反発を買った。
 安倍構想は、自衛隊を国家公務員から軍人に昇格させ、日米のほか、日英や日豪とも軍事同盟をむすんでオーカス(アメリカ、イギリス、オーストラリア)の関係を密にする。そして、クワット(日米豪印)への連結を固めて、ファイブ・アイズ(アメリカ/カナダ/イギリス/オーストラリア/ニュージーランド)にくわわって最終的にはNATO(北大西洋条約機構)に参入、東京にNATO事務局を置くというものだった。
 これにたいして中国は「ブリックス(南アフリカ、ブラジル、インド、ロシアなど)」や「グローバルサウス」をひきいれて日本に対抗しようとしているが、そんなものはほうっておけばよい。
 グローバルサウスは、1955年の「アジア・アフリカ会議」の延長線上にあって、原点は、大東亜共栄圏である。AA会議で、インドのネルー、エジプトのナセル、インドネシアのスカルノ、ビルマのウー=ヌーらが、第三世界の結束は、日本の大東亜共栄思想が土台になったとのべている。
 戦後からはじまったODA(政府開発援助)も、1970〜2000年代まで日本がアメリカをおさえて世界一(アンタイド率約90%)で、これを高く評価するグローバルサウスの対日感情がわるいはずはない。
 グローバルサウスのなかで対日感情がわるいのは、中国の資金注入をうけた国々ばかりで、日本をきらっているのは、中国とロシア、北朝鮮、韓国野党と日本の工作員(左翼と平和主義派)だけだが、かれらの狙いは日本の軍事力の弱体化にある。
 左翼化したドイツ(ショルツ首相/社会民主党)すらウクライナ戦争をみて防衛費を倍増させたが、日本の反日左翼や平和主義者は、防衛費増強によって日本が中国・台湾戦争にまきこまれると主張している。
 次回以降、中国・台湾戦争と、これをとりまく国内および世界情勢についてのべよう。

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