2021年08月02日

 天皇と民主主義 その27

 ●天皇の政治利用と昭和軍国主義
 明治維新によって、封建体制が崩壊して、日本の近代化がはじまった。
 市民革命と産業革命を主軸とするヨーロッパの近代化も、封建体制の瓦解をともなっていたのはいうまでもない。
 封建体制は、革命派には、旧悪や旧弊だが、国家や民族には、歴史と文化の大いなる蓄積で、かけがえのない知的財産である。
 革命は、過去をすべて否定するので、国家や民族の歴史的叡智や文化遺産がねこそぎ失われる。
 その代わりにあらわれるのが、啓蒙主義と市民革命の産物である自由と平等、そして、民主主義と国民主権である。
 といっても、近代化の眼目は、自由や平等、民主主義や国民主権だけにあるのではない。
 むしろ、旧体制の打破に重点がおかれていて、王政や身分制のほか、道徳やモラル、忠誠心のような心の価値までが否定される。
 自由の前では、節度は、ただの束縛にすぎない。平等の前では、身分秩序や格式、分の弁えなどの社会規範は悪弊となる。民主主義の前では、英傑による政治は独裁とひとしく、国民主権の前では、国家理性は全体主義とみなされる。
 近代は、過去を悪とみなす歴史観に立って、歴史や伝統、習俗やコモンセンスなど、国家的な価値観や民族的な良識を捨て去った体制および世界観である。
 そして、その一方、モノ・カネ・技術などの唯物論的な価値だけを追いもとめる。
 その典型が旧ソ連とアメリカだが、世界の先進国も、ほとんど、革命国家である。
 旧ソ連や中国などの共産主義は、民主主義をまるごと国家があずかった人民政府で、アメリカも、伝統をそっくり民主主義に入れ替えた革命国家だった。
 第二次大戦は、革命国家と伝統国家、民主国家と独裁国家が争った戦争で、スターリンとルーズベルトは、ともに、日独の枢軸国とたたかった盟友であった。

 日本と西洋では、伝統国家と革命国家である以前に、多神教文化≠ニキリスト教文明≠ニいう際立ったちがいがある。
 多神教の日本は、文化の国で、多様性と奥行きをもつ。
 一神教の西洋は、文明の国で、神や正しいもの、真理は一つしかないという考え方が、科学をうみだした。
 文化は、時間的蓄積で、厚みを形成する。
 文明は、空間的な広がりで、文化という歴史的土壌の上に開花する。
 文明は、テクノロジーで、日々、進歩する。
 ところが、文化は、厚みをますだけで、変化しない。
 それが保守で、文明を革新というなら、文化は保守なのである。
 日本では、11世紀の初め、紫式部によって、世界初の長編小説「源氏物語」が書かれているが、その頃、ヨーロッパは、7回にわたる十字軍の遠征がはじまったばかりで、ダンテが神曲を書いたのは、源氏物語が書かれた200年もあとのことである。
 鉄砲伝来は、1543年(種子島)のことだが、32年後の1575年、織田信長は、武田勝頼とたたかった長篠合戦で大量の鉄砲(火縄銃)をもちいている。1600年の関ヶ原の戦いで使用された鉄砲の数量は、全ヨーロッパの鉄砲数よりも多く、刀剣の伝統がある日本の鋼技術によって、性能も、ヨーロッパのものよりすぐれていた。
 文化という土台がゆたかであれば、文明という利器は、かつて、唐文化を国風文化にきりかえたように、容易に受容できるのである。

 産業革命以前のヨーロッパから学ぶべきものはなにもなく、ヨーロッパが産業革命で大躍進したのは、明治維新(1868年)を30年ほどさかのぼった1830年代のことだった。
 日本は、維新後、わずか20数年で鉄道や電話、郵便などのインフラを整備し、綿糸や生糸の大量生産・大量輸出を始めるなど、産業革命でヨーロッパの後を追った。
 日本が、短期間で近代化に成功したのは、伝統国家として、比類のない文化的な厚みをもっていたからだった。
 ところが、明治維新で、ヨーロッパ化をめざした薩長政府は、江戸時代に頂点をきわめた日本の文化や技術を、西洋より劣った野蛮なものとみなして、伝統破壊に走った。
 断髪脱刀や廃仏毀釈、鹿鳴館文化やヨーロッパを真似た伯爵や侯爵などの身分制度は、歴史にたいする自己否定にほかならないが、最悪だったのは、天皇に主権と統帥権をあたえたことだった。
 江戸時代の「禁中公家諸法度」では、天皇に最大の敬意を払いながら、政治に口出しをしたら島流しにすると脅している。権威と権力、国体と政体の二元論をまもりぬくには、それほどの覚悟が必要なところ、岩倉具視と伊藤博文は、憲法で天皇を、西洋式帝国主義のリーダーである大元帥に祭り上げた。
 その脱線がゆきついたところが、昭和軍国主義で、天皇は、ついに、現人神になった。
 軍人・軍属が天皇を敬ったわけではない。国家を思いどおりにうごかすのは、天皇を神ということにして、その天皇神を政治利用するのが、いちばん効率がよかったのである。
 天皇陛下の名を口にするときはかならず起立して、毎朝、御真影に頭を下げるのは、個人崇拝で、皇祖皇宗の遺訓である大御心ではない。
「天皇陛下万歳」というときの天皇陛下は、個人で、歴史上の天皇は、天皇である。
 権威があるのは、天皇であって、軍服を着て、馬にまたがった天皇陛下ではない。

 武士階級廃止という伝統破壊と天皇の神格化、徴兵制度によってできたのが、日本の近代軍隊だが、野蛮きわまりないものだった。
「生きて虜囚の辱を受けず」というのは、玉砕や自決をおそれるなということで、食糧ももたずに遠征した「インパール作戦(牟田口廉也)」では16万人(ビルマ戦線)の軍人が戦死しているが、大半が餓死か自決だった。
 日本本土のまもりは、伝統的に「漸減邀撃作戦」にあって、太平洋を西進してくるアメリカ海軍艦隊を潜水艦などで戦力を漸減させ、日本近海で艦隊決戦を挑めばかならず勝てる。戦艦大和や武蔵、世界一だった潜水艦隊はそのためのものだった。
 そして、サイパン島や硫黄島など日本本土に近い島々を要塞化すれば、アメリカは、日本の国土に近づくことができず、日本は、勝てないまでも、負けることはない。
 だが、長野修身軍令部総長や海軍左派(三国同盟反対派/米内光政・山本五十六・井上成美)はこの「漸減邀撃作戦」を主張する東郷平八郎ら長老を退けて、南洋作戦へのりだす。
 天皇の軍事顧問だった長野修身ら海軍首脳が、天皇を説得して、方向を転換させたのである。
 そして「ご聖断が下った」として、真珠湾攻撃という世紀の大愚行を実行に移したのである。
 天皇の政治利用が、いかに大きな国難をもたらすか、真珠湾攻撃ほどそのことを如実にしめす歴史的事実はない。


posted by office YM at 10:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月26日

 天皇と民主主義 その26

 ●拝察≠ニいう天皇の政治利用
 宮内庁の西村泰彦長官が東京五輪・パラリンピックに際して、天皇陛下が新型コロナウイルスの感染拡大を心配されているとした上で「国民に不安の声があるなかで、開催が感染拡大につながらないか懸念されていると拝察している」と発言して、政府を慌てさせた。
 菅義偉首相や加藤勝信官房長官は「西村長官がご自分の考えをのべたもの」として矛をおさめようとしたが、野党やマスコミは黙っていない。
 オリンピック開催の延期や中止をもとめている立憲民主党の安住淳国会対策委員長はこう息巻く。「西村氏個人の意見と思っている国民はいない。(陛下の)ことばの重みを踏まえて対応すべきだ」
 マスコミも、天皇の政治的発言や西村長官の傲岸不遜な拝察≠ノ疑問をむけるどころか、菅首相や加藤長官の対応を「不敬」やら「天皇の御心を無視」やらという大時代的な語句をもちだして批判した。
 保守をきらっていたはずの大手メディアが「天皇の御心(文春オンライン)」などといいだすので、たしかめるとこんな記述があった。
 1928年、当時の田中義一首相は「張作霖爆殺事件」に日本軍が関与していた場合、関係者を厳重に処分する旨、昭和天皇に内奏したが、のちに方針を転換して、天皇の不信を買い、内閣総辞職に追い込まれた。明治憲法下の天皇と平和憲法下の天皇では、事情が異なるが、天皇の御心を無視して五輪開催を強行して、万が一、感染爆発や医療崩壊を引き起こしたら、菅内閣は総辞職では済まされないのではなかろうか。
 さらに、ニュースポストセブン(小学館)はこう論じる。
「大御心」とは天皇の御心のことだ。加藤官房長官は、なんと、この大御心を否定したのである。拝察が西村長官の独断だったのであれば大スキャンダルである。大御心を捏造した長官を、即刻、更迭すべきであろう。拝察が正しいか正しくないか判断できないなら、皇居に参上し、直接、天皇の気持ちを聞いてみればよい。そして、これが大御心だったとみとめるなら、国民の声と同等に尊重すべきものだから、五輪開催について、改めて検討、検証すればいい。菅内閣はそのいずれもしないだろう。普段は「保守だ」「天皇への尊崇だ」と軽口を叩いていても、かれらの尊王などこんなものなのだ。菅内閣と、それを支える保守派の誠意と良心が問われている。
 小学館は、大事にあたって、ご聖断を仰げと、幕末の勤皇派のようなことをいう。あまりにも粗雑な話で、反論する気にもならないので、葦津珍彦の記述(『日本の君主制』)を紹介しておこう。
「大御心は後天的思慮から生じてくる意思ではない。個人の意思よりも遥かに高い高い所に在るのである。(略)そこに歴史的な民族の一般意思、皇祖皇宗の遺訓たる大御心を、日本人が神意と解し、天皇を現津御神と申し上げる根源がある」
 大御心は、歴史や民族の真実、皇祖皇宗の遺訓であって、天皇個人の御心ではないと葦津はいう。
 文春も小学館も、大御心を、天皇個人の御心と思いちがいをしている。
「天皇の御心を無視して(文春)」「天皇陛下のご懸念を否定する菅内閣はあまりにも不敬ではないか」「皇居に参上して、直接、天皇の気持ちを聞いてくればよい(小学館)」というが、これは、天皇が国政に関する権能を有しないとする憲法4条違反である以前に、天皇の本質をわきまえない妄言である。
 天皇は、ご自身の考えや感情をもたれない。たとえもっていたとしても、表にだされることはない。それが、帝王学のイロハで、考えや感情を表に出すと敵をつくることになって、もはや、権威たりえない。
 大御心は、神話によれば、皇祖が皇孫を日本国の君として定められたときに神鏡を授けて此れの鏡はもは(専)ら我が御魂として吾が前をいつ(拝)くがごとくいつ(斎)き奉れ(古事記)≠ニのべられた神勅(神鏡奉斎)である。
『国体の本義(昭和12年)』にもこうある。天皇がこの御鏡を承けさせ給ふことは、常に天照大神と共にあらせられる大御心であつて、即ち天照大神は御鏡と共に今にましますのである。
 どの文献をひらいても、大御心が天皇の個人的な御心としたものはない。
 万が一、天皇の御心があらわれたら、聞こえなかったふりをすべきと葦津はいう。天皇の個人的な御心を、大御心とうけとめてしまう過ちが生じかねないからである。
 国を治めることをシラスというのは、政治が、大御心を臣民につたえることだからである。国譲り神話では、建御雷神が大国主神に 『汝がウシハケル(領有する)葦原中国は我が御子のシラス(治める)国であるぞ』と宣言している。
 祭政一致のわが国では、祭祀も、高天原と葦原中つ国の交流である。
 この世(葦原中つ国)が高天原のようにあれかしとねがうのが祭祀である。
 けれども、そのねがいは、天皇個人のねがいではない。高天原と葦原中つ国とのあいだでむすばれた幽契(かくれたるちぎり)で、この世の弥栄は、高天原の最高神である天之御中主神と、その次の位で、葦原中つ国をつくった天照大神との約束事である。
 したがって、神に祈る祭祀王である天皇は、その約束がはたされることを見守るべく粛々と祭祀をとりおこなうだけである。
 天皇は祭祀にあたって、祈りのことばを発せられない。神々の約束は人間の考えやことばを遥かに超えているからで、人間が祈りのことばを吐けば、神を冒涜することになる。

「天皇の御心を重くみるべし(文春)」「天皇陛下のご懸念を否定するのは不敬」「直接、天皇の気持ちを聞いてくればよい(小学館)」という物言いが危険なのは、天皇尊重を売り物に、あるいは、天皇の気持ちを忖度(拝察)するだけでかんたんに天皇の政治利用が可能になるからである。
 横田耕一(九大教授)や百地章(国士舘大教授)は今回の西村長官の発言を越権行為といったが、その越権こそが天皇の政治利用のメカニズムなのである。
 ロンドン軍縮調印を「統帥権干犯」と騒いだ海軍軍令部が天皇を担いで日米開戦のご聖断≠とりつけた。そして、アメリカの参戦を決定的にした真珠湾攻撃と、都市大空襲と原爆投下を招いたサンパン島放棄と南洋作戦(ガダルカナル、インパール)に打って出て、日本を惨憺たる敗戦においこんだ。
 東条英機は、真珠湾攻撃を知らなかった。なにしろ、陸海軍の合同作戦本部がなかったのである。陸海軍とも「天皇の大御心をおしはかるに」という忖度をふりまわして、予算の分捕り合戦に奔走するばかりで、陸海軍とも、日支事変制圧後、真珠湾攻撃成功後の世界戦略をもちあわせていなかった。
 天皇の軍事顧問は、海軍の三顕職(連合艦隊司令長官・海軍大臣・軍令部総長)を経験した唯一の軍人である海軍の永野修身で、天皇は、海軍に担がれて日米開戦へつきすすんだ。
 ちなみに、アメリカの参戦をおそれていたのが陸軍だったが、天皇は、東条英機例外、陸軍がきらいで、耳を貸さなかった。
 永野は、御前会議で、天皇陛下に、真珠湾攻撃の日時を、日曜日を月曜日の早朝とまちがえてつたえている。その講釈が「敵さんは、日曜日に遊び疲れてぐったりとしていましょうから」だった。そこで、ついたあだ名がぐったり大将≠セった。
 ハーバード大学留学やアメリカ大使館付武官などでアメリカに知己が多く、アメリカを心から愛した(永野修身の四女、美紗子)永野は、A級戦犯の容疑で巣鴨プリズンに収監中、風邪をひき、横浜の米国陸軍病院へ搬送された直後、死亡して、遺体だけが送り返されてきた。
 戦後、陸軍と東条英機が悪玉になって、日本を日米戦争にまきこみ、無惨な敗戦をまねいた海軍は、スター扱いで、阿川弘之の『山本五十六』『米内光政』『井上成美』の海軍提督三部作はベストセラーになった。
 ちなみに、海軍でA級戦犯として死刑になった軍人はいない。
 次回は、天皇の政治利用と昭和軍国主義の実態をみてゆこう。
posted by office YM at 12:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月19日

 天皇と民主主義 その25

 ●天皇の政治利用と明治維新
 薩長と長州の下級武士によって、明治維新という歴史的大事業が達成された背景に、天皇の政治利用があったのはいうまでもない。
 明治天皇を担いだ下級公家の岩倉具視と大久保利通、西郷隆盛の薩摩、木戸孝允や大村益次郎らの長州に徳川列藩がおさえこまれたのは、当時、水戸藩の水戸学を筆頭に尊王思想がめばえて、一大思潮をつくりあげていたからだった。
 そのピークとなったのが、江戸幕府大老井伊直弼が尊王攘夷派の水戸浪士らに暗殺された「桜田門外の変」だった。
 この事件によって安政の大獄≠ニ呼ばれる強権下、日米修好通商条約などをすすめていた幕府の威信が一挙に失墜して、公武合体論が浮上してくる。
 公武合体論を契機に登場してきたのが岩倉具視と薩摩の島津久光、大政奉還を建白した土佐藩の山内容堂らで、薩摩には西郷隆盛、大久保利通、土佐には坂本龍馬がいた。
「禁門の変」で、薩摩に討たれた長州が宿敵薩摩と同盟をむすんだのは、その坂本龍馬の仲介によるもので、背後にいたのがアヘン戦争の黒幕マセソン商会(グラバー商会)だった。
 世界有数の武器商人だったマセソン商会は、アメリカ南北戦争で使用された大量の中古銃を薩長に売って、討幕を支援した。薩摩から長州へ武器を運んだのが坂本龍馬の海援隊で、薩長同盟を発案したトーマス・グラバーには、明治政府から、外国人として破格の勲二等旭日重光章を授与されている。

 狂ったような攘夷思想が、開国派へ転じたのは、薩長の有志がヨーロッパで見聞を広げたからで、ヨーロッパ留学を斡旋したのがマセソン商会(井上馨や伊藤博文ら「長州五傑」)とグラバー商会(五代友厚や森有礼ら19人英国留学派遣)だった。
 当時、ヨーロッパも、産業革命と市民革命によって、大変貌をとげて、1830年には、マンチェスターとリバプール間を蒸気機関車が走っている。アメリカの鉄道は10年遅れの40年代、日本の鉄道にいたっては40年も後れをとって1872年だった。
 薩長の欧州留学は、新橋と横浜間を蒸気機関車が走る10年ほど前で、ヨーロッパでは、当時、産業革命がピークを迎えていた。欧州留学組が腰を抜かすほど驚いたのは、田舎者だったからで、欧州留学組も約半数が、キリスト教に転向している、
尊王攘夷≠フ尊王が、討幕の大義名分にもちいられる一方、夷(い)を攘(はら)うはずだった攘夷は、こうして、あっというまに西洋崇拝へ転じて、文明開化や鹿鳴館文化に化けた。
 この思想転換の核心は、第二代水戸藩主徳川光圀の「大日本史」にはじまる水戸学にひそんでいる。

 水戸学は、儒教を土台に国学や史学、神道をくわえた大義名分論で、名分を正すことによって、正しく社会を治めるという政治イデオロギーである。
 司馬遼太郎はこうのべている。「大義名分論は、なにが正で、なにが邪であるかを論じることである。こういう神学論争は、次第に狭くなる正以外のすべてを邪とする独善(一元論)に陥る」
 後醍醐天皇による「建武の新政」の論理的支柱となった北畠親房の『神皇正統記』は、慈円の『愚管抄』と並ぶ歴史哲学書で、大義名分論を基調とする。
『神皇正統記』からつよい影響をうけたのが徳川光圀や新井白石、『日本外史』の頼山陽らで、大義名分論は、本居宣長が漢意(からごころ)としてきらった儒教(朱子学)の一元論的な観念論である。
 幕末の親王思想に大きな影響を与えたのが、その本居宣長の弟子を自称する平田篤胤の国家神道だった。
 本居宣長は『古事記伝』など学問的な研究に実績があるが、平田の膨大な著作は、死後の世界や神話的宇宙論など、国学と無縁な分野におよび、ついには、一神教的、キリスト教的な様相をおびるにいたる。
 平田神道の影響をうけたのが1868年の神仏分離令にハネ上がった全国の国粋主義者で、国家神道の高揚に合わせて、寺院を壊せ、仏像を壊せ、経典を焼け、坊主を成敗せよという廃仏毀釈の大暴動に発展した。
 破壊された寺院のなかでも奈良興福寺や日本四大寺の一つに数えられた内山永久寺の惨状は筆舌に尽くし難い。徹底的に破壊され尽くされて、現在、その痕跡さえ残っていないのである。

 仏教は、聖徳太子が布教に力を注ぎ、奈良時代の神仏習合から仏教も神道と並んで日本の国教となった。
 その仏教を排斥したのは、ヨーロッパ的な専制国家にするためには、ヨーロッパのキリスト教に匹敵する一神教が必要となったからだった。
 それが、キリスト教の要素を大胆にとりいれた平田神道で、ここで、日本の伝統的な宗教観が決定的に瓦解する。
 日本的な価値観の破壊にとどめを刺したのが、岩倉具視が執念をかけた明治憲法で、天皇が、ついに主権者となって、国体も崩壊する。
 仏教排斥は、平田神道をキリスト教に見立てた一神教で、その先にあったのが天皇の神格化だった。「尊皇攘夷」を叫び、天皇を利用して天下を取ったあと、日本は、攘夷どころか西洋化に走って、文明開化や富国強兵へむかうのである。

 明治維新を成功させるために天皇を政治利用した岩倉と薩長政府は、維新が成功したのち、天皇を本来の権威の座へもどしておくべきだった。
 だが、岩倉は、天皇絶対の制度的確立を念頭において太政官大書記官井上毅に明治憲法の基本構想をつくらせ、伊藤博文をドイツに派遣、ドイツ帝国憲法(ビスマルク憲法)を研究させ、明治憲法起草の準備にあたらせた。
 それが、明治憲法下における現人神思想で、これが、昭和軍国主義へつながってゆく。
 昭和軍国主義は、天皇を神格化することによって、国民を沈黙させ、国家を自在に操縦しようとする権力の支配イデオロギーだったが、その結果が1945年の敗戦と国体の危機であった。
 歴史の存在である天皇を、世俗の権力に仕立てて、国体をまもることはできない。
 昭和軍国主義の失敗は、天皇に、議会や内閣も関与できない統帥権や統治権(総攬者)をあたえた明治憲法にあったのである。
posted by office YM at 10:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月11日

 天皇と民主主義 その24

 ●国民統合の象徴と国民主権
 憲法第1条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」とある。
 そして、第2条に「皇位は、世襲のものであって、皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とあり、皇室典範には「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する(第1章第1条)と明確に記されている。
 第3条には「天皇の国事に関わるすべての行為は、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負ふ」とあって、天皇の政治介入を遠ざけている。
 権力は、太政大臣から摂政関白、征夷大将軍と中央政府が握って、鎌倉幕府とりわけ江戸幕府は「禁中並公家諸法度」をおき、権威として敬う一方、天皇の政治干渉を徹底的に排除してきた。
 憲法の天皇条項は、おおむね国体に沿っていて、マッカーサーが考えた民主主義と天皇体制に、根本的なちがいがなかったことは、戦後、75年の歴史が証明している。
 天皇が権力者だったとする唯物史観は、天皇が軍隊をもっていなかったことから、とうてい、成り立つ理屈ではない。
 日本が、古来、君臣一体、君民共治の祭祀国家だったことは、古墳時代の4000基にのぼる前方後円墳の存在が証明している。マルクス主義の歴史学会が否定しても、エジプトのピラミッド、秦の始皇帝陵とともに「世界三大墳墓」の一つに数えられる仁徳天皇陵が、古来、日本が祭祀国家だった証拠で、世界が、この歴史的事実をみとめている。
「君臣一体」は、天皇を補佐する大伴氏や物部氏、中臣氏が、天皇の祖である邇邇藝命(ニニギノミコト)とともに高天原から高千穂峰へ天降った天忍日命(アメノオシノミコト)、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)、天児屋命(アメノコヤメニミコト)の子孫だったことに由来するもので、君臣ともに、神話から歴史へ移ってきたのである。
 一方、「君民共治」は、民が、権力の所有物ではなく、天皇の赤子(せきし)という構造からでてきたもので、権力が民を治めるには、天皇から、権力の正統性を示す征夷大将軍の官位をえなければならなかった。

 それが、権力をその下におく権威のありようで、象徴の意味もそこにある。
 象徴は、歴史や文化、習俗や民族、信仰など、形のない観念を、形をもった実在物におきかえることである。
 憲法の文脈でいえば、天皇は、日本国や日本国民統合という目に見えないものにおける目に見えるシンボルで、キリスト教おける十字架、国家における国旗や国歌、富士山のようなものである。
 象徴能力は、人間だけのもので、犬や猫、サルに、抽象的なものを具体的なものに見立てる象徴化の能力はそなわっていない。
 そもそも、動物は、言語も、抽象観念ももっていない。
 ところが、人間にも、抽象化や象徴化の能力をもたない者がいる。
 皇位継承策を議論する政府の有識者会議で意見をのべた本郷恵子(東京大学史料編纂所教授)もその一人である。
「(女系による皇位継承)は伝統を更新する意義をもつ」というのだが、更新ができないから伝統なのであって、国家の伝統は、賃貸アパートの契約更新とはわけがちがうのである。
 もう一人、脳がサル並みなのが『国体論ー菊と星条旗』で若者の支持を集めた反日マルキスト白井聡で、最近、『主権者のいない国』という著書で、憲法で国民主権を謳っているにもかかわらず、日本には主権を行使しようとする者がいないと息巻いている。
 あたりまえで、国民主権は、抽象観念で、そんなものは実在しない。
 白井とそのシンパは、国民を一人の個人と思っている。「戦艦ポチョムキンの反乱は、腐った肉を食わされたことから始まりました。腐った肉には我慢ならないという感性が、上官を倒す階級闘争にまで発展したのです」
 共産党カブレの中学生のような空論だが、むろん、国民も階級も、目で見ることができない観念で、普通名詞ではなく、抽象名詞である。
 国家や国民、国民統合という目に見えない抽象的な観念を、天皇という目に見える具体的な存在におきかえたのが象徴化だった。
 国民も国家も、文化も歴史も、抽象観念だから、天皇という象徴を必要とするのである。
 それがわからないようでは、犬や猫、サルと変わらない。
 ちなみに、動物は、礼儀や尊敬心、恥などの象徴力をもっていない。

 あえてここで白井の『主権者のいない国』をとりあげたのは、皇位継承策の政府の有識者会議で、明らかにすべきだったのは、その国民主権だったからである。
 マッカーサー民主主義と天皇は矛盾しない。
 民主主義は、政治的手法で、天皇は文化だからで、両者は、棲み分ける。
 問題なのは憲法の「主権の存する日本国民の総意に基づく」と「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところ」とある二点である。
 安定的な皇位継承策を議論している政府の有識者会議(座等/清家篤・慶応大学名誉教授)は「男系男子」による皇位継承と女性宮家創設の両立てで議論をすすめる方針のようだが、本来、同会議に課せられた使命は、日本の皇室にたいするGHQの干渉を排除する二点にあるべきである。
 一つは、皇室典範の独立性で、もう一つは、旧皇族の復帰である。
 今回の議論で「旧皇族の皇籍復帰」が検討されたのは評価できる。
 しかも「皇族との養子縁組」と「新たに皇族とする」の二案が盛りこまれている。これで、神武天皇の系統樹がゆたかになって、百年後、5百年後、千年後の皇室の安泰が約束される。
 男系相続はきわめて賢明な習慣で、男系に限定しなければ、相続をめぐって永遠の抗争が生じる。好例が、イギリス王(エドワード3世)とフランス王(フィリップ6世)が王位継承を争った14世紀の「百年戦争」である。
 当時は、国家の前に王朝があって、王朝同士が、争い、存亡をくり返したのは、姦淫をタブー(十戒/マタイ伝)としたキリスト教が一夫一婦制の厳守と婚姻外性関係および離婚や再婚を絶対禁止したからである。
 したがって、女系相続をみとめなければ、王朝は、すべて、血筋が絶える。
 西洋の王政が女系をみとめるのは、男女平等だからと考える日本人が少なくないが、実際は、女性に婚姻の自由がなかったからである。
 当時、ヨーロッパでは、夫を失うと妻は売春婦か掃除婦になるほかなかった。
 ちなみに、魔女の箒は、寡婦の象徴で、数百万人の寡婦が魔女裁判で火刑に処された記録が残っている。
 フランス革命の「人権宣言」から女性が除外されていることからわかるように、ヨーロッパは、女性蔑視の国で、女性が「山の神(女神)」だった日本とは雲泥のちがいなのである。

 日本で、古来、相続がすべて男系だったのは、女系では、抗争が生じるからだった。女系では入り婿≠ニいう形で、相続と血統の正統性が、かぎりなく分散してゆく。
 女性相続をみとめたヨーロッパでは、王政がただの血縁関係となって、イギリスの王位継承者は約5000人にものぼる。そのなかにノルウェーやスウェーデン国王、デンマーク女王やギリシャ王妃、オランダ前女王までがふくまれる。
 男系で、抗争が生じないのは、他の男系が入りこめないからである。
 女性は、天皇の母として、皇統の血筋をうけつぐが、天皇の女(むすめ)もその夫も、皇統から除外される。
 日本の皇室は、女性をうけいれ、皇統以外の男系を排除したのである。
 皇統の男系男子は、親等(女系)がいくら隔たっていても直系である。
 皇統以外の男系が入りこんでいないからで、大伴金村が、武烈天皇の後継として越前国を治めていた継体天皇をみつけだしたのは、皇統の男系系譜をたどっただけである。
 25代武烈天皇と26代継体天皇のあいだには10親等もの隔たりがある。
 にもかかわらず、皇統が相続されたのは、10代崇神天皇から、15代応神天皇、20代安康天皇をへて、武烈天皇と継体天皇にいたるまで、男系という一本の筋でつながっていたからである。
 縦軸にのびる男系とちがって、横へ広がる女系では、祖先がいれかわる。
 どこの馬の骨とも知れない女性天皇の夫の祖先が、古事記・日本書記にしるされた神武天皇を始祖とする日本建国の神話にとってかわるのである。
 歴史学者トインビーは「神話を失った国はかならず亡びる」と喝破した。
 女系天皇論者は、犬や猫、サルのように、象徴性の意味が理解できないのである。
posted by office YM at 13:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月04日

 天皇と民主主義 その23

 ●民主主義という文化は存在しない
「民主主義ってなーに?」「民主主義は、みんなのことは、みんなが話し合って決めることで、世界中の国々が民主主義を採用しています」
 日本人は、小学生のころから、民主主義は正しい考えと教えこまれてきた。
 そして、中学生になると、戦後、民主主義が入ってきて、日本は、よい国にうまれかわりましたと教わって、空想的な美辞麗句が並べられた憲法の前文を暗記させられる。
 これで、日本人が、左翼にならなかったらどうかしている。
 自民党の二階俊博幹事長は、女性天皇と女系天皇について「男女平等の民主主義を念頭におけばおのずから結論は出る」とのべた。
 民主主義のなかに、自由や平等から国民主権、男女平等までがもりこまれていると思っているのである。
 ところが、民主主義の原典とされるフランス革命の「人権宣言」から女性が除外されている。「ひとは自由かつ権利において平等なものとして生存する(第1条)」に女性と子ども、奴隷はふくまれていないのである。
 人権どころか、自由も平等も、それぞれ、別の思想体系で、民主主義としてこれらを一緒くたにくくっているのは日本だけである。
 そもそも、民主主義という思想は、存在しない。
 憲法に権利ということばが28回もでてくるのに、民主主義がいちどもでてこないのは、デモクラシーの翻訳語である民主主義は、多数決と普通選挙法をさすに政治用語にすぎないからである。
 ちなみにデモクラシーは、デモ(大衆)によるクラシー(支配)で、諸外国では、独裁の対極にある民主政あるいは共和制のことである。
 王政を廃止して、元老院と市民が主権をもった古代ローマも、古代ギリシャ以降、衆愚政治の代名詞となったデモクラシーという語を避けて「共和制」を名乗った。
 中国も、中華人民共和国で、中国の民主は「民ノ主(あるじ)」の国家のことなので、民主化運動は、民衆の反乱として徹底的に弾圧される。

 日本人が民主主義と呼んでいるのは、自由や平等、国民主権がごったまぜにしたルソー主義である。
 ルソーは、人間はうまれつき自由で平等だ、個人は主権をもっている、揚げ句に、自然に帰れなどとデタラメをふきまくったアジテーターで、そのルソーが啓蒙主義のチャンピオンになったのは、自由と平等、国民主権が、フランス革命のスローガンにもちいられたからだった。
 悪名高いそのルソー主義が、憲法前文に掲げられたのは、日本国憲法をつくったGHQ民政局のニューディーラーが、ルソー主義者だったからである。
 そして、左翼や法曹界、マスコミばかりか法務省までがルソー主義のGHQ憲法の支持にまわった。
 GHQ憲法を、レーニンの敗戦革命≠ノなぞらえて、民主主義革命(「八月革命」)の宣言文としたのである。
 戦勝国からつくってもらった憲法で革命がおきるのだから、こんなに安全で、らくなラクな革命はなかったろう。
「八月革命」の要諦は、ロックの革命(抵抗)権にあって、宗主国イギリスに抵抗したのが、アメリカ独立戦争だった。ロック主義は、ホッブズの社会契約論に革命権をくわえたもので、ルソー主義がフランス革命のスローガンだったのにたいして、ロック主義は、アメリカ革命のテキストとなった。
 人民が国家をいつでも転覆できるというのがロック主義である。
 イギリスという国家を倒した新大陸の人民がそのままアメリカとなった。アメリカ憲法のロック主義をうけついだのがGHQ憲法で、人民主権の新憲法によって、いつでも、国家を転覆できるというのが「八月革命」論である。
 池上彰は「憲法は、国民の自由と権利を保障するもので、憲法を守るべきはその国の権力者なのです」(日本国憲法/新潮社)という。
 憲法は、国家を監視するものという「八月革命」論にのっているわけだが、憲法(コンスティテューション)は、共同の(コン)構造(スティテューション)で、17条憲法も五か条の御誓文も、国家と官僚や国民にむけた約束や合意だった。
 国家を監視するという発想は、国民主権からでてきたものだが、現行憲法は、形式上、欽定憲法(明治憲法の改定)で、新憲法制定時、日本には、国民主権どころか、国家主権すらなかった。
 いかなる根拠から、現憲法が、国民がつくって、国民が国家を監視する憲法といえるのか。
 GHQが、じぶんたちがつくった憲法を恒久化するため、日本国民がつくった憲法だとウソをついただけである。

 左翼は、GHQ憲法が革命憲法だった根拠に、天皇に憲法尊重の義務を負わせた憲法99条を挙げる。
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」
 一方、憲法第1条で、天皇の象徴的地位が謳われている。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」
 象徴というのは、抽象的な概念、形のない事物を、形をもつ具体的な事物におきかえて表現することである。
 歴史や文化、民族や信仰などの目に見えないものが、目に見える形になることで、たとえば、キリスト教の象徴が十字架で、国家の象徴が国旗である。
 唯物史観の史学学会はみとめないが、数千基にのぼる古墳時代の前方後円墳は、祭祀国家の象徴で、古墳時代、西洋のような争乱はおきていない。
 天皇は、十字架や国旗と同様、象徴なので、人権や人格をもたれない。
 葦津珍彦が「歴史をつらぬく真実」といったように、象徴天皇は、歴史的な存在であって、政治や法律、啓蒙思想などの世俗性を超越している。
 それが、人間だけにあたえられた象徴能力≠ナ、権威や象徴、名誉、伝統などにたいする敬意である。
 人間には、合理的思考のほかに、象徴化の能力もそなわっていて、絵や写真をみて、実物を思いうかべることができる。
 犬や猫、猿には、線や色、影としか見えないものが、人間には、モナリザや葛飾北斎の絵に見えるのは、象徴化の能力がそなわっているからである。
 日本人が天皇を敬うのは、天皇から日本の歴史や伝統、民族性や文化を読みとるからで、日本人は、象徴能力が高いのである。
 憲法に規定された天皇に権威がそなわらないのは、法という合理主義に立つからで、象徴性がはたらいていない。
 象徴化の能力は、合理的思考をこえた高度な精神で、いま、世界がもとめているのは、和歌や俳句、浮世絵に代表される、唯物論や合理論をこえた、象徴能力の高い日本の心なのである。
posted by office YM at 23:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月28日

 天皇と民主主義 その22

 ●啓蒙思想と憲法、法の体系
 ヨーロッパが、現代の形態に近づいてくるのは、14〜16世紀のルネサンスと宗教改革、17〜18世紀の啓蒙時代、18世紀末から19世紀におきた市民革命と産業革命以降のことである。
 それ以前は、人民が、ローマ教皇庁と絶対王権の二重支配をうける悲惨な暗黒時代が千年以上もつづいてきた。
 当時、民が敬虔なキリスト教徒だったのは、死後、天国の召されることだけが救いだったからで、戦争に負けると奴隷として売られた人民の地位は、居住を共にしていた家畜とかわるところがなかった。
 そのキリスト教を広めたカール一世、西ローマ帝国皇帝(8世紀)は文字が読めなかったが、その百年前、仏教の布教に熱心だった聖徳太子(7世紀)は三経義疏というお経の解説書を書き上げている。
 ヨーロッパと日本では、文化のレベルがちがっていたのである。
 全土が森と沼のヨーロッパで、農業が本格化したのは、沼に水路をつくって開墾がはじまった11〜12世紀以降だが、日本では、2〜3世紀からすでに稲作がはじまっていた。狩猟・畜産民族であるヨーロッパ人は、家畜を殺して保存食にする食習俗をもっているが、日本では、古くから家畜の屠殺や食用は禁制だった。
 西洋と日本では、歴史や風土、習俗から、文化、宗教、民族性にいたるまで類似点がなく、とうてい、比較論で語ることはできない。
 ところが、日本のインテリは、啓蒙思想について、ヨーロッパの人民が人間性にめざめて、自由や平等、権利をもとめてたちあがったなどという。
 現代の日本人の感覚、価値観で、歴史をふり返っているのだが、中世ヨーロッパの領民は、自由や平等などの抽象観念どころか、文字の文化さえもっていなかった。
 啓蒙とは蒙(無知)を啓(ひら)くという意味で、絶対王権とキリスト教のなかに閉じこめられていた無知な人々に知の光をあたえることだった。
 カントが啓蒙主義を、みずから知る勇気をもつこと(サペーレ・アウデ)と定義したように、当時、ヨーロッパの民は、権力者の命令に従うだけで、みずから考える理性をもっていなかったのである。

 啓蒙時代を開いたのは「万人による万人の戦争」のホッブズや「人民の革命権」のロック、「三権分立」のモンテスキューらで、国家と人民の関係を説いた社会契約説を掲げた。
 ところが、ホッブズの120年後にうまれたルソーだけは、毛並みがちがった。
 ルソーは、国家じたいをみとめないアナーキズムで、人民が、直接、政治をおこなうべしとした。
 だが、人民全員を収容できる議事堂はない。そこで、人民を、一人ひとりではなく、総体としてとらえ、これを一人の独裁者があずかって、人民政府とするというアイデアをひねりだした。
 これが「一般化理論」で、この一般意志にとびついたのが「ルソーの血塗られた手」と呼ばれたフランス革命のロベスピエールや共産主義革命を唱えたマルクスだった。
 貴族や地主、反対派の大量処刑が熾烈をきわめた恐怖政治のフランス革命は、完全な失敗で、革命の反動からナポレオンという新皇帝をうみだしただけだった。
 だが、フランス革命の功労者として、パリのパンテオン大聖堂に埋葬されているルソーの革命主義は、人権宣言にそっくり反映されている。
「第1条/人間は生まれながら自由で平等な権利をもつ」「第3条/主権のみなもとは国民にある(=国民主権)」というのだが、この自由と平等、国民主権をあずかって、ロベスピエールやナポレオン、ヒトラーやスターリンらが独裁を敷いたわけで、元凶は、ルソー主義というイデオロギーにあったのである。
 ラッセルは「一般意志は、投票箱を必要とせずに、独裁者をつくりだす」と批判したが、自由主義者バーリンは、ルソーの自由を「自由という名のもとで自由を抑圧する、人類の思想の歴史のなかで、もっとも邪悪で恐ろしい敵」と断罪した。
 ところが、日本の教科書では、ルソーが社会契約説のヒーローで、元祖である社会契約論のホッブズの名前さえ載っていない。

 フランス革命の「人権宣言」に瓜二つなのが日本国憲法で、法律に疎かったGHQのニューディーラーがわずか10日で「憲法草案」を書き上げることができたのは「人権宣言」をリライトしただけだったからである。
 大日本帝国憲法で、臣民だった国民が、とつぜん、主権者となって、自由や平等、権利が、天からあたえられたものとして、無制限にゆるされることになった。
 ルソー主義そのもので、バーリンのことばを借りると、自由という名のもとで自由を抑圧する邪悪でおそろしい敵が、憲法をとおしてあらわれたということになる。
 自由は、かならず、他者の自由を迫害する。ホッブズが国家という枠組みを構想したのは、利己的な動物である人間の自由を制限する必要があったからだった。
 だが、ルソーは、ホッブズの社会契約論を完全否定して、うまれながらに自由と平等をあたえられている人間は、自然状態において、もっとも理想的な生き方ができるとした。
「自然に帰れ」というのは、国家性悪説で、人民主権の政府をもてば国家などいらないという、詐話師のような話だが、これにひっかかったのが日本の「8月革命説」だった。

「法律は国民を縛るもの、違反すると処罰されるというこわいイメージがあるかもしれません。憲法は、そのような法律とはちがって、国民の権利や自由をまもるため国を縛ります。法律と憲法は、向いている方向が逆と考えるとわかりやすいでしょう。日本国憲法は、立憲主義にもとづく法として、国家権力に縛りをかけることで、人権を保障しています」というのが日本弁護士連合会の説明で、日教組から法務省にいたるまで、ほぼ、同じ見解である。
 驚くべきは、その人間観である。
 人間のなかには、詐欺師やドロボー、暴力をふるう者やも人殺しもいて、人々の安全をまもっているのは警察と法律である。
 法律は国民を縛るこわいイメージとは何事であろうか!
 こわいのは人殺しのほうで、刑法199条(殺人罪)ではないのだ。
 人間は、うまれながらにして、不自由で不平等だが、国家というリバイアサン(怪物/ホッブズ)の力によって、ようやく、自由や平等がえられる。
 人間は、自然状態では、暴力や犯罪、闘争にさらされるので、国家の制度や法律、政治権力が要請される。
 法務省や日本弁護士会、日教組が、そんなわかりきったことを理解できないのは「8月革命説」に脳ミソを侵されているからである。
「8月革命説」は、ポツダム宣言を受諾したことによって、天皇主権が国民主権にきりかわって革命が成立したという説で、GHQ製の「日本国憲法」がポツダム宣言をうけいれた動かぬ証拠というのである。
 そこで、かつて、天皇主権のもとで「天皇陛下バンバーイ」と叫んだように、国民主権のもとで「国民バンザーイ」と叫んでいるのである。
 明治憲法がビスマルク憲法のコピー、戦後のGHQ憲法が人権宣言のコピーでは、聖徳太子の「17条の憲法」や木戸孝允の「五箇条の御誓文」が泣くだろう。
posted by office YM at 09:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月20日

 天皇と民主主義 その21

 ●破綻している憲法の天皇条項
 日本国憲法99条では、天皇に憲法尊重の義務を負わせている。
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」
 一方、第1条で、天皇の象徴的地位を謳っている。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」
 象徴は、目に見えるハトが、目に見えない平和をあらわすように、具体的な事物や形をもって、抽象的な概念を表現することである。
 ここで、違和感を覚えずにいないのは、天皇が、国民と並んで、憲法に縛られていることである。
 国民統合の象徴で、主権者たる日本国民の総意に立つ天皇が、国民の一人にすぎない政治家や裁判官、公務員と同列に扱われているのである。
 1条と99条の不整合が、これまで、法律家によって指摘されてこなかったことがふしぎでならない。
 日本国憲法をつくったGHQの若手のニューディーラーが、日本占領の便宜上、天皇を担ぎ上げる一方、事実上の占領基本法たる憲法の遵守を天皇にもとめたのは、戦勝国のやり方として、一応、うなずける。
 解せないのは、日本の法律家が、だれ一人、1条と99条の矛盾をつかないことである。
 天皇は、基本的人権も、国民としての主権ももっていない。
 天皇は、日本人民族の家父長的な存在であって、国民ではないからである。
 にもかかわらず、国民の一人として、この憲法のくびきをはめられている。

 日本国憲法98条(一項)では、憲法の最高法規性が宣言されている。
「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」
 GHQは、戦後日本の法体系を丸ごと支配する意図をもって、98条をもうけたはずである。
 そうなら、ハーグ陸戦条約(占領国は非占領国の法を変更してはならない)に違反する。
 それ以上に、他国に国家の主権を奪われていた時期に、どうして、非占領国が、自主的な憲法をつくれたろうか。
 まして、国民がじぶんたちの手で、自主憲法を制定したなど、デタラメにもほどがある。
 だが、そのデタラメを指摘する法律家は、日本には、一人もいない。
 それどころか、法務省や憲法学者、弁護士会、マスコミ、日教組は、大日本帝国憲法で臣民だった国民が、突如、新憲法を制定して、みずから、主権者となったという飛躍した話を革命≠フ一言で説明する。
 それが、憲法の三原則(国民主権/基本的人権/平和主義)である。
 現行憲法が、マッカーサーの命令によって、GHQ民政局がわずか1週間で書きあげた代物だったことは、大多数の日本人が知っている。
 にもかかわらず、法務省や憲法学者、マスコミ、弁護士会、日教組らが国民主権や基本的人権、平和主義を唱えてやまないのは「八月革命説」を信奉しているからである。
 八月革命説は、ポツダム宣言受諾によって、日本で敗戦革命(レーニン)がおきて、主権者が天皇から国民に移行したという説で、丸山眞男が発案、宮沢俊義が公表、芦部信喜らが宣伝したマルキスト東大法学部の創作である。
 八月革命は、革命ゴッコにうつつを抜かす左翼インテリがでっちあげた物語で、かれらは国民主権や基本的人権、平和主義という抽象的概念が実在すると本気で信じている。
 国民主権の国民は、国民全体のことだが、国民のすべてが議事堂に入ることができないので、独裁者がこれをあずかると、国民主権の主唱者であるルソー自身がそういっている。

 主権は、王権神授説からソブリンティ(君主権)へ移行した国家主権のことである。
 これをひとり一人の日本人がもっていると考えるのは、日本の左翼インテリだけである。
 基本的人権は、自由や平等のほか、生存権や社会権、幸福追求権など、国家以前の自然権までをふくむ文学的な内容で、具体的には六法(憲法・民法・刑法・商法・民事訴訟法・刑事訴訟法)にすべて網羅されている。
 平和主義は、戦争を忌み嫌う感情論だが、国家的な防衛能力の低さが戦争や紛争をまねいてきたのは、世界史がしめすとおりである。
 日本の平和は、憲法9条ではなく、世界6位の防衛力と日米安保条約がまもっていることは、常識をもった日本人ならだれもが知っている。
 国民主権や基本的人権、平和主義も、どこにも存在しない空語≠セったのである。
 ところが、日本弁護士連合会はこういう。
「国民が制定した憲法によって、国家権力を制限し、人権保障をはかることを立憲主義といい、憲法について、もっとも基本的で大切な考え方です。法律というと、わたしたちを縛るもの、違反すると処罰されることもあるという恐いイメージがあるかもしれません。ところが、憲法は、法律とは反対に、国民の権利や自由をまもるため国家に縛りをかけるという役割をもっています(憲法って何だろう? 憲法は法律と何が違うの?)
 殺人罪が、国民を縛るもので、無法状態が、国民の権利や自由をまもるものとでもいいたいのであろうか?
 国家は「領土・国民・主権」の三要素から成る。そのつぎにくるのが歴史や民族、習俗などの文化の体系で、これが国体である。
 国体に対応するのが、政体で、このなかに、権力や制度、憲法がふくまれる。
 憲法は、国家の一局面、一部分を占めているにすぎないのである。
 法が国家を縛るという考えは、英米法で、革命思想に立っている。
 イギリスのマグナ・カルタや名誉革命、アメリカの独立戦争や憲法における革命権の容認、そして、マルクス主義国家は、権力を法で拘束するイデオロギー国家である。
 日本は、歴史や文化を破壊して、民族が殺し合った経験をもたない伝統国家である。
 革命ゴッコにうつつを抜かす、人間知らず、世間知らず、学問バカの東大に騙されてはならない。
posted by office YM at 22:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月07日

 天皇と民主主義 その20

 ●「天皇陛下バンザーイ」と「国民バンザーイ」
 学校の教科書によると日本国憲法の特徴は「国民主権」「基本的人権」「平和主義」「立憲主義」の4つだという。
 ところが、この4つの概念は、誤解や曲解によって、ゆがめられている。
 左翼や学者、法曹界が工作して、日本人をミスリードしてきたのである。
 したがって、ことばの用法など過ちを一つひとつ正してゆけば、左傾化している日本の世論は、かならず、正常にもどってゆくはずである。
 まず、国民主権だが、これを、国民のひとり一人に主権がそなわっていると解しているヒトが少なくない。
 国民は、家族と同様、集合名詞なので、単独の個人をささない。
 国民の一人、家族の一員とはいうが、わたしは国民だ、わたしは家族だとはいわないのである。
 国民は、日本の国籍をもつすべての日本人のことで、国民総体をさしている。
 したがって、日本に国民が一億二千万人いても、国民主権は1つしかない。
 すべての日本人は、1つしかない国民主権を共有しているのである。
 国民主権も、国民総体の主権で、国家主権と対応させた名称である。
 国民主権をそっくりあずかって、国家主権に切り替えたのが、ルソーの一般意志で、フランス革命(ロベスピエール)やロシア革命(レーニン)、ナチズム(ヒトラー)で悪用された。
 国家や国民総体の普遍%Iな主権を、独裁者という特殊≠ネ主権へ切りかえたのが、ルソーの詐欺師的な論法だったのだが、普遍と特殊の区別がつかない日本人は、だれも、このインチキに気づかない。

 日本には、マルクス主義者が多いが、実際は、ルソー主義者で、自由や平等あるいは人権や民主などについて、ルソーは、とうとうとべたが、きわめつけが、ホッブズの「社会契約説」の否定だった。
 人々がゆたかに平和に暮らしてゆくには、必要悪としての国家が必要なのだというホッブズの「社会契約説」にたいして、ルソーは自然に帰れ≠ニいう「社会契約論」を唱えて、革命のタネをまき、マルクスは、これを拝借して資本論を書いた。
 イギリスは、ホッブズらの経験主義や功利主義を土台にして伝統国家をつくり、フランスやアメリカ、ロシアなどは、啓蒙思想の延長線上に、革命国家を建設した。
 伝統国家にしても、革命国家にしても、主権は、国家のもので、それが個人にあたえられているなどと考えるのは、戦後の日本人だけである。
 主権は「ソブリンティ(君主権/国権)」の和訳で、これが個人のものであるかのような錯覚が生じたのは、国民主権の国民を、じぶんのことと曲解したからである。
 共産党や日教組がこのんで使う「主権在民」には、そのニュアンスがとくにつよい。
 ひとり一人の国民に君主権や国権がそなわっているなら、個人の違法行為や犯罪を取り締まることができなくなる。主権は、なにものにも侵されることがない絶対的な権利だからである。

 こんな錯覚がまかりとおってきたのは、普遍性と個別性(特殊)のちがいをわきまえないからである。
 普遍性は、共通する性質や特性、原理や法則をもつもので、目に見えない。
 一方、個別性(特殊)は、目に見える具体的なもので、手で触ることも、数えることもできる。
 天皇に権威がそなわっているのは、歴史や伝統、文化という普遍的な価値に立っているからで、憲法や権力に支えられていた軍服の天皇陛下は、元首や元帥という権力者でしかなかった。
 天皇や国民、国家や主権などに普遍性をみるのは、形をもたない唯心論で、それが権威である。
 一方の権力は、形をもった個別的な唯物論で、カネで買い、暴力で奪うことができる。
 形のない普遍性と全体、形のある特殊と個は、矛盾し、対立するのがつねである。
 廃棄物処理場という公共の施設は必要だが、じぶんが住んでいる町内につくられては困る。この場合、公共性が普遍的な利益で、利便性や地価などが個別的な利益である。そこで、個と全体の利害を調整する政治が必要になる。政治というのは、個と全体、普遍と特殊の調整役なのである。


国民℃蛹は国家℃蛹の代替えで、国家と国民が同格になっている。
 ところが、普遍性と個別性のちがいがわからない日本では、法(治)を政治に優先させようとする。
 日本弁護士会はこういう。
「憲法は、国民の権利や自由を守るために、国がやってはいけないことややるべきことについて、国民が定めた決まり(最高法規)です」
 そして、こんな宣言を下した。
「当連合会は、憲法擁護の立場から、立憲主義・国民主権・基本的人権・恒久平和主義の維持など日本国憲法の基本原理が尊重して(略)世界の人々と協調して人権擁護の諸活動に取り組む決意である(2005年/日本弁護士連合会)」
 基本的人権は、具体的には、自由権(思想や信教、言論や集会・結社、居住や移転)や参政権、社会権や生存権、財産権などのことで、基本的人権というものがどこかにあるわけではない。
 しかも、これらの権利は、すべて、刑法や民法、商法などの諸法で、万全にガードされている。日本のような近代的な法治国家で、基本的人権が侵されるなどということはおこりえない。
 ところが、弁護士会は、こういう。
「法律は国民を縛る。憲法は、国民の権利・自由を守るため国を縛る。法律と憲法は、むいている方向が逆なのです」
 法律家が、法が国民を縛ると、否定的にみるのは、いかがなものか。
 現在、日本は、17〜18世紀ヨーロッパの啓蒙時代ではないのである。
 時代錯誤に陥っている日本の左翼は、かつての天皇主権を、国民主権におきかえて、天皇陛下ならぬ国民バンザーイと叫んでいるのである。
 天皇主権は、権力が天皇を政治利用するための便法だったが、現在は、新たに権力を握った左翼が、国民を政治利用するために、国民主権をふりまわしているのである。
 次回は、天皇と憲法、法規についてのべよう。

 

posted by office YM at 12:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月31日

 天皇と民主主義 その19

 ●いまだ「八月革命説」に呪縛されている日本
 MIC(新聞や民放、出版などマスコミ労連)が、コロナ特措法に反対していることを多くの日本人は知らない。
 コロナ特措法にもとづく「緊急事態宣言」が憲法で保障されている「集会の自由」や「報道の自由」、「国民の知る権利」を脅かすばかりか、基本的人権の侵害につながりかねないというのである。
 その一方、マスコミは、これまで、安倍・菅両政権のコロナ対策をきびしく批判してきた。国を挙げてのコロナ特措法に反対して、自民党のコロナ対策が甘いというのは、ハンドルを右に切って左へ行けというようなもので、わけがわからない。
 世界各国が、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、厳しい罰則をもうけているなか、コロナ対策自体が憲法違反などといっているのは、世界広しといえども、日本だけである。
 これと同じ論理が、世界第6位の軍事力をもちながら、国家防衛が憲法9条に違反するという護憲派の言い分である。
 戦争反対という「普遍性」と、国家防衛という「個別性」を分別できないのである。
 普遍性というのは、すべての事物に共通する性質のことで、一般論である。
 個別性というのは、特定の事物だけにいえるケースで、特殊論ともいう。
「個と全体」の矛盾は解消できないが、普遍性と特殊性も、両立しない。
 生命の尊厳は普遍的だが、だからといって、死刑を廃止すれば、殺人事件が後を絶たなくなる。
 戦争には反対だが、正当防衛の原則と国際法・慣例法にそって、国家を防衛するというのが、普遍性と特殊性のバランスで、これは、二元論である。
 ところが憲法一元論≠ノ立つ左翼や護憲派は、国民の生命や健康、国家の安全や防衛よりも、憲法を優先しようという。
 二元論どころか「個と全体」や「普遍と特殊」の意味や矛盾(二律背反)を理解できないのである。

 左翼や護憲派のバックボーンとなっているのが「八月革命説」である。
 ポツダム宣言の受諾によって、戦後、事実上の革命がおき、主権が天皇から国民に移ったというのである。
 荒唐無稽な説だが、法曹界(日本弁護士連合会)から教育界(日教組)、論壇学会、労組やマスコミにいたるまでがこの説をとって、いまや、憲法は国家を監視する革命綱領というのが国民の常識になっている。
 司法試験も、それが模範解答で、そのせいで、日本の弁護士は、みな、左翼なのである。
「八月革命説」は、美濃部達吉の弟子で、東大教授の宮沢俊義が主唱したものだが、言い出しっぺは丸山真男で、宮沢の弟子にあたる芦部信喜や長谷部恭男(ともに東大教授)らが、これを法曹界や学会(日本公法学会)などで吹いてまわって、ついに宮沢憲法≠フ名称で、日本中で大手をふるようになった。
 当時、GHQの公職追放令と容共政策によって、日本の論壇や大学は、大内兵衛や向坂逸郎以下、都留重人や大塚久雄、丸山真男、羽仁五郎らのマルクス学者の巣窟になっていたからだった。

 八月(1945年8月にポツダム宣言受諾)革命というが、革命などおきていない。天皇主権が象徴天皇になったが、天皇の地位にかわりはなかったからである。
 しかも、新憲法は、手続き上、明治憲法の改定という形がとられた。
 新憲法制定にGHQが関与すれば、ハーグ陸戦条約43条(「占領国は被占領国の現行法律を変更してはならない」)違反となって、新憲法が失効することになるからである。
 そこで、日本が、みずからの意志で旧憲法を改定したようにとりつくろったわけだが、すぐに馬脚があらわれる。
 大日本帝国憲法は欽定憲法≠セが、日本国憲法は民定憲法≠ナある。
 当時、主権をもっていたのはGHQで、民が憲法を制定できるような情勢になかった。
 日本国憲法が、ポツダム宣言にもとづいたアメリカの対日占領基本法だったことは、だれの目からも明らかで、これをもって、日本で憲法革命がおきたと騒ぐのは、売国奴の卑劣な宣伝工作というほかない。

 八月革命説には、日本弁護士連合会の声明や学校教科書によると「立憲主義」「国民主権」「基本的人権」「平和主義」の4つの特徴がある。
 これらは、すべて、普遍的な観念で、個別的にして、具体的な事例をさしているわけではない。
 天皇は、天皇の象徴性や歴史的価値、権威のことで、普遍性をもっている。
 一方、天皇陛下は、陛下御自身のことで、個人的にして特殊な名称である。
 したがって、昭和軍国主義の「天皇陛下万歳」は、権威ではなく、権力者にひれ伏す個人崇拝だったことになる。
 天皇は、聖俗二元論の聖に属する、歴史上の普遍的な存在である。
 一方、権力者は、俗に属する、現世における個別的な存在である。
 日本の歴史において、天皇は権威であって、権力者だったことは、天武天皇の皇親政治など、2〜3の例外を除いて、ほとんどなかった。
「国民主権」の主権も、普遍的な意味における主権で、日本人の一人ひとりが主権をもっているわけではない。
 ちなみに、国民も、集合名詞で「国民として」ではなく「国民の一人として」と断りが入る。個人は、日本人の総体としての国民とイコールではないからである。
 基本的人権には、啓蒙思想の自由権と平等権のほか、参政権などの社会権もふくまれるが、基本的人権は、抽象的観念で、実体があるわけではない。
「平和主義」も観念論で、憲法で侵略戦争を否定している国は、日本のほかにイタリアやフランス、ドイツやハンガリーなど少なくない。
 戦力の保持や交戦権を否定している日本の憲法9条も「国際紛争を解決する手段として」「前項の目的を達するため」という但し書きがあって、国家防衛を禁じているわけではない。
 国家防衛は、国連憲章がみとめるように、国家主権の行使で、国際紛争にはあたらない。国家主権・国家管轄権には、自衛権や生存権(正当防衛)のほかに外交権、立法権、司法権、行政権、課税権があって、独立国家は、上位からなんの干渉もうけずに対内的・対外的に支配権を行使することができる。
 この原則は、法規についても同様で、左翼や護憲派が「立憲主義」の根拠として挙げる憲法98条(憲法の最高法規性)や99条(天皇・摂政・公務員の憲法尊重擁護義務)は、占領国であるGHQが、被占領国の日本を半永遠的に支配するための脅しの条文で、ハーグ陸戦条約違反のきわめつけである。
 左翼や護憲派が「立憲主義」を憲法の4大題目に掲げるのは、現憲法が革命憲法で、この憲法の下で、体制転覆が可能だからである。
 次回は、国体、憲法、イデオロギー、法規の関連についてのべよう。
posted by office YM at 05:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月23日

 天皇と民主主義 その18

 ●国家の三要素と国体、憲法、イデオロギー、法規
 国家は、そもそも、超法規的な存在である。
 それを示すのが、領土と国民、主権の「国家の三要素」である。
 そのつぎにくるのが、歴史や民族、習俗などの文化の体系で、国体である。
 国体は、権力の体系である政体に対応するもので、その象徴が天皇である。
 国体と政体、権威と権力、文化と政治の二元論が、わが国の国の形である。
 政体と権力、政治が「政権」ならば、国体と権威、文化が「民権」である。
 注意をむけるべきは、国体=天皇が、民権の側にいることである。
 したがって、政体=幕府は、天皇から征夷大将軍の官位をえなければ、民を治めることができなかった。
 天皇が権力者に権力の正統性(レジテマシー)をあたえる「征夷大将軍」の仕組みがはじまったのは、平安時代の坂上田村麻呂(桓武天皇任命)を初代として源頼朝(6代)、足利尊氏(17代)、徳川家康(32代)をへて、幕末の徳川慶喜まで46代、1000年以上におよぶ。
 聖徳太子の十七条憲法(604年)から645年の大化の改新4条(中大兄皇子/藤原鎌足)、天武天皇の飛鳥浄御原令(681年)および藤原不比等らによる大宝律令(701年)によって、律令国家としての仕組みや制度が定められた。
 だが、これらの制度がつくられても、国の形が定まったわけではなかった。
 摂政や院政、荘園制度による守護や地頭の台頭、大名の登場によって、律令制度は崩壊して、15世紀末から百年余の戦国時代へ突入してゆく。
 結局、残ったのは、権威と権力の二元論だけで、江戸幕府は、朝廷を権威として立てると同時に、公家諸法度(「天子は学問を第一と心得べきこと」など17条)を制定して、天皇の政治参加を制限した。
 象徴天皇は、日本の伝統でもあって、葦津珍彦はこうのべている。
「天皇が国民統合の象徴≠ニいわれるのは、目に見えない国民統合が、目に見える天皇の姿に象徴されているという意味である。国会で、政治を担当する議員が天皇に敬意を表する。それが、主権在民、天皇象徴の姿なのである」
 葦津もわたしも改憲論者だが、象徴天皇にかぎって、現憲法が日本の伝統に整合していると認識している。

 憲法はコンスティテューションの和訳で、原義は、みなで(コン)つくった構造物(スティテューション)ほどの意味合いで、法概念ではなく、政治概念である。
 日本の十七条憲法や律令も、法ではなく、あるべき姿をのべたべき論≠ナあって、政治概念である。
 法の前に政治があるのは、クラウゼヴィッツが「戦争とは政治の継続である」とのべたように、政治が戦争と連動しているからである。
 政治とイデオロギーは表裏の関係≠ノあって、国連の常任理事国5か国をはじめ、日本以外の近代国家は、すべて、革命を経験している。
 フランスの「人権宣言」や英国の「マグナ・カルタ(大憲章)」、アメリカの「独立宣言(自由と独立)」、旧ソ連や中国、北朝鮮の人民民主主義など世界の強国が、国家の基礎に据えているのは、法ではなく、イデオロギーである。
 日本国憲法も、法ではなく、イデオロギーの羅列で、日本国憲法をつくったGHQのニューディーラーが夢見ていたのは、スターリンがめざした一国主義にもとづく人民独裁(スターリニズム)だった。
 憲法に、自由と平等、権利や国民主権があって、国家主権がないのは、国家は、国民主権を奪って、つくるものだからで、日本国憲法の主権者は、GHQだったのである。
 それがルソーの一般化理論≠ナ、独裁者が国民主権をあずかって、人民政府ができる。
 したがって、サンフランシスコ講和条約が成立して、GHQが日本から去っていくと、事実上の主権者が不在となった。
 この時点で、日本は、国家主権を宣した自主憲法を制定すべきだった、
 だが、時の宰相、吉田茂は、GHQ憲法を放置した。国家主権の現行憲法の最大の欠陥は、国家主権が謳われていないことで、憲法それ自体が国家の主権者になっているのである。
 国民の幸福追求権(13条)をみとめて、国家の防衛をみとめない(9条)のがその矛盾のあらわれで、敵から攻められても防衛できないのなら、国民の幸福どころか、生命、財産すらまもることはできない。

 憲法改正ではなく「廃憲論」を主張したのが西部邁氏だった。
 たしかに、日本国憲法は、形骸化されて、廃憲の状態にある。
 日本国憲法は、前文の他11章(天皇/戦争の放棄/国民の権利及び義務/国会/内閣/司法/財政/地方自治/改正/最高法規/補則)からなる国家の構造で、その下に刑法や民法、商法などの法体系がつらなっている。
 憲法違反を問題にされるのが、1〜3条(天皇/戦争の放棄/国民の権利及び義務)で、憲法思想と法体系、現実が整合しないというのである。
 そうなら、空文にすぎない憲法を黙殺すべきというのが廃憲論で、しあわせになる権利や非武装平和を謳う憲法などおとぎばなしでしかない。
 村上正邦氏、西部邁氏との会食の席で、西部氏からこういう質問をうけた。
「山本さん、右の陣営は、なぜ、民主主義に矛先をむけないのですか? 憲法や民主主義が戦後日本の新たな国体になっているじゃありませんか」
 憲法国体論は、東大法学部の重鎮、宮沢俊義の「八月革命論」に立ったもので、戦後日本では、GHQ憲法によって、革命がおきたという説である。
 宮沢憲法論によると、日本という国家が、憲法から監視をうけている。
 それでは、戦後日本は、憲法の属国になったようなものではないか。
 国を監視するのは、司法や弁護士会、マスコミ、学会、国民で、日本という国が、憲法の定めた路線から外れるのを防ぐのだという。
 かかる記述が教科書にも載って、現在、憲法は、国家を監視する最高法規という常識ができあがっている。
 日本の司法界が左翼一色なのは、司法試験が宮沢の「八月革命論」をとっているからで、日本共産党と同じ思想の弁護士と検事、東大法卒の高級官僚が法を運用している。
 ちなみに、わたしが『民主主義が日本を滅ぼす(日新報道/2010年)』を上梓したのは、このときの議論がきっかけになっている。
 次回は、憲法と日本の司法のゆがみについても言及しよう。
posted by office YM at 14:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする