2019年07月05日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つF

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つF
 ●愛子さまが天皇になられない理由C
 女性天皇論者は、愛子さまが天皇になられないのはおかわいそうという。
 皇位の男系相続にたいして、女性差別や男尊女卑、悪しき因習という反発が国民レベルにまで高まっているのである。
 日本は、かつて、8人10代の女性天皇をいただいた。
 それが、男女平等で、因習に縛られない美風だったというつもりであろうか。
 8人の女帝には、すべて、未亡人か、生涯独身だった。
 子をもうけて、その子が天皇になると、皇統が絶えてしまうからである。
 皇統とは、神武天皇の男系の血統で、それが、2700年つづいてきた神武王朝である。
 女性天皇が結婚して、子をもうけると、権力とともに皇室の血統が夫側へ移ってしまう。
 天命ではなく、血統による易姓革命がおきてしまうのである。
 それを避けるために、8人の女帝は一代限りの皇位をまもって、その皇位を神武天皇の血をひく男系天皇にひき継いできた。
 女帝は、権力抗争の渦にまきこまれて、女性として、きびしく、不幸な生き方をしいられてきたといってよい。
 天皇になれない愛子さまがおかわいそう、という感情論で語ってよい話ではないのである。
 未亡人で、再婚されなかった女帝は、推古、皇極(後の斉明天皇)、持統、元明の四方である。
 そして、生涯、独身をとおされたのが、元正、孝謙(後の称徳天皇)、明正、後桜町の四方である。
 最初の女帝・推古天皇は、欽明天皇の皇女で、敏達天皇の皇后だった。
 推古天皇が天皇に即位した経緯には、悲劇的な要素が大きい。
 夫の敏達天皇とその弟の用明天皇が相次いで崩御すると、その後に即位した末弟の崇峻天皇も、蘇我馬子が放った刺客(東漢直駒)に暗殺される。
 用明天皇の皇子で、推古天皇の摂政だった聖徳太子も、没後、子の山背大兄王が、蝦夷入鹿の襲撃を受けて、斑鳩宮で一族もろとも自害、上宮王家が断絶するという悲劇に見舞われる。
 山背大兄王が、田村皇子(舒明天皇)との皇位争いに敗れた末のことだったが、山背大兄王を倒したその入鹿にも、悲劇がまちうけていると、入鹿は知る由もない。
 推古天皇を介して、欽明から敏達、用明、舒明へとつながれた男系も、そののち、けっして、安泰ではなかった。
 舒明天皇とのあいだに天智天皇、天武天皇らをもうけた2番目の女帝、皇極天皇が49歳で即位したのは、継嗣となる皇子が定まらなかったからだった。
 その皇極天皇の目の前で、中大兄皇子と中臣の鎌足が、蘇我入鹿を暗殺するという前代未聞のクーデターを起こす。
 この乙巳の変(大化の改新)の翌日、皇極天皇は同母弟の軽皇子(後の孝徳天皇)に皇位を譲った。
 政治の実権は皇太子の中大兄皇子がもっていたが、皇位にはつかなかった。
 中大兄皇子が天智天皇として即位して、同母弟の大海人皇子(のちの天武天皇)を皇太弟とするのが、それから20数年後のことである。
 のちに、第1皇子・大友皇子(のちの弘文天皇)を太政大臣とし、辞退した大海人皇子の代わりに大友皇子を皇太子とするのだが、それが、古代史上、最大となる乱の前触れだった。
 天智天皇の没後に、大友皇子と大海人皇子とのあいだで争い(壬申の乱)がおき、敗れた大友皇子は自害する。
 勝った大海人皇子は、即位して、天武天皇となった。
 三番目の女帝となった持統天皇は、天武天皇の妻だが、事情が前例とはやや異なる。
 天武天皇の政治をひきついで、飛鳥浄御原令の施行など、律令政治の基礎を固める一方、子の草壁皇子を即位させるため腹ちがいの子大津皇子を処刑するなど、持統天皇は、鬼子母神的な女帝でもあった。
 草壁皇子が若くして亡くなると、持統天皇が即位して、皇子の子の珂瑠皇子(文武天皇)の成長を待つ。
 四番目の女帝、元明天皇(草壁皇子の妃)も事情は似ている。
 即位したのは、子の文武天皇が25歳の若さで崩御し、遺児・首皇子(聖武天皇)がわずか7歳だったからである。
 持統天皇同様、皇位をあずかって、孫の成長をまったのである。
 五番目の女帝、元正天皇は、草壁皇子と元明天皇の皇女で、母の元明天皇の遺志をうけついだ聖武天皇へのつなぎ役であった。
 六番目の女帝、孝謙・称徳天皇は、女性天皇・女系天皇を考えるのに示唆的な特異な天皇だった。
 父は聖武天皇、母は藤原氏出身で、史上初めて、人臣から皇后となった光明皇后(光明子)である。
 第46代孝謙天皇は、第47代淳仁天皇に譲位するまでは、つなぎ役の女性天皇にすぎなかった。
 ところが、孝謙上皇となって、道鏡を寵愛して淳仁天皇と不和となり、淳仁天皇を廃して、皇統に危機が襲ってくる。
 重祚して第48代称徳天皇となって、太政大臣禅師、法王へとのぼり詰めた道鏡は、ついに、皇位を望む。
「道鏡を天皇にせよ」という宇佐八幡神からのお告げは、和気清麻呂によって退けられるが、道鏡の怒りを買った清麻呂も大隅に流罪になる。
 称徳天皇が没して、道鏡の失脚後、天智天皇の孫である第49代光仁天皇が即位、このとき、皇位は、天武系から天智の系統へと移っている。
 道鏡を下野に流して、綱紀や政教を立てなおした光仁天皇は、和気清麻呂を召還するが、皇統の危機を救った和気清麻呂は、桓武天皇からも厚く迎えられ、平安遷都に尽力する。
 七番目の女帝・明正天皇は、幕府と対立した後水尾天皇の対抗策で、7歳の内親王を即位させて幕府をケムにまき、本人は、もっぱら、院政を敷いた。
 最後の女帝となった八番目の後桜町天皇は、若くして崩じた弟の桃園天皇の皇子(後桃園)の成長を待ったもので、そのために、一生を捧げた。
 女性天皇が、はたして、天皇になれない愛子さまがおかわいそうという甘い地位だったろうか。
 女性天皇論者は、愛子天皇を望むが、愛子さまが天皇になる可能性は、万に一つもない。
 愛子さまが、皇祖皇宗が2700年間まもってきた皇統の男系継承の伝統を破って、称徳天皇と道鏡ができなかった万世一系を否定するだろうか。
 あえて、神武天皇に反逆して、みずから、歴史の永遠の汚名を着るだろうか。
 明仁上皇、上皇后美智子も、女性天皇をお望みではなかった。
 百二十五代にわたって男系継承であったものが、ご自身の御代においてその原理が変更されては、皇祖皇宗に申し訳が立たないからである。
 ェ仁親王の長女、彬子女王も「男系継承の伝統を大事にするべき」とのべておられるとおり、皇室内には、宮内庁を別にして、女性天皇をみとめる空気はない。
 皇統は神武天皇以来、男系で継承されてきた血筋のことで、直系に該当者がおられない場合は、つねに、傍系から皇胤を得てきた。
 今日、この傍系に当たるのは、戦後まもなく皇籍を離脱された旧十一宮家で、そこには、かなりの人数の男系男子がおられる。
 その方々のなかから、何人かが皇籍に復帰できる方法を考え、男系の宮家の数を増やす。
 皇室をまもるには、それが、だれが考えても、いちばんあたりまえの方法だろう。
 必要なのは、歴史上、前例のない女性宮家ではなく、前例のある男性宮家なのである。
 旧皇族が「皇統に属する皇族」にもどることができず、二千年間、けっして「皇統に属する皇族」になれなかった一般男性の子どもが皇統に属することができるという女系天皇論者の理屈はいったいどこからくるのだろう。

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2019年06月28日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つE

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つE
 ●愛子さまが天皇になられない理由B
 日本共産党は反天皇の綱領をもっている。
 その綱領に「一つの家族が国民統合の象徴となる天皇制は民主主義と人間の平等の原則に反する」とある。
「一つの家系が日本を象徴する制度が未来永劫つづくのは不合理(日本共産党小池晃書記局長)」というのである。
 天皇の地位が、親から子への直系相続にあると思っているのは、共産党や女系天皇論者だけではない。
 一般国民も、多くが、民法的な感覚で、直系長子相続が自然と考えている。
 そこから、女性宮家の創設や女性天皇という考え方がでてくる。
 天皇が男子に恵まれなかったら、女子が新天皇になってもよいではないかというのである。
 皇位の継承を男系男子に限っている「皇室典範第1条」を改定するうごきもある。
 すでになんどものべてきたように、女系では、先祖の血筋を継承できない。
 男性のY染色体は、世代を重ねても、純粋な形で男子に継承される。
 ところが、女性X染色体は、世代がかわるたび、交叉して、系統が変化する。
 女系男子が皇位を継承した場合、新天皇は、神武天皇ではなく、母方の夫側の染色体をひきついでしまうのである。
 家族や家系なら、直系長子相続でよいだろう。
 だが、天皇は、一系の王朝であって、家族でも家系でもない。
 直系長子相続では、神武王朝ではなく、天皇一家の家系になってしまう。
 現在、日本では、天皇が王朝であることが、まったく理解されていない。
 日本が世界から一目おかれる伝統国家で、それが日本の国際的地位を高めているのは、天皇が数千年の歴史を有する王朝だからで、天皇が、憲法によって国民統合の象徴とされているからではない。

 日本が数千年にわたってまもってきたのは、天皇一家ではなく、万世一系の神武王朝だった。
 それを象徴するのが、神武天皇の血統を大幹とする系統樹である。
 神武天皇の血統という幹から男系宮家という枝が四方へのびている。
 その一本の枝が第119代光格天皇から今上天皇(第126代徳仁)へつらなる閑院宮家で、8代にわたって、皇統として、神武王朝を継承してきた。
 第118代後桃園天皇が22歳で急逝して、直系の皇族に男子がいなかったため、1780年、光格上皇が、傍系の閑院宮家から9歳で即位した。
 光格天皇と先代の後桃園天皇とは8親等の隔たりがあって、直系長子相続の感覚からいえば、限りなく他人に近い遠い親戚だった。
 閑院宮家は、光格上皇から6代さかのぼった東山天皇の第6皇子が創設した宮家で、皇統の断絶を危惧した新井白石が将軍徳川家宣に建言して設けられた男系宮家である。
 一つの家系や家族あるいは直系では、皇統をまもることはできない。
 皇統が、神武天皇の血統をひく男系宮家という枝によって、まもられてきたのは、今上天皇が閑院宮家系だったことからも明らかだろう。
 かつて、皇位の傍系相続が三度おこなわれた。
(1)第25代武烈天皇から第26代継体天皇(9親等の隔たり)
(2)101代称光天皇から第102代後花園天皇(9親等の隔たり)
(3)第118代後桃園天皇から第119代・光格天皇(8親等の隔たり)
 親等は、直系長子相続を基準とする家族や家系の遠近の度合いをしめす。
 だが、祖先の系統をまもる王朝では、親族の遠近をしめす親等は問題にならない。
 問題になるのは男系宮家という枝で、王朝は、直系長子相続ではなく、男性宮家の世襲によって維持されてきた。
 王朝が男系相続となったのは、女系相続では、閨閥政治や政権抗争、独裁をうみ、内紛や政争、摩擦を避けられなかったからである。
 日本で、一つの王朝(皇統)が2000年以上、維持されてきたのは、古代国家の大連・大臣から律令体制における二官八省、摂関政治や院政、武家政治にいたるまで、天皇と権力の二元論が成立したからだった。
 権力が天皇を立てて、その下で、自律的に権力を操作したのである。
 社会も人間も、物と心、合理と不合理、聖と俗の両面をもっている。
 権威と権力、国体と政体、文化と軍事の二元論は、そういった二元的、多元的な世界に対応するもので、神武王朝=日本国家は、天皇と将軍の二人がおられたことによって、2700年の長きにわたって、体制を維持できたのである。
 ヨーロッパや中国、中東やアジアにおいて、権力や宗教は、一元的だった。
 その結果、圧政や恐怖政治、宗教弾圧、奴隷制度などが横行して、人々は塗炭の苦しみをなめた。
 民主主義や人権は、数千年におよぶ暗黒時代の反動で、チャーチルではないが、ファシズムよりはましという代物にすぎない。
 神武王朝は、古事記や日本書紀がつくりだしたフィクションだったかもしれない。
 だが、日本は、そのフィクションにどっかり腰をすえて、天皇と近代国家を運営してきた。
 日本は、民主主義や平等が人類の理想であるような不幸で貧しい歴史をもっていないのである。

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2019年06月21日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つD

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 ●愛子さまが天皇になられない理由A
 BSフジの「プライムニュース(2019年5月21日)」で、衛藤晟一参院議員が、皇統問題にからめて、Y染色体の話をもちだすと、京都産業大の所功名誉教授は「生物学レベルまで下げて議論してはいけない」とたしなめた。
 皇統の男系相続は歴史の叡智と伝統で、たしかに、生物学レベルで語られるべきではないかもしれない。
 だが、歴史や伝統を破壊して、女系天皇を実現しようとしているのは、所ら女系天皇論者で、その根拠が、大衆迎合の男女平等や民主主義である。
 皇統問題を、ついこのあいだうまれたばかりの近代主義のレベルまで下げて議論してはいけない、といいたいいたくなる。
 皇統にかかるY染色体の議論は、あくまで、結果論である。
 そして、動機論が、皇統をまもる男系相続だったのは、いうまでもない。
 女系相続では、皇統をたもつことができない。
 皇位を簒奪しようという、道鏡や足利義満のような野心家がでてくるからである。
 女系天皇の夫になって子種をもうければ、子が天皇に、夫が上皇になれる。
 それが、X染色体の弱点で、代がかわるたび、男系の祖先が入れ替わる。
 神武天皇の血統をまもるために、女性天皇は、夫をもたず、子をもうけず、皇胤を男系に限定した。
 Y染色体は、男系の祖先から一系となるので、世襲によって、血統がまもられる。
 経験則にのっとった歴史の叡智というしかない。

 人類進化の学説としてよく知られているものに「ミトコンドリア・イブ」がある。
 人類の母系祖先をさかのぼっていくと、16万年前にアフリカにいた一人の女性にたどりつくとする説である。
 素人にはわからないが、母親から女の子どもに受け継がれるミトコンドリアDNAの塩基配列の解析結果という。
 遺伝にかかわる因子に、X染色体とY染色体、ミトコンドリアDNAの三つがある。
 X染色体を2本もつ女性の場合は、母親から受け継いだX染色体と父親から受け継いだX染色体のあいだで交叉と遺伝子の乗り換えがおこる。
 したがって、先祖を特定できず、血統の正統性がたもてない。
 一方、男性のY染色体と女性のミトコンドリアDNAは、交叉がおきないので、どこまでも、先祖をたどってゆける。
 女性のミトコンドリアDNAは、16万年前までさかのぼった。
 男性のY染色体は、日本の場合、途中で、神話に継ぎかえられた。
 神武天皇以前が神話で、神武天皇以降が実史である。
 皇紀2600年は、遺伝子のレベルで、検証が可能だったのである。

 衛藤議員のY染色体説を一蹴した所功は、一方で、こんな珍説をのべる。
「皇祖神として天照大神という女神を仰いでいるという事実を考えれば、男系や女系、男子や女子よりも、皇室の御祖先が大事」
 天照大神が女神なので、女性天皇でもよいというのは、田中卓や小林よしのりと同じ見解である。
 黄泉の国からもどった男神のイザナギが禊をおこなって、左目から生まれたのが天照大神で、このとき、右目から須佐之男命(スサノオノミコト)、鼻から月読命(ツクヨミノミコト)がうまれた。
 男であるイザナギの左の目から生まれた天照大神が、どうして女系なのか。
 そもそも、天照大神が女性という根拠はきわめて薄い。
 天照大神とスサノオによる誓約(うけひ/占い)によってうまれたのがアメノオシホミミ(天忍穂耳命)で、高天原から日向の高千穂峰へ天降ったニニギ(瓊瓊杵尊)の父である。
 ここまでが神話だが、どこに女系の根拠があるのか。
 男系女系がでてくるのは、木花開耶姫を娶ったニニギからである。
 火遠理命(山幸彦)と豊玉姫、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)と玉依姫、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコノミコト=神武天皇)と吾平津姫と、ニニギ以後、神武まで、4代に亘って、男神が姫を娶っている。
 女系というのは、たとえば、木花開耶姫や豊玉姫、玉依姫、吾平津姫が天皇になるにとどまらず、女天皇の産んだ子が天皇(皇胤)になることである。
 そんなばかなことはおきていない。
 皇祖神の天照大神が女神だから、天皇が女系でいいというのはとんでもない暴論で、日本人が、天皇の男系相続をもって、権威と権力の二元論を発明した歴史的功績を忘れている。
 男系を世襲にすることによって、天皇の権威が磐石になった。
 その権威から、正統性をさずかって、権力に節度と施政力がそなわった。
 天皇の男系相続には、日本という国家ができあがった原理が隠されていたのである。
 ところが、戦後、日本の歴史学者は、皇国史観や古事記・日本書紀の否定に血眼になるばかりで、古代日本の国家や権力構造を明らかにする勉強や研究を怠ってきた。
 そして、記紀に書かれていない邪馬台国が大和国、卑弥呼が日巫女の蔑称であったことを棚上げして、記紀の編者が全員嘘つきだったと言い張ってきた。
 所功や田中卓らの暴論は、日本の歴史学者の愚かさを象徴していたのである。

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2019年06月14日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つC

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つC
 ●愛子さまが天皇になられない理由@
 京都産業大の所功名誉教授はこうのべる。
「男系男子を重んずる風習は軽視できないが、それに固執してはなりません。皇室典範第9条『養子の禁止』と同第12条『皇族女子の結婚による皇籍離脱』を改正すれば、減少傾向にある皇族を維持し、さらに永続できる可能性がでてきます」
 そして、こう駄目を押す。
「史上に実例のある男系の女性天皇を例外的にみとめておくことです」
 男系の女性天皇以後をどうするのか。
 令和元年、共同通信の緊急世論調査では、女性天皇の賛成が79.6%で、反対の13.3%を大きく上回った。
 愛子天皇が誕生すれば、直系への皇位継承が100%に近くなるだろう。
 所はそれを見込んでいるのである。
 だが、それは、万世一系と神武王朝の終焉である。
 皇統は、その時点で、愛子天皇の夫側の祖先へ移る。
 祖先は、10代も遡れば、大抵、不明になってしまう。
 それでは、日本の皇室は、皇祖が不明ということになる。
 それで、はたして、天皇の権威や国体の永遠性、国家の背骨、国民のアイデンティティはまもられるか。
 皇室典範で、皇嗣は、悠仁親王殿下ときまっている。
 それなのになぜ、くり返し、女性天皇論がでてくるのか。
 悠仁親王殿下と愛子内親王殿下の対立を煽っているのである。
 BSフジ【プライムニュース】(2019年5月21日)で、衛藤晟一参院議員が所功に「悠仁さまが世継ぎではないか」と問うと、所はこう応えた。
「皇室典範3条で直系にもどせます」
 これは問題発言である。第三条にこうある。
「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる」
 悠仁親王殿下と愛子内親王の皇位継承順序を変えるにあたって、皇嗣の不治の重患や重大な事故を想定する第三条をもちだすのは、不敬にして不謹慎きわまりない。
 皇室ジャーナリストによると愛子天皇§_が浮上してくるのは、令和3年という。
 令和3年の12月には、愛子さまが20歳の成年になられて、公務の活動をおはじめになるからである。
「成年を迎えたあとは、一般参賀のお手ふりや公務に参加するようになります」(宮内庁関係者)
 所は、皇室典範を変えて、愛子天皇の道を開けという。
 悠仁親王殿下がおられるのにそんなことができるわけはない。
 万が一、愛子天皇が実現しても、愛子さまのお子は天皇になれない。
 過去、8人の女帝は、全員、生涯独身か未亡人で、子をもうけていない。
 女帝の配偶者に権力を握らせないためで、父系が入れ替わる女系天皇は、歴史上、一人もいなかった。
 愛子さまのお子に皇位が継承されるのは、愛子さまが、旧宮家の男子と結婚されて、男子を主産された場合にかぎられる。
 それなら、悠仁天皇が男子に恵まれなかった場合、皇位を継ぐことができるばかりか、皇位の継承者がふえる。
 旧皇族の竹田恒泰(慶応大講師)が、皇位継承問題について、旧皇族20人以上と意見交換した結果を月刊誌(「正論」)に発表した。
 終戦後、皇籍離脱した旧皇族の多くが、皇籍復帰を要請された場合「一族として要望に応える覚悟を決めておかなければならない」と考えているというのである。
 主に現在の宮家と養子縁組することで、男系を継承することを想定しているといい、大多数が、男系の皇統は維持されるべきだと考えていて、女性・女系天皇を容認するひとは一人もいなかった。
 旧宮家をはじめとする男系男子の血統をもつ人々の皇籍復帰や養子縁組案については従来、「長年民間で暮らしていることから国民の理解は得られない」という指摘が有識者や政府、マスコミらから出ていた。
 ところが、国民の意識はそうではなかった。
 産経新聞・FNN合同世論調査結で、「男系男子の皇族を増やすため、戦後に皇籍離脱した旧宮家の復帰をみとめてもよいか」との質問にたいして「みとめてもよい」(42・3%)が「みとめない方がよい」(39・6%)を上回った。
 所功や小林よしのり、園部逸男、田中卓、高森明勅ら女系天皇論者は、愛子内親王が、悠仁親王を退けて、皇位につくべきと主張する。
 そんなことができるわけはない。
 万世一系が皇室の原理で、民間の男性は、完全に排除される。
 仮に愛子内親王殿下が民間人の男性とご結婚されたとしよう。
 その民間人が皇族、そして天皇になれば道鏡そのものである。
 愛子さまが、男系相続を否定して、孝謙上皇(後の称徳天皇)の道鏡スキャンダルの二の舞を演じるであろうか。
 皇祖皇宗の大御心を裏切って、2600年の万世一系を破った女帝として、歴史に永遠の汚名を残す役割を、愛子さまがひきうけるだろうか。
 愛子内親王は、一生、独身をまもるのは、100%まちがいない。
 女帝は生涯独身か未亡人の不文法が、踏襲されるのである。
 そうなれば、皇統に、真の危機が襲いかかる。
 寛仁親王殿下の長女、彬子さまが毎日新聞のインタビューで、女性宮家創設だけが議論される現状に違和感を表明された。
「男系でつづいている旧皇族におもどりいただくとか、現在ある宮家をご養子として継承していただくとか、他に選択肢もあるのではないかと思います」ときっぱりご発言されたのである。
 女系天皇論者は、役人や左翼、反日と結託している。
 旧宮家の皇籍復帰運動をもっと積極的にすすめるべきだろう。
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2019年06月07日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つB

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つB
 ●女系天皇論者が知らない歴史の叡智
 女系天皇論者の主張には3つの共通点がある。
 @天皇の地位や皇統の根拠を憲法にもとめる
 A男女平等などの近代主義に立って、伝統を無視する
 B旧皇族の皇籍復帰に反対する
 天皇は、憲法に規定された存在で、近代主義の下にある。
 したがって、血統にもとづく旧皇族の皇籍復帰には、断固、反対する。
 それが、所功(京都産業大学名誉教授)や小林よしのり、池上彰ら女系天皇論者の主張である。
 憲法条文や近代用語を丸暗記して、先生から頭をなでなでされる中学生並みの知的レベルで、伝統的価値や歴史の叡智、合理性の懐疑などの大人の知恵には遠くおよばない。
 終戦直後、GHQの最大の関心事は、国体の破壊で、そのための政策が神道指令や皇室の財産没収、臣籍降下だった。
 昭和天皇は、政治利用するとしても、GHQにとって、皇室は、帝国主義の土台となった頑迷固陋なる旧体制でしかなかった。
 皇室は、自然消滅すべきもので、GHQには、皇室をまもる気などさらさらなかった。
 女系天皇論者がのっているのは、その論理で、GHQの目をとおして日本の伝統や歴史、民族をながめている。
 かれらが、アメリカ民主主義にとびついたのは、70数年前、日本で、敗戦革命がおきたからだった。
 左翼憲法学の重鎮、宮沢俊義らは、これを八月革命と呼んだ。
 この革命から、渡部昇一や小堀桂一郎らがいう敗戦利得が生じた。
 戦後、GHQの反日政策に加担した左翼・反日勢力は、公職追放令で空席になった社会的地位を独占して、日本が独立を回復したのちもそこに居座った。
 そして、憲法擁護や民主主義、国民主権や人権を叫んだ。
 かれらが反日なのは、宗主たるGHQの政策が反日だったからである。
 受け皿となったのが、大学やマスコミ、官公庁や労組だった。
 いまなお、この四つが、反日の牙城になっている。
 その一派が、女系天皇論者で、みな、敗戦革命に洗脳された人々である。
 そうでなければ、2600年の伝統を捨てて、たかだか、130年前の明治憲法、わずか、70年前のGHQ憲法をとるなどの愚かな真似ができるはずはない。

 かれらは、科学や合理主義をもちだして、万世一系を否定する。
 2000年もたてば、神武天皇の遺伝子も変質している、染色体の遺伝性は科学的に証明されていないというのである。
 だが、問題は、そんなところにあるのではない。
 人々が、長年、そう信じてきた事実が大事で、それが、歴史である。
 歴史は、過去がどうあったかではなく、人々がどう信じてきたかであって、だれも、過去を見たことがない。
 武烈天皇が、506年、後嗣を定めずに崩御したのち、大伴金村や物部麁鹿火、巨勢男人ら有力豪族が、越前にいた応神天皇の5世孫にあたる男大迹王を継体天皇として迎えた。
 その根拠が万世一系で、血統は、大伴金村らのつよい信念であって、血液検査の結果ではなかった。
 特攻隊の遺書にこうある。
「日本の国体は美しいものです。神代の有無よりも、私は、それを信じてきた祖先の純真そのものの歴史の姿を愛します。美しいと思います。国体とは祖先の一番美しかったものの蓄積です。実在では、わが国民の最善至高なるものが皇室だと信じます。私はその美しく尊いものを、身をもって守ることを光栄としなければなりません」(ベルナール・ミロー/神風)。
 本居宣長も、古人が理解したように、古事記を理解すべしといった。
 歴史は、人々が信じてきたフィクションで、伝統の価値や歴史の叡智は、そのフィクションのなかにある。
 テレビの討論番組で、首相補佐官で自民党参議院議員の衛藤晟一が染色体の話をもちだすと、所功は「生物学の問題ではない」と一蹴した。
 衛藤は、このとき、昔のひとが、Y遺伝子の存在を知っていたかのようだといったのだが、これには、すこし、説明が必要だろう。
 古代の日本人が男系相続をえらんだのは、Y遺伝子の存在を知っていたからではなく、女系相続では、権力抗争がおきるからだった。
 男系は世襲で、女系は閨閥である。
 しかも、閨閥では、権力の正統性となる祖先が定まらない。
 したがって、つねに、覇権を争っていなければ、権力を維持できない。
 このとき、日本人は、男系を立てて、これを世襲とする権力構造を発明した。
 女系においては、武力で覇権を握ることができるが、男系には、血統の壁があるので、手も足もでない。
 そこで、男系を権威として、その下で、権力を系列化することにした。
 すると、戦争がやみ、体制が安定した。
 これが、権威(国体)と権力(政体・幕府)の二元論である。
 女系閨閥を捨て、男系世襲をとった結果論がY染色体だった。
 昔のひとがY染色体を知っていたのではなく、男系の世襲がY染色体の相続経路と一致していたのである。
 これは、大発明で、男系による権威の世襲によって、日本は、たたかうことなく、弥生時代の末期から古墳時代、飛鳥時代の1000年余をかけて、のちに大和朝廷となる統一国家を築きあげる。
 圧巻なのが、3〜7世紀の古墳時代で、日本全土で、4000基以上の前方後円墳がつくられた。
 争うことなく、大和朝廷のモニュメントだった前方後円墳を、日本全土から朝鮮半島南部にまでひろげたのである。
 女性天皇論者は、伝統的精神や神道、神話を否定する。
 ところが、所功や小林よしのりらは、天照大神をもちだしてくる。
 天照大神が皇祖神なので、女系天皇に正統性があるというのである。
 次回は、話を神話へ転じて、女性天皇論を論じよう。
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2019年05月31日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つA

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つA
 ●池上彰が説く「女系宮家」のゴマカシ論法A
 現在、皇統をめぐって、日本の世論は、男系男子派と女系女性派の真二つに分かれて、水面下で、はげしく、争っている。
 男系男子派の学者は、小堀桂一郎(東京大学名誉教授)、新田均(皇學館大学教授)、百地章(法学者/日本大学名誉教授)、八木秀次(法学者/麗澤大学経済学部教授)、大原康男(國學院大学教授)、竹田恒泰(明治天皇の玄孫/慶応大学院講師)、松浦光修(皇學館大学教授)らで、論客として、谷田川惣や八幡和郎らがいる。
 女系女性派の学者は、田中卓(皇學館大学元学長)、所功(京都産業大学名誉教授)、高森明勅(神道学者)、西修(駒澤大学名誉教授)、園部逸夫(元最高裁判所判事)らで、論客として、高橋紘、橋本明、山下晋司らがいる。
 女系女性派が優勢なのは、マスコミや官僚、有識者会議につらなる学識者がついているからで、漫画家の小林よしのりやニュース解説の池上彰のほか、テレビの人気者や女性タレントも、メディアで、男女平等を挙げて、女系女性を支持している。
 その効果はてきめんで、世論調査で、目下、愛子天皇待望論というべき状況がうまれている。
「女系・女性天皇に賛成7割」(時事通信)
「女性天皇『容認』76%」(朝日新聞)
 現在、皇位継承順位第2位に悠仁親王殿下がおられる。
 男系男子が皇位を継承すると定めた皇室典範にもとづく皇位継承順位は――
【1】秋篠宮文仁皇嗣殿下【2】悠仁親王【3】常陸宮正仁殿下
 である。
 女性天皇が容認されると、皇位継承順位はこう変わる。
【1】愛子内親王【2】秋篠宮文仁皇嗣殿下【3】眞子内親王【4】佳子内親王【5】悠仁親王【6】常陸宮正仁殿下【7】彬子女王【8】瑶子女王【9】承子女王
 女性天皇が容認されると、皇位継承順位第2位の悠仁親王が5位に下がる。
 この場合、皇位が、愛子天皇から悠仁親王もしくはその男性嗣子に継がれるという確たるルールができていなければ、歴史上、推古天皇など8人の前例がある女性天皇は、そのまま、前例のない女系天皇へ移ってゆくことになる。
 皇胤の男子相続者がおられる現在でさえ、愛子天皇待望論が沸騰している。
 これを思えば、将来、愛子天皇の直系への譲位が世論の大勢となるのは目に見えている。
 皇統は世論に左右されてはならないが、天皇の地位が憲法に規定されているかのような風潮のなか、世論に抗うことはむずかしい。

 愛子天皇の子が皇位を継承した場合、たとえ、その子が男性であっても、女系天皇となって、2700年にわたって、男系男子で貫いてきた万世一系の伝統に終止符が打たれる。
 愛子天皇の長男が天皇に即位した瞬間、民間人である夫側の家系図に天皇が出現して、一方、神武以来の天皇家の皇統が断たれるのである。
 池上彰はこういう。
 女性天皇をみとめるように法を改正すれば、愛子さま、眞子さま、佳子さまも、皇位継承権をもつことができます。
 それからこう畳みかける。
 女性天皇をみとめても、愛子さま、眞子さま、佳子さまのお子さまは女系になるため、皇位継承権はありません。
 そして、こうしめくくる。
 将来、「女系天皇」をみとめるかどうか、という議論をしなければならないでしょう。
 問題を先送りして、遠くない将来、女系天皇がうまれることに期待を寄せるのである。
 これは、ごまかしとすりかえの論理で、万世一系を残す方法があるのに、民間人の天皇をもとめるのは、魂胆があるのである。
 その魂胆というのが、女性天皇から女系天皇へのなしくずしの移行で、万世一系をひっくり返そうというのである。
 伝統を破壊すれば、日本は、民主主義共和国になるほかない。
 池上は、万世一系の牙城たる旧宮家の皇籍復帰の可能性を否定する。
 女性天皇、女系天皇の容認や女性宮家の創設以外の方法として、旧宮家の皇籍復帰を唱える論者もいますが、旧宮家は戦後皇籍から離脱していますから、あらためて皇籍に復帰することは、現実的には難しいのではないでしょうか。
 世論調査でも、旧宮家の皇籍復帰にたいしては、7割前後が反対しています。
 女性天皇とは違って、国民感情としても、認めがたいのが現実です。
 ウソである。
 産経・FNN合同世論調査(2019年5月)によると、男系男子の皇族を増やすため、戦後に皇籍離脱した旧宮家の復帰を認めてもよいかという質問にたいして、「認めてもよい」(42・3%/自民支持50・7%)が「認めない方がよい」(39・6%/自民支持31・3%)を上回った。
 旧宮家の皇籍復帰や男系男子の血統を持つ人々養子縁組案については、これまで、有識者や政府、マスコミなどは「長年、民間で暮らしていることから国民の理解は得られない」といいつづけてぃた。
 ところが、とんだ思いちがいで、国民は、戦後、臣籍降下させられた11宮家にたいして、敬意と愛着をもっていたのである。
「女系・女性天皇に賛成7割」(時事通信)「過半数が女性天皇と女系天皇の違いを理解せず」「11宮家の皇籍復帰賛成派が反対派をこえる」(産経・FNN)とアンケート調査の結果はまちまちである。
 マスコミや政府・権力の一部が世論を操作してきた結果、バラツキが生じたのである。
 皇統をめぐる男系男子派と女系女性派の衝突は、日本人の魂とマスコミ世論のたたかいといえる。
 そのたたかいは、はじまったばかりなのである。
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2019年05月24日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つ@

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つ
 ●池上彰が説く「女系宮家」のゴマカシ論法@
 天皇問題から憲法、北方領土から移民問題にいたるまで、マスコミとりわけテレビが世論をリードしている。
 それがマスコミ世論というもので、本来、別々だったマスコミと世論が一体化した衆愚政治である。
 テレビで売れっ子のコメンテーターが、短絡した意見を吐いて、それが世論に反映されて、国家の羅針盤が狂いはじめる。
 それが、ほぼ、定着したのが、昨今の日本の情勢である。
 テレビが視聴率の上になりたっているのは、周知の事実で、ニュースも報道番組も、時事解説もバラエティも、事情はかわらない。
 それらの情報が、すべて、視聴率という秤にはかられて、視聴者の耳や目に届くときには、別物になっている。
 迎合的な内容に加工されて、本質がゆがめられるのである。
 バラエティならヤラセや過剰演出ですむだろう。
 だが、ニュースや時事問題ではそうはいかない。
 誤った世論が形成されて、国家が、舵を誤ってしまいかねないのである。
 とくに、民主主義と国民主権が大手をふるわが国では、マスコミ世論がかつての元老院や枢密院のような権威となって、国論や国政を左右する。
 それが、小泉純一郎内閣の「皇室典範に関する有識者会議」だった。
「皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが適当」とする報告書(2005年)を提出した吉川弘之座長はこのとき「歴史観や国家観にもとづいて案をつくったのではない」「皇族や政治家の意見を聞くつもりはない」といってのけた。
 歴史と伝統にもとづく皇室の世継ぎ問題を、民主主義と憲法だけで切りさばこうというのが、戦後文化人で、要は、伝統をアメリカ民主主義にきりかえてGHQ革命にのった敗戦利得者である。

 現在、世論形成のリードオフマンといえば、池上彰で、テレビはでずっぱりで、ベストセラーの上位独占という怪物である。
 NHK出身で、報道記者をへて、10年以上、『週刊こどもニュース』のキャスターをつとめたせいか「だよね」という子どもに語りかける口調で主婦層を中心に圧倒的な支持をえている。
 その池上が、万世一系を否定する「女系宮家」の創設をうったえている。
 その論法が、例の短絡のゴマカシで、天皇が憲法上の存在であるかのような設定で話をすすめる。
 古代より連綿とつづいてきた天皇は、わが国の伝統文化の総家元というべき存在で、たかだか、130年前の明治憲法、わずか、70年前のGHQ憲法に定められた薄っぺらなものではない。
 有識者ならば、天皇が歴史のもとづく伝統的な存在で、憲法上の存在でないことを国民につたえる立場にある。
 生活に忙しい国民は、真実を知る機会がなく、正しい知識をもちえない。
 有識者にあたえられた任務は、無知な国民を正しい知識をあたえて、目覚めさせることである。
 ところが、池上は、こういってのける。
 憲法の第1条には、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とあり、第2条には「皇位は、世襲のもの」とあります。
 この2点に着目すれば、皇室典範を改正して、女性天皇や女系天皇を認めることは、憲法上、何ら問題はありません。
 池上は、戦後の日本人が陥った、天皇を憲法上の存在とする錯綜をそのままひきついで、堂々と万世一系を否定するのである。
 池上は天皇退位特例法案にもりこまれた「女性宮家検討」の付帯決議≠もちだして、こんどは「女性宮家」創設を主張する。
 憲法の次は政治判断で、池上流に付き合っていると、天皇が、法律や政治の飾り物にすぎないように思えてくる。
 昨今の人気タレント識者は、判で押したように、伝統を否定する。
 伝統の否定が、マスコミで生き残る条件にでもなっているのであろうか。
 次回も人気タレント識者批判をつづけよう。
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2019年05月17日

神道とはなにかD

 神道とはなにかD 
 ●日本精神をつくりあげた神道
 現在、神道的な価値観が、世界的に見直されている。
 その一つが、自然にたいする考え方である。
 自然を征服する西洋にたいして、日本は、自然との共生で、地球にやさしくというキーワードは日本から発せられた。
 もともと、神道は、自然崇拝の宗教である。
 西洋には自然崇拝という考え方がない。
 自然は神が創造したものだからである。
 神が創造して、糧として、ヒトにあたえたものなので、煮て食おうが焼いて食おうが人間の勝手というのである。
 西洋の神は、創造主にして唯一神、絶対神で、絶対的存在である。
 西洋が神を中心とする世界観のもとで回転してきたのは、神が圧倒的な力をもって、人々を支配してきたからだった。
 紀元後からルネサンスまで、ヒトは、人権どころか、人格や個性さえみとめられない神のしもべだった。
 そして、宗教戦争では、神の私兵となって、多くが命を落とし、ドイツ農民戦争では、人口が半分になってしまったほどだった。
 キリスト対イスラム、カソリック対プロテスタントの一神教の内紛がいまもなおつづいているのは、一神教の世界では、神が人間の心に占めるウエイトが日本人の想像がおよばないほど大きいからである。
 西洋では、ことば(=ロゴス)までが神からあたえられた。
 一神教における信仰は、神との契約で、ヒトは、ことばをとおして、神と約束をかわす。
 西洋人の自我がつよいのは、直接、神とむきあうからである。
 神という絶対的な後ろ盾をえて、かれらは、絶対的な自信を獲得する。
 それが、オーマイゴットの精神で、キリスト者にとって、神の祝福や神との出会いがなによりも大事なのである、

 日本には絶対神がいない。
 縄文時代から多神教のアニミズムで、八百万の神々は、自然や人々とともに、世界からうまれた。
 日本の神々は、世界を創造したのではなく、世界からうまれおちたのである。
 八百万の神々やミコト、ヒトが、大自然のなかで共存する日本では、単独で存在するものなどない。
 絶対神がいなかったので、自我も個人主義もうまれなかったのである。
 かつて、ヒトは、主客未分離の境地で、血族や部族、共同体中心の集団的な生を営んでいた。
 それが神道の淵源で、多神教の下では、集団的な生が栄える。
 それがさいわいだったのは、そこでは、信頼や善意、情や利他心などの集団の心というべきよい心がはたらくからである。
 神道は無意識の宗教ともいわれる。
 すべて、直観やなりゆきにまかせきるからで、それが惟神(かんながら)の道である。
 惟神というのは、神の摂理にあずけきってしまうことで、人間の考えほど浅はかなものはない。
 このとき、意識が捨てられる。
 集団に宿るのは、意識ではなく、無意識である。
 無意識の神道は、自然崇拝の宗教でもあって、自然界には、意識もことばもない。
 意識やことばは非自然物なので、自然崇拝(=自然と同一化)すると消えてしまうのである。
 生きてゆくのに必要なのは、習慣やきまりごと、日常的なふるまいで、ほとんど無意識である。
 集団は、意識をもつことも、モノを考えることもできない。
 モノを考えるのは、かならず、個人であって、一人ひとり考えがちがう。
 集団が個になって、無意識が意識に転じた。
 ヨーロッパで、意識がうまれたのは、絶対神に出遭って、個に目覚めたのちのことである。
 神から、汝はだれぞと尋ねられて、ヒトは、個のじぶんに出遭った。
 キリスト教によって、ヒトは、無意識だった集団の一部から、意識をもった個人になったのである。
 神が、個人をつくって、意識をさずけたのは、信仰を迫るためだった。
 救ってやるが、その前に、たっぷり、孤独と死の恐怖、絶望を味わえというのである。
 それが悲劇の誕生で、そこから、人類の苦しみや悲しみがはじまった。
 神道は、その逆で、意識を捨てて、無意識をとれという。
 キリスト教では、神を発見した意識は開明的で、一方、無意識は、神を見ることができない未開状態ということにされている。
 西洋では、意識やことばが光で、無意識は、無神論の闇なのである。
 日本は、その逆で、無や空は、悟りの境地である。
 そして、意識は、しばしば、苦の原因とされる。
 虚栄や嫉妬、不安や憎悪、絶望などの悪意やわるい感情も意識から生じる。
 西洋が意識のなかに絶対神をもとめたように、日本人は、無意識のなかに無や空をもとめた。
 それが神道の無意識で、集団の心である。
 聖徳太子の和の心は、日本の伝統的な精神だったのである。
 そして、その日本精神が、神道につちかわれたものだったことはいうまでもない。

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2019年05月09日

神道とはなにかC

 神道とはなにかC
 ●集団主義の神道と個人主義の一神教
 現代人は、じぶんが個人であることをあたりまえと思っている。
 だが、個人があらわれたのは、たかだか数千年前のことである。
 それまで、人々は、主客未分離の境地で、血族や部族、共同体中心の集団的な生を営んでいた。
 それが神道の淵源で、多神教の下では、個人という考え方はうまれない。
 400万年前に猿人から分化して以来、人類は、集団生活者だった。
 集団は、個が集まって、できあがったのではない。
 血族や部族、共同体などの集団が先にあって、ヒトは、その一部分だった。
 集団から個を一つとりだしたところで、単独の一人にはならない。
 切り分けられた集団の一部は、たとえ一人でも、集団なのである。
 単独では、子孫を残せない以上、ヒトは、人間ではなく、人類として集団を生きるほかなかった。
 信頼や善意、情や利他心などは、集団の心である。
 ヒトは、集団の一部であるとき、心ゆたかに生きることができるのである。
 一方、西洋は、個人主義で、その根本にあるのがキリスト教だった。
 同じキリスト教でも、カトリックとプロテスタントでは、神との接触方法が異なる。
 カトリックでは、信者は、神父を介して神と接触する。
 ところが、プロテスタントでは、個人が神とむきあう。
 個人が、直接、神と接触して、信仰を契約するのである。
 プロテスタンティズムによって、コミュニティや集団が解体されて、個人が台頭してきた。
 そこからうまれてきたのが「社会契約論」である。
 個人と神が契約するプロテスタンティズムを「個人と社会との契約」に移しかえて「社会契約論」がうまれた。
 ホッブスやルソー、ロックの思想的ルーツはキリスト教にあったのである。
 西洋における個人は、神の下に平等であって、精神の帰属先も、神である。
 キリスト教は、人々の帰属意識を共同体から切り離して、神にむかわせた。
 キリスト教的伝統の下でうまれた個人主義は、国家と対立する概念だったのである。
 そこから、抗争や革命、戦争がうまれた。
 結局、個人主義は、宗教という迷妄以外のなにものでもなかったのである。
 
 ●一神教がうんだ一元論
 キリスト教も西洋合理主義も、科学も民主主義も、一元論である。
 正しいものが一つしかない一元論の世界では、内ゲバがはじまる。
 キリスト教とイスラム教、カトリックとプロテスタントの宗教戦争が凄惨なものになったのは、唯一神ヤハウェやキリストをめぐる一元論の戦争だったからである。
 キリスト教もイスラム教も、仏教や儒教も、人間の頭によって考えだされた創唱宗教で、ことば(ロゴス)は、神からあたえられる。
 一神教は、意識と観念、ことばの宗教だったのである。
 一方、神道は、自然宗教である。
 自然界には、精神もことばも、観念も感情もない。
 神道は、自然をはじめ、無心にすべてをうけいれて、心安らかに生を営もうという宗教である。
 すべてうけいれるのは、多神教=多元論だからである。
 一神教=一元論では、排除の思想がはたらく。
 日本では、神道が仏教をうけいれたが、西洋では、宗教戦争がおきた。
 宗教戦争の本質は、「神の前に万人は平等」という個人(プロテスタント)と全体(カトリック=教会)の階級闘争でもあって、ドイツ30年戦争では、人々が殺しあって、人口が半分以下に減ってしまった。
 そのキリスト教がもちだしたのが愛だった。
 神道では、集団主義のなかに愛=情や利他心がふくまれている。
 だが、個人主義のキリスト教では、愛をもちださなければ、他者との良好な関係がつくれなかった。
 その愛の関係が、契約で、西洋は、いまでも、契約社会である。
 神と契約を交わす個人主義が、中世のルネサンスから近世の啓蒙思想や社会契約説をへて、近代のフランス革命やアメリカ革命(独立戦争)に至った。
 そして、個人主義が、人権と平等、民主主義とともに人類の普遍的な価値になった。
 個人主義が市民革命につながったのは、歴史や伝統、国体(文化形態としての国家)よりも、個人が大事とするプロテスタンティズムがはたらいたためである。
 個人主義と権利意識、ヒューマニズムの三位一体を掲げるのが、アメリカやイギリスなどの白人プロテスタント系だが、フランスやロシアなどの革命国家も、基本構造は、個人を全体に優先させるプロテスタンティズムである。
 近代は、その個人主義の上に成り立っている。
 だが、その個人主義にほころびが見えてきた。
 キリスト教にもとづく個人主義や人間主義、合理主義や科学主義が、馬脚をあらわしはじめたのである。
 集団的価値を否定する個人主義は、結局、孤独やエゴイズム、憎悪をうんだだけだった。
 自然破壊と人心の荒廃、犯罪や戦争、テロの恐怖もさることながら、人類は地球を何十回も破壊できる核兵器をもち、二度の大戦で、おびただしい人命を犠牲にした。
 一神教は、神と個人の契約なので、神に、加護や救済、利益を依願する。
 それが、個人主義やエゴイズムなのは、いうまでもない。
 そこから、万人の戦争がはじまるのは、人間は、エゴイストだからである。
 神道は、なにごとも願わない。
 惟神の道(かんながらのみち)にまかせて、安心する。
 神道の神々の予定調和は、すべてのひとの幸で、個人主義とは逆の考え方である。
 共感や共鳴、共通感覚によって、ひととひとがむすばれる。
 神道が理想とする世界観は、地域や共同体、国家とヒトの一体感である。
 キリスト教にもとづく個人主義を捨てなければ、人類は、犯罪や戦争などの暗黒性から永遠に自由になれない。
 今日的な問題でいえば、外国からの移民がふえてくると、自己の利益のみを追求する個人主義がひろく蔓延して、やがて、共同体の精神が崩壊する。
 そのとき、神道共同体としての日本は、大きな危機を迎えるだろう。
 次回は、日本人の心と神道について、あらためて、考えてみよう。
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2019年05月03日

神道とはなにかB

 神道とはなにかB
 ●現実主義に立った神道
 日本人にとって、カミは、偉大な創造主でも、人間の心を支配する超越的な絶対神でもなかった。
 彼岸から人々を見下ろす魔王ではなく、此岸にあって、あるときは、人々に恩恵をあたえる和魂(にぎたま)で、またあるときは、天変地異をひきおこす荒魂(あらたま)でもあった。
 恵みでも禍でもある畏れ多いカミにたいして、人々ができることは、機嫌をそこねないように、お供えをして、丁寧に祭ることだけで、神道の祈りの多くが、荒魂の鎮魂(たましずめ)だった。
 この世には、生と死、恵みと害い、禍と福が交互にあらわれる。
 そこで、カミ、ミコト、ヒトが、お互いにささえあって生きる。
 それが、絶対神がいない神道の世界である。
 神道が仏教をうけいれたのは、カミが、ホトケに救いをもとめたからである。
 神道の最高神官である天皇が、つきつぎ、仏教に帰依した。
 天皇や貴族は、仏閣や仏像、仏画や経典、仏具にふれて、国家鎮護の霊験が大きいと見込んで、大仏までつくった。
 神道は、国の外からやってきた仏陀まで、八百万の神々のうちの一柱にしてしまったのである。  
 すべてが太陽の下にあるという世界観では、天照大神にかなうものはない。
 これは、歴史が培った日本人の伝統的精神で、日本人の宗教心の原点が太陽=自然崇拝にあったのはいうまでもない。
 これは現実主義で、自然崇拝の自然は、まぎれもない現実である。
 日本人は、宗教への関心が薄いといわれる。
 宗教団体に帰属せず、唯一神への帰依、絶対神への信仰がないというのである。
 だが、それだけで、日本人を無神論者ときめつけることはできない。
 日本人の心は、西洋人の心ががキリスト教的である以上に、神道的である。
 ことばから所作、習慣や習俗、精神構造にいたるまで、神道の影響をうけていない日本人がいないのは、神道が、縄文・弥生の大昔から、根っこで、日本精神をささえてきたからである。
 正直や素直、親切や善意などの日本人の民族的美点も、遺伝子のなかにひそむ「神道的なるもの」のはたらきといえるだろう。

 神道と仏教・キリスト教のちがいは、生と死である。
 神道が生の宗教≠ナ、仏教・キリスト教が死の宗教≠ナある。
 ユダヤ教も、神道と同様、死後の世界がないので、生の宗教といえる。
 ユダヤ教の聖書ともいわれるタルムードは、生きる知恵集で、きわめつきの現実主義である。
 神道は、縄文弥生の大昔、主客未分離・神人合一の境地からうまれた。
 一種の神秘主義だが、これは、自然に奇異をみる態度で、現代人にとっても自然は不思議なのである。
 自然が現実主義だったのはいうまでもない。
 ところが、仏教やキリスト教は、死後という空想の世界を説く。
 これは、オカルティズムで、昔の人がこれを信じたのは、信心深かったからである。
 人々が、死について考えるのは、一神教がやってきたあとのことである。
 仏教やキリスト教は、生や現実を否定して、死後にこそ、安らぎとしあわせがあると主張した。
 これは、空想的観念論で、神道の現実主義と相容れない。
 観念論は死をもてあそぶが、現実主義は、あくまで、生を相手にしようとする。
 仏教やキリスト教は死をつかみだし、これをつきつけて、信仰を迫った。
 神は、信仰と死の恐怖を取り引きして、牧歌的だった多神教の世界を暗黒の一神教世界へぬりかえてしまった。
 そして、人々は、死の虜となって、魂の救済や成仏、天国往生をもとめた。
 一神教の根本にあるのが、意識やことばで、キリスト教のバイブルやイスラム教のコーラン、仏教の経典、儒教の五経は、いずれも、観念論である。
 神道に経典がなく、言挙げしないのは、観念論というブラックホールにはまりこんでいなかったからだった。
 日本に、善悪や正邪、仁義礼智などの儒教的な教えがなかったのも、説教を垂れる人格神がいなかったからで、いたら、理屈やこじつけ、ウソがまかりとおって、神道の清澄と元気、正直はなかったろう。
 一神教の信仰をもたない代わりに、日本人の生活には、神道や仏教の教えや価値観が溶けこんでいる。
「無我」や「縁起」は仏教由来で、俳句の季語は、自然崇拝の感性である。
 日本人の精神の帰属先は、観念としての神ではなく、血縁や地縁、共同体や国家などの具体的な実体である。
 日本は、八百万の神々という多様性をもって、外来の神(仏教の仏)をうけいれ、神道と仏教という異質な二つの神を共存させてきた。
 聖徳太子は、仏教や儒教を公的機関から遠ざけて、神道を政(祭政一致)にあてた。
 人間の心や共同体、国家が、観念にのみこまれるのをきらったのである。
 わが国が、建国以来万世一系の皇統をまもりつづけ、神話と実史がむすんだ世界でも稀有な伝統国家を維持できたのは、多神論的な現実主義を立てたからで、一神教的な観念論を立てていたら、内部崩壊をおこして、とっくに滅びていたろう。
 神道は、原始宗教どころか、覚めた精神だったのである。
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