2016年11月29日

 トランプ大統領とアメリカ一国支配の終焉A

 ●日本は対米従属から一国主義へ転回できるか
 一国主義の台頭や孤立主義をとるトランプの登場によって、グローバリズムや軍事的拡張主義が国際緊張を高めた時代は、終わりを告げようとしている。
 現在、国家および国際的危機の原因になりうる要因は、イデオロギーの対立でもパワー・オブ・バランスの歪みでも、まして軍事衝突でもなく、唯一、経済だけである。
 その経済も、最大の問題は、中間層の没落と貧富の格差で、消費の担い手である中産階級の貧困化という資本主義の構造的危機が、いまや、世界的な現象になりつつある。
 生産と消費、貯蓄から成る経済のうち、金融経済として拡張したストックがバブルをつくり、実体経済を破壊する。
 それが不良債権や消費を担う中間層の貧困化である。
 実体経済から奪われたマネーが、一握りの富裕層に独占されるメカニズムが格差社会で、これをささえる理論が新自由主義である。
 世界構造がグローバリズムから一国主義へ移り変わってゆく背景にあったのが、新自由主義の破綻だったのは、だれの目にも明らかだろう。

 例外が中国で、かつての高成長は影をひそめたものの、中国が世界第二位の経済大国たりえている条件の一つに、購買力が旺盛な中間層の存在をあげることができる。
 理由は、管理型の資本主義では、無制限な富の偏在や資産所得の独占などがおこりにくいからで、国家の管理が、皮肉にも、資本主義の欠陥である通貨の不安定性や中間層の没落を防いでいたのである。
 ロシアも同様で、経済制裁やルーブル不安、過剰な輸出依存(地下資源・穀物)などによって低迷していたロシア経済が徐々に安定してきたのは、ロシア型の資本主義が国家管理のもとにあるからで、アメリカのような極端な富の偏在も貧富の格差もうまれていない。

 1980年代以降、新自由主義に傾倒したアメリカ経済は、上位1%が富を独占して、99%が豊かさを享受できない極端な格差社会をつくりだした。
 上位0.1%や0.01%(メガリッチ)が占有する資産が中間層全体(下位90%)の総資産に匹敵するといわれるほどで、アメリカでは、国民総資産の半分以上が1%の富裕層に握られている。
 富裕層が独占する金融資産は実体経済に循環してくることがないので、実体経済が縮小して、中間層が没落する。
 それが世界不況の原因で、リーマン・ショックで失われた資金が、経済活動を鈍化させ、マーケットの資金を枯渇させている。
 現在、欧米の大企業が日本に大規模融資を打診しているのは、大型長期貸付ができるのが、不良債権処理を済ませた日本の銀行だけだからである。
 といっても、日本も、雇用を中心に、いまなお、新自由主義の痛手をひきずっている
 株価が上がっても、実体経済に反映されないのは、アベノミクスが小泉・竹中コンビの新自由主義をひきついだものだからで、金融経済と実体経済の区別がつかない安倍首相が頭をきりかえないかぎり、日本は、中間層の没落と貧富の格差拡大というアメリカ的な荒廃からいつまでたっても抜け出せないだろう。

 米大統領選におけるトランプの勝利は、予想を裏切るものだったが、歴史的な必然性からみれば、むしろ順当で、ロシアのプーチン、中国の習近平が強力な国家主導型資本主義をすすめてゆくなか、新自由主義の毒にあたって死の床にあるアメリカを救えるのは、アメリカ・ファーストのトランプだけだったかもしれない。
 今後、世界情勢は、アメリカの一国支配から米・ロ・中の協調路線へ変わってゆくはずで、第二ブロックを形成するのが日本とドイツ、インドであろう。
 これまでのパラダイムと異なるのは、日本がアメリカに従属する関係にはないことで、戦後70年を経て、日本は、アメリカから離れて、一国主義という未知の領域に足をふみいれる。
 日本がアメリカに従属的だったのは、米ソ、米中が冷戦あるいは対立関係にあったからで、安全保障というフレームのなかでは、日本は、アメリカの極東戦略に組み込まれてしまわざるをえなかった。
 日本の防衛費は5兆円弱で、在日米軍支出が6〜7千億円程度、そのうち思いやり予算が2千億円前後である。
 日本における国家防衛の本隊は、予算5兆円弱の自衛隊ではなく、6〜7千億円のコストがかかる在日米軍である。
 日本が国家防衛を在日米軍に依存せざるをえないのは、核装備をもっていないどころか、敵国への反撃や先制攻撃ができず、軍事衛星システムもアメリカに依存しているからである。
 日本は、約7千億円の支出で、核をふくめた制限のない攻撃がおこなえ、前線に150機の航空機と原子力空母、原子力潜水艦や数隻のイージス艦、5万人の兵力をおしたてた極東米軍を味方につけているわけだが、アメリカの総軍事費は、日本の在日米軍支出の100倍にあたる70兆円である。
 中国や北朝鮮、ロシアが日本に手をだせない理由は、自衛隊がつよいからではなく、日本のバックに軍事費70兆円のアメリカがついているからである。
 トランプが、日本はもっと在日米軍にもっとカネを払うか、自前で核をもてというのは正論で、日本には、在日米軍支出を増額するか、9条を撤廃して核をもち、自衛隊に専守防衛をこえた攻撃能力をもたせる以外の選択肢はない。
 民主党時代、鳩山は、米国と合意した普天間移設を白紙にもどし、防衛大臣は「在日米軍は迷惑施設」と言い放った。
 トランプの「在日米軍撤退」発言の根にあるのが日本不信で、安倍首相がイのいちばんにトランプを訪問したのは、中国の脅威にさらされているアジア防衛にアメリカの存在が欠かせないからである。
 次回以降、日本およびアジアの安全保障と日米と日ロ、日中の新しい関係を展望しよう。


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2016年11月22日

トランプ大統領とアメリカ一国支配の終焉@

 ●「中間層没落」とグローバリズムの破綻
 アメリカを訪問中だった安倍首相が、次期米大統領に決定したドナルド・トランプ氏と会談した。
 90分間におよんだ会談の詳しい内容は明らかにされていないが、世界のメディアは、安倍首相の「トランプ氏は信頼できるリーダー」という発言を大きく報じた。
 一方、トランプ氏もフェイスブックに「偉大なる友情の第一歩がはじまった」と投稿するなど安倍首相が機先を制した新しい日米関係はいまのところ順調な滑り出しを見せている。
 大統領選挙前、トランプの評判は、日米とも最悪だった。
 とりわけ日本では、クリントンとトランプのどちらが日本にとって都合がいいかという視点で語られたため、トランプの過激な発言が警戒され、テレビなどでは反トランプ一色となった。
 専門家も、駐日米軍が撤退して安保体制が崩壊する、日米共同ですすめてきた自由貿易(TPP)が破綻するなどと危機感を煽って、トランプ優勢がつたえられると、一時、株価が下落するありさまだった。
 アメリカでは、メキシコとの国境に壁をつくる、移民を国外に追放するなどの暴言がリベラル派の猛反発を買って、マスコミを中心に反トランプ旋風が吹き荒れた。
 にもかかわらず、優勢をつたえられたクリントンを破って、トランプが悠々と勝利した。
 勝因は「中間層(中産階級)」の没落と「グローバリズムの破綻」という世界的危機が背景にあったからで、過激な発言や極論も、現状打破を望む有権者にはかえって頼もしく聞こえたのである。

 トランプの主張が孤立主義のように聞こえるのは、自国の産業や経済をまもるためで、外交や防衛にかんしては、IS(イスラム国)壊滅のためマイケル・フリン(元国防情報局長官)を大統領補佐官に起用するなど、むしろ対外的には、民主党以上の積極策をとっていく姿勢がみてとれる。
 中国にたいしても、東シナ海と南シナ海における米軍の存在感を高めると明言していることから、現在のアジア安保体制から退却という事態は考えにくい。
 但し、トランプは、政治には素人の経済人なので、政治や外交、防衛の問題を経済の局面から切り込んでくる狡猾さがある。
 駐日米軍の撤退云々も、結局、コストの問題で、中国にたいする外交姿勢も同様である。
 人民元切り下げや知的財産権侵害、環境基準や労働基準、ハッキングにいたるまで、トランプにいわせると「アメリカの雇用とカネをかすめ取っている」という話なのである。
 為替問題についても、中国や日本、メキシコやアジア諸国が通貨を切り下げ、米国の利益を略奪しているという論法をくりだして、アメリカの産業をまもるため防衛的関税を設けるという。
 トランプ流が端的にあらわれたのが税制である。
 年収300万円にみたない低所得者の所得税を免除するほか、税制を段階的に設定して、富裕層にたいしては、税控除や租税回避を減らして、これを実質的な富裕税にしようという構えである。
 法人税を15%に引き下げる一方、最低賃金の引き上げに消極的なのは、労働コストの低い海外に移転した製造業を米国に引き戻すためで、今後10年間で2500万人の雇用を創出するという。
 グローバリズムと孤立主義のいいとこ取り≠狙うのは政治の素人だからだが、その簡明さや大胆さが、今回、有権者の支持をえた最大のポイントとなった。
 というのも、現在、世界を危機に陥れている「中間層の没落」と「グローバリズムの破綻」は、トランプの素人流のやりかたでしか解決できそうにないからである。

 恐慌と過去の2つの大戦は「中間層の没落」から生じたといってよい。
 産業革命やオートメーション化、経営の合理化などによって、少数の富裕層と大多数の中間層のあいだに格差が生じ、富裕層の富の蓄積がすすむほど中間層が貧困化してゆく。
 富の極端な偏在と消費構造の空洞化によって、経済活動が停滞してしまうのが恐慌で、この構造矛盾を解消するため、戦争という大消費と兵役という失業の救済がおこなわれた。
 この悪の構造は、避けることができない資本主義の業で、日本は、官民一体の高度経済成長からや財民一体の所得倍増計画≠るいは法的規制など中間層の没落を回避する工夫をこらしてきた。
 ところが、掠奪型の西洋の経済には「中間層の没落」を防ぐ考え方や仕組みがない。
 あるのは、自由競争や自然淘汰、弱肉強食の論理だけなので、最終的に富が一部に偏在して、中間層の貧困化がすすむ。
 拍車をかけたのが金融経済で、欧米から韓国、ブラジルなどにひろがる中間層の没落は、国際金融が荒れ狂った爪痕といってよい。

 生産と消費にもとづく実体経済は、おのずと限度がある。
 ところが、生産も消費もしない金融経済は、金庫のなかで金利をうみながら無限に拡大してゆく。
 金本位制を離れた金融経済は、実体経済の何倍、何十倍にも膨れ上がってゆくが、実体の裏づけがあるわけではない。
 リーマン・ブラザーズがサブプライムローンなどの空証券を売りまくったあと倒産したリーマン・ショックでは、空証券を買ったヨーロッパなどの銀行が何百兆円もの不良債権をかかえこみ、世界を不況のただなかに叩きこんだ。
 この事件による損失額は、世界大戦の被害に匹敵するともいわれる。
 何百兆円もの損失がうまれたということは、どこかで同額の利得が発生したということだが、ゴールドマン・サックス証券など一握りのグループに独占されて、市場には還ってこない。
 国際金融資本が富裕層の資産まで食って、焼け野原で唯一人の勝者となるのがグローバリズムの正体で、戦争と本質的にはかわらない。
 トランプは、国際金融資本が海外にためこんだ膨大なマネーを低税率(10%)で国内に還流させるという。
 1985年のプラザ合意による円高・ドル安是正によって、日本経済は、円高+金融緩和がうみだしたバブル経済へ突入するが、のちにソロモン・ブラザーズなど米証券に売り浴びせられて、数百兆円もの不良債権をつかまされた。
 トランプと付き合うには、意気投合する前に、アメリカが謀略国家であることを肝に銘じておかなければならない。
 次回以降、アメリカ一国支配から米・ロ・中の三頭支配となるであろう世界情勢と日本がとるべきスタンスについて考えてみよう。
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2016年11月11日

 自主憲法制定と憲法改正C

 ●YP体制の指図書だった日本国憲法
 YPは「ヤルタ協定」「ポツダム宣言」の略で、俗にいうYP体制は、戦勝国が世界の支配者となった大戦後の世界秩序をさしている。
 象徴するのが国連(戦勝国連合)で、戦争に負けた枢軸国の日本とドイツには、いまなお敵国条項が適用されている。
 YP体制は、戦勝国が、戦勝権益を保持しようという体制で、米ソ冷戦から中国革命、朝鮮戦争、ベトナム戦争その他の世界紛争は、国家の支配権や権益、国益をめぐる戦勝国同士の内輪もめである。
 敗戦国の日本とドイツが経済・技術大国になることができたのは、国家権力が競い合う世界版図から除外されていたからで、日独とも非政治・非軍事分野に活路を見出さざるをえなかったのである。
 護憲論者は、戦後、日本が平和だったのは、憲法9条があったからという。
 だが、実際は、国家主権がないため戦争当事国になれなかっただけである。
 戦勝国と紛争がおき、先制攻撃をうけ、領土を奪われても、日本は交戦権を行使できず、敵国条項を掲げる国連の支援もうけられない。
 国益を競い合う主権国家群から除外された半人前の国家が平和主義を謳っているのが戦後日本のすがたで、幼稚園の子どもは大人のゲームに参加できないのである。

 ヤルタ会談は、昭和20年2月、米(ルーズベルト)・英(チャーチル)・ソ(スターリン)の三首脳が降伏後のドイツの管理、国際連合の創設、わが国の領土分割などについて話しあった会談で、このとき、ルーズベルトとスターリンのあいだで、ソ連の対日参戦と日本領土の取得などについて秘密協定がむすばれている。
 ポツダム会談は、ドイツ降伏後の昭和20年7月、米英ソの首脳が対日降伏宣言を発表した会談で、同宣言では、日本が「世界征服」を試みたとして「全日本軍の無条件降伏」「戦争犯罪人の処罰」「民主主義的傾向の復活強化」などが宣せられた。
 これが「東京裁判史観」の土台となるもので、その上にのっかっているのがYP体制である。
 といっても、同体制は、国際的な認知をうけたものではなく、重視している国もない。
 中国や韓国が日本を敗戦国扱いするのは筋違いで、当時、中華人民共和国や大韓民国という国家は存在せず、日本の一部だった韓国にいたっては、多くが日本軍にくわわっていた。

 YB体制なるものの世界的認知が存在しないのは、カイロからヤルタ、ポツダムにいたる会談は、日本封じ込めるためのルーズベルトの個人的策略だったからで、アメリカ政府も国家的決定とみとめていない。
 50年以降、ジョセフ・マッカーシーの赤狩り≠ェ猛威をふるい、ルーズベルト側近の多くが共産主義者として槍玉に上がった。
 ヤルタ会談で大統領顧問として出席したアルジャー・ヒス、ハル・ノートの原案をつくったハリー・ホワイト、日本国憲法の起草や公職追放令に独裁的な権力をふるったGHQ民生局のケーディスや上司のホイットニーらが標的になったが、マッカーシーがいちばんの摘発したかったのは、終戦直前、謎の死をとげたルーズベルトだったはずである。
GHQのスタッフは、軍人のマッカーサー以外、すべてルーズベルトの息がかかったニューディーラーで、かれらは、アメリカで失敗したニューディール政策なる共産主義革命を日本で成功させようという野望を抱いていた。
 そのときに使われたキャッチフレーズが民主化≠ナ、これが国民主権から人民政府へ移行すると議会内で共産主義革命が成立する。
 日本国憲法はそのマニュアルで、ケーディスやホイットニーらが夢見た共産主義革命の道筋が隠語にように書きつづられている。
 主権国家である日本がなすべきは、この革命憲法を破棄することで、憲法を改正することではない。
 改正なら革命憲法の手直しとなって、GHQの占領体制=YP体制をさらにひきずることになる。
 現在の憲法改正は、憲法9条を削除して国家主権=交戦権を回復させようというものだが、国家の自衛権は、国際法(日米安保条約・国連憲章)によって担保されているので、憲法九条は飾り文≠ノすぎない。
 したがって9条改憲論者は、事実上、護憲論者と同じ主張をしていることになる。

 YB体制は、日本嫌いのルーズベルトが共産主義による世界制覇をもくろむスターリンと日本と交戦中の蒋介石をまきこんだ日本封じ込め戦略で、これがソ連の超大国化と中国の共産化をまねき、北朝鮮をうんだことから、アメリカの謀略というよりは、ルーズベルトの愚かさに帰されるべきである。
 ルーズベルトは、ヤルタ・ポツダムにおいて、スターリンや蒋介石に常軌を逸した迎合を重ねている。
 ソ連の参戦および樺太南部の返還と千島列島の引き渡しは、ルーズベルトとスターリンの個人的な約束だったとして、アメリカは、国家の関与をみとめておらず、事実、米国務省も軍も、ソ連の動向をつかんでいなかった。
 ポツダム宣言に「カイロ宣言の条項は履行される」とある同宣言(ルーズベルト、チャーチル、蒋介石)に日付や署名がないのは、ルーズベルトと蒋介石の謀略だったからで、チャーチルは、国会答弁で、ルーズベルトに騙されたと証言している。
 カイロ宣言では、満州や台湾、澎湖島に中国への帰属、1914年以後獲得した太平洋上のすべての日本領島嶼の放棄、朝鮮の独立が謳われ、これがポツダム宣言にひきつがれた。
 日本憎しにこりかたまったルーズベルトは、明治以後、日本が獲得した領土や権益をすべてスターリンと蒋介石にただでくれてやったのである。
 YP体制は、畢竟、スターリンの野望とルーズベルトの愚かさがもたらしたものだが、戦後70年がたち、その歴史的影響力は完全に消滅している。
 にもかかわらず、日本でYP体制が維持されているのは、敗戦とGHQ体制を利得とした日本人がみずからつくりあげたものだからである。
 GHQの公職追放令によって、大学や論壇、教育界や歴史学会、マスコミや法曹界、官界など日本の知的階級がケーディスやホイットニー好みの共産主義者に占領されることになった。
 YP体制を構築し、内側からささえているのは、護憲と議会内革命の立場に立つ日本の左翼インテリ層で、YP体制打破をいうなら、その標的となるものは、日本国内で大手をふっている敗戦利得者なのである。
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2016年11月04日

 自主憲法制定と憲法改正B

 ●ハル・ノートからポツダム宣言、憲法へつながる点と線
 現憲法とハル・ノート、ポツダム宣言は一本の線でつながっている。
 根底に流れているのが白人優位の思想で、とりわけ日露戦争以後、5大国の一つにのしあがってきた日本をねじ伏せようというアングロサクソンの意思がはたらいている。
 アングロサクソンと日本の対立関係は、日本が人種的差別撤廃提案を出したパリ講話会議(1919年)に端を発し、ルーズベルトとチャーチルによって調印された大西洋憲章(1941年)をへて、米英首脳が日本への原爆投下と工業施設の全破壊、武装解除を約した「ハイドパーク協定」(1944年)にいたって、いよいよ熾烈になってゆく。
 大西洋憲章は、表向きはナチス・ドイツにたいする共同戦線だが、実際には白人国家中心の世界再編で、有色人種はこのプランから除外されていた。
 これに対抗して、日本が提唱したのが大東亜共同宣言(1943年)だった。
 日本は、有色人種国家が白人国家と同等であることを堂々と世界に宣言したのである。
 その意味で、大東亜戦争は、白人と大和民族の決戦だったといえる。

 日米戦争は真珠湾攻撃(1941年)からはじまったのではない。
 盧溝橋事件(1937年)直後からの蒋介石への武器援助(援蒋ルート)や米退役軍人を中心とする義勇軍「フライング・タイガース」派遣(1941年)によって、日米のたたかいはすでに開始されていた。
 一方、ルーズベルトは、ヒットラーの脅威にさらされていたヨーロッパ戦線への参戦をもとめるチャーチルの要請を、表向き、大統領選挙の公約を口実に退けている。
 アジアで秘密裏に戦争をすすめ、口先で平和主義を唱えたのである。
 三期目(1940年)の選挙戦で、ルーズベルトはこんな演説をしている。
「わたしは皆さんにお約束をいたします。あなた方の息子さんたちは、いかなる理由があろうとも、けっして戦場に送られることはないのです」
 このとき、イギリスに航空機2万6000機をふくむ大量の武器援助をおこなう計画を発表したルーズベルトは、1941年にレンドリース法を成立させ、中華民国やイギリス、ソ連、フランスなどの連合国にたいして武器や弾薬、戦闘機、軍需物資など終戦までに巨額(現在価格7000億ドル)の軍事援助をおこなっている。

 そのうち22パーセントがソ連向けで、当初、事実上の英米同盟だった連合国は、いつのまにか米ソ同盟へと変貌していたのである。
 革命国家が伝統国家を打ち破ったのが、第二次大戦の本質で、戦争に勝ったのは、米ソの二大大国と中華民国を台湾に追い払った中国だけだった。
 ルーズベルトは大統領に就任(1933年)すると共和党などの反対をおしきってソ連を承認している。
 ニューディール計画をとおして共産主義の影響をうけたルーズベルトのソ連びいきと生来の中国好きは度外れたもので、ルーズベルトの盟友は、チャーチルからスターリン、蒋介石へと移っていった。
 ルーズベルトの中国好きは、阿片戦争の時代からアヘンをふくむ中国貿易をおこなっていた祖父の影響で、一方、その中国を侵略している日本にたいして、つよい嫌悪感をもっていた。
 中国を過大評価していたルーズベルトは、米英の支援をうけた蒋介石の国民党軍をダミーにして、海と空から日本を攻撃する計画を立てていた。
 日本軍を撃破した国民党軍が朝鮮半島から日本本土に侵攻する一方、中国に駐留する米軍のB29が日本本土へ空襲をかけるというもので、その計画にもとづいてつくられたのが焼痍爆弾である。
 だが、日本軍のビルマ侵攻(1942年)によって援蒋ルートを断たれただけではなく、大陸打通作戦(1944年)で大打撃を受けた国民党軍は、日本軍を撃破するどころか連戦連敗で、蒋介石も大陸内部(重慶)へ逃亡したままだった。

 ルーズベルトが蒋介石を支援したのは、蒋介石政権が弱体化すれば、日本と単独講和をする可能性があったからである。
 そうなれば、日本を戦争にまきこんで、中国と満州の利権を奪い、太平洋の西半分を勢力範囲とする日本を無力化するという構想が根こそぎ崩れ去ってしまう。
 ルーズベルトが、蒋介石に巨額の軍事援助や借款、カイロ会談出席や台湾の返還、沖縄領有、四大強国扱いを約束したのは、対日戦線から離脱させないためだったが、ルーズベルトのこの個人的執念は、米国務省にまったく知らされていなかった。
 ルーズベルトに批判的だったのがチャーチルで、中国を対日軍事拠点とすることや蒋介石のカイロ会談への出席、台湾の中国返還、スターリンにたいしてと同様、45年に設立される国連の常任理事国入りにも反対した。
 だが、チャーチルは、英国内の選挙に負けて、ポツダム会議のさなか急きょ帰国、以後、国際政治の表舞台からすがたを消す。
 戦後、植民地を失ったヨーロッパは凋落し、世界の主役は、米ソ二大強国と中国となった。
 その構図がそっくり反映されているのが戦後日本で、東京裁判史観のなかで、親米派と親中派・親ソ派が政権を争っている。
 それがYP(ヤルタ・ポツダム)体制で、その象徴が、GHQによって国体と国家主権を廃棄させられた憲法である。
 次回はYP体制と憲法を重ね合わせて論じよう。


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2016年10月28日

 自主憲法制定と憲法改正A

 自主憲法制定と憲法改正A
 ●対日謀略の最終点だったGHQ憲法
 自主憲法制定に消極的だった自由党の吉田茂にたいして、日本民主党の鳩山一郎、岸信介、重光葵、石橋湛山らは積極派で、吉田退陣後の55年、両党が合同して以来、自主憲法制定が自由民主党の党是となった。
 55年体制は、左右に分裂していた日本社会党が統一して、護憲勢力の三分の一議席を確保したことに危機感を抱いた自由党と日本民主党が、憲法改正に必要な三分の二議席をめざした勢力版図で、自民党は、自主憲法制定のためにうまれた政党なのである。
 憲法改正とは、憲法96条のよる法手続きのことで、憲法の内容を改正するという意味ではない。
 かつて自民党が掲げたのは自主憲法制定で、それには憲法96条の手続きをふまねばならないので、便宜上、改憲という用語がもちいられた。
 ところが、現在、政界からマスコミにいたるまで、憲法の内容を変更するという意味合いで、憲法改正や改憲派ということばをもちいている。
 改憲論者は、数十回も憲法改正をおこなっているドイツに倣うべきという。
 だが、ドイツ基本法と日本国憲法では成り立ちや性格がまったく異なる。
 ドイツの基本法は自前だが、日本国憲法は、占領中のGHQがつくったもので、事実上の占領基本法である。
 したがって、憲法を改正するだけなら、占領基本法をひきつぐことになって、自前の憲法をつくったことにはならない。
 憲法改正(96条)の前にあるべきは敗戦処理としての憲法破棄で、日本は戦勝国による占領支配が終わった段階で、憲法と皇室典範および11宮家の臣籍降下を原状に復すべきだったのである。
 戦後70年も経て、戦勝国が敗戦国の無力化をはかった占領法規に縛られていて、主権をもつ独立国家としてふるまい、未来を拓く国家戦略を描けるわけはない。

 憲法にかかる論点はいくつかあるだろう。
 一つは正義性と正当性である。
 戦勝国が敗戦国に法の変更を強制するのは「ハーグ陸戦条約」違反で、連合国の対日降伏条件である「ポツダム宣言」にも反している。
 同宣言には、陸海軍の即時無条件降伏(1〜5項、13項)と武装解除(9項)、日本本土の占領(7項)、「世界征服の挙に出つるの過誤」の受け入れ(6項)、基本的人権の確立(10項)、領土縮小(本州、北海道、九州、四国以外の領地主権の放棄/8項)など全13項から成るが、新憲法制定について一言もふれていない。
 日本がマッカーサーの憲法草案をうけいれた理由は、日本に主権がなかったことにくわえて、戦後処理に奔走した幣原喜重郎首相がマッカーサー司令官に全面的に屈服したからだった。
 マッカーサーは、民主憲法の早期制定をすすめなければ、天皇の戦犯指名をもとめる連合国の圧力をはね返すことができないと幣原を説得している。
 女性参政権や労働組合の結成、教育や経済、農地などへの国家不干渉の原則は、マッカーサーと幣原の合意で大筋がきまったが、これらの民主化政策がすべて憲法にもりこまれることになった。
 日本に国家主権がなかった敗戦直後、戦勝国によって、大規模な国家改造がおこなわれ、それがすべて憲法に収斂されている。
 現行憲法が占領基本法である証左は、天皇のほか国務大臣、国会議員、裁判官らに憲法の尊重と擁護の義務を負わせている憲法99条である。
 99条は国家主権の否定で、主権をもっていたのは、憲法草案をつくったGHQでありマッカーサーだった。
 天皇にさえ服従を命じる99条は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が日本国を支配下においたという宣言で、戦後日本は、この屈辱的な条文を最高法規(第十章)としてきた。
 アングロサクソンと大和民族の決戦となった前大戦では、人種差別観にもとづいた原爆投下や都市空襲で非戦闘員の大量殺戮をおこなったアメリカに一片の正義もみとめられない。
 GHQの日本占領は、その延長線上にあって、国体の破壊と共和制化という国家改造計画が戦後日本の礎になったという左翼の言は妄想にすぎない。
 
 二つ目は謀略性である。
 日米戦争は、アングロサクソンと大和民族の決戦だが、仕掛けたのは米英であって、日本ではなかった。
 日本側は、天皇以下、政府が日米開戦を避けるべく努力をかさねたが、これを退けて、経済封鎖と内政干渉で日本を追い込んだのはアメリカだった。
 日米戦争は、日本海軍によるパールハーバー攻撃以前から、アメリカの手によって計画的にすすめられていた。
 米英は2つの援蒋ルート(南部仏印とビルマ経由)を使って、中国軍に大量の戦闘機・戦闘車両・重火器だけではなく、空軍兵士(フライング・タイガース)を送り込み、日本軍と交戦状態(日本側の損失記録/被撃墜115機、戦死者300名)にはいっていた。
 アメリカが狙っていたのは、支那の植民地化と日本が支配していた満州国の利権で、その軍事行動は、中国大陸ですでに火蓋が切られていたのである。
 フライング・タイガースは、中国軍を装って、従爆撃機で日本の都市を空襲する計画を立てていた。
 フライング・タイガースによる日本本土空襲が実際におこなわれなかったのは、支那戦線で日本の戦闘機が優勢だったからだが、それでも、加藤隼戦隊との死闘は後世まで語り伝えられている。
 フライング・タイガースによる挑発に失敗したアメリカは、新たな謀略を仕組む。
 日米戦争開戦直前の日米交渉において、1941年、アメリカ側から日本側に提示されたハル・ノートである。
 次回以降、ハル・ノートからポツダム宣言にいたる謀略の経緯をみていこう。



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2016年10月21日

 自主憲法制定と憲法改正@

 ●現憲法破棄が前提となる憲法議論
 自主憲法制定もしくは憲法改正は、戦後70年にわたって日本を縛ってきた最大の政治課題である。
 独立国家が、戦勝国からおしつけられた武装解除条項(9条)や国体と相容れない条文をもりこんだ憲法を70年間もひきずってきて、混乱や摩擦をひきおこさないわけはない。
 事実、これまで憲法訴訟は、国家の名誉や利益、伝統を破壊しようとする反体制派の道具になってきた。
 99条は、国務大臣から国会議員、裁判官どころか天皇にまで憲法への尊重擁護義務を命じている。
 GHQの戦後処理としての日本国憲法は、国家主権と国体の歴史的神性を根こそぎ否定しているのである。
 自主憲法制定が実現しなかった理由は二つあるだろう。
 一つは「3分の2(各議院の総議員)」条項で、GHQは、憲法改正を困難にするため、民主主義の原則たる過半数の原則を破って、3分の2という高い壁を設けたのである。
 もう一つは、3分の1議席を確保した旧社会党ら護憲勢力の存在だった。
 非戦平和主義や非武装中立論、反米や反安保、親ソ・親中は、護憲派からうまれた政治勢力で、日本では、GHQの日本弱体化計画≠ひきついだ左翼や反日主義者が堂々と憲法の庇護をうけ、政界においても、護憲派の衣を着た反日派が、野党として、議会の一角を占めている。

 これまで、憲法議論が深まらなかったもう一つの理由は、改憲・護憲が政争の具に供されてきたからである。
 改憲派と護憲派の多数派工作に紛れて、アングロサクソンの対日敵対政策や戦争挑発、ハルノートとポツダム宣言の謀略性、ハーグ陸戦条約違反の法改正など現行憲法がうまれた経緯や事情、時代背景にふれることなく、憲法議論を保革のイデオロギー論争へとすりかえてきたのである。
 この議論が愚劣の極みだったのは、現実や歴史的事実をみることなく、憲法を「平和と戦争」という空想論にしてしまったことだ。
 護憲派が平和主義の原典とする九条は、戦勝国による敗戦国にたいする将来にわたる武装解除命令で、当時、日本の主権者だったGHQにとって、当然の措置だった。
 そのどこが平和のシンボル≠ナあろうか。
 このヘーワボケは、戦勝国の占領基本法を国家基本法として有り難がっているところだけにあるのではない。
 国家主権(交戦権)が放棄された憲法を放置してきた戦後70年は、国家の本質を歪めるのに十分すぎる歳月で、現在、日本は、世界有数の軍事力の法的根拠を外国との軍事同盟(日米安保条約)に依拠している。
 憲法上、日本は国軍をもてないからである。
 法的効力をもたない憲法9条を立てた子どもだましのような平和主義運動に東大教授や大新聞、野党らが血道をあげている。
 憲法議論を不毛なものにしているのはこの幼児性なのである。

 憲法は、GHQの謀略であって、対日政策の偶発的な産物ではない。
 アングロサクソンと大和民族の宿命的な対決が、原爆投下を経て、決着したのが憲法で、発端をたどれば、第一次大戦後のパリ講和会議(1919年)にゆきつくだろう。
 日本全権団は、パリ講和会議の席上で、新設される国際連盟に「人種平等の原則」をもりこむよう主張した。
 猛反対したのが、アメリカとイギリス、オーストラリア、カナダのアングロサクソンだった。
 日本の提案にフランスやイタリア、ギリシャ、ポルトガル、中華民国などが賛成して、日本の提案は多数決(11対5)でうけいれられるかにみえた。
 ところが、議長のウィルソン大統領が、突如、全会一致の原則をもちだして日本の提案を退ける。
 黒人奴隷に手を染めてきた英米、アボリジニを狩りで全滅させた白豪主義のオーストラリア人らにとって、人種差別撤廃という日本の提案は、有色人種の反逆以外の何ものでもなかったのである。
 日本封じ込めという暗黙の戦略≠ェできあがったのは、それ以来のことで、その決着となったが、チャーチルとルーズベルトの「ハイドパーク協定」(1944年)だった。
 このとき、英米首脳は、日本への原爆投下と工業施設の全破壊、武装解除を約している。
 憲法9条は原爆投下と対になっていたのである。
 護憲派は、9条は平和のシンボルというが、それなら原爆投下は、平和の白鳩ということになる。
 次回以降、憲法をとおして、原爆投下で決着がつけられたアングロサクソンと大和民族の闘争をふり返ってみよう。
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2016年10月13日

右翼と左翼C

 ●右翼の本質は防衛にあり
 右翼の本質は、防衛にあって、攻撃にはない。
 歴史や文化、風土、習俗などの民族的価値をまもるのが右翼で、みずからをまもることができない伝統の守護者としてふるまう。
 伝統をまもることが困難なのは、無防備だからで、千年の蓄積も、タリバンに破壊されたバーミヤン大仏のように、一発の大砲で粉々になる。
 防衛は、攻撃よりもはるかに戦略的意味が重い。
 攻撃は、失敗しても撤退するだけだが、まもりに失敗すればすべてを失う。
 神風に破れた蒙古軍は遠征船団を失っただけだが、日本軍が負けていたら国家を失っていたろう。
 神風特攻隊が散華したのは、本土防衛軍だったからで、防衛は、攻撃よりも壮絶なたたかいになる。
 右翼がまもるべきは、物質的な価値や権力ではなく、精神性や無形の文化である国体である。
 伝統をまもるのがむずかしいのは、攻撃をうけるのが、目に見ることができない精神文化だからである。
 それが三島由紀夫のいった文化防衛で、三島は、命を捨てて国体や日本精神という無形の文化をまもろうとした。

 文化という内面を侵蝕されるとつぎは文明という外面の崩壊がはじまる。
 アメリカ民主主義とGHQ憲法が、かつての誇り高き道徳国家をアメリカに追従する二流国にしてしまったのは、権力がはたらいたからではなく、国体という内面を侵蝕されたからだった。
 国体は空気のようなもので、だれも意識することがない。
 その無意識が国体の真のすがたで、国民は無言でこれをささえている。
 日の丸を振って愛国心を訴え、政治スローガンを叫ぶのが国体護持ではない。
 無自覚なほどにクニに同化して、日本人であることに誇りをもって、国体はまもられる。
 特攻隊員の遺書をみてわかるように、かれらは、祖国愛と高い教養、強靭な精神力をもっていた。
 それが右翼=防人の本質で、国家をまもるには、まもるべき国家に惚れきる純粋性や熱情、歴史や文化につうじる聡明さがもとめられる。

 かつて、右翼が反共と同義だったのは、共産主義革命から国体をまもるためだった。
 共産主義は、国体という歴史の連続性と文化の蓄積を根こそぎ否定した権力構造で、いわば国家自体が、共産主義が管理する監獄となる。
 中国でおきた共産主義革命が、戦後、日本でおきなかったのは、容共政策をとったGHQが反共へ転じたためで、朝鮮戦争がおきなかったら、日本も共産化されていた可能性が多分にあった。
 国体が失われる危機となるのが、敗戦と国家分裂、そして革命である。
 前後、日本にその三つの危機がいちどきに襲ってきた。
 敗戦と連合国による分割統治、そして左翼の大躍進によって、日本は、革命前夜の情況になった。
 連合国による四島分割統治と天皇の戦犯指名を免れて、一応、危機を脱したものの、深い傷跡が残った。
 日本の支配階級が、右翼からそっくり左翼に入れ代わったからである。

 戦前の一般的な日本人は、現在の感覚でいうならすべてウヨクで、民族主義者であることが徳の一つに数えられていた。
 ところが、戦後日本は、霞ヶ関をはじめ教育界や大学、法学や歴史学などの学会、大新聞などのエリート階級が、戦前戦中、アカや非国民と呼ばれて社会の中枢から外れている人々に占領された。
 戦後日本では、敗戦直後の革命の危機は脱したものの、公職追放とGHQの容共主義によって、左翼革命に準備が着々とすすんでいたのである。
 それを阻止したのは、天皇と皇室を敬愛する一般国民だった。
 左翼は国体とともにある国民の前で身動きがとれなかったのである。
 だが、現在、日本を危機に陥れているのは、日本共産党が議会で一定の議席を占める共産主義ではない。
 危険なのは左翼よりも反日で、左翼が政権を狙うのにたいして、反日は、国体の破壊を目的とする。
 国体が崩壊すれば、国家主権(交戦権)をもたない日本は、革命をおこさずとも、国家としての機能と体裁を失って、アメリカか中国の属国にならざるをえない。
 反日主義は、国家の主権を他国にゆだねようという売国イデオロギーなのである。
 左翼には政権を争う保守が対抗する。
 だが、反日は、メディアや教育などをつうじて、じわじわと国民生活に浸透する。
 反日攻撃の防波堤となるのが、国体の防人たるウヨク=民族派である。
 現在、ウヨクと呼ばれているのは、戦前の日本人の精神を継承している人々で、ふだん市井に埋没しているが、国体がおびやかされたときは立ち上がる。
 右翼の本質が防衛にあるというのはその意味合いなのである。
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2016年10月11日

 右翼と左翼B

 ●国体を破壊したのはGHQではなく戦後左翼
 戦後、国体意識が失われたのは、GHQの情報工作のせいだけではない。
 GHQは、三大紙による「天皇制存廃世論調査」で天皇支持が9割をこえた事実をふまえて「天皇制があるからといって民主主義的ではないとはいえない」と正式にコメントしている。
 国体破壊の意図がなかったというより、GHQには、国体にたいする認識がほとんどなかったのである。
 国体意識を破壊したのは、日本共産党や日教組、労組などの革命勢力とこれに同調したマスコミや学会、言論界、GHQによって再編された官界だった。
 GHQの公職追放令によって20万人以上の要人が公職から追われ、日本の中枢機構が左翼に占領された。
 日本の左翼は、GHQによって息を吹き込まれ、GHQの日本弱体化戦略をひきついだ反日勢力で、そのスローガンとなったのが、平和憲法だった。
 憲法は改正が可能で、神道指令や言論統制のような占領政策は、講和が成立すれば解除される。
 だが、日本の中枢機構を左翼一色にした公職追放令は、解除不能なので、百年の禍根となって日本を呪いつづける。
 日本人である戦後左翼・反日は、革命の妨害となっているのが、右翼や保守ではなく、日本人の精神に根ざした国体であることを知っていたのである。

 かれらが目の敵にしたのが皇国史観で、天皇から君が代、日の丸に至るまでが、反皇国史観の名目で攻撃目標となった。
 祝日(旗日)に玄関に日の丸を掲げる風習がなくなったのは、GHQが日本から引き揚げたあとのことで、日教組や労組、大新聞が、日の丸=軍国主義という教育や宣伝をおこなったためだった。
 軍国主義の元凶とされた皇国史観や神話も排除されて、国史ならぬ天皇不在の日本史がつくりあげられた。
 日教組と歴史学会、教科書出版社、文部省は、国史が皇国史観を連想させるという理由から自国の歴史書を外国の歴史書のように日本史としたのである。
 国体という日本精神は、左翼革命運動のターゲットなって、抹殺されたといってよい。

 サンフランシスコ講和条約がむすばれてGHQが撤退した4年後、日本では憲法改正をめぐって大きな政治的変動が生じた。
 左右両派に分裂していた日本社会党が統一されて、憲法改正の阻止に必要な3分の1議席を獲得すると、憲法改正を目指す保守勢力も、自由党と日本民主党が合同して自由民主党を結成、議席の3分の2弱を確保する。
 これが「55年体制」で、このとき日本共産党も大きな変貌をとげた。
 それまでの武装闘争路線を捨て、議会内革命路線をとるのである。
 日本共産党にとって、国体が抜き去られている憲法は革命運動の障壁にならないどころか、国民主権は、むしろ追い風となる。
 革命は、暴力であれ選挙であれ、国民(人民)主権の名目の下で独裁政権を樹立することだからである。
 妨害になるのは歴史と文化の実体たる国体だけだった。
 だからこそ革命は殺戮と破壊によって過去を消滅しようとする。
 だが、戦後日本では、左翼の手で国体がほぼ完全に否定されていた。
 日本共産党にとって、GHQによって改造された戦後は、革命前夜の情況だったのである。

 危機感を抱いた保守陣営のなかでまっ先に行動をおこしたのが、検事総長や法務大臣、防衛庁長官などを歴任し、政界引退後、自由民主党の院外団「自由民主党同志会」を率いた木村篤太郎だった。
 木村は、法務総裁だった当時、国粋会など全国の任侠団体を結集した「反共抜刀隊」計画を立てている。
 右翼の大同団結は吉田茂の反対で実現しなかったが、これが任侠右翼として60年安保闘争以後までも引き継がれる。
 これが、極右と呼ばれるグループで、いまは多くが民族派を名乗っている。
 極右は、極左の反対勢力という意味合いなので、共産主義革命が過去のものになった現在、反共としての存在理由もなくなった。
 極左は、日本共産党が武装闘争方針の放棄を決議した「六全協」(1955年)以降、同党を離脱した武闘(極左冒険主義)派らが結成した共産主義者同盟や共産同・ブント、革共同中核派、革共同革マル派、革労協、社労党などの過激派のことである。
 だが、あさま山荘事件で連合赤軍(赤軍派・京浜安保共闘)が壊滅したのち内ゲバをくり返すだけの殺人集団へ転落していった。
 極左が全滅したのは、かれらがもとめたのが政治権力だったからである。
 武装蜂起による世界同時革命が荒唐無稽だったというより、共産主義自体が崩壊して革命という政治目的が消失した。
 一方、権力と政治から切り離されている極右には、依然として、国体の護持という目的が残された。
 右翼が担っているのは文化防衛であって、政治権力の奪取を目的としない。
 右翼が左翼と敵対したのは、革命が国体破壊をともなうからで、社会主義に反対したわけではない。
 戦前の右翼の多くが、北一輝や大川周明のように天皇の下の社会主義思想を構想していた。
 右翼は国体の防人で、本来、政治や経済、法や制度には関与しない。
 次回は右翼と左翼、国体と政体についてさらに論をすすめよう。
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2016年10月04日

 右翼と左翼A

 ●権力(政体)と民族の魂(国体)
 右翼と左翼、保守と革新ということばは、思想でも文化的な概念でもない。
 自由や平等が普遍的な意味や内容をもつのにたいして、革命に同調するか否かという区分けでしかなく、レッテルのようなものにすぎない。
 中世的な国家を近代的国家へ脱皮させたのが市民革命で、このときはじめて右翼や左翼、保守と革新という概念がうまれた。
 革命派が革新なら反革命が保守で、この両陣営が議会で、右翼(反革命)と左翼(革命派)を占めたことからイデオロギーの対立が政治の中心となった。
 ヨーロッパにおいて、権力が政治へ、政治からイデオロギーへ移っていったのには2つの段階があった。
 一つは王権神授説で、もう一つが市民(共産)革命である。
 暴力を土台にする権力が、施政権・徴税権をもつ政治権力へ発展していくには、王権が神から授かったという神話が必要で、中世ヨーロッパでキリスト教が絶大な力をもったのは、王権と教会が二人三脚を組んでいたからだった。
 王権神授という正統性をえた権力は、領主から国王へ登っていって、ついに国家をつくりあげる。
 国家主権のソブリンティは絶対君主権の意で、ヨーロッパでは、国家が王権神授説からうまれたのである。

 西洋においては、政治は、施政から徴税、戦争に至るまですべて権力の操作で、近代の民主主義や国家概念、法なども権力のカテゴリーにくくられる。
 革命は、それまで王権のもとにあった権力を人民もしくは人民の名を騙った反王権派が奪うことで、左右や保革は、革命イデオロギーをめぐる権力闘争の構図にほかならない。
 革命によって権威を失った権力構造は、延々と権力抗争をくり返して、最終勝者が焦土と化した国土の上に新しい国家を建設する。
 したがって、新国家はただの権力機構で、軍事力以外なんら権力の正統性をもたない。
 先進国が民主主義を唯一の国家規範とするのは、革命国家だからで、歴史を否定した国家は、伝統ではなく新規を、文化ではなく権力を国家の背骨にせざるをえないのである。

 暴力革命による全体主義を回避した穏健派が立てたのが議会主義と民主主義で、のちにこれらの国々が、かつてのソ連や東欧、中国の共産陣営にたいして自由陣営と呼ばれることになる。
 自由陣営にふくまれる米英仏も革命国家で、共産主義国家と民主主義を共有する。
 自由陣営が間接民主主義(議会・普通選挙)なら、共産陣営は直接民主主義(人民政府・一党独裁)で、革命国家は、民主主義以外のいかなる国家原理ももたないのである。

 伝統(権威)と武力(権力)が一体化していた古代国家(王国)が消滅したのは、権威と権力が一元化されていたからで、両者が摩擦をおこすと、権威はひとたまりもない。
 権力は、歴史や宗教、民族や土着文化ではなく、暴力に根ざすので、国土や歴史ととともにある民と対立関係に陥らざるをえない。
 そこから専制政治や恐怖政治、さらに革命の火種が生じるのは、力で奪った権力は、力に脅かされるからである。
 そのとき登場してくるのが、右翼と左翼、保守と革新の概念とイデオロギーである。
 伝統を破壊した権力が、革命をめぐって、二つに分裂して衝突するのである。
 それが近代政党の歴史だが、日本の場合、その原則があてはまらない。
 日本には、西洋で消滅した国体が残っているからである。
 革命をめぐって生じた右翼左翼、保守革新というフレームでは、国体という歴史的な文化構造をとらえることはできない。
 日本の保守党=自民党には、国体の防人として、政策政党の枠組みを超えた使命が課せられている。

 かつてクニは、神話や素朴な宗教心、習俗などの文化概念によってみずからを統一した祭祀共同体で、邪馬台国(大和朝廷)の女王卑弥呼は、軍事力ではなく祈祷でクニを治めた巫女だった。
 現在の日本は、大和朝廷と歴史的連続性を有しており、天皇は、大和朝廷を建てた神武天皇の男系子孫(万世一系)である。
 日本が伝統国家として、世界から尊敬をうけているのは、権力と合理性だけからできている革命国家にとって、歴史的遺産や価値が現体制をささえているという事実が驚異と羨望の的だからである。
 自民党にもとめられているのは、革命国家の保守主義(カンサバティブ)ではなく、伝統国家の国体思想であって、その象徴がまさしく天皇なのである。

 わが国は、革命を経験していない伝統国家である。
 したがって、革命国家とは歴史の構造が根本的に異なる。
 革命国家が歴史を否定した国家なのにたいして、伝統国家は歴史の積み重ねの上に成立した国家だからで、王権神授説の神話を創作する必要もなく、伝統的価値観にとって代わる民主主義を立てる必要もなかった。
 日本の右翼も、政治や権力ではなく、天皇の歴史と国体という文化をまもる勢力であって、拠って立つところは、祖国愛という精神性である。
 右翼が特異な存在となるのは、祖国防衛の熱情が、イデオロギーや論理ではなく、民族の魂から発せられるところにあるのである。
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2016年09月23日

 右翼と左翼@

 ●民族派・愛国者を右翼と呼ぶ誤り
 保守と右翼、革新と左翼、民族主義とナショナリズムが混同されている。
 好例が安倍政権は右翼≠ニいうレッテルである。
 安保法制をとおした安倍首相を野党が「戦争が好きな首相」と呼び、右翼と呼ぶような雑な物言いがまかりとおって、まっとうな政治議論が成り立つはずがない。
 この手の用語の誤用が、マスコミでも堂々と横行している。
 とりわけ乱用されているのが右翼ということばで、左翼陣営やリベラル派には、右翼が悪の代名詞になっている。
 かつて左翼は右翼反動≠ニいうことばを好んで使った。
 もともと、右翼や左翼ということばは、フランス革命当時、王党派が議会の右側、革命派(ジロンド派)が左側に座ったことに由来している。
 その後、穏健なジロンド派が急進的なジャコバン党に追い落とされ、さらにジャコバン党がモンターニュ派、社会主義的なバブーフ派によって次々に議席を奪われるに至って、フランス革命は、次第に血なまぐさいものになっていった。
 右翼を悪とする戦後の風潮に、左翼や改革、革命や急進派を善とする気風が潜んでいる。
 日本は、朝毎系列メディアを中心に、戦後の左翼風をまだひきずっているのである。

 左翼は、フランス革命議会を進歩的として、これに反対する勢力を反動的と批判して右翼反動≠ニいうことばをつくりだした。
 右翼は、革命議会における議席の位置にすぎず、反動は革命用語である。
 したがって、革命を経験していない日本では、右翼も反動も、なんら具体的な内容をもちえない。
 保守主義も、進歩主義や革新派の反義語で、ヨーロッパでも、フランス革命以前には、存在しなかった。
 右翼や左翼、保守や革新という用語は、革命にまつわる観念なので、革命を経験していない日本では、意味をなさない。
 西洋から政治を学んだ人々がいくら声高に保守主義をいっても、説得力がないのは、日本と西洋では、国の成り立ちが異なるからである。
 西洋の国々は、国連安保常任理事国(米・英・仏・ロ・中)を筆頭に革命を経験している。
 したがって、保守と革新、右派と左派(リベラル)のあいだで争点がうまれる。
 だが、わが国は、革命を経験していない伝統国家なので、革命国家のような政治的争点がうまれにくい。
 戦前の大政翼賛会は、戦争という国難の前に右も左もなかったからである。

 伝統国家は、国体という歴史の連続性を国家の柱とする。
 保守主義などと言い立てずとも、国体が保守の大黒柱で、伝統国家では、保守思想が国是なのである。
 戦後、左右の対立が激化したのは、左翼が国体転覆をはかったからで、敗戦とGHQの対日民主化政策によって、日本は、国体を失った革命前夜の国家となったのである。
 60年安保の前年、日本中の民族主義80団体が全愛会議(全日本愛国者団体会議)を結成したのは、その危機感からで、1964年の第6回大会までに加入団体が440にもふえた。
 全愛会議の綱領は「国体護持」「反共協同戦線」で、みずから右翼を名乗ったわけではない。
 民族主義者や愛国者が右翼とよばれたのは、革命勢力=左翼と敵対したからで、左翼の敵ならば右翼という短絡からである。
 そこから右翼暴力団≠ニいう造語がうまれた。
 60年安保闘争には、自民党の要請をうけて、多くの任侠団体が動員された。
 だが、安保闘争が終わると、政治結社を名乗って革命勢力と対抗した任侠団体は、警察の大弾圧をうけて、政治の世界からすがたを消す。
 左翼も六全協(日本共産党第六回全国協議会/1955年)以降、共産党を離れた極左軍事冒険主義の残党や全学連が分裂と内ゲバをくり返し、ついに連合赤軍があさま山荘事件をひきおこして壊滅状態に陥る。

 極左に対抗するのが極右で、ともにテロリズムという狂気をはらんでいる。
 両者のテロは本質が異なる。
 左翼テロは政治目的で、数千万人が犠牲になったスターリンの粛清や毛沢東の文化大革命は権力闘争だったが、右翼テロに政治目的はない。
 右翼の実力行使は、国体防衛で、三島由紀夫は「文化防衛論」で、民族文化=国体の喪失の危機を訴えた。
 5・15事件や2・26事件の青年将校に政権構想がなかったのも、権力をもとめなかったからで、かれらがまもろうとしたのは、法や権力からなる政体ではなく、歴史や文化、風土や民族の魂をのみこんだ祖国=国体だった。
 次回以降、新島闘争から全愛会議の設立、60年安保闘争などにかかわってきた体験をもとに、戦後70年におよぶ左翼と民族派、保守と革新、ナショナリズムとグローバリズムの対決をふり返ってみたい。
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