2020年01月24日

伝統主義と民主主義C

四捨五入≠フ民主主義と弱者救済≠フ君民一体A
 ●ヨーロッパは家系純血、日本は皇統混血
 日本とヨーロッパでは、血統にたいする考えかたが異なる。
 日本は嫡子(長男)相続で、ヨーロッパは外戚(女系)をふくむ家系相続である。
 正嫡(正妻の子)以外の家督相続がみとめられなかったキリスト教国家では、女系をみとめなければ、家系が断絶してしまうのである。
 ヨーロッパでは、国家ができる前に、家系や門閥、閨閥でつながった家があって、各国王室も、国家ではなく、家や血縁でつながっている。
 女系をみとめるヨーロッパの王室は、家単位(国をまたいで)王位継承順位をきめなければ、血統の正統性をまもれないのである。
 女系も血筋が重んじられる家系相続では、社会的地位や財産をまもるため、近い血統同士の婚姻がくり返される。
 その結果、子孫が虚弱化して、一族が滅びてしまった例に神聖ローマ帝国のハプスブルク家がある。
 一方、男子が皇位を継ぐ日本の皇統混血型では、母系の家系は問われない。
 皇后は、皇族や五摂家の出身でも、男児を産むのは側室ばかりで、近親婚による天皇は、古代を別にして、歴史上、一人もおられない。
 過去400年間で、側室の子ではなかった天皇は、109代明正天皇、124代昭和天皇、上皇(125代明仁)、今上(126代徳仁)天皇の4方だけである。
 皇位継承は、神武天皇という大樹から宮家という枝が出て、どの枝も皇統である。
 それが、万世一系で、日本が2000年以上、国体を維持することができたのは男系の皇統承継だったからである。
 天皇の権威は、皇統男系のもとで、直系と傍系、親等の遠近にかかわりなく世襲される。
 一方、女系相続をみとめるヨーロッパの王権は、直系にして親等の近い順に相続される。
 天皇が、歴史的地位なのにたいして、王権は血縁的地位なのである。
 一部の日本人は、万世一系を女性差別と批判するが、一般女性が天皇の母親になられる日本は、女性差別ではなく、男性差別で、権力者は、道鏡や足利義満らの例外を除いて、権威に近づくことができなかった。
 ●伝統を根絶やしにした革命の時代
 権威のささえをもたないヨーロッパ王室が、神を後ろ盾にして、みずからを神格化したのが「王権神授説」だった。
 そして、王権神授説をふりまわす絶対王政(絶対主義)が、徐々に無軌道になってゆき、それが、市民革命の伏線になってゆく。
17世紀のイギリス革命(清教徒革命・名誉革命)や18世紀末のアメリカ独立革命、フランス革命に産業革命がむすびついて、民主主義をベースとする近代市民社会ができあがる。
 そして、その一方、エジプトや中国、インドからエチオピア、ギリシャ、イランにいたるまで、紀元前にうまれた国は、日本を除いて、すべて、革命の洗礼をうけて消えてしまう。
 歴史の古い国を順に挙げてゆくと、エジプト(紀元前3100年)を筆頭に中国(紀元前2000年)、インド(紀元前1500年)エチオピア(紀元前980年)、ギリシャ(紀元前800年)イラン(紀元前550年)となる。
 エジプトは、古代エジプト以後、ローマ帝国やイスラム王国、オスマン帝国の支配下におかれた世界最古の国だが、1919年のエジプト革命で保護国のイギリスから独立して、現在のエジプトとなった。
 民主主義の発祥地で、ヨーロッパ文明のルーツというべきギリシャも、古代ギリシャから、ローマ帝国やビザンチン帝国、オスマン帝国の支配下にあったのち、1821年のギリシャ革命で、現在のギリシャへうまれかわった。
 易姓革命の国、中国では、万里の長城をこえて、しばしば、周縁国や異民族(遼・金・元・清)の支配をうけたのち、辛亥革命で清朝を滅ぼしたのが1911年で、中華人民共和国の成立が1949年である。
 インドの独立は、その2年前の1947年で、それまで、イギリスの植民地支配にあえいでいた。
 エチオピアは、1974年、皇帝を廃位して、社会主義へと転換した。
 かつてのペルシャと呼ばれたイランも、建国は、1979年のイラン革命によるものだった。
 ●民主主義と君民一体
 伝統国家と革命国家のちがいは、権威が否定されたか否か、である。
 人々を力ずくで、屈服させようとするのが権力である。
 一方、人々が、敬意をもって、従おうとするのが権威である。
 ヨーロッパの王政が権力で、日本の皇室が権威だったのは、みてきたとおりだが、その対比を端的にしめしているのが、民主主義と君民一体である。
 民主主義は、軍事力と並ぶ権力で、君民一体は、文化にもとづく権威である。
 ルソーが古代ギリシャの民主主義(衆愚政治)をもちだしたのは、たかだか250年前のことである。
 人類は、それまで、数千年にわたって、延々と、文化・文明の歴史を築き上げてきた。
 その歴史を断ち切ったのが革命で、そのスローガンとなったのが、ルソーの民主主義だった。
 そのルソーが君民一体を称えている。
「君民共治がこの世に存在するはずもないので、わたしは、やむをえず、民主主義をえらぶ」(『社会契約論』)
 ルソーは、日本の君民一体(共治)を知らなかったのである。
 日本は、先進国のなかで、唯一、革命を経験していない伝統国家である。
 その歴史を忘れて、無批判的に、民主主義にとびついたのが現在の日本である。
 次回は、憲法における民主主義と国民主権をみてゆこう。


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2020年01月17日

伝統主義と民主主義B

四捨五入≠フ民主主義と弱者救済≠フ君民一体
 ●日本の国造り、ヨーロッパの家門争い
 日本では、神話の段階で、すでに、国という概念ができあがっていた。
 イザナキとイザナミの「国産み」神話やニニギノミコトが天照大神の神勅をうけて高千穂峰へ天降った天孫降臨、そして、天津神が国津神から葦原中国をもらいうける国譲り神話などがそれである。
 日本は3世紀の古墳時代に統一国家(大和朝廷)の誕生させている。
 神話と天皇、民族と言語、習俗という伝統の上に国家がうまれたのである。
 そのころ、ヨーロッパはローマ帝国の退潮期で、封建制から絶対王政をへて主権国家がうまれるのは、それから千年も先の話である。
 民主主義を掲げる近代国家の誕生にいたっては、啓蒙時代や市民革命という嵐をかいくぐったわずか数百年前の話である。
 それまで、ヨーロッパにあったのは、家系や民族、土侯や領主など血と地の争いだけだった。
 ドイツを中心とする神聖ローマ帝国やイギリス王国群、フランク王国などの中世ヨーロッパの国王は、封建領主で、国土を政治的に支配していたわけではなく、国境もはっきりしていなかった。
 その端的なケースが、イギリスのプランタジネット家とフランスのヴァロワ家が王位を争った百年戦争(14〜15世紀)である。
 ジャンヌ‐ダルクによってフランスに劇的な勝利がもたらさなければ、この戦争で、フランスは消滅していたかもしれなかった。
 といっても、百年戦争は、英仏の国家間戦争ではなかった。
 フランスに領地をもっていたプランタジネット家がヴァロワ家を乗っ取りにかかったのである。
 百年戦争の後、イギリスの王位継承をめぐる内戦で、ランカスター家とヨーク家が30年間争い、ヴァロワ朝(フランス)とハプスブルク家(神聖ローマ帝国)もまたイタリアを戦場に50年以上にわたってたたかった(15〜16世紀)。
 すべて、家門と血族、土侯、領主の争いで、国と国がたたかったいくさではなかった。
 何十年という長期間の戦争によって、やがて、封建領主が没落してゆく。
 封建時代が終わりを告げると、国家主権(君主権)と強力な軍事力をもった絶対王政が登場してくる。
 ●権威失墜と暗黒の中世
 16世紀は宗教改革の時代でもあって、国家の統合や国家間の争いに、同一民族の内戦(プロテスタントとカトリック)がくわわって、中世ヨーロッパにさらなる戦火がひろがってゆく。
 なかでも、悲惨だったのはドイツ三十年戦争で、この内戦によってドイツの人口は1600万から約3分の1の600万まで減少したといわれる。
 この時代、日本では、細川勝元と山名宗全がたたかって、京都を焼け野原にした応仁の乱がおきている。
 そして、その後、戦国時代へ、日本も暗黒の中世へつきすすんでゆく。
 応仁の乱のさなか、将軍足利義政は、義尚に将軍職を譲って東山の銀閣寺で豪奢風雅の趣味三昧にふける一方、朝廷は、御所で崩御された後土御門天皇の葬儀もおこなえず、遺体が40日間放置されるという貧困のなかにあった。
 この権威の失墜が戦国という乱の時代を招いたといってよい。
 ヨーロッパでも事情は同じだった。
 宗教改革は、ローマ・カトリック教会へのプロテスタントの反抗だった。
 したがって、ローマ教皇は、宗教戦争をおさえる権威たりえなかった。
 宗教戦争が、略奪や虐殺、領土拡張と無軌道になったのは、服すべき権威が存在しなかったからだった。
 時代は上るが、古墳時代、大和朝廷に服する豪族らが、競って前方後円墳をつくって、その数5000基(大型126基)に上ったが、この時代、内乱はほとんどおきていない。
 国家形成と秩序、和平は、権威の下ですすめられるのである。
 ●聖なる権威/俗なる権力
 日本の皇室は、宗教(神話)的権威で、ヨーロッパの王室は、世俗的権力である。
 聖なる権威にはみずから従い、俗なる権力にはムリやり従わされる。
 権威は、心象の唯心論、権力は、モノ・コトの唯物論である。
 唯物論と唯心論は、けっして交わらない。
 戦争も革命も、独裁も民主主義(多数決)も、権力行為で、力や数がものをいう。
 権力や冨、領地は、力ずくでこれを奪うことができる。
 だが、権威や伝統、文化や習俗など、心のなかの価値を力ずくで奪うことはできない。
 そこに、天皇が男系継承(万世一系)となった理由がある。
 父系の一本筋で皇祖にゆきつく万世一系では、女系(女性天皇の子)や入り婿、非皇籍の養子は、永遠に、皇祖につらなる皇統に入ることができない。
 皇統という価値は、力でも数でも、冒すことができない聖域なのである。
 したがって、日本の権力者(摂政や太政官、武家)は、天皇をたてて、その権威の下で、政治の実権を握るみちをえらんだ。
 これが権威と権力の二元論で、わが国は、その二元論の下で、国体と政体がささえあっている。
 天皇と万世一系、君民一体(共治)と権威と権力の二元論が、わが国の国体である。
 権威とは、世俗を超越した聖なるもので、聖なるものに合理性はない。
 キリスト教におけるマリアの処女懐妊、キリストの復活、海を割ってイスラエルの民をエジプト軍から救ったモーゼの奇跡(旧約聖書)など、聖なるものに合理性はないが、人間の社会は、合理と不合理、モノと心の両面からできている。
 山尾志桜里(立憲民主党)にように「論理必然ではない」として万世一系を否定するのは、海が割れるはずはないとモーゼ神話に食ってかかるようなものなのである。
 次回も、日本の皇室とヨーロッパの王室を対比しながら、伝統主義と民主主義の比較論をすすめていこう。
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2020年01月06日

伝統主義と民主主義A

 ●天皇は権威、ヨーロッパ王政は権力
 日本は、先進国のなかで、唯一、革命を経験していない伝統国家である。
 しかも、現存する国家(196か国)のなかでは、建国の歴史が2680年ともっとも古い。
 国史(古事記や日本書紀)にもとづく国家の起源は紀元前660年である。
 初代統治者は神武天皇で、神武の男系血統(万世一系)をうけつがれる今上天皇、徳仁(なるひと)陛下は、神武天皇の126代末裔にあたる。
 比較して、エリザベス女王が42代で、イギリス王室950年は、第2位のデンマーク王室1000年に次いで第3位である。
 ところが、日本人は、世界一の伝統国家であることの自覚や誇りをもっていない。
 そして、戦後、アメリカからはいってきた民主主義を人類最大の英知であるかのようにいう。
「君民共治がこの世に存在するはずはないので、やむをえず、民主主義をえらぶ」(『社会契約論』)といったのは、ジャン・J・ルソーだった。
 アメリカの建国は、わずか244年前の1776年だが、この建国の陰には、先住民(インディアン)1000万人のジェノサイド(民族殺戮)と500万人アフリカ人奴隷があったことを忘れるべきではないだろう。
 天皇と建国2680年の歴史、君民一体(共治)がわが国の国体である。
 国体は、権力ではなく、権威で、伝統国家は、権威の体系である。
 したがって、ヨーロッパやアメリカなどの革命国家と同列に語ることはできない。
 ちなみに、ヨーロッパの王室が女系相続をみとめるのは、世俗的権力だからである。
 権力からできあがっているヨーロッパでは、権威は「王権神授説」によってあとからつけたしたものでしかなかった。
 上部構造をもたない権力が、神を後ろ盾にして、みずからを絶対化したのである。
 日本の皇室が、万世一系なのは、宗教(神話)的権威だからである。
 権威をささえるのは、皇祖に連なる皇統(男系)でなければならない。
 一方、権威を教皇や神にあずけたヨーロッパで、権力を握ったのは、家系や門閥、閨閥などの血族(女系)で、国家ができる前に、血族がつながった家があった。
 ヨーロッパの王室は、国家ではなく、家や血縁でつながっているのである。

 ヨーロッパの国々のルーツがローマ帝国なのはいうまでもない。
 共和政ローマがカルタゴを滅ぼして、地中海の覇権を握ったのが、紀元前2世紀前後だった。
 帝政に移って、繁栄したが、ゲルマン人などの侵入があって、395年には東西に分裂した。
 西ローマ滅亡後、ギリシャ化がすすんでビザンツ帝国と呼ばれることになる東ローマ帝国は、イスラム帝国によって領土の大半を失うも、オスマン帝国に滅ぼされる1453年まで千年余、存続する。
 西ローマが滅亡した476年の段階で、まだ、ヨーロッパに国家はうまれていない。
 そのころ、日本は古墳時代の中期で、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とともに世界の三大墳墓の一つに数えられる仁徳天皇陵がつくられている。
 ヨーロッパで国家が生まれるのは、5世紀後半にゲルマン系のフランク人によって建てられたフランク王国が、カール大帝の時代(8〜9世紀)にイギリス諸島とイベリア半島を除く西ヨーロッパのほぼ全域を掌握したのちのことである。
 カール大帝の死後、ヴェルダン条約(843年)で、フランク王国は三つに分割されて、これが、イタリア・ドイツ・フランスの基礎となった。
 イギリスは、中世の初期にイギリス諸島に侵入したアングロ・サクソン人がつくった王国群(七王国)が土台である。
 10世紀には統合がすすみ、1066年のノルマン朝以後、テューダー朝、ハノーヴァー朝、ウィンザー朝(エリザベス女王)とイギリス王室の基盤が固まった。
 8世紀から15世紀まで、イスラム(ウマイヤ朝)の支配下にあったイベリア半島をイスラムから奪回したのがレコンキスタ(国土回復運動)である。
 その過程でうまれたのがポルトガルとスペインだった。
 これで、15世紀には、ヨーロッパの国々は、ほぼ出揃ったことになる。
 そのなかで、特異な存在だったのが、962年、ドイツ王のオットー1世がローマ教皇から皇帝の冠を授けられて以来、神聖ローマ帝国を名乗ったドイツである。
 神聖ローマ帝国には、ドイツのほか、オランダやベルギー、オーストリアやチェコ、スイス、フランス西部、さらにはイタリア北部までふくまれる。
 そして、700年にわたって、神聖ローマ帝国の帝位を独占したのがハプスブルク家だった。
 イギリスのステュアート家、フランスのブルボン家、イタリアのメディチ家をよせつけない権勢で、イギリスも、ステュアート朝の断絶を受けて、ハプスブルク帝国(神聖ローマ帝国)の系列にあったハノーヴァー家から、ドイツ人で英語を話せないジョージ1世を国王に迎え入れて、ハノーヴァー朝を成立させている。
 ヨーロッパでは、国家の前に家系や門閥、閨閥があって、その系列にそって国家および国家権力がつくりあげられた。
 国家主権のソブリンティは、君主権という意味で、国民主権なら、国民君主権というおかしなことになってしまう。
 君主権を神で補強したのが王権神授説だった。
 それこそが神聖ローマ帝国で、その帝位を独占したのが、ハプスブルク家という閨閥一族だった。
 いうまでもないが、家系や門閥、閨閥は、男系に限定されない。
 政略結婚をとおして王権をとりこみ、その王権を奪うには、女系でなければならないのである。
 娘を天皇に嫁がせ、閨閥を形成して、摂政の権勢をふるった蘇我氏や藤原氏と、政略結婚をとおして王政権力を握ったハプスブルク家には多くの共通点がある。
 相違点は、ハプスブルク家が王権を奪ったのにたいして、蘇我氏や藤原氏が天皇の地位に手をださなかったことである。
 ヨーロッパの王制は権力で、日本の皇室が権威だったからである。
 権力は、戦争も革命も、独裁も民主主義(多数決)も、力や数の論理でしかない。
 したがって、力尽くで奪うことができる。
 だが、伝統や文化、習俗や歴史的な価値を奪うことはできない。
 そこに、天皇が男系継承(万世一系)となった理由がある。
 女系継承では、歴史と伝統にもとづく価値観が転覆してしまいかねないのである。
 父系の一本筋で皇祖にゆきつく男系継承では、女系(女性天皇の子)や入り婿、非皇籍の養子は、永遠に、皇統に入ることができない。
 ちなみに、皇位簒奪をはかったのは、奈良時代の弓削道鏡だけである。
 したがって、日本の権力者(摂政や太政官、武家)は、天皇を立てて、その権威の下で、政治の実権を握るみちをえらんだ。
 一方、権威が不在だったヨーロッパでは、絶対王政(絶対主義)の嵐が吹き荒れて、それが、市民革命の伏線になってゆく。
 次回以降、日・欧・米の比較論を交えて、伝統と民主主義について、さらに論をすすめよう。

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2019年12月25日

伝統主義と民主主義@

 ●民主主義は人類至高の法典か
 戦後、アメリカから民主主義がはいってくると、日本人は、手を打ってよろこんだ。
 いまも、日本人の多くは、民主主義が、人類史上、最良の政治制度と信じている。
 それどころか、民主主義を一つの文化として、ありがたく、これをおしいただいているありさまである。
 そして、君民一体や「和の精神」、権威と権力の二元論などわが国の伝統的な政体や価値観にはまったく疎いのである。
 宗教による支配や絶対王政、奴隷制度がなかった日本で、なぜ、民主主義がこうももてはやされるのか。
 理由は、GHQによる共産党・左翼の解放とWGIP(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)である。
 GHQには、民生局のケーディスに代表されるニューディーラー(社会民主主義者)が多く、民主主義は、共産主義(=人民民主主義)と双生児の関係にあった。
 GHQの公職追放令によって、日本国内で指導的な立場にあった21万人の愛国的・保守的な人々が、政官界や大学、マスコミから追われると、それまで、刑務所に送り込まれるなど不遇だった左翼・共産党員らが、大挙して、日本の中枢機関にはいりこんだ。
 そして、マスコミを中心に、民主主義の大宣伝をはじめた。
 アメリカ製民主主義もソ連製人民民主義も、当時の日本には、金ぴかに輝いて見えていた。
 国体(天皇)がなかったら、日本にも、共産主義革命の危機が迫っていたであろう。
 日本人は、民主主義がヨーロッパの伝統的な思想と思っているフシがある。
 ところが、ヨーロッパで民主主義が萌芽するのは、近代になってからである。
 アメリカ民主主義にいたっては奴隷解放後で、1919年のパリ講和会議の「人種的差別撤廃提案」(日本提案)では、議長をつとめたアメリカのウィルソン大統領は、急きょ、全員一致をもちだして、可決寸前の同案を否決している。
 奴隷制度や植民地主義、帝国主義の欧米に、民主主義を育む風土などなかったのである。

 ヨーロッパの中世がはじまるのは、イベリア半島をイスラム教徒から奪回するレコンキスタ(711年〜1492年)以後である。
 そのとき成立したポルトガル・スペインが、アフリカやアジア、南米などで殺戮や略奪の限りをつくしたのが大航海時代(15世紀半〜17世紀半ば)である。
 7回におよんだ十字軍遠征(11世紀末〜13世紀)と大航海時代、法王と王権を分離した王権神授説と、当時、ヨーロッパにあったのは、権力と宗教による血の支配だけだった。
 ヨーロッパが、宗教の重圧と絶対専制のくびきを断つきっかけとなったのがルネサンス(14〜16世紀)と宗教改革だった。
 だが、ルネサンスにはさしたる成果はなく、プロテスタントとカトリックがたたかった17世紀の「三十年戦争」では、なにもうむものはなかったばかりか、主戦場となったドイツの人口が1600万人から600万人まで減少する惨劇を招いた。
 ヨーロッパに民主主義のきざしがあらわれるのが、17世紀のイギリス革命(清教徒革命・名誉革命)から18世紀末のアメリカ独立革命、フランス革命にいたる市民革命の時代にはいってからで、これに、産業革命がむすびついて、ようやく、近代市民社会の骨格ができあがった。
 ヨーロッパにおける民主主義の土台になったのは、17世紀のホッブス(「万人の戦争」)以降、ルソー(フランス革命)、ロック(アメリカ独立戦争)、マルクス(ロシア革命)ら4人の社会契約説である。
 マルクスの資本論は、ルソーとタルムード(ユダヤ経典)を合体させた奇書というべきもので、ロックは人民の革命権(アメリカ憲法)を唱えた。
 民主主義の民主は、国家にたいする国民一般(全体)という意味で、これを個人主義的な民主と解しているのは日本だけである。
 ルソーやマルクスにおける民主主義の民は、民総体のことで、民主的な手続きにもとづいて、国家が国民の主権を預かって、政府をつくるのは、人民独裁の名目を借りた独裁にほかならず、個人としての民主はみじんもふくまれていない。
 17世紀の世界を見回して、民主主義がおこなわれていたのは、日本だけである。
 当時、人口は、江戸が130万人、大坂も京都も40万人をこえている。
 ロンドンが70万人、パリ50万人、ウィーン25万人である。
 都市機能を維持するのは、食糧確保や衛生管理、都市整備の面からきわめて困難で、ヨーロッパでは、下水道の不完備とネズミの発生からペストの流行に見舞われて、何度も、都市機能を喪失している。
 錦絵などに残っている当時の日本の町並みの美しさは、ヨーロッパとは比較にならないもので、ヨーロッパでは、宮殿にしかなかった額縁絵画や花瓶が庶民の家に飾られていた。
 個人が、宗教や権力から自由だったのは、君民一体という民主主義があったからである。
 それが、伝統国家というもので、権威から切り離されていた権力は、天皇の赤子たる民に手出しができなかったのである。
 次回以降、伝統主義と民主主義議論をさらに深めていこう。

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2019年12月09日

米・中の新時代と日本の役割F

 ●日本はアジアで指導的立場に立てC
 1990年のバブル崩壊から2000年代の新自由主義の導入、2010年代のデフレ不況と、日本経済は、30年の長きにわたって低迷してきた。
 理由は、付加価値をうみだすことができなかったからである。
 この30年間の日本の経済成長率は平均0・7%(実質)で、先進35か国(OECD)の平均2%の3分の1、名目経済成長率にいたっては、OECDの平均4%にたいして0・1%という低さだった。
 そのころ、アメリカ経済も、変調をきたしていた。
 1990年代、グローバル化の名のもとで、国際資本が猛威をふるうようになると、アメリカ国内で、製造業が空洞化しはじめた。
 アメリカ人は、モノをつくるのをやめて、マクドナルドの売り子になったといわれたものだが、そのマクドナルド的な消費スタイルが世界規模で拡大していったのがグローバリゼーション=アメリカ化だった。
 つくらざる経済は、対外的には、ヘッジファンド型の国際金融へ、国内むけには、情報技術革命へとむかった。
 日本と中国に製造業の市場を引き渡して、このとき、アメリカが手に入れたのが、製造業中心のオールド・エコノミーに代わるIT産業中心のニュー・エコノミーだった。
 IT産業は、情報・通信技術のハードウェアからソフトウェア、インフラやサービスなどをふくむ巨大な企業群で、アメリカは、パイの大きさがきまっている製造業を捨てて、将来的な付加価値の大きいニュー・エコノミーをとったのである。
 IT産業の象徴的な存在がシリコンバレーで、現在、アップルやインテル、グーグルやヤフー、フェイスブックなどのソフトウェアやインターネット関連企業、IT企業の一大拠点となっている。

 日本も、1990年代まで、半導体などのエレクトロニクス分野で世界のトップを走っていた。
 そして、90年代後半以降、官民あげてIT革命をおしすすめ、インターネットを中心とする情報化投資もおこなわれた。
 任天堂やセガ、ソニーなどのゲーム機やゲームソフトは世界を席巻した。
 だが、インターネットのソフトウェアでは大きく立ち遅れた。
 スマートフォンやパソコンのソフト(OS)をつくるマイクロソフトやアップルのようなソフト系大企業がでてこなかったのである。
 それまで、日本は、デジカメ、薄型TV、DVDレコーダーなどの単品開発に力を注いできた。
 だが、時代がむかったのは、ハードとソフトの結合という思いもしなかった方向だった。
 デジカメというハードと、撮った写真でコミュニケーションしあうフェイスブックやインスタグラムというソフトがジョイントして、ハード=単品をはるかに上回る売上を上げる。
 それが、第4次産業革命である。
 その付加価値の延長線上にあるのが、AI(人工知能)や5G(次世代通信技術)、そして、あらゆるモノがインターネットに接続されるIoT(モノのインターネット)である。
 IT産業革命で、日本が負けたのは、ハード(機体)とソフト(サービス)をむすびつける新分野を開拓できなかったからだった。
 人工知能が2045年に人間脳をこえる(シンギュラリティ)といわれているなか「日本のデジタル活用は世界から3周遅れている(経済同友会小林喜光)」「日本のデジタル化は中国の足元にもおよばない(藤井保文)」などの悲観論が聞こえてくる。

 人工知能や5Gの技術開発に日・米・欧の協力が必要なのはいうまでもない。
 それ以上にもとめられるのは、中国に太刀打ちできる研究開発費と人材育成の意欲だが、いたずらに悲観的になることもない。
 付加価値の大きいITやデジタルは、経済成長の実弾だが、それが経済のすべてではむろんない。
 人工頭脳やインターネットの上にかかったクラウドは、なくてもそれほど不自由でもなく、社会が崩壊するわけでもない。
 生きてゆくために必要なのは、消費財と生産財であって、情報財ではない。
 高齢化と市場縮小にむかう日本は、今後、アセアン10国とインドを相手に経済活動をすすめてゆくことになるが、人口6億2千万人のアセアンと人口13億人をこえるインドと共存共栄をはかるのに、AIや5Gをもちだしたところでなんの意味もない。
 必要なのは、生産と消費、そして、雇用である。
 それには、なによりも、日本の経済力と伝統的な共栄圏思想がもとめられる。
 中国の「一帯一路」は、高利でカネを貸し付け、設計から労働力、資材までもちこみ、挙げ句に、返済できない貸付金のカタに、プロジェクトを根こそぎ略奪するギャング式である。
 パキスタン(グワーダル港)やスリランカ(ハンバントタ港)から、ミヤンマー、ラオス、モルディブからヨーロッパのモンテネグロ、アフリカのシブチまでが被害に遭っている。
 中国のこんなやり方(『債務のワナ』)が長続きするはずがなく、アジアばかりか、アフリカでも、日本方式を望む声が高まっている。
 日本の経済協力は、戦後賠償に端を発するODA(政府開発援助)を土台にしたもので、1970年以降、経済インフラ資金の95%がアンタイドである。
 アセアンとインドにたいする経済協力は、現地経済の振興と雇用拡大に重点をおかなければならない。
 目的が富裕化にあるからで、貧困と失業、犯罪を防ぐには、中国のAI監視システムを導入するのではなく、国と国民をゆたかにしなければならない。
 ものづくり大国、日本が、アセアンとインドの工業・産業の振興にはたす役割はけっして小さくない。
 日立金属やトヨタ自動車、小松製作所など、日本を代表する大メーカーと肩を並べるのが精密機器と工作機械で、この3分野は、日本が世界をリードしている。
 CNC装置(コンピュータ数値制御)付工作機械では、ファナック(山梨県)が国内シェア7割、世界シェア5割を占め、産業用ロボットでも、世界シェア2割である。
 これにつづく安川電機、ABBグループ(スイス)、クーカ(ドイツ)の4社で世界の産業用ロボット市場の8割をおさえている。
 小型切削加工機や超精密ナノ加工機でも、アイフォーンの部品(筐体)をつくるファナック以下、日本企業が目白押しで、この優位はかんたんにはゆるがない。
 モノづくり経済では、アセアン・インドとむすび、AIや5G、インターネット・ソフトウェアでは欧州とも協力しあう。
 アメリカべったり(アメリカ・スクール)、中国べったり(チャイナ・スクール)の外務省感覚では、新しい時代をのりきれないのである。
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2019年12月02日

米・中の新時代と日本の役割E

 ●日本はアジアで指導的立場に立てB
 日本経済は、この30年間、横ばいで、GDPも5兆ドル弱ラインをうろうろしている。
 GDPランキングは、一応、3位だが、ドイツやイギリス、フランスやインド、イタリア、ブラジル、カナダが、射程圏内で、後を追ってきている。
 アメリカの1位(20兆ドル弱)は、デジタル革命の覇者にしてインターネットインフラをつくりあげた国として、うなずける。
 驚くべきは、2009年まで3位だった中国が、わずか10年で、2位だった日本を追いこして、日本の3倍(12兆ドル強)までGDPをのばしてきたことである。
 スマートフォン(5G/通信システム)や人工頭脳(AI)の分野で、長足の進歩をとげた結果である。
 一方、日本のGDPが30年間も停滞した理由は、スマートフォンというハードとこれに関連する5GやAIというソフトの開発を怠ったからである。
 東芝やシャープ、ソニー、パナソニック、NEC、日立、富士通、三菱電機など、かつて、世界のトップ企業だった日本の電機大手が壊滅状態になったのは、スマートフォンをつくらなかった、否、つくれなかったからで、その理由は後段でのべよう。
 日本の電機大手が、通話やパソコン、デジカメ、オーディオ、ビデオなどの多機能がすっぽりおさまるスマートフォンをつくらなかったのは、登山にたとえるなら、九合目まで登って、頂上をきわめなかったようなものである。
 逆に、中国は、九合目まで日本企業の肩に乗って、そこから頂上まで単独で登攀して、現在、スマートフォンの世界市場をアップルやサムソンと分け合っている。
 需要創造が経済の原動力で、新製品の開発なくして、市場拡大や経済成長が実現するわけはない。
 事実、日本の高度経済成長や所得倍増計画、一億総中流意識は、三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)に代表される需要創造にささえられていた。
 ところが、日本経済が足踏みした1990年〜2020年までの「失われた30年」には、国民の需要を喚起するスマホのようなハード(新製品)がなに一つでてこなかった。
 このかん、GDPが停滞したのは、日本経済に新製品をつくる力がなかったのか、新製品をつくらなかったから日本経済が停滞したのか、おそらく、その両方だったろう。

 それでも、精密部品や工作機械の分野で、日本は、依然として、世界ナンバーワンで、村田製作所やTDKらの中堅企業、町工場クラスの中小企業がスマートフォンの部品などの精密機械を世界に送りだしている。
 ところが、スマートフォンというハードがなければ、5GやAIなどのソフトの開発も軌道にのらない。
 日本が、第四次産業革命に乗り遅れたのは、すべてがインターネットにつながったクラウドの形成に失敗したからだった。
 第四次産業革命の主軸をなすのは、AIや5Gの他、モノのインターネット(IoT)など日常化されたコンピュータのネットワークサービスで、これをクラウドと呼ぶのは、雲のように地上を覆っているが、正体がさっぱりつかめないからである。
 5GやAI、IoTは、スマートフォンというハードとインターネット上のソフトの結合で、両者が一体化しなければ、クラウドを形成することはできない。
 その役割を担うべきだったのは、日本の電機産業と電話ネットワークの上に君臨する東京電力とNTT(日本電信電話公社)でなければならなかった。
 ところが、東京電力もNTTも、既得権の上に成立している国家的企業で、この二社が手をむすんで、クラウド形成にうごくことがなかったのは、渋沢栄一のような先見の明をもった指導者がいなかったからだった。
 アメリカで、大企業間のハードとソフトが融合したのは、半導体やコンピュータ、ソフトやハイテクのエンジニアが集結したシリコンバレーがあったからで、デジタル革命や第四産業革命の波は、シリコンバレーから世界へおよんでいった。

 現在、第四次産業革命は、一企業、一業態、さらに、一国をこえ、国境横断的に発展、相互の連携をつよめている。
 日本にもとめられるには、欧米とのタイアップを強化して、ソフトの充実をはかる一方、国産スマホの開発と製造を急ぐことに尽きる。
 第四革命をのりきるには、国家支援のもと、採算や効率を度外視して思い切った手を打たなければ、日本は、5年以内のGDPランキング10位圏外へ放り出されることになる。
 ファーウェイやシャオミなど中国のスマートフォン大手は、総額20兆円の5G投資を背景に、フィンランドのノキア、スウェーデンのエリクソン、アメリカのクアルコムやインテルなど欧米企業と協力関係をむすんで、世界市場へのりだしている。
 NTTドコモも、NECや富士通など国内の通信機器メーカー8社とともに5Gの技術開発にとりくみ、インテルやクアルコムなどとも共同研究をおこなっている。
 だが、NTTドコモとKDDIの研究開発費は、ファーウェイの18年度の研究開発費1・7兆円にたいして、5年間で1兆円程度と桁違いに少ない。
 2018年のAIの開発予算も、アメリカの7兆5000億円、中国の1兆500億円にたいして、日本は6770億円で、政府予算にいたっては、米中の15%というお粗末さである。
 AIの監視技術でも、50か国に売り込んだ中国(ファーウェイ)がトップで、11か国のアメリカ(IBM)が後を追っているが、日本は、実績ゼロとあって、番外である。
 日本には、そもそも、AIや5G、IoTの研究・開発分野が存在しない。
 日本中の大学や研究所などから、第四次産業革命をリードする精鋭を集めて世界に恥じないシンクタンクをつくるべき時期を、日本は、迎えているのである。
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2019年11月25日

米・中の新時代と日本の役割D

 ●日本はアジアで指導的立場に立てA
 米・中の新時代もしくは5極(米・中・日・欧・ロ)時代、これにカナダやオセアニア、ブラジル、インド、アフリカ、中東などをくわえた多極化時代になっても、日本にもとめられるのは、国家の独自性であって、マスコミ知識人がバカの一つ覚えのように吹聴する国際化ではない。
 かつて、日本では、学識者やマスコミ知識人の言説に踊らされて、国際化を善としてきたが、それがまちがいだったことは、いまや、だれの目にも明らかだろう。
 国際主義が破綻してうまれたのが、米中対立や5極体制、多極化である。
 目下の国際情勢は、冷戦以前、大戦以前に近く、国家戦争がないのは、核の分散と主要国の軍事力強化で恐怖の均衡≠ェゆきわたって、どの国も戦争ができなくなってしまったという皮肉な作用の結果である。
 大事なのは、国際性や協調性ではなく、存在感(プレゼンス)で、無防備と侮りを買うふるまいほど平和を脅かすものはない。
 その論でいうと、日本の憲法第九条が平和を脅かす潜在的要因になっているのだが、日本人は、だれもそのことに気づいていない。
 国際派は、マルクス主義から社民主義、アメリカ主義、中華主義まで多様にわたるが、共通しているのは、反日と反伝統で、日本は、明治維新の西洋化と第二次大戦後のアメリカ化を筆頭に国際派が大手をふってきた。
 戦後、GHQの公職追放令の恩恵で、大学や公官庁にもぐりこんだマルクス主義者、渡部昇一が指摘した敗戦利得者もこのなかにふくまれる。
 かれらの言い分は、終始一貫、自己否定で、改革主義もここにふくまれる。
 改革主義の旗手が小泉純一郎元首相で、悠仁親王ご生誕によって万世一系を否定する皇室典範改悪(2005年)の危機はかろうじて免れた。
 だが、日本の資本主義を否定する新自由主義の導入は阻止できなかった。
 新自由主義が日本経済にあたえたデ・メリットを三つあげることができる。
 1、株主の利益を優先して、生産と消費の振興、市場と雇用の拡大、国富や国民のゆたかさを犠牲にした
 2、株主配当と株価の高値維持のため内部留保を優先して積極経営を捨てた
 3、企業を株主の利得構造として、研究開発費や設備投資を怠った
 その結果が、日本資本主義の停滞で、日本は、三つの段階をへて、沈没していった。
 それが空白の30年で、最初の10年がバブル崩壊、2つ目がデフレ不況だった。
 そして、最期の10年が新自由主義導入による沈滞で、バブル経済崩壊後の日本経済は、延々と30年もダメージをひきずってきたのだった。

 30年前、世界の企業の時価総額ランキングで、NTTやメガバンク、東京電力などの日本の企業がトップ20のほとんど占めていた。
 ところが、現在の世界の時価総額ランキングでは、アマゾンやマイクロソフト、フェイスブックなどのIT企業が上位を占め、日本企業は、42位にようやくトヨタがくいこんだだけというていたらくである。
 ものづくり中心の日本企業が、アメリカがつくったインターネットインフラの上に構築された世界マーケットから放逐されてしまったのである。
 日本経済が休眠状態にあったこの30年間で、世界でおきていたのが、AI(人工知能)や5G(次世代通信技術)の実用化などの新しい潮流だった。
 AIは、モノ同士がインターネットでつながる(IOT)システムの頭脳部で、一時、凋落したマイクロソフトが復活したのが、クラウドと呼ばれるAI開発だった。
 5G(第五世代移動通信システム)は、インターネット時代の中心的な技術で、AIとも深いかかわりがある。
 中国とアメリカ、欧州の企業は、AIや5Gをめぐって、激しい開発競争をくりひろげ、とりわけ、中国は、10年以上前から、ITやAI、5Gなどの分野で優秀な人材をヘッドハンティングして、国家ぐるみで育ててきた。
 5G関連の特許保有数で、中国が日米に大きく水をあけているのはその成果である。
 IT産業革命で負けた日本は、あらゆるモノがインターネットに接続される第4次産業革命に勝てる見込みが薄い。
 5Gの技術開発に、日米欧の協力が必要なのはいうまでもないが、それ以上に、日本という国家にもとめられているのは、米中に太刀打ちできるだけの研究費と人材育成の意欲であろう。
 2018年のAIの開発予算は、アメリカが7兆5000億円、中国が1兆500億円なのにたいして、日本は6770億円で、政府予算にいたっては米中の15%というお粗末さである。
 一方、日本企業の内部留保は460兆円で、それが、大企業に集中している。
 これは、未来という材木を捨てて、目先の木っ端を拾っているにひとしい愚行である。
 日本の企業の99・7%が中小企業(小企業が87%)で、製造業付加価値の半数を占める大企業は0・3%にすぎない。
 日本企業のつよさは、工作機械や部品、ロボットや設備をつくっている中小企業にあって、AIや5Gの時代にあっても、その地位はゆるがず、世界的なシェアも落ちていない
 日本経済が弱体化したのは、大企業が、内部留保に精を出して、研究開発や設備などの未来投資を怠ったからで、これこそが、株主資本主義といわれる新自由主義の最大欠点といえる。
 米・中・欧・ロなどの強国がつぎつぎと国家資本主義的な政策をくりだしてくるなか、日本がとるべき国家戦略は、次の2つであろう。
 1、AIやIOT(モノのインターネット)、5Gに特化した技術省庁の新設
 2、大企業の内部留保をターゲットにした法人特殊税の新設
 国家資本主義は、資本主義が、資本の論理だけではたちゆきならなくなった世界的な情勢を背景にしている。
 次回は、国家経済と国際協調、安全保障のかねあいについても考えてみたい。

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2019年11月11日

米・中の新時代と日本の役割C

 ●日本はアジアで指導的立場に立て@
 ソ連邦崩壊(1991年)から、10年以上もつづいてきたアメリカの一極支配体制が、2001年の同時多発テロ事件以後、ゆらぎはじめ、現在、五極体制のもとで、世界版図の再編がすすんでいる。
 五極といっても、アメリカの軍事予算は、中国とロシアを合わせた3倍近く(6028億ドル)あって、アメリカ海軍が、地球を6つに区割りした海域に最新鋭の大艦隊を送りこんでいる。
 五極の他の四つは、日本と中国、欧州とロシアである。
 これに、カナダやオセアニア、ブラジル、インド、アフリカ、中東をくわえると多極体制となるが、いずれも、一強プラスαの構造である。
 アメリカの一極支配体制がゆらいできたのは、中国の躍進と、中国式の国家資本主義が台頭してきたからで、国家が経済・社会に干渉して、強力に政策をすすめる中国モデルが、アジアやアフリカから中南米にまでおよんでいる。
 国家資本主義と「AI(人工知能)監視システム」を組み合わせたのが中国モデルで、コストのかかる民主主義や摩擦の大きい人権を避けて、全体主義で資本主義のゆたかさを手に入れようというのである。
 フランシス・フクヤマが『歴史の終わり』で、民主主義と自由経済の勝利を宣言した1989年からわずか20年後、共産主義国家の中国が日本を抜いてGDP世界第2位に踊りでて、さらに、その20年後(2030年)にはアメリカを追い抜こうというのである。
 そうはさせまいというのがアメリカで、現在の五極体制は、米中二極の覇権争いの下で展開されているのである。
 ロシアも、ソ連崩壊後の混迷を脱して、軍事と資源を両輪に国家資本主義の路線をつきすすんでいる。
 2014年のウクライナ派兵(クリミア危機)の制裁で、ロシアは、G7の招待を取り消されたが、習近平は、その1か月後にひらかれた新興国首脳会議(BRICS/ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)にプーチンを招待している。
 このBRICSが国家資本主義を志向している国家群だが、イデオロギーや国家体制はそれぞれ異なっている。
 イデオロギーよりも安全保障や経済を重視したブロック化に安倍晋三首相が提案した「インド太平洋構想」がある。
 日本とアメリカ、オーストラリア、インドの4つの海洋国家が、インド洋と太平洋におけるシーラインをまもろうというのだが、中国の東シナ海、南シナ海への進出を抑止する狙いもある。
 尖閣の防衛や中東シーレーンの安全確保、さらに、「自由と繁栄の弧」という国家戦略の起点として、インド洋と太平洋は、日本にとっても、きわめて重要である。
 トランプ大統領も、2017年の東アジア訪問で、中国の一方的な海洋進出や「一帯一路」念頭に、安倍首相の提唱する「自由で開かれたインド太平洋」が新たなアジア太平洋戦略となったという認識をしめした。

 アメリカのペンス副大統領が、中国の途上国にたいする「債務漬け外交」をきびしく批判したのは、中国の巨大経済圏構想「一帯一路」構想と、国際金融機関「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」にたいする警戒感からだった。
 習近平が「人類運命共同体」と称する一帯一路は、実利をとおして途上国をとりこむ戦略で、巨額融資の代償が開発物権の譲渡(永久貸与)という、高利貸しさながらのやり方だった。
 スリランカのハンバントタ港は、2010年、中国から約13億ドル(約1421億円)の融資をうけて、建設がはじまったが、年6・3%という金利の返済ができず、株式の80%を中国国営企業に譲渡(99年間貸与)せざるをえなかった。
 中国のグワーダル港(パキスタン)開発や「中パ経済回廊」の建設に脅威をかんじていたインドにとって、日米の「インド太平洋構想」は歓迎すべきことで、モディ首相は、これを外交戦略トップ(「アクト・イースト」)に掲げた。
 AIIBがうごきだす以前、世銀や日・米が主導権をもつアジア開発銀行がアジア諸国へ融資をおこなっていたが、そのポリシーに、人道・道義的考慮のほか、相互依存、環境の保全、自助努力の四つの理念(「ODA大綱」)が立てられた。
 安倍首相も、習主席から「一帯一路」とAIIBへの協力をもとめられた際、条件として、この四つの理念を挙げている。
 戦後賠償からはじまった日本のODAは、60〜70年代に拡大、80〜90年代には、供与額世界1位となった。
 日本政府は、ODAを国際貢献の柱の1つとして、タイドローンのほとんどをアンタイドローンにきりかえて、アジア経済に貢献してきた。
 アジアの日本にたいする信頼の根拠は、そこにあって、中国の侵略的援助とはまったく異質である。
 相互発展をめざす日本経済は、マレーシアのマハテヒール首相が「ルック・イースト」といったように、アジア経済のモデルで、近くに日本がいたらわれわれも、中国や韓国のように経済成長できたはずとのべる指導者もいる。
 中国の所得倍増計画(2012年/胡錦濤)は、池田勇人首相の所得倍増論の焼き直しで、高度経済成長もバブル処理(失敗例)も日本から学んだものである。
 習近平は、「旧ソ連の崩壊後、中国崩壊論が絶えたことはない。だが、中国は崩壊しないどころか、人民の生活水準は高まるばかりではないか」と豪語する。
 中国経済がバブルをのりこえてのびてきたのは、単純な話で、債務を国家が買い取ってしまうからで、これは、最近、話題になっている現代貨幣理論(MMT)につうじる。
 次回は、日本経済の共栄という本質、MMTと実体経済の関連についてのべよう。

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2019年11月05日

米・中の新時代と日本の役割B

 ●日本主義にもとづくグランドプラン
 米・中の新時代――といっても、米・中が手を取り合って新しい時代を切り拓いてゆくという話ではない。
 世界覇権の話で、近い将来、中国がアメリカを超えて世界一ゆたかでつよい国になるか、それとも、アメリカが、中国をおさえて、超大国の地位をまもることができるか、という未来展望である。
 米中の貿易戦争は、その一つのあらわれである。
 アメリカにとって、貿易の不均衡も、はねかえしておかねばならない中国の圧力なのである。
 といっても、中国の現在の経済発展をささえてきたのはアメリカと日本だった。
 とりわけ、アメリカは、ニクソン・キッシンジャーが訪中して、中国を資本主義の国際舞台へ迎えいれている。
 日本も「日中平和友好条約」(1978年)をむすんで、改革解放をすすめるケ小平を日本へ招いて、経済・貿易・技術における官民一体の協力を惜しんでいない。
 ニクソン・ショックには2つあって、一つは、ニクソン・キッシンジャーによる米中の接近(1971年7月発表/1972年2月訪中)である。
 そして、もう一つは、ドル・ショック(1771年8月)だった。
 ドル・ショックは、金とドルの交換停止で、これによって戦後の世界経済を支えてきたブレトンウッズ体制が崩壊した。
 ブレトンウッズ体制は、ドルを金とならぶ国際通貨とする金・ドル本位制のことで、国際通貨基金(IMF)や世界銀行、WTO(世界貿易機関)やGATT(「関税と貿易に関する一般協定」)がこの体制の下にあった。
 ブレトンウッズ体制が崩壊して、変動相場制へ移るが、以後も、ドルが基軸通貨の地位をたもってきたのは、アメリカの国力が、それだけ、つよかったからである。
 中国は、強国アメリカの後押しによって、自由主義経済の世界舞台へデビューしたわけで、ニクソン・キッシンジャーがはたした歴史的役割はじつに大きなものだった。
 それにしても、ニクソンは、中国が、半世紀後、アメリカをおびやかすほどの経済大国になっているとは想像もしなかったろう。
 ニクソンは、晩年、「われわれは(中国という)フランケンシュタインをつくってしまったかもしれない」と漏らしたが、中国を熱愛する95歳のキッシンジャーは、かくしゃくとしたもので、今年また、習近平と会って、米中摩擦の解消にとりくんでいる。
 キッシンジャーが日本を嫌ったのは、ナチスと組んでアメリカに歯向かったからで、かれは、大戦中、アメリカに帰化したドイツ系ユダヤ人だった。
 キッシンジャーは、1971年の周恩来首相との会談で、有名な「瓶の蓋」論を展開している。
「アメリカが日本から撤退すれば、日本は、核装備をすすめるでしょう。日本が軍事大国になったとき、中国とアメリカの伝統的な関係(第二次大戦時の同盟関係)が復活します」
 2008年、NHK出身の外交評論家日高義樹の「ワシントン・レポート」(テレビ東京)に登場したキッシンジャーは「日本はどういう進路をえらぶべきでしょう?」ともみ手でたずねた日高に「そんなことはじぶんで考えろ」と突き放している。
 日米関係にかぎらず、外交は、友情や運命共同体意識などの感情論にのっているわけではない。
 だが、日本では、親米や反米、親中や反中、親韓と嫌韓と、外交を感情論で論じる風潮で、冷静な外交議論がなりたたない。

 本稿のタイトルは、米・中の新時代と日本の役割と銘打ったが、外国の要人に、国家の外交について教えを請うような情けないことでは、日本は、外交上のどんな使命も責務もはたせそうにない。
 イデオロギーの時代が終わって、現代は、国家と国家が資本主義のありようをめぐって摩擦をひきおこし、対立し、争う時代となった。
 資本主義の構造や価値観、成熟度が問われているのである、
 日本では、15世紀半ばの楽市・楽座の時代から、商道のほか、技術立国の礎となる職人文化や衣食住の大衆化がゆきわたって、17世紀には「米相場(米の先物相場)」がはじまっている。
 ある意味で、日本は、資本主義発祥の国といえるのである。
 ヨーロッパには、産業革命がおこった18世紀後半まで、資本主義といえるような経済形態は存在せず、9歳以下の労働の禁止と16歳以下の労働時間を12時間に制限した工場法ができたのが1819年である。
 アメリカ経済が発展したのは、第一次世界大戦後、疲憊したヨーロッパから資金や技術、人材が流入してきた以後で、1920年代のアメリカは、軍需にもとづく重工業や自動車産業の振興、輸出増加などによって「永遠の繁栄」と呼ばれる経済的好況のなかにあった。
 そして、おきたのが、株式市場の大暴落を契機としておこった1929年の大恐慌だった。
 オートメーションによる大量生産と労働者の大量解雇が、生産と消費の両面からなりたっている資本主義の構造を破壊したのである。
 これは、株主の利益だけを追求した新自由主義が、経済を縮小させて、格差社会をつくりだしたのと同じメカニズムである。
 ブッシュ大統領から新自由主義を吹きこまれた小泉純一郎は、格差社会への批判に「人生いろいろ」といってのけたものだが、日本の資本主義を破壊したのは、かつて、その小泉の右腕だった竹中平蔵である。
 竹中は、郵政民営化にからめて、資本主義の本質は、企業が利益をだすことと応えている。
 士農工商が支えた江戸の資本主義は、生産と消費、雇用や文化が一体となった社会制度で、金主(資本家)だけが儲かればよいという薄っぺらなものではなかった。
 日本が、米・中の新時代のなかで、プレゼンスを発揮してゆくには、江戸の資本主義から、明治のアジア主義(玄洋社・黒龍会)、大正の民族平等(パリ講和会議)、昭和の共存共栄(大東亜会議)に至る日本固有の思想を立てなければならない。
 ところが、日本では、明治維新の近代化と戦後のアメリカ化によって、国際派がハバを利かせるようになって、マスコミや論壇などから日本固有の思想や価値観が否定され、排除されてきた。
 国際派の筆頭がマルキストで、つぎが、前回、列挙した左翼インテリ女性に代表される反日グループである。
 反日は、自国を足蹴にして、西洋に憧れる性癖の持ち主で、反日派が世論をリードすると、国際社会で、指導的な役割をはたすどころか、自虐史観や日本悪玉論の前に沈没してしまいかねない。
 次回は、反日を排除して、日本主義にもとづくグランドプランをどう立てるか考えていこう。
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2019年10月28日

日・米・中・韓の新時代と日本の役割A

 ●GHQがつくった反日の構造≠ゥらどう脱却するか
 日本の大学やマスコミ、学会や論壇、公官庁などに、左翼・反日が巣食っているのは、戦後、本土を占領したGHQによって、21万人ものまともな日本人が、大学から教育、政・官界などの公職、いわゆる知識階級から追放されたからである。
 空いた席へとびこんできたのが、共産主義者で、当時、かれらは、愛国者を公職から追い出して、職場をあたえてくれたGHQを救世主や解放者と呼んだものである。
 1950年の朝鮮戦争や52年のサンフランシスコ講和によって、公職追放は、神道指令とともに消滅したが、人間は、そのまま、そっくり残った。
 日本の大学や学会、言論界や官界に、マルクス主義者が異常に多いのはそのせいで、自虐史観の歴史学会から人権一辺倒の法曹界、反国家の教育界、男女平等雇用法の公官庁にいたるまで、日本の中枢は、いまもなお、反日・左翼の手に握られている。
 左翼・反日が、今日、大勢力となったのは、1946年の公職追放令でのしあがってきたマルクス主義者の二代目、三代目が爆発的に自己増殖したせいである。
 左翼・反日は、一般国民の何倍も声が大きく、何十倍も自己主張がつよいので、マスコミや市民運動などを利用して、たちまち、オピニオン・リーダーとして躍り出てくる。
 日本破壊を企図したGHQの政策は、公職追放令だけではなかった。
 占領基本法だった戦後憲法もそっくり残って、共産主義者やリベラル、反日主義者のバイブルとなった。
 ケーディスやホイットニーらGHQ左翼が目論んだとおりで、謀略で日本を戦争にひきこんだルーズベルト大統領の子分の(ニューディーラー)の多くはスターリンを尊敬する共産主義者だったのである。
 1991年のソ連崩壊以降、マルクス主義者の多くは、反日主義へと転じたが、これが、左翼よりも、もっと始末がわるいものだった。
 目的が、政権奪取ではなく、日本という国の否定とあって、収拾のつかないアナーキズムが、毒ガスのように日本中を覆いつくすのである。
 なにしろ、国家の否定や国威の毀損、伝統破壊だけが目的なので、獅子身中の虫どころか、まるで、全身にまわったウイルスか猛毒である。
 従軍慰安婦問題は、日本の左翼・反日がつくって、韓国に伝染させたウイルスのようなもので、左翼反日には、祖国の尊厳や名誉、誇りを地に堕とすことが快感なのである。
 日本破壊というGHQの目的にそって、じぶんの国を貶めるほど、じぶんの立場がよくなる敗戦国特有のねじまがった現象を、渡部昇一は敗戦利得構造と称した。
 左翼・反日は、革命をもとめる情熱などではなく、わが身かわいさのあまり祖国を売る売国奴の思想≠セったのである。
 日本の歴史や文化、尊厳などの国体をまもってきたのは、敗戦利得者である日本のエリートではなく、一般の善良な国民だった。
 日本は、戦後から今日まで、60年安保をふくめて、敗戦利得者層と一般国民が、国体と国益、国家の安全保障をめぐって、水面下で、しのぎを削ってきたといってよい。
 優位に立ったのは、知的権威たる大学や論壇、教育や法曹、マスコミ報道を掌握する反日エリートで、言挙げしない一般国民は、終始、劣勢に立たされてきた。
 
 その反日エリートの一群に、インテリ女性の系譜があって、源流をたどると連合赤軍の永田洋子につきあたる。
 榛名山など山岳アジトで仲間12人を殺害した永田と、反日インテリ女性を同列に扱うのは短絡とみえようが、善や徳、文化を涵養する国家の伝統を悪の権化とするところは同根で、しかも、気ままで幼稚、自己中心的という大きな共通点がある。
 戦後、監獄から解放されて、日教組代表となったマルクス主義者の羽仁五郎は、反日主義の権化で「革命がおきたら反動はみなギロチンだ」などの過激な発言で、マスコミの寵児となった。
 その羽仁が、1972年の「あさま山荘事件」について「人民を追い込んだ全責任は権力にある」と連合赤軍を擁護した。
 この論理の上に立っているのが、反日の女性エリートで、反権力・反伝統を最大の善としている。
「生理的にイヤ、ああいうシステム、ああいう一族、ものすごく気持ち悪い」と皇室を侮蔑した辻本清美やNHKと組んで「女性国際戦犯法廷」なるものをでっち上げて、昭和天皇に有罪判決(「強姦と性奴隷制にたいする責任」)を下した松井やより(元朝日新聞編集委員)、「まったく論理必然ではない」と皇位の男系相続を否定した山尾志桜里(元検察官・衆院議員)らにあったのは、歴史や伝統、権威にたいする不遜さと道徳的なふしだらさだった。
 それが、むきだしになったのが、ありもしなかった従軍慰安婦を、あったといって騒ぎまわった慰安婦騒動である。
 従軍慰安婦問題で、福島瑞穂(社民党元党首)や田嶋陽子(元法政大学教授)は、韓国で、血眼で証拠や証言を集めたが、すべて、ガセだった。
 円より子(参議院財政金融委員長)は日本政府に謝罪をもとめ、岡崎トミ子(国家公安委員会委員長)は、韓国で慰安婦の反日デモに参加した。
 反日のデパートのような弁護士の千葉景子(元法務大臣)や東大教授で戦闘的フェミニストの上野千鶴子、原発推進派を「心の病気」と断じる精神分析の香山リカ(立教大学教授)、反安倍の最右翼で、一ドル50の円高を主張する国際経済学者の浜矩子ら、反日女性に共通するのは、未熟さと、それとは裏腹の傲慢さである。
 それが、左翼が変形した反日の特性で、本人は、インテリで頭がよいつもりであろうが、幼稚で、性格がわるいだけである。
 反日女性エリートのシンボル的存在となっているのが、奥平康弘東大教授が呼びかけ人となった「九条の会(大江健三郎ら9人)」である。
 世話人をつとめているのが、東大教授で、9・11テロを神風特攻隊になぞらえた小森陽一である。
 小森の盟友高橋哲哉(東大教授)は、松井やよりの「女性国際戦犯法廷」を高く評価する一方、辻元清美のピースボートの水先案内人をつとめた愚か者である。
 東大3ばか教授の一人、姜尚中は「横田めぐみの拉致をいうなら在日同胞も日本に拉致された。めぐみさんの両親の横田滋や横田早紀江が目の前にいても同じことをいう」といってのけた大ばか者である。
 次回以降、反日の構造をもっとつぶさにみていこう。
 反日という迷妄を払えば、日・米・中・韓の新時代と、日本の役割がもっとはっきり見えてくるはずである。
posted by office YM at 11:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする