2021年03月08日

 天皇と民主主義 その7

 ●岩倉具視の謀略と公武合体論
 左翼は、明治維新が西洋の市民革命にあたるというが、当のイギリスやフランス、ロシアやアメリカで、はたして、その市民革命がおきたのだろうか?
 イギリス革命は、国王チャールズ1世を処刑した後、クロムウェルの独裁となって、王政復古後、ジェームズ2世を追放して、オランダから王妃と新王を迎えいれた。
 フランス革命は、国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネット、その子らを処刑したロベスピエールの恐怖政治をへて、ナポレオンの軍事政権へ移っていった。
 ロシア革命は、ロマノフ王朝一族を処刑したのち、レーニンとスターリンの専制となって、粛清政治がおこなわれた。
 アメリカ革命は、ヨーロッパとりわけフランスの支援をえて、米大陸の13植民地が英国軍を破った事実上の全欧州による反英戦争にすぎなかった。
 これら政変の、どこで、市民が政治権力をにぎったろう?
 あったのは、権力の移動だけで、王権神授説にもとづいた君主権を否定した新しい権力が、人民代表を自称したにすぎない。
 革命政権が名乗ったのが民主主義≠ナ、伝統に代えて、人民の支持を権力の正統性としたのである。
 とりわけ、王政復古や独裁政治がなかったアメリカでは、民主主義を唯一の国家の背骨にすえなければならなかった。
 イギリスは議会、フランスは人権、ロシアはボリシェビキ(多数派)独裁を王権神授説に代わる政治の原理としたように、アメリカは、民主主義を国家の根幹としたのである。
 日本が憲法の国民主権を筆頭に、民主主義一辺倒なのは、戦後、アメリカの被占領国となったからで、右陣営の一部でさえ、憲法や民主主義を、第二の国体と心得ている者もいる。

 明治維新は、市民革命どころが、薩長土肥によるクーデターだった。
 暗躍したのが身分の低い公家ながら、孝明天皇の侍従に出世した岩倉具視と薩摩藩主島津久光の側近で、公武合体策をすすめた大久保利通だった。
 明治維新の核心は、岩倉と大久保がすすめた「大政奉還」と「王政復古」にあったのはいうまでもない。戊辰戦争以下、西南の役に至るまで、薩長の暴走もしくは怨恨で、維新の精神とは無縁の政争でしかなかった。
 明治維新のプランナーは、岩倉具視で、それにのせられたのが大久保や西郷隆盛だった。西郷は、西南の役で自刃する前に、徳川慶喜にすまぬことをしたと呟いたという。
 大久保や西郷が奔走したのは、薩摩藩の藩士として、藩主の島津斉彬の尊王攘夷や島津久光の公武合体論をささえる立場にあったからだった。
 尊王攘夷の尊王は、天皇を敬い、攘夷は、開国をもとめる外国を撃退しようとする思想である。
 ところが、その急先鋒だった薩摩と長州は、薩英戦争や下関戦争で外国船とたたかうものの、大砲の威力にちがいで圧倒される。
 すると、薩長は、あろうことか、尊王攘夷を捨てて、開国・倒幕へと方針を転換させる。
 だが、徳川は、すでに、大政奉還をきめていて、内乱の要素などなかった。
 このとき、岩倉は、徳川慶喜に大政奉還させ、しかるのちに、薩長に官軍を名乗らせて、幕藩体制をつぶそうという悪知恵をはたらかせる。
「公武合体」の立場をとっていた岩倉は、和宮親子内親王(孝明天皇の妹君)の14代将軍徳川家茂への降嫁を取り仕切って、これが、大政奉還の下敷きとなった。

 公武合体論は、欧米議会をモデルに、諸侯や有能な藩士を議員とする議会を中心とする画期的な国家構想で、坂本龍馬の「船中八策」や西周の「議題草案」津田真道の「日本国総制度」などもこれをとりいれ、当時、もっとも具体的な政権構想であった。
 徳川慶喜が大政奉還したのは、この新体制の「大君」の位置につけるという見通しがあったからで、大政奉還したその日に、岩倉具視が、薩長に「倒幕の密勅」を送りつけるとは夢にも思っていなかった。
 ところが、岩倉は、慶喜を騙したあと、公武合体論を返上して、戊辰戦争を工作する。そして、ヨーロッパの王権神授説を借りてきて、現人神による独裁国家を画策する。
 日本は、ゆたかな歴史や文化、伝統をもった武士の国から、国民皆兵の天皇の国となって、第二次大戦が終わるまで、この体制が維持される。
 岩倉具視の罪状を列挙すると以下である。
 
 1、大政奉還の工作と「倒幕の密勅」を偽造
 2、公武合体論の廃棄と討幕謀略
 3、「官軍」と」「錦の御旗」の偽造
 4、江戸城攻撃と戊辰戦争の工作
 5、天皇を国家元首とする国体の破壊
 6、辞官納地や秩禄処分などで不平士族の乱を招いた


 イギリス革命にはクロムウェル、フランス革命にはロベスピエール、ロシア革命にはレーニンやスターリンという悪役が登場したが、明治維新で登場したのは岩倉具視という悪で、岩倉には、孝明天皇や坂本龍馬の暗殺という容疑もかかっている。
 明治維新がブルジョア革命だったという左翼の言い分はとんでもない戯言だったのである。
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2021年03月01日

 天皇と民主主義 その6

 ●明治維新は革命かクーデターか
 明治維新は、革命だったのか、それとも、クーデターだったのか。
 この判定は、敗戦後のGHQ体制や戦後レジームの評価にもかかわってくる重大な問題である。
 左翼が明治維新を革命というのは、第二次世界大戦の敗戦を敗戦革命≠ニみてのことである。
 明治維新と先の敗戦を合わせて、レーニンのいう二段階革命がおきたといいたいのである。
 明治維新で封建体制を打ち破ったのちに、先の大戦に負けて、民主主義革命が実現されたという理屈である。 
 げんに、左翼や護憲派は、憲法学の宮沢俊義が唱えた「八月革命」論をいまなお信奉している。
 護憲派が八月革命論を支持するのは、憲法がそのバイブルになっているからである。
 日本の憲法では、国家主権が、すべて、国民主権にいれかわっている。
 これがフランス革命の「人権宣言」にあたると自画自賛する左翼もいるほどである。
 ちなみに、現行憲法には、国民と主権という文字が合わせて50回でてくるが、国家主権という文字は一度もでてこない。
事実上の国家主権である交戦権も否定されている。これは当然のことで、当時、日本は、被占領国で、武装解除されていた。
 したがって、1951年サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復した段階で、GHQ憲法を廃棄して、新憲法を制定すべきだった。
 ところが、左翼の抵抗と吉田首相が消極的だったこともあって、それができなかった。
 その意味で、現行憲法は、GHQではなく、左翼による押し付け憲法だったのである。

 左翼が、明治維新をブルジョワ革命とみるのは、封建体制が崩壊したとみるからである。
 代表的な論者が、大内兵衛や向坂逸郎ら労農派で、明治維新は不徹底ながらもブルジョア革命で、天皇はブルジョア権力にとりこまれたと論じた。
 これにいして、羽仁五郎ら講座派は、絶対的天皇制と封建性が残っているとして、革命論には立たなかった。
 だが、明治維新が、徳川幕府にたいする、薩長らのクーデターだったという見解をもつにはいたらなかった。
 戦後、羽仁五郎や遠山茂樹らマルキストの『明治維新』(岩波新書・書店)や『坂本龍馬と明治維新(ジャンセン)』、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が国民的ベストセラーになる一方、明治政権下の江戸幕府暗黒論がいきわたって、明治維新が輝かしい歴史的偉業ともてはやされた。
 明治維新は、徳川慶喜の協力で、わずか3年で達成されている。

 1867年 大政奉還 王政復古
 1868年 五箇条の御誓文
 1869年 版籍奉還(江戸城無血開城)


 明治維新は、徳川幕府と江戸300余藩が薩長土肥の下級武士による討幕の動きに応じて、早々に、政権返上を申し出たものである。
 それが、摂政や関白、幕府が権威である朝廷から権力をあずかる日本特有の政治機構で、徳川幕府もその伝統にしたがったのである。

 ところが、ここで、異変がおきる。
「大政奉還」がおこなわれた同年同日(1867年10月14日)、岩倉具視が「討幕の密勅」をデッチあげて、薩長に討幕をけしかけるのである。
 孝明天皇の徳川慶喜ににたいする信頼は厚く、大政奉還も、その信頼関係にもとづいたもので、慶喜にも、新体制の長に任じられるという自信があった。
 孝明天皇がきらっていたのは、むしろ、禁門の変で、京に火を放ち、御所に発砲した長州だった。
 その孝明天皇が、慶喜が大政奉還したその日、薩摩と長州に討幕の密勅≠発するわけがない。
 明治維新を倒幕運動へ変質させたのは、岩倉具視の謀略だが、その総仕上げとなったのが戊辰戦争だった。
 戊辰戦争は、新政府が、徳川慶喜を政権から排除して、辞官納地を要求したことにたいする旧幕臣や会津・桑名両藩士らの憤激を端に発する。
 慶喜は、1868年1月、旧幕兵や会津・桑名の藩兵を率いて京にむかったが、これを迎え撃ったのが、薩長両藩を中心とする新政府軍(官軍)であった。
「鳥羽・伏見の戦い」から戊辰戦争がはじまるが、これらの内乱と明治維新となんのかかわりもない。
 あったのは、薩長とりわけ「長州征伐」や「禁門の変」にたいする長州の遺恨だった。
 会津戦争における長州軍の強姦や強奪、無差別殺人、遺体の埋葬禁止などの残虐非道ぶりは、いまなお語り継がれているが、すべて、禁門の変で、京都守護役の会津藩(松平容保)に鎮圧された恨みである。
 現代でも、明治維新は、徳川を滅ぼして、近代をつくりあげた薩長の偉業ということになっている。
 次回以降、薩長政権の虚構と謀略にふれつつ、天皇を政治利用した明治維新の実体に迫っていこう。
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2021年02月22日

 天皇と民主主義 その5

 ●民主主義と共産主義は双子の兄弟
 戦後、民主主義を最大限に利用したのが、左翼であった。
 大内兵衛と向坂逸郎、羽仁五郎の御三家は、教祖的なマルクス学者で、その下で、おびただしい数のマルクス主義者が教壇や学会、政界や官界、法曹界やマスコミへ送り出された。
 憲法学の重鎮、宮沢俊義もその一人で、ポツダム宣言受諾によって、日本に革命がおきて、主権が天皇から国民に移ったとする「八月革命」を主唱した。
 そのバイブルが日本国憲法で、左翼や護憲派が憲法を革命の聖典≠ニしてあがめるゆえんである。
「日本は戦争に負けて民主主義のよい国になった」という民主主義賛歌≠吹聴したのも、マルクス主義者で、それが、のちの「自虐史観」や反日主義へつながっていった。
 マルクス主義者は、なぜ、かくも、民主主義をもちあげるのか?
 理由は、共産主義と民主主義が「一卵性双生児」だからである。
 生みの親は、ともに、ルソーの一般意志≠ナある。
「個人の主権」を一本にまとめて「国民主権」としたのが一般意志である。

 国民には主権があるとおだてあげる。
 だが、その主権は、一人ひとりにではなく、全体にあたえられるものである。
 国民全体は、議事堂に入りきれないから、という理屈である。
 そして、一般化されたその国民主権≠為政者があずかる。
 いったん、この国民主権をあずかったら、独裁体制にしようと、大統領制にしようと、あるいは、議会主義にしようと、為政者の勝手である。
 これがルソーの詐欺まがいの論法で、この理屈にのって、フランスで革命がおきた。
 国民主権をあずかったとするジャコバン派がルイ16世とマリー・アントワネットの首をギロチンで落としたのである。
 マルクスの共産主義は、ルソー主義にユダヤの経典「タルムード」を足した代物で、ロシア革命のレーニンはこれを掲げて、ボリシェビキ(多数派)独裁を断行した。
 ジャコバン派の暗黒政治も、ボリシェビキの恐怖政治も、多数派による人民独裁で、民主主義を謳っている。

 日本国憲法の国民主権も、ルソー主義で、国民総体あたえられた主権である。
 ところが、日本人の半数以上が、一般化という概念を理解できずに、国民のひとり一人に主権があると思いこんでいる。
 主権は、君主権(ソブリンティ)なので、それでは、国民が、全員、王様になってしまう。
 国民主権を、独裁者があずかるのが人民独裁で、中国も北朝鮮も、人民政府である。中華人民共和国は、憲法と共産党規約で、朝鮮民主主義人民共和国は「党の領導」で、それぞれ独裁≠明記している。
 国民主権を、内閣や議会があずかるのが議会民主主義で、イギリスや日本の立憲君主制がこれにあたる。国民の主権を、大統領があずかるのがアメリカやロシアの大統領民主主義で、フランスやドイツ、イタリアなどは、その中間をとった半大統領制である。
 
 日本の左翼は、日本でも、かつて、市民革命がおきたと主張する。
 明治維新は、不徹底とはいえ、ブルジョア革命で、天皇は、革命勢力(薩長下級武士)に担がれたというのである。
 そして、第二次大戦の敗戦によって、アメリカから民主主義がはいってきて「敗戦革命(レーニン)」が実現した。
 マルクス・レーニン主義における「二段階革命論」である。
 まず、ブルジョア民主主義革命(明治維新)で、封建制度を廃止する。
 そののち、発達した資本主義をひっくり返して共産主義革命(敗戦革命)が実現されるという理屈である。
 戦後、左翼や反日勢力、護憲派らが民主主義をもちあげてきた理由がこれである。
 民主主義という伝家の宝刀を使えば、伝統破壊の市民革命から、体制転覆の共産主義革命まで、思いのままというわけである。
 左翼や反日勢力、GHQの恩恵をうけた敗戦利得者やマスコミが民主主義に入れあげるのは、革命を欲しているからで、一応、うなずける。
 わからないのが、保守政党たる自民党が、民主主義をもちあげる精神構造である。
 戦後、GHQ旋風が吹き荒れるなか、日本の保守政党が自由や民主を謳ったのはやむをえなかったろう。
 だが、多数決の原理と普通選挙法、一般化された国民主権をさすにとどまる民主主義を政治信条とするのはいかがか。
 日本の保守政治家は、保守思想や伝統主義について、無知なのではないかと疑わしい。
 次回以降、保守思想と伝統主義について、思うところをのべよう。
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2021年02月15日

 天皇と民主主義 その4

 ●西洋「500年の抵抗史」と民主主義 
「二重革命」なることばがある。フランス革命とイギリスの産業革命を一連の動きとしてとらえたもので、これにアメリカ革命をくわえて「大西洋革命」という呼び方もある。
 この大西洋革命に連動したのが日本の明治維新である。以下、時系列を示す。

 1775〜1783年/アメリカ革命(アメリカ独立宣言)
 1789〜1794年/フランス革命(フランス人権宣言)
 1807年/フルトン(アメリカ)が蒸気船を発明
 1830年/スティーヴンソン(イギリス)が蒸気機関車を実用化
 1853年/ペリー来航
 1858年/大政奉還・日米修好通商条約の締結
 1867年/パリ万国博覧会に日本が参加(参加国42国)
 1868年/戊辰戦争・五箇条の御誓文
 1872年/日本で鉄道敷設(1890年までに線路の総延長2250km)
 1880年/日本の主要都市で電信連絡網完成
 1889年/大日本帝国憲法公布


 フランス革命から明治維新までちょうど百年で、このかんに市民革命と産業革命、そして、極東日本の明治維新と近代化が同時進行した。
 蒸気船ができて50年もたたないうちに、ペリーが、その蒸気船(黒船)を率いて浦賀に来航。西洋で蒸気機関車が実用化された60年後、日本で鉄道の敷設総距離が2250kmにたっした。 
 日本は、開国後、半世紀おくれて、ヨーロッパの産業革命をとりいれたことになるが、これは、絶好のタイミングだったといえる。
 というのは、産業革命以前のヨーロッパから学ぶべきものはなにもなかったからで、文明や文化、民度のいずれも、日本のほうが上だった。
 一方、産業革命のあとでは、近代化した欧米から武力侵略をうける可能性があった。
 げんに、日英同盟(1902年)の直後、モロッコ事件など、ヨーロッパ列強による市場争奪戦がひきがねになって、第一次世界大戦(1914年)がおきている。

 西洋の近代は、フランス革命から一世紀もさかのぼるイギリスの清教徒革命(1642年)と名誉革命(1688年)にはじまる。
 フランス革命では、ルイ16世が王妃のマリ=アントワネットとともに処刑されたが、イギリスのピューリタン革命でもチャールズ1世が処刑されている。
 英仏とも王政復古して、イギリスは立憲君主制、フランスは共和政へ移ったが、ともに、歴史の連続性を断ち切った革命国家だったことは、否定できない。
 ここで、英仏と日本のさかさまの構図≠ェうきあがってくる。
 英仏が、絶対王政を倒して、民主主義をとったのにたいして、日本は、幕藩体制を捨てて、絶対天皇をとったのである。
 権力の政治利用だったにしろ、権威だった天皇が、突如、統治権を総攬して統帥権をもつ権力者として登場してきた。
 絶対王政やキリスト教会の強権を打破して、個人や自由、平等という価値を手に入れたヨーロッパにたいして、日本は「君民共治」という理想的な政治を捨てて、天皇制ファシズムという全体主義へむかったのである。

 戦後、左翼やリベラルは、民主主義を、人類が最後にたどりついた理想的な政治形態、文化様式であるかのように吹聴してきた。
 そして「日本人は民主主義をわかっていない」とこきおろしてきた。
 だが、西洋人も、民主主義を「ファシズムよりはマシ」(チャーチル)ほどの認識しかもっていない。
 それでは、なぜ、西洋人は、民主主義を必死にまもろうとするのであろうか。
 それには、ルネサンスから宗教改革、啓蒙時代へいたるヨーロッパ500年の歴史に目をむけなければならない。
 絶対王政とローマ教皇庁の強権下にあった「暗黒の中世」において、家畜のようなあつかいをうけていた民衆が、人間としての生き方や自由をもとめたのが、14〜16世紀のルネサンスだった。
 これに宗教改革がからんで、当時、多くの人命が失われた。「30年戦争」の犠牲者は、ドイツだけでも800万人にもおよび、ペストの流行とあいまってヨーロッパの人口は減少へむかったほどだった。
 17〜18世紀の啓蒙時代は、聖書や神学から、ヒューマニズムや理性へとむかう近代の入口であったが、ここでも、宗教の迷妄から逃れようとする多くの先進的な人々が異端裁判によって虐殺された。
 そして、500年にもわたる抵抗の末に、市民革命がおきて、ヨーロッパの人々は、権力の奴隷や神のしもべから、ようやく、人間となった。
 その象徴が、革命のスローガンとなった民主主義だった。

 民主主義は、多数決の原理と「普通選挙法」以外のなにものでもない。
 そう問うと、西洋人は「われわれが500年をかけてもとめてきたのは民衆(デモス)の力(クラトス)だった」と答えるだろう。
 民衆の暴力(デモス クラトス)が民主主義(デモクラシー)の語源である。
 民主主義の思想がすぐれていたのではなく、絶対権力を倒すには民衆の暴力≠ノ頼るほかなかったのである。
 クラトスという暴力が多数決へにおきかえられて、王を処刑するクラトスが実行に移された。
 クラトスは、正義ではなく、強さや力、勝利や暴力をさすことばである。
 日本人は、民主主義が唯一の希望となるような暗黒の歴史をもっていない。
 それでいながら、民主主義をもちあげるのは、公正や正義という意味を嗅ぎとっているのであろう。
 だが、民主主義に、そんな意味合いはまったくない。
 左翼は、日本が戦争に負けて、戦後、アメリカから民主主義がはいってのである。
 次回は、左翼リベラルと民主主義の関係についてさらに考えてみよう。


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2021年02月07日

 天皇と民主主義 その3

 ●天皇(権威)と民主主義(権力)の二元性
 ソクラテスやプラトンが紀元前4世紀に捨てた民主主義を18世紀のルソーが拾ってきて、これを啓蒙思想の主柱にすえ、ヨーロッパ全土に革命の嵐が吹き荒れた。
 そして、世界の主たる国はみな革命国家となった。
 原点が「人間は生まれながらに自由」や「自然に帰れ」などのルソー主義にあって、フランス革命の「人権宣言」にも「人間は生まれながらにして自由かつ平等である」(1条)とうたわれている。
 ルソーは、5人のわが子を孤児院へ捨てる一方で、教育論(『エミール』)を出版、『懺悔録』では自己弁護を並び立て、ホッブズの『社会契約説』を主旨が一八〇度反対の『社会契約論』へリライトして世にだした世紀の詐話師である。
 ところが、日本では、フランス革命の理論的支柱で、近代でもっとも偉大な思想家としてほめたたえられている。
 ルソーのことばは『社会契約論』の翻訳者でもあった中江兆民らをとおして神の声≠フようにつたえられた。日本では、マルクスやルソーら啓蒙主義や民主主義の思想家がすべて神格化されて、西洋の思想の研究が博士号取得の条件となっているほどである。
 その一方で、日本古来の伝統的な価値観や政治形態はふり返られない。
 西洋の革命思想はありがたいが、わが国をささえてきた保守思想には関心がないのである。
 だが、革命の成果は、散々で、イギリスやフランス、そしてロシアも、革命政府を取り消して、議会制や共和制をとった。共産主義をとっているのは中國と北朝鮮だけだが、マルクス経済などとっくに捨てられて、とられている経済体制は国家資本主義である。
 革命は、結局、貴族や地主ら特権階級を倒して、封建体制や歴史的価値観を破壊しただけだった。
 そして、平民・農民が手にしたのが民主主義だった。
 その民主主義というのは、多数決の原理と普通選挙法のことである。
 西洋人が民主主義を称えるのは、庶民を虫けら同然にあつかった絶対王政や暗黒の宗教支配、奴隷制度が、民主主義を謳う市民革命によって倒されたからであった。

 日本には、絶対王政も恐怖の宗教支配も、奴隷市場もなかった。
 天皇がいたからである。民の神格たる天皇が、民を支配する権力を監視する権威と権力の二元論≠ノよって、日本はヨーロッパのような政治の暗黒性をまぬがれてきた。
 ところが、戦後、日本も、西洋のような絶対主義だったという歴史改ざんがおこなわれて、ついに「自虐史観」に立った歴史教科書が出回るまでになった。
 GHQの「宣伝刊行物の没収覚書」によって皇国史観や神道から「茶の湯」にいたる日本の歴史や伝統、文化を語ったおびただしい書物が没収、焚書されている。協力したのが、GHQによって解放されたマルキストで、そのなかに、旧東京帝国大学教授の牧野英一や尾高邦雄、金子武蔵ら著名な学者もいる。かれらの指導をうけた日教組が叫んだスローガンが「日本は戦争に負けて民主主義のよい国になりました」だった。
 それでは、数千年にわたって積み上げられてきた日本の歴史的蓄積や民族の知恵、善や徳、文化は、多数決より劣るというのか。
 まちがってもらっては困るのは、西洋人が民主主義を称えるのは、市民革命以前まで、西洋では、絶対主義の下で、民が家畜同然の生活を強いられてきたからで、多数決がりっぱな制度だったからではない。

「市民革命」によって、民は、王権や地主、教会の権力から逃れて、ようやく人間としての権利を主張することができるようになった。
 ヨーロッパの民にとって、市民革命は、福音だったのである。
 日本では死刑の執行にも幕府の許可が必要だった。罪状を記した書面を幕府へ送って許可をとるまで数年を要したという。30年戦争で、ドイツの人口が1600万人から1000万人まで減少したヨーロッパとは精神構造がちがうのである。
 中江兆民が唱えた「君民共治之説」は、ルソーの『社会契約論』からとったものである。ルソーはそこで「君民共治が理想であるが、そのような国があるはずはないので、やむをえず民主主義をえらぶ」という主旨のことばをのべている。
 君民共治の一つのケースが石山一向一揆≠フ劇的な退却であろう。10年間にわたって織田信長と衝突してきた一向一揆も、天皇(正親町)の仲裁によって、突如、石山を去る。信長も一揆衆も天皇には逆らえなかったのである。一揆の指導者だった顕如はのちに本願寺の基礎を確立する。
 日本人は、民主主義の世の中にテロリズムが横行するのは嘆かわしいという。
 とんでもない思いちがいで、テロリズムを許容するのが民主主義である。
 ロックの社会契約説をとったアメリカ憲法は「革命権」までみとめている。
「民主主義と天皇は相容れない」という論者もいるが、これも誤りである。
 天皇は権威、民主主義は権力で、権力は、権威の支えがなければ成立しないのである。
 次回以降、天皇と民主主義に関係について、議論を深めていこう。

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2021年02月01日

 天皇と民主主義 その2

 ●天皇の象徴性と民主主義の具象性
 世界の国々は、現在、王朝国家か、かつて、王朝国家だった歴史もっている。
 多くが、近代になって、王朝を倒し、または離反して、革命国家となった。
 革命国家の代表として、フランスとアメリカ、ロシアと中国があげられる。
 一方、王朝を残している伝統国家も、日本やイギリスなど、すくなくない。
 同じ王朝国家といっても、日本とヨーロッパでは、基本的な構造が異なる。
 日本は、紀元前に成立して、古墳時代に基礎を固めた「大和朝廷」が国家の始原で、すめらみこと(皇尊)が国を治めた。
 エジプトのピラミッドや中国の始皇帝陵に並ぶ世界3大墳墓として知られる前方後円墳が、当時、大和朝廷が国家を統べていたあかしである。
 仁徳天皇をはじめ、85基の天皇陵、4800基の一般陵が前方後円≠ニいう統一された造形形式をとっていることから、古墳時代に、天皇にたいしてなんらかの象徴観念や共通認識ができあがっていたと思われる。
 神武天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)を初代とする大和朝廷が現在まで126代にわたってまもられてきたのは、皇祖が神武天皇となる父系相続=皇統だったからである。
 それが宮家で、皇統をひきつぐ皇族男子のみに宮号があたえられる。
 宮家は、神武天皇にはじまる皇統という大樹からのびた枝である。
 そして、現在の皇室は、第113代東山天皇の第六皇子直仁親王がひらかれた閑院宮という枝である。
 皇統という考え方は、中国の「天命」や西洋の「家門」とは異なる日本特有のものである。

 ヨーロッパの王室と日本の皇室がちがうのは、そもそも、国家の成り立ちが異なるからである。
 地中海のカルタゴを滅亡させてうまれたローマ帝国、その後のフランク王国や神聖ローマ帝国をへて、現在の国家形態をとるのは、17世紀(ウェストファリア条約/1648年)以降である。
 主導権を握ったのが家門で、ヨーロッパの国々は、家門をひきついだ王室を中心につくりあげられてゆく。
 イギリス王国のノルマン朝から現在のウィンザー朝、フランク王国のカロリング朝やブルボン朝、神聖ローマ帝国のハプスブルグ朝など多くの有力家門が複雑に血縁関係をむすび、ヨーロッパの王室は、王位継承権をもちあう巨大な家族的集団となった。
 門閥であるヨーロッパの王室では、血族が、男系と女系の両方へひろがってゆくリゾーム(根)型である。
 一方、男系相続の日本の皇室は、女系という横にのびてゆく系列がない男系一本のツリー(樹木)型となる。
 そこで、皇胤を拡充するために、宮家という横にのびる枝が必要となる。
 皇統という大樹からのびた枝をとおして、宮家は神武天皇の直系となる。
 戦後、11宮家が皇籍離脱させられたが、そのうち、5宮家(賀陽宮、久邇宮、朝香宮、東久邇宮、竹田宮)は男子に恵まれて、総数で20人をこえる。
 皇族と旧皇族の親交団体(「菊栄親睦会」)を発起された昭和天皇の念頭には皇位継承権を広げる意図もおありだったという。
 そのことが意味するところは、旧皇族が隠然と存在して、男子の皇胤がおられるかぎり、女系天皇による皇統の消滅は避けられるということである。

 王朝国家が、市民革命と産業革命にうねりにのみこまれて、形骸化あるいは消滅してゆくなかで、日本は、古代より、軍部に政治利用された近代の一時期をふくめてではあるが、現在にいたるまで、ゆるぎなく、存続してきた。
 市民革命によって、民主主義が唯一の基準になったのは、伝統的な価値観をすべて失ったからだった。
 民主主義は、多数決と多数派支配のことで、唯物論である。
 政治とは、個と全体を調和させることだが、どんな哲人も政治家も、これを実現させた者はいなかった。封建主義も専制独裁も、共産主義も、個と全体の矛盾を解消させるどころか、却って、ふくれあがらせただけだった。。
 例外があった。日本である。個と全体の衝突を回避して、効率のよい政治をおこなっていたのは、世界で、天皇と将軍を両立させている日本だけだった。
 権威と権力、国体と政体の二元論で、この二元論だけが、個と全体の矛盾を解消できる。
 権威は唯心論で、権力は唯物論だが、一方だけでは片手落ちである。
 カネや権力も必要だが、やさしさや安心をあたえるのも政治である。
 日本がその政治をおこなえたのは、権力を監視する権威の目がはたらいていたからであった。
 イギリスは、カナダやオーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなど旧植民地の自治権をみとめる「ウェストミンスター憲章(1931年)」に署名して、イギリス連邦の権力者から、権威の座へ移られた。
 同憲章はこのとき象徴≠ニいうことばをつかった。
 日本において、天皇は、2000年前から象徴で、権力たる具象と二元論を構成してきた。
 わたしは、天皇の象徴性と民主主義の具象性も二元論ではないかと考える。
 次回以降、天皇と民主主義について、さらに、議論を深めていこう。


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2021年01月25日

 天皇と民主主義 その1

 ●皇族は国民ではあらせられない
 秋篠宮さまが長女眞子さまと小室圭さんのご婚儀について「憲法にも結婚は両性の合意のみにもとづいてとある」とされたうえで、これをおみとめになられた。
「状況が整わなければ納采の儀(ご婚約)をおこなうことはできないとのべてこられたことから、世間的には、方針の転換とうけとめられた。
 秋篠宮さまのご発言には、皇室のありかたをゆるがしかねない瑕疵がみえている。
 皇族は、国民のご身分ではあらせられないので、憲法による規定をおうけにならないのはいうまでもない。
 日本国の戸籍をおもちにならないというよりも、人権および人格、個人たる諸条件をすべて超越しておられるからで、日本人が、天皇やご皇族を敬愛してやまないのは、そのおすがたの神々しさゆえである。
 そのやんごとなき皇族が、国民を規制する権力の体系である憲法にみずからすすんで従われようとされるのは、国体や国家伝統、皇族の歴史的なありようからみて、奇異にして不自然で、違和感をかんじざるをえない。
 まして、天皇の正統性たる万世一系≠ノふれかねない皇族のご婚儀という国体上の事柄に憲法をもちだされるご見識については、言語道断と申し上げるほかない。

 日本と中国、ヨーロッパの権力や権威は、それぞれ、なりたちが異なる。
 易姓革命の中国では、徳ある者に王位を付与して、徳を失った王から王位を奪うという「天命運動」がおこなわれた。4王朝(「遼・金・元・清」)による異民族支配は天命≠ニいう支配イデオロギーが、民族や歴史、文化をこえていた証左といえよう。
 ヨーロッパの王朝は、家門による権力主義で、ローマ教皇庁と並ぶ勢力を誇ったハプスブルグ家をはじめ、スチュアート家(イギリス)、ブルボン家(フランス)、メディチ家(イタリア)などの名門が跋扈して、のちのヨーロッパ国家形成の母体となった。
 日本は、神武天皇の建国神話にもとづいて、天皇の権威を歴史的にうけつぐ皇統保持で、その象徴が「万世一系」である。
 権力や権威の正統性は、ヨーロッパにおいては家門で、中国は天命、日本は歴史にある。
 権力や権威を、法で規定したケースは、近代以降の革命国家のほかにはみることができない。
 天皇の正統性は、ヨーロッパの「家門(血族)」や中国の「天命(徳)」とは異なり、神武天皇の皇統(男系血統)にある。
 歴史そのもののなかにあって、天皇の地位は、歴史上の地位である。
 歴史が、天皇の玉座を用意して、万世一系のどなたかがその玉座におつきになって、天皇陛下になられる。
 この構造は、血筋をたどってその地位をひきつぐ血縁的相続とは、根本的に異なる。
 万世一系というのは、神武天皇の血統を継いでいるか否かだけで、親等とはかかわりがない。
 女性がX染色体を2つもっているのにたいして、男性はXとYの2種の染色体をもっている。Y染色体をうけつぐ男系相続では、Y染色体は交差しないので、親等を問う必要がない。

 第26代継体天皇は、先代の武烈天皇と血縁性がなく、第15代応神天皇の5世孫である。大連の大伴金村、物部麁鹿火、大臣の巨勢男人ら豪族の推戴をうけて、天皇になったが、武烈天皇も応神天皇も、神武天皇のY染色体をうけついでいる。

 それが、万世一系にもとづく皇統で、男系相続が絶対条件となる。
 大昔でも、男系・女系が混じる血縁相続では、皇祖が神武天皇ではなくなることはわかっていたのである。
 皇位が「万世一系」になることによって、天皇は、歴史からうまれることになった。葦津珍彦は「天皇は歴史をつらぬく真実」といった。天皇は、門閥や血縁、権力や人徳、法や制度からうまれるものではなく、歴史そのものだったのである。
 したがって、無人格となる。「神に祈る神」である天皇は、神道の最高神官にして、最高権威の聖なる存在だからで、日夜、日本国の弥栄と日本人の平安を天照大御神に祈っておられる。
 権威である聖なる天皇と、権力を行使する俗なる権力者とは、一線が画される。
 天皇は、権力者ではないのみならず、権利も基本的人権ももっておられない「神のような人」で、日本という国が一つにまとまっているのは、その中心に無私の天皇がおられるからである。
 第59代宇多天皇は「寛平御遺誡」という帝王学を遺された。
 そこには「愛憎や好悪、惑溺や喜怒をおもてにだしてはならない」とある。
 貞観政要などの帝王学にも「じぶんの意見を安易にのべるべきではない」とある。
 意見を発すれば、かならず敵をつくるからで、皇族が政見をのべ、選挙権をもったら、天皇中心の日本の国体は、崩れ去ってゆくであろう。
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2021年01月18日

 反官僚の菅政権に期待するO

 ●新たなる「日英同盟」とシックスアイズ
 日本の護憲派は「九条の会」を創立した9人のうちの1人、大江健三郎のつよい影響下にある。
「日本がわるいから原爆を落とされた。わたしは日本がきらいだ。わたしは日本人ではないので、文化勲章は断ったが、ノーベル賞はもらった」というのが大江イズム≠ナ、東大や京大、論壇や学会に信奉者が多い。
 日本学術会議も「自由と平和のための京大有志の会」も、コロナ特措法に抗議声明をだしたマスコミ労組(MIC)も同じ穴のムジナで、左翼というより、GHQの「日本滅亡化戦略」をうけついだ反日・抗日¥W団といったほうがわかりよい。
 国家に巣食って、利敵・売国・破壊行為をはたらく反日・抗日は、権力でおさえこむことができる左翼よりも始末がわるい。
 多くが、体制内エリートのインテリとあって、MIC支配下のマスコミで叩く大口やホラ、デマ、扇動の悪質さには半端ないものがある。
 反日・抗日が、メディアで幅を利かせるのは、MICの後押しがあるからで、コロナ特措法をゆるさない、自民党を打倒しようと叫ぶマスコミ労組の影響下にあるメディアに、国を挙げてのコロナ対策の応援、支援などできるはずはない。

 反日・抗日はカッコいい、国を売ることはよいことだという風潮のなかで懸念されるのが「国家・防衛情報」の国外漏洩とマスコミによる「情報操作(デマゴギーによる政治工作と騒擾)」である。
 日本を代表するメディアである朝日新聞は、教科書や慰安婦などの情報を外国にリークして国家にダメージをあたえたが、NHKも、天皇を強姦罪で有罪とする「女性国際戦犯法廷」を放送(「問われる戦時性暴力」)するなど反日報道をくり返してきた。
 法務省(公安審査委員会)は、オウム真理教にたいする破壊活動防止法の適用を棄却(1997年)するなど、国家や国民よりも、自由や人権などのイデオロギーを重視する姿勢をつらぬいてきたが、法案提出権を握っている内閣法制局も、憲法9条の信奉者で、集団的自衛権や有事法制、日米安保にたいして、否定的である。
 国家機能が丸ごとGHQ体制にある日本では、国をまもるという最低限の国家主権すら、その根拠を、憲法ではなく、日米安保条約に根拠をもとめている有様である。
 国家防衛法や秘密保持法、国家緊急権すらつくれない状態で、スパイ防止法など望むべくもなく、げんに、国家秘密の管理体制を強化する「秘密保全法」の国会提出が、2011年、内閣法制局から拒絶されている。

 日米安保を抜くと丸腰≠ニなる日本に戦前(1902年〜1923年)の同盟国だったイギリスから「UKUSA協定(「ファイブアイズ」日本をふくめて「シックスアイズ」)へ加盟の呼びかけがあった。
「UKUSA協定」は、アメリカとイギリス連邦(イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)による機密情報共有の枠組みで、事実上の軍事情報同盟である。
 ファイブアイズは、ナチスドイツの暗号エニグマと日本の外務、陸・海軍の暗号を解読して、第二次大戦の勝利に貢献した情報機関が母体で、現在、高度に電子化された国際情報戦をリードしている。
 日本が「UKUSA協定」に参入して「シックスアイズ」になると、スパイ天国といわれた日本の甘すぎた諜報体制が一変する。同盟6国が共有する機密情報をまもるために、きびしい国際法(「UKUSA協定」法)がはたらくようになるからである。
 これまで、アメリカは、日米安保体制をとおして、米軍の軍事機密がもれる懸念をしめしてきたが、日本政府には、打つ手がなかった。
 だが、スパイ行為が条約∴癆スということになれば、話はべつである。
 わが国では、条約が国内法と同等の効力をもっている(憲法98条2項)が、通例では、条約が法律に優位する。
 これまで、スパイは、窃盗容疑で片づけられてきたが、日本が「シックスアイズ」の一員になれば、条約(国際法)違反として、堂々と、捜査や摘発、公表、立件ができる。

 中国への頭脳流出(「千人計画」)については、アメリカで、ノーベル化学賞候補だったチャールズ・リーバー、W・バージニア大学のジェームズ・ルイス物理学教授ら大物が続々と逮捕されているが、日本では、マスコミが、成功話として、うれしげにもちあげている。
 日本が「シックスアイズ」に参入するには、スパイ防止法や秘密保全法などの制定が前提になると多くの識者が指摘する。日米安保をむすぶには、憲法9条の撤廃が必要というのと同じ論理なのだが、見当ちがいもはなはだしい。
 世界第6位の日本の軍事力が依拠しているのは、日米安保条約であって、憲法9条ではない。
 憲法で国をまもれないので、代わって、日米安保という外交条約が代行して、国をまもっているのである。
 スパイ法という国内法がないので「シックスアイズ」条約をもってスパイを摘発する。
 同じ論理である。護憲派が、必死になってまもっている日本国憲法は、なんの役にも立たない前世紀の遺物なので、事実上、廃棄して「シックスアイズ」条約に代行させるのである。
 憲法などいらない。憲法をもたないイギリスと同様、条約と国際法、国内の慣例法だけで、日本は、十分にやっていけるのである。


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2021年01月12日

 反官僚の菅政権に期待するN

 ●「日・米・英」同盟で米にかかる同調圧力
 EU(欧州連合)から離脱して、大英帝国としてのアイデンティティを強めつつあるイギリスと日本が、ここにきて、急接近している。
 戦後の日米安保に匹敵するのが戦前の日英同盟で、日本とイギリスはともに伝統的な海洋国家(島国)にして、それぞれ、天皇と女王を戴く立憲君主国という共通点をもっている。
 第二次大戦で、日本はアメリカに負けたが、イギリスには勝っている。
 戦艦プリンス・オブ・ウェールズなどを撃沈したマレー沖海戦とパーシバル大将が13万の兵士と共に降伏したシンガポール陥落である。
 イギリスには、日本を敵国と見る意識はあっても、ジェノサイト(大都市空襲/広島・長崎原爆投下)ののちに本土を占領して、憲法を書き直すなど日本の主権を土足でふみにじったアメリカの傲慢さはない。
 アメリカ次期大統領バイデンの「日本の憲法は核をもたせない目的でわれわれが書いた」という発言は、日本を見下した姿勢のあらわれで、バイデンが、今後、日本軽視、中国・韓国重視の政権をとるであろうことは、民主党の伝統でもあって、疑いえない。
 その歯止めとなるのが、新日英同盟≠ナある。イギリスの監視がきいていれば、バイデンは、極東政策において、中国にたいして、迎合的な政策をとることはできない。
 バイデンが、中国共産党と裏でつながっていて、中国に利権をもっていることは、半ば公然たる事実だが、アメリカのマスコミが、これを報じないのは、反トランプ=民主党支持だからである。
 
 現在、アメリカは、トランプ支持の保守系(共和党)と反トランプの革新系(民主党)が62万人の戦死者を出した南北戦争さながらのにらみあいをつづけている。
 そして、錯乱したトランプが核ミサイルのボタンをおしかねないという危機感がひろがっている。発信源は、むろん、民主党である。ペロシ下院議長は、トランプ大統領の核攻撃命令に応じないよう国防総省のトップであるミリー統合参謀本部議長と合意したという。
 このことからも、国防省や国務省、CIAらアメリカの中枢がトランプを見捨てたとわかる。
 アメリカ大統領選挙に不正があったことは、各投票場に一台8千ドルもの投票マシーンが使用されたことで半ば明らかである。操作の必要がないのであれば、日本の総選挙のように、なんの混乱もなく、翌日には結果と数字が明らかになっていたはずである。
 投票マシーン管理者同士の銃撃戦、監視カメラの隠蔽、不正選挙に怒ったトランプ支持者による米連邦議会議事堂への乱入事件と今回のアメリカの大統領選は、首を傾げたくなることばかりおきた。
 アメリカは、周到な計画にもとづくケネディ大統領の暗殺がオズワルドの動機なき£P独犯とされたように、真実が大きな力によって闇に葬られる風土にある。
 ニクソンの電撃的な米中和解(1972年/米中共同宣言)の前例があるように、バイデンが、個人的な打算から、中国に迎合する可能性を否定することはできない。
 その場合、危機に瀕するのは、シーレーンである。中国が、南シナ海から台湾沖(バシー海峡)、尖閣列島周辺まで制海権をひろげても、バイデンはなんの危機感も抱かないだろう。
 そこに、イギリスが、日米のアジア防衛にくわわるメリットがある。
 大英帝国は、カナダとオーストラリア、ニュージーランド、インドとマレーシア、シンガポールの宗主国である。日本が、豪州やインド、アセアンをまきこんですすめてきた「自由で開かれたインド太平洋」構想と、大英帝国のアジア進出が地政学的にぴったり一致するのである。

 英海軍は、2021年には、最新鋭空母「クイーン・エリザベス」をインド太平洋でおこなわれる日米合同軍事演習に参加させる。
 クイーン・エリザベスを中心とする空母打撃群は、最新鋭のステルス艦載機F35Bを24機、23型フリゲート2隻、45型駆逐艦2隻、原子力潜水艦1隻で編成される欧州最強の艦隊で、近々、空母プリンス・オブ・ウェールズもこれにくわわる。
 太平洋とインド洋、アラビア海を日・米・英の海軍力でまもろうという構想で、中国の覇権主義にまっこうから対決しようというのである。日英軍事同盟は「空対空ミサイル(12億円)」や「高機能レーダー技術(41億円)」などの共同研究部門も順調で、これから、ミサイルやミサイル防衛も課題に入ってくるだろう。
イギリスは、今後10年の展望のもとで「統合運用コンセプト2025」という長期軍事計画を立て、クラウド接続や人工知能(AI)、ロボットや量子コンピュータ、IoT(物のインターネット)化をすすめるという。
 とりわけめざましいのはロボット技術で、武器のロボット化からロボットが操縦する戦車、空挺部隊が、ドローンにまもられながら戦場をかけぬけるシミュレーションもできあがっている。
日本の防衛がめざすのも、同様に、AI化やロボット化で、日本の科学者が中国に媚びて、日本の防衛には協力しない(日本学術会議)というならイギリスと組むだけである。
 次回は、イギリスが日本に加入をもとめ、入ると科学やマスコミにも大きな影響がおよぶであろう「シックスアイズ」についてもふれよう。
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2021年01月04日

 反官僚の菅政権に期待するM

 ●国家防衛なき経済繁栄はない
 平和主義を掲げて、科学や文化から経済にまで難癖をつけてきた学術団体の正体が暴かれて、国民の批判を浴びたのは「日本学術会議」の任命拒否問題がきっかけだった。
 なにしろ、日本の科学技術には協力しないが、日本の学者を招聘する中国の軍事産業には協力するというのだから、あいた口がふさがらない。
 マスコミや論壇、立憲民主党ら、いわゆる平和勢力が菅政権批判を展開したが、ネット世論の反発に押されて、沈黙した。マスコミが煽って世論形成する時代は、ネット社会の到来で、すでに終わっていたのである。
 マスコミはふれないが、そのかん、日本の防衛は、新たな段階に入った。
 これまでの専守防衛から敵基地攻撃へ、方向転換を明確にしたのである。
 平和勢力がこれを批判しないのは、中国や北朝鮮、韓国のミサイルが日本の都市や原発を標的にしているなか、専守防衛を唱えても、国民の支持がえられないと読んだからであろう。
 安倍前首相は、退任直前、敵基地攻撃能力の保有を宣言して、菅義偉政権にバトンタッチした。連立を組む公明党までが敵基地攻撃能力の保有に否定的とあって、これを退任の置き土産にしたのである。
 日本をまもるには、専守防衛だけではなく、敵基地攻撃能力をもたなければならない。
「迎撃能力をいくら向上させても国家防衛は不可能」というのが日米国防筋の常識で、日米がコンピューター上でおこなう日米共同統合指揮所演習「キーンエッジ(鋭い刃)」でも、アメリカは敵の拠点を攻撃しなかった。
 ニューヨークにミサイルを撃ちこまれるリスクを冒して、アメリカが日本のために敵基地に報復ミサイルを撃ちこむ可能性はゼロだったのである。
 したがって、ミサイルを撃ちこまれた場合、日本は、自前で報復しなければならない。その準備がいままでできなかった理由は、ミサイルを撃ちこまれて日本中が火だるまになっても、憲法9条をまもれという日本流「平和主義」が大手をふっていたからだった。
 核戦争がおこる可能性は、かぎりなくゼロに近いが、通常兵器による紛争の可能性はけっしてゼロではない。
 交戦の可能性を措いても、軍事的優劣は、国家関係に多大の影響をおよぼす。
 中国や韓国が、日本にたいして強気なのは、日本の大都市や原発にいつでもミサイルと撃ちこめるからである、
 日米とも、空から降ってくる多数のミサイルを百発百中で迎撃できる能力をもっていない。専守防衛の論理はここで破綻する。残った手段は、ミサイルを発射した敵国へ報復ミサイルを撃ちこむだけである。
 このミサイルに核弾頭が装備されている必要はない。
 先制攻撃を思いとどまらせるに足る報復的な軍事効果をそなえているだけで十分で、相互確証破壊のメカニズムがはたらけばよいのである。

 防衛省の来年度予算要求は、過去最高の5兆4898億円だが、そのなかに敵基地の攻撃に必要な装備群(ストライク・パッケージ)が多く盛りこまれている。
 戦闘機や巡航ミサイルが中心の打撃力(敵基地攻撃能力)や事前に敵基地のレーダー網や迎撃態勢を無力化して、制空権を確保する電子戦能力、ミサイル発射の兆候をつかみ、発射装置の位置を特定する情報収集能力などである。
 日本は、すでにアメリからF35ステルス戦闘機105機を調達する方針をきめているが、来年度は、そのうちの6機分、666億円を盛りこむ。
 そして、F35に格納する射程500キロのノルウェー製の巡航ミサイルに172億円、射程900キロの巡航ミサイル(米国製)を搭載するF15戦闘機の機体改修費213億円を要求した。
 防衛庁は、発射したミサイルの迎撃を防ぐため、敵レーダーを無力化できる電子戦機の開発費153億円も要求したが、今後は、多数の小型衛星を使って攻撃目標をとらえる能力を強化して、さらに完全なストライク・パッケージをめざす。
 中国や韓国、北朝鮮が日本の都市にミサイルをむけても、日本からの報復が確実なら、軍事バランスの不均衡はおきない。
 それでも、通常兵器による軍事衝突のリスクがなくなったわけではない。
 とりわけ重要なのは、海洋国家日本の生命線であるシーレーン防衛である。
 日本は、大型タンカーが、毎日、3隻入らないと経済がなりたたない。
 日中が戦争状態になって、中国海軍が、ペルシャ湾からインド洋、マラッカ海峡、南シナ海、台湾海峡を封鎖すると、日本は、たたかわずにして、白旗をあげなければならなくなる。
 親中派のバイデン大統領が、中国共産党と蜜月状態になる可能性を否定することはできない。ルーズベルト以来、アメリカ民主党にとって、中国は盟友のようなもので、トランプの反動もあって、アメリカでは、親中・左傾化の流れがはなはだしい。
 日米関係は、今後、危うい関係になってゆくが、救いは、イギリスである。
 日本は、戦前、イギリスと組んで、世界に躍進して、戦後、アメリカと組んで経済大国になった。
 そして、現在、日本に、ふたたび、イギリスと組む機運がめぐってきた。
 EUを離脱したイギリスが、日本と経済連携協定(EPA)むすび、中国を日英共通の敵とみなして、近々、空母打撃群を極東へ展開するという。
 イギリスはインド太平洋の西端、日本は東端に位置する同じ島国という世界観に立ってのことで、日本にたいして、イギリス連邦(英、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)とアメリカが安全保障情報を共有するUKUSA協定(シックスアイズ)への参加ももとめている。
 日米体制から、日米+イギリス連邦体制へ、新しい時代がはじまろうとしているのである。
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