2022年10月11日

「うたのこころ」と日本人D

 ●「人間主義」と「国家主義」へと二分された日本
「個と全体」の矛盾は、古今東西、長年にわたって問われつづけてきた永遠の難問である。
 中世ヨーロッパでは、これが、啓蒙主義とキリスト教のあらそいという形で噴出した。
 啓蒙主義が人間(=個)のめざめなら、キリスト教は国家(=全体)の根幹をなすもので、この二つの異質なるものが衝突しておきたのが宗教革命や政治革命だった。
 革命によって、神権神授説の神が唯物論や合理主義、科学におきかえられて近代的思想や文化文明、共和思想(社会主義・共産主義)がうまれたといってよい。
 3つ目の革命が産業革命で、近代の欧米世界は、宗教と政治、経済の3つの革命をへて完成したのだった。
 国連常任理事国の米・英・仏・ロ・中は、いずれも革命国家で、革命国家が採用したのが、民主主義と個人主義、合理主義と唯物論だった。
 だが、民主主義や合理主義、唯物論は「個と全体」を調整する機能をもっているわけではなかった。
 それどころか、神権神授説の代替えなので、ごりごりの一元論である。
「個と全体」の矛盾を革命という一元論で解消できるわけはなかった。
 そもそも、革命は一元論である。「個と全体」の矛盾を解消できるのは、あいまいさをゆるす多元論や唯心論、その両者の要素をかねそなえている自由主義でなければならなかった。
 西洋で、個人も大事だが、国家も大事というバランス感覚がはたらいているのは、民主主義と並んで、自由主義が尊重されているからである。
 自由主義というのは、日本の「和の精神」のようなもので、個人主義と国家主義、民主主義と伝統主義のバランスをとろうとする。
 ホッブズの「国家主権論」とルソーの「国民主権論」の中間にあるのがミル(ジョン・スチュアート・ミル)の「自由論」で、ヨーロッパが共産主義化をまぬがれたのは、ミルの自由主義が根を張っていたからだったのである。

 ●なぜ日本では「自由主義」が不毛なのか
 個人と国家の関係を語る最大の哲学がホッブズの社会契約説で「自然状態においては万人の万人による戦争がおこる」という警告は、国家の有用性を語ることばとして知らないヒトはいない。
 これにたいして、ホッブズの百年以上あとにうまれたルソーは「国家は人間の自由を奪った」として国家無用論=人民統治論を説いた。
 この人民統治論がフランス革命にとりいれられ、マルクスは、ルソー主義を共産党宣言にリライトして、これが、ロシア革命にむすびついた。
 日本には、マルクス主義やルソー主義者は、履いて捨てるほどいるが、保守主義のホッブズを語る者は少なく、ミルの自由主義にいたっては語る者がほとんど皆無である。
 日本人が、世界でもっとも重要な思想家であるミルを無視するのは、ミルの『自由論』が書かれたのが、明治維新の十年前だったからで、自由主義という考え方は、当時、西洋ですら新しい思潮だった。
 中江兆民は「民約論(社会契約論)」を約して、日本のルソーと呼ばれたものだが、日本にミルがあらわれなかったのは、明治維新に間に合わなかったからで、明治維新のヨーロッパ化をひきずっている日本の西洋主義者は、いまなお自由主義を知らないのである。
 戦後、ルソーの延長線上にあるマルクス学者が、洪水のようにあふれだして大学がその牙城となった。
 日本学術会議らの各種学会、学術団体をみればわかるように、自由主義という柔軟な心を失ったイデオロジストだったからである。
 ちなみに、日本の法曹界(司法・弁護士連合会)が左翼的なのは、法が西洋からの輸入品で、国体や「和の精神」などの日本精神と対立するからである。
 ミルの自由は、国家の有用性と個人の可能性を両立させるため国家と個人の自由を制限するというもので、その聡明さにおいて聖徳太子の「十七条の憲法」との類似点がすくなくない。
 世界は『社会契約説』のホッブズと『自由論』のミルをいまなお重要視しているが、ルソーやマルクスは見向きもされていない。
 いまなおルソーとマルクスを奉っている日本の左翼が思想界の化石≠ニ呼ばれるゆえんである。

 ●国家と国民を分裂させた明治維新の過ち
 かつて、日本が、世界一の国民文化をもっていたのは、民と権力のあいだに天皇という権威が介在したからで、権力から干渉をうけなかった民力はおおいに栄えた。
 天皇は、民の代表にして、権力の正統性を裏づける存在で、権力は、天皇のゆるしがなければ民を統治することができなかった。
 日本で庶民文化がはなひらいたのは、天皇が権力から民をまもっていたからだったのである。
 部屋に絵や書、生け花を飾る文化や百姓でも字が読める民度の高さ、宣教師が驚いた町の美しさや工芸や技術の高さは西洋以上で、ヨーロッパ人は日本の浮世絵や木造建築、刀剣の高度なレベルに最後まで追いつくことができなかった。
 庶民文化が衰退したのは、高税と徴兵制、軍国主義が国民を圧迫しはじめた明治時代からで、幕末以降、日本に新たな庶民文化はうまれなかった。
 日本が、国家主義と、人間(民権)主義に分裂したのも、明治維新からだった。明治維新が、国体を捨てた西洋の模倣だったからで、西洋の二面性(国家と国民)を見抜くことができなかった薩長政府は、列強の国家主義=帝国主義的な側面だけを真似して富国強兵を国家スローガンにした。
 日本は、いくつも大戦争ができたのは、税金の50〜90%が軍事費にむけられたばかりか、軍費の多くを外債に依存したからで、おかげで、国家財政は破産寸前だった。
 元禄振袖に代表される江戸文化の華麗さはすがたを消して、モンペにかすりという質素な衣服をまとった国民は「欲しがりません勝つまでは」という軍国スローガンを唱えさせられた。
 当時、東京の街は、町内のゴミ箱にハエがたかる不潔さで、美しかった江戸時代の面影はなかったが、軍国主義一色の国家が国民生活に目をむけることはなかった。
 これが、国家と国民の極端なアンバランスで、明治の富国強兵は、国家だけがあって国民が不在の時代だったのである。
 だが、第二次大戦後、その反動がきて、こんどは、個人をおもんじて国家を軽視する偏向がトレンドになった。
 国家主義を憎悪して、国民主義に憧れるという極端から極端への思想的ジャンプがおこなわれたのである。
 それが反日左翼・反国家主義で、かれらは、二言目には、国民や生命などと口にするが、それが、戦前の天皇ファシズムの裏返しということに気がついていない。
 国家に尽くした政治家の国葬の黙祷をジャマするため、数千人ものデモ隊が笛や太鼓を打ち鳴らすという蛮行は、個人主義や自由主義ではなく、死者への冒瀆という、人間性とモラル崩壊以外のなにものでもなかった。
 だが、反日左翼は、哀れにも、そんなことにすら気がつかなかったのである。
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2022年09月25日

「うたのこころ」と日本人C

 ●国葬問題からひきおこされた分裂国家≠フ危機
 安倍晋三元首相の国葬問題で、日本の国論がまっぷたつに割れている。
 世論が分裂しているのではない。同じ日本人が右と左、伝統と革新、権威と権力、民族派や国際派などへ二分されて、水と油の関係になっているのである。
 出席拒否をしるした国葬招待状をSNSに投稿して嘲る人々と、国家に尽くした指導者に哀惜の意をもって手を合わせる人々のちがいは、思想や信条ではなく、感性や価値観、人間性のちがいなので、永遠にわかりあうことはできない。
 日本は、単一民族の伝統国家ではあるが、かならずしも、心一つというわけではない。じじつ、戦後、日本は、左右両陣営にわかれて、熾烈な闘争をくりひろげてきた。
 そもそも、日本は、明治維新後、文化的に独立した独自の伝統国家ではなくなっている。明治維新は、国家改造クーデターで、薩長の下級武士がめざしたのは、西洋の専制国家で、大日本帝国憲法のモデルも、君主権が強かったプロイセン憲法だった。
 ヨーロッパ化と帝国主義化によって、日本は、国際連盟体制において、世界五大強国の一つにのしあがった。
 その一方、歴史や伝統にもとづいた日本独自の国体や文化や精神、習俗などが変質、形骸化、あるいは廃止された。
 それが、ヨーロッパを真似た天皇の王制化や華族制度、武士階級廃止などの鹿鳴館文化で、当時、浮世絵の版木や刀剣、美術品などの伝統的な文化をただ同然で外国人に売り払うという自己否定的、自虐的風潮がはびこった。
 第二次世界大戦の敗戦後も、同じことがおきた。日本は、皇国史観や神道をかなぐり捨て、アメリカ民主主義やGHQ憲法、ソ連共産主義を崇めたばかりか、敵性条項を掲げる「国際連合(戦勝国連合)」を政治の中心におこうという流れさえ生じた。

 ●日本の共産化を防いだ多元論的なあいまいさ
 戦後、日本の国家構造は、左翼と中道右派という対立する二つの勢力にささえられてきた。
 左翼は、ルソーやマルクス、ロックらの崇拝者で、かれらがもとめていたのは、革命のイデオロギーと共和制という人工国家だった。
 共和制は、人民が国家を支配する政体で、直接民主主義の体制である。
 ところが、共和制では、人民がつくったその政府が人民の上に君臨する。
 国民主権をあずかった為政者が、国民主権の名目の下で国民を奴隷のようにあつかうからで、プーチンのロシアや習近平の中国を見れば、共和制がどんな体制かわかるだろう。
 右派というのは、君主制の自由保守主義で、中道右派のことである。
 政治手法として間接民主主義を採用する体制で、政党として、自由民主党のほか日本維新の会や国民民主党もふくまれる。
 ちなみに、戦前の右翼が国家を構成する勢力にならなかったのは、GHQや左翼陣営の圧力によって、皇国史観や国家神道とともに潰されてしまったからだった。
 それでも、日本が共産化しなかったのは、国体が護持されたからで、日本の歴史や伝統、政治体制は、天皇によってまもられたといってよい。
 もともと、日本は、多元論の国で、あらゆるものに精霊をみいだすアニミズム的な心根をもっている。自然崇拝や八百万の神々への信仰、多様性と奥深さが日本人の心性で、それが和歌や俳句に反映されている。
 それが日本特有のあいまい≠ウで、これが未定、未確定とうけとめられるのは、西洋の価値観が一神教的、一元論的だからである。
 イデオロギーも、一元論で、元をただせば、一神教のキリスト教である。
 一元論は正しいものが一つしかないので、革命と独裁の構図がうまれる。
 左翼の根本思想は、暴力革命で、一元論である。かつての中核・核マル、赤軍や全共闘のような過激派から日本共産党、立憲民主党や社会民主党まで、憎悪をむきだしにするのは、敵を倒すことしか念頭にない闘争主義だからである。
 じじつ、野党連合を志向する日本共産党は、昭和30年の六全協で武装闘争路線を放棄するまでは、殺人や放火をふくむ武装闘争路線をとっていた。

 ●愛国心というモラルからなりたっている政治
 革命も民主主義も、政治理念ではなく、あくまで、方法論で、それがどんな政治的効果や意味、展望をもつか、一顧だにされない。
 60年安保闘争の際、全メディアが、改正安保条約の内容には一言もふれることなく、連日、民主主義をまもれと叫んだのがその好例だろう。
 中曽根康弘元首相は「政治家は歴史という法廷の被告人である」と明言を吐いたが、マスコミや世論は、その場かぎりの利害やスキャンダルを追うばかりで、政治家の歴史的な真価を問おうとしない。
 安倍元首相の真価を問うならば、戦後、日本を独立国としてリードした最初の首相ということができるだろう。
 その政治姿勢をしめしたことばが「戦後レジュームからの脱却」で、アメリカ依存から独立国日本へのたしかな足取りが「安保法制」「TPP」「自由で開かれたインド太平洋構想」だった。
 安保法制は、独立国家としての体制を整えた独立宣言で、インド太平洋構想にまっ先にとびついたトランプ大統領が「二度とあらわれない指導者」と敬意を表したゆえんである。
 TPPも、アメリカが離脱後、アメリカに右へ倣いの関係を破って、日本が主導権を握ったもので、現在では、中国までがTPPに歩み寄っている。
 最大の功績が安倍元首相が提唱した「インド太平洋構想」で、日本が中心となった世界戦略にアメリカやオセアニア、インドなど13か国が参加したほか、イギリスなどヨーロッパの国々も高い関心を寄せて、日本の国際的地位を劇的に高めた。
 多くの日本人が安倍の首相を不慮の死を悼むのは、日本を対米従属から脱却させ、日本を世界に誇れる国にしてくれた以上に、すぐれた愛国者だったからである。
 国葬に反対している人々の共通点は、日本人としての心情や愛国心をもっていないことである。
 左翼の目的は、国家転覆で、その武器は、国を愛する心ではなく、国家への憎悪である。
 したがって、安倍元首相の愛国心や功績は、そのまま、憎悪の対象となる。
 左翼反日にとって、安倍首相ほど憎悪を掻き立てる存在はないのである。
 国家の指導者に必要なのは、国家や民族、同胞への憎悪ではなく、愛や情であることを、一人でも多くの多くの日本人に知ってもらいたいのである。


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2022年09月12日

「うたのこころ」と日本人B

 ●名誉や誇り、分別や謙遜を否定する民主主義
 安倍晋三元首相の国葬に反対する国民が半数をこえた。
 反対理由の多くが「葬式を出せないヒトもいるのに16億円の国費を使って葬儀をおこなうのは不公平」「貧困に苦しむ子どもたちがいるのに税金をこんなことに使ってほしくない」などの個人的な感情論で、日本人の心が、ここまで貧しく、あさましくなってしまったのかと、驚きと悲嘆を禁じえなかった。
 立憲民主党の辻元清美と蓮舫がSNSで、国葬の案内状に「欠席します」と記入した画像を載せ、支持者の喝采を浴びたが、義理と人情、道義の日本人の品性も堕ちたものである。
 辻元も蓮舫も、戦後のアメリカ民主主義を最高価値と思いこんでいるファンダメンタリスト(原理主義者)で、歴史や伝統、習慣や常識、義理や人情に無関心などころか、そもそも、人間の心をもちあわせているのかどうかさえも疑わしい。
 大方の日本人も、民主主義を叫んでいるうち、辻元や蓮舫のように、名誉や誇り、分別や謙遜を忘れ果て、個人的な欲望や権利、我執につきうごかされるちっぽけな人間になってしまったように思われる。
「女子と小人は養い難し(論語)」ということばがある。女性差別とされて評判はわるいが、ちっぽけな人間というのは、女性ではなく、小人のことである。
 小人は、大人(たいじん)の対義語で、大人が名誉心や誇り、徳などの普遍的な価値をおもんじるのにたいして、小人は、生命や感情、目先の利益など個人的な価値にしか関心を寄せない。
 
 ●女性の生命感と男の使命感をむすぶうたのこころ
 小人とは「うたのこころ」を知らないことで、人間や人生、そして、世界の構造を直観できなければ、うたを詠むことはできない。
 女性が、個人的で個別的、私的な価値を大事にするのは、子を産む性として当然で、女性にとって、生命は、最大の価値である。
 一方、男が、集団的にして全体的、公的な価値を大事にするのは、家や共同体をまもる性として当然で、それが「命より名をとる」という武士道の精神につながっている。
 女性の生命感や個人主義的な感性と、男の名誉心や誇り、徳などの普遍的な価値観という異質なものを一つにむすびつけるのが、うたのこころで、日本の古人(いにしえびと)は、人生やこの世のこと、自然や恋愛を、すべてうたに託して、いわば、うたの世界を生きてきた。
 万葉集や二十一代におよんだ勅撰和歌集、宮中歌会始や庶民の歌集や句集をあげるまでもなく、日本人がうたを愛してきたのは、この世も人生も「うたのこころ」にみちているからで、根本にあるのが自然崇拝やアニムズム、神話や神道などの多神教的な世界観である。
 日本人が、他人にやさしく親切で、礼儀正しく人情に厚いのは、うたというゆたかな心性をもっているからで、日本人の心の機微や叡智、和の心の根っこに「うたのこころ」があることは、これまで、保田與重郎ら多くの文人歌人が指摘してきたとおりである。

 ●西洋はイデオロギー、日本は「うたのこころ」
 一方、一神教、一元論の西洋は、二元論や多元論を、神と悪魔、理性と獣性の対比のなかでとらえて、一方を徹底的に殲滅しようとする。
 それが十字軍の遠征から南米マヤ、アステカ、インカ帝国、アメリカインディアンにたいするジェノサイド(民族殲滅)で、一神教において、自然や他の生命は、絶対神ヤハウェが、神を信仰する人間にあたえ給うたただの生活材でしかなかった。
 だが、日本の自然崇拝やアニミズム、神話や神道という多神教的な世界観においては、万物はわけ隔てなく存在して、その一つひとつが、ヒトの心をとおしてたちあらわれる。
 それが、物と心、私と公、名と命をむすびつける唯心論で、うたは、矛盾や不条理にみちたこの世や人生を、二元論、多元論的に詠むのである。
 大伴家持は、天皇の命令によって任務につく東男の防人を讃え、家で無事を祈り待つ妻の気持ちを推し量ってこう詠んだ。
「鶏が鳴く 東男の 妻別れ 悲しくありけむ 年の緒長み(万葉集/防人の歌)」
 うたは、個人と集団、主観と客観、特殊と普遍などの「全体と個」の矛盾を詠むもので、防人と妻恋は、人生の宿命的矛盾である。
 国をまもることと妻と離れることは、個と全体の矛盾だが、うたうことによって、その矛盾が人情や国土愛、文化という普遍的なものに昇華してゆく。
 一方、西洋の一元論は、ロゴス主義で、モーゼの「十戒」に書かれているのは絶対神を絶対的に信仰せよ」とあるだけで、ほかは、刑法や民法の条文のようなものである。
 そこに、一片の詩情も例外もないので、キリスト信者は、すべて、ファンダメンタリストにならざるをえない。この一元的な論理にのっているのが、辻元や蓮舫を筆頭とする国葬反対派で、かれらの単純な頭では、防人のさだめや悲しさが、軍国主義ハンターイのイデオロギーでしかない。

 ●橋本徹の「いのちを惜しんで祖国を捨てるべき」という愚論
 ロシアのウクライナ侵攻に橋下徹はこういった。「4000万人国民は国家を捨てて難民になったほうが賢明である。そして、10年後、戦火のおさまったウクライナへ帰還運動を展開すればよいではないか」
 橋下のこの愚論に世界中が呆れ返って、論評の対象にさえならなかった。
 だがいのちと民主主義≠フ日本では、橋本の見解に賛同が集まった。
「世界価値観調査(WVS/電通総研)」がおこなった「もし戦争が起こったら国のために戦うか」というアンケートで「たたかう」と答えたのは、日本ではわずか13・2%で、調査対象国79か国中ダントツの最下位だった(下から2番目の78位=32・8%はたたかわずにソ連の属国となったリトアニア)。
 世界は呆れたが、日本人は「日本が平和なのは憲法9条のおかげ」とおつにすましている。
 国葬に反対するも同じ論理で、マスコミが国葬反対の音頭をとるのは、国葬によって、安倍神話ができると、安保法制が定着するからである。
 日本を一人前の国家に仕立てた安倍首相が、民主主義の信奉者の天敵となるのは、かれらにとって、国家は「いのちと民主主義」の敵対者だからである。
 それが橋本の「いのちを惜しんでウクライナ人は祖国を捨てるべき」という論理だが、いのちと民主主義を人質にとられると、人間は、名誉や誇り、愛や信義という社会性や普遍性を失った、仏教でいう餓鬼道の亡者になってしまう。
 それでも、命あっての物種というのが、令和日本の風潮で、国家の功労者にたいする敬意よりも、じぶんのいのちや民主主義のほうが大事とあって、国家に尽くした安部元首相の国葬に反対するのである。

 
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2022年09月01日

「うたのこころ」と日本人A

 ●「うたのこころ」からつくられた日本の国体
 万葉集や「勅撰和歌集(二十一代集)」には天皇や貴族から僧侶や防人、農民や遊女、読み人しらずまで、あらゆる階層の人々のおびただしい数のうたが載せられている。
 世界史的にも例のないことで、その特性は、大きく三つに集約される。
 一、天皇や貴族以下、各階層の人々のあいだに分け隔てがない
 二、天皇から平民までが文字を使いこなしているばかりか、高いうたの素養をもっている
 三、天皇や貴族が、武器をもっていくさをする代わりにうたを詠み、うたの選者となっている
 この三つの要素が日本という国家のいしずえ(国体)をつくりあげているのはいうまでもない。
 絶対王政がとられていた西洋では考えられないことで、かつて日本の政治が「君民共治」「君臣一体」であったことのあかしである。
 日本が祭祀国家であったことは、古代から室町時代中期にいたる千年以上にわたって、権力抗争はあったものの、体制を転覆させるような戦争がなかったことからも明らかで、そのかん天皇の地位がゆらぐことはなかった。
 古墳時代(250〜600年頃)ののちの飛鳥時代(592〜710年)と奈良時代(710年〜794年)にかけて万葉集が編纂されて、勅撰和歌集は、平安時代(「古今和歌集(905年)」にはじまって鎌倉時代、室町時代の初期「新続古今和歌集(1439年)まで延々と「二十一代集」にまでおよんだ。
「うたのこころ」が政治や権力をのりこえた稀有な例で、西洋のロゴスが神のことばで唯物論なら、日本のうた(和歌)は心のことばで、血がかよっている唯心論である。
 唯物論や合理主義などの一元論が破綻するのは、内部にふくんでいる矛盾や不条理を解消できないからである。
 ところが、人情や情緒をふくんでいるうたのこころは、矛盾や不条理をのみこんでしまう。
 高き屋に 登りて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり(『新古今集』)
 仁徳天皇のこの和歌が、ロゴス(理)ではなく、うたのこころ(情)だったからこそ、天皇がやまとの国をまとめる国父たりえたのである。

 ●人工的な権力は一元論、自然的な権威は多元論
 識字率や文化レベルの高さと政治形態、国のかたちには密接な関係がある。
 国民の識字率や文化の水準が高いのは、政治がすぐれているあかしである。
 国民をいたぶって搾取する権力的な体制なら、国民は、獣のような生き方をしいられる。
 うたをつくるどころか、生きることだけで精いっぱいだった中世ヨーロッパでは、庶民や貴族の多くが、読み書きどころか、じぶんの名前すらも書けない文盲だった。
 ところが「うたのこころ」で天皇と民がむすばれていた日本では、民が権力から虐げられることがなく、農民や遊女までが天皇と並んでうたを詠んだ。
 その背景にあったのが神話や自然崇拝、アニミズムで、それが「うたのこころ」に反映されて、江戸の俳句にまでひきつがれた。
 日本が、神話と伝統、文化の歴史的循環をくり返す自然国家なら、ヨーロッパは、人工国家で、その象徴が、キリスト教や啓蒙主義、市民革命だった。
 これらがすべて一元論なのは、人工的なものはすべて、一元論だからである。
 ちなみに、自然的なものは、すべて多元論で、日本の自然観や宗教観、そして「うたのこころ」は多元論である。
 絶対王政をうんだ「王権神授説」も人工的で、王権の正統性を神にもとめたヨーロッパの王室は、権力の系譜である。
 そもそも、権力は人工的で、いくさや多数決、軍事力や財力、そして家柄も一元論である。
 一方、権威は自然発生的で、権威の下ですべてが安定するのは、多元論的な自然はすべてを呑みこんで泰然としているからである。
 矛盾がふきだして、混乱がもたらされるのは、一元論だからである。
 一神教や啓蒙思想、改革や革命がことごとく失敗、あるいは決裂して争いがひきおこされるのは、矛盾や不条理をつつみこむふところの深さをもっていないからである。
 社会保障を厚くすれば、勤労意欲が失われて、社会が衰弱する。社会をよくしようという努力がすべて裏目にでるのは、一元論だからである。
 一方、自由な自然状態におかれると、社会が活気づく。
 自然状態が、不公平や不平等、矛盾や不条理をのみこんでしまうからである。
 この自然状態を語ることばが「うたごころ」で、たとえ、正義や真理はなくとも、自然状態には、忍耐や努力の報酬としてのよろこびや生の歓喜があるのである。

 ●「うたのこころ」が失われた日本の中世と近代
 この日本的秩序が崩れだしたのが後醍醐天皇による「建武の新政(1334年)」からだった。以後、金閣寺の足利義満の悪政(1378年)から南北朝の合一(1392年)、「応仁の乱(1467年)」そして戦国時代と、日本の暗黒の中世も250年の長きにわたる。
「建武の新政」から南北朝の時代精神は「うたのこころ」ではなく、儒教的な大義名分論と君臣論であった。足利尊氏は逆賊で、南朝の楠正成や新田義貞が忠臣となって、のちに水戸学の尊皇攘夷運動や昭和軍国主義に援用されたのは周知のとおりである。
 江戸時代は儒教(朱子学)一辺倒だったが「うたのこころ」をよみがえらせたのが賀茂真淵と本居宣長だった。
 国学は馬淵の「万葉集」研究から興って宣長の「古事記」研究と源氏物語のもののあはれ≠ナ本格化した。
 解読不能だった万葉集や古事記が現代人でも読めるようになったのは真淵や宣長の功績で、万葉集の賀茂真淵が「ますら(益荒男)をぶり」を、古事記や源氏物語の本居宣長が「たをやめ(手弱女)ぶり」を「うたのこころ」の神髄とした。
 さらに、本居宣長は「からごころ(外国の心)」を排して「やまとごころ」をもとめて多くのすぐれた和歌を残した。
 しきしまの 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花
 だが、真淵や宣長の「うたのこころ」は、明治維新の文明開化によって空中分解する。江戸文化も国学も、西洋化ブームの前には形無しで、脚光を浴びたのは自由民権運動の板垣退助や「民約論」の中江兆民、脱亜入欧の福沢諭吉らだった。
 17世紀、ケンペルの『日本誌』によってヨーロッパで日本ブームがおきたが、19世紀の日本は、鹿鳴館文化の西洋化一本やりで、天皇は、祭祀王でも勅撰和歌集の主宰者でもなく、ヨーロッパ的な君主となった。
 ケンペルが、権力の幕府にたいして、権威とした天皇がヨーロッパ的な絶対君主になって、それが、昭和軍国主義までひきずられてゆく。
 次回は血盟団事件の井上日召と決別した大東塾の景山正治が三浦義一とともに「うたのこころ」をとおして文化維新をもとめていった経緯をふり返りたい。

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2022年08月21日

「うたのこころ」と日本人@

 ●西洋のイデオロギーと日本の「うたのこころ」
 中江兆民は、ルソーの「社会契約論」を翻訳して、日本のルソーと呼ばれた。
 その兆民が、日本には、ルソーやカントのような哲学がないといって嘆いた。
 ところが、一方、西洋には、哲学はあっても、万葉集や古今和歌集のような歌集が存在しない。
 兆民は、日本人が浅薄なのは、哲学をもたないからだといったが、同じ論法をもちいて、西洋人が和の心や人情などの文化を解さないのは、うたのこころがないからともいえるのである。
 西洋の哲学と日本の「うたのこころ」は、精神文化において、東西の双璧をなしているのである。
 日本人は、西洋人のように、自我や権利、自由をふりまわさない。
 個人主義よりも、万葉のこころや風情、わびやさびという情緒、心の深さや多様性を大事にするのである。
 西洋と日本のギャップは、宗教観のちがいでもあるだろう。
 キリスト教は、絶対神との信仰契約で、個人主義的である。
 西洋が、一元論なのは、キリスト教やユダヤ教、イスラム教が、ヤハウェの一神教だからで、一神教から一元論がうまれるのは、自然のなりゆきである。
 一元論は、神と悪魔が敵対関係にあるように、善と悪、正と邪、良と否が分かって、互いにはげしく否定しあい、ときには、殺し合う。
 モーゼの十戒(旧約聖書)やキリスト教(新約聖書)がつたえるのがロゴス主義である。日本は言霊だが、西洋はロゴス主義で、ヤハウェとともにあったロゴス(ことば)は、世界を世界たらしめている唯一の原理で、神的存在でもある。
 ロゴス主義の西洋のどこからも、うたのこころはでてこない。
 ことばは、神のものだからで、神のことばを借りてできたのがイデオロギーである。
 一方、日本の信仰は、八百万の神々や神話、自然崇拝や祖神などの自然観をとおしてあらわれたもので、ことばは、神々のものではなく、みこと=人々のものだった。
 それがうた(和歌)で、自然や神々にたいするすなおな心根がうたわれる。

 ●天皇と民がうたでむすばれた二十一の「勅撰歌集」
 西洋のロゴスは、ぎすぎすした唯物論だが、日本のうた(和歌)は、ヒトの心をとおしてあらわれるうるおいのある唯心論である。
 自然を神からあたえられた材とする唯物論の西洋と、自然を神とする日本の唯心論は、けっして、折り合えるものではなく、それが、極端なかたちとしてあらわれたのが、皇国史観と共産主義の対決であったろう。
 明治維新は、天皇を元首に据えるという過ちを犯したが、天皇中心の歴史は、神話をひきついだ国史として、どの主権国家も採用している歴史観である。
 これが国体と呼ばれているのは、そこに、独自の自然観や宗教観、価値観や国家観が反映されているからである。
 国体の象徴が天皇で、天皇とは、歴史や文化、民族性そのものなのである。
 明治維新の過ちは、天皇を元首にして、天皇の権威を政治の道具にもちいたところにあって、天皇の個人崇拝を最大限に利用したのがあの愚かな昭和軍国主義だった。
 一元論の西洋とちがって、多元論の日本では、日本人のアイデンティティであるうた(和歌)を天皇が勅撰するという形で、国家の統一がはかられた。
 これは、世界史的に見ても、特筆されるべき稀有な事実である。
 神話の神々や天神地祇、自然神を祀る祭祀王である天皇は、うた(和歌)の主宰者でもあって、勅撰和歌集は「古今和歌集(905年)」から「新続古今和歌集(1439年)」まで21集(「二十一代集」)におよんだ。
 西洋がロゴス主義をもって、日本は「うたのこころ」をもって、国家という共同体を樹立したわけだが、江戸時代初期(1650年)の江戸(50万人)はロンドン(41万人)やパリ(45万人)をしのぐ大都市で、フロイスら宣教師たちは江戸の町の洗練性を絶賛している。
 ケンペルの『日本誌』が、ゲーテ、カント、ヴォルテール、モンテスキューら、ヨーロッパの一流人に愛読されて、19世紀のジャポニスムにつながっていったのは、日本の文化がそれだけすぐれていたからだった。
 一方、ドイツ人医師(明治天皇の主治医)の『ベルツ日記』によると薩長の出身者に占められた明治政府の役人らは「われわれに歴史はありません。われわれの歴史はこれからはじまるのです」とのべて、ベルツを嘆かせている。
 日本の欧米コンプレックスは、薩長の狭量からうまれたもので、西洋に追いつけ追い越せという風潮が、西洋のイデオロギーを尊重して、日本の「うたのこころ」を軽んじる風潮をうみだしたともいえる。

 ●戦後の最大右翼にして歌人の三浦義一との出会い
 わたしが「うたのこころ」にふれたのは偶然で、昭和39年以降、わたしは縁あって、右翼の大物で歌人だった三浦義一の杖もちのような役割をひきうけていた。
 昭和40年、わたしは、西山幸輝(日本政治文化研究所)に依頼されて日本新聞社から版権を譲り受けた「日本及日本人」の復刊、再刊にあたっていた。
 日本政治文化研究所は、近衛文麿が創設した昭和研究会を戦後、三浦義一が再建したもので、三浦の高弟であった関山義人の紹介から西山幸輝が理事長に就任していた。
「日本及日本人」は、明治40年、三宅雪嶺らを中心に発刊された国粋主義を唱える評論誌の復刊版で、林房雄(作家)や保田與重郎(文芸評論家)、御手洗辰雄(政治評論家)のほか村上兵衛(作家)、黛敏郎(音楽家)、鵜沢義行(日大教授)、山岩男(京大教授)、多田真鋤(慶大教授)らが執筆陣に名をつらねた。
 三島由紀夫にも、再三再四、執筆をお願いして、原稿を戴いた。
 当時、わたしは、三浦義一の経歴や思想、人脈などに無知で、血盟団事件の井上日召、大東塾の影山正治との間柄についてもほとんど知るところがなかった。
 ちょうどその頃、三浦義一は保田與重郎とともに滋賀県大津市「義仲寺」の再興にあたっていて、わたしもしばしば、義仲寺に同行した。
 義仲寺は、源義仲と義仲の愛妾だった巴御前巴の墓がある寺院で、松尾芭蕉も遺言によって此処に葬られた。「木曽殿と背中合わせの寒さかな」
 戦後、荒廃するのを見かねた保田與重郎が三浦義一を誘って、再興したもので、お二人の墓所もここにある。
 昭和42年、境内全域が国の史跡に指定されている。
 次回から、戦後最大の右翼にして歌人だった三浦義一の足跡を、そばで見ていたじぶんの目をとおしてふり返ってみたい。
 そして、西洋のイデオロギーにたいして、日本の「うたのこころ」がなんであったかをじっくり考えてみたい。
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2022年08月08日

 民主主義とテロリズムB

 ●政治を暗黒化させてきたテロリズム
「戦争は他の手段をもってする政治の一形態」といったのはクラウゼヴィッツ(『戦争論』)だった。
 事実、政治をうごかしてきたのは、話し合いや合意、多数決などの「政治の論理」ではなく、戦争や革命、クーデター、そして、テロリズムなどの「力の論理」だった。
 日本の近現代史も例外ではなかった。
「安政の大獄(1858年)」と「桜田門外の変(1860年)」によって火蓋が切って落とされた明治維新は「蛤御門の変(1864年)」や「新撰組による池田屋事件(同年)」から「坂本龍馬暗殺事件(1867年)」、「鳥羽・伏見の戦い/戊辰戦争/会津戦争(1868年)」にいたるまでテロの連鎖で、長州の会津にたいする憎悪と残虐非道な仕打ちは、歴史上、比類がなかった。
 昭和軍国主義も、原動力となったのは、軍事テロで、橋本欣五郎(陸軍)や大川周明らによるクーデター計画(「三月事件」「十月事件」/1931年)を皮切りに「5・15事件(1932年)」から「2・26事件(1936年)」へとつづいたテロリズムが昭和軍国主義の導火線となった。
 個人テロには、井上日召の「血盟団事件(1932年)」のほか、民間右翼による「神兵隊事件(1933年)」があげられるが、衝撃的だったのは、統制派リーダー、永田鉄山が皇道派に同情的だった相沢三郎に斬殺された「相沢事件(1935年)」で、これが翌年の「2・26事件」の伏線となった。
 永田は現実主義者で、中国大陸からの撤退と日本防衛(「漸減邀撃戦略」)を構想していた。だが、永田を敬っていた後釜の東条英機が、戦線維持を永田の遺志と錯覚して中国戦争に固執したばかりか、海軍の軍令部総長、永野修身の「真珠湾攻撃」になんの抵抗もできなかった。
 永田が生きていれば、蒋介石と和解のみちをひらく一方、海軍の南進作戦に徹底的に抵抗したはずで、そうなれば、日本の歴史は、大きくちがったものになっていたはずである。
 テロリズムの歴史が、日本を悪夢へひきずりこんだのである。
 
 ●「左翼暴力革命」と「右翼テロ」の対決
 テロやクーデターが政治をうごかすのは「政権は銃口からうまれる(毛沢東)」ものだからである。
 世界史上、話し合いや多数決で、新しい国家や政権がうまれたためしはない。
 イギリスやアメリカ、フランスやロシア、中国革命が、戦争や独裁、粛清をともなっていたのは、史実にあるとおりで、日本共産党も、極左軍事冒険主義を転換した「六全協」以前、火炎瓶闘争や山村工作隊、トラック部隊などの非合法テロ活動をくりひろげた。
 共産主義革命にたいする脅威は、大きなもので、羽仁五郎や都留重人、大内兵衛、向坂逸郎らマルクス学者がちやほやされて、当時、「革命がおきたら右翼反動はギロチンだ」という脅し文句がとびかった。
 総評や日教組、労働組合や学生運動が戦闘的になってくるなかで木村篤太郎法相が侠客、梅津勘兵衛に「反共抜刀隊」の結成を依頼、あるいは、60年の安保闘争時、橋本登美三郎が右翼の児玉誉士夫に協力をもとめた。
 日本の右翼が防共の最前線に立ったのは、政治が暴力革命の可能性をひめていたからで、そこからひきおこされたテロ事件が「米帝国主義は日中共同の敵」発言に反発した山口二矢による「浅沼稲次郎暗殺事件(1960年)」だった。
 この事件がとりわけ印象に深いのは、わたしはその日(10月12日)、その場所(日比谷公会堂)で、事件を一部始終、目撃していたからである。犯人の山口二矢(17歳)とは、新島ミサイル闘争(賛成派)でともに左翼と闘った関係にあった一方、浅沼氏は、わたしと同じ三宅島出身という因縁もあった。
 浅沼事件と並ぶ政治的テロとして、三島由紀夫が自衛隊に蜂起をうったえた「三島事件(1970年)」がある。
 ともに、日本の赤化(共産化)を防ぐためで、かつて、右翼は、共産主義と対決する最前線に立っていたのである。

 ●ホッブズの『社会契約説』とルソーの『社会契約論』
 自然状態において、人間は、つねに、飢えや自然的災難、外敵の襲撃などの危機にさらされる。
 したがって、生きながらえるためには、幸運のほかに、十分な生活資材や装備、政治的条件があたえられていなければならない。
 それが国家で、ホッブズが必要悪としての国家の存在を主張したのは、自然状態が野蛮で、つねに、万人による万人の戦争の危険性をはらんでいるからである。
 平和をまもるのも軍事力で、武器をもってまもらなければ、略奪と殺戮などがまかりとおるこの世の地獄となるのは、戦勝国に占領された敗戦国の惨状を見るまでもない。
「戦争は政治の一形態」や「政権は銃口からうまれる」という政治の残酷さを語ったことばは、ホッブズの国家観でもあって、現在、世界は、そのリアリズムに立っている。
 ところが、ホッブズの百数十年後、ルソーがこれに異をとなえた。
 人間は、生まれながらにして自由で、平和こそが自然状態というのである。
 このルソー主義がマルクス主義と合体して唯物論(共産主義)がうまれた。
 平和な自然状態にあった社会をねじまげたのは、国家権力と資本主義であるから、これを倒して、国民主権=人民政府をつくらなければならないというのである。
 人間はうまれながらにして自由だが、いたるところで鎖(国家や資本、法)につながれている」とするルソーの『社会契約論』では、そのあとにこうつづく。
「人民はみずからの権利を共同体全体に完全に譲渡した。しかし、人民自身は主権者であって、法の根源は主権者にある」
 このインチキな文章に騙されて、人々は、じぶんに主権があると思いこんだ。
 フランス革命のロベスピエールは、ルソー主義にもとづいて、人民の主権をあずかって恐怖政治を敷いた。
 ところが、主権者たる人民の主権には、見向きもしなかった。
 法の根源たる国民主権は、すでに、独裁者に譲渡されていたからである。
 日本人のノーテンキな平和主義はルソー主義だったのである。

 ●民主≠フヨコ軸と自由≠フ縦軸が交差した自由民主主義
 人民主権は、ひとり一人の人民にあたえられていたのではなかった。
 人民全体が一つの主権で、それを独裁者があずかるという話である。
 ルソーの人民(=国民)主権は、独裁の便法であって、これを悪用したのがヒトラーとスターリンだった。
 日本の左翼が民主主義や国民主権をもちあげるのは、これをまとめて預かる人民政府を夢想しているからだが、いずれも、ヒトラーやスターリンがやったいつか来た道≠ナ、自由や個人が抜け落ちた全体全体主義である。
 必要なのは、民主のヨコ軸と自由の縦軸が交差した自由民主主義で、それが「個と全体」の矛盾を解消できる最善の体制なのである。
 ルソーのインチキは、欧米では、とっくに暴かれて、だれも相手にしない。
 ところが、日本では、啓蒙思想家としてルソーが尊敬を集めている。
 ルソーがマルクス主義の前段階的地位にあるからで、日本のマルクス主義者はルソー主義者でもあるのである。
 そこからでてきたのが、日本人はもっと主権を主張すべき(『主権者のいない国(白井聡)』)という愚論である。
 日教組のルソー教育で育った日本人は、自然状態が平和で自由なユートピアで、国家がそのユートピアを破壊しないようにまもっているのが憲法と思っている。
 うまれながらにして自由なルソー的人間とって、国家は、敵となる。
 日本人がホッブズのいう、必要悪としての国家をみとめなければ、いつまでたってもノーテンキな平和ボケに埋もれたままなのである。
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2022年08月01日

 民主主義とテロリズムA

 ●革命とテロリズムは兄弟である
 西洋史はテロリズムの歴史といってよい。
 十字軍の遠征から宗教戦争、領土・領主戦争や農民の反乱、略奪者のバッコとあげてゆけばきりがないが、いずれも、殺害と略奪が目的のテロリズムで、兵士と兵士がたたかう戦争とは別物である。
 そのなかで、際立っているのが、フランス革命期のジャコバン派の恐怖支配(1793〜94年)である。革命派が反革命派1万6000人をギロチンで断首する恐怖政治をおこない、ここから「テロリズム(恐怖政治)」ということばがうまれた。
 これに次ぐのが、ユダヤ人900人以上が殺害され、2万6000人が強制収容所に送られた「水晶の夜事件(1938年11月9日)」で、この事件からナチスのユダヤ人大虐殺(ホロコースト犠牲者600万人)がはじまった。
 近代になっても、テロリズムの猛威はやむことがなく、スターリンの大粛清では1000万人、毛沢東の文化大革命では3000万人(推定)、ポル・ポト政権(カンボジア大虐殺)は人口の4分の1にあたる約200万人が私刑によって惨殺されている。
 ヨーロッパのテロリズムの頂点にあるのが「三十年戦争(最大の宗教戦争)」で、ドイツの人口の20%をふくむ800万人以上の死者を出している。百年戦争(英仏領土戦)やバラ戦争(英王族戦争)も、テロとその報復で、際限のない殺し合いのなかから市民革命という新たなテロリズムがうまれた。
 日本人は、フランス革命によって、人類は、自由や平等、人権を手に入れたと思いこんでいるが、とんでもない思いちがいである。
 フランス革命とナポレオン戦争による死者は約500万人で、ナポレオンがやったのは、王政復古と世界史上初となる帝国主義戦争だった。
 革命のスローガンとなった自由も平等も後付けで、フランス革命の代名詞である「人権宣言」には女性と奴隷がふくまれていなかった。
 フランス革命は、自由と平等のあけぼのではなく、テロリズムが大手をふりはじめる契機となる歴史的惨事だったのである。

 ●国民主権と人民独裁は「テロルの論理」
 日本人は、西洋を、自由や平等、人権や民主主義をつくりあげた理想国家のように思っている。
 だが、アメリカ・イギリス・ロシア・フランス・中国の5国連常任理事国を筆頭に、先進国の大半が革命国家で、君主制を捨て、多くが大統領制をとっている。
 革命は、テロリズムで、その手段に使われる民主主義や国民主権も、同類である。
 歴史や伝統、多様な文化や習俗をもった社会を、一夜にして単一的価値観の全体主義にきりかえ、反対者を抹殺する政治的変更がテロリズムでなくてなんだろう。
 革命において、テロリズム(暴力)が容認されるのは、革命派が国民主権をあずかるからで、テロルは、国民の名のもとでおこなわれる。
 国民主権や民主主義は、革命の道具でしかなかったのである。
 国民主権や民主主義にために革命がおきるのではない。
 革命のために、国民主権や民主主義が必要だったのである。
 国民主権の発明者ルソーは、多数決ではなく、全員一致の合意を主張した。
 多数決では少数派が切り捨てられるので、不完全というのである。
 全員一致の合意が、テロリズムなしにどうして実現されるだろう。
 フランス革命やロシア革命、中国革命で粛清の嵐が吹き荒れたのは、革命が「テロルの論理」に立っているからで、国民主権が丸ごと革命派もしくは為政者に委譲されるとする「人民独裁の論理」ほどめちゃくちゃな理屈はあったものではない。
 ルソーは「人間は生まれながらにして自由なのに、いたるところで鎖に繋がれている(社会契約論)」といった。ホッブズの「社会契約説(国家がなければ「万人の戦争がおきる」)への反論だが、夢想的な美辞麗句を並び立てただけの空論で、いまどき、こんなものを有難がっているのは、日本だけである。
 日本でルソーがもてはやされるのは、マルクスがルソー主義にユダヤの経典(タルムード)をくわえて『共産党宣言』を書きあげた(エンゲルス共著)からで、日本の左翼は世界がとっくに捨て去ったルソーとマルクスが大好きなのである。

 ●君主国家だけで機能する間接民主主義
 ルソーの自由がフランス革命のスローガンになったというが、革命を正当化するためにつくられたウソで、フランス革命時、吹き荒れていたのは、怨念と憎悪、恐怖だけで、自由などという抽象的な観念などどこにもなかった。
 まして、国民主権や民主主義など、意識のかけらさえ存在しなかった。
 もともと、ルソーの民主主義は、国民が直接、政治に参加する直接民主主義だった。
 だが、国民全員を収容できる議事堂があるはずはない。
 直接民主主義は、事実上、不可能な話だったのである。
 そこでルソーがもちだしたのは、国民主権を丸ごと独裁者にあずけてしまうというアイデアで、原型は、プラトンの哲人政治である。ルソーは、民主主義や国民主権をギリシャ哲学からひっぱりだしてきたのである。
 国民主権を為政者にあずけると、完全なる政治(=独裁)が可能になる。
 それがスターリン主義で、国民主権の名目で粛清もやりたい放題である。
 ルソーの民主主義と国民主権は、独裁政治の手法で、テロリズムだったのである。
 ロシアや中国、北朝鮮に多数決があったら、プーチンや習近平、金正恩らは独裁者になることはできなかった。
 かれらの絶対権力をささえているのは国民主権をあずかっている≠ニいうルソー主義で、ルソーの心酔者だったポル・ポトは「自然に帰れ」を妄信して近代的工場から郵便局まで破壊して、工場長や郵便局長まで死刑にした。
 アメリカもフランスも、ロシアも中国も、みずからの革命政権を正当化して「わが国こそ真の民主主義国家である」と叫ぶ。
 民主主義国家では、元首(大統領)が、国民主権をひきうけて権力をふるう。
 だが、日本やイギリス連邦王国、ヨーロッパの王室国家は、国民主権をあずかるのは、大統領ではなく、君主である。
 大統領が不在なので、首相は、粛々と、内閣や議会の運営につとめる。
 このとき、もちいられるのが多数決で、それが議会制民主主義である。
 多数決は、普通選挙法と並んで、間接民主主義の切り札で、立候補の自由がない中国やロシア、大統領の判断で戦争ができるアメリカなど共和制国家とは政治体制が異なるのである。

 ●民主主義はフランス革命のギロチン
 多くの日本人が「民主主義なのでテロはゆるされない」と口を揃える。
 民主主義とテロリズムが兄弟だったことを知らないのである。
 民主主義がテロリズムに抵抗できないのは、同じ穴のムジナだからである。
 歴史共同体である社会には、数千年にわたってまもってきた伝統、これからもまもっていかなくてはならない価値がある。
 伝統は、先祖からうけついで、子孫につたえていかなければならない文化であって、それが、死者をふくめた日本国民の暗黙の了解事項である。
 ところが、これを平然と破壊しようといううごきが自民党のなかにもある。
「民主主義の世の中で、皇統の万世一系(男系男子相続)はおかしい」というのである。
 伝統破壊は、テロリズムである。
 なぜなら、伝統はみずからをまもる手段を有さないからで、無防備なモノを一方的に破壊するのがテロでなくてなんだろう。
 独裁(=直接民主主義)でも多数決(=間接民主主義)でも、伝統や文化を破壊するのは、貴族をギロチンにかけたフランス革命の論理で、民主主義それ自体が、テロリズムの一形態だったのである。
 革命は、テロリズムで、近代をきりひらいた市民革命がテロの論理にのっていたのである。
 日本共産党は、多数決によって、一夜にして革命が成立するとして暴力革命路線を捨てた。
 民主主義は、フランス革命のギロチンのようなものだったのである。
 次回は、政治が、いかに「力の論理=テロリズム」の上に成立してきたかをみていこう。

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2022年07月17日

 民主主義とテロリズム@

 ●テロリズムにぜい弱なのが民主主義の最大の欠陥
 安倍晋三元首相が銃撃されて死亡するという大事件がおきて日本中が悲しみにつつまれた。
 葬儀の沿道には大勢の人々が詰めかけて、哀悼の悲痛な声をふり絞る光景がテレビ中継されて、多くの日本人が涙した。
 トランプ大統領から「二度とあらわれないすぐれた指導者を惜しむ」という悼辞が届き、岸田文雄首相は、吉田茂につぐ戦後二番目の国葬を正式に決定した。
 政党の党首や財界人らも哀悼のコメントを発表した。
 異様だったのは、テロへの怒りと並べて、全員がハンでついたように「民主主義の根幹をゆるがす蛮行」「民主主義への挑戦」と民主主義を金科玉条のようにもちあげたことである。
 小沢一郎などは哀悼の意も表さずに「長期政権のツケがまわった。民主主義をまもるために政権交代をめざす」と言い放った。

 ●元総理の銃撃事件をゆるした危機管理能力の低劣さ
 テロが民主主義をおびやかすのではなく、民主主義だからテロがおこりうるという、単純なことが日本人にはわからない。
 中国やロシア、北朝鮮で、テロがおきないのは、収容所国家で、予防拘束ができるからで、民主主義ほどテロにたいして無防備で、危機管理がむずかしい体制はない。
 今回の銃撃事件で、世界各国が指摘したのが警備の甘さで、演説中の安倍元首相の背後はがら空きだった。
 銃撃犯の発砲および現場からの逃走の様子が、一部始終、アマチュアのスマホに撮られるというだらしなさで、奈良県警や公安関係者、警備関係者の一部は休憩中だったともつたえられる。
平和ボケ日本≠ネらではの光景で、日本人は、安全や防衛を、水か空気のように思っている。
 尖閣諸島危機から、中国・ロシア艦隊の日本沿岸縦走作戦および領空・領海侵犯や北朝鮮の日本近海へのミサイル発射にたいしても、危機感ゼロで、日本人は、民主主義と平和主義、憲法9条の下で、戦争などおきるはずはないとタカをくくっているのである。

 ●「民主主義と国民主権」対「自由主義と個人主義」
 民主主義には2つの意味があって、1つは、多数決である。
 ソクラテスやプラトンの時代から多数決という数の論理が大手をふっていた。
 クラテスに死刑判決を下したのが、その多数決で、その衆愚政治を批判したプラトンが「哲人政治」を唱えたのは有名な話である。
 歴史上、民主主義は、衆愚政治の代名詞だったのである。
 2つ目が国民主権(主権在民)で、これはルソーが唱えた。
 国民主権は、王権(ソブリンティ)に対比されるもので、国民主権をあずかった者が、君主に代わって、主権をもつことができるとした。
 この場合、国民は、国民一人ひとりではなく、統治される階層という意味である。
 個人の意志(特殊意志)ではなく、全体の意志(一般意志)を、為政者が丸ごとあずかって、独裁的な政治をおこなう。
 個人が、国民全体に一般化されるので、これは「一般化理論」とも呼ばれる。
 そもそも、ルソーは、自由主義や個人主義に否定的で、議会主義をみとめていない。「国民全員を収容する議事堂は存在しないので、為政者が国民の主権をあずかる」というのが人民政府で、これは、共産主義のことである。

 ●戦後マルキストがつくりだした民主主義ブーム
 戦後、日本で民主主義ブームがおきたのは、GHQの公職追放でマスコミや大学教員らがそっくりマルクス主義者にいれかわったためで、民主主義や国民主権は、共産主義の代名詞だった。
 ところが、日本は、天皇の国なので、民主主義を人民独裁におきかえることはできなかった。
 共産党が勢いをえた時代もあったが、大方の日本人はアカ(共産主義)≠きらった。
 そこで、マスコミや学者や文化人ら左翼は、民主主義の大宣伝に打って出た。
 アメリカもフランスも、ソ連(ロシア)も中国も、革命国家で、フランスはルソー、アメリカは革命権を謳うロック、ソ連や中国はマルクスが国家のバックボーンである。 
 戦後、全体主義に抵抗したのが、ヒトラーに酷い目にあわされたイギリスとフランスだった。
 イギリスは保守主義(議会主義)を、フランスは、自由主義(個人主義)を立てて、共産主義や民主主義と一線を画した。
 これが「個と全体」のバランスで、国民と個人の区別、多数決と少数意見の尊重、自由にたいする制限、個人にたいする責任を、社会的規範(モラル)としたのである。

 ●自由と好き勝手≠フ区別がつかない日本人
 日本人は個人の自由≠ニいうとなんでもありの好き放題(リバタリアニズム)を思いうかべる。
 だが、自由主義や個人主義には、制限と責任という付帯事項があって、社会秩序は「自由の制限」と「個人の責任」によってまもられている。
 日本人は、この2つの付帯事項の欠落に、気がついていない。
 日本では、なにをやるのも個人の自由≠ェ善とされるが、欧米では、悪である。
 その悪の代表がテロリズムで、欧米ほどテロに苦しんでいる国はない。
 名古屋の「表現の不自由展(2019年あいちトリエンナーレ)」では、天皇の写真を燃やして、踏みつけて、それを表現の自由とした。
 このイベントに、国が補助金を出したほか、愛知県大村秀章知事ら賛同者が少なくなかった。
 これが、マスコミの「表現の自由」の原点で、表現の自由を奪われることへの抵抗ではなく、モラルをまもろうとしている人々にたいするテロ攻撃である。
 表現の自由には、被害者がでるので、おのずと、制限がかけられる。
 ところが、日本では、その制限にたいして、逆制限をかける。
 2019年の参院選で、安倍首相(当時)の演説を妨害した男女が会場から排除されたが、この男女がおこした裁判で、広瀬孝裁判長(札幌地裁)は、表現の自由を侵したとして、北海道警察に慰謝料の支払いを命じた。
 日本は、司法までが、悪の代表であるテロリズムの味方なのである。

 ●マスコミの言いたい放題≠ヘ言論テロ
 歯止めのきかないテロリズムに支配されているのがマスコミである。
 銃撃されて安倍元総理の血にまみれた姿がNHKを中心にくり返しテレビでオンエアされて、視聴者から悲鳴があがった。
 マスコミは、紙を売り、テレビの前に視聴者を釘付けにすることだけが目的の商売人で、商売のためなら、人権や名誉、誇りの侵害を意に介さない。
 気に食わなかったら徹底的な叩くというテロリズムの発想は、現在、日本中に蔓延しているが、元凶はマスコミである。
 とりわけ安倍叩き≠ノ狂奔した夕刊紙やスポーツ紙は、連日、テロを煽るような過激な見出しを掲げつづけている。
 このテロリズムがマスコミの本性で「やりたい放題をやってなにがわるいのか」という現代の日本人の気質を助長してきた。

 ●「国民の知る権利」の国民はだれのことか
 責任と義務は、国防問題にも深くかかわっている。
 安倍元総理が、憲法に自衛隊合憲を謳おうとしたのは、国をまもる自衛隊を税金ドロボー≠ニののしる日本人が少なくないからである。
 自由主義には制限、個人主義には義務と責任がついてまわるが、日本の民主主義は無制限で、いっさい縛りがかからない。
 日本は「主権在民」の国で、国民には主権があるので、なにをやってよいと思いこんでいるのである。
 だが、一人ひとりの国民に主権などない。
 国民主権をいうなら個人(特殊)が国民(一般)の代表である証明が必要である。
 マスコミは「国民の知る権利」という。その国民はだれか。そのなかに知る権利をふりまわすことに反対する人々はふくまれないのか。
 マスコミは、商行為の手段である。そのマスコミが売らんかなの精神で、虚栄や嫉妬、不満や怒り、不安や恐怖を煽って、言論の自由を喧伝する。
 そして、惨事がおきると特ダネ≠ニしてセンセーショナルに報じて国民の知る権利を主張する。
 民主主義は、暴力テロにも言論テロにも、まったく、無防備だったのである。
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2022年06月27日

 よみがえってきた「帝国主義」の亡霊F

 ●核の脅威を消滅させたウクライナのEU加盟
 ウクライナが、6月23日、モルドバとともに欧州連合(EU)の加盟候補国に承認されて、ゼレンスキー大統領は「この日を待っていた。歴史的な瞬間だ」とこぶしをつきあげてよろこびをあらわした。
 プーチンは「EUは軍事同盟ではない」として反対表明はおこなわなかったが、ロシアと交戦中のウクライナにとって、EU加盟候補国承認は大きな恩恵となった。
 ロシアがウクライナ戦争で核兵器を使用する可能性が劇的に低下したからである。
 ロシアが世界核戦争を望まないかぎりにおいて、EU加盟(申請承認)国にたいする核使用は、ヨーロッパへの核攻撃となるので、ありえないとはいえないが、考えにくい。
 ウクライナ戦争の焦点は、当初から、核使用とどれだけの国がウクライナを支援するかの2点に絞られていた。
 核の使用の危機は、ウクライナのEU加盟承認によって、一応、のりこえられた。
 もう一つの焦点だったウクライナの支援国家のほうは、月に一度のペースでひらかれている国防大臣レベルの関係国会合で、ウクライナに軍事支援を約束する国が47にもたっした。
 提供される兵器は、デンマークの対艦ミサイル「ハープーン」やイギリスの空対地ミサイル「ブリムストーン」、オーストラリアとカナダの榴弾砲「M777」、ノルウェーの対艦用NSMミサイルなどだが、アメリカも、射程がロシア領にたっしない範囲で使用できる多連装ロケットシステム(MLRS/HIMARS)の供与を検討している。

 ●中国の極超音速ミサイルに日本の技術
 これらの武器がすべてウクライナ軍にいきわたれば、膠着状態にある戦況が一変する可能性もあるが、ロシアも、米原子力空母を一発で沈める威力をもつ極超音速ミサイル「ツィルコン(マッハ9)」を実戦配備するという。
 核戦争を回避できたしても、つぎは、防御不能な極超音速ミサイルというのでは、軍事力によるウクライナ防衛どころか、軍事力による自国防衛すらなりたたなくなる。
 極超音速ミサイルをもっているのはロシアと中国、北朝鮮で、日米は後塵を拝しているが、高市早苗総務大臣が衝撃的な告発をおこなった。
「スクラムジェットエンジンや流体力学、耐熱材料の技術などの日本の技術が中国の極超音速兵器の開発に使われている」というのである。
 日本人の学者は、カネで買われて、じぶんの国にむけられるであろう中国の極超音速ミサイルの研究にとりくんでいるのである。
 もっと深刻なのが「軍事研究の禁止」を主張している日本学術会議によって日本の大学や研究機関から精密誘導機器や耐熱・強度素材の研究が放逐されてしまったことだろう。
 精密誘導機器は、巡航ミサイルなどに搭載される全地球測位システム(GPS)のレーダーで、現在、中国と台湾の独擅場である。日本の技術が先行したが、中国と台湾が逆転して、多くの日本人研究者が中国の「国防7校」などに招かれて、極超音速ミサイルの研究にとりくんでいる。
 日本の「危機の構造」は、核や極超音速ミサイルよりも、国をまもる精神の欠如にあったのである。

 ●国をまもる気がない日本では成立しない核の議論
「戦争がおきたら国のために戦うか」というアンケートで「たたかう」と答えたひとが13%しかいない日本で、アメリカに「核の共有(ニュークリア・シェアリング)」を強硬に申し入れることなど、できるはずがない。
 ちなみに、同アンケートは「世界価値観調査(WVS/電通総研)」という権威があるもので、13%という数字は、調査対象国79か国中ダントツの最下位(78位はリトアニア43%)だった。
 核シェアリングは、西ドイツのアデナウアーの熱意がアメリカをうごかして、ようやく実現したもので、アメリカには、敗戦国のドイツと日本に独自の核をもたせる気などさらさらなかった。
 日独が核の攻撃をうけても、核で報復する気もない。
 だが、反ソ連(ロシア)の同盟国なので、核シェアリングや核の傘の「拡大抑止」というわけのわからないことをいってごまかしてきた。
 日本が核の傘∴ネ外の方法で核装備するなら、イスラエルと同様、潜水艦以外の選択肢はないだろう。
 イスラエルは、みずから公言しないが、核を、ドイツ製のドルフィン級通常型潜水艦に搭載している。
 爆撃機による出撃では、先制攻撃が不能で、核抑止力としても不十分である。
 弾道ミサイルも、地上の基地は、敵に攻撃目標をさしだすようなものである。
 結局、おちついたのが、敵から探知されにくく、攻撃を予知されない潜水艦だった。
 日本は、世界屈指の海軍大国で、潜水艦の製造や戦闘能力にかけては世界一である。その日本の潜水艦チームが日本近海で米原子力潜水艦との共同訓練を積み上げてゆけば、中国やロシア、北朝鮮は、日本の潜水艦が核装備していると想定する。
 それが抑止力で、イスラエル潜水艦の核も、想定されているだけで、実際に見た者はいない。
 岸田首相が国会でぺらぺらと非核三原則を口にするのは利敵行為で、国会で質問されたら、国防問題は、国家機密として、つっぱねておけばよいのである。

 ●ロシアの戦費は4か月で国家予算の10倍以上
 木村太郎が「6月いっぱいでロシアは消えてなくなる」といったのは4か月の戦費合計が360兆円(1日約3兆円)にもなるからで、ロシアの国家予算(35兆円)の10倍をこえる。
 ロシアが消えてなくならないのは、ルーブル紙幣を刷りまくっているからで、ロシアや中国、北朝鮮の経済が破綻しないのは、通貨発行を経済の原動力とする「MMT理論」をとっているからである。
 国家があるかぎり、通貨発行によって、経済力を維持できる。国家を借金のカタに入れたバクチのようなもので、国家には無限の担保力があるので、いくらでも紙幣を刷れるが、その分、借金は、ふえつづける。
 したがって、赤字が国家の担保力をこえると、極端な通貨安が生じて、経済が崩壊する。
 それが、資源国家ベネズエラの悲劇で、地下資源の輸出だけにたよってきた同国は、2015年以降、通貨価値が100分の1以下となって、国家崩壊の危機に瀕している。
 ロシアは、極超音速ミサイル「ツィルコン」を実戦配備する予定だが、このミサイルはきわめて高価で一基数百億円といわれる。
 ロシアがこれを大量に使えば、戦費はさらにはねあがって、ロシアは大量に発行した貨幣が極端な通貨安を招く経済縮小(「MMTのジレンマ」)へむかうことになる。
 中国がロシアの後ろ盾になっているのは、戦争で疲弊したロシアを事実上の属国にして、アメリカに対抗しようというもくろみで「中国と中央アジア5か国が外相会談」では、王毅外相が人民元による経済圏の構築≠うちあげている。
 世界は、ウクライナ戦争をめぐって、混沌の度をましている。
 だが、日本は、ただ呆然と手をこまねいているばかりである。

 ●公明と縁を切った自民党小野田紀美議員の心意気
 自民党が、核という「国家の存亡」を左右する大問題をアメリカにゆだねて、核問題を真剣に考えようとしないのは、公明党と摩擦をおこしたくないからである。
 公明党の「核廃絶・核不拡散・非核三原則」は創価学会婦人平和部隊≠フスローガンでもあって、政治でも政策でもない、念仏のようなものである。
 したがって、公明党に迎合する自民党には、核問題を語る政治的見識や覚悟、信念や資格がなかったということになる。
 7月に予定されている参院選挙で、自民党現職の小野田紀美議員が公明党の推薦を拒絶して、公明党が推薦を取り消すという椿事がおきた。あわてたのが公明票で当選してきた自民党議員で「迷惑な話」「公明に詫びを入れるべき」と青くなったが、当の小野田議員は、推薦取り消しに「それで結構」と平然たるものだった。
 小野田紀美は、父親がアメリカ人のアメリカ育ちで、親台湾派である。中国にべったりの公明党や創価学会はうけいれがたいが、それよりも納得できないのが、アメリカ育ちらしく自公癒着≠ニいう日本的なご都合主義だった。
 自民党が防衛問題や憲法改正、皇室問題などで、迎合的なことしかいわなくなったのは、公明の反発をおそれているからで、天皇よりも池田大作が大事な公明党と足並みを揃えて、国体にそった保守政治をおこなえるわけはない。
 公明と手を切れば、いまや、公明の下駄の雪となった自民は、大幅に議席を減らして、維新の会とでも連立を組まなければ政権を維持できなくなるだろうが、そのとき、ようやく、国防や憲法など、本格的な政治議論ができるようになるのである。
 ウクライナ戦争というきびしい世界情勢のなか、非核三原則の念仏を唱えている公明党、その公明党と手拍子を合わせている自民党に政治をまかせておくのはじつに心もとない話なのである。

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2022年06月13日

 よみがえってきた「帝国主義」の亡霊E

 ●「核保有」「核の傘」「核シェアリング」
 ロシアのウクライナ侵攻と、プーチンが核使用をちらつかせたことによって、日本の防衛世論が急激に変化した。
 防衛費増強派が80%、防衛費GDP2%派が6割にもたっしたのである。
 TVタレントや評論家が「日本が平和なのは憲法9条があるから」といいふらしていたウクライナ戦争以前の情勢とは、隔世の感がある。
 そこへ浮上してきたのが「核武装論」である。世界第3位の核保有国だったウクライナが、現在、ロシアの攻撃にさらされているのは、94年の核拡散防止条約(NPT)の加盟に際して、核兵器をロシアに移管したからというのである。
 核は、核にたいする最大の防御で、アメリカも北朝鮮に手が出せない。
 だが、使えない兵器で、使えば核の連鎖≠ノよって世界は破滅する。
 したがって、核の使用をいいだしたプーチンは、狂人ということになる。
 ミサイル狂の金正恩も、核弾頭1000発の習近平も狂人で、日本は、中ロ朝という狂人が最高権力を握る3つの帝国主義国家に囲まれている。
 原爆を投下したアメリカも狂人だが、日本は、そのアメリカの核の傘≠ノまもられながら、非核三原則(もたず、つくらず、もちこませず)を謳歌している。
 核を悪の権化にしながら核の傘≠ノ安住する日本も狂っているのである。
「気狂いに刃物」というが、核という刃物をめぐって、狂気が、右往左往しているのが、核をめぐる目下の世界情勢なのである。

 ●ありえないアメリカによる核の報復
 多くの日本人が核の傘≠誤解している。
 日本に原爆が撃ちこまれたら、アメリカが核で報復してくれると思っているのである。
 アメリカは、東京に原爆(第1弾)が投下されても、ニューヨークやロスの市民が犠牲になる第3弾を覚悟して、北京やモスクワ、平壌へ報復弾(第2弾)を撃ちこむことはない。
核の傘≠煌jシェアリングも、核の「報復装置」ではないからである。
 だからといって核の傘≠ヘなんの役にも立たないということではない。
「核の傘」や核シェアリングがあるかぎり、敵は、核の攻撃をためらう。
 敵に核攻撃を躊躇させることが「核の抑止力」で、それ以上でも以下でもない。
 したがって、敵が報復核≠撃ちこまれる可能性がないとみて、第一弾を撃ってきたらお終いで、核の抑止力は、そこで消滅する。
 第2弾、第3弾と報復核が連鎖すれば、米ロには合わせて一万発以上の核があるので、世界の破滅まで数日で十分である。

 ●核の傘や核共有と「核拡散防止条約」の矛盾
 核の抑止力も相互確証破壊も「事故を未然に防ぐ論理」で、赤信号のようなものである。
 赤信号で車が止まるのは、事故を未然に防ぐためで、だれでも事故がこわいので、赤信号は、永遠のルールとなる。
 一方、核の傘や核シェアリングは、交通事故にたいする「報復の論理」で、事故がおきたあとの処理である。他者(核保有国)の力を借りで、違反車や暴走車へ報復してもらおうというのだが、そのときは、こちらも深手を負っている。
 しかも、他者が報復してくれるというのは、勝手な希望的観測でしかない。
 バイデン米大統領が一般教書演説でプーチンの核恫喝≠ノふれなかったのは、核抑止力は、核報復ではないからである。
 報復なら、核抑止力がきかなかった後始末だったことになる。
 したがって、あとに残るのは、第三次世界大戦の回避だけである。
 核抑止力は、あくまで、抑止で、核を抑止するためだけにある。
 それには、核を使えば同等以上の被害をうけるという恐怖心をあたえなければならない。
 しかし、核の「相互確証破壊」は、核国保有国同士の論理で、非核保有国や同盟には通用しない。相討ち≠フメカニズムがはたらかないからで、同盟は運命共同体ではないのである。
 核の傘や核シェアリングは、核拡散防止条約(NPT)違反なので、契約の文書は存在しない。
 そもそも、NPTは、核の傘や核シェアリングを隠蔽してむすばれた条約である。
 したがって、核シェアリングは、日本政府が、アメリカ側につよく要請しなければけっして実現しない話なのである。

 ●欧州の核シェアリングと日本の非核三原則
 西ドイツが、アメリカと核シェアリングをむすんだのは欧州連合の父≠ニいわれるアデナウアー首相のらつ腕によるもので、敗戦国ドイツを英仏に並ぶ強国にするため、核シェアリングという巧妙な方法を案出した。
 第2次世界大戦が終結して、英米仏が軍隊の動員を解除したが、ソ連は欧州全土に数百個師団を残したまま、赤軍の大量動員を解かなかった。
 トルーマンが西ドイツに核兵器の核持ち込みを要請すると、アデナウアーは、即決でOKをだしたが、一つ条件をつけた。
 それが、核兵器の使用権をアメリカと折半する核シェアリングだった。
 これがNATO核の起源で、アデナウアーは、アメリカの核をドイツのほかイタリア、オランダ、ベルギー、トルコなどに配備して、相互互助関係にあるNATOが、核抑止力をもつ核の準保有国となった。
 これと逆のコースをたどったのが日本だった。
 アデナウアーが、事前協議なしの核持ち込みとひきかえに核シェアリングを実現させたのにたいして、日本は「沖縄返還(核抜き・本土並み)」の佐藤栄作が「非核三原則」をうちだして、ノーベル平和賞をうけた。
 アデナウアーの核シェアリングはソ連にダメージをあたえたが、佐藤栄作の「非核三原則」は、むしろ、ソ連をよろこばせた。
 非核三原則は、同盟国への核攻撃にたいして核報復を事前宣言する「核の傘理論」を空洞化させるものだったからである。
 当時から日本では、憲法9条があるから戦争はおきない、非核3原則があるから核攻撃をうけない、核廃絶は被爆国の悲願などの夢想的な平和主義が大手をふって、リアリティのある防衛議論や、核抑止という現実的な問題についてなんの議論もされてこなかった。
 アメリカが日本の核拒絶反応≠ノ理解を示したのは、原爆を投下した贖罪意識があったからであろう。
 だが、日本の左翼や労組、マスコミは、反原爆を反体制運動に利用した。
 核持ち込みの「秘密協定」があった、なかったという騒ぎがそれだった。
 核がもちこまれたのなら日本をまもるためで、アデナウアーなら大歓迎したろうが、当時、日本では、これが政府攻撃の材料にされた。
 ロシアのウクライナ侵略と核恫喝が世界を震撼させている現在、防衛観念と核武装について、日本は、根本的に考え直すべき時期にきているのである。
posted by office YM at 00:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする